カミュの『ペスト』を読みながら、都市封鎖(ロックダウン)と外出自粛の違いはあるものの、目の前の閑散とした街の風景を、『ペスト』で描かれているアルジェリアの街と重ね合わせて見ている自分がいました。

昨日の昼間、窓際に立って、ぼんやりと表の通りを眺めていたときでした。舗道の上を夫婦とおぼしき高齢の男女が歩いていました。買物にでも行くのか、やや腰が曲がった二人は、おぼつかない足取りで一歩一歩をたしかめるようにゆっくりと歩いていました。特に、お婆さんの方がしんどいみたいで、数メートル歩いては立ち止まって息を整え、そして、また歩き出すということをくり返していました。

お婆さんが立ち止まるたびに、先を行くお爺さんも立ち止まってお婆さんの方を振り返り、お婆さんが再び歩き出すのを待っているのでした。

私は、そんな二人を見ていたら、なんだか胸にこみ上げてくるものがありました。二人はそうやって励まし合い、支え合いながら、コロナ禍の中を必死で生きているのでしょう。

高齢者や非正規雇用の労働者やシングルマザーなど、弱い立場の人、恵まれない人ほど、新型コロナウイルスに翻弄され苦境に陥っているのです。中には、生きる希望を失くすほど追いつめられている人もいます。

そのあと外に出たら、近所の花屋の前に人盛りができていました。なんだろうと思って見ると、レジ待ちをしている人たちが店の外まであふれているのでした。みんな、それぞれ花が盛られた小さなバスケットを手に持っていました。

私は、もう母親がいないのですっかり忘れていたのですが、昨日は母の日だったのです。こんな非常時でも、みんな母親を思い、感謝しいたわる気持を忘れてなかったのです。できるなら、そのやさしさを少しでも恵まれない人々や弱い立場の人々に向けてもらいたいなと思いました。

今回の新型コロナウイルスによって、経済格差がさらに広がるのではないかと言われています。たしかに、収入が減った人と減ってない人のことを考えば、今後ますます二極化が進むのは容易に想像できます。未曾有の倒産や失業に見舞われるのは、もはや既定のように言われています。しかし、10万円の定額給付金を見てもわかるとおり、相互扶助の精神なんてどこかに吹っ飛んだような感じです。見えないところで、弱肉強食の無慈悲な世界が広がっているのです。「自分さえよければいい」という剥き出しの本音に社会が覆われようとしています。また、緊急時に強権的に対応できる、専制的な政治を求める声も強くなっています。

休業要請に従った自営業者が破産か自殺かに追い詰められても、器用に二枚舌を使い分ける東京都知事や大阪府知事はまるでヒーローのようにもてはやされているのです。まともな感染対策さえ打ち出せず、無責任な言い逃れに腐心するばかりの安倍内閣の支持率は、思ったほど下がっていません。安倍内閣の支持率40%は盤石なのです。だから、火事場泥棒のように検察庁法の改正を強行しようとするのでしょう。「日本の奇跡」を信じて疑わない人々が40%もいる限り、何があっても悪代官たちは左団扇なのです。

「あんまり文句ばっかり並べても今は特に仕方ない。有事なんだから」と言ったサンドイッチマンの伊達は、福島関連のイベントでは政府ご用達芸人ですが、支持率40%を考えると、彼が好感度ナンバーワン芸人であるのも納得ができます。そのうち「今は有事なんだから検察庁法改正案反対なんて言わずに、みんなで政府を応援しよう」と言うのかもしれません。

カミュの『ペスト』では、ペストは人間が犯した罪の報いだと説いていた神父も、やがてペストに命を奪われるのでした。ペストという不条理は、宗教も政治も経済も、エゴイズムもヒューマニズムも、夢も希望も姑息な処世術も、容赦なく無慈悲に、そして、分け隔てもなく呑み込んでしまうのでした。しかし、愚かな人間は、さらに無慈悲なエゴイズムで、みずからに襲いかかる不条理から逃れようとするのです。それが、今、私たちの目の前にある社会の風景です。

ペストが終息したあと、街は歓喜の声に沸き上がり、生き残った人々は一体感を覚えながら、もとの日常に戻って行こうとします。でも、医者のリウーは、それが「決定的な勝利の記録ではありえないことを知っていた」のです。もとの日常に戻るなんてもうできないのです。『ペスト』は、次のようなリウーの独白で終わっていました。

(略)――ペスト菌は決して死ぬことも消滅することもないものであり、数十年の間、家具や下着のなかに眠りつつ生存することができ、部屋や穴倉やトランクやハンカチや反古のなかに、しんぼう強く待ち続けていて、そしておろらくいつか、人間に不幸と教訓をもたらすために、ペストが再びその鼠どもを呼びさまし、どこかの幸福な都市に彼らを死なせに差し向ける日が来るであろうということを。

宮崎嶺雄訳『ペスト』(新潮文庫)


70年経ち、ペスト菌は、医学の進歩によって、一部の地域を除いて、私たちの前からほぼ姿を消しました。新型コロナウイルスも、ワクチンが開発されれば、インフルエンザと同じような「ありふれた感染症のひとつ」になるのかもしれません。しかし、もうもとに戻ることはないのです。コロナ以前とコロナ以後では、私たちも社会も大きく変わるのは間違いありません。でも、カミュではないですが、不条理は続くのです。

外出自粛を守らない不心得者や休業要請に従わないパチンコ店に対して、普段は良き父親で良き夫で良き市民で良きサラリーマンであったような人たちが、メディアに煽られ、何の留保もなく目を吊り上げて悪罵を浴びせていた姿を私は忘れることができません。しっかり目に焼き付けておこうと思いました。文字通り、そこには、差別と排除の力学によって仮構される彼らの日常性の本質が顔を覗かせていたからです。関東大震災のとき、朝鮮人の頭上に斧や鉈を振り下ろしたのは、何も特別な人たちではありませんでした。普段は良き父親で良き夫で良き市民で良きサラリーマンであったような人たちだったのです。”善良な市民”なんていないのです。
2020.05.11 Mon l 新型コロナウイルス l top ▲
シロウト考えですが、新型コロナウイルスの終息には、大きくわけて三つの方法があるのだと思います。一つ目は、ワクチンが開発されるまで、できる限り感染者を少なくして時間稼ぎをする、言うなればソフトランディングの方法です。二つ目は、ある程度の感染を許容しながら多くの人に抗体ができるようにして、「集団免疫」の獲得を目指す、ハードランディングの方法です。そして、三つ目は、ソフトとハードを組み合わせたハイブリッドの方法です。

アメリカやヨーロッパの国々が、今、徐々に封鎖を解除する方向に向かっているのは、あきらかに三つ目のハイブリッドの方法を選択しているからでしょう。感染が終息したからではなく、感染の封じ込めによって、一時的に小康状態になったからです。おそらくこれから第二波第三波の感染爆発が起きる可能性は大きく、それも覚悟の上なのでしょう。

いつまでも経済活動を止めていたら、人々の生活が立ち行かなくなるのはどの国でも同じです。ワクチンが開発されるまで時間稼ぎをするなどというのは、現代の高度に発達した資本主義社会では現実的な方法ではないのです。「集団免疫」とまでは言わないまでも、抗体を持った人が一定の割合で存在するようになれば、それだけ感染の速度は遅くなり、ワクチンの開発まで時間稼ぎができるという目算もあるのだと思います。

そのためには、WHOではないですが、「検査、検査、検査」なのです。検査をして、現在の市中感染率がどのレベルにあるのか把握することが不可欠であるのは言うまでもありません。

昨日東京都が初めて「陽性率」なるものを公表しましたが、私は、当初、「陽性率」とは市中感染率のことだと思っていました。ところが、東京都が公表した「陽性率」は、PCR検査した中で陽性の判定が出た人の割合に過ぎないことがわかりました。考えてみれば、検査を受ける人の中には、陰性になったかどうか確定診断するために何度も検査を受ける治療中の患者もいるでしょう。そもそも、日本は外国と違って、保健所がPCR検査の”水際作戦“を行っていますので、検査数も圧倒的に少なく、「37.5度が4日間」の目安ではないですが、感染の疑いが濃い人しか検査を受けられないシステムになっているのです。そんな日本の検査体制で、陽性になった人の割合を出しても、あまり意味があるとは思えません。この「陽性率」は、大阪府が自粛解除の条件として独自に設けた”大阪モデル”の中にも入っていますが、どうして後述する実効再生産数ではなく、信頼性に欠ける「陽性率」なのか、疑念は尽きません。

何度も言いますが、日本は、検査数も感染者数も外国に比べて一桁少ないのです。そのため、日本政府の対応について、海外から批判が続出しているのです。

朝日新聞デジタル
コロナ対応に海外から批判続出 政府、発信力強化に躍起

    英紙ガーディアン(電子版)は4日、安倍晋三首相が緊急事態宣言を延長したことを詳しく報じた。記事では記者会見でも取り上げられたPCR検査にも言及。「日本は検査の少なさで批判されている。日本のやり方は症状が軽い感染者を特定し、追跡することを困難にしている」と指摘した。
(略)
   英BBC(電子版)は4月30日、PCR検査について「日本の検査数の少なさは疑問だ」と題する記事を掲載。日本の感染者数は28万~70万人におよぶという試算を紹介しながら「日本は検査数を増やさないと、パンデミックの終結はかなり困難」という専門家の厳しい見方を取り上げた。
(略)
  韓国のハンギョレ新聞(電子版)も4月30日に社説で「安倍首相は韓国の防疫の成功を無視し、軽んじていた。日本政府とマスコミは当初、自国の対応を自画自賛した」と批判した。


また、日本政府が、海外からの批判に対して、みずからの立場を多言語で発信するために予算を計上したことに対しても、「米紙ワシントン・ポスト(4月15日付電子版)は『経済や株価への執着と、ずるい世論操作のやり方は親友のトランプ米大統領とそっくりだ』と皮肉った」そうです。

昨日だったかテレビでやっていましたが、ドイツのメルケル首相は、週に1回、現在の感染状況を国民に知らせるために、実効再生産数を発表しているのだそうです。メルケル首相は物理学者なので、国民の理解を求めるため、そういった科学的な指標をわかりやすく丁寧に説明しているそうです。受験勉強も経験していないどこかの国の総理大臣が、メルケル首相の真似をするのはとても無理でしょうが、なぜか日本ではこの世界基準とも言うべき実効再生産数を3月19日以降公表していませんでした。

実効再生産数というのは、前後の5日間の感染者数の差を元に、複雑な計算式で算出した現在の感染状況の推移を示す指標です。ひとりの感染者が平均何人に感染させているかを示しており、実効再生産数の数値が1.0より大きいと感染者数が増加、1.0より小さいと減少を示しているそうです。

上記のように、海外からの批判も、日本はPCR検査数や感染者数など基礎データがあまりに少なく、実効再生産数さえ定期的に公表してこなかったという不信感があるからですが、しかし、日本国内では、感染者数が一桁少ないことを「日本の奇跡」「安倍政権の優秀さの証明」と自画自賛していたのです。これが日本がカルトの国であるゆえんですが、安倍首相が緊急事態宣言の延長に際して、ネトウヨ=”自粛警察”の巣窟であるニコニコ動画とYahoo!Japanに出演したのも、「日本の奇跡」「安倍政権の優秀さの証明」と慰撫されたかったのかもしれません。このようにメルケル首相とあまりにも違うこの国の指導者の「バカっぽさ」を見せつけられると、ひとりの国民としてあらためて情けない気持にならざるを得ないのでした。

緊急事態宣言の延長が取り沙汰されるようになった5月1日、専門家会議は、「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」と題する報告書を発表したのですが、その中で、3月19日以降発表がなかった実効再生産数が久し振りに公表されていたそうです。しかも、その数値は、驚くべき事実を示していたのです。

そのことについて、医師であり弁護士でもある前新潟県知事の米山隆一氏は、朝日新聞の「論座」で、次のように書いていました。

livedoor NEWS
論座
専門家会議のコロナ報告書が示す驚きのデータと「5月7日以降」の合理的対策

(略)「発症日」ベースで集計された流行曲線が、今回初めて示されたのですが、その結果は極めて驚くべきものでした。発症日ベースでは、新型コロナウィルス感染症の流行は全国では4月1日に、東京では3月30日に既にピークを迎えていたのです(平均潜伏期間は「5日」程度と言われており、「感染日」のピークはこの更に5日前の3月27日、3月25日であるであると考えられます)。

これを裏付けるように、時刻tにおける再生産数であるRtは、全国、東京都ともに4月1日に、感染が収束に向かう境界値である1.0を下回っており、4月10日現在で全国0.7、東京都0.5となっているとのことです。

このデータは、端的にいって「4月1日の時点で全国・東京都ともに感染はピークアウトし収束に向かっていたのであり、そもそも7日の緊急事態宣言は(少なくとも事後的には)必要なかった」ことを意味します。


ところが、専門家会議は、戦前の関東軍と同じように、実効再生産数が示す数値とは矛盾する方向に突き進んでいくのでした(以下、引用は同上)。

 にもかかわらず、専門家会議クラスター班の西浦博教授は4月15日に、「4月1日の時点で全国・東京都ともに感染はピークアウトし収束に向かっている」という事実に何ら言及することなく、「このまま何もしなければ42万人が死亡する」という衝撃的な記者会見を行って国民の不安を掻き立て、専門家会議が22日に記者会見で発表した「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」においても、この事実への言及は何一つありませんでした。


これは、米山氏が書いているように、恐るべきことです。以後、西浦教授が提唱する「人と人との接触8割削減」が「国家目標」のようになっていくのですが、この「人と人との接触8割削減」についても、専門家会議の報告書は次のように言及しているそうです。

 この報告書の次に驚くべき点は、今まで事実上、国家的目標とされていながらその中身が判然としていなかった「人と人との接触8割削減」について、「『接触行動の変容』をどのように評価していくかについては、学術的にも技術的にもまだまだ課題が多い」として、学術的にも技術的にも評価方法が確立していない、「評価できない数字」であることを事実上、認めたことです。


私のようなシロウトでさえ、「人と人との接触8割削減」は”トンデモ科学”ではないかと前にも書きましたが、専門家会議もそのことをやっと認めたのです。メディアは、ドコモやauのスマホのデータに基づいて、人出が何割減ったとか増えたとか言っていますが、それはただドコモユーザーやauユーザーの行動(しかも、電源をONにしてスマホを持ち歩いている人の行動)に過ぎません。しかし、そんなスマホユーザーのデータによって、私たちの行動が縛られているのです。それどころか、多くの人たちは、生活を破壊され、破産か自殺かの状態にまで追い詰められているのです。もっとも、専門家会議は、今までもその都度「指針」や「提言」を変更しています。専門家会議が言う「指針」や「提言」も、所詮は医者特有のご都合主義の所産に過ぎないのです。

しかし、既に「8割削減」は独り歩きをはじめており、小池都知事もバカのひとつ覚えのようにそれをくり返しています。休業要請に従わないパチンコ店に対する“集団リンチ”も、国道での検問も、県外ナンバーに対するチェックや嫌がらせも、観光客を迷惑扱いする各地の観光地も、奥多摩の自警団も、野口健や山岳団体の登山自声明も、すべて「8割削減」をカルト的に解釈したからにほかなりません。戦前の隣組や国防婦人会と同じように、既に「8割削減」が暴走しはじめているのです。

米山氏が書いているように、私たちの生活様式は緊急事態宣言以前のレベルで充分だったのです。そのことを実効再生産数の数値が示しているのです。つまり、あえて挑発的な言い方をすれば、休業要請に従わないパチンコ店の判断の方が正しかったのです。

たしかに、休業要請に従わないパチンコ店でクラスターが発生したという話は寡聞にして聞きません。パチンコ店自体も、間を空けて行列を作るように呼び掛けたり、機械や店内をまめに消毒したり、客にマスクを配ったり、入店の際検温をしたりと、感染を防止する工夫をしているようです。私も仕事の関係で週に2日程度都心を走る電車に乗っていますが、パチンコ店の「密」より通勤電車の「密」の方がはるかに問題でしょう。パチンコ店のお客より、「電車の座席に座ることが人生の目的のような人たち」の方がはるかに「危ない」でしょう。

もちろん、世の中には、感染防止の知識も意識もない「どうしようもない人間」も一定数存在します。そんな人間には近寄らないようにすればいいだけです。たとえば、三人掛けで真ん中の席が空いた電車の座席に座っていると、中にはラッキー!と言わんばかりに真ん中の席に座ってくる人間がいますが(たいていスマホ中毒のような痴呆的な若者ですが)、その際は立ち上がってドアの横にでも行くようにしています。そういう自己防衛をすればいいだけの話です。

一方で、専門家会議は、先の報告書の内容とはあきらかに矛盾する「新しい生活様式」なるものを提唱しているのですが、そこにも戦前と同じような「もうあと戻りできない」イケイケドンドンのカルト的解釈の暴走があるように思えてなりません。

NHK 特設サイト 新型コロナウイルス
専門家会議「新しい生活様式」の実践例

ワクチンが開発されるまで、専門家会議が提唱する「新しい生活様式」を実践していたら、街の商店主だけでなく、国民の半数は破産か自殺するしかないでしょう。私たちは、「書を捨てよ街に出よう」と言った寺山修司ではないですが、マスクをつけて街へ出るべきなのです。そういった自己防衛と自己判断の「新しい生活スタイル」を身に付けるべきなのです。そして、観光施設や宿泊施設が充分な感染対策をしているかどうかを見極めつつ、観光地にも出かけるべきなのです。県外客はお断りという自治体や観光協会の(小)役人的発想=事なかれ主義に対しては、宿泊施設などがもっと抗議して、みずからに下される“死刑宣告”を撤回させるべきなのです。「座して死を待つより、出て活路を見出す」(諸葛孔明)べきで、休業要請に応じないパチンコ店のバイタリティとしたたかさをもっと見習うべきなのです。そうやってワクチンの開発や「集団免疫」の獲得まで、新型コロナウイルスと共生して生きて行くしかないのです。

米山氏は、終息までの長い道程を生きるためには、「合理的思考」が必要だとして、次のように書いていました。

(略)専門家会議の報告書によって示された客観的なデータと事実から合理的に考えれば、私は、①「国の共通目標」をReに改め、②迅速にReを推計・発表する体制を整え、③症状のある人には迅速にPCR検査を行って症状に応じて直ちに療養・治療できる体制を構築した上で、④継続的にRe<1.0である事が確認された地域から順次「行動変容」の緩和を進め、4月上旬程度の「自粛」「感染症対策」を継続しながら、経済・社会活動を再開し、「今迄の生活様式」を取り戻すこと――が、最も合理的な政策であると思います。

2020.05.09 Sat l 新型コロナウイルス l top ▲
昨日、九州の友人から電話があり、経営する店に配達に来たおしぼり屋から「近所の○○マンションに、東京から来た人間が入り込んでいるそうですから気を付けた方がいいですよ」と告げられたと話していました。

友人が住んでいるのは国内でも有数の温泉地なので、リゾートマンションが多く、おしぼり屋は、リゾートマンションにコロナ禍を避けた人たちが「避難」して来ているのをそう触れ回っているのでしょう。ハイカーに「恐怖を覚える」奥多摩の年寄りや四国の山奥の村の騒動を誰も笑えないのです。

その街では、市営温泉の駐車場にやって来る車のナンバーを市の職員がチェックして、県外から来た客の入浴を断っているそうです。平均年収634万2792円の職員たちが毎日、市営温泉の前に立ってそんなことをやっているのです。

私は、その話を聞いて、「国際観光温泉文化都市」を名乗っていたのはどこの誰だと言いたくなりました。でも、もうなりふり構っていられないのでしょう。

田舎では、感染者が出ると、どこの誰だという噂がすぐ流れるのだそうです。さらに、噂には尾ひれが付き、感染者が若い女性だと一時は「阪神の藤浪と合コンした」と言われるのが定番だったとか。「集団ヒステリー」どころか、完全にとち狂っているのです。中世の「魔女狩り」も遠い昔の話ではないのです。

昨日の緊急事態宣言延長に際しての安倍首相の記者会見について、TBS系列の「はやドキ!」でコメンテーターの龍崎孝氏は、安倍首相が言っていることは何が言いたいのかよくわからなかった」「どうしてわからなかったのかと言えば、今までの政府の感染対策が失敗したからです。そして、経済が持たなくなったので、軌道修正することにしたからです。それを認めないで(ごまかそうとするので)、わかりにくい話になるのでしょう」というようなことを言ってました。

でも、今朝の新聞各紙は、そういった視点は皆無です。どこも政府が提唱する「新しい生活様式」なるものを詳細に解説しているだけで、政府の”広報機関“としての役割に徹しているかのようです。

日本だけがいつまで経ってもPCR検査数が極端に少なく(桁違いに少ない)、日本の「独り負け」と言われるほど感染対策が遅れている一因に、メディアのテイタラクがあります。メディアが、「権力の監視(チェック)」という本来の役割を放棄して”大本営発表”を垂れ流すだけなので、無能な政府の場当たり的な対策に国中が振り回されることになっているのです。緊急事態を錦の御旗に、すべてのメディアがフジサンケイグループ化=翼賛化しているのです。

専門家会議の方針は、徳洲会の徳田虎雄氏が指摘したような医者特有のご都合主義の所産に過ぎません。徳田氏が9歳のとき、3歳の弟が激しい下痢と嘔吐を繰り返し脱水症状を起こしたため、母親に言われて、真夜中に島の医者のもとへ走り往診を頼んだけど、医者は腰を上げてくれなかったそうです。そして、翌日、弟は息を引き取ったのです。徳田氏は、「弟の死がなかったら、僕は医者にならなかった」と自著(『ゼロからの出発 実現できない夢はない』)で書いていました。

自分の病院を持ってからは、「生命(いのち)だけは平等だ」という理念を掲げ、1年365日24時間の受入れを実践し、患者からの心付けを断り、差額ベット代も取らないという、徹底した患者本位の医療を貫いたのでした。そのため、既得権益を守ろうとする日本医師会と激しく対立することになったのですが、そのときも日本医師会は、今と同じように、徳洲会のようなやり方をすると日本の医療が崩壊すると言っていたのです。「医療崩壊」というのは、いつの時代も彼らの常套句=脅し文句なのです。

各地の医師会が反対した徳洲会の病院は、「医療崩壊」どころか、今や地域医療の中核を担う病院として、地域の開業医や自治体から高く評価されているのです。それだけでなく、徳洲会は、鹿児島や沖縄の島嶼部に、選挙がらみだという誹謗中傷を浴びながら、次々と「大規模病院」を作り、「多くの人が目を背けてきた離島医療の相当部分を(略)担ってきた」(青木理『トラオ』)のでした。だからこそ、東大や京大などで学生運動を経験した若くて優秀な医師たちが、徳洲会に理想の医療を求めて、政治信条の垣根を越えて集まり、徳洲会の医療の屋台骨を支えたのでした。

今回の新型コロナウイルスでも、専門家会議をはじめ、国の感染対策に日本医師会の意向が強くはたらいているのはたしかです。そして、それが日本の感染対策に遅れをもたらすことになったのではないかという疑念さえ抱かざるを得ません。現に、PCR検査さえ受けることができず自宅で様子を見るように言われて、徳田虎雄氏の弟と同じように、”無念な死”を迎えた患者も多くいるのです。生命も医療も平等ではないのです。

日本のPCR検査が諸外国に比べて極端に少ないのも、保健所を検査の窓口にして、生活保護などと同じように”水際作戦”を行ったからですが、そのために、岡江久美子の例をあげるまでもなく、失われなくてもいい命が失われることになったのです。「医療崩壊」したから犠牲になったのではありません。「医療崩壊を防ぐため」に犠牲になったのです。日本は外国に比べて、検査数も患者数も10分の1以下なのに、「医療崩壊」の懸念だけが声高に叫ばれているのです。しかし、メディアは、「保健所の職員は大変」「身を削って仕事をしている」というような、愚にも付かない情緒的な報道を繰り返すばかりで、問題の本質を見ようとしません。

そんな不条理で狂った世界の中で、個人的に一時(いっとき)の慰めになったのは、ローリングストーンズが6年ぶりにシングルをリリースしたことでした。しかも、新曲は、「Living In A Ghost Town」(ゴーストタウンに生きる)という曲名が示すように今の都市のロックダウンを歌ったものです。

70代半ばの「高齢者」なのに、何とカッコいいんだろうと思います。こんな時代だからこそ、よけいローリングストーンズと同時代に生まれた幸せをしみじみと感じるのでした。

https://youtu.be/LNNPNweSbp8


2020.05.05 Tue l 新型コロナウイルス l top ▲
今日、ロシアで3日、一日の新型コロナウイルス感染者が10633人発生したというニュースがありました。ちなみに、ロシアの感染者数の累計は、134687人で、死者は1280人だそうです。

私は、このニュースを聞いて、語弊があるかもしれませんが、羨ましいなと思いました。一日の感染者が10633人も発生したということは、それだけPCR検査をしているということなのです。日本は一日の検査数が7〜8千くらいなので、一日の感染者数が1万人を越すなど、最初からあり得ないのです。

にもかかわらず、日本のメディアは、ロシアは大変だ、日本はまだマシだみたいな言い方をしています。前には韓国に対しても、アメリカに対しても、イタリアに対しても、フランスに対しても、同じようなことを言っていました。

そのくせ、自粛だけは厳格で、自粛を守らない人間に対するバッシングはエスカレートするばかりです。感染の実態は隠ぺいされ、現在どの程度の感染状況にあるのかさえわからないのに、いつの間にか自粛が自粛でなくなり、自粛が絶対的なもの、破ってはならないものになっているのでした。

それどころか、感染=悪のように言われ、感染者はまるで犯罪者のように指弾されるのでした。四国の村で、感染者が出たという噂が流れたら、村中がパニックになり、どこの誰だと村役場に問合せの電話が殺到したというニュースがありましたが、それは四国の村だけでなく、日本中で大なり小なり見られる光景です。

自粛要請や休業要請は、要請ではなく強制のようになっているのでした。しかし、要請する側は責任を持ちません。雀の涙のような「協力金」で泣き寝入りさせられるだけです。そのため、要請に従った従順な小売店や飲食店は苦境に陥り、破産か自殺かの状態にまで追い詰められているのです。一方で、要請に従わないパチンコ店は、メディアが動員する「オレたちが我慢しているのに、どうしてあいつらだけ勝手なことをしているのか」という世論=“自粛警察”の標的にされ、文字通り非国民扱いされるのです。そうすることで、いっそう自粛が国民を縛る実質的な命令と化すのでした。自粛に従わないパチンコ店に対する“集団リンチ”が、国民に対する無言の圧力になっているのも事実でしょう。

さらには、新宿や渋谷など都心の繁華街から地元の商店街や公園へ、パチンコ店から千葉や湘南の海や奥多摩や丹沢の山へと自粛の網は広げられていったのでした。

メディアは、このゴールデンウイークも、新たな獲物を求めてヘリコプターを飛ばし、今度はゴルフ練習場の様子を空から映して、ここにもパチンコ客と同類の人間たちがいるかのように世論=“自粛警察”を煽っていました。これが「ファシスト的公共」でなくてなんだろうと思います。

先日、朝日新聞は、「『コロナ自警団』はファシズムか 自粛要請が招いた不安」という甲南大学の田野教授のインタビュー記事を掲載していましたが、私は、その記事を読んで「よく言うよ」と思いました。そういった「ファシスト的公共」を招来しているのは、朝日新聞などのメディアなのです。

朝日新聞デジタル
「コロナ自警団」はファシズムか 自粛要請が招いた不安

おととい、朝日新聞は、栃木県の男体山に単独で登山していた男性が道迷いで遭難して、栃木県防災ヘリで救助されたという記事を掲載していました。

朝日新聞デジタル
入山禁止の栃木の山で遭難 川崎の25歳、ヘリで救出

如何にも「ここにも自粛破りの不心得者がいるぞ」という感じの記事です。案の定、記事はYahoo!ニュースに転載され、ネットの「コロナ自警団」の恰好の餌食になったのでした。

先月の25日には、八ヶ岳で遭難した男性を長野県警の防災ヘリが救助したものの、男性が新型コロナウイルスの感染の疑いが発覚したため、救助した隊員10人が一時自宅待機になったというニュースがありました。これもネットで「それ見たことか」と拡散され炎上したのでした。

男性はその後陰性とわかったそうですが、どうして感染の疑いが持たれたのか、不可解な点も多いのです。ところが、このニュースが、野口健をはじめ登山家や、山岳団体や山関連の商業メディアなどが登山自粛を呼びかける格好の口実になっているのでした。

私は、別に山に行きたいから言うのではありませんが、こういった事故はとりたてて取り上げるほどもない普段でも「よくある話」です。今の状況でも、交通事故だってあるでしょう。公園で遊んでいたり、ジョギングをしていて怪我をすることだってあるでしょう。それで、新型コロナウイルスの対応で忙殺されている医療機関に迷惑をかけるという言い方は、単なる言いがかり、こじつけとしか思えません。特殊な事例を針小棒大に言い立てて、私権制限の口実にするのは、ファシスト的権力の常套手段です。

25日の週末には、北アルプスや八ヶ岳の登山口で、長野県の関係者が入山者をチェックしていたそうですが、そういった地元自治体の“検問”と遭難者に感染の疑いがかけられたことは、何か関係があるのではないか。そんな穿った見方をしたくなります。遭難した男性が一罰百戒のスケープゴートにされたということは、ホントにないのでしょうか。

男体山の記事では、「登山禁止の山に登った」というような書き方をしていましたが、登山自粛がいつの間にか「登山禁止」になっているのです。こういったニュースは、まさに休業要請に従わないパチンコ店に対する“集団リンチ”と同じ手法です。

そもそも私は、どうして「密」とは対極にある登山が「禁止」なのか、未だに理解できません。まして、私は、このブログを読んで貰えるとわかりますが、人の多い山を避けてひとりで山を歩くのが好きな、もともと「密」とは無縁な人間なので、よけい理解に苦しむのです。山に行くのに利用する電車やバスが「密」になると言いますが、それは週末のホリデー快速おくたま号のような話で、平日の下り電車は上りの通勤電車などに比べればはるかにマシです。「密」にならないように、個人個人が気を付ければいいだけの話です。それも言いがかり、こじつけとしか思えません。

いちいち取り上げるのもバカバカしいのですが、ネットには、登山道で「こんにちわ」と挨拶する際に唾が飛ぶので危険だというような書き込みがありました。メディアや登山家や山岳団体が言う「登山禁止」の理由も、そんなネットのおバカな書き込みと大して変わりがないのです。

公園やスーパーに行くより山の方がどう見ても「安全」です。商店街を歩くより山の中を歩く方がはるかに「安心」でしょう。相部屋が常識で、混んでいるとひとつの布団を複数で使用するような山小屋が「密」であるのは事実ですが(だから山小屋には泊まりたくない)、山小屋はとっくに休業していますので、「密」な山小屋は利用しようにも利用できないのです。

ましてや、近場の奥多摩や丹沢にハイキングに行くのに何の問題があるというのでしょうか。地元の自治体が駐車場を閉鎖したり登山口を通行止めにしてハイカーを締め出すのは、異常と言うしかありません。ホリエモンならずとも「集団ヒステリー」ではないかと言いたくなります。麓の町の年寄りが「恐怖を覚える」というのも、自治体やメディアが年寄りの無知に付け込みそう仕向けているだけです。「恐怖」を与えているのは、ハイカーではなく自治体やメディアなのです。

野口健のような登山家や山岳団体などが、国家の要請に無定見に従って、「登山禁止」の世論作りに手を貸しているのもまったく理解できません。彼らはネットの“自粛警察”と同じで、ただお上の言うことに従うという意識しかなく、それ以外は何も考えてないのでしょう。要するに、みんなが自粛しているので自粛すべきだと言っているだけです。「山屋」(野口健)だなんて片腹痛いのです。登山愛好家は、獅子身中の虫である彼らに対して、もっと怒りの声を上げるべきでしょう。

エベレストに登ったからと言って、登山愛好家を代表するようなもの言いはやめて貰いたいと思います。竹中労は、「分をわきまえず偉ぶる芸人」は嫌いだと言ったのですが、「分をわきまえず偉ぶる登山家」は迷惑なだけです。

新型コロナウイルスが私たちに突き付けているのは、自由か独裁かという古くて新しい問題です。「やっぱり自由は尊い」「自由であることは幸せなことだ」と考えるのか、それとも「やっぱり強制が必要だ」「専制的な権力の方が効率がいい」と考えるのか、今、私たちは、民主主義に対する見識を問われているのです。
2020.05.04 Mon l 新型コロナウイルス l top ▲
案の定と言うべきか、緊急事態宣言が延長されることがほぼ決定しました。今日開かれる専門家会議(新型コロナウイルス感染症対策専門家会議)が、あと1ヶ月延長するという政府の方針に沿った提言を出すのは間違いありません。そういった型どおりの“お墨付き”を得て、週明けに安倍首相が正式に発表する予定だそうです。治療法もワクチンもない中で「集団免疫」を獲得するには、経済活動を止め、社会的に多大な犠牲を強いて、時間稼ぎをするしかないのでしょう。

しかし、何度も言いますが、「不要不急の外出を控えて、人との接触を8割減らす」と言っても、それで新型コロナウイルスの感染が終息するわけではないのです。メディアもそういう幻想を振り撒いていますが、それが終息とは別の話だということくらいシロウトでもわかります。

人口の60%だか70%だか、それ以上だかわかりませんが、多くの人たちに抗体ができて「集団免疫」を獲得し、ウイルスと共生の道を歩みはじめなければ終息したことにはならないのです。言うまでもなく、抗体はウイルスに感染して初めてできます。当然、それには死や重症化のリスクが伴います。感染しないで(疑似感染で)抗体を作るには、ワクチンしかありません。

政府や専門家会議が言う「不要不急の外出を控えて、人との接触を8割減らす」という感染防止策は、如何にももっともらしい数理モデルで装飾されていますが、しかし、なんと原始的でなんとまわりくどくいやり方なんだろうと思います。昨日までAIだとかビッグデータだとか顔認証だとか電子政府だとか自動運転だとか言って、デジタル万能の“バラ色の未来”を語っていたのがウソのようです。

そもそもまともにPCR検査もせず市中感染率さえ把握していない状態で数理モデルなど成り立つのか。ホントに「人との接触を8割減らす」ことなど可能なのか。もしかしたら、私たちは、充分な科学的な検証がなされてない”トンデモ科学“のようなもので、多大な犠牲を強いられているのではないか。シロウトながら疑問は尽きません。

1億分の1メートル(つまり、100億分の1センチ)の微細な、細胞さえ持たない(従って自己増殖もできない)、生物と非生物の間にあるようなウイルスに、生物の最上位にいたはずの私たち人類は翻弄され、生存を脅かされているのです。AIもビッグデータもなんの役にも立たないのです。これが自然のシッペ返しでなくてなんだろうと思います。

前も書きましたが、休業要請に従って休業した店の貼り紙には、「5月6日まで」とか「当分の間」という表現が多くありました。

緊急事態宣言を真に受けたということもあるでしょうが、それだけでなく、そこには「そうあってほしい」という願望も込められていたに違いありません。

昨夜のニュースで言っていましたが、どこかのシンクタンクが行った「自己資金はどのくらい持ちこたえられるか?」というアンケートによれば、「1か月」と「2ヶ月」と答えた企業が、全体の20%弱もいたそうです。つまり、20%弱の企業は、緊急事態宣言の延長で倒産の危機に立たされる可能性があるのです。もっとも、アンケートには大企業も含まれていますので、中小企業に限定すれば、さらに割合は高くなるでしょう。まして、個人経営の店などは、いつ立ち行かなくなってもおかしくないほどに追いつめられているはずです。

もちろん、地方と東京など都市部では、事情が違うのは言うまでもありません。いちばんの違いは家賃です。家賃があるかどうか、また、家賃の金額によっても、深刻の度合いには大きな差があるはずです。東京都内で、高い家賃を払って商売をしていた個人商店が、これからさらに1ヶ月、持ちこたえて行くのは至難の業ではないでしょうか。

それに、1ヶ月後に緊急事態宣言が解除されたとしても、「集団免疫」が獲得されてない限り、第二波・第三波の感染爆発に見舞われるのは明らかなのです。あと1ヶ月で終わるわけではないのです。

10万円の個人給付も然りです。給料も下がっていないサラリーマン家庭は、家族分も含めて30万円も40万円も”臨時ボーナス“を貰えるので「ラッキー!」という感じでしょう。一方で、都会のアパートでひとり暮らしをしながら、非正規の仕事で糊口を凌いでいるような人たちは、10万円なんて家賃の支払いですぐ消えていくでしょう。食費だけでなく家賃も貧困のバロメータなのです。都会に住んでいる下層の人間ほど、家賃の負担が大きく、生活に重くのしかかっているのです。

10万円の「特別定額給付金」の支給を含む補正予算が30日に成立したことに伴い、青森かどこかの町で、さっそく10万円の給付が行われたというニュースがありましたが、その中で町の職員から10万円の現金を受け取ったお年寄りは、テレビカメラの前で、「ありがたいです。年金の支給が来月なので、助かります」と言っていました。

私も田舎の出身なのでわかるのですが、田舎の生活は家賃がいらないし、物価も安いので、10万円もあれば、年寄りが2ヶ月くらい暮らすことも不可能ではありません。でも、都会だとそうはいきません。田舎であれば低年金でもなんとか生きていけますが、東京などでは行政からの援助がなければとても生きていけません。

与野党が一致して求めた「一律給付」は、ポピュリズム政治の最たるものと言わざるを得ません。今求められているのは、収入が下がってなくて、そんなに大きな打撃を受けてない人たちは我慢して、その分を給料が下がったり職を失ったり、売り上げが落ちて苦境に陥ったりしている人たちにまわすという、相互扶助の考えでしょう。それを主張する政党がいない現実には失望感しか覚えません。

新型コロナウイルスによって、いろんな人の本性や本音があきらかになった気がします。リベラルだと思われていた政治家や知識人が、実は薄っぺらなリベラル思想しか持ってなくて、なんのためらいもなく“自粛厨”に変身していく姿を、嫌と言うほど見せつけられました。彼らが語っていた自由や平等や平和も、グーグルやアップルの信奉者が言う“バラ色の未来”と同じような、独りよがりで空疎な観念の産物にすぎなかったということなのでしょう。
2020.05.01 Fri l 新型コロナウイルス l top ▲
感染症と文明



私たちは、科学の進歩によってあたかも万能の力を得たかのように錯覚し、自然に対してもいつの間にか傲慢になっていたのです。しかし、相次ぐ大震災によって、その傲慢な考えを打ち砕かれました。特に東日本大震災では、科学的進歩の象徴とも言える原発の事故による未曽有の被害まで招き、自然から大きなシッペ返しを受けたのでした。

