第49回衆院選挙が19日に公示され、31日に投開票行われることになりました。

今回の選挙のポイントは「野党共闘」だと言われています。朝日の記事によれば、全国289選挙区の75%の217選挙区で候補者が一本化され、与野党による事実上の一騎打ちは約140選挙区にのぼるそうです。

朝日新聞デジタル
初の衆院選の野党共闘 217選挙区で一本化、強さには濃淡か

そのなかの東京8区で、公示前に「野党共闘」をめぐってトラブルがありました。

公示の10日前の10月8日、れいわ新選組の山本太郎代表が、突然記者会見を行ない、「野党統一候補」として東京8区から立候補することを表明したのでした。

東京8区は、杉並区(ただし方南1・2丁目を除く)を対象にする選挙区です。小選挙区制になってから今まで8度の選挙ではいづれも自民党の石原伸晃氏が当選しており、田中龍作ジャーナルのことばを借りれば、石原氏の「金城湯池」とも言うべき選挙区です。

しかし、この突然の山本代表の出馬会見にびっくりしたのは、立憲民主党の吉田はるみ候補を野党統一候補として担いでいた市民運動や立民の地元の関係者でした。「晴天の霹靂」「怒り心頭」と報じるメディアもありました。そして、その怒りは山本代表に向けられたのでした。

山本太郎は「限界系左翼」の盲動みたいな言い方をされ、今までの市民運動(と言ってもただの選挙運動)の成果を反古にする利敵行為だとの非難が浴びせられたのでした。吉田氏の支援者のなかには、「山本太郎さんに鼻をつまんで投票しない」というボードを掲げて抗議活動を行なう人たちまで登場する始末でした。

ところが、その後、山本自身があきらかにしたところによれば、東京8区の野党統一候補は山本で行くように水面下で話が進んでいたそうです。しかも、話を持ってきたのは立民の方で、枝野代表も承知済みだったとか。その際、山本氏が出馬すれば吉田はるみ氏を降ろすという生くさい話まで出たそうです。

そんななか、岸田内閣が誕生し、選挙日程が前倒しされた。でも、いっこうにラチがあかない。それでしびれを切らした山本が強行突破するかたちで立候補を表明したということでした。

しかし、山本太郎がフライングして立候補を表明し、彼に批判が集中すると枝野代表も立民中央も「困惑している」と言い出し、山本との”密約”についても知らぬ存ぜぬを決め込んだのでした。

結局、山本太郎が東京8区からの立候補を辞退することで一件落着になったのですが、すると今度は枝野代表や立民中央の姿勢を批判したリベラル系のジャーナリストに対して、「野党共闘」の周辺にいる支援者が「限界系ジャーナリスト」などというレッテルを貼って悪罵を浴びせはじめたのでした。

このトラブルで露呈されたのは、まぎれもない”もうひとつの全体主義”です。社民主要打撃論ならぬれいわ主要打撃論とも言うべき左翼政治のお家芸です。また、リベラル派であっても自分たちの意に沿わないジャーナリストは容赦なく叩くやり方には、あの夜郎自大な”無謬神話”さえ垣間見えるのでした。

「野党共闘」とはそんなスターリン主義的な左翼リゴリズムと保守反動が同床異夢する野合にすぎないのです。文字通り「『負ける』」という生暖かいお馴染みの場所でまどろむ」古い左翼(左派リベラル)の姿にほかなりません。

立民の某国会議員は、それまで散々山本太郎を非難しておきながら、辞退が決まると一転して「山本太郎さんの英断に感謝します」とツイートしていましたが、辞退にいちばん感謝しているのは(ホッと胸を撫でおろしているのは)石原伸晃氏かもしれません。

こんな選挙になにを期待しろというのでしょうか。AかBかなどという二者択一論にどれほどの意味があるというのか。もちろん、政権交代なんて夢のまた夢、と言うか左派特有の誇大妄想にすぎません。「左翼小児病」というのはレーニンの有名なことばですが、このような夢見る夢子のようなおめでたさは「左翼中二病」と言うべきかもしれません。

折しも朝日の衆院選に関連した特集で、下記のような記事が掲載されていました。

朝日新聞デジタル
韓国に抜かれた日本の平均賃金 上がらぬ理由は生産性かそれとも…

私もつい先日、このブログで同じような記事を書いたばかりですが、朝日の記事も次のように書いていました。

経済協力開発機構(OECD)の2020年の調査(物価水準を考慮した「購買力平価」ベース)によると、1ドル=110円とした場合の日本の平均賃金は424万円。35カ国中22位で、1位の米国(763万円)と339万円も差がある。1990年と比べると、日本が18万円しか増えていない間に、米国は247万円も増えていた。この間、韓国は1・9倍に急上昇。日本は15年に抜かれ、いまは38万円差だ。日本が足踏みしている間に、世界との差はどんどん開いていた。


もちろん、賃金が上がらない理由のひとつに非正規の労働者が多くなったということがあります。しかし、いちばん大きな理由は、非正規の問題も含めて労働組合が弱くなった、戦わなくなったからです。労使協調路線が当たり前のようになったからです。それは、言うまでもなく1987年の連合の誕生=労働戦線の右翼的再編からはじまったのです。一方で企業の「内部留保」は「500兆円に迫るほど積み上がって」おり、自民党でさえ「分配」を政策に掲げるほど、企業はお金をため込んでいるのです。

その労働戦線の右翼的再編と軌を一にした政界再編の申し子のような存在が、今の立憲民主党であり国民民主党の旧民主党です。その根っこを見ることなしに、自公の悪政を正すには政権交代が必要だと言うだけでは、文字通り木を見て森を見ないおためごかしの論理と言わざるを得ません。どう考えても、立民や国民民主が今の状況を剔抉しているとは思えないし、そもそもどれほど自民党と違うのかもわかりません。その選択の幅はきわめて狭いのです。二大政党制を前提とする「政権選択選挙」なんて茶番でしかないのです。花田清輝の口吻をもじって言えば、すべてが選挙に収れんされ、そして、ものみな選挙で終わるのです。
2021.10.21 Thu l 社会・メディア l top ▲
山に行けないということもあって、青空文庫で加藤文太郎の『単独行』を再び読んでいます。

加藤文太郎が初めて北アルプスに登ったのは、今から95年前の大正15年7月、21歳のときでした。Wikipediaには「1923年(大正12年)頃から本格的な登山を始める」と書いていますので、登山歴はまだ3年くらいです。その2年前には、「神戸の三菱内燃機製作所(三菱重工業の前身)」に勤務しながら、兵庫県立工業学校の夜間部を卒業しています。尚、加藤文太郎が厳冬期の北鎌尾根で命を落としたのは30歳のときです。その登山人生は僅か10数年にすぎなかったのでした。

Wikipedia
加藤文太郎

7月25日の日曜日の早朝、長野県大糸線の有明駅に着いた加藤文太郎は、徒歩で5時間以上かけて登山口にある中房温泉に向います。そして、中房温泉でひと風呂浴びて昼食を食べたあと、たぶん今と同じ登山道だと思いますが、燕岳へ向けて歩き始めたのでした。

当時、登山は大変お金のかかる贅沢なスポーツで、ハイカーの大半は経済的にも恵まれたインテリ層でした。そんななかで、末端の工場労働者にすぎなかった加藤文太郎は異色の存在だったのです。しかも、今のように詳細な登山地図もなかったので、多くはパーティを組み山に精通している地元の人間にガイド(道案内)を頼んで登るのが一般的でした。そんななか、加藤はガイドもなくひとりで北アルプスや南アルプスなどの山を登攀したのでした。そのため、『単独行』を読むと、常に道に迷い、今で言う”プチ遭難”みたいなことをくり返しながら登っていることがわかります。日没になると、行き合わせた作業小屋に泊まったり、あるいは野宿をしながら山行を続けていました。当時はヘッドランプもなかったので、暗くなると提灯を提げて歩いています。しかも、夜9時頃まで山中を彷徨うこともめずらしくありません。

初めての北アルプスは、7月25日から8月4日まで11日間に渡りました。燕岳に登ったあと、翌日には「アルプス銀座通り」(今の表銀座)を縦走して大天井岳に登り、さらに東鎌尾根を経て槍ヶ岳に登っています。当時から、燕岳から常念岳に至る縦走路は「アルプス銀座通り」と呼ばれていたことがわかります。殺生小屋(今の殺生ヒュッテ)に宿泊したあと、南岳から北穂高に至る大キレットを通り、北穂に登頂。そのあとたまたま見つけた無人小屋に泊まり、翌日奥穂高岳にも登っています。奥穂からはさらに前穂高岳にも登り、途中の雪渓に苦労して道に迷い野宿しながら上高地に下りています。そのときのことを加藤は次のように書いていました。

途中道瞭らかならず偃松等をわけ、あるいは水の流れるところ等を下る、なかなかはかどらず。 されば谷を下ればよしと思い雪渓に出ずれば非常に急にして恐ろし、尻を着けアイスピッケルを股いで滑れば、はっと思う間に非常な速度にて滑り出し、止めんとすれども止らず、アイスピッケルにて頭等を打ち、途中投出され等して数町を下りたり。そのときもう駄目なりという気起り気遠くなる思いなり。岩にぶつかるならんと思い少し梶をとりようやくスロープ緩きところに止り幸いなりき、あやうく命拾いしたり。それよりアイスピッケルを取りに行く困難言葉に表わされず、小石を拾いてそれにて足場を作り一歩一歩進む。
(略)
かかる困難をせざりしならむにこれもまた後日のためならむか。経験得るところ多し。これらすべて実に偉大なる恐るべき山なり。穂高は実にアルプスの王なりとしみじみ感ぜり、神の力に縋らずして命を全うすることを得ざるなり、有難く感謝せり。


加藤の初めての北アルプスはこれにとどまりません。上高地に下りたあと、平湯(温泉)から安房峠を徒歩で越えて乗鞍岳に登り、さらに御嶽山から木曽駒ヶ岳、宝剣岳、空木岳まで登っているのです。もちろん、今のように安房トンネルもありませんし、乗鞍スカイラインや駒ヶ岳ロープウェイなどあろうはずもありません。特に空木岳はきつかったみたいで、「道なきを進み疲れはてて九時頃山中へ一泊」と書いていました。

余談ですが、「北アルプス 初登山」の日記を読むと、登山が大衆化する前とは言え、燕岳などは95年前も今と変わらない登山風景があったことがわかります。燕岳の登山道では、「途中女学生の一隊多数下山するに逢う」と書いていました。ただ、当然ながら今のようなおばさん軍団はいません。

北アルプス 初登山

  A 大正十五年七月二十五日(日曜日)晴れ
  午前六時三十五分有明駅着、 少し休む。自動車あれども人多く自分は徒歩にて出発、自動道なれば道よし、有明温泉を経て川を遡る。名古屋の人(高商生) と一緒に行く。アルプス山間たる価値ありき、中房温泉着約十二時、名古屋内燃機の人四人(加藤という人もありき)と逢えり、温泉に入浴昼食をとり一時中房温泉発、急なる登りなり、四時半燕小屋着、途中女学生の一隊多数下山するに逢う。サイダーを飲み高い金を払う。軽装(ルックザックを置き)にて燕頂上へ五時着、三角点にて万歳三唱せり。途中立山連峰、白馬、鹿島槍を見、鷲羽連峰等飛んで行けそうなるほど近くはっきりと見え心躍る、燕小屋へ引返し午後六時泊、槍は雲かかりて頂上見えず。

  二十六日(月曜日)晴後雨
  燕小屋午前六時出発、この路アルプス銀座通りといい非常に景色よく道も良し、今朝の御来迎は相当よく富士などはっきり見え槍も見ゆ。大天井岳の前にて常念道、喜作新道の岐れ道あり、そこにルックザックを置き、大天井頂上を極む。三角点にて万歳三唱、豪壮なる穂高連峰、谷という谷に雪を一杯つめ、 毅然とそびえたるを見、感慨無量なり、もとの道に引返しルックザックをかつぎ喜作新道を進む。右高瀬川の谷を眺め、眺望よきこと言語に絶す。この辺の景色北アルプス第一ならむ。西岳小屋にて休み焼印を押し、昼食をなす。途中広島の人(東京の学校にいる)東京の人(官吏)と三人となり十一時半頃出発、途中にて人々に別れ、一人にて道を行く、殺生小屋着二時半、途中大槍小屋に行く道ありて、その辺より雨降り出す。雨を冒して槍の頂上へ出発、ルックザックは小屋に置き、急なる道を進み、四、五十分にて槍肩を経て頂上着、祠あり名刺を置き三角点にて万歳三唱、一時間くらい霧の晴れるを待つ、ときどき 天上沢、槍平方面の見えるのみ、下山、殺生小屋泊、人の多きことに驚けり。


こんなことを言うと顰蹙を買うかもしれませんが、登山をする者にとって、山中を彷徨うというのはどこか冒険心をくすぐられるものがあります。ソロのハイカーが遭難すると、世間からは非難轟々で、山に登らない人間たちからは捜索のヘリを出すのさえ税金の無駄使いだみたいに言われるのが常ですが(そもそも山岳遭難を報じる記事が、そういった非難を前提にするようなパターン化されたものになっているのです)、でも、なかには加藤と同じような山中を彷徨うことに冒険心をくすぐられバリエーションルートに入った者もいるのではないかと思ったりもするのです。山にはそんな魔力みたいなものがあるのです。

加藤文太郎の山行には、紙の地図どころかGPSの地図アプリが欠かせないアイテムになっていて、道を逸れると警告のアナウンスが流れたり、下山すると家族にもメールで連絡が行ったりするような(それどころか、今どこを歩いているか、リアルタイムに現在地を家族と共有できるサービスさえあります)、便利なシステムに管理された今の登山にはない、自分のスキルと体力をフルに使って山に登るという、言うなれば原初的な山登りの姿があるのです。加藤文太郎がいつの時代もハイカーのヒーローでありつづける理由がわかるような気がします。

最終日、加藤は次のように日記を締めくくっていました。

  四日(水曜日)曇
  早朝起き川原に出でんと下れば途中道あり、それを進む、川の左岸のみを行きて川原に出で尾根へ取付きなどしてなかなか苦しき道なり、ようやく小日向の小屋に出で見れば道標あり、自分の下りし道の他に本道とてよき道あり、本道を通らばかかる困難はせざりしに、これよりは道よく道標ありて迷うことなく 九時半飯島駅着、十時の電車にて辰野へ、中央線にて塩尻を経て名古屋へ、東海道線にて神戸へ無事五日午前一時着せり、同二時床につく。痛快言わん方なかりき。かかる大コースも神の力をかりて無事予定以上の好結果を得しはまことに幸いなり、神に感謝せり。ああ思いめぐらすものすべて感慨無量なり。


床に入ったものの、11日間の大冒険を終えた興奮になかなか眠れず、何度も寝返りを打っている加藤の姿が目に浮かぶようです。
2021.10.15 Fri l 本・文芸 l top ▲
小室圭さんの自主隔離期間が終わり、26日の入籍と記者会見が近づきましたが、小室さん一家と眞子さんに対するバッシングは止む気配はありません。むしろ、最低限の節度さえ失い、狂気の領域に入ったと言ってもいいくらいです。

ネトウヨのYouTuberが小室家に押しかけてあたりはばからず大声で「結婚反対」と叫ぶので、近所の人がうるさくて迷惑しているという話も、メディアの手にかかると小室さんが帰宅して近所の人たちは迷惑しているという話になるのです。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いではないですが、全ては小室さん一家が悪いのです。

ましてや、メディアは、結婚反対デモなるものを主催しているのが件のネトウヨのYouTuberだということや、小室さんのお母さんが遺族年金と傷病手当金を不正受給した疑いがあるとして詐欺罪で告発した(でも「返戻」された)のがネトウヨのジャーナリストであることは何故かあまり触れずに、彼らのチンピラまかいの言いがかりを二人に対するバッシングの材料に使っているのでした。

小室さんのお母さんに対する告発にしても、通常であれば名誉棄損で反訴されてもおかしくないのですが、今のお母さんの立場ではそれは叶わぬことです。それをいいことにやりたい放題のことがまかり通っているのです。

SNSで野党をフェイク攻撃してきたネトウヨの「Dappi」の実体が、実は自民党と取引きするワンズクエストというウェブ制作会社であったことがあきらかになり問題になっていますが、ネットにおいてはそれは特異な例ではないでしょう。ネットを使った情報操作や世論工作は、なにも中国に限った話ではないのです。そして、そういった世論工作に誘導された老人たちが、「ネットで目覚めた」などと言い、まるで憂国の士でもなった気分で愛国運動に動員され、ネトウヨになっていくのです。

眞子さんの結婚に関して、とりわけネトウヨが熱心にバッシングするのも、皇位継承問題に絡む極右の政治的な主張と関係しているからで、そこにも、万世一系の国体を維持するために(!)、「Dappi」と同じような政治の力がはたらいてないとも限らないでしょう。

ところが、女性自身やNEWSポストセブン(週刊ポストのウェブ版)は、「小室佳代さん 眞子さまに追い打ち…刑事告発報道で結婚会見がさらなる修羅場に」(女性自身)とか、「小室佳代さん刑事告発も 小室圭さんは結婚会見で反対世論を変えることはできるのか?」(NEWSポストセブン)などと、ネトウヨの主張をそのまま小室バッシングに利用しているのでした。

こういったフェイクに依存するメディアは、もはやメディアを名乗る資格なしと言わざるを得ません。ネットだけでは採算が合うはずはないので、読者が拒否すればすぐに言論の場から駆逐できるでしょう。ビジネスマンではなく会社員の国である日本では、不買運動が成り立ちにくいのはたしかですし、こういうクソメディアほど錦の御旗のように「言論の自由」を振りかざして大衆を恫喝するのが常です。でも、そんな脅しに屈しない読者の見識と良識が問われているのだと思います。

女性自身やNEWSポストセブンのような大衆の負の感情をこれでもかと言わんばかりに煽りまくる、悪意の塊のようなバッシングに晒されれば、眞子さんが複雑性PTSDになるのも、小室さんのお母さんが自殺を考えるまでに追い込まれるのも当然でしょう。

もっとも、女性自身やNEWSポストセブンのようなおばさん&おじさんメディアは、誰が見てもオワコンで、もはや余命が取り沙汰されるような存在です。だから、なりふり構わずネトウヨと密通して最後の悪あがきをしているとも言えるです。

さらにここに来て、元婚約者がいつものことながらわけのわからないコメントを発表して、メディアに燃料を投下しています。

仮に元婚約者が主張するように「借金」があったとして、たかが400万円のお金を用意できないのが不思議だと誰も思わないのが逆に不思議です。問題が解決しないのは、元婚約者がのらりくらりとわけのわからない理由で解決を拒んでいるからです。お母さんと直接会うことが条件だとか何とか言って、「解決金」を受け取らないからです。

そもそも400万円の「借金」が存在すること自体がずいぶん怪しい話です。ホントに貸したのなら訴訟を起こせばいいと思いますが、法律の専門家に相談したら訴訟は無理だと言われたという話もあります。さもありなんと思います。だから、小室さん側は「解決金」と言っているのでしょう。別れたから付き合っていた頃に使ったお金を返せというのは、本来なら「最低の男」と言われても仕方ないでしょう。でも、何故かそうは言われないのです。

今回、元婚約者のコメントに関する記事が朝日にも出ていたので、元婚約者が朝日の取材に応じたのかと思ったら、なんのことはない、以前と同じようにフリーライターの代理人を通して一方的にコメントを発表しただけなのでした。いつもそうやってタイミングをはかってコメントを発表し、状況を攪乱するのでした。狙いはお金より他にあるのではないかと勘繰りたくなります。そんなにお金に困っているのなら、お金(「解決金」)を受け取ればいいだけでしょう。「頑固」とかそういう問題ではないように思います。「Dappi」ではないですが、一方的に言い分を垂れ流すのではなく、元婚約者の正体をあきらかにするのがメディアの本来の役割でしょう。どうして元婚約者を取材しないのか、それも不思議でなりません。

この問題について、先日の朝日に、北原みのり氏のインタビュー記事が出ていましたが、そのなかで下記のことばが目に止まりました。

朝日新聞デジタル(有料記事)
眞子さまの苦しみ、人ごとではない 北原みのりさんが語る女性の結婚

 ただ、意識のどこかで皇室は「別世界」だと思っていたのです。天皇制そのものが性差別的な要素を含んでいるため、フェミニストも制度そのものに反対の声はあげても、その中で実際に生きている人たちをどう守るかを話すことがなかった。皇室の中にいる女性の人権は語られてこなかったのです。

 しかし今、眞子さまという生身の人が苦しんでいるのが見えています。差別的な日本の法律の一つが皇室典範であり、皇室という制度ではないかと思います。変えようという議論を始めるときではないでしょうか。


この問題に対していわゆる左派の感度が鈍いのは、天皇制そのものに反対するというイデオロギーが邪魔をして、所詮は天皇制内部の揉め事みたいな考えがあるからではないかと思います。どう見ても”もうひとつの自民党”でしかない立憲民主党に同伴しながら、心のなかは頑迷でスターリン主義的な左翼思想に凝り固まっているのが彼らの特徴ですが、そういったヌエ的な彼らの思考態度がこの問題でも露わになっているように思います。

もう天皇制が時代の間尺に合わなくなっているのです。折しも、ガールスカウトの記念イベントで、佳子さんがジェンダー平等を訴えたことが話題になっていますが、今の時代に若い皇族を皇室のなかに閉じ込めるのは無理があるのです。とどのつまりはそういうことでしょう。二人の結婚について、「いいんじゃね」「自由でしょ」とあっさり言い放つ、今どきの若者たちの方がよほどマトモで健全なのです。
2021.10.13 Wed l 社会・メディア l top ▲
二日前のことでした。整形外科の病院に久しぶりに診察に行きました。診察のあと、薬(と言っても湿布薬)を処方され近所の調剤薬局に行ったら、薬剤師から「ひと月ぶりですね」と言われ、そうかもうひと月も行ってなかったんだと初めて気付いたのでした。

そのくらい膝の調子が良かったのです。水は少し溜まっている気がしないでもなかったけど、膝の可動にもほとんど問題もなく痛みらしい痛みもありませんでした。多少の違和感が残っているだけで、前の記事でも書いたように、ハイキングを復活しようかと思っているくらいでした。

そのため、現金なもので、どうしても病院に行くのに足が遠のいていたのです。行かなければと思いつつも、ついつい先延ばしにしていました。変な話ですが、二日前も半ば義務感から重い腰を挙げて病院に行った感じでした。

診察すると、やはり注射器1本分の水が溜まっていました。ドクターに聞くと、11CCくらい溜まっていたと言われました。水の色を聞くと、薄い黄色で特に問題はないと言われました。

注射をどうしますか?と言われ、せっかくなので「お願いします」と答えました。それで、もう何度目かわからないほどのヒアルロン酸の注射を受けました。

ところが、その帰りです。病院から外に出た途端、膝の痛みを覚えたのでした。それからどんどん痛みはひどくなり、半年前の痛みはじめの頃と変わらないくらいの状態にまでエスカレートしました。水もかなり溜まっているようで、膝も醜く変形しています。もちろん、膝も曲がらなくなりました。特に、伸ばしたときに痛みが出ます。夜寝ていても、曲げた足を伸ばすと痛みを覚え目が覚めるほどです。最近は、痛み止めを飲むとほとんど痛みを感じないほどよく効いていたのですが、痛み止めも効かなくなりました。

こんなことってあるんだろうかと思いました。信じられないような話です。だからと言って、もう一度病院に行って事情を話しても、言われることは目に見ているように思います。湿布と痛み止めの飲み薬を処方されるだけでしょう。

文字通り天国から地獄に堕ちたような絶望的な気持になりました。やっと光が射してきたと思っていたのにどうして?と思わざるを得ません。

別の病院に行ってみようかとも思っていますが、今は膝の痛みを我慢するのが精一杯で、わざわざ新しい病院を探して行くほどの余力はありません。それに、別の病院に行っても同じことのくり返しになるのではないかと思ったりもします。

膝痛などの場合、整形外科の病院や整骨院を転々とするケースが多いのですが、痛みを抱えた患者が藁をも掴む気持で彷徨するのもわからないでもありません。でも、一方で、そういったことをくり返さなければならないのはとても空しく面倒なことでもあるのです。

ジョギングにはまった知り合いも、ある日足が痛くなったので、まずスポーツ用品店に行ったそうです。すると、ジョギングシューズとインソールをすすめられ購入することになった。でも、痛みは収まらない。それで、今度は駅前の整骨院に2軒行ったけど、やはり改善しない。仕方がないので整形外科の病院に行ったら、走りすぎだろうと言われて、湿布と痛み止めを処方されただけ。しかし、依然として痛みは続いているので、さらに別の整形外科に行ったところ、疲労骨折という診断を受けて、現在、完治しジョギングも復活したそうです。実際にそのように遠回りをすることも多いのです。

整形外科は「3」の数字がキーワードになるという話を聞いたことがあります。3日、3ヶ月、3年で病態が改善したか様子を見るということらしいです。とりあえず、3日様子を見て、それでも改善しないなら(その可能性が高いけど)、別の整形外科を探して診察して貰うしかないかなと思っています。でも、一方で、今の時代、病院によってそんなに違うものなのかという疑問もあります。
2021.10.07 Thu l 健康・ダイエット l top ▲
小室圭さんの帰国をきっかけに、再びバッシングが沸き起こっています。なかでも、スポーツ新聞とそれを転載するYahoo!ニュースのコメント欄(ヤフコメ)の異常さが際立っています。ネット民の異常さは今にはじまったことではありませんが、スポーツ新聞に関しては、販売部数の低迷による経営不振という背景があるように思えてなりません。そこにあるのは、どう考えても精神病理学でなければ説明がつかないような、ネットと旧メディアの共振による”日本の異常”です。

Yahoo!ニュースに転載されたスポーツ紙のコタツ記事の見出しをざっとピックアップしてみるだけでも、その異常さがよくわかります。

小室圭さん「エコノミークラス」で帰国へ 航空チケット代は〝お国持ち〟か(9/24東スポ)

あの時とは別人 小室さん ロン毛、ちょんまげ、ポケットに手入れ無視 宮内庁関係者「もう少し考えて…」(9/25スポニチアネックス)

小室圭さん激変 えっロン毛! フジテレビ突撃取材に左手ポケット、発言一切なし(9/25ディリースポーツ)

眞子さま&小室さんと対照的…百恵さん&友和、唐沢&山口智子らの幸せ結婚会見現場(9/25女性自身)

眞子さまの「ゴリ押し婚」が違憲かもしれないこれだけの理由(9/25JBpress)

ロン毛の小室圭さん「直撃ガン無視」が及ぼす結婚会見への影響(9/25FRIDAY)

小室圭さんのロン毛に哀愁を感じるワケ 米NYで質素倹約生活「散髪代すら…」(9/25東スポ)

眞子さまのNY生活を待ち受ける小室佳代さんの“支配” 異国の地で居場所を失う可能性も(9/26ディリー新潮)

小室圭さん 急展開!眞子さまと渡米延期も…手続き待つ都内新居に母・佳代さんが“通い姑”(9/27スポニチアネックス)

小室圭さん 母の金銭トラブル、不正受給疑惑など“4つの騒動”自身から説明あるか(9/27スポニチアネックス)

小室圭さん 物価高いNYで役立つレシピ本「月たった2万円のふたりごはん」購入済み(9/27スポニチアネックス)

高橋真麻 小室圭さんの直撃取材無視に「印象悪すぎ」 対応変化も「挽回できない」(9/27スポニチアネックス)

清原博氏 弁護士の立場捨て?空港の小室圭さんを糾弾「とてもじゃないけど感じ悪い」(9/27ディリースポーツ)

国際弁護士・清原博氏 小室圭さん就職…米法律事務所の新人実情説明「大変厳しいと思います」(9/27スポニチアネックス)

高橋真麻 小室圭さんに「嫁のために頭下げられないやつが夫…大丈夫なの?っていう気持ち」(9/27スポニチアネックス)

実家で2週間の隔離期間を過ごす小室圭氏 警備費用は誰が負担するのか(9/27NEWSポストセブン)

小室さん”ロン毛”帰国に遠野なぎこ疑問「笑かしにきてるのかな」「なんかのネタなのか」(9/27中日スポーツ)

天皇陛下 小室さんと“面会拒否”の真相…「義理の甥」肩書乱用を憂慮か(9/28女性自身)

坂上忍 無言貫く小室圭さん「ハート強いわ」 注目度の高さ「金銭トラブル解決してないまま…」(9/28スポニチアネックス)

これを見ると、スポニチの異常さが特に目立ちます。小室家に何か恨みでもあるのかと思いたくなるような、悪意をむき出しにした記事のオンパレードです。

一方で、SMAP解散の際も指摘しましたが、スポニチはジャニーズ事務所べったりのメディアで、嵐の櫻井翔と相葉雅紀のW結婚の発表では、同じ新聞かと思うほど歯の浮いたような祝辞が紙面を覆っているのでした。しかも、結婚相手についての記事は一切なく、ただジャニーズ事務所の大本営発表を垂れ流しているだけなのでした。

また、高橋真麻や遠野なぎこや国際弁護士の清原博らによる、大衆の負の感情を煽るようなコメントも目につきますが、彼らは風にそよぐ葦の典型的なゲスタレントと言うべきでしょう。

大手芸能事務所だと報復が怖いので忖度するけど、小室さんなら立場上無防備にならざるを得ないので、スポーツ新聞やワイドショーにとっては書き放題、言いたい放題なのです。

そして、こういったコタツ記事に煽られて、ヤフコメに終日貼り付いているネット民たちが小室バッシングに狂奔するのです。

もちろん、なかにはネットで人殺し扱いされたスマイリーキクチのような冷静な意見もないこともありません。

小室圭さんバッシングに「一億総いじめっ子時代か…」スマイリーキクチ私見
(日刊スポーツ9/24)

でも、こういった意見は、”日本の異常”のなかでは濁流に呑み込まれる小舟のようなものです。

挙句の果てには、この”日本の異常”が、平均年収で日本を抜いた韓国のメディアに「嘲笑」される始末なのでした。

同紙(引用注:京仁日報)はこれまでの小室さんを巡る騒動に触れつつも結婚を好意的に捉えており、映画「ローマの休日」などと例示しながら様々な壁を乗り越えて愛を貫く様子を報じた。

 そのうえで「2人の交際に世論は友好的ではない。メディアは小室の経済力を問題視した。夫と死別した母親が恋人から400万円を借りた後、返済がなかったと〝つまらない暴露〟が出た」と疑惑に対して批判的な日本の世論を疑問視。

 そして「家庭の事情を口実に結婚に反対する日本国内の世論はスルーすればいい。『私生活よりも、それぞれの立場にふさわしい行動をしなければならない』などという指摘は息苦しいものだ。世の中は光速化の時代になっているのに、日本人の前近代的思考は変わらない。発展が鈍くなった日本には濃い暗雲が垂れこめている」とお二人の結婚に反対する日本の世論を強く非難した。

日本の〝小室圭さん報道〟を韓国紙が嘲笑「日本人の前近代的思考」「つまらない暴露」

(9/28東スポ)

こういった指摘が日本のメディアから出て来ないのも不思議です。「多様性のある社会」なんて片腹痛いと言えるでしょう。恋愛の自由はもちろんですが、当人同士の合意に基く結婚の自由は、子どもでも知っている民主主義社会の基本の「き」です。でも、日本のメディアはそんな基本の「き」さえ認めたくないかのようです。自由を求める二人の勇気ある行動をここまで呪詛する日本の社会の、その根底にある歪んだ心性を考えないわけにはいきません。

自分たち(あるいは自分たちの子ども)は、借金があろうがなかろうがすぐ同棲し、できちゃった結婚をしているくせに、眞子さんには浮世離れしたいつの時代の話だと思うような厳格を求めるのです。もはや狂気と言ってもいいかもしれません。

二人に浴びせられる誹謗中傷をまじかで見てきた佳子さんも、今の自分たちが置かれた立場(と言うか日本という国)に絶望して何らかの行動を起こす可能性は高いでしょう。次期天皇の悠仁さんも、最近、感情の起伏が激しく、聞くに堪えないような乱暴なことばを使ったりして、側近たちも頭を悩ましているという話もあります。どう考えても、今どきの若者たちに赤坂御用地のなかに閉じ込めるような人生を押し付けるのは無理があるのです。秋篠宮家の教育方針が間違っているとかトンチンカンなことを言う者がいますが、要するに、現代社会に天皇制は間尺が合わなくなっているのです。反動的な日本国民がその現実を見ようとしてないだけです。

いわゆる小室さん問題については、今まで何度もこのブログで書いていますのでくり返しませんが、ご興味があれば下記の関連記事をご覧ください。

小室さんは、眞子さんと結婚するために留学し、一生懸命勉強して優秀な成績を残し、12月に発表される弁護士資格の試験でも合格するのはほぼ間違いないと言われています。私などは個人的に、凄いなとか立派だなということばしか浮かびませんが、しかし、ネット民はそうは思わないみたいです。終日ネットに貼り付いているような、努力とは無縁な人生を送っているので、小室さんの血の滲むような努力が理解できないのかもしれません。

また、もうひとつ注目すべきは、ネトウヨや右派系の著名人たちが小室さんだけでなく、眞子さんもバッシングしていることです。韓国紙が書いているように、結婚相手が皇室にふさわしくないからと言いたいのかもしれませんが、それは裏を返せば、カゴのなかの鳥でいろということです。まるで税金で養われている身分なのだからとでも言いたげで、皇室に対する尊敬の念など微塵も感じられないのでした。かつて『噂の真相』は、記事のなかで皇太子妃を呼び捨てにしたとして、右翼のテロに遭ったのですが、ネトウヨや右派著名人の誹謗中傷はとてもその比ではないでしょう。


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2021.09.29 Wed l 社会・メディア l top ▲
一部のメディアにも取り上げられていましたが、2002年の小泉・金正日会談の陰の立役者である元外務審議官の田中均氏が下記のようなツイートをしていました。

田中均ツイート20210922
@TanakaDiplomat 9月22日

また、ダイヤモンドオンライン「安いニッポン 買われる日本」という特集のなかにも、次のような記述がありました。

   OECD(経済協力開発機構)の調査によると、日本の平均賃金(年間)は2000年時点、3万8364ドル(約422万円)で加盟35カ国中17位だった。20年には3万8514ドル(約423万円)と金額はわずかに上がったものの、22位にまで順位を下げた。過去20年間の上昇率は0.4%にすぎず、ほとんど「昇給ゼロ」状態。これでは「給料が上がらない」と悩む日本人が多いのも当然だろう。

 他国と比べると、日本の賃金の低さは歴然としている。トップの米国は6万9391ドル(約763万円)で、率にして44%の大差が開いている。OECD加盟35カ国の平均額の4万9165ドル(約540万円)に対しても22%低い。

 米国以下には、アイスランド、ルクセンブルク、スイスといった欧州の国々が並ぶ。日本の賃金はこういった欧米の国々に負けているだけでなく、お隣の韓国よりも低くなっている。

(略)日本の平均賃金は韓国に比べて、3445ドル(約37万9000円)低い。月収ベースで見れば3万1600円ほど低いという計算になる。

DIAMOND online
日本人は韓国人より給料が38万円も安い!低賃金から抜け出せない残念な理由


日本が韓国から抜かれたのは2015年だそうです。以来、その差は開く一方なのです。

今の自民党総裁選では、中国や北朝鮮を念頭に「敵基地への先制攻撃能力の保持」などという、まるでそれが「愛国」の踏み絵であるかのように、勇ましい外交防衛論議がくり広げられていますが、その一方で、国内の貧困問題はほとんどと言っていいほど取り上げられていません。唯一、河野太郎が消費税を財源とする「最低保障年金制度」の導入に言及しましたが、それも他の候補者やメディアからは絵空事として一蹴されただけです。

もっとも、自民党総裁選で何に関心があるかという問いに対して、「外交・防衛政策」と答えた国民(有権者)が意外と多いという世論調査の結果もあります。コロナで貧困と格差の広がりにいっそう拍車がかかり、自分たちの尻に火が点いているにもかかわらず、まるで「欲しがりません勝つまでは」の再来のように、国民自身がメディアの中国脅威論に煽られている側面があるのです。

もちろん、その背後にはアメリカの対中強硬策があるからですが、でも、前に書いたように、アメリカは唯一の超大国の座から転落してもはや「世界の警察官」ではなくなったのです。パクス・アメリカーナの時代は終わったのです。

アメリカは、クアッド(日米豪印戦略対話)を軸に中国に対抗しようとしているみたいですが(自民党総裁選の勇ましい外交防衛論議もそのアメリカの意向の上にあるのですが)、先のアフガン撤退を見てもわかるとおり、もはやアメリカにその力はありません。アジアの覇権が中国に移るのは既定路線なのです。

「ネットで目覚めた」高齢者のネトウヨが「高市早苗を総理大臣にする」運動なるものを始めて、ネットのみながらず街頭にまで進出しているみたいですが、彼らが胸を高鳴らせる「敵基地への先制攻撃能力の保持」も、安倍晋三らが主張していた自衛隊が平壌に侵攻して拉致被害者を奪還するという話と同じような荒唐無稽な妄想にすぎません。

高市早苗応援団の背後に、韓国の情報機関から金銭を受け取っていたと報道された“極右の女神”の存在も指摘されていますが、自己保身のために高市早苗を担いだ安倍晋三ともども、そうやって「愛国」の名のもとに国を過つ方向に持って行こうとしているようにしか思えません。

高齢者は人生も残り少なく、年金においても食い逃げ世代なので、勇ましい戦争ごっこの妄想の世界で夜郎自大な余生を送ることができるかもしれませんが、これから長い人生を「アジアの片隅」で生きて行かねばならない若者たちにとっては、既に中国や韓国に「負けている」現実はとてもしんどいものがあると言えるでしょう。貧困と格差のむごい現実に直面し、生活がままならない現状をいちばん痛感しているのは若者たちなのです。高齢者のネトウヨは、中国や韓国のような二等国の台頭を許すなみたいに言っていますが、それは(中国や韓国に追い抜かれて)二等国へ転落している日本の悪あがきと言うか、引かれ者の小唄のように聞こえなくもありません。

同じ『週刊ダイヤモンド』(9月11日号)の「新階級社会 上級国民と中流貧民」という特集でも、「エリート転落56社実名リスト」と題して、ホンダやパナソニックやANAやTBSやフジテレビのような一流企業が大幅なリストラを実施している現実を伝えていました。最近、テレビ局の特に女性アナウンサー退社のニュースをよく見かけますが、あれもメディアを覆うリストラと関係があるのかもしれません。リストラされたエンジニアのなかには中国企業への転職も目立つそうです。もちろん、リストラの陰では、「新中間階級」から滑り落ちたエリートたちの悲哀も存在します。

日本は「安い国」なのです。間違ってもテレビが言うように、世界の人々があこがれる豊かな国ではないのです。千客万来で外国人観光客が訪れたのも、日本が「安い国」だからです。そして、その裏に、「安い国」を支える低賃金の日本の労働者がいるのです。それが私たちなのです。「敵基地への先制攻撃能力の保持」に胸を高鳴らす前に、虚心坦懐に今の自分の生活と向き合い、まず「己を知る」ことが肝要でしょう。


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2021.09.25 Sat l 社会・メディア l top ▲
山に登る前に読む本


先週、財布とパスモ(ICカード)を忘れて、1万歩以上歩くことになりました。早速、帰宅したら膝に水が溜まっているのがわかりました。一時、水も引いて調子がよかったのですが、反対の足のアキレス腱の炎症をきっかけにまた元に戻った感じです。

実は昨日も同じポカをやらかして、8.6キロ1万2千歩を歩くはめになりましたが、やはり足が重くてなりませんでした。ただ、帰って足を冷やし膝の裏を親指でくり返し押すと、軽くなり可動域も広がって楽になりました。今日は意識して3駅分、6.6キロ9千歩を歩きました。帰って同じように冷やして指圧マッサージをするとすぐ楽になりました。エアロバイクも毎日ではありませんが、ときどき漕ぎ始めています。

先週、整形外科に行った際、たまたまドクターのPCに私の膝のレントゲン写真が映し出されていたので、レントゲン写真について質問をしました。すると、ドクターは棚から膝の医学書を出して来て、写真を指し示しながらあらためて説明してくれました。

ドクターが言うには、私の変形膝関節症の症状は、「0」の「正常」から「1」の「軽度」の間くらいだそうです。ちなみに、症状は「0」から「3」までの4段階で表すみたいで、「2」は「中等度」、「3」は「重等度」です。だったら、この前に行った総合病院の中等から重等という診断は何故なのかという疑問が残ります。診察する前からいきなりサポーターや足底板をセールスするのも違和感がありましたが、殊更患者の不安を煽る商法のような気がしないでもありません。

ドクターが言うには、変形膝関節症でも半月板損傷でも、痛みが出ない人も多いのだそうです。つまり、軟骨がすり減ったり傷ついたりしても軟骨自体には血管が通ってないので、痛みを感じないのだとか。痛みを感じなければ病院にも行かないでしょうから、変形膝関節症の患者は1千万人いて”国民病”だなどと言われていますが、実際はもっと多いと考えていいでしょう。でも、痛みがなくても骨の変形は進むので、いづれ日常生活に支障をきたすことになるのです。それどころか、老後は寝たきりになり介護が必要になる可能性が高いと言われているのです。

前に夫婦で百名山登頂を達成したという人の家に行く機会があったのですが、ご主人は車椅子生活で、奥さんもソファから立ち上がるのも支えが必要なほど見るからに膝が痛そうでした。正座ができないので仏壇にお参りするときなどは大変ですと言っていました。つまり、二人とも典型的な変形膝関節症なのです。登山を趣味にして百名山踏破の偉業を達成した代償が変形膝関節症による不便な老後なのです。実際に、60歳以上のハイカーの90%が膝痛で悩んでいるという話もあるくらいです。

スポーツが心身ともに健康の保持増進に大きな効果があるのは言うまでもありません。しかし、それも「ほどほど」の場合なのです。やりすぎると、特に骨や関節などに歪みをもたらして、痛みや障害の原因になるのです。若いときのスポーツが原因で、一生癒えない痛みや障害を抱えてしまうということもめずらしくありません。

その意味では、登山は「やりすぎ」のスポーツの代表と言っていいかもしれません。とりわけ、膝にとってこれほど悪いスポーツはないでしょう。先日も、たまたま某ネトウヨ登山家のブログを見ていたら、彼も膝痛に悩んでいて、再生治療のひとつであるPRP(血小板血漿)治療を受けたと書いていました。また、登山系のユーチューバ―も、大半は基礎的な訓練も受けてないぽっと出の登山者なので、山行を重ねるうちに膝を痛める人も多いみたいです。登山に膝痛は付き物なのです。

膝痛から解放されるには、まず膝の負担を減らす必要があります。その方法は二つあり、一つはストレッチして大腿四頭筋の筋力をつけることです。もうひとつは、言うまでもなく体重を減らすことです。ドクターが言うには、多くの人はストレッチの方を選択するけど、結局、挫折していつまでも痛みから解放されないケースが多いのだとか。

それより体重を減らす、つまり、「ダイエットする方が手っ取り早いですよ」と言っていました。膝には体重の3倍の負荷がかかると言われているそうで、「たとえば3キロ減量すれば9キロの負担が減るのですよ。9キロの負担を減らすために筋力をつけるというのは途方もない努力が必要ですよ。それに比べれば3キロの減量の方が近道のはずです」と言っていました。

単純に考えれば、山に7キロのザックを背負って行くとすれば、2キロ以上の減量をしてもザック分をペイするだけです。つまり、膝の負担を軽減しようと思えば、少なくとも5キロくらいの減量は必須です。もちろん、山に登るには筋力も必要です。特に登山の場合、大腿四頭筋に蓄えられたグリコーゲンをエネルギー源として使うので、大腿部の筋力量を増やすことが肝要です。しかし同時に、膝の負担を減らすためには、体重を落とすことも無視できないのです。

