大阪のワンルームマンションで二人の幼児が置き去りにされた事件について、専門家の間でもやはり、ネグレクト(育児放棄)の世代連鎖を指摘する声が多いようです。その意味ではこの事件は”二重の悲劇”だとも言えます。23才の母親が殺人や死体遺棄で処罰されても、それは事件の本質をあきらかにすることとは別問題であるように思います。また、ワイドショーのように、出産当初、母親になった喜びや子育てのやりがいをブログにつづっていたことを取り上げ、「どうして彼女が変わったのか?」なんて愚問を百万遍くり返しても、この事件の本質にせまることはできないように思います。

彼女の場合、「母性が崩壊した」のではなく、最初から「母性が欠如したままだった」のではないでしょうか。8月3日付の産経新聞(WEB版)には、つぎのような記事が出ていました。

育った家も子供2人を置き去りにしたマンションも「ごみ屋敷」だった-。

大阪市西区で幼い姉弟が母親に放置され死亡した事件。原因は育児放棄(ネグレクト)とみられるが、下村早苗容疑者(23)を男手一つで育てた父親(49)は「仕事ばかりで子供をほったらかしにした面があった」と悔やんだ。多くの専門家は「ネグレクトをする親は、自らもその親からネグレクトされていた可能性が高い」と指摘し、「負の連鎖」を断ち切る支援が必要としている。

 「家の裏にごみの山ができていた。何度注意しても聞いてもらえなかった」

 下村容疑者が育った三重県四日市市の住宅街。近所の住民の男性は「事件のニュースで、(下村容疑者のマンションの)ベランダを埋めたごみの山を見て、昔の記憶がよみがえった」と話す。

 下村容疑者は3姉妹の長女。10代で髪を染め、生活が荒れていたという。父親は離婚後も家事をする様子はなく、子供の面倒をあまりみていなかったという。この男性は「ベランダにも食べた菓子の袋などがたまっていた。父親はお金を渡すだけで、あとはほったらかしみたいだった」と振り返った。


この23才の母親もまたネグレクトの犠牲者だったのではないか。彼女は、中学を卒業すると、地元の高校へは行かずに、わざわざ父親の知人が教師をしていた東京の「専修学校」に入学するのですが、それは問題児であったがゆえに厄介払いされたという側面はなかったのでしょうか。

彼女がわが子を放置してホストクラブに入り浸っていたことについて、心理学を専攻したという人は、子どもを愛することよりまず自分が人から愛されることを欲していたのではないかとブログに書いていました。これを「幼い」とか「身勝手だ」とか脊髄反射で罵倒するのは簡単ですが、ここにも深い心の闇があるように思います。

そして、前の記事でも引用しましたが、柳美里の『ファミリー・シークレット』の中の長谷川博一氏のつぎの言葉が、この母親にもあてはまるように思いました。
 

母性がなにか解らないひとがうまく接しようとしてもね、母性的に接しようと努めるれば努めるほど、母性が解らないこころは軋んで、その軋みが自分の願いとは正反対のかたちで暴走してしまう。


哀しいかな、親を選べない子どもからすれば、23才の母親は責められて当然ですが、もうひとり、責められるべき親がいるのではないでしょうか。倫理的に責めてどうなる、と言われるかもしれませんが、しかし、ネグレクトの世代連鎖の一端をあきからにするという点ではまったく意味のないことではないように思います。そして、せめてそういったところからでもこの事件の問題意識を共有しなければ、いつまで経っても”悲劇”はくり返されるだけのような気がします。ワイドショーのように、「どうして彼女は変わったのか?」なんてカマトトな愚問をくり返しても仕方ないのです。

>>『ファミリー・シークレット』
2010.08.08 Sun l 社会・時事 l top ▲