Face book

今までウェブコンテンツの入口は、もっぱらGoogleなど検索エンジンが主導していましたが、これからは検索エンジンだけでなくSNSもその役割を担うようになるのではないかと言われています。CNET Japanでも「時代はインターネットからソーシャルネットへ?」というテーマで、6人のパネリストの意見を掲載していました。

その中で私は、江島健太郎氏の意見にすごく考えさせられるものがありました。インターネットの未来というのは、私達にとっては必ずしもバラ色だとは限らないのです。しかし、もはやインターネットのない世界は考えられません。「新しい公共」と言うなら、ネットだって新しい公共かもしれないと思うことさえあります。つぎつぎと新しいサービスが登場していますが、それが私達の生活とどう関わりがあるのか。私達は、もう少しネットのあり様というのを考える必要があるのではないでしょうか。(全文を転載するのは気がひけるのですが、示唆に富んだ意見なのであえて紹介させてもらいます)
http://japan.cnet.com/panel/story/0,3800077799,20420087-10003182,00.htm

ソーシャルグラフはPage RankじゃなくてHuman Rankみたいなものなので、ネットが「現実社会の一部」から「現実社会そのもの」になっていく過程ではソーシャルグラフが重大な価値を持つようになるというのはそのとおりだとおもいます。

「現実社会そのもの」になる、とはつまり、これまでは一部の好事家のものに過ぎなかったネットが本格的に現代文明の骨組みになっていくということであり、したがって文明のもつ暴力的な側面、つまり好むと好まざるとにかかわらず地球上の全人類を飲み込んでいき、さまざまなものを破壊したり再構築したりという現象が、これからますます加速するでしょう。

問題は、20世紀以降の我々は「アメリカ文明」とでもいうべき文明期に生きており、特に冷戦以降、その同質化圧は世界中を飲み込んでいます。各地域民族がどんなに文化的・社会構造的な独自性を強調しようとも、文明レベルでは疑いようもなく「アメリカ的なもの」への同質化が進行しています。

そういう中で、Human Rankのような「アメリカ文明」の矛先がダイレクトに向かう先にあるものが、アメリカから来たものに飲み込まれずにいられるか、というのは非常に興味深い点です。その昔、マイクロソフトのようなソフトウェアやテクノロジーはアメリカからきたものが成功しても、ネットのサービスは非常にハイタッチなものだから、ローカリティを大事にした日本独自のものが繁栄するのだ、というようなことが2000年頃には言われていました。それは、ある時点までは事実でしたが、今やどうでしょう。Twitterはあっさりと日本で普及し、Facebookも伸びています。この潮流に逆転は起こりうるのでしょうか。

ひとつ考え方のヒントになりそうなのは、「グーグルはアンチSEOである」ということです。SEOとは、ユーザが望む情報を提供するというゴールに照らしてノイズであり悪である、という立場です。つまり、SEOは、ユーザサイドではなく、セルサイドの立場にたった「売らんかな」のロジックなのです。

よって、ソーシャルグラフを提供する事業者自身がSGOという言葉を言い出すことには、理想や目標があまりにも低すぎないか?ダークサイドに落ちるのが早すぎないか?という率直な感想を持ちます。良質なソーシャルグラフは「アンチSGO」なスタンスを貫く事業者によって達成されることでしょう。

歴史に学べば、この戦場もTwitterやFacebookで終わりではなく、まだこの世に知られていないサービスが急成長することもありうるでしょう。しかし、徹底的にユーザサイドに立ったサービスは、ますますアメリカからしか出てこなくなった、という印象を拭えません。とても残念です。(たとえばYelpが日本に進出したら食べログがどうなるか想像してみましょう)

徹底的にユーザサイドに立つというのは、難しい目標だからこそ、優秀な人々を十分にひきつけておけるだけの魅力的な高い理想として機能します。仕事の達成から得られる喜びが、マズローの欲求5段階説でいうところの最高位のself actualizationとなるのです。人はパンだけで生きるものではない。そういった人間の心理をしたたかに利用しているのがアメリカ企業である、と考えてもあながち間違いではないでしょう。

そんな企業が日本から出てくるのか。自分たち自身の課題でもありますが、まずは自分たちが置かれている立場を認識するところから。一歩一歩進みたいものです。

2010/09/16 07:07:07


もはやネットはなくてはならないものであるからこそ、もっと批判にさらされるべきです。ネットに対しての批判があまりにも足りない気がします。新しいサービスが登場するたびに、「すごい!」「すごい!」と礼讃するだけの事情通の発言は、眉に唾して聞く必要があります。それは、セコさとあざとさばかりが目立つ日本発のサービスと表裏一体のものです。

どうして日本ではGoogleのような会社が出てこないのか。「ネットの可能性」を論じるなら、そのことをもっと深刻に考える必要があるのではないでしょうか。
2010.09.27 Mon l ネット・メディア l top ▲