そして、今度は新型コロナウイルスによって、再び手ひどいシッペ返しを受けているのです。

山に登るとわかりますが、自分の足で登ると、わずか数百メートルの道でさえ息が上がり、ときどき足を休め息を整えなければ登ることができません。でも、自動車だと数百メートルなんてあっという間です。ハンドルさえ握っていれば、ガムを噛み鼻歌を歌いながら登ることができるのです。

野生動物に対しても同じです。熊と遭遇しても、登山中であれば足が竦んで、なるべく目を合わせないようにして、そっとその場を離れ、ときには今まで苦労して登って来た道をまた下らなければなりません(私自身、その経験があります)。でも、車だと、「あっ、カワイイ」なんて言いながらカメラを向ける余裕があります。クラクションを鳴らせば、熊もあわてて逃げるでしょう。熊に対する認識も全然違ってくるのです。

私たちは、自然の一員でありながら、自分が自然に対して如何に無力なのか、小さい存在なのか、ということをいつの間にか忘れていたのです。それではシッペ返しを受けて慌てふためくのも当然でしょう。

『感染症と文明』(岩波新書)の中で、著者の山本太郎教授は、感染症の起源は野生動物の家畜化にあると書いていました。

野生動物の家畜化は、動物に起源をもつウイルス感染症をヒト社会に持ち込んだ(略)。天然痘はウシ、麻疹はイヌ、インフルエンザは水禽、百日咳はブタあるいはイヌに起源をもつ。いうまでもないことだが、これらの動物は、群居性の動物で、ヒトが家畜化する以前からユーラシア大陸の広大な草原で群れをなして暮らしていた。
(略)
家畜に起源をもつ病原体は、増加した人口という格好の土壌を得て、ヒト社会へ定着していった。専門的な言葉で言えば、病原体は新たな「生態学的地位」と獲得した、ということになる。


そして、ウイルスも人間と共生すべく変異をくり返していくように、人間もまた、ウイルスと共生するために抗体を獲得するのです。それが免疫です。

また、人間と共生したウイルスは、新たなウイルス(病原体)の侵入に対して、ときに防御する役割も担っているそうです。そのため、ウイルスを根絶することは、人類にとって逆にリスクをもたらすことにもなりかねないのです。

病原体の根絶は、もしかすると、行きすぎた「適応」といえなくはないだろうか。感染症の根絶は、過去に、感染症に抵抗性を与えた遺伝子を、淘汰に対して中立化する。長期的に見れば、人類に与える影響は無視できないものにある可能性がある。
(同書)


一方で、「いつの時点においても、達成された適応は、決して『心地よいとはいえない』妥協の産物で、どんな適応も完全で最終的なものでありえない」とも書いていました。発症するまでの期間が長くなり、その期間が人間の寿命を越えると、ウイルスは「無毒化された」ことになるのですが、しかし、それも一筋縄ではいかないということなのでしょう。

とまれ新柄コロナウイルスの感染拡大を終息させるには、「集団免疫」しかないという考えも、ウイルスとは共生するしかないという感染学の“常識”に基づいたものなのです。

しかし、感染者がゼロになったという中国も、もちろん、中国に対抗して経済活動の再開を手探りではじめたアメリカも、まだ「集団免疫」を獲得していません。世界で「集団免疫」を獲得した国は、1022万人と人口が少なく、その意味では「集団免疫」を獲得しやすかったスウェーデンだけです。そのスウェーデンにしても、最新の情報では、感染者が19621人、死者が2355人の犠牲を払っているのです。

これから「集団免疫」を獲得するまで、第二波、第三波の流行がやって来るのは間違いないでしょう。

山本教授によれば、スペイン風邪では、「多くの地域で、第一波の流行より第二派の流行で致死率が高く、第三波で再び致死率が低下した」そうです。自然は、私たちにシッペ返しという大きな試練を与えているのです。

また、生物学者の福岡伸行氏も、朝日新聞の特集記事の中で、「ウイルスは私たち生命の不可避的な一部であるがゆえに、それを根絶したり撲滅したりすることはできない」、共生するしかないと言っていました。

ウイルスは構造の単純さゆえ、生命発生の初源から存在したかといえばそうではなく、進化の結果、高等生物が登場したあと、はじめてウイルスは現れた。高等生物の遺伝子の一部が、外部に飛び出したものとして。つまり、ウイルスはもともと私たちのものだった。それが家出し、また、どこかから流れてきた家出人を宿主は優しく迎え入れているのだ。なぜそんなことをするのか。それはおそらくウイルスこそが進化を加速してくれるからだ。

 その運動はときに宿主に病気をもたらし、死をもたらすこともありうる。しかし、それにもまして遺伝情報の水平移動は生命系全体の利他的なツールとして、情報の交換と包摂に役立っていった。

 いや、ときにウイルスが病気や死をもたらすことですら利他的な行為といえるかもしれない。病気は免疫システムの動的平衡を揺らし、新しい平衡状態を求めることに役立つ。そして個体の死は、その個体が専有していた生態学的な地位、つまりニッチを、新しい生命に手渡すという、生態系全体の動的平衡を促進する行為である。

朝日新聞デジタル
「ウイルスは撲滅できない」福岡伸一さんが語る動的平衡


もちろん、個人的には新型コロナウイルスの感染は「怖い」のですが、しかし、無定見な”自粛厨”(煽られるアホ)にならないためにも、ただ怖がるだけでなく、このようなウイルスに対する客観的な視点を持つことも大事なことではないかと思いました。
2020.04.29 Wed l 新型コロナウイルス l top ▲
沖縄の玉城デニー知事が、航空会社の予約によれば、このゴールデンウイークで沖縄に来る予定の人が6万人もいるとして、旅行のキャンセルを求めたというニュースがありました。玉城知事は、ツイッターで呼びかけたほか、27日には記者会見でも、あらためてキャンセルを求めたのでした。

メディアによれば、4月29日から5月6日までのゴールデンウイーク期間中の沖縄便は、「日航グループでは約2万7千人(昨年比18%)、全日空で約2万3千人(同10%)で、計約5万人の予約がある」(朝日)そうです。玉城知事の呼びかけは、その数字を踏まえてのものだったのでしょう。

しかし、当初から玉城知事の発言を疑問視する声がありました。6万人というのは、往復便の合計数なので、単純に考えても来沖の人数は半分の3万人です。しかも、これはあくまで予約にすぎず、キャンセルの手続きをしていない予約客も多いので、最終的にはもっと少なくなるだろうと言われていました。

すると、案の定、赤羽国交相は28日の閣議後の会見で、「県外から沖縄への予約者は27日時点で約1万5千人になったと説明した」(朝日)そうです。これも往復便の合計数でしょうから、実際の来沖数は7千5百人以下でしょう。もちろん、その中には、仕事で来る人も、帰省する人もいるでしょう。

玉城知事は、呼びかけに際してあきらかに数字を盛っているのです。もしそれがわかってなくて発言したのだとしたら、緊急事態宣言&自粛ムードの中で、完全に浮足立っていると言えるでしょう。さらに、玉城知事は、会見では、東京都の小池知事が提唱した「STAY HOME 週間」という言葉まで使ってキャンセルを呼びかけていたのでした。まるで小池都知事に右へ倣えしたかのようです。

感染者数のコントロール(情報操作)と同じことが、いろんな分野で行われているのです。それは、リベラル派の知事も例外ではないのです。と言うか、リベラル派もその片棒を担いでいるのです。玉城知事のトンチンカンぶりは、立憲民主党の特措法改正案賛成と軌を一にしていると言えるのかもしれません。そうやって、家にいること以外はことごとく自粛に反するとして指弾される異常な空気が作られているのです。

何度も言いますが、海や山に行くことにどうして地元民が「恐怖を感じる」のか。この前まで彼らは、観光客相手に特産品や食べ物を売って小遣い稼ぎをしていたのです。それが途端に「恐怖を感じる」ようになり、まるで石を持って追い払うように観光客を敵視しているのでした。

そのうち、地元民が自警団を作って、(岡山県のように)検問をはじめるかもしれません。

一方で、玉城知事のような薄っぺらな政治家やメディアがそれを煽っているという側面も見逃せないでしょう。

ゲーブルカーも運休し茶店も閉まった閑散とした高尾山の参道で、徒歩で登ってきたハイカーに向けてマイクを突き付け、「どうして高尾山に来たのですか?」「どうして自粛できないのですか?」と問いただすメディアの異常性。しかし、その異常性を指摘する声は皆無です。メディアは、そうやって「オレたちが家で我慢しているのに、外を出歩く奴は許せない」という大衆の負の感情を煽っているのです。

昨日会った同郷の人間は、先週、田舎の父親が亡くなったそうですが、葬儀にも帰ることができなかったと言っていました。田舎の親戚から「東京から帰って来ると、田舎の人たちに迷惑をかける」と言われたのだとか。それに、飛行機も1日1便に減便されているので、チケットを取るのさえ難しいと言ってました。

そのため、事情を知った葬儀会社が葬儀の模様をLINEの動画で送ってくれたそうです。彼は、スマホの画面を見ていたら涙が出て仕方なかったと言っていました。

自粛要請に従って休業したものの、満足に補償も得られないので生活も立ち行かなくなり、決してオーバーな話ではなく、破産か自殺かの選択を迫られている自営業者も少なからずいます。それを考えれば、未だに営業しているパチンコ店は「最後まで抵抗をしている気骨のある店」と言えなくもないのです。「従業員の雇用を守るため」という理由もウソではないでしょう。パチンコ店で働いている人たちは、不安定な身分の雇用形態の人が多いので、休業したら途端に職を失い路頭に迷うことになるのです。

店名公表に対して、パチンコ店は「行政による集団リンチだ」(朝日)と反発していたそうですが、誰が見てもそうでしょう。しかし、その危険性を指摘する人間もいないのです。言えない空気があるからです。「人びとの憎しみを焚きつけるような私刑を誘うやり方はよくない」と反対したのが保守派の三浦瑠麗だけというのも異常です。三浦瑠麗の発言は、至極真っ当でした。

三浦氏は24日、ツイッターで「パチンコは騒がしいので普段から好きではありませんが、見せしめのような店名公表には反対です」と言及。「自粛なんだからあくまでも基本自由であるということを原則として頭においていただきたい。行政が電凸を誘う社会的圧力をかけるべきではないし、潰れて労働者がクビになったら責任を取れるのでしょうか」とした。

続くツイートで「コロナ禍は好ましいものと好ましくないものに人の心のなかで差をつけさせる。望ましくない業態、望ましくない職業。休業して持ち堪えることできない場合、要請にとどまるあいだは営業は自由だと思う」と指摘。「人びとの憎しみを焚きつけるような私刑を誘うやり方はよくない。法治国家はそれをすべきでない」と訴えた。

Yahoo!ニュース
日刊スポーツ
三浦瑠麗氏が要請応じないパチンコ店施設公表を批判


横浜の旭区で、物件の内覧に訪れたアパートの室内で、不動産会社の女性社員をナイフで刺してカバンなどを奪った犯人は、先月まで大阪の風俗店で働いていたけど、休業要請で職を失ったため、横浜で路上生活をしていたのだそうです。そのため、わずか数千円しか入ってないカバンを奪うために人を刺したのです。これからは、こういった事件も多くなるでしょう。都市の最深部に行けば行くほど、世も末のような荒涼とした光景が広がっているのです。

緊急事態宣言が発令されたら、先の戦争のときと同じように、いつの間にかリベラル派も問答無用の翼賛体制の隊列に並んでいるのでした。そして、みんなで思考停止に陥って、右に倣えして最敬礼しているのです。異論であるはずの野党(リベラル派)が、異論を排する側に立っているのです。玉城知事のトンチンカンぶりは、そんなヘタレなリベラル派を象徴しているように思いました。
2020.04.29 Wed l 新型コロナウイルス l top ▲
カミュの『ペスト』を読み返したいと思って、本棚を探したのですが、どうしても見つかりません。しかし、アマゾンや紀伊国屋やhontoなどの通販サイトをチェックしましたが、いづれも電子書籍しかなく、紙の本は「在庫なし」でした。

私は、電子書籍をまったく利用してないわけではないのですが、やはり、できれば紙の本で読みたいという気持があります。それで、日販(日本出版販売)が運営する通販サイトに、『ペスト』(新潮文庫)と『感染症と文明』(岩波新書)の2冊を注文しました。そして、注文して1週間近くが経った今日、やっと発送したというメールが届きました。

考えることは誰でも同じみたいで、現在、この2冊はベストセラーになっており、どこの書店も入荷したらすぐ売り切れるそうです。

『感染症と文明』は、長崎大学熱帯医学研究所の山本太郎教授が2011年に書いた本です。先日、朝日新聞に載っていた山本教授のインタビュー記事を読んで、あらためて著書を読みたいと思ったのでした。

朝日新聞
感染症と社会、目指すべきは「共存」 山本太郎・長崎大熱帯医学研究所教授に聞く

山本教授は、記事の中で次のように言っています。

「多くの感染症は人類の間に広がるにつれて、潜伏期間が長期化し、弱毒化する傾向があります。病原体のウイルスや細菌にとって人間は大切な宿主。宿主の死は自らの死を意味する。病原体の方でも人間との共生を目指す方向に進化していくのです。感染症については撲滅よりも『共生』『共存』を目指す方が望ましいと信じます」
(略)
「従来の感染症は多くの犠牲者を出すことで、望むと望まざるとに関わらず社会に変化を促したが、新型コロナウイルスは被害それ自体よりも『感染が広がっている』という情報自体が政治経済や日常生活に大きな影響を与えている。感染症と文明の関係で言えば、従来とは異なる、現代的変化と言えるかもしれません」


今回の新型コロナウイルスが、時代的背景こそ違え、ペストと同じように、政治経済や文明に歴史的な変化をもたらすのは間違いないでしょう。後世の歴史家は、ターニングポイントとなった新型コロナウイルスの流行について、ページを割いて詳述するに違いありません。

岡江久美子が死亡したというニュースも衝撃でした。感染だけでなく感染死が他人事ではないことを痛感させられた気がして、テレビで彼女の死が取り上げられているのを観るたびに、重苦しい気分になっている自分がいます。

感染するのは覚悟している、覚悟するしかないなどと言いながら、その先にある死に対しては、目を背けていたところがありました。しかし、芸能人の死によって、その現実を目の前に突き付けられたような気がするのでした。

政府や専門家は、人との接触を8割減らせと言います。そのためには、会社も休め、スーパーに買い物に行くのも3日に1回にしろと言います。

でも、それでホントに感染の拡大は止むのだろうかという疑問は拭えないのです。政府や専門家が言っていることは、どう見ても場当たり的にしか思えません。実際に、新型コロナウイルス感染症対策専門家会議が言っていることも、最初の頃とはずいぶん違って来ているのです。

最近、「集団免疫」とのカラミで、市中感染率の重要性が取り沙汰されていますが、それも多くの人たちが前から指摘していたことです。無症状や軽症の感染者を顕在化しなければ、効果的な感染対策ができないことくらいシロウトでもわかる話です。でも、それすらやってこなかったのです。それが、今のような日本が「独り負け」した状態をもたらしたのは間違いないでしょう。

「人との接触の8割削減」だけがひとり歩きしていますが、そういった(衆愚政治の常套手段の)シングルイシューによって、隠されているもの、ごまかされているものがあるのではないか。私は、あの痴呆的なアベノマスクやアベノ動画が、日本政府の感染対策のレベルを象徴しているように思えてなりません。

埼玉では、白岡市と東松山市で、入院の調整がつかないなどの理由で自宅待機を余儀なくされていた感染者の男性が二人、相次いで亡くなりましたが、その背景に、「病床が満杯になるのを避けるため、(PCR検査の)条件を厳しめにやった」というさいたま市の保健所長の発言が示しているような、事なかれ主義の”小役人的発想(対応)”があるのはあきらかでしょう。

白岡市の男性は、ひとり暮らしだったそうですが、ひとり肺炎の苦しみの中で死を迎えたその姿を想像すると、いたたまれない気持になります。現実は、(トリアージとは別に)既に命の選別が行われているのではないか。そんな疑問すらあります。「人との接触の8割削減」の陰で、大事な問題がなおざりにされているように思えてなりません。

ゴールデンウィークを前に、自治体の首長からは、道路封鎖を要望するような過激な発言も出ていますが、なんだかそうやって問題のすり替えが行われているような気がしてなりません。“非常時”を錦の御旗に、基本的人権などどこ吹く風の風潮がまかり通っているのです。

休業要請に従わないパチンコ店の店名公表も然りです。感染の拡大が一部の不心得者の行動にあるかのようなもの言いは、詐術以外のなにものでもありません。パチンコ店は在日のイメージが強いので、自粛のストレスのはけ口として格好のターゲットになったという側面もなくはないでしょう。

動員の思想によって、大衆の負の感情ばかりが煽られているのです。メディアがその先兵の役割を担っているのです。煽るアホに煽られるアホという言葉しか浮かびませんが、そこに垣間見えているのは、「ファシスト的公共性」(佐藤卓己)を陰画とする自粛の風景です。そして、文字通りの“自粛厨”として、産経新聞から朝日新聞、百田尚樹から玉川徹まで、みんな口を揃えて「ファシスト的公共性」を称揚しているのでした。その点においては、寸分の違いもないのです。
2020.04.25 Sat l 新型コロナウイルス l top ▲
今更言うまでもありませんが、自粛により多くの自営業者が苦境に喘いでいます。雀の涙ほどの協力金では、それこそ焼石に水でしょう。中には、協力金が命綱だと言う個人事業主もいますが、それも5月6日まで休業して、そのあとは以前のように事業が再開できると思っているからでしょう。

しかし、緊急事態宣言が5月6日で終了する可能性はほとんどなく、緊急事態宣言の延長はもはや既定路線なのです。

それは地方も同じです。地方の観光地ほどインバウンド頼りだったので、いきなり奈落の底に突き落とされたような感じで途方に暮れているのです。

地元の温泉地で商売をしている友人によれば、夜の街では、このところ金貸しの姿がやたらが目に付くようになった、と顔見知りのポン引きのおばさんが話していたそうです。ポン引きのおばさんたちは、毎夜、路地に立って目の前を行き交う人を見ているので、人の情報や街の変化をキャッチするのが早いのです。つまり、苦境に陥っている自営業者たちが、それだけ高利のお金に手を出しているということなのでしょう。また、10万円の給付も決定したので、それを担保にお金を借りようという人も多いのかもしれません。それで、金貸しが俄然忙しくなったのです。

もちろん、苦境に陥っているのは、ポン引きのおばさんたちも例外ではなく、今月はヘルスに2件紹介しただけで、収入は6千円しかないと嘆いていたそうです。ちなみに、紹介料はヘルスが3千円、ソープは5千円~6千円だとか(ヤクザがやっている店は女性のレベルが高く高級店が多いので、紹介料も高いそうです)。

厚労省の助成金(いわゆる”休業補償金”)では、当初、風俗業などで働く人たちは対象外とされていました。しかし、批判が殺到したため、厚労省は方針を転換して、風俗業や夜の飲食業で働く人たちも対象にすることにしたのですが、ポン引きのおばさんたちのようなブラックな職業の人たちはどうなるんだろうと思いました。

歌舞伎町で風俗業をしていた知り合いも、“休業補償金”をめぐって、早速、闇社会の住人たちがあれこれ知恵を絞っていると言っていました。

もっとも、新型コロナウイルスの感染拡大で、「経済崩壊」の声さえ囁かれる中、日経平均株価がときに大幅上昇する奇妙な現象が示しているのは、今や株式市場が実体経済を離れてマネーゲームの賭場になっているからですが、そうやって日銀がせっせせっせと印刷して株式市場に投入したお札が、得体の知れない(?)外国人投資家の懐に吸い上げられていることを考えれば、数十万円の金額をめぐる闇社会の悪知恵なんてまだかわいいものです。

今夜、インタフォーンがピンポーンと鳴ったので、誰だろうとモニターを見たら、マスクをした女性たちが並んで立っていました。

「どなたですか?」
「あの~、新型コロナについてお話ししたいことがあるので、玄関まで通していただけないでしょうか?」
それで、「おい、お前、なに言っているんだ?」と声を荒げると、「じゃあ、新聞を入れておきますので読んで下さい」と言ってモニターから消えました。

郵便受けに入っていた「新聞」を見ると、カルトで有名な仏教系の新新宗教団体でした。

新型コロナウイルスの感染拡大は、カルト宗教にとっては「広宣流布」のチャンスでもあるのでしょう。

右か左かではなく上か下かで見ると、まさに世も末のような荒涼たる光景が広がっているのでした。
2020.04.23 Thu l 新型コロナウイルス l top ▲
昨日、3週間ぶりに開かれた新型コロナウイルス感染症対策専門家会議で、同会議が提言した「人との接触を8割減らす。 日常生活を見直す10のポイント」なるものを見て、私は「なに、それ」と思いました。

提言なんて仰々しい言い方をしていますが、ここに至っても、そんな子どもに悟すようなことしか言えないのかと思いました。もっとも、この提言は、緊急事態宣言を延長するための”前振り”のように思えなくもありません。

頭隠して尻隠さずのような自粛ばかり押し付けられていますが、ホントに感染の拡大の原因は、自粛の不徹底だけなのでしょうか。一方では、外出の自粛と関係のない、院内感染や家庭内感染の問題が取り沙汰されるようになっているのです。また、都心の繁華街だけでなく、今度は地元の商店街やスーパーや公園などの”密”が問題視されています。なんだか都心から地元へ地元から家庭へと、追いかけっこしているような気がしないでもありません。

挙句の果てには、政府や東京や大阪などの自治体からは、休業要請に応じないパチンコ店などの店名を公表するという話が出ています。いよいよ緊急事態宣言の本性が表れてきたように思えてなりません。こうやって要請が命令になっていくのです。

それにつれ、ネットを中心に、自粛に従わない人間たちに対するバッシングもエスカレートするばかりです。しかも、そのバッシングは感染者にも向けられ、感染者はまるで犯罪者のように指弾されるのでした。

前も書きましたが、自粛は人々に大きなストレスを与えます。そのストレスのはけ口が、自粛要請を守らない不謹慎者や「迷惑をかけられる」感染者にぶつけられるのです。これこそファシズムにおける大衆心理の典型的な構造と言えるでしょう。

ヤフコメをはじめネットは、この手の書き込み(罵言)で溢れています。そうやって全体主義に「レイプされた大衆」(セルゲイ・チャコティン)は、まるでファシストたちの”サディズム的快感”をインプットされたかのように「不謹慎者狩り」に走るのでした。まさに歴史は繰り返しているのです。

自治体には、公園で親子連れが遊んでいるので迷惑だというクレームが多く寄せられ、自治体は公園の遊具にテープを貼って使用できないように対策を講じているそうです。また、先週の日曜日には、千葉や湘南の海に多くのサーファーなどが押し寄せたため、地元の住民たちが「恐怖を覚えた」として、地元の自治体は駐車場の閉鎖を決めたそうです。さらに、鎌倉や藤沢や逗子など湘南地区の11自治体は、神奈川県の黒岩知事に対して、「海岸の封鎖や道路を通行止めの措置をとるよう」要望したのだそうです。

こうやって移動の自由という基本的人権も、なんの躊躇いもなくあっさりと否定されるのです。

私が通う奥多摩でも、山梨の小菅村や東京の奥多摩町や檜原村など関係自治体が、登山の自粛を呼びかけ、併せて駐車場や林道の閉鎖を決定したというニュースがありました。

また、それに呼応するように、日本山岳会、日本山岳ガイド協会、日本山岳・スポーツクライミング協会、日本勤労者山岳連盟の山岳4団体は、登山の自粛を呼びかける共同声明を発表したそうです。

その共同声明「山岳スポーツ愛好者の皆様へ」は、次のように呼びかけていました。

(略)全国民が、外出制限、商業施設の相次ぐ閉鎖あるいは在宅勤務等々、日々逼迫した窮屈な生活を強いられています。このような現況下で、都市を離れ、清浄な空気と自然を求めての登山やクライミング行為は、出先の方々への感染を広め、山岳スポーツ愛好者自身が感染するリスクを高めます。

(略)この緊急事態に対処するには、山岳スポーツを愛する皆様の他者への思いやり、そして何よりご自身の感染防御に専心され、事態の収束を見るまで山岳スポーツ行為を厳に自粛していただきますよう山岳四団体としてお願いいたします。

日本山岳・スポーツクライミング協会
<山岳四団体声明>山岳スポーツ愛好者の皆様へ


先の戦争のときも、おそらく似たような声明が出されたのでしょう。

登山には、「自立した登山者であれ」という言葉があります。人に連れられて行った「山」は山ではない、という言い方もあります。山に登るということは、すべてのリスクを自分で背負うということです。その”覚悟”を持つということです。そのためには、”覚悟”に似合う体力と技術と知識と精神力が要求されるのです。それが「自立」ということです。

誤解を怖れずに言えば、今回の声明は、登山の“自立(孤高)の精神”とは真逆にあるものと言えるでしょう。もちろん、自粛に従わないことが「自立した登山者」であると言いたいわけではなく、山岳団体が、登山者に対して八つ当たりしているとしか思えない地元の要望を受けて、頭から登山者を縛るような声明を出すことに違和感を覚えてならないのです。山岳団体としては、(自粛に反対するのでも従うのでもなく)静観する姿勢があってもいいのではないかと思います。どこかの「頭悪すぎて笑う」登山家とは違うのですから、静観するのもひとつの見識でしょう。

閑話休題、私には、昨日の専門家会議の提言は、自分たちの瑕疵(ミス)を棚に上げて、感染の拡大の責任を国民に押し付ける”詭弁”のようにしか思えません。そして、”詭弁”を”詭弁”と指摘できない今の風潮は、益々日本の「独り負け」を加速させるだけのように思います。自然の猛威である新型コロナウイルスは、原発事故などと違って、日本人お得意のごまかしはきかないのです。

オリンピックや政権の体裁のための初動の遅れ。PCR検査の抑制による感染者の隠蔽。その延長にある政府の場当たり的な対応に唯々諾々と従い、お墨付けを与えるだけの専門家会議。未だに市中感染率さえ把握できてない事態を招いた責任は、専門家会議にもあるでしょう。これでは、ナチスのNSV(ナチス民衆福祉団)と同じようなものと言っても言い過ぎではないでしょう。
2020.04.23 Thu l 新型コロナウイルス l top ▲
私が前々回の記事で書いた渋谷健司氏に対する誹謗は、立憲民主党の有田芳生参院議員もリツイートしていました。

有田議員自身も渋谷氏を毛嫌いしていたみたいで、そのあとも、渋谷氏がWHOの「上級顧問」であるというのはまったくの嘘だ、履歴詐称だという別の人物のツイートもリツイートしていました。それは、次のようなものです。


ところが、このツイート自体がデタラメだったのです。指摘した人物によれば、WHOのHPを検索したら「0.01秒」で渋谷氏の名前が出てきたそうです。

しかし、有田議員は、あろうことか指摘した人物を逆に「デマを流している」と決めつけたのでした。そのため、指摘した人物から猛反発を受け、結局、次のような「お詫び」を出す羽目になったのでした。


指摘した人物ならずとも、大丈夫かと言いたくなりました。有田議員の醜態は、特措法改正に賛成した立憲民主党のテイタラクを体現しているような気がしてなりません。

政府の感染対策を批判する専門家に対して、フェイクだと誹謗するツイートを次々とリツイートするその感覚には、ただ驚くばかりです。もっとも、安倍首相に超法規的権限を与える特措法改正に賛成した立憲民主党の姿勢を考えると、有田議員のリツイートには納得もできるのです。

一方で、今回のトンマな所業には、故・平野謙が指摘した、前衛党神話に呪縛された左翼特有のリゴリズムが垣間見えるような気がしないでもありません。話が飛躍しているように思われるかもしれませんが、そういった思考法は元左翼も無縁ではないのです。

くり返しますが、こんなときだからこそ、誰が信用できて誰が信用できないかをしっかりと見ておく必要があるのです。

これが私が二度に渡って、イデオロギーや党派性の”怖さ”について「余談」を書いた理由です。
2020.04.21 Tue l 新型コロナウイルス l top ▲
今の自粛一色の空気は、子どもだけでなく大人だってストレスを抱えるものです。わけもなく重苦しい気分になったかと思うと、やたらイライラしたりして、いつもと違うのが自分でもわかります。

私にとっての自粛は、帰省をキャンセルしたことと、それから山に行ってないというか、行きづらくなって山行きを自重していることです(と言っても、まだ10日ちょっとですが)。

実は今日(20日)から九州へ帰省する予定でした。今回の帰省のいちばんの目的は、数十年ぶりに地元の山に登ることでした。子どもの頃、父親と一緒に登った思い出があり、いつかまた登りたいなとずっと思っていたのです。

しかし、先月、田舎の友人から電話があり、今回はやめた方がいいぞと言われ、やむなくキャンセルしたのでした。

おかげでストレス太りして困っています。今日も、久しぶりに会った知り合いから、「太りましたねぇ~」「どうしたんですか?」と言われました。

山に行くのも、自粛の同調圧力に抗すればいいだけなので、行こうと思えば行けるはずなのです。ザックを背負って登山靴を履いて、早朝の電車に乗ればいいだけの話です。帰りの電車では、乗客からの白い目にちょっと耐えればいいだけの話です。前回と同じように寝たふりをすればいいのです。

聞くところによれば、昨日の日曜日は天気も良かったので、ヤビツ峠に行く道は登山客の車で渋滞していたそうです。表尾根や大倉尾根の登山道も、普段の休日と変わらないくらい人でいっぱいだったそうです。そんな話を聞くと、「オレも」と思ったりするのでした。

たしかに、自粛にはアホらしいような建前の一面があります。スーパーに行くと、「ソーシャルディスタンス」なのか、レジの前の床に1メートル間隔(?)にラインが引かれていました。しかし、「ソーシャルディスタンス」は並んでいるときだけで、レジのまわりは狭いので、レジの先にある支払い機で支払いするときは、レジで計算している次のお客や横の支払い機で支払いしているお客と密着しているのでした。

一方、通勤電車の中では、「ソーシャルディスタンス」なんてどこ吹く風で、人々が座席に座ろうと我先に電車に乗り込んできます。また、車両の間を歩いて空いている席を探している乗客もいます。みんな、みずから進んで密着しようとしているのです。

東京都の感染者の年齢構成と自粛後の通勤電車の乗客の年齢構成が重なるという話がありますが、たしかにそうかもしれません。未だ多くの人たちが感染に怯えながら(?)通勤しているのです。だからこそ、誰よりも「ソーシャルディスタンス」を心がける必要があるのです。それが、感染を避けるために自分でできる対策でしょう。しかし、実際はそんな最低限の自衛策さえ取ってない人があまりに多すぎるのです。それが現実なのです。

小池都知事ではないですが、「ソーシャルディスタンス」なんて英語を使うので、みんな、ことばの意味を理解してないのではないかと皮肉を言ってみたくなります。そのくせ隣の乗客が咳をすると、顔をしかめて睨みつけたりするのでした。もしかしたら、そういう人間に限って、ネットで石田純一に罵言を浴びせたりしているのかもしれません。

今日会った旧知の若いサラリーマンは、給与が減っているわけでもないのに、子どもも含めて3人家族なので、今回の10万円給付で30万円もらえると喜んでいました。「ラッキーですよ」と言ってました。また、「同じ会社の人で子どもが4人いる人がいるんですが、その人なんか60万円もらえるんですよ」「自粛が終わったら家族で旅行に行きたいと言ってましたよ」と言ってました。

この10万円給付については、元衆議院議員の杉村太蔵が「強烈な格差を生み出す」として、「大反対」を表明し「炎上」しているそうです。

Yahoo!ニュース
ORICON NEWS
『サンジャポ』国民一律10万円給付に賛否両論 杉村太蔵「強烈な格差を生み出す!」

 杉村は「生活支援策としても景気回復策としても大反対です!  というのも私、今、こうしてテレビで使っていただいている。生活に経済的に影響ありません。うちは家族5人ですから、杉村太蔵に50万円。一方、派遣切りに遭った、収入が半分以下になってしまった、そういう人、派遣の方は残念ながらなかなか結婚できない。1人暮らしの方が多い。こういう方は10万円なんですね。国民全員に配るというのは、公平なようで強烈な格差を生み出すことになる」と主張。


杉村太蔵は、自民党の衆院選候補者公募に応募するまでは、派遣の仕事をしていたそうなので、まだこういった感覚が残っているのでしょう。

非常時になると、意外な人が意外なことを言ったりするものです。反対に、日頃、リベラルなことを言っている人間が、途端に“国家への帰順のすすめ”のようなことを言ったりしてがっかりさせられることがあります。

私たちは、こんなときだからこそ、誰が信用できて誰が信用できないかをしっかりと見ておく必要があるでしょう。それは、右や左かのイデオロギーではありません。そんなものはなんの尺度にもならないのです。自由や共生、あるいは平和というものに対して、どれだけ高い見識とデリケートな感性を持っているかでしょう。

前回の記事でも書きましたが、何事もイデオロギーの色眼鏡で見ることしかできないリベラル左派の硬直した観念は、むしろ怖いなと思います。そういうところにもまだ、党派性の悪夢=左の全体主義が生きていることがよくわかりました。
2020.04.20 Mon l 新型コロナウイルス l top ▲
ここに至ってもなお、検査数が抑えられている現状で、感染者数を云々(「デンデン」ではありません)するのはナンセンスのような気がしないでもありませんが、日本の感染者数が韓国を抜くのはいよいよ時間の問題となりました。

◎感染者数 カッコ内は死者数
日本9795人(154人)
※4月18日 午後6時現在 厚労省発表
韓国10635人(230人)
※4月17日 午前0時現在 中央事故収拾本部及び中央防疫対策本部発表

◎新規の感染者数 ※4月18日現在
日本577人
韓国18人


PCR検査は、日本は現在も一日に5千件弱しか行われておりません。安倍首相は、先日の記者会見で、一日に1万2千件行う体制にあると言ってましたが、実態はまるで違います。

マスクも然りです。マスク不足が問題になった2月頃から「来週には十分供給できる」と言ったり、それが過ぎると今後は「来月には」と言っていました。でも、未だに改善されていません。

マスクだけではありません。除菌用品も同じです。ネットで販売されていても、従来の10倍もするような高額なものばかりです(それも予約販売でいつ手に入るかわからない)。

昨夜の「報道特集」(TBS)でもキャスターの日下部正樹氏が嘆いていましたが、マスクや除菌用品など、家庭内で感染対策するのに必要な最低限なものさえ手に入らない状態なのです。不要不急の外出の自粛を呼び掛ける前に、することがあるだろうと思います。

検査を抑制していることについて、最近は感染症学会など一部の医療関係者から、これ以上検査をすると医療が崩壊するという抑制を正当化するイデオロギーが、メディアを通して振り撒かれています。医療関係者お得意の半ば脅しのような話ですが、キングス・カレッジ・ロンドン教授で公衆衛生学者の渋谷健司氏は、下記の『AERA』のインタビューで、医療崩壊と検査は別の問題だと言っていました。

余談ですが、渋谷健司氏は医療の規制緩和を推進しているなどの理由により、立憲民主党に随伴する一部のリベラル左派から毛嫌いされているみたいで、ネットには「こんな人物の言うことを信じる人がいるなんて信じられない」という声さえありました。また、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いとばかりに、渋谷氏が日本には実際に10万人の感染者がいると発言したことに対して、10万人もいればとっくに医療崩壊しているだろうとヤユする声もありました。

言うまでもなく、10万人というのは、無症状や軽症の未検査の潜在的な感染者のことです。それがどうして医療崩壊になるのか。ヤユするにしても、言っていることがあまりにもバカっぽいのです。何度も言いますが、表に出ている感染者以外に、自分が感染していることがわかってない潜在的な感染者が10万人もそれ以上もいると考えても、決しておかしくないでしょう。そういった無自覚な感染者の存在が集団感染や目に見えない感染爆発の要因になっているのです。PCR検査をして、まずそういった感染者を顕在化する必要があるのです。

安倍マンセーのネトウヨ同様、右か左かの色眼鏡で見ることしかできない(そして、自分たちのお眼鏡にかなわなければ総否定する)リベラル左派もまた、この状況の中でトンチンカンな醜態を晒していると言えるでしょう。

Yahoo!ニュース
AERA
WHO上級顧問・渋谷健司さんが警鐘 「手遅れに近い」状態を招いた専門家会議の問題点

――日本では当初から「検査を抑えて医療態勢を守る」という考えがありました。そもそも、世界の専門家の間でこのような手法はどう評価されているのでしょうか。

検査を抑えるという議論など、世界では全くなされていません。検査を抑えないと患者が増えて医療崩壊するというのは、指定感染症に指定したので陽性の人たちを全員入院させなければならなくなったからであり、検査が理由ではありません。

むしろ、検査をしなかったことで市中感染と院内感染が広がり、そこから医療崩壊が起こっているのが現状です。

――政府の専門家会議は、機能していると考えていますか。

科学が政治から独立していないように見受けられ、これは大きな問題だと感じています。

先ほど指摘しましたが、4月1日時点で「東京は感染爆発の初期である」と会議メンバーは知っていたはずです。それならばそこで、緊急事態宣言をすべしという提案を出すべきでした。

しかし、この日の記者会見で出てきたメッセージには、国内の逼迫(ひっぱく)した状況を伝えてはいたものの、『我が国では諸外国で見られるようなオーバーシュートは見られていない』といった国民の緊張感を緩ませるような言葉もまぎれていました。


感染対策の遅れによって、日本がアメリカやイタリアやスペインに匹敵するか、あるいはそれ以上のひどい状況になり、「独り負け」するのではないかという指摘もありますが、決してオーバーな話ではないのかもしれません。日本は感染対策で「独自の道」を歩んでいるなどと書いていたバカなメディアがありましたが、そんなおめでたい状況にないことだけはたしかでしょう。

マスクも除菌用品もなくて、ただ外出を控えろと言われるばかりで、ホントに感染の拡大が止まるのか。感染要因はホントに3密だけなのか。検査の抑制と政府の言う「感染の封じ込め」は、一体どんな関係にあるのか。その二つに合理的な関係があるのか。「集団免疫」ができなければ感染は止まないと言われているのに、「感染の封じ込め」はただ「集団免疫」を先送りするだけではないのか。

ワクチンもなく治療法も確立してない中では、とりあえず「感染を封じ込めて」時間稼ぎをするしかないという方針に”三分の理”はあるにしても、このように素人の疑問は尽きないのでした。

専門家の話では、新型コロナウイルスに関しては、ホントに免疫ができるのかどうか、また、免疫ができたとしてもいつまで有効なのか、まったくわかってないそうです。つまり、「集団免疫」という感染症の一般論(常識論)が成立するかどうかもわからないのです。

