週刊ダイヤモンド4月3日号

今年の1月に放送されたHNK特集「無縁社会」は大きな反響を呼んだようですが、残念ながら私は見すごしてしまいました。『週刊ダイヤモンド』(4月3日号)の「無縁社会‐おひとりさまの行く末」に掲載されていた制作スタッフの座談会を読むと、この企画はやはり話題になった「ワーキングプア‐働いても働いても豊かになれない」を制作する過程から生まれたのだそうです。「無縁社会」には「ワーキングプア」同様、NHK報道局の良心があるように思いました。

実は私も10年以上前にあるツテで、いわゆる「変死」の現場を見る機会がありました。野宿者(ホームレス)の路上死、ひとり暮らしの孤独死、そして自殺。単なる好奇心で出かけて行ったのですが、実際に目の前にあったのは想像を絶するようなショッキングな現実でした。それは、湯浅誠氏の言うさまざまな「溜め」を失った「すべり台社会」の究極の姿でした。関係者はよく「この世に神も仏もいませんよ」と言ってましたが、文字通りそれは「神も仏もいない」世界でした。

以前、明石家さんまが「わてらは死ぬときは変死でっせ」と自虐的に言ってましたが、私達のようなひとり者にとって「無縁社会」や「変死」は決して他人事ではありません。私自身病気をして、もし今後入院して手術することになった場合、保証人や緊急連絡先はどうするんだと考えたら、はたと考え込んでしまいました。近くに思い浮かぶ人間がいないのです。

死ぬとき、誰にも看取られずにひとりで死んでいく覚悟はありますし、自分でもそう願っています。ただ、この社会は家族が単位で、それが前提で成り立っていますので(もうひとつ、「会社員」が前提の社会でもあります)、家族がいない人間は「社会的な信用」という問題も含めて、身すぎ世すぎの手続きがスムーズにいかず、いろんな支障をきたすことがあるのも事実です。

私と同じように「在宅ひとり死」を願う上野千鶴子氏は、「息を引き取る瞬間に誰かが傍にいるかどうかは、どちらでもいいこと」で、「死後何週間も発見されないような状況に陥った生前の社会的な孤立こそ目を向けるべき」だと言ってました。たしかに行政というのは個人には冷たいので、社会的な孤立によって公的扶助からも排除されるという側面もあるように思います。

香山リカ氏も、「自分らしく生きることが第一」で、なにも「孤独死に怯える必要はない」と言ってました。

生きているあいだじゅう無縁というのは問題があるけれど、孤独死は避けられないと割り切ったほうが楽になる。死後の発見が遅れたタレントの飯島愛さんが悲惨な人生だったのかといえば、若くして亡くなったのは気の毒だけど、華やかに、自分らしく生きてきた。死に方だけでその人の一生を評価するなんておかしな話。


考えてみれば、永井荷風も石原吉郎も孤独死でした。みんなよく生きてよく死んだのです。どんな死に方であれ、私もそうありたいと思います。

>>大原麗子の「孤独死」
>>ワーキングプア
2010.05.19 Wed l 社会・時事 l top ▲