連日35度を越すような猛暑がつづいていますが、特に東京のような大都会では、ビルの空調システムや自動車などによるいわゆる「人工排熱」とアスファルトの照り返しで、文字通り灼熱地獄のようです。

熱中症のニュースも飛び交っていますが、それにしても驚くのは、この炎天下で、体育祭や球技大会や持久走などが行われているという学校現場の”過酷さ”です。熱中症で生徒が救急車で運ばれても、学校は「暑さ対策は充分とるように指導していた」と弁解するだけで、この酷暑のなかで体育祭や球技大会などを行うことが、もはや「暑さ対策」の範囲を越えているという疑問や反省は、まるで存在しないかのようです。

聞けば、先生たちの多くも個人的には疑問を抱いているそうです。しかし、”前例主義”という役人的発想に基づく管理体制がそれを許さないのだとか。そこには日本社会特有の”抗えない空気”があるのでしょう。そして、去年も一昨年も同じことをくり返したように、来年も再来年も同じことをくり返すのでしょう。

昨日、知人の知人(!)のアメリカ人と会った際、高校野球の話になったのですが、彼は、日本の高校野球について、「scary(薄気味悪い)」「doubt(おかしい)」「funny(滑稽)」というような単語を使って首をひねっていました(実際は肩をすくめていましたが)。

ベースボールの母国の人間から見れば、「一球入魂」なんてことばにすごい違和感を抱くのだそうです。もしかしたら、「ボールに魂を込める」というような精神論のなかに、イスラム原理主義と同じような”カルト的要素”を見ているのかもしれません。たしかにクラブ活動で野球をやっているにすぎないのに、どうして「純粋無垢な高校球児」になるのか。高校野球だとただのボールではなくなぜか「白球」になり、「白球を追う姿に感動する」ことになるのです。

この灼熱地獄のなかで高校野球大会が開かれ、それを朝日新聞やNHKのようなマスコミが、「白球を追う」「純粋無垢な高校球児」の感動話に仕立てて報道していることに対して、「doubt」「funny」と思うのはむしろ「正常な感覚」と言うべきでしょう。ヨーロッパではバカンスのシーズンなのに、日本では高校生が熱中症と戦いながら「白球」を追って、その姿が称賛されるのです。

鴻上尚史氏も、『週刊SPA!』に連載の「ドン・キホーテのピアス」でつぎのように疑問を呈していました。

 もはや亜熱帯と言ってもいいのに、今年もまた、サラリーマンは背広を着せられ、結果、会社では冷房をガンガンに入れ、女子社員は冷え性に苦しみ、エアコンの排気熱で都会はさらに灼熱の亜熱帯になり、そんな炎天下で生徒の体調をまったく無視した高校野球がおこなわれ、試合終了と共に脱水症状で担ぎ込まれる選手が日本各地で続出し、しかし球児の健全な生育と行動を求める高野連は何人倒れようとスケジュール通りに試合を進行し、日本人は必死に仕事を続けるのです。
http://nikkan-spa.jp/462476


鴻上氏が言うように、なにより「優先されるのは社会の規律」なのです。もっとも最近の風潮では、「だから日本人はすごいのだ」「だから日本人は世界からリスペクトされるのだ」と「自演乙」するのがオチかもしれません。

しかし、この灼熱地獄の精神論こそが、ワ●ミやユ●クロなどのブラック企業の背景にある死ぬまで働け式の精神論や、ひきこもりやニートの若者を海に蹴落として、そこからもがいて這い上がれと”教育”する戸塚ヨットスクールのような精神論と通底しているのです。そのいかがわしさや滑稽さに、日本人もそろそろ気づいてもいいのではないでしょうか。
2013.07.12 Fri l 社会・時事 l top ▲