仮に「集団免疫」が有効だとしても、アメリカでもまだ「集団免疫」は30%くらいしかないという話があります。昨日だか、トランプが、最終的に死者が現在の2倍の6万人くらいになる見込みだと話していたのは、おそらく「集団免疫」の獲得=終息を想定して言っているのでしょう。

しかし、日本は、(検査を抑制してきたので)正確な市中感染率も把握していないため、現在「集団免疫」がどのくらいまで進んでいるのかという客観的な感染状況さえわからないのです。

感染数を少なく見せて「ニッポン、凄い!」を演出(自演乙)する政治的な思惑ばかりが優先されたのです。オリンピックと政権の体裁(支持率)のために、私たち国民の健康がなおざりにされてきたのです。その結果、今のような誰が見ても手遅れの状態を招いてしまったのでした。

国民全員に一律10万円を配るという決定に対しては、国民も野党もこぞって「大歓迎」で、ツイッターでは、森友学園の園児と同じように、「♯安倍首相がんばれ」というハッシュタグがトレンド入りしているそうです。

麻生財務大臣が手を上げた者に給付することになるだろうと発言して反発を受けていましたが、彼の日頃の尊大な態度を見てもわかるとおり、安倍政権の面々にしてみれば、10万円給付は、節分の日に成田山新勝寺の壇上から豆まきするのと同じような感覚なのかもしれません。

麻生財務大臣の言動には、10万円給付に群がる国民の卑しさという彼の本音が出ているように思います。4人家族なら40万円ももらえるのですから、そりゃ卑しくもなろうというものですが、私には、その卑しさはマスクやトイレットペーパーの買いだめの光景とタブって見えて仕方ありません。

自宅待機していても、給料が下がってないサラリーマンも大勢います。公務員も給料は下がってないでしょう。当初の30万円の給付の対象要件があまりに厳しすぎたのはたしかですが、やはり、所得制限をして、その分給付額を20万円にするとか、そういった考えが必要ではないかと思います。ホントに困窮している人たちに少しでも多くのお金が行き渡るような、そんな相互扶助の精神がこの国にはないのかと思います。

電車の中の“席取り合戦”のように、我先に手をあげて10万円の札束を奪い合う光景が目に浮かぶようです。もしかしたら「♯安倍首相ありがとう」というハッシュタグがトレンド入りして、支持率も上がるかもしれません。そして、壇上では安倍や麻生や二階ら安倍政権の古狸たちがふんぞり返って、札束を奪い合う国民を指差しながら高笑いするのでしょう。まるでどこかの独裁国家のようで、衆愚政治ここに極まれりという気がしてなりません。
2020.04.19 Sun l 新型コロナウイルス l top ▲
昨夜のTBS系列の「情熱大陸」に出ていた、ウイルス学者で、政府の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議のメンバーでもある河岡義裕氏は、新型コロナウイルスについて、「季節性があるのかどうかわらないけど、もし季節性があれば6月くらいに一旦収まるかもしれない。しかし、冬になれば再び感染が再発する可能性がある。何故なら、日本人はまだ感染してない人が多くいるからだ」と言ってました。そして、「ワクチンが開発されるまで最低でも2年かかるので、年単位の戦いになるのは間違いない」とも言っていました。

しかし、赤道直下のシンガポールでも感染が広がったことを考えると、季節性(つまり、暖かくなるとウイルスの感染力が弱まるという性質)についても、楽観視できないように思います。もし、季節性がなければ、今の状態が年単位で続くことになるのです。人口の60~70%が感染して「集団免疫」ができなければ、感染は収まらないという(感染症の)一般論から考えれば、終息まで2年くらいかかるという話に現実味が増します。ましてや季節性があろうがなかろうが、来年のオリンピックなどできるわけがないのです。

日本は、政府がオリンピックのために感染者数をごまかしていたので、統計上は外国に比べて感染爆発がひと月遅く始まっています。そのため、本格的な感染対策もひと月遅れているのです。しかも、検査を抑制していたので市中感染率など感染状況についての客観的で正確なデータがないため、的確な対策を打ち出すことができず、対策が場当たり的になっているのです。そのため、対策専門家会議の見解も二転三転しています。

自粛して人と人との接触を80%減らせばひと月で終息できるという安倍首相の話がひとり歩きしていますが、市中感染率さえ把握できてないのに、その話にどれだけ信憑性があるのか疑問です。

ひと月というのも、あくまで「そうなればいい」という希望的観測に過ぎないように思います。他国の例を見ても、ひと月で終息するなど、とてもあり得ないでしょう。

素人考えでも、終息するにはやはり、ワクチンであれ自然感染であれ、「集団免疫」しか方法はないのではないかと思います。

それどころか、他国に比べて対策が遅れたことを考えると、アメリカやイタリアやスペインに匹敵するか、あるいはそれ以上のリスクが生じる可能性すらあるような気がします。まだ感染者数が1万人にも満たない今の段階でもう医療崩壊が取り沙汰されるくらい、日本の医療インフラは脆弱なのです。そのことも大きな懸念材料でしょう。

既に日本の至るところで感染爆発が起きているのは間違いないでしょう。しかし、検査をしてないので、どこで誰がどの程度感染しているかわからないのです。厚労省が発表するクラスターなるものも、たまたま顕在化した一部の感染をそう呼んでいるだけで、氷山の一角に過ぎないのはあきらかです。感染者数の隠ぺいとそれに伴う対策の遅れは、失政というよりもはや犯罪と言うべきでしょう。

日本人の中には、まだ「自分だけは感染しない」と呑気に構えている人も多いようですが、ゴールデンウィークが終わっても終息せず、緊急事態宣言も延期されたら、そんな「所詮は他人事」の人たちも慌てはじめることでしょう。電車で席取り合戦をしている場合じゃないのです。もちろん、潜行している感染爆発が顕在化すれば、経済が益々深刻な事態に陥るのは間違いなく、それに伴い、政治も大きく揺れ動くでしょう。一方、韓国では新型コロナウイルスの封じ込めにほぼ成功して、総選挙まで行われているのです。既に終息に向かって歩みはじめているのです。この違いはなんなのかと思わざるを得ません。

そんな中、「子どもっぽい」無能なこの国の指導者は、星野源の「うちで踊ろう」とコラボした動画をツイッターにアップして物議を醸しています。外出自粛の呼びかけのつもりなのかもしれませんが、私邸で優雅にくつろぐ動画は、休業要請によって苦境に陥っている自営業者やフリーランスの人たちの神経を逆撫でする、KYどころではない挑発的とさえ言っていいようなシロモノです。この時期に、あんな能天気な動画をアップしている指導者なんて、世界中を探しても彼しかいないでしょう。

かえすがえすも、「子どもっぽい」無能な指導者を持ったことの不幸を覚えてなりません。(夫婦ともども)あまりにもバカすぎて情けなくなります。自身が言う「国難に立ち向かうリーダー」としては、どう考えても能力的に無理があるとしか思えません。無能な独裁者ほど怖いものはないのです。ところが、糸井重里や爆笑問題の太田光は、(安倍首相や政府は)一生懸命やっているのだから、責めるのではなくみんなで協力しようと、“愚民根性”丸出しでハイルヒトラーのようなことを言っています。また、件のツイートにも30万の「いいね」が付いているそうです。お粗末なのは指導者だけではないのです。
2020.04.13 Mon l 新型コロナウイルス l top ▲
「田中宇の国際ニュース解説」に、各国のPCR検査数が出ていました。

田中宇の国際ニュース解説
日本のコロナ統計の作り方

イギリスのオックスフォード大学などの研究者が作ったサイトによれば、4月5日~8日時点での各国の累計検査数は、以下のとおりだそうです。

米国219万
ドイツ132万
イタリア81万
韓国47万
カナダ36万
豪州32万
トルコ25万
英国23万
スイス17万
オーストリア12万
ノルウェー11万
ベトナム11万
日本4万6172件
(4/6現在)

また、人口千人あたりの累計検査数は、次のようになっているそうです。

アイスランド90
バーレーン31
ノルウェー20
スイス20
エストニア19
米国6.6
イタリア13.6
ドイツ15.9
韓国9.1
英国3.5
日本0.36


これを見ると、日本の累計検査数は韓国の10分の1で、千人あたりの累計検査数に至っては10分の0.4(100分の4)しかありません。

これでは、感染者数が少ないのは当然です。それで、「封じ込めに成功している」と自画自賛していたのです。

当初、韓国の感染者数が増加していることに対して、日本では「ざまあみろ」というような声がありました。医療崩壊がはじまって、韓国はもう国家として体を為してないかのような報道さえありました。

しかし、韓国は、徹底した検査と隔離政策を取ることで医療崩壊を招くことなく、最近はあらたな感染者数も20人台(4/10)まで減少しています。今の状況では、早晩、感染者数で日本が韓国を上回るのは間違いないでしょう。

一方、日本では、現場の医療関係者から既に医療崩壊がはじまっているという声が出ています。でも、日本の感染者数は、まだ韓国の半分以下なのです。つまり、それだけ日本の医療インフラが韓国に比べて遅れているからでしょう。だから、必要以上に医療崩壊に怯えるのでしょう。

もうひとつ指摘しなければならないのは、日本は累計検査数が韓国の10分の1、千人当たりの検査数が10分の0.4しかないにもかかわらず、感染者が既に韓国の半分近くも出ているという点です。

どうして日本は検査数の割にこんなに感染者が多いのか。それは、検査をしてこなかったツケで、感染しているという自覚がない無症状や軽症状の感染者が街に溢れているからでしょう。そのため、「感染経路が不明な」感染者が急増しているのです。検査を怠ったことで、目に見えない感染が蔓延しているのです。

森友や加計や桜を見る会で示された安倍政権の虚偽と隠ぺいの体質が、そのまま新型コロナウイルスの感染対策にも引き継がれているのです。しかし、新型コロナウイルスは、国民の健康・命に直結する問題です。オリンピックや政権の体裁のために、PCR検査を抑制して国民の健康を弄んだその責任は重大で、万死に値すると言っても言い過ぎではないでしょう。

しかも、ここに至っても、政府と東京都の休業要請の対象をめぐる対立に見られるように、日本の感染対策は迷走を続けています。それは、466億円を使ってマスク2枚を配るというトンチンカンな政策にも表れています。

NHKのETV特集「緊急対談 パンデミックが変える世界~歴史から何を学ぶか~」でも紹介されていましたが、あの『サピエンス全史』の著者のユヴァル・ノア・ハラリは、イギリスの経済紙「フィナンシャル・タイムズ」に掲載された寄稿文の中で、新型コロナウイルスの対応について、次のように書いていました。

 この危機に臨んで、私たちは2つのとりわけ重要な選択を迫られている。第1の選択は、全体主義的監視か、それとも国民の権利拡大か、というもの。第2の選択は、ナショナリズムに基づく孤立か、それともグローバルな団結か、というものだ。

Web河出
新型コロナウイルス後の世界 ‐ この嵐もやがて去る。だが、今行なう選択が、長年に及ぶ変化を私たちの生活にもたらしうる(柴田裕之訳)


しかし、現実に私たちを覆っているのは、「全体主義的な監視」であり「ナショナリズムに基づく孤立」の方です。そのために、新型コロナウイルスだけでなく、経済も政治も、取り返しがつかない状態になっていくような気がしてなりません。

ユヴァル・ノア・ハラリは、さらに次のように言います。

(略)全体主義的な監視政治体制を打ち立てなくても、国民の権利を拡大することによって自らの健康を守り、新型コロナウイルス感染症の流行に終止符を打つ道を選択できる。過去数週間、この流行を抑え込む上で多大な成果をあげているのが、韓国や台湾やシンガポールだ。これらの国々は、追跡用アプリケーションをある程度使ってはいるものの、広範な検査や、偽りのない報告、十分に情報を提供されている一般大衆の意欲的な協力を、はるかに大きな拠り所としてきた。

 有益な指針に人々を従わせる方法は、中央集権化されたモニタリングと厳しい処罰だけではない。国民は、科学的な事実を伝えられているとき、そして、公的機関がそうした事実を伝えてくれていると信頼しているとき、ビッグ・ブラザー(訳注 ジョージ・オーウェルの『一九八四年』で、全体主義国家オセアニアを統治する独裁者)に見張られていなくてもなお、正しい行動を取ることができる。自発的で情報に通じている国民は、厳しい規制を受けている無知な国民よりも、たいてい格段に強力で効果的だ。

(同上)


これは、検査を意図的にサボタージュして感染者数をごまかしてきた日本政府のやり方に対するアンチ・テーゼでもあるように思います。日本の国民は、「子どもっぽい」全体主義的な指導者によって、文字通り厳しい規制を受け、無知に追いやられているのです。そのため、逆に感染の封じ込めに失敗しているのです。それが、積極的に検査を行って情報を開示することで封じ込めに成功した韓国との大きな違いです。

それはまた、両国の指導者の資質の違いでもあるのでしょう。あらためて、「子どもっぽい」無能な指導者を持った不幸を痛感せざるを得ないのでした。

これから私たちは、暫くの間、おどろおどろしい脅し文句とともに、感染の恐怖、さらには死の恐怖の中で、文字通り息を潜めて、カミュが『ペスト』で描いたような日常を過ごさなければならないのです。
2020.04.11 Sat l 新型コロナウイルス l top ▲
緊急事態宣言に関連して、次のような記事がありました。

Yahoo!ニュース
産経新聞
「はっきりして」 休業要請で国と都に違い 理美容室に不安の声

私は、個人的には、美容室はまだしも理容店に対する休業要請には納得する気持があります。

先日、近所の理容店に散髪に行きました。このあたりも、理容店の廃業が相次いでおり、現在、私が知る範囲で残っているのは、1900円だかの格安店が2軒と、同業組合に入っている3700円の“一般店”が1軒だけです。最近は、男性の多くも美容室に行っているみたいで、この前、通り沿いにある美容室の前を通りかかったら、頭の禿げたおっさんが椅子に座って順番を待っていたので驚きました。

しかし、私は、近所のよしみで昔ながらの“一般店”に通っています。他の店に行きたくても、普段道で顔を合わせるので行かざるを得ないのです。店の主人も、「来なくなった人の中には、私の顔を見たら、急に脇道に入ったりする人がいるんですよ」と言ってましたが、正直言って、そうしたくないので行っているようなものです。

その店も昔は従業員を雇っていましたが、今は主人がひとりでやっています。それに伴い、店の中も乱雑になり、おせいじにもきれいだとは言えません(むしろ、汚い)。しかも、主人はヘビースモーカーなので、店内にはいつも煙草の匂いが充満しています。

主人は部類の話好きで、話しているうちに興奮してくるのか、こっちの話を遮ってひとりで独演をはじめるようなタイプの人です。

先日、行ったときも、「コロナなんてあんなものは風邪と同じですよ」と言ってました。しかし、主人はもう60代の後半で、ヘビースモーカーで、なおかつ高血圧で病院通いをしているのです。この時期なのに、マスクもしないで、そうやってひとりでまくし立てていました。当然、唾も飛んできます。

私は、心なしか、熱で主人の顔が紅潮しているような気がして、だんだん不安になってきました。マスクして下さいと言いたかったけど、そう言うと、主人がさらに興奮して気まずい空気になるのはわかっているので、言い出せませんでした。

あれから3日経っており、一日に何度も体温を測っていますが、今のところ異常はありません。でも、一抹の不安はあります。

美容室の場合、競争も激しく、感染源になると死活問題になるので、マスクはもちろん、消毒なども気を使っているところが多いみたいです。しかし、理容店は家族経営の店が多く、あきらかに“斜陽化”していますので、美容室のような経営努力もあまり行われていないような気がします。もとより、衛生管理においても、個々の店で大きな差があります。

たしかに、一律に休業要請というのは酷な面もあるように思いますが、ただ、杜撰な店があることも事実です。“斜陽産業”なので、おそらく同業組合もあまり機能していないのではないかと思います。

世の中には、「そんなの関係ないよ」「たいしたことないよ」と言って粋がるような、独りよがりで無神経で無知蒙昧な人間は一定数存在します。どこに行っても、必ずいるのです。

私は、東京都が理容店を休業要請の対象にしたことに対して、不謹慎な言い方ですが「よく気が付いたな」と思いました。
2020.04.09 Thu l 新型コロナウイルス l top ▲
シナリオどおりと言うべきか、緊急事態宣言が発令されました。

私たちは、この緊急事態宣言が民主党政権時代に作られた新型インフルエンザ等対策特別措置法の改正に基づいて発令されていることを忘れてはならないのです。つまり、フォーマットは民主党政権が作ったのです。民主党政権が悪夢であったことを、あたらめて思い知らされるのでした。

国民民主党が自公と保保大連立を組むのではないかという噂がありますが、もとよりそれは、「経団連労働部」とヤユされる連合の意向でもあるのでしょう。これは、国民民主党だけではありません。立憲民主党を含めた“保保保大大連立”の可能性さえあるのではないでしょうか。

“国難”を理由に、安倍首相に超法規的権限を与える特措法改正に賛成した立憲民主党は、今回の緊急事態宣言の発令に対しても、「遅かった」と批判するくらいが関の山です。それも、一応野党なので、批判めいたことを言っているに過ぎないのでしょう。

立憲民主党は、特措法改正に賛成することで、党是であったはず(?)の立憲主義の旗もあっさりと降ろしたのでした。立憲民主党も、国民民主党と同様に改憲を主張していますので、今回の特措法改正に賛成したことで、“保保保大大連立”のハードルはいっきに低くなったと言えるでしょう。

今回の立憲民主党の選択を見るにつけ、自社さ連立に走り自滅への道を突き進んだ日本社会党と二重写しになって仕方ありません。それらに共通するのは、労働戦線の右翼的再編で生まれた連合の存在です。

たとえば、同党の辻元清美議員は、安倍首相を腐った鯛の頭と言ったのですが、その舌の根も乾かぬうちに、腐った鯛の頭に超法規的権限を与える特措法改正に賛成票を投じたのでした。これでは、安倍批判が単なるパフォーマンスだったのではないかと言われても仕方ないでしょう。実際に、安部批判すれば自己矛盾に陥ることがわかっているからなのか、最近はあまり目立った発言をしていません。自縄自縛とはこういうことを言うのでしょう。それは、ここに至ってもまだ、立憲民主党に随伴している自称リベラル派も同じです。彼らに安倍政権を批判する資格はないのです。彼らは、「安倍政治を許さない」というボードを掲げるのが好きですが、その前に「立憲民主党を許さない」というボードを掲げるべきでしょう。

緊急事態宣言が発令されたと言っても、通勤電車は、多少空いているものの、それでも肩が触れ合うくらいには混んでいます。相変わらず「電車の席に座ることが人生の目的のような人々」の席取り合戦も繰り広げられています。彼らは、他人との間に距離を保つなどどこ吹く風で、ただ欲望の赴くままに隣と密着する座席に向かって突進しているのでした。一方で、政府や自治体は、外出するな、3密を避けろと言います。でも、いちばん感染リスクが高い通勤電車は放置されたままなのです。口の悪い知人は、「最近の通勤電車はDQN率が高いな」と言ってましたが、たしかに車内の光景を見ると、そう言えないこともありません。

昨日の深夜、用事があって車で都内を走ったのですが、都心の繁華街は別にして、郊外の繁華街などでは結構酔っぱらいが歩いていました。また、某私鉄沿線の街では、作業服姿の若者のグループが路上に座り込んで酒盛りをしていました。粋がってやっているのでしょうが、こういったDQNから感染が「指数関数的に増えていく」(岡田晴恵氏)のでしょう。

地元の商店街の人の話では、この土日は忙しかったそうです。都心の繁華街に行かない代わりに、地元の商店街に人が繰り出していたからです。

緊急事態宣言によこしまな政治的思惑が含まれている以上、こういった頭隠して尻隠さずのような現実があるのは当然でしょう。なによりろくに検査もしてないので、現在、どの程度の感染状況にあるのかという正確なデータも存在しないのです。だから、緊急事態宣言を発令する安倍首相の話に、精神論に依拠した曖昧な言葉が多かったのも頷けようというものです。私は、その前に自分の嫁さんを説教しろと言いたくなりました。

「緊急事態を1か月で終了するには人と人の接触の7~8割削減が前提」であるという安倍首相の話について、岡田晴恵氏は、そのバックグランドにある数値を公表していただきたいとテレビで言っていましたが、感染者数をごまかすことしか考えてなかった政府に、バックグランドの数値などあろうはずもないのです。

Yahoo!ニュース
スポーツ報知
岡田晴恵教授、安倍首相の「緊急事態を1か月で終了するには人と人の接触の7~8割削減が前提」との発言に「このバックグラウンドの数値を公開していただきたい」

日本の新型コロナウイルス対策は、あの戦争のときと同じように、精神論だけで、竹槍で敵機に立ち向かえと言っているようなものです。大震災に見舞われ未曾有の原発事故が起きても、元気をもらった勇気をもらったなどと言ってごまかしてきた日本の”無責任体系”(丸山真男はそれが日本のファシズムの特徴だと言ったのですが)が、ここに来ていっそう露わになった気がします。でも、新型コロナウイルスは、治療法も確立していない感染症なのです。震災や原発事故と違って、そんな空疎な精神論でごまかすことはできないのです。
2020.04.08 Wed l 社会・メディア l top ▲
新宿駅~高尾駅~上野原駅~石楯尾神社バス停(登山口)~三国山~【生藤山】~熊倉山~浅間峠~上川乗バス停~武蔵五日市駅

※山行時間:約6時間(休憩含む)
※山行距離:約10キロ
※標高差:638m
※山行歩行数:約25,000歩
※交通費::3,274円

人によっては三頭山から高尾山までを「笹尾根」と呼ぶ人もいますが、厳密には三頭山から浅間峠までを笹尾根と呼ぶのが一般的なようです。その浅間峠より東側の尾根上で、前から気になっていた生藤山(しょうとうさん)に登りました。

私は、高尾山やその周辺の山には一度も行ったことはありません。このブログを読んでいただければわかるように、ひとりで山を歩くのが好きなので、あの人の多さは最初から選択肢に入ってないからです。

生藤山も、私の中では“高尾山グループ”の中に入る山のようなイメージがありました。実際に、(高尾山周辺の地理には疎いのですが)、生藤山から陣馬山や高尾山まで縦走する人も多いようです。

でも、実際に登ってみたら、“高尾山グループ”とはまったく別の山であることがわかりました。ちなみに、山で会った人たちの間では、陣馬山も非常に評判がよくて、私が“高尾山グループ”の話をすると、「高尾山とは関係なく行くことができるので、毛嫌いしないで一度行ってみたらいいですよ」「お勧めですよ」と言われました。

新宿駅から午前6時48分発のJR中央特快・高尾行きに乗りました。そして、高尾で中央線に乗り換えて、山梨県の上野原駅で下車しました。上野原駅は、駅舎が建て替えられたばかりのようで真新しく、駅前もきれいに整備されていました。Googleのストリートビューで見ると、バス停のある南口周辺は、以前は草ぼうぼうの原っぱだったようです。

上野原駅から「井戸」行きのバスに乗って、終点のひとつ手前の「石楯尾神社(いわておのじんじゃ)」というバス停で降りました。終点の「井戸」にも登山口はありますが、私は、「石楯尾神社」から登ることにしました。私が乗ったのは、8時32分発のバスでしたが、次は14時台しかありません。

バス停の係の男性に訊いたら、「井戸」行きのバスを利用するのはほとんどが登山客だそうです。しかし、今は平日だけでなく、土日も「ウソみたいに」乗客が少ないと言ってました。

今日、上野原駅から乗ったのは、私も含めて8人でした。彼らは、不要不急の外出は控えて下さいというお上の要請を無視して、弁解の余地のない不要不急の外出をしている不心得者です。

8人のうち6人は女性でした。いづれも2人連れが3組で、残りの男性は子どものように身体が小さい高齢者と年齢のわりに若作りの大男(私)の2人です。その中で、男性2人と女性1組の4人が「石楯尾神社」で降りました。あとの4人(女性2組)は、終点の「井戸」から登るようです。

「石楯尾神社」で降りた女性の2人連れは、60歳前後でどうやらどこかの登山グループに入っているみたいです。グループ内で計画されていた山行が、自粛ムードでことごとく中止になった話をしていました。計画されていた山行の責任者なのでしょう、「〇〇山の✕✕さん」というような言い方をしていましたが、「申し込んだけど、メールで中止の連絡が来て」と言っていました。

そうやって中高年のおっさんやおばさんたちが山を介してメールで連絡を取り合っているのでしょう。語弊があるかもしれませんが、なんだか気持が悪いなと思いました。単独行が好きな私には、まったく考えられない世界の話です。

生藤山の手前に、昔は三国峠(さんごくとうげ)と呼ばれていた三国山があり、三国山から生藤山までは10分くらいです。今回のルートの休憩ポイントは、甘草水(かんぞうすい)という湧き水がある地点と三国山、そして生藤山です。いづれもベンチ(と言っても3つか4つ)があります。バスで一緒だった人もほかのルートから登って来た人たちも、それらのポイントで休憩していました。

生藤山の手前には岩が剥き出しになった急登がありますが、それ以外は子どもの遠足でも使えるような、まったく危険な箇所もなく登りやすい道でした。今日は絶好の登山日和でしたので、峠を越えると木々の間から雪化粧した富士山を眺めることができました。三国山までのピストンなら、子ども連れのハイキングにはうってつけのルートだと思いました。

生藤山はヤマザクラで有名ですが、途中で会った男性の話では、桜の木は病気になってほとんど花が付いてないそうです。登山道を登り詰めた佐野川峠(ほかのルートから合流する)から甘草水の休憩ポイントまで一緒に歩いたのですが、「昔はこのあたりは桜並木だったんですよ」「この時期になると大勢の登山者で賑わっていましたよ」と言っていました。しかし、今は見る影もありません。

見ると、桜の木は手入れがされてないため、大きくなりすぎているように思います。これは桜に限らず、60年代から70年代に植えられたスギやヒノキは、その後、外国産の安い木材が入ってきたり、林業の人出不足などで、手入れがされず放置され荒廃した山も多いのです。

男性の話では、桜の時期は甘草水のベンチで「酒盛りが行われていた」そうです。

次の三国山や生藤山でも、休憩しているのはほぼ同じ顔触れでした。男性は単独で、女性は2人連れとその構成が決まっていました。そして、自然と自粛ムードの中で山に来た話になりました。

「休日は目立つので、出かけにくいですね」
「そうそう、平日なら通勤客に紛れることができるけど(笑)」
「でも、どうしても他人の目が気になって」
「それで、電車の中ではずっと寝たふりをしていましたよ(笑)」

みんな、そんな話をして盛り上がっていました。なんだか同類と会えて、ホッとしている感じでした。

上野原のバス停で、とっくに70歳をすぎているような女性の2人組(終点の「井戸」で降りた)が「これが最後と思って来ました」と言っていたので、私は、もう歳なので人生最後の山行で来たのかと思いましたが、どうやらそうではなく、緊急事態宣言の発令も近いので、そうなったら山に来れなくなるからという意味だったみたいです。なんだか新型コロナウイルス=戦争、緊急事態宣言=戒厳令のようです。社会を覆いつつあるこの全体主義の空気に、ファシストたちは、してやったりとほくそ笑んでいることでしょう。

生藤山からは、熊倉山などいくつかのピークを越えて浅間峠まで歩きました。浅間峠は、1月に笹尾根を歩いた際に登っています。今回は前回とは逆コースで、浅間峠から檜原街道の「上川乗」のバス停まで下りました。生藤山から先は誰にも会いませんでした。私にとってはこれ以上のない山行になりました。

考えてみれば、自粛ムードのあとの山では、ハイカーはまだしもトレランのランナーはすっかり姿を消しています。ハセツネカップという有名な大会のコースでもある今回の尾根でも、ひとりも会いませんでした。トレランの大会がことごとく中止になっているということもあるのでしょうが、トレランの人たちは権力に弱いヘタレな人間が多いのかと思いました。もとより、ブームに乗る(乗せられる)人間というのはそういうものかもしれません。

帰りは、いつもの五日市線・八高線・横浜線・東横線を利用して帰ってきました。最寄り駅に着いたのは午後6時をまわっていましたが、駅前のスーパーに寄ったらレジの前は勤め帰りのサラリーマンやOLで長蛇の列でした。店内の棚も空いているところが目立ちます。週が明けたばかりなのにどうしたんだろうと思ったら、明日、緊急事態宣言が発令されるというニュースが流れたことがわかりました。扇動され動員される人々(そういう役割を担った衆愚たち)の愚行がまたはじまったのです。これからは、彼らのようなミニ・アイヒマンたちによって、自粛を破った者たちに対するバッシング(不謹慎者狩り)がはじまるのでしょう。


※サムネイル画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

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上野原駅南口

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石楯尾神社の隣にあった蠶影神社(こかげじんじゃ?)。蠶は蚕(かいこ)と同じで、要するに養蚕業が盛んだった頃のお蚕さんを奉る神社のようです。尚、石楯尾神社は、日本武尊の東征に関連したこの地方ではよくあるおなじみの神社です。

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登山口までの車道。

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麓の集落には至る所に春の花が咲いていました。

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登山口。

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祠。ここでもお賽銭をあげて手を合わせました。

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歩きやすい登山道。

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『山と渓谷』の付録の「山の花ポケット図鑑を」持って行きましたが、ページを開くことはなかった。

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佐野川峠に到着。

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佐野川峠道標(指導標)。

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本家の笹尾根よりこっちの方が笹が多い。

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甘草水の休憩ポイント。

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ここから生藤山の山頂までは富士山を見ることができます。

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甘草水の休憩ポイントにあった桜の花。

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甘草水の謂われ。甘草水も、日本武尊が東征の際、喉の渇きを潤したとかいった謂れがあるそうです。ウソばっかりと心の中で呟いている自分がいました。

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三国山。ここにも休憩ポイントがあり、上の生藤山が狭いので、三国山で昼食を食べる人もいました。

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生藤山。狭い山頂にベンチが4つありました。団体が登って来たら一般の登山者はさぞ迷惑でしょう。生藤山や三国山では、ほかの登山者から口頭で山座同定をしてもらいましたが、お喋りばかりしていて写真を撮るのを忘れてしまいました。

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三国山から浅間峠(せんげんとうげ)に向けて歩きます。以後、誰にも会わず文字通りの単独行。

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最初のピーク軍刀利神社(ぐんだりじんじゃ)の元宮。別名・軍刀利山。軍刀利神社も日本武尊神話(渡来人による日本制圧の英雄譚)に由来する神社だそうです。

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次のピークが見えてきた。

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熊倉山。

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さらに登り返しが続き、次のピークが見えてきた。

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名もなきピークの道標。

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登ったり。

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下ったり。

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栗坂峠。

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栗坂峠からはもっぱら下りになります。

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そして、最後のポイント浅間峠が見えてきた。

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浅間峠。3ヶ月ぶりです。ここでリュックを降ろして、食べ残していたパンを食べました。

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足元には、新緑が芽吹いていました。ウグイスも鳴いていました。「春だったね」という吉田拓郎の歌を思い出しました。

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あとはひたすら下るだけです。生藤山の道に比べると、傾斜が大きい。

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ここでもお賽銭をあげて手を合わせました。

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木道を渡ると登山道は終わりです。

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上川乗バス停。バスを待っていると、2人のハイカーがやって来ました。反対側の浅間領から下りてきたのだと思います。
2020.04.06 Mon l 山行 l top ▲
既に朝日なども記事にしていますが、アメリカ大使館は、4月3日にホームページ上で、「幅広く検査をしないという日本政府の決定によって、新型コロナウイルスの有病率を正確に把握することが困難になっている」として、「現在一時的に日本に滞在しているアメリカ人は、無期限に日本に滞在する用意がない限り、直ちに帰国準備をすべきである」という文書を掲載し、早急な帰国を強く促したそうです。

アメリカ大使館は、日本国内で言われていることとはまったく逆に、日本は検査をせずに「有病率を正確に把握する」ことができてないので、医療崩壊が起きる可能性があると言っているのでした。

Yahoo!ニュース
在日アメリカ大使館、日本の新型コロナ検査不足を指摘「有病率を正確に把握するのは困難」

何度も言っていますが、これが世界の常識なのです。しかし、日本の社会では世界の常識が通用しないのです。それが、日本を「カルトの国」と呼ぶゆえんです。「ニッポン、凄い!」の自演乙が、ここまで日本を歪んだ国にしてしまったのです。

ただ、総理大臣が稀代の嘘つきで無能であっても、メディアが「王様は裸だ」とちゃんと言えば、ここまで歪んだ国にはならなかったはずです。

それは、メディアに登場する専門家も同様です。彼らは、PCR検査をのべつまくなしにすると、医療崩壊を招くので、“検査至上主義”は危険だという偽イデオロギーを振りまいていますが、しかし、医療崩壊の前は、新型コロナウイルスは風邪と同じようなものなので、検査の必要はないと言っていました。まだワクチンも開発されてないのに、そんなことを平気で言っていたのです。古市憲寿や橋下徹や堀江貴文や安倍マンセーのネトウヨなども、口真似して同じことを言っていました。

ところが、欧米で感染が拡大し深刻度を増してくると、今度は医療崩壊を招くからと言い出したのでした。彼らは、そうやって政府の方針に盲従するだけの曲学阿世の徒にすぎないのです。

一方、「のべつまくなしに検査をしている」韓国に対しては、検査のやりすぎで医療崩壊が起きて、取り返しの付かない状態になっていると言っていました。ところが、最近は感染者数の増加が収まり、早期の抑え込みに成功したと言われて、韓国の取り組みが高く評価されているのでした。すると、あろうことか、あの嫌中憎韓を社是とする(?)産経新聞までが、韓国の対応に対して好意的な記事を書いているのでした。昨日まで、口を極めて罵っていたのがウソのようです。

産経新聞
韓国、シンガ、台湾…スピード最優先で新型コロナ押さえ込み

やっぱり、韓国や中国のやり方が正しかったということなのでしょう。と言うか、そんなことは最初からわかっていたことで、単に日本が特殊だっただけの話です。検査数を抑えて、感染者数を少なく見せていただけなのに、「日本は封じ込めに成功している」「ニッポン、凄い!」と自演乙していたのです。

専門家会議(新型コロナウイルス感染症対策専門家会議)も、最近は従来の見解を見直すような言い方に変わっていますが、そのうち原発と同じように、「想定外」だったと言い出すのかもしれません。

専門家会議と言っても、所詮は政府の方針にお墨付きを与える茶坊主の集まりにすぎないのです。しかし、そうは言っても、彼らはれっきとした専門家です。専門家として、検査数を抑えることにお墨付きを与えて、アメリカ大使館が指摘しているように「有病率を正確に把握することが困難」な状態にした責任は極めて大きいと言ねばなりません。

森三中の黒沢かずこの感染に関連して、メンバーの大島美幸の夫の鈴木おさむが、Twitterで次のように呟いていたそうです。

Yahoo!ニュース
日刊スポーツ
鈴木おさむ氏、感染の黒沢「粘って頼みこんで検査」

(引用者:黒沢は)味がしないという症状が出て、先週の木曜日26日から、自宅待機で仕事休んでます。しかも、病院行っても、検査してくれなくて、粘って粘って、頼みこんで、やっと今週水曜日検査してくれたんです!なかなか検査してくれない!これが怖い!


