101年目の孤独


高橋源一郎のルポルタージュ『101年目の孤独』(岩波書店)を読みました。「弱者」と呼ばれる、さまざまなハンディを背負って生きている人たちのもとを訪ね、作家のナイーブな感性で、彼らとの出会いを語り、そして、彼らの存在に光を当てる、そのことばはとても静謐でやさしさに満ちているのでした。それは、かつて失語症を経験した著者らしいことばだと思いました。

 ダウン症の子どもたちのアトリエ、クラスも試験も宿題もない学校、身体障害者ばかりの劇団。それから、重度の障害者を育ててきた親たちが、そんな彼らのために国や県を動かして作った施設、あるいは、平均年齢が六十歳を超える過疎の島で原発建設に反対する人たち、認知症の老人たちと共に暮らし最期まで看取ろうとしている人たち。あるいはまた、夜になると公園や駅の近くを歩き回り、病気のホームレスたちを探し、施設に入れ、あるいは彼の行く末を考えている人たち。
 ひとつの単語にすれば「弱者」ということになってしまうだろう、彼らのいる場所を訪ねるようになった理由の一つに、好奇心があることは否定しない。
 けれど、もっと大きな理由は、別にある。いや、大きな理由が他にあったことに、わたしは、途中で気づいた。それは、その「弱者」といわれる人たちの世界が、わたしがもっとも大切にしてきた、「文学」あるいは「小説」と呼ばれる世界に、ひどく似ていることだ。


著者は、「彼らがわたしたちを必要としているのではない。わたしたちが彼らを必要としているのではないか」と言います。そして、つぎのようにつづけるのでした。

 彼ら「弱者」と呼ばれる人びとは、静かに、彼らを包む世界に耳をかたむけながら生きている。彼らには、決められたスケジュールはない。彼らは、弱いので、ゆっくりとしか生きられない。ゆっくりと生きていると、目に入ってくるものがある。耳から聞こえてくるものがある。それらはすべて、わたしたち、「ふつう」の人たちが、見えなくなっているもの、聞こえなくなっているものだ。また、彼らは、自然に抵抗しない。まるで、彼ら自身が自然の一部のようになる。わたしたちは、そんな彼らを見て、疲れて座っているのだ、とか、病気で何も感じることができなくなって寝ているのだ、という。そうではないのだ。彼らこそ、「生きている」のである。
 「文学」や「小説」もまた、目を凝らし、耳を澄まさなければ、ほんとうは、そこで何が起こっているのか、わからない世界なのだ。


次男が急性脳炎で国立成育医療センターに運ばれ、2か月の間、同センターに通っているうちに、著者は、同じように重い病にかかって入院している子どものもとに通ってくる母親たちの表情がとても明るいことに気づいたのでした。それで、著者は、3つの難病を抱え、もう何年も自宅に帰ってない6歳の子どもをもつ母親に、どうしてそんなに明るくなれるのか、病気の子どもの傍にいることは苦痛ではないのか、訊ねたのでした。すると、母親はこう答えたそうです。「だって、可愛いんですもの」

この当たり前のことば。この母親のことばは、なんと私たちの胸に響いてくるでしょう。人間や世の中というのは、私たちが考える以上に簡潔で素朴なものではないでしょうか。だからこそ、そこから生まれることばは私たちの胸に響くのではないか。

著者は、イギリスにあるマーチン・ハウスという「子どもホスピス」をNHKのスタッフとともに訪ねます。そこで出会ったベアトリスという4歳の女の子。彼女のその深いブルーの瞳によって射抜くように見つめられているのを感じながら、こう思うのでした。

(略)いままで味わったことのない感情が、わたしのなかで動いていた。
 それは、マーチン・ハウスの中を歩きながら、その中で、人びとと話しながら、感じたものでもあった。いや、次男が、医者から宣告を受け、そして、いろんな場所を訪ねるようになってから、いつも、少しずつ感じていたものでもあった。
 わたしは、まだ、それをうまく説明することができない。すぐにことばにすることができない。でも、それは、「ある」のだ。
 それは、わたしが、小説とか、文学というものを書いている時、感じるなにかでもあるような気がした。


ベアトリスは、父親のアンドリューに「わたし、死ぬの?」と訊ねたそうです。「子どもホスピス」の子どもたちは、よくその質問をするそうです。しかし、それはみんな一度だけです。その理由を訊いたら、スタッフはこう答えたそうです。「知りたいことは一度でわかるのです。そして、それ以上、訊ねることが親を苦しめることを、よく知っているからです」と。

マーチン・ハウスのチャプレン(聖職者)は、「ここは悲しみの場所ではない」と言います。それは、悲しみだけの場所ではないという意味なのでしょう。死は悲しみだけではないのです。著者もつぎのように書いていました。

(略)こんなにも夥しい死に囲まれているのに、ここは,なんと清冽で、なんと明るい場所なのだろうか。ここで、人びとは、たくさんの話をする。それも、ゆっくりと、それから、同時に、たくさんの沈黙を味わう。そして、静かに、また考える。ここでしか感じることができない時間が流れている。


私は、以前、東京郊外のキリスト教系の病院のホスピス病棟を訪ねたことがありました。その病棟は、木々に囲まれ、チャペルの横にありました。長い廊下を歩いていくと、ほかの病棟とは違った静かでゆったりとした時間が流れているような気がしました。

ちょうどひとりの患者さんが息をひきとったところでした。家族も病棟のスタッフたちも、とても落ち着いてそのときを受けとめている感じでした。

ふと見ると、隣の病室では、年老いた男性の患者がベットの端に腰かけて朝刊を広げていました。音声が消された枕元のテレビでは、ミニスカートの女性キャスターが口をパクパクさせて今日の天気を伝えていました。また、廊下の向こうでは、清掃スタッフのおばさんがゴミ袋を手に、リネン室や看護師の詰所のゴミを回収していました。モップを手にした別のおばさんもいました。

死を前にしても、そうやっていつもの朝が来ていつもと変わらない一日がはじまる。その光景を目にした私は、感動すら覚えたのでした。深い悲しみのなかにある家族にとって、いつもの日常がすぐそばにあるというだけで、どんなに救いになるでしょう。死は特別なものではないのです。むしろ当たり前のこととして私たちの前にあるのです。

愚劣な政治とそれに随伴する愚劣な文学。その背後で進軍ラッパのように鳴らされる「永遠のゼロ」のような動員のことば。そこにあるのは、国家の名のもとに、死を特別なものに祭り上げる政治の(偽善の)ことばです。

著者は、重症心身障害児の通所施設で、重症心身障害をもって生まれた赤ん坊を抱かせてもらったときのことをこう書いていました。腕のなかの赤ん坊は、たじろぐほど強い視線で自分を見つめていたと言うのです。

 わたしが生涯を捧げようとしている「文学」というものが何に似ているか、と訊ねられたら、わたしは、あの時、抱いていた赤ん坊のことを思い出すのである。


私たちが求めることばは、このような文学のことばです。どこまでもナイーブでどこまでも静謐でどこまでもやさしいことば。当たり前とかいつもの日常というものがかけがえのないものであることを、教えてくれるようなことばです。そんな私たちの胸深くに降りてくることばなのです。
2014.01.05 Sun l 本・文芸 l top ▲