永井荷風は、誰にも世話にならずに、ある日突然ひとりでこの世を去ることをひたすら願い、実際に願いどおりに「孤独死」ができたのですが、私も同じように、誰にも世話にならずにひとりでひっそりと死ねたらどんなにいいだろうといつも思っています。

大原麗子さんの「孤独死」について、あまりにもさみしい最期だというような言い方がありますが、もしかしたら大原さんも同じようにひとりでひっそりこの世を去ることを願っていたのかもしれません。

こんな言い方は不謹慎かもしれませんが、私は、大原麗子さんの「孤独死」を羨ましく思いました。まして苦しんだ様子もないそうで、理想的な最期だったように思えてならないのです。

荷風の日記『断腸亭日乗』(岩波文庫)は死の前日まで書き記されていますが、最後(昭和33年4月29日)は次のような一行で終わっていました。

四月廿九日。祭日。陰。


たったこれだけの文字の中にも底なしの孤独感と好き勝手に生きてきた満足感と、そんな人生に対する諦観が垣間見える気がします。それをどうして「あまりにもさみしい最期だ」と決めつけることができるのでしょうか。それは生きている人間の傲岸のように思えてならないのです。もしかしたら荷風も大原麗子さんも、草葉の陰で「同情無用」と言っているのもしれないのです。
2009.08.10 Mon l 訃報 l top ▲