1539604_m.jpg
(写真AC)



■カットサロン


今日、生まれて初めてカットサロンに行きました。カットサロンというのは、美容院、昔で言えばパーマ屋です。

ただ、実際は想像とは違っていました。昔のパーマ屋のような頭から被せる機械などはなく、カットに特化したような内装でした。メニューも、カットとヘアーカラーだけのシンプルなものでした。

その店はできてまだ半年くらいです。前も似たようなカットサロンがありましたが、コロナ禍の影響もあったのか、数年で閉店したのでした。

もっとも、私が住んでいる東急東横線の街は、住人に若い女性が多いということもあってか、美容院(ヘアーサロン)の激戦区で、入れ替わりが激しく、開店や閉店もめずらしくありません。原宿か青山に本店がある有名ヘアサロンの店も、最近、閉店したという話を聞きました。

ヘアーサロンの前をいつも通るので、お客に男性がいることも知っていました。頭の禿げたおっさんが順番待ちをしているのを見たこともあります。しかし、それでも入る勇気がありませんでした。

■散髪屋


一方で、散髪屋はどんどん閉店していくのです。経営者が高齢化して跡継ぎがいないということもあるし、激安のカットサロンが多くなり経営が立ち行かなくなったということもあるのだと思います。

前にこのブログでも書きましたが、私が行っていた散髪屋も前は従業員を雇っていたのですが、その後、店主だけになりました。それにつれ、店内も汚くなり、しかも、店主が煙草を吸うので、店内はいつも煙草の臭いが充満しているようなあり様でした。

散髪をしていると、若者がやって来て、しばらく椅子に座って待っているけど、そのうちスマホに着信があったふりをして外に出て、そのまま戻って来ないということもありました。店に入ったものの、店内の様子を見て、自分が間違って入ったことに気付いたのでしょう。

「あれっ、さっきのお客さん、戻って来ないな」と言ったら、店主は「そんなことはしょっちゅうですよ」と吐き捨てるように言うのでした。

私ももう勘弁したいとずっと思っていたのですが、駅に行くのにその店の前を通るのでやめるにやめられなかったのです。ときどき店の前で店主と顔を合わせることもありました。そのたびに私の髪を見て、「ぼつぼついいんじゃないですか? お待ちしていますよ」と営業をかけられるので、仕方なく通っていたのです。散髪代は4千円近くするので、カットサロンに行った方が全然安いというのもわかっていました。

そんな私が長年通っていた散髪屋に行くのをやめたのはコロナ禍がきっかけです。店主は髪を切る際もマスクをしないのです。しかも、店主は話好きで声も大きく、まくしたてるように喋るのでした。話に熱が入ると、手が動かなくなるので、「手は動かして下さいよ」と言うくらいでした。

窓を開けて換気するということもないので、私は、やんわりと、「横浜市の感染対策の指針では、床屋も細かく対策を指示されていましたね?」と言ったら、「そうなんですよ。組合がうるさく言って来るので面倒で、それで組合をやめたんですよ」と平然と言うので愕然としました。

それに長年通っていると、お客と店主という関係を度返しような言動も目立つようになり、そのあたりもうっとくしく感じるようになっていました。

それで行くのをやめたのですが、でも、代わりの床屋が見つかりません。ヘアサロンは掃いて捨てるほどあるのに、床屋がないのです。それで、とりあえずカットだけ可能な激安の床屋に行くことにしました。

カットだけだと1000円ちょっとで済むのですが、従業員は高齢の男性二人で、店内はゴミ溜めのように汚くて、前の床屋よりさらにひどい状態でした。客扱いもぞんざいで愛想もくそもありません。それこそ安いだけが取り柄みたいな店でした。

あるとき、金八先生のように髪の長い男性がやって来ました。そして、丸刈りにして帰って行ったのでした。私の髪を切っていたお爺ちゃんの話では、男性は2年ぶりに髪を切ったのだそうです。

「2年に1回やって来るんですか?」
「そうだよ」
「凄いな。何の仕事しているのですかね。オタクみたいな恰好していたけど」
「ひきこもりなのかな? でも、一人で髪を切りに来るくらいだから、ひきこもりじゃないのかもしれない」

■カット代700円


そんなわけで、今日、勇気を奮って「男性客歓迎」の看板が出ているカットサロンのドアを叩いた、いや、開けたのでした。ちょうどタイムセールとかで、カットが700円になっていました。「安っ」「ホントかよ」と思いました。

カウンターに券売機みたいなものがあるのですが、「初めてなのですが」と言ったら、「あっ、そうですか。じゃあ、券を出しておきますので、あちらの椅子にお座りください」と言われました。

椅子に座ると、「いらっしゃいませ」と言って黒ずくめの恰好に黒いマスクをした若い女性がやって来ました。

「きれいっ!」と思わず声がもれるほどの美人です。もっとも、それはマスクをした上での話なので、実際はどうかわかりません。もちろん、店内も今まで通っていた床屋とは比べものにならないくらいきれいで清潔感があります。

こんなベッピンさんに髪を切って貰って、料金が僅か700円だなんて、何だか申し訳ないような気持になりました。タイムセールを外しても980円だそうなので、これからはタイムセールを外して行こうと思ったくらいです。

髪を洗って髭を剃って行ったのはよかったなと思いました。カットだけの場合、それがマナーでしょう。

あんな頭の禿げたおっさんが行っていたくらいなのに、どうして今まで行く勇気を持てなかったんだろうと思ったほどです。これでは、散髪屋が淘汰されるのも無理がないなと思いました。

■「やりがい搾取」


ただ、私の悪い癖で、ハサミを動かしているベッピンさんを鏡越しに見ながら、ふと「やりがい搾取」という言葉が浮かんで来たのでした。これも、このブログで書いたことがありますが、美容師(ヘアスタイリスト?)は典型的な「やりがい搾取」の業種でもあります。

ネットの求人を見るとその数の多さに驚きますが、人出不足だということは、それだけ給料が安くて労働条件が悪いからでしょう。介護職などと同じです。

「資格さえあればOK」「ブランクがあっても大丈夫」「昼間の数時間だけでもOK」 そんな言葉が躍っていました。中には、「介護の相談にも応じます」という文句がありました。親の介護をしていても、その間に勤務できますよという意味なのかもしれません。

もっとも、カットが980円、タイムサービスだと700円では、「やりがい搾取」で夢を奪われるのも当然という気がします。

激安を享受しながらこんなことを言うのは矛盾していますが、何だか痛ましささえ覚えました。便乗値上げで史上空前の利益を叩き出している業界がある一方で、このように競争が激しくて値上げしたくてもできない業界もあるのです。そして、そのツケは従業員にまわされているのでした。


関連記事:
「やりがい搾取」とキラキラ職業
2023.10.04 Wed l 日常・その他 l top ▲
4139149_m.jpg
(写真AC)



