朝、寝ていたら九州の母親からの電話で起こされました。叔父が亡くなったというのです。ここ数年、手術をしたりして体調はよくなかったそうですが、昨夜急に具合が悪くなり、救急車で運ばれてそのまま亡くなったのだそうです。

「おいちゃんが、ゆうべ死んだんよ」
「あっ、そう。しょうがないよ」
「しょうがないって・・・、あんたはいつも冷たい言い方をするんやね」
と母親は言ってました。

叔父には子どもの頃、よくかわいがってもらった思い出があります。でも、不思議と驚きもしなかったし、悲しい気持もありませんでした。みんなこうして死んでいくんだなと思っただけです。

最近、友人と話をしていても、親が入院したとかおじさんやおばさんが亡くなったとか、そういった話が多くなりました。それは明日の自分の姿でもあります。私たちもまた、やがて同じ運命をたどるのです。

前述した『「かなしみ」の哲学』にも書いているように、鳥の鳴き声や花びらが落ちていくさまを眺めては、人生のはかなさを詠嘆する心情(悲しみの心情)は、万葉集の大伴家持の時代からあったのですが、それは身近な人の死に対しても同じなのです(ただ、ヒューマニズムの考え方はなかったので、そのわりには平気で人を殺していたのですが)。

万葉の時代から千年以上も(いやそれ以前から)人間はそうやって身近な人や愛する人の死を悲しみ悼んできたのです。さらに歌に詠んだり日記に書き記したりすることで、悲しみは文学的な表現を帯び、よりいっそう深くなり多様なものになっていったのでした。

もちろん、ネットの時代になりTwitterのように140字で自己表現する時代になっても、身近な人や愛する人の死が私たちの胸を塞ぐ出来事であることには変わりがありません。ただ、悲しみの表現が変わっただけです。

小学校の3~4年の頃だったと思いますが、春休みに初めて叔父の家にひとりで遊びに行ったとき、少しヨレヨレのステンカラーのコートに弁当箱を包んだ風呂敷を小脇抱えた叔父が、駅の改札口に立っていて、私に向かって「おう」と右手をあげたときの姿が、なぜか今でも私のなかに残っています。あのときの叔父は、たしかに若かったなと思います。

弔電を頼むとき、オリジナルの電文を送ろうかと思いましたが、NTTの「おすすめメッセージ」の「いつまでも、いつまでもお元気で長生きしてくださるものと思っておりました。在りし日のお姿を偲び、心からご冥福をお祈りいたします」という電文がふと目にとまったので、それを選んで送りました。

何度も同じことをくり返しますが、私にとって身近な人間の死は、「倶会一処」の言葉とともにあります。だから、しょうがない。
2011.07.20 Wed l 訃報 l top ▲