まだこんなことやっているのかという感じですが、いづれにしても、日本は「有病率」や正確な感染者数を把握できないまま、感染爆発を迎えることになるのです。それは、WHOの言い方を借りれば、目隠ししながら火を消すようなものでしょう。そうやって私たち国民の健康がなおざりにされているのです。検査を受けることもできず、自分が感染しているかどうかもわからないのに、人に感染させるので(あるいは人から感染されられるので)外出するなと言われ(そのくせ満員電車は放置され)、感染爆発したら命の選別が行われるかもしれませんよと言われているのです。

それは、現状を正確に把握してないのに、早く緊急事態宣言を発令しろと官邸を突き上げているメディアや野党も同罪でしょう。彼らは、稀代の嘘つきで無能な総理大臣に、超法規的な権限を早く行使しろと言っているのです。それこそ、竹槍でB29に立ち向かうしかないのに、早く戦争をしろと東条内閣を突き上げた79年前を彷彿とする挙国一致の光景と言えるでしょう。私たちは、現在(いま)、田中慎弥が『宰相A』で描いたディストピアの世界の中にいるのです。音楽やスポーツで元気や勇気を貰っても、ウイルスには糞の役にも立たないのです。
2020.04.05 Sun l 新型コロナウイルス l top ▲
先月の17日に映画評論家の松田政男氏が亡くなっていたことを知りました。享年87歳だそうです。

私は、若い頃、映画が好きで、中でも独立系と言われる映画をよく観ていました。大学受験に失敗して、東京で浪人生活を送るべく九州から上京して高田馬場の予備校に入ったものの、予備校には行かずアテネフランセの映画講座に通っていたくらい、一時映画にのめり込んでいました。

それで、映画の上映会などで松田政男氏の話を聞く機会も何度かありました。また、松田氏が編集長を務めていた『映画批評』を愛読していましたので、氏が書いた映画批評もよく読んでいました。

にもかかわらず、松田氏が「映画評論家」と呼ばれていることには、ずっと違和感がありました。「映画評論家」というのは”仮の姿”のように思えてならなかったからです。

以下は、書評誌「週刊読書人」のサイトに書かれていた松田氏の履歴です。

一九三三年一月十四日、旧植民統治下台湾・台北市で出生。一九五〇年の日本共産党入党後から職業革命家として活動し、六〇年安保には吉本隆明らとともに六月行動委員会の一員として反対運動に加わった。その後、自立学校の設立運営、ベトナム反戦直接行動委員会に関わったのち、東京行動戦線やレボルト社などを主導、『世界革命運動情報』などを発行した。そのかたわら、五〇年代末から未來社、現代思潮社などで埴谷雄高、吉本隆明、宮本常一などの著書を編集、独立後は第二次『映画批評』を創刊、編集長をつとめた。

週刊読書人ウェブ
追悼 松田政男


松田氏は、アナキストとしても知られており、私が高校生の頃だったか、日本赤軍との関係を疑われてフランスのパリで身柄拘束され、フランス政府から国外退去処分を受けたという事件がありました。帰国後、今のテレビ朝日がNET(日本教育テレビ)と名乗っていた頃の昼のワイドショーの「アフタヌーンショー」に出演して、国外退去が不当だと訴えていたのを観た覚えがあります。そのとき、私は、大正時代に同じようにフランス政府から国外退去処分を受けた大杉栄みたいだなと思ったものです。

松田氏の話を聞くと、長年さまざまな運動に関わっていただけにアジテーターの側面もありました。

松田氏は、いわゆる「風景論」の論客としても有名ですが、制作に関わったドキュメンタリー映画「略称・連続射殺魔」(1975年)で喝破したような風景の均質化(松田氏の言う「風景の死滅」)は、今日の散々たるあり様を見れば、今更言を俟たないでしょう。それは、とりもなおさず社会の均質化(画一化)を意味するのです。

新型コロナウイルスの猛威で、社会が瞬く間にネオ全体主義のような様相を呈し、まるで田中慎弥の『宰相A』の世界を再現したかのように、「子どもっぽい」総理大臣に超法規的な権限まで与え、挙句の果てにはマスクを配れば「不安がパッと消えます」という茶坊主の進言で、200億円(追記:その後466億円だったことが判明)の税金を使って各家庭に布製マスク2枚を配布するという、日本中が我が目を疑ったような方策まで登場したのでした。でも、発表する本人は得意満面で、見事なまでのバカ殿ぶりを演じているのでした。これが、均質化(画一化)の光景なのです。

風塵社という出版社のブログに、松田氏に関して次のような文章がありました。

(略)そんなある日の夕刻、M翁と二人で某所を歩いていたら、前方からおしゃれで可愛らしい感じの老婦人がこちらに向かってくる。そして、M翁に気づいたその女性が「あらぁ~、Mさん、お久しぶり~」なんて気さくに声をかけてきた。そのなにげない仕草が、なんとも色っぽい。エー、だれやろと見れば、あの吉行和子さんなのだ。小生、腰が抜けそうになる。しかもM翁、「ああ吉行さん、どうもご無沙汰で」なんて平然と応えている。M翁の語る武勇伝にも少しは真実が交じっていたんだなと感じた瞬間であった。

風塵社的業務日誌
追悼M翁


車で板橋区役所の先の中山道を走っていると、歩道橋に「北園高校入口」という文字が見えるのですが、そのとき「松田政男の母校はここなんだな」と思ったことがありました。

松田氏の文章は、「あだしごとはさておき(閑話休題)」という“接続語”が使われているのが特徴ですが、「あだしごとはさておき」と言いながら、半ば強引に語られる作品の”今日的意味”なるものも、よく考えれば氏なりのアジテーションであったように思います。

“新左翼文化”がまだ残っていたいい時代が生んだ、頑固おやじのようなアジテーターがまたひとりいなくなったのです。


関連記事:
『宰相A』
2020.04.03 Fri l 訃報・死 l top ▲
今日、用事があって墨田区の錦糸町に行きました。朝の7時台の電車に乗って、池袋で先に要件を済ませ、そのあと池袋からお茶の水まで地下鉄丸の内線、お茶の水から錦糸町までは総武線に乗りました。

たしかに、電車は空いていました。ただ、この時期は学校が春休みなので、普段でも電車は空いています。普段の春休みのときと比べても、やや空いている程度でした。テレワークなんて、ごくごく一部の人たちの話なのです。モミクシャにはならなかったけど、お互いに身体が触れ合う程度には混んでいました。欧米では考えられない光景でしょう。

そんな中で、「電車の座席に座ることが人生の目的のような人々」も健在で、我先に電車に乗り込むと空いている席に向かって突進していました。この手の人たちは、もはやビョーキなので、新型コロナウイルスも関係ないのでしょう。こういった人たちに、「3密」とか「自粛」とか言っても、所詮は馬の耳に念仏なのではないかと思いました。

久し振りに錦糸町に行ったら、駅周辺がすっかり都会になっていたのでびっくりしましたが、駅前のカフェの前でも朝食用のコーヒーなどをテイクアウトするサラリーマンやOLなどが列を作っていました。もちろん、1メートルの間隔なんてどこの国の話だという感じでした。

私も、朝食を食べようと、某外資系ハンバーガーチェーンの店に入りました。注文すると、カウンターの女性はマスクを顎にかけたまま、唾を飛ばしながら(?)「サンキュー!」と言ってました(日本人なのに)。

帰りは、錦糸町から総武線の快速に乗って武蔵小杉まで戻り、武蔵小杉で東横線に乗り換えたのですが、車両のいちばん端にある三人掛けの座席に座っていたら、見るからにメタボの中年男性がやって来て、私の横に座りました。そして、座るや否や、咳をしはじめたのでした。それも軽い咳です。マスクもしてないし、手で口元を覆うわけでもありません。

そのため、向かいの席に座っていた人たちはいっせいに立ち上がってほかの席に移って行きました。私もヤバいと思って、席を立ってドアのところに行きました。

男性はそんなことはおかまいなしに、ひとしきり咳をすると、居眠りを始めたのでした。あきらかに睡眠時無呼吸症候群のような感じで、すぐに大きなイビキをかいて寝込んでしまったのでした。でも、男性はスーツを着た、メタボである以外はどこから見ても普通のサラリーマンのようです。

文字通り、新型コロナウイルスなんてどこ吹く風のような光景です。たしかに過剰な反応は問題ですが、それにしても緊張感のなさには唖然とするばかりです。

それもひとえに感染の実態が見えないからだと思います。見えないというより見えないようにされているからです。そのため、(どこかの国の総理大臣夫人のように)掛け声ばかりで緊張感がないのでしょう。

若者にしても、症状が軽いからこそ、逆に検査をしないと、自分が感染しているかどうか、あるいは、免疫を持ったかどうかもわからないのです。小池都知事のように、検査もしないで、一方的に若者を責めるのは酷と言うものでしょう。

小池都知事が「(新型コロナウイルスで)はしゃいでいる」と書いていた週刊誌の記事がありましたが、たしかに今夏の都知事選を控えて、指導力をアピールする絶好のチャンスとばかりに「はしゃいでいる」ように見えないこともありません。

クラブやライブハウスやカラオケボックスやバーなどに行くなと言いながら、飛沫感染が懸念される通勤電車はスルーです。外で飲み食いするなと言って、飲食店を苦境に陥らせながら、補償は知らん顔です。それに何より、「大変だ」「大変だ」と大騒ぎしながら、未だ1日の検査数が2000件以下で、ドイツの17分の1しかない現状に対しては、「医療崩壊を招くから」と肯定しているのです。これではただのアピールと思われても仕方ないでしょう。

アメリカ14万904人(2405人)
イタリア10万1739人(1万1591人)
スペイン8万5195人(7340人)
中国8万1518人(3305人)
ドイツ5万7298人(229人)
フランス4万4550人(3024人)
韓国9786人(162人)
日本1953人(56人)

上記は、多少バラつきがありますが、29日~30日現在の各国の感染者数(カッコ内は死者数)です。

どうして日本だけが感染者数が極端に少ないのか。ホントに「封じ込めに成功しているから」なのか。電車の中や街の様子を見ても、封じ込めに成功しているとはとても思えません。日本だけ極端に少ないのは、奇跡なのか、それとも過少申告なのか、と皮肉っぽく書いていた外国紙がありましたが、感染者数をごまかすと正しい現状把握ができないので、的確な対策も取れず、結果的に自分で自分の首を絞めることになるのです。どうしてそんな簡単なことがわからないのかと思います。

WHOが言うように、「パンデミックを止めるためには『検査、検査、検査』」しかないのです。「目隠ししながら火を消すことはできない。誰が感染しているのかわからずに、このパンデミックを止めることはできない」のです。既にパンデミックは始まりましたが、日本はこの基本的なことを意図的に怠っているのです。それでは、緊張感も持てないし、長期戦を見据えて次にどうするかという対策も打てないでしょう。

iPS細胞でノーベル生理学・医学賞を受賞した京都大学の山中伸弥教授も、みずから開設した「新型コロナウイルスに関する情報発信サイト」で、次のような「提言」を行っていました。

これまでわが国は、無症状や軽症の感染者の急増による医療崩壊を恐れ、PCR検査を限定的にしか行ってきませんでした。(略)このままでは医療感染者への2次感染が急増し、医療崩壊がかえって加速されます。自分が感染していることに気づかないと、家族や他の人への2次感染のリスクが高まります。また感染者数を過小評価すると、厳格な対策への協力を得ることが難しくなります。ドライブスルー検査などでPCR検査体制を拡充し、今の10倍、20倍の検査体制を大至急作るべきです。

山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信
https://www.covid19-yamanaka.com/index.html


人口の60%だかが「集団免疫」しないと終息しないという意見に従えば、新型コロナウイルスはまだとば口に差しかかったばかりです。少なくとも欧米の国は、「集団免疫」が終息に至る唯一の方法だとして、あえて”苦難の道”を歩もうとしているのです。そのために、今のきびしい状況と正面から向き合っているのです。一方、日本は、感染者数をごまかし、「集団免疫」が現在どのレベルにあるのかさえ把握できないまま、「封じ込めに成功している」と自演乙しているだけです。

日本政府や安倍マンセー!のネトウヨは、中国は無症状の感染者を公表していない(感染者の数の中に含めていない)と批判していますが、まだしも無症状の感染者を把握しているだけましで、日本は検査をしてないので把握すらしていないのです。別に中国の肩を持つわけではありませんが、自分たちのことを棚に上げた中国批判には呆れるしかありません。他国のことをとやかく言っている場合ではないのです。

オリンピックのための隠ぺい工作。大本営発表のメディア。政府の広報担当のような専門家。”国難”のひと言で膝を屈した野党。これでは、そのうち大きなしっぺ返しを受けるのは間違いないでしょう。「バカっぽい」政府や「バカっぽい」政治家によって弄ばれているのは、ほかならぬ私たちの健康なのです。
2020.03.31 Tue l 新型コロナウイルス l top ▲
新宿駅~立川駅~青梅駅~奥多摩駅~奥多摩湖バス停~サス沢山~惣岳山~【御前山】~体験の森(奥多摩都民の森)~境橋バス停~奥多摩駅

※山行時間:6時間30分(休憩を含む)
※山行距離:10キロ
※標高差:877m
※山行歩数:25,000歩
※交通費:3,069円

昨日、御前山(1405メートル)に登りました。先月に続いて2度目です。前回の山行の写真が残ってないことがずっと心残りになっていましたので、あらためて写真を撮りたいという気持もありました。

前回は境橋から「栃寄コース」を歩きましたが、今回は奥多摩湖から「サス沢山コース(大ブナ尾根コース)」を登り、「栃寄コース」は下山に使いました。尚、「栃寄コース」は、正確には「栃寄沢コース」と言うのですが、現在、沢沿いを歩くコースは木橋の崩落で通行止めになっており、「体験の森」までは車道(林道)を歩かなければなりません。それで、(勝手ながら)便宜的に沢を外して「栃寄コース」としました。

いつものように奥多摩駅から8時43分発のバスに乗って、先週、六ッ石山に登った際に利用した水根バス停のひとつ先の奥多摩湖バス停で降りました。バスにはハイカーが10人くらい乗っていましたが、そのうち奥多摩湖で降りたのは8人でした。8人のうち6人が御前山の登山口に向かいました。残りの2人は、首から一眼レフのカメラを提げた若者二人組で、どうやら奥多摩湖周辺を散策して写真を撮るのが目的みたいです。

トイレに行ったり、服装を整えたりしていたら、登山口から登ったのは私がいちばん最後になりました。そして、みるみるうちに先行者から離され、やがて先行者の姿は見えなくなりました。

今回の「サス沢山コース」も、ご多分に漏れず急登でした。先週、六ッ石山に登ったので心が折れることはありませんでしたが、六ッ石山よりむしろ疲れた感じがしました。マイナーな山と違って、どうしてもほかのハイカーを意識してしまうので、マイペースで歩けないからだと思います。

途中で木を揺らす音が聞こえたので、熊かと思って笛を吹いたら、下から高校生のような若いカップルが登ってきました。聞けば、男の子が杖代わりに使う木の枝を取った音だったみたいです。二人ともザックも背負ってなくてまったくの手ぶらでした。ただ、足元を見ると、一応トレッキングシューズを履いていました。歩くスピードは、私の倍くらいあり、息も絶え絶えの私を尻目に、キャーキャーお喋りをしながらどんどん登って行くのです。そして、あっという間に姿が見えなくなりました。

年齢を考えれば、私は彼らの半分以下の心肺能力しかないので、それも仕方ないと言えば仕方ないのですが、なんだか情けない気持になりました。もっと若い体力のあるうちに山に登りたかったなあとしみじみ思いました。

山頂の手前の惣岳山で休憩をしていたら、小河内峠の方から男性が登って来ました。「小河内峠から登って来たのですか?」と訊いたら、「そうです。途中まで車で来ました。奥多摩湖からだときついじゃないですか? こっちの方がいくらか楽じゃないかと思って」と言っていました。

年齢は71歳だそうで、「70を越すと急に体力がなくなって、山を歩くのもしんどくなってしまいました」と言うので、「そういう話はよく聞きますね」と私も言いました。一眼レフカメラを首から下げているので、「写真を撮りながら登っているんですか?」と訊いたら、「植物を撮るのが趣味なんですよ」と言う。

御前山はゆり科の花のカタクリの群生地として有名で、登山が趣味だった脚本家の田中澄江が御前山を「花の百名山」として紹介したことで、御前山に中高年ハイカーが押し寄せるようになったと言われています。しかし、近年は鹿の食害によって数も少なくなり、かつての群生地としての面影はなくなっています。登山道からも、まだ蕾でしたが、ぽつんぽつんとしか見つけることができませんでした。

惣岳山から山頂に登っていると、近くで鹿の鳴き声が聞こえていましたが、奥多摩でも鹿の増加が問題になっているのです。奥多摩町には鹿肉処理場もありますが、それでも問題の解決には至ってないようです。ただ、男性は、「鹿が食べても根は残るので、また芽を出すはずなんだがなあ~」と言っていました。

『奥多摩- 山、谷、峠、そして人』(山田哲哉著・山と渓谷社)によれば、昔は頂上付近も一面タカクリが群生していたそうです。カタクリが減り出したのは30年くらい前からで、原因は鹿の食害のほかに、地球の温暖化もあるのではないかと書いてました。また、昔の御前山は、「北面を中心に茅原に覆われ、南面には広葉樹が広がり、明るい山頂だった」そうです。

この『奥多摩- 山、谷、峠、そして人』は、登山ガイドの山田哲哉氏が『山と渓谷』誌に連載していた同名のエッセイをまとめたものです。奥多摩の山を歩いていると、気候や風土の違いはあれ、いつの間にか奥多摩と九州の田舎を重ね合わせている自分がいて、山田氏の本を読むと奥多摩がよけい身近に感じられるのでした。

また、奥多摩の歴史や風土も知りたいと思うようになり、『奥多摩風土記』という古本をネットで見つけて買いました。昭和55年初版で、奥多摩の役場に勤めていた人が書いた本です。山行の途中に遭遇する廃屋など見るにつけ、こういった山奥に住んでいた人たちがどんな生活をしていたのか、興味をそそられるのでした。

余談ですが、今のようにウイルスが脅威になった要因として、森林開発により人間と野生動物の距離が近くなったことがあると言われています。それからもうひとつ見逃せないのは、実験用の動物(主に霊長類)の輸入だそうです。アメリカでは年間2万頭の霊長類が実験用に輸入されているそうで、『感染症の世界史』でも、「実験用霊長類が、欧米に新たなウイルスを持ち込む主要なルートになった」と書かれていました。

山頂付近では蕾でしたが、下の「体験の森」では蕾が開きかけたカタクリもありました。山では秋は上から春は下からやって来る、という言葉を思い出しました。

下山も先月より今回の方が疲れました。アイゼンを付ければ、雪道の方がむしろ歩きやすいのです。先月は誰にも会わない文字通りの単独行で、とても印象深い山行になりましたので、写真がないことがかえすがえすも残念でなりません。

下山して境橋のバス停から16時25分のバスに乗ったのですが、いつものように奥多摩駅から青梅線・中央線・八高線・横浜線・東横線を乗り換えて最寄り駅に着いたときは、午後7時をまわっていました。

駅前のスーパーに寄ったら、棚はガラガラで、野菜も肉も魚もほどんど残っていません。米もありませんでした。そのくせ、この前まで品不足だったティッシュペーパーは残っていました。まったくバカバカしいとか言いようがありません。


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奥多摩湖(小河内ダム)。

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奥多摩湖バス停の広場(管理事務所や交番まであります)。「水と緑のふれあい館」は、新型コロナウイルスの自粛要請で休館していました。

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堤防の上を歩いて登山口に向かいます。

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いきなり急登の洗礼を浴びました。

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途中、こんな平坦な尾根道もありましたが、それも僅かな距離です。

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ちょうど中間点に当たるサス沢山(940メートル)に到着しました。ザックを降ろして休憩しました。

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サス沢山には展望台がありました。

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展望台からの眺め。

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新しいザック。他人が持ってないものが欲しいと思って、パタゴニアのザック(36リットル)を買いました。パタゴニアかミステリーランチか、どっちにするか迷ったのですが、パタゴニアを選びました。容量もたっぷりだし、軽くていいのですが、機能的にはノースフェイスのテルスに劣ります。写真のように荷物が少ないと、雨蓋が下に垂れてカッコ悪い。

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岩も多くなりました。

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この尾根道はいったん下ったあと、登り返しがありました。

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カタクリの蕾。

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惣岳山(1341メートル)に到着。御前山の山頂まであと600メートルです。ザックを降ろして休憩して、持参したパンを食べました。

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惣岳山にあった道標。

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御前山山頂への道。惣岳山からは20分くらいです。

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おなじみの山頂標識。

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山頂からの眺望。前方に見えるのが、先週登った六ッ石山です。

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山頂の遠景。

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先月と同じ「栃寄ルート」で下ります。

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少し下ったところにある避難小屋。先月は周辺に30センチくらいの雪が積もっていました。

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この道も雪に覆われていました。僅か1か月半で、風景が一変しています。

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「体験の森」に入ると、道標が至るところにあります。

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「カラマツの広場」の中の東屋。「体験の森」の中にはこういった施設も多くあります。

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カタクリの説明板。

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登山道では、アイゼンでキズが付いた石を多く見かけました。

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途中からは登山道を外れて「体験の森」の遊歩道を歩きました。

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「わさび田の広場」にあるトロッコ。これもツアーに参加すれば乗ることができるのかもしれません。奥多摩は、昔はわさびの栽培も盛んだったそうです。今でも山奥でわさび田を見かけることがあります。

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カタクリ?と思ったら、ハシリドコロというナス科の毒草のようです。よく似ていてまぎらわしい。

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先月はこのあたりがアイスバーンのようにカチカチに凍っていて、歩くのに怖かった。

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いちばん下にある「トチノキの広場」の東屋。先月はここでアイゼンを装着し、帰りもここでアイゼンを外しました。

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林道から見えた”無名”の山。周辺には、このようなハイカーも足を踏み入れない”無名”の山が方々にあります。

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標高650メートルの栃寄集落にある宿泊施設・栃寄森の家。新型コロナウイルスの自粛要請で休館していました。

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バス停のある境橋の下は深い渓谷になっています。下を流れるのは多摩川です。

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橋の上からは、遠くに境地区の集落が見えます。

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境橋のバス停。先の方に標識が立っています。
2020.03.28 Sat l 山行 l top ▲
前の記事で書いたように、22日、IOCは東京オリンピックについて、延期も含めて4週間以内に結論を出すと表明したのですが、それから僅か2日後の24日、安倍首相とIOCのバッハ会長が電話会談をして、日本側から「1年程度の延期」が提案され、バッハ会長もその場で同意。IOCの理事会も即日、延期を承認して、あれよあれよという間に「1年程度の延長」が決定したのでした。これにはたまげました。

じゃあ、4週間以内に結論を出すという22日の声明はなんだったのかと思わざるを得ません。延長の提案は、中止の決定を怖れた日本政府が先手を打ったと言われていますが、IOCの権限はそんなにいい加減なものだったのかと言いたくなります。

「1年程度の延期」という提案も、安倍首相の任期が関係しているという見方があります。安倍首相の自民党総裁の任期は来年の9月までですから、それまでにオリンピックを開催して、総理大臣として歴史に名を残したいという個人的な野望が強くはたらいていると言われているのです。さすが野党の立憲民主党までがひれ伏す独裁者だけあります。

オリンピックの「1年程度の延長」が決定したら、さっそく外務省は、国民に向けて、全世界を対象にした不要不急の渡航の自粛を呼びかけました。また、小池東京都知事も歩調を合わせるように、「感染爆発の重大局面」に差し掛かったとして、今週末は不要不急の外出を自粛するよう都民に要請したのでした。

オリンピックの延期が決まった途端に、東京都の感染者数が跳ね上がったのは、どう見ても不自然です。また、「緊急会見」と言いながら、フリップを用意していたのも、あまりにも準備が良すぎる気がします。

7月の都知事選では、自民党は小池知事の対抗馬の擁立を「断念」したそうですが、自民党の決定とこの連携プレーは関係があるのではないかと、穿った見方をしたくなります。

おそらく早晩、安倍首相によって「緊急事態宣言」が出されるのは間違いないでしょう。急に跳ね上がった感染者数は、その布石なのでしょう。対抗馬の「断念」は、お膳立ての見返りなのではないか。その結果、自民党の改憲案を先取りする待望の“戒厳令ごっこ”が”帝都”で行われることになるのです。安倍首相にとって、これ以上のお膳立てはないでしょう。

震災もそうでしたが、何かことが起きると、国家は私たちの前に立ち現れ、そして、「国難」を口実に、国家に従属する日常をわたしたちに強制します。「緊急事態」条項というのは、その暴力的な要請にほかなりません。何度も言いますが、特措法改正に賛成した立憲民主党は、もはや「リベラル」を名乗る資格もありません。

ここに至っても、安倍内閣の支持率は40%台後半でそんなに落ちていません。一方、立憲民主党は、野党第一党と言っても10%を割り一桁の支持率しかありません。立憲民主党は、今後、益々集票組織の連合への依存度が増し、連合の“右派労働運動の論理”にがんじがらめに縛られるようになるのは必至でしょう。連合は、立憲民主党が旧民社党のような存在になってほしいと思っているはずです。そのための「労働戦線の右翼的再編」=政界再編成だったのですから。

しかし、新型コロナウイルスは、世界の感染状況を見てもわかるとおり、もはや国家のコントロールが効かないほどモンスターと化しています。日本だって、国民の半分以上が感染する事態が訪れるかもしれません。と言うか、国民の60%だかが感染して免疫を持たないと、感染は終息しないという専門家の意見もあります。それは、先日のドイツのメルケル首相の発言と符合しています。

欧米の感染者数が日本に比べて桁違いに多いのは、あえてそういった「集団免疫」の方法を選択したからだとも言われているのです。日本だけが極端に少ないのは、何度も言うように、日本がPCR検査をサボタージュして感染者数を隠ぺいしているからです。にもかかわらず、「感染者数が少ないのは、感染の封じ込めに成功したからだ」などと言って自画自賛しているのです。それでは「集団免疫」のレベルを把握できないまま、逆に深刻な事態さえ招きかねないでしょう。

良心的な医者が言っていましたが(テレビに出ているのは、政府の広報官のような医者ばかりです)、「集団免疫」のレベルを把握することで、免疫を得た人から順に仕事に復帰させることも可能なのだそうです。そうやって徐々に経済活動を元に戻すことも大事だと言っていました。「のべつまくなしに検査をすると医療崩壊を招くだけだ」などと言って検査をサボタージュしていては、長期戦に備えた柔軟な対応もできないのです。でも、もう日本はすべてが手遅れなのかもしれません。

もちろん、私たち自身も、いつ感染してもおかしくないのです。もしかしたら既に感染しているのかもしれません。「風邪と同じでたいしたことない」「検査なんかしても仕方ない」と言っている、古市憲寿や橋下徹や堀江貴文や安倍マンセーのネトウヨたちだって同じです。でも、感染しているかどうかもわからないから、「風邪と同じでたいしたことない」「検査なんかしても仕方ない」などと無責任なことが言えるのでしょう。

長期戦の備えもない場当たり的な対策では、インバウンド頼りだった日本経済の脆弱さだけが露わになり、経済的に破産する人が続出するのは当然でしょう。仮に(数年後?)終息しても、暫くの間、外国人観光客が戻って来ることはないでしょう。観光地で商売している人に聞けばわかりますが、日本人の消費なんてたかが知れているのです。いくら現金を配り、高速料金を無料にしても、国内消費だけでは国の経済はまわらないのです。既に1人当たりのGDPでは、日本は韓国にぬかれていますが、日本経済の凋落はさらにスピードを増すに違いありません。

その一方で、東証の株価が26年ぶりの上げ幅を記録するなど、株式市場は異常な状態になっています。麻生財務大臣は、国会の答弁で「我々は、野党とではなくマーケットと仕事をしているんだ」と啖呵を切っていましたが、そのマーケットは実体経済を離れたマネーゲームの賭場になっており、日銀のETFによる爆買いは火事場泥棒の投資家たちの恰好の餌食になっているのです。麻生財務大臣はマンガが愛読書だそうですが、文字通りマンガみたい話です。

テレビでは感染の専門家が、全体の感染者の中で、「感染経路不明」の感染者が半数を超えると「感染爆発」に至る「危険な状態」になると言っていましたが、しかし、実際は「危険な状態」はとっくに訪れているのではないか。検査をしないので「危険な状態」が顕在化していないだけで、今後、クラスター(集団感染)が続出したり、重症化した人が多くなれば、「感染爆発」の実態がおのずとあきらかになってくるでしょう。ところが、「感染爆発の重大な局面」に差し掛かっていると言いながら、公立学校の休校措置は解除されるのです。検査もしないで自粛しろと言うのと同じで、やっていることがあまりにもチグハグでお粗末と言うしかありません。

全ては子どもじみた「バカっぽい」政府を持ったツケと言えるでしょう。私たちは、そのツケを払わされているのです。でも、それでも地球は回るではないですが、それでも衆愚は衆愚でありつづけるのでしょう”動員の思想”でいいように煽られた彼らは、まるで狂った蟻のように、せっせせっせと買いだめに走るだけなのです。
2020.03.26 Thu l 新型コロナウイルス l top ▲
4か月後にせまった東京オリンピック開催について、国際陸連をはじめ、各国の競技団体が次々と延期を求める要請を行ったことで、IOC(国際オリンピック委員会)もやっと重い腰を上げたようです。声明によれば、4週間以内に延期を含めた検討を行い結論を出すとのことです。IOCの腰が重かったのは、テレビの放映権等開催に伴う利権が絡んでいたからでしょう。

IOCの表明を受けて、安倍首相も23日の参院予算委員会で、延期を容認する意向を示したのでした。すると、森喜朗大会組織委員会会長も小池百合子東京都知事も、次々と延期容認を表明。併せてメディアも、IOCや日本政府が延期に大きく傾いたといっせいに伝え始めたのでした。なんだか官邸によって延期論が解禁されたような感じです。

前日までは、みんな、延期などあり得ない、予定どおり準備を進めると言っていたのです。ワシントン・ポストは、このような姿勢に対して、20日の社説で、IOCや日本政府がオリンピックを開催できるかのように振る舞っているのは「完全に無責任だ」と批判していました。一方、日本のメディアは、日本政府が公式発言とは別に延期を検討しはじめていることをいっさい伝えず、ワシントン・ポストのように延期すべきという持論を主張することもありませんでした。

安倍首相の顔色を窺っているのは、内閣総理大臣の嘘に整合性を持たせるために、公文書を改ざん・隠蔽する官僚だけではないのです。メディアも、そして特措法改正に賛成して安倍首相に超法規的な権限を与えることを容認した立憲民主党などの野党も同じなのです。このような翼賛的な光景に対しては、なんだか全体主義のシュミレーションを見ているような気さえします。

20日、JOC(日本オリンピック委員会)委員の山口香氏は、朝日新聞のインタビューで、「アスリートが十分に練習できていない状況での開催は、アスリートファーストではない。延期すべき」との考えを示しました。これは、多くの人たちの本音を代弁した常識論とさえ言えるでしょう。

朝日新聞デジタル
JOC理事の山口香さん「五輪、延期すべき」

しかし、山口氏の発言に対して、JOCの山下泰裕会長は、「安全、安心な形で東京大会の開催に向けて力を尽くしていこうというときに、一個人の発言であっても極めて残念」と不快感を示したそうです。

でも、代表選手の選考も行われてない国も多い中で、4か月後のオリンピック開催なんて、誰が考えても無理な話です。オリンピックどころではないというのが本音でしょう。

にもかかわらず、政府の予定通り開催するという方針に盲目的に従い、誰が考えても無理なことを無理だと言った山口氏に対して不快感を示すなどというのは、無謀な戦争を「聖戦」と言い募り、総動員体制のプロパガンダを担った戦前の大政翼賛会を彷彿とさせます。

それから3日後、安倍首相が延期を容認する発言を行うと、山下会長も一転して延期やむなしと発言していました。こういった(柔道が強いだけで)頭の中が空っぽでなんの見識もない人物は、空っぽなだけに逆に怖いなと思います。こういった人物が全体主義では先鋭的な役割を演じるのです。

今の状況では、たとえ延期しても、1年後に開催できる保証はどこにもありません。違約金やあらたな会場の確保といった事務的な手続きも含めて、延期が往生際の悪い選択であるのはあきらかで、常識的に考えれば中止するしかないでしょう。

森友問題の決裁文書の改ざんを強要されて自殺した近畿財務局職員に対する安倍首相や麻生財務相の態度を見ても、まるで時代劇に出て来る悪代官のようですが、官邸が無法地帯と化し、こういった犯罪が公然とまかりとおるのも、安倍一強という翼賛体制ゆえで、メディアや野党が安倍一強にふれ伏しているからでしょう。

新型コロナウイルスは、欧米からウイルスの故郷であるアフリカ大陸へ広がりつつあり、さらなる感染の拡大が懸念されています。感染規模から言っても、100年前のスペインかぜに匹敵すると言っても過言ではなく、あと1年で終息するとはとても思えません。オリンピックなんてできるわけがないのです。

「東京オリンピックは”復興五輪”なので、是非開催してもらいたい」と福島の住民が開催を熱望しているというような記事が出ていましたが、もしそれがホントなら、”復興五輪”の広告塔になっている「好感度ナンバーワン」のサンドイッチマンともども衆愚の代表と言うしかないでしょう。喉元過ぎれば熱さを忘れるではないですが、原発の次はオリンピックなのかと言いたくなります。安倍首相が言う「(オリンピックで)感動を分かち合う」という言葉の背後に、動員の思想が伏在していることを忘れてはならないでしょう。”復興五輪“を熱望する福島の住民は、その尖兵の役割を担っている、と言うか担わされていると言っていいでしょう。
2020.03.24 Tue l 新型コロナウイルス l top ▲
新宿~立川~青梅~奥多摩~水根~【六ッ石山】~水根~奥多摩

※山行時間:6時間(休憩を含む)
※山行距離:9キロ
※標高差:1037m
※山行歩数:25000歩
※交通費:3040円

昨日(木)、六ッ石山(1478メートル)に登りました。

諸説ありますが、六ッ石山の水根ルート(ハンノ木尾根コース)は、奥多摩三大急登に数えられるほどの急登です。しかし、電車とバスを乗り継いで行くと、麓のバス停に着くのが午前9時で、さらにバス停から登山口まで15〜20分くらい歩かなければなりません。そのため、山に入るのは9時半近くになるのです。距離はそんなに長くありませんが、日が長くなったとは言え山の中は陽が陰るとすぐ暗くなるので、”日没恐怖症“の私としては、明るいうちに下山できるか不安です。それで午後1時まで登れるところまで登り、午後1時をすぎたら下山することに決めて出かけました。

奥多摩駅からバスに乗り、登山口のある水根のバス停で降りました。バスには、登山姿のハイカーが10人くらい乗っていました。その中には、おそらく鴨沢から雲取山に登ってテン泊するのでしょう、大きなザックを背負った中年のハイカーもいました。ほかには、高校生くらいの(あるいは大学生?)男女混合の若者のグループもいました。見るからに真面目で利発そうな若者たちで、どう見ても山岳部という感じではありません。休校なのでみんなで山登りに来たのかもしれません。今日は中高年の団体がいないのでホッとします。逆に、若い人がいると気持も明るくなってきます。

水根で降りたのは私だけでした。水根は青梅街道沿いの奥多摩湖畔にある集落で、寺島進主演でシリーズ化されているテレビドラマ「駐在刑事」の舞台になっているところです。しかし、商店もなにもなく、ただ山ひだに転々と家が建っているだけの小さな集落でした。

六ッ石山の登山口も、ほかの奥多摩の山と同じように、集落を上り詰めた民家の横にありました。案の定、最初からからきつい登りでした。考えてみれば、奥多摩の山は、中腹まで奥多摩湖(小河内ダム)の水がめになっており、山のすそ野は水の中なのです。だから、いきなり急登なのは当然と言えば当然なのです。

途中からさらに傾斜が大きくなり、見上げるようなけわしい斜面を直登しなければなりません。しかも、樹林帯なので、眺望もなく、ただひたすら足元を見て登るだけの苦行のような登山でした。そうやって息を切らして登っていると、上方に人影が見えました。初めて遭遇したハイカーです。すると、間もなく人影は斜面に腰をおろしました。どうやら休憩したようです。

追いついたので「こんにちわ」と挨拶しました。しかし、返事がありません。耳が聞こえないのかと思って、さらに大きな声で「ここの山はきついですねっ」と言ったら、「こんなのたいしたことない」とヤマレコのユーザーのような返事が返ってきました。それも、ぶっきらぼうな言い方です。

六十歳をとうに越した感じのダルマのような身体をしたメタボなオヤジです。肩でハアハア息をしていて、かなりきつそうです。横に置いたザックを見ると、ミステリーランチのクラシックなタイプで、テント泊の際に使用する折りたたみ式のマットを取り付けていました。

それを見ると、初心者には見えません。「どこかに泊まるんですか?」と訊いたら、「いや、帰る」と言う。しかも、鷹ノ巣山と水根山を縦走するんだと言うのです。話が二転三転するので、どこまでが本心なのかわかりませんが、見た感じでは縦走なんて無謀としか思えません。

いくら話してもラチが明かないので、「お先に」と言って歩きはじめたら、「お先になんて言う必要ない」「一緒に登っているんじゃないんだから、勝手に行けばいいんだ」と悪態を吐く始末で、「このオヤジ、蹴落としてやろうか」と思ったくらいでした。

途中から登りが緩やかになったということあって、午後1時前に山頂に到着しました。山頂には、三頭山や大岳山や御前山と同じように、石造りの山頂標識が建っていました。しかし、眺望はいまひとつで、ベンチもありません。

六ッ石山は、登る途中もベンチがありませんでした。六ッ石山レベルの山で、ベンチがひとつもない山なんて初めてです。そのくせ、場違いな(?)山頂標識だけはあるのです。そのアンバランスさには戸惑うばかりでした。

仕方ないので、地べたに携帯用の座布団を敷いて、その上に座り、30分休憩しました。いつものように、コンビニで買ったサンドイッチを食べました。しかし、誰も登って来ません。あのオヤジも登って来ません。もしかしたら、途中で死んでいるんじゃないかと思ったくらいです。

六ッ石山の場合、下山は石尾根を通って奥多摩駅まで下るのが一般的ですが、今回は慎重を期して、登って来たときと同じルートを下ることにしました。

山頂から少し下ったら、赤い機体の東京消防庁のヘリコプターが近づいてきて、轟音を響かせながら山頂のあたりでホバーリングをしていました。しばらくホバーリングしていましたが、やがて去って行きました。私はふと、あのオヤジの救助に来たのではと思いました。未だ登って来ないというのは、いくらなんでも時間のかかりすぎです。

しかし、私の心配は杞憂でした。ルートの半分くらいまで下ったら、前方に姿が見えたのです。ちょっと安心しました。オヤジは、私の顔を見ると、「糞したくなって、糞していた」と言っていました。それで、私が「野糞は気持がいいですからね」と皮肉を言ったら、「そんな問題じゃない」とまた悪態を吐いていました。「オレは石尾根を下るわ」と言うので、「気を付けて」と言って別れました。

もう時間は午後2時半すぎです。最初に会ったのが10時すぎですから、あれから4時間半も経っているのです。それなのに、1キロも進んでいません。これから山頂に登って石尾根を下れば、日が暮れるのは間違いないでしょう。“日没恐怖症”の私にとっては、想像するだけでも恐ろしい光景です。

でも、世の中にはこんな人間もいるのです。病気をしても、人の言うことを聞かずに、「オレの身体はオレがいちばんよくわかっているんだ」なんて言って、ろくに治療もしないで死んでいく人間がいますが、それと同じ部類の人間なのでしょう。こんな人間こそ、遭難者予備軍と言うべきじゃないかと思いました。

当然ながら、下りも気を許すと転がり落ちるような急坂です。滑らないように慎重に下りました。そのため、腿の筋肉がブルブル震えて悲鳴を上げていました。それで、筋肉痛用のローションを塗ってごまかしながら下りました。ところが、登山口の近くまで下りて、「今日は転ばなかったな」と思った途端、すってんころりと転びました。でも、足に力が入らないので、なかなか起き上がることができませんでした。

休憩時間を除くと、登りは3時間強、下りは2時間でした。

帰りは、いつものように八高線と横浜線を乗り継いで帰りました。水根から午後3時半すぎのバスに乗ったのですが、八王子から間違えて「逗子行き」の電車に乗ったため(ホントは「東神奈川行き」に乗らなければならない)、横浜の自宅に着いたのは午後7時半をまわっていました。


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水根バス停。すぐ先は奥多摩湖(小河内ダム)です。

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登山口に行く途中の集落から見えた奥多摩湖。

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登山口に入ってすぐのところ。

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少し登ると産土神社という小さな祠がありました。こう見えても、私は、山の中の祠には必ずお賽銭をあげて手を合わせるようにしています。

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登りはじめの急登を上から見たところ。

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こんな登山道をひらすら登ります。

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直登(九十九折ではなくまっすぐ登って行くこと)。

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風の神土の祠。ここから次のポイントのトキノクボまで、さらにけわしい急登になりました。

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ずっと直登がつづきます。

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岩も出て来た。

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トキノクボをすぎると防火帯の草原の中を緩やかに登る道になりました。

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先日の雪が残っているところがありました。

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前方に山頂が見えてきました。

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おなじみの山頂標識。

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山頂標識の横の道標。
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山頂からの眺望。

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ホバーリングするヘリコプター。

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山座同定しなかったので、山名は不明。

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登ってきた道をひらすら下る。

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このあと転びました。

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集落の坂道を下っている途中の民家の前にあった二宮金次郎?の像。でも、この二宮金次郎は、歩きスマホならぬ歩き読書はしてなくて、なぜか座って休んでいます。
2020.03.20 Fri l 山行 l top ▲
感染の世界史


  学校や公的機関は閉鎖され、外出する人は全員マスクで武装した。サンフランシスコでは、マスクをしていない者を警察が逮捕した。町の入り口は自警団が固めて見知らぬ人を追い返した。あやしげな治療薬や薬がはびこった。劇場の入り口には「咳くしゃみをするものの入場禁止」の掲示が張り出された。まるで一四世紀のペスト流行のときのような様相になった。


