老人漂流社会


年の瀬もおしせまりましたが、ご多分にもれず、この時期になると、いつにも増して「人身事故」で電車が停まることが多くなります。一方、安倍晋三首相は、アメリカの警告を無視して、突然、靖国神社に参拝し、カルトな(歴史修正主義的な)ナショナリズムを煽り、海外から「挑発的だ」「周辺国との関係改善に逆行する」と批判を浴びました。このふたつのニュースは、今のこの国を象徴する光景だと言えます。

高橋源一郎氏は、朝日新聞の論壇時評で、この国の政治家が「DVの加害者に酷似しつつある」と書いていましたが、まさに言い得て妙だと思いました。まるで足手まといであるかのように、「弱者」をバッシングし切り捨てる一方で、国を愛せよと「愛国心」を強いる政治家たち。「愛国」の声が大きくなればなるほど冷たくなっていく社会。

今年の1月20日に放送されたNHKスペシャル「終(つい)の住処(すみか)はどこに 老人漂流社会」を書籍化した『老人漂流社会』(主婦と生活社)で紹介されているのは、経済功利主義のもとで「死に場所もなく、さまよい続ける」老人たちの非情な現実です。

この番組のポスターには、つぎのような衝撃的なキャッチフレーズが付けられていました。

歳をとることは罪なのか。

 「迷惑をかけたくない」と高齢者が思い込む原因を作っていたものは、誰もが高齢者になるにもかかわらず、高齢者を排除してきた私たちの社会だ。
 お年寄りを敬いなさい ― かつての日本、私たちが子どものころは、そう教えていたはずだった。しかし、競争社会の激化が価値観を変えてしまったのだろうか。いつの間にか、お年寄りを”ノロマの役立たず” ― そんな目で見下すようになってしまったような気がする。誰もが歳を重ね、いつかは高齢者の仲間入りをするにもかかわらず、現役世代の私たちは、どこかで線を引き、壁を作ってしまったのではなかろうか。


 歳をとることが罪だとお年寄りたちが感じてしまう今の日本。超高齢社会を迎え、これから成熟期に入らなければならないときに、その多くを占める高齢者が主役になれない。たとえ脇役だとしても、前を見ることをどこか恥じ入り、目を伏せて生きていかなければいけないという社会 ― やはりそれはおかしいだろう。


番組では、高齢になり身体の自由がきかなくなったひとり暮らしの老人が、「病院から病院、そして短期滞在の介護施設(ショートステイ)へと、居場所を転々とせざるを得ない」現実が、丹念な取材のもとに描かれていました。これが「老人漂流社会」と言われるこの国の現実なのです。

背景にあるのは、「高齢化」と「単身化」と「貧困化」の超高齢社会の現実です。

2012年団塊の世代が65歳に達し、65歳以上の高齢者人口が3000万人を超えました。そして、2040年まで高齢人口は増えつづけ、ピーク時には3800万人になると推計されているそうです。

また、高齢者の「単身化」も同時に進行しています。生涯独身や離婚等で、高齢者の単身世帯は急激に増えており、既に2012年の時点で500万所帯を超えているそうです。さらに、「単身高齢者世帯」の予備軍とも言うべき高齢者同士で暮らす世帯も、1000万所帯を超えているのだとか。このように、「家族がいることを前提にした社会保障制度は、もはや機能不全を起こしている」のが現実なのです。

一方、「貧困化」も深刻な問題です。2012年現在、月に6万6000円(満額)の国民年金だけで生活している人は、800万人程度いるそうです。なかでも単身世帯の場合、年間200万円未満の公的年金受給者は、全体の79.5%(2011年厚生労働省統計)で、さらに年間100万円未満(月に8万3000円以下)の人は41.8%にものぼるそうです。

