お盆が近くなりましたが、私は、身近な人間が亡くなったとき、いつも”倶会一処(くえいっしょ)”という言葉を思い浮かべます。これは、この世で縁のあった人間とあの世でも再び巡り合う、という意味の仏教の言葉です。

先日、たまたま『差別とハンセン病-「柊の垣根」は今も』という本を読んでいたら、ハンセン病の療養施設・多摩全生園の納骨堂の正面にもこの言葉が刻まれていることを知りました。

強制隔離政策によって過酷な運命を強いられ、死後もなお、家族から遺骨の引取りを拒否され、故郷の土に還ることさえ叶わず、いわれなき差別と偏見に晒される患者達、そんな彼らが眠る納骨堂に刻まれたこの言葉は、いっそう強く私の胸にせまってくるものがあります。

ときどき車で所沢街道沿いの多摩全生園の前を通るのですが、今も変わらず広大な敷地のまわりを囲っている柊の垣根をみるたびに、学生時代、北条民雄の『いのちの初夜』を読んだときの衝撃を思い出します。

柊は棘のある常緑樹なのですが、当初、隔離した患者達の逃走防止のために植えられたのだそうです。つまり、柊の垣根は、収容所を囲む有刺鉄線と同じような役割を果たしており、患者達が置かれた過酷な運命を象徴する風景でもあるのです。

『差別とハンセン病』は、畑谷史代さんという信濃毎日新聞の若い記者が、主に長野県出身の元患者の方を取材し、それを同紙の社会面に半年間にわたって連載した記事をまとめたものです。

その中で、ハンセン病国家賠償請求訴訟についての元患者の複雑な胸の内を綴った”寄り添い続ける「隣人」を探して”という箇所が特に印象に残りました。

 旅の途中で追いはぎに遭い、傷つき、道端に倒れた旅人がいた。通りかかった司祭たちは、旅人を見ながら道の向こう側を歩いて行った。手を差し伸べ、介抱したのは異教徒として軽蔑されていたサマリア人だった―。
 このたとえ話をして、イエス・キリストは問うた。「旅人にとって、隣人は誰だったか」(新約聖書「善きサマリア人」)。

元患者は訴訟の原告には加わらなかったのだそうです。

どうしてかといえば、洗礼を受けた彼には、この聖書の言葉をよりどころに、「おれたちにとって、隣人とは誰だったか‥‥」という問いがいつも胸にあったからです。

社会から黙殺された療養所で、患者達と寝食を共にして治療と看護に当たっていた医者や看護婦ら療養所の職員のことを考えると、原告に加わることで、彼らを「悪者」にしてしまうのが忍びなかったのだそうです。

 彼らも元患者たちと同様に世間から「怖い病気を持っていないか」と白い目で見られてきた。看護婦の縁談が壊れたこともある。それでも、看護婦たちは入所者を「うちの人たちは―」と言った。「みんなを置いたままお嫁に行けない」と縁談を断った看護婦もいた。

人生の途上、道端で倒れている旅人を見かけたなら、自分はサマリア人のような隣人になれるだろうか、と自問してみました。今まではどうだったか、と。すると、暗澹たる気持にならざるを得ませんでした。

最近、私は仕事先で人間関係のトラブルに遭遇しました。その過程で、「信じる」とか「善意」とかいったものがいかに非力で脆いものであるのかを痛感させられました。ただ「信じる」とか「善意」だけでは善き隣人にはなれないような気がします。では、他に何が必要なのでしょうか。
2006.08.04 Fri l 本・文芸 l top ▲