これは、石弘之氏の『感染症の世界史』(角川ソフィア文庫)に書かれていた文章です。でも、新型コロナウイルスの話ではありません。100年前のスペインかぜの話なのです。びっくりするくらい、今の状況とよく似ています。

スペインかぜは、1918年に最初の患者(ゼロ号患者)が発生して1921年に収束するまでに、当時の世界の人口18億人のうち3分の1が感染、3~5%が死亡したと推定されているそうです。また、スペインかぜによって、第一次世界大戦の終結も早まったと言われています。兵士たちが感染して、戦場死より感染死の方が多くなり、戦争どころではなくなったからです。しかし、戦争の終結により帰国した兵士たちによって、さらに感染は拡大して行ったのでした。

『感染症の世界史』によれば、これまで約5400種のウイルスと約6800種の細菌が発見されているそうですが、これはごく一部で、著者の石氏は、「あらゆる生物を含めれば、ウイルスの総種類数は1億種を超えることになるかもしれない」と書いていました。さらに細菌まで含めると途方もない数になるのです。ウイルスの大きさは、1億分の1メートルしかありません。細菌はウイルスの50倍くらいだそうです。私たちは、そんな微細なウイルスや細菌に囲まれて暮らしているのです。

(略)「ピロリ菌」「エイズ」「パピローマウイルス」「ハシカ」「水痘(水ぼうそう)」「成人T細胞白血病」「結核」などの原因になる病原性微生物は、いづれもアフリカが起源と見られる。宿主の人とともに進化しながら、世界に拡散していったものの子孫だ。
(『感染症の世界史』)


女優の夏目雅子の命を奪った「成人T細胞白血病」は、「ヒトT細胞白血病ウイルスI型」に感染することで発病する病気ですが、このウイルスの起源は、西アフリカの霊長類だそうです。約20万年前にアフリカ大陸で誕生した私たちの祖先が、数万年かけて世界各地に渡った「壮大なグレートジャーニー」によって、ウイルスも日本列島にやって来たのです。そして、日本人の体内に棲み着いたのです(現在、国内の感染者は100万人いるそうです)。

しかも、あらゆる生物が進化するように、ウイルスや細菌も進化しているのです。中には、人間の体内に侵入したあと、さらに人体の環境に順応するように変異するウイルスもあるそうです。そうやって宿主の細胞内に侵入したウイルスの大半は、宿主の死まで生涯に渡って体内に留まりつづけるのです。

同じコロナウイルスでも、新型コロナウイルスは、遺伝子が変異した新しい型なので、従来の治療法が通用しないのは当然でしょう。だから、世界中が感染の拡大に怖れおののいているのです。古市憲寿や橋下徹や堀江貴文らのように、「インフルエンザと同じでたいしたことない」というような単純で「バカっぽい」話ではないのです。

同じコロナウイルスのSARSの流行について、『感染症の世界史』は次にように書いていました。

   今後、どんな形で新たな感染症が私たちを脅かすのだろうか。それを予感させるのが、中国を震源とする重症急性呼吸器症候群(SARS)の突発的な流行であろう。


単行本の発売は2014年ですが、『感染症の世界史』は、上記の文章によって、今回の新型コロナウイルスの流行を警告(予告)していたと言われているのでした。

中国の広東省深セン市でSARSの最初の感染者が出たのは、2002年11月で、収束したのは翌年の2003年9月でした。WHOによれば、世界30ヶ国(地域)で8098人の感染者が出て、死者は774人だったそうです。

一方、新型コロナウイルスは、発生から僅かひと月で、156ヶ国(その他も含む)に広がり、3月17日現在で、感染者は178368人、死者は7095人です(厚労省発表)。感染規模は、SARSとは比較にならないほど大きいのです。

SARSは収束するまで1年近くかかったのですが、新型コロナウイルスはその感染規模から考えても、1年で収束するとはとても思えません。田中宇氏が書いていたように、「人類の60%以上が感染するまでウイルス危機が続き、ワクチンなどの予防策が出てこない限り、ウイルス危機はこれから2年続くことになる」というのが現実的な話かもしれません。

株価の変動は、マネーゲームの側面もあり、必ずしも実体経済を反映しているとは言えませんが、しかし、誰が見ても、新型コロナウイルスが世界経済に大きな危機をもたらすのは必至のように思います。米中の”覇権争い”もますます熾烈を極めるでしょう。

そんな中で、アジアの東端にある“カルトの国”は、哀しいかな、検査数を抑えて感染者を少なく見せる姑息なやり方で、「感染の拡大を食い止めている」「封じ込めに成功している」と自演乙しているのです。そのため、下記の記事にあるように、アメリカの専門家からは、「日本の検査数は少ない」「韓国を手本にすべき」と指摘されるあり様です。

朝日新聞デジタル
「日本のPCR検査少ない」米専門家が指摘 手本は韓国

至極真っ当な指摘と言えるでしょう。と言うか、これが常識なのです。でも、今の日本では常識が通用しないのです。それが“カルトの国”であるゆえんです。

また、WHOのテドロス事務局長も、次のように呼びかけています。

   目隠ししながら火を消すことはできない。誰が感染しているのかわからずに、このパンデミックを止めることはできない。すべての国に簡単なメッセージを伝えたい。検査に次ぐ検査を。疑わしいケースはすべて検査してほしい。


Yahoo!ニュース
ロイター
パンデミックを止めるためには「検査、検査、検査」=WHO

日本には耳の痛い話ですが、でも、今の日本にはこの声も届かないのです。

メディアの中でも、政府の対応を批判する声はどんどん影をひそめています。厚労省が、感染者数の中でクルーズ船の感染者は除くべきだと言ったら、いっせいにクルーズ船の感染者を除いた感染者数に変更されています。また、安倍首相が、退院した人の数も伝えるべきだ言ったら、退院者数も伝えるようになっています。

怖いのは、満足に検査もしないまま、オリンピックのために(予定どおりできるわけがないのに)政府が見切り発車で収束宣言を行うことでしょう。しかし、私たちは、翼賛化する状況においても、政府の対外向けの(バレバレの)隠蔽工作のために、私たち国民の健康がなおざりにされているということだけは忘れてはならないでしょう。私たちの国の政府は、国民の健康よりオリンピック開催を優先するような政府だということを肝に命じておくべきでしょう。
2020.03.18 Wed l 新型コロナウイルス l top ▲
新型コロナに対する特措法改正案(改正特措法)が、今日、参院本会議で可決、成立しました。明日14日から施行されるそうです。国会の審議は、衆参それぞれ1日づつのわずか2日でした。これには、インド人だけでなく、ヒットラーもびっくりでしょう。

かつてこの国の議会政治に55年体制と言われる“慣れ合い政治”がありました。国会の議席を分け合う自民党と社会党の二大政党が、表面的には“対立”を装いながら、実際は慣れ合って国会運営を行うことで、結果的に自民党の一党独裁体制を補完してきたのです。強行採決の際、野党議員が議長席に押しかけて抗議する光景も、法案に抵抗する姿を国民に向けてアピールする野党(社会党)に花を持たせるために、二大政党間で“台本”ができていたと言われていました。

これほど国民を愚弄した政治はなく、のちの政界再編で社会党が潰れたのも当然なのです。

しかし、今の国会運営は、55年体制の頃よりもっとひどいのです。なぜなら、55年体制時の自民党と社会党間の距離より、今の与野党間の距離の方が全然近いからです。

立憲民主党は、間違っても護憲政党ではありません。それどころか、今回の特措法改正に賛成したことを見てもわかるとおり、看板にしている立憲主義の政党ですらないのです。私には、立憲民主党と自民党の違いがまったくわかりません。

たしかに、立憲民主党は野党の立場なので、表向きには自公の政策に反対していますが、根本にある政治理念に違いがない限り、今回のようにいざとなれば、いつでも小異を捨てて大同に就く可能性はあるでしょう。政策の違いなど小異でしかないのです。

立憲民主党も国民民主党も、改憲を主張しています。だから、安倍首相は、両党に対して、国会の憲法審査会に参加して(同じテーブルに付いて)、議論をはじめましょうと言っているのです。

しかし、立憲民主党は、安倍政権のもとでは同じテーブルには付かないと言っています。と言うことは、次の政権ではテーブルに付く可能性もなくはないのです。国民民主党に至っては、自民党の改憲案は安全保障の面で生ぬるいとさえ言っているのです。

このように立憲・国民民主の政治理念を考えれば、両党が“国難”突破のために、“戒厳令”まがいの超法規的な権限を総理大臣に与える特措法改正に賛成したのは、別に驚くことではないのです。

新型コロナウイルスによって、この国の政治の「バカっぽさ」が白日のもとに晒されたと言ってもいいでしょう。それは、無能ぶりを晒した政府与党だけではありません。野党も同じです。特措法改正に賛成した立憲民主党と国民民主党は、野党としてのみずからの存在をみずからで否定したのです。「緊急事態」に名を借りた、野党がいらない体制をみずからで認めたのです。彼らの国家観や憲法観が、自民党と共有していることをはからずも証明したと言えるでしょう。

自民党の憲法草案に盛り込まれた「緊急事態条項」について、憲法学者の木村草太氏(首都大学東京教授)は、内実は「(内閣の)独裁権条項」だと言っていましたが、まさに今回の改正案は自民党の憲法草案を先取りするものと言っていいでしょう。改正案で明文化された「緊急事態条項」は、文字通り安倍首相に「独裁権」を与えるものにほかならないのです。

特措法改正案に賛成した立憲民主党の議員たちに、もはや安倍政権を批判する資格はないのです。成立したあとも口を拭って、ツイッターなどで安倍首相の政治姿勢を批判しているのを見るにつけ、私は、厚顔無恥という言葉しか思い付きません。有権者をバカにするなと言いたいです。

一方で、新型肺炎は、生物兵器であるかどうかはさて措くとしても、コロナウイルスが変異した新しい感染症であるがゆえに、予測不能でごまかしが効かず、各国政府が取る小手先の予防策がまったくと言っていいほど効果がないことも、徐々にあきらかになっています。だから、朝日の編集委員ではないですが、「痛快」と言いたくなるほど、どこの政府も感染の拡大に怯え右往左往しているのでしょう。その中で、ろくに検査もしないで「拡大を食い止めている」「封じ込めに成功している」と自画自賛(自演乙)しているのは、日本と北朝鮮だけです。カルトが戯画と同義語だということがよくわかります。

日本政府は、ここに至ってもまだ、オリンピックは予定どおり準備すると言っていますが、文字通りそれは税金をドブに捨てるようなもので、さらなる無能ぶりを晒していると言えるでしょう。株の暴落に対して、日銀がお札をじゃんじゃん刷って買い支えるETFの買い入れも同じです。どう見てもそれは、崩壊への道をみずから歩んでいるとしか思えませんが、しかし、テレビ東京の株屋のおっさんのように、メディアが言うのは目先の株価のことばかりで、日銀の買い入れが危機をさらに増幅させているという話は一切出て来ないのです。私たちは、ますます真実から遠ざけられて、ねつ造された「ニッポン、がんばれ!」のニュースで目くらましをされるばかりです。

一昨日だったか、ドイツのメルケル首相が、会見で「国民の60~70%が新型コロナウイルスに感染する可能性がある」と発言して警戒を呼びかけたというニュースがありました。会見の中で、メルケル首相は、収束には数か月、もしくは1年かかるかもしれないとも話したそうです。私は、そのニュースにショックを受けたのですが、田中宇氏が、最新記事で、そのメルケル首相の発言を取り上げていました。

田中宇の国際ニュース解説
人類の7割が感染し2年以上続くウイルス危機

記事によれば、米国病院協会 (AHA)は非公式の報告書で、新型コロナウイルスの致死率は人類の0.3%、感染者全体では0.5%になると予測しているそうです。

何度も言いますが、当然ながら無症状や軽症の感染者からも感染します。PCR検査して自分が感染しているのだということがわからないと、そんな“無自覚の感染”がネズミ算式に拡大していくのは火を見るよりあきらかでしょう。記事にあるような致死率も、決して非現実的な数字ではないのです。

ここに来て、のべつまくなしにPCR検査をすると医療崩壊を招くので、PCR検査は抑制した方がいいという意見がまことしやかに流れていますが、これこそ“無自覚の感染”がネズミ算式に拡大することを認める暴論と言えるでしょう。PCR検査と医療崩壊は本来別問題のはずで、医療崩壊はあくまで医療現場のマネジメントの問題でしょう。自分が感染しているのかどうかわからなくて、どうして感染を防ぐことができるのか。それは、子どもでもわかる話です。PCR検査は抑制した方がいいという意見は、政府与党周辺から発せられた詭弁(言い訳)としか思えません。

記事の最後に田中氏は、次のように書いていました。

人類の60%以上が感染するまでウイルス危機が続き、ワクチンなどの予防策が出てこない限り、ウイルス危機はこれから2年続くことになる。その間、国際的な人の移動が制限され、サービス業や飲食、エンタメ、観光、学校、議会、交通など、多くの産業や社会機能が制限され、世界経済に大打撃を与える。グローバリゼーションが劇的に終わる。金融危機が大幅に進行し、米国覇権体制が終わる。今起きている金融危機は、危機の序の口にすぎない。


前も書きましたが、新型コロナウイルスによって、世界地図が大きく塗り替えられる可能性はあるでしょう。少なくとも、米中の”覇権争い”=もうひとつの戦争があらたな段階に入ったことは間違いないように思います。と同時に、私たちは、ごまかしの利かない新型コロナウイルスによって、無能な政府や無能な政治家を持った不幸(そのツケ)を思い知らされることになるでしょう。

「ニッポン、凄い!」「ニッポン、がんばろう!」というような「(愛国」的)スローガンをいくら唱えても、神風は吹かないし、新型コロナウイルスの脅威をごまかすことはできないのです。スポーツや音楽で元気や勇気をもらっても、新型コロナウイルスを退散させることはできないのです。それらは、昔の疫病払いのおまじないと同じようなものです。それよりまずPCR検査を行って、”潜在的感染者”を顕在化させ、“爆発的感染”を防ぐことでしょう。古市憲寿の「新型肺炎はインフルエンザと同じでたいしたことない」「PCR検査しても意味ない」という言動などは、文字通り反動的で「バカっぽい」、ある意味で犯罪的なデマゴーグと言うべきなのです。自業自得とは言わないけど、新型コロナウイルスとともに、またあらたな”衆愚の歴史”がくり返されているように思えてなりません。
2020.03.13 Fri l 新型コロナウイルス l top ▲
新宿~立川~武蔵五日市~人里(へんぼり)バス停~人里峠~【浅間領】~時坂(とっさか)峠~払沢の滝入口バス停

※山行時間:4時間30分
※山行距離:8キロ
※標高差:409m
※山行歩数:24000歩
※交通費:2265円


昨日、奥多摩の浅間嶺に登りました。

新宿から6時48分発のJR中央線中央快速高尾行きで立川、立川からJR青梅線五日市行きで武蔵五日市。五日市駅に着いたのは7時59分で、これもいつものコースです。

前に、笹尾根を繋いだのでしばらく武蔵五日市に行くことはないだろうと書きましたが、ゆっくり山を歩きたいと思ったとき、やはり思い付いたのは武蔵五日市駅から登る山でした。それで、前言を翻してまた武蔵五日市駅に向かったのでした。

浅間嶺は、笹尾根と同じ檜原街道沿いの浅間尾根にあるピークです。笹尾根にはいくつかのピークがありますが、浅間尾根の場合は浅間嶺が唯一のピークです。

笹尾根と浅間尾根は、檜原街道沿いのバス停が共通しており、簡単に言えば、バス停を降りて進行方向の左に登れば笹尾根で、右に登れば浅間尾根です。浅間尾根のピークはひとつしかないので、浅間尾根はどのバス停から登っても、めざすのは浅間嶺になります。私は、人里(へんぼり)のバス停から登りました。

武蔵五日市駅から人里までは、バスで50分かかります。しかし、駅に着いても、バスの時間まで1時間待たなければなりません。これもいつものことです。

駅前のコンビニで行動食のチョコレートと昼食のサンドイッチなどを買って、バス停のベンチに座ってバスを待つことにしました。武蔵五日市駅の場合、待合室がないのでバス停のベンチに座って待つしかないのです。

バス停のベンチには、既に3人の60代くらいの女性が座っていました。3人とも登山の恰好をしており、私が乗ってきたのと同じ電車で来たみたいです。おそらく女性たちも浅間嶺に登るのだと思います。

横で話しているのを聞くと、どうやら団体(グループ)で登るようで、同行者たちは次の電車でやって来るみたいです。平日は定期便の1台で充分ですが、これが週末になると100人以上が行列を作り、臨時バスも出ます。浅間嶺はアクセスがよくて、しかも登りやすいので、特に中高年の登山者に人気なのです。

8時半近くになると、次の電車で来た人たちがバス停にやって来ました。その中には、女性たちの同行者もいました。やはり60~70代の既にリタイアしたとおぼしき男性ばかりで5人いました。これもよくあることですが、男性たちは列の後ろに並ばないで、先頭にいる女性たちのところでおしゃべりをしていました。私のうしろには、既に20人近くが並んでいました。

私のうしろでは、温泉にでも行くのか、かなり高齢の男性がやって来て、「ベンチに座らせてもらえませんか」と言っていました。それで、ベンチに座っていた人たちが間を詰めていました。しかし、先頭のグループはそんなことはおかまいなしにおしゃべりに興じていました。

それにしても、山に来る団体の中高年女性たちはどうしていつもこんなにハイテンションなのだろうと思います。年甲斐もなくと言ったら叱られるかもしれませんが、キャーキャー言いながら大声でお喋りに夢中です。男性たちにとって、そんな女性たちはマドンナのような存在なのか、話の中心はいつも女性たちのことでした。

しかし、男性たちも、登山者にありがちな「オレ、凄いだろう」式の自己誇示も忘れないのです。「あの✕✕山はきつかったわ」と女性が言うと、「あんなもんはたいしたことない」と男性。「あんな山は、コースタイムの0.7くらいで充分だ」と言ってましたが、「お前、ヤマレコか」と突っ込みたくなりました。

やがてバスが来ました。ところが、先頭の女性のところにいた男性たちも、女性につづいてバスに乗り始めたのです。それで、私は、「お前たち、みんなが並んでいるのがわらないのか」「山に行く人間で、そのくらいのマナーも守れないのか」と言いました。すると、まだバスに乗ってない人間は、びっくりした様子で足を止めていました。

週末だとバス会社の人間が出てきて、カラーコーンを並べて整列乗車を呼び掛けるのでまだマシですが、平日はこのような光景はめずらしくないのです。

ネットに中高年登山禁止条例を作ってくれないかなという書き込みがありましたが、集団心理もあるのか、団体の登山者のマナーがよくないのはたしかです。ホントに中高年団体登山禁止条例を作ってもらいたいほどです。

警察が発表する年代別の遭難者のデータによれば、遭難者は70代がいちばん多いそうです。数年前までは60代が一番多かったけど、登山者が年を取り、中心の年齢層が60代から70代に移ったのに伴って、遭難者も70代が一番多くなったそうです。と言うことは、あと10年もすればマナーの悪い団体客は自然淘汰されるのです(そのはずです)。

運の悪いことに、このグループは帰りのバスでも一緒でした。払沢の滝(ほっさわのたき)入口のバス停まで下りて、ついでに払沢の滝を見に行ったときでした。滝はバス停から15分くらい歩かなければなりません。滝の近くまで行って、岩に乗って写真を撮っているときでした。足場が悪いので、ひとりつづ順番に写真を撮るような暗黙のルールがあるにもかかわらず、私のすぐ横に来てカメラを構えている高齢の男性がいました。見ると、ザックを背負って登山の恰好をしていました。

写真を撮り終えて横の石段に戻ろうとしても、男性がすぐ横に立っているので戻ることもできません。それに、男性がバランスを崩すと私も巻き添えを食って下の岩場に落ちる危険性さえあります。しかし、男性は私のことなどお構いなしにカメラを構えています。

「ちょっとのいてもらいますか?」と言っても、知らん顔です。それで、再度強い口調で「のいてもらえるかな」と言ったら、やっと石段に戻って行ったのでした。

男性を見ると、石段から滝つぼの脇に下りる際も、石段が狭いにもかかわらず、下から登って来る人がいても、「のけ」と言わんばかりに強引に下りて行くのでした。下から登ってくる人たち(大半は若い人たち)は、石段の横に設置された鎖を握って身体を横向きにしてよけていました。「なんだ、あの爺さんは」と思って見ていたら、下でキャーキャー言いながら男性たちを待っていた女性に見覚えがありました。朝のあのグループだったのです。

私がバスを降りるとき、彼らはまだバスに乗っていましたので、先にある浅間尾根登山口のバス停あたりから登ったのでしょう。そして、私と同じように払沢の滝に下りて来たのでしょう。マナーの悪い連中は、どこに行ってもマナーが悪いんだなと思いました。中高年向けの登山サークルのサイトに、「ナンパ目的で入会する方へ」という注意書きがあったことを前に書きましたが、もしかしたらマドンナ(と言っても60すぎの婆さん)が一緒なので、爺さんたちも気分が高揚して分別を失っているのかもしれません。顰蹙を買うかもしれませんが、なんだか“老人ホームの恋“を連想しました。

それに比べると、浅間嶺の展望台で会った高齢の夫婦は対照的でした。展望台に行くと、とっくに70を越えているような高齢の夫婦が望遠鏡で遠くの山を見ていました。そして、二人で手元の地図と見比べながら「山座同定」をしていました。何度もその作業をくり返していて、如何にも山に来たことを楽しんでいるといった感じでした。

私がベンチで昼食のサンドウィッチを食べていたら、「お先に」と言って、二人は払沢の滝方面に歩いて行きました。しかし、少し歩くとまた立ち止まって、二人で奥多摩の山塊を指差してなにやら話をしていました。

ハイキングとしては、こっちの方がよほど「健全」に見えますし、山歩きの本来の姿があるように思います。ヤマレコやヤマップの影響なのか、中高年の中には同じ山に何度も登って、コースタイムがどうのと自慢するような人たちが多いのですが、その背景にあるのは「オレはいつまでも若いんだ」という誇示と自己承認を求める気持でしょう。おまかせ登山のおばさん相手にお山の大将になりたがる心性も同じなのだと思います。

人里バス停から浅間嶺までは3キロ弱、浅間嶺から払沢の滝までは6キロくらいでした。登りは休憩を除けば1時間半くらいで、払沢の滝バス停までの下りは、2時間弱でした。久し振りの軽めの登山で、その分余裕を持って山を楽しむことができました。

帰りは、いつものように武蔵五日市から拝島、拝島から八高線で八王子、八王子から横浜線で帰ってきました。武蔵五日市を出たのが午後4時前だったということもあって、電車は空いており、今回もずっと座って帰ることができました。

不思議なのですが、山に行っている間は花粉症の症状がまったく出ないのです。昨日は、春を思わせるようなポカポカ陽気でしたが、くしゃみをしたり目がしょぼしょぼしたりとか、そんなことはまったくありませんでした。ところが、帰宅して夜になるとくしゃみが出たり、目が痒くなったりするのです。前回の本仁田山に行ったときもそうでしたが、たぶん街中のようにアスファルトに落ちた花粉が舞い上がることがないからかもしれません。



※サムネイル画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

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人里バス停。

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浅間尾根登山口へ。

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登山口は民家の脇から入ります。

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登山口に入り上から見たところ。登山口までのアスファルトの坂道がきつかった。

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登山口に入りうしろを振り返る。

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登る途中にあった祠。

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ふと見上げると民家が・・・・。

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テレビの「ポツンと一軒家」で紹介された民家でした。しかし、今は無人です(敷地内は自由に見学できます)。

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庭の奥にある400年前から出ているという湧き水。とてもおいしかった。水筒を持って来なかったことを後悔しました。実家の水道も天然の湧き水でしたので、田舎を思い出しました(このルートを登るなら、水筒は必携です)。

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尾根に着きました。時間にして約1時間。

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ここからは尾根筋を歩きます。

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見晴らしのいいところに出ました。奥多摩の山塊が一望できました。しばらく立ち止まって見入ってしまいました。

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大岳山。

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御前山。

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見晴らしのいい尾根道。

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浅間嶺休憩所の東屋。

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はじめて会ったハイカー。このあと展望台に登ったら、休憩していました。

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展望台の山頂標識。浅間嶺の最高標高地点は展望台ではないのですが、実際は展望台が山頂のような扱いになっています。

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展望台からの眺望。

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展望台には3人の先客がいました。このあと女性の2人組が登って来ました。

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展望台をあとにして払沢(ほっさわ)の滝バス停までの下り。

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このような石ころだらけの道もありました。

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峠を下る途中にあった蕎麦屋。この蕎麦屋も「ポツンと一軒家」で紹介されたそうです。そのあと閉店したと聞いていました。しかし、看板を見ると、12月~3月は冬季休業で、4月~11月は営業しているようです。

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このあたりの「関東ふれあいの道」は、「甲州古道」と呼ばれているようです。つまり、東京側の武州と山梨側の甲州を結ぶ道だったのです。昔、両国の人たちはこの道を通って行き来していたのです。現代人は、ザックを背負い登山靴を履いたご大層な恰好で登って来ているのです。

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林道の途中にあった大山祇神社。

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大山祇神社の下には、閉店した「峠の茶屋」の建物がありました。

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上記の蕎麦屋は、峠の茶屋の本家でもあったのでしょうか?

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前の駐車場からも絶景が広がります。

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商店の窓ガラスに貼ってあった「東京のスイス」檜原村の観光地図。そう言えば、私も子どもの頃、冗談半分で自分の田舎を「九州のスイス」と呼んでいました。

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遠くに都心のビル群も見えました。

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下る途中の分岐で、鎖で閉鎖されていた「車両通行止め」の方の林道を進むと、時坂(とっさか)峠に着きました。

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時坂峠から急坂の登山道を下ります。

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降り口に「危険」と注意書きがあった崩落箇所。思ったより危険ではありませんでした。

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払沢の滝に行く途中にあった雑貨店。昔の郵便局の建物を利用しているそうです。

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払沢の滝。

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2020.03.12 Thu l 山行 l top ▲
立憲民主党と国民民主党は、一応表向きは”消極的反対“あるいは”判断保留“のポーズを取っていますが、どうやら内閣総理大臣に戒厳令まがいの”独裁的な権限“を与える「新型インフルエンザ対策特別措置法改正案」について、ほとんど審議もせずに成立させることを自民党と合意したようです。

以下は、13日付の共同通信の記事です。

KYODO
国会に事前説明なら賛成も
立民・国民、修正か決議求める


 新型コロナウイルスの感染拡大に備えた新型インフルエンザ等対策特別措置法改正を巡り、立憲民主、国民民主両党は、私権制限を伴う緊急事態宣言に関し、国会への事前説明などを義務付けられれば賛成する方向で検討に入った。発令中の「適時報告」も条件とし、与党に改正案の修正か付帯決議を求める考えだ。関係者が7日、明らかにした。
(略)
 政府は、特措法改正案を10日に衆院へ提出し、13日にも成立させる意向だ。
(同上)


早速、安倍首相の”極右仲間”の有本香氏が夕刊フジのコラムで、「新型コロナで“挙国一致”も左派は妨害!? 朝日新聞、共産党、社民党は『国難』を乗り越える気がないのか」という記事を書いていました。

Yahoo!ニュース
夕刊フジ
新型コロナで“挙国一致”も左派は妨害!? 朝日新聞、共産党、社民党は「国難」を乗り越える気がないのか

「挙国一致」「国難」、それは全体主義の常套句です。戦前も「挙国一致」や「国難」を掲げた問答無用の翼賛体制のもと、天皇制ファシズムの“暴走”が始まったのでした。立憲民主党や国民民主党の旧民主党は、文字通り「国難」突破のために、「挙国一致」の翼賛体制にみずから(進んで)身を預けたと言えるでしょう。有本氏のコラムに、いつもの立憲民主批判がないのは、極右から「合格」のお墨付きをもらったからかもしれません。

もっとも、今回の改正案の土台になった新型インフルエンザ等対策特別措置法は、民主党政権のときに作られた法律です(そのときも共産党と社民党は反対しています)。安倍・枝野の党首会談の写真を見ると、消費税増税のときの野田・谷垣会談が彷彿とされ、なんだか民主党政権の悪夢がよみがえってくるようでした。

あらためてこういう野党は怖いなと思いました。ある意味で、自民党より怖い。

先日の京都市長選で、両党は自民党や公明党と一緒に現職候補を推薦しました。京都市長選だけではありません。過去には横浜市長選においても、旧民主党は林文子市長を支持してオール与党体制に与しているのです。それは、今回のような翼賛体制の地方版と言っていいでしょう(そして、今になって自治労横浜など市関係4労組と一緒に、「裏切られた」などと言って被害者ヅラしているのです)。

何度もくり返しますが、こんな政党を野党と言うのでしょうか。立憲民主党に随伴する左派リベラルの市民派は、こんな政党に一体なにを期待しているのでしょうか。

しかも、立憲民主党が身過ぎ世過ぎのために偽装する野党的ポーズは、悪しき左翼性だけを残した左派リベラルを通して、左の全体主義へ架橋されているのです。それは、前も書きましたが、国会前デモなどに端的に表れていました。

思えば、ダイヤモンド・プリンセス号の乗客のうち27人の重症化が判明したのが先月の20日でした。しかも、そのうち2人が死亡したのです。でも、安倍政権が新型コロナウイルスの対策本部を開いたのは、3日後の23日でした。

23日現在で、韓国のPCR検査の検体数は2万件でした。一方、日本(21日現在)は、693件しかありませんでした。にもかかわらず、我が国は感染者数が少ないと胸を張っていたのです。そして、対策本部も開かずに、連日、税金(内閣官房機密費)を使って、極右仲間やメディアの幹部とお食事会を開き、美酒に酔い痴れていたのです。

ところが、それからわずか10日後に突然、全国の公立学校の一斉休校を決定し、併せて不要不急の外出やイベント等の自粛を呼び掛け、さらに緊急事態宣言に向けての特措法改正まで表明したのでした。誰がどう見ても、場当たり的にしか見えないでしょう。

これで、安倍首相は、戒厳令まがいの“独裁的な権限”を行使し得る法的な裏付けを手に入れることができるわけで、まさに転んでもただでは起きないファシストの正体見たり枯れ尾花という感じです。

マスクもない、除菌スプレーもウエットティッシュもない。しかも、重症化するまで検査も受けられない。緊急事態なのは無能な政府の方で、”戒厳令ごっこ”をしている場合じゃないだろうと思いますが、そんなことはお構いなしに極右仲間におだてられて令和のヒットラーにでもなった気分なのかもしれません。

旧民主党の連中は、今までもいざとなれば”敵失”を演じて安倍政権の苦境を救ってきました。そうやって政権の延命に手を貸してきたのです。それが、今回は「国難」を口実に、さらに露骨に手を差し伸べているのでした。

立憲民主党に随伴する左派リベラルは、”第三の道”なんて非現実的で、今の構図の中で「よりましな」政治を選択するのが現実的で賢明な方法だと言っていましたが、立憲民主党のどこが「よりまし」なのでしょうか。今更ですが、左派リベラルの彼らが依拠しているのは、とっくに終わった”古い政治”でしかありません。それが、立憲民主党を「よりまし」と考える発想につながっているのです。

ホントに「政治を変える」ためには、立憲民主党ともどもヘタレでトンチンカンな左派リベラルにも、きっぱりと引導を渡す必要があるでしょう。何度も言いますが、そこからやり直すしかないのです。


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2020.03.07 Sat l 新型コロナウイルス l top ▲
武蔵小杉駅~立川駅~鳩ノ巣駅~本仁田山~鳩ノ巣駅~青梅駅~拝島駅~八王子駅~菊名駅

※登り3時間28分(休憩約40分)
※下り2時間10分(休憩時間10分)
※山行時間:5時間38分
※山行距離:9.4キロ
※標高差:904m
※山行歩数:26000歩
※交通費:2514円

奥多摩の本仁田山(ほにたやま・1224メートル)に登りました。本仁田山は、奥多摩駅から登る大休場尾根コースが一般的ですが、大休場尾根コースは奥多摩の三大急登に数えられるほどの急登で、今の私では荷が重いので、今回は奥多摩駅から二つ手前の鳩ノ巣駅から登る杉ノ尾根コースを選びました。

とは言え、奥多摩の山は標高のわりにきつい山が多いので、杉ノ尾根コースも後半は急登が続き、ヘトヘトになって山頂に辿り着きました。前半は順調だったのですが、後半のバテ具合が半端ない(!)のです。持久力がないと言えばそうなのでしょうが、やはり体重が6キロ増えたことも大きいのかもしれません。6キロと言えば、山に登る人間が背負うザック1個分の重さです。それでなくても、私は身体が大きいので、ほかの人より2つか3つ余分にザックを背負っているようなものですが、さらにまたひとつ増えたのです。つまり、平均的な日本人と比べれば、ザックを4つ背負って山に登っているようなものです。これではもはや歩荷の世界です。

アンクルウエイト(足首に付ける重し)を買って足の筋力を付けることも大事ですが、その前にダイエットが必要でしょう。いくらまめに山に行って体力を付けようと思っても、体重が増えたのでは自分で自分の足をひっぱっているようなものです。そんなことを考えながら、山を下りました。

今日も早朝5時半すぎの東横線に乗って、武蔵小杉で南武線に乗り換え、さらに立川で青梅線の奥多摩行きに乗り換えました。鳩ノ巣駅に着いたのが8時前でしたので、ちょうど2時間かかったことになります。

やはり、車内はいつもより空いており、そのため、いづれの電車でもずっと座って行くことができました。

鳩ノ巣駅は、まわりになんにもないローカルな駅です。コンビニはもちろん、商店もありません。ただ、山だけでなく近くに渓谷もあるので、駅前にはハイキング客向けの立派なトイレがありました(ハイキングのあとに汚れた靴を洗う水道もあります)。

もっとも、山と言っても、本仁田山以外では川苔山(川乗山)があるくらいです。それも、いづれもマイナーなルートの登山口で、どっちかと言えば、鳩ノ巣駅は本仁田山や川苔山の下山ルートで使われる場合が多いのです。

登りでは3人会っただけでした。また、途中、大根ノ杉ノ神という分岐点で休憩していたら、上から2人下りてきました。

登る途中、2人から追い抜かれましたが、山頂に行ったら誰もいませんでした。おそらく2人も川苔山に向かったのではないかと思います。川苔山のメインのルートである日原街道から百尋ノ滝を経て登るルートが、昨秋の台風19号によって日原街道が通行止めになり利用できないため、今は鳩ノ巣から登るしかないのです。

先日、棒ノ折山で会った人に川苔山の話をしたら、「冬は百尋ノ滝に行かない方がいいですよ」と言われました。冬は滝に行く道が凍結するので、滑落事故も起きているそうです。「氷瀑とか言いますが、百尋ノ滝はそうまでして観に行くほどの価値はありませんよ」と言っていました。

また、その話を別の人に話したら、その人もほかの人から同じようなことを言われたと言っていました。こういう話は、ネットでは知ることのできない”生の情報”です。ネットはウソとハッタリが多いので、書いていることを鵜呑みにすると、登山の場合、命にかかわることにもなりかねません。川苔山に関しても、逆コースから下りて百尋ノ滝に行ったけど、全然問題なかったみたいなお決まりの書き込みがありますが、自分の技量を鑑みながら割り引いて読む必要があるでしょう。むしろ、斜に構えて読むくらいがちょうどいいのです。

それは、コースタイムも然りです。山行記録を共有するサイトのコースタイムは、あまり参考になりません。コースタイムは修正できるみたいなので、さも健脚のように修正しているのではないかと思ってしまいます。中には、説明文の時刻と添付した写真のEXIF情報の時刻が違っている場合もありました。ちなみに、個人的にいちばん参考になるのは、登山届を作成する際に利用するコンパスのコースタイムです。

山頂には40分くらいいましたが、誰も登って来ませんでした。非常に暖かないい天気だったので、汗でぬれたパーカーを木にかけて干しました。奥多摩の山々の向こうには、富士山もくっきりと姿を見せていました。ちょうど昼の12時すぎだったので、ベンチに座って持参したピザパンを食べました。ピザパンにかじりついていたら、なんだか胸がつまってきて涙が溢れそうになりました。若い頃、定食屋でひとりで食事していると、わけもなく涙が出そうになったりしましたが、あのときと似た感じでした。いくら年を取っても、そういった感情は残っているのです。

それでもやはり、ひとりはいいなあと思いました。山頂をひとり占めできるなんて、これほど贅沢な話はないのです。

山から下りて駅に戻って来たら、ちょうど5分後に来る電車があったので、ホームまで走りました。帰りは、いつものように拝島で八高線に乗り換え、八王子から横浜線で帰りました。

途中から帰宅ラッシュの時間になったのですが、通学する学生が少ないので電車は空いていて、ずっと座って帰ることができました。ただ、私服姿の高校生とおぼしき若者たちがワイワイ騒ぎながら乗って来て、八王子や町田などで降りて行きました。一斉休校と言っても、これ幸いに遊び歩いているじゃないかと思いましたが、かく言う私も、「不要不急の外出を控えるように」という呼びかけに背いて山に行っているのですから、あまり他人(ひと)のことは言えないのです。

一方で、安倍首相は、新型コロナウイルス対策のために、あらたに緊急事態を想定した法整備の必要性を表明しています。新柄コロナウイルスを奇貨に、私権を制限する”緊急事態法”の拡大が目論まれているのです。検査もろくにしないでなにが緊急事態だと思いますが、東日本大震災のときと同じように、再び”動員の思想”が前面に出ているのでした。トンチンカンな東浩紀などは、またぞろ震災のときと同じように、国家がせり出している今の状況に誇りを覚えると言い出すのかもしれません。あれから「ニッポン、凄い!」が始まったのです。そして、今のようなボロ隠しの「愛国」が支配する「バカっぽい」国になってしまったのです。

本気で市中感染を防ぐつもりなら、もっと簡単にPCR検査を受けることができるようにすることが先決ですが、ここに至っても検査体制は何も変わってないのです。検査が保険適用され自己負担分も国が負担すると言いながら、実際は「指定感染症」として保健所が統括する「帰国者接触者相談センター」が窓口であることには変わりがなく、軽症レベルの患者が検査を申し込んでもハネられるのは目に見えています。

重症化するか感染者の濃厚接触者でなければ検査が受けられないのですから、感染している自覚がないままに、意図せず感染を拡大させることになるのは当然でしょう。にもかかわらず、感染者は、あたかも無責任な行動でウイルスをばらまいた”迷惑人間”のように言われ、指弾されるのです。国の怠慢(と隠蔽工作)がそのような理不尽な責め苦を感染者個人に強いているのです。感染の拡大を防ぐためには、なにより早い段階で感染しているかどうかをはっきりさせて、感染を防ぐべく手当てすることが大事なのは、子どもでもわかる話でしょう。

横浜線に乗っていたら、橋本駅からトイレットペーパーの束を両手に下げたおばさんが乗って来ました。おばさんは、次の相模原駅で降りたので、トイレットペーパーを求めて橋本まで「遠征」したのかもしれません。

私も思わず二度見してしまいましたが、ほかの乗客も、ある人は眉をひそめて、ある人は羨ましそうな目で、おばさんの手元を見ていました。「あんたとこの家族は、そんなにウンコするの?」とツッコミたくなりました。

メディアは、「トイレットペーパーは充分な在庫があります。買い占めをやめることで、品不足も解消されます。買い占めをやめて、みんなに行き渡るようにしましょう」と言っていますが、それって東日本大震災のときも耳にした台詞です。

メーカーも表向きには「在庫は充分あります」と言っていますが、今の品不足が消費ではなく買い占めによって起きているのはわかっているので、店頭に商品がなくても生産能力を上げることはしないでしょう。そうすれば、やがて過剰在庫になるのがわかっているからです。

そもそも、中国人が買い占めているから品不足が起きているんだと言いながら、せっせせっせと自分たちで買い占めていた日本人に、「みんなで分かち合いましょう」みたいなことを言っても馬の耳に念仏でしょう。腐っているのは総理大臣だけではないのです。

そんなことを考えながら帰って来ました。


※サムネイル画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

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鳩ノ巣駅

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登山口に行く途中の風景

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登山口
民家の脇を入ります。

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ちょっと荒れた道

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本仁田山の特徴は石が多いことです。
登山道も石が多く、歩きにくくて足にこたえます。

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大根ノ山の神
川苔山への分岐はいくつかありますが、ここが最初の分岐です。

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「あれっ、車が」と思いましたが、よく見ると林道が通っていました。車は、東京都の森林組合の車でした。

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道を間違えて林道を進みました。
「林道を歩くはずはないんだが」と思いながらもどんどん進んで行ってしまいました。
GPSの地図を拡大して見たら、登山道から微妙にずれていることがわかり、引き返しました。

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大根ノ山の神の分岐まで戻って来たら、こんな注意書きがあることに気が付きました。
最初は気が付かなかった。間違える人が多いのでしょう。

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車が停まっている広場の奥に登り口がありました。
こういった登り口はよく見落とす。

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杉ノ尾根

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最初のピーク殿上山

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本仁田山?

