万国橋上

今日も馬車道から万国橋に行きました。私は、この“万国橋”という名前が好きです。如何にも横浜にふさわしい名前のような気がします。だからと言って、橋桁に万国旗がはためているわけではなく、実際は地味なごく普通のコンクリートの橋です。ただ、橋の上から見えるみなとみらいの夜景は横浜随一と言われており、テレビドラマにもよく登場したりして、名前だけは有名のようです。しかし、私のお気に入りは、みなとみらいとは反対側の運河沿いの遊歩道にあるベンチです。ベンチに座っていると、水面を渡る風に乗っていろんな思いも運ばれて来るような気がします。ときにはこの人生の来し方行く末に思いを馳せ、もっと遠くへ行きたいと思うこともあります。

横浜は来年が開港150周年ということでいろんな記念行事が予定されていますが、江戸時代の横浜は、戸数90戸弱の半農半漁の寒村(横浜村)だったそうです。それが、ペリー艦隊の来航により、世界に開かれた日本の窓口として、あるいは西欧文化を直接吸収できる最先端の国際都市として、人々のあこがれの街となり、今日の横浜のイメージが形作られてきたわけで、考えてみれば、今の横浜はわずか150年の歴史しかないのです。

横浜開港資料館編『横浜・歴史の街かど』(神奈川新聞社)にも、「その発展には目を見張るものがあり、有名な横浜市歌には『むかし思えば苫屋(とまや)の煙、ちらりほらりとたてりしところ』と、粗末な小屋(苫屋)しか建っていなかった村が大都市に発展したと誇らしげに歌っています。」と書かれてありました。ちなみに、横浜市歌というのは、今から100年前の開港50年を記念して作られた、生粋の横浜市民であれば誰でも知っている(?)市民の愛唱歌だそうです(いわば、ハマっ子の踏み絵みたいなものかもしれません)。このように、横浜は、ほかの都市に比べて急激な発展を遂げたことによって、今でも近代化(西欧化)の痕跡をいろんなところで見ることができるのでしょう。

横浜に住むようになってからというもの、横浜に関連する本をかなりまめに読んできたつもりですが、中でも平岡正明『横浜的』(青土社)、同『ヨコハマ浄夜』(愛育社)、山崎洋子『天使はブルースを歌う』(毎日新聞社)、松葉好市/小田豊二『聞き書き 横濱物語』(集英社)などで描かれている横浜に興味をもちました。それは普段私達が見ているものとは別の横浜です。

『ヨコハマ浄夜』や『天使はブルースを歌う』でも紹介されていますが、毎年終戦記念日前後に赤レンガ倉庫でひとり芝居「横浜ローザ」を上演されている横浜出身の女優・五代路子さんが、ご自身のオフィシャルサイトの中で、“「メリーさん」そして「ローザ」への思い”と題して次のような文章を書かれているのが目にとまりました。

メリーさんと握手をしたのは平成6年12月の寒い夜でした。
その時、その白い小さな手から、熱いものが激しく私に流れ込んで来たような気がしました。あれは一体何だったのでしょう・・・。

その時メリーさんは私たちが何気なく見ていた風景の中に、切り絵のように立っていました。私はその姿を見るうち、いつのまにか時代を超えて、風景の向こうにもう一つの横浜の顔を見たような気がしました。それは昭和という時代の顔 --- 伊勢佐木町にあった米軍の飛行場、カマボコ兵舎、PX、MP、米兵・・・。

メリーさんから商店街の方達へ届けられるタオルに添えられた名前は「雪子」だったと聞きました。「想い出の指輪を盗まれた」と化粧品屋・柳屋のおかみさんに訴え、泣きじゃくる子供のような顔。美術展や音楽会に出かけ、ふりまく笑顔のひとつ、ふたつ。好奇の目に向かいつつも、無表情と強い意志を持つまなざしのひと光・・・。色々な顔を持っていたメリーさん。ただ立ちつづけるその白塗りの姿を私たちの心に残してメリーさんは何も言わず、この横浜を去って行きました。

戦争が私たちの街を、時代を襲い、ただ「生きよう!」という気持ちを燃やし続けたメリーさんを決して忘れてはならないと思います。
(http://www.with.if.tv/michiko-sonota/maryrosa.htm)


こんなところに、私達のようなよそ者にはわからない横浜の歴史があるし、ハマの人間の横浜に寄せる思いがあるように思いました。横浜市歌を歌うことのできない俄か市民の私には、ちょっと羨ましい気もしました。
2008.08.01 Fri l 横浜 l top ▲