私の知り合いの女の子で、本をほとんど読まないという子がいます。彼女は誰もが知っている難関大学を卒業した才媛なので、その話を聞いたとき、俄かに信じられませんでしたが、本人によれば、高校時代に推理小説を一冊読んだことがあるきりだそうです。

活字中毒の私から見れば、まるで異星人のように思えますが、現実にそういった若者は少なくないようです。ただ、一方で、彼らはネットに対する依存度は非常に高く、なんでもすぐネットで検索して調べることが半ば習慣化しています。あるとき彼女に得意分野の理数系の問題に関して質問した(というか、彼女の見解を質した)ところ、なにやらネットで調べはじめたのでした。どうしたんだろうと思って画面を覗いたら、なんと「教えてgoo」で調べていたのです。だったら最初からあなたには訊かないよと思ったのですが、そのときは黙っていました。

ところが、梅田望夫さんはこういった若者達を肯定的に見るのですね。別に自分の頭の中に知識を入れておく必要はなく、ネットにあればいつでも取り出し可能だし、またネットでは大衆の叡智によって日々高度な知識が蓄積されているので、その方が合理的だというようなことを書いていました。ネットに高度な知識が蓄積されているかどうかはともかく、私は、これは「コピペすりゃいいんだ」と言っているのと同じではないかと思いました。人間というのは、自分の頭でものを考え、自分の言葉で表現することが大事だと思ってきましたが、ややオーバーな言い方をすれば、もう自分の言葉を持つ必要はない、自分の意見もネットで見つければいいんだ、と言われているような気がしないでもありません。そう考えると、これは人間のあり様に関わる根本的な問題を含んでいると言えるのかもしれません。

誰かも言ってましたが、もやは人間は「考える人」ではなくただの「調べる人」になった感じです。人間というのは生きていると、ときに頭をふりしぼって、それこそ頭がおかしくなるくらい考えなければならないときがありますが、もはやそんな苦悩とは無縁なのでしょうか。

藤原智美さんは『検索バカ』(朝日新書)の中で、最近の学生はレポートもネットからコピペして作成し、それを平気で提出するので、大学の教官が頭を抱えているという話を紹介していましたが、さもありなんと思いました。大学のレポートだけでなく、ブログなども、今朝何を食べてどこへ行ったというような極私的なもの以外は大半(と言ってもいいくらい)がコピペです。

それはブログだけでなく、アマゾンのカスタマーレビューや映画評なども同様です。中には実際に本を読んでなく映画も観てないで書いたとしか思えないようなものも多く含まれています。グルメのブログでも、実際に行ってみると、そんなにおいしいとは思えないのに、ネットではどうして揃いも揃って似たような評価ばかりなんだろうと思うことがあります。もしかしたら、当人達にとってはそれが当たり前すぎて、今さらコピペしているという意識さえないのかもしれません。ところが、アマゾンのカスタマーレビューを見てその本を購入するかどうか決めたり、中にはもうそれだけで読んだつもりになる(わかったつもりになる)という人もいるそうですから、何をかいわんやです。

梅田さんはその後、水村美苗さんの『日本語が滅びるとき』(筑摩書房)の書評をめぐってネットからシッペ返しを受ることになるのですが、実際に読んでない人間があたかも読んでいるかのようにいっぱしの意見を言うことができるのがネットなのですね。ただ、(何度も同じことをくり返しますが)「ネットではご飯は食べられない」ので、やがてリアルすぎるくらいリアルでシビアな現実に身を晒されたとき、自分の言葉を持ってないことの深刻さを痛感することになるのではないでしょうか。人生というのは、生きていく中で遭遇するさまざまな出来事をいわば批評することでもあるわけですから、自分の言葉をもってないというのは致命的ですね。そして、そのとき、ネットは所詮ネットにすぎなかったんだということに気付くのでしょうが、それではもう手遅れでしょう。
2009.06.06 Sat l ネット・メディア l top ▲