昨夜、テレビを観ていたら、「俳優の萩原健一さん死去」というニュース速報が流れたのでびっくりしました。一瞬、自殺?と思ったほどでした。以来、今日も一日しんみりとした気持になっています。

2011年から病魔と闘っていたなんて知りませんでした。何度かテレビに出ている姿を観ましたが、別に痩せてもいないし、病気を抱えているようには見えませんでした。横浜の鶴見から都内に引っ越していたことも知りませんでした。

私たちの世代にとって、ショーケンはヒーローでした。テンプターズのショーケンもそうでしたが、その頃はまだ子どもでしたので、やはり、俳優としてのショーケンのほうがインパクトがありました。

デビュー作の「約束」(斎藤耕一監督・1972年)の、列車の中で岸恵子と出会うシーンは今でも印象強く残っています。既出ですが、演出家の蜷川幸雄は、ショーケンのすごさについて、ショーケンを特集したフジテレビの「ザ・ノンフィクション」のなかで、つぎのように語っていました。

YouTube
ノンフィクション(フジテレビ)
ショーケンという孤独

蜷川 ほら、初期の頃の『約束』(72年)って映画とか見ると、いつも思うんだよ。たとえばマーロン・ブランドやジェームス・ディーンやチブルスキーは、許容できない現実を生きる青年の鬱屈を擬態というスタイルで表現したんだよね。その、世界的な演技の流れを日本で最初にやったのがショーケンだったんだよ。それは革命的な出来事だったと思うよ。
(2008年7月7日「合縁奇縁」・株式会社東急文化村)


そんなショーケンの演技は、神代辰巳監督の「青春の蹉跌」(1974年)でいっきに開花したように思います。全編を覆うあの気怠く倦んだ空気は、ショーケンでなければ出せないものでしょう。

当時、全共闘以後の世代は「シラケの世代」と呼ばれていましたが、私は、「シラケ」という言葉にどこか違和感を覚えてなりませんでした。むしろ、「屈折」と言ったほうがピタリとくるような気がしました。

全共闘運動に挫折した世代も、そんな全共闘世代を仰ぎ見つつ戦いに行き遅れた世代も、70年代を生きる若者たちはみんな「屈折」していたのです。「約束」や「青春の蹉跌」では、ショーケンがそんな「屈折した世代」の時代感覚を体現していたのでした。

当時の若者たちには、ショーケンのような”尖った部分”は共通してありました。それは、年を取ってもどこかに残っているのです。無定見に阿ることなく自分にこだわる。それがショーケンがいつまでもカッコよかった理由でもあるのだと思います。

ショーケンと並び称せられる沢田研二も同じです。この前のドタキャン騒ぎも然り。あれだけ一時代を築いた大スターでありながら、護憲や反原発を表明しているのも、彼のなかに”尖った部分”が残っているからでしょう。反原発発言で干された山本太郎が、2012年の衆院選に東京8区から出馬した際、ジュリーはわざわざ荻窪まで出向いて応援演説をしたのですが、それも”反骨精神”ゆえでしょう。ショーケンやジュリーが、ビートルズよりローリングストーンズに魅かれていたのもわかる気がします。

享年68歳というのは、いくらなんでも早すぎます。最近のショーケンは、「いい年の取り方をした」というのとは違った意味で、カッコいい年寄りでした。下の世代の私たちにとっても、これから“黄昏の季節”を生きる上でのロールモデルであり、気になっていた存在でした。だから、よけい残念でなりません。


関連記事:
『日本映画[監督・俳優]論』
ショーケンはカッコええ
2019.03.29 Fri l 訃報・死 l top ▲