おととい、また山に行きました。前に行った越生の黒山三滝から傘杉峠に登り、それから関八州に登って、西武秩父線の西吾野駅に降りました。休憩を入れて5時間あまりの山行で、トータルの標高差は760メートル、総距離は9キロ弱、歩数は2万7千歩でした。

前回と同じように越生駅からバスに乗ったのですが、私の前の席に50がらみの登山の恰好をした女性が乗っていました。彼女も終点の黒山で降りたのですが、私はひとり先を行き、傘杉峠に向けて登り始めました。ところが、途中で息が上がり休憩していたら、あっさり女性に抜かれてしまいました。山登りのコツを会得しているかのように、一定のペースで一歩一歩堅実に登りつづける姿が印象的でした。

ヘロヘロになって峠に辿り着いたら、女性はベンチで休んでいました。物静かで大人しい感じの女性でしたが、聞けば、私が以前埼玉に住んでいたときの駅と同じ駅の反対側に住んでいるそうで、それから話が弾みました。

「いつから山に登っているんですか?」と訊いたら、「若い頃に登っていたんですけど、また山に行きはじめたのは去年くらいからですよ」と言ってました。

「若い頃は本格的にやっていたんですか?」
「本格的じゃないけど、北アルプスにも登ったことがあります。でも、今、考えれば夢みたいな話ですね。もう一度行ってみたいけど、もう無理ですね。来週、箱根の××山のツアーを申し込んでいるんですけど、みんなに付いていけるか不安になって、トレーニングに来たんですよ」
「全然大丈夫ですよ。私を追い抜いて行ったじゃないですか」

「みんな、どうして途中で山に行くのをやめるんですかね?」
「仕事や子育てで山どころではなくなるからじゃないですか。でも、山に行ってた頃の思いはずっと残っているので、歳を取って一区切りが付いたらまた足が向かうんじゃないかな。やっぱり、山に行くと自分と向き合うところがあるじゃないですか。それと、苦しくてもあの上に行くと見たこともない風景があると思うと、なんとか頑張って行きたくなるんですよ。達成感ってそういうことじゃないかな」

女性が「お先に」と言って別のルートから降りていったあと、背後の山から年配の男性が降りてきました。

年齢は77歳だそうですが、今年の夏、富山県の折立(?)から薬師岳・黒部五郎岳を経て、岐阜県の新穂高温泉まで、二泊三日で縦走したのだそうです。また、上高地から焼岳にも登ったのだとか。

「77歳で? すごいですね」
「埼玉に住んでいるおかげですよ。近くに山があり、トレーニングができるので、そのおかげでなんとか登れるんですよ」
「毎週、来ているんですか?」
「一応、週一来るように決めていますけど、なかなか難しいですね」
「体力を付けるには、やっぱり山に来ることが一番ですかね」
「そうですよ。山に来ることです。どんなに低い山でも、山を歩くことが何よりのトレーニングですよ」
「山に行くようになったのは若い頃からですか?」
「いや、若い頃は何度か行った程度で、本格的に行き出したのは定年になってからです。リタイアして暇にならないとそんなに行けませんしね。山に来ているのは暇人ばかりですよ。お宅みたいに仕事をしながら、山に来てる人って尊敬しますよ。まだ若いので、このまま山に来たらどんどん登れるようになりますよ」

「まだ若い」ということばに苦笑するしかありませんでした。「若い」なんて言われたのは何十年ぶりだろうと思いました。

「私の知っている人で84歳になる人がいるんですけど、その人は今年の夏に50代の女性を二人連れて、西穂から奥穂まで縦走したんですよ。ジャンダルムや馬の背も歩いたんですよ。凄いでしょ?」
「それは、凄いな。超人ですね」
「超人ですよ。そんな人もいるんです。私ももう北アルプスへ行くのはやめようと思っていたんですけど、その人に刺激されて行きました」