■事務所の名称変更


昨日(10月2日)、ジャニーズ事務所が二度目の記者会見を行なって、事務所の名称をジャニーズ事務所からSMILE―UP.(スマイル・アップ)に変更することを発表しました。

スマイル・アップは、被害の受付と補償に専念し、最終的には廃業するということです。とは言っても、旧ジャニーズ事務所が芸能界から撤退するという話ではなく、別に新会社を作り、新人タレントの育成や移籍したタレントの活動のサポートを続けるそうです。

ただ、新会社では、従来の雇用関係ではなくエージェント契約に変更するということで、それはそれで一歩前進だとは思います。しかし、芸能界での旧ジャニーズ事務所の”威光”は残ることになるのです。

■与党株主


その影響は、既に昨日の記者会見でも見られました。

昨日の記者会見はシナリオに基づいた出来レースだったのではないかという指摘がありましたが、危機管理のコンサルティング会社が仕切っているのは間違いないでしようから、それは当然でしょう。

前回の記者会見の反省からか、今回はまるで株主総会における”与党株主”のように、息のかかった芸能リポーターや記者が会見場の前の方に陣取り、記者会見をリードする空気が見られたそうです。

案の定、質問の機会を与えられない望月衣塑子記者などが抗議の声をあげて質問を強行すると、彼らからヤジが飛んだのでした。望月記者の話によれば、芸能ルポーターや記者だけでなく、会見場の後方にいるテレビ局のカメラマンたちからもヤジが飛んでいたそうです。

■井ノ原快彦の茶番


さらには、あらたにスマイル・アップ(旧ジャニーズ事務所)の副社長に就任した井ノ原快彦が、会見は茶番だという抗議の声で騒然となる中で、「ちょっと落ち着いていきましょう。じっくりと行きましょう」と言うと、次のような発言をしたのでした。

「こういう会見の場は全国に生放送で伝わっておりまして、小さな子供たち、自分にも子供がいます。ジャニーズJr.の子たちもいますし、それこそ被害者のみなさんが『自分たちのことでこんなに揉めてるのか』というのはぼくは見せたくないので、できる限りルールを守りながら、ルールを守っていく大人たちの姿をこの会見では見せて行きたいって思ってますので、どうか、どうか落ち着いてお願いします」(新聞記事より)

どの口で言っているんだというような話ですが、しかし、会場のレポーターや記者たちから拍手が沸き起こったのでした。

メディアの人間たちが、追及すべき壇上の人間の発言に拍手をするというのはまさに前代未聞で、これこそ茶番と言うべきでしょう。ヒットラーや金正恩の記者会見ではないのです。

井ノ原快彦が、今回も記者たちを諫めるような発言をしたのは、前回学習した好感度とテクニックで乗り切ろうというゲスな意図が透けて見えている気がしました。恐らく、それもコンサルティング会社のアドバイスに従っているのでしょう。

そもそも加害者の側が記者会見を仕切り、自分たちのルールを押し付け、記者たちがそれに同調するというのは、根本的におかしいのです。そんな記者会見のどこに自由な言論があるのだと言いたくなります。記者みずからが自分たちを縛り篭の中に入っているのですからお話になりません。それこそ、ジャニー喜多川氏の性加害を見て見ぬふりしてきたのと同じ構図です。

藤島ジュリー景子前社長氏も、東山紀之新社長も、井ノ原快彦新副社長も、口で言うほどジャニー喜多川氏の性加害を深刻に受け止めてないのではないか。BBCで糾弾されたので仕方なく対応しているだけではないのか。彼らの頭の中には保身しかないのではないか。息のかかった芸能リポーターや記者を動員して自分たちのルールを執拗に押し付ける、小手先だけの記者会見を見てそう思わざるを得ませんでした。

ジャニーズ事務所と懇ろになり、性加害に対して見て見ぬふりをしてきたメディアの連中は、言うなれば”共犯者”と言ってもいいような存在です。しかも、ジャニーズ事務所は新会社に移行して、実質的に存続するのです。エージェント契約とは言え、総会員数1300万人、会費収入年間500億円のファンクラブ(ジャニーズファミリークラブ)を手放すとはとても思えません。早く幕引きをはかって再び甘い汁を吸いたい彼らには、名称変更&新会社への移行は絶好の機会と映っているのかもしれません。

青木理氏は、新聞やテレビ局のジャニ担や芸能リポーターは「クソみたいな連中だ」と言っていましたが、昨日の光景はクソの本性を遺憾なく発揮していたように思いました。

さっそくクソの代表のような神戸新聞系列のディリースポーツと朝日新聞系列の日刊スポーツが、井ノ原快彦をヨイショする記事をアップし、それをYahoo!ニュースが転載しているのでした。

Yahoo!ニュース
ディリーニュース
「ルールに従わない記者」の「不規則発言」をユーモア交え諫めた井ノ原「さすが」と元アナのMBS記者

Yahoo!ニュース
日刊スポーツ
井ノ原快彦、紛糾する報道陣を柔らかに制し存在感「ルールを守る大人たちの姿を見せたい」 

そして、ヤフコメは望月記者らに対するバッシング一色に覆われているのでした。Yahoo!ニュースにしてみれば、してやったりかもしれません。

前回、井ノ原を持ち上げたのも「ネットの声」だと言われていますが、彼らは民主主義についての基本的な知識もなく、自由な言論とは何かという、そのイロハもわかってないのです。

■自死への道


この記者会見の光景をおぞましいと言った人がいましたが、そもそも1社1問のルールを押し付けて司会者のペースでことを運ぼうとする会見など記者会見とは言えないでしょう。株主総会のシャンシャン総会と同じです。

経営環境が厳しくなる一方の既存メディアのまさに貧すれば鈍する光景と言えますが、こうやってみずからで首を絞めているのだという自覚さえないのです。

別にジャニーズ喜多川氏の性加害問題に限った話ではありませんが、みずから異論を排除して自由な言論を放棄している日本のメディアは、もはや自死への道を歩んでいるとしか思えません。

そもそも、東山紀之がテレビ朝日の「サンデーLIVE!!」のキャスターに抜擢されたのも、メリー喜多川と東山とテレビ朝日の早河洋会長が会食した際、東山がキャスターをやりたいと言い出したので、早河会長の鶴の一声で決まったそうです。そんなテレビ局に見て見ぬふりの反省を求めること自体、山に蛤を求めるようなものです。

ジャニー喜多川氏の性加害に関しては、届け出を始めて2週間で478人から相談窓口に連絡があり、その中で325人が補償を求めていると発表されましたが、これからもっと増えて最終的には1000人を超すのではないかという話もあります。

