どん底

高山文彦著『どん底』(小学館)を読みました。

これは、福岡県立花町(現八女市)を舞台に、平成15年11月から平成21年1月まで5年以上にわたってくり広げられてきた部落差別自作自演事件を扱ったノンフィクションです。著者は、この事件を「なんとおぞましく、悩ましい、人間とはかくも不気味で奇怪な存在であることかと立ち竦まされてしまう事件」と表現していました。

この事件は、飛鳥会事件とともに部落解放運動に深刻な打撃を与えたと言われていますが、時期的にはちょうど部落解放同盟が飛鳥会事件で大きくゆれているときに、この自作自演事件もはじまったことになります。

立花町の町長や学校長、社会教育課長などに送られてきた44通の差別ハガキでターゲットになったのは、立花町の嘱託職員で、部落解放同盟の副支部長でもあった「山岡一郎」(仮名)でした。

彼は、”ムラ”と呼ばれる町営住宅に住んでいました。被差別部落である”ムラ”はもともと別の場所にあったのですが、小集落地区改良事業によって町営住宅として造成され、そこに”ムラ”の人々が集団移転してきたのでした。

そして、事件に対しての反響が大きくなるにつれ、被害者の「山岡一郎」は、まるで”悲劇のヒーロー”のように、各地の人権団体や労働組合の会合に講演に出かけるようになったのでした。それどころか、彼の妻や子供たちまでも善意の人々の前に立ち、差別ハガキに対する怒りや悲しみを涙ながらに訴えるようになったのです。

ところが、平成21年7月、福岡県警が差別ハガキを出した犯人として偽計業務妨害の疑いで逮捕したのは、なんと当の「山岡一郎」だったのです。今まで「山岡一郎」を差別事件の被害者として支えてきた部落解放同盟や町の関係者たちに、衝撃が走ったのは言うまでもありません。

本人の供述によれば、動機は雇用不安でした。経済的にきびしい生活状況のなかで、1年更新の雇用契約を打ち切られることをなによりおそれたからです。差別事件の被害者であれば、組織も町も自分を守ってくれるはずと考えたのです。

”ムラ”の人たちのなかには、「胸をえぐる」ような結婚差別を体験した人も多くいます。本人によれば、「山岡一郎」自身も若い頃、結婚差別を体験したと言われています。それだけに「だったら、どうして?」と考えるのは当然でしょう。

部落解放同盟による糾弾学習会でも、出席した”ムラ”の人々から、その点についてきびしい追求が行われました。でも、「山岡」の反応は、「糠に釘、暖簾に腕押し」で、糾弾学習会は「差別意識の形成過程についてはついにひと言も聞き出せず」むなしい結果に終わったのでした。

ただ、私は、(部落差別の当事者でないからそう言えるのかもしれませんが)「山岡一郎」に対しては、どこか「罪を憎んで人を憎まず」のような気持をもちました。「よりによってどうして?」という気持は当然ありますが、一方で、雇用不安から犯行に及んだという心情はわからないでもないのです。

飛鳥会事件とは比べようもないくらい悲しくもせつない事件ですが、差別を利用して利益を得ようとする動機は共通しています。この本では、どちらかと言えば、「山岡」個人のキャラクターに焦点を当てて事件を描いていますが、事件は単に個人の人格の問題だけにとどまらず、解放運動にはびこる問題とも無縁ではないように思います。むしろ「山岡一郎」は、飛鳥会事件の小西某と同じように、そんな運動内部の”風潮”を利用したとも言えるのです。

私は、「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と謳った水平社宣言の胸を打つ崇高なことばと糾弾学習会のつぎのような発言の間に横たわる”乖離”をどうしても感じざるを得ませんでした。

あげなハガキばいっぱい出しとって、ムラを出て行こうともせん。とても自分ならそげなこたしきれんと、私は山岡に言うたとですよ。ムラのみんなを裏切ってきたくせに、解放運動で勝ちとった住宅にずっとおろうとする根性が、私には理解できんとです。


「これがムラを代表する考えかただった」と著者は書いています。

一方、この事件について、部落解放同盟福岡県連はつぎのような「最終見解と決意」を発表したのでした。

 今回の「差別ハガキ偽造」の行為の背景を考えると、公判でも明らかになったように、「就労の不安」というものに端を発し、「差別事件を偽造すれば糾弾がおこなわれ、行政当局が要求を受け入れる」という思惑が存在していました。しかしそのような発想や体質は彼個人の問題ではなく、県連の組織全体の問題として重く受け止めなければならないと考えます。
 つまり、私たちの運動の中に、あるいは同盟員の中に、「糾弾(会)で行政に圧力をかけ、屈服させ、自分たちの要求をのませる」という発想や風潮、体質がなかったのか。もし一部でもあったとすれば、これを徹底して排してきたのかという問題であります。今回の件は、まさにそのような悪しき体質が、ごく一部とはいえ、厳然として存在していたことが明らかになったということです。(略)


私は、この事件では、従来の運動のあり様も同時に問われているように思えてなりません。「ゆがんだ部落問題の実相」と書いていた書評がありましたが、たしかにそう言われても仕方のない側面があるように思います。「山岡糾弾会では、山岡を指導し支えてきた同盟指導部はひとりも糾弾される側に立たなかった」と著者は書いていましたが、部落問題が抱える重い課題をこの本は突きつけているように思いました。

>> 『日本の路地を旅する』
2012.06.17 Sun l 本・文芸 l top ▲