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東電OL殺人事件に再審の可能性が出てきたという読売新聞の報道が一気にマスコミ全体をおおい、それにつれネットもまたたく間に関連記事であふれたのが先週のことです。そして、4年前に書いた私の記事(東電OL殺人事件)が1日でアクセスが4万を越えたのは前に書いたとおりです。

東電OL殺人事件に関しては、『創』の篠田博之編集長がブログ(メディアウォッチ)で、一過性の「大報道」ではなく、長期的にフォローしていく姿勢が大事だと書いていました。そうすることで、世論が形成され、裁判所を動かすことも可能になるのです。

ところで、驚異的なアクセスを記録した私の記事ですが、3日後にはアクセスが10以下に激減しました。4万から10以下という、遊園地のフリーフォールのような落差に一瞬失神しそうになりましたが、これにはちゃんとした理由があったのです。

それまで「東電OL殺人事件」や「東電OL」や「東電OL事件」などのキーワードで10位以内に表示されていたのが、一気に150位以下に急降下したからです。そのために、それらのキーワードでアクセスしてくる方がほとんどいなくなったのでした。

別に恨みごとを言いたいわけではなく、これは検索エンジンを考える上でいい事例になるように思います。

ブログの場合、常に新鮮な記事を掲載するという性格が検索エンジンにはあります。いつまでも古い記事ばかり並んでいたのでは情報の鮮度が落ちるというのはそのとおりでしょう。そのために、今回のような大きな関心を呼んだテーマでは、ウィキペディアなどの一部の記事を除いて、トップページから新聞記事をなぞっただけのような似たような記事で埋まることになるのです。

その結果、(私の記事のことは別にして)みんながあまり関心がなかった頃から事件に注目して書いていたようなオリジナルな記事は、ただ古いというだけで人の目に触れない下位に追いやられてしまうのです。

事件に対する視点ということでは、どちらに”価値”があるかは言うまでもないでしょう。個人的には、そうやってみんなが関心がなかった頃から、事件に注目していたような人たちが、今回の新展開についてどう考えているか聞きたい気がしますが、「お気に入り」に入れてない限り、検索してさがすのはもう至難の業です。

そうやってコピペまがいの似たような記事で埋め尽くされることに(しかも同じ記事が何度も出てくる)、一体なんの意味があるんだと言いたいけど、もとより検索エンジンというのはその程度のものなのです。

どれだけ「良質な」ページからリンクされているかを評価する「PageRank」にしても、間違ってもサイトそのものの”質”や”価値”をはかるものではありません。あくまでGoogleが設けた便宜的な指標にすぎないのです。ネットではどうしてもひとつの色や方向に染まってしまう傾向(同調圧力)がありますが、それは水が低い方に流れるネット住人たちの民度の問題だけではなく、こういった検索エンジンの性格に依るところも大きいのです。

だからこそ、もっといろんな検索エンジンが登場して競合するなかで、ユーザーの選択の幅を広げることが大事なのではないでしょうか。そうすることによってしか、ネットでの言論の多様性は保障されないのだと思います。

その意味では、YahooがGoogleの検索エンジンを選択してGoogleのシェアが95%以上になった今のこの状況は、諸々の事情を考えればやむをえなかったにしても、やはり「異常」だとしか言いようがありません。一応、中国には百度があり、韓国にはNAVERがありますが、日本にはそれに代わるものがありません。ネットもまた骨の髄まで対米従属なのです。

しかも、前も書きましたが、多くの人が指摘しているように、最近はGoogleの「arrogant(傲慢)」な傾向がますます強くなっています。Googleの検索画面をみればわかりますが、「ショッピング検索」や「画像検索」や「動画検索」など、昔に比べてゴチャゴチャして非常に見づらくなっていますが、それもGoogleが検索をとおしてユーザーを囲い込みたいがためなのです。私たちが感動したかつてのイメージはもはやなく、最近はこのようにえげつなさ・セコさばかりが目立つようになりました。

今のようなGoogle一党独裁のネット状況は、決して好ましいものではありません。今の状況ではないものねだりかもしれませんが、やはり第二第三のGoogleの登場が待ち望まれてなりませんね。それがGoogleのいう「民主的な」ネットの本来の姿ではないでしょうか。
2011.07.30 Sat l ネット・メディア l top ▲