自民党の研究

床屋政談を。

民主党政権の閣僚人事のニュースが飛び交っていますが、天の邪鬼な私は、ふと思い出して、自民党の国会議員でもあった栗本慎一郎氏の『自民党の研究』(カッパブックス)を読み返しました。

これは今から10年前の1999年に出版された本ですが、まさに今の自民党の体たらくを予言しているような、未だ今日的な意味を失っていないアクチュアルな本です。つまり、自民党にとって、今日の状況は既に10年前からはじまっていたと言えるのではないでしょうか。

 ただ強い奴だけ勝ち残れというのなら、簡単なことだ。それは、新しい時代を迎えるということではなく、弱い者を殺すというだけのことなのだ。その結果、強い者もやがて死んでいくことになる。(略)
 新保守の政策が、ただたんに世界的な勝ち組につながるだろう人びとや企業を庇護し、保護し、バックアップするだけだとすれば、勝ち組が誰もいない社会ができあがるだろう。金を持っているがゆえに金が儲かると思い、それを実践していく者は、持っている金が世界的なパニックによって一気に価値を失う危機が来ることを知る。


これが10年前の文章だということを考えれば、すごい予言ですね。これを読むと、まさに小泉政権が自民党の自滅を加速させたことがよくわかります。

小泉政権はアメリカのグローバリズムに拝跪して新自由主義的な政策を打ち出す一方で、靖国参拝を演出してナショナリズムを煽るわけですが、これなども理念の一貫性がないという点では如何にも自民党的だと言えなくもありません。

栗本氏は、自民党というのは「理念なき政治家達」の集まりで、自民党の国会議員達にとって政策は「天から降ってくる」ものでしかなく、それが理念よりも人と人のつながりを重視する「日本型の集団」としての自民党の特質である、と書いていました。自民党にあるのは「政策」ではなくあくまで「権益」であって、「自民党において、政策通といわれる議員のほとんどは、この手の業界の事情に詳しいというだけのことだ」と。なぜなら政策は官僚が作るものだからです。理念なき自民党が自民党であり得たのは、まさに政権与党であったからなのです。

私は懐疑的ですが、仮に二大政党制が定着するとしても、政界再編もあるでしょうから、自民党がその一翼を担うという保証があるわけではありません。私は、このままでは自民党は解党するか、あるいは親米的な(対米従属的な)右翼政党として政界の片隅で細々と生きるしかないと思っていますが、そうならないためにももう一度原点に立ち返って、「保守」とはなにかということを考える必要があるのではないでしょうか。

少なくとも、選挙中から今に至るまで民主党に対するネガティブキャンペーンを執拗に行っている産経新聞の「正論」路線などを「保守」だと勘違いしているようでは未来はないように思います。また、MSNもヤフーもニュースは産経の記事が中心ですが、選挙の顔として麻生首相を担ぎ出した自民党はそういったネットしか見ない若者達の声を「世論」だと勘違いしていたフシさえあります。特に小泉政権以後、こういったアナクロ(アナクロニズム)派に引きずられた自民党が方向感覚を失っていくのは当然でしょう。

自民党再生について、世代交代が必要だという声がありますが、こういった没理念的な考え方はいかにも自民党的だなと思いますね。今の自民党にとって必要なのは、まず「保守」とはなにかというしっかりした理念を打ち出し、時代に応じたリベラルで気高い「保守」主義をよみがえらせることではないでしょうか。もっとも、今の自民党にはもうそんな骨のあるリベラル派は残ってないという指摘もありますが。

民主党政権の誕生は、来るべきドル崩壊後の”アジアの時代”に対する、ある意味で「時代的な要請」でもあったように思いますが、このままでは自民党の出番は益々なくなっていき、時代からとり残され過去の遺物と化すのは自明な気がします。
2009.09.15 Tue l 社会・時事 l top ▲