野毛


1872年(明治5年)、日本初の鉄道が新橋~横浜間を走ったとき、当時の横浜駅というのは今の桜木町駅だったそうです。名著(!)『横浜的ー芸能都市創成論』(青土社)の中で、著者の平岡正明氏は「野毛こそ横浜のヘソである」と書いていましたが、文字通り野毛は当時の横浜駅前に発展した、横浜を代表する歓楽街だったのです。そして、以後、「桜木町」に駅名が変わっても、少なくともみなとみらいが開発されるまでは、桜木町の中心が西口の野毛であったことには変わりがありませんでした。磯子生まれの美空ひばりが歌手デビューしたのも当時野毛にあった横浜国際劇場(現在のJRA場外馬券場=ウィンズ)だったそうです。

それが、今では桜木町駅に下車する多くの乗客達が向かう先は反対側のみなとみらいになってしまいました。平岡氏はまた、野毛の魅力について、「場末美」という言い方をしていましたが、たしかに今の野毛に「場末」の趣がないわけではありません。しかし、だからこそ、野毛にも横浜橋などと同じように、港町特有の風土がつちかった街の温かさが残っていると言えるのではないでしょうか。いろんな人がいて、いろんな生き方がある、まさにこれほど人生が露出した街はないように思います。

私が横浜を担当していた頃、東急東横線の終点は桜木町駅でした。桜木町駅に降り立った私はまず、16号線の信号を渡って野毛で腹ごしらえをするのが楽しみでした。そして、そのあと、路地をぬけて大岡川を渡り、福富町の風俗街とその先の韓国料理店が立ち並ぶ通りを通って伊勢佐木町に出るのがいつものコースでした。そこには表通りの横浜とは違った別の横浜の顔がありました。

 場末美とは何か? 自由だ!
 通りに風が吹く。スモッグを吹きはらう具体的な風でもあり、時代が疲労する前にシャワーのように体力を賦活してくれる舶来の風でもあって、谷戸がいりくみ、よく発達した路地が舶来物の日本生活への変換を調節し、みがく。横浜は路地と横丁があつい。エネルギー変換装置であり、フィルターでもある。路地へ入りこんで市民が町人と変わるあたりにいい店があり、いい商人がいるものだ。(『横浜的』あとがき)


私の知人に「港北区や青葉区なんて横浜じゃねぇ~よ」と嘯く根岸生まれの生粋のハマっ子がいますが、彼の話を聞いていると、横浜というのは「渋くていいバー」が点在する街でもあるのだということがよくわかります。地元の人間だからこそ知り得る、野毛や馬車道や本牧などにあるそんな「渋くていいバー」の話を聞いていると、如何にも「横浜的」だなと思います。

しかし、一方で彼は、「古い店がどんどんなくなっているんでさみしいですよ」と言ってました。そんな彼はまだ40前なのです。それくらい横浜のミニ東京化(東京のベットタウン化)が急速に進んでいるということなのかもしれません。元町の商店街にしても、いつの間にかかつての個性はすっかり失われ、どこにでもあるようなチェーン店ばかりが目立つようになりました。

しかし、それでも横浜の海がお台場の海と違って見えるとしたら、そこに私達は「横浜的」な幻影を見ているからではないでしょうか。そして、それは、場末にあって「横浜的」な心意気を持ちつづけてきた野毛など「個人商店の街」のおかげだと言えないこともないように思います。
2007.12.24 Mon l 横浜 l top ▲