人もいない春

その後、西村賢太の作品をあらかた読みましたが、さすがにまとめて読むとちょっとうんざりします。文芸評論家の斎藤美奈子氏は、朝日新聞の文芸時評で、西村賢太のことを「マンネリ芸の大御所」「ダメ男界の帝王」と書いていましたが、言い得て妙だなと思いました。斎藤氏は、その中で日本的な私小説の伝統とネットに氾濫する極私的な(私語りの)ブログの類似性を指摘していましたが、たしかに西村賢太はネットをやらないみたいなので、こういった小説が書けたと言えなくもないのです。斎藤美奈子氏が言うように、「日本にはダメ男のダメっぷりを誇示する文化ないし美学」がありますが、だからと言って、あんな話はネットにはいくらでもある、なんて身も蓋もないことを言ってはならないのです。今はネットをやらないことが(アナログであることが)逆に新鮮に見えるということもあるのですから。

今回読んだ中で好きなのは、「人もいない春」(角川書店)です。西村作品は大きく分けて、①若い頃の孤独で鬱屈した日常、②秋恵とのDV満載の同棲生活、③私淑する藤澤清造に関する話の三つに分けられるように思います。私は個人的には①のパターンの話が好きですね。西村賢太の小説はやはり孤独が似合うように思います。芥川賞を受賞した「苦役列車」も①のパターンですが、この「人もいない春」も同じパターンの話です。

中学を出ると高校には進学せずに家を飛び出して2年、北町貫多は、飯田橋の厚生年金病院裏の安アパートに住み、「主として日雇いの港湾人足仕事」でその日暮らしの生活を送っています。そして、今は葡萄のマークの文庫本を製本している製本会社でアルバイトをしています。それは「肉体的にきつ過ぎる人足業に時々飽いた折」にやっている三週間限定の中継ぎのアルバイトなのでした。

アルバイト先には同時期に働きはじめたアルバイト仲間が4~5人いました。彼らは貫多より2~3才年上の大学生でしたが、「見た目も揃いも揃って垢抜けぬ、まるで田舎者然とした連中」でしたので、僻みっぽい貫多も劣等感を抱くことなく、自然と打ち解けて、仕事帰りに一緒に居酒屋にくり出したりするようになるのでした。それは友人のいない貫多にとって、唯一のささやかな交流でした。

アルバイト先には貫多らに対して社員風を吹かすいけすかない職工がいました。貫多はなにかにつけその職工に反抗していたため、貫多は彼から疎ましい存在に見られていました。

三週間の期限が近づいてきたとき、アルバイト仲間の大学生達が期限延長を志願したことを知った貫多は、彼らとの交流をつづけたい気持もあって、みずからも期限延長の意思を会社に申し出たのでした。しかし、

(略)例の職工は貫多に冷たい目を向け、
「いや、きみは結構です。要りません」
と、えらくはっきりした口調で断りを言ってきた。


しかも、「冷たい」のは職工だけではなく、大学生達も同じでした。彼らも貫太に対して態度を豹変したのです。そこではじめて貫太は、自分が会社からもアルバイト仲間の大学生達からも無能視され疎まれていたことを知ったのでした。そして、屈辱感とともに陰欝な気分で職場を去ることになるのです。

アルバイトをやめた夜、自暴自棄になった貫多は、鴬谷の裏通りで出会った街娼や乗り合わせたタクシーの運転手に暴力的な悪態を浴びせてうっぷんを晴らそうとします。でも、その姿には痛ましいほどの孤独感と空虚感が貼り付いているのでした。

それに、いつまでも自暴自棄になっている場合ではありません。生きていかなければならない。なんとか糊口をしのいでいかねばならないのです。それが年端もいかない17才の少年が直面する生の現実です。貫多は自分にこう言い聞かせます。

(略)けれど考えてみれば、彼は本来ならまだ高校に通っている年齢なのである。大手をふるって親に一切合財の生活上の面倒をみてもらい、その脛を平然と齧っていてもおかしくない年齢なのである。だからこの時点で、なにもそう自ら深刻ぶるがものはない。何もそう、ペシミストみたいに自分の行く末を悲観し、暗欝とした気分になるには当たらない。そして他者と簡単に相容れぬ点の方は、これはちと厄介な問題ではあるが、どうでこの性質は持って生まれてきてしまったものなのだ。それながら、最早これでこのままずっと、罷(まか)り通ってゆく以外にない。こうした箆棒(べらぼう)な稟性(ひんせい)をかかえた不様な道ゆきが、四半世紀も経ち、生あらば四十を過ぎた時分にどんな彷徨ぶりをみせているのか。それには我ながら、一種自虐的な興味もある。


そして、帰路、前にもアルバイトをしたことのある書籍の取次会社の建物を見た貫太は、「そうだ、明日はあの会社に履歴書を提出してこよう」と思うのでした。

「とりあえず、あそこで二週間ばかし働いて生活を安定させる第一歩としよう。で、少しお金を貯めたら、まともな仕事先を探してみよう。ぼくの人生はそこからだ」


もちろん、これはいつもの自己慰藉(「カラ元気」)にすぎないのですが、こういった言葉に等身大の共感を覚える若い読者も多いのではないでしょうか。「中卒」「フリーター」「前科二犯」という西村賢太の私小説が、コアな読者を獲得した理由がわかる気がします。
2011.02.19 Sat l 本・文芸 l top ▲