私には「世の中には、”銀蠅的なもの”に対する需要が、常に一定してあり、その一定量は驚くほど多い」という持論がある。昭和50年代終わりという時代の「銀蠅的なもの」が「横浜銀蠅」だった、ということで、横浜銀蠅出現以前にも、そして消滅以降にも「銀蠅的なもの」はあったし、あり続けているのだ。
 有意識・無意識にかかわらず「銀蠅的なもの」に心の安らぎを覚える人は、老若男女の区別なく人口の約5割を占めると私が見ている。勝手に、だが。


これは、『ハイファッション』(文化出版局)の1996年7月号に掲載された、故・ナンシー関さんのコラム「日本人の5割は『銀蠅的なもの』を必要としている」からの抜粋です。ナンシー関さんは、ヤンキーという言葉を使っていませんが、ここで言う「銀蠅的なもの」が「ヤンキー的なもの」あるいは「ヤンキーテイスト」の代名詞であることは言うまでもありません。そして、このコラムがこの国のヤンキー論の幕開けを告げたのでした。

だから、最近たてつづけに出版され話題を集めている五十嵐太郎編『ヤンキー文化論序説』(河出書房新社)や難波功士『ヤンキー進化論』(光文社新書)でも、いわばヤンキー論のたたき台としてこのナンシー関さんのコラムが紹介されていたのは当然と言えば当然でしょう。(『ヤンキー文化論序説』に至っては巻末で「ヤンキーコラム傑作選」と銘打って、彼女のコラムを4本紹介していました)

酒井順子さんは、斉藤環氏との対談集『「性愛」格差論』(中公新書ラクレ)の中で、「ヤンキーを把握せずして、日本は語れないでしょう」と言ってましたが、今や若者文化が「おたく」と「ヤンキー」と「サブカル」の三つ巴になっている中で(斉藤環氏)、たしかにヤンキー文化だけは、不当に貶められ語られざる対象になっている感は否めません。

斎藤環氏は、ヤンキーテイストの代表例として、ビートたけしが初期の頃よく着ていたフィッチェ・ウォーモのセーターをあげていましたが、それを言うなら、むしろ和歌山カレー事件の林真須美被告が着ていたミキハウスのトレーナーをあげるべきではないでしょうか。そして、そのミキハウスのトレーナーからヴィトンのバッグやピーチジョンの下着、Jウェディングや住宅地のクリスマスイルミネーションやキラキラネーム、ヒップホップやレゲエ、東京ディズニーランドやサンリオピューロランドやドンキホーテまで、今や日本全国津々浦々「ヤンキー的なもの」で満ち溢れているというのは事実でしょう。たとえば、深夜に子供連れでドンキホーテにやってくるのはヤンキーが多い(『ヤンキー進化論』)なんて言われると、思わず頷いてしまいます。

まして、私は横浜銀蠅の横浜に移り住んでからというもの、「ヤンキー的なもの」に遭遇することが多くなり、ことのほかヤンキーを意識せざるを得なくなりました。前に住んでいた埼玉に比べても、むしろ横浜の方がヤンキー度は高い気がします。「オシャレな街」横浜が実はヤンキーの一大産地であるというのは、決してオーバーではないのかもしれません。

また、末端を肥大化したり、「バッド・テイスト趣味」と言われるような限りなく過剰で類型化されたものへの偏愛など、ヤンキーがこだわる様式美について、斎藤環氏は、「歌舞伎における様式性の進展には、あきらかにヤンキー文化に通底するような『構造』がみてとれる」(『ヤンキー文化論序説』所収「ヤンキー文化と『キャラクター』」)と歌舞伎との類似性を指摘していましたが、これは慧眼ではないでしょうか。

そもそも歌舞伎というのは、傾く(かぶく)という言葉が語源だと言われていますが、それは「やくさむ」という言葉と同義語で、「やくさむ」は「やくざ」の語源ではないかという説もあるくらいです。いづれもドロップアウトするという意味ですが、その意味ではヤンキーと歌舞伎の様式美が似ている(通底している)というのは、充分説得力があるように思います。そして、現代の歌舞伎者たる芸能人にヤンキーテイストの人間が多いというのも合点がいきます。

私は以前、下北沢の路上で俳優の柄本明さんとすれ違ったことがありますが、そのとき柄本さんは派手な柄のアロファシャツに女性もののサンダルをつっかけて(九州ではサンダルのことを「つっかけ」と言います)、なぜか晴天なのにビニール傘を手に持っていたのでした。私はその姿を見て、思わず「歌舞伎者」という言葉を連想したのですが、考えてみれば、ヤンキーも似たような格好をしているのです。余談ですが、ダッシュボードのムートンの敷物やレイやUFOキャッチャーで手に入れたぬいぐるみやディズニーやサンリオなどのキャラクターが好きだとかいった、ヤンキーとファンシーの親和性にも個人的にはすごく興味があります。

ナンシー関さんがコラムで俎上に乗せていたのは工藤静香やX-JAPANのYOSHIKIや鈴木紗理奈ですが、他にこれらの本では木下優樹菜や後藤真希や浜崎あゆみや氣志團やEXILEなどさまざまなヤンキーテイストの芸能人達があげられていました。しかし、私はこの中でぬけている芸能人が「三人」いるように思いました。

一人は、倖田來未です。今やこの人ははずせないでしょう。そして、倖田來未→大阪と連想すると次に浮かぶのは橋下徹大阪府知事ですね。彼の中にもヤンキーテイストを感じるのは私だけでしょうか。二人目は、ジャニーズ事務所のアイドル達です。私達は、襟足だけがやけに長い「ジャンボ尾崎のような髪型」とよく言ってましたが(いみじくも斎藤環氏が『「性愛」格差論』でまったく同じ言い方をしていたのでびっくりしましたが)、彼らジャニーズ系のアイドル達の多くはそんな「(ヤンキー的)美意識を刷りこまれた」子供がそのまま大きくなったような感じです。その意味では、倖田來未と中居クンはベストカップルと言うべきでしょう。三人目は、韓流スター達です。彼らはどう見ても歌舞伎町のホストそのものですが、だからこそ「ヤンキー的なもの」が垣間見えて仕方ないのです(と言うか、ファンが彼らに「ヤンキー的なもの」を見ていると言うべきかもしれません)。

うーん、こう考えると、ヤンキー的なものに「心の安らぎを覚える人は、老若男女の区別なく人口の約5割を占める」というナンシー関説が俄然真実味を帯びてきますね。この巨大なマーケットがこれからも姿かたちを変えて「ヤンキー的なもの」を再生産し消費していくのでしょうか。ヤンキー文化恐るべしです。

>> 『世界が土曜の夜の夢なら』
2009.07.15 Wed l 本・文芸 l top ▲