小沢問題に対しての「マスコミの狂気」は依然としてつづいています。記者達は「自分達が正義だ」「自分達が世論を喚起するんだ」と自己陶酔の甘美な夢に浸っているかのようです。夜討ち朝駆けなんて言ってもただのご用聞きにすぎないくせに、あたかも自分達が権力の一翼を担っているかのように錯覚しているのかもしれません。

足利事件の再審の記事を見るにつけ、「よく言うよ」と言いたくなりますね。もし検察が同じことをくり返したとき、マスコミはホントに検察の間違いをチェックすることができるのでしょうか。

マスコミは既に、検察審査会での「不起訴不当」の議決へ向けて世論操作をはじめているように思います。不思議なことに、小沢幹事長を告発し、不起訴の決定を受けて検察審査会に審査の申し立てを行った「市民団体」がどういう団体なのかという記事は一切出てきません。

一方で、皮肉にも今回の問題で逆に小沢一郎という政治家の存在感が増している気がします。既得権益をはく奪される恐怖におびえる検察やマスコミが必死になるのもわからないでもないですね。

以前「東電OL殺人事件」でも紹介した精神科医の斉藤学さんが、小沢問題について、つぎのような文章を東京新聞に書いていることを知りました(ネットからの転載)。

2010年2月10日 東京新聞
本音のコラム 小沢氏失脚の陰謀

 小沢一郎という希有(けう)な政治家は仕事もさせてもらえぬまま、葬られようとしている。〈官・報〉癒着世論は彼の失脚をもくろみ、半ば成功した。

 何億かの金を持っていることが理由らしいが、その程度の現金(ひも付きでない金)を持てなくさせ、世を動かす力を奪ったのは私たち白身だ。金持ちだろうが貧乏人だろうが、的を射られる人に政権を託したいと思うことは間違いなのか。

 結局、火のないところに煙が立つと強弁した検察官僚たちの意図は達成された。これほどの陰謀を企てながら、彼らは免責特権を持ち、顔も見せない。明治初期の太政官布告以来続く「おかみ(官と官報)信仰」に対抗軸を立てるという発想自体が、この国の常識に反していたのだとあらためて思い知らされた。

 この「常識」はいずれ破棄されるだろうが、そのころの日本は財政破たん国家だろう。

 思えば、自民党離脱以降の彼に一筋の希望を託した者は一定いたが、一定数を超えなかった。その一人として私は思うのだが、この政治家は二つの注目すべき持論を隠し持っている。

 一つは米国との距離を測り直すこと、他のひとつは象徴天皇制を隠れみのにした官僚支配への問題意識だ。もちろん、彼自身はこれらを語らない。彼は私より一歳年下。次の復権はない。ここを何とか凌(しの)いでほしい。

精神科医 斉藤学(さいとうさとる)


THE JOURNAL」を主宰する田中良紹氏によれば、戦前から「官僚機構は力のある政治家を『利益誘導政治家』、『金権政治家』と批判して国民の義憤を煽り、国民はその扇動に乗って政治家を抹殺してきた」のだそうです。なぜなら、官僚達の中に、国家の運営にあたるのはあくまで「天皇の下僕である」自分達であって、政治家ではないという自負があったからです。そのため、「国民の人気を得て官僚以上の仕事をする政治家」を許さなかったのだとか。そして、戦後になっても「同じ論理で政治家を抹殺してきたのが日本の検察官僚」で、常に「官僚主導を覆す力のある政治家だけが狙われて」きたと言ってました。

この官僚支配を打破するには、小沢一郎のような"剛腕"は必要です。私もここはなんとか凌いでほしいと思います。
2010.02.13 Sat l 社会・時事 l top ▲