常念岳の診療所の所長も務めた信州大学医学部の能勢博教授も、著書の『山に登る前に読む本 運動生理学からみた科学的登山術』(講談社ブルーバックス)のなかで、体力を測るひとつの指標である最大酸素消費(摂取)量の数値を改善するには体重を落とすことも重要だと書いていました。最大酸素消費(摂取)量というのは、1分間に体重1kgあたりに取り込むことができる酸素の量(ml/kg/分)なので、体重が減ればその分数値も改善されるのです。つまり、それだけ心臓の負担も減るというわけですが、当然と言えば当然の話です。

能勢教授は、最大酸素消費(摂取)量の役割について、次のように書いていました。

相対運動強度は最大酸素消費量に左右される。すなわち、最大酸素消費量の高い人と低い人が一緒に登山をする場合、低い人のほうが、ブドウ糖の消費速度が速くなる。さらに、もともと筋肉量が低くグリコーゲン貯蔵量が少ないのも手伝って、早く「燃料切れ」になって登山の継続を困難にさせる。


最大酸素消費量が示しているのは持久力ですが、これは20歳代をピークに10歳年を取るごとに5~10%低下すると言われているそうです。登山には加齢によって筋力(特に膝伸展筋力)が低下する「老人性筋萎縮症(サルコペニア)」の問題も深刻です。膝伸展筋力の低下は、「日常活動量を低下させ、そのため心肺機能の負担が低くなり、最大酸素消費量の低下を引き起こす」のです。もちろん、そのためにはトレーニングすることも大事です。

(略)中高年者の最大酸素消費量の低下は、主に加齢による大腿筋力の低下によって引き起こされるので、トレーニングによってその筋力が改善すれば、それに比例して最大酸素消費量も向上する。また、筋肥大が起きると運動時の血液から筋肉の酸素の移動速度が上昇する。そして、筋力さえ改善すれば、それに追随して心肺機能も改善するということである。


年齢を問わず、運動形態を問わず、最大酸素消費量の60~70%に相当する「ややきつい」「きつい」と感じる運動を、一日15~30分間、週3~4日、5ヵ月間おこなえば、大腿筋力、最大酸素消費量が10~20%増加する。


一方で、トレーニングだけでなく体重も落とせば、最大酸素消費量の数値の改善も見込まれるのです。もちろん、体重が落ちると、心臓だけでなく膝の負担を減らすことにもなるので膝痛予防にも役立ちます。

余談ですが、登山を趣味にする人の3分の1が60歳以上という登山者が高齢化している現在、遭難の多くも高齢化に伴う疲労が原因だと能勢教授は書いていました。

遭難の多くは疲労が原因で、それは加齢による体力の低下によると考えてよい。したがって、登山中の事故や怪我を防ぐには、自分の体力を客観的に把握し、それに合った山を選び、登山計画を立てることが非常に重要である。


能勢教授は、加齢現象は「何年もかけてゆっくり起こるものだから、ほとんど自覚症状がなく『いつまでも若いつもり』という、登山で遭難にむすびつく『大きな勘違い』が起こる」と書いていました。

前に山で会ったビジターセンターの人は、「年寄りのハイカーは無茶をする人が多いんですよ」と言っていましたが、ヤマレコなどでもよく見かける「オレは若いんだ」「若い奴には負けないぞ」と言わんばかりに「無茶をする」高齢のベテランハイカーこそ遭難予備軍と言うべきかもしれません。

話は戻りますが、私の場合、どうしてこんなに回復が遅れているのか、あたらめてドクターに訊いてみました。ドクターが言うには、症状は千差万別なので、早い人も遅い人もいると言っていました。それに、もうひとつは、私は身体が大きくその分体重も重いので治るのに不利な面はあるとも言っていました。さらに、「これは仮定だけど」と前置きして、もしかしたら半月板を痛めてそれが回復を遅くしている原因になっているかもしれないとも言っていました。

そう言えば、総合病院でも半月板を少し痛めていますねと言われました。ただ、ドクターが言うには、半月板はレントゲンではわからずMRIでないと損傷の有無は確認できないそうです。ところが、私もMRIで精密検査をするために総合病院に行ったのですが、総合病院ではレントゲンしか撮らず、それで半月板も少し痛めていると言われたのです。あれも変な話です。

また、ドクターは、昔は半月板損傷だと損傷した部分を切除する手術をしていたけど、今は保存療法が主流になっていると言っていました。どうしてかと言えば、手術をして30年経ち高齢化した元患者たちの追跡調査をしたところ、手術をしてない一般の人たちに比べて手術した人の方が変形膝関節症になる割合が高いことがわかったからだそうです。軟骨を切り取るわけですから当たり前と言えば当たり前の話ですが、そのために一律に手術をするのはやめたそうです。

来月あたりから軽いハイキングと言うか、昔よくやっていた山の散歩を始めようかなと思っていますが、ともあれ、何事においてもダイエットが大事という話をあらためて突き付けられた気がしました。
2021.09.16 Thu l 健康・ダイエット l top ▲
ビートたけし(北野武)の乗った車が今月の4日、TBS構内で「つるはしを持った男に襲われた」という事件がありました。

朝日新聞デジタル
ビートたけしさんの車つるはしで襲う 小刀所持容疑で40代男を逮捕

通報でかけつけた警察官に逮捕された男は、「突然つるはしで襲いかかり、車のフロントガラスや運転席の窓ガラスなどを割った」そうで、「容疑を認めているが、つじつまの合わない供述もしており、署が慎重に調べている」と記事は書いていました。

私は、最初「つじつまの合わない供述」という箇所を読んで、芸能人によくある「責任能力の有無も含めて捜査する」類の事件なのかと思ったのですが、しかし、最新の記事によれば、逮捕された男は、「指定暴力団住吉会系の組関係者であることが」わかったそうです。一方で、「事件に暴力団が絡んだ形跡はなく、組織性も確認できない」とも書いていました。

朝日新聞デジタル
車襲撃「弟子入り志願、無視」

現役の暴力団員が弟子入りを志願して無視されたので襲ったというのは、たしかにつじつまの合わない奇妙な話です。もちろん、個人的な誇大妄想ということも考えられますが、一方で、闇社会からのなんらかのメッセージ、警告だったのではないかという疑念も拭えません。「弟子入り志願」というのも、考えようによっては不気味なことばです。過去には大手芸能事務所に銃弾が撃ち込まれた事件もありましたが、闇社会の住人にとって、こういったやり方は別にめずらしいことではないのです。

私がそんな穿った見方をしたのは、ニュースを見てとっさに1992年の参院選に新右翼の大物が参院選挙に出馬した際、麻布十番で行われた記者会見の席に、たけしが横山やすしらとともにひな壇に座っていた光景を思い出したからです。娘が芸能界にデビューした際も、発表会見の席に「大物右翼」が同席していたそうです。でも、それらは、『噂の真相』など一部のメディアを除いて、大手のメディアは報じていません。

今回の事件も、襲撃したのが「住吉会系の組関係者」であることを伝えたあと続報が出ていません。なにしろ、たけしは報道番組のレギュラーまで持つ大物芸人なので、このまま尻切れトンボで終わる可能性もあります。しかし、今回の事件で、たけしの身辺に、今なおきな臭いものが漂っている気がしたのは私だけではないでしょう。

たけしのような大物芸能人が収録を終えて帰る際、彼らが乗ったベントレーやロールス・ロイスやベンツを見送るために、番組の担当者らが玄関先にずらりと並び、深々と頭を下げている光景を見たことがありますが、ああいった大仰な光景もなんだかヤクザのそれと似たものがあります。下の者が上の者の楽屋に、卑屈なほど平身低頭して挨拶まわりするのも同じですが、報道機関でもあるテレビ局には未だそういった芸能とヤクザが密着していた時代を彷彿とするような慣習を許容する空気があるのです。それでは、島田紳助ではないですが、後部座席に座っている大物芸能人がますますふんぞり返り、ヤクザまがいのふるまいをするようになるのは当然でしょう。芸能人が独立するとどうして干されるのかという話でも何度も書いているように、テレビ局がそうやって芸能界をアンタッチャブルなものにしているのはたしかなのです。

若い頃、仕事の関係で取引のあった会社が、売掛金を回収するのに苦労して、あろうことかヤクザに回収を頼んだということがありました。ところが、それ以後、事務所にいかつい男たちがたむろするようになり、そのうち実質的な経営権はヤクザに握られ、挙句の果てにはいいようにしゃぶり尽くされて会社が潰されてしまったのでした。上司から、「ヤクザというのは利用したつもりでも利用されてしまうんだ。あんなことしたらおしまいだ。あの会社にはもう近寄るな」と言われましたが、その通りになったのです。

記事によれば、たけしも74歳だそうです。もし今回の事件が単なる個人的な誇大妄想でないとしたら、残り少ない人生も安閑としてはいられないでしょう。自分で蒔いた種とは言え、「私は過去を忘れても、過去は私を忘れてくれない」のです。メディアは忘れたふりをしてくれるけど、過去は容赦なくいつまでも追いかけて来るのです。


関連記事:
ビートたけしの虚像
水道橋博士
2021.09.07 Tue l 芸能・スポーツ l top ▲
先月の初め、東京オリンピックに関して、下記のような世論調査の結果が出ていました。

讀賣新聞オンライン
五輪開催「よかった」64%…読売世論調査

オリンピックを開催してよかったかという質問に対して、「思う」と答えた人が64%、「思わない」と答えた人が28%だったそうです(残りは無回答)。

開催する前までは、「反対」が80%もあったのです。にもかかわらず、菅総理は、開催してメダルラッシュに感動すると「反対」の声も消えるに違いない、大衆とはそんなものだ、という保守政治家特有の冷徹な大衆観に基づいて開催を強行したのでした。あにはからんや、まったくその通りになったのです。

ただ、菅総理の目論みが外れたのは、その感動に寝返った世論が内閣支持率の浮揚につながらなかったという点です。新型コロナウイルス、特にデルタ株による感染拡大は、大衆にとってかくも切実な出来事だったと言えますが、その意味では「(総理大臣に)誰がなっても同じ」と言うのはそのとおりだったかもしれません。悪い冗談ですが、仮に枝野内閣だったとしても、菅内閣と同じ運命を辿ったのは間違いないでしょう。

何が言いたいのかと言えば、あたらしい内閣になれば、オリンピック開催で寝返ったと同じように、世論も高い支持率に変わるのは火をみるより明らかだということです。反転なのか豹変なのかわかりませんが、同じ自民党政権であるにもかかわらず、掌を返したように支持率がV字回復するのは目に見えています。菅政権だって1年前の成立時は、70%以上の「稀に見る」高い支持率を誇っていたのです。

いくら「反対」の声が大きくても、開催すればメダルラッシュに感動して「賛成」に寝返るという保守政治家の大衆観は、裏を返せば大衆は単純でバカだということなのですが、それは間違いなく真実を衝いているのです。

「菅降ろし」という自民党内の権力抗争も、つまるところ、顔をすげ替えれば支持率が回復するという鉄壁の”法則”があるからにほかなりません。そこにあるのは、どうしようもない(としか言いようのない)単純でバカな大衆の存在です。それが旧態依然とした保守政治の半永久的な独裁体制をもたらしているのです。

支持率低迷で窮地に陥った菅総理が、内閣改造で局面を打開するために、同じ神奈川県選出の麻生派の河野太郎を要職に起用できないか、麻生太郎にお伺いを立てたら、麻生が「おまえと一緒に、河野の将来まで沈めるわけにいかねえだろ」と「声を荒らげた」そうで、それでにっちもさっちもいかなくなった菅総理は辞意を決意したと言われています。首相経験者とは言え、内閣の一員でしかない財務大臣が最高権力者の総理大臣をお前呼ばわりして怒鳴り付けるなんて、日本はなんと民主的な国なんだと思えなくもありませんが、まさにそこにあるのは丸山眞男が言った「番頭政治」の哀しくも切ない光景と言えるでしょう。

前川喜平

来る総裁選の立候補予定者の顔ぶれについて、前川喜平氏は上記のようにツイートしていましたが、しかし、このなかにはもうひとり、安倍晋三の支持表明で俄かに注目されるようになった高市早苗氏が欠けています。信じ難い話ですが、安倍に加えて麻生が支持すれば、憲政史上初の女性宰相も「夢ではない」とさえ言われているのです。高市氏が加わったことで、今回の自民党総裁選は、文字通り「凡人、軍人、変人、〇人」の戦いになったのです。

高市早苗氏は、韓国の情報機関の工作員だったという前代未聞なスキャンダルに見舞われているあの”極右の女神”ともども、ネトウヨから熱烈に支持されている狂信的な右翼思想の持ち主です。そんな高市氏が総裁選で”台風の目”になっているというのは、保守政党としての自民党の劣化を象徴していると言えますが、そうなると、だから自分たちこそが自民党に代わる真の保守政党だという立憲民主党の声がいちだんと高くなるのもいつものことです。菅総理の突然の辞任で、急遽「野党共闘」に戦略を変えつつあるみたいですが、かつて枝野幸男代表は、「正当な保守は我々だ」と朝日のインタビューで明言しているのでした。

朝日新聞デジタル
枝野氏「自民は『革命政党』、正統保守は我々」

こんな野党があるでしょうか。自民党が右へ行けば行くほど、野党第一党もそれに引きずられるように右へ移動しているのです。明確な対立軸を示すこともなく、有権者に提示する選択の幅をみずから狭めている野党第一党の責任はきわめて大きいと言わざるを得ません。立憲民主党の存在は、単に保守政治のトートロジー(同義反復)でしかないのです。

日本では、いつの間にかフランスやイタリアやスペインなどのような激しいデモが見られなくなりました。街頭で目立つのは、中国と同じような市民を監視するカメラばかりです。それは、ホントに平和でいいことと言えるのでしょうか。その結果、与党も野党もほとんど変わらない、オレこそが正当な保守政党だと保守の正当性を競うような、文字通り翼賛的な議会政治しか存在しなくなったのです。そして、政権の顔をすげ変えることが政治を動かすことだというような、冗談みたいな政治がまかり通っているのです。一方で、「アウシュビッツ行きの最終列車に乗る」とヤユされたようなリベラル左派の立憲民主党への合流によって、地べたの社会運動がどんどん潰されている現実もあります。

ちょっと古いですが、ヨーロッパでの急進左派(新左派)の台頭について、下記のような記事がありました。

Yahoo!ニュース
今井佐緒里
日本には存在しない欧州の新極左とは。(3) EUの本質や極右等、欧州の今はどうなっているか

この記事が書かれたのが2018年で、その後、この記事で紹介されていた「極左」=急進左派も、議会のなかで存在感が増すにつれ、理想と現実のはざまで苦悩しているのはたしかですが、しかし、スペインのポデモス、ギリシャのシリザ、フランスの「不服従のフランス」、ポルトガルのブロコなどは、いづれも火炎瓶が飛び交うような街頭闘争のなかから生まれた政党(党派)で、今でも街頭での大衆運動に支えられていることには変わりがありません。記事にも書いているように、この超格差社会のなかで上か下かという視点に立てば、コミュニズムの「『人民の平等』『富の平等』の精神」が現代的意味を持つのは当然でしょう。

日本でこんなことを言うと、過激派か誇大妄想狂のように思われるのがオチですが、この弛緩した状況を打破するためにも、社会の変革を大胆に求める急進左派の出現が日本でも待ち望まれるのです。『人新世の資本論』ではないですが、あきらかに資本主義が臨界点を迎えている現在、「3.5%」の人々がみずから声を上げて既存の政治に異議申し立てを行うことで、上級国民の社交場と化したような今の議会政治に活を入れる必要があるのです。顔を変えて支持率回復を目論むという、こんな有権者をバカにした(バカな有権者を前提にした)政治なんてあり得ないでしょう。


関連記事:
『左派ポピュリズムのために』
日本で待ち望まれる急進左派の運動
2021.09.05 Sun l 社会・メディア l top ▲
アメリカのアフガニスタン撤退こそ、これからの世界の行く末を示した出来事はないでしょう。それは、今までも何度も言ってきたように、アメリカが唯一の超大国の座から転落して世界が多極化するということです。

バイデン大統領は、戦争の終結を宣言した演説のなかで、現在もまだ100~200人のアメリカ国民がアフガンに残っているにもかかわらず、退避作戦は「大成功だった」と胸を張ったそうです。どう見ても惨めな負け惜しみと言うしかありません。アフガンに残っているアメリカ国民に対しては、期限を設けずに退避を支援することを約束したそうですが、もちろんそれも”カラ約束”になる可能性があります。

退避作戦の混乱を見れば、100~200人のアメリカ国民は置き去りにされたと言った方が正しいでしょう。どんな負け惜しみを言おうが、あわてふためいて逃げ帰ったのは誰の目にもあきらかなのです。つまり、私たちが見ているのは、パクス・アメリカーナの終焉という世界史的な転換の光景なのです。

カブールの国際空港近くで発生した「イスラム国」の分派組織の自爆テロに対する報復として、アメリカ軍がドローンによる無人爆撃を行ない幹部2名を殺害したと発表しましたが、それもアメリカが一方的に発表しただけでホントに幹部を殺害したかどうかもわからないのです。なんだかむなしい最後っ屁のように思えなくもありません。

タリバンとアメリカの間で秘密協定が結ばれ、タリバン兵が付き添って、カブール空港の秘密の通路からアメリカ兵を脱出させたいうニュースもありますが、もし事実なら、アメリカにとってこれほどの屈辱はないし、アフガンからの逃走が9.11に匹敵するほどのトラウマになるのは間違いないでしょう。

民主主義を守るためにテロを撲滅するという大義名分のもとに、20年も侵略しつづけたアフガンからの逃走が示しているのは、アメリカが世界の警察官の役割を果たせなくなり、文字通り「世界内戦の時代」が終わりを告げたという事実です。そして、何度もくり返しますが、世界は間違いなく多極化するのです。

既に7月に、アメリカ撤退後を睨んで、タリバンの代表団が北京を訪問して中国政府と協議していることからもわかるように、中国がアジアの盟主になり、同時に北東アジアではロシアもその存在感を増すようになるでしょう。超大国の座から転落したアメリカがアジアから撤退するのも、近い将来俎上にのるでしょう。

全体主義か民主主義か、善か悪かなどという価値観に関係なく、世界が多極化して流動化し、これから世界史が大きく塗り替えられるのは間違いないのです。もとより、イスラム諸国や中国共産党の価値観が、私たちのそれとはまったく別個のものであるのは言うまでもありません。

アフガン侵攻の失敗が示しているように、イスラム教の国にアメリカの民主主義を押し付けようとしたこと自体が”帝国”の思い上がりだったのです。アメリカやヨーロッパの価値観が絶対視される時代も終わろうとしているのです。私たちのようなアメリカ式価値観にどっぷりと浸かった人間にとっては、悪夢のような時代の到来に思うかもしれませんが、しかし、時代の流れ、世界史というのは本来そういうものでしょう。

古い言い方をすれば、多極化した世界では、イスラム思想や中華思想や大ロシア主義が台頭し、中国から「東夷」などと呼ばれる東アジアの端に連なる小さな列島の国は、これからそういった異世界のイデオロギーに翻弄されることになるでしょう。

一方、今回のアフガン撤退に伴う退避作戦では、日本は、下記のリテラの記事に書いているとおり、敗戦時、関東軍の幹部たちが自国民を置き去りにしていち早く逃げ帰ったのと同じことをくり返していたのです。

日本政府は、アフガニスタンに残っている民間日本人と日本大使館や国際協力機構(JICA)など日本の関係機関で働いていたアフガン人スタッフら約500名を退避させるために、自衛隊員260名とともに、自衛隊のC2輸送機1機とC130輸送機2機、それに政府専用機1機を、パキスタンの首都イスラマバードに派遣しました。カブール空港からイスラマバードまで自衛隊機でピストン輸送し、そこから政府専用機で日本国内に運ぶ作戦でした。

ところが、イスラマバードに運ぶことができたのは日本人1名とアフガン人14名だけでした。しかも、アフガン人の14名は旧政権の関係者で、アメリカ軍から依頼されてついでに乗せただけで、関係機関の現地スタッフではありません。実質的に退避できたのは1名だけなのです。たとえは悪いかもしれませんが、文字通り大山鳴動して鼠一匹のような話で、あとは見捨てられたのです。どうしてこんなことになったのかと言えば、先の敗戦時に、民間人や下級兵士を置き去りにして満州からいちはやく逃げ帰った関東軍の幹部たちと同じように、現地の大使館員たちが、アメリカ軍のヘリで我先に逃げたために、現地のオペレーションがまったく機能しなかったからです。

  本サイトでも28日に報じたとおり、日本の大使館員は民間人とアフガン人スタッフを残して、真っ先に退避。カブールが陥落した15日、岡田隆アフガニスタン大使はすでにアフガニスタン国内にはおらず、日本人の駐アフガニスタン大使館員12人も17日に全員、英軍機で出国した。

 イギリスやフランスなど他国の大使や大使館員は退避せず、空港内に大使館機能を移転し、アフガン人のためにビザを発給し続けるなどしていたという。また390人のアフガン人退避に成功した韓国も、一旦退避した大使館員がアフガン人救出のためにカブールに戻り、空港までの移動手段となるバスの確保や現地スタッフへの連絡など現地のオペレーションに動いていた。

 ところが、日本の大使や大使館員たちは自分たちだけとっとと先に逃げて、こうした救出作業を放り出していたのだ。

リテラ
アフガン500人置き去り、英仏や韓国は残ったのに日本大使館は先にトンズラ


韓国やイタリアやフランスなどは、希望する人たちの退避を成功させ、28日の時点で大半が作戦を終了していました。日本のお粗末さだけが際立っています。

しかし、日本国内では、退避作戦が失敗したのは、自爆テロで空港に向かうことができなかったからだとか、対応が遅れたのは、自衛隊法が障害になったからだとか憲法の制約があったからだなどと、安倍晋三を彷彿とするような言い訳ばかりが飛び交っており、大使館員たちの無責任さを指摘する声はほとんど聞かれません。そうやって自己を慰撫し不作為に開き直るのは、先の戦争からずっと続いている日本のお家芸とも言うべきものです。もちろん、そこにあるのは、戦前戦後も変わらずこの国を貫く”無責任体系”の露わな姿です。

挙句の果てには、地に堕ちた”帝国”のアメリカと一緒になって、タリバン政権は退避作戦に協力するべきだという共同声明を発表して、馬の耳に念仏のようなお題目を唱えるだけです。しかし、アフガンの現地では、歌舞はイスラム法で禁止されているという理由で、著名な民謡歌手が有無を言わさず銃殺されるようなことが既にはじまっているのです。これでは取り残された人々の運命も押して知るべしでしょう。日本政府に見捨てられた彼らが、外国勢力の協力者として、斬首や銃殺などの残酷な方法で「処刑」される可能性はきわめて大きいと言えるでしょう。

国連の安保理がどんな声明を出そうが、多極化した世界ではカエルのツラにションベンなのです。世界が溶解し、デモクラシーやヒューマニズムも単なる・・・ひとつの価値観にすぎないような時代が、私たちの前に訪れようとしているのです。そのことだけは肝に銘じた方がいいでしょう。
2021.09.01 Wed l 社会・メディア l top ▲
髪が伸びてうっとうしくてなりません。床屋に行きたいのですが、感染が怖くて行けないのです。と言うのも、私が行く床屋の主人が感染に関してはまったく無頓着で、髪を切っている間も、マスクもしないで、唾を飛ばしながら大声で喋るので怖くてならないのです。

マスクをして下さいと言うと、「神経質ですなあ、大丈夫ですよ」と千葉真一のようなことを言う始末です。挙げ句の果てには、理容組合も感染対策がうるさいので面倒になって脱退したそうで、私は、その話を聞いて身の毛もよだつ気がしました。当然、お客さんは目に見えて減っています。

じゃあ、行かなければいいじゃないか、他の店に行けばいいだろうと思うかもしれませんが、近所付き合いもあってなかなかそうも行かないのです。急に来なくなったお客が舗道の向こうからやって来て、自分に気付いたら踵を返して来た道を戻って行った、という話をしていましたが、踵を返した人の気持もわかる気がします。

なんだか悪口を書いているようで(たしかに悪口なのですが)気が引けるのですが、特にデルタ株の感染拡大においては、このように”親しき隣人”に対しても、いつの間にか必要以上に警戒して邪険にするようになっている自分がいます。一方で、「正しく怖れる」「自分の身は自分で守る」ためには仕方ないと思ったりもするのですが、そう思うことが悩ましくもあります。

コロナ禍で人間関係がトゲトゲしくなったなどと言われますが、かく言う私も例外ではないのです。と言うか、むしろ自分からそう仕向けているような感じさえあります。

電車に乗っていても、電車のなかの乗客たちのふるまいに、いつも顔をしかめて見ている自分がいます。駅に着きドアが開くと、まだ降りている乗客がいるのももどかしいとばかりに車内に乗り込んできて、空いてる席に突進する乗客。まるで犯人を捜す刑事のように車両の間を渡り歩いて、空いている席を探しまわっている乗客。私は、この手の人間たちを「電車の座席に座ることが人生の目的のような人々」とヤユしてきましたが、こういう人たちに「正しく怖れる」「自分の身は自分で守る」などと言っても、所詮は馬の耳に念仏のように思えるのです。

そんな電車内の光景を見るにつけ、スーパーでレジに並ぶのに間隔を空けるように床にラインが引かれていたり、病院の待合室などでひとりづつ間を空けて座るように座席に✕印が付けられていたりするのは、まるで冗談のように思えてきます。

通勤電車に関しては、「密」ということばは完全に死語になっています。新型コロナウイルスの感染が取り沙汰されてもう20ヶ月が経ちますが、テレワークの推進などというお題目を唱えるだけで、肝心要な通勤電車は相も変わらず放置されたままなのです。

伊勢丹新宿店で7月中旬から8月中旬にかけて150人以上のクラスターが発生したとか、新宿駅東口のルミネエスト新宿店でも59人が感染し臨時休業したというニュースがありましたが、それも元をただせば通勤電車内の感染のように思えてなりません。他のデパートやテナントビルにおいても、伊勢丹やルミネのようにクラスターにまでは至ってないものの、感染者はひきもきらず発生しているのです。しかも、感染している売場は、役所が言うように食品売場に限った話ではないのです。どう考えても、接客で感染したというより、通勤時に電車内で感染したとしか思えないのです。

スマホ中毒みたいな人間たちが、ただスマホを操作するために、少しでも座席に隙があると身体をねじ込んでいる光景も相変わらずです。彼らは感染防止より目の前のSNSのやり取りやゲームの方が大事なようにしか思えません。

私が日常的に使っている電車の沿線にも、若い女性向けの洋服や雑貨の店が軒を並べる有名な商店街がありますが、新型コロナウイルスが発生する前から、その駅で降りる如何にもショップ店員のようなオシャレな女性たちに、スマホ中毒の「電車の座席に座ることが人生の目的のような」タイプの人間が多いと個人的に密かに思っていました。もちろん、それは偏見なので他人には言えなかったのですが、新宿の伊勢丹やルミネのクラスターのニュースを見てやっぱりと思ったのは事実です。

感染の67%が「家庭内感染」だと言われていますが、でも、「家庭内感染」がどこから来ているのか、誰もあきらかにしようとしません。飲食店をやり玉にあげる前に通勤電車をやり玉にあげるべきではないかと思いますが、それはまるでタブーであるかのようです。

保育園の職員が、保育園でいくら感染防止の対策を講じても、お父さんやお母さんが通勤電車で感染してそれを家庭に持ち帰り、園児が感染して(無症状のまま)登園すればこの感染対策は何にもならないのですよ、と言っていましたが、まったくその通りでしょう。デルタ株では、子どもの間でも感染が広がっており、保育園や幼稚園、それに小中学校や高校、学童クラブなどでもクラスターが発生しています。その多くも通勤電車などから持ち込まれた「家庭内感染」が元になっているように思えてならないのです。

職場の感染対策も、建前とは別に、現実は仕事優先でおざなりな場合も多いのです。道を歩いていると、道路の脇に工事用の資材を積んだトラックなどが停まっていて、運転手たちが時間つぶしに立ち話をしている姿を見かけますが、見ると運転手たちはマスクをしてないか、あるいは鼻マスクで、煙草を吹かしながら大声でバカ話をしている場合が多いのです。これだけ新型コロナウイルスの感染が言われ続けてもなお、そういった光景が当たり前のように存在するのです。どうしようもないのは、深夜の繁華街の若者だけではないのです。

デルタ株の感染爆発はもはや他人事ではなく、身近な問題です。近所のスーパーなどでも感染者が次々と出ています。それも、症状が出たり、あるいはPCR検査をしたからあきらかになっただけで、どう考えても、氷山の一角のようにしか思えません。

自治体が発表する新規感染者数は、あくまで検査数に応じた数字にすぎず、市中の実際の感染者数を表すものでないことは誰でもわかります。前から言っているように、欧米並みの検査を行なえば、欧米並みかそれ以上の感染者数が出て来るのは間違いないのです。だからこそ、(それでも感染するかもしれないけど)私たちは今まで以上に「正しく怖れる」「自分のことは自分で守る」必要があるのです。それは、自己責任論や「ファシスト的公共性」云々以前の問題だと思います。

一方で、私たちは、現在、医療崩壊の現実を目の当たりにしています。神奈川県は、医療崩壊を防ぐあたらな医療体制を「神奈川モデル」などと呼んで自画自賛していましたが、既に重症病床のキャパシティは90%を超えています。さらに、「自宅療養者」は1万6千人を超え、検査数が少ないため陽性率も38.67%(8/26現在)という信じられない数字になっているのです。神奈川県でひとり暮らしをする私のような人間は、感染することは恐怖でしかありません。

今更言っても遅いですが、だからコロナ専門の病院が必要だったのです。その時間的な猶予は充分あったはずです。にもかかわらず、少ない検査数で新規感染者数を誤魔化して感染状況を過少に演出し、挙句の果てにはGoToトラベルなる感染を克服したかのような愚策まで演じて、今日のような感染拡大と医療崩壊を招いてしまったのです。

受け入れる病院がなく、自宅で死を待つ人々は明日の自分の姿かも知れません。そのため、凡夫の私たちは、感染の恐怖から疑心暗鬼に囚われ、人間不信を募らせているのでした。他人に優しくあれ、温かい眼差しを向けよと言われても、とてもそんな余裕はありません。むしろ、そんなことばも、みずから墓穴を掘るお人好しのススメのようにしか聞こえないのでした。
2021.08.28 Sat l 新型コロナウイルス l top ▲
不遜な言い方に聞こえるかもしれませんが、横浜市長選の結果については、特に感慨はありません。何度も言うように、とにかく「日本一大きな田舎」を仕切る「村社会」に風穴を空けなければどうしようもないと思っていますので、そのことに興味があるだけです。今回の選挙結果が蟻の一穴になるかどうかはまだわからないのです。

今回山中竹春候補を担いだ立憲民主党も、かつて(そして今も?)「村社会」の一員だったということを忘れてはならないのです。少なくとも、ついこの前まで林市政の与党として林前市長を支えてきた夫子自身の総括は何もしてないのです。それどころか、林前市長の”製造者責任”さえあるでしょう。党名を変えたから免罪されるというものではないのです。それでは、連合や自治労やあるいは市関係4労組のような獅子身中の虫に掻きまわされて元の木阿弥になるのがオチだと思います。「市民自治の復活」と言うのはあまりにも能天気すぎるのです。

むしろ、今回の市長選を一歩下がったところから見ると、選挙結果とは別にいろんなことが見えて興味をそそられました。たとえば、立憲民主党の事なかれ主義をどう捉えるかということにも関係しているのだと思いますが、山中竹春候補と田中康夫候補を支持する左派リベラルの間で、それぞれ「左の全体主義(ファシズム)」VS「限界系左翼」という罵り合いがくり広げられたこともそのひとつです。それは、選挙が終わった今もつづいています。

そこにあるのは、吐き気を催すようなきわめて古い政治の風景です。今になればどんなことでも言えますが、やはり、60年代後半の運動(大衆叛乱)を正しく検証していない(する気がなかった)人間たちのお粗末さ、滑稽さが露呈されているように思えてなりません。彼らは、過激派が内ゲバで自滅してざまあみたいな既成左翼の見方をただ無定見に踏襲しているだけです。そんな同病相哀れむような罵り合いに対しては、党派に随伴することでしかみずからの政治的主張を表明することができない不幸と恐怖を考えないわけにはいきません。

私は天邪鬼な人間なので、こういう選挙結果になったら、今度は逆に林前市長の功績を考えてみたくなりました。操り人形でも操り人形なりの功績が何かあったのではないか。そう思ってSNSを見ていたら、横浜市民の方のツイッターで、林市長になってから職員の対応が良くなったのはたしかだというツイートが目にとまりました。もしかしたらこのブログにも書いたかもしれませんが、私も同じことを思いました。それまではホントにひどかったのです。何をしているかわからない職員もいました。ちょうどラスパイレス指数で横浜市の職員の給与が日本一になった頃だと思いますが、私自身横浜に引越したばかりだったので、まだこんな役人天国の世界が残っていたのかとびっくりした覚えがあります。職員の対応が良くなったというのは林市政の数少ない功績のひとつと言えるでしょう。

それからもうひとつ天邪鬼ついでに言えば、任期最後の今月4日の定例記者会見での林前市長の次のような発言にも感心しました。

(略)3期12年にわたり行ってきた定例会見の意義について「市にとって必要な役割。次の市長になる方も記者会見を大切にしてほしい」と述べた。
(略)
「本当に厳しい質問が毎週のようにあった。私自身は行政をやる上での姿勢を果たすとともに、反省する機会にもなった」と振り返った。
(略)
定例会見は厳しく自分を律する場でもあったとして「記者は遠慮せずにぶつけてくれる場であってほしい」と期待した。

Yahoo!ニュース
カナロコ(神奈川新聞)
【横浜市長選】横浜・林市長が任期中最後の会見「次の市長になる方も記者会見を大切に」


少なくとも菅総理や、今の自民党を牛耳る安倍・麻生・二階の三○○大将には間違っても望めない発言でしょう。

その菅総理についてですが、市長選の結果を受けて、政治的に窮地に立ち、自民党内でも「菅降ろし」がはじまるのではないかという見方がいっせいに出ています。しかし、三〇〇大将が牛耳る今の自民党の党内力学はそんな単純でヤワなものではないでしょう。なにより菅総理自身が、そうなればなるほど自他ともに認める鋼のようなメンタルの強さを発揮するはずです。それは、換言すれば厚顔無恥ということですが、政治屋に厚顔無恥なんてことばは通用しないのです。むしろ、厚顔無恥であってこそ政治屋なのです。本人は、「叩き上げだから打たれ強い」という自己に対する迷信をさらに深めて、政治屋の本領を発揮するに違いありません。

菅総理に関しては、下記のプチ鹿島氏の分析がどんな政治評論より的を射ているように思いました。

文春オンライン
《横浜市長選で与党惨敗》「総裁選に勝利して衆院解散に…」とにかく“タフ”な菅首相が“次に期待”し続ける理由

この感染爆発と医療崩壊のなかにあってもなお、「9月12日」という中途半端な緊急事態宣言の期限に見られるように、感染対策より総裁選や解散総選挙のスケジュール(つまり、権力者の都合)が優先されるという政治の末期症状。そこにあるのは、政治家ではなく政治屋の姿です。

横浜市の人事に介入にして「陰の横浜市長」と言われたり、総務省でも意に沿わない官僚を飛ばしたりという、人事権をふりかざして人を支配するその非情さが、コロナ対策にも表れているように思います。

上記のプチ鹿島氏の分析でも触れていますが、朝日の鼎談で、日本学術会議の任命を拒否された加藤陽子氏(東京大教授)は、今の政権が持っている説明責任の欠如について、次のように指摘していました。

加藤 「やはり人事権を握った、官房長官時代からの菅さんと、杉田和博官房副長官のふるまいが大きいと思います。彼らは説明『しない』ことによって、忖度(そんたく)させるという権力の磁場を新たに作った。そういう誤った方向での強い自負があるのではないか」

朝日新聞デジタル
コロナ敗戦から考える「危機の政治」と「政治の危機」


でも、それは中小企業のワンマン経営者などにありがちな裸の王様の手法でしかないのです。言うなれば、中小企業のワンマン経営者が総理大臣をやっているようなものです。

今の菅総理には、自宅に「放置」されひとり死を待つ人々の姿は目に入ってないかのようです。コロナ禍にあっても、コロナ対策より自分の権力の維持が優先される。そんな政治屋が総理大臣になったこの国の不幸を今更ながらに痛感せざるを得ないのです。


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2021.08.24 Tue l 横浜 l top ▲
その後の膝の具合ですが、多少の違和感は残っているものの痛みは完全に引いて、水も溜まらず結構調子がいい状態がつづいていました(過去形)。

先月、整形外科に行った際、ドクターから「ヒアルロン酸も打ち終わったので、今後どうするか。あとワンクール(週1回で計5回)打つかどうかですが、どうしますか?」と訊かれました。

「先生、私が決めるんですか?」
「一応区切りが付いたので、このあとどうするか意向を訊きたいんですよ」

たしかに、水もあまり溜まらなくなったし、違和感が残っているとは言え、痛みもほとんど消えました。恐らく多くの患者は、このあたりでフェードアウトして、整骨院にリハビリに行ったりするのでしょう。私も、このままフェードアウトしてもいいような気がしないでもありません。ドクターも暗に「フェードアウトしていいですよ」と仄めかしているんじゃないかと思いました。

しかし、一瞬迷ったものの、私が下した結論は、ヒアルロン酸をあとワンクール打ってもらうという選択でした。もちろん、あまり効果がないヒアルロン酸を打っても仕方ないと言えば仕方ないのです。しかし、痛みが取れたとは言え、まだ違和感が残っているので病院と縁が切れるのに一抹の不安がありました。それに、湿布薬も、当然ながら病院で処方してもらった方が安く手に入ります。そんな打算もはたらいたのでした。

そして、そのあと、4回(4週)病院に通いましたが、水を抜くことはなく、ヒアルロン酸の注射と湿布薬の処方をくり返しただけでした。

ところが、先週のことです。膝痛とは反対の左足の踵の骨が出っ張っているところが痛くなったのです。その前から少し痛みを感じていたので、「また靴擦れなのか」と思っていました。と言うのも、同じところの痛みは今までも何度かあったからです。しかし一方で、最近、靴をあたらしくしたわけではないのに、どうして急に靴擦れになったんだろうという疑問もありました。

しかも、痛みは日が経つに連れ増すばかりでした。そして、とうとう歩くのもままならなくなったのでした。つま先が上がり脛が伸びた状態になると強い痛みに襲われるようになったのです。また、階段を下る際も、踵に衝撃が加わるからなのか、痛みがひどく、一段一段足を下ろすたびに試練を課せられているような感じでした。骨が出っ張っている部分を指で押すと、頭頂まで貫くような強烈な痛みが走ります。しかし、痛みの部分を見ても赤くなっているだけで、水ぶくれやタコやマメができているわけではありません。どうも靴擦れではないような気がします。

こういうのを疼痛と言うらしいのですが、しかし、疼痛のチャンピオンである尿管結石の痛みを何度も経験している身から言えば、同じ疼痛でも尿管結石のそれとは若干違います。尿管結石は普段の呼吸に合わせたようなズキズキという痛みですが、今回の痛みは運動して呼吸が上がったときのようなテンポの速い痛みです。

それで、膝の診察のついでに、踵も診てもらうことにしました。近所の整形外科は自宅から500メートルも離れてないですが、そこまで歩いて行くのもひと苦労で、100メートル歩くのに10分くらいかかるのです。車椅子があったらどんなに楽だろうと思ったくらいでした。さらに、左足をかばって歩くので、右足の膝にも痛みが出て来る始末でした。

185センチの大男が苦悶の表情を浮かべて両足を引き摺りながら前からやって来るので、舗道ですれ違う人たちは車道に出て私をよけていました。子ども連れの母子は、お母さんが「こっちに来なさい」と子どもの袖を引っ張っていました。すれ違ったあと、うしろを振り返ると、子どもが立ち止まって不思議なものでも見るようにじっと私の方を見ていました。もしかしたら、私のことをフランケンシュタインのように見ていたのかもしれません。

診察室に入って左足のことを話すと、ドクターは「ああ、あとでレントゲンを撮って確認しますが、おそらくアキレス腱で骨が引っ張られて炎症を起こしているんだと思いますよ」と言って、紙に図を描いて説明してくれました。「整形外科に通っているのにまた足が痛くなるなんて、どうなっているんだと思いますよね」と言って笑っていました。

レントゲンを撮るとドクターの説明どおり、アキレス腱とつながっている踵の骨(踵骨)が引っ張られて、膝と同じように骨棘(こつきょく)が生じており、そのために周辺の皮膚に炎症が起きているということでした。治療法は対症療法しかなく、膝とまったく同じで、鎮痛消炎剤の湿布薬を貼り痛み止めの内服薬を飲んで痛みが収まるのを待つしかないそうです。

「よくあることなんですか?」
「結構ありますよ。先週も同じ症状の患者さんが来られましたよ」
「どのくらいで痛みが消えますか?」
「2~3日すれば大概収まりますよ。1週間分の薬を処方すれば、ほとんどの患者さんはそれ1回きりで来なくなりますね」

原因はアキレス腱の使いすぎだそうです。しかし、当然ながら現在、私はまったく運動をしていません。「何か日常生活で思い当たることはないですか?」と訊かれたのですが、なにもないのです。

すると、まるで私の心のなかを見透かしているかのように、ドクターは次のような話をはじめたのでした。

「前に来た患者さんはロードバイクをしている方で、走っている途中でタイヤがパンクしたらしいのです。それでしゃがんでパンクの修理をしたそうですが、その際、地べたにお尻を付けて座るのではなく、両足の踵を上げた状態でじゃがんで修理をしたらしく、それが原因で痛みが出たみたいです。日常のちょっとしたことでも原因になったりするのです。なにか似たようなことはありませんでしたか?」

その話を訊いて、私はドキッとしました。ロードバイクの話で、先日買ったエアロバイクのことが思い出されたのでした。しかし、エアロバイクのことはドクターには言わずに、「うーん、なんだろう?」と首を捻ってとぼけたのでした。

私の部屋は、いつの間にかトレーニング器具が増えてスポーツジムみたいになっているのですが、最近は負荷をかけてエアロバイクを漕いでいました。私は何事においてもやりすぎるきらいがあり、エアロバイクで自分を追い詰める真似事をしたことで、どうやら天誅が下ったみたいです。

ドクターは特に病名を言いませんでしたが、ネットで調べると「アキレス腱付着部症」と言うのだそうです。この「アキレス腱付着部症」は、ランニングする人やバスケットボールのようなジャンプする競技の選手に多いと書いていました。ちなみに、痛みの方はドクターの言うとおり3日くらい経ったらほとんど消えました。ただ、左足をかばっていたためでしょう、右の膝にまた「注射器水1本分」の水が溜まっていたそうで、案の定、それ以来膝の調子がよくありません。

そこで、では、今まで同じような痛みに襲われていたのはどうしてなのか?と考えてみました。このブログでも六ツ石山に登った際、靴擦れが生じた話を書いていますが、ほとんどは今回のように痛みがひどくなることはなく、スリ傷用の塗り薬とバンドエイドを貼っていたら自然と消えました。

つまり、六ツ石山が典型なのですが、急登でアキレス腱が伸び骨が引っ張られたために、一時的に痛みが出たのでしょう。「アキレス腱が痛くなるほどの急登」というのはこういうことだったんだ、と初めて合点がいったのでした。ブログではノースフェイスの靴が靴擦れの原因ではないかと書いたように記憶しますが(そのために靴を買い替えたのですが)、靴は関係なかったのです。

