朝日新聞の今月の「論壇時評」(2013年9月26日)で、高橋源一郎氏は、「働く母の権利 甘えているわけじゃない」と題して、『週刊現代』(8月31日号)に掲載された「甘ったれた女性たちへ 私の違和感」という曽野綾子氏の「発言」をとり上げていました。

曽野氏の「発言」は、つぎのようなものです。

 そもそも実際的に考えて、女性は赤ちゃんが生まれたら、それまでと同じように仕事を続けるのは無理なんです。なぜなら、赤ちゃんは始終熱を出す。大抵はたいしたことないですけど、母親としては心配です。その場合、「すみません、早退させてください」となるのは無理もありません。でも、そのたびに「どうぞ、急いで帰りなさい」と快く送り出せる会社ばかりではないはずです。

 ですから、女性は赤ちゃんが生まれたら、いったん退職してもらう。そして、何年か子育てをし、子どもが大きくなったら、また再就職できる道を確保すればいいんです。


曽野氏は、「出産したら(会社を)お辞めなさい」と言うのです。それどころか、「彼女たちは会社に産休制度を要求なさる。しかし、あれは会社にしてみれば、本当に迷惑千万な制度だ」とさえ言うのでした。

私は以前仕事で曽野綾子氏に逢ったことがありますが、そのときの印象は、ごく普通の礼儀正しくお上品な年配の女性といった感じでした。某週刊誌の若くてきれいな記者と同じで、とてもこんなインテリジェンスの欠片もない、ネトウヨまがいのおバカな発言をする人とは思えないのですが、こういうのを「保守」と言うのでしょうか。

しかも、この「曽野発言」は、単にお母さんたちに冷たいなんていうレベルにとどまらないのです。「曽野発言」は、今この国をおおいつつある空気とリンクしているのです。高橋氏は、つぎのように指摘していました。

 もっと深刻な問題は、曽野さんのことば(と、それを含めた週刊誌の一連の報道)が、いまこの国で噴き上がっているヘイトスピーチと同じ本質を持っていることだ。(略)

在日、生活保護受給者、公務員、等々。彼らへの糾弾は、その中の少数の「違反」者を取り出し、まるで全員に問題があるかの如(ごと)く装ってなされる。そこでは、彼らの「特権」(があることになっている)が怨嗟(えんさ)の的となり、やがて、およそ権利というものを主張すること自体が敵視されることになるんだ。


これが今のこの国の光景なのです。在日でも生活保護でも産休でも、そこにはひとりひとりの人間の生活があり人生があり、ひとりひとりの切羽詰まった事情があります。もちろん、ひとりひとりは、それぞれ悲しみやせつなさややりきれなさなどのことばを胸の内に秘めているはずなのです。

私たちに必要なのは、右や左の政治のことばではありません。まずそういった人たちの胸の内にあることばに耳を傾けることです。そんな想像力や感受性をもう一度取り戻すことなのです。
 
高橋氏は、みすからの子育てで体験した、つぎのようなエピソードを書いていました。

 忘れられない光景がある。ぎりぎりまで働いて子どもを迎えに行くので、保育園に着くのは延長保育のリミットあたり。だから、毎日、近くの駅から走った。すると、たいていすぐ近くに、一緒に走っているお母さんがいるのである。2、3分遅れても文句はいわれないだろう。でも走るのだ。汗で化粧がはげ落ち、目にうっすら涙の気配。


こういう現実を知っていれば、曽野綾子氏のような暴論は出てこないはずです。

知り合いのお母さんは、保育園に迎えに行って、「ママっ!」と叫びながら駆け寄ってくる子どもを見ると、せつなくなって思わず子どもを抱きしめてしまうと言ってました。仕事で遅くなると、ひとりでさみしい思いをしているんじゃないかと、そのことばかりが気になって、子どもの顔がチラついてならないと言っていました。こういう母親の気持は、「甘ったれ」ているのでしょうか。「迷惑」なのでしょうか。

何度もくり返しますが、「愛国」の声が大きくなればなるほど、どうして社会は冷たくなっていくのでしょうか。どうして「福島第一原発の汚染水は完全にブロックされている」という嘘八百やヘイトスピーチやこんな暴論がまかり通るようになるのでしょうか。私たちは、その現実をもっと深刻に受け止めるべきではないでしょうか。
2013.09.26 Thu l 社会・時事 l top ▲