前回の記事(「自演乙」する人たち)のつづきになりますが、ワールドカップ日本代表の戦いが終わりました。予想どおり、弁解の余地がないほどの惨敗でした。

私は、サッカーの経験はありませんし、代表戦しか興味がない典型的な俄かサッカーファンですが、しかし、そんな私から見ても、98年のフランス大会以降、日本のサッカーがほとんど進歩してないことがよくわかります。それどころか、むしろ後退しているように見えることさえあります。

「Jリーグがはじまってまだ20年しか経ってないから」という声をよく耳にしますが、しかし、この20年日本のサッカーはどれほど進歩したというのでしょうか。ドーハの悲劇のあと、日本はワールドカップに出場することが目標でした。だからグループリーグで1勝もできなくても、「健闘を称える」ことができたのです。でも、それ以後もメディアやサポーターは、バカのひとつ覚えのように「健闘を称える」ばかりなのです。

フットボールチャンネル」編集長の植田路生氏は、コロンビア戦の前日の昨日、同サイトのコラムで、「今のサッカーメディアの多くは単なる広報媒体に成り下がり、メディアとしての責任を果たしているとは言えない」と“自己批判”する記事を書いていましたが、日本のサッカーの停滞あるいは後退の原因に、ネトウヨまがいのお粗末なサポーターの存在とともに、お寒いサッカーメディアの現状があることはたしかでしょう。

フットボールチャンネル 6月24日(火)15時47分配信
【W杯】日本代表の停滞を招いたサッカー媒体の堕落。1敗1分は“メディアの敗北”である

 ある媒体には「日本代表をポジティブに見るべき」という主旨の記事が掲載された。確かに一理ある。勝利のために選手・監督・協会・サポーターが一丸となって戦うことは必須条件だ。だがそこにメディアが入ってはいけない。


 臭いものには蓋とばかりにネガティブな部分を論証せず、4年間、ひたすらザックジャパンをタレントのように持ち上げてきた結果がW杯での1分1敗だ。ポジティブに、建設的に見る一方で、メディアであるなら冷静に客観的な姿勢を忘れてはならない。


今はWEBが普及し、多くの人に記事が読まれる時代だ。情熱を持った記者の原稿は、あふれるばかりの“垂れ流し記事”に埋もれることも多い。ある意味、数の暴力。第二の一億総白痴化は近付いている。


今さらという感がなきにしもあらずですが、とりあえずこの記事は、「フットボールチャンネル」が真っ当なサッカーメディアに生まれ変わる”脱広報宣言”なのだと解釈したいと思いました。今、望まれるのは、(ネットに巣食うイタいサッカーファンではない)ホンモノのサッカーファンに向けた”批評”のメディアなのです。

今日のコロンビア戦に際しても、メディアは「運命の一戦」「最後まで希望を持ち続けよう」「希望を捨ててはならない」などと煽りまくっていました。でも、日本代表が置かれている状況は、どう考えても「運命の一戦」などと言えるようなものではないし、「希望」など持ちようがないものでした。私のような不真面目な俄かサッカーファンは、「なんで?」「奇跡なんておきるわけないのに」とシラけるばかりでした。

もちろん、サポーターも同じです。普段からスタジアムに足を運んでいるような筋金入りのサポーターは、自分たちを「サッカーファミリー」の一員であるかのように錯覚して、ものごとを客観的に見る目を失っているのではないか。彼らは、まるで評論家のように日本のサッカーに対して一家言をもっていますが、しかし、植田氏が言うように、一億総評論家は一億総白痴化の謂いでもあるのです。もしかしたら、日本のサッカーについていちばんわかってないのは、サポーター自身かもしれません。彼らもまた「煽られる人たち」なのです。

もっとも、このメディアとサポーターのテイタラクは、サッカーに限った話ではありません。安部政権が目論む「戦争ができる国作り」も然りです。高村薫ではないですが、借金が1千兆円もある国が戦争などできるのか、海岸線に49基の原発がむき出しで稼動しているような国に、国を守ることなどできるのか、というのが真っ当な感覚でしょう。もとより、集団的自衛権の行使も「国民の命と暮らしを守るため」なんかではなく、TPPと同じアメリカ様のためなのです。でも、ホントのことを言うと、サッカーの杉山茂樹氏と同じように、「反日」だと罵倒され「在日」認定されるのです。

一億総白痴化は、サッカーも政治も同じです。
2014.06.25 Wed l 社会・時事 l top ▲