都会の片隅の病院で、誰からも看取られることもなくひっそりと息をひきとる老人。そして、深夜、裏口から当直の看護師に見送られて搬送されていく亡骸。先日、そんな話を医療関係者から聞きました。

路地の奥の裏口から、白い布に包まれストレッチャーに乗せられて運び出される遺体。ガチャガチャという車輪の音が寝静まった路地に響き、そして、ひときわ大きな金属音とともにストレッチャーが寝台車に載せられ、ドアが閉められる。

「では、出発します」 担当者があたりを憚るように低い声でそう言うと、寝台車はゆっくりと動きだす。外灯の薄明かりのなか、寝台車に向かって無言で頭を下げる看護師たち。

そんな光景が目に浮かびました。

消費税増税や民主党の分裂や原発再稼動などに関係なく、ひとりさみしく死を待つ人々。それは、もしかしたら明日の自分の姿かもしれません。「家族がいるとホッとする」と関係者は言ってました。

生活保護受給者のことを「福祉」と呼ぶそうですが、そんな「福祉」専門のような病院があります。外来が開店休業状態の病院も多いので、私たちもその存在に気づかないことも多いのです。なかの様子を初めて目にした人は、「こんなところで人生の最期を迎えるのか」と暗澹たる気持になるそうです。

今、「社会保障と税の一体改革」なるものに関連して、生活保護がやり玉にあがっていますが、そんな「福祉」の現場から生活保護の問題を考えることも必要ではないかと思いました。現場で働いている人で、小説やノンフィクションを書くような人が出てくればいいのにと思います。

「でも、なかには身内でもないのに、毎日のように見舞いに来て、面倒をみる人もいるんですよ」
「それは誰ですか?」
「友達や知り合いのようですね」
「へぇ、他人なのに?」
「そう、他人なのに、親身になって世話する人がいるんです。最期も立ち会ったりして」
「そんな人がいると、救われますね」
「そうですよ。よかったなあと私達も思いますよ」

人間の尊厳ってなんだろう。善意ってなんだろう。そして、人の一生ってなんだろう。そんなことをあらためて考えさせられました。
2012.06.23 Sat l 社会・時事 l top ▲