私の場合、このように勝手な思い込みで間違った対策を講じて、あとで後悔することがホントに多いのです。素人の浅知恵とはよく言ったものだとつくづく思います。

こうして膝や踵などの痛みを経験したことで、多少なりとも正しい知識を身に付けることができた気がします。それは、文字通り怪我の功名というべきかもしれません。同時に、今まで如何に間違った考えを持っていたかということを痛感させられたのでした。
2021.08.22 Sun l 健康・ダイエット l top ▲
横浜市長選は、今日(8月21日)が選挙運動の最終日で、明日が投票日です。それで一応、情勢に関する記事を書いておきます。

ちょうど1週間前の8月14日に神奈川新聞が下記のような記事を掲載して、地元では大きな衝撃をもって受け止められました。

カナロコ(神奈川新聞)
世論調査:山中氏先行、追う小此木氏 林・松沢・田中氏続く

で、この1週間で情勢がどう変わったのか。各メディアの出口調査によれば、「巻き返し」どころか逆に「引き離した」「引き離された」という声が多いようです。また、前の木下ちがや氏の文言にあるように、文字通り「脅迫と粛清の嵐」のすさまじい「切り崩し」のなかで、切り崩された候補はとうとう先頭争いから脱落したという報道もあります。「村社会」の”暗闘”が、”暗闘”どころか白日下の内ゲバにまでエスカレートしたことで、「引き離した」候補が益々漁夫の利を得たという側面はたしかにあるでしょう。

もちろん、デルタ株の感染拡大が追い風になったのも間違いありません。「災害級の感染拡大」「今まで経験したことのない事態」などと言いながら、オリ・パラを開催し、トンチンカンな自粛要請をくり返すだけの菅政権に対する反発が、地元の市長選で「側近中の側近」の苦戦になって示された(言うなれば意趣返しされた)と言えなくもないのです。

さらに横浜市の感染対策のお粗末さがそれに輪をかけています。10万人当たり感染者数では、沖縄県・東京都・神奈川県の三県が上位を占めていますが、横浜市の一日の新規感染者数も最近は千人の大台を越えるようになってます。また、神奈川県の「入院率」は公式では9%(入院が必要な患者100人のうち9人しか入院できない)と発表されていますが、実際はもっと深刻で感染して重症化しても病院を見つけるのは至難の業だ、最初からあきらめるしかないと公然と言われているのです。つまり、完全に医療崩壊を招いているのです。医療崩壊というのは、手っ取り早く言えば「放置」です。感染しても病院に入れず「放置」されるというのは、新型コロナウイルスは風邪と同じというネトウヨのような陰謀論者ならいざ知らず、リアルな日常を生きる真っ当な市民にとってはきわめて深刻な話で、それが市長選の情勢に反映されるのは当然と言えば当然でしょう。

そんななかで、横浜市ではワクチン接種も遅々として進んでいません。知り合いの50代後半の人は、まだ接種券も届いてないと嘆いていました。ワクチンも打てない、感染しても病院にも入れない。もう踏んだり蹴ったりというのが実情なのです。

ただ一方で、「危ない」と言って危機感を煽るのが選挙の常套手段でもあり、「引き離した」「引き離された」という報道は額面どおりに受け取れないという慎重な声もありました。

元町のバッグの「キタムラ」の社長がIR推進の候補を応援しているのは横浜では有名な話ですが、その「キタムラ」では「脅迫と粛清の嵐」のなかで不買運動に見舞われ、社長が憤慨しているというオチまでありました。

Yahoo!ニュース
SPA!
横浜市長選で小此木氏失速、菅首相の「全面支援」がマイナス要因に

政治と宗教の話がタブーだというのは商売のイロハです。商売のイロハを忘れた5代目経営者には当然のツケと言うべきかもしれません。かつてハマトラをけん引したおしゃれブランドの社長がIR=カジノ誘致の先頭に立っているのは、どう考えてもシャレにならないでしょう。

でも、私は、前も書いたように、「村社会」の蟻の一穴しか興味がありません。とにかく、このチンピラの街に風穴を空けることが肝要なのです。


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2021.08.21 Sat l 横浜 l top ▲
路上生活者についても、たとえばバブルの頃は、私の周辺でも「普通に生活していればあんな風にはならないよね」と言う声がありました。世の中は景気がいいんだから働き口は沢山ある。普通に働いていればホームレスになるわけないという認識があったように思います。

そのため、路上で生活している人たちは、社会的に適合できない、知的障害があったり酒やギャンブルで身を持ち崩したような「特殊な人々」だという見方がありました。「ホームレスは三日やったらやめられないと言うじゃないか」なんて言って笑って見ている人さえいました。

もちろん、それは認識不足による偏見にすぎないのですが、そういった見方をするというのは、私たちのなかにまだ経済的な余裕があったからです。だから、所詮は他人事で異物を見るように見ていたのです。

しかし、現在はそんな見方は少なくなりました。経済的な余裕がなくなっており、ましてこのコロナ禍で、生活が困窮するようになるのは他人事とは言えなくなったからです。

また、コロナ禍だけでなく、労働者の半分以上が派遣など非正規雇用だという、私たちをとりまく労働環境の変化もあります。

先日の小田急線刺傷事件の犯人も派遣で職を転々としていた青年でした。京都アニメ事件の犯人も秋葉原事件の犯人も似たような境遇でした。若くして「人生が詰み」、自暴自棄になって犯罪に走ったという解釈もできなくはないように思います。

先進あるいは中進工業国38カ国が加入するOECDのなかの経済指数を見ても、日本は下落する一方で、社会における所得の不平等さを測る指標であるジニ係数では、韓国より下の16位まで落ちています(2018年)。このように私たちの人生が板子一枚下は地獄のような危いものになっており、生活保護や路上生活ももはや他人事ではなくなっているのです。「普通に生活していればあんな風にはならないよね」とは言えなくなったのです。むしろ、「もしかしたら自分も」と思うような人が多くなっているのは事実でしょう。

ただ一方で、その分”見たくないもの”として激しく排斥しようとする近親憎悪のような心理もはたらくようになっています。似たような境遇だから、明日の自分の姿だからと思うと、寛容になる人と逆に不寛容になる人がいるのです。人間にはその二つの相反する心理が存在するのです。

昔、作家の野坂昭如が「二度と飢えた子どもの顔を見たくない」というスローガンで参院選に出馬した際、五木寛之が自分は「二度と飢えた親の顔を見たくない」と言ったのを覚えています。五木寛之が言うには、目の前にパンが一切れしかない場合、平時だと「お母さんはいいから食べなさい」と子どもに食べさせるけど、飢餓の状態にある非常時だと親は子どもからパンを取り上げて自分が食べようとする。そんな場面を朝鮮半島から引き上げる途中に何度も見たそうです。今は隣人との関係において、それに近いものがあるのではないでしょうか。思いやりとか優しさとかいった寛容の精神は、まだ余裕があった平時の話かもしれないのです。

自分たちのことを考えてみればわかりますが、私たちは、親から結婚資金やマイホームの頭金を出してもらうのが当たり前のような世代でした。じゃあ、今度は私たちが自分の子どもにも同じことができるのかと言えば、もうできないのです。

前も書きましたが、私は九州の高校を卒業しましたが、当時、東京の大学に進学した同級生は100名近くいました。今でも関東圏に住む同級生は60名くらいいます。でも、現在、母校の卒業生で東京の大学に進むのは数名しかいません。それだけ進学するにしても地元志向、そして公立志向が強くなっているのです。どうしてかと言えば、昔のように子どもを東京の大学にやるほどの経済的な余裕がなくなったからです。

一見贅沢な生活をしているように見えますが、しかし、このように確実に余裕がなくなっているのです。それだけ貧しくなっているのです。格差と言うと、じゃあ勝ち組になるようにがんばればいいと思いがちですが、勝ち組は数%の人間しか入れない狭き門です。大半は勝ち組になれないのです。それが格差というものです。格差は間違っても誰でも努力次第で勝ち組になれるような平等な競争なんかではないのです。ジニ係数が示しているのはその冷酷な現実です。

私たちが忘れてはならないのは、経済的な余裕がなくなり社会全体が貧しくなればなるほど、負の感情の「地下茎」が広がっていくというおぞましい現実です。そして、それが優生思想のようなものと結び付き、今回のように突然社会の表面に噴出するようになるのです。

DaiGoの場合はあぶく銭を掴んだので勘違いしたとも言えますが、負の感情の「地下茎」が表面化したという点では、相模原のやまゆり園事件や座間の9人連続殺害&遺体損壊事件の犯人たちの方がわかりやすいように思います。

DaiGoの発言を狂気だと言った人がいましたが、相模原のやまゆり園事件や座間の9人連続殺害&遺体損壊事件の犯人たちについても、なんらかの精神障害を発症しているのではないかという見方がありました。優生思想が社会の表面に噴出したとき、それが狂気のような相貌を帯びているのは当然と言えば当然です。そんな狂気のような相貌を帯びているものが私たちの社会に間違いなく広がっているのです。

「普通に生活していればあんな風にはならないよね」「ホームレスは三日やったらやめられないと言うじゃないか」というのは単なる差別ですが、しかし、経済的な余裕がなくなり彼らの存在が身近になればなるほど、そういった差別意識が地下深くもぐり込んで”狂気の思想”と結び付くようになるのです。合理主義の極致とも言うべき市場原理主義的な考え方も、優生思想と親和性が高いと言えるでしょう。

DaiGoの発言は、そんな狂気の思想が足下でマグマのように溜まっている私たちの社会のもうひとつの顔を浮かび上がらせたとも言えるのではないでしょうか。
2021.08.17 Tue l 社会・メディア l top ▲
メンタリストのDaiGoが、YouTubeの自身のチャンネルで行なった発言が批判を浴びています。それは、「生活保護の人達に食わせる金があるのなら猫を救って欲しい」「自分にとって必要の無い命は僕にとっては軽い」(新聞記事より)などという、生活保護受給者や路上生活者に対する差別をむき出しにした身の毛もよだつような発言です。DaiGoの発言は、相模原のやまゆり園事件や座間の9人連続殺害&遺体損壊事件の犯人たちと同じような優生思想に基づくものと断言していいでしょう。

批判が殺到するなかでも、DaiGoは当初、「命は平等っていうけど優劣は全然ある」、自分は「税金をめちゃくちゃ払ってるから」、自分を叩いている人たちより「彼らのことを保護」しているなどと、挑発的な発言をして開き直っていました。ところが、その翌日、今度は一転して「知識が足りなかった」と反省の意を示し、(メディア風に言えば)「謝罪」の姿勢を見せたのでした。しかし、これはYouTube特有の炎上商法で、「謝罪」もその過程におけるポーズにすぎないという声もあります。

YouTubeは、文字通り丸山眞男が指摘した「タコツボ」化した世界を象徴する(そして低俗化した)ようなプラットフォームで、世間から眉をひそめられる言動や行為もそうであればあるほど、逆にコアな視聴者によって拍手喝さいを浴びるような世界です。実際に、「謝罪」の動画の再生回数は168万(8月15日現在)にものぼり、再生回数に連動したアドセンスやアフィリエイトなどの広告収入も爆発的に増えることが予想されます。ちなみに、DaiGoのYouTubeのチャンネル登録者数は246万人です。

DaiGoは「メンタリスト」という肩書を名乗っていますが、メンタリストとはなんぞやと思ってググると、「メンタル・マジック(mental magic)を行う人」ということばが出てきました。要するに、心理学などを応用したマジック(超能力的な行為)を行なうエンターテイナーというような意味のようです。そう考えれば、炎上から謝罪へ至る一連の流れも、メンタリスト特有のマジック(人心操縦術)と言えなくもないように思います。

DaiGoがこのような暴言を吐いた背景には、この社会の根底に、以前も書いたように、生活保護受給者やホームレスを差別し蔑視する負の感情の「地下茎」(安田浩一氏)があるからでしょう。それが「タコツボ」化したネットで、このようにときおり姿を現わすのです。

Yahoo!ニュース
AERA dot.
「ヤフコメ」は日本の恥? 社内で問題視も「PVが減るから閉鎖できない」〈週刊朝日〉

先日、Yahoo!ニュースに上記のような記事がアップされていましたので、ヘイトの巣になっているヤフコメに対して、ヤフーの社内でも「日本の恥」だという認識が広がっているのかと思って読んだら、なんのことはないオリンピック期間中のアスリートに対する「誹謗(ひぼう)中傷」が恥だと思っているだけでした。

アスリートには罪はない、スポーツは特別だ、というメディアの詭弁に対する反発がSNSなどを通してアスリートに向けられたのはある意味で当然だと思いますが、ヤフーの社内ではそれが「日本の恥」と思っているらしいのです。私は、むしろ、(今までも何度も書いていますが)PVを稼ぐためにヤフコメを使ってヘイトな記事を拡散させる(バズらせる)Yahoo!ニュースこそが「日本の恥」だと思っていますが、ネットの守銭奴たるヤフーの認識はそれとは別のところにあるようです。

言うなれば、DaiGoは、ヤフコメなどに代表されるような負の感情の「地下茎」から出てきたメンタリストならぬトリックスターと言っていいのかもしれません。

ただ、そんな暗澹たる世相のなかで、意外なと言ったら失礼かもしれませんが、ホッと安堵するような反応も見ることもできました。

ひとつは、厚労省の素早い反応です。厚労省は、サイトやTwitterで、「生活保護を申請したい方へ」と題して、「生活保護の申請は国民の権利です。生活保護を必要とする可能性はどなたにもあるものですので、ためらわずにご相談ください」と呼びかけたのでした。

厚生労働省
生活保護を申請したい方へ

もうひとつは、たまたま見つけたのですが、エッセイストの犬山紙子氏が、みずからのTwitterで、上記の厚労省のサイトへのリンクとともに次のようにツイートしていたことです。

犬山紙子
@inuningen

犬山紙子子ツイート

私は、犬山紙子氏については、アイリスオーヤマの社長の娘くらいしか知識はなく(実際は娘ではなく姪だった)、こんな生活保護に対する正しい知識を持っているような人だとはまったく知りませんでした。

ちなみに、憲法25条は、国民の生存権(健康で文化的な人間らしい生活を営む権利)とその生存権を保障するために国家がやらなければならない義務について、条文で次のように謳っています。

第二十五条
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。


私は、個人的に世間一般の人たちよりは多くの生活保護受給者の人たちを見て来たつもりですし、彼らの生活もそれなりに知っているつもりですが、実際に見聞きした経験から言えば、”生活保護叩き”は誤解どころか、犯罪だとさえ言ってもいいくらいです。

極々一部の例外を針小棒大に言挙げして、如何にも生活保護という制度そのものに問題があるかのように言い放つのはきわめて悪質なデマゴーグと言わねばなりません。ネットには、その手のデマゴーグが病的(!)と言えるほど蔓延しています。

このブログでも、”生活保護叩き”について、下記のような記事を書いていますので、僭越ですが、お読みいただければ幸いです。

DaiGoの犯罪まがいの暴言はきびしく糾弾されて然るべきですが、ただ、これを機会に、生活保護やホームレス問題に対する理解が広がれば、不幸中の幸いと言っていいでしょう。そうなることを願ってやみません。

貧困は誰にでもあり得る話です。明日の自分の姿かもしれないのです。DaiGoだって、YouTubeのアカウントを停止されメディアから総スカンを食ったら、自慢していた税金を払うのも困るようになるでしょう。


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2021.08.16 Mon l 社会・メディア l top ▲
横浜市長選は折り返し点に差し掛かろうとしていますが、同選挙を観察している政治社会学者の木下ちがや氏が、こたつぬこのアカウントで開設しているみずからのツイッターで、現在の情勢を次のように表現していました。山中応援団の視点なので、少し割り引いて見た方がいいかもしれませんが、今回の選挙で「村社会」内の”暗闘”が炙り出されたのはたしかなようで、個人的には密かに拍手を送りたい気持でした。と言うか、もうそれしか興味がない。「村社会」に少しでも亀裂が入れば、それが蟻の一穴になるのは間違いないのです。


こたついぬ 横浜市長選

こたつぬこ🌾野党系政治クラスタ
@sangituyama
https://twitter.com/sangituyama
2021.08.13 Fri l 横浜 l top ▲
横浜市長選は、今日告示されましたが、選挙の争点について、下記の朝日の特集がわかりやすくまとめているように思いました。

朝日新聞デジタル
2021横浜市長選挙

たとえば、下記の記事で指摘されているように、横浜市が子どもの医療費の助成が東京23区に比べて遅れているという問題も、横浜の個人市民税が日本でいちばん高い(2021年5月現在)という話につながっているのです。

記事によれば、横浜市の法人市民税の税収は「東京23区の約14分の1しかない」のだそうです。つまり、「横浜市は、東京23区や大阪市に比べて上場企業数が少なく、法人市民税が乏しい」からです。それを日本一高い個人市民税で補っているのです。しかし、横浜市の財政を支える働き盛りの市民たち(主に青葉区や都筑区や緑区や港北区などに居住する、比較的所得が高い”新市民”たち)にも既に高齢化の波が押し寄せ始めています。だから、市の執行部や議会は、「それを補う増収策として、カジノを含む統合型リゾート(IR)の誘致が必要だと説明してきた」のです。私は、これを「チンピラの論理」と呼んでいます。

同上
小児医療費、23区との格差なぜ 横浜市の懐事情を分析

また、横浜市は、「市の財政規模に対する借金残高などの割合を示す将来負担比率は19年度に140・4%と、京都市、広島市に次いで3番目に悪」く、財政再建も喫緊の課題です。IR誘致がその切り札みたいに言われているのですが、一方で、下記の記事にあるように、新市庁舎を筆頭に「大規模な公共施設やインフラ」を次々に手がけ、さらに今後も「巨大プロジェクトが目白押し」なのです。

 市が誘致を進めるカジノを含む統合型リゾート(IR)は民間事業者による開発・運営だが、建設予定地の山下ふ頭周辺は、道路整備などの公費負担が見込まれる。

 同じ横浜港に面したみなとみらい21地区では、バレエやオペラ中心の劇場新設が検討され、用地費を除く建設費などは約480億円と試算されている。

 郊外部の米軍上瀬谷通信施設跡地では、27年の国際園芸博覧会の会場建設費に約320億円、新交通システム整備に約700億円、土地区画整理事業に約600億円が見込まれ、一部は市費が投じられる。

同上
庁舎に劇場構想…ハコモノ新設、突出の横浜 財政は悪化


みなとみらい自体が、30年経った今なお”負の遺産”として重荷になっている状況は何も変わっていません。また、「自治体労働者への攻撃だ」と誹りを受けるかもしれませんが、全国の自治体でトップクラスを誇る市職員の高給も無視することはできません。彼らも(連合神奈川を含めて)間違いなく財政を蝕む「村社会」の一員なのです。

なんだかワクチンで一発逆転の菅政権みたいに、IRで一発逆転を狙っているかのようです。ギャンブルでギャンブルしてどうするんだと思います。

IRという発想自体は、決して新しいものではありません。海外に目を向ければ競争相手はごまんと存在します。国内でも現在7地区が候補地として名乗りをあげており、このなかで3地区が選定されると言われています。

IRの主要な顧客は、言うまでもなく海外の富裕層です。ただ、今回のコロナ禍で見られたように、パンデミックや戦争や自然災害が発生すると、海外からの観光客は一瞬で途絶えてしまうのです。新型コロナウイルスは100年に1度の感染爆発だなどと言われますが、専門家の間では、これから数年単位、あるいは週十年単位で同じような感染爆発は起こり得るという話もあります。

もちろん、賭場ができれば、周辺に闇紳士たちが跋扈するようになるのはいつの時代も同じでしょう。そういった周辺地域の風紀の乱れを懸念する声が出るのも当然です。それに、神奈川県警は不祥事が多いことで有名で、かつて「犯罪のデパート」と呼ばれていたことも忘れてはならないのです。私は前に、横浜市立大出身の馳星周に横浜を舞台にしたピカレスク小説を書いて貰いたいと書いたことがありますが、神奈川県警の数々の不祥事を見ると、オシャレな街・住みたい街のイメージとは真逆の、横浜という街が持つ”特異な性格”を反映しているような気がしてならないのです。

Wikipedia
神奈川県警察の不祥事

IRが一発逆転をもたらすような打ち出の小鼓と考えるのは、あまりにもお気楽な考えと言わざるを得ません。と言うか、ハコモノを作り続けて財政を悪化させた上に、IRで一発逆転して借金をチャラにするみたいな発想は、まさに多重債務に陥ったギャンブル狂のそれと同じです。

市民生活に直結した問題は、子どもの医療費補助だけではありません。これはよく知られた話ですが、横浜市には学校給食がありません。なんと子どもたちから注文を受けて仕出し弁当を配っているのです。朝日の記事が指摘しているように、校舎も改修(補修)もされず古いものが多いのです。ないのは給食だけではありません。横浜には市立(公立)の幼稚園がありません。また、市立の保育園も現在民間に移管中です。でも、市立の大学や高校はあります。まったくおかしな話ですが、しかし、どうして市立の幼稚園がないのか、誰も(市役所も)わからないと言います。そんなバカなというような話が公然とまかり通っているのです。

はまれぽ.com
横浜市立の幼稚園がない理由は?

また、人口377.9万人(7/1現在)の大都市でありながら保健所は市内に1つしかなく、それがコロナ対策の遅れにつながったという指摘があります。65歳以上の高齢者 92.2万人(令和2年現在)のうち半数が一人暮らしという深刻な高齢化の問題もあります。一人暮らしが多いということは、一人分の年金しかないので、それだけ貧困に陥る割合が高いのです。

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寿町(2011/8/7)

70歳以上の市内在住の高齢者を対象に、非課税所帯で一人月4000円(生活保護所帯は3200円)、その他所得に応じて7000円~20500円の自己負担で、市内のバスや市営地下鉄が”乗り放題”になる(ただし、みなとみらい線や相鉄線は対象外)敬老パス(シルバーパス)という制度がありますが、それについても対象年齢の引き上げや自己負担額の引き上げが検討されています。

横浜の場合、東京23区と違って、電車や地下鉄の交通網が発達してないので、駅から遠い地区も多く、移動手段はバスに限られるケースも多いのです。市内を歩くとわかりますが、駅から遠い丘の上にまるで「限界集落」のように取り残された地域もめずらくありません。高齢者が外出する場合、市内を循環するバスはなくてはならないものです。しかも、高齢になると病院通いは必須です。そんな高齢者、特に低所得の高齢者にとっては”命綱”とも言うべき敬老パス(シルバーパス)も、財政悪化を理由に見直しが始まっているのです。

高齢者のささやかな”命綱”にさえ手をつけようとする一方で、次々と計画される桁違いの巨大プロジェクトや全国トップレベルの市職員の給与などは半ば聖域化されており、見直しを求めるような声はあまり聞かれません。

今こそ市民自治による市政のパラダイムシフトが求められているのですが、しかし、横浜市政を牛耳る「村社会」の前では市民の力はあまりにも小さく、そういうもの言いさえ浮世離れした戯言みたいに受け取られるのがオチです。

IRに関しては市民の70%だかが「反対」と言われていますが、オリンピック開催反対と同じで、どこまで本心なのか、私は懐疑的です。市民と言っても、ネットの書き込みに見られるように、「村社会」に従属しているような意識しかなく、市民税や国民健康保険料など負担が増すばかりの市政に対する不満も、”生活保護叩き”と同様”敬老パス叩き”のようなものに向けられているのが現実です。そして、財政再建のためにはIRは必要だとか、IRが誘致されれば横浜のブランド価値が上がるのでマンションの資産価値も上がるなどという、「チンピラの論理」で思考停止している(させられている)市民も多いのです。


追記:(8/11)
告示を受けて、朝日が序盤の情勢分析を行っていました。尚、「有権者の半数強が投票態度を明らかにしておらず、情勢は変わる可能性がある」という文言は、この手の記事の常套句です。

朝日新聞デジタル
小此木氏わずかに先行、山中氏ら猛追 横浜市長選情勢調査
2021.08.08 Sun l 横浜 l top ▲
今週(3日)、横浜市長選に関連して、山下埠頭のIR進出に強硬に反対している”ハマのドン”こと藤木幸夫氏(藤木企業会長)が、外国特派員協会で行った記者会見の模様をYouTubeで観ました。ちなみに、投票用紙は今日届きました。

YouTube
横浜市カジノ誘致に反対 「ハマのドン」藤木氏が会見(2021年8月3日)

会見は藤木氏がみずから申し出て行なわれたそうです。また、会見の司会は、「ビデオニュース・ドットコム」代表でジャーナリストの神保哲生氏が務めていました。

藤木氏は今月の18日で91歳になるそうですが、たしかに年齢を感じさせないパワフルな印象を受けました。しかし、喋っている内容は、”ハマのドン”を意識して自分を大きく見せようとしているのか、多分に自慢話のようなものが多く、正直言って辟易させられました。

IRに反対と言っても、話を聞く限り、みずからの権益に関係する山下埠頭でのIRに反対という風に読めなくもありませんでした。たしかに、ほかでやりたければやればいいみたいな軽口も叩いていました。どうしてもIRを強行するならオープンの日に、会場で切腹自殺すると過激な発言もしていましたが、そういった発言も鼻白むしかありませんでした。

昨日までのIR推進はどこへやら、一転「白紙撤回」を掲げて立候補を表明した小此木八郎氏のことをさかんに「八郎」「八郎」と言ってましたが、藤木氏によれば自身は小此木八郎氏の名付け親なのだそうです。

「当選するのは八郎でしょ」と口を滑らせていましたが、自民党市連が「白紙撤回」の小此木氏で結束しつつあるので、名付け親としてはホッと胸を撫でおろしているのかもしれません。藤木氏は、「野党統一候補」の山中竹春氏の合同選対会議の名誉議長に就任し、「山中氏を全面支援する考えを示した」(朝日)と伝えられていますが、しかし、会見では山中氏に対する支援の話は出ないままでした。

会見の模様を伝えた東スポも、次のように書いていました。

 会見で藤木氏は「山中さんについては何も知りません」とキッパリ。立憲民主党の江田憲司衆院議員に人選を任せただけだという。「そしたら(江田氏が)山中さんを連れてきた。『あんた目が鋭すぎるよ』と言いました。あとから聞くと(山中氏は)いい人だ。でも当選するのは八郎でしょ」とぶっちゃけた。

東スポWeb
横浜市長選 IR招致反対〝ハマのドン〟藤木幸夫氏が断言「やるならオープンの日に切腹する」


藤木氏の話では、田中康夫氏も藤木氏のもとを訪れて「港がついてくれるなら間違いないから」と支援を乞うたのだそうです。

もし藤木氏の話がホントなら、山中氏も田中氏もアウトだと思いました。藤木氏こそ横浜の「村社会」の象徴のような人物で、よりによって支援を乞うなどというのはあり得ない話でしょう。

たしかに、藤木氏のなかに(そしてIRに「反対」する多くの市民のなかにも)、森鴎外が作詞した「横浜市歌」に象徴されるような港町・横浜に対する、”横浜ナショナリズム”とも言うべきパトリな感情が伏在しているのは事実でしょう。しかも、現在の市長は(県知事も)、本来横浜とは何の関係もない、中央の政党(旧民主党)の思惑で他所からやって来た人間です。そんな外様の首長が、みずからの政治的保身のために、市政を食い物にする獅子身中の虫たちと結託して巨大プロジェクトを次々に立ち上げ、市の財政をさらに借金漬けにしてしまったのです。今回のIRもその延長上にあるのは間違いないでしょう。藤木氏の義憤はわからないでもないですが、しかし、小此木氏との関係ひとつをとってもわかるように、「村社会」との関係があまりにもズブズブすぎるのです。

IRに関して言えば、林氏が勝てば計画通り山下埠頭、小此木氏が勝てば山下埠頭は「白紙撤回」して、時間を措いたあとその他の候補地で再度募集、あるいは状況次第・・・・では再びドンデン返しで山下埠頭ということになるのでしょう。もっとわかりやすく言えば、時期が早いか遅いか、山下埠頭かその他の場所(あるいは状況次第・・・・で山下埠頭)か、華僑・中国系の業者かアメリカの業者かの違いです。ただ、トランプが負けてバイデン政権に変わったので、アメリカの業者にこだわる必要はなくなった(だから「白紙撤回」した)という見方もあります。

「村社会」内のIRをめぐる”暗闘”を浮かび上がらせたという点では(でも、利害が同じなので終着点は同じ)、会見はそれなりの意味はあったとも言えますが、一方で、過半が「反対」だという市民の声はどこかに行ってしまった感じです。「反対」がホントなら市民はいいようにコケにされていると言ってもいいでしょう。しかし、オシャレな街、住みたい街とか言いながら、これほど「村社会」をのさばらせた責任の一端は市民にもあるのですから、自業自得と言われても仕方ないのです。今回の市長選でも、党派に動員された投票要員の”市民”がいるだけで、「村社会」=既成政党を乗り越えるような自立した市民の姿はどこにもないのでした。


関連記事:
横浜市長選の魑魅魍魎 ‐ 追記(7/29)
横浜市長選の魑魅魍魎(7/9)
2021.08.06 Fri l 横浜 l top ▲
デルタ株の感染爆発に伴い、政府が感染者のなかで、今まで入院治療が原則だった中等症の患者を自宅療養に切り替えるべく方針を転換したことが物議を呼んでいます。もちろん、これは病床逼迫に対応するための方針転換なのですが、その基準も曖昧で、自宅で酸素吸入をしなければならないケースさえ出てくると言われています。

菅総理は、重症化リスクには充分対応すると言ってますが、今までも自宅療養していた感染者で容態が急変して亡くなるケースもめずらしくなかったのです。報道によれば、自宅待機の感染者にパルスオキシメーターを配布し、電話やLINEを使って経過観察を行うそうですが、症状が急変した場合、ホントにそんなことで対応できるのか不安を抱くのは当然でしょう。政府の方針転換を受けて、東京都も感染者の入院の判断基準を改定して、血中酸素濃度が「96%未満」という従来の基準を厳格化するという報道もありました。ちなみに、私は、コロナの前からパルスオキシメーターを携行して山に行ってますが、ハァハァ息が上がっていると95%以下になることがよくあります。

現在、東京都に限って言えば、自宅療養している患者は1万4000人もいるそうです。この1か月で13倍も増えたとか。方針転換されると、東京都だけでも自宅療養の患者が3万5千人になるという試算もあります。なかにはひとり暮らしの人もいるはずです。高熱のなか肺炎を併発しても入院もできずに、自分で酸素吸入をしながら症状の急変に怯え、ひとりで自宅で過ごさねばならないのです。もし自分がそうなったらと思うと、恐怖以外のなにものでもありません。

一方で、オリンピックは、相変わらず、日本の快進撃が止まらないとかメダルラッシュがつづいているとか言ったお祭り気分の只中にあります。メダリストになったアスリートはテレビ局をハシゴして歯の浮いたような賛辞を受け、ハイテンションで喜びを語っています。

この相反する光景は一体なんなんだと思わずにおれません。今度のオリンピックでは、SNSなどでアスリートに対する「誹謗中傷」が相次いでいるとかで、アスリート自身から許せないという声も上がっていますが、彼らが言うようにホントに全てが「誹謗中傷」なのでしょうか。なかには、このコロナ禍のオリンピックで、どうしてスポーツだけが特別なのか、どうしてアスリートは聖域なのかという批判も含まれているに違いありません。そういった批判も十把一絡げにして「誹謗中傷」だと言うのなら、それは違うだろうと言いたくなります。

特に今回のオリンピックでは、大会前の池江璃花子に対する「代表を辞退してほしい」という「匿名の圧力」などもあって、メディアはアスリートたちに対して一切の批判を封印し、まるで腫れ物を触るような扱いなのです。そのため、私の偏見かもしれませんが、アスリートが逆に被害者意識に開き直っているような印象さえあるのでした。たとえば、サッカーの吉田麻也は、無観客だとパフォーマンスが上がらないなどと発言していましたが、彼にはパンデミック下にある感染者の現状が見えているのか、はなはだ疑問です。

菅総理は、3日、総理官邸で日本医師会など医療関係団体との意見交換を行い、方針転換の協力を要請したそうですが、これに対して参加者から「注文や批判も相次いだ」そうです。

私は、そのニュースを観て、だったらこうなる前に、日本医師会などはどうしてもっと強くオリンピック中止を主張しなかったんだと思いました。最初からわかっていたことではないのか。それは、感染爆発のニュースを報じたあと、急に笑顔に変わって「さて、オリンピックですが、連日日本選手の活躍が目立っていますね」と安っぽい感動に盛られたニュースを伝えるニュースキャスターやコメンテーターたちのサイコパスのような二面性も同じです。

数万人が国境を越えてやって来るオリンピックを開催しながら、一方で、政府や自治体が県をまたいだ移動や帰省や旅行の自粛を呼びかけるのは、どう考えても前後が矛盾した分裂症的な発言としか言いようがありません。しかし、日本では「この人たち頭がおかしいんじゃないの」と誰も言わないのです。

西村担当大臣は、「今まで経験したことがない感染爆発が起きようとしています」と国民に危機感の共有を訴えていますが、しかし、そう言いながら、オリンピックはなにがなんでも続けるつもりのようです。文字通り撃ちてし止まんの精神と言えるでしょう。私は興味がないので見てませんが、総理大臣のツイッターも、メダルを取った選手に向けたお祝いとねぎらいのことばばかりだそうです。立憲民主党の枝野代表も、「混乱を招くから(オリンピックの)中止は求めない」と言っています。私は、それを聞いて、この人ホントに野党の党首なのかと思いました。「今まで経験したことのない感染爆発」より、中止した際の「混乱」の方が優先されるのです。

そこにあるのは、やはり”日本的な特殊性”です。このおかしな国のおかしな空気を考えるとき、丸山眞男の言説が思い出されてならないのでした。

日本では何かこと・・を行うに当って大義が大事とされます。オリンピック開催の是非が問われていたとき、野党がオリンピック開催にもはや大義はないと言っていましたが、私はそれを聞いて、だったら大義があればいいのかと思いました。何故か大義それ自体は無条件にいいこと=善と捉えられるのです。

公を一義とする日本では、「私的なものは、即ち悪であるか、もしくは悪に近いものとして、何程かのうしろめたさを絶えず伴っていた。 営利とか恋愛とかの場合、特にそうである」と丸山眞男は書いていましたが、たしかに卑近な例をあげれば、芸能界には法律に関係なく未だに姦通罪が生きているかのような空気が存在しています。そうやって個人の内面にヌエのような権力が鎮座ましましているのでした。不倫ということばは秀逸で、倫理性の基準は個人になく、倫理は、公の安寧と秩序にどう奉仕するかによって権力から恣意的に与えられるものにすぎません。明治国家を憧憬した江藤淳は、国家が倫理の源泉たる役割を放棄した現状を嘆いていましたが、実際は国家というより曖昧模糊とした掴みどころのない公が倫理の源泉なのでした。

よって日本では、公に奉仕する”滅私”や”無私”こそが美徳とされるのです。その結果、公の意思=大義があれば戦争だってオリンピックだってなんだって許されるのです。私がないのですから、大義の内容が問われることは一切ありません。今回のオリンピックのように(かつての戦争がそうであったように)、いざとなれば論理も倫理もくそもなく目の前の感動に寝返る日本人の”特性”も、その脈絡で捉えるべきでしょう。

丸山眞男は、「超国家主義の論理と心理」のなかで、大義について、次のように書いていました。

「大義を世界に布く」といわれる場合、大義は日本国家の活動の前に定まっているのでもなければ、その後に定まるのでもない。 大義と国家活動とはつねに 同時存在なのである。 大義を実現するために行動するわけだが、それと共に行動することが即ち正義とされるのである。「勝つた方がええ」というイデオロギーが「正義は勝つ」というイデオロギーと微妙に交錯しているところに日本の国家主義論理の特質が露呈している。それ自体「真善美の極致」たる日本帝国は、本質的に悪を為し能わざるが故に、いかなる暴虐なる振舞も、いかなる 背信的行動も許容されるのである!
   こうした立場はまた倫理と権力との相互移入・・・・としても説明されよう。国家主権が倫理性と実力性の究極的源泉であり両者の即自的統一である処では、倫理の内面化が行なわれぬために、それは絶えず権力化への衝動を持っている。倫理は個性の奥深き底から呼びかけずして却って直ちに外的な運動として押し迫る。国民精神総動員という如きそこでの精神運動の典型的なあり方・・・なのである。
(「超国家主義の論理と心理」)


そのため、法についても、西欧的な概念ではなく、「天皇を長とする権威のヒエラルヒーに於ける具体的支配の手段」という多分に人治的な性格を付与されているのです。

法は抽象的一般者として治者と被治者を共に制約するとは考えられないで、むしろ天皇を長とする権威のヒエラルヒーに於ける具体的支配の手段にすぎない。だから遵法ということはもっぱら下のものへの要請である。軍隊内務令の繁雑な規則の適用は上級者へ行くほどルーズとなり、下級者ほどヨリ厳格となる。 刑事訴訟法の検束、拘留、予審等々の規定がほかならぬ帝国官吏によって最も露骨に蹂躙されていることは周知の通りである。具体的支配関係の保持強化こそが眼目であり、そのためには、遵法どころか、法規の「末節」に捉われるなということが繰返し検察関係に対して訓示されたのである。従ってここでの国家的社会的地位の価値規準はその社会的職能よりも、天皇への距離にある。
(同上)


これを読むと、安倍晋三のモリカケの問題を真っ先に思い浮かべますが、それだけでなく、国民に自粛を強要しながら政治家や高級官僚など「天皇への距離」が近い「上級国民」たちは平然と自粛破りを行なうという、「国民には厳しく自分たちには甘い」今の風潮もよく示しているように思います。また、天皇に片恋する右翼が、国家を溶解させる(させかねない)パンデミック下のオリンピック開催に賛成して、あろうことか反対派に敵意をむき出しにする本末転倒した光景も納得ができるのでした。

こう考えていくと、もうメチャクシャ、支離滅裂ということばしか浮かびません。
2021.08.04 Wed l 新型コロナウイルス l top ▲
過日(7/9)アップした「横浜市長選の魑魅魍魎」に下記のような追記を書きました。尚、読みやすいように、行をあけて転載しています。

横浜市長選の魑魅魍魎
http://zakkan.org/blog-entry-1637.html

追記:(7/29)
神奈川県内に無料配布されるタウン紙・「タウンニュース」の最新号(7月29日号)の「意見広告」に、小此木氏と菅義偉首相の対談が掲載されていました。そのなかで菅首相は、「横浜の顔になれるこれ以上の人はほかにいない」「すべての横浜市民の未来のために、小此木さんの政治活動を全面的かつ全力で応援します」と小此木氏への支持を明言していました。

上記に書いたとおり、これで小此木氏の出馬が「出来レース」であることがはっきりしました。林VS小此木の一騎打ちの色彩がより濃くなったとも言えますが、一方で、もう勝負は決まったも同然という声もあります。もっとも、林VS小此木と言っても、(ここが重要!)現状のまま話を進めて華僑・中国系にするのか、それともいったん「白紙撤回」してアメリカのIR業者の再登板を待つのか、そのどっちかにすぎないのです。このままでは候補者の乱立も茶番に終わりそうな気配ですが、口さがない街のスズメたちの間でも、選挙戦そのものより、「退路を断ってない」候補者のなかで誰が出馬をとりやめるかに関心が移っています。

また、ここに来て、関内駅近くの一等地にある評価額9億2千万円の旧市庁舎跡地が、7700万円で三井不動産やDeNAなどの企業グループに叩き売られた問題にも再度スポットが当てられています(実際は建物は売却だが土地は70年の定期借地権契約)。濡れ手に粟の買い物をした企業グループのなかに、林市長と親しい星野リゾートの関連会社が入っていたことが物議を呼んでいるのでした。もちろん、その背後にIRの存在があるのは言うまでもありません。下記は、昨年、この問題が浮上したときの記事です。

月刊ベルダ
林・横浜市長に“叩き売り”疑惑

横浜市は直近のデータ(平成30年度)で市債発行残高が3兆1570 億円あり、しかも残高は右肩上がりで増え続ける一方です。それで、執行部や議会は、だから博打のテラ銭で借金を返済しなければならないのだ、と「チンビラの論理」で市民を脅すのですが、その一方で、昨年、917億円の巨費を投じて32階建ての新市庁舎を馬車道駅の近くの北仲通に新築・移転したのでした。ところが、完成した途端に雨漏りがしたとかで、「天下の笑いもの」と言われたり、全国でトップクラスの高給を誇る職員たちが32階の雲上から市民を睥睨するため、横浜名物の「三塔物語」をもじって「デビルの塔」とか「ドラキュラの塔」とヤユされる始末なのでした。

もちろん、このような市政を支えているのはオシャレな街の住民たちです。文字通りこの市民にしてこの市政ありなのです。横浜が「日本一大きな田舎」なら、横浜市民は「日本一の田舎坊」と言うべきでしょう。

横浜市は、住民税が全国一高い自治体です(前は職員の給与が全国一高い自治体でした)。どうして住民税がこんなにバカ高いのかということを少しは考えてもよさそうですが、そんな市民は圧倒的に少数です。言うなれば、住みたい街、オシャレな街という不動産会社が作ったイメージをバカ高い住民税で買っているようなものですが、それがまるでわかってないのです。

住民税が高い市区町村ランキング
https://magazine.aruhi-corp.co.jp/0000-4429/

ともあれ、これで「日本一大きな田舎」にふさわしい市長選になったと言えるでしょう。

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※もうひとつ付け加えました。
※これは元記事には追記していません。

追記:(8/2)
自慢するわけではありませんが、予告したとおり、魑魅魍魎が跋扈する横浜市長選はいよいよグダグダのスキャンダル合戦の様相を呈してきました。

今日、Yahoo!トピックスに次のような記事が掲載されました。

Yahoo!ニュース
SmartFLASH
横浜市長選「野党統一候補」がパワハラメール…学内から告発「この数年で15人以上辞めている」

このスキャンダルを報じたのが『FLASH』だということに、まず注目すべきでしょう。先日、立候補が噂されていた元横浜DeNAベイスターズ球団社長の池田純氏とDeNAとの金銭トラブルを報じたのも『FLASH』です。DeNAは、言うまでもなく旧市庁舎跡地の再開発などにも深く関わっている横浜市ご用達の企業です。

この手の記事は、「もしこれがホントなら」という仮定さえ付ければ、いくらでも拡大解釈は可能です。そして、いつの間にか事実として、しかも別の目的をもってひとり歩きしていくのです。池田氏の交際費をめぐる「金銭トラブル」や今回の指導をめぐる「パワハラ」はとても便利なネタと言えるでしょう。

横浜市は、天下りの批判を受けてか、「横浜市退職者の再就職状況」をメディアに発表しているのですが、それを見ると、どう見ても天下りとしか思えない再就職先が嫌味のように並んでいるのでした。でも、それは天下りではなく斡旋だという公務員におなじみの詭弁を使って正当化しているのです。もしかしたら、次期市長(その可能性は低いけど)のパワハラをいちばん怖れているのは、職員たちなのかもしれません。

横浜市
横浜市退職者の再就職状況

それにしても、如何にもわけありげな『FLASH』の記事をトップページに掲載したYahoo!ニュースは、『FLASH』同様、典型的なイエロージャーナリズムと言うべきでしょう。もっとも、Yahoo!ニュースが横浜市長選の足の引っ張り合いに関与したのは今回が初めてではありません。Yahoo!ニュースは、大阪の吉村知事の「イソジン会見」(ポビドンヨードでうがいすると、陽性率が下がる=新型コロナウイルスの弱毒化に効果があるというトンデモ会見)のデータを解析したのが横浜市立大の山中教授だという、「ニュースソクラ」なるキューレーションサイトの怪しげな記事を転載しネットに拡散した前歴もあるのでした。その結果、水は低い方を流れるネットでは、水たまりに湧いたボウフラのようなネット民たちが未だにそれを信じて拡散しつづけているのです。そんなYahoo!ニュースの総会屋まがいの行為を見るにつけ、ソフトバンクも横浜のIRに一枚噛みたいのではないかと穿った見方さえしたくなります。