これほどの性被害を生み出し、しかも、長年それを隠蔽してきた会社は、新会社に移行するのではなく、解体して芸能界から身を引く(撤退する)のが本筋でしょう。それができなければ、世論の手で追放すべきでしょう。ところが、情けないことに、肝心な世論が心許ないのでした。

まさにやりたい放題のことが行われ、メディアも含めてまわりは見て見ぬふりしてきたのです。そんな見て見ぬふりをしてきた連中が、ここに至ってもなお、旧ジャニーズ事務所の”与党株主”のような役割を演じて、元の木阿弥を画策しているのでした。


関連記事:
ジャニーズ事務所の記者会見と日本のメディアの惨憺たる光景
2023.10.03 Tue l 芸能・スポーツ l top ▲
アゾフ連隊





■何を今更の記事


ウクライナに関して、最近、何を今更のような記事が出ていました。

47NEWS
「汚職大国」ウクライナへの巨額支援、流用の恐れはないのか 高官の逮捕・更迭相次ぐ 総額36兆円・日本1兆円超 復興でさらに膨らむ

ウクライナが「汚職大国」であるというのは、この私でさえ今まで何度も書いてきたことです。でも、日本のメディアは「ウクライナかわいそう」一色に塗られ、そういったウクライナの暗部には目を瞑ってきたのでした。

記事によれば、7月31日の時点で、アメリカ・ドイツ・イギリスの三国だけで、支援額は2300億ユーロ(約36兆3000億円)になっているそうです。また、日本の支援額も76億ドル(約1兆1300億円)に上っているそうです。

はっきり言って、そのかなりの部分はドブに棄てるようなものでしょう。このお金を国内の貧国対策に使えばどんなに助かる人たちがいるだろうと思うのは私だけでしょうか。

今になってこんな話が出て来るというのは、欧米の議会でウクライナ支援に疑義を唱える声が大きくなっているからだと思います。「支援疲れ」という見方もありますが、風向きが変わりつつあるような気がしてなりません。

先日も、多くの避難民を受け入れ、軍事支援している隣国のポーランドのモラヴィエツキ首相が、穀物輸入(輸出)をめぐる対立からウクライナへの武器供与を停止することを表明したというニュースがありましたが、”支援の輪”にほつれが出始めているのは間違いないでしょう。

また、言いにくいことを言えば、汚染水の海洋放出における福島の被災住民と同じように、ウクライナの避難民が、(本人の意思とは別に)ウクライナ政府のプロパガンダに利用されている側面も見過ごしてはならないでしょう。

ゼレンスキー大統領は、先日の国連総会でアメリカを訪問して、バイデン大統領と会談した際、アメリカは「歴史的な武器の共同生産を決定」したと述べ、その成果を強調したのですが、しかし、アメリカも一枚岩ではないのです。新年度予算をめぐる民主党と共和党の対立でも、巨額のウクライナ支援が焦点になっているように、ゼレンスキー大統領の発言に顔をしかめている国民も多いはずです。

エネルギー価格の高騰に伴う物価高もそうですが、これほどの痛みを強いられてもなお、「世界」はウクライナと運命をともにするのかということでしょう。しかも、そのウクライナは「汚職大国」で、支援も穴の開いたバケツに水を灌ぐに等しいような状態なのです。

もちろん、この場合の「世界」と言うのは、欧米や日本などのいわゆる旧西側諸国にすぎません。人口比で言えば世界の半分以上の国は、ウクライナ支援に反対、若しくは二の足を踏んでいるのです。世界もまた一枚岩ではないのです。

関連記事:
腐敗国家ウクライナと軍事支援
誰が戦争を欲しているのか

■ネオナチの拡散というもうひとつの暗部


ウクライナの問題はそれだけではありません。ネオナチの拡散という問題もあります。この問題については、メディアは依然目を瞑ったままです。

ウクライナでバージョンアップされたネオナチが、やがてヨーロッパ各地に拡散され、深刻な事態を招くのは目に見えています。自業自得と言えばそれまでですが、ヨーロッパの民主主義に大きな脅威になるのは間違いないでしょう。

アメリカの支援に、民主党政権と関わりが深い防衛産業や、ウクライナの農業に深く関与している穀物メジャーの思惑が絡んでいることは今までも指摘されてきました。ウクライナの農地の多くをアメリカのカーギル、モンサント、デュポの穀物メジャーが所有し、ウクライナの農民は半ば農奴のような状態に置かれているというのは、戦争前から知られていたことです。ここでもみずからの利益のためには手段も結果も問わない(戦争も厭わない)という、”資本の暴走”が垣間見えるように思います。

2014年にウクライナのガス企業ブリスマの幹部に就いたバイデン大統領の息子のハンター・バイデンが、ウクライナの生物兵器の開発にも関わっていたのではないかという疑惑もあります。アメリカにとって(バイデン一族にとって)ウクライナは、ある日突然ロシアから侵略された単なる「かわいそうな」国だったわけではないのです。ウクライナ戦争の前から深い関りのある「おいしい」国だったのです。そのため、ウクライナ戦争の背景に、オレンジ革命(2004年)やマイダン革命(2014年)を画策してウクライナを植民地化したアメリカ帝国主義と、それに危機感を抱いたロシアとの対立を指摘する声もあるのでした。

このままエスカレートすれば、ゼレンスキー大統領が示唆しているように、第三次世界大戦だって起こり得るかもしれません。そもそも、ゼレンスキー大統領自身が第三次世界大戦や最終戦争を志向しているのではないかと思えるほど、その発言のかなりの部分はネオナチもどきのものです。

何度も言うように、ウクライナが「かわいそう」なのはその通りですが、しかし、それはあくまで一面にすぎないのです。ウクライナには、戦争前から人身売買や薬物製造や軍事物資の横流し、それにアゾフ連隊のようなネオナチが跋扈して、LGBTやロマなどの少数民族やロシア語話者や労働運動家に対する誘拐や殺害などの「かわいそう」な現実が存在していたのでした。そういった腐敗した国家のあり様も、今回の戦争とまったく無関係ではないことをもっと知る必要があるでしょう。

関連記事:
ロシアとウクライナ あえてどっちもどっちと言いたい
ウクライナのアゾフ大隊
ウクライナに集結するネオナチと政治の「残忍化」
2023.10.01 Sun l 社会・メディア l top ▲
22606308.jpg
(イラストAC)



■斎場利用料金の値上げ


ある葬儀場のサイトを見ていたら、利用料金改定のお知らせが出ていました。そこは民間の斎場ではなく、公的機関からの仕事を受託する非営利団体の斎場です。

今まで9万円弱と7万円弱だった式場がいづれも22000円値上げするのだそうです。値上げ率は25〜30%です。これらの金額は、2時間程度の通夜や告別式で利用する際の料金(部屋代)です。「国際的なエネルギー価格高騰により」とお決まりの理由が書かれていましたが、式場にかかる経費は電気代と清掃代くらいのものでしょう。いくら何でもこんなにコストが上がっているはずはありません。