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尾根道をすぎると・・・・

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噂の急登

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途中から見た風景

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さらに急登は続く

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登り切ると再び尾根道

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二つ目のピーク瘤高山(コブタカ山)
個人的には、このあと山頂までの100メートルの登りの方がきつかった。

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山頂標識
三頭山や御前山や大岳山や川苔山の立派な石造りの標識と比べるとこのやっつけ感。
奥多摩での本仁田山の位置付けが伺えます。

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天気がいいので、富士山が見えました。

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山頂の様子

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同上
山頂も石が多い。

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個人的にいちばんきつかった山頂直下の登り
下山時に撮りました。

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登山口まで戻って来ました。
入口(出口?)の手前。
2020.03.03 Tue l 山行 l top ▲
今日、地元の温泉地で宿泊業と飲食業をしている友人から電話があり、新型コロナウイルスでキャンセルが相次いており、途方に暮れていると言ってました。

また、講演の斡旋をしている別の友人は、イベントの自粛要請で既に決定していた講演が全てキャンセルになって、今後の仕事も見通しがきかない状態だと嘆いていました。

朝日新聞に掲載されている「新型肺炎の情報」によれば、「2月29日午前8時半時点」で、「国内で確認された感染者」は946人で死者は11人です。

皮肉を込めて言えば、感染者がわずか946人しかいないのに、安倍総理は全国の学校に臨時休校の要請を行い、併せてイベントや不要不急の外出の自粛を呼びかけたのです。呼びかけに伴い、コンサートなどの各種イベントも中止され、ディズニーランドやユニバーサル・スタジオ・ジャパンなどレジャー施設も休園、スポーツ大会も無観客試合になっています。

「感染の拡大を防ぐため」と言っていますが、それにしては、予防処置と感染の実態があまりにも乖離しており、政府の要請もオーバーアクションのような気がしてなりません(これも皮肉です)。

専門家の間では、実際の感染者は公表数の100倍くらいいるのではないかという話さえありますが、ダイヤモンド・プリンセス号などの感染状況から見ても、あり得ない話ではないように思います。

私たちがいちばん心配しているのは市中感染の現状ですが、政府が公表する感染者の中では、市中感染の患者はほんの僅かしかいません。誰もがホントなのかと思うでしょう。その一方で、政府は国民生活を一時停止するような前代未聞の要請をしたのです。

市中感染の実態がわからないので、よけい疑心暗鬼に囚われてしまうのです。だから、ネットの嘘に騙され、買いだめに走ったりするのでしょう。実際は、「感染を未然に防ぐため」という建前とは別に、既に市中感染が相当のレベルに達したという認識があり、その“無限大の拡散”に恐怖しているからではないのか、と思ってしまいます。

中国や韓国に比べて、PCR検査が極端に少ないのは、オリンピック開催を控えて、感染者数をできるだけ少なく見せたいという“政治的配慮”がはたらいたのは間違いないでしょう。そのために、下記の「デイリー新潮」の記事が書いているように、「指定感染症」や「医療崩壊」を錦の御旗にして、保健所を窓口にした検査をサボタージュする官主導のシステムが設けられたのです。もちろん、背景には、気温が上がればウイルスの感染力が弱まり感染も終息するという楽観論があるからでしょう。

Yahoo!ニュース
デイリー新潮
【新型コロナ】PCR検査の拡大を感染研OBが妨害……「岡田教授」がテレ朝で告発の波紋

でも、熱や咳があるのに、検査も受けられず、感染したかどうかもわからないまま放置される国民はたまったものではありません。中には死亡し、別の死因で処理された患者だっているかもしれません。なによりPCR検査のサボタージュによって、感染の実態が隠蔽されているのは大きな問題でしょう。

国会の議論や政府の要請を見ると、ちゃんと仕事を持ってちゃんと家庭を持ってちゃんと生活している国民が前提になっているように思いますが、しかし、現実には、ちゃんと仕事も持ってなくてちゃんと家庭も持ってなくてちゃんと生活もしていない国民もいるのです。そういう人たちにも等しくウイルスは感染するのです。検査どころか、病院にも満足に行くことができない人たちだっているでしょう。

私たちが直面しているのは、感染症なのです。感染の拡大を食い止めるためには、制度の網をできるだけ広げることが肝要で、まず、ひとりでも多くの人が検査を受けることができるようにすることでしょう。ところが、今の政府が行っていることは、(数字を誤魔化すために)大半の国民を制度からはじき出すべく逆に網を狭めているのです。学校や仕事は休め、街には出るな。でも、検査も治療もしない。そう言っているに等しいのです。

ひと昔前なら切腹ものでしょう。「国賊」と呼ばれてもおかしくないのに、「国賊」どころか相変わらず「愛国」者扱いで、「みんなで応援しよう」なんて言っているのですから呆れるばかりです。そんな安倍政権の応援団であるフジ・サンケイグループに代表されるようなボロ隠しの「愛国」が、この国を劣化させているのです。彼らは、感染の実態の隠蔽に手を貸しているのです。
2020.03.01 Sun l 新型コロナウイルス l top ▲
新型コロナウイルスは、アメリカやヨーロッパにまで拡散しはじめています。いよいよパンデミック(世界的大流行)の様相を呈して来たと言っていいでしょう。世界的な株価の暴落もむべなるかなと思います。

IOCの委員からは東京オリンピックの延期論まで出ていますが、安倍政権の場当たり的な彌縫策の背景に、開催まで半年に迫ったオリンピックに対する焦燥があるのはあきらかでしょう。政府の対応は、気温が上がればウイルスの感染力が弱まるので、それまでの時間稼ぎの色合いも濃いように思います。しかし、言うまでもなく、春になり気温が上がるのは日本とその周辺だけです。地球の反対側は、天候が逆なのです。

仮にトランプが言うように、「魔法のように」ウイルスが消えてなくなったとしても、感染源のアジアに対する風評は残るでしょうし、なにより観光地としてのイメージの低下は避けられないでしょう。ネトウヨや産経新聞や夕刊フジやフジテレビ(フジ・サンケイグループですが)のように、「日本は、中国や韓国と違うんだ」といくら言っても、世界から見れば、日本も中国も韓国も同じ穴のムジナなのです。アジア(あるいはアジア人)とひとくくりに見られるだけです。

これで安倍政権が掲げる「観光立国」も砂上の楼閣で終わるでしょう。アメリカと(見えない)戦争をしている中国と傍観者の日本の違いはあるにせよ、中国の毅然たる対応と右往左往するばかりの日本の差は、誰が見ても歴然としています。日本のメディアや国民は、そうは思いたくないのでかたくなに否定するでしょうが、これで中国の習近平の独裁体制はより強固なものになり、新型コロナウイルスをきっかけに、これからますますアジアの盟主としての地位を固めていくに違いありません。

一方、多極化でご主人様を失う日本は、中国の周辺国として、かつての「東夷」の国のような扱いに甘んじなければならないかもしれません。ネトウヨの中国人ヘイトも、単に負け犬の遠吠えにすぎないのです。

中国の習近平の指導者然とした強いリーダーシップには、一党独裁国家の”強み”が出ているように思います。それに対して、アメリカのトランプや日本の総理大臣の能天気な「バカっぽさ」には、民主主義国家の弱点が出ているような気がしてなりません。選挙で指導者を選ぶ民主主義国家の国民は、なにより聡明さと見識が求められるのですが、残念ながらそれは絵に描いた餅にすぎません。「バカっぽい」国民が選んだのは、同じように「バカっぽい」指導者だったのです。

新型コロナウイルスの報道で、私たちがあらためて目にしたのは、武漢の近代的な都市の風景であり、中国の病院の最新の設備でした。たしかに貧富の差はあるのかもしれませんが(それは日本だって同じです)、あれだけの人口を抱えながらめざましい経済発展を遂げた国力は、やはり認めざるを得ないでしょう。既に名目GDPでは、日本は中国にぬかれています。中国は、ネトウヨやフジ・サンケイグループやデーブ・スペクターの会社のスペクター・コミュニケーションズが言うような「野蛮で遅れた国」なんかではないのです。

それは中国だけではありません。OECD(経済協力開発機構)の発表によれば、2018年の1人当たりGDPでは、日本はとうとう韓国にもぬかれたのだそうです。2012年、経団連のシンクタンク「21世紀政策研究所」が、日本の1人当たりGDPが2030年までに韓国に抜かれ、「先進国から転落しかねない」という長期予測を発表したのですが、2030年どころか2018年にあっさりぬかれてしまったのです。テレビ東京の頭のハゲた株屋のおっさんのように、アベノミクスの上げ底の株価に浮かれている間に、ハイスピードで日本は先進国から転落していたのです。これほど「バカっぽい」話はありません。

21世紀の世界にとって、今回の新型コロナウイルスが、単に公衆衛生上の問題にとどまらず、多極化に伴う世界分割の軍事的経済的な意味においても、大きなメルクマールになるのは間違いないでしょう。「風邪と同じでたいしたことない」という、国民に思考停止を強いるような反動主義者のデマゴーグに、ゆめゆめ騙されてはならないのです。
2020.02.29 Sat l 新型コロナウイルス l top ▲
下記の時事通信の記事からの引用ですが、「新型コロナウイルスの感染拡大を受け、政府の専門家会議は24日、緊急記者会見を開いて行事の自粛や風邪の症状が出た場合の自宅療養など、社会の協力を強く呼び掛けた」そうです。

その中で、「同会議の尾身茂・副座長は、現状は『一部の地域で感染の連鎖が起きているが、まだ急拡大には至っていない』との認識を示し、今後1、2週間が急拡大するか拡大を抑えられるかの分かれ道になると強調した」のだとか。

Yahoo!ニュース
時事通信
行事自粛や自宅療養を 新型ウイルスの感染拡大を受け、専門家会議が緊急会見

「なに寝ぼけたこと言ってるの?」と言いたくるような記事です。もうとっくに「感染の連鎖」は起きているでしょう。また、「感染の急拡大」も誰の目にもあきらかでしょう。

ただ、何度も言うように、一般市民の検査が行われていないので、政府が発表する感染者数が実態を反映していないだけです。実際は、政府が発表する数の数十倍も数百倍も(もしかしたら、数千倍も)感染者がいるのは間違いないでしょう。新型コロナウイルスの検査能力が低いのも、感染者数を少なく見せるために、意図的にそうしているのではないかという声がありますが、今の政府の不正・改ざん・隠蔽の体質を考えれば、あながち的外れとは言えないように思います。

メディアで報道されている「新たな感染者」というのも、大半は感染者に「濃厚接触」した人たちで、言うなれば彼らは検査対象として「選ばれた人たち」なのです。一部に、感染経路が不明な“市中感染"の感染者もいますが、それはよほど症状が重篤なのかはっきりしているかで、狭き門をくぐってたまたま検査を受けることができた「運のいい人たち」なのです。

インフルエンザのように、どこの病院でも検査が受けることができるのなら、この国は、内閣のひとつやふたつが吹っ飛ぶどころではない、それこそ大パニックに陥るに違いありません。政府は、そうなることを恐れているのではないか。

気温が上昇すればウイルスの感染力が弱くなるので、それまで時間稼ぎをしているという見方がありますが、もしかしたら、専門家会議の「今後1、2週間」というのは、天気(気温)の見通しのことなのかもしれません。それくらい(文字通り、天に運を任せるくらい)、政府もお手上げの状態なのではないか。ダイヤモンド・プリンセス号の水際作戦のあのお粗末さが、なにより今の政府の無能ぶりを表しているのです。「バカっぽい」というのは、決して誹謗中傷ではないのです。

さすがに内閣支持率は急落しているようですが、それでもまだ40%前後の支持率を維持しています。私は、支持率は10%もないだろうと思っていたので、未だ40%前後の人たちが支持しているなんてとても信じられませんでした。彼らは、中学生レベルの漢字も読めない総理大臣や財務大臣に、逆に親近感を抱くような人たちなのかもしれません。こういう人たちには、なにを言っても無駄ではないのかと思います。

そんな40%の人たちを読者にする産経新聞には、次のような記事が出ていました。

産経新聞(THE SANKEI NEWS)
韓国の感染者763人、クルーズ船超え 死者は7人に

なんだか日本は韓国に勝ったとでも言いたげな、文字通り「バカっぽい」記事ですが、外国から見れば「目クソが鼻クソを嗤う」ような話にしか見えないでしょう。

こんな産経新聞のような姿勢をホントに「愛国」というのだろうかと思います。なんだか恥を晒しているような気さえします。「愛国」ではなく、「恥国」ではないのかと思ってしまいます。

同紙のサイトを見ればわかりますが、ここに至っても「韓国が・・・・」「韓国が・・・・」の記事のオンパレードです。その多くは、ネットのニュースと同じような“コタツ記事”です。経営不振に陥り全国紙の看板も降ろすような状態になってもなお、このあり様なのです。

まるでボロ隠しのように、自分たちの政府の不正・改ざん・隠蔽を覆い隠すことが「愛国」なのかと言いたくなります。

韓国と日本の感染者数に関して言えば、「モーニングショー」でコメンテーターの玉川徹氏が憤慨していたように、韓国の新型コロナウイルスの検査能力は「1日で5000件」で、検査済みの人も「2万6179人」もいるのです。一方、日本で検査済みの人は、「まだ千数百人」しかいないのです。

msn
サンスポ
玉川徹氏「日本が韓国以下の医療体制なわけがない、やってないだけ」新型コロナ検査の差に怒り

上記の記事が同じフジ・サンケイグループのサンスポの記事であるのはご愛敬ですが、そもそも検査済みの人数が違うのですから、感染者数に違いが出るのは当然で、それは子どもでもわかる話でしょう。むしろ、問題にすべきは、韓国の感染者数ではなく、日本のPCR検査の検査能力の低さ(検査済み人数の異常な少なさ)です。

韓国だけでなく、中国に至っては一日で2万件の検査が可能だそうです。一方、日本では一般市民が検査依頼しても、保健所からたらいまわしされた挙句、はじかれるのが常だそうです。どうして、日本は公的機関主導の検査にこだわり、民間で検査できないのか。”お役所仕事”の保健所を窓口にしたのも、なるべく感染者数を増やさないという”政治的配慮”によって、検査(検体数)をコントロールするためだったのではないか。それが、韓国や中国に比べて極端に検査済みの人が少ない理由ではないのか。そんな国民の疑問に答えるのがメディアの役割でしょう。

にもかかわらず、新型コロナウイルスの感染拡大さえも、牽強付会に“嫌韓”に結び付けることしか考えない産経新聞やフジテレビは、ネトウヨと同じで、もはや「ほとんどビョーキ」と言っていいかもしれません。その前に報道すべきことがあるだろうと言いたいけど、彼らには所詮馬の耳に念仏なのでしょう。

テレビで「ニッポン、凄い!」「あこがれのニッポンに行きたい!」と自演乙している間にも、世界各国から次々と日本への渡航自粛&日本人の入国禁止の処置が出ているのですから、マンガみたいな話です。

新型コロナウイルスで浮かび上がったのは、トンチンカンなこの国の姿なのでした。それもひとえに、産経新聞に象徴されるような、ボロ隠しと化した愛国ならぬ「愛国」がもたらしたものなのです。
2020.02.25 Tue l 新型コロナウイルス l top ▲
昨日、健康診断に行きました。いつも行く病院の健診センターです。

採血の際、担当の看護婦から「エエッ、この年齢ホントですか?」といきなり言われました。「肌の艶なんか全然若いですね」と。おせいじなのかと思ったけど、その驚きようは演技とは思えません。健診のカードを見やりながら、「年齢が10歳間違っているんじゃないかと思いましたよ」と言ってました。心の中ではニヤニヤしながら、「でも、中身はボロボロですよ」と言ったら、「アハハハ」と笑っていました。

「そうか、10歳サバを読むのもアリだな」と思って、すっかり気を良くして次の体重測定に進みました。すると、今度は別の看護婦から「あれっ、前回より6キロも増えていますね」と言われました。前回(半年前)は、山に登り始めたということもあって、10キロ以上いっきに体重が減ったのでした。しかし、その後、体重が戻ってきたことは自分でも感じていました。糖質を控えるどころか、運動にはエネルギーのもとになる糖質が大事だということがわかり、逆に積極的に糖質を摂るようになったからです。

とは言え、やはり体重増加の現実を突き付けられるとショックでした。しかし、山に行く身でダイエットはタブーです。ダイエットしながら山に行くのは、眠らないで山に行くのと同じで無謀な行為です。

少し落ち込んだまま健診は終了し、最後はドクターの問診です。問診の際には、血液検査の結果についての説明もあります。ドクターは、検査結果の用紙を見るなり、「すごいですね」「すべてA判定です」と言いました。今までE判定やD判定だったLDLコレステロール(悪玉コレストロール)や中性脂肪(TG)や血糖値も、すべて正常値に戻っていました。

やはり、運動は大事なんだあ、とあらためて思いました。と言っても、平地でのウォーキングレベルではあまり効果は期待できません。私は、山に行く前から毎日1万歩前後は歩いていましたが、ダイエットはもちろん、健診の数値にもなんら変化はありませんでした。また、筋力や心肺能力にしても、「やらないよりはマシかも」といった程度です。同じ運動でも、ある程度身体に負荷がかかるくらいでないと効果は表れないのです。

問診を終えて、一転気分上々になっている自分がいました。病院から出たとき、思わず口笛を吹いてスキップでもしそうな気分でした。いつも山に行ってヘロヘロになり、山に来たことを後悔している自分はどこかに行っていました。さらには、再び「紅の豚」のような醜い身体に戻りつつある自分のこともすっかり忘れていたのでした。
2020.02.23 Sun l 健康・ダイエット l top ▲
池袋駅 06:04~07:00 飯能 07:45~08:36 河又名栗湖入口バス停 08:46~09:20 白谷沢登山口 09:20~12:15 棒ノ折山 13:05~14:40 滝の平登山口 14::40~14:45 河又名栗湖入口バス停

※登り:175分(休憩含む)
※下り:95分(休憩含む)
※山行距離:8.3 キロ
※標高差:745m
※山行歩数:23,000 歩
※交通費:3,471円

おととい(木曜日)、棒ノ折山に登りました。棒ノ折山は、東京都奥多摩町と埼玉県名栗村の境にある標高969mの山です。

棒ノ折山は、飯能の高校生を主人公にした「ヤマノススメ」というアニメに登場する山として有名で、そのため聖地巡礼(?)の若者の登山者が多い山でもあります。

埼玉側の登山口は名栗湖(有間ダム)にあり、ゴルジュ(狭い峡谷)を登る白谷沢コースは、特に人気のコースです。棒ノ折山は、標高が1000メートルも満たない低山ですが、標高差は700メートル強あり、結構登り応えのある山です。

山行時間だけで言えば、「初心者向け」と言えないこともありませんが、ただ、滑りやすい沢の中の岩歩きや、土が流出して段差ができた階段がつづいていたり、一面剥き出しになった木の根に覆われていたりとやっかいな急登もありますので、初心者だけで行くのはリスクがあると思います。ネットの「たいしたことない」自慢には、くれぐれも気を付けた方がいいでしょう。やはり、単独行の私が言うのもなんですが、経験者と一緒に行った方が安心だと思います。

飯能駅からは、登山口の最寄りのバス停に当たる「河又名栗湖入口」まで約50分バスに乗らなければなりません。尚、週末には「河又名栗湖入口」から数分のところにある「さわらびの湯」行きのバスが出ます。しかし、平日は本数が少ないので、時間帯によっては別の路線の「河又名栗湖入口」を利用しなければならないのです。

飯能駅に着いたのが思ったより早かったので、駅前の吉野家で、久し振りに「すき焼き御前」を食べました。朝からすき焼きとは「これ如何に」(なつかしいギャク)という感じです。

私は、前夜まったく寝ないで出かけたので、登りはじめからヘロヘロでやたら息が上がり、足が動きませんでした。沢歩きよりも、そのあとの急登の方がきつく、私にとっては苦行の山登りになりました。

ただ、前半の沢歩きは、子どもの頃を思い出してなつかしい気持になりました。子どもの頃、近所の友達とよく遊んだようなところを、この年になって登山と称し、重いザックを背負い、登山靴をはいて歩いているなんて、なんだか変な感じもしました。しかも、子どもの頃は平気だったのに、今はぜぇーぜぇー言いながら歩いているのですから。

バス停には7~8人くらいが並んでいましたが、登山客は、夫婦とおぼしき40代くらいの男女とやはり30代後半くらいのソロの男性の3人だけでした。

「さわらびの湯」のバス停にもトイレがあるようですが、「河又名栗湖入口」の近くにも、ご丁寧にも登山客のための休憩所とトイレがありました。あとで考えれば、下山した際の道沿いにありますので、下山時に利用するために造られたのかもしれません(衣類を干すポールまでありました)。登る準備をするために休憩所に行くと、同じバスで来たソロの男性もベンチに座って準備をしていました。

私は、山に行くと異常に愛想がいいので、「こんにちわ」「棒ノ折山は初めてですか?」と話しかけました。しかし、男性の反応は「ハァ?」とつれないものでした。意外な反応に、休憩所は嫌な空気になりました。あわてた私は、「あっ、私も初めてなので‥‥」とどうでもいい言い訳をしたりして、よけい気まずい空気にしてしまいました。もちろん、腹の中では「なんだ、こいつは?」と悪態を吐いている自分がいました。「いい歳して挨拶もできないのか」と思いました。

ところが、棒ノ折山の山頂では、男姓の違う一面を見ることになったのでした。

山頂にいると、次のバスで来たとおぼしき若い女性の二人組が登って来ました。若いと言っても、山ではありがちですが、30歳は優に超えています。すると、山頂の端にいた件の男性が、やにわに立ち上がって山頂をウロウロしはじめたのでした。そして、徐々に女性の方に近づいて行くではありませんか。あきらかに女性が目当ての様子です。

山頂ではよくあることですが、女性から「カメラのシャッターを押してもらえませんか?」と声をかけられるのを待っているのかもしれません。最近、山頂で山ガールと知り合って一緒に下山するナンパが一部で流行っているそうなので、それを狙っているのかもしれません。

私は、東屋の中で、登る途中で知り合った二人のおっさんと昼食を食べながら、山の話をしていました。ひとりは60歳を超えたばかりで、棒ノ折山には100回以上登っているというツワモノで、都心の高層ビルの26階にある勤務先のオフィスには、毎日エレベーターを使わずに階段を歩いて上っているそうです。他にジョギングもしているとかで、同じ“山好き”でも自分とは桁違いのレベルの人物です。

もうひとりは、50歳のトレランのランナーで、練習のために登ってきたそうです。体脂肪率を訊いたら、「測ったことがないのでわからない」と言ってましたが、見るからにアスリート向きの筋肉質の体形をしていました。「すごい体形していますね?」と言ったら、「でも、メタボでトレランしている人の方が、逆にすごいと思いますよ」と言っていました。彼に教えてもらったトレランのサイトを家に帰ってから見てみました。そして、サイトに掲載されている大会日程を見て、私はびっくりしました。毎月、日本各地でこんなに大会が行われているのかと思いました。

TrailRunner.jp
トレイルランニング大会情報

トレランに対しては、裸地や植生の問題で懸念の声も大きいのですが、今やトレランは一大ブームになっているのです。

私が、不愛想な男を目で追いながら、「なんだ、あの男、ただの女好きだったんだ」と言ったら、「どうしたんですか?」と訊くので、登る前の休憩所でのいきさつを話しました。すると、「ああ、そういう男は山にはよくいますよ」「山で会う人間は善人が多いと思っている人が多いけど、山でも街でも同じですよ」と二人は口々に言っていました。「だから、女性がひとりで山に登るのは、ある意味すごいことですよ」と。

そもそも山登りが趣味の男が女性にモテるわけがないのです。「山ガール」はメディアが作ったイメージにすぎません。そのことがわかってないという点でも、ナンパ目的で山に来る男は(私から言わせれば)”変態”です。

ナンパではないですが、山にも”変な人間”はいます。以前、登山口近くまで下山したときでした。前から見るからに「変な人間」が登って来ました。挨拶しても返事はありません。「なんだ、挨拶もできないのか」と思いながらすれ違いました。ところが、気が付くと、いつの間にか男がUターンして私のあとを付いて来ていたのです。私は、嫌な予感がしました。それで、地面にあった拳大の石を拾いました。後ろから襲われたら、石で反撃しようと思ったのです。しばらくそんな緊張した状態がつづきましたが、足音が聞こえなくなったなと思ったら、どこに行ったのか男の姿が消えていました。

奥多摩では、実際に登山者が山中で襲われる強盗事件があったそうです。前も書きましたが、山には泥棒もいます。効率は悪いかもしれませんが、強盗だって性犯罪だってないとは言えないでしょう。おっさんたちが言うように、「山でも街でも同じ」なのです。

女性たちは、自分たちのまわりをうろつく男に何かを察したのか、わざわざ私たちの方にやって来て、「すいません、写真を撮ってもらえませんか?」と言うのです。それで、ツワモノのおっさんが、山頂標識の前で、慣れないスマホの操作に戸惑いながら、ピースサインをしている二人の写真を撮っていました。

今は山に行ったあとに、ヤマレコやヤマップのような山行記録を共有するサイトに自分の記録をアップする人間も多く、山頂で会った時間をヒントにすれば、あのときに会った人間がアップしたのだということがすぐわかります。私の経験でも、結構人物が特定できるケースが多いのです。中には、私のことに触れている記録もありました。と言っても、挨拶したとか写真を撮ってもらったと言った程度ですが。

山行記録を見ると、山では不愛想で嫌な感じだった人間が、ネットでは反対に明るいおちゃらけな感じでコメントを書いている場合が多いのです(と言うか、ほとんどそうです)。私の知る範囲では、山行記録のサイトに書き込みをしているのは40代~50代が多く、ヤマレコよりヤマップの方が若い感じです。

共有サイトでは、男性に比べて女性の書き込みの方が「いいね」の数が多いのが普通で、中でも書き込んだ本人が映っている写真(目隠しをしているけど)が添付されていると、「いいね」が異常に多くなる傾向があります。なんのことはない、山行記録の共有サイトは、いい歳したおっさんたちが、「友達リスト」などを利用して、出会い目的で使っている一面もあるのです。共有サイトで自己承認を求めたり自己顕示欲を満足したりする心性のさらに奥に、そういったもうひとつの欲望が伏在していることも忘れてはならないでしょう。もっとも、サイトを運営する側からすれば、そんな(ネット特有の)”要素”を入れないとアクセスを稼げないという事情もあるのでしょう。

下りでは、一般的に下り専用で使われているコースを歩いたので、誰にも会いませんでした。2時間足らずのコースでしたが、木の根が剥き出しになった急坂がつづいたということもあって、やたら長く感じました。それどころか、途中で寝不足のために意識朦朧と言ったらオーバーですが、やや意識が散漫になって、霜が融けたドロドロの地面に足を取られ2メートルくらい滑り落ちました。片方のトレッキングポールは衝撃で折れて、下まで落ちて行きました。サックやズボンが泥だらけになり、泣きたいような気持になって、しばらくその場に座り込んでいました。

自分ではいつまでも若いと思っているけど、身体は正直なのです。眠らないまま山に行くなど、無謀以外のなにものでもないでしょう。

下りたあと、休憩所の洗面所でタオルを濡らし、泥を落としてからバスに乗って帰りました。さわらびの湯にも寄らないままでした。

帰りのバスは途中の東飯能駅で降りて、いつものように東飯能から八高線で八王子、八王子から横浜線に乗り換えて帰って来ました。電車の中では、幸いにも座ることができたので、ずっと爆睡していました。



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河又名栗湖入口バス停

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看板の左側の橋を渡って行く。

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橋を渡った先にある休憩所とトイレ

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さわらびの湯の前を通り、坂道を登って行くと有間ダム(名栗湖)。

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ダムの周遊道路をしばらく進むと、登山口(白谷沢登山口)がありました。

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最初はこんなおだやかな登山道

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沢に近づくと徐々に岩が多くなる。

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渡渉

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沢歩きが始まる。

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何度も渡渉する。

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最初のゴルジュ

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上から振り返る

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滝の横を登って行く。

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次のゴルジュ

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ゴルジュの先には鎖場

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鎖場は、二~三歩腕を使って登らなければならない箇所がありますが、あとは足を掛けるところがあります。

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鎖場を上から見下ろす

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とは言え、足を滑らせると危険です。

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沢歩きも終わりで、沢から岩を登って行く。

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林道沿いの休憩場所に出ました。ここから「心臓破りの急登が始まる」と書いていたサイトがありましたが、その言葉に偽りはありませんでした。ここで途中で会った人と30分近く話し込みました。

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一旦「岩茸石」というポイントに着きます。

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さらに急登がつづく。土が流れ出た階段は落差が大きく、とてもまともに歩けません。

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今度は異様に張り出した木の根の上を歩く。

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山頂

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山頂の広場

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山頂標識は「棒の嶺」です。

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山頂は、北東側がひらけています。奥武蔵、栃木(谷川岳や日光)、茨城(筑波山)の山が同定できます。

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下山開始。滝ノ平尾根コースを歩きます。

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「岩茸石」まで戻り、今度は岩の横に回り込んで下山ルートを進みます。

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棒ノ折山は、ほかにもいろんな呼び方があります。「棒ノ峰」と書かれた古びた案内板。

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名栗湖が見える。

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下りでは、階段と木の根がやっかいです。
ネットの書き込みに、下山が大変だったという話がないのが不思議です。棒ノ折山のポイントは、ゴルジュだけではないのです。ヌカザス尾根のように距離は長くないけれど、急坂の下りも大きなポイントです。

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2020.02.22 Sat l 山行 l top ▲
新型コロナウイルスは、拡大の一途を辿っています。私たち日本人にとっても、新型コロナウイルスが「対岸の火事」「所詮は他人事」でなくなったのは、もはや誰の目にもあきらかでしょう。

まさに「バカっぽい」ということばがピッタリするような、幼児性丸出しの世襲議員が支配するこの国で(北朝鮮のことは笑えない)、まともな対応ができるんだろうか、私たちが今置かれている状況について、ホントのことを知らされているのだろうかという不安が常にあります。メディアが伝えるニュースも、どこも右へ倣えしたようなものばかりで、政府から発信される情報をただオウム返ししているだけです。

ニューヨーク・タイムズ紙は、ダイヤモンド・プリンセス号の日本政府の対応について、公衆衛生の危機管理において「『こうしてはいけない』と教科書に載る見本」のようだという専門家の辛辣な声を紹介した上で、「政府は一貫した情報を発信できておらず、検疫への信頼感を損なっている」(共同)と伝えていたそうです。また、ロシア外務省のザハロワ報道官も、「日本の対応はカオスで場当たり的だ」と批判したそうです。日本政府の対応は、ダメな見本だと言われているのです。

私も前に書きましたが、政府の対応は、素人目にも「場当たり的」に事態を後追いしているだけにしか見えません。しかし、日本のメディアで、政府の対応を正面から批判する姿勢は皆無です。菅官房長官の定例記者会見でも、政府の対応を追及する記者は誰もいません。当たり障りのない質問をするだけです。

そんな中で、日本においても、感染者と「濃厚接触」していない市民が感染する“市中感染”の実態が、徐々にあきらかになってきています。もっとも、感染経路が不明な“市中感染”は、ずっと前から発生していたのは間違いないのです。僭越ですが、私も先週(2/6)の記事で次のように書きました。

聞くところによれば、日本を旅行して帰国したタイの女性が帰国後感染していることがわかったそうです。これは、クルーズ船がどうのというレベルではない大きなニュースだと思いますが、メディアはほとんど報道していません。これが事実なら、旅行者が感染するくらい既に日本国内に新型コロナウイルスが蔓延していることになるのです。

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新型コロナウイルスの不思議


ここで忘れてはならないのは、新型コロナウイルスの検査能力は、一日に300~500件くらいしかないということです。政府は、それを1500件くらいまで増強する体制を早急に整えると言っています。インフルエンザのように、病院に行けば誰でもすぐに検査を受けられるわけではないのです。だから、厚労省も、感染の心配があってもすぐに病院に行かずに、まず厚労省や保健所の電話窓口に電話して相談してほしいと呼び掛けているのです。病院に行っても検査を受けられないからです。

検査のキャパを考えれば、感染者と「濃厚接触」した人間を優先的に検査するのは当然ですし、そうすれば感染経路が明らかな感染者ばかり出て来るのも当然です。

事実上、一般市民の検査が不可能な状況を考えれば、自覚症状のない人も含めて、感染者が今の10倍も100倍も、あるいはそれ以上いると考えてもおかしくないでしょう。むしろ、“市中感染”は常識とさえ言えるのです。

でも、政府もメディアもそういったことは言いません。あたかも、感染があきらかになった人たちの周辺にだけウイルスが存在しているかのようなイメージをふりまくだけです。中国の感染者は、公表された数字の10倍から20倍いると言われていますが、それは日本も同じなのです。「水際作戦」なんて最初から絵に描いた餅だったのです。

新型コロナウイルスが蔓延している隠しようのない(!)現実が、これから白日の下に晒されることになるでしょう。「所詮は他人事」で中国人ヘイトするしか能のないネトウヨだって、いつ感染するかもしれないのです(いや、既に感染しているかもしれないのです)。もちろん、私たちだって同じです。

検査を受けることができれば、私たちのまわりでも次々と感染者が出て来るのは間違いないでしょう。検査能力が低いので、それをいいことに、少ない数字で誤魔化されているだけです。

若者や体力がある人は、発症しても自然治癒したり軽症で済むかもしれません。重症化する懸念があるのは、体力のない高齢者や免疫が低下する抗がん剤などを服用している人、糖尿病やぜんそくなど基礎疾患のある人、喫煙者などだそうです。専門家のそういった指摘は、今後の事態の深刻さを予見させます。仮に1千万人発症して、その1%が重症化しても10万人です。

韓国の民間団体が、福島の原発事故をヤユして防護服を着た聖火ランナーをデザインしたポスターをネットに掲載したことに対して、菅官房長官やネトウヨが猛反発していましたが、長引けばホントに防護服を着て走らなければならないような状況が出てくるかもしれません(そうなる前に政府は終息宣言を出すでしょうが)。

もとより、私たちだってそんなに頭が良いわけではないし、国民の平均像も、間違っても優秀と言えるようなレベルではないでしょう。だから、国民にとって、バカな総理大臣の方がわかりやすく、ノリやすいという面はあるでしょう。しかし、国の指導者は、やはりバカでは困るのです。ましてや、平気で嘘を吐くような人間ではお話にならないでしょう。

前も取り上げましたが、下記のような記事が安倍政権の本質を突いているような気がします。

NEWSポストセブン
安倍内閣は立場弱い者に居丈高 根底に学歴コンプレックスか

隠蔽や改ざんは今の政府の”得意技”ですが、それも”魚の頭”が嘘ばかり吐くからでしょう。隠蔽や改ざんが、文字通り”総理大臣(夫妻)の嘘”を整合させるために行われているというのは、今や平均以上の国民なら誰でもわかっていることです。”安倍一強”のプチ独裁体制によって、そんな犯罪的な行為が正当化されているのです。権力を監視するはずのメディアが、逆に御用聞きのようになっているのも”安倍一強”ゆえでしょう。メディア全体が、フジ・サンケイグループ化しているのです。これでは、しっぽの先まで腐るのは当然でしょう。

私たちは、ホントのことを知らされないまま、ダイヤモンド・プリンセス号の乗客のように、災禍が我が身にふりかかるのをせいぜい手洗いとうがいをしながら、待つしかないのかと思います。子どもじみた「バカっぽい」政府を持ったのは私たちの責任で、自業自得と言われればそうかもしれませんが、なんだかすべてが手遅れになりつつあるような気がしてなりません。


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2020.02.16 Sun l 新型コロナウイルス l top ▲
池袋駅07:30(特急レッドアロー号)~08:59西武秩父駅09:10~10:25三峯神社10:30~12:00妙法ヶ岳12:30~13:40三峯神社15:30~16:45西武秩父

