案の定と言うべきか、緊急事態宣言が延長されることがほぼ決定しました。今日開かれる専門家会議(新型コロナウイルス感染症対策専門家会議)が、あと1ヶ月延長するという政府の方針に沿った提言を出すのは間違いありません。そういった型どおりの“お墨付き”を得て、週明けに安倍首相が正式に発表する予定だそうです。治療法もワクチンもない中で「集団免疫」を獲得するには、経済活動を止め、社会的に多大な犠牲を強いて、時間稼ぎをするしかないのでしょう。

しかし、何度も言いますが、「不要不急の外出を控えて、人との接触を8割減らす」と言っても、それで新型コロナウイルスの感染が終息するわけではないのです。メディアもそういう幻想を振り撒いていますが、それが終息とは別の話だということくらいシロウトでもわかります。

人口の60%だか70%だか、それ以上だかわかりませんが、多くの人たちに抗体ができて「集団免疫」を獲得し、ウイルスと共生の道を歩みはじめなければ終息したことにはならないのです。言うまでもなく、抗体はウイルスに感染して初めてできます。当然、それには死や重症化のリスクが伴います。感染しないで(疑似感染で)抗体を作るには、ワクチンしかありません。

政府や専門家会議が言う「不要不急の外出を控えて、人との接触を8割減らす」という感染防止策は、如何にももっともらしい数理モデルで装飾されていますが、しかし、なんと原始的でなんとまわりくどくいやり方なんだろうと思います。昨日までAIだとかビッグデータだとか顔認証だとか電子政府だとか自動運転だとか言って、デジタル万能の“バラ色の未来”を語っていたのがウソのようです。

そもそもまともにPCR検査もせず市中感染率さえ把握していない状態で数理モデルなど成り立つのか。ホントに「人との接触を8割減らす」ことなど可能なのか。もしかしたら、私たちは、充分な科学的な検証がなされてない”トンデモ科学“のようなもので、多大な犠牲を強いられているのではないか。シロウトながら疑問は尽きません。

1億分の1メートル(つまり、100億分の1センチ)の微細な、細胞さえ持たない(従って自己増殖もできない)、生物と非生物の間にあるようなウイルスに、生物の最上位にいたはずの私たち人類は翻弄され、生存を脅かされているのです。AIもビッグデータもなんの役にも立たないのです。これが自然のシッペ返しでなくてなんだろうと思います。

前も書きましたが、休業要請に従って休業した店の貼り紙には、「5月6日まで」とか「当分の間」という表現が多くありました。

緊急事態宣言を真に受けたということもあるでしょうが、それだけでなく、そこには「そうあってほしい」という願望も込められていたに違いありません。

昨夜のニュースで言っていましたが、どこかのシンクタンクが行った「自己資金はどのくらい持ちこたえられるか?」というアンケートによれば、「1か月」と「2ヶ月」と答えた企業が、全体の20%弱もいたそうです。つまり、20%弱の企業は、緊急事態宣言の延長で倒産の危機に立たされる可能性があるのです。もっとも、アンケートには大企業も含まれていますので、中小企業に限定すれば、さらに割合は高くなるでしょう。まして、個人経営の店などは、いつ立ち行かなくなってもおかしくないほどに追いつめられているはずです。

もちろん、地方と東京など都市部では、事情が違うのは言うまでもありません。いちばんの違いは家賃です。家賃があるかどうか、また、家賃の金額によっても、深刻の度合いには大きな差があるはずです。東京都内で、高い家賃を払って商売をしていた個人商店が、これからさらに1ヶ月、持ちこたえて行くのは至難の業ではないでしょうか。

それに、1ヶ月後に緊急事態宣言が解除されたとしても、「集団免疫」が獲得されてない限り、第二波・第三波の感染爆発に見舞われるのは明らかなのです。あと1ヶ月で終わるわけではないのです。

10万円の個人給付も然りです。給料も下がっていないサラリーマン家庭は、家族分も含めて30万円も40万円も”臨時ボーナス“を貰えるので「ラッキー!」という感じでしょう。一方で、都会のアパートでひとり暮らしをしながら、非正規の仕事で糊口を凌いでいるような人たちは、10万円なんて家賃の支払いですぐ消えていくでしょう。食費だけでなく家賃も貧困のバロメータなのです。都会に住んでいる下層の人間ほど、家賃の負担が大きく、生活に重くのしかかっているのです。

10万円の「特別定額給付金」の支給を含む補正予算が30日に成立したことに伴い、青森かどこかの町で、さっそく10万円の給付が行われたというニュースがありましたが、その中で町の職員から10万円の現金を受け取ったお年寄りは、テレビカメラの前で、「ありがたいです。年金の支給が来月なので、助かります」と言っていました。

私も田舎の出身なのでわかるのですが、田舎の生活は家賃がいらないし、物価も安いので、10万円もあれば、年寄りが2ヶ月くらい暮らすことも不可能ではありません。でも、都会だとそうはいきません。田舎であれば低年金でもなんとか生きていけますが、東京などでは行政からの援助がなければとても生きていけません。

与野党が一致して求めた「一律給付」は、ポピュリズム政治の最たるものと言わざるを得ません。今求められているのは、収入が下がってなくて、そんなに大きな打撃を受けてない人たちは我慢して、その分を給料が下がったり職を失ったり、売り上げが落ちて苦境に陥ったりしている人たちにまわすという、相互扶助の考えでしょう。それを主張する政党がいない現実には失望感しか覚えません。

新型コロナウイルスによって、いろんな人の本性や本音があきらかになった気がします。リベラルだと思われていた政治家や知識人が、実は薄っぺらなリベラル思想しか持ってなくて、なんのためらいもなく“自粛厨”に変身していく姿を、嫌と言うほど見せつけられました。彼らが語っていた自由や平等や平和もGoogleやアップルの信奉者が言う“バラ色の未来”と同じような、独りよがりで空疎な観念の産物にすぎなかったということなのでしょう。
2020.05.01 Fri l 新型コロナウイルス l top ▲