石原吉郎

「夜がやって来る」

駱駝のような足が
あるいて行く夕暮れがさびしくないか
のっそりとあがりこんで来る夜が
いやらしくないか
たしかめもせずにその時刻に
なることに耐えられるか
階段のようにおりて
行くだけの夜に耐えられるか
潮にひきのこされる
ようにひとり休息へ
のこされるのがおそろしくないか
約束を信じながら 信じた
約束のとおりになることが
いたましくないか


これは私が好きな石原吉郎さんの「夜がやって来る」という詩ですが、ときどき石原さんの詩を無性に読みたくなるときがあります。8年に及ぶシベリア抑留生活での過酷な労働と飢えから生還した詩人の、絶望の淵から生まれた言葉の数々は、私達の弛緩した日常を激しく揺り動かさずにはおれません。まさに現在(いま)は断念の果てにあるのだという、人生の実相を実感させられる気がします。

もっとも、私が石原吉郎さんを知ったのは詩ではなく散文(エッセイ)によってでした。今でも鮮明に覚えていますが、大学受験に失敗して東京の予備校に通うべく九州から上京して間もなく、渋谷の大盛堂書店で『望郷と海』(筑摩書房)という本を初めて手にとり、その中に収録されていた「ペシミストの勇気について」という文章に衝撃を受けて、石原吉郎という詩人に興味を持ったのでした。

「絶望の虚妄なることまさに希望に相同じい」というのは魯迅の『野草』の中の言葉ですが、文学というのは本来そうやって絶望を見据えた中から生まれるものではないでしょうか。だからこそ言葉が私達の胸を打つのだと思います。

絶望の果てに見たものはなにか、「世界がほろびる日に」はそれを詩人の言葉で語っているように思います。石原さんは、8年間の抑留期間中、「事実上失語状態に近い経験」をしたと書いていましたが、そこにはもはや「失語」の一歩手前のような平易な言葉しかないのです。

「世界がほろびる日に」

世界がほろびる日に
かぜをひくな
ビールスに気をつけろ
ベランダに
ふとんを干しておけ
ガスの元栓を忘れるな
電気釜は
八時に掛けておけ


折しも「梶ピエールの備忘録」という大学教員の方のブログを読んでいたら、『差別とハンセン病-「柊の垣根」は今も』(平凡社新書)の著者で信濃毎日新聞記者の畑谷史代さんが、同紙に石原吉郎さんに関する記事を長期連載されていたことを知りました(長野からのメッセージ)。どんな石原吉郎像が描かれているのか、私も単行本化されることを楽しみにしています。

>>『差別とハンセン病』
2009.02.03 Tue l 本・文芸 l top ▲