東京新聞 TOKYOWeb
山中氏「うがい薬解析した事実ない」 大阪府知事の「イソジン会見」めぐり反論 横浜市長選

もっとも、これも何度も書いていますが、ニュースをバズらせてマネタイズすることしか考えないYahoo!ニュースをジャーナリズムと呼ぶのは最初から無理があるのです。ジャーナリストを落ちこぼれたスタッフたちが、終日パソコンの前にすわって、まるでまとめサイトの管理人と同じように、ニュースを切り貼りしているその光景自体が多分にいかがわしいと言わざるを得ません。

前の中田市長のケースもそうですが、横浜ではどうしてこんなスキャンダルが次々と出てくるのかと言えば、この手の記事が、民主主義が豚に真珠の横浜市民には非常に効果があるからです。そのため、まるでロシアのように、このような古典的な手法が取られるのです

また、今回に限って言えば、立憲民主党が獅子身中の虫に対してあまりにも無頓着すぎるという背景もあるように思います。と言うか、誰が獅子身中の虫で誰がそうではないのかもわからないほど、立憲民主党もグダグダなのかもしれません。連合神奈川や市関係4労組の面従腹背ぶりを見ても、とてもまともに市長選を戦う体制になっているとは思えません。そもそも林市政の生みの親は旧民主党です。実際に、ついこの前まで旧民主党(立憲民主党)は林市政の与党でした。立憲民主党が独自候補を擁立すること自体、悪い冗談としか思えません。

横浜市長選はカオスなんて言いながら、「村社会」は意気軒高です。まさにおそるべしです。メディアを使った足の引っ張り合いは、まだまだこのあともつづくに違いありません。
2021.07.29 Thu l 社会・メディア l top ▲
案の定、オリンピックが開催されると、昨日までの「開催反対」の声はどこ吹く風、日本列島は感動に湧き立っています。前回の記事でも書きましたが、70~80%あった「開催反対」の世論も、あっという間に30%に急降下しています。

そして、たとえば、開催に反対していた立憲民主党の蓮舫代表代行がツイッターで、日本選手の金メダルをたたえるツイートをすると、「反対していたのにおかしい」「手の平返しだ」などという声が殺到し、炎上するような事態まで起きているのでした。また、茂木健一郎がオリンピック反対派をノイジーマイノリティ(声だけ大きい反対派)だと批判し、沿道でオリンピック反対の行動をしていることにツイッターで「苦言を呈した」というニュースが流れると、反対デモをしているのは極左団体だとか中核派だとかいったコメントが瞬く間にヤフコメに溢れたのでした。

それにしても、昨日まで70~80%あった反対の声がどうしてこんなに180度違う空気に変わったのか、その豹変ぶりにはただただ唖然とするばかりです。と同時に、ここにも日本社会の”特殊性”が垣間見えるような気がするのでした。

このブログを読んでいただければわかるように、私は、70~80%の反対の声に対してずっと懐疑的でした。開催されれば「感動に寝返る」はずだと書いてきました。また、菅総理は「国民は、開催されればメダルラッシュに感動にして反対していたことなど忘れる」と言っていましたが、まさにそのとおりになったのです。

これは蓮舫や茂木健一郎にも言えることですが、たとえ反対のポーズを取っていても、「感動に寝返る」要素は最初から存在していたのです。いつでも「寝返る」ことができるように「逃げ道」が用意されていたのです。

ひとつは、スポーツは特別だという「逃げ道」です。反対論の多くは、コロナ禍なのにオリンピックなんかやっている場合かという素朴な反発心にすぎず、一方でそこには、あらかじめ代表選手は批判しない、選手は別という抑制(一種のタブー)がありました。

つまり、70〜80%の反対論の多くは、オリンピックやスポーツのあり方を真面目に考え論理的に整序された反対論ではなかったのです。そんなただ素朴な心情から発した反対論が、スポーツは特別なのかという”壁”を乗り越えるのはどだい無理な話だったとも言えます。ゆえに、批判の矛先が向くことのなかった代表選手たちによってもたらされる感動に、一も二もなく飛びついたのは当然と言えば当然でしょう。

もうひとつの「逃げ道」は、中韓に対するヘイトという「逃げ道」と言うか「ガス抜き」です。反対論を唱える多くの人びとのなかにも、御多分に漏れず中韓に対する民族排外主義的なナショナリズムが貼り付いていたのです。オリンピック開催にまつわる政権批判の矛先をかわすのに、中韓ヘイトはこれ以上のない”魔法の杖”とも言えます。さしずめ下記の記事などはそのカラクリを端的に表していると言えるでしょう。

PRESIDENT Online
東京五輪にかこつけて文在寅大統領が日本から引き出したかった"ある内容"

日本はいつまで経っても優位な立場でいたいのでしょう。だから、韓国はオリンピックにかこつけて物乞い外交をしたかったけど、それができないとわかったので文在寅大統領は来日を取りやめたという、如何にも日本人の自尊心をくすぐるような記事です。

しかし、現実は冷厳で、豊かさの指標である一人当たり実質購買力平価GDPでは、既に韓国に抜かれています。日本の国民より韓国の国民の方が豊かだということが、国際的な指標でもあきらかになっているのでした。

Yahoo!ニュース
Wedge
なぜ、日本は韓国よりも貧しくなったのか

日本人はこういった現実は絶対に認めたくないはずです。できれば見たくない現実でしょう。

中国に対しても然りで、米中対立が実は二つの大国による世界支配(世界分割)をめぐる丁々発止のやりとりだというのは、もはや誰の目にもあきらかでしょう。それこそが中国の狙いであり、同時にそれはアメリカが唯一の超大国の座から転落したことを意味しているのでした。いつの間にか、中国がアメリカと対等に、世界分割について交渉するまでになっていたという、日本人にとっては信じたくない現実がここにも立ち現れたのです。

そう考えれば、勝ったか負けたかのスポーツの祭典で中韓ヘイトがヒートアップするのも、「コロナ禍なのに」という素朴な反発心が偏狭なナショナリズムの前で片隅に追いやられるのも、最初から予定されていたと言うべきかもしれません。

そして、あとは、丸山眞男が言った「つぎつぎとなりゆくいきほひ」という、もうはじまったことは仕方ない、それに乗っていくしかないという没論理的なノリノリの総動員体制に突き進むだけです。一方で、寝返った人間たちが、(その後ろめたさから)未だに反対している少数派に対して牙を剥き出しにするというのもいつもの光景です。そのためには、反対派は市民社会の埒外にいる極左、過激派ではなくてはならないのでした。

もっとも、それも権力が用意した「逃げ道」、矛先にすぎません。先月だったか、京大の熊野寮や中核派の前進社が相次いで家宅捜査を受けたのは、その前段だったのでしょう。そして、先週の反対デモにおいて、警察官の「手首を掴んだ」として公務執行妨害で中核派の活動家が逮捕され、大きく報道されたのでした。そうやってオリンピックの反対運動をしているのは極左だというイメージが流布されたのでした。もっとも、逮捕された活動家は、「手首を掴んだ」程度の微罪なので、早晩、処分保留で釈放されるのは間違いありません(もしかしたら既に釈放されているかもしれません)。それもいつものことですが、メデアが報道することは一切ありません。

丸山眞男は、『日本の歴史』のなかで、開国(明治維新)以後の日本の思想風土について、次のように書いていました。

思想が伝統として蓄積されないということと、「伝統」思想のズルズルべったりの無関連な潜入とは実は同じことの両面にすぎない。一定の時間的順序で入って来たいろいろな思想が、ただ精神の内面における空間的配置をかえるだけでいわば無時間的に併存する傾向をもつことによって、却ってそれらは歴史的・・・な構造性を失ってしまう。小林秀雄は、歴史はつまるところ思い出だという考えをしばしばのべている。それは直接的には歴史発展という考え方にたいする、あるいはヨリ正確には発展思想の日本への移植形態にたいする一貫した拒否の態度と結びついているが、すくなくとも日本の、また日本人の精神生活における思想の「継起」のパターンに関するかぎり、彼の命題はある・・核心をついている。新たなもの、本来異質なものまでが過去との十全な対決なしにつぎつぎと摂取されるから、新たなものの勝利はおどろくほど早い。過去は過去として自覚的に現在と向きあわずに、傍におしやられ、あるいは下に沈降して意識から消え「忘却」されるので、それは時あって突如として「思い出」として噴出することになる。(略)
日本社会あるいは個人の内面生活における「伝統」への思想的復帰は、いってみれば、人間がびっくりした時に長く使用しない国訛りが急に口から飛び出すような形でしばしば行われる。


そして、丸山眞男は、そんな時間軸が消失し「前近代」と「近代」が継ぎ目なしに併存した思想風土において、「実感信仰」による「『ありのままなる』現実肯定」が現在と向き合う際の日本人の特徴であると(いうようなことを)書いていましたが、それこそが今回のような「感動に寝返る」バッググランドになっているように思います。

また、丸山眞男は、『超国家主義の論理と心理』で、「抑圧の委譲」というものについて、次のように書いていました。この「抑圧の委譲」は、日本特有の同調圧力のメカニズムを考える上でヒントになるように思いました。

自由なる主体的意識が存せず各人が行動の制約を自らの良心のうちに持たずして、より上級の者(従って究極的価値に近いもの)の存在によって規定されていることからして、独裁観念にかわって抑圧の委譲・・・・・による精神的均衡の保持・・・・・・・とでもいうべき現象が発生する。上からの圧迫感を下への恣意の発揮によって順次に移譲して行く事によって全体のバランスが維持されている体系である。これこそ近代日本が封建社会から受け継いだ最も大きな「遺産」の一つということが出来よう。


もっとも、いくら権力の意志を貫こうとしても、パンデミック下にあるオリンピックでは、猛威を振るうウイルスを(どこかの誰かではないけど)都合のいいようにアンダーコントロールできるわけではありません。感動に沸き立つ日本列島に冷水を浴びせるかのように、7月27日の東京都の新規陽性者数は2848人という過去最高の数字を記録したのでした。4日連休が関係しているからだという声もありますが、しかし、検査数は8038人にすぎず、連休明けで検査数が増えたのでその分感染者数も増えたというわけではないのです。

オリンピックが開催されてから、東京都は検査数を絞っているようでずっと1万件を下回る数字になっています。それでもこんな新規感染者数が記録されるのですから、まともに検査したらどれくらいの感染者が出るかわかりません。デルタ株(インド型変異株)の感染爆発はもう既にはじまっていると考えるのが常識でしょう。

オリンピックと感染爆発のダブルパンチで医療も逼迫しています。東京都が通常の救急や手術は控えて新型コロナ用のベットを確保するように、病院に指示したというニュースもありました。トリアージが再び行われようとしているのです。アスリートたちがメダルを胸にはしゃいでいるその裏で、皺寄せを受けた患者たちの命が人知れず選別されようとしているのです。なんと不条理な話でしょう。それでもスポーツ(アスリート)は特別だと言えるのか、そう問い返したい気持があります。
2021.07.28 Wed l 社会・メディア l top ▲
なんだか水に落ちた犬を叩いているように思われるかもしれませんが、その後も次々と出て来る小山田圭吾の悪行については、やはりひとつひとつ取り上げて糾弾していくべきではないでしょうか。障害のある同級生に与えた一生消えない心の傷を考えれば、通りいっぺんの反省で済むようなものではないでしょう。

ネットでは「何をいつまで同じことを言っているんだ」という言い方をよく目にしますが、ネットの場合、タイムラインに見られるように、目の前の事柄をやり過ごし、次々から次へと興味が移っていくのが当たり前のようになっています。小山田圭吾の悪行も然りで、彼に対するバッシングの熱気も既に失せつつあるように思えてなりません。人々の関心は次に移っているのです。

小山田圭吾の問題について、日本のメディアは、外国メディアに比べて、ぼかして報道しているという指摘がありましたが、たしかに、新聞やテレビを見ても、いじめの内容にはさらりと触れているだけで詳細は伝えていません。そのため、どこか他人事のように見えます。私たちがいじめの詳細を知るのは、週刊誌やネットなどを通してです。

もっとも、日本のメディアのどこか他人事のような報道は、今にはじまったことではありません。つまり、それは、「不偏不党の客観性」という建前の理念があるからでしょう。また、「抑制のきいた文章」ということばもよく耳にしますが、それがぼかして書くことにつながっているように思います。その結果、日本のメディアは、何を言っているのか、何を言いたいのかわからない、オブスキュランティズム(曖昧主義)に陥っているのです。

羽仁五郎は、日本の新聞は、「明日は雨ですが、天気はいいでしょう」というようなよくわからない記事ばかりだと言っていましたが、それこそ日本のメディアの”特殊性”を言い当てているように思います。しかも、そういった「抑制のきいた文章」がメディアのなかでは連綿と受け継がれているのです。新米の記者が書いた記事も、デスク?によって添削され「抑制のきいた文章」に書き直されるのです。そういったトレーニングがくり返され、新聞記事とは「抑制のきいた文章でなければならない」「そういった品位のある文章が書けるようにならなければならない」という刷り込みが行われるのです。そして、たとえば朝日の「天声人語」のような文章がお手本とされ、ときに名文などと言われるようになるのです。

私たちは、残念ながら、当時の『ロッキング・オン・ジャパン』と『クイック・ジャパン』のインタビュー記事を直接読むことはできません。そのため、小山田圭吾の悪行の詳細は、メディアをとおして知るしかないのです。

下記の芸能ネタに特化したまとめサイトで、私は、前回の記事で触れた以外のいじめを知ることができました。他人のふんどしで相撲を取るまとめサイトについては、批判的な意見の方が多いのですが、しかし、今回の問題でも、その詳細を知るにはまとめサイトを参考にするしかないのが日本のメディアの実情なのです。

TREND NEWS
【全文】小山田圭吾記事内容(ロッキンオン・クイックジャパン)と年賀状

何度も言いますが、小山田圭吾は、「民主的な人格の育成」という教育理念を掲げる和光学園で、小学校から高校まで知的障害を持つ同級生に対して、執拗にいじめをくり返したのでした。それは、障害を持つ児童と健常者の児童が同じクラスで学ぶ和光学園の「共同教育」というシステムを逆手にとったものでした。「みんなで助け合って仲良くしましょう」「何事も話し合って解決しましょう」という性善説に基づいた民主主義教育の理念が、実際は空回りして”悪の根源”にさえなっていたのです。

でも、たとえば、通勤・通学電車のなかでの乗客たちのふるまいを見れば、そういった民主主義教育の理念が、空疎で観念的な理想論にすぎないということが容易にわかるでしょう。私が住んでいる路線にも、有名な私立学校がありますが、そこに通う高校生たちの車内での傍若無人なふるまいを見るにつけ、テレビドラマでよく描かれる金持ちのおぼっちゃんの歪んだ人格が連想されてならないのでした。系列の大学では集団強姦事件も何度か起きていますが(最近も高校の同級生である経産省キャリア2人の給付金詐欺がメディアを賑わせました)、それもなんとなくわかる気がするのでした。

そこにあるのは、まさにマルクスが言う「存在が意識を決定する」(としか思えない)現実です。剰余価値を生み出す有用な労働力という資本の論理から言えば、心身に障害のある人間は有用ではないのです。そんな人を社会の役に立つか立たないかで判断し選別するする考えは、近代合理主義(経済的合理性)に必然的に存在する”悪魔の思想”とも言うべきものです。その極地にあるのがナチズムでしょう。小山田圭吾にもそんな”悪魔の思想”が影を落としているように思えてなりません。

『クイック・ジャパン』のインタビュー記事では、いじめた相手と対談をするという企画まで持ち出し、実際に編集者が相手の家を訪問して母親にそのことを伝えているのでした。また、小学生のときに障害のある同級生から来た年賀状をわざわざ持参して、ハガキに母親が線を引いた上に「スゲェ汚い字で」文字を書いているのをヤユして笑いものにしているのでした。25歳を過ぎた立派な大人になってもなお、雑誌でそんないじめ自慢をしているのでした。

彼の所業について、日刊ゲンダイデジタルに、次のような記事がありました。

日刊ゲンダイデジタル
小山田圭吾が一生涯背負う“十字架”と本当の謝罪 障害者の父親は「謝っても許されない」と強い憤り

 自身も障害児の父親である動物写真家で、YouTuberとしても活動する小原玲氏はこう憤る。

「親とすれば子供が学校でこんな目に遭っていたと思うと言葉がありません。私が当該記事を読んで涙が出たのは、障害児童が小山田氏に出した年賀状を雑誌でさらして笑いものにしたことです。その年賀状にはお母さんが定規で線を引いてそれに沿って児童が鉛筆で稚拙ながらも文をしたためていました。それを大人になってからかうとはどんな神経か。親がどんな思いで友達に年賀状を出すかわかりますか。子供が少しでも学校で友達に恵まれるようにという願いからですよ。こんな人物が手掛けた楽曲がパラリンピックで流されるなんてブラックジョーク過ぎる。トラウマになってしまいかねない。たとえ27年前のことであっても許される話ではない」


辞任したからそれで済んだ話なのか。もう終わったことなのでしょうか。

小山田圭吾は、ツイッターの謝罪文で、いじめた相手に対して「連絡を取れる手段を探し、受け入れてもらえるのであれば、直接謝罪をしたいと思っております」と、『クイック・ジャパン』の企画と同じようなことを言っていましたが、辞任した今でもホントにそう考えているのか、実際に実行したのか、たしかめたい気さえします。「自分自身でも長らく罪悪感を抱えていた」と言いながら、今まで何もやってなかったのですから、どこまで本気なのかわかりません。身内の人間たちの挑発的なツイートを見ても、ホントに反省しているのか疑問です。

そして、今度は、開閉会式のディレクターを務める予定だった小林賢太郎が、お笑いコンビの時代に、コントのなかで「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」という発言をしていたことが発覚して”解任”されました。ただ、今回は小山田圭吾のときと違って、小林賢太郎に同情する声が多いようです。

「言葉尻を捉えて全体を見てない」という茂木健一郎のコメントがそんな国内の空気を代表しているように思いますが、しかし、ホロコーストの犠牲になった人々にとって、「ユダヤ人大量虐殺ごっこ」というギャグが単に「言葉尻」の問題なんかではないことは、少しでも考えばわかるでしょう。茂木健一郎の無神経ぶりにも驚くばかりです。

小林賢太郎の問題では、このように、メディアを中心とした空気の緩さが際立っているように思えてなりません。そんな日本の緩い空気に対して、日本在住のイスラエル人が「もし広島や長崎の原爆や福島の原発事故が笑いのネタにされたら日本人はどう思いますか? それと同じでしょ」と言っていたのが印象的でした。

そんななかで、既に一部のオリンピックの競技がはじまりました。すると、メディアは、早速、今大会では日本は史上空前のメダルラッシュが期待されるなどと言って、手のひらを返したようにオリンピックムードを煽りはじめたのでした。前も書いたように、どう考えてもアンフェアな今大会で、開催国の日本が有利なのはあきらかです。でも、誰もそうは言いません。既に見え透いた感動物語も出ています。反語的に言えば、大衆はバカで単純だ、愚鈍な存在だという保守政治家の冷徹な大衆観は圧倒的に正しいのです。あと数日もすれば、菅総理やIOCのバッハ会長が言うような「メダルラッシュに熱狂してなにもかも忘れる」現実が、日本的な同調圧力を携えて私たちの前に出現することでしょう。

このパンデミックのもと、無観客のなかで競技をするアスリートたちを見て、どうしてスポーツだけが特別なのかという(素朴な)疑問を持つ人さえ少ないようです。そもそもオリンピックのようなものがスポーツの本来のあり方なのかという疑問を持ってもよさそうですが、もはやそれも水中に火を求むようなものです。ついひと月前まで70%~80%の国民がオリンピック開催に反対だと言われていたのに、最新の世論調査では、案の定、反対の声は30%に急降下しています。

次から次に発覚するスキャンダルに対しても、日本人はタイムラインをスクロールするように、終わったこと、過ぎ去ったことにして、オリンピックの熱狂にみずから身を投じようとしているのでした。そして、それに呼応するように、あの(東浩紀も礼賛した)「ニッポン、凄い」の自演乙が再びメディアを覆うとしているのでした。まさに衆愚たちの祝祭がはじまろうとしているのです。
2021.07.23 Fri l 社会・メディア l top ▲
コーネリアスの小山田圭吾が、小林賢太郎や田中知之とともに、オリンピック・パラリンピックの開閉会式の制作メンバーに選ばれたことをきっかけに、小山田圭吾が過去に『ロッキング・オン・ジャパン』と『クイック・ジャパン』のインタビューで語っていた”いじめ自慢”が再び取り上げられ物議をかもしています。

ちなみに、大会組織委員会が制作メンバーとして彼らを発表したのは14日です。オリンピックの開会式が今週の23日ですから僅か10日前です。発表自体に唐突感があるのは否めませんし、なんだか不自然な感じがしないでもありません。当然ながらメンバーにはずっと以前に依頼していたはずで、どう考えても、発表するのを目前まで待っていた、あるいは控えていたとしか思えないのです。

大会組織委員会の武藤敏郎事務総長は、小山田圭吾の”いじめ自慢”を「知らなかった」と言っていますが、同時に、「引き続き貢献してもらいたい」とも発言しています。小山田圭吾の”いじめ自慢”は、ネットをググればすぐ出てくるくらい有名な話で(ただ、ウィキペディアでは、何故か記載と削除のイタチごっこが繰り返されていたみたいです)、どう考えても”渋谷系”の音楽と縁があるとは思えない武藤事務総長はともかく、彼らを選定した人間たち(電通?)が知らなかったというのは俄に信じ難い話です。それに、役人主導の典型的な日本的組織である大会組織委員会において、決裁を受ける際にその話が出なかったとはとても思えないのです。

一方で、もう終わったことをいつまで言っているんだというような寛容な(ことばを変えれば臭いものに蓋をする)意見もあります。私の知る限りでは西村博之(ひろゆき)や爆笑問題の太田光などがその代表と言えるでしょう。なかでもひろゆきのそれは、子どものような論理で屁理屈をこねまわして、批判するのを避けながら遠回しに擁護するというまわりくどいものです。

ひろゆきは、2ちゃんねる絡みの訴訟で下された数々の賠償金を踏み倒して(住所だけ置いていた西新宿の木造アパートの郵便受けから督促状があふれ出ている写真を見たことがあります)、それを得意げに語るような人物ですが、今やメディアでは”論破王”としてもてはやされているのでした。しかし、その”論破王”なるものも、一皮むけば、賠償金の踏み倒しに見られるように、昔、私たちのまわりにもいた、どうすれば飲酒運転の摘発から逃れられるかとか、どうすれば駐禁の違反金を払わずに済むかとかいった”裏テクニック”を得意げに話していたあのおっさんたちと同じレベルのものにすぎません。

もちろん、小山田圭吾が自慢たらしく語ったいじめは、もはやいじめの範疇を越えた、犯罪と言ってもいいような悪行で、ひろゆきや太田光が言うように、もう終わったことをいつまで言っているんだと言えるようなレベルのものではありません。しかも、いじめは、「民主的な人格の育成」を教育理念に掲げる和光学園の障害者と健常者が同じ教室で学ぶ「共同教育」を舞台に、小学校から高校まで執拗につづいたのでした。

「ディリー新潮」は、いじめの内容について、実際にインタビューで語った内容も含めて、次のように詳細に書いていました。

「全裸にしてグルグルにひもを巻いてオナニーさしてさ。ウンコ喰わしたりさ。ウンコ喰わした上にバックドロップしたりさ」(「ロッキング・オン・ジャパン」)

「クイック・ジャパン」のインタビューによると、小学校の時には障がいのある同級生の体をガムテープで巻き、身動きが取れないようにして、段ボールに入れたという。

 同じ同級生のことは高校生時代にもイジメた。みんなでジャージを脱がせ、下半身を露出させた。

「女の子とか反応するじゃないですか。だから、みんなわざと脱がしてさ、廊下とか歩かせたりして」(「クイック・ジャパン」)

 中学の時の修学旅行では違う同級生を、留年した先輩と一緒にイジメている。この同級生にも障がいがあった。小山田は先輩と一緒になって同級生に自慰行為をさせている。

「クイック・ジャパン」にはほかにもこんな下りがある。

「掃除ロッカーの中に入れて、ふたを下にして倒すと出られないんですよ。すぐ泣いてうるさいから、みんなでロッカーをガンガン蹴飛ばした」

「マットの上からジャンピング・ニーパットやったりとかさー。あれはヤバいよね、きっとね」

(2021年7月17日掲載)


ディリー新潮
イジメっ子「小山田圭吾」の謝罪に不可解な点 当時の学校運営に不満だったという証言

また、それ以外にも、近くの学校に通うダウン症の子どもに対する侮蔑発言や人種差別発言も掲載されているそうです。

身の毛もよだつとはこのことでしょう。実際に中学時代、小山田圭吾にいじめられた同級生は自殺まで考えたそうです。

また、東浩紀も、ひろゆきや太田光と同じような論法でこの問題を語っていましたが、知識人の仮面を被って発言している分、ひろゆきや太田光より始末が悪いと言えるでしょう。東浩紀は、次のようにツイートしていました。

東浩紀 Hiroki Azuma
https://twitter.com/hazuma

東浩紀小山田圭吾1

東浩紀小山田圭吾2

東浩紀小山田圭吾3

それにしても、「そもそも音楽もスポーツも苦手なので、個人的には例の件はかなりどうでもいい」という言い草にも驚くばかりです。「何様か」とツッコミたくなります。

東浩紀は「過去の記録はアップデートできない」と言いますが、その気になればいくらでも「アップデートできる」でしょう。小山田圭吾は、今回批判が殺到して初めてツイッターで謝罪したにすぎず、今までも「アップデートできる」チャンスはあったのにそれをしなかったのです。

その時代の背景、その時代の環境も考えるべきというような屁理屈も然りで、それは、(牽強付会だと言われるかもしれませんが)戦争中だからジェノサイドや集団強姦も許される、戦争中だから妊婦を強姦して腹を切り裂きなかの胎児を取り出したことも許されるという論理と同じです。話を飛躍すれば、そうやって戦後の日本は平和と繁栄の虚構を演じてきたのです。だから、胎児を取り出して高笑いしていた日本兵たちは、復員すると、俺たちのお陰で戦後のニッポンがあるのだと開き直り、金・物万能の世の中で精神が疎かになっている、愛国心を忘れていると説教を垂れるようになったのです。もちろん、その責任を当事者の兵士だけに帰するのではなく、どうやって加害国の国民として共有していくのかを考えるのが”知”の役割というものでしょう。

この東浩紀の屁理屈を見て、私は、かつて東京都知事選で猪瀬直樹を応援して選挙カーの上で応援演説をしたそのトンチンカンぶりを思い出さざるを得ませんでした。

池袋駅東口に停められた選挙カーの上で、聴衆に向って手を振る猪瀬直樹の横で、「猪瀬さんこそ夢を託しながら現実の第一歩を踏み出せる、着実に改革ができる人物だ」と応援演説をしたその姿とその演説の内容こそ、彼が如何に俗物で中身がスカスカかということを示しているように思います。穿った見方をすれば、東浩紀が「アップデートできない過去」を強調するのも、彼自身にこういった消せない過去があるからかもしれないのです。

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東浩紀の演説。

また、彼は、東日本大震災の際、なにを血迷ったか、次のような日本賛美&総動員体制万歳のような発言をしたこともありました。

 震災前の日本は、二〇年近く続く停滞に疲れ果て、未来の衰退に怯えるだけの臆病な国になっていた。国民は国家になにも期待しなくなり、世代間の相互扶助や地域共同体への信頼も崩れ始めていた。

 けれども、もし日本人がこれから、せめてこの災害の経験を活かして、新たな信頼で結ばれた社会をもういちど構築できるとするのならば、震災で失われた人命、土地、そして経済的な損失がもはや埋め合わせようがないのだとしても、日本社会には新たな可能性が見えてくるだろう。もちろん現実には日本人のほとんどは、状況が落ち着けば、またあっけなく元の優柔不断な人々に戻ってしまうにちがいない。しかしたとえそれでも、長いシニシズムのなかで麻痺していた自分たちのなかにもじつはそのような公共的で愛国的で人格が存在していたのだという、その発見の経験だけは決して消えることがないはずだ。
(「For a change, Proud to be Japanese : original version」)
東浩紀の渦状言論 はてな避難版 2011年3月22日


東浩紀は、筑波大附属駒場中学・高校から東大の文科一類に進んだ秀才で、たしかに頭はいいのでしょう。しかし、その頭のよさは、子どものような論理で屁理屈をこねまわす程度の頭のよさにすぎないのです。実際は、巷の労働体験もほとんどない世間知らずのセンセイにすぎないのです。もしかしたら「先生と言われるほどの馬鹿でなし」という諺の意味もわかってないのかもしれません。

東浩紀のゲンロンなるものは、そんな子どもの論理で屁理屈をこねまわす、俺たち凄いだろう?というような、登山者にとってのヤマレコと同じような自己顕示と自己慰謝の場にすぎないのです。

だから、彼らの言説が、宮台真司が言う「現実にかすりもしない」のは当然です。ゲンロンなるものに集まって、どうでもいい屁理屈をこねまわしている学者やジャーナリストたちは、ただそうやって知識人ごっこをしているだけなのです。

要するに、屁理屈のわりに中身はスカスカなので、現実と拮抗すると、小山田圭吾の問題を「過去の話」と一蹴したり、猪瀬直樹のような自称作家の俗流政治屋に伴走したり、東日本大震災後の「ひとつになろう日本」キャンペーンに象徴される国家がせり出してきた状況を手放しで礼賛するような、トンチンカンな醜態を晒すことになるのでしょう。

パラリンピックの開閉会式に、上記のような凄惨ないじめをした人物が作曲した音楽が使われるというのは、考えようによってはこれほどの悪趣味はないのです。しかし、東浩紀らは、そんな想像力の欠片さえ持ってないと言うべきかもしれません。

おぞましいのは小山田圭吾だけではないのです。擁護しているんじゃないと言いながら擁護している東浩紀も同じです。


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2021.07.19 Mon l 社会・メディア l top ▲
横浜市長選は、8月8日告示、22日投開票ですので、告示までちょうどひと月となりました。早いもので、私が横浜に住んでもう3回目の市長選です。前2回の市長選のときもこのブログで記事を書いていますので、僭越ですが最下部の関連記事をお読みいただければ幸いです。

今回の市長選が前2回と異なるのは、候補者が乱立していることです。そのため、どれが「本命」でどれが「当て馬」でどれが「泡沫」なのか(「対抗」がいないところがミソです)、わかりにくいということです。文字通りカオスと化しているのです。

もちろん、今回の市長選の大きなテーマはIR誘致に賛成か反対かです。選挙の争点はIRだけじゃない、ほかの市民生活に直結する問題も大事だという声もありますが、それはどちらかと言えば、IRを争点にしたくないIR賛成派からあがっている声です。今年の1月に、IRの是非を問う住民投票の条例案が提出されたのですが、議会で多数を占める自由民主党と公明党によって否決されたのでした。そのため、今回の市長選がIRの是非を問う場にならざるを得なくなった(なってしまった)というのが実情です。それをIRだけが争点じゃないというのは、居直り強盗のような言い草と言うべきでしょう。

とは言っても、立候補予定者の多くはIRに反対を表明しています。それは、IR反対が過半の市民の声でもあるからです。その意味でも、住民投票の条例案を否決した自公の罪は大きいのです。

それどころか、ここに来て、自民党神奈川県連の会長として、IR推進の先頭に立っていた小此木八郎氏(菅総理が秘書を務めた小此木彦三郎元建設相の三男)が、突然、国家公安委員会委員長を辞職して、「IR白紙撤回」を公約に立候補を表明するというちゃぶ台返しがあったのでした。そのため、メディアのことばを借りれば、市長選はいっそう「混迷を深める」ことになりました。ただ、小此木氏の出馬がホントにちゃぶ台返しなのか、疑問の声もあります。憲法改正&核武装を主張し、日本青年会議所のカルト的な極右思想を共有する典型的なおぼっちゃま議員が、一転してIR反対に寝返るなど俄かに信じられず、「白紙撤回」というのは山下埠頭に限った話ではないのかという見方も出ているのでした。

もちろん、反対が過半の市民の声であるとは言え、こんなに乱立すると反対派が共倒する懸念があります。知人(横浜市民)は、「見てみ、林文子が漁夫の利を狙って必ず出て来るよ」と言っていましたが、知人の言うとおり、態度をあきからにしなかった現職の林文子市長も、乱立で勝算ありと睨んだのか、どうやら立候補の意思を固めたようです。

自民党横浜市連は、ずっと前に林市長に対して、多選と高齢を理由に支持しないことを伝えているのですが、それはもしかしたら小此木氏出馬の伏線だったんじゃないかと思ったりもします。今回の市長選は何でもありなので、それも単に下衆の勘ぐりとは言えない気もするのでした。

一方で、関内や元町や中華街などの地元商店街や横浜市商工会議所や横浜建設業協会などは、「IR推進」の立場から林市政の継続を求めているそうです。

反対派のツイッターによれば、崎陽軒や元町のキタムラの社長と並んで、中華街組合(横浜中華街発展会協同組合)の理事長もカジノ推進だそうです。今の理事長は日本人のようですが、華僑たちのいつもながらのこずる賢く立ち回る向銭奴ぶりが連想され、私は、魯迅の「利口者と馬鹿と奴隷」のなかに出て来る「利口者」の話を思い出しました。現在、残っている応募業者は、シンガポールのカジノ会社&日本のゼネコンのグループ(共同企業体)と香港でカジノを運営する会社の2つだけで、いづれも華僑系もしくは中国系の業者なので、中華街のIR推進もその辺の絡みもあるのかもしれません。浮利を追うだけでなく、その前に香港の弾圧に声を上げろよと言いたくなります。

また、このブログでも何度も書いていますが、市関係4労組(自治労横浜・横浜交通労組・横浜水道労組・横浜市教職員組合)も、建前はともかく、本音では良好な関係にある林市政の継続を求めているはずです。前々回の市長選までは、彼らは公然と林市長を支持していたのです。

同様に前々回まで林市長を支持していた旧民主党(立憲民主党)は、今回は林市長に「裏切られた」として独自候補を擁立しました。住民投票を求める署名活動をしていた市民団体も、立憲の候補を支持することを決定してしています。しかし、今まで旧民主党が横浜でやって来たことを考えると、今更のように偽善者ぶっている立憲民主党に対して、眉に唾して見ている人は多いでしょう。それに、前回も林市長を推薦した連合神奈川の本音が、立憲の候補とは別のところにあるのは間違いないのです。立憲の候補者は横浜市立大医学部の”名物教授”だった人だそうですが、なんだか気の毒にすら思えてきます。

他に、田中康夫氏も立候補を表明しましたが、反IR候補の乱立に一本化を求める声があることに対しては、一本化は「開かれた談合」だと拒否しているそうです。私は、田中康夫氏が横浜に移住していたことも、FMヨコハマで7年前から番組を持っていたことも知りませんでした。ただ、田中氏のバックにはFMヨコハマのオーナーでもある”ハマのドン”がいると言われて、本人もそう仄めかしているようです。だったら、一本化に前向きであってもよさそうですが、そうではないのです。

田中氏は、2016年の参院選におおさか維新の会から立候補し、私もこのブログで「田中康夫の変節」と題して批判しましたが、記者からそのことを指摘された田中氏は、あれは自分にとって「黒歴史」だと言ったそうです。しかし、あのときの田中氏の選択は、そんなひと言で済まされるようなものではないでしょう。

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田中康夫の変節

当初、自民党の候補者リストとして、タリーズコーヒーの松田公太や菅総理の子飼いの三原じゅん子参院議員や林市長と親しく柳美里とも親友だという八方美人の元TBSアナウンサー・渡辺真理などの名前があがっていましたが、その顔ぶれを見るにつけ、どれだけ人材がいないんだと呆れるばかりでした。三原じゅん子が市長候補だなんて悪い冗談だとしか思えませんが、横浜では「三原じゅん子市長」は冗談ではないのです。マジなのです。

メディアは「一部の女性経営者」と書いていましたが、既に支援者たちによって「三原氏を支援する会」が結成され、擁立に動いているというニュースもありました。ただ、三原参院議員の名誉のために言っておけば、三原議員は、本来横浜には何のゆかりもないにもかかわらず、神奈川選挙区でトップ当選を果たした実力者です。横浜では存在感のある立派な(!)政治家なのです。

言うなれば、それが横浜が横浜である所以です。常に「住みたい街」の上位に位置し、オシャレな街、あこがれの街として君臨する横浜も(でも住民税や国民健康保険料はバカ高い)、一皮むけば、そういった外から見れば目をシロクロさせるような光景が、なんの臆面もなく当たり前のように存在する街なのです。

こうして見ると、あたらめて横浜って田舎だなあと思います。それも今どきめずらしいようなド田舎です。子飼いにしても、その取り巻きにしても、面子があまりにもお粗末としか言いようがありません。誰かのセリフではないですが、お神輿はなるべくハリボテで軽い方がいいとでも言いたげです。むしろ、それしか考えてないような感じです。

もうひとり、出馬の噂が消えない元横浜DeNAベイスターズ球団社長の池田純氏は、下記の文春オンラインの記事で、横浜は「日本一大きな田舎」「限られた人たちだけの『村社会』」と言っていましたが、まったくそのとおりで、その認識は私が前に書いた記事とも一致します。ただ、そこが横浜が一筋縄ではいかないところですが、そう言う池田氏自身が「村社会」の住人でないという保証はないのです。”ハマのドン”ばかりが強調されるので誤解されているようですが、横浜は、イスラム世界と同じように、”ドン”と呼ばれる一握りの人間たちによって支配された田舎で、菅総理も新参者ながらそのひとりであることを忘れてはならないでしょう。

文春オンライン
“日本一大きな田舎”横浜の問題点…なぜ横浜市長選は盛り上がらないのか?

