竹中労 没後20年・反骨のルポライター

今日、河出書房新社の「KAWADE 道の手帖」シリーズの竹中労特集(「竹中労 没後20年・反骨のルポライター」)を買ったら、浅草キッドの水道橋博士のインタビュー記事「俺の根本はやっぱり竹中労なんだ」が出ていました。水道橋博士も竹中労ファンだったことは前から知っていましたが、私が注目したのは、水道橋博士が今回の原発事故について、発言していたことです。

というのも、浅草キッドは、「東電、電事連のPR記事の常連」で、原発の広告塔をつとめていたからです。あろうことか、事故発生時に店頭に並んでいた『週刊現代』(3月19日号)でも、「浅草キッドが行った!見た!聞いた! 原子力発電最前線」というパブ記事に登場し、刈羽柏崎原発を訪問した印象をつぎのように語っていたそうです。

今から3年前の7月16日、マグニチュード6.8の中越沖地震に見舞われたわけですが、とくに大きな事故がなかったということは特筆すべき点ですよね。
(『別冊宝島1796号・原発の深い闇』 中田順「『原発文化人』の妄言メッタ斬り!」より)


「安全第一で運営されていることを知りました。東京電力さんにはこうした事実をどんどんアピールしていってほしいですね。そして、『安全供給しているんだ!』ってガツンと言ってもらったほうが、安心できますよね。」(玉袋筋太郎)
「あらゆることをオープンにして理解してもらおうという電力会社の方向転換の姿勢が強く印象に残りました」(水道橋博士)
(前掲書 佐々木圭一「週刊誌・新聞の『東電広告』出稿頻度ワーストランキング!」より)


今思えば、これほどトンマな芸人もいませんが、これらは、師匠・ビートたけしのつぎのような発言と見事にリンクしているというべきかもしれません。

原子力発電を批判するような人たちは、すぐに「もし地震が起きて原子炉が壊れたらどうなるんだ」とか言うじゃないですか。ということは、逆に原子力発電所としては、地震が起きても大丈夫なように、他の施設以上に気を使っているはず。 だから、地震が起きたら、本当はここへ逃げるのが一番安全だったりする(笑)。
(『新潮45』2010年6月号)


上記の記事で中田順氏が書いているように、これじゃ「稀代の欠陥商品」をPRする「詐欺師の一味」だと言われても仕方ないでしょう。

しかも、事故が発生したら、みずからの発言などどこ吹く風で、放射能を怖れて家族を愛知県の奥さんの実家に避難させたのだとか。

彼の行動について、彼も愛読していたという『噂の真相』の元編集者の神林広恵は、『日刊サイゾー』で、「もちろん小さな子どもがいるのだから、こうした判断も当然だ。だが、直前に『原発は大丈夫』と言った自身の言動への自己批判、いや言及さえ一切ないのはいかがなものか。」と批判していました("原発擁護"芸能人に強まる風当たり インテリ芸人・水道橋博士はどう動く?)。

かつての愛読誌の編集者からこう言われたのではさぞやショックだったでしょうが、どう弁解しようとも、広告塔であった事実とその罪は消えるものではありません。要するに、高額なギャラに目が眩んで魂を売ったのではないのか。だったら、神林広恵が書いているように、正直にそう言えばいいのです。

しかし、このインタビュー記事でもそんな反省はうかがえません。少し悩んではいるようですが(高円寺の反原発デモに参加していたという目撃談もありますが)、たとえば、(私も前にとり上げた)『週刊現代』での佐野眞一氏と原武史氏との対談で、佐野氏が東浩紀やホリエモンを「被災地の実情も知らないで発言している」と批判していることに対して、「じゃあ現場に行った奴しか発言権はないのか?」「俯瞰で見るからこそ言える意見だってある。」などと子どものような屁理屈で”反論”する始末です。なんだかそれは遠まわしに自己弁解しているように聞こえないこともありません。

週刊誌草創期に、『女性自身』の名物記者として、いわゆる「芸能の論理」をひっさげて、今日の芸能ジャーナリズムの原型をつくったといわれる竹中労について、この本に所収されている論考「『トップ屋』竹中労はなぜ芸能記事を捨てたか」で関川夏央は、つぎのように書いていました。
 

竹中労は芸能人をおなじ仲間とみなした。社会の底辺にあって技芸だけで生きる、その技芸で世間に衝撃と影響を与えることができるという意味で、トップ屋と芸能人はおなじだと考えた。「芸があるひと」「性格のいいひと」「性格は悪いが芸のあるひと」はみとめたが、「芸のない有名人」と「分をわきまえず偉ぶる芸人」を徹底して憎んだ。


また、たけしのフライデー事件についても、「芸能人にプライバシーがないのは当たり前」だとして、つぎのように言っていたそうです。

 この世の中には面(つら)はさらしたい、有名にはなりたい、ゼニは稼ぎたい、自分の生活は隠しておきたいなんてそんなムシのいい話はないでしょう。


インタビュー記事のなかで、この混迷の中にあって竹中労がいたら何を言ったと思うかと質問されて、彼は、「どうだろう、もしかしたら、東電側に立っていたかもしれない」と答えていましたが、表では差し障りのないお約束の「毒舌」を吐きながら、裏では「強い人」「偉い人」に揉み手をして媚びへつらう北野武や水道橋博士のような”二枚舌”を、竹中労は絶対に許さなかったはずです。竹中労を読んでいるなら、それくらいわかるはずで、これも自己弁解のひとつなのでしょう。

どう考えても(逆立ちしても)、竹中労ファンであるということと、原発の広告塔であったという事実に整合性はないのです。竹中労ファンのひとりとして、論語読みの論語知らずの水道橋博士には、もう竹中労のことを語ってほしくないと思います。
2011.07.29 Fri l 芸能 l top ▲