介護の仕事が具体的にどんなものか、身近に介護を受けている家族でもいない限り、私たちは、知っているようで案外知らないのが現実です。

先日、ある関係で、実際に介護の仕事を見学する機会がありました。しかも、行ったのは、寝たきりのお年寄りの下の始末をする現場でした。見学に際して、私にはひとつ心配がありました。それは、臭いに人一倍弱いということです。ご家族の手前、失礼な態度はとれません。それで、了解をもらって、事前に両方の鼻にティッシュを詰め、マスクをしてことに臨むことにしたのでした。

担当のヘルパーの方は、30代前半の男性でした。見るからに人が好さそうで、口数は少なく腰の低い青年でした。

驚くことに、彼はマスクをしないで、お年寄りの臀部に顔を近づけて、「お尻をちょっとあげますよ。いいですか」「今度はお尻を拭きますね」「少し冷たいかもしれませんが、我慢してくださいね」とやさしくことばをかけながら、手際よく、そして丁寧にオムツを交換するのでした。

私は心のなかで「すごいな」と呟きながらその様子を見ていました。自分にできるか言われたら、とても無理です。ホントに頭が下がるような仕事ぶりでした。

でも、聞けば彼らの給与は手取りで20万にも届かないのだそうです。そんなに献身的に仕事をしても、大卒の初任給にも満たないのです。そのために、介護職は慢性的な人出不足で、ハローワークによる失業対策事業のような扱いにもなっており、派遣切りに遭った若者が、ハローワークの担当者に勧められて、ヘルパーの資格を取るケースも多いそうです。しかし、実際にヘルパーとして仕事をつづける人は、ホンのわずかだということでした。

酒井法子が覚せい剤取締法違反で逮捕されたとき、「介護の仕事につきたい」と言って話題になりましたが、実際に介護の仕事を見ると、あのときの酒井法子の安易な発言にあらためて怒りを覚えざるをえませんでした。

介護の仕事に対して、私たちは「大変ですね」と言いながら、一方で自分たちと彼らを線引きする巧妙な心の操作がはたらいていることは否めません。自分たちは介護を受けることはあっても、介護をする立場になることはない、異臭が漂うなかでオムツを交換するようなことはゆめゆめあるまいとタカをくくっているのではないでしょうか。でも、急激に進むこの高齢化社会のなかにあって、介護の問題は決して他人事ではないのです。

厚生労働省の資料によれば、2012年4月現在、要介護の認定者数は533万人だそうです。これが、(介護費用の試算によれば)2025年には1.5倍になると言われています。高橋源一郎は、先月の朝日新聞の論壇時評で、単身で老いていく人たちの生き方について書いていましたが(「ひとりで生きる 新しい幸福の形はあるか」)、そのなかでも、10年後に認知症の患者とその予備軍が1千万人を超える現実を指摘していました。しかも、既に現在、夫婦二人世帯より単身世帯のほうが多く、2030年には「中高年男性の4人に1人が一人暮らし」になると言われているそうです。かく言う私もそのひとりです。私たちの多くはやがて介護の世話にならなければならないのです。

介護の仕事は、仕事のわりには社会的評価が低いように思えてなりません。家族で介護をする大変さ過酷さはもちろんですが、介護の仕事をする大変さ過酷さも、私たちは知る必要があるではないでしょうか。介護の仕事はボランティアではないのです。報酬の面も含めて、もっと社会的に評価されて然るべきではないか。汚れたオムツを黙々と片付けているヘルパーの青年の後姿を見ながら、私はしみじみそう思いました。
2014.04.18 Fri l 社会・時事 l top ▲