横浜市の人口は372.2万人(2015年現在)で、名目GDPは、2021年3月の推計で13兆8774億円(実質GDPは13兆3740億円)です。たとえば、ミャンマーのGDPは6兆6000億円ですから、ミャンマーの倍です。同じくらいのGDPの国を調べると、ハンガリーが12兆6000億円ですので、ハンガリーとほぼ同じです。当然ながら、横浜市には国家レベルの強大な”利権”が存在します。一にもニにも、それが横浜が田舎でありつづける(オシャレになれない)理由なのです。

林市長の前に市長だった中田宏氏は、女子大生とコンパをしたとか人妻と不倫しているとかいった週刊誌のスキャンダル記事によって失脚したのですが、それも、中田氏よる新自由主義的な市政運営が「村社会」の”利権”という虎の尾を踏んだからだと言われています。もちろん、全国でトップクラスの給与を得ていた市関係4労組も、歳出(人件費)削減を掲げる中田市長と激しく対立していたことは言うまでもありません。

別に中田氏の肩を持つわけではありませんが、中田氏が無所属で立候補するまでは横浜市長選は総じて各党相乗りの選挙でした。また、中田氏が辞任したあとの林現市長の時代になると、以前と同じように各党相乗りのオール与党体制に戻っています。中田氏が目の上のたん瘤だった理由がわかるような気がします。

その中田氏に対して「ハレンチ市長」のキャンペーンを張った某週刊誌が、今回も獲物を狙って横浜の街を嗅ぎまわっているそうです。どんなスキャンダルが飛び出してくるか知れたものではありません。このように、今回の市長選でも、”ドン”の息がかかった「村社会」の魑魅魍魎たちがあちこちで跋扈しているのです。

「こんなバカバカしい選挙なんか行ってもしょうがない」という知人の声は、民主主義を無定見に信奉する”良識派”(「負ける」という生暖かいお馴染みの場所でまどろむ勝てない左派)は眉をひそめるでしょうが、しかし、私は、その声が横浜に対するもっともリアルな批評であるように思えてなりません。


追記:(7/14)
その後、記事で触れた部分で動きがありましたので、一応追記しておきます。
①自民党横浜市連は、小此木支援で話がまとまらず「自主投票」になりました。一方で、小此木氏のちゃぶ台返しは菅総理との「出来レース」だという噂があります。それは、IRに反対する”ハマのドン”が90歳と高齢なので、とりあえずIR誘致は凍結して”ハマのドン”に花を持たせる(”状況”が変わるまで待つ)という、如何にも政治屋・菅義偉らしい話です。
②池田純氏は、出馬しないことをあきらかにしました。横浜市長選ではおなじみの週刊誌にDeNAとの金銭トラブルが報じられ、断念せざるを得なかったというのがどうやら真相のようです。ちなみに、女性初の経団連の副会長に就任したばかりのDeNAの南場智子会長は、横浜の再開発に深く関わっており、IR推進の代表的な人物です。
③三原じゅん子参院議員も、出馬しない意向を支援者に伝えたということです。
結局は、林VS小此木の事実上の一騎打ちという、大山鳴動して鼠一匹のような「村社会」が描く構図になってきました。さすが横浜で、「乱立」「混迷」のなかでも、「本命」「当て馬」「泡沫」の輪郭が徐々にはっきりしてきました。

追記:(7/29)
神奈川県内に無料配布されるタウン紙・「タウンニュース」の最新号(7月29日号)の「意見広告」に、小此木氏と菅義偉首相の対談が掲載されていました。そのなかで菅首相は、「横浜の顔になれるこれ以上の人はほかにいない」「すべての横浜市民の未来のために、小此木さんの政治活動を全面的かつ全力で応援します」と小此木氏への支持を明言していました。
上記に書いたとおり、これで小此木氏の出馬が「出来レース」であることがはっきりしました。林VS小此木の一騎打ちの色彩がより濃くなったとも言えますが、一方で、もう勝負は決まったも同然という声もあります。もっとも、林VS小此木と言っても、(ここが重要!)現状のまま話を進めて華僑・中国系にするのか、それともいったん「白紙撤回」してアメリカのIR業者の再登板を待つのか、そのどっちかにすぎないのです。このままでは候補者の乱立も茶番に終わりそうな気配ですが、口さがない街のスズメたちの間でも、選挙戦そのものより、「退路を断ってない」候補者のなかで誰が出馬をとりやめるかに関心が移っています。
また、ここに来て、関内駅近くの一等地にある評価額9億2千万円の旧市庁舎跡地が、7700万円で三井不動産やDeNAなどの企業グループに叩き売られた問題にも再度スポットが当てられています(実際は建物は売却だが土地は70年の定期借地権契約)。濡れ手に粟の買い物をした企業グループのなかに、林市長と親しい星野リゾートの関連会社が入っていたことが物議を呼んでいるのでした。もちろん、その背後にIRの存在があるのは言うまでもありません。
横浜市は直近のデータ(平成30年度)で市債発行残高が3兆1570 億円あり、しかも残高は右肩上がりで増え続ける一方です。それで、執行部や議会は、だから博打のテラ銭で借金を返済しなければならないのだ、とまるでチンビラのような言い草で市民を脅すのですが、その一方で、昨年、917億円の巨費を投じて32階建ての新市庁舎を馬車道駅の近くの北仲通に新築・移転したのでした。ところが、完成した途端に雨漏りがしたとかで、「天下の笑いもの」と言われたり、全国でトップクラスの高給を誇る職員たちが32階の雲上から市民を睥睨するため、横浜名物の「三塔物語」をもじって「デビルの塔」とか「ドラキュラの塔」とヤユされる始末なのでした。
もちろん、このような市政を支えているのはオシャレな街の住民たちです。文字通りこの市民にしてこの市政ありなのです。横浜が「日本一大きな田舎」なら、横浜市民は「日本一の田舎坊」と言うべきでしょう。
横浜市は、住民税が全国一高い自治体です(前は職員の給与が全国一高い自治体でした)。どうして住民税がこんなにバカ高いのかということを少しは考えてもよさそうですが、そんな市民は圧倒的に少数です。言うなれば、住みたい街、オシャレな街という不動産会社が作ったイメージをバカ高い住民税で買っているようなものですが、それがまるでわかってないのです。
ともあれ、これで「日本一大きな田舎」にふさわしい市長選になったと言えるでしょう。


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※日付の古い順に掲載
横浜はイナカ
横浜市長選
横浜市長選と民進党
横浜市政は伏魔殿
2021.07.09 Fri l 横浜 l top ▲
メディア関係で働く知り合いは、小池百合子はまだ自民党に党籍があり、二階派に所属しているよと言っていましたが、ホントなのでしょうか。

都民ファーストは地域政党にすぎないので、現実的にはあり得ない話ではありません。小池百合子の国政復帰が取り沙汰されるとき、メディアの報道も自民党から出馬するというのが前提になっているように思います。実際に、都議選後、彼女がいの一番に向かったのは、自民党本部の二階俊博幹事長のところでした。そういった曖昧模糊とした怪しげな話も、如何にも小池百合子らしいなと思います。

小池百合子の虚像について、メディアがどこまで関わっているのか、むしろそっちの方が興味があります。少なくとも彼女の数々のパフォーマンスも、メディアの協力なしには成り立たないのです。

都議選寸前に「過度の疲労」だとして入院したことについて、”元恋人”(本人たちは否定)と言われる舛添要一氏が、ツイッターでかなり執拗に「病名をあきらかにしないのはおかしい」と突っ込んでいたのも気になりました。若作りをしているとは言え、小池百合子も来週で69歳になります。病気のひとつやふたつ抱えていてもおかしくないでしょう。ただ、投票日前日のサプライズ応援を見ると、今回の入院もやはり、”小池劇場”だったのではないかという疑念は拭えないのでした。

しかし、メディアは、あくまで病気を押して応援したというような(いつもの大甘な)見方に終始していました。政治家が入院すると、病状をあれこれ詮索されて、権力の威光に翳りが生じることもありますが、一方で、批判を封じたり、難局を切り抜けたりするのに都合のいい場合もあります。

安倍晋三が持病で二度目の政権投げ出しを行なった際も、たとえば下記の記事に書いたように、おしどりマコは病気をダシに批判するのはフェアではないと言っていたのですが、そういったおしどりマコのような”同情論”に、したたかな政治家はしてやったりとほくそ笑んでいるに違いないのです。現に安倍はその後、病気などどこ吹く風とばかりにケロッとして、復権への準備に余念がないなどと言われているのです。

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安倍辞任に優しい世論と野党

舛添要一氏は、小池百合子の入院について、「政治は演技である。嘘も方便。IQの低い大衆は、それを見抜けない」とツイートしていましたが、たしかに都議選の結果を見ると、小池都知事のパーフォーマンスは、「IQの低い」都民に大きな効果があったのは事実でしょう。「倒れてもがんばるあたし」に、多くの都民は目を潤ませていたのかもしれません。しかも、入院によって、東京都のコロナ対策に対する批判もすっかり影を潜めたのでした。

私は、都議選の結果を見て、70%とか80%とか言われていた開催反対の世論はどこに行ったんだろうと思いました。案の定、大衆は寝返ったのです。あとは開催されたら、(菅総理らが考えるように)なにもかも忘れて感動に酔い痴れ、バカな本性を臆面もなくさらけ出すに違いありません。

選挙協力した立憲民主党と共産党は、選挙結果について「手ごたえがあった」と論評していましたが、それもいつもの党官僚による自演乙と言わざるを得ません。両党の得票率や得票数を合わせると、自民党のそれを上回ると牽強付会に総括していますが、しかし、今の選挙制度ではそういった総括も気休めにすぎないことぐらい子どもでもわかる話です。どうあがいても、彼らが永遠の野党であることには変わりがないのです。

一方で、メディアは、自民党と都民ファーストの「対立」みたいな幻想をふりまいていますが、しかし、小池百合子の自民党籍の真相は別にしても、都民ファーストが自民党の別動隊であることはまぎれもない事実でしょう。

そもそも記者会見における小池番の記者たちの、あの下僕のようなヘタレな姿はなんなんだと思わざるを得ません。あんなものはジャーナリストでもなんでもなく、ただの御用聞きと言うべきでしょう。

選挙のたびに思うのですが、大衆(有権者)は賢明だ、いつも正しい選択をしているというような言説には違和感を覚えてなりません。社会主義国家(党派)の大衆を神格化する政治的なスローガンのなかにある大衆蔑視の思想を指摘したのは埴谷雄高ですが、社会主義国家の愚劣な憲法の文言を持ちだすまでもなく、大衆を神格化する左派リベラルの観念的なダメさ加減に対して、大衆は所詮「IQの低い」存在にすぎないというバルカン政治家の身も蓋もない大衆観は、ある意味で大衆の本質を衝いているとも言えるのです。小池百合子のパフォーマンスが最強であるのもむべなるかなと思います。

そう考えれば、オリンピック後の総選挙で、麻生+菅VS二階の権力抗争の結果次第では自民党が都民ファと”保守合同”して小池百合子を”選挙の顔”にするという、一部で取りざたされているトンデモ話も、満更あり得ない話ではないような気さえしてくるのでした。と言うか、どこを見渡しても”選挙の顔”がいない自民党内で、「この際、清水の舞台から飛び降りたつもりで小池百合子に相乗りしよう」という、世も末のような話が出て来てもおかしくないように思います。


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『女帝 小池百合子』
2021.07.06 Tue l 社会・メディア l top ▲
Yahoo!ニュースに載っていた「オーサー」の森田浩之氏の記事「東京五輪の暴走に、何もしなかったメディアのことを忘れない」が秀逸で、共感するところ大でした。

Yahoo!ニュース(個人)
東京五輪の暴走に、何もしなかったメディアのことを忘れない

パンデミック下のオリンピック開催をめぐる問題で、私たちがまずなにより痛感されられたのはこの国のメディアのテイタラクです。今までも記者クラブの弊害など、メディアに関してはいろいろ言われてきましたが、ここまでひどかったのかとあらためて思い知らされたのでした。

ポストコロナでは、いろんな業界で大きな変化が訪れるだろうと言われていますし、ビジネスの現場でそのことを痛感している人も多いと思いますが、メディアでも”新聞離れ””テレビ離れ”がいっそう加速するのは間違いないでしょう。森田氏は、「怠慢」と書いていましたが、むしろ根本的な体質の問題と言った方が適切でしょう。文字通り、メディアはみずから墓穴を掘ったのです。

森田氏は、ロンドンのメディア・コミュニケーション学の大学院の授業を受講した際に、教授が口にした「嘘には3種類あります ── 嘘、真っ赤な嘘、そして世論調査」ということばを思い出したそうですが、たしかに、「moving goalposts(ゴールポストを動かす)」ようなやり方で開催に向けた世論を誘導したNHKを筆頭とする世論調査などは、犯罪的であるとさえ言えるでしょう。

そして、現在、開催をまじかに控え、どこの新聞もテレビもオリンピック賛美の美辞麗句で彩られようとしています。タレント活動をしている元オリンピック代表選手らの出演も目立って多くなっています。パンデミック下の不平等な今大会で、開催国の利を生かしてメダルラッシュになるのは火を見るよりあきらかですが、メディアはメダルラッシュを熱狂的に煽り立て、菅総理が言うように「感動で何もかも忘れる」ように演出するつもりなのでしょう。

開催の是非をめぐる議論について、メディアが本来の役割を果たさなかったことだ。この先、東京五輪の行く末がどうなろうと、私たちはメディアについてその点をしっかり忘れずにいるべきだ。


私たちは記憶にとどめておけばいい ── メディアは東京五輪の暴走を止めるために、ほとんど何も仕事をしなかった。メディアとしての機能を果たさなかった。

ぼくたちは何だかすべて忘れてしまう。でも、このことだけはもう忘れない。


森田氏はそう言いますが、私たちもメディアが果たした役割を忘れないようにしなければいけないのです。

東京オリンピック開催のようなデタラメが通るのならなんだってまかり通るでしょう。戦争だってまかり通ってしまいます。適当な大義名分を掲げてそれを煽れば、かつての戦争がそうであったように、そして、オリンピックと同じように、国民はそれを真に受けて熱狂するでしょう。

権力者は、今回の経験で、日本あるいは日本人には「強力な指導力」が通用するということを知ったはずです。小泉政権で「B層」ということばが生まれ、衆愚政治のタガが外れたのですが、菅政権ではサディスティックな強権政治のタガが外れた(外された)と言っていいのかもしれません。それは菅義偉が政治家ではなく、政治屋だからこそできたことでもあります。横浜市議時代に培った”恐怖支配の手法”をそのまま国政に持ち込み、しかも、それが国政でも通用したのです。

いつも上目使いであたりを睥睨する、如何にもコンプレックスの塊のような貧相な小男。なんだかヒットラーと共通するものがありますが、そんな”プチ独裁者”の暴走を押しとどめる者がどこにもいないのです。メディアが本来のメディアの役割を果たしてないのです。そもそも今のメディアは、「本来のメディアの役割」さえはなから持ってないかのようです。

私は、もうひとつ、今回の開催をめぐる問題のなかで、個人的に疑問を持ったことがあります。それは、どうして「愛国」を標榜する右翼は開催に賛成するのか、どうして右翼の街宣車はオリンピック反対のデモにあんなに敵意を剥き出しにするのか、という疑問です。本来なら右翼こそが反対すべきテーマのはずです。国民の命や健康よりスポンサー企業やIOCの意向を優先する菅政権を「売国的」と糾弾してもおかしくないのです。

それで、本棚から片山杜秀氏の『近代日本の右翼』(講談者選書メチエ)という本を引っ張り出して読み返しているのですが、その「あとがき」で、片山氏は戦後の右翼が陥った隘路について、下記のように書いていました。片山氏は、戦前の右翼(超国家主義者)は、「天皇を小道具に魔術を為そうとした者たちが、逆に天皇の魔術にからめとられて、今が気に入らないのか、今のままで大いに結構なのかさえ、よく分からなくなっていった」と指摘していましたが、戦後の右翼もまた、その桎梏から自由になれなかったと書いていました。たとえば、「反共右翼からの脱却」というスローガンを掲げて登場した新右翼に私たちは衝撃を受けたのですが、しかし、大半の戦後右翼にとってはそれも単なる”世迷い言”にすぎなかったのです。

(略)戦後の右翼は、天皇絶対の思想が象徴天皇制をうたう新憲法のせいで相当に弱められることで、かえってもっと自由に、必ずしもすべてを天皇に縛られずに、日本の過去の様々なイメージを持ちだして撃つ方法を手に入れることができたはずであった。ところが実際の右翼は、左翼が天皇を脅かし、新憲法によって弱らされた天皇をますます痛めつけ、ついには天皇を排除しようとしているので、とりあえずこれを守らねばならないという「国防哲学」に専心しすぎ、今ある天皇をとりあえずそのまま保つという戦時中の現在至上主義の一種の反復にかなりの精を費やし続け、現状を打破するための思想性を回復、もしくは創出できないまま、ずるずる来てしまったようにも見える。
(『近代日本の右翼』あとがき)


ところが、その天皇は、なんと菅総理による内奏の3日後に、”推察”というかたちで強行開催に懸念を示したのでした。

一方、菅総理らは、”推察”について、「西村宮内庁長官の個人的な意見」と無視を決め込んだのです。そんな菅総理らの態度に対して、私は真っ先に「君側の奸」ということばを思い浮かべましたが、しかし、不思議なことに、右派からそのようなことばが出て来ることはありませんでした。それどころか、安倍晋三元総理は、”極右の女神”との雑誌の対談で、オリンピック開催に反対する人たちは「反日的」だと仰天発言をしているのです。つまり、パンデミック下においてもなお、国民の命や健康よりスポンサー企業やIOCの意向を優先することが「愛国」だと言っているのです。まさに「愛国」と「売国」が逆さまになった”戦後の背理”を象徴する発言と言えるでしょう。安倍元総理の発言についても、「なに言っているんだ、お前こそ反日じゃないか」という声があってもおかしくないのですが、そういった声も皆無でした。

いろんな意味で、この国の劣化はもはや押しとどめないほど進んでいるのです。オリンピック開催をめぐる問題が、それをいっきに露わにした気がしてなりません。
2021.07.02 Fri l 社会・メディア l top ▲
総合病院に行った翌週、紹介状を書いてもらった近所の病院に診察に行きました。

診察室に入り、ドクターの手元にある私のカルテを見ると、そこには総合病院から送られてきた「報告書」のような紙が貼られていました。私はそれを見て、「なんだ、ちゃんと連携していたんだ」と思いました。

何事においてもそういった傾向がありますが、私自身が勝手にいろいろ考えて、一人相撲を取ろうとしていたみたいです。

ドクターは手元の「報告書」を見ながら、「✕✕注射を打ったんですね?」と言いました。

「どうでした?」
「3日くらい痛みが消えましたが、また元に戻りました」
「ああ、そうですか」
「ステロイドの注射ってそんなもんですか?」
「人によりますね。効く人もいればそうでもない人もいます」

8月に「再来」を指定されたので、そのことについても行くべきかどうか訊いてみました。

「たしかに8月とはちょっと間が空きすぎですが、ただ、✕✕注射の効果を含めて経過を診たいんだと思いますよ。その上で診断が適切だったのかどうか知りたいんだと思います。もし、症状と診断に食い違いが出ていたら、さらにMRIなどで検査して、別の角度から診断することになるのだと思います」

そして、「(キャンセルしないで)指定された診察は受けた方がいいと思いますよ」と言われました。

痛みは多少ぶり返したものの、だからと言ってそれほど気になるほどではなく、どちらかと言えば違和感の方があります。どうしても痛い方の足をかばい、歩く際も足を充分伸ばして歩くことがためらわれるのですが、意識して足を伸ばして歩いても、地面に足を置いて膝を伸ばす際、かすかな痛み(みたいなもの)がある程度です。改善されてきたことは事実です。

「少し水が溜まっていますが、今日はこのままにして様子を見ましょう」
ドクターはそう言って、「来週来れますか?」と訊かれました。「大丈夫です」と答えると、「じゃあ、そのときに次の注射を打つかどうか判断しましょう」と言われました。

前の膝痛の記事でリンクを間違えていたのですが、下記に紹介するヤマケイオンラインの記事は、変形膝関節症に悩むハイカーにとってはまさに”希望の糧”になるような記事とも言えます。そして、引用したようなドクターの発言を考えると、近所の整形外科医の説明も納得がいくのでした。近所の整形外科医はスポーツ医なので、あえて変形性膝関節症よりオーバーユースの方を強調することで、とおりいっぺんの診断とは違った保存療法の大切さを説いていたのかもしれないと思いました。まったく患者というのは勝手なものです。

ヤマケイオンライン
「変形性膝関節症」の痛みの理由を知って、膝痛とうまく付き合おう。認定スポーツ医に聞く膝痛対策<後編>

(略)体重がかかった状態で軟骨がすり減ってくると、圧力の受け皿となる上下の骨が痛みだすことがほとんどです。けれども、人間の体というのはうまくできていて、何とかしようと頑張るのです。
圧力を逃がす方法は2つあります。1つは面積を広くすること。そしてもう一つは、受け皿となる骨が硬くなること。面積が広くなって、土台の役割を果たす骨が硬くなれば、その関節は強くなってきます。この状態を繰り返すのが、変形性膝関節症なのです」


「圧力がかかるようになると、まずは骨棘というものができて、受け皿になる部分の骨の面積が広がります。次に土台の役割を果たす骨が硬くなって骨硬化像というのが生じ、レントゲンで撮影すると白く写るようになります。この状態になれば、軟骨がすり減っても耐えられるようになるんです。そうすると痛みも次第に消えていくでしょう。その状態が、3ヶ月くらいで作られていくのです」


先日の総合病院のレントゲン写真で、白い部分がありまだ炎症が残っているとか棘があると言われたのも、上記の話から考えれば、逆に”希望の糧”と解釈していいのかもと思いました。もちろん、痛みの緩和が遅い場合、別の原因を考えるというのも、ドクターとして当然の判断でしょう。「痛み(炎症)」や「水」や「棘」は、よくなるための”通過儀礼”のようなものと考えてもいいのかもしれません。

整骨院には行っていませんが、個人的に知っている理学療法士も、軟骨が減って骨と骨がぶつかると言うけど、実際にそういった人はほとんどいませんよと言っていました。

私の田舎などには、長年の農作業で極端に腰が曲がった年寄りがいましたが、そういった年寄りが深刻な腰痛や膝痛を抱えるようになるというのならわかります。当然、足も極端なO脚になっています。しかし、それでも痛い膝をかばいながら農作業を続けているのです。

前に浅間嶺からの下りの時坂(とっさか)峠の山道で、下から腰の曲がった老婆が手作りの案内板のようなものを持って登って来た話を書きましたが、そういった老婆だと、気の毒だけど「軟骨が減って骨と骨がぶつかる」深刻な状態に至る可能性がないとは言えないでしょう。

しかし、私たちの場合、痛みの具合とのバランスを考えながら、ストレッチとある程度の運動を取り入れ、よく言われるように膝を支える筋肉の柔軟性を取り戻し、さらに筋力不足を解消して膝の変形を防げば、そこまで悲観的に考える必要はないのではないかと思いました。

もっとわかりやすく言えば、痛みがある間は膝を休ませる(何もしない)。痛みがある程度和らいだら無理しない程度にストレッチをはじめる(しかしやりすぎない)。痛みがほとんど改善されたら筋力を付ける運動をはじめる。そういう段階を進んで行くことが大事なのだと思います。要はその見極めでしょう。でも、これがシロウトには難しく、焦りからフライングして一時的に悪化させてしまうことも多いのです。

余談ですが、記事のなかに出てくる小林医師は以前、大分の病院に勤務していたみたいで、なんだかそれだけで嬉しくなりました(現在は静岡の病院に勤務しているそうです)。また、日本山岳会が主催するハイカー向けの講演会でも講演しているようです。記事のなかで紹介されている本も買いましたが、本はあまりにお手軽にできすぎており、ちょっと物足りない気がしました。

私は、最近、エアロバイクも買いました。今は負荷をかけずに毎日10分~20分ゆっくり漕いでいる程度ですが、膝の状況を見ながら徐々に筋力不足を解消する運動もはじめようと思っています。もちろん、ダイエットも大事なので、(性懲りもなく)またはじめました。3キロくらい減りましたが、ただ、運動ができないので思うように減りません。運動だけではダイエットはできないけど、だからと言って、食事制限だけでも効果を得るのはなかなか難しいのです。
2021.06.30 Wed l 健康・ダイエット l top ▲
昨日(21日)にYahoo!トピックスに掲載された下記の記事に対して、「国際ジャーナリスト」の高橋浩祐氏が書いたコメントが正鵠を射ていたので、あえて再掲します。

Yahoo!ニュース
共同通信
東京五輪、観客上限1万人で開催 5者協議決定、政府制限に準拠

東京オリパラがマネーファーストになっている。スポンサー招待客やチケット代、IOC委員ら五輪貴族を重視し、有観客になったとみられる。

コロナ禍の人命重視で五輪中止が内外で叫ばれてきた中、ここに来て、スポンサー企業などに左右される世界一大スポーツ興行の五輪の地金が出てきている。

ある大会組織委幹部は、「何十億円も出してくれた各スポンサー企業のことを考える、中止という選択肢はない」「電通がスポンサー集めに奔走した。中止になったら電通がつまはじきにされ、つぶれかねない」と話した。

しかし、スポーツはいったい誰のためにあるのだろうか。スポーツの語源はラテン語の「deportare」で仕事や家事から解放される人々の「気晴らし」や「娯楽」を指す。

一方的な決定に国民感情としては大会を支持する気持ちが薄れていくばかりではないだろうか。

五輪を巨額のカネが動く商業主義に陥らせたIOCの罪は大きい。


「マネーファースト」というのは、言い方を変えれば利権ということです。お金がからめば利権が生じるのは当然でしょう。

「スポーツの力」とか「アスリートの夢」とか、あたかもスポーツやアスリートは特別であるかのような言説がふりまかれるのも、その根底にスポーツにからむ利権があるからです。

与党の政治家や産経や読売や右派コメンテーターらが、オリンピックは「国際公約」なので中止はあり得ないと言っていましたが、それは詭弁で、ホントは単にお金を出してもらっているスポンサーとの契約に縛られているだけなのです。こういったところにも、「マネーファースト」の資本主義が持つ野蛮さや節操のなさが顔を覗かせているように思います。

時流におもねる現代文学(平成文学)を「電通文学」だと一刀両断したのは、セクハラで失脚した渡部直己ですが、それは文学だけでなくスポーツも同じです。スポーツに限らず「元気をもらう(元気を与える)」とか「勇気をもらう(勇気を与える)」などという言い方が盛んに使われるようになったのは東日本大震災からですが、言うなればそれは広告代理店のコピーのようなものでしょう。

ネットでは黒色のウレタンマスクをしている人間は頭が悪いイメージがあると言われているそうですが、私は、テレビのインタビューで臆面もなく「元気をもらう(元気を与える)」とか「勇気をもらう(勇気を与える)」などと言っているアスリートや芸能人を見ると、「私は何も考えていません」「私はバカです」と言っているようにしか聞こえませんでした。

今回のオリンピックでも、招致の段階から電通が大きな役割を担い、今回のオリンピックの陰の主役は電通ではないかと言われているくらいですが、もしかしたら、菅首相や丸川五輪大臣や橋本大会組織委員会会長の発言も、電通が作成した台本をただ読んでいるだけかもしれないのです。

昔の政商と言えば、三井や三菱などの旧財閥を思い浮かべますが、高度な情報化社会になった現代では、電通やパソナのような広告や情報を扱う第三次産業の会社がそれに代わったと言えるのではないでしょうか。どこかのバカ息子が役員になっていた東北新社も然りでしょう。

言うまでもなく登山もスポーツですが、だからと言って、私たちのような個人的に山が好きで山に登っている下々のハイカーには、たとえば日本山岳会のような団体はほとんど関係のない存在です。

ところが、(私もこのブログで批判しましたが)昨年の緊急事態宣言の際、日本山岳会をはじめとする山岳関連の4団体が共同で登山自粛の呼びかけをしたのでした。それが登山者を縛るだけでなく、さらに”自粛警察“やメディアに、山に行く登山者を攻撃する格好の口実を与えることになったのでした。しかし、呼びかけはその一度きりで、その後の緊急事態宣言では同様の呼びかけはありませんでした。じゃあ、去年のあの呼びかけは一体なんだったんだと思わざるを得ないのです。ただ国家の要請に盲目的に従っただけのようにしか思えないのです。日本山岳会は、戦前がそうであったように、今も「お国のための登山」を奨励する翼賛団体にすぎないのではないか。私は、彼らが登山者を代表しているかのように振舞うことには反発すら覚えるのでした。一方で、日本山岳会は、百名山、二百名山、果てはみずから三百名山までねつ造して、「モノマネ没個性登山者」(本多勝一)のミーハー登山を煽っているのです。おそらくそこにも、モンベルなどスポンサーの存在があるからでしょう。

それは、登山だけでなく、ほかのスポーツについても言えることです。街のスポーツ愛好者がいつの間にか電通などによってオリンピックのような国家イベントに動員される、その巧妙なシステムを知る必要があるのです。これだけ感染防止が叫ばれているのに、ボランティアを辞退しない人間たちに対する批判がいっさい出て来ないのが不思議でなりません。彼らはホントに”善意の人々”なのでしょうか。彼らの陰で、ボランティア募集の実務を担ったパソナは、対前年比10倍の莫大な利益を得ているのです。

パンデミック下のオリンピック開催によって、初めて(と言っていい)「スポーツは特別なのか」「アスリートは特別なのか」という疑問が人々の間に生まれたのですが、それが「元気をもらう」とか「勇気をもらう」とかいったカルトのような呪縛から抜け出すきっかけになれば一歩前進と言えるでしょう。そして、今回のオリンピックを奇貨として、もう一度スポーツのあり方を根本から考え直すことができれば、”狂気の祭典”もまったく無駄ではないと言えるのかもしれません。と言うか、既に開催が既成事実化された今に至っては、もうこんなことくらいしか言えないのです。


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2021.06.22 Tue l 社会・メディア l top ▲
怖れていたことが現実になった感じです。オリンピックの事前合宿のため、19日の夜に来日したウガンダの選手団9人のなかで、成田空港での検査によって1人の陽性が確認されたというニュースがありました。

しかも、当初、成田空港で行われた検査は、唾液による抗原検査で、抗原検査ではっきりした反応が出なかったので、PCR検査を行ったところ陽性が判明したということでした。入国時の検査の問題について、私は、以前、このブログで次のように書きました。

選手と関係者の入国に伴う検査と健康管理にも、大きな懸念があります。観客を除いても、選手1万5千人に関係者を含めると5〜7万人が入国すると言われていますが、そういった海外からの入国者に対しても、PCR検査より精度が落ちる唾液による抗原検査をするだけで、しかも、選手の健康管理はアプリによる自己申告が主だそうです。

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選手たちは、母国でアストラゼネカ製のワクチンを2回接種し、出国前72時間以内に受けた検査の陰性証明書も提出していたそうですが、それでも陽性者が出ているのです。医療関係者の話では、そういったケースは充分あり得るそうです。ワクチンを打ったから大丈夫というわけではないのです。

ワクチンの接種率が90%に上るイギリスでは、デルタ株(インド型のなかでいちばん最初に発見された変異株)の変異ウイルスが猛威を振るいはじめ急拡大しているというニュースもあります。日本でも早晩、インド型が主流になると言われています。

今回のウガンダ選手団は僅か9人です。そのなかで1人の陽性が判明したのです。東京オリンピック開催に伴う入国者数は、当初の予定から大幅に減って3万5千人になったとか言われていますが、それでも3万5千人に9分の1をかけると、身の毛もよだつ数値が出てきます。もちろん、現実はそんな単純な話ではないにしても、相当数の陽性者が出るのは間違いないでしょう。

さらにびっくりするのは、抗原検査で陰性と判定された残りの選手たちは、どう見ても濃厚接触者であるにもかかわらず、「行動制限が不要と判断され」(東京新聞)、合宿地の大阪府泉佐野市にバスで移動したそうです。合宿地の泉佐野市に到着すると、市民たちが拍手で迎えたのだとか。しかも、陽性の1人も、陰性になれば「入国と国内移動が可能になる」そうです。

パンデミック下にオリンピックを開催するという”狂気の沙汰”が、野郎自大な政治の力によってまかり通ってしまうこの国の現実。しかも、政府は、オリンピック期間中はリモートしろ、通勤は控えろと言うのです。まさに言いたい放題、やりたい放題です。私たちは、現在いま、アイパーを当てて剃りこみを入れ、チョビ髭を生やし、学ランを着て学内を闊歩していた学生時代から一歩も出ない、稚児じみた政治思想の持ち主が運転する専制主義という名の暴走列車に乗っているのです。

加速主義者が願うように、こうやってこの国は堕ちるところまで堕ちていくのだと思います。オリンピックが、国威発揚どころか二等国の悲哀をかこつそのターニングポイントになるのは間違いないでしょう。

あらためてしみじみ思うのは、菅義偉首相は、田舎の市会議員くらいががお似合いの政治屋にすぎないということです。そんな政治屋が、政権与党内のパワーバランスによって、あろうことか国の指導者に祭り上げられたのです。それはマンガチックな不幸でさえあります。

政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長らの提言(案の定、腰砕けになったけど)を無視して開催に突き進む菅内閣の姿勢を、日米開戦について「日本必敗」の結論を出した戦中の総力戦研究所になぞらえるむきもありましたが、しかし、あのときとはあきらかに社会の体制は違っているのです。曲がりなりにも今は「言論の自由」があるのです。

にもかかわらず、産経や読売の保守メディアを筆頭に、オリンピック開催を擁護する言説がこれほど多く存在する現実は、むしろ天皇制ファシズム体制下の戦中よりも深刻な問題を孕んでいると言えるでしょう。右派メディアや右派文化人(コメンテーター)たちが、唖然とするようなアクロバチックな論理で政府の方針を追認する姿を見るにつけ、私はやはり「太鼓持ち」「狂気」ということばしか思い浮かびません。それは、元オリンピック選手をコメンテーターに起用して、彼らにオリンピック賛美を言わせている各局のスポーツ番組も然りです。

反対運動をしている活動家たちに対する警察の監視も日ごとにきびしくなっているようですが、開催まで残りひと月になり、オリンピック開催が治安問題として扱われ、「テロ」を名目に反対運動に対する取締りが香港のようにエスカレートしていく懸念もあります。オリンピックに反対するのは「プロ市民」だというイメージを流布するために、みせしめの強制捜査が行われる可能性もないとは言えないでしょう。そうやって「ニッポン低国」(©竹中労)は、”狂気の祭典”にいっきに雪崩れ込んでいくつもりなのでしょう。

オリンピック開催の問題が、いつの間にか観客数の上限をどうするかという問題に矮小化され、開催そのものが既成事実化されていますが、いみじくも国会の党首討論で前回の東京オリンピックに対する思い出を延々と語っていたように、菅首相には、ガラガラの客席に向かって開会式の挨拶をするような事態はなんとしてでも避けたい気持があるのだと思います。秋田出身のオールド世代の政治屋にとって、オリンピックの開会式は(運動会の来賓とは比べ物にならない)文字通り天にも上るような晴れ舞台に違いないのです。

一方で、無観客を避けるというのは、IOCの至上命令でもあるのだと思います。IOCの独断で、マラソン競技の会場が東京から札幌に変更になった理由について、『オリンピック・マネー 誰も知らない東京五輪の裏側』(後藤逸郎著)は、暑さ対策というのはあくまで建前で、真意は「(暗くて)ヘリで中継できない」からだと書いていました。

当初、東京都は、「暑さ対策」のため、午前6時以前のスタートを決めていました。しかし、IOCは、それでは「(暗くて)ヘリで中継できない」ので午前7時以降のスタートの必要性を主張していたそうです。

IOCは、ドーハ大会でも、ドーハ当局が提案したマラソンのスタート時間について「視聴率が下がるから」という理由で拒否している過去があるそうです。IOCは、放映権を契約した放送局に対して高視聴率を保証しており、そのために、視聴率に貢献できる時間帯や撮影環境に必要以上に拘るのだとか。無観客のようなさみしい光景ではオリンピックは盛り上がらない、視聴率も稼げない、とIOCが考えても不思議ではないのです。

そんな思惑は日本政府も共有しているのです。国民なんて(バカだから)開催反対なんて言っていても、開催すれば戯言を忘れて感動するに違いないと思っているので、そのためにはなんとしてでも観客を入れて、感動を演出しなければならないのです。

海外を見てもわかるように、早晩、第五波の感染爆発が起きるのは必至です。感染防止の優等生だと言われていた台湾やイスラエルでさえ感染拡大に見舞われているのです。私たちは、「風にそよぐ葦」に同調して祝祭ムードに踊らされるのではなく、なにより自分のために、次の感染爆発に備えて「正しく怖れる」ことが肝要なのです。それが”狂気の祭典”に対する賢明な向い方でしょう。


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2021.06.20 Sun l 社会・メディア l top ▲
前の記事から2日後の今日、かかりつけ医から紹介状を書いてもらった総合病院に行きました。この病院は、13年前の正月に尿管結石で二夜に渡って駆け込んだ病院です。ちなみに、その9年後には尿管結石が再発して、結局、ESWLで破砕することになったのですが、破砕した病院はそれとは別の総合病院です。

いづれもこのブログで体験記を書いていますが、今、読み返すとちょっとトンチンカンなことがあり、今日、13年ぶりに診察に訪れて、あらためてそのことが思い出されたのでした。

それは、腹痛で夜間の救急外来に最初に駆け込んだ際、「便秘」と診断されたことです。それまでも3・4年の間をおいて何度か腹痛に襲われたことがありましたが、病院には一度も行ってないので、私自身にも腹痛の原因が尿管結石だという認識はありませんでした。腹痛に襲われたのはいづれも夜間でしたので、病院に行くのがためらわれて布団の中で腹をさすりながら我慢していると、明け方近くにいつの間にか寝てしまい、そして、目が覚めるとウソのように痛みがなくなっていました。それでいづれも病院に行かずじまいでした。

それにしても、私の説明不足もあったにせよ、「便秘」という診断はなんだったんだと思わずにおれません。そして、次の夜、再び腹痛に襲われて同じ救急外来に駆け込んだのですが、その際も若いドクターから、「腎臓が悪いですね」と言われました。問診表の既往症の欄に、若い頃、腎炎で三度入院したと書いたからかもしれませんが、今考えれば、「腎臓が悪い」というのは、結石で尿路の流れが悪くなったことにより水腎症の症状が出ていたからでしょう。

私は、「腎臓が悪いですね」と言われて、「腎炎が再発したのか」とショックを受けました。しかし、そう告げられたきり、私はERのベットの上で、間断なく襲ってくる腹痛に耐えながら、救急車で運ばれて来た別の患者の処置が終わるので待たされることになりました。今考えれば、救急車で運ばれてくる患者を優先的に診るというトリアージがあったのだと思います。

救急患者の処置が終わると、救急外来のリーダーとおぼしきドクターが先程の若いドクターを連れて私の元にやって来て、腎臓のあたりに再びエコーを当てモニターに映し出された画像を見ていました。すると、若いドクターに向かってかなり強い口調で、「どうしてこれがわからないんだ?」と言いながら、専門用語を使って説明しはじめたのでした。

若いドクターへの説明が終わると、今度は私に向かって、「尿路に石が落ちています。尿路結石ですね」「石はそんなに大きくないので、多分時間が経てば尿と一緒に排出されるでしょう。膀胱に移動すれば痛みもなくなるはずです」と説明したのでした。

「とりあえず痛み止めの薬を出しますが、念の為に、明日近くの病院で診てもらって下さい」と言われました。そして、「個人のクリニックがいいですか? それとも大きな病院がいいですか?」と訊かれました。それで「大きな病院がいいです」とわけもわからず答えると、近所にある総合病院(ESWLとはまた別の病院)への紹介状を書いてくれたのでした。

翌日、近所の総合病院に行くと、既に石は流れ出たあとで姿かたちもないと言われました。「おしっこをするとき石が出たのがわかりませんでした?」と訊かれたのですが、尿管結石を意識したのはそのときが初めてだったので、気付きようもありません。ただ、その際、「腎臓に別の石がありますが、それは問題ないです」と言われました。しかし、その石こそがのちに尿路に落ち、ESWLで破砕することになるのでした。

予約では11時からの診察でしたが、診察がはじまったのは12時半すぎでした。診察の前には、いろんな角度からレントゲンを撮りました。私は、れっきりMRIを撮るものと思っていましたので、「レントゲンだけなのか」とがっかりしました。

レントゲン撮影を終え、廊下の椅子で1時間くらい待って診察室に入ったら、そこには足を投げ出して椅子に深々と座った40代くらいのドクターがいました。

「よろしくお願いします」
「あっ、どうも」
そして、私の予診票を見ながら「登山かぁ~」と独り言のように言い、椅子に身体をあずけたまま、レントゲン写真をボールペンで指し示しながら説明をはじめました。

「ここを見てもわかるとおり、一部の関節の間が狭くなっていて、変形膝関節症が進行していますね。末期ではないけど中期と言ってもいいでしょう。また炎症もあります。この白い部分がそうです。棘のようなものもあります」

さらに、私にとって衝撃なことばがそのあとにつづいたのでした。
「また登山をしようと思ったら、人工関節だと無理なので、脛骨の一部を切って繋ぎ直す手術をした方がいいでしょう」
「そんなに悪いのですか?」
「日常生活を送るには保存療法でいいと思いますが、登山のような運動をするなら話は別ですよ」

廊下で順番を待つ間、スマホで担当医のプロフィールを検索したら、スポーツ医とかではなく人工関節が専門のドクターのようで、もしや手術を勧められるんじゃないかと思っていましたが、杞憂が現実になった感じでした。

とりあえず、膝をロックしたまま足の上げ下げをして太腿の筋肉を鍛え、それから体重を落とす。「それで様子を見るしかないですね」と言われました。

「サポーターを持っていますか?」と訊かれました。私は、「来たな」と思いました。それで、「近くの病院で買いました」と答えました。すると、今度は「少しO脚なので、O脚を治すインソールを作ることもできます。値段は高いけど、保険を使えば3割負担で済みますよ。どうしますか?」と言われました。「O脚を治すインソールってアマゾンでも売ってるじゃん」と思って、「今日はいいです」と答えました。帰って調べたら、整形外科の「装具」はインソールでも数万円もするみたいです。

「あと、何度も打つことができませんが、炎症に効く注射があります。どうしますか?」と言われました。私は、ステロイド注射だなと思いました。ステロイド注射は、私の知り合いが打ったことがあり(彼は昨年脛骨を切る「骨切り術」を受け、1年経った8月に金具を取り外す手術を受けることになっています)、”魔法の注射”と言われているけど効果は一時的で、しかも、副作用があるので何度も打つことができないという話を聞いていました。

実際は、ステロイドを打つほど痛いわけではないのですが、全て断るのも気が引けるので「お願いします」と言いました。「糖尿病ではないですよね?」と訊かれてから、膝の前部の関節に注射を打たれました。帰って「診療明細書」を見たら、炎症を抑える「ケナコルトーA」と痛み止めの「キシロカイン」の関節腔内注射となっていました。

「じゃあ、次の診察日ですが・・・・」と言ってパソコンのモニターを見はじめたので、「エッ、次があるんだ?」と思いました。「予約でいっぱいなので、8月になりますね」と言われたので、「わかりました」と答えました。

何度も書きますが、膝痛(特に変形膝関節症など)の場合、「治療法」と呼べるものは、大腿四頭筋を鍛えるためのストレッチと体重を軽くすることくらいしかないのです。もとより、膝痛にはそういった”対症療法”しかないのです。患者から見ると、ドクターのあまりやる気があるように見えない態度も、膝痛が命に関わるような病気ではないからかもしれません。

診察の途中で携帯に電話がかかってきたのですが、どうもそれは救急外来からのようです。そして、外来からの電話を切ると、今度は院内のドクターに電話をしていました。専門用語を使っていましたので詳細はわかりませんでしたが、「麻酔は必要ないと思うんだよね」とか「骨折していたら」どうとか言っていました。診察に時間がかかっているので、他のドクターに処置を頼んだのだと思います。

ステロイド注射は、噂にたがわず効果てきめんでした。注射してまだ半日しか経っていませんが、痛みは完全に消え、多少の突っ張り感が残っているだけです。

帰ってから、さて、近所の整形外科に「精密検査」の報告に行った方がいいのかどうか、考え込んでしまいました。ヒアルロン酸は既に2クール打ったので、痛み止めの薬と湿布を処方してもらうことくらいしかないのですが、”予備がないと不安症候群”なので、痛み止めの薬と湿布と水抜きが途切れることの不安もあります。

患者の立場から言えば、「紹介状」 の意味が今ひとつわかりません。患者をそのまま基幹病院に送るケースもあるし、単に精密検査だけを依頼するケースもあります。片道切符なのか往復切符なのか、はたと悩んでしまうのでした。

いづれにしても、今の自分のいちばんの課題がダイエットであることは間違いありません。たしかに、膝を痛めて運動をしなくなったということもあって、体重は増える一方です。駅のトイレなどで、カガミに映った自分の姿を見て愕然とすることも多くなりました。それで、奮発して体組成計の体重計を買い変えたばかりでした。このブログを読んでもらえばわかりますが、いつもリバウンドのくり返しでダイエットは「もううんざり」という気持しかないのですが、今度は膝痛に直結した課題を与えられているので、気合を入れて取り組むしかないでしょう。

近所の整形外科では、レントゲンの結果は「きれいな膝」で変形膝関節症ではないと言われていたので、今日の診断結果は予想外で、その意味でもショックだったのですが、要するにオーバーユースで変形膝関節症を発症させたということなのでしょう。

膝痛に関しては、私の理解力に問題があるのか、このように捉え方が浅薄でそのときどきの状況にふりまわされて一喜一憂するばかりです。もっとも、(何度も言いますが)膝痛の診断には曖昧模糊としたところがあるのも事実で、そのために整形外科の病院や整骨院めぐりをするようになるのでしょう。医療費の”無駄”と指摘されて、整骨院の保険利用に規制が入ったのもわからないでもないのです。

現金なものですが、結局は下記のような記事を”希望の糧”にして膝痛と付き合っていくしかなさそうです。膝痛の場合、患者もまた、自分の都合ばかり考え、シロウトの浅知恵で自己診断する傾向もあるのです。たかが膝痛と言うなかれで、膝痛というのは命には直接関係がないけれど、それだけやっかいなものだということです(「病気」と書かずに「もの」と書くところもミソですが)。

YAMAKEI ONLINE
膝痛と上手に付き合い、対処していくために必要なこと。認定スポーツ医に聞く膝痛対策<前編>
「変形性膝関節症」の痛みの理由を知って、膝痛とうまく付き合おう。認定スポーツ医に聞く膝痛対策<後編>

診察のあと、会計の窓口の電光掲示板に私の計算が終了した表示が出なくて、私よりあとの番号がつぎつぎと表示されるので、しびれを切らして窓口に問い合わせたら「あっ、支払いできますよ」とあっさり言われました。公的な病院だから仕方ないのかもしれませんが、「申し訳ありません」のひと言もないのです。若い頃ならいざ知らず、年を取るとそんなことが妙に気にかかるのでした。私は早く帰りたいのでそのまま引き下がりましたが、ややもすると小言幸兵衛を演じて「キレる老人」などと言われることになるのでしょう。

病院を出たのは13時半すぎでした。行きも帰りもタクシーを使いましたが、関東地方は今日は局地的な大雨に襲われて、タクシーを捕まえるのもひと苦労でした。行きは最寄り駅の前のタクシー乗り場から乗り、帰りは病院の玄関前のやはりタクシー乗り場から乗りましたが、いづれも一台も待機してなくてしばらく待ちました。運転手によれば、新横浜駅のタクシー乗り場には長い行列ができていたそうです。

余談ですが、運転手の話では、私鉄の駅は指定の会社のタクシーでないと客待ちはできない決まりになっているそうですが、JRの駅は指定がないのでどこの会社でも客待ちができるのだとか。ただ、そうは言っても、客待ちするにも暗黙のルールがあって、ルールを知らない新参者のタクシーが入ると常連の運転手から文句を言われるのだそうです。「建前上は誰でもいいことになっていますが、実際は縄張りがあるんですよ」と言っていました。

帰りの道中では、気分は暗く憂鬱で仕方ありませんでした。今年の初めの山田哲哉氏の『奥秩父 山、谷、峠そして人』に関する記事でも書いたように、最近の私は山しか「逃避」するところがない感じだったので、落胆せざるを得ませんでした。山に行けないのならもう死んだほうがましと(一瞬ですが)思ったくらいでした。山に登らない人には理解できないかもしれませんが、私のような人間にとっては、「たかが山」だけど、でも「されど山」でもあるのです。帰りのタクシーでやたら運転手に話しかけ饒舌を装っていたのも、そんな落ち込んだ気分を紛らわそうとしていたからだと思います。
2021.06.16 Wed l 健康・ダイエット l top ▲
その後の膝の具合ですが、相変わらず停滞したままです。従って、ここに書く内容も同じことのくり返しになります。

膝を痛めた山行が3月10日ですから、もう3ヶ月が経ちました。痛みはいくらか緩和されたものの、少しでも歩数が増えると途端に痛みが増し、膝が腫れぼったくなります。要するに水が溜まるのです。

ヒアルロン酸は既に2クール(5週を2回)注入しましたが、あまり効いている感じはありません。もう一度山を歩きたいという気持が強いので、焦燥感ばかりが募り、気分は落ち込む一方です。

3週間前、病院に行った際、いっこうに水が止まらないのはもしかしたらオーバーユースではない別の原因があるかもしれないので、一度、精密検査をした方がいいかもしれませんね、と言われました。

ところが、不思議なことに、そう言われた途端に水が引き始めたのでした。そして、次の週、病院に行ったら、ドクターから「水が引いていますね」「これでやはりオーバーユースが原因だということがはっきりしました」「精密検査の必要はないですよ」と言われました。しかし、喜んだのもつかの間、先週行ったらまた水が溜まっていました。

