生活保護3兆円の衝撃

今のお笑いブームを影で支配するのが吉本であるのは間違いないでしょう。テレビのお笑い番組で、吉本興業の息がかかってない番組をさがすのがむずかしいくらいです。そのため、テレビのチャンネルをひねるたびにうんざりさせられますが、似たようなメンバーによる似たような内容の番組が粗製乱造されることになるのです。また、島田紳助の問題で垣間見えましたが、吉本には興業会社として「近代化」する以前からもっていた、ある種のいかがわしさやゴーマンさを未だひきずっているところがあるように思います。

ただ、今回の河本準一の「生活保護」の問題に限っては、私は吉本のコメントを無条件に支持したいと思いました。

一連の「不正受給」の報道を受けて、吉本興業は、5月16日、「株式会社よしもとクリエイティブ・エージェンシー」名で次のようなコメント(「河本準一に関する一部報道について」)を発表しました。

(前略)
現在、弊社所属タレントの「河本準一」に関し、河本の親族が生活保護費の不正受給を受けているかのような週刊誌の記事やインターネット上の風説が流布されており、これについて、世耕弘成、片山さつき両参議院議員が問題視しているなどの報道がございます。

弊社としては、河本の親族が生活保護費の受給を受けているという重大なプライバシー情報が報道されていること自体、重大な人権侵害であると考えており、河本の親族の生活状況や河本の収入の状況、親族への扶養の内容等の詳細な事情についての説明は、ご容赦いただきたいものと考えております。

しかしながら、河本本人の収入については一説に述べられているような高額なものではなく、時期によって大きく上下しております。また、様々な事情から生活の援助を行わなければならない親族が複数いるなかで、浮き沈みの激しい業界に身を置きつつ、親族全員に対して将来にわたっても安定的な援助を行えるかどうか、見通しが非常に難しかったという事情もございます。生活保護費の支給については、河本が無名の時代に開始されたものでありますが、河本本人は、なるべく親族に負担をかけることがないよう、そして、いつかは生活保護に頼ることなく自分の力だけで養っていける状況にできるよう、担当の福祉事務所などとも相談しながら、懸命に努力してまいりました。現在は、生活保護費を受給しておりません。

このような中、一連の報道が始まりました。多くの報道機関はプライバシーに配慮して実名を伏せていたようですが、一部の心ないネット媒体で実名が報じられるに至り、二名の国会議員は、当該ネット記事を前提に河本を名指しで非難し、本件を大きく取り上げるようになりました。国会議員の先生方が、本件を政策論として議論することについて弊社及び河本が申し上げることはございませんが、河本の親族側の事情も十分に確認しないままに実名をもって個人に対する批判的な発言をなさったことについては、非常に悲しいことであると感じております。
(後略)


河本の母親は、今回の騒ぎに驚き、受給を辞退したとか言われていますが、いづれにしても、このコメントにあるように、母親が生活保護を受けていたかどうかというのは個人のプライバシーの問題であり、報道自体が重大な人権侵害であるのは間違いないでしょう。まして「選良」たる国会議員が、個人情報を晒した週刊誌やネットの”便所の落書き”に便乗して”河本叩き”に加わるなど、生活保護云々以前の問題があると言わねばなりません。みずからのパフォーマンスのために、こういった卑しいポピュリズムに走る国会議員は、それこそ政治家としての資質に疑問をもたざるをえません。「劣化」と言うなら、こういう政治家こそ「劣化」と言うべきでしょう。

河本は幼い頃、両親が離婚。河本自身は父親の姓を継いでいるようですが、そこには他人が窺うことができない複雑な家庭事情があることは、およそ想像できます。もっとも河本自身は母親に仕送りをしていて、生活保護費はその分減額されて支給されていたようです。たしかに「様々な事情から生活の援助を行わなければならない親族が複数いる」なかでは、いくら芸能人とはいえ、生活費すべての面倒をみるのはしんどかったのかもしれません。

それに、現在、生活保護が直面する問題は、河本の母親のような高齢者の受給にあるのではないのです。2011年9月に放送されたNHKスペシャル「生活保護費三兆円の衝撃」を書籍化した、NHK取材班『生活保護3兆円の衝撃』(宝島社)が、そのあたりをあきらかにしています。

