吉本隆明氏のインタビューをまとめた『第二の敗戦期ーこれからの日本をどうよむか』(春秋社)を読んでいたら、つぎのような発言が目にとまりました。

 柄谷さん(引用者注:柄谷行人)たちのような人は、結局中途半端に、いかにも権力を取ることや、取ることを支援していくことが目標であるように振る舞っていますが、もう少し中産階級の下の方の人たちがどうしたらよいのか、ということを考えていかないとだめだと思います。(略)
 権力を取らなくても、格差をできるだけ縮めるとか、中小企業以下の企業が盛んになるようにするにはどうしたらよいかということをもう少し考えるべきだと思いますが、そういうことの方に彼らはあまり関心がないようです。やはり権力をまずいちばんに取ることが、規定(ママ)路線であると思い込んでいるわけです。


(略)具体的に中小企業、あるいは個人企業の人たちのところに重点を置けば、この社会全体がよく見えると考えています。だからレーニンやスターリン的な考え方というものに固執していたら、いま全然使えないし、問題にならないと思います。


今回の選挙は、愚劣な政治に失望するあまりより愚劣な政治を選んだと言えますが、もとよりそういう選択肢しかなかったのも事実で、仕方ない面もあったように思います。

改憲を危惧する声もありますが、「反戦平和」なんてことばも既に腐臭を放ちほとんど意味をなくしているのですから、それよりまず、どうして「反戦平和」が人々に見向きもされなくなったのかを考えるほうが肝要ではないでしょうか。敵失があると今にも世の中がひっくり返るかのように楽観論をふりまき、今回のように敵が得点するとまるで暗黒の世の中が訪れるかのように悲観論をふりまく、そんな左翼的常套句(おためごかし)に辟易しているのは私だけではないでしょう。

一方、あれだけ「脱原発」の気運が盛り上がったなかでの選挙だったにもかかわらず、壊滅的敗北を喫したことで、「脱原発」派は茫然自失の態ですが、これも「脱原発」に切実感がなく、ただの観念的なスローガンにすぎなかったからでしょう。それは、福島県内の選挙結果に端的に表れているように思います。「いやそうではない、フクシマの人たちの思いは別にある」と”プロ市民”たちは言うのかもしれませんが、それもいつものおためごかしでしかありません。

言うまでもなく私たちにとっていちばん大事なのは、日々の生活です。政治なんて二の次です。でも、だからと言って、「どうでもいい」とも言えないのです。年金問題ひとつとっても政治を無視することはできません。政治が私たちの生活に直結している部分はたしかにあります。ただ一方で、それ以上は「どうでもいい」という気持もあります。いづれにしても、坂口安吾の言う政治という粗い網の目からこぼれ落ちる存在である私たちは、選挙の結果などには関係なく、ただ日々の生活に戻るだけです。

吉本氏は、柄谷行人氏や蓮見重彦氏のような知識人や教養人は生活感がない、だからことばが「引っかってこない」と批判していましたが、それは真逆にいるネット住民たちも同様でしょう。2ちゃんねるやニコ動でくり広げられているのは、愚劣な政治に同伴する”動員の思想”のネット版にすぎません。

愚劣な政治を批判できるのは、政治からもっとも遠いところにいる生活者だけです。そんな人たちの「政治なんてどうでもいい」「選挙なんて関係がない」ということばが、政治に対するもっとも鋭い批評なのかもしれないのです。
2012.12.20 Thu l 社会・時事 l top ▲