芸能人はなぜ干されるのか?


『芸能人はなぜ干されるのか?』(星野陽平著・鹿砦社)を読みました。書名は軽いですが、本自体は脱稿まで5年を要したという労作です。ただ、多くは直接取材したものではなく、過去の記事や関連する文献を当たって、それをまとめたものです。そのため、本書で引用されている『噂の真相』や竹中労や沖浦和光氏の本を読んできた人間には、今さらの感はぬぐえません。それに、資料のせいなのか、本書で紹介されている芸能人の事例が古いものが多く、私にはやや興ざめでした。

著者は、こう書きます。

 芸能資本の力の源泉は有名タレントを所有することにある。だが、タレントは「モノを言う商品」であり、放っておけば芸能資本の手から離れてしまう。それを防ぐために必要なのは、①「暴力による拘束」、②「市場の独占」、③「シンジケートの組成」の三つである。これは古今東西を問わず、同じ構造だ。


今の芸能界がバーニングと吉本興業とジャニーズ事務所に「支配」されているというのは、衆目の一致するところでしょう。それを可能にしているのが、音事協(日本音楽事業者協会)という「シンジケート」による「市場の独占」です。その結果、芸能プロダクションがテレビ番組の制作にまで関わり、「番組が局ではなく、芸能プロダクションを中心に動いている」ような状況まで招来しているのです。

芸能プロダクションというビジネスモデルは、日本と韓国の芸能界にしか存在しないと言われているそうです。もっとも、韓国の芸能プロダクショにしても、最大手のSMエンターテインメント(1995年法人登記)が「芸能ビジネスの手本とした」のは、2010年までSM社の主要株主でもあった日本のエイベックスだそうです。

韓国の芸能界については、東方神起の分裂騒動やKARAの引退騒動、あるいは性的接待による自殺事件など、スキャンダラスなニュースが日本でも話題になりましたが、「韓国芸能界の醜悪さは、日本の芸能界の映し鏡でもある」と著者は書いていました。「日本のマスコミは韓国の芸能界について語る時、その後進性を指摘することがある。だが、韓国に芸能ビジネスを教えたのは日本」なのです。

一方、アメリカの芸能界は、日本や韓国と違って、「タレント本人がエージェントやマネージャー、パブリシスト、アシスタント、弁護士などをそれぞれ雇うことになっている」そうです。しかも、エージェントは、反トラスト法(アメリカ版独占禁止法)やタレント・エージェンシー法という独自の法律によって、その活動がきびしく規制され、タレントの権利が手厚く保護されているのです。もちろん、そういったタレントを保護する体制ができた背景には、タレント(俳優)たちの組合による闘いの歴史があったからにほかなりません。

著者は、「芸能プロダクションにとってタレントは『所有物』だが、エージェントにとってのタレントは『お客様』である」と書いていましたが、それが日本の芸能界とアメリカの芸能界の根本的な違いなのでしょう。そして、その違いのなかに、ある日突然、芸能人がメディアから消える現象(芸能人はなぜ干されるのか?)の解答が示されているのだと思います。

 芸能プロダクションの経営は、タレントを独占的に抱え込むことによって成り立っている。タレントが自分の意志で勝手に移籍や独立をすることは絶対に許されない。そのために、タレントの引き抜き禁止、独立阻止の協定を結ぶ音事協という談合組織が設立された。


竹中労は、音事協の統一契約書について、「タレントはすべての自由を奪われ、義務だけを負わされる」「まことに恐るべき”奴隷契約”」だと批判していたそうですが、まさにそこにあるのはタレントは「商品」「所有物」という思想なのです。

このような日本の芸能界の”前近代性”は、日本の芸能文化の”特殊性”に根ざしているという見方もできるのかもしれません。それは、言うまでもなく、本書でも一章が割かれていた「芸能と差別」の問題です。

芸能者(人)は、律令制の身分制度のなかでは最下層の「巫(ふ)」に属する賤民とされていたそうです。そして、中世から、芸能は「神社や寺院や仏像の建立、修繕のための資金を募って信仰の道を説く『勧進興行』として発達した」のです。

安土桃山時代以降、寺社勢力が衰えていったのに伴い、芸能者は寺社を離れて、信仰とは関係のない娯楽としての興行をはじめたのでした。その際、興行する場所として選ばれたのが、広いスペースのある河原でした。しかし、河原は昔から死者の埋葬地に使われ「穢れ(ケガレ」の場所と考えれていました。そのため、芸能者も不浄の民とされ「河原乞食」として蔑まれてきたのです。

それは近代に入っても然りで、”芸能の街”と言われた東京の浅草や大阪の千日前が、かつて近くに刑場や火葬場や墓場があった「悪所」だったのは偶然ではないのです。

「普通のお嬢さまにはできない」芸能界のお仕事。そんなやくざなお仕事にテレビ局や芸能評論家と称する人間たちが寄生し、裏で支えているのです。著者はこれを「癒着」と書いていましたが、私には「共犯」のようにしか見えません。

90年代前半、WANDS、ZARD(坂井泉水)、DEEN、B'Z、大黒魔希、T‐BOLANといったアーチストをつぎつぎと送り出し、まさに時代をけん引するヒットメーカーだったビーイングの長戸大幸も、ある日突然、耳の病気を理由に芸能界から引退したのですが、実際はその背後に、音楽利権をめぐる暗躍があったのだそうです。

従来の芸能界の音楽利権のシステムに反旗を翻し目障りな存在であった長戸大幸は、坂井泉水のあとに交際したタレントとのトラブルを口実に「潰された」のだとか。これなども「怖い、怖い、芸能界」を物語るエピソードと言えるでしょう。

大半の人たちは、芸能記事に書かれていることを真に受け、記事の芸能人に、失望したり憤ったり、あるいは逆に感動して涙したり応援する気持になったりするのでしょう。しかし、話はそんな単純なものではないのです。記事の裏には、芸能界を「支配」する者たちの思惑やカラクリだけでなく、さらにそれに対抗する(「告発」する)者たちの思惑やカラクリも複雑に絡んでいる場合があるのです。たかが芸能界と言うなかれ。芸能記事を眉に唾して読むことも、大事なメディア・リテラシーと言えるのではないでしょうか。

関連記事:
「官邸にキタノ」
中村勘三郎さんの葬儀
酒井法子復帰と芸能界
テレビ局のカマトト
水道橋博士
魔性
2014.07.20 Sun l 芸能 l top ▲