20日、首都圏では相鉄(相模鉄道)と関東バスが賃上げや待遇改善などをめぐってストライキをおこないました。交通機関のストライキなんてホントにめずらしく、相鉄は5年ぶり、関東バスは10年ぶりだそうです。

70年代までは、旧国鉄をはじめ、交通ストは春の風物詩のように普通にありました。スト以外にも、旧動労は、「順法闘争」と称して、必要以上に安全確認をするノロノロ運転をゲリラ的におこなっていましたので、電車が遅れたり運休になるのはしょっちゅうでした。

しかし、今や交通ストなんて春の珍事のようになりました。特に、国鉄の分割民営化や連合の誕生により、労働組合にとって当然の権利であるストライキも、まるで犯してはならないタブーのようになってしまったのです。文字通り「伝家の宝刀」が、さびついて役に立たない「宝の持ち腐れ」になってしまったのです。

そして、今回のスト。私などは「今どきストをするような根性のある組合があったんだ?」とびっくりしたほどです。ところが、朝日新聞や相鉄の地元である神奈川新聞は、つぎのような記事を書いたのでした。

首都圏で交通スト 「料金返せ」「放送ぐらいしろ」
朝日新聞デジタル 3月20日(木)11時55分配信

相鉄のスト、「普通の企業では迷惑掛けられない」厳しい声も/神奈川
カナロコ by 神奈川新聞 3月21日(金)5時30分配信

私は、未だにこんな記事を書いているのかと二重にびっくりすると同時に呆れました。この”スト迷惑論”は、ストが頻発していた60年代~70年代のマスコミの常套句でしたが、まるで当時の常套句をそのままなぞったような記事です。土用丑の日の「うなぎ屋さんは大忙し」「うなぎ屋さん、汗だく」や、年末の「蕎麦屋さん、年越しそばで大忙し」「蕎麦屋さん、てんてこ舞い」といった毎年恒例の時節ネタの記事と同じような、ただ常套句を並べただけの記事にすぎません。

記者たちはなにを取材したのでしょうか。こんな記事ならサルだって書ける。少なくとも、欧米のマスコミでは、こんなコピペのような記事を書く記者は無能扱いされるでしょう。こんな誰でも書けるような記事を書く人をジャーナリストとは言わないのです。

これはストの記事に限った話ではありません。「目から鱗が落ちる」とか「腑に落ちる」という言い方がありますが、そういった目から鱗が落ちたり腑に落ちたりするような、私たちが知らない情報を伝え、私たちが知らない視点から記事を書くのが、ジャーナリストの役目ではないでしょうか。

記者は取材が命と言いながら、なにを取材したのかわからないような常套句の(コピペの)記事があまりにも多すぎるのです。会社に入ったら、先輩の記者から記事の書き方を指導されるそうですが、そうやって新人記者は常套句(コピペ)の書き方をたたきこまれているのかもしれません。

日本の新聞は、欧米の新聞と違って、みごとなほど文体が統一されていますが、外国のジャーナリストから見たら日本の新聞は奇妙に見えるのではないでしょうか。戦前の文学青年たちは、「小説の神様」と言われた志賀直哉の文章を模写することが文章修行だったそうですが、ある文芸評論家は、文学青年たちは志賀の文体を模写することをとおして、日本の近代文学を貫く「文学的なるもの」という観念も模写していたのだと言ってました。そうやって文学という「制度」が保守されていたのです。それは新聞記者も同じでしょう。
2014.03.21 Fri l ネット・メディア l top ▲