そんな生活のなかで、病気をして身体の自由がきかなくなり、病院や施設の間を行ったり来たりして預貯金を使い果たせば、あとは生活保護に頼らざるを得ません。今の生活保護受給者215万人の背景には、このような「貧困化」する高齢者の問題が伏在しているのです。

みずほ情報総研・主任研究員の藤森克彦氏は、「日本は主要先進国のなかでも高齢者の貧困率が高い」と指摘しているそうです。なかでも単身世帯の貧困率が高く、高齢男性の貧困率は38.3%、女性は52.3%にのぼっているそうです。

「一般的に『日本の高齢者は豊かだ』と言われますが、それは幻想です。数字を見ると、はっきりわかる。なかでも単身の高齢者や、未婚者・離婚者の貧困率が高い。今後、単身化や未婚化という傾向は一段と高まっていくことが予想されていて、より高齢者の貧困率が高まっていくことが懸念されます」と警鐘を鳴らす藤森氏。

年金受給額が年100万円未満の人の場合、身体の自由がきかなくなったら、現実的には(費用の面で)入ることができる施設は、特養(特別養護老人ホーム)しかありません。でも、特養は圧倒的に数が不足しており、入所待ちが2年とか3年の場合が多い。そのために、療養病床の病院や老健施設や介護施設のショートステイを出たり入ったりするしかないのです。そうするうちに預貯金も財産もなくなり、より「貧困化」に拍車がかかるのです。

そして、そんな低収入の老人が行き着く先のひとつに、「無料低額宿泊所」や「簡易宿泊所」があります。私も若い頃、ボランティアで通っていたことがありますが、いづれももともとはホームレスの人たち向けに作られた「宿泊所」です。

家庭の事情で父親の面倒を見ることができない娘が、自治体の福祉課に相談に行ったら、担当者からこう言われて、ショックを受けたそうです。

「子どもが親の面倒をみられないというなら、生き先を見つけるのは簡単じゃないですよ。収入も限られているようですし、ホームレスの人たちが入るような施設に行ってもらうしかないですね」


これが、知能程度だけは「庶民的」なおぼっちゃま総理大臣が「国を愛する」ことを強いる国の現実です。

私たちにとって、『老人漂流社会』に登場する老人たちは、決して他人事ではありません。彼らは、明日の自分の姿でもあります。私たちは、ともすれば自分の老後のことは見ないように考えないようにする傾向がありますが、それは、老後が見たくない、考えたくない、嫌なことであり、不安なことだからです。

でも、「高齢化」「単身化」「貧困化」は、自分自身の問題なのです。「国を愛する」ということは、この国の総理大臣のように、株価の上昇に国の価値を求め、カルトでヘイト(民族排外主義的)なナショナリズムの妄想にとりつかれて近隣諸国を挑発することなのか。生きることに絶望して電車に飛び込む人たちや、「漂流」の果てに誰に看取られることなくひとりさみしく死を迎える老人たちのことを考えるとき、「国を愛する」というのはどういうことなのかをあらためて考えざるを得ません。

5年前に夫を亡くした40代の女性が、取材班に寄せたつぎのような声も、なんの不自由もなく育ったおぼっちゃま総理大臣には、所詮馬の耳に念仏なのかもしれませんが、でも私は、こんな女性のような思いのなかにこそ「国を愛する」ことの意味があるように思えてならないのです。

 夫の死後、ダブルワークをしながら、娘と必死で生きてきました。番組の内容は、私の将来を見ているようで暗澹たる気持になりました。ああした結果になるのは、自己責任なのでしょうか・・・。
 ほとんどの人は、幸せになりたくて真面目に生きています。そのなかで、ふとしたきっかけで落ちてしまったら、今の日本の社会は這い上がるのが厳しい気がいたします。同じ時代に生きている仲間なのですから、助け合って、息のしやすい社会になってくれたらと思います。ひとりでも多くの人が仲間を思い、手を差し伸べてくださる社会になりますように・・・。


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2013.12.29 Sun l 本・文芸 l top ▲