もう何でもありなのです。

■「便乗値上げ」のオンパレード


こういった話は枚挙に暇がありません。以前は「便乗値上げ」という言葉がありましたが、死語になったのか、最近はほとんど聞かれなくなりました。

何だかウクライナ戦争を奇貨に、我も我もと値上げに走っている感じです。本来はこういうのを“強欲資本主義”と呼ぶべきではないでしょうか。

この物価高は、言うなれば身から出た錆のようなものです。ウクライナ戦争に深く関与し戦争を泥沼化させた挙句、資源大国のロシアを敵にまわしてエネルギー価格の高騰を招いてしまったからです。

挙句の果てには、「エネルギー価格の高騰」を錦の御旗にした「便乗値上げ」のスパイラルのようなものが生まれてしまったのです。

何だかみんなが値上げするので、値上げしなければ利益が減る、値上げしなければ損だとでも言いたげで、需要と供給という経済の原則とはまったく無縁なところで、国民経済が揺れ動いているのでした。

まさに値上げが値上げを呼んで、際限のない物価高になっているのです。その一方で、コスト上昇を価格に転嫁できない川下の(末端の)業者は、たとえばホーユーのように息絶えて倒産していくしかないのです。

さらには、役所まで物価高に便乗している感じで、公共料金の値上げや増税も目白押しです。

このまま行けば国民経済は破綻しかねないでしょう。にもかかわらず、あの信じられないくらい他人事で能天気な総理大臣を見るにつけ、唖然とせざるを得ません。誰でもいいからあいつを止めてくれと言いたくなります。

■松尾潔氏の発言


汚染水の海洋放出でも、マイナンバーカードでも、インボイス制度でも、景気対策でも、閣僚人事でも、二言目には「丁寧に説明して」と言いながら、丁寧に説明する気などさらさらないのです。それでも、野党はあってないようなものだし、「言論の自由」ランキング68位の国で、メディアによる「権力監視」も有名無実化しているので、反対意見は徹底的に封じ込められ、まるで独裁国家のようにやりたい放題のことがまかり通っているのでした。

『サンデー毎日』の今週号(10/8号)で、「ジャニーズ性加害と日本社会の民度」というテーマで、近田春夫・田中康夫両氏と鼎談をしていた松尾潔氏は、ジャニー喜多川氏の性加害をみんな見てふりしてきたことについて、「実情は、強者になびくというより、少数派になることへの恐怖が肥大化しているんだと思うんですよ」と言っていましたが、言い得て妙だと思いました。

松尾氏は、承知のように、性加害問題に関連してラジオ番組でジャニーズ事務所を批判したことで、ジャニーズ事務所と親しい関係にある山下達郎・竹内まりや夫妻の意向により、彼らが経営するスマイル・カンパニーから追われることになるのですが、山下達郎・竹内まりや夫妻のゲスぶりは論外としても、松尾氏の発言を日本特有の同調圧力を支える集団心理と読み替えることもできるように思います。

そして、それは今の「便乗値上げ」にも、同じ心理がはたらいているような気がしてなりません。

■オキュパイ運動


昨日、アメリカのフィラデルフィアで、若者たちがコンビニやアップルストアやドラックストアなどを次々と襲撃して、商品を略奪する事件が起きたというニュースがありましたが、その手の事件は今や全米各地に広がっているのだそうです。私は、そのニュースを見て、かつてのオキュパイ運動を思い出しました。

そこに垣間見えるのは、経済格差により社会の底辺に追いやられた、持たざる者たちの直接行動の思想です。そして、それは、かつて「We are the 99%」「ウォール街を占拠せよ」というスローガンを掲げて行われたオキュパイ運動と通底するものがあるように思えてなりません。

この真綿で首を絞められるような何でもありの物価高の中で、自己責任なんてくそくらえ、奪われたものを奪い返せ、そんな考えが益々リアルになっているような気がします。

■アマゾン配達員たちの直接行動


それは過激な例だけではなく、例えば、アマゾンで配達を担う若者たちが労働組合を結成し、プライムデーに合わせてストライキを決行するなど、その活動は世界的に広がっていますが、そこにも直接行動の思想を見ることができるように思います。

日本でもそれに呼応して、労働組合結成の動きが始まっているそうです。日本の配達員は、二次下請けの運送会社から個人事業主として配達を委託されるケースが多く、そんな何の保証もない昔の”一人親方"のようなシステムにNO!を突きつけるべく、配達をボイコットするなどの活動が既に始まっているそうです。これなども蟻の一穴になり得るような直接行動の思想と言えるでしょう。

派遣やパート労働者や、あるいは低賃金で劣悪な労働環境の下にある介護労働者の中から、本工主義の"連合型”労働組合ではない(自分たちを差別し排除してきた労働組合ではない)、新しい労働組合が生まれるなら、そこには必ず直接行動の思想も生まれるはずです。要求が切実であればあるだけ、直接行動に訴えるしかないのです。

■汚染水の海洋放出は「安物買いの銭失い」


汚染水の海洋放出にしても、自分の尻に火が点いているのに、偏狭なナショナリズムで隣国を見下しても、それは空しい(文字通り「バカの壁」と呼ぶしかないような)現実逃避にすぎないのです。中国なにするものぞと痩せ我慢していた政府も、ここに来て、ホタテを一人5枚食べようなんて国民に呼びかけていますが、そんなネトウヨまがいの政府にいいように踊らされているだけなのです。

田中康夫氏は、自身のブログで、汚染水の海洋放出を「安物買いの銭失い」だと書いてしました。

田中康夫の新ニッポン論
「福島第一原発を巡る『安物買いの銭失い』」まとめサイト

(略)中国、ロシア両政府は去る7月、共同提出した20項目の質問リストで「周辺諸国への影響が少ない」大気への水蒸気放出を提案するも日本政府は、海洋放出の必要経費34億円よりも10倍コスト高の水蒸気放出は経済的合理性に欠けると鰾膠(にべ)も無いゼロ回答。が、好事魔多し。「風評被害」を喧伝(けんでん)する経済産業省は漁業者への需要対策基金300億円、事業継続基金500億円を想定。東京電力も沖合放出の本体工事等に400億円を積算。1200億円もの「安物買いの銭失い」状態です。


でも、こんな”正論”も今の日本では謀略論、中国共産党の手先と言われるだけです。それどころか、「汚染水」という言葉を使っただけで袋叩きにされるあり様なのです。

■21世紀は民衆蜂起の時代


このとどまるところを知らない物価高は、資本主義の自壊とも言うべき”資本の暴走”です。革命の歴史がないと言われる日本でも、百姓一揆や米騒動や、あるいは秩父困民党の武装蜂起など直接行動の歴史は存在しているのです。

