木嶋佳苗被告のブログは、その後も昨日今日とたてつづけて更新し、快調に飛ばしています。

今日は、「名器発言のこと」と題して、一審で話題になった”セックス自慢”について書いていました。私は、彼女の”セックス自慢”は自己韜晦ではないかとこのブログで書いたのですが、彼女に言わせれば、私のような見方も、「裁判のごく一部を面白おかしく報道するマスコミの話を鵜呑みにした」もので、それは彼女を「悪女」だと「推認」する検察の筋立てに沿った見方にすぎないということになるのです。

それにしても、彼女は、パトロンの男たちに「名器」だと褒められたことに(それがウソではないということに)、どうしてこんなにこだわるのでしょうか。私も、北原みのり氏が書いているように、自分は「特別な女」だという強い自意識(自己愛)がそうさせているようにしか思えないのです。どう考えても、「セックスの話をすることで、彼女が裁判で得たものは何もない」(北原氏)のです。たしかに、「悪女」「毒婦」というイメージ(「推認」)が犯罪に結び付けられているのは事実ですので、私は「悪女」なんかではない、男から「褒められる」女だ、だから男たちが惜しげもなくお金を使ったのだ、と言いたいのかもしれませんが、しかし、それは彼女自身が地団太を踏むように、逆に彼女の”特異性”を際立たせる結果にしかならなかったように思います。

木嶋佳苗被告は、北原みのり氏の傍聴記にえらいオカンムリのようで、名誉毀損で訴えるとか言ってますが、北原氏のような見方は彼女の強い自意識にはとうてい許容できないものなのかもしれません。

とは言え、物的証拠がなにもないなかでの死刑判決は、彼女がブログで訴えているとおりきわめて予断に満ちたものでしかありません。冤罪の背景に、「有罪率99.9%」というこの国の刑事裁判の異常性があるというのも、そのとおりでしょう。

一方、彼女のブログは、なぜかコメントを受付けているのですが、案の定、コメント欄はおバカな書き込みであふれていました。マスコミが「悪女」「毒婦」と言うから「悪女「毒婦」だろう。裁判所で死刑判決が出たから「殺人者」「極悪人」だろうというような、脊髄反射のオンパレードです。

それは、Yahoo!ニュースなどのコメント欄とまったく同じで、「水は低いほうに流れる」ネットで、どうしてコメントを受付けるのか、私には理解に苦しみます。まさかあの「ウェブ2.0」(今になれば恥ずかしいことばですが)の幻想が未だに生きているわけではないでしょうが、罵詈罵倒のコメントにいったいどんな意味があるんだと思います。

ただ、彼女のときに牽強付会とも思えるような堂々とした主張や文章のうまさと対比すると、コメント欄のおバカ度がよけい際立つのも事実で、もしかしたらそういう効果を狙ったんじゃないかとうがった見方さえしてしまいました。

これから”とりまき”との間でもひと波乱もふた波乱もありそうな予感がしますが、いづれにしても当分彼女のブログからは目が離せそうもありません。皮肉でもなんでもなく、いろんな意味で「すごい人」だとあらためて思いました。
2014.03.05 Wed l 社会・メディア l top ▲