例のSTAP細胞をめぐる騒ぎを見るにつけ、やりきれない気持にならざるをえません。

理化学研究所の小保方晴子さんに対する報道は、単なる批判の域を超えてもはや人格攻撃の様相すら呈しています。

もちろん、この騒ぎの背景には、若い女性の研究者にスポットライトが当たったことへのやっかみもあるのでしょうが、それにしても、昨日まで彼女を持ち上げ、リケジョ(理系女子)フィーバーを巻き起こしていたマスコミのこの手のひら返しには、いつものことながら唖然とせざるをえません。

私の身近にも、小保方さんと同じように研究者の道を歩みはじめたリケジョがいますので、小保方さんの問題は他人事とは思えません。西川史子がバラエティ番組で、「小保方さんの問題を佐村河内守氏の問題と同じようなレベルで扱うマスコミの報道にはとても違和感を持ちますね」と言ってましたが、私はその発言に、西川史子の科学者としての矜持と見識を見た気がしました。

ガリレオ・ガリレイの例をあげるまでもなく、あらたな発見を求め、真実を追求するためには、ときにタブーや常識を破らなければならないのは当然です。それがあらたな発見が「革命」と呼ばれるゆえんです。そういった科学的姿勢に対して、徒にタブーや常識を振りかざし、ミスをあげつらい、挙句の果てには人格攻撃まで加えて批判し、ひとりの若い研究者の将来を潰すようなマスコミの報道には、西川史子ではないですが、やはり違和感を抱かざるをえません。

たしかに、認識不足による不適切な面はあり、反省すべき点も多いと思いますし、若者の”コピペ文化”がついにここまできたかという暗澹たる思いもありますが、しかし、理研の「中間報告」が言うように、意図的な研究の不正はなかったというのが真相ではないでしょうか。仮にSTAP細胞が存在しなかったとしても、その真実を追求する姿勢に間違いはなかったはずです。

ましてネット住人たちが、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い式の罵詈雑言で、科学という知性に攻撃を加えている光景には、なんだかおぞましささえ覚えてなりません。そこにあるのは、反知性主義という「水は低いほうに流れる」全体主義的な風潮です。

以前、コンビニの前でウンコ座りしている中学生と、それを尻目に塾に通っている中学生が、10年後に差が付くのは当然だろうと書いたことがありましたが、ネットの”小保方さん叩き”は、コンビの前でウンコ座りしていた中学生が、塾に通っていた中学生に、ここぞとばかりに悪罵を浴びせているようにしか見えないのです。そのうち小保方さんも「在日」認定されるのかもしれません。

小保方さんには、めげるな!がんばれ!研究者の道を捨てるな!と言いたいですね。
2014.03.15 Sat l 社会・時事 l top ▲