最近、休日に街に出ると、以前に比べてひとりで歩いている若者が目に付きます。電車でも、ひとりで買い物に出かけたとおぼしきショップの袋を手にさげて乗ってくる若い女性をよく目にします。もちろん、休日の街はカップルや家族連れが多いのですが、意外とひとりで来ている人間も多いのです。

最寄り駅の近くのビルの1階にファミレスのガストがあり、通りから店内がよく見えるのですが、平日はもちろん、休日でもひとりで来ている客が多く、壁際の席に一人客がずらりと並んですわっている光景もめずらしくありません。郊外の駐車場付きの店舗になると様子は違ってくるのでしょうが、街中にあるファミレスはむしろ単身客のほうが目立つくらいです。先日もそんな話をしていたら、その場にいた20代後半の女性が「私もよくひとりで行きますよ」と言ってました。

実際に恋愛をしない・恋人がいない若者も多く、恋愛をテーマにしたドラマや映画や雑誌の特集なども、以前ほど支持されなくなっているそうです。「恋愛ができない」のではなく、無理に「しない」のです。

そして、恋人はいなければいないでもいいという考えは、いい出会いがなければ別に結婚しなくてもいい(無理して結婚する必要もない)という考えにつながっているように思います。それは統計でも裏付けられています。

政府が発表した2012年度の「子ども・子育て白書」によれば、生涯独身率(50才の時点で一度も結婚したことがない人の割合)は、男性が20.1%、女性が10.6%だそうです。ちなみに、1980年度は男性が2.6%、女性が4.5%だったそうですから、男性に至っては10倍も増えているのです。

年代別の未婚率は、25才~29才で、男性が71.8%、女性が60.3%。30才~40才では、男性が47.3%、女性が23.1%だそうです。

もっとも、これは全国平均の数字なので、東京など都会ではもっと単身者の割合は高いはずです。私のまわりでも、男女を問わず30代後半から40代にかけての独身者がホントに多いのです。よく非正規雇用の増大など、経済的な理由で結婚できないと言われますが、私のまわりは逆で、それなりの仕事を持って安定した生活が送れるなら、無理して結婚する必要もないという感じです。

私も以前、このブログで「恋愛は人生の花だ」と書いたことがありますが、最近は無理して恋愛する必要もないんじゃないかと思うことのほうが多くなりました。

もちろん、単身者の増加は、「ひとりでも困らない社会」になったという側面も大きいのです。農村の家父長的な大家族から都会の核家族化、そして、離婚率の上昇と今のような単身者がめずらしくない社会。それは農業中心の社会から工業化社会、そして脱工業化社会へという時代の流れと無縁ではありません。ある意味では、時代の要請でもあるのです。

吉本隆明の受け売りではありませんが、GDPに占める個人消費の割合が1995年を境に60%を超えるようになったとか、第三次産業の就業者が全体の67%(平成17年の統計)を占めるようになったとか、そういった社会構造の変化と無縁ではないように思います。存在が意識を決定するではないですが、社会が変れば人の生き方や人間関係が変わるのも当然でしょう。

吉本隆明は、この社会構造の変化に伴って、労働というのも生産点で考えるのではなく、消費の観点から考える必要があると言ってました。労働とか労働者とかいう概念も変わるべきだと言うのです。そして、消費というのは時間と空間をずらした生産である、という言い方をしていました。

いわんやいくら道徳教育を復活させて、アナクロな国家観や家庭観を押し付けようとしても、この社会がもとに戻ることはないし、人々の生き方がもとに戻ることもないのです。それはこの国の経済が、もはや”世界資本主義”の構造とそのメカニズムから逃れることができないからです。大風呂敷を広げれば、休日の単身者の光景は、資本主義の発展段階における私たちの社会の構造的な変化を映しているとも言えるのです。
2012.08.20 Mon l 社会・時事 l top ▲