この本では冒頭、「この国の底が抜けた」というセリフではじまっていました。実際に生活保護受給者は、2012年2月の時点で、209万7401人となり、4ヶ月連続で過去最高を更新しています。それは、生活保護制度ができた戦争直後の混乱期を超える「異常な」数字なのです。受給数は2008年のリーマンショックで急激に増加し、以後高いレベルで増加しつづけているのです。というのも、リーマンショックをきっかけに、生活保護の運用が大きく変わったからです。

2008年のリーマンショックまで、生活保護の対象は、実質的には65歳以上の高齢者に限られていました。65歳以下の稼働世代(働ける世代)では、母子家庭や病気や精神疾患のある人に限って例外的に認められていただけです。ところが、リーマンショックで派遣切りが社会問題化して、年末の年越し派遣村がマスコミに大きく扱われたことなどもあり、稼働世代にも受給が認められるようになったのです。これはある意味では生活保護制度の根幹をゆるがすような方向転換と言えるものです。それまで門前払いされていたような若い人たちも、「仕事がない」「失業した」という理由だけで、生活保護の受給が認められるようになったからです。その結果、20代~50代の稼働世代の受給者が飛躍的に増えることになったのです。

同時に、そういった生活保護費を食いものにするさまざまな「貧困ビジネス」が誕生し、生活保護制度を蝕んでいったのでした。問題になっている「不正受給」もそこから派生しているのです。

雇用保険と生活保護の間に設けられた「第二のセーフティネット」が有名無実化してほとんど機能してないために、生活保護受給者がとどめもなく増大し、さらに一旦受給するとなかなかそこから抜け出せない(抜け出す気がない)という固定化の問題も深刻になっています。これが「この国の底が抜けた」現実なのです。

『生活保護3兆円の衝撃』によれば、大阪市の働ける世代を対象とした平成22年度の「就労支援事業」で、実際に生活保護から抜け出せたのは、わずか2.3%にすぎないそうです。

だからと言って、「働く気がないからだ」とか「甘えているからだ」とか一方的に受給者を責めるのは酷で、生活を立て直すだけのまともな仕事がないという側面もあるのではないでしょうか。実際にハローワークに行っても、多くは使い捨てのような仕事か月収10万そこそこのパートやアルバイトのような仕事しかないのが現実です。だったら生活保護の方がましだと考えるのもわからないでもありません。

そんな現実に対して、(受給するには)全財産を処分しなければならないとか、収入があれば減額されるとか、(生活を立て直すための)貯金ができないとか、制度が硬直化して適宣に機能できてないという指摘があります。『生活保護3兆円の衝撃』でも、結果的に抜け出せなくなる(抜け出す気力を失わせる)現行の制度の欠陥を一貫して指摘していました。

個人的には、リーマンショック以前のように、65歳以下の稼働世代の受給は原則的に認めず、生活保護手前の「第二のセーフティネット」を現実に対応できるように充実する方が肝要ではないかと思いますが、いづれにしても、こういった問題と河本準一の問題をごっちゃにして感情的に河本を叩いても、生活保護が抱える問題の本質に行きつくことは決してないのです。

先日の渋谷駅で肩がぶつかったといって相手を刺傷した事件では、都会で生活する人間たちの心がいかに荒んでいるかということを思い知らされましたが、今回の”河本叩き”を見るにつけ、同じようになんと荒んだ世相なんだと思わずにおれません。生活保護予備軍の近親憎悪という側面もあるのかもしれませんが、どうしてもっと温かい目で見る”心の余裕”が持てないんだろうと思いますね。私には渋谷駅で通行人を刺した「32才アルバイトの男」と、負の感情で河本を叩いている人間たちがどこか重なって見えて仕方ありません。

そして、週刊誌の記事に煽られた彼らの負の感情が、政治家のパフォーマンスに利用され、挙句の果てには社会福祉をすべて財政問題に解消しようとする”官僚の罠”にはまる可能性があります。それは言うまでなく福祉の後退です。一方で生活保護以下の低所得世帯が二百数十万世帯も存在し、貧困層のうち実際に生活保護を受給しているのは3分の1しかないという貧困の現実のなかで、それはみずからでみずからの首を絞める行為だとも言えるのです。

>> 貧困という現実
>> ワーキングプア
2012.05.24 Thu l 社会・時事 l top ▲