痛みは、ずっと変わらず続いています。家のなかだと突っ張り感だけで、ほどんど痛みは感じないのですが、外を歩くと痛みが出てきます。そして、距離が長くなると痛みが増すのでした。痛める前に日課になっていた4キロの道を試しに歩いてみましたが、帰ってきたら膝の張りが尋常ではありませんでした。

先週でヒアルロン酸の2クールが終わったので、私はドクターに「やはり一度精密検査を受けてみます」と言いました。そして、新横浜にある総合病院の整形外科の紹介状を書いて貰いました。私自身、MRIで詳細に診て貰いたいという気持があったので、水が引いて精密検査は必要はないでしょうと言われたときは、正直、がっかりしたのでした。

山で酷使したのは紛れもない事実なので、今になって後悔していますが、ただそれにしてもこんなに長引くものなのかという疑問もあります。今までも山から帰ったら膝痛に襲われたことは何度もあります。膝の場合、1日おいてから症状が出て来るので、山から帰った翌日に膝痛で階段の上がり下りに苦労したということもありました。しかし、いつも2~3日経つと痛みもなくなりました。

今までの酷使が積み重なったからだと言われればそうかもしれませんが、今回に限って3ヶ月も痛みが引かないというのはいくらなんでもレベルが違いすぎるような気がしてなりません。仮にMRIで異常はないと言われても、それはそれでいくらか安心はできるのです。

週が明けた今日(月曜)、総合病院に電話して外来の予約を入れ、明後日、MRI検査を受けることになりました。

何度も言いますが、オーバーユースと変形膝関節症の違いがよくわかりません。ネットの見過ぎなのかもしれませんが、変形膝関節症のストレッチを行なったりすると、オーバーユースでは逆効果になる場合もあるのではないか。そう思ったりします。

先週も、ドクターと次のようなやりとりをしました。

「なるべく膝に負担をかけないことですね。そう言うと、じゃあ、トイレに行くのも這って行くのですか?と極端なことを言う患者さんがいるのですが、日常生活で必要な歩行は仕方ないでしょう。でも、筋力を落とさないために少しくらい痛くても歩こうなどと考えるのは間違っています。✕✕さん(私のこと)は、まだ若いので仕事をするのにある程度歩くのは仕方ありません。また、人より体格がいいので体重も重くて、その点も直りが遅い要因になっていると思います。ただ、足腰を鍛えようと無理して歩いたりするのは禁物ですよ」
「じゃあ、先生、たとえば膝をロックして足を上げて大腿四頭筋を鍛えるとかいうストレッチなどはどうなのですか?」
「スクワットのような体重がかかるストレッチは論外ですが、そういった体重がかからないストレッチは痛みを軽減する効果はあります。ただ、それでオーバーユースの症状が改善されるということはありません。それとはまったく無関係です。基本は膝を休ませることです。筋力を付けるというのは、膝が良くなってからの話ですよ」
「膝を痛めて3ヶ月になりますが、3ヶ月かかってこんな状態というのは普通にあり得ることですか?」
「あり得ますね。膝痛の場合、症状の程度だけでなく、その人の生活や体形・体格など別の要素も関わってくるので、治りが早い人もいれば遅い人もいる。千差万別です。膝には体重の3倍の負荷がかかると言われていますので、体重を落とすことも大事ですよ」

体重も落とせないで膝痛を治そうと思うなと言われているようで、穴があったら入りたいような気持になりました。

ドクターが言うには、前も書きましたが、膝痛の7割はオーバーユース、つまり使いすぎなのだそうです。変形膝関節症などは一部にすぎないと言っていました。使いすぎには老いも若きもない、誰でも膝痛になるそうです。

こんな状態ではいつになったら再び山を歩けるようになるかわかりませんが、とにかく、「絶望の虚妄なること亦希望に同じ」(魯迅)の精神で、目の前の課題をひとつひとつこなして気長に待つしかないのです。もどかしいけど、それしかないのです。でも、気分は暗い。


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膝を痛めた
2021.06.14 Mon l 健康・ダイエット l top ▲
これは強調しておかなければなりませんが、当初、国会議員で東京オリンピックに反対したのは山本太郎参院議員(当時)だけです。今でこそ、共産党や立憲民主党が反対を表明していますが、反対に転じたのはごく最近のことです。誘致に成功した当初は、立憲民主党(旧民主党)や共産党も賛成していたのです。

前の記事のくり返しになりますが、後藤逸朗氏の『オリンピック・マネー』からその部分を引用します。

  二〇二〇年東京大会開催が決定した直後、日本の衆参両院は十三年十月十五日、「二〇二〇年東京オリンピック・パラリンピック競技大会の成功に関する決議案」を採択した。
  衆院では、自民党の遠藤利明議員が、「自由民主党、民主党・無所属クラブ、日本維新の会、公明党、みんなの党、生活の党を代表し」と、提案趣旨を説明。全会一致で可決された。
  参院では、自民党の橋本聖子議員が、「自民党、民主党・新緑風会、公明党、みんなの党、日本維新の会、新党改革・無所属の会、生活の党の各会派共同提案」、「国民との対話を重視し、情熱を持って諸対策を強力に推進し、二〇二〇年に向け、万全の体制を構築すべき」と説明。投票総数二百三十九、賛成二百三十八、反対一で可決された。


まさに翼賛国会そのものです。共同提案に応じなかった日本共産党も、本会議の決議では賛成したのです。でも今になって、日本共産党は「日本はIOCの植民地なのか」(志位委員長)などと言っているのでした。

その山本太郎れいわ新選組代表は、先日の記者会見で、開催強行に突き進む菅政権について、「完全に常軌を逸した世界」「漫画のような世界」とこき下ろしていたそうですが、けだし、当時の国会議員のなかで、開催を批判する資格があるのは山本太郎だけでしょう。

今頃、国会でオリンピック開催の是非を論じているのは、朝日の反対論と同じであまりにも遅すぎると言わねばなりません。と言うか、リベラルなメディアや野党が得意とする、大勢が判明してからのとって付けたような反対のアリバイ作りであるのはミエミエです。

ついこの前まで開催に反対する声が国会内に存在しなかったという事実。オリンピックは、文字通り挙国一致体制のなかにあったのです。一方で、ここに至っても尚、「愛国」を自称する右派メディアを中心に、莫大なキャンセル料を取られるとか、アスリートの夢を潰すことになるとか、日本の信用がガタ落ちになるとか、それこそ本末転倒した理由で開催強行を擁護する声があります。狂っているのはIOCだけではないのです。

ロラン・バルトが喝破したように日本の中心にあるのは”空虚”なのです。誰も責任を取らない「無責任体系」が、この国をこの国たらしめているもうひとつの国体です。

下記の文春オンラインの記事は、そんな日本の社会をつらぬく「無責任体系」について、「日本人の習性」という言い方で分析してました。

文春オンライン
「五輪で日本人が金を取れば盛り上がる。何とかなる」…菅政権の「楽観論」に見る“日本人の習性”

「日本人には危機に際して、『起きては困ることは、起こらないことにする』悪癖がある」という故半藤一利の指摘は、まさに正鵠を射ていると言えます。たしかに、「想定外」ということばはなんと便利なんだろうと思います。「想定外」ということばにも、この国をつらぬく「無責任体系」が映し出されているのでした。

開催を1年延長した際の安倍総理(当時)の対応について、記事は次のように書いていました。

(略)週刊文春4月29日号にこんな逸話が載っている。東京オリンピック開催の延期を決定した昨年3月、大会組織委会長の森喜朗が「2年延期」を主張したが、首相だった安倍晋三が「日本の技術力は落ちていない。ワクチンができる。大丈夫です」と根拠のない理屈を言って「1年延期」で森を説得。その結果、2021年開催になる。


それは、菅総理も同じです。

(略)菅首相は4月12日、「感染の波は想像を超えたもの」と国会で答弁した。そのような災禍の最中でありながら、コロナと五輪は別問題だと言い続け、また五輪開催はワクチン接種を前提としないと言いもした。今の日本はとめどない無責任の渦中にある。


そして、現在、菅総理は、ワクチン接種の拡大をなりふり構わず進めているのでした。なんだか出来の悪い受験生のようです。

菅総理は、当初、ワクチンなんてあとでいい、オリンピックが始まれば、開催反対の世論なんてすぐ変わる、感動に寝返るとタカを括っていたのでしょう。しかし、ワクチンの遅れに対する不安が思ったより広がったので、今度はワクチン接種が進めば世論をなだめることができると、記事が書いているように泥縄式にワクチン接種に舵を切ったのだと思います。

開催まで2ヶ月を切りましたが、ここに来て、案の定と言うべきか、「高止まり」と言いつつも感染拡大に歯止めがかかりはじめました。しかし、何度も言いますが、新規感染者数なんて検査数を操作すればどうにでもなるのです。

職場と通勤電車の感染防止がなおざりにされたまま、飲食店や娯楽施設や商業施設などがやり玉に上げられて苦境に追いやられていますが、これほど理不尽で、これほど無責任な話はないでしょう。

コロナ禍でも仕事に行かなければならない事情はわかりますが、それにしても、通勤電車のなかでの乗客たちのふるまいはおよそ感染防止とは程遠いものです。ひとりひとりが「正しく怖れる」なら、緊急事態宣言なんてどうだっていいのです。しかし、通勤電車における感染は「感染経路不明」として処理され、誰が見てもスーパーのレジなどに比べたらはるかに問題ありの車内の”密”は不問に付されているのでした。

「電車の座席に座ることが人生の目的」みたいな彼らを見ていると、オリンピック開催に反対だなどとよく言えたもんだと言いたくなります。菅総理が考えるように、彼らはワクチン接種さえ進めばいつ感動に寝返るとも限らないでしょう。

(略)東京オリンピックやコロナ対策を戦争と重ね合わせる向きがある。分不相応に大きなことをやろうとする、撤退戦を知らず玉砕に向かう、精神論で乗り切ろうとするetc。

  これらをレトリックと見る方もいるかもしれないが、そうとも言えない。軍隊は閉鎖的な性質であることから、その内部で観念が純化される性質にあり、そのため戦争には国の文化や国民性がより強調して現れるからだ(略)。
(同記事)


要するに、みんなで渡れば怖くないは「日本人の習性」なのです。たしかにオリンピック開催に突き進む今の日本は、アスリートに元気や勇気をもらってみんなで感動すれば、コロナも怖くないとでも言いたげです。為政者やメディアが、「スポーツの力」なるカルトまがいの精神論を口にするのもよく似ています。

なんだかアスリートが悪病を祓ってくれる神サマのようです。そのうち神宮外苑に”池江神社”が建立されてもおかしくないでしょう。

もちろん、「無責任体系」は、政治家だけの話ではなく国民も同じです。先の戦争でも、国民は、東條英機の自宅に「早く戦争をやれ」「戦争が怖いのか」「売国奴め」と段ボールに何箱もの手紙を送って、戦争を熱望したのです。でも、敗戦になった途端に、自分たちは被害者だと言いはじめたのでした。そして、政治家や軍人と一緒になって、”昨日の敵”にすり寄っていったのでした。

誰も責任を取らない、如何にも日本的な「とめどない無責任の渦中」で、開戦、いや、開催は文字通りなし崩し的に強行されようとしているのです。


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『永続敗戦論』
2021.05.30 Sun l 社会・メディア l top ▲
膝痛は既に2ヶ月以上経ちましたが、いくから改善されたものの、完治にはまだ程遠い状態です。自分の感覚では50%くらいです。そのあたりで行きつ戻りつしている感じです。

水(関節液)も7回ぬいていますが、すぐに溜まって、イタチごっこを繰り返しています。ヒアルロン酸も水をぬくたびに注入していますので、既に7回注入しています。明細書を見ると、現在の関節注射は「スベニールディスポ関節注25mg」が2回。その前は「アルツディスポ関節注25mg」をワンクール(5回)注入しました。

痛みは半分程度に緩和されたものの、水は相変わらず溜まっていますので、あまりヒアルロン酸の効果が出ているようには思えません。ドクターはいつも首を捻っていますが、そんなドクターの様子を見るたびに私は暗い気持になるのでした。

ただ、痛み止めを飲んでいる限り、通常の生活の範囲内であれば、それほどひどい痛みを感じることはなくなりました。前のように突き上げるような激しい痛みは姿を消しました。

今、いちばん気になるのは張りや突っ張っりです。また、歩いていると、膝のなかの筋肉か軟骨かなにかが緩んだようなグリグリした感覚が出ることがあります。おそらくそれも水が原因なのだろうと思います。

そう考えると、膝に溜まっている水がなくなれば今の状態がかなり改善するような気がするのです。

とは言え、少しでも歩数が多くなると、てきめんに膝の状態が悪くなるのも事実です。通常は毎日4500歩くらい歩いています。膝を痛める前は1万歩前後は歩いていましたので、運動量は半分くらいになっています。ただ、用事などがあって2000~3000歩余分に歩くと、途端に状態が悪くなり痛みも出て来るのです。腫れも大きくなっているのがわかります。

膝痛は個人差があり、自然治癒を待つしかないので、このように行きつ戻りつしながら鈍牛の歩みで進むしかないのかもしれません。それは自分でもわかっているつもりです。しかし、ストレスは溜まる一方で、ずっと気持が萎えたままです。思うように歩くことができないということが、こんなに大きなストレスになるとは思ってもみませんでした。いつの間にか暗い方に暗い方に、また、悪い方に悪い方に物事を解釈している自分に気付いて、ハッとすることがあります。

普段は、ドクターから指示された、膝をロックして足を5秒上げるおなじみのストレッチなどをやっていますが、最近は膝痛改善の本に書いていた軽めのスクワットも時折それに加えています。

ストレッチは、サポーターと同じように膝の関節を支える大腿四頭筋などの筋力を鍛えるのが目的だと書いていましたが、だとすれば効果が出るまで相当な時間がかかるのではないか、とまたネガティブに考えたりするのでした。

それに、ストレッチが逆に膝に負担を与え炎症の治りが遅くなることはないのかとか、そもそも膝関節症とオーバーユースによる炎症はどう違うのかとか、前も書きましたが、次々と疑問に襲われるのでした。

膝痛になったら、そんなモヤモヤした状態のなかに置かれるのです。よく言う「水抜きとヒアルロン酸でお茶を濁されている」ような気持になるのです。出口のないトンネルのなかを行ったり来たりしているような感じで、ホントに出口に辿り着けるのだろうかと不安になったりするのです。そのため、整形外科と整骨院を渡り歩く”渡り鳥患者”が出て来て、テレビの通販番組の格好のターゲットになったりするのでしょう。

「手術をした方が早いんじゃないか」「先生を紹介するよ」と言ってくれる知人もいますが、しかし、それはいくらなんでもオーバーではないかと思います。停滞しているとは言え、改善していることは事実なのです。痛みも以前より和らいでいるのです。そこに希望を持ちたいと思っています。最初に診断を受けたとき、膝関節症などではなく、単なるオーバーユースだろうと言われたのですが、そのことばを信じたい自分がいるのです。

また再び山に行きたいと思っているので、よけい焦る気持も強いし、ときに気持が沈むこともあるのでしょう。

膝痛になって思ったのは、他の病気のように、高度な医療の進歩みたいなものを実感することはほとんどありません。膝痛や腰痛や肩痛などの治療は、整形外科のすぐ近くにリハビリと称して整骨院の施術が存在しているように、注射や薬物よりストレッチやマッサージなど、どちらかと言えば理学療法が大きなウエイトを占めるような世界です。そのため、患者個人の治療に対する前向きな姿勢も大事だと言われるのです。その意味では、もう一度山に行きたいという気持は決して悲観するものではないはずで、そう思ってみずからを鼓舞しているのでした。
2021.05.24 Mon l 健康・ダイエット l top ▲
オリンピック・マネー


アメリカのNBCは、2013年から2020年(2021年に延期)の東京オリンピックまでの夏冬4大会分の放映権を44億ドル(約4855億円)で獲得しており、契約の上では今回の東京大会が最後の大会になるそうです。ただ、NBCは、これとは別に2032年まで(東京大会以後6大会分)の放映権も、既に76億5000万ドル(約7800億円)で獲得しています。

放映権というのは、無観客であれ何であれとにかく大会さえ開かれて、IOC(実際は関連会社のオリンピック・ブロードキャスティングサービス=OBS)が撮影したいわゆる“国際映像”が配信されれば、契約が成立するのです。

つまり、IOCにとっては、どんなかたちであれ、開催すればいいのです。日本政府は、自国民の健康より、そんなIOCの金銭的な都合を優先しているのです。そんな日本政府の姿勢に対して、間違っても”右”ではない私でさえ「売国」ということばしか思い浮かびません。

ちなみに、日本のメディアは、高騰する放映権料のために、NHKと民放が共同でジャパンコンソーシアム(JC)という組織を作っており、JCも2018年の平昌冬季オリンピックから2020年(2021年)の東京オリンピック、2022年の北京冬季オリンピック、2024年のパリオリンピックまでの4大会分の放映権を獲得しています。放映権料は、平昌・東京が660億円、北京・パリが440億円で、合わせて1100億円だそうです。

他にヨーロッパでは、ヨーロッパ全域で「ユーロスポーツ」を展開するアメリカのディスカバリー社が放映権を取得しており、金額は2018~2024年までの4大会で13億ユーロ(約1730億円)だそうです。

これらの巨額な放映権料と、IOCが「TOP」または「ワールドワイドオリンピックパートナー」と呼ぶスポンサー企業からのスポンサー料がIOCの財政を支えているのです。年間平均で約1500億円と言われるIOCの総収入のうち、テレビの放送権料が73%を占め、次いで「TOP」スポンサー料が18%で、残りがライセンス料などだそうです。

いづれにしても途方もない金額のお金が、関連会社などを通って(文字通り資金洗浄されて)「五輪貴族」たちのもとに流れ、彼らに優雅な生活をもたらしているのです。それが「ぼったくり男爵」と呼ばれるゆえんです。

オリンピックではIOCの幹部たちが泊るホテルのグレードまで、開催都市契約の付則で細かく規定されているそうです。

  ホテルのグレードは「四つ星~五つ星のホテル」で計千六百室、三十三泊の確保を開催都市に義務づけている。
  二〇二〇年東京大会では、立候補ファイルで「ホテルオークラ」と「ANAインターコンチネンタルホテル東京」、「ザ・プリンス パークタワー東京」、「グランドハイアット東京」の五つ星ホテルの全室をIOCファミリーに提供すると保証した。
(後藤逸郎『オリンピック・マネー』)


「TOP」というのは、「The Olympic Partner」の略で、東京オリンピックに協賛するスポンサーとはまったくの別格の、IOCと直に契約したスポンサー企業です。一業種一企業に限定されており、そうすることでオリンピックに連動した宣伝効果の価値を高めているのです。IOCが実質的なスポーツビジネスの会社であることの一面を伺わせる内容と言えるでしょう。

現在の「TOP」スポンサーは、以下の14社です。

コカ・コーラ
エアビーアンドビー
アリババ
アトス(フランスのIT企業)
ブリヂストン
ダウ・ケミカル
ゼネラル・エレクトリック
インテル
オメガ
パナソニック
P&G
サムスン
トヨタ
VISA

「TOP」スポンサーの契約内容もご多分も漏れず秘密にされていますが、『オリンピック・マネー』によれば、2015年にIOCと「TOP」スポンサー契約を結んだトヨタ自動車のスポンサー料は、「2024年までの10年間で約2千億円と推定されている」そうです。

先日、パナソニックが大幅なリストラを発表しましたが、IOCに多額のスポンサー料を払いながらその一方で首切りと言うのでは、社員たちもやり切れないでしょう。

「TOP」以外の東京オリンピック限定のスポンサー企業については、下記に記載されています。

TOKYO2020
パートナー

それを見ると、前も書きましたが、「オフィシャルパートナー」に読売新聞・朝日新聞・日本経済新聞・毎日新聞が入っています。また、その下のカテゴリーの「オフィシャルサポーター」には、ヤフー・産経新聞・北海道新聞が名を連ねています。

これから開催に向けた本格的なキャンペーンがはじまると思いますが、スポンサーになっているそれらのメディア(その系列のテレビやスポーツ新聞も含めて)の報道は、くれぐれも眉に唾して見る必要があるでしょう。

JOCの「オフィシャルパートナー」の朝日新聞は、開催をめぐる問題について、下記のような記事を書いていました。

朝日新聞デジタル
五輪開催に突き進むIOCの本音は 放映権料に分配金…

IOCは支出の約9割を、アスリート育成や世界各国の五輪委員会や競技団体への分配に使っているとしている。仮に大会が中止になり、放映権料を払い戻すことになれば、特にマイナー競技の団体は分配金が減って資金難に陥る可能性がある。


なんだか中止になったら大変なことになると遠回しに脅しているような記事で、オリンピックありきの本音が出ているように思いました。「配当金」なる二義的な問題に焦点を当てることで、問題のすり替えをしているように思えなくもありません。

『オリンピック・マネー』によれば、IOCは、競技団体をA~Eの5段階にランク分けして活動資金を「配分」しているのですが、その5段階のランク付けは、テレビなどメディアの露出度によって分けられているのだそうです。そこにもスポーツビジネスの営利会社と見まごうようなIOCの体質が垣間見えるのでした。ちなみに、2016年のリオ大会におけるランク付けでは、Aランクは水泳・陸上・体操で、最下位のEは近代五種・ゴルフ・ラブビーだったそうです。Eランクのゴルフとラグビーは経済的に自立しているため、オリンピックに対する依存度が低いからでしょう。Dランクには、カヌー/カヤック・乗馬・フェンシング・ハンドボール・ホッケー・テコンドー・トライアスロン・レスリングなどがありました。

しかし、IOCの財務が非公開なので、「支出の9割」という話がどこまでホントなのか、誰もわからないのです。あくまでそれはIOCが主張していることにすぎないのです。ましてマイナー競技の団体が、IOCの「分配金」で息を継いでいるような話には首を傾げざるを得ません。後藤氏は、IOCの下に多くの財団や関連会社が連なる「複雑なグループ組織」の間の金の流れを調べようとしても、「情報が公開されていないという壁が(略)立ちふさがる。疑問があって調べても、スイスの法制というブラックボックスへと消えてゆく」と書いていました。

IOCが本部を置くスイスのNPOの規制は緩く、誰でも定款を作りNPOを名乗れば登記しなくても法人格が認められるのだそうです。しかも、財務を公表する必要もないのです。定款に基づけば収益活動も自由で、収益に対しても税の優遇処置を受けることができるのだとか。そのため、IOCだけでなく、FIFA(国際サッカー連盟)やUEFA(欧州サッカー連盟)など多くのスポーツ団体が、NPOとしてスイスに本部を置いているのだそうです。

オリンピックが経済的に自立できないマイナースポーツの祭典になっており、それ故にマイナースポーツの競技団体や選手たちが、オリンピックにすがらざるを得ない事情があることも事実でしょう。だからと言って、オリンピックが(それもたった1回の東京オリンピックが)中止になると、競技団体が兵糧攻めに遭い苦境に陥るかのような言い方は、いくらなんでも大袈裟すぎるように思います。

仮に百歩譲ってそうだとしても、じゃあ経済的に自立できないマイナースポーツの存続のために(IOCから「分配金」を貰うために)、開催国の国民の健康と命がなおざりにされていいのかという話になるでしょう。それこそオリンピックありきのアスリートが、自分のことしか考えてないというのと同じではないでしょうか。

アスリートの夢は、コロナ禍で苦境に陥っている飲食店の店主や真っ先に人員整理の対象になった非正規雇用の労働者や、あるいは医療崩壊してトリアージの対象になり命が見捨てられた患者のそれと違って特別なものなのか。彼らにも夢はあるしあったはずなのです。スポーツは、国民の暮らしや健康や命に優先するほど特別な存在なのか。とどのつまり、そういうことでしょう。スポーツで元気を与えたいなどとふざけたことを言っている代表選手に、そう問い正したい気がします。むしろ、スポーツは、聖火リレーの歴史が示しているように、ファシズムやスターリニズムなど全体主義ときわめて親和性が高いものでもあるのです。朝日の記事にある「スポーツの力」ということばには、くれぐれも注意が必要でしょう。と同時に、朝日の記事がIOCのいかがわしさに一切触れてないのも不思議でなりません。朝日は、IOCの利権について、それを検証する視点さえ持ってないのでしょうか。

後藤氏は、「分配金」を「寄付」と言い換えて、そのカラクリを次のように書いていました。

  IOCは開催都市との契約で、「競技の撮影はOBSに発注する」ことを義務づけている。この金額は非公表だが、「数百億円」(二〇二〇年東京オリンピック組織委員会メンバー)とみられている。
  IOCはテレビ放送権で得た巨額な収入の一部を、開催都市に運営部の一部として寄付している。しかし、開催都市がOBSと契約せざるを得ない以上、IOCの寄付金はいったん開催都市を経由し、IOCの関連会社に戻るだけに過ぎない。
(同上)


また、”国際映像“の撮影費用の一切合切も開催国の組織委員会が負担することになっているのだそうです。そこにも「寄付」のカラクリが存在するのでした。

  二〇二〇年東京大会で発生するOBSの費用は公表されていない。だが、一九九八年長野大会が七競技六十八種目で約二百億円かかっていることから、三十三競技三百三十九種目が行われる二〇二〇年東京大会の放送費用は、数倍に上る可能性が高い。
  この費用は東京オリンピック組織委員会が負担する。IOCは東京オリンピック組織委員会に八百五十億円を寄付している。お金に色はついてないが、八百五十億円の大半はOBSの費用に充てられる計算だ。
(同上)


まるで「寄付」がマネーロンダリングの役割を担っているかのようです。いったん「寄付」したお金が、契約上圧倒的な優位に立つIOCによって回収される(ぼったくられる)ことによって、結果的にオリンピックマネーがIOCの関連会社に還流し、関連会社の役員をしているIOCの幹部たちの懐に入っていくのです。しかも、関連会社の役員報酬も非公開なのです。

メディア、特に「オフィシャルパートナー」の4大全国紙は、どこも明確に開催に反対する社論を掲げていません。「感染が収束しないので政府は困っている」というような論調でお茶を濁しているだけです。まだ感染収束とはほど遠い状況にあることを考えれば、そういったオブスキュランティズムは、スポンサーになっているということも含めて、「言論の死」ならぬ「言論の自死」と言っても過言ではないでしょう。これでは、”緩慢な死”どころか、加速度的に新聞離れが進むのは間違いないでしょう。東京オリンピックは、「言論の自死」という副産物までもたらしたのです。

もっともそれは、政治家も同じです。東京オリンピックの招致に成功したあと、衆参両院は、「2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会の成功に関する決議案」を採択したのですが、その際反対したのは参院の山本太郎議員(当時)だけだったそうです。共産党も賛成したのです。後藤氏は、翼賛的な決議案の採択について、日本は「無邪気な選良がオリンピックを無批判にあがめる」国だと痛烈に批判していました。ただ、現実には日本のような国は少数で、開催費用の高騰なども相まって、今後オリンピック開催に手を上げる都市がなくなる懸念さえあり、IOCも危機感を募らせているのだそうです。

また、新国立競技場が、オリンピック後、陸上の世界大会が開かれることができなくなるという話もあります。何故なら、世界陸連の規定でサブトラックが付設されていなければならないのですが、新国立競技場はオリンピック後に神宮外苑の再開発でサブトラックがなくなるからです。そのために、世界新記録などの公式記録が認められなくなるのです。

そのオリンピックにかこつけた神宮外苑の再開発が、「サメの脳みそ」や「空疎な小皇帝」など少数の関係者の密談で決まったという話や、マラソンと競歩が札幌に変更されたホントの理由などもありますが、そういった話は次回に譲ります。

感染が蔓延しているからオリンピックをやめるべきだというのも大事な論理ですが、オリンピックが抱える問題はそれだけではないのです。1974年に「オリンピック憲章」からアマチュア規定が削除され、以後オリンピックもIOCも大きく変質したのです。上記のように放映権料もとてつもない金額に高騰し、利権まみれになって、IOCの幹部たちも「五輪貴族」と呼ばれるようになったのです。能天気な日本の国会議員たちが「あがめる」ような大会ではなくなったのです。

『オリンピック・マネー』には、イギリスのオックスフォード大学のベント・フライバーグ教授が算出した「予算超過率」が紹介されていました。これは、「立候補時に掲げた開催費用と実際にかかった費用の乖離度を調査した」ものです。それによると、1960年~2012年の夏冬17大会の「実質割合の平均は174%だ」そうです。「つまり、当初予算の2.7倍かかっている」のです。『オリンピック・マネー』は、「乱暴に言えば、ハナから当初予算がないに等しい」と書いていました。前の記事でも書いたように、今回の東京大会も例外ではないのです。

今回の開催の問題は、オリンピックそのもののあり方を根本的に問い直すいい機会でもあります。ポエムのような”オリンピック幻想”からいい加減自由になる必要があるのです。でなければ、池江璃花子の”感動物語”のような”動員の思想”にからめとられる怖れはまだ残っているように思います。

日本という国の上にIOCの幹部たちが鎮座ましまして、日本政府が国民そっちのけでIOCのパシリをしているその卑屈で滑稽な姿。私たちは、お涙頂戴の”感動物語”にごまかされるのではなく、そんなこの国の指導者たちの姿をしっかり目に焼き付けておくべきでしょう。その卑屈で滑稽な姿は、一夜明けたら、「鬼畜」と呼んでいた昨日の敵に我先にすり寄っていったあのときと同じです。その背後にあるのは、丸山眞男が喝破した日本の(もうひとつの)国体とも言うべき”無責任体系”です。開催に関するリモート会議などを見ても、日本政府の関係者や東京都の小池都知事などは、まるで本社から指示を受ける支店長みたいです。それでよくもまあ「美しい国」「とてつもない国」「日本、凄い!」などと言えたものだと思います。宮台真司は、この国にはホントの愛国者はいないと言っていましたが、今更ながらにそのことばが思い出されてならないのでした。
2021.05.20 Thu l 社会・メディア l top ▲
Yahoo!ニュースにも転載されていましたが、クーリエ・ジャポンがフランスの日刊紙リベラシオンの東京五輪に関する特集を紹介していました。

COURRiER Japon(クーリエ・ジャポン)
フランス紙が東京五輪を大特集「なぜ日本国民にしなかった対策を外国の選手団のためにはするのか」

リベラシオンは、「政府は、PCR検査数を増やすこともなく、ワクチンの提供を急ぐこともなく、医療体制を強化することもなく、必要な資金援助をすることもなく、1年以上もウイルスの蔓延を放置している」と日本政府の不作為を批判していますが、まったくそのとおりでしょう。

また、数字が正確かどうかわかりませんが、「3万人の選手団とその関係者に毎日PCR検査をする」という方針に対して、次のように書いているそうです。

オリンピック期間中、3万人の選手団とその関係者へのPCR検査が毎日予定されている。リベラシオン紙は、日本のPCR検査数の少なさや、ワクチン接種の遅れにも懸念を示す。

「現在、東京都の人口1400万人に対し、1日のPCR検査の数が1万件を超えることはほとんどない。1人が4年に1度接種できる程度の割合で行われているに過ぎない」という専門家の言葉を引用し、「東京で1日3万回の検査が可能なのであれば、なぜ住人には提供しないのか。無料でPCR検査を受けるには処方箋が必要であり、自分の希望で受けるには検査に最大250ユーロ(約3万3000円)も払わなければならない。さらに、1億2700万人の国民がいるなか、抗原検査は1日5000件にも満たない」。こう矛盾を問いかける。


海外から見れば、東京都に限らず日本の検査数の少なさが異常に映るのは当然でしょう。

それで、直近の東京都のPCR検査数を調べてみました。東京都が発表している「医療期間等実施分」は以下のとおりです。尚、これとは別に「健康安全研究センター」という公衆衛生の研究機関が研究目的で検査している分が、大体一日に200~300くらいあります。

5/13(木) 7,702
5/12(水) 8,936
5/11(火)1,0528
5/10(月)14,444
5/9 (日) 2,399※
5/8 (土) 6,828
5/7 (金)13,678
5/6 (木)14,981
5/5 (水) 4,768※
5/4 (火) 5,464※
5/3 (月) 5,227※
5/2 (日) 3,564※
5/1 (土) 7,441
4/30(金)12,574
4/29(木) 2,928※
4/28 (水)12,037
4/27(火)10,837
4/26(月)13,580
4/25(日) 2,444※
4/24(土) 6,292
4/23(金)10795
4/22(木)10,222
4/21(水)11,324
4/20(火)11,118
4/19(月)14,195

※印は休日

リベラシオンが書いているように、東京都は一日に3万件の検査能力があると言っていますが、しかし、相変わらずその3分の1程度しか検査をしていません。検査の拡充は、それこそ耳にタコができるくらい去年からずっと言われてきたことですが、未だにこんな状態なのです。拡充する気などさらさらないのでしょう。

メディアは、連日、新規感染者数が何人だとか「ニュース速報」でセンセーショナルに伝えていますが、検査数をまったく問わずに感染者数だけを報じてもどれほどの意味があるのかと思ってしまいます。日本では海外のように、自分が感染しているかどうかを知るための公的な検査は行われてないために(海外では無償で検査を受けることができる国も多いのですが、日本では”専門家”と称する太鼓持ちたちがそんなことをしても意味がないなどと言って、政府の無作為を擁護しているのが現状です)、国民は自費で民間の検査を受けているのですが、そこで陽性の判定が出た人、特に無症状の人が正直に保健所に届け出るとは限らないので、「隠れ陽性者」もかなりの数に上るのではないかと言われています。当然ながら、市中の検査が行われてないので、当局が把握していない市中の陽性者も相当数いると考えるのが普通でしょう。そんな潜在的な陽性者が、あの超密な通勤電車で席の奪い合いをしているのかもしれないのです。

何故、日本は海外に比べて検査数が極端に少ないのかと言えば、日本医師会の存在が関係しているという指摘があります。彼らが医療崩壊を理由に検査を増やすことを拒んでいるからだと。つまり、彼らの既得権益を守るためです。それは、打ち手不足で、ワクチン接種が遅々として進まないのも同じ理由だという声があります。

日本医師会は医師17万人が加入する公益社団法人ですが、その影響力は絶大で、政治団体の「日本医師連盟」をとおして自民党をはじめ与野党に年5億円近くを献金しているそうです。また、選挙においても地方の名士である開業医の影響力は大きく、「当選させるほどの力はないが落選させる力はある」と言われているそうです。

前も書きましたが、日本は人口当たりの病院数や病床数が世界で一番多く、CTやMRIの台数も他国を圧倒しているにもかかわらず、病床不足が指摘され医療崩壊が叫ばれているのです。既に大阪や兵庫や北海道では、実質的な医療崩壊が起きています。それも、ひとえに日本医師会の政治力に医療行政が歪められているからです。ちなみに、人口千人当たりの医師数は、OECD平均が3.5人なのに日本は2.4人しかいません。日本の医師数は、「1人当たりGDPが平均以上の国の中で最下位」だそうです。医療設備の充実を宝のもち腐れにしている”医師不足“も、既得権益を守る日本医師会の意向が関係していると言われているのです。

そんな日本の医療行政を歪める日本医師会の会長の記者会見を、まるで神の御託宣のように伝えているメディアは、よほどの節穴か、よほどのタヌキかどっちかでしょう。

コロナ禍であきらかになった日本の劣化。百年に一度と言われるパンデミックに晒されても尚、政治は旧態依然としたままで、周辺に蝟集する既得権益者の意向に従ってことが進められているのです。「国民の健康や命よりどうしてオリンピックを優先するのか」という声がありますが、オリンピックだけでなく感染対策そのものも、既得権益を甘受するステイクホルダーの意向が優先されているのでした。

「日本凄い!」も、文字通り自演乙でしかなかったのです。それこそ「笑笑」と言うべきでしょう。しかし、外国の新聞から心配されるくらい政府からコケにされているのに、国民は怒るわけでもなく、ただ陰でブツブツ言うだけです。通勤電車の光景を見ればわかりますが、ここに至っても、彼らにとっては、感染云々より電車で座席に座ることの方が大事なのです。目を血走らせながら車内に乗り込んで来ると、まるでマスクをしたニワトリのように車内をキョロキョロ見まわして、少しでも空いているスペースがあれば我先に突進する彼らを見ていると、絶望感すら覚えます。

世論調査を見ても、自民党の支持率は35%前後で、2位の立憲民主党が5~6%ですから、相変わらず自民党は抜きん出て支持されているのです。私は、読売の「オリンピック反対59%」という数字にも懐疑的です。池江璃花子の”感動物語”に涙するその単細胞ぶりを見せつけられると、ホントにどこまで反対の意思があるのか、首を捻らざるを得ません。東京五輪の問題は、オリンピックそのもののあり方を考えるいい機会だと思いますが、彼らを見ていると、それこそないものねだりの子守歌のように思います。

昨日の記者会見でも、菅首相は、オリンピック開催について「安心・安全な大会を実施することは可能と考えている」と人を食ったようなことを言っていましたが、正気かと言いたくなるようなそんな強気な姿勢の裏には、(何度も言いますが)「国民はオリンピックが始まれば今までのことを忘れて熱狂するに違いない」「池江璃花子のような感動話を与えれば涙を流して応援するに決まっている」という考えがあるからでしょう。バッハ会長も同じようなことを言って、日本の世論から反発されたとメディアは書いていましたが、しかし、開催されれば実際そのとおりになるでしょう。

なにせ日本人は、あの未曾有の原発事故でも変わらなかったのです。一度行き着くところまで行った方がいいという加速主義の(加速主義的な)考え方も、わからないでもないのです。
2021.05.15 Sat l 社会・メディア l top ▲
ツイッターで「奇跡の復活劇で人々を感動させたばかりの池江選手に厳しい言葉が浴びせられている」(東洋経済オンライン)そうで、メディアで批判の大合唱になっています。「厳しい言葉」を浴びせているのは、オリンピック反対派だそうです。池江璃花子自身のツイートで明らかになったのですが、メディアはそれを「おぞましい匿名の圧力」と言い、なかには「サイバーテロ」だと指弾するメディアもあります。

しかし、ツイッターのハッシュタグは「#池江璃花子選手は立派だが五輪開催は断固反対」という穏やかなものです。それに、巷間言われるようなオリンピック辞退を要求したツイートは極々一部で、「おぞましい匿名の圧力」「サイバーテロ」というのはどう見てもオーバーな表現です。むしろ、池江璃花子にからんだオリンピック反対の声を「おぞましい匿名の圧力」「サイバーテロ」にしたいがために、ことさら騒ぎ立てているフシさえあるのです。

とは言え、池江璃花子に限らずオリンピックありきのアスリートが「自分のことしか考えていない」と言うのは、そのとおりでしょう。メディアに袋叩きに遭った「あんたがどんな記録を出そうが、私たちには全く関係ない」というツイートに対しても、ことばがやや乱暴だとは思うものの、特に私は違和感を覚えませんでした。

ただ、一方で、池江選手に「オリンピックを辞退してほしい」という声については、私もお門違いだと思いました。と言って、それは、風にそよぐ葦にすぎないワイドショーのコメンテーターと同じ意味で言っているのではありません。辞退する気がない人間にそんなことを言っても、最初から無駄だと思うからです。

大学や高校の運動部でよくクラスターが発生していますが、スポーツ選手が感染防止について、どこまで正しい認識をもっているのか、はなはだ疑問です。もちろん、オリンピック代表という立場上、自分の感染には神経を使っているでしょうが、では、コロナ禍でのオリンピックのあり方やアスリートとしての自分とコロナ禍の社会との関係について、一度だって真面目に真剣に考えたことがあるのでしょうか。すべて所属するクラブや競技団体にお任せのようにしか見えないのです。

病魔と戦いながら、オリンピックという夢に向かって努力をしてきた池江選手に辞退しろなんて言うのは酷だ、鬼畜だ、みたいな批判もありますが、何度も言いますが、努力をしているのは池江選手だけではないのです。みんな努力しているのです。それぞれ夢に向かって努力してきたのです。それが、コロナで職を失ったり、事業が立ち行かなくなったりして、夢破れ、路頭に迷い、なかには死をも覚悟している人だっているのです。

まして、下記のニュースにあるように大阪や神戸では既に医療崩壊がはじまっており、実質的なトリアージ(命の選別)が行われ、高齢者がその対象になっているのです。命が見捨てられているのです。

朝日新聞デジタル
関西の高齢者2施設で計38人死亡 大半が入院できず

 神戸市と大阪府門真市の高齢者施設で新型コロナウイルスのクラスター(感染者集団)が発生し、二つの施設で計38人の入所者が亡くなっていた。大阪府と兵庫県では病床逼迫(ひっぱく)が深刻化しており、両施設では、多くの入所者が入院先が決まらないまま療養を続けていたという。


そういった現状を前にしても、池江璃花子は特別なのか、アスリートは夢に向かって努力して来たので特別なのか、と問いたいです。「生命いのちだけは平等だ」というのは、徳洲会の徳田虎雄が掲げた理念ですが、私はアスリートは特別だみたいに言う人たちにそのことばを突き付けたい気持があります。

別にみながみな池江璃花子の”感動物語”に涙を流しているわけではないのです。オリンピック開催のシンボルに祭り上がられたことで、その”感動物語”に胡散臭さを感じる人が出て来るのは、むしろ当然でしょう。

池江璃花子のような”感動物語”は、戦争中もメディアによっていくらでもねつ造されてきました。そうやって戦場に赴く若者が美化されたのです。一度走りはじめたら停まることができない日本という国家のメカニズムは、戦争もオリンピックも同じなのです。そして、そこには必ずメディアを使ったプロパガンダが存在します。

私は、池江選手に対する”同情論”に、逆にオリンピック開催反対の世論の”軽さ”を見たような気がしました。今回の針小棒大なバッシングには、丸山眞男が指摘したような、オリンピックよりコロナ対策だという合理的思考が、「勇気」や「元気」や「感動」など日本人が好きな”情緒的美化”によって、いともたやすく”動員の思想”にからめとられる”危うさ”が示されているように思います。病気を克服した池江璃花子が開催の象徴として利用されるのもそれゆえでしょう。(何度も言いますが)大衆は時が経てば忘れる、喉元すぎれば熱さを忘れる存在だ、という菅ら保守政治家の大衆観は真実をついているのです。彼ら為政者たちは、コロナがどうだとか言ってても、オリンピックがはじまればなにもかも忘れて熱狂するんだ、とタカを括っているに違いないのです。

じゃあ、池江璃花子の「夢」の対象であるオリンピックはどんなものなのか。今週のビデオニュースドットコムがその実態を取り上げていました。

ビデオニュースドットコム
マル激トーク・オン・ディマンド (第1048回)
誰がそうまでしてオリンピックをやりたがっているのか

私はゲストの後藤逸郎氏の著書の『オリンピック・マネー 誰も知らない東京五輪の裏側』(文春新書)をまだ読んでなかったので、番組を観たあと早速、痛い足を引き摺って近所の本屋に行きました。しかし、既に売切れていました。しかも、アマゾンや楽天や紀伊国屋などネットショップもどこも売切れで、電子書籍しか販売されていませんでした。

アメリカのワシントン・ポスト紙は、IOCのバッハ会長のことを「ぼったくり男爵」と書いていたそうですが、言い得て妙だなと思いました。今やオリンピックは、「一にお金二にお金、三四がなくて五にお金」の世界なのです。そのなかで、彼も「五輪貴族」とヤユされるような優雅な暮らしを手に入れたのです。

番組で、IOCにとっては、無観客でも何でもいいからとにかく開催してテレビ中継さえ行われればIOCが「儲かる」仕組みになっていると言っていましたが、スイスのNPO(民間団体)にすぎないIOCは、別に財団をいくつか持っており、さらにそれに連なるメディア関連の「オリンピック・チャンネルサービス」と「ブロードキャスティングサービス」という二つの会社が、それぞれスイス(株式会社)とスペイン(有限会社)にあるそうです。実務はスペインの有限会社が担っており、そこには日本のテレビ局や広告代理店からも社員が派遣されているのだとか。「ブロードキャスティングサービス」は、競技を撮影・中継し、それを各国のテレビ局を通して世界に配信することを主な業務にしているのですが、2016年12月末の資料では、日本円で400億円近くの売上げがあり、約60億円の利益を得ているそうです。もちろん、同社の役員にはIOCの幹部たちが就いていますが、その報酬は非公開だそうです。

