最近、テレビや雑誌などの広告で、グーグルやヤフーにあるような検索窓口の画像が使われているのをよく目にします。自社の名前や商品名を入力して検索してくださいと言いたいのでしょうか。

広告にも流行があるのはわかりますが、それにしても右へ習えしたような同じパターンの広告を目にすると、なんだかなぁ~と思ってしまいます。

毎朝揃って「今日の朝刊チェック」なんてやっているテレビも同様ですが、どうしてニッポン人というのはこんなにヒトマネばかりで個性がないんだろう、とあらためて思います。

一方、ネットでよく目にするのは「恋する‥‥」というフレーズです。恋するコスメ、恋するスィート、恋するデジカメ(?)、なんでも恋すればいいのか、と言いたくなります(笑)。

と言いながら、実は私も、前に「恋するシール」というフレーズが頭に浮かんだことがありました。しかし、やはり、とてもじゃないが恥ずかしくて使うことはできませんでした。

作家の五木寛之氏は若い頃、雑誌などに掲載される写真を自分で管理していたことで有名で、たしかにそれが流行作家としての氏のイメージを形成するのに大きな役割を果たしたのは事実ですが、氏自身は、(恰好をつけた写真は)たしかに恥ずかしいけど、傍から見ると恥ずかしいくらいがちょうどいいんだ、とエッセイに書いていました。

オーバーなくらいが傍目にはちょうどよく映るというのは、ある意味真実かもしれませんね。しかし、私はやはり、どうしても恥ずかしさの方が先に立ってしまいます。

そこで思ったのですが、安倍総理が外遊の際、夫人と手をつないで飛行機のタラップを下りるのも、やはり、意識してやっているのかもしれませんね。どう見てもわざとらしく見えますからね。本当はご本人も恥ずかしくてたまらないのかもしれません。

ただ、安倍さんの場合、わざとらしく見えるというのが既に役者としての”限界”を示しているように思います。その点、小泉さんの方が役者としては一枚も二枚も上だったのではないでしょうか。安倍政権の支持率が低下の一途の辿っているのも案外そのあたりに原因があるのかも、と思いました。
2007.01.22 Mon l 社会・時事 l top ▲