『日経ヴェリタス』(日本経済新聞社)の今週号(第238号)に、興味ある特集が載っていました。

題して「中間層ビッグバン」。

これから「大航海時代」ならぬ「大消費時代」が到来するのだそうです。特集では、その「ビッグバン」たるゆえんをつぎのように書いていました。

  同社(注:マッキンゼー日本支社)によると、中印2カ国だけで19世紀・産業革命時の米英の100倍の人口規模を持ち、当時の100倍のスピードで経済成長を遂げている。つまりは産業革命の1000倍に相当する「経済爆発」が起きているわけだ。
 その結果誕生するのが消費力を備えた新興国の巨大な中間所得層だ。家電に携帯電話、そして自動車‥‥。豊かな暮らしの飽くなき追及は先進国の消費者と変わらない。2025年までに消費者層は18億人増えて42億人に。うち新興国の消費額は世界の半分、30兆ドル(約2340兆円)になるとマッキンゼーははじく。


そんな来るべき「大消費時代」に備えて、世界の有力企業は、既に新興国で市場の“青田買い”をはじめているのだとか。

 勃興する新興国の中間層。これを取り込む秘訣の1つは「底辺から攻めろ」だ。まず貧困層に手の届く商品を届け、やがて中間層に育った段階で上位商品を売り込んでいく戦略だ。中間層が育つまで待っていては出遅れる。「低所得者層ビジネスで成果を上げるのが近道だ」。野村総合研究所の平本督太郎主任コンサルタントはこう指摘する。


特集では、新興国市場を開拓する、マクドナルドやボーダーフォン(英)やウォルマート(米)やフランステレコム(仏)やダノン(仏)やユニリーバ(英蘭)や現代自動車(韓)など、グローバル企業の取り組みが紹介されていました。

日本の企業では、インドネシアでのフマキラーや「どらえもんノート」でベトナムを席巻しているコクヨ、あるいはパナソニックやダイキン工業などの取り組みが紹介されていました。

ただ、欧米の企業に比べて、日本の企業が遅れをとっているのは否めないのだとか。「新興国を専ら生産基地として利用してきた企業は、認識の再構築が必要となる。消費主導のメガ商機を取り逃がすことになりかねないためだ」と書いていましたが、今回の竹島や尖閣をめぐる問題でも、日本のなかには、中韓台を未だ日本の「工場」のようにしか見てないような意見が多くありました。

しかし、日中韓台の経済の相互依存関係は、私たちが想像する以上に深化しているのです。たとえば、韓国の現代自動車やサムスンでも、多くの日本の中小企業が下請けになっているのですが、日本では意外とその現実が知られていません。まるで知りたくない(認めたくない)現実であるかのようです。

今回の竹島や尖閣の問題でも、韓国や中国や台湾がどうしてあそこまで強気になれるのかを考える必要があります。それは、言うまでもなく、彼らが経済的に力を付けてきたからでしょう。特に中韓の相互依存関係は、日中・日韓をしのぐほどだと言われています。だから、まるで呼応するかのように、「困るのは日本だぞ」と言わんばかりの態度をとるのでしょう。

アメリカが超大国の座から転落するのは間違いない。そして、世界が多極化するのも間違いありません。「アラブの春」もその脈絡でとらえるべきで、その先にあるのは、どう考えても「民主化」というより「反米」「イスラム化」でしょう。ロシアも然り、中南米も然り、アフリカも然りです。もちろん、ヨーロッパは言うまでもありません。そう考えるとき、中国・韓国・台湾から揺さぶりをかけられている日本は、ややもすればアジアで孤立さえしかねないのです。

ナショナリズムというのは、進軍ラッパを鳴らして声高に叫ぶほうが国内向けには受けがいいのは当然です。そして、「弱腰」を批判する論調があふれるのが常です。それは中国だって韓国だって台湾だって同じでしょう。しかし、尖閣問題は、戦争でもしない限り当面の解決策はなにもないのです。むしろ、寝た子を起こしたことで、逆に中国にかっこうの口実を与えてしまった感さえあります。日本に対してあらたな外交カードを手に入れた中国は、これからなにかにつけ尖閣で日本を挑発し、日本を揺さぶりつづけるでしょう。日本は「へたくそだな」と思わざるをえません。

一方で、日本には、アメリカという後門の狼もいます。ただ対米従属でアメリカに泣きつくばかりでは、アメリカからいいうようにふりまわされるのは目に見えています。このままではTPPの全面降伏も間違いないでしょう。オスプレイ配備にしても、日本政府の姿勢は完全な「土下座外交」でした。でも誰もそうは言わないのです。

残念なことですが、アジア経済圏のなかで日本が主導権を失いつつのは事実でしょう。今回の竹島や尖閣の問題で、それがいっそうはっきりした気がします。にもかかわらず、多極化する世界のなかで、今後日本はアジアに軸足を置いて生きていかざるをえないのです。そう考えるとき、嫌中・嫌韓だけでやっていけるのかと思います。

日中の経済関係が停滞しても、なにも解決しないのです。戦争でもしない限り、尖閣はそのままです。そして、経済関係もただ停滞するだけです。その停滞している間に、「中間層ビッグバン」で、日本の企業はますます立ち遅れてしまうでしょう。「中国経済の減速懸念があきらかになった」「チャイナリスクが増した」などと、希望的観測で針小棒大に”負け惜しみ”を言っても仕方ないのです。「中間層ビッグバン」などに象徴される「経済爆発」は、やがて中印を中心とするあらたな秩序(=アジアの時代)を作り出していくでしょう。悔しいけれど、それが現実なのです。

卑近な言い方をすれば、いやな相手でも頭を下げてものを買ってもらうのが商売人です。いわんや”商売人の誇り”というのは、頭を下げるかどうかなんてことにあるのではないのです。アジア各地で奮闘している日本人営業マンたちの思いも同じはずです。あんないやなやつは相手にしないなんて言い出したら、もう商売人としては終わりで、孤立して没落するしかありません。

もちろん、外交にはいろんな側面があり、報道をとおして私たちが知るのはその一部にすぎないのかもしれません。しかし、日本の姿勢をみていると、制裁一本やりで解決の糸筋がみえなくなった拉致問題と同し轍を踏もうとしているように思えてなりません。どうしてもっとしたたかでしなやかな戦略がとれないのでしょうか。週刊誌なども、北朝鮮の新聞とみまごうような過激な見出しであふれていますが、冷静な意見がまったく封じられ、ただ子供のケンカを煽るような直情的なことばだけが飛び交う今の風潮に、「ホントに大丈夫なんだろうか」と懸念を抱かざるをえないのです。

もう昔のナショナリズムの時代ではないのです。排外主義的なナショナリズムをどう克服し、「方法としてのアジア」(竹内好)の論理をどう獲得していくか、竹島や尖閣の問題はその試金石でもあるように思います。

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2012.10.02 Tue l 社会・時事 l top ▲