要するに、IOCというのは、オリンピックというイベントを企画して、それを各国に売り込み、さらにイベントのコンテンツを管理するスポーツビジネスの会社と言っても間違いないのです。そもそもオリンピック自体が、キャッチアップを果たした旧発展途上国の国威発揚のイベントになっているというのはそのとおりで、オリンピック招致という発想そのものがアナクロなのです。

招致の際、コンパクトなオリンピックにするという触れ込みで7340億円で済むように言っていたにもかかわらず、2019年12月の会計検査院の報告によれば、招致から6年間で既に1兆600億円の関連経費が支出されていることがあきらかになっています。また、それ以外に大会組織委員会や東京都、国の別枠の予備費を合わせると実際は3兆4000億円にまで膨らんでいるそうです。

しかも、無観客になれば900億円の入場料収入もなくなり、開催都市の東京は1兆円の赤字を負担しなければならなくなるのだとか(そして、国が財政保証しているので、最終的には私たちの税金で処理することになるのです)。

選手と関係者の入国に伴う検査と健康管理にも、大きな懸念があります。観客を除いても、選手1万5千人に関係者を含めると5〜7万人が入国すると言われていますが、そういった海外からの入国者に対しても、PCR検査より精度が落ちる唾液による抗原検査をするだけで、しかも、選手の健康管理はアプリによる自己申告が主だそうです。

緊急事態宣言では人流を抑制しなければならないと盛んに言われていますが、オリンピック期間中は晴海のオリンピック村に選手1万5千人を閉じ込めることになるのです。食堂だけでも一度に数千人が食事できる規模だそうで、これ以上の”密”はないでしょう。しかも、いくら閉じ込めると言っても、無断で外出して飲みに行く選手が出て来ないとも限りません。強制収容所ではないのですから、電流を通した金網を張ったり、脱走した人間を銃殺するわけにはいかないのです。

IOCが作った大会関係者向けの「プレイブック」には、「選手同士の交流や握手、ハグは禁止」と書いているそうですが、しかし、禅道場ではないのですから、狭い空間のなかに1万数千人の若い男女が閉じ込められると、性的な欲望が充満するのは避けられないでしょう。そのために、表に出ていませんが、16万個のコンドームを配るという話もあるそうです。ハグどころか、合体が前提なのですからもはや笑い話みたいな話です。因みに、夜毎大量のコンドームが使われる選手村は、オリンピックが終われば高級マンションに化けるのです。

ワイドショーのコメンテーターはどれもいかがわしいのですが、そんなコメンテーターの日本政府がキャンセルすると違約金が発生するので日本政府からやめると言うことができないという発言についても、後藤氏はあり得ないデタラメだと言っていました。そんなことは開催都市契約のどこにも書いてないそうです。

ただ、開催がキャンセルになった場合、スポンサー企業などから開催都市やIOCに対して損害賠償の訴訟を起こされることはあるかもしれないと言っていました。もっとも、そういった訴訟は大規模イベントにはつきものなので、後藤氏も言うように、仮に訴訟を起こされたら粛々と対応すればいいだけでしょう。

最終的には40万人?必要とか言われているボランティアについても(無観客になればそんなにいらないのでしょう)、ボランティアを手配し派遣する仕事はパソナが一括して請け負っているそうです。当然ながらパソナは、その費用をもらっているのです。しかし、ボランティアの人たちは無償です。これでは、JOCではなくパソナに対してボランティアをしているようなものじゃないかと言っていましたが、たしかにこれほどおいしい商売はないでしょう。濡れ手に粟とはこのことでしょう。

でも、こういった話はメディアにいっさい出てきません。どうしてかと言えば、朝日・日経・読売・毎日は、オフィシャルスポンサーに名を連ねており、東京オリンピックに関しては利害当事者になっているからです。だから、自分たちにとって都合の悪いことは口を噤んでいるのです。

開催が厳しいという話も、どこの新聞も欧米のメディアの報道を引用するばかりで、自分の口で言おうとしません。宮台真司も、「自分とこの社論はどうなっているんだ」「自分の口でものを言えよ」と憤っていましたが、コロナ禍のオリンピック開催についてはメディアも同罪なのです。

繰り返しますが、サマランチ時代にオリンピックが商業主義に大きく舵を切り(だから、IOCの関連会社がサマランチの出身国のスペインに置かれているという指摘があります)、「オリンピック憲章」に謳われる崇高な精神も単なる建前と化したのですが、しかし、こと代表選手に関しては、未だに「スポーツの力」とか「感動をありがとう」とか「夢をもらう」などと、永井荷風が言う「駄句駄字」の空疎なことばが飛び交っているのでした。まるでそこだけありもしない「オリンピック憲章」の建前が生きているかのようです。一方で、メディアは、オリンピックありきのアスリートへの批判を「差別」だと断じていますが、そんな大仰なもの言いには、アスリートと同じオリンピックありきのメディアの本音が透けて見えているような気がしてなりません。

アスリートにとってオリンピックが「夢」だという話にしても、番組でも言っていたように、サッカーや野球やバスケットやテニスやゴルフなど経済的(興行的?)に自立している人気スポーツは、オリンピックに対する幻想がほとんどありません。仮にオリンピックの種目に入っていても、オリンピックはワールドカップや世界大会よりカテゴリーが下です。だから、選手たちもオリンピックに出ることにそんなにこだわっていません。むしろ怪我すると損だみたいな理由で辞退する選手も多く、オリンピックに出ることが「夢」だなんて、ゆめゆめ思ってないのです(おやじギャク)。

今やオリンピックはマイナースポーツの祭典になっているという指摘も、あながち的外れではないように思います。要するに、自立できないがゆえに、競技団体も選手もオリンピックにぶら下がらざるを得ないし、金銭面で活動を支えてくれるスポンサー企業の手前、出るか出ないかでは天と地の差があるというのはそのとおりなのでしょう。アスリートは、マイナースポーツであるがゆえに、スポンサー企業や政治の論理にがんじがらめに縛られて、(武者小路実篤ではないですが)「一個の人間」として自立することさえ阻まれているのです。そんな彼らにとって、オリンピック中止はあり得ないし、まして辞退など想像すらできないことでしょう。

ただ、そうは言っても、自然の猛威である新型コロナウイルスが都合よく収束してくれるはずもありません。感染拡大とともにオリンピック開催の問題がグチャグチャになっているのは誰の目にも明らかで、どう見ても準備が順調に進んでいるようには思えません。強気な姿勢の裏で、菅政権がかなり追い詰められているのも事実でしょう。番組のなかでは、小池都知事が時期を見て開催反対を言い出すんじゃないか、そして、国民の喝采を浴び、それを国政への復帰のステップにするんじゃないかと言っていましたが、私もそれは充分あり得ると思いました。進むも地獄戻るも地獄ならぬ、やるも茶番やめるも茶番になる可能性も大きいのです。
2021.05.09 Sun l 社会・メディア l top ▲
ビデオニュースドットコムを観ていたら、ゲストに出ていた斎藤幸平氏の次のようなことばが耳に残りました。

ビデオニュースドットコム
マル激トーク・オン・ディマンド (第1047回)
コロナでいよいよ露わになったコモンを破壊する資本主義の正体

「多くの人たちが立ち上がらない限り、この問題(引用者註:気候変動の問題)は解決しない。しかし、一方で分断が生じていて、お前は恵まれているからこういうことを考えられるんだっていうのは、環境問題でいつも言われることなんですよ。お前、恵まれているからベジタリアンの食事も食べられるし、オーガニックの服も買えるけど、俺ら金もないし忙しいから牛丼とラーメン食って、ユニクロの服着なきゃいけないんだ、みたいな話になるわけですよね。それは本当に不毛の対立で分断なわけですよ。僕は別にお金がなくてユニクロを買ってる人、牛丼を食べてる人だって、むしろ、積極的に声を上げてほしい。なんでオーガニックコットンのシャツを買えるくらいの給料をくれないんだよ。なんで300円400円で食えるものが、身体に悪い牛丼みたいなジャンクフードしかないのかということを怒ってもいい」

「(余裕があることに)全然罪悪感を感じる必要もないし、一方で余裕がある人も買って満足するというのは、まさにアヘンですよね。(しかし)社会全体を変えていくためには単に自分が良いものをちょっと買うだけではなくて、社会の構造とか格差そのものも変えていかなければ意味がないわけで、みんなが声を上げていいんだっていう風になれば、僕はその瞬間に変わっていくと思うし、逆に、みんなで声をあげてこのシステムそのものを変えていこうという風にしていかないと最終的には問題も解決しない」

斎藤幸平氏はまた、「3.5%」の人が立ち上がれば世の中は変わるとも言っていました。「3.5%」というのは、ハーバード大学の政治学者エリカ・チェノウェス教授が主張する数字です。エリカ・チェノウェス教授によれば、フィリピンのマルコスの独裁体制を倒した「ピープルパワー革命」やグルジアの「バラ革命」など、過去の社会変革のきっかけになった運動を調べると、「3.5%」の”法則”が当てはまるのだそうです。今のミャンマーの国軍に対する不服従の運動も、例外ではないように思います。

悪しき大衆主義と前衛主義の対立は左派の永遠のテーマですが、「3.5%」というのは腑に落ちる数字なのでした。宮台真司は、社会の圧倒的多数の人たちは何も考えずにただ漫然と大勢に流されて生きているだけという現実を考えれば、「3.5%」の数字はリアルティがあると言っていました。つまり、はっきり言えば、大衆というのは金魚の糞みたいな存在だということです。私が大衆主義に「悪しき」という連体詞を付けたくなるのも、それゆえです。

安倍元総理や菅総理らは、「有権者は時間が経てば忘れる」という大衆観を持っており、それがモリカケの対応や一連の反動的な法改正などの強権的な姿勢につながっていると言われていますが、彼らは如何にも保守政治家らしく大衆の本質を熟知しているとも言えるのです。オリンピック開催も同じでしょう。オリンピックが開催され、メディアがオリンピック一色に彩られ、「勇気」や「感動」などというおなじみのワードが飛び交うようになれば、8割反対もどこ吹く風、態度を一変してオリンピックに熱狂するに違いないのです。政権与党の政治家たちもそうタカをくくっているのだと思います。

誤解を怖れずに言えば、世論調査であれ、政党支持率であれ、そんなものはほとんど意味がないのではないか、ホントは取るに足りないものではないのか。そんな大胆な考えがあってもいいように思います。

前にも書いたとおり、ミレニアル世代あるいはその下のZ世代と呼ばれる若者たちの間では、ジェレミー・コービンやバーニー・サンダースのカリスマ的人気に象徴されるように、”左派的なもの”に対するシンパシーが世界的に広がっているのですが、しかし、残念ながら日本では、”左派的なもの”は嘲笑と不信の対象でしかありません。

番組でも言っていましたが、”左派的なもの”に対する関心は、今の社会のシステムを根本から変えなければもうどうにもならないことを若い世代が気付きはじめたということでもあるのです。地球温暖化や格差拡大や財政破綻の問題は、若い世代にとっては自分たちの人生に直接関わる切実な問題で、否応なくそれと正面から向き合わなければならないのです。彼らは、そこに「資本主義の限界」を見ているのです。鷲田小彌太氏のことばを借りれば、「臨界点」を見ているのです。たとえば、余暇としての趣味ではなく、趣味のために働くという先行世代から眉をしかめられるような考え方も、今の社会に対するラジカルな批評になっているのです。斎藤幸平氏は、『人新世の「資本論」』のなかで、それを「ラジカルな潤沢さ」と呼んでいました。

文字通り喉元すぎて熱さを忘れた反原発運動の”愚”をくり返さないためにも、(前も書きましたが)地べたの生活の現実に依拠し、まっとうな生き方をしたいと思っている「3.5%」の人々の琴線に触れるような、真に革命的な急進左派の運動が今の日本に求められているのです。それは、「アウシュビッツ行きの最終列車に乗る」とヤユされるような、選挙対策の”野党連合”(立憲民主党への合流)などとはまったく別次元の話です。

社会のシステムを変えると言うと、政治のことばを大上段に振りかざしたものを想像しがちですが、一方で、それは、自分の人生や生き方にも関わるきわめて身近なもの(こと)でもあるのです。人生を少しでも豊かで充実したものにするためには、趣味でもボランティアでも家族サービスでもなんでもいいから、生活のなかに仕事だけでない別の時間を持つことが大事でしょう。そして、それが仕事と同じかあるいはそれ以上のウエイトを占めるようになれば、労働時間の短縮や最低賃金の引き上げや有給休暇の拡大などが身近な問題として考えられるようになってくるでしょう。そうやって”左派的なもの”との接点が生まれ、それが世界に目をひらく端緒になるのです。

山を登る趣味を考えても、山に登ることがきっかけで、自然の大切さや身体しんたい(=身体的であること)の重要性と出会い、環境にやさしい素材を使った服を買ったり、安全で身体からだにいいものを食べたりするようになれば、自分の人生に対する考え方も変わるだろうし、世の中に対する見方も変わっていくでしょう。

もちろん、「SDGsは大衆のアヘンである」と斎藤幸平氏が言うように、SDGsが貪欲な資本のあらたな市場になっているのも事実です。地方の山がソーラーパネルで埋め尽くされたのと同じように、「田舎」がエコな経済の収奪の対象として「外部化」されているのは否定できないでしょう。昨今のリモートによる地方移住も、あたらしい生き方でもなんでもなく、彼らはただ地方を「外部化」し収奪するために資本から派遣された先兵にすぎません。もとより、エコバッグで買い物に行ったり、有機野菜で料理をしたりするのは、あの「お花畑」の元総理夫人だってやっていることです。ありきたりな言い方ですが、ホンモノとニセモノが混在しているのはたしかです。しかし、それを百も承知で言えば、個的なレベルにおける”革命”というのは、そういう身近な生活スタイルを変えることからはじまるわけで、そこから世界に向けた回路がひらかれているのもまた、たしかなのです。


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2021.05.03 Mon l 社会・メディア l top ▲
ゴールデンウィークで連休が続くので、今日、手持ちがなくなった薬を処方してもらうべくあわててかかりつけの病院に行きました。土曜日で午前中しか診察をやってないため、朝8時すぎの電車に乗り、東横線、そして市営地下鉄のグリーンラインとブルーラインをそれぞれ乗り継いで行きました。普段はタクシーで行くことも多いのに、何故か今日はケチって電車で行くことにしたのでした。

電車の場合、当然ながら駅まで歩いて行かなければならないし、途中、二度の乗り換えもあるので、距離的にも遠回りになり、タクシーだと15分くらいで行くところが電車だと1時間近くかかります。そのため、帰って来たら、痛めている右膝が曲げるのも困難なくらいパンパンに腫れていました。

前日は、整形外科の病院で、膝にたまった”水”をぬきヒアルロン酸を注入しました。通常、ヒアルロン酸は5週注入するケースが多いみたいですが、いっこうに改善しないのでもう少し続けた方がいいでしょうと言われたのです。しかし、自宅に帰った頃には、再び”水”がたまっているのが自分でもわかりました。

痛みそのものは、最初の頃に比べれば半分くらいに和らいでいます。と言っても、それは痛みのランクが半分くらいに下がったにすぎず、歩けないほどの痛みからなんとか歩けるほどの痛みに変わった程度です。

ヒアルロン酸を注入されているからなのか、心なしか膝のお皿のあたりがツルツルになった感じがします。これだったら膝より顔に注入してもらった方がよほど効果があるような気がしないでもありません。

また、膝に力を入れて(膝をロックして)足を15センチから20センチ持ち上げて5秒から10秒維持し、それを10回くり返すストレッチを毎日3~5セット行って下さいと言われました(ほかにタオルを丸めたものを膝の下に置いてそれを上から潰すストレットも)。

私は、「はい、わかりました」と聞いたふりをしましたが、それはもうとっくに自分でやっていました。また、今日もかかりつけ医に膝を痛めたという話をしたら、やはり同じストレッチを推奨されました。

私の場合、前も書きましたが、変形性膝関節症ではなくただのオーバーユースだと言われたのですが、ネットで見ると、オーバーユースで変形性膝関節症を発症すると書いているサイトもあります。でも、私が行っている整形外科のドクターは(認定スポーツ医でもある)、レントゲンでは膝は非常にきれいで問題はないし、しかも、膝を使わないときに痛みがないということを考えれば、変形性膝関節症ではなくただの使いすぎだろうと言うのです。

山に登り始めの頃も、(主に反対側の膝でしたが)膝痛に悩ませられたことがありました。そのときも、膝が腫れた感じがして屈伸するのに違和感がありましたので、おそらく膝に”水”がたまっていたのでしょう。でも、数日もすると痛みも取れて元に戻っていました。同じオーバーユースでも、今回はあまりにレベルが違いすぎるのです。患者というのは不思議なもので、明確な病名を付けられないと逆に不安を覚えるのでした。

ヒアルロン酸の効果や深夜の通販番組ではおなじみの軟骨がすり減ることによる膝の痛みについて、京都のドクターがブログで次のように書いていたのが目に止まりました。

石田内科リウマチ科クリニック
クリニックBLOG
膝関節へのヒアルロン酸注射の有効性

米国整形外科学会(AAOS)は6月4日、変形性膝関節症(OA)治療に関する臨床診療ガイドライン(CPG)改訂版を発表した。ヒアルロン酸関節内注射治療を推奨しないと明記した。(略)ヒアルロン酸の関節内注射は、14件の試験のメタ解析において臨床的に重要な改善を意味する最小閾値に達しておらず、症候性の変形性膝関節症(OA)治療法としてもはや推奨されないものとしている。日本では、症候性OAについては、ヒアルロン酸関節内注射が頻繁になされている。ロコモティブシンドロームの代表格であるOAについて、このような見解が示されたのは、大きな衝撃であろう。「OAの症状のみで、関節内遊離体や半月板損傷など他の問題が見られない者には、関節鏡下洗浄治療は行わない」「BMI25超の肥満者は最低5%減量する」「低負担の有酸素運動を積極的に取り入れる」などが盛り込まれている。患者が主体的に治療に取り組むことが、痛みを軽減し、良好な健康状態を実感するに最適な方法の一つである。太り気味であれば、減量が進行を遅らせるためにできる最善策でもある。


そして、最後に「これまでOAは軟骨の変性摩耗と叫び続けてきた方々のコメントを待ちたい」と書いていました。

やっぱり、ヒアルロン酸は皺取りの方が効果があるのかもと思ってしまいました。「軟骨の変性摩耗」もおなじみのフレーズですが、たしかに深夜の通販番組を見ると、医学的な一見解にすぎないものが、商業的な目的のために拡大解釈され独り歩きしているような気がしないでもありません。

膝痛を経験した多くの人たちが口にする、病院に行っても湿布薬と”水”抜きとヒアルロン酸で「お茶を濁されるだけ」というのもわからないでもないのです。そのために、ストレッチに望みを託して整骨院に駆け込み、回数券や「部位回し」で散財することになるのでしょう。

筋力が落ちたり、筋肉が固くなったりするのを防ぐという意味では、ストレッチは有効かもしれません。ただ、痛みが改善するのは、あくまで自然治癒にすぎないのでないか。保存療法というのは、結局、そういうことでしょう。だったら、「自然に治るまで待つしかありませんよ」と言ってくれればいいのにと思います。ヒアルロン酸や”水”抜きに過大な期待を抱く分落胆する気持も大きいのです。

同じように膝痛を抱える知人は、膝痛は命には関係ないので治療の研究が進んでないんじゃないかなと言っていましたが、膝痛の当事者として、そう思いたくなる気持もわからないでもありません。そして、そういったなかなか痛みが取れない”もどかしさ”が、通販番組の主役を務めるくらいに膝痛の市場を虚業化し大きくしたと言えなくもないでしょう。

余談ですが、膝に”水”がたまると膝がいびつな形に変形するのですが、それを見るといっそう気が滅入ってきます。そのため、女子高生の素足のミニスカートから覗いた、左右きれいに揃った膝が羨ましくてならず、やたら女子高生の膝が気になるようになりました。道を歩いていても、電車のなかでも、ついつい女子高生の膝に見入ってしまうことがあり、近くにいた女性から怪訝の目で見られたこともありました。このように膝痛によって、”膝フェチ”という副産物までもたらされたのでした。

閑話休題あだしごとはさておき、今朝の東横線も、通勤客やレジャーに出かける乗客で、普段の週末とほとんど変わらないくらい混んでいました。また、新横浜駅方面に向かう市営地下鉄の車内では、通勤客に混ざって大きなキャリーケースを横に置いた乗客も目につきました。

どうしてこのタイミングなんだ?と思いますが、横浜の桜木町駅から汽車道の上を通るロープウェイが開通したので、それを目当ての家族連れも多く押しかけているようです。「人の流れを抑制しなければならない」「ゴールデンウィーク期間中はステイホームで」とか言いながら、その一方で、テレビはロープウェイ開通をトピックスとしてとりあげ宣伝しているのです。それでは行くなと言う方が無理でしょう。

しかも、今月の15・16日には、山下公園で「世界トライアスロン」の横浜大会が開催されます。国内外の招待選手に優待・一般参加の選手を含めて2000名の参加者でレースが行われるそうです。無観客の大会になったので、林文子横浜市長は「観戦に来ないで」と呼びかけていますが、これほどバカげた話はないでしょう。無観客とは言え、どうしてこの時期に開催しなければならないのか。私は、横浜市民として、林市長の神経さえ疑いました(もっとも、緊急事態宣言が延長されて中止になる可能性の方が高いですが)。

埼玉から都内に通勤している友人も、今朝の電車はいつもと変わらなかった、普段の土曜日よりむしろ多いくらいだったと言っていました。また、池袋駅では山登りの恰好をした登山客やハイキングに向かうとおぼしきリュックを背負った家族連れも目についたと言っていました。

三度目の緊急事態宣言は、政府の目論みとは逆に外出自粛にはほど遠い現実しかないのです。私は、これでは「オリンピックなんてできるわけがない」とあらためて確信しました。もしかしたら、国民はわざと外出し感染を拡大させることで(そうやってみずから身を挺して)、オリンピック開催を阻止しようとしているんじゃないか。そんな皮肉な見方さえしたくなりました。

おそらく、二週間後はとんでもない新規感染者数を見ることになるでしょう。もし、そうではなく、予想に反して新規感染者数が減少していたら、それはオリンピック開催のためになんらかの”操作”が行なわれたと見て間違いないでしょう。

今日のテレビのニュースでは、緊急事態宣言で軒並み人出が減っていることを強調していましたが、どこが?と思いました。東京駅の新幹線のホームも「閑散としている」と伝えていましたが、JRによれば新幹線の乗車率は50%〜70%で、過去2回の緊急事態宣言のときより大幅に増えているのです。乗車率50%〜70%は、普通に考えても「閑散」とは言わないでしょう。オリンピックのスポンサー企業に名を連ねる大手の新聞社やテレビ局は、言うまでもなく”開催ありき”です。開催して貰わなければ困るというのが本音です。そんなオリンピック開催で政府と一体化したメディアが、あたかも緊急事態宣言に効果が出ているかのように恣意的な報道を行っていることも気になりました。
2021.05.01 Sat l 社会・メディア l top ▲
小室さんの問題で、元婚約者がコメントを発表し、「解決金」の交渉に応じる意向を示したというニュースがいっせいに流れました。

毎日新聞
小室圭さん母の元婚約者、解決金の交渉進める意向 コメント発表

意地悪な私は、やっぱりと思いました。ことばは悪いけど、意外と早く食いついてきたなと思いました。このあたりが老いらくの恋の落としどころなのかもしれません。二人の結婚の意思は固いようなので、いづれにしても結婚の方向に話が進んで行くのは間違いないでしょう。

ただ、元婚約者の真意が、「解決金」にあるのか、それとも体調を崩して入院していると伝えられる小室さんのお母さんにあるのか、今ひとつはっきりしませんので、今後も紆余曲折がないとは言えないでしょう。

単にお金がほしいだけなら話は簡単ですが、そうではなく(それだけではなく)ストーカーによく見られるような別の屈折した心情が伏在しているとしたら、話がこじれる可能性はあるでしょう。元婚約者の代理人を務めるのは、弁護士ではなくフリーライターだったのですが、今もそうなのか気になります。と言うのも、代理人やメディアの立場から言えば、話がこじれた方が間違いなくオイシイからです。

別れたから今まで使ったお金を返せというのは、昔だったら「最低の男」「男の風上にもおけない」と言われたでしょう。それは、かわいさ余って憎さ百倍のストーカーに暴走しかねない論理と言えなくもないのです。

元婚約者はなかなか老獪で、金銭問題でふたりの結婚に支障が出るのは忍びないとか言いながら、だからと言ってメディアから身を遠ざけているわけではないのです。今回も、「代理人」のフリーライターのプロデュースなのか、小室さんの「文書」が発表されると『週刊現代』の取材に応じて、マンションのローンを払えないので今は家賃8万円の木造アパートに住んでいるとか、小室さんの「文書」には「納得できない」とか、婚約解消の話し合いの席での”無断録音”に「驚いた」などと「独占告白」しているのでした。そうやってことあるごとにメディアに登場して、バッシングの材料を提供しているのです。

問題の本質は、お金を貰ったか借りたか(貸したか)にあるのではなく、小室さんと眞子さんの恋愛&婚約がメディアに大々的に取り上げられ、小室さん一家にスポットライトが当てられた途端、元婚約者が金銭問題をメディアにリークしたその行為にあるのです。もっとありていに言えば、その行為に至った動機にあるのです。

もし自分だったらと考えれば、問題がわかりやすくなるかも知れません。私も度量の狭い人間ですので、使ったお金はもったいなかったなとか捨て銭になったなとか、心の片隅で少し思ったりはするかもしれませんが(それも半分は自虐ネタみたいなものですが)、しかし、いくらなんでも“金銭トラブル”をメディアにタレこんで若いふたりの恋路を邪魔するなんてことは、とても考えられないしあり得ない話です。そこまでやるというのは、「執念」ということばでも解釈し切れない、もっと根深い要因があるような気さえします。

小室さん母子が結婚詐欺師VS元婚約者が善意の被害者というメディアが描く構図自体が、どう考えても悪意の所産だとしか思えません。もとより、(何度もくり返しますが)男と女の間には第三者が立ち入れないデリケートなものがあり、仮にお金のやり取りがあったとしても、それが借りたか(貸したか)貰ったかなんて判断すること自体、明確に犯罪でも構成してない限り、無理があるのです。元婚約者が弁護士に相談したら、借用書などがないと返金を求めるのは無理だと言われたという話が漏れ伝わっていますが、その話がホントかどうかは別にしても、法的に解釈すれば当然そうなるでしょう。だから、訴訟も起こしてないのでしょう。

小室さん自身、法律を専門的に勉強しているし、また日本では弁護士事務所に勤務していましたので、法的に見て問題ないという認識は当然持っているでしょう。でも、メディアはそれを「不誠実」「上から目線」だと批判するのです。また、バッシングに対しても、名誉棄損に当たることは小室さん側も重々わかっているはずです。しかし、眞子さんとの関係上、簡単に訴訟を起こすことができないのも事実でしょう。メディアもそれがわかっているので、みずからが描いた構図に従って書きたい放題に書いているのでしょう。

以前、『週刊現代』元編集長の元木昌彦氏がPRESIDENT Onlineに書いた下記の記事を紹介しましたが、元木氏が書いているように、一連の騒動から見えてくるのは、「今の若者には珍しいほど勤勉で誠実な」小室圭さんの姿です。眞子さんとの結婚のために、国際弁護士を目指して渡米、成績も優秀で弁護士資格を取得するのはほぼ間違いないと言われています。眞子さんとの約束を果たすべく努力し、約束どおりちゃんと成果をあげようとしているのです。小室さんに悪罵を浴びせるゲスな国民たちは、むしろ爪の垢を煎じて飲んだ方がいいくらい立派な青年なのです。

PRESIDENT Online
「圭さんと結婚します」の言葉を国民は祝福する

集団ヒステリーと化したかのような小室さんバッシングですが、それはこの社会にマグマのように滞留する負の感情がいびつな姿で噴出した、現代の日本に特有ないじめとストーカーの問題ではないのか。小室さんの問題については、私はどうしてもそんな見方しか持てないのです。


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小室さん
2021.04.28 Wed l 社会・メディア l top ▲
三度目の緊急事態宣言が発令(発出)され、25日から来月11日までの17日間、東京・大阪・京都・兵庫の4都府県で実施されることになりました。併せて既に発令されているまん延防止等重点措置も、対象地域が拡大され、緊急事態宣言と同じく来月11日まで実施されることになりました。

何度も言いますが、来月の11日までというのは、ゴールデンウィーク云々だけでなく、IOCのバッハ会長が17日だかに来日するので、それまでに終了したいという”政治的思惑”がはたらいているのは間違いでしょう。そのために、過去の二度の緊急事態宣言と違って、わずか17日間という「短期間に集中して感染を抑え込む」(菅総理の発言)方針に転換したのです。すべてはオリンピック開催のためです。

昨日の緊急事態宣言初日の朝、用事があって駅に行きましたが、都内に向かう上りの電車も横浜の中心街に向かう下りの電車も、「みんな、どこに行くの?」と思うくらい多くの乗客が乗っていました。若者だけでなく家族連れや高齢者夫婦など、世代を問わずみんな休日の繁華街に向かっていました。また、揃いのユニフォームを着た中学生のグループも、部活の練習試合のためか、改札口の前で待ち合わせをしていました。

「自粛疲れ」「宣言慣れ」などと言いますが、要するに国家が覚悟を示せないのに、国民だけ覚悟を持て、自覚を持てと言っても、それはないものねだりの子守歌というものです。オリンピックはやるけど、お前たちは外出を控えろと言うのは、説得力がないし、自己矛盾も甚だしいのです。

ましてや、大阪市の例が示すように、公務員たちは、市民に自粛を要請しながら自分たちは陰で飲み会をやっているのです。大阪市の場合、感染者が出たので調査してあきらかになったのですが、ほかの自治体もただ調査していないだけで、実態は似たようなものでしょう。厚労省も然りですが、公務員の飲み会の横行は、「自分には甘く住民には厳しい」公務員の習性をよく表しているように思います。たとえば、税金の使い方にしても、自分たちはザルなのに住民に対しては杓子定規で厳格です。一方で、税金の徴収は容赦なく厳しいのです。それは、地頭の子転んでもただでは起きぬの時代から連綿と続いている官尊民卑の考えが背景にあるからでしょう。

私は、新型コロナウイルスの感染が取り沙汰されるようになってから外食はまったく控えています。何故なら、水に落ちた犬を叩くようで気が引けるのですが、飲食店を信用してないからです。大手のチェーン店は、バカッターの例に見られるようにほとんどがアルバイトで運用されていますが、彼らアルバイトがホントに真面目に感染防止に務めているとはとても思えません。

また、個人経営の店なども、テレビのインタビューに答えている店主を見ると、一応マスクはしているものの、二階(幹事長)や麻生(副総理)と同じように鼻が出ている場合が多いのです。それで、「いらっしゃいっ!」と大声で挨拶されたらたまったものではありません。しかも、飛沫防止効果が高いと推奨されている不織布マスクではなく、若者と同じようにウレタンマスクを装着している店主も多いのです。それは、アクリル板や消毒スプレー以前の基本中の基本だと思いますが、そんな基本的なことさえ守られてないのです。

何故、こんな「細かいこと」にこだわり、小言幸兵衛みたいなことを言うのかと言えば、「正しく怖れる」ためです。ひとりひとりが正しく怖れれば、緊急事態宣言もまん延防止措置も必要ないし、「ファシスト的公共性」で不自由をかこつこともないのです。

感染拡大を叫びながら、政府はオリンピックをやると言い、テレビは政府の意を汲んでオリンピックムードを盛り上げ、一方で人出が減ってないとかなんとか言いながら、春爛漫の名所旧跡を訪ねる旅番組を流して外出を煽っているのです。メディアは、オリンピック開催のマスコットガールにすべく白血病から代表に復帰した池江璃花子を美談仕立てで報じていますが、「がんばっている」のは池江璃花子だけではないでしょう。コロナと戦っている感染者も、実質的な医療崩壊のなかで命を繋いでいるほかの患者も、コロナで職を失った人たちも、もちろん諸悪の根源のようにやり玉にあがっている飲食店の店主も、みんな必死で「がんばっている」のです。スポーツ選手だけが「がんばっている」のではないのです。

新型コロナウイルスに関しては、アベノマスクを筆頭に、大阪府知事や大阪市長のイソジンや雨合羽、それに兵庫県知事のうちわ会食など、ホントに危機感があるのか疑問に思うようなトンデモ話が次々と飛び出していますが、今回の緊急事態宣言では、小池都知事が負けじとばかりに”灯火管制”を言い出したのでした。”灯火管制”が必要なくらい危機的な状況なら、まずその前にオリンピックをやめることでしょう。「話はそれから」なのです。

僭越ですが、以前、このブログで私は次のように書きました。

定額給付金・ハイブリット車購入資金の助成・高速料金の千円均一・省エネ家電のエコポイントなど、いわゆる麻生内閣の景気対策を見るにつけ、かつて故・江藤淳氏が「国家・個人・言葉」(講談社学芸文庫『アメリカと私』所収)で書いていた、「倫理の源泉であることを引き受けたがらぬ国家は、ただ金をためろ、輸出を伸ばせ、というだけである」「個人は、したがって孤独であり、なにをもって善とし、なにを悪とするかを知らない。人はただ生きている」という文章を思い出しました。

さしずめこれをもじって言えば、「倫理の源泉であることを引き受けたがらぬ国家は、ただ金を使え、ものを買え、というだけである」「個人は、したがって孤独であり、なにをもって善とし、なにを悪とするかを知らない。人はただ生きている」と言うべきかもしれません。国家主義者ならずとも「この国は大丈夫か?」と思ってしまいます。

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たしかに、新型コロナウイルスの感染対策を見ても、江藤淳が言うように、国家は「倫理の源泉」としての役割すら放棄したかのようです。国家の中枢に鎮座する菅や二階や麻生の能天気ぶりや、新型コロナウイルス対策で露わになった自治体の長たちのトンチンカンぶりが、なによりそれを表しているように思います。

ここに来て、菅総理は突然、7月までに65歳以上の高齢者のワクチン接種を終えるとか、7月から一般の国民に対してもワクチン接種を開始するなどと言い出しましたが、能力的な限界に突き当りいよいよ取り乱しはじめたかと思いました。ホントにそう思っているのなら、国立競技場を接種会場にすればいいのです。そのくらいの覚悟を見せてくれと言いたいです。
2021.04.26 Mon l 社会・メディア l top ▲

大正四年の京都の御大典ごたいてんの時は、諸国から出て来た拝観人で、街道も宿屋も一杯になった。十一月七日の車駕しゃが御到着の日などは、雲もない青空に日がよく照って、御苑ぎょえんも大通りも早天から、人をもって埋めてしまったのに、なお遠く若王子にゃくおうじの山の松林の中腹を望むと、一筋二筋の白い煙が細々と立っていた。ははあ、サンカが話をしているなと思うようであった。


これは、柳田国男の『山の人生』のなかの有名な一節です。私は、柳美里の『JR上野駅公園口』を読んだとき、ふと、この文章が頭に浮かんだのでした。

現天皇は、学生時代、中世の交通史・流通史を専攻していますが、それは子どもの頃から登山が趣味だったということが関係しているのかもしれません。

山登りは中高年になってからその楽しみが増しますが、その意味では年齢的に「今から」というときに山登りを卒業せざるを得ないその境遇には、あらためて同情せざるを得ません。彼は、いにしえの人々の人生やその生活に思いを馳せながら、彼らがかつて行き来した道を辿ることはもうないのです。

交通史・流通史を専攻していれば、柳田国男の『山の人生』や宮本常一の『忘れられた日本人』も読んでいたはずです。上記の柳田国男の文章で示されているように、かつてこの列島には天皇制にまつろわぬ人々が少なからぬ存在していたことも、当然知っていたでしょう。

現天皇は、記録を見る限り、雲取山に三度登っていますが、交通史・流通史の観点から秩父往還の道に興味を持っていたのは間違いないでしょう。そして、その道が、天皇制国家に弓を引いた秩父事件で大きな役割を果たしたこともわかっていたに違いありません。

年を取り体力が衰えてくると、力まかせに登っていた若いときと違って、別の風景も見えてくるようになります。そのひとつが山中に人知れず行き交っている”道”です。

森崎和江は、五家荘の人々が古くから歩いていた道を「消えがての道」と呼んで同名の本を著したのですが、私が五家荘に行きたいと思ったのもその本を読んだからでした。しかし、先日、Googleのストリートビューで五家荘を見たら、中央線が引かれ至るところに標識が設置された立派な道路が走っており、あたりの風景も別世界のようになっていました。私が登った当時は、一応車道(林道)はありましたが、上りと下りは一方通行でした。つまり、離合(すれ違い)もできないような狭い道しかなかったので、上りのときと下りのときは別の道を利用しなければならなかったのです。当時は、五家荘は泉村と呼ばれていましたが、小学校は村内に七つの分校がありました。集落が離れているため、遠くて子どもたちが通えないからです。しかし、その「消えがての道」も、もう誰からも歩かれることがなく草木の下に消えてしまったに違いありません。

佐野眞一は、『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』(文春文庫)のなかで、上記の『山の人生』の一節を引用して、次のように書いていました。

   柳田はこの大正天皇の御大典に、宮内書記官として、衣冠束帯の古式の礼装に威厳を正して列席した。高級官僚であると同時にわが国民俗学の創始者でもあった柳田は、公式の席に列しながら、天皇にまつろわぬ民である非定着民のサンカの動向も、鋭く視野にいれることを忘れなかった。


『山の人生』は大正15年に発表されたのですが、柳田国男はそれ以前に書かれた『遠野物語』や『山人考』などでも、「非常民」に関心を寄せていました。しかし、東京帝大出の高級官僚(今で言う”上級国民”)であった柳田は、栄達の階段を上るにつれ、天皇制国家にまつろわぬ「非常民」への関心を失っていくのでした。

  (略)最後は貴族院書記官長までのぼりつめた柳田は、大正八年に官職を辞したにもかかわらず、『山の人生』以後、非常民にはほとんどふれず、常民と天皇制の基盤をなす稲作の世界に、日本民俗学の方向を大きくリードしていった。
(同上)


もしかしたら、現天皇も柳田国男と同じような心の軌跡を歩んでいるのかもしれません。眞子さんもそうですが、自由がきかないというのはホントに不幸なことなんだなとしみじみ思えてなりません。皇室に不幸という観念が存在するのかどうかわかりませんが、眞子さんの結婚だって、人間には幸福を求める権利はあるけれど、でも、必ずしもそうはならない場合もある、思いもよらない苦労をするのも人生だと考えれば(そう自分の胸に手を当てて考えれば)、あんなに目くじらを立てることもないのです。
2021.04.24 Sat l 本・文芸 l top ▲
特措法改正で新設された「まん延防止等重点措置」がまったく効果がなかったとして、三度みたび緊急事態宣言が発令(発出)されることが決定されたようです。

報道によれば、今回は東京都と大阪府と京都府と兵庫県に発令される予定だとか。しかし、緊急事態宣言の期間は、過去の二度より短く、4月29日~5月9日のゴールデンウィークの間で、感染状況次第ではさらに1週間(5月16日まで)延長することを検討しているそうです。

一度目(2020年4月)は、東京・神奈川・埼玉・千葉・北海道が1ヶ月半、その他の府県が1ヶ月でした。二度目(2021年1月)は、首都圏の1都3県(東京都・神奈川県・千葉県・埼玉県)と、あとで追加になった大阪府・京都府・兵庫県・愛知県・岐阜県・栃木県・福岡県の7府県が対象でしたが、感染が収束しなかったため二度の延長が行われて、期間は最長で2ヶ月半でした。

過去の二度の緊急事態宣言と比べると、今回は極端に期間が短いのです。どうしてかと言えば、IOC(国際オリンピック委員会)のバッハ会長が来月の17日に来日する予定なので、それまでに解除したいという考えがあるからだそうです。バッハ会長の来日によって、開催の可否を最終的に協議する(と言うか、開催を最終的に決定する?)ので、そのスケジュールに合わせたのではないかと言われています。

つまり、今更言うまでもないことですが、新型コロナウイルスよりオリンピック開催が優先されているのです。国民の命と健康よりオリンピックが大事なのです。シロウト目で見ても、僅か10日かそこらで感染状況が好転するとはとても思えません。それでも菅総理の言う「人類がコロナに打ち勝った証し」としての開催にこだわるなら、(既に東京都はPCR検査や変異ウイルスのモニタリング調査をサボタージュしていると指摘されていますが)もはや数字のごまかしで感染状況の”劇的な改善”をアピールするしかないでしょう。もしかしたら、そういった”もうひとつのスケジュール”も同時進行しているのかもしれません。

くり返しますが、第四次感染拡大のさなかにあっても、オリンピック開催ありきでこと・・が進められているのです。まったく狂っているとしか思えません。こういう”狂気”に対して、左だけでなく右からも「憂国」「売国」「国辱」という声が出て来てもおかしくないのですが、不思議なことにそういう声はまったく聞こえてきません。在日に対するヘイトや中国の新疆ウイグルや尖閣の問題、あるいは小室さん問題にはえらく熱心ですが、オリンピック開催ありきの新型コロナ対策に対しては、まるで見ざる聞かざる言わざるのように反応が鈍いのです。

言うまでもなく、商業化したオリンピックによって、バッハ(IOC)はグローバル資本と利害を共有しています。彼がグローバル資本の代弁者であるのは明白で、開催強行はオリンピックに群がるグローバル資本の利益のために(と言うか、先行投資した資金を回収するために)開催国の国民の命と健康がなおざりにされる、資本主義の本性がむき出しになったどん欲で暴力的な光景以外のなにものでもありません。日本の政治家は、その買弁的な役割を担わされているのです。就任早々アメリカに朝見外交に出かけた菅総理が、いつになく卑屈で貧相な田舎オヤジに見えたのもゆえなきことではないのです。

しかし、買弁的なのは与党の政治家だけではありません。オリンピック開催について、立憲民主党の福山哲郎幹事長の発言が、下記の記事に出ていました。

Yahoo!ニュース
東スポWeb
3度目の緊急事態宣言発令へ…東京五輪開催めぐり野党に〝深刻な温度差〟

 立憲民主党の福山哲郎幹事長(59)は「コロナがなければオリンピックにネガティブだったわけではありません。それに対して政府が(五輪開催に)ハッキリとものを言わない状況で、開催に賛成か反対かと無責任にものをいうのは適切じゃない」とした。


社員350人のうち100人をリストラするという、前代未聞の経営危機に陥っている東スポの記事なのでどこまで信用できるかわかりませんが、もしこの発言が事実なら、こんな野党第一党はいらないと声を大にして言いたいです。
2021.04.21 Wed l 社会・メディア l top ▲
登山家として知られているイラストレーターの沢野ひとし氏の『人生のことはすべて山に学んだ』(角川文庫)を読んでいたら、「文庫版あとがき」で、若山牧水の『木枯紀行』を読んで「胸がぎゅっと捕らえられた」と書いていました。そして、沢野氏自身も、牧水が歩いた十一月の初旬に、十文字峠から栃本集落まで歩いたのだそうです。