21世紀は民衆蜂起の時代だと言ったのは笠井潔氏ですが、たとえITの時代になっても、私たちの間に原初的な疎外や”胃袋”の問題が存在しつづける限り、それらの歴史と切断されているわけではないのです。

むしろ、格差や貧困は深刻化する一方で、もはや他人事ではなくなっています。所詮は他人事として、ネットで身も蓋もないことをほざいて現実から目をそらす余裕などもうないはずです。
2023.09.29 Fri l 社会・メディア l top ▲
1854968_m.jpg
(写真AC)



■ヤフーの表明


昨日(25日)、朝日に次のような記事が出ていました。

朝日新聞デジタル
ヤフー「メディアとの契約内容の見直し検討」 公取委の報告受け表明

 公正取引委員会が、ヤフーニュースを運営するヤフーが記事の配信元のメディア各社との関係で「優越的地位にある可能性がある」と指摘する調査報告書を公表したことを受け、ヤフーは25日、「ニュース配信市場全体の更なる発展に向けて、真摯(しんし)に取り組んでいく」とする文書を公開した。

 公取委は21日、ニュースプラットフォーム(PF)事業者と、記事を提供する新聞などメディア各社の取引実態に関する調査報告書を公表した。記事使用料の支払総額でみたニュースポータルのうち、ヤフーが約半分のシェアを占めるとしたうえで、ヤフーを名指ししてメディア各社に対し「優越的地位にある可能性がある」と指摘。ヤフー以外のPF事業者についても「優越的な地位にある可能性は否定されない」とした。

 ヤフーは25日付ヤフーニュースのブログのなかで、公取委による調査報告書を受けた記事を更新。「報告書で示された考え方を踏まえて真摯に取り組んでいく必要があると考えている」と説明。そのうえで検討中の取り組みとして、提携するメディアに対し「契約内容の丁寧な説明と実績に応じた見直し」を順次行う方針を明らかにした。提供記事の読まれ方などのデータ開示やサービス仕様・ガイドラインの変更の事前説明、問い合わせ窓口の充実などを検討していく考えも示した。


公正取引委員会は、昨年の11月、ヤフーやLINEなどIT企業と報道機関のニュースコンテンツの取引実態の調査に着手し、今月の21日にその調査結果を公表したのですが、記事にもあるように、ヤフーの表明はその調査結果を受けてのものです。

記事によれば、Yahoo!ニュースは、月間のページビュー(PV)が約170億PVで、「約720のメディアが一日約7500本の記事を提供」しているそうです。また、LINE NEWSのPVは、月間約154億PVだそうです。それらの数字は、報道各社の自社サイトとは比較にならないほど莫大なものです。しかし、記事の使用料については、「個別契約のため適正価格の水準や決定根拠がわからず、メディア側には公平な交渉ができないと不満があった」ということです。

■1PV0.124円


公正取引委員会の調査によれば、2021年度にヤフーやLINEなどプラットフォーマー6社がメディアに支払った記事の対価の平均は、1ページビュー(PV)0.124円だったそうです。ただ、各社によって0.251円~0.049円までの開きがあるのだとか。とりわけ、Yahoo!ニュースは、支払総額の半分以上を占める最大の取引相手であり、「公取委はヤフーが『取引先であるメディアとの関係で優越的地位にある可能性がある』と指摘した」ということでした。

言うまでもなく、新聞を取り巻く経営環境は厳しさを増す一方です。ネットの普及で発行部数は下落の一途を辿り、2022年は3084万部で、前年比で約200万部減り、10年前より約1700万部減ったそうです。そのため、夕刊の発行をやめる新聞も相次いでいます。さらに、地域紙の中には休刊(廃刊)する新聞さえ出ているのでした。

経営環境の厳しさが増す中で、記者のリストラや取材費の削減なども取り沙汰されていますが、そうやってジャーナリズムが弱体化すれば、益々報道の翼賛化は進んでいくでしょう。

■ヤフーにとっての”ニュースの価値”


もっとも、Yahoo!ニュースの問題は、記事の使用料だけではありません。ヤフーはニュースをバズらせてページビューを稼ぐために、トップページに掲載する記事を恣意的に選択して、扇動的なタイトルを付けているのでした。ヤフーにとって、“ニュースの価値”はどれだけバズるか、どれだけPVを稼げるかということなのです。そのためには、ヘイトや誹謗中傷の巣窟と言われるヤフコメやコタツ記事は絶対に欠かせないものです。あれだけ批判を浴びても、やめようとしない理由もそこにあるのです。

たまたま先週のポリタスTVの「報道ヨミトキ」でも、この公取の調査結果が取り上げられていましたが、その中で、津田大介氏が「日本が右傾化したのは、マイクロソフト(MSN)のトップページが産経新聞の記事で覆われたことが大きい」と言っていました。たしかに、ネットの黎明期にMSNのシェアが高かった頃、MNSのニュースは産経新聞が独占していました。おそらく他の新聞社が記事の提供を拒む中で、産経新聞が火事場泥棒のように、無料化あるいは安価で記事を提供したからでしょう。

ポリタスTV
報道ヨミトキ FRIDAY #122|岸田新内閣で副大臣政務官に女性ゼロ、ジャニーズ事務所が社名変更か、公取がヤフーにニュース使用料開示を求める……|ゲスト:青木理(9/22)

しかし、現在、プラットフォーマーに記事を提供してないのは、自社サイトの有料化が成功している日本経済新聞だけです。

■「言論の自由」は絵に描いた餅


それにしても、1PV0.124円というのは、ユーチューブの配信料とほぼ同じです。新聞記事も低く見られたものだと思います。

だったら記事の提供をやめればいいじゃないかと思いますが、しかし、そうなれば、ネットにはスポーツ新聞や週刊誌のコタツ記事と産経新聞の記事ばかりが溢れ、昔の二の舞になるという指摘があります。ポリタスTVも同じようなことを言っていました。

とは言え、今のように恣意的に取捨選択した上で、ヤフコメやコタツ記事でバズらせるやり方が続く限り、この右傾化、翼賛化は避けられないのです。

GAFAに対する規制も同じですが、結局、言論に関しても国家の手に委ねるしかないというこのネットの時代においては、そもそも「権力の監視」や「野党精神」を基本とする「言論の自由」など所詮は絵に描いた餅にすぎないと言うべきかもしれません。
2023.09.26 Tue l 社会・メディア l top ▲
24848072_m.jpg
(写真AC)



北原みのり氏のツイッター(今はXと言うのか?)を見ていたら、次のようなツイートがあり、思わず膝を叩きました。

私たちが日頃目にしている報道には、あきらかにメディアの印象操作があります。そして、それは言論統制とも言えるような情報管理へと収斂されていくのです。デモクラティック・ファシズムとは言い得て妙だとあらためて思います。

