昨日、逮捕されたネトウヨも例外ではありませんでしたが、ネットウヨは意外にも若者より中高年に多いというのが今や定説になっているようです。ブロガーの山本一郎氏は、湯浅誠氏との対談で、つぎのようなデータを紹介していました。

 やまもと:ネトウヨの恐ろしいところは、卒業を知らないことですよ。普通、自分のしていることのバカバカしさに途中で気付くでしょう。 
 湯浅:平均年齢はどれくらいですか?
 やまもと:一昨年に、調査会社さんの協力が得られたので一週間統計を取ったことがあります。「日本文化チャンネル桜」という右翼系のすてきな動画サイトの調査をする機会があって、興味があったのでGoogleのサービスやパネル調査で分析したら、42歳から46歳にでっかいボリュームゾーンがありました。
 もう一つのもう少し小さいボリュームゾーンは、18、19歳から20代前半ぐらい。80歳以上にもなってかじりついている根っからの民族主義者もいましたね。そのときは太平洋戦争に関する動画を流していた日も含まれていたためか、偏りはあったのかもしれませんが、全年代にそういう民族主義者という層はいます。
 民族主義的価値観の人たちは各年代層に1%から2%前後くらいのものですが、ウェブで発言するので存在が目立つ。ただタコツボなので、なかなか横には広がらないという傾向がありますね。

東洋経済オンライン
ネトウヨは、卒業することを知らない


また、「嫌中憎韓本」に関する書店員や編集者など出版関係者のシンポジウムでも、つぎのような指摘がありました。

《購入する客層や特徴は?》
・曾野綾子の読者層(60代後半以降)とほぼ一致する。(店長)
・圧倒的に50歳前後の〈日本の中核〉を担っているような男性サラリーマン。(雑誌・ムック担当)
・(最近は)中高年の女性も多い。普段は書店にこないのか、大抵が広告記事を片手に書名で問い合わせの目的買い。(社会科学書担当)

週刊金曜日ニュース
「ヘイトスピーチを煽動する本」を売ることの責任――出版関係者がシンポジウムを開催


「『愛国』という言葉を他の民族を排除し貶める意味で使用しているみたいで恐怖を感じる(法律・政治・経済・経営担当)」というのは、まったくそのとおりですが、しかも政権与党の閣僚や幹部たちが、そのような民族憎悪を煽る思想を共有しているのですから、事態はさらに深刻だと言えるでしょう。

ちなみに、中国や韓国の大型書店では、三省堂書店や書泉グランデのような「反日」本のコーナーはないそうです。なぜなら「それほど日本に興味がない」「日本を相手にしてない」からだとか。政治家やそれに煽られる一部の国粋主義者はともかく、一般市民は案外そういうものかもしれません。もちろん、その背景には、中韓が政治的にも経済的にも日本をしのぐほど力をつけ、存在感を増している自信があるからでしょう。たしかに、ヤフーの国際ニュースのあの異常な「アクセスランキング」を見ても、なんだかネトウヨは中韓に一方的に恋慕する(可愛さ余って憎さ百倍の)ストーカーのように思えないこともありません。

それにしても、中高年の彼らはどうしてあのようなストーカーまがいのネトウヨになるのか。「政治なんてない」と言ったのは吉本隆明ですが、本来なら「政治」なんかより老後を前にした「生活」の現実に直面するはずの中高年の人間たちが、どうしてこんなに異常に「政治」に興味を示すのか。

逮捕され公判で素性があきらかになったネトウヨを見ても、中高年が多く、低学歴で無職(職業不詳)かアルバイトというのがおよその共通点です。しかも、逮捕される前は、高学歴で高収入の職業であるかのように詐称していたのも共通しています。「どうして生活保護を受ける選択をしなかったのですか?」と裁判長から問われて、「生活保護を受けると不利益になると思い込んでいたから」と答えたネトウヨもいたくらいです。

うまくいかない人生。そこには「生活」と呼べるものさえないのです。それに、学歴コンプレックスによる知性への呪詛。そういった負の感情が夜郎自大な「政治」への幻想に向かわせているのは間違いないように思います。そう考えると、吉本隆明のことばも恵まれた人間の操り言のように思えてきます。

さらにもうひとつ、フリーターの先行世代が既に50代にさしかかっているという世代的な問題も見逃せないように思います。フリーターの先行世代は、同時にアニメ(アニオタ)の第一世代でもあるのです。あの上祐史浩氏も、「“負け組”から右傾化・カルト思想が生まれてくる」と言っていましたが、その意味では「オウムは終わってない」と言うべきかもしれません。ヨーロッパでは歴史修正主義はカルトと看做されるそうですが、オタクにとって、歴史修正主義は格好の”謀略史観”と言えるのかもしれません。

BLOGOS
“負け組”から右傾化・カルト思想が生まれてくる~元オウム・上祐氏の話

しかし、一方で私は、彼らを安手の詐欺師のような”ファシスト”に売り渡した「責任」も考えないわけにはいかないのです。それは、「戦後」を検証することをなおざりにした「責任」であり、アメリカの核の傘の下で惰眠を貪り「平和と民主主義」を糊塗した「責任」でもあります。笠井潔は、『日本劣化論』のなかで、「世界内戦の時代」は同時に「民衆蜂起の時代」でもあると言ってましたが、日本においては、それが非常にいびつなかたちで現出している(しつつある)と言えるのかもしれません。
2014.10.26 Sun l 社会・時事 l top ▲