『木枯紀行』は青空文庫に入っていますので、私も早速、kindleにダウンロードして読みました。

牧水は、旧梓山村(現長野県南佐久郡川上村)から地元の老人に道案内を頼み、十文字峠を越えて秩父の栃本へ下ったのですが、調べてみると、牧水が『木枯紀行』の旅をしたのは、関東大震災があった1923年(大正12年)です。38歳のときでした。しかも、牧水自身、当時住んでいた静岡県の伊豆で震災を体験しているのです。震災があったのは9月1日です。それから2ヶ月後、牧水は、「御殿場より小淵沢、野辺山、松原湖、十文字峠、秩父への約十五日間」(『人生のことはすべて山に学んだ』)の旅に出るのでした。

牧水は、栃本集落について、次のように書いていました。

  日暮れて、ぞくぞく(註・原文はくりかえし記号)と寒さの募る夕闇に漸く峠の麓村栃本といふへ降り着い た。 此処は秩父の谷の一番つめの部落であるさうだ。其処では秩父四百竃の草分と呼ばれてゐる旧家に頼んで一宿さして貰うた。
  栃本の真下をば荒川の上流が流れてゐた。殆んど真角に切れ落ちた断崖の下を流れてゐるのである。向う岸もまた同じい断崖でかえたつた山となつて居る。その向う岸の山畑に大根が作られてゐた。栃本の者が断崖を降り、渓を越えまた向う地の断崖を這ひ登つてその大根畑まで行きつくには半日かかるのださうだ。 帰りにはまた半日かゝる。ために此処の人たちは畑に小屋を作つて置き、一晩泊つて、漸く前後まる一日の為事をして帰つて来るのだといふ。栃本の何十軒かの家そのものすら既に断崖の中途に引つ懸つてゐる様な村であつた。


私も、雁坂トンネルができる前に、栃本には何度か行っています。雁坂嶺にも登ったことがあります。雁坂峠や十文字峠は、秩父と信州を結ぶ秩父往還の道にある峠で、昔の人たちはこの標高2千メートル近くある峠道を交易路として行き来していたのです。

同じ道を歩いた沢野氏は、次のように書いていました。

  牧水が歩いた十一月の初旬にあわせて十文字峠から栃本とちもとまで約十六キロ。軽いザックを背に歩いてみた。一里ごとに観音様があり、手を合わせてお賽銭さいせんを置く。視界がないうっそうとした原生林の中をひたひたと歩くとやがてバス停の二瀬ふたせに出る。そして秩父鉄道の三峰みつみね口に着く。
  牧水の文庫本をポケットから時折取り出し、大きく溜息ためいきを吐く。牧水は登山家よりはるかに足腰が強い。中途半端な気持ちで来たことを反省していたが、あらたな山旅を発見した。
(『人生のことはすべて山に学んだ』)


牧水は、生前、日本の至るところを旅しています。それも、多くは街道ではなく山道を歩く旅です。そして、旅の途上で多くの歌を詠んでいたのでした。

『木枯紀行』のなかで、私が好きな歌は次の二首です。

  木枯の過ぎぬるあとの湖をまひ渡る鳥は樫鳥かあはれ

  草は枯れ木に残る葉の影もなき冬野が原を行くは寂しも

牧水は、その2年前には上高地にも行っていました。上高地から飛騨高山に下っているのですが、その際、焼岳にも登っていました。

旅と歌は切っても切れない関係にあったのでしょう。昔の歌人はよく旅をしていたようです。それも今風に言えば、ロングトレイルと言うべき道を歩いています。

九州の久住(くじゅう)連山の麓にある私の田舎にも、与謝野鉄幹・晶子夫妻が訪れ、歌を詠んでいます。また、山頭火も放浪の旅の途中に立ち寄っていることが、『山頭火日記』に記されています。『山頭火日記』では、私の田舎について、子どもたちは身なりは貧しいが道で会うとちゃんと挨拶するので感心した、というようなことが書かれていました。

『木枯紀行』を読んで、私も、栃本集落から雁坂峠や十文字峠を越える道をもう一度歩いてみたいとあらためて思いました。ただ、何度も同じことを書きますが、そう思うと、どうしても今の膝のことが頭を掠め、暗い気持にならざるを得ないのでした。


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2021.04.18 Sun l 本・文芸 l top ▲
「内親王」の身位にある眞子さんの結婚が、まるで芸能人のスキャンダルのように、ここまで下世話な話になってしまったことに対して、この国の天皇主義者はどう考えているんだろうと思うことがあります。

小室圭さんが、いわゆる母親と元婚約者との間の金銭問題について、28ページに及ぶ文書を公表したことで、再びメディアの恰好の餌食になっています。また、文書を公表した4日後、代理人が小室さん側が400万円だかの「解決金」を元婚約者に渡す意向だと表明したところ、さらに火に油を注ぐ結果になり、もはやサンドバッグ状態になっています。もっとも、メディアは最初からバッシングありきなので、何をやっても何を言っても叩かれるのは目に見えているのです。

腹にいちもつのタレント弁護士が、法曹家の文章としては「ゼロ点だ」などと偉そうなコメントを発したかと思えば、ただ口が達者なだけのお笑い芸人やタレントたちが、文字通り風にそよぐ葦とばかりに、「違和感を覚える」「心がこもってない」などと低劣なバッシングの先導役を買って出ているのでした。

貰ったのか借りたのか以前に、たかが数百万円で済む話なのに、どうしてそれで解決しようとしないのか、大きな疑問がずっとありました。今回あきらかになったのは、どうやら眞子さんの側がお金で解決することを望まなかったみたいです。下々の人間には伺い知れない皇室の尊厳みたいなものが関係しているのかもしれません。そのため、小室さんは自縄自縛になった。そこを世故に長けた元婚約者やメディアに、いいように突かれたと言っていいでしょう。

元婚約者が今も住んでいるのかどうかわかりませんが、小室さん親子や元婚約者が住んでいたマンションは、私の住居と同じ駅にあり、一度だけSPをひきつれた小室圭さんが駅から出てきたのを見かけたことがあります。駅前にパトカーが停まって、警察官が舗道に立っていたのでなんだろうと思っていたら、小室さんが勤務先から帰って来るところだったのです。

同じ町に住む人間から見れば、小室さんだけでなく、元婚約者についても、その気さえあればいくらでも取材できたはずなのに、どうして取材しなかったのか、不思議でなりません。一連の報道のなかでは、もう一方の当事者である元婚約者がどんな人物なのか、肝心要なことがすっぽり抜け落ちているのでした。

最初は老後のお金を貸したので生活費にもこと欠いて困っていると言っていたのですが、その後はお金を返して貰おうとは思ってないと「発言」が変わっています。じゃあ、どうしたいのか? どうすればいいのか? 今ひとつわかりません。そもそも小室さんの婚約発表に合わせて、まるでタイミングをはかったかのように金銭問題をメディアにリークしたのは、ほかならぬ元婚約者なのです。だからと言って、金銭問題で訴訟を起こしているわけではありません。もう関わりたくないと言いながら、バッシングが激しくなると、「発言」というかたちでメディアに登場するのでした。

何度も言いますが、男と女の間には、第三者にはうかがい知れないデリケートな部分があるのは言うまでもないことです。別れたからお金を返せというのは、普通は「最低」と言われても仕方ないでしょう。でも、誰もそうは言わないのです。それどころか、”かわいそうな被害者”みたいな扱いになっているのです。もしかしたら、小室さん親子が身動きできないのをいいことに、嫌がらせをしているだけなのかもしれないのにです。愛が憎しみに変わるというのはよくある話ですが、況や老いらくの恋においてをやでしょう。

「発言」なるものも、その多くは代理人から伝えられるものです。いつもならあることないこと書き散らしてもおかしくないのに、何故かメディアに出て来るのは、フリーライターだとかいう代理人をとおした「発言」だけです。

立場が違うとは言え、あれだけ小室さん親子について微に入り細に渡って報道するのなら、元婚約者についても取材しなければあまりに公平さを欠くと言わざるを得ません。しかも、最初から小室さんの主張はウソで、元婚約者の主張がホントと決めつけられているのです。まるで小室さん親子が結婚詐欺師か美人局であるかのような言い方です。しかも、多くの国民はそんなメディアの報道を真に受けて、バッシングに同調しているのです。ネットには、小室さん親子の背後で闇の勢力が(日本の皇室を乗っ取るべく?)糸を引いているなどというQアノンばりの陰謀論まで登場する始末で、もはや集団ヒステリーの様相さえ呈しているのでした。

ただ、今回の文書について、宮内庁の西村長官が、「非常に丁寧に説明されている」、金銭問題の対応の経緯を「理解できた」、「静かにお見守りしていきたい」と感想を延べたことをみてもわかるとおり、文書の公表や「解決金」の支払い(元婚約者がごねてすぐに受け取らない可能性もありますが)が結婚に向けての地ならしであることは間違いないでしょう。なんだか世間の人間たちに比べると、「カゴの鳥」の監視役である宮内庁の元警察官僚の方がマトモに見えるくらいです。

それにしても、メディアに煽られたとは言え、皇族の自由な恋愛&結婚に対して、「オレたちの税金で」という上から目線と、一方で言いがかりとしか思えない非現実的な潔癖性を求める(芸能人の不倫に対するのと同じような)あまりに性悪で冷淡な反応を見るにつけ、私には、ゲスの国民たちが自分のことを棚に上げて、時代にそぐわなくなった天皇制をいいように弄んでいるようにしか思えないのです。要するに、「カゴの鳥」は「カゴの鳥」らしくしろ、「カゴの鳥」にはそれにふさわしい結婚があるだろうということでしょう。眞子さんだけでなく、佳子さんもそうですが、そんな時代にそぐわなくなった天皇制に縛られる若い皇族たちはホンマに!?気の毒だなと思えてなりません。


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眞子さんに対する中傷
2021.04.14 Wed l 社会・メディア l top ▲
ミャンマー国軍による市民への弾圧は、日に日にエスカレートする一方です。クーデターの犠牲者は10日までに700人を超えたと言われています。迫撃砲やロケット弾を使って市民を虐殺しているという話も伝わっており、もはや常軌を逸した虐殺行為と言っても過言ではないでしょう。

ビデオニュースドットコムにリモート出演したヤンゴンの反対派市民は、兵士たちは麻薬や酒を与えられて弾圧行為を強いられていると言っていました。また、兵士たちが命令に背かないように、家族が半ば人質のようになっているとも言っていました。

ビデオニュースドットコム
マル激トーク・オン・ディマンド (第1044回)
ミャンマー危機における日本の責任を考える

もともとミャンマーの国軍は、設立以来、常に国内の少数民族の武装組織やビルマ共産党の掃討作戦を続けており、国軍は国防より警察と一体化した治安組織としての性格の方が強いそうです。そのため、国民に銃を向けるのもそんなに抵抗はないと言われています。

狙撃兵が道端で遊ぶ子どもを狙って撃ったり、アトランダムに民家に銃弾を撃ち込んだり、あるいはいきなり民家を襲撃して片端から若者を連行するなどという行為も行われているようです。連行された若者は、日本円で3万円とか5万円を払うと釈放されるという話もあるのだとか。このように狂気と化した国軍や警察によって、暴虐の限りが尽くされているのです。

上智大学の根本敬教授は、番組のインタビューで、国軍の経済利権について、国防省兵站部国防調達局という国防省内の一部局が2つの持ち株会社を所有しており、その2つの持ち株会社の下に150以上の大手企業が連なり、国軍はそれらから株主配当金を吸い上げるシステムになっていると言っていました。しかも、その株主配当金は非課税の上非公開なので実態は闇の中だとか。一説には、ミャンマーの国防予算の2500億円を上回る金額が上納されているという話もあるそうです。もちろん、その一部は国軍の幹部たちのポケットマネーにもなっているのです。

しかし、ミャンマーに対して最大の援助国であり、しかも、国軍と太いパイプがある(密接な関係がある)日本政府は、欧米とは歩調を異にし依然として制裁には消極的です。日本が援助を凍結すると、ミャンマーに経済的な空白が生じ、その間隙を突いて中国が進出してくるという、ネトウヨでおなじみの「中国ファクター」がその理由です。そのため、G7に参加する主要先進国として、一応クーデターを非難する声明は出すものの、制裁などに踏み切るつもりはなく、かたちばかりの声明でことを済まそうとする姿勢が見えると根本教授も言っていました。

前の記事でも書きましたが、ミャンマーに進出している日系企業は2020年末の時点で、433社に上るそうです。そのなかには、丸紅や三菱商事、住友商事、イオン、KDDIなど、日本を代表する大手企業も入っており、それらの多くは、何らかのかたちで、国防調達局傘下の持ち株会社に連なる会社と合弁事業を行なっています。そうやって”狂気の軍隊”を経済的に支えているのです。

国軍がやっていることはどう見ても戦争犯罪としか言いようがありません。だとしたら、”援助”の名のもとに彼らを経済的に支える日本政府や日本企業も、「人道に対する罪」は免れないように思います。

かつての宗主国であり、そして現在、最大の援助国として経済的に密接な関係のある日本は、間違っても傍観者の立場などではあり得ないのです。

JIJI.COM
NGOがユニクロ告発 ウイグル強制労働めぐり―仏

昨日、「中国・新疆ウイグル自治区での人権問題をめぐり、ウイグル族を支援するフランスのNGOなどは(略)、少数民族の強制労働で恩恵を受けているとして、人道に対する罪の隠匿の疑いで『ユニクロ』の仏法人を含む衣料・靴大手4社をパリの裁判所に告発した」という記事(上記)がありましたが、市民を虐殺するミャンマー国軍を経済的に支える日本企業に対しても、もっときびしい目を向ける必要があるでしょう。


追記:
根本敬教授らが、ミャンマーの民衆を支援するクラウドファンディングを立ち上げています。主催者は、「たとえ少額でもミャンマー市民への力強い応援歌になる」と支援を呼びかけています。また、発起人の今村真央山形大教授は、「かつての弾圧時にはなかったネットを味方に付け、民主主義を求めるミャンマーの人々を支えたい」とプロジェクトの目的を述べていました(朝日新聞デジタルより)。

緊急支援:クーデター下のミャンマー市民へ医療・食料支援を。
https://readyfor.jp/projects/justmyanmar21
2021.04.12 Mon l 社会・メディア l top ▲
山に生きる人びと


膝の具合ですが、その後、3回水をぬいてその都度ヒアルロン酸を注入しています。しかし、いっこうに改善の兆候はありません。ドクターも「もう水はたまってないと思っていたんですがねえ」と首をひねっていました。こんな調子ではいつ山に行けるようになるのかわかりません。そう思うと暗い気持になります。

だからというわけではないですが、民俗学者の宮本常一の『山に生きる人びと』(河出文庫)と柳田国男の『山の人生』(角川ソフィア文庫)を買って、山に思いを馳せながら、再び読み返しています。いづれもまだ20代の頃、友人と二人で、テントを担いで二泊三日で熊本の五家荘を縦走した際に読んだことがあるのですが、細かい部分はもう完全に忘れています。『山の人生』はkindleにも入っていますが、やはり紙の本でないとなかなか読む気になれず、そのままにしていました。

今、『山に生きる人びと』を読み終えたばかりですが、同書の冒頭は、次のような文章ではじまっています。尚、同書の単行本が刊行されたのは1964年です。

  山中の道を歩いていて、いったいここを誰が通ったのであろうと思ってみることがある。地図にも出ていない道であるのだが、下草におおわれながらもかすかにそこを何人かの人が通りすぎたあとがのこされている。人の歩いた部分はややくぼんでいて、草も生えていないか、生えていても小さい。木も道の上の空間はそれほど枝をさしかわしていない。といって一日に何人ほどの人が通るのであろうか。そういう道を歩ていると草が茂り木が茂って、とだえてしまっていることも多い。それからさきは人も行かなかったのであろうか。それとも雑木や雑草がうずめつくして通ることすらできなくなってしまったのであろうか。
  こうした道はまたどうしてひらいたものであろうか。古い道のなかには獣の通ったあとを利用したものもすくなくなかったようである。
  山の奥のどんづまりの部落でそれからさらに山中にはいり、峠をこえて向う側へ出ようとする道をたどろうとするとき、「どこそこからウサギ道になるから気をつけて行け」などと教えてくれることがある。ウサギ道とかシシ道というのが山の中にはあったうようで、山の中を往来する獣はおのずから道を定めてそこを通った。
(略)
  古い時代には野獣の数はきわめて多かった。そしてそれらが山の中を往来することによっておのずから道はできたわけであろう。その道を人もまた利用したのである。


今、私たちが登山と称して歩いている道のなかには、そんな古の道もあるのかもしれません。しかし、そこにはロマンなどとは別に、山に生きる(生きざるを得ない)人々の並大抵ではないつらい生活の現実があったのです。

著者の宮本常一が、戦前(昭和16年12月)、愛媛県小松から高知県寺川に行く山中で、ひとりの「レプラ患者」(註:ハンセン病のこと)の老婆に会ったという話には身につまされるものがありました。「ぼろぼろの着物を着、肩から腋に風呂敷包をかけていた。杖をついていたが手に指らしきものはなかった」老婆は、阿波(徳島県)から来て、伊予(愛媛県)の知り合いのところに行くのだと言う。どうやって来たのか訊くと、「四国には自分のような業病の者が多く、そういう者のみが通る道があって、それを通ってきた」と言っていたそうです。著者は、「阿波から石鎚山の東まで山道をよぼよぼ歩いて、五日や六日の日はかかったであろう。どこで泊って何を食べてきたのであろうか」と書いていました。

あとで泊めてもらった農家の人にその話をしたら、山中には「カッタイ道」というのがあって、「カッタイ病の者はそういう道を歩いて行き来している」と言われたそうです。

本書は、そういった山間に行き交う人知れぬ道とともに、長年のフィールドワークの賜物である、「狩人」「杣(そま)」「木挽」「木地屋」「鉄山師」「炭焼き」などの一所不在の人生を生きる人々の山の暮らしの様子が、エッセイ風に綴られていました。

私は山国育ちなので、私の原風景は山です。子どもの頃、見晴らしのいい峠に立って、彼方に見える尾根の先に思いを馳せ、いつかあの尾根を越えて行ってみたいと思っていました。

『山に生きる人びと』によれば、山奥で木地や杣(木こり)や狩猟のような山仕事と焼畑農業で生計を立てていた人々の多くは、里から山奥に入ったのではなく、多くは山を越えてやって来たのだそうです。だから、麓で稲作農業をしている里人たちとは没交渉だった場合が多いのだそうです。オーバーな言い方をすれば、別世界の人々だったのです。

たとえば、長野県下伊那郡上村下栗のごときもその一つである。この部落は遠山川の作った峡谷の上の緩傾斜にあるが、下の谷から上って村をひらいたものではなく、東の赤石山脈の茶臼岳をこえて、大井川の方からやって来たものであるという。


ちなみに、赤石山脈とは今で言う南アルプスのことです。茶臼岳はそのなかにある標高2,604mの山です。

(略)山中の村で奥から川や箸や椀が流れて来たのでいって見るとそこに村があったという話は八岐大蛇伝説のほかに広島、島根県境の村や、滋賀県山中できいたことがあるが、これらも山の奥は谷口の方からではなく、山の彼方から来て開いたもののあったことを物語る例であろう。このように山中には水田耕作をおこなわず、定畑や焼畑耕作によって食料を得ていた集落が、私たちの想像をこえたほど多かったのではなかろうか。


そういった一所不在の漂泊の民が通る道が、街道のような表の道とは別に山のなかに存在していたのです。

余談ですが、子どもの頃、父親と久住(九重ではありません!)の山に登ったとき、頂上から「あれが法華院だ」と言って父親が指差した先に、豆粒ほどの小さな建物がありました。法華院温泉の住所は、登山口と同じ久住町有氏(現竹田市久住町有氏)でしたので、父親の知り合いもいたみたいです。

今は、九重町(ここのえまち)の長者原まで車で行って、モンベルもあるような観光地化された長者原から徒歩で行くのが当たり前みたいになっていますが、同じ郡内からは、法華院温泉は山を越えて行くところだったのです。事実、江戸時代までは、法華院は竹田の岡藩の国境警備を兼ねた祈願所でもあったそうです。国境は山を越えた先にあったのです。山を越えるというのは、昔は当たり前のことだったのです。

そう言えば、前も書きましたが、秩父困民党の落合寅市は、明治政府からの弾圧を逃れるために、いったん高知県に逃亡した後、雁坂峠を越えて再び秩父に戻っていますが、おそらく官憲が把握し得ない山道を利用していたのでしょう。落合寅市だけでなく、幹部たちも信州や甲州や東京に潜伏しているところを捕えられています(なかには北海道まで逃走した幹部もいました)。官憲の目が光る街道ではなく、山の人間しか知り得ない逃走ルートが存在したのは間違いないでしょう。

秋田県檜木内(旧秋田県仙北郡檜木内村)にいた山伏は、「生涯に二度ほど熊野へまいったそうで」、その際「山から山へわたり歩いて熊野へ行った」のだとか。「羽黒に属している山伏は羽黒へ、熊野に属している山伏は熊野へ、一生のうち何回かは往復し、また高い山々の峰駆けもしている」のだそうです。

吉野(吉野山・大峰山)というのは、今の奈良県です。羽黒(羽黒山)は山形県の鶴岡市にある山です。今風に言えば、秋田から奈良まで山から山を伝ってトレランで往復したのです。

『山に生きる人びと』には、文政期(1800年代)、若い頃に東北への旅に出て、以後76歳で羽後(現秋田県)で客死するまで、郷里の三河(現愛知県)に戻ることのなかった菅江真澄という人が、旅の途中に郷里の知人に送った手紙が1年後返信されて戻ってきた話が出ていましたが、その「通信伝達の役目をはたした」のも山伏だったそうです。

ちなみに、山伏のなかには、麓の里から山麓の村まで物資を運ぶ「荷物持ち」(歩荷)のアルバイトをしていた者もいたそうで、「一人で二三~四貫の荷を背負った」ケースもあったと書いていました。1貫は3.75kgですので、86kg以上になります。前に甲武信ヶ岳から国師ヶ岳を縦走して大弛峠に下りて来たハイカーが背負っていたザックが20kgあるとかで、それを試しに背負わせて貰ったことがありました。よくこんな重いものを背負って山を越えて来たもんだなと感心しましたが、昔の山伏はその4倍以上の荷物を背負って山を登っていたのです。それにつけても、いくら乱暴に歩いたとは言え、たかだか6kgあまりのザックを背負い10キロちょっとの山道を歩いただけで、膝に水がたまって歩くのもままならなくなっている私は、なんと軟弱なんだとあらためて思わざるを得ません。

でも、「山に生きる」ということは、きびしい条件下における艱難辛苦に満ちた生涯であったことは想像に難くありません。落人伝説で語られる山の生活にしても、「世間の目をのがれて、きわめてひっそりと生きて来た」ようなイメージがありますが、実際は「決して安穏なものではなく、むしろそこにはたえず闘争がくりかされていた」そうです。平野部の「政治闘争」(領土争い)に果敢に参加した資料も残されているのだとか。「平野に住む農民たちよりはるかに荒々しい血をもっていたのではないかと思われる」と書いていました。

  元来稲作農民は平和を愛し温和である。日本文化を考えていくとき、平和を守るためにあらゆる努力をつづけ工夫したあとが見られる。にもかかわらず、一方には武士の社会が存在し、武が尊ばれている。しかもその武の中には切腹や首斬りの習俗が含まれている。それは周囲民族の中の高地民の持つ習俗に通ずるものである。それで武士発生の基盤になったものは狩猟焼畑社会ではなかったであろうかと考えるようになって来た。九州の隼人も山地の緩傾斜面で狩猟や焼畑によって生計をたて、関東武士も畑作(古くは焼畑が多かったと見られる)のおこなわれた山麓、台地を基盤にして発生しているのである。


著者は、「試論の域を出ない」と断った上で、このように書いていました。もとより、条件のきびしい山奥で生活するには、「荒々しい血」をもっていなくてはとても生き延びて行けないでしょう。

『山に生きる人びと』を読み返すにつけ、そんな古の人々に思いを馳せ、もう一度山道を歩いてみたい、特に子どもの頃の思い出のある故郷の山をもう一度歩いてみたいという思いを強く持ちました。ただ、一方で、今の膝の状態を考えると、よけい暗い気持にならざるを得ないのでした。
2021.04.08 Thu l 本・文芸 l top ▲
東京オリンピックの聖火リレーが、3月25日から7月23日までの日程で、福島県の楢葉町及び広野町のJヴィレッジでスタートしました。Jヴィレッジというのは、東京電力によって原発建設の地域対策事業の一環として造られた全天候型のスポーツ施設です。その原発関連の施設から「復興五輪」を掲げて聖火リレーがスタートしたのです。原発事故で生活も人生も乱わされた(くるわされた)地域の人たちはどんな思いで、この「復興」の文字を掲げたセレモニーを見たのでしょうか。

早速メディアは、聖火ランナーに選ばれた震災で家族を亡くした男性が、亡き家族への思いを託して笑顔で走った、などという美談を報じています。主要な新聞社やテレビ局は、メディア委員会などに属するスポンサー企業なので、ここに来て開催ありきの本音を臆面もなく出し始めた感じです。

でも、一方で、変異ウイルスを中心にした感染拡大が止まりません。”第四次感染拡大”の懸念さえ出始めています。

このブログでも紹介した『感染症の世界史』の著者・石弘之氏は、下記のインタビュー記事で、「新型コロナウイルスはRNAウイルスという種類で、変異を起こしやすいタイプなので、大変なことになるかもしれない」と考えていたそうですが、実際そのとおりになりつつあります。

カドブン
人類史が教えるパンデミック収束の道筋と、コロナ後の世界

また、石氏は、次のように語っていました。

石:今回の新型コロナウイルスが収まっても、中国奥地に生息する自然宿主のコウモリには数百種のコロナウイルスの変異株が見つかっているそうです。そのなかには次の出番を待っているものがいるかもしれません。次の感染症に備えることも大切だと思います。

 もうひとつ気がかりなのは、私の友人で新型コロナウイルスに感染した人がいるのですが、7ヵ月後に再検査したら抗体がまったく消えていたそうです。ワクチンが普及してもどれだけ効果が持続するのか。ちょっと心配になります。


それに、ワクチンは毎年打たないと効果が持続しないという話もあります。インフルエンザなどを見てもわかるように、次々変異株が出て来るので、それに合わせたワクチンを定期的に接種する必要があるというのは、素人でも理解できます。

また、たまたま現在、私は膝痛でヒアルロン酸を注入されていますが、ヒアルロン酸は、ワクチンの代表的な副作用であるアナフィラキシーショックを起こしやすいと言われています。実際に、ヒアルロン酸の副作用に「アナフィラキシーショック」の記載がありました。膝痛のおっさんだけでなく、美容外科で皺取りにヒアルロン酸を使っている美魔女も要注意でしょう。

そもそも、日本のワクチンの接種率は、まだ1%にも満たないのです(3月26日現在0.03%)。

そういった現実を考えれば、オリンピック開催は狂気の沙汰のようにしか思えません。このまま開催に突っ走れば、間違いなくこの国は、その愚鈍ぶりを世界に晒すことになるでしょう。ざまあみろと言いたいところですが、もちろん、社会の一員である限り、無関係で済ますわけにはいかないのです。感染の恐怖を抱きながら、これからも正しく怖れていかなければならないのです。自分の身は自分で守るしかないのです。

自治体の長たちも、連日、飲食店の時短営業の延長や不要不急の外出自粛の要請など、感染拡大の危機感の共有を訴えていますが、しかし、不思議なことに、誰ひとり開催反対を表明する者はいません。不要不急の外出を控えるようにと言いながら、聖火リレーはマスクもしないランナーたちによって、天下の公道で堂々と行われているのでした。

国家が行うことに対して、野党も自治体の長もメディアも誰ひとり反対する者がいない。「オリンピックなんてやってる場合じゃないだろう」と誰も言わない。これこそ”プチ全体主義”と言えるのではないか。中国やロシアの全体主義を批判する資格はないのです。

新型コロナウイルスで一抜けた(と主張する)中国は、未だコロナ禍の真っ只中で右往左往している世界を尻目に、中華思想の再来を彷彿とするような覇権大国への道を突き進んでいます。既に香港やミャンマーで全体主義=社会帝国主義の影響力の行使がはじまっています。それは、おぞましいとしか言いようのない光景です。

一方、香港やミャンマーに対する米欧西側諸国の対応は誰が見ても心許ないものです。日本に至っては、米欧が提唱する中国への制裁について二の足を踏んでいるようなあり様です。ミャンマーについても、戦争中のいきさつから日本政府は国軍と密接な関係にあり、制裁に後ろ向きだと言われています。過去の軍政下においても、欧米が制裁に舵を切るなかで、日本政府は一貫して経済的な支援を行い、軍政を支えてきたのでした。ジェトロ(日本貿易振興機構)によれば、2020年末の時点でミャンマーに進出している日系企業は433社に上るそうです。しかも、その多くは国軍の経済的利権の根っこにある国軍系企業と合弁事業を行っています。しかし、今回のクーデターで国軍系企業との取引きを見直すと表明したのは、キリンビールだけです。日本は、実質的には国軍を支援する中国やロシアと同列なのです。日本のメディアが心配するのも、民衆への弾圧よりも、制裁によって、日系企業がビジネス上の被害を蒙るのではないかということです。挙句の果てには、曖昧な立場だからこそ、国軍と欧米を仲介する役割を期待できるなどと言い出す始末です。

西側諸国の対応が心許ないために、香港やミャンマーの民衆の抵抗運動は孤立し、独裁権力の弾圧のなかで苦闘を強いられています。そのために、悲劇はどんどん増すばかりです。それどころか、国軍のクーデターに抗議の声を上げる在日ミャンマー人たちに対して、ネトウヨや自粛厨は、「コロナ禍で迷惑だ」「ミャンマーに帰れ」などと罵声を浴びせているのでした。

全体主義に対して全体主義で対抗する。トランプ政治であきらかになった”全体主義の時代”がポストコロナの世界の主流となるのは、もはや既定路線のようになっています。

コロナ禍において「ファシスト的公共性」を希求する大衆の心情が(みずからの基本的人権を何のためらいもなく国家に差し出す大衆の”動員の思想”への回帰が)、このような流れを作り出しているのは否定し得ない事実でしょう。

ただ、こういった国家に依存した”全体主義の時代”は両刃の剣でもあるのです。今回のコロナ禍で露わになったように、盤石だったと思われていた国家が機能不全に陥ることだってあるのです。

斎藤幸平は『人新生の「資本論」』(集英社新書)で次のように書いていました。

    (略)危機の瞬間には、帝国的生活様式の脆弱さが露呈する。実際、コロナ感染の第一波が襲った瞬間、先進国では、マスクも消毒液も手に入らなかった。安くて、快適な生活を実現するために、あらゆるものを海外にアウトソーイングしてきたせいである。
   また、SARSやMERSといった感染症の広がりが、遠くない過去にあったにもかかわらず、先進国の巨大製薬会社の多くが精神安定剤やED(勃起不全)の治療薬といった儲かる薬の開発に特化し、抗生物質や抗ウイルス薬の研究開発から撤退していたことも、事態を深刻化させた。その代償として、先進国の大都市は、レジリエンス(障害に直面した際の復元力)を失ってしまったのだ。


そして、「こうした問題は、『価値と使用価値の対立』として、マルクスが問題視していた事柄にほかならない」と書いていました。

資本の価値増殖のために、本来の人間の経済活動の目的であった使用価値は価値に従属されるようになったのです。国家をリバイアサン(怪物)と呼んだのはホッブスですが、資本主義社会では資本こそがリバイアサンなのです。その最たるものがネオリベラリズムでしょう。ネオリベは、みずからの出自である国民国家さえ足手まといだと言わんばかりに飛び越えて、世界市場で文字通り野蛮なリバイアサンとして、価値増殖の猛威を振るうようになったのでした。

つまり、斎藤幸平のことばを借りれば、非合理的な資本主義社会では、「命を救う」ワクチン(使用価値)より儲かるEDの薬(価値)が優先されるのです(ただ、今回のパンデミックでは、開発競争を制したファイザーやモデルナ、アストラゼネカなどの世界的医薬品メーカーは、莫大な利益=価値を手にすることになりました。ちなみに、ワクチン1回分の売価は、1400円〜1600円と言われています)。

もとより、今回のオリンピック開催においても、「価値と使用価値の対立」が露わになっているように思えてなりません。国民の健康より、オリンピックに商業的な利益(=価値増殖)を求める資本の都合が優先されるのです。オリンピックに先行投資した彼らにとって、やめるなんてあり得ない話でしょう。これこそ資本の野蛮な性格が如実に表れているように思います。もちろん、そのなかには、新聞社やテレビ局などのマスメディアも含まれています。だからよけいタチが悪い。

斎藤幸平は、「『コミュニズムか、野蛮か』、選択肢は二つで単純だ!」と書いていましたが、ここで言う「コミュニズム」というのは、脱成長を前提にした自治管理や相互扶助に基づいた社会のことで、間違っても、中国のような人民の一挙手一投足が徹底的に管理されたディストピアのような(”思想の生産力主義”に呪縛された)社会のことではありません。

でも、前も書きましたが、私はきわめて悲観的です。ポストコロナの世界は、やはり、全体主義で全体主義に対抗する、”全体主義の時代”が私たちの頭上を覆うような気がしてなりません。


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感染症の世界史
2021.03.27 Sat l 社会・メディア l top ▲
他人の膝痛などあまり関心はないかもしれませんが、今日、再び近所の整形外科に行きました。痛みがいっこうに改善しないからです。

診察した結果、やはり水がたまっていると言われました。そして、水を抜いたのですが、ただ、量は前回の半分くらいだと言っていました。

膝の裏が痛いとか座っているときや寝ているときに痛いとか言うのではなく、歩くときに体重がかかったら痛い、それも膝の前下が痛いと言うのであれば、「変形膝関節症」や「半月板損傷」などではなく、やはりオーバーユースが原因だろうと言っていました。

それに、関節砲のなかの水(関節液)も前回より減っているので、改善の兆候はあると言われました。

そして、水を抜いたあと、前回と同じヒアルロン酸のアルツディスポ関節注25mgを注入されました。また、今回は、痛み止めのテープとともにあらたに飲み薬と胃薬を処方されました。これで痛みがいくらでも改善されることを願うばかりです。

ただ、これで服用する薬は、花粉症の薬を入れると6種類、花粉症を除いても5種類になります。飲み薬以外に、花粉症の点眼薬と鼻炎薬、それに今回の鎮痛・抗炎症剤の貼り薬(テープ)があります。なんだか年齢ととももに、段々薬漬けになっていくような気がしてなりません。

前に高校時代の同級生と食事に行ったとき、食後、同級生がやにわにテーブルの上に薬を並べ、ひとつひとつ飲み出したのを見て笑ったのですが、もう他人事ではなくなってきました。

余談ですが、先日、地元にいる高校時代の同級生から突然電話がかかってきました。電話に出ると、「おおっ、生きているか?」と言われました。電話の向こうからは、「ハハハ」という奥さんの笑い声が聞こえてきました。

何でも千葉でひとり暮らしをしていた同級生が孤独死したのだそうです。よくわからない話ですが、「血がつながってない娘」が訪ねて来て遺体を発見したのだとか。それで、ひとり暮らしをしている私に電話をかけてきたようです。

私自身、亡くなった同級生とはほとんど交流はなかったのですが、毎年1回は親の墓参りのために九州に帰省していて、既に親も亡くなって実家がないので、ホテルに泊って、親しい同級生と会っていたみたいだと言っていました。「そういったところもお前とよく似ているからな」と言われました。

私は、若い頃何度も入院した経験があるし、親戚に医療関係者が多いということもあって、病院の敷居は低く、なにかあるとすぐ病院に行くクセがあります。そのため、どうしても服用する薬が多くなるのでした。ちなみに、手持ちの診察券を数えたら8枚ありました。

今日、病院の近くの処方薬局に行って薬ができるのを待っていたら、70歳をとうに越えたような婦人がやって来ました。受付で処方箋を出した際、「お薬手帳は持っていますか?」と訊かれていましたが、どうやらお薬手帳は持って来てないみたいでした。すると、そのあと、受付の女性が老婦人のもとにやって来て、「保険証を見せていただけますか?」と言っていました。老婦人は、「3年ぶりですからね」と言って、笑いながらバックのなかから保険証を出していました。

私は、その様子を横目で見ながら、「3年ぶりって凄いな」と思いました。もちろん、ほかの薬局に行っていたのかもしれませんが、その年齢でもし3年間医者にかかってなかったとしたらたしかに凄いことです。私などには考えられません。

年をとって病院に行くと、文字通り「ドツボにはまる」ようなところがあります。病院は「もう来なくて大丈夫ですよ」とは決して言わないのです。かかりつけ医があるにもかかわらず、時間の都合でほかの病院を受診し、かかりつけ医で看てもらっているからと言ったにもかかわらず、再来を指示され、再び受診したらかかりつけ医と同じ薬を処方された(しかもひと月分)ということがありました。

どう考えても重複しているのです。意地悪な解釈をすれば、”患者を奪う”ような意図さえ感じました。それで、処方箋を無視して、以後その病院に行くことはありませんでした。医療費の増大のひとつの側面を垣間見た気がしました。

私は、今回膝痛を経験するまで知らなかったのですが、整骨院などは保険適用にきびしい条件が課せられているようです。健康保険が適用されるのは、急性期の外傷性の負傷に限られ、しかも、骨折や脱臼などは医師の同意が必要なのだそうです。また、同じ負傷で整形外科や外科で治療を受けたあとに、整骨院や柔道整復師に「重複並行的」にかかった場合、保険が適用されず全額自己負担になるそうです。

そのため、整骨院などは、経営上、自由診療の体制に移行するのが急務だと書いていました。整骨院に行くと、回収券の購入を勧められるという話も聞きますが、そうやって携帯のキャリアと同じように患者の囲い込みが行われているのでしょう。ひとつの部位の施術に行ったのに、いろんな部位は関連しているからと言われて、ほかの部位の施術も行われるのを「部位回し」と呼ぶのだそうですが、患者の安易な”治療院巡り”だけでなく、そういった業界の姿勢も医療費の抑制をめざす厚労省に目を付けられたのかもしれません。

私が住んでいる街の駅前通りは、美容院とドラッグストアが異常繁殖しています。美容院の乱立によって、昔ながらの理髪店の廃業が相次ぎ、理髪店はもう残り僅かになりました。理髪店には1980円のような安売りの店もありますが(私が行っているのは3700円)、美容室にもそれと同じか、それ以上に安い店もあるみたいです。店のなかを除くと、頭の禿げた爺さんが椅子に座って順番を待っていたのでびっくりしました。私などの感覚では、頭の禿げた爺さんが美容院(昔のパーマ屋)に行くなんて考えられないことです。

しかし、駅前通りに異常繁殖しているのは、美容院とドラッグストアだけではありません。整骨院も同じです。そこには、膝や肩や腰の痛みに悩む老人たちが多くなった高齢化社会の背景があるからでしょう。それは、テレビ通販のサプリや健康食品の増殖と軌を一にしているように思います。階段を下りるのも手すりを持ちながら危なっかしい足取りでしか下りられなかったのに、サプリを飲んだ途端、孫と一緒に公園を走りまわるようになったというCMが象徴するように、高齢化社会における”痛みの市場”は私たちが想像する以上に大きいのでしょう。

飲み薬と湿布薬で痛みが緩和され、炎症も治癒されればいいなあと思います。こうやって身体に不調を覚えると、気分も落ち込まざるを得ません。何より日常生活が不便でなりません。


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黒田三郎「夕暮れ」
2021.03.26 Fri l 健康・ダイエット l top ▲
膝痛ですが、その後、まったく痛みが消えません。前の記事に書いたとおり、当初は楽天的だったのですが、徐々に深刻になってきました。

痛みの箇所は、膝の前下のやや内側、シロウトの見方ですが、膝の関節図を見ると、関節軟骨のあたりのような気がします。

座っているときや階段を登ったり下りたりするときはほとんど痛みはありません。歩いていて、足を着地し膝が延びるときに痛みが出るのです。つまり、交互に足を出すのに、一瞬片足立ちになり全体重がかかるときに痛みが発生するのでした。

両膝を比べると、再び右膝が少し腫れているように思います。水がたまりはじめているのかもしれません。

月曜日に病院に行った際、次回は1週間後と言われましたが、明日でもまた行ってみようかなと思っています。

経験者に訊いてみようと膝の手術した知人に電話をしたら、病院や整骨院に対する悲観的な話ばかり聞かされて暗い気持になりました。彼は、何年も前から膝痛に悩み、病院や整骨院を渡り歩いたけど改善せず、結局、人工関節?を入れる手術をしたそうです。「もういくらお金を使ったかわからないよ」と言っていました。

ネットで検索しても、たとえば温める方がいいのか、冷やす方がいいのかさえわかりません。温めた方がいいと書いているサイトもあるし、冷やす方がいいと書いているサイトもあります。なかには、冷やしてくださいと書いているけど、後半になったら温めてもいいですと書いているサイトもありました。また、ストレッチをした方がいいのか、しない方がいいのか、それもはっきりしません。どっちなんだとツッコミを入れたくなりました。

と言っても、それらは一時問題になったキュレーションサイトです。Googleで検索して出て来るのは、キューレーションサイトばかりです。そういったなりすましの”腹にいちもつ”の情報しかないので、どれが真実なのか、そもそも真実はあるのか、そのあたりから疑わざるを得ないのでした。

余談ですが、一般的なテキスト主体のサイトでもそのあり様なので、動画に特化したYouTubeはもっと情報が限られるのです。これは登山などにも言えますが、YouTubeだけの情報でものごとを判断するのはきわめて危険だなとあらためて思いました。

夜になり病院も既に閉まっているので、近所の整骨院に行ってみようかと思って、文字通り重い足取りで(右足を引き摺りながら)自宅を出たのですが、整骨院に向かっていたら、ふと知人の話を思い出して、行っても無駄ではないかという気持に襲われたのでした。それで、踵を返してドラッグストアに行き、「熱さまシート」と「あったかカイロ」を買って帰りました。両方買ったのは、温めていいのか、冷やしていいのかわからないからです(笑)。

品出しをしていた店員に「すいません。冷やすものはありますか?」と訊きました。
「冷やすものですか?」
「そうです。熱が出たときに貼るやつです」
「ああ、はい、はい、こちらですね」
そう言われて、「熱さまシート」が並べられたコーナーを案内されました。

今度は温めるものです。
「すいません。もうひとついいですか」
「はい」
「温めるものはありますか?」
「エッ、温めるものですか?」
店員も戸惑っている感じでした。心のなかでは、「この人、どうなっているんだ?」と思っていたのかもしれません。
「そうです。ホッカイロみたいものがあるじゃないですか」
「あっ、はい、はい。ただ、もう季節の商品は入れ替えが行われたのであるかどうか・・・・」
と言われて、「熱さまシート」からかなり離れたコーナーに連れて行かれました。

「たしか、このあたりにあったと思うのですが・・・・。あっ、ありました!」
指差された方を見ると、虫除けのムシューダやタンスにゴンゴンなどが並べられたワゴンの一番下に、如何にも売れ残りという感じで「あったかカイロ」の箱がありました。手に取る際、埃をかぶっているんじゃないかと思ったくらいです。

しかし、家に戻り、「熱さまシート」と「あったかカイロ」を前にして、これからどうすればいいんだと思いました。温めて冷やすのか、冷やして温めるのか。ハムレットのような心境になっています。もうマンガみたいな話です。

(その後、「膝 水 痛い 温める 冷やす」と検索したら、某病院のサイトがヒットしました。それによれば、急性期は冷やす、慢性期は温めると書いていました)

ただ、言うまでもなく、こういったことは気休めでしかありません。炎症なりが治癒しないことには、同じことがくり返されるだけです。しかし、治癒するのも特効薬はなく、どうやら自然治癒を待つしかないような感じです。保存療法というのは、そういうことではないのか。

病院では変形膝関節症でも半月板損傷でもないと言われましたが(そう言われてホッと安堵したのですが)、ホントなんだろうかと疑いの気持さえ持つようになりました。何事においても悲観的な性格がここでも頭をもたげているのでした。
2021.03.24 Wed l 健康・ダイエット l top ▲