■中国からの「嫌がらせ電話」


たとえば、汚染水の海洋放出に関して、中国から日本の官庁などに抗議電話がかかってくることについて、日本のメディアはそれを「嫌がらせ電話」と書くのですが、そこには汚染水を「処理水」と書く日本のメディアの姿勢が如実に表れているように思います。こうやって汚染水の海洋放出が”嫌中憎韓”のナショナリズムと結びつけられていくのです。


■「頂き女子りりちゃん」の「パパ活マニュアル」


また、今、話題になっている「頂き女子りりちゃん」の「パパ活マニュアル」についても、次のようにツイートしていました。


「頂き女子りりちゃん」は、家族と折り合いが悪くて10代半ばで家を飛び出し、歌舞伎町で夜を明かすようになったそうです。そして、これもよくある話てすが、ホストに入れ上げ、その資金を稼ぐために性産業で働きはじめるのです。

今回、「詐欺ほう助」の容疑を科せられた「パパ活マニュアル」は、その体験で得たノウハウをまとめたものでしょう。「頂き女子りりちゃん」に1億円を注ぎ込んだオヤジもいたそうですから(しかも、そのオヤジは自分が騙されているという認識もなかったそうです)、その腕は相当なもので、「パパ活」、つまり、売春や疑似愛人稼業で金を稼ごうという少女たちにとっては、文字通り”活きた教科書”だったのかもしれません。

それは、学校や社会では教えてくれない、彼女たちの本音の(自前の)処世術とも言えるものです。

北原氏が書いているように、虫のいいオヤジからただ乗りされないために、金になるオヤジと金にならないオヤジを見分けるノウハウとも読めるような内容で、言うなれば、身一つで世の中の裏通りを渡り歩く彼女たちにとって、みずから身を守るためのマニュアルという側面もあるように思います。

それに、「パパ活マニュアル」が「詐欺ほう助」に当たるのなら、「パパ活」のオヤジたちは詐欺の被害者ということになります。極端に言えば、売春=女は加害者で、買春=男は被害者なのです。そんなバカなと思う人は多いでしょう。

「パパ活」のオヤジたちの大半は、学校の教師や官庁の職員や警察官やサラリーマンなど、私たちの身近にいるごく普通のオヤジたちです。

私もこのブログで何度も書いたことがありますが、発情したオヤジが街角で娘ほど歳が離れた少女に片端から声をかけている姿は、昔から渋谷などでもよく見られた、街の風物詩と言ったら叱られるかもしれませんが、そう言ってもおかしくないような光景でした。

私の知っている女子(と言っても既に30代後半の女性ですが)は、立教に通っていた頃、池袋の西口を歩いていると、スーツを着てネクタイをしたオヤジから「3万円でどう?」などとよく声をかけられたそうです。

若い女性たちの多くは、そうやって自分の肉体を男たちに(それもよりによって加齢臭が漂うイカれたオヤジたちに)値踏みされた経験を持っているのです。そして自分の若い肉体が、商品的な価値があるのだということを知るのです。まして、女子高生であれば、さらに何倍も付加価値が付くことを教えられるのでした。

同時に、偉そうに説教を垂れる学校の教師や官庁の職員や警察官やサラリーマンたちに(あるいは自分の父親に)、建前と本音があることも身をもって知ることになるのです。

マルクスは、みずからの肉体を通した労働力しか売るものを持たない人々を無産階級=プロレタリアートと呼んだのですが、それは、マルクスが説くよりもっとリアルでわかりやすい資本主義の現実と言えるでしょう。

■プラシーボ効果


さらに、北原みのり氏は、次のようなツイートもしていました。


顔の下半分に年齢が出ますよと言われ、マスクを取ったら「まあ」と驚かれるんじゃないかと恐怖を抱き、老け顔だと孫からも嫌われて暗い人生しか送れませんよと言われると、じゃあ若見え効果のあるクリームでも塗ろうか思うのでしょう。

もっとも、それは女性に限った話ではありません。

先日、高齢の男性が最近おしっこの回数が増え、特に夜間の頻尿に悩んでいるという話をしていました。それで、テレビで見た健康食品を買って飲みはじめたというのです。

私は、おしっこの回数が増えたのは前立腺肥大の可能性が高いので、泌尿器科に行ってフリバスやアボルブなどの薬を処方して貰った方が安くて早いですよと言ったのですが、しかし、彼は、自分が病気ではないと信じたい気持もあってか、どうしても広告のキャッチ―なコピーの方を信じて譲らないのでした。

変形膝関節症に関するCMも然りです。通販番組を席捲するあの膨大なCMには驚くばかりですが、潜在的な患者を含めると約3000万人もいるという変形膝関節症は、健康食品メーカーにとっても美味しい市場であることは間違いないでしょう。プラシーボ効果というのが、ホントにどれだけ心理的に効果があるのかわかりませんが、それはプラシーボ効果を狙った市場と言えないこともないのです。

■豚に真珠の日本のメディア


ラーメン屋の倒産が、前年同期の3.5倍に大幅に増えているというニュースがありました。そこには、「1000円の壁」があるのだそうです。つまり、価格を1000円にするとお客が「高い」と感じて、来客数が減少し売り上げが落ちるという法則が、ラーメン業界では通説になっているのだとか。でも、今の原材料費や水道光熱費の高騰の中で1000円以内に抑えると、利益を圧迫して立ち行かなくなるのです。ラーメン業界は、値上げするのも地獄、値上げしないのも地獄のジレンマに陥っているというわけです。

何故か誰も言わないけれど、今の物価高がスタグフレーションであり、資本主義の構造的な危機の表れであるのは明白なのです。それは、私たち自身の生活を見れば理解できる話でしょう。

でも、メディアは、ここに至っても、日本は海外に比べて物価が安いとか、経済界も大幅な賃上げの必要性を認めるようになっているとか、そんな気休めにもならない寝言みたいなことばかり言っているのです。

人手不足の問題についても、人手不足の業界が抱える低賃金・重労働の構造的な背景を見るのではなく、もっぱら少子高齢化が問題であるかのような記事でお茶を濁すだけです。

汚染水の海洋放出に関しても、原発推進の国際機関であるIAEA(国際原子力機関)のお墨付きを得たとして、一片の反対・疑問も許さないという徹底ぶりです。メディアお得意の両論併記さえ存在しないのです。

デブリ(炉心が溶融した核燃料)に触れた地下水も、冷却水と同じように海水で薄めれば問題ないという「子どもだまし」のような話が公然とまかりとおっているのです。しかも、少しでも異論をはさむと、被災住民を盾に「風評被害を振り撒くもの」「中国や韓国の反日論に与するもの」とされ排除されるのです。「汚染水」という言葉を使おうものなら、それだけで袋叩きに遭うのです。

