今日(1/2)の朝日新聞デジタルに、大塚英志のインタービュー記事・「感情が政権と一体化、近代に失敗しすぎた日本」が掲載されていました。今の私たちが置かれた社会の状況を考える上で、とても示唆に富んだ記事でした。(デジタル記事の場合、時間が経過すると削除されますので、可能な限り引用して紹介します)

朝日新聞デジタル
感情が政権と一体化、近代に失敗しすぎた日本 大塚英志

私は、つぎのような発言に目がとまりました。

 「例えば右派の人たちが大好きな『日本』にしたって、きっともう少し日本の『中身』でつながりようがあるわけですよ。『好き』以外の感情を許さない、感情化された『日本』っていうのか、内実はそれこそ戦時下の劣化版みたいな『日本』でしかない。中身がないから『反日』『親日』のように、隣の国の否定や、反日というファクターを作ることによってしか『日本』を定義できない。あと外国人に『ここがスゴイ』と言ってもらうとか。快・不快で『日本』がかろうじて輪郭を結ぶわけです」


 「だから、今の『保守』の人たちが言う『日本』がぼくには本当にわからないんですよ。種子法が廃止され、『移民』法、水道の民営化が国会を通過し、北方領土は2島返還でいいという空気になっている。ネトウヨはTPPも多くは推進派だった。普通、『米』『水』とか『領土』とか、ぼくは同意できないけど、『反移民』とかは『右』が命かけて守るものでしょう。それが全部、ないがしろにされて、大丈夫なのかなって、左派の方が心配しているくらいでしょう。少なくとも今回は、国会の前を安保法制の時のリベラルのように右翼たちが大挙して囲んでいなくちゃいけない状況だった気がします。でも、そうならないのは、それは多分、安倍政権は、安倍さんと日本と支持者の自我がきれいに重なって一体化している、つまり、感情的共感に支えられた感情化した政権だからでしょう」


こういった中身のない「感情化」(ただ感情のみで共感を求める傾向)は、記事でも触れていますが、とりわけネットにおいて顕著です。

私は、仕事の関係でInstagramを日常的にチェックしていますが、たとえば趣味をテーマにしたインスタなどでは、理解に苦しむような多くの「いいね!」が付いている記事をよく見かけます。

ひとりよがりの雑な写真や個人的な日常を綴った絵日記のようなものに対して、信じられない数の「いいね!」が付けられているのです。趣味をテーマにした記事では、むしろそういった事例はめずらしくありません。

どうして人気があるんだろうといくら考えても理解できないのです。でも、インスタの場合、理解しようとすること自体が場違いな気がします。

そこにあるのは「空気」です。私は、以前、仕事で知り合った若い女性たちの誘いに乗ってLINEのグループに入り、僅か一週間で「村八分」に遭った苦い経験があるのですが、そのとき感じたのも、グループを支配する「空気」や暗黙のルールでした。私はそれを読むことができなかったのでした。

インスタも同じで、判断停止して「いいね!」を押しているだけなのでしょう。そうやってお互いに「いいね!」を押し合っているのでしょう。

フォローにしても然りで、画像をアップすると瞬間的にフォロワーが増えますが、一日経つとまたもとに戻るのでした。要するに、フォローされたら同じようにフォローを返さなければならないのです。返さないと、フォローが取り消されるのです。中身なんて二の次なのです。そうやってフォローやフォロワーを増やすことだけが目的になっているのです。

私などは、バカバカしいとしか思えませんが、それが今様の(ネットの)「つながり」なのです。ネットの時代の若者にとっては、そんな人間関係のほうがむしろリアルなのでしょう。そして、自分が認められたような気になっているのです。「ひとりじゃない」と本気で思っているのです。

でも、「空気」を読むことは反面とても疲れることです。LINEグループの経験から言えば、本音を言えないストレスもあるでしょう。心にもないお追従のようなコメントばかり書くことに嫌気がさすこともあるでしょう。「SNSに疲れた」という声が出るのもわからないでもありません。

中身のない浅薄な関係は、国家に対しても同様です。大塚英志が言うように、今のナショナリズムのなんといい加減なことでしょう。そこには「主義」と呼べるような論理的な一貫性などありません。思想としての誠実さも皆無です。ただ、グローバル資本主義に拝跪する安倍政権に、盲目的に「いいね!」を押しているだけです。

これではこの国がグローバル資本主義に無力なのは当然でしょう。この国には、SNS的な感情に同化するだけの意味不明なナショナリズムしかないのです。誤解を怖れずに言えば、「日本」が不在なのです。だから、百田某のように、ネットからコピペした「日本」を捏造するしかないのでしょう。

大塚英志も、記事の最後でつぎのように言っていました。

 「中国や北朝鮮が攻めてくる的イメージがずっと繰り返されてきましたが、『攻めてくる』のは、無国籍なグローバルな経済の波です。その意味での『見えない戦争』はとっくに始まっていて、もう負けていますね。さっき言ったように『移民』法は成立、水、固有種の種子といった、いわば国家の基本をなすようものはどんどん外資に譲り渡す流れになっている。日本の中で『勝っている』人は確かにいるけれど、それはグローバルな経済の方に飛び乗った人たちで、私たちの大半はもう『負けて』いる。だからここにあるのは、もう焼け野原なのかもしれない。でも、かつての『戦後』はこの国が『近代』をやり直すチャンスだったわけで、もう一回、『近代』及び『戦後』をやってみるしかないでしょう」


大塚英志が言うように、私たちは既に焼け野原に立っているのかもしれません。格差社会の過酷な現実も、どう考えても焼け野原の風景にしか見えません。薄っぺらな「愛国」も、グローバル資本主義に無条件降伏するための方便のようにしか思えません。


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