※登り90分 下り70分
※山行距離 4.5キロ
※標高差:243m
※山行歩数 13000歩
※交通費 5094円

秩父の妙法ヶ岳(1332m)に登りました。妙法ヶ岳は、三峯神社の奥の院(奥宮)がある山です。

前回の御前山のミスを繰り返さないために、今回はカメラのメモリーカードを二枚(一枚は予備)持って行きました。山に行くときは万一のことを考えてスマホを2台持って行った方がいいんじゃないかと思っているほどの”予備がないと不安症候群”の私としては、前回は痛恨のミスと言うしかありません。未だそのショックを引き摺っていますので、今回は何度もカメラを開いてメモリーが入っていることを確認しました。

ホントは奥多摩の六ッ石山に行く予定だったのですが、朝の出発が遅くなったので、予定を変更して妙法ヶ岳に行くことにしたのでした。

六ッ石山に登るには、遅くとも奥多摩駅から8時台のバスに乗らなければなりません。それには、新宿から6時台の電車に乗る必要があります。ただ、それでも、日没を考えると時間的にタイトなのでした。また、前夜に六ッ石山が奥多摩三大急登のひとつに数えられていることを知って、あまり寝ていないので尻ごみしたということもあります。

池袋駅7時30発の特急(レッドアロー号)に乗って秩父に行きました。秩父駅から三峯神社までは、さらにバスで1時間15分かかります。三峯神社に着いたのが10時半近くでした。ただ、妙法ヶ岳までは非常に近くて、往復でも3時間もかかりません。

三峯神社に関連して、三峰山(みつみねさん)という山名をよく耳にしますが、三峰山という単独の山はありません。三峰山というのは、妙法ヶ岳・白岩山・雲取山の三つの山の総称です。それにも、関東周辺の神社あるあるの日本武尊(ヤマトタケルノミコト)神話が関係しているのでした。

三峯神社も、日本武尊神話に基づいて創建された神社です。日本武尊を祭神として崇め、狛犬の代わりに狼が守護神という点も、青梅の御嶽神社(武蔵御嶽神社)などとまったく同じです。

日本武尊神話というのは、蝦夷(東日本)や熊襲(九州)など日本列島の原住民を「征伐」(討伐)して日本列島を支配せんとした、渡来人由来の天皇制権力を神話化したものにほかなりません。

狼が守護神なのは、東国征伐した日本武尊が武蔵の山に立ち寄った折に、狼が案内したからだそうです。その際、日本武尊が目の前にそびえる妙法ヶ岳・白岩山・雲取山の絶景に感銘して、三山を三峰山と命名したのだとか。ホンマかいなという話です。

中世のヨーロッパでは、山には悪魔が住んでいると言われたのですが、アフリカやラテンアメリカやアジアなどの農耕社会では、山に神が住んでいるという”山岳信仰”が総じて見られます。それは、大いなる自然を畏怖する古代人の観念の発露であって、“絶景”もそのひとつなのでしょう。絶景に感銘したのは、日本武尊ではなく当時その地域に住んでいた人々なのです。

妙法ヶ岳は、山行時間の短い”お手軽な山”ですが、しかし、山頂直下は岩場で、階段や鎖場もありました。また、途中、北側の斜面をトラバースする道には雪が残っており、しかも、ところどころ凍結しているので、安全に歩くにはアイゼンが必要でした。人がやっとひとり通ることができるような狭い道なので、滑って転ぶと斜面を滑落する危険があります。

”お手軽な山”だけに、大山などと同じように、三峯神社を訪れた観光客がついでに登るケースが多いのか、三峯ビジターセンターでもしつこいくらい警告を発していますが、しかし、登山の装備をしていない軽装で妙法ヶ岳に登る人が後を絶たないのが現実のようです。ネットでも、途中ですれ違った軽装の登山者に注意したという話がいくつも出ていました。

ただ、軽装で妙法ヶ岳に登るのは、「ついでに登る」人だけではないようです。奥の院の祠に説明文がありましたが、奥の院の御朱印は、奥の院=妙法ヶ岳に登らないと貰えないそうです(どう証明するのか知らないけど)。そのため、御朱印マニアなどが無理して登っているのかも知れません。なんのことはない、危険な軽装登山には三峯神社が一枚かんでいたのです。無粋な話ですが、ビジターセンターは、危険な登山に警鐘を鳴らす前に、三峯神社にクレームを入れるべきでしょう。

山頂に登って、奥の院をカメラで撮影していたら、後ろから女性が登って来ました。登る途中は誰とも会いませんでしたし、ときどき後ろを見ても下から登ってくる人影はなかったので、なんだか突然現れた感じでびっくりしました。40代くらいの暗い感じの女性で、街でよく見る白っぽいコートに黒い革靴のようなものを履いていました。スニーカーですらないのです。そんな恰好でよくあの雪道を歩いて来たなと思いました。

私は、山では愛想がよくて、誰でも気さくに話しかけるのですが、女性はそんな私でさえ話しかけずらい雰囲気を漂わせていました。私は、お参りを済ますと、山頂から一段下がったところにあるベンチに腰を降ろして、行動食のチョコレートを食べながら、目の前に広がる奥秩父の山々を眺めました。女性は、祠の後ろに行ったのか姿が見えません。妄想癖のある私は、まさか身投げするんじゃないだろうなと思いました。しかし、どうでもいいやと思いました。30分くらい休憩して下りたのですが、その間、女性の姿は見えないままでした。

下る途中では、おじいさんと孫とおぼしき男性の二人組とすれ違いました。二人ともリュックも背負ておらず、木の枝を杖代わりに持っていました。足元を見ると、普通のスニーカーです。それで、私は、途中150メートルくらい雪道があり、スニーカーでは滑って危ないですよと言いました。また、山頂直下の岩場のことも話しました。でも、「そうですかぁ」「参ったなぁ」と言うだけで、そのまま登って行きました。

なんだか登山の恰好をしている自分がバカみたいに思えてきました。しかし、臆病な私には、彼らの安易さはとても考えられません。山で遭難すると、事情がわかってないネットの「バカと暇人」が、「税金を使って」「迷惑をかけて」という常套句を使って、遭難者に罵声を浴びせるのが常ですが、軽装で安易に山に登る人間と運悪く遭難した登山者を一緒にしないでくれと言いたいです。

もっとも世の中には、山だけでなく、下界でも理解に苦しむ人間は多いのです。朝、池袋駅で特急電車を待っていたときのことでした。西武の池袋駅では、特急電車だけホームが別になっており、私は、特急用のホームに設置されている待合室で、出発を待っていました。到着した特急電車からも、多くの通勤客が降りてきました。特急だと座席が指定され座って来ることができるため、埼玉の奥から通勤するのに特急電車を利用する人も多いのでしょう。

電車から降りた乗客は、待合室の前を通って改札口に向かうのですが、一部の客が待合室の自動ドアを開けて中に入って来るのです。そして、空いた椅子に座るとそのまま目を瞑ってい居眠り(?)を始めるのでした。それもひとりやふたりではありません。空いている椅子がすべて埋まるくらいやって来るのでした。みんな、椅子に座るや決まって目を瞑るのでした。

私は、なんだかとても奇妙な気がしました。早く会社に行けばいいのにと思いました。そして、わけもなく”気持の悪さ”を覚えてなりませんでした。サラリーマンの頃、池袋駅で乗り換える際、駅の通路にある本屋で立ち読みをしている人たちを見るたびに、朝っぱらから立ち読みしているこの人たちは一体何なんだろうと思っていましたが、それを思い出しました。

妙法ヶ岳から下りたあとは、せっかくなので三峯神社に参拝しました。社殿の鮮やかな色使いに、私は朝鮮や中国などの神社仏閣を連想しました。三峯神社に行くバスの中では、神社の謂れを日本語と英語と中国語で説明するテープが流れていましたが、しかし、新型コロナウイルスの影響なのか、中国人観光客は見事なほどひとりも乗っていませんでした(と言うか、外国人観光客はひとりも見かけなかった)。もし、中国人観光客が三峯神社の社殿の色使いを見たら、「なぁんだ、オレたちと同じじゃん」と思ったことでしょう。このように、三峯神社でも、”日本的なもの”が実は中国的であり朝鮮的であるということにあらためて思い至ったのでした。

お参りしたあと、境内の茶店でわらじカツ丼を食べました。同じわらじカツ丼でも、秩父駅のフードコートのものと違って美味でした。しかし、なぜか食欲がなくてやっとの思いで完食しました。このところずっと胃の調子が悪く、胃薬ばかり飲んでいるのですが、私は自他ともに認める大食漢で、今まで「やっとの思いで完食した」ような経験がなかったので、少なからずショックを受けました。

それにしても、秩父は遠いのでした。妙法ヶ岳から下りたのは午後1時すぎなのに、帰宅したのは午後8時をすぎていました。妙法ヶ岳から雲取山への縦走路の途中にある霧藻ヶ峰までは往復2時間弱で行けるので、余裕があれば足を延ばそうかと思っていたのですが、行かなくて正解でした。ちなみに、雲取山までは三峯神社から6時間くらいかかります。雲取山にも登りたいけど、現実的には三峯神社からの日帰りは難しいのでした。

帰りは、いつものように西武秩父から東飯能で八高線に乗り換え、八王子からさらに横浜線に乗り換えて帰ってきました。


※何度も恐縮ですが、サムネイル画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

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駐車場
以前はロープウェイがありましたが(私はロープウェイが廃止になったことを知りませんでした)、今は1時間に1本のバスか車で来るしかありません。

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駐車場から見える奥秩父の山塊

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三峯ビジターセンター
写真に映っている人たちは、三峯神社に向かう人たちです。
妙法ヶ岳や雲取山に行くには、逆方向(手前)に進みます。

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三峯神社神領民家
三峯神社の神領の旧三峰村にあった民家を移築したもの。

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2000メートル級の山が連なる奥秩父の山塊
登山者あこがれの風景です。

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最初の鳥居
奥の院まで4つの鳥居をくぐらなければなりません。

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登山届投入箱

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軽装登山に対する警鐘

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ここから登山道に入ります。

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二つ目の鳥居

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妙法ヶ岳と雲取山方面の分岐
雲取山まで9.4キロ!

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ここが問題のトラバースの道

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三つ目の鳥居

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四つ目の鳥居

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山頂が近くなると、岩場に入ります。

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階段も始まります。

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注意書きがやたら多い。

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山頂直下の石段

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最後に鎖の付いた一枚岩を登ります。上から見たところ。

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奥の院(奥宮)の石祠

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白石山(その奥が雲取山)

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ここにもやむごとなき登山の痕跡が・・・・。

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いつかあの嶺を歩きたい。

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山頂直下の鎖場を下から見上げる。

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三峰神社の三ツ柱鳥居

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遥拝殿
正面にあるのが奥宮(妙法ヶ岳)
遥拝殿は、旧表参道を登り詰めたところにあります。

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遥拝殿から奥宮を遥拝する。
正面の突端が先程までいた妙法ヶ岳の山頂。

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三峯神社本殿

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西武秩父駅

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駅にある温浴施設・祭りの湯(宿泊も可)
9月27日から2月16日まで、露天風呂が「別府の湯」だそうです。でも、その仕組みがよくわからない。お湯を九州から運んで来るのか? それともバスクリンのようなものを入れるのか?
2020.02.12 Wed l 山行 l top ▲
やれやれ、今度のターゲットは鈴木杏樹のようです。鈴木杏樹を叩く“最低の世論”とそれに媚を売るメディアは、(いつも言ってますが)常軌を逸しているとしか思えません。

相模ゴム工業のアンケートだけでなく、(前も書きましたが)はるか昔に総理府だったかが「有職既婚女性」に対しておこなった調査でも、半数以上が「婚外性交渉」の経験があるという結果が出て、一時話題になったことがありました(調査対象の年齢層など細かいことは忘れました)。それは、金妻や失楽園のはるか前のことでした。

私たちのまわりでも、あるいは自分自身の胸に手を当てて考えてみれば、「不倫」が当たり前の現実があることは誰でもわかっているはずです。文藝春秋社の社員だってテレビ局の局員だって、実際に「不倫」をしている人間も、あるいはチャンスがあれば「不倫」をしたいと思っている人間も多いはずです。もとより、男と女が惹かれ合うのに、「不倫」もクソもないでしょう。恋愛に良いも悪いもないのです。たとえ「遊び」であってもです。

ネット民たちが、非モテのうっぷん晴らしで「不倫」を叩いているのはある程度想像できます。愛知トリエンナーレの電凸と同じように、ネトウヨ化した中高年のひきこもりが、ここでもまた中心的な役割を果たしているのかもしれません。でも、いちばん問題なのは、既存メディアがそんな“最低の世論”の片棒を担いでいることです。

今日のワイドショーでも、司会の坂上忍が、鈴木杏樹が千葉の海岸でデートしたあと、みずから運転する車でラブホに入ったことに対して、「あまりにも生々しすぎてショックでした」と、如何にも役者らしい大仰なもの言いでコメントしていました。

このようにテレビは、手っ取り早く視聴率を稼ぐために、頭の中は空っぽなのに口だけ達者な芸能人に “道徳ズラ”させて、“最低の世論”に媚を売るのでした。

一方、同じ「不倫」でも、大御所の芸能人はあっさりとスルーされるのでした。ビートたけしが再婚した相手の女性とは、誰もが知る「不倫」でした。しかも、その前もグラビアアイドルと「不倫」していました。たけしが愛人にそそのかされてオフィス北野から「独立」した際、愛人と愛人の犬の名前の頭文字を新しい事務所名に付けて色ボケぶりを晒したのですが、しかし、たけしは、愛人ではなくビジネスパートナーだと強弁していました。それがミエミエの嘘であることはみんなわかっていました。しかし、芸能マスコミの中でそれ以上の追及を行うところはありませんでした。

「不倫」三昧のたけしは、「不倫」などどこ吹く風でふんぞり返って大口を叩き(ときにはニュース番組で「道徳」を説き)、ベッキーや唐田某や鈴木杏樹は番組を降板させられるのです。なんと理不尽な話だろうと思わずにはおれません。

女性芸能人が「不倫」したら、どうして「略奪愛」と呼ばれ、まるで犯罪者のように悪罵を浴びせられるのか。昔から色恋が「芸の肥やし」と言われたのは、男性芸能人だけでした。女性芸能人は、ふしだらな女と石を投げられたのです。

でも、そうやって女性に「貞操」を求める一方で、実際は働く女性の半分以上が「不倫」を経験しているのです。フェミニストの小倉千加子は、「女はすべて外見」がフェミニズムの「最終回答」だとあえて身も蓋もないことを言ったのですが、「モテる」「モテない」という暗黙の基準を考慮すれば、(仕事を持っていて)異性にモテる女性にとって、「不倫」はめずらしいことではないのです。

「不倫」はあくまで夫婦間の問題にすぎません。相手の喜多村某が家庭内で処理すべきことで、「まったく」とは言わないけど、鈴木杏樹には関係のない話でしょう。

私は、女性が50歳になってもなお、恋する気持を忘れずに、好きな人を思い胸を焦がすのは、むしろすばらしいことだと思います。女優としても、文字通り「芸の肥やし」になるでしょう。鈴木杏樹が「不倫」していたことを知って、逆に彼女の魅力を再発見したファンも多いはずです。それに、50歳の女性が恋をすれば、(ここでも「モテる」「モテない」の暗黙の基準を考慮すれば)相手に既婚者の割合が高くなるのは仕方ないことでしょう。

鈴木杏樹に比べて、厚労省の役人(文字通りの上級国民)が税金を使って「不倫」旅行をしたことに対しては、何故かメディアも国民も腰が引けています。ワイドショーでも、鈴木杏樹の10分の1も時間を割いていません。たけしのときと同じように、見て見ぬふりをしようとしているかのようです。ここにも、官尊民卑のこの国のヘタレな体質が出ているような気がしてなりません。要するに、芸能人の「不倫」は、叩きやすいところを叩いているだけなのです。

また(蛇足を承知で言えば)、「不倫」を叩く”最低の世論”の背後に、杉田水脈の”生産性発言”に象徴されるような、「伝統的家族」という戦前回帰の思想が伏在していることも忘れてはならないでしょう。
2020.02.08 Sat l 芸能・スポーツ l top ▲
新型コロナウイルスに関しては、「中国から迷惑をかけられている」みたいな報道ばかりですが、横浜に停泊するクルーズ船への対応を見てもわかるとおり、(厚労省の担当者が省内不倫で忙しいからなのか)政府の対策が場当たり的で後手にまわっているのは否めない事実でしょう。しかし、メディアも国民もみんな「自分たちは被害者」の立場を共有しているため、政府の対応に対して批判の声はほとんど聞かれません。

聞くところによれば、日本を旅行して帰国したタイの女性が帰国後感染していることがわかったそうです。これは、クルーズ船がどうのというレベルではない大きなニュースだと思いますが、メディアはほとんど報道していません。これが事実なら、旅行者が感染するくらい既に日本国内に新型コロナウイルスが蔓延していることになるのです。

それにしても、突然降って沸いたように発生し瞬く間に蔓延した新型コロナウイルスですが、どうして突然なのか、不思議な気がしないでもありません。

過去にも、中国の広東省で、同じコロナウイルスのSARSが発生していますが、感染経路等は今回の新型コロナウイルスと酷似しているそうです。新型コロナウイルスも、変異をくり返しながら、SARSと同じ哺乳類のコウモリからハクビシンを媒介にしてヒトに伝搬したと言われています。感染経路がまったく同じというのも気になります。

まあ当たり前の話ですが、ウイルスは、その性質上、宿主の生物が死ぬと自身も死滅するそうです。しかし、発生源の武漢の食肉市場では、野生のハクビシンが生きたまま売られていたために、市場関係者が感染し、そこから広がったと言われています。奥武蔵(埼玉)の山でも、ハクビシンが異常繁殖していて、駆除しても追いつかず、罠を仕掛けたら1週間に10匹以上かかったと地元の人が言っていましたが、実際に私も山行中に何度もハクビシンに遭遇しました(箱根の金時山に登っていたときも、前を横切って行った)。中国ではあんな猫のような狸のような動物が食されていたと知って、さすが中国人だなと思いましたが、何と日本でも、シビエと称してハクビシンの肉を食べる人たちがいるそうです。中国も日本も同じなのです。

もちろん、中国でハクビシンを食べていたのは武漢だけではないはずです。なのにどうして感染源が武漢なのかという疑問も残ります。

中国共産党が初動の対応の遅れを認めて謝罪したのも、プロレタリアート独裁の建前を掲げ無謬神話で権威付けられた絶対党では考えられない珍事でした。そこには、なにか切羽詰まった政治的な事情が伏在していたのではないかと勘繰りたくなりました。

アメリカと中国は、次の覇権をめぐって見えない戦争を行っています。それは、ファーウェイ副会長の逮捕や貿易摩擦などを見てもわかるとおり、熾烈を極めています。戦争なのですから、「なんでもあり」なのは当然でしょう。

まして、アメリカは“狂気”が支配する国です。今年の11月には再び大統領選挙が行われますが、トランプ大統領は前回の選挙のときは泡沫候補でした。それが、ヒットラーと同じように、大ドンデン返しの連続で大統領の階段を上って行ったのでした。それは、誰もが予想しなかったことでした。そして、アメリカは常識が通用しない“狂気”が支配する国になったのでした。

ウイルスの蔓延というのは、昔から陰謀説の恰好のターゲットですが、突然降って沸いたように発生した新型コロナウイルスの蔓延は、ホントに自然発生した公衆衛生上の問題なのだろうか、とどうしても思ってしまうのでした。
2020.02.06 Thu l 新型コロナウイルス l top ▲
武蔵小杉駅05:19~06:01立川駅06:12~07:30奥多摩駅07:38~07:44境橋バス停07:50~12:25御前山12:37~15:20境橋バス停15:35~15:45奥多摩駅

※登り3時間55分 下り2時間40分
※山行時間6時間35分
※標高差:1059m
※歩行距離11キロ
※歩数31,154歩

御前山(1405m)に行きました。奥多摩三山にこだわったわけではないのですが(奥多摩三山で、御前山だけ登ってなかった)、奥多摩でそれなりの標高があり、日帰りが可能な山を考えたら御前山しか浮かばなかったのです。

実は、昨日行く予定にしていました。夜、準備をして寝たのですが、何故か朝起きるのがおっくうになり、再び寝てしまったのです。

それで、今日に予定を変更したのでした。早朝5時前に家を出て、東横線の始発電車に乗りました。今回はいつもと違って、武蔵小杉から南武線に乗って立川経由で行くことにしました。

始発電車であるにもかかわらずホームには結構な人が電車を待っていました。武蔵小杉からの南武線も、8割くらい座席が埋まっていました。

立川からは青梅線に乗り換えて終点の奥多摩まで行きます。車内放送で、到着ホームの反対側から10分後に「奥多摩行き」が出発しますと案内していました。しかし、反対側のホームに停まっていたのは「青梅行き」でした。ただ、ホームの電光掲示板には、10分後の「奥多摩行き」も表示されています。でも、肝心の電車がどこにも停まっていません。「青梅行き」のあとに到着するのかと思いましたが、「青梅行き」はいっこうに出発する様子はなく、「奥多摩行き」の発車時刻がせまるばかりです。

なんだか狐に摘ままれたような感じで、私は焦りはじめました。それで、開店準備をしていた立ち食い蕎麦店の女性に、「このホームから奥多摩行きが出る予定なんですが、電車が停まってないんです。今、停まっているのは青梅行きですし、奥多摩行きはどこから出るんですかね?」と尋ねました。すると、女性は、「この電車が、途中で奥多摩行きに分かれるんじゃないですかね。そういうのがよくありますよ」と言うのです。そこで、私は、以前乗ったホリデー快速おくたま号を思い出したのでした。あのときも、拝島(だったか?)でおくたま号とあきかわ号に分離されたのです。私は、車両の行先表示を確認しながら、小走りでホームを移動しました。すると、途中から電車の表示が「奥多摩行き」に変っていたのでした。

奥多摩駅には思ったより早く着きました。当初、8時3分に駅に着いて、駅前から8時5分発のバスに乗る予定でしたが、電車が着いたのは7時15分でした。そして、駅前に出ると7時38分発のバスがあることがわかりました。既にバス停には、一般客に混ざって登山の恰好をした人が数人並んでいました。

これだったら、当初の予定より30分早く山に入ることができます。今の時期は日没が早く、自分の脚力では一抹の不安がありましたので、ありがたい誤算でした。

青梅街道を10分くらい走り、境橋という橋の真ん中にある停留所でバスを降りました。降りたのは、私だけでした。境橋は、前後をトンネルに挟まれており、橋の下はバンジージャンプにうってつけのような深い渓谷が広がっていました。あとで調べたら、橋の下を流れているのは、昨秋の台風19号で武蔵小杉のタワーマンションにブランド価値下落の深刻な被害をもたらした多摩川の上流でした。私は、登山用の地図アプリに従って、奥多摩駅方向のトンネルの手間から林道に入りました。

御前山は、小河内ダムからサス沢山・惣岳山経由で登り、今回の栃寄コースを下るのが一般的です。ただ、小河内ダムからのルートは急登で知られており、私にはヌカザス尾根のトラウマがありますので、今回はできるなら避けたいと思いました。それで、山行時間は長くなりますが、栃寄コースを登ってそのまま下ることにしました。それともうひとつは、北向きの栃寄コースは、まだ先日の雪が残っているようなので、雪道を歩きたいという気持もありました。

ただ、栃寄コースも台風19号の被害が残っており、沢沿いの登山道は未だ通行止めになっています。そのため、上の登山口まで1時間近く舗装された林道を歩かなければなりません。御前山の栃寄コースの多くは、「体験の森」という都民の森(こちらは奥多摩都民の森で、三頭山の方は檜原都民の森です)になっており、標高650メートルの栃寄の集落には宿泊施設があり、また御前山の中腹には散策コースが整備されています。ちなみに、「体験の森」のサイトを見ると、女性を対象にした初心者向けの登山講習や御前山登山、それにこの時期限定のスノーハイキングなどの催しも行われているようです。

境橋から「体験の森」の宿泊施設までは、奥多摩特有の九十九折の急坂が続きます。2.5キロくらいあり、歩いて40〜50分かかります。ちょうど出勤時間帯だったので、従業員が乗っているとおぼしき車が次々とうなり音を上げながら横を過ぎて行きました。雪が降ったり凍結したときは大変だろうなと思いました。

宿泊施設の手前と奥に駐車場があり、登山者の車も停めることができるようになっていましたが、1台も停まっていませんでした。駐車場まで車で来れば、1時間近く山行時間を短縮できるのです。それになりより、九十九折の林道をテクテク歩かなくてもいいので、体力も温存できます。

丹沢などでも、車だとかなり上の方まで行くことができますので、電車やバスを利用する人たちとは条件が違います。それで、塔の岳や丹沢山を何時間でピストンしたなどと言われても鼻白むばかりです。ヤマレコなどに巣食う自己顕示欲満載のコースタイム至上主義者は、このタイプが多いのです。

登山道に入ると、程なく雪道になりました。栃寄コースも急登とは無縁ではなく、斜度の大きい樹林帯を登って行かなければなりません。

途中の行きも帰りも、誰にも会いませんでした。山頂でひとり会っただけでした。文字通りの単独行で、聞こえて来るのは、ザクザクという雪を踏みしめる自分の靴の音だけでした。息を弾ませて登りながら、さまざまな思いが去来しました。私の場合、山に行くのは”自己処罰”のような一面もあります。なんだか懺悔しながら登っているような感じです。細い登山道の横は急斜面です。足を滑らせて下に落ちたらどうなるんだろうと思ったりしました。

一応、山岳保険には入っていますし、登山届もネットで提出していますが、家族がいないので、緊急連絡先は自分のメールアドレスにしています。ネットの登山届では、登山届を提出したときと下山したときに、緊急連絡先に自動的にメールが発信されるシステムになっていますので、友人や知人を緊急連絡先に指定すると、山に行くたびに「只今、登山届が提出されました」「只今、下山通知を確認しました」と連絡が行くことになります。それでは受ける方も迷惑でしょうし、それにいくら親しい間柄とは言え自分の行動がいちいち知られるのは、私の性分では耐えられません。

緊急連絡先が自分だと、山に行ったきり帰って来なくても「捜索願い」を出す人間がいないのです。これでは、登山届を出す意味がないような気がしないでもありません。捜索に入るのは、かなり時間が経ってからでしょうから、捜索と言っても遺体を収容するくらいでしょう。

ひとりで山に行くのはリスクが大きく、警察なども、ひとりで山に行くのはやめましょうと呼び掛けています。それでも、やっぱりひとりがいいなあと思います。誰にも会わないのは最高です。

2時間以上雪道を登ったので、さすがに疲れました。ホウホウの体で山頂に着いたら、中年の男性がひとりでベンチに座って昼食を食べていました。男性は、小河内ダムから登って来たそうで、やはり、誰にも会わなかったと言ってました。と言うことは、今日、御前山に登ったのは二人だけかもしれません。来るときのバスには他に数人の登山者が乗っていましたので、彼らは小河内ダムから御前山に登るのではないかと思っていたのですが、違ったみたいです。山頂で男性と話をしていたら、雪がチラつきはじめました。

男性も下りは栃寄コースを歩くそうですが、食事のあと片付けをしている男性に、「お先に」と言って山頂をあとにしました。下りもアイゼンのおかげでトラブルもなく歩くことができました。ただ、カチカチに凍結している箇所は、アイゼンの刃が刺さらないので慎重に歩きました。

境橋に着いてバスの時刻表を見たら、次のバスは10分後でした。登りと下りの林道が地味にきつかったけど、いつもの自分のペースで雪道を堪能することができました。暖かくなったら、今度は小河内ダムからも登ってみたいと思いました。

と今、写真を整理しようとしたら、カメラにメモリーカードが入ってないことに気付きました。メモリカードを外したまま入れるのを忘れていたのでした。いつものように200枚くらい撮りましたが(途中、電池交換するくらい撮った)、すべて無駄骨でした。そう言えば、メモリーカードがどうのという警告が出ていましたが、まったく気に留めることもなく撮影していました。なんというミスでしょう。そのため、今回は(証拠の?)写真がありません。
2020.02.04 Tue l 山行 l top ▲
私は花粉症がひどく、その習慣で真夏の暑い時期を除いて1年の3分の2はマスクをしています。また、予備がないと不安症候群なので、常にマスクをストックしています。

しかし、気が付いたらストックも残り少なくなっていました。花粉症の時期も近づいて来たので、あわてて近所のドラッグストアに行きました。ところが、マスクの棚はスッカラカンで「売切れ」の札がかかっていました。1週間くらい前までは、「花粉シーズン到来」などというポップが付けられて、店先やレジの横などで山積みにされて売られていました。それが跡形もなくなっていたのです。

私は、まさかと思って別のドラッグストアや百円ショップをまわりました。案の定、どこも同じでした。この1週間の間にマスクは店頭から姿を消したのです。

帰って、アマゾンや楽天やYahoo!ショッピングなど、ネット通販のサイトをチェックしてみました。しかし、ネットで売られているのは、普段の10~20倍の値段が付けられた商品ばかりで、便乗値上げのオンパレードでした。アマゾンには、25枚入りで100万円(ご丁寧に1枚当たり4万円と付記)の使い捨てマスクがマーケットプレイスで出品されていました。出品者も狂っていますが、それを黙認(?)しているアマゾンも狂っているのです。

また、アマゾンが直接商品を扱うprimeでは、イオンのプライベートブランドであるトップバリューのマスク(65枚入り)を通常価格の10倍以上の1万円で販売していました。アマゾン自体が便乗値上げに加担しているのですからお話になりません。ネットを支配するGAFAの強欲さ&節操の本性が露骨に表れている気がしました。まさに彼らは、強欲資本主義が生んだリバイアサン(怪物)と言っていいかもしれません。

テレビでは、マスク不足が深刻な中国で、マスクをめぐって各地で騒動が起きている、というニュースが連日伝えられていますが、なんのことはない日本も同じなのでした。さらに言うに事欠いて、日本のマスク不足は中国人が買い占めているからだと言い出す始末で、これではテロルとしての日常性が牙を剥く”不穏な噂”がいつ出てきてもおかしくないでしょう。

たしかに、中国人(観光客)がまとめ買いしているのは事実かもしれませんが、だからと言って、それがマスク不足の原因だと決めつけるのは、あまりにも乱暴で誇張した見方です。そうやって既に”不穏な噂”がまき散らされていると言っていいかもしれません。言うまでもなく、マスク不足は、日本人自身が買いだめしているからです。

店の人に訊くと、平日の昼間、時間を持て余しているおばさんやおっさん、それに小さな子供を連れた母親などが殺到して、あっという間に売り切れたのだそうです。おそらくテレビのワイドショーを見て駆け付けたのではないでしょうか。たまたま居合わせた近所の人は、「まるで奪い合うように買っていた」と言ってました。

その話を聞いて、東日本大震災のとき、アリとキリギリスのアリのように、自転車の荷台に米や水などを乗せて、一日に何度もスーパーと自宅を行き来していた近所のおばさんやおっさんの姿を思い出しました。あのときも、米や水やティッシュペーパーなどが、あっという間に店頭から消えたのでした。

中国の出来事は、対岸の火事ではないのです。新型コロナウイルスに関して、ヨーロッパなどではアジア人に対する偏見が広がりつつあるそうですが、ヨーロッパの人間から見れば、中国人も韓国人も日本人も同じようにしか見えないのでしょう。実際にやっていることも大差ないのです。

カルロス・ゴーンの問題もそうですが、人質司法などを見ても、中国や韓国や日本はどこも同じ「民主主義の未熟なアジア」にしか見えないでしょう。「オレたち(日本)は、中国や韓国と違うんだ」といくら言っても、どんぐりの背比べにしか見えないでしょう。

私が高校時代を過ごした地元は、海外からの観光客も多い温泉地で、しかも、5500名の学生のうち、半数が海外(主にアジア)からの留学生で占められる国際色豊かな大学もあります。

以前、帰省した折に会った、地元で家業の病院を継いでいる同級生は、「最近、見たこともないような症状の患者がいるんだよな」「留学生や観光客を通して今まで日本になかった病原菌が持ち込まれているからじゃないかな」と言ってましたが、今回の新型コロナウイルスの問題で、私はその話を思い出したのでした。

もっとも、感染症の世界的な流行は今までも何度もありました。交通が発達し経済活動が拡大して人の往来が多くなるにつれ、新しい感染症が世界大に広がるのは、ある意味当然でしょう。

一方で、今回の新型コロナウイルスが、とりわけ中国人の食文化や衛生観念に、大きな影響を与えることになるのは間違いないでしょう。野生動物を食べる習慣も減るでしょうし、マスクや手洗いやうがいもある程度習慣化するのではないでしょうか。感染症の世界的な流行は、そうやって今までも人類の生活文化に大きな影響を与えてきたのでした。

中国人観光客はマスクもしないで迷惑だと言いますが、電車に乗るとわかりますが、日本人もマスクをしないで咳き込んでいる迷惑な人間はいくらでもいます。もっとも、新型コロナウイルスは粒子が微細なので、マスクではブロックすることはできない(感染の予防はできない)そうです。むしろ、細かな手洗いとうがいの方が効果的なのだとか。でも、ワイドショーなどは当初、そういったことはひと言も伝えずに、ただ「マスク売り場に急げ!」とばかりに視聴者を煽るだけでした。

日本人にとって、今回の新型コロナウイルスも所詮は他人事なのでしょう。(いつもそうですが)迷惑をかけられた、あるいは「ざまあみろ」という感覚しかないのてす。そして、空疎な愛国心で自演乙して、中国人に対するヘイトを剥き出しにするだけです。そこにあるのは、大塚英志の言う「旧メディアのネット世論への迎合」で生み出される”最低の世論”です。そして、”最低の世論”に引き摺られるこの国のトンチンカンで夜郎自大な姿なのでした。


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買いだめする人々
2020.01.31 Fri l 新型コロナウイルス l top ▲
若い頃、親しくしていたモデルの女の子は、常々、男性モデルは「性格の悪い人間が多い」と言ってました。

彼女に言わせれば、男性モデルはお金を持ってないので(モデルでは飯は食えないので)、自分の“美貌”を売りに女性にたかることしか考えてない「最低の男」が多いそうです。当時、ホストという職業があったのかどうかわかりませんが、今で言うホストのようなものかもしれません。その中で唯一「性格がいい」と褒めていたのは、阿部寛だけでした。

また、のちに“スキャンダル王”として芸能マスコミを賑わすことになる某男性タレントから誕生パーティに誘われたときも、「あの男は女を騙すことしか考えてないから気を付けた方がいいよ」と同じモデル仲間から忠告されたと言ってました。案の定、数年後、彼はお金と女にまつわるスキャンダルを起こして芸能界から姿を消したのでした。

私は、東出昌大の「不倫」報道を見て、昔の彼女から聞いたそんな話を思い出したのでした。東出昌大もモデル出身だそうで、彼もまた、女にたかることしか考えてない「最低の男」だったのかもしれません。もとより、杏にしても、東出から口説かれ東出の「最低の男」の部分に惚れて、みずからも熱を上げたのではないか。さらに、東出昌大は、杏を口説いたときと同じ手口で、唐田某を口説いたのではないか。「不倫」はただその延長上にあっただけなのでしょう。

今回のスキャンダルで、杏に同情が集まり、杏の好感度が上がったと言われていますが、私は、まったく逆でした。私は、杏が二十歳のときに、一般的な登山ルートでは国内で最難関と言われる奥穂・西穂間を縦走したと聞いて、彼女を尊敬していましたが(芸能界とは関係ない?)、今回の件ではがっかりしました。

東出の「不倫」は、カルロス・ゴーンのケースと同じで、本来家庭内で処理すべき問題だったのではないか。ここまで騒ぎが大きくなったのは、東出にきわめて近い筋からのリークがあったからではないかと言われていますが、もしそれが事実なら、三人の子どもの父親でもある夫に、社会的な制裁を加えるようなやり方は、あまりにもえげつないとしか言いようがありません。なんだか格差婚を盾にした上から目線さえ感じます。

東出と唐田某をこれでもかと言わんばかりに叩く芸能マスコミとそれに煽られる大衆にも、いつものことながら違和感を抱いてなりません。芸能人に聖人君子を求めてどうするんだと言いたくなります。芸能人こそ、聖人君子とはもっとも遠くにいる人間でしょう。何度もくり返しますが、芸能人は、本来、市民社会の埒外に存在する「河原乞食」なのです。「不倫」でもなんでもあるでしょう。聖人君子のような役者になんの魅力があるのかと思います。

同時に私は、あらためて村西とおる氏の下記の文章が思い出されてなりませんでした(引用元の「ポリスジャパン」はリンク切れになっていました)。

女優という生きものには「魔性」が潜んでいます。

すべての行動原理は「自からの利害得失」による、という「魔性」であります。 その女優が「好きになったから」という理由だけで女優が結婚するとはまったく考えられないのでございます。

女優は自分自身に惚れて惚れぬいて、自分しか愛せなくなった人間の就く職業でございます。 由に人前で他人の男とも平気でSEXが出来て、泣き笑い叫び歌えるのでございます。

女優とは人々からの「喝采」に魂を売り渡した人間であります。

「喝采」のためならなんでもやれる、のでございます。 淫売になれるどころか、必要なら人殺しさえやりかねない、それが女優であります。

だから普通の「お嬢さま」では絶対に「ならない」「なれない」のが「女優というお仕事」なのでございます。


それは、女優に限らず男優も同じて、芸能人というのは、ことばの真正な意味において、やくざな存在なのです。

「不倫」で芸能界から追放されるなんて、一体いつの時代の話だと言いたいです。他人の不幸は蜜の味とばかりに、執拗に東出や唐田某を叩くメディアや大衆には、おぞましささえ覚えます。

(やはり前に紹介しましたが)コンドームメーカーの相模ゴム工業が働く女性350人を対象に行った調査によれば、なんと58%が「不倫」の経験があるそうで、そんな「不倫」が当たり前の世の中にあって、このメディアや大衆を覆うリゴリズム(厳格主義)は異常と言うしかありません。私は、そこにもまた、この社会や大衆が持つ”病い”を覚えてならないのです。


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魔性
2020.01.27 Mon l 芸能・スポーツ l top ▲
今日、仕事で取引きがある会社から「『新型コロナウイルス』の感染拡大への対応についてのお知らせ」というタイトルで、次のようなメールがきました。

当社では、「新型コロナウイルス」の感染拡大を受け、当社従業員の安全確保および正確な環境状況の把握を目的に下記の期間中、電話でのサポート対応を一時休止いたします。


メールによれば、1月28日から2月7日まで10日間、電話サポートを休止すると言うのです。

私は、メールを読んで一瞬戸惑いました。まさかコロナウイルスが電話で感染するわけではないだろうに、この仰々しさはなんなんだと思いました。

でも、よく考えたら、これは日本国内の話ではないのかもしれません。電話サポートと言っても、専門性を要するようなものではなく単なる問合せにすぎませんので、そのための専門部署を持っているとは思えません。また、会社のサイトを見ても、会社自体が臨時休業するというような告知もありませんでした。

