ぼつぼつ花粉症の症状が出てきました。それに、最近はときどき右の胸に痛みを覚えることがあります。年に2回心電図をとっていますので、まさか心臓の疾患ではないと思いますが。胸の痛みはストレスが関係していることも多いそうで、今月は月の半ばから月末までずっと予定がつまっていて貧乏暇なしの状態なので、そういったことと関係があるのかもしれません。

(しつこいようですが)小沢問題では相変わらず検察からリークされた飛ばし記事が横行していますが、ただ、一方で、小沢問題がこの国のマスコミのあり様を問い直すきっかけになりつつあることも事実です。それは、言うまでもなく、記者会見の全面開放(記者クラブ権益のはく奪)とクロスメディア(新聞によるテレビの系列化)の見直しです。今までマスコミは一切無視して蓋をしてきましたが、今回の問題をきっかけにいろんな人の口の端に上るようになってきました。

たとえば、孫正義氏のtwitterでも、こんなつぶやきがありました。

言論の自由の本質は、国民一人一人が伝える事のできる権利と知る事のできる権利。既得権益のTV局や新聞社等でInternet記者や外国記者を締め出している記者クラブは、完全なるカルテル。義に反する。
http://twitter.com/masason/status/8026763645


多様な意見と健全な批判精神は民主主義の礎です。言論が権力によってコントロールされる危険性が今回ほどはっきりしたことはないでしょう。それは民主社会の根幹にかかわる由々しき問題で、小沢一郎を支持するかどうかというような問題ではないのです。「小沢一郎を乗り越えるべきは東京地検特捜部ではなく国民だ」と書いているブログ(「きまぐれな日々」)がありましたが、まったくそのとおりですね。

社会の木鐸として権力を監視する役割を果たしてないマスコミに、「言論の自由」や「国民の知る権利」を口にする資格はありません。まして、「言論の自由」や「国民の知る権利」は彼らの特権ではないのです。

私は、上杉隆氏のつぎのような言葉に同感します。(週刊・上杉隆【第111回】 2010年01月28日

 検察のリークがほしいマスコミは、まるで飼い主からえさをもらう犬のように、飼い主には吠えず、ただ気に入られようとするあまりにしっぽをちぎれんばかりに振ることになる。

 検察のリークで紙面や番組を作っている新聞やテレビに検察批判ができるのか。検察がもし間違ったことをしたときに、マスコミがどれだけそれを報道できるのか。

 一部のマスコミはそれを報道の自由だという。接見した弁護士が漏らしているという検察と同じではないか。今回の事件で、検察のリークを批判し、検証したマスコミがあったか。

 記者クラブなる既得権にしがみつき、取材対象となあなあになっているマスコミが報道の自由などという錦の御旗をふりかざすべきではない。


宇多田ヒカルの「Beautiful World」に、「新聞なんていらない 肝心なことが載ってない」という歌詞がありますが、今回の報道に対しては、私のまわりでも新聞やテレビのニュースは不快なので見たくないという声をよく耳にしました。それは今までとは違う反応です。それだけマスコミの下心が透けて見えているということかもしれません。これからますますこのようなマスコミ不信は増幅され、読者離れがすすむのではないでしょうか。既に毎日と産経は実質的に債務超過におちいっているという話もありますが、噂されるように廃刊や統合が現実味を帯びてくるかもしれません。既得権益を守るために検察と一体となって暴走したマスコミは、みずから墓穴を掘ったと言えなくもないのです。
2010.01.29 Fri l 社会・時事 l top ▲