カミュの『ペスト』を読み返したいと思って、本棚を探したのですが、どうしても見つかりません。しかし、アマゾンや紀伊国屋やhontoなどの通販サイトをチェックしましたが、いづれも電子書籍しかなく、紙の本は「在庫なし」でした。

私は、電子書籍をまったく利用してないわけではないのですが、やはり、できれば紙の本で読みたいという気持があります。それで、日販(日本出版販売)が運営する通販サイトに、『ペスト』(新潮文庫)と『感染症と文明』(岩波新書)の2冊を注文しました。そして、注文して1週間近くが経った今日、やっと発送したというメールが届きました。

考えることは誰でも同じみたいで、現在、この2冊はベストセラーになっており、どこの書店も入荷したらすぐ売り切れるそうです。

『感染症と文明』は、長崎大学熱帯医学研究所の山本太郎教授が2011年に書いた本です。先日、朝日新聞に載っていた山本教授のインタビュー記事を読んで、あらためて著書を読みたいと思ったのでした。

朝日新聞
感染症と社会、目指すべきは「共存」 山本太郎・長崎大熱帯医学研究所教授に聞く

山本教授は、記事の中で次のように言っています。

「多くの感染症は人類の間に広がるにつれて、潜伏期間が長期化し、弱毒化する傾向があります。病原体のウイルスや細菌にとって人間は大切な宿主。宿主の死は自らの死を意味する。病原体の方でも人間との共生を目指す方向に進化していくのです。感染症については撲滅よりも『共生』『共存』を目指す方が望ましいと信じます」
(略)
「従来の感染症は多くの犠牲者を出すことで、望むと望まざるとに関わらず社会に変化を促したが、新型コロナウイルスは被害それ自体よりも『感染が広がっている』という情報自体が政治経済や日常生活に大きな影響を与えている。感染症と文明の関係で言えば、従来とは異なる、現代的変化と言えるかもしれません」


今回の新型コロナウイルスが、時代的背景こそ違え、ペストと同じように、政治経済や文明に歴史的な変化をもたらすのは間違いないでしょう。後世の歴史家は、ターニングポイントとなった新型コロナウイルスの流行について、ページを割いて詳述するに違いありません。

岡江久美子が死亡したというニュースも衝撃でした。感染だけでなく感染死が他人事ではないことを痛感させられた気がして、テレビで彼女の死が取り上げられているのを観るたびに、重苦しい気分になっている自分がいます。

感染するのは覚悟している、覚悟するしかないなどと言いながら、その先にある死に対しては、目を背けていたところがありました。しかし、芸能人の死によって、その現実を目の前に突き付けられたような気がするのでした。

政府や専門家は、人との接触を8割減らせと言います。そのためには、会社も休め、スーパーに買い物に行くのも3日に1回にしろと言います。

でも、それでホントに感染の拡大は止むのだろうかという疑問は拭えないのです。政府や専門家が言っていることは、どう見ても場当たり的にしか思えません。実際に、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議が言っていることも、最初の頃とはずいぶん違って来ているのです。

最近、「集団免疫」とのカラミで、市中感染率の重要性が取り沙汰されていますが、それも多くの人たちが前から指摘していたことです。無症状や軽症の感染者を顕在化しなければ、効果的な感染対策ができないことくらいシロウトでもわかる話です。でも、それすらやってこなかったのです。それが、今のような日本が「独り負け」した状態をもたらしたのは間違いないでしょう。

「人との接触の8割削減」だけがひとり歩きしていますが、そういった(衆愚政治の常套手段の)シングルイシューによって、隠されているもの、ごまかされているものがあるのではないか。私は、あの痴呆的なアベノマスクやアベノ動画が、日本政府の感染対策のレベルを象徴しているように思えてなりません。

埼玉では、白岡市と東松山市で、入院の調整がつかないなどの理由で自宅待機を余儀なくされていた感染者の男性が二人、相次いで亡くなりましたが、その背景に、「病床が満杯になるのを避けるため、(PCR検査の)条件を厳しめにやった」というさいたま市の保健所長の発言が示しているような、事なかれ主義の”小役人的発想(対応)”があるのはあきらかでしょう。

白岡市の男性は、ひとり暮らしだったそうですが、ひとり肺炎の苦しみの中で死を迎えたその姿を想像すると、いたたまれない気持になります。現実は、(トリアージとは別に)既に命の選別が行われているのではないか。そんな疑問すらあります。「人との接触の8割削減」の陰で、大事な問題がなおざりにされているように思えてなりません。

ゴールデンウィークを前に、自治体の首長からは、道路封鎖を要望するような過激な発言も出ていますが、なんだかそうやって問題のすり替えが行われているような気がしてなりません。“非常時”を錦の御旗に、基本的人権などどこ吹く風の風潮がまかり通っているのです。

休業要請に従わないパチンコ店の店名公表も然りです。感染の拡大が一部の不心得者の行動にあるかのようなもの言いは、詐術以外のなにものでもありません。パチンコ店は在日のイメージが強いので、自粛のストレスのはけ口として格好のターゲットになったという側面もなくはないでしょう。

動員の思想によって、大衆の負の感情ばかりが煽られているのです。メディアがその先兵の役割を担っているのです。煽るアホに煽られるアホという言葉しか浮かびませんが、そこに垣間見えているのは、「ファシスト的公共性」(佐藤卓己)を陰画とする自粛の風景です。そして、文字通りの“自粛厨”として、産経新聞から朝日新聞、百田尚樹から玉川徹まで、みんな口を揃えて「ファシスト的公共性」を称揚しているのでした。その点においては、寸分の違いもないのです。
2020.04.25 Sat l 新型コロナウイルス l top ▲