要するに、これは、電話サポートを委託先している中国のコールセンターの話ではないのか。中国政府が新型コロナウイルス対策で、春節の休暇を延長することを決定したというニュースがありましたが、そのために委託先が長期休業を余儀なくされた、その「お知らせ」なのではないか。それを「当社従業員の安全確保および正確な環境状況の把握」などと見栄を張るので、話がややこしくなるのです。

今回の新型コロナウイルスでは、ネットを中心に中国人に対するヘイトが沸き起こっているようですが、中国人に対するヘイトも、ウイルスという見えないものの”恐怖”だけでなく、空疎な愛国心から来る一種の見栄のようなものと言っていいかもしれません。ネトウヨは、韓国人や中国人が日本に来るのは迷惑なだけで、彼らが来なくても日本は困らないと言いますが、でも、実際は来ないと困るのです。このままでは倒産すると悲鳴を上げている観光業者さえいるくらいです。日本の観光業にとっては、新型コロナウイルスが日韓対立につづいて大きな痛手になるのは間違いないでしょう。

日本政府観光局(JNTO)が発表する「訪日外客数のシェア」によれば、日韓対立がはじまる前の2018年の年間シェアは、以下のとおりでした。

日本政府観光局(JNTO)出典
2018年 国籍別 / 目的別 訪日外客数 (確定値)

観光客全体27,766,112人のうち、アジアからの観光客が24,184,765人で87.71%を占めています。そのうち、韓国からは25.13%の6,977,812人、中国は26.74%の7,426,173人です。

日韓対立によって、外国人観光客の半分を占めていた韓国人観光客が激減したことで、大分県の観光業が苦境に陥っているという話は前に書いたとおりですが、今度は韓国人につづいて中国人観光客も激減することになるのです。韓国人観光客が来ないなら、中国や台湾や香港などからの観光客を呼び込めばいいなどと、ネトウヨばりに虚勢を張っていた大分県知事の涙目が目に浮かぶようです。

日本全体から言っても、外国人観光客の半分を占める韓国と中国からの観光客が激減するとなれば、その深刻度は今までの比ではないでしょう。と言うか、今の世界的な観光ブームは、中国をはじめとするアジアの「中進国」の経済発展(経済的な底上げによる中間層の増大)が背景にあるので、今の観光ブームにも翳りがもたらされる可能性があるでしょう。

新型コロナウイルスを持ち込むのではないかと、さも迷惑げにテレビカメラが中国人観光客を追いかけまわしていますが、やがてそのツケがみずからに跳ね返ってくるのは火を見るよりあきらかです。まるでヘイトによって、その現実から目を背けているかのようです。

空疎な愛国心で嫌中憎韓を煽りながら、一方で観光立国を目指す矛盾。この致し難い矛盾を矛盾として認識できないこの国にとって、観光立国なんて所詮は絵に描いた餅と言わねばならないでしょう。

上記の外国人観光客のシェアを見てもわかるとおり、日本にとって欧米はあまりに遠いのです。にもかかわらず、竹内好の「方法としてのアジア」ではないですが、日本にはアジアの一員として生きるという視点が決定的に欠けているのです。その危うさ(薄っぺらさ)が、アジアの経済発展に伴ってこれからますます露わになってくるのではないでしょうか。

韓国人や中国人は迷惑だと言いながら、その一方で韓国人観光客や中国人観光客に依存している日本の観光地のダブルスタンダード。またぞろ、タイやベトナムやフィリピンや欧米にシフトすればいいなんて気休めを言って、みずからの首を絞めていくのでしょうか。愛国心は、なんとトンチンカンで面倒くさいものなんだろうと思います。


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大分県の観光の深刻度と気休め
「安くておいしい国」日本
2020.01.27 Mon l 新型コロナウイルス l top ▲
新宿駅~立川駅~青梅駅~武蔵五日市駅8:58~9:58仲の平バス停10:00~11:50西原峠~12:18田和峠~12:48数馬峠~笹ヶタワノ峰13:07~13:30大羽根山~14:35浅間尾根登山口バス停

前回につづいて、三度(みたび)笹尾根に行きました。個人的な都合と天気のタイミングが合わずストレスがたまっていましたが、晴天ではないものの雨は降らないという予報でしたので、いつものように新宿から中央線に乗って武蔵五日市に向かいました。前の二回で歩けなかった部分を歩いて、笹尾根を繋ごうと考えたのです。

ただ、考えることは誰でも同じみたいで、武蔵五日市駅前の「数馬行き」のバス停には、100人以上のハイカーが行列を作っていました。そのため、定期便以外に2台の臨時バスが出ました。

私は、運よく2台目の先頭近くになりましたので、座ることができました。いつものことですが、今日も団体が多く、それが混乱に拍車をかけたようです。途中の登山口にあるバス停にも、前の便で来ていた団体のメンバーが後続組を待っており、どこもハイカーでいっぱいでした。11月に三頭山に行ったときは、平日だったということもあって、バスは満杯だったものの臨時バスが出ることはありませんでした。また、前回も、連休中でしたが、こんなにハイカーの姿はありませんでした。たぶん、明日の日曜日が雨の予報なので、土曜日に集中したということもあるのかも知れません。

団体は、言うまでもなく判を押したように中高年ばかりです。それにしても、おばさんたちのあのハイテンションはなんとかならないものかといつも思います。帰りの電車でも、武蔵五日市駅のホームは山から下りてきたハイカーであふれていましたが、武蔵五日市駅が始発駅だということもあって、電車が着くと、まだ降りている乗客がいるのも構わず、おばさんたちは列を無視して我先に電車に乗り込もうとするのでした。

また、電車の中でも煎餅を食べながら座席を跨いで大声でお喋りをするので、うるさくてなりませんでした。そのため、煎餅の醤油を焦がした匂いが電車の中に漂っていました。まるで小学生の遠足みたいでしたが、もっとも、小学生でも電車の中ではものを食べたらいけないと注意されるでしょう。傍目から見れば、年齢も近いので、私も同類項と見られていたかもしれません。そう思うと、同じ山に行く人間として恥ずかしくてなりませんでした。

行きのバスは、終点の「数馬」のひとつ手前の「仲の平」で降りました。「仲の平」は12月につづいて二度目です。そのときと同じように、「仲の平」のバス停から西原峠に登り、今度は槇寄山とは逆の東の方へ歩こうと思ったのでした。笹尾根の中では西原峠や槇寄山がいちばん標高が高いので、前回と違って今回は下りが基調で、拍子抜けするくらい楽に歩けました。

「仲の平」から西原峠までが唯一の登りでしたが、前回より早く着きました。相変わらず咳が残っていて体調は芳しくないので、自分でも意外でした。

各バス停に蝟集していた中高年ハイカーたちは、笹尾根ではなく、反対側の浅間尾根の方に向かったみたいで、笹尾根ではそれらしき団体と会うことはありませんでした。

「仲の平」のバス停にも30人くらいいましたが、笹尾根に向かったのは私も含めて2人だけでした。また、西原峠への登りで会ったのは、ソロのハイカー3人だけで、他に数馬峠で休憩していたら、6~7人の女性のグループが下から登ってきました。笹尾根を歩いている途中で会ったのは、やはりソロのハイカー2人とトレランのランナー3人だけでした。朝の混雑がウソのように、のんびりと冬枯れの山を満喫することができました。

笹尾根と言っても、笹があるのは一部にすぎません。その笹のあるところで、ハイカーとすれ違った際、「このあたりがいちばん笹尾根らしいですね」と言ったら、「はあ」みたいに怪訝な顔をされました。そんなことも考えずに山を歩いているのかと思いました。山を歩くスタイルが違うと言えばそう言えるのかもしれませんが、子どもの頃から山に親しんできた山国育ちの身には、その反応は信じられませんでした。コースタイムにこだわるだけだけなら、別に山に来なくても近所の河川敷を歩けばいいのです。

笹尾根は北側にあるので雪が残っているのではないかと思ったのですが、雪はほとんど消えていました。ただ、霜柱によって一部歩きにくいところがありました。また、下りでは、落ち葉がぬれていたので滑りやすく、何度もこけそうになりました。

数馬峠から20分くらい歩いた笹ヶタワノ峰の先に大羽根山に向かう下り道がありました。その道を通って浅間尾根登山口のバス停まで下りました。

ただ、下りの道は、前回の小棡峠のときと違って、森林保全に関心が高い中央区の森になっているため、踏み跡も明瞭で道標も至るところにあり、前回のように立ち止まって、GPSや紙地図で確認することもありませんでした。もしかしたら、前回と同じように踏み跡が不明瞭ではないかと思い、(予備がないと不安症候群なので)山と高原地図の地図アプリと国土地理院の地形図のGPS、併せてそれらの紙地図も持って行きましたが、まったく出番はありませんでした。また、雪が残っている場合を想定して8本爪のアイゼンも持って行きましたが、アイゼンも出番はありませんでした。

帰りのバスも臨時便が出たみたいで、2台つづいてやって来ました。朝ほどではありませんが、途中のバス停にも大勢のハイカーがバスを待っていました。

これで、笹尾根は一応区切りがついたので、しばらく行くことはないと思います。武蔵五日市駅も、しばらく行くことはないでしょう。

ただ、丹沢と比べると、奥多摩は魅力のある山が多いので、交通費がかかるけど(今日も5千円近くかかりました)、これからも奥多摩通いはつづくと思います。でも、週末は絶対に行かないと肝に銘じました。



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西原峠への道
山の上の方はガスがかかっています。

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西原峠

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今日は、槇寄山や三頭山とは反対側へ進みます。

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霜柱が残るぬれた道
靴やズボンが泥で汚れました。

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すれ違ったトレランのランナーの後ろ姿

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斜面にわずかに雪が残っているところがありました。

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笹尾根いちばんのビューポイント、数馬峠からの眺望

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笹のある道(笹ヶタワノ峰)

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ここから下ります。

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樹上の不思議な光景
逆光で見えにくのですが、熊棚のように見えなくもない。

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「シャッターポイント」と書かれた地点からの眺望

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大羽根山
下山コースのちょうど中間に当たります。下山コースは、「中央区の森」の中を通ります。

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大羽根山からの眺望

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白樺は、前回下った小棡峠からのルートの方が多かったです。

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「ぬた場」遠景

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「ぬた場」という、野生動物が集まる”ぬかるみ”がありました。「ぬた場」という呼び方は、初めて知りました。

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ネットで調べたら、狐の糞のようです。

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最後の急登(急坂)

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「中央区の森」の中には、炭焼き小屋を復元したものもありました。

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炭焼き小屋

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浅間尾根登山口バス停
2020.01.25 Sat l 山行 l top ▲
日韓問題・ゴーン問題と並んで、まともな記事がほとんどないのが、眞子さんと小室圭さんの結婚問題です。どこを見ても、下衆な国民の劣情を煽るような、低俗な(文字通り俗情と結託した)記事しか見当たりません。

しかし、元『週刊現代』の編集長の元木昌彦氏が書いているように、二人の気持にはいささかの揺るぎもないように見えます。

PRESIDENT Online
「圭さんと結婚します」の言葉を国民は祝福する

 宮内庁という役所は警察関係者が多いところである。共謀罪を出すまでもなく、警察は「盗聴」のプロフェッショナルである。

 眞子さんと小室圭は毎日のように、スマホやパソコンを通じてSNSで意思疎通をしているといわれている。そうならば、2人の会話やメールの内容を、何らかの形で宮内庁側が掴つかんでいると考えることは、決して勘繰り過ぎではないと思っている。

 そうしたことを総合して考えても、2人の間に秋風が吹いているという情報は皆無である。

 私が想像するよりもはるかに強い結びつきが2人にはある。そう考えてもいいのではないか。


小室圭さんが、アメリカの弁護士資格を取るために留学したのは、将来、眞子さんとアメリカで結婚生活を送ることを見据えてのことのように思います。それが二人が出した結論ではないのか。

別の言い方をすれば、ヘンリー王子夫妻と同じように、自分たちの国で結婚生活を送ることを諦めたのではないか。あれだけバッシングされれば、この国に嫌気が差すのは当然でしょう。まったく、どこが「ニッポン、凄い!」のかと言いたくなります。

それは、眞子さんの苦悩を身近で見てきた佳子さんも同じではないでしょうか。恋愛をすれば、メディアとメディアが煽るこの国の“最低の世論”から難癖を付けられてバッシングされるのは目に見えているのです。佳子さんも、将来、人生の幸せと自由な生活を求めて海外に行く可能性は高いように思います。

天皇制が時代にそぐわなくなっているのは、もう誰の目にもあきらかです。京都に戻って、日本でいちばん古い家系を持つ一族として、その伝統を継承する役割に徹した方がむしろ幸せなのではないかと思ったりします。ただ、その場合も、明治の田舎侍から押し付けられた“皇室の伝統”には怪しい部分も多いので、もう一度検証する必要があるでしょう。

元木氏が書いているように、宮内庁は警察官僚に牛耳られているので、日々、警察から監視される生活というのは常人には耐えがたいものがあるでしょう。眞子さんや佳子さんのような若い皇族が、「もうこんな生活は嫌だ」と思ったとしても不思議ではないのです。

私は、眞子さんと小室圭さんには同情を禁じ得ません。二人には、初心を貫徹して幸せになってもらいたいと思います。少なくとも、その権利はあるでしょう。

そのために、小室圭さんはアメリカでがんばっているのです。元木氏が書いているように、そこからは「今の若者には珍しいほど勤勉で誠実な姿が見えて」きます。バッシングされる謂れはどこにもないのです。


関連記事;
眞子さんに対する中傷
小室さんバッシングのおぞましさ
2020.01.22 Wed l 社会・メディア l top ▲
少し前の話ですが、元日に近所のコンビニに行ったときのことでした。そのコンビニに入ったのは初めてでした。

店内にはお客は誰もおらず、ネパール人のような若い女性の店員がひとりいるだけです。やはり、正月から働いているのは外国人なんだなと思いました。

店員は、店の奥で棚の商品の整理をしていました。入口近くにあるレジは空っぽです。こんなことで大丈夫なのかと思いました。

私は、商品を入れたカゴを持って、レジに向かいました。店員の女の子は、横の方のあきらかに私の姿が見える位置にいます。

しかし、レジの前に立っても女の子は知らんぷりです。私は、「すいませ~ん」と声をかけました。でも、女の子は私の方をチラッと見ただけで動く気配はありません。「どうなっているんだ?」と思いました。それで、さらに大きな声で「すいませんっ!」と呼びかけました。

すると、しぶしぶといった感じでレジにやって来ました。しかし、「お待たせしました」と言うわけではなく、無言のままです。外国人なので、そう見えるかもしれませんが、なんだか不愛想で不機嫌そうです。商品を袋に詰め、お金を受け取り、つり銭を差し出す一連の動作も無言で行うだけでした。帰る際、「ありがとうございました」という挨拶もありません。

実際に不機嫌だったのかどうかわかりませんし、それに、殊更愛想よくしろと言うつもりもありませんが、あまり気分のいいものではありませんでした。

個人の問題というより、やはり、これも人出不足の弊害と言うべきでしょう。

元日から働くのは外国人しかいない現実。今や外国人は貴重な人材です。だから、接客マナーをきびしく要求することもできないのでしょう。辞められたら困るので、腫れ物に触るような感じで接しているのかもしれません。でも、忘れてはならないのは、そこには前提があるのです。安い賃金で使える非正規雇用という前提です。不足しているのは、低賃金の非正規雇用の労働者なのです。

それは、スーパーも同様です。毎日のように通っているとわかりますが、人出不足は深刻で、そのために職場が水が低い方に流れる状況に陥っているのは否めないように思います。真面目に熱心に仕事をしていたような人たちはすぐに辞めて行き、神戸の教員いじめの女帝と言ったら言いすぎかもしれませんが、そういった感じのおばさんばかりが残って主のようになっています。最初は、ぎこちなく対応していたおばさんが、半年もするとふてぶてしい態度に変っていたなんてこともめずらしくありません。

昨日も、近所のスーパーに行ったら、おそらく新人なのでしょう、初めて見る30~40代くらいの女性が、レジ回りの掃除をしていました。すると、近くのレジの中にいたおばさんが、「そうじゃないでしょ」「それじゃ掃除してもしなくても同じじゃない」などと、いちいち注意していました。傍から見れば、難癖としか思えません。新人の女性はそのうち嫌気が差して辞めるんじゃないかと思いました。でも、難癖を付けていたおばさんも、一年くらい前は額に汗を浮かべながら慣れないレジを必死で打っていたのです。

私の知っている会社で、定職に就いたことのない生涯フリーターの50~60代の独身男性ばかりをアルバイトで雇っている会社があります。と言って、そういった人間たちを選んで雇っているわけではないのです。そういった人間たちだけが残ったのです。社員も、「まともな人が来ても続かないんですよ」と言ってました。単純労働なので、誰でもいいのでしょう。もちろん、そこにも低賃金の非正規雇用という前提があるのです。辞められたら困るので、仕事に支障のない限り、多少の非常識も目を瞑っていると言ってました。

このように、剰余労働とか労働疎外論とかいった”公式論”だけでは解釈できない、人出不足の現実とその弊害が私たちのまわりにあります。「働き方改革」も、低賃金の非正規雇用の存在が前提で、そこには大きな詐術があります。でも、みんな「いいことだ」と言うばかりです。ひと昔前の言い方をすれば、「本工の論理」しかないのです。

利潤を確保し競争力を維持するためには、できる限り賃金を抑えるしかないでしょう。雇用の安全弁としての非正規雇用も必要でしょう。人出不足というのは、そういった資本の論理が招いた”勝手な都合”にすぎないのです。若年労働力の不足と言うときの若年労働力も、「(外国人労働者並みに)賃金が安い」という意味で使われているにすぎません。

日本がもはや先進国であるかどうかは議論の分かれるところですが、思い上がった先進国が凋落(=自壊)するのは必然のような気がします。少子高齢化ばかりが取り出されますが、むしろ年収300万円以下の労働者が1859.7万人(36.99%)、非正規雇用が2036万人(37.3%)もいるような貧富の差(階層の固定化)の方が問題でしょう。既にそこから自壊がはじまっているのかもしれないのです。


関連記事:
『新・日本の階級社会』
2020.01.17 Fri l 社会・メディア l top ▲
ネットを見ていたら、「ミタパン、ゴーン被告は逃亡で『日本の司法制度の正しさを証明しているかのよう』」という見出しが目に入り、思わず記事をクリックしました。

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デイリースポーツ
ミタパン、ゴーン被告は逃亡で「日本の司法制度の正しさを証明しているかのよう」

いわゆる典型的なコタツ記事で、いちいち目くじらを立てるのも大人げない気がしないでもありませんが、私は、この記事を読んで、「ミタパンってバカなの」と思いました。

女子アナが視聴率稼ぎのためのお人形さんであるのは今更言うまでもありませんが、それにしても、こういったお粗末なアナウンサーが報道番組のキャスターを務めているのですから呆れるばかりです。ワイドショーでアシスタントをしていたとき、控えめな口調で発する短いコメントが視聴者に受けたとかで報道番組のキャスターに抜擢されたのですが、それも横に座る厚化粧のおばさんとの比較で好感を持たれたにすぎないのです。

フジ・サンケイグループは、今や臆面もなく政権の太鼓持ちに堕しており、自民党の準機関紙化(イエロージャーナリズム化)を加速させています。以前、牛丼のすき家を運営するゼンショーへの売却話さえあった産経新聞は、今年の10月を目処に、販売網を首都圏と関西圏に縮小し、全国紙の看板をおろしてブロック紙として再出発するそうです。三田アナの抜擢は、そういったなりふり構っておれない事情と関係があるのかもしれません。

また、ゴーンの会見に関しては、ミタパン以外にも、「お前が言うな」と言いたくなるようなコメントがありました。

それは、日産の西川廣人前社長のコメントです。西川前社長は、記者会見の感想を求められて、次のように言ったそうです。

「ちょっと拍子抜けしましたね。あの程度の話なら日本ですればいい」


朝日新聞デジタル
日産の西川前社長「ちょっと拍子抜け」 ゴーン被告会見

西川前社長が、ゴーンの茶坊主であったのは有名な話で、だから、ゴーン体制下で、代表取締役社長兼最高経営責任者にまで登り詰めたのでしょう。

西川前社長については、下記の記事にもあるように、ゴーンの逮捕容疑と同じような役員報酬に関する有価証券報告書の虚偽記載の疑いがあり、社長を辞任したのもその疑いを持たれたからでした。でも、西川前社長は今も取締役には留まっているのです。

文春オンライン
日産・ケリー前代表取締役が明かした「西川廣人社長の正体」

国連から再三勧告を受けているように、代用監獄や人質司法など、日本の司法制度が民主主義国家とは思えないほど遅れているのは国際的にも知られています。韓国の“検察独裁”は他人事ではないのです。

でも、日本のメディアは、嫌韓報道と同じで、ただ国民の感情を煽るかのように坊主憎けりゃ袈裟まで式にゴーンを叩くだけです。我が振り直すような視点は皆無です。

たとえば、会社法が専門の田中亘東大教授がゴーンの訴迫に対して異議を唱えていた話など、日産の監視活動と同様、メディアに取り上げられることはないのです。

Yahoo!ニュース
共同通信
ゴーン被告の違反罪、教授が異論 会社法が専門の東大田中氏

三田アナは、ゴーンは感情的になっていると言ってますが、感情的になっているのはどっちだと言いたくなります。感情的ということばの意味がわかってないのではないか。

日本のメディアは、ゴーンに対するマイナス記事ばかり取り上げて、ゴーンがさも世界中のメディアから批判されているかのようなイメージをふりまいていますが、実際はゴーンは有罪率99.4%の日本の司法制度の犠牲者であり、そこから逃げて来た(まるで全体主義国家から逃げて来た)ように好意的に捉えている海外メディアも多いのです(むしろ、そっちの方が主流でしょう)。日本のメディアの“ゴーン叩き”もまた、ニッポンファーストの自演乙と言えるのです。

余談ですが、ゴーンが記者会見の中で、英語とフランス語とアラビア語を流ちょうに使いこなしていたのには驚きました。やはり、ゴーンは、グローバル資本主義の使徒にふさわしく知能指数の高いエリートだったんだなとあらためて思いました。それに比べると、ミタパンも日本のメディアも、如何にもバカっぽく見えて仕方ありません。
2020.01.16 Thu l 社会・メディア l top ▲
おととい(1月13日)の成人の日。再び奥多摩の笹尾根に行きました。これが今年最初の山行です。

いつものように、武蔵五日市駅から数馬行きのバスに乗りましたが、休日のダイヤは、6時18分が始発で、次が7時06分、その次が8時56分です。

新宿駅からだと快速に乗っても1時間半以上かかるため、7時06分のバスに乗るのは至難の業で、どうしてもそのあとの便にならざるを得ません。さらに、武蔵五日市駅から檜原街道沿いの登山口までは、近くて40分、奥の方に行けば1時間以上かかるため、山に入るのは10時近くになります。そういった時間的な制約が、笹尾根が人が少ない理由なのかも知れません。

今回も前回と同じ8時56分発(平日は9時発)のバスに乗りました。登山口の最寄りのバス停である上川乗(かみかわのり)に着いたのは9時半すぎでした。

連休ということもあって、出発時、五日市駅前のバス停には40人くらいの人たちが並んでいました。乗客の大半は登山の恰好をした人たちでした。

ただ、横の駐車場では、トレランの団体が何組か輪になってミーティングを行っていましたし、檜原街道では、峠越えのサイクリストたちも多く見かけました。トレランのランナーやサイクリストたちは、中高年が中心の登山者と比べて、みんな若いのでした。彼らから見れば、登山というのは、老人が支配し古い慣習や精神論や自己顕示欲にとらわれた面倒くさい世界なのかも知れません。何度も言いますが、あと10年もすれば老人たちは山に登れなくなるのです。私は、あらためて、旧態依然とした登山が時代から取り残されつつあるのを痛感させられた気がしました。

登山用品の専門店でアルバイトをしている女の子が言ってましたが、店のスタッフの中で山に登るのは彼女だけで、あとはカヤックやキャンプなど他のアウトドアが好きな人間ばかりだそうです。登山用品の専門店と言っても、実際はアウトドア全般に間口を広げていますので、登山に関する専門的な知識もそんなに必要ないのだとか。今や山登りは圧倒的に少数派なのです。

上川乗で降りたのは、私を含めて4人でした。私以外は3人の中高年男性のグループで、バスを降りると、道路の脇で大きな掛け声を上げて準備体操をしていました。私もバス停のベンチに座って身なりを整え、そのあとグループの横をすり抜けて登山口に向かいましたが、それでもまだ準備体操はつづいていました。やけに丁寧に体操をするんだなと思いました。その後、グループの姿を見ることはありませんでしたので、おそらく反対側の浅間嶺に登ったのかも知れません。

バス停から登山口までは、檜原街道を左折して、上野原方面の都道33号線の坂道を登って行きます。分岐してすぐの南秋川橋を渡る際、舗道が凍結していて、歩くのに神経を使いました。

10分くらい歩くと、道路脇に退避場所のようなスペースがあり、数台車が止められていました。表示はありませんが、どうやら駐車場のようです。そして、その奥に登山道の入口がありました。

停められている車の中には、「杉並」や「世田谷」のナンバーもありました。見ると、それぞれの車のサイドミラーはカラーコーンと紐で結ばれていました。盗難防止なのか、それとも駐車許可の印なのか、不思議な光景でした。

余談ですが、そのまま都道を進むと甲武トンネルがあります。甲武トンネルは、笹尾根の下を通っている全長1キロ弱のトンネルです。甲武とは、律令制時代の旧国名の甲斐国(甲州)と武蔵国(武州)のことで、甲斐国は現在の山梨県で、武蔵国は現在の東京都・埼玉県・神奈川県の一部がそれに当たるそうです。

笹尾根は文字通り、東京(檜原村)と山梨(上野原市)の都県境にある山稜なのです。両国の住民たちは、昔は笹尾根を登り峠を越えて行き来していたのです。現在、私たちが登山の恰好をしてハアハア息を切らせながら登っている登山道は、昔人の生活道路だったのです。笹尾根の標高は800~900メートルで、尾根筋には1000メートルを越えるいくつかのピーク(山)が連なっています。そのため、何度か登り返しがあり、思った以上に体力を使います。

笹尾根は、広義には三頭山から高尾山までを言う場合もありますが、普通は槇寄山から今回登った浅間(せんげん)峠の間を指すそうです。距離は14キロで、標準のコースタイムは7時間くらいです。

コースタイムには休憩の時間は含まれていませんので、途中で休憩したり、山を眺めたり、植物を観察したり、写真を撮ったりして、のんびり歩くともっと時間が必要になります。

私は、年明け早々風邪を引いて、まだ咳がつづいており、万全の体調とは言えませんでした。そのためもあって、前回の山行から20日も間が空きましたので、1時間半あまりの登りも身体が重くていつになく息があがりました。そのあとの登り返しもきつくて何度も足が止まりました。ホントは、笛吹(うずしき)峠から大羽根山を通って浅間尾根登山口に下る予定でしたが、途中の小棡(こゆずり)峠で既に午後2時近くになりましたので、予定を変更して小棡峠から下りることにしました。

余談ですが、笹尾根に関連する地名には、小棡(こゆずり)・笛吹(うずしき)・人里(へんぽり)・扁杯(へはい)・六藤(むそうじ)など、読み方が難解なものが多いのも特徴です。

小棡峠から笛吹バス停までのルートはあまり使われてないようで、踏み跡も不明瞭なところが多く、特に落ち葉が積もった広い尾根ではルートがわからず、登山アプリのGPS、それに紙地図とコンパス(ほかに腕時計のコンパスも)を総動員して進む方向を探しました。山を歩く上で、いい勉強になりました。

小棡峠からのルートは道標が少ないので、ピンクリボンがあるとホッとしました。ただ、台風の影響なのか、吹き飛ばされたものも多いようで、斜面に埋まっているピンクリボンもありました。

休日にもかかわらず、山行中に会ったのは4人だけでした。3人は60代~70代の男性、もう一人は40代くらいの女性で、いづれもソロの人たちでした。笹尾根は三頭山の方から歩く人が多いのですが(そっちの方が標高差が小さくて、体力的には楽だそうです)、私は“逆コース”を歩いたので、会ったのは前方から来てすれ違った人だけでした。たぶん後ろからは誰も来てなかったと思います。

1時間半くらいで麓の集落に下りました。集落の中を歩いていたら、散歩をしている男性がいて、私に気付くと「上から下りて来たの?」と声をかけられました。

「はい、小棡峠から下りて来ました」
「エエッ、小棡峠? 歩きにくかったでしょ?」
「あまり人が歩いた形跡がなかったですね」
「そうだよ。小棡峠から下りて来る人はあまりいないよ」

小棡峠と笛吹峠からの道は麓の近くで合流するので、男性は笛吹峠から下りて来たものと思っていたようです。

時刻表を見ると、次のバスは1時間後でした。幸いにも屋根付きのバス停だったので、バス停の中で、山で食べずじまいだったおにぎりを食べたりして時間を潰しました。しかし、日が陰り寒くなりましたので、フリースの上にダウンのベストを着て、さらにその上にパーカーを羽織りました。

武蔵五日市駅に着くと、ホームには東京行きのホリデー快速あきかわ号が停車していました。しかし、反対側のホームに停まっていた拝島行きの電車の方が先に出発するというので、そっちに乗って、いつものように拝島から八王子行きの八高線に乗り換え、八王子からさらに横浜線に乗り換えて帰りました。休日なので、ずっと座って帰ることができました。

帰って確認したら、山行時間は5時間25分でした。


※サムネイル画像をクリックすると、拡大画像がご覧いただけます。

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上川乗バス停

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登山道入口

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登山道入口の斜面にへばりつくように古い家が建っていた。今は使われてない別荘なのか。

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浅間峠への登山道

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登る途中にあった祠

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傾斜のゆるい登山道だったけど、とにかく足が重く息があがりました。

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浅間峠

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浅間峠全景
登山道は旧生活道路なので、それぞれの峠からは山梨県(甲州)側に下りる道があります。

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次の日原峠に向けた尾根道

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同上

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同上

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先の小さなピークが日原峠

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日原峠の道標

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土俵岳への登り返し

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土俵岳

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次は小棡峠に向かいます。

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同上

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同上

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小棡峠

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小棡峠から下ります。

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斜面には5~10センチくらい落ち葉が積もっていました。

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登山道がかろうじてわかる程度です。

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こういう道標があるとホッとします。

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道なのか雨で抉られた跡なのか、わからないところもありました。

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踏み跡が不明瞭な広い尾根は、先端に行くと大概下り口があります。左右の斜面は要注意。

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笛吹バス停
檜原街道の奥の方に行くと、このように屋根付きのバス停が多いので助かります。
2020.01.15 Wed l 山行 l top ▲
カルロス・ゴーンの日本脱出行に関して、その後の報道で気になる点がありました。

ひとつは、東京地裁が出した保釈の条件が、妻と会わないことと自宅に監視用のカメラを設置することだったという点です。保釈と言うより、軟禁と言った方がいいような条件です。特に、弁護士が言うように、妻と会えないことが、カルロス・ゴーンを絶望的な気持にさせたのは想像に難くありません。監視カメラを設置するというのも、あまり聞いたことがありません。強権国家では、与党政治家の政敵である野党政治家が犯罪をデッチ上げられて軟禁状態に置かれ、政治活動を制限されるという話がありますが、それとよく似ています。

しかも、当初今年の4月に予定されていた公判がオリンピック後に延期される可能性が高くなったそうで、それもカルロス・ゴーンの焦燥に輪をかけたと言われています。

Bloombergのインタビュー記事で、妻のキャロラインさんは、「日本には『無実であることが証明されるまで有罪』とされる『人質司法』があると指摘。『当局は彼の行動に制限をかけ、今、証拠を探している』と語った」そうですが、それもあながち的外れとは言えないのです。国連からも再三勧告を受けているように、日本の司法が民主主義国家だとは言えないような前近代的なシステムと慣習に縛られているのは事実でしょう。韓国だけでなく、日本もまた司法改革が必要なのです。バカのひとつ覚えのように、「ニッポン、凄い!」と自演乙するだけが能ではないのです。

Bloomberg
ゴーン被告はフランスで裁判を、妻キャロルさんがインタビューで訴え

しかし、検察に輪をかけて異常なのは日産です。日産は、警備会社に依頼してカルロス・ゴーンを24時間監視していたそうです。監視に気付いたゴーン側が人権侵害で刑事告発すると発表した途端に、監視は中止され、その間隙をぬってゴーンの日本脱出行が決行されたと言われています。

どうして日産がストーカー(あるいは公安警察)のようなことをしていたのか。主任弁護人の弘中惇一郎弁護士は、弁護人を引き受けた際、ゴーンの問題は本来日産内部で処理すべき問題で、「なぜ事件になったか奇異」だと言ったそうですが、このような日産の異常な行動に、ゴーン逮捕の闇が潜んでいると言っていいのかもしれません。

日産は花咲か爺さんのように気前よくお金をばら撒いてくれる大スポンサーなので、メディアが日産の監視を取り上げることはありませんが、人権などどこ吹く風の日産のやり方には、日産という会社の体質が顔を覗かせているような気がしてなりません。

かつて作家の高杉良は、『労働貴族』(講談社文庫)という小説で、労使協調によってヒットラーばりの“独裁体制”が敷かれていた日産内部の実態を暴いたのですが、日産という会社の体質は、あの“塩路天皇”時代となにも変わってないということなのかもしれません。

ゴーン逮捕は、ゴーン自身の問題というより日産という会社の問題だったのではないか。そう思えてなりません。
2020.01.06 Mon l 社会・メディア l top ▲
以前、東京支局に勤務する西日本新聞の記者が、東京の“痛勤”電車に対する違和感を書いた記事を紹介したことがありますが、先日、「BUSINESS INSIDER JAPAN」というサイトにも似たような記事が掲載されていました。

BUSINES INSIDER JAPAN
「日本人はなぜ席を譲らない?」とツイートしたら「レディーファーストって意味不明」と猛反発された

尚、Yahoo!ニュースに掲載されていた西日本新聞の記者の記事は、既に削除されています。私がブログに書いた関連記事は以下のとおりです。

関連記事:
思想が生まれる場所

座席を譲る以前の問題として、下記のような「椅子取りゲーム」は私たちが日常目にする光景です。私たちにとっては、もう当たり前の光景にすらなっています。

日本に帰るたびに気になるのが、電車が到着するや我先にと椅子取りゲームのように小走りに席を取り、座った途端に目をつむる(またはスマホの画面に釘付けになり、周りで何が起きているかを全く見ていない)人がとても多いと感じる。優先席に若者が平気で座っていたりもする。


ニューヨーク在住の筆者によれば、ニューヨークの人たちも東京の人たちと同じように、みんな忙しく「自分のことで精一杯だし、他人のことにあまり関心はない」けど、それでもニューヨークでは「おせっかい」だと思われるくらい他人に親切で、「自分より体力のなさそうな人たち」がいると「反射的に」立ち上がって席を譲ろうとする人が多いそうです。

私は、よく「電車の座席に座ることが人生の目的のような人たち」とヤユしていますが、東京の電車の中の光景が日本人のセコさや卑屈さを表しているのは間違いないでしょう。

資本主義は、言うまでもなく利潤の獲得と拡大再生産の循環運動で駆動されており、資本主義社会は、そのための効率第一の競争原理に基づいた社会ですが、電車が来てもないのにホームへの階段を駆け下りて行く人々や電車のドアが開くのももどかしく我先に座席に座ろうと「椅子取りゲーム」を演じる人々は、資本主義社会の競争原理に身も心も冒された「ほとんどビョーキのような」人々と言っても言いすぎではないでしょう。そうしないと「人生に勝てない」と思っているのでしょう。常にそういった強迫観念に苛められているのだと思います。

「自分より体力がない人たち」に席を譲るのは、欧米だけでなく、中国や台湾やベトナムなどアジアの国々でもよく目にする光景だそうです。私も前に、箱根のバスの車内で、年上の人に積極的に席を譲ろうとするアジアの若い観光客のことを書いたことがありますが、あれは「日本に気を使っている」のではなく、彼らの日常に存在するごく普通の行為だったのでしょう。

韓国人の知り合いによれば、もともと韓国は目上の人(年長者)を敬う儒教の影響が強いので、若者が年長者に席を譲る行為はよく見られるそうです。ただ、年長者の中には、自分たちが優遇されるのは当然だと言わんばかりに列に並ばなかったり、平気で割り込んだり人も多いそうです。一方、目上の人(年長者)を敬うべしと言いながら、年金制度は日本に比べても遅れているそうで、そのため惨めな老後を送らざるを得ない高齢者も多く、ホントに韓国社会が儒教の教えに忠実かどうかは怪しいと言ってました。

それは、「日本人はなぜ席を譲らない?」というツイートに対して、レディーファーストって何?と「猛反発」したネット民の反応も似たようなものがあるのかもしれません。

朝の通勤電車は、身障者や年寄りや妊婦が乗ることが少ないので、優先席はあってないようなものだすが、優先席に座っている人たちを見ると、女性が多いのに気付くはずです。女性専用車両以外でも女性の図々しさは結構幅を利かせているのです。また、日中の優先席に座っているのも、私が見る限り、女性が目立ちます。まして、あの中高年のおばさんたちの傍若無人なふるまいに、眉をひそめたくなる人も多いでしょう。

ツィートに反発したネット民たちは、女性=弱い人ではないと言いたかったのかもしれません。あるいは、男女雇用機会均等法や男女共同参画社会の精神からすれば、レディーファーストというのはおかしいではないか、男女平等と矛盾しているのではないかと単純に考えているのかもしれません。

もちろん、日本では、男女雇用機会均等法や男女共同参画社会の精神とは程遠い現実があることは事実でしょう。また、女性だけでなくハンディを背負った人たちに対して、「人間性が麻痺」したような冷たい現実があることも否定できないでしょう。

でも、一方で、レディーファーストだけでは解釈できない現実があることも事実なのです。もしかしたら、図々しいことしか取り柄がないようなおばさんたち(だけでなく若い女性にも多いけど)をどう見るかという問題から考えていくことも、案外大事なのかもしれません。バカバカしい話だけど、バカバカしいと一蹴できない問題を含んでいるのかもしれないのです。

バカのひとつ覚えのように「ニッポン、凄い!」と自演乙するしか能がない人間たちのアホらしさもさることながら、私たちの目の前にある現実は、「言語化すること」よりももっと「大切」なものを示していることも忘れてはならないのです。言語は万能ではないのです。


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2020.01.05 Sun l 社会・メディア l top ▲