今日、元一橋大学学長で歴史学者の阿部謹也氏が亡くなったという記事が出ていました。私もかつて氏の『「世間」とは何か』や 『日本社会で生きるということ』などを読んだ記憶があります。

九州の片田舎で生まれ育った人間にとって、世間というのは実にやっかいな存在でした。なんだか払っても払ってもつきまとってくるやぶ蚊のような存在でした(笑)。

先日、ある本を読んでいたら、社会学者がアメリカと日本でどれだけ他人を信用しているか、実験した話が出ていました。その結果、アメリカ人の方が他人を信用しているらしいのです。普通は逆のイメージがありますから、意外な気がしました。

日本の場合は、自分の利益より集団の利益を優先しなければならないという相互監視と相互規制のしくみが存在しているので、一見他人を信用しているように見えるだけなのだそうです。

その相互監視と相互規制の役割を日常的に担っているのが、世間なのではないでしょうか。

裏返して言えば、日本人は無理している分、人間関係にストレスを感じているのかもしれません。それがこの社会にイタズラ電話や痴漢など陰湿な犯罪が多い所以でもあるように思います。それは、いわば、世間の陰画(ネガ)と言っていいかもしれません。

ネットは世間の延長であるという言い方がされますが、たしかに掲示板の書き込みなどを見るまでもなく、非常にいびつなかたちで世間(の陰画)が存在している気がします。

そんなネットの書き込みやアンケートなどを取り上げて、テレビや新聞など既存のメディアは、「ネットでは圧倒的な支持」「抗議が殺到」「ブログ炎上」なんて言い方をしてますが、(何度も同じことをくり返しますが)それがホントにまともな世論と言えるのでしょうか。識者の中には「同調圧力」なんていうわかりにくい言葉を使う向きもありますが、単に付和雷同しているだけではないのでしょうか。

世間という概念がなくなりつつあるとか世間の縛りが緩んできたとかよくいわれますが、どっこい世間はより隠微なかたちで生き延びているように思います。日本人の精神性に根ざしている限りそう簡単になくなるものではないでしょう。
2006.09.09 Sat l 社会・時事 l top ▲