「でも、いいことばかりじゃないですよ。今年の夏も知り合いの60歳の女性が南アルプスで遭難して行方不明になり、未だ発見されてないんです。今までも知り合いが何人か亡くなっていますし。やはり、山に行くというのはリスクも大きいです」
「そうですね。さっきも女性の方と話をしていたんですけど、ひとりで山に行くと、事故や病気のときのリスクは大きいですよ。その方も転んで怪我をしたことがあると言ってましたが、私も先日怪我をしたばかりです」
「私もひとりが多いんですが、歳が歳なのでそういった心配は常にありますね」

私は、77歳の男性の話を聞いているうちに(それに、「若い」と言われたこともあって)、このまま帰るのは恥ずかしい気がして、男性が降りてきた関八州に自分も登って帰ろうと思いました。そして、男性が降りてきた登山道を逆に登りはじめました。ところが、そこも傘杉峠に負けないような急登で(途中で会った若い男性から「この先に崖みたいなところがありますよ」と言われて覚悟を決めましたが、崖というのはいささかオーバーでした)、再びヘロヘロになり頂の見晴台に着きました。

見晴台では、また高齢の男性がひとりで休憩していました。「結構きつかったですね」と言ったら、「私は84歳なんです。だからここまで来るのもひと苦労でしたよ」と言うのです。84歳でジャンダルムに登った人もすごいけど、関八州に登った人だって負けていないのです。

「エエッ、84歳。全然見えません。若く見えますよ」
「見かけは若くても中身はくたびれていますよ」
「どこにお住まいなんですか?」
「東京の××市(三多摩地区)です。いつも近所の公園を歩いていたんですけど、それだけではそのうち歩けなくなるんじゃないかと思いましてね。それで、山に来るようになったんです」
「平地を歩くのと山を歩くのとでは使う筋肉も違いますしね。それに、アスファルトの上は膝にも良くないし」
「そうです、使う筋肉が違うんです。特に山に登ると腿の筋肉を使いますよね。やはり、歳を取ると、腿の筋肉が衰えるのが不安なんですよ」
「わかります。わかります」
「山に登ると達成感があるじゃないですか? あの達成感も、歳を取った人間には貴重なものですよ」
「敬老会では味わえない?(笑)」
「ホント、そうです(笑)。それに山に行くと、こうして若い人と話をすることができるでしょ? それもいいですね」
「同じ山に登った仲間意識みたいなものがあって、それは年齢に関係ないですからね」
「途中で会っても、あとどのくらいですかとか、どこどこに行くのはこの道でいいんですかなんて情報交換をするでしょ? 普段だったら若い人とそんな風に口を利くこともありませんしね」

そのあと、ガイドに引率された若者の団体が登って来ましたが(なんでも地図読みの研修だとか言ってました)、それ以外は皆さん、単独行の人たちばかりでした。

子育てを終えたような中年の女性も、孫がいるような年老いた女性も、男性も、それから若い男性も、みんな息を切らしながら登っていました。わざわざひとりで山に来るというのは、山が好きだというだけでなく、やはり、ひとりが好きなんだと思います。山の中では、自分を大きく見せるために虚勢を張る必要もなければ、狡猾に計算高く振舞ったり、卑屈になって他人の目ばかり気にする必要もないのです。ただ自然に対して謙虚でひたむきな自分がいるだけです。そんな自分と出会うために山に来ているのだと思います。キザな言い方をすれば、山は孤独が似合うのです。


傘杉峠から関八州1

傘杉峠から関八州2

傘杉峠から関八州3
関八州の山頂からの眺望
新宿の高層ビル群やスカイツリー(?)が見えました。

傘杉峠から関八州4

傘杉峠から関八州5

傘杉峠から関八州6

傘杉峠から関八州7
前に登った「丸山」とは違う丸山です。私の田舎にも同じ名の山がありました。

傘杉峠から関八州8
やけに手入れがされた尾根道だなと思って進むと・・・・、

傘杉峠から関八州9
墓地でした。

傘杉峠から関八州10
下りは誰にも会いませんでした。

傘杉峠から関八州11
この橋はちょっと怖かった。中間の板が腐って割れていた。

傘杉峠から関八州12

傘杉峠から関八州13

傘杉峠から関八州14

傘杉峠から関八州15
麓の集落の道沿いにかわいい花が咲いていました。
2019.10.11 Fri l l top ▲