安倍総理ニコニコ超会議


ネットが出現したとき、ネットとリアル社会は違うのだという認識が半ば常識としてありました。マスコミが伝えているのは、本来自分たちが知りたいことではなく、別のバイアスがかかっているのではないか。「マスゴミ」という言い方が生まれたのも、そういった認識があったからでした。

そんななかで、マスコミから一方的に与えられる情報ではない、自分たちがメディアになって情報を発信するのだという考え方が生まれたのです。そして、そういった考え方の背景に、音楽やダンスや映像やアニメなど、既にサブカルチャーに存在していたインディーズ文化とその精神があったのは間違いないでしょう。

「みずからがメディアになる」には、ネットは格好のツールでした。ネット以前のパソコン通信には、掲示板やチャットしかありませんでしたが、そこには「みずからがメディアになる」萌芽がありました。パソコン通信によって、自分たちで情報を発信し自由に意見を交換するスタイルが生まれつつあることを実感できました。また、初期のインターネットにも、そんなパソコン通信から引き継がれた”文化”が間違いなく存在していました。

しかし、インターネットが大衆化し普及するにつれ、インターネットは大きく変質したのです。

ニコニコ動画を運営するドワンゴの川上量生会長は、以前、ITメディアのインタビューで、「昔は、現実社会に居場所がない人がネットにたまってた。ネットの中に仲間がいて、現実社会と隔離した生活ができていた」が、「今ではそれが不可能」になったと言ってました。

「今、大きな力を持っているのは、リアルの従属物としてネットがあるようなサービス。ネットがリアルにどんどん浸食されている。ネットで生きることとリアルで生きることを融合しないと、“ネットの人”の生きる場所がなくなってしまう。隔離された場所はどんどん狭くなっていくので、ネットを拠点として現実とつながらないと、幸せになれないと思う」
(「ネットはリアルにどんどん浸食されている」) 


その結果がネトウヨなのかと思います。川上会長は、「ニコ動は、オタクが作ってヤンキーが見ている」「ヤンキーとオタクが、お互い自分たちが中心だと思っていて、ニコ動を通じて、衝突が起きている」と言ってましたが、最近のニコ動に見られるのは、むしろオタクとヤンキーの「融合」です。それをもたらしたのは、言うまでもなく「竹島」や「尖閣」です。既得権益の上に胡坐をかきこの国を牛耳る保守オヤジや「マスゴミ」に、いいように煽られ踊らされるネット住人たちこそ、まるで彼らの従属物であるかのようです。

もちろん、ネットと現実の「融合」の裏には、ネットが金の成る木になるという打算や思惑があったことも事実でしょう。このインタビューに、「川上会長に聞く、リアルに投資する理由」というタイトルが付いているのもそれゆえです。

「ネットこそ真実」と言っても、その大半は新聞や週刊誌やテレビの腹にイチモツのゴシップ記事がネタ元であるにすぎません。ネットと現実の「融合」なるものも、なんのことはない「マスゴミ」とネットの共犯関係(大塚英志氏の言う「旧メディアのネット世論への迎合」)にほかならないのです。

ネットがリアル社会の従属物になってしまった今の状況で、私たちがもう一度想起しなければならないのは、やはり「ストリートの思想」や「インディーズ文化の精神」でしょう。

今回の三宅洋平や山本太郎の選挙で大きな力を発揮したのは、「中央線文化」と言われるような、東京の中央線沿線に古くからあるインディーズ文化の系譜です。その中心になったのは、マスコミが押し付ける消費生活ではない、自前の消費文化を生み出す若者たちの存在です。同じオーガニックコットンでも、政治性や思想性を排したメジャーのエコブランドのそれと、消費者相互のネットワークによって流通するそれとでは、本質的にはまったく異なるのです。

今、週刊新潮や週刊文春や朝日新聞が山本太郎叩きをしているのは、山本太郎が右翼や左翼、保守や革新、与党や野党という従来の秩序のなかに収まりきれない”異物”だからです。「ただちに健康に影響はない」あの構造に鋭く刃を突きつける存在だからです。

朝日新聞は、福島第一原発の事故を受けて、「原発とメディア」「プロメテウスの罠」という二つの検証記事を連載し、高い評価を受けました。しかし、今の汚染水の問題を見ても、朝日が「壮大な嘘」に依拠する発表ジャーナリズムから転換しているとはとても思えません。セシウムやトリチウムやストロンチウムなど放射性物質に汚染された地下水が毎日300トンも海に流出しているという、この未曽有の海洋汚染を東電や原子力規制庁が公表するまでホントに知らなかったのか。福島の記者はなにをしていたのか。「ただちに健康に影響はない」と言い続けた2年5ヶ月前とまったく同じことをくり返しているようにしか思えないのです。それで、「拝啓 山本太郎さま」(WEBRONZA)なんて、カマトトぶって科学信仰をふりかざし、山本太郎を批判する資格があるのかと言いたいのです。

渋谷や中央線沿線の若者文化に代表される「ストリートの思想」や「インディーズ文化の精神」とそれらに内包されるナイーブな感性は、新潮や文春や朝日のような「マスゴミ」や、ネットをリアル社会の従属物にするニコ動などの反動に抗する“アンチテーゼ”であり”原点”であると言ってもいいのではないでしょうか。
2013.08.07 Wed l ネット・メディア l top ▲