郵便局に行かなければならない用事があったのですが、ついでに散歩をしようと思って、電車に乗って本町の横浜港郵便局に行きました。みなとみらい線の「日本大通り」で下車すると、港郵便局はすぐ近くです。このあたりは、県庁をはじめ地方裁判所や県警本部やハローワークや日銀などが集まった、いわば横浜の官庁街であり中心地です。もっとも地図でみると意外に狭くて、せいぜい300~400メートル四方くらいで、そのなかに本町・北仲通り・海岸通り・元浜町・大田町・相生町などの地名が入っているのです。そして、まわりを桜木町や伊勢佐木町や元町(石川町)などに囲まれていて、これがいわゆる「関内」と呼ばれる地域です。

関内は、このように住居表示が非常に細かく町の数が多いので、逆にわかりにくい面があります。しかも、目印になるような道路や建物がないため、ときに方向感覚を失うことがあり、休日などは、観光に来たとおぼしき人たちが、道に迷って戸惑っている姿をよくみることがあります。

郵便局で用件を済ませたあと、関内周辺を目的もなく歩きました。今日は山下公園や赤煉瓦倉庫やみなとみらいはあえて外しました。日曜日は人が多くて歩きにくいからです。中華街や元町をぬけるときも、人の通りが少ない裏道を選んで歩きました。

歩いていると、やたら若いカップルとすれ違うのですが、それも横浜の特徴ですね。「横浜」というイメージに、やはり若いカップルはあこがれるのでしょうか。

途中、寿町も通りました。そこは、若いカップルとはまるで違う世界がありました。寿町で目に付くのは、路上駐車の車とゴミの山とドヤ(簡易宿所)の前の自転車です。昼間から酔っぱらって通りをウロついている人がいるのも相変わらずですが、しかし、昔と比べたら通りに出ている人は少なく、しかも高齢の人が目立つようになりました。それになんといっても、殺気立った雰囲気がなくなりました。周辺にはマンションやテナントビルが押し寄せていますので、寿町もますます肩身が狭くなりたそがれていくのだろうと思います。

しかし、もちろんドロップアウトする人たちが減るわけではありません。ただ、寿町のような簡易宿所が自然発生的に一ヶ所に集まるような街(ドヤ街)の形態がなくなるというだけです。そうやってドロップアウトした人たちは街に拡散して行き、私たちの目から見えなくなるのですね。

先日、生活保護の受給者が200万人を超えるようになったことで、財政負担の増大に悲鳴をあげている地方自治体と厚労省が、生活保護制度の抜本的な見直しに向けて協議をはじめたという記事がありました。そして、そこでも医療費などと同じように、「総額抑制」論が前面に出ているのです。都市部では、最低賃金や基礎年金との”逆転現象”が出ていることをあげて、如何にも生活保護が「めぐまれている」かのような言い方がされるのですが、それはただ最低賃金や基礎年金がもともと生活できないくらい低いからにほかならなりません。また、働く意欲のない人間は3~5年で給付を打ち切るという案も出ているようですが、そういった”裁量”を役所に与えると、それこそ血も涙もないお役所仕事に転化するのは目にみえています。その記事には、「働かざる者食うべらからず」という見出しが付いていましたが、「食うべからず」ということは「死ね」ということなのか、と言いたくなりました。

先日も寿町近くで生活している受給者の住まいを尋ねて話を聞く機会がありましたが、こんなところがあったのかと思うようなタコ部屋のようなアパートで、正直言って、「みじめ」と言ってもいいような生活ぶりでした。陰でベンツに乗っているような人間が、なぜか公営住宅に住み生活保護を受給している極端な例を持ち出して、生活保護は「不労所得」「怠け者の巣」のように言う人もいますが、それは「強いものには下手に出て、弱いものには居丈高な態度に出る」小役人の習性で、強面の要求を断ることができなかった窓口に問題があるだけの話です。

今の世の中をみるとき、生き方が下手な人や身体が弱い人や知的障害のある人や家庭的にめぐまれず満足に学校に行けなかった人などにとって、かなりしんどい社会であることは事実でしょう。また、失業や離婚や病気など人生のアクシデントによって、経済的に困窮する状態に陥る人だっているでしょう。そんな人たちが最低限の生活を維持するために制度を利用するのは、憲法で保障されている国民の権利なのです。にもかかわらず、制度を利用する人が多くなったので締め付けをして制限すればいいというのは、まさに本末転倒した話だと思います。それこそいちばん政治や行政の手が必要な部分ではないでしょうか。だったら、行政・議会・組合がタッグを組んで、地方自治を食いものにしている現状をどうかする方が先ではないか、と言いたくなります。

相互扶助の精神ではなく、いたずらに損得勘定や嫉妬心や差別心などの俗情を煽るような政治というのは、宮台真司風に言えば、「依存と統制」の政治の最たるものだと言えます。彼らが親しき隣人であり、明日はわが身かもしれないという想像力が、今の世相には決定的に欠けているように思います。だから、こんなタチの悪い政治が跋扈することになるのでしょう。

そんなことを考えながら、たそがれていく寿町のなかを歩きました。

>>ワーキングプア
2011.08.07 Sun l 横浜 l top ▲