先月25日、セゾングループ代表だった堤清二(辻井喬)氏が亡くなりました。

私が西武百貨店を担当するようになったのは、渋谷にロフトができる3年前の1984年からです。1985年には、「西武流通グループ」から「セゾングループ」へと名称を変更するなど、西武が絶頂期にあったイケイケドンドンの頃です。もちろん、名称変更の裏には、グループから「西武」の名前を消したいという堤氏の意向があったのは間違いないでしょう。

のちに、ロフトの3周年記念だったかのパーティが、公園通りにある東武ホテルで行われたことがありました。会費が政治家の政治資金パーティ並みにバカ高かったことを覚えていますが、でも、出入り業者の間で話題になったのは、会費のことではなく、会場が東武ホテルだったということでした。言うまでもなくそれは、異母弟(西武鉄道の堤義明氏)との確執を物語るかっこうのネタだったからです。

また、「堤清二は離婚パーティをおこなった」とか西武百貨店のなかにあるラッピングの店は「愛人がやっている」とかいった噂もありました。堤清二氏には、そういった”奇人変人”のイメージがありましたが、おそらくそれは、辻井喬という詩人のイメージと重なっていたからではないでしょうか。

「セゾングループ」への名称変更をきっかけに、西武は「生活提案型マーケティング」から「生活総合産業」へと脱皮をはかることになります。その頃の考えを堤清二氏は、セゾンの社史編纂をおこなった上野千鶴子氏との対談『ポスト消費社会のゆくえ』(文春新書・2008年)のなかで、つぎのように語っていました(以下、引用はすべて同書)。

辻井 その頃の私の考え方として、消費者として自立することは、社会を構成する人間として自立することにつながる。そういう思想があったことは事実ですね。


いわゆる「自立した消費者であれ」という考え方です。

池袋西武のなかにあった西武美術館(のちのセゾン美術館)で「美術と革命展」が開催されたのが、池袋西武を担当する前の1982年ですが、私はそれを観たときの衝撃を今でも忘れることはできません。池袋西武の担当の女の子に、「あれはすごかったね」と言ったら、「ああ、あれは会長の個人的な趣味でしょ」と言ってました。堤氏は、西武美術館が他の美術館と違ってコンテンポラリーアート(現代美術)にこだわったことについて、「自分は死んでも応接間に飾るような装飾的絵画は手を出さない」という「固い決意のようなもの」があったからだと言ってました。今あらためて聞いても、デパートの経営者のことばとは思えませんが、それがセゾンがセゾンたりえた理由なのだと思います。ちなみに、その前年には、マルセル・デュシャンの回顧展を日本で最初に開催しているのでした。

私は、海外のポスターやポストカードを卸す出入り業者にすぎませんでしたが、渋谷のパルコや池袋の西武百貨店に行くと、とにかく刺激に満ちていて、楽しくてなりませんでした。それは、地方出身の私にとって、都会の(東京の)最先端の消費文化がもたらす刺激でもありました。そして、その消費文化のなかには、美術や文学など感性的なものも多分に含まれていたのです。なにより感性が大事だと言われているような気がしたものです。

上野千鶴子氏は、西武(セゾン)は「低賃金女性労働力の活用策としてすば抜けていた」と皮肉を言ってましたが、たしかに仕事で接する女の子たちは、みんな売り場の担当を任されて生き生きと仕事をしていたように思います。仕事をとおして彼女たちの感性が私たちにもダイレクトに伝わってくるのでした。私はほかのデパートも担当していましたが、それはほかのデパートにはないものでした。そういったところにも、セゾングループのDNAであるベンチャー・スピリッツが生きていたように思います。

でも、私が担当した頃から、既に渋谷の街が変質しはじめていたのです。それは、渋谷の街が体現する東京の消費文化の変質でもありました。堤氏は、つぎのように言ってました。

明らかに八〇年代に入ってから、渋谷の街が汚くなってきた。渋谷センター街にファーストフード店が進出してきて、若者が道端にベタッと座り込んでそこで夜を明かすようになった。
(略)
これは予想外だった。自分がやりたかったことと、まったく違うことが起こっているという感じでしたね。


それは、上野氏が言うように、消費が「横並び消費」から「ステータス消費」という垂直分解に向かう、その兆候だったのです。つまり、「消費が金持ちと貧乏人の二極」に分解していることを示したものでした。いわば、今の格差社会の前兆でもあったのです。

そして、それは同時に、社会的なコミュニケーションモードの変化を促すものであり、百貨店の基盤そのものが消滅することを意味していたのでした。

上野 今日、百貨店が成り立たなくなっている状況は、新聞や総合雑誌の凋落現象と同じ。コミュニケーション媒体それ自体のセグメンテーションが起きていて、偶発性の高いノイズはシャットアウトする。つまり、人は自分が聞きたい情報しか聞かなくなっているのです。この現象はアメリカが先行し、日本が追随しています。そうなると、ますます「万人のための」とか、「総中流社会の」という百貨店の社会的な基盤そのものが、急速に消滅してくると思えます。


堤清二氏は、従来の前近代的な百貨店のシステムを壊して、法人資本主義的な百貨店経営の合理化を図った(上野千鶴子氏)のですが、その百貨店の歴史的な使命の終わりを見届けるなかで氏自身も人生の幕を閉じたと言えるのかもしれません。かつての堤ファン(セゾンファン)のひとりとしては、(月並みな言い方ですが)やはり、ひとつの時代が終わったんだなという感慨を抱かざるをえません。

>> 『セゾン文化は何を夢みた』
>> 『無印ニッポン』
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2013.12.14 Sat l 訃報 l top ▲