私はほとんど決まったブログしか読みませんが、普段あまり読まないブログでもたまにのぞいてみると、思わず膝を叩くような文章に出くわすことがあります。最近の収穫は、毀誉褒貶の激しい元NHK職員にして経済学者の池田信夫氏がみずからの「池田信夫blog」に書いていた次の文章です。(引用してページを埋めます)

(前略)かつては誰にでもチャンスはあり、一生懸命働けば報われるという希望があったが、もう椅子取りゲームの音楽は終わった。いま正社員という椅子に座っている老人はずっとそれにしがみつき、そこからあぶれた若者は一生フリーターとして漂流するしかない。だから彼らは意外に「正社員になりたい」という願望をもっていない。気楽なフリーターに順応すれば固定費も少なく、それなりに生活できるからだ。

この状況から「派遣村」のように労働組合と連帯しようという方向と、赤木智弘氏のように「戦争」を求める方向の二つにわかれる。前者のほうが建設的にみえるが、実はその先には何もない。彼らが連帯を求めている労組は、椅子にしがみついている人々だから、同情して仮設住宅を世話してくれるが、決して席を空けてはくれないのだ。この椅子取りゲーム自体をひっくり返すしかない、という赤木氏のアナーキーのほうが本質をとらえている。

しかし残念ながら、若者にはその力はない。かつてのマルクス主義のような、彼らを駆り立てる「大きな物語」が失われてしまったからだ。こうして実社会の共同体から排除された若者は、仮想空間で共同体を築く。「2ちゃんねる」に見られるのは、似たもの同士で集まり、異質なものを「村八分」で排除することに快楽を見出す、ほとんどステレオタイプなまでに古い日本人の姿だ。世界のどこにも見られない、この巨大な負のエネルギーの中には、実社会で闘うことをあきらめた若者の姿がみえる。
(2009/04/19 希望を捨てる勇気)


私は、いわゆる“池田信者”ではないし、むしろアンチの方だと思いますが、この意見に関しては「異議なし!」ですね。ネットは世間の延長で、旧弊な如何にもニッポン的な世間は今やネットの中に生きているというのは、前にも書いたことがありますが、若者だから「新しい」とか「進んでいる」とか、まして「賢い」というようなことはないのです。ネットというのはともすれば夜郎自大になりがちで、自分達は政治に「抵抗」しているつもりでも(と誇大妄想しても)、現実は彼らをパシリに使っている既得権者の老人や世襲議員達の方が一枚も二枚も上手なのです。ネットの若者達はそのことにあまりにも鈍感すぎる気がします。

官庁の法案作りにも参画したことのある、どちらかと言えば体制派の知り合いの弁護士は、「法律というのは国家が作るので、自分達に都合のいいようになっているのです」と言ってましたが、今の若者達は国家というのはそういうものだという認識が足りないように思います。それが、既得権者から奪われたものを奪いかえせとか言いながら、結局は狡猾な既得権者にいいように利用されている所以なのではないでしょうか。もっとも、この池田氏の文章も、「希望を捨てる勇気」というタイトルからして、そんな若者達に対して半分は皮肉で書いているような気がしないでもありませんが。
2009.04.23 Thu l 社会・時事 l top ▲