挙句の果てには、中国では汚染水批判の反動で魚離れが起きて水産業者が苦境に陥っており、一方、日本の水産業界は”脱中国”の流れが着々と進んでいるなどと言って、負け惜しみなのか、「ざまあみろ」みたいな報道さえ出はじめる始末です。

ジャニー喜多川氏の性加害さえ報道しなかったヘタレメディアがどの口で言っているんだ、と言いたくなりますが、このようにいざとなれば挙国一致に翼賛化する日本のメディアにとって、「言論の自由」など所詮は豚に真珠にすぎないのです。


関連記事:
『身体を売ったらサヨウナラ』
『さよなら、韓流』
2023.09.23 Sat l 社会・メディア l top ▲
12f436ed284d_20230920222648e33.jpg
(若宮大路・段葛)




■鎌倉の中国人団体客


今日、久し振りに鎌倉に行きました。コロナ下ではずっと行ってなかったので、4年振りくらいです。

仕事だったのですが、ついでに鶴岡八幡宮にお参りをしました。

鶴岡八幡宮にお参りしたあと、待ち合わせまでまだ時間があったので、サラリーマン時代に鎌倉を担当していたときによく行っていた駅の近くの喫茶店で、涼みながら時間の調整をしました。

すると、隣の席に中国人の団体がやって来たのでした。話声が煩いのはもちろんですが、アイスコ―ヒーやジュースなどを注文すると、彼らはそれをチューチュー音をさせながら一気に飲み干すので、チューチューの合奏が始まるのでした。日本人はチューチュー音をさせて飲むのはお行儀が悪いと言われるのですが、中国人にはそういったお行儀はないみたいです。喫茶店だからと言って、恰好を付けてお上品に飲むという感覚もないようです。

そのあとはおなじみの撮影会が始まりました。ただの喫茶店なのに何の記念になるのか、みんなで撮影を始めたのです。撮影者が私の席の前までやって来て、大声を上げながらスマホを掲げるので注意しようかと思いましたが、しかし、中国語でまくしたてられたらそれはそれで面倒なので、心の中で悪態を吐きながら我慢しました。

中国人はどうしようもないな、とネトウヨまがいのことを考え(心の中で)舌打ちしていたら、中国人の団体が帰ったあと、今度はワイシャツ姿の日本人のサラリーマンがあたりはばからず大声で電話をし始めたのでした。

「今、鎌倉の○○で休憩ですよ」「ハッハッハ、休憩ですよ、休憩」

これじゃ日本人も中国人も同じじゃないかと思いました。

考えてみれば、私たちが普段「マナー」と言っているのは西洋由来のマナーなのです。そう考えれば、日本人も中国人も目くそ鼻くそであるのは当然かもしれません。

■近所のスーパーのレジに戸惑った


仕事の話は、条件が合わず不成立に終わりました。予想外の結果だったので、落ち込んだ気分のまま最寄り駅に帰って来ました。しかし、誰かの台詞ではないですが、とは言え腹は減るのです。夕飯のおかずを買うために駅裏のスーパーに寄りました。

買物したあと、いつものように精算するためにセルフレジの前に立ったものの、画面を見て思わず二度見してしまいました。レジが支払方法を選択する画面になっていたからです。今までは、商品をスキャンして、「会計する」をタッチしたあとにその画面が出ていたのです。

いつもと違う画面に戸惑った私は、「これ大丈夫か?」という感じで立ち尽くしてしまいました。もしかしたら機械が壊れているのではないかと思ったのです。

すると、レジのコーナーの端で見ていた店員がやって来て(いつものきれいな店員ではなく、見たこともない中年の店員でしたが)、「お支払い方法は現金ですか?」と訊くのです。それで「カードです」と答えると、ここをタッチして下さいと言って「クレジットカード」と書かれた文字を指し示したのでした。

私は戸惑ったまま指示されたとおりにタッチすると、「商品をスキャンして下さい」という画面に変わりました。私は、「何だこりゃ」と思いながら、品物をスキャンしました。

そして、全てスキャンし終えて、「会計する」をタッチすると購入金額が表示され、「クレジットカードを挿入して下さい」と文字が表示されました。それは今までと同じでした。

右端にある挿入口にカードを差し込むと、いったん奥まで入り、すぐにカードが戻って来ました。今までは戻るまでしばらく時間がかかり、カードが戻ると決済が終わった合図みたいになっていました。

私は今までと同じように、決済が終わったものと思って戻ったカードを引き抜きました。すると機械の上にある赤ランプが点灯して、再び「見たこともない中年の店員」がやって来て、「あっ、カードを抜きました?」と訊かれました。

「はい」
「早く抜いたのでエラーになったみたいですね」
「‥‥」
「ここに『カードを抜いて下さい』と表示されてから抜いてください。すいませんが、もう一度カードを挿入してもらえますか?」

どうせなら「いつものきれいな店員」とやりとりしたかったな、まったく今日はついてないな、と思いながら、少し苛立って「これって機械が変わったんですか?」と訊きました。

「エエッ、おとといから変わったんですよ」
そう言えば、駅裏のスーパーに来たのは3〜4日振りです。
「やっぱり、そうか。前の方がやりやすかったですね。最初に支払い方法が出て来るなんて、順番が逆じゃないですか。そんなレジは初めてですよ」と、私は嫌味を言ったのでした。

夕方なのに、セレフレジがいつもより空いていたのはそのせいかも知れないな、と思いました。そもそもそのスーパーがセルフレジを導入したのはコロナ禍になってからなので、たぶん2年くらい前だったと思います。それなのに、どうしてまた違う機械に変える必要があったのか。

と思ったら、どうやら今までのレジでは対応してなかったペイペイなどのスマホ決済に対応するためだったようです。

もっとも、そのスーパーは駅に近いということもあって、高齢のお客も多く、セルフレジを導入してからも、相変わらず有人レジに行列ができるような状態でした。これでは益々有人レジの列が長くなるだけのような気がします。

当たり前のようにキャッシュレス化が進み、高齢者など新しいシステムに対応できない人たちはどんどん置いて行かれるばかりです。それはマイナンバーカードなども同じです。

システムや機械に自分を合わせろ、文句を言わずに食らい付いて行け、と言われているような感じです。コロナ禍によって急速に進んだキャッシュレス化や無人化。突然登場したパネル操作とそのシステムに戸惑う人たちは、慣れてないからだ、そのうち慣れるので問題はない、と言われて放置されるのでした。

一方で、キャッシュレス化によって、個人情報がいいように抜き取られ、私たちの消費行動がビッグデータと呼ばれる金の成る木になったという、もうひとつの現実もあります。もうそれは押しとどめることができないほど既成事実化しています。

