3月3日、詩人の松永伍一氏が亡くなったという記事をネットで見ました。

私は若い頃、松永氏の本を愛読していた時期がありましたので、またひとり人生の先達がいなくなったのかと思うと、やはりさみしさを覚えてなりません。松永氏のことは、松永氏と同郷の五木寛之の本を通して知りました。

私は、松永氏に二つのことを教えられた気がします。

ひとつは、ふるさとというものについてです。当時、田舎に蟄居していた私にとって、ふるさととはなんだろうという疑問がいつもつきまとって離れませんでした。ふるさとはいいものだとは言えないし、だからといってふるさとはくだらないとも言えない、そんな相反する二つの気持が私の中にありました。そんな中、松永さんの『ふるさと考』(講談社現代新書)という本の中に、「愛憎二筋のアンビバレンツな思い」という言葉を見つけて、文字通り自分の気持を言い当てられたような気がしました。松永氏は、ふるさとというのは求心力のようであって実は遠心力でもあるのだ、と書いていました。

もうひとつは、ナショナルリズムについてです。それはご自身が影響を受けた谷川雁の考えを源流とするものかもしれませんが、松永さんは、ナショナルなものを掘り下げていくとインターナショナルなものに行き着くと常々言ってました。五木寛之が『戒厳令の夜』で描いたのもそういった土俗的なナショナリズムが反転した先にある、汎アジアからヨーロッパへと連なる壮大なインターナショナリズムの世界でした。実際、九州の歴史や習俗などを辿っていくと半島や大陸や南島に行く着くのはよく知られているとおりです。もとよりかつて九州には渡来人もいたし熊襲もいたし隼人もいたのです。私達九州の人間の中にはそんないろんな民族の血が混じっているのはたしかでしょう。

ちなみに、松永氏と親交のあった俳優の西郷輝彦は、危篤の知らせを受けて病院に駆けつけ臨終に立ち会ったそうで、ご自身の西郷輝彦のつぶやきblogの中で松永さんに寄せる思いを綴っていました。
2008.03.05 Wed l 訃報 l top ▲