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数年前のことですが、クリスマスイブの夜、私は渋谷で仕事をしていました。

色とりどりのイルミネーションに彩られクリスマスソングが流れる渋谷の街は、イブの夜をすごすカップルや家族連れで大変な賑わいでした。

夜9時すぎ、仕事を終えた私は、いつも車を置いているマークシティの裏に車を取りに行きました。そこはビルの谷間にまだ昔ながらのラブホテルが点々と残っているような一角で、表の喧騒がウソのようにひっそりと静まりかえっていました。

運転席に座った私は、ふと、助手席の向こうの建物の陰に黒い物体があるのに気が付きました。「なんだろう?」と思った私は、車をおりて近づいてみました。

よく見ると、ホームレスの男性が毛布のようなものを頭から被ってじっとうずくまっていたのです。華やかな表通りに比べてなんと対照的な光景なんだろう、と思いました。

私は、近くのコンビニに行ってホッカイロとパンと缶コーヒーを買って来て、「よかったら食べてください」と男性に差し出しました。男性は無言のまま頭を下げると、毛布の間から真っ黒に汚れた手を伸ばしてきました。

電車で多摩川の鉄橋を渡るとき、河原にずらりと青いビニールテントが並んでいるのが目に入ります。野宿者(ホームレス)の自立支援法が施行されて4年が経ち、街中の野宿者は大幅に減少したと言われていますが、多摩川のテントは増えこそすれ減る気配はありません。

自立支援法によって彼らは公園や駅の構内から街外れの河原に追いやられているのではないか、そんな皮肉のひとつも言いたくなります。再チャレンジなんて言っても、ビニールテントの住人達にはまったく無縁な話のように思われます。

一方で、相変わらず「自己責任」という言葉がひとり歩きしています。ある意味で、ビニールテントの住人達こそ究極の「自己責任」の姿なのかもしれません。

しかし、考えてみれば、人生なんて「自己責任」以外のなにものでもありません。そんなことは最初からわかり切った話です。にもかかわらず、そうやってことさら「自己責任」を強調する風潮に、逆にうすら寒いものを感じるのは私だけでしょうか。

「ホームレスは怠け者だ」「自分で好んでああいった生活をしているのだ」という声をよく耳にしますが、それは、そういった言い方をすることでホームレスが存在する”現実”から目をそらそうとしているだけのような気がします。

手弁当でホームレスの人達をサポートしている方が個人的に立ち上げている「ホームレス問題を話し合いませんか」というサイトを見ると、当たり前のことですが、彼らは決して怠け者ではなく、ましてみずから好んで路上生活をしているのではないということがよくわかります。

特に私のような地方出身者にとって、彼らは決して遠い存在ではありません。ただ、我々の方が少し運がよかったり少し要領がよかっただけではないでしょうか。だから、どこかに後ろめたさのようなものがあり、できれば見たくない、見て見ぬふりをしたい、という心理がはたらくのかもしれません。

思いやりがないのは野宿者を襲撃する若者や同級生をいじめる子供達だけでしょうか。むしろ、彼らの存在は我々大人の社会を反映しているように思えてならないのです。
2006.12.25 Mon l 社会・時事 l top ▲