若作りの私はペイペイも利用しているので、スマホ決済に対応するようになればそれはそれで便利になりますが、しかし、どうしてあんな使い勝手の悪い機械に変更したのか。若ぶっているわりに、変化に柔軟に対応できない私は、戸惑ったまま店をあとにしたのでした。と、ホントは、山登りと同じで、ヒーヒー言いながらやっとどうにか付いて行っているだけなのです。


※拡大画像はサムネイルをクリックしてください。

DSC03280.jpg

DSC03282.jpg

DSC03293.jpg

DSC03297.jpg

DSC03310.jpg

DSC03315.jpg

DSC03326.jpg

DSC03330.jpg

DSC03332.jpg

DSC03337.jpg

DSC03345.jpg

DSC03356.jpg

DSC03361.jpg

DSC03370.jpg

DSC03410_20230920230451dea.jpg

2023.09.20 Wed l 鎌倉 l top ▲
23554046_m.jpg
(写真AC)


■アゾフ連隊に志願する若者


今朝のTBSのニュースは、アゾフ連隊に若者の志願者が殺到しているという話を伝えていました。中には17歳の少年もいるのだそうです。

しかし、アゾフ連隊がネオナチの元民兵組織(現在はウクライナ国家警備隊に所属する準軍事組織)であることはひと言も伝えていませんでした。戦争の長期化により、祖国を守るために若者たちも立ち上がった、というようなトーンで伝えているだけでした。

もっとも、ウクライナの若者たちは正規軍に徴兵されるはずなので、アゾフ連隊に志願しているのは国外の若者たちが多いのではないかと思います。17歳の少年は、胸に入れている、ナチスの記章のヴォルフスアンゲルを反転させたアゾフの記章の入れ墨を見せていましたが、アゾフ連隊の極右思想に共鳴した入隊であることがミエミエでした。しかし、TBSに限らず日本のメディアは、そういった背景を一切報じることはないのでした。

■ゼレンスキーのブラフ


ゼレンスキー大統領は、アメリカCBSテレビのインタビューで、「ウクライナが敗北すればロシアはポーランドやバルト3国に迫り、第3次世界大戦に発展しかねないと警告した。『プーチン(ロシア大統領)を食い止めるか、世界大戦を始めるか、全世界が選ばなければならない』と述べた」(下記記事より)そうですが、これは国連総会での演説を前にしたブラフ(脅し)であるのはあきらかでしょう。

東京新聞 TOKYO Web
「ウクライナ敗北なら世界大戦」 ゼレンスキー氏が警告

こういったゼレンスキー大統領の要求に引き摺られて、軍事支援をエスカレートさせれば、最後にどういった事態を招くことになるのか、火を見るよりあきらかです。相手が核保有国であることを考えれば、ゼレンスキー大統領の発言は核戦争=終末戦争をも厭わない、と言っているのに等しいものです。

■ウクライナ政権内の不穏


もっとも、こういった過激な発言の背景には、政権内で”ゼレンスキー外し”が始まっているからではないかという指摘もあります。

先日、ゼレンスキー大統領は、突然、軍事物資の横流しや汚職などの疑惑が取り沙汰されていたレズニコフ前国防相を更迭したのですが、後任に就いたルステム・ウメロフ氏は、就任早々、ハンナ・マリャル国防次官ら国防次官6人全員の解任を発表したのでした。解任の理由はあきらかにされてないのですが、記事によれば、ハンナ・マリャル国防次官などは、解任当日の朝まで、ウクライナの反転攻勢の進展について情報を発信していたそうで、唐突な解任であったことがわかります。

政権内では、(汚職なんて当たり前の政権なのに)汚職を理由にした“粛清”が行われているような気がしてなりません。政権の内部で、停戦か徹底抗戦かの対立が表面化しつつあるのかもしれません。

■ウクライナ支援で背負う負債


いづれにしても、ウクライナという国の現実から目をそらして、アメリカの言うがままに軍事支援に突っ走ったヨーロッパ各国は、仮に戦争が終わっても、ネオナチの拡散(逆流)という大きな負債を背負うことになるのは間違いないでしょう。

日本にいるウクライナからの避難民はもう2千人を切っているのではないかと思いますが、言いにくいことを言えば、彼らウクライナ避難民は、個々の事情とは別に、ウクライナのプロパガンダを体現する役割を担っているとも言えるのです。原口議員に対する在日ウクライナ大使館の高圧的な態度に示されるように、彼らを盾にすることで、ウクライナに対する批判やウクライナ戦争に対する疑問が一切封じられているのでした。それは、福島の被災住民を盾に、汚染水の海洋放出に反対する意見が封じられているのとよく似ています。

日本のメディアは、ウクライナの問題においても、伝えるべきこと(伝えなければならないこと)を何を伝えてないのです。
2023.09.20 Wed l ウクライナ侵攻 l top ▲
pexels-matti-karstedt-11284546.jpg
(©Matti Karstedt・フリー素材)



■原口議員に対するバッシング


私は、立憲民主党の原口一博衆院議員についてはまったく興味もなく、どういった人物か仔細には知りませんが、最近、彼のネット上の発言が問題視され、批判に晒されているようです。

それを報じたのが、下記の朝日の記事です。

朝日新聞デジタル
ウクライナ大使館、立憲・原口議員の投稿に「強い懸念」 本人は反論

原口議員は、血液癌のひとつである「瀰漫性大細胞型B細胞リンパ腫」に罹患した経験も関係しているのか、新型コロナウイルスのワクチンに関して、癌を誘発するとか何とか陰謀論めいた発言もしていたようですが、ただ、今回のウクライナに関しての発言については、一概に陰謀論とは言えないような気がします。もとより、私自身も、このブログで同じようなことを書いています。

ロシアのウクライナ侵攻に関しては、異論を許さないという風潮に覆われているのは事実でしょう。ウクライナ=絶対的な善、ロシア=絶対的な悪という二元論が全ての前提になっており、それに異論をはさもうものならこのように陰謀論扱いされるのです。こうして自由な言論をみずから否定し、問答無用の言論統制を招来しているのです。と同時に、原口議員の問題でも見られるように、ヘタレな左派リベラルが陰謀論の片棒を担いでいることも忘れてはなりません。

サッカー好きな人ならわかると思いますが、アゾフ連隊に象徴されるように、ウクライナでネオナチが跋扈していたのは事実です。また、侵攻後、ヨーロッパのネオナチが義勇兵としてウクライナに集結しているという指摘もあります。そのため、戦争が終わると、ウクライナで醸成されたネオナチの暴力が、軍事支援で注ぎ込まれた最新兵器とともにヨーロッパに拡散され、深刻な影響をもたらすのではないかという懸念の声もあるくらいです。

また、ウクライナが名にし負う腐敗国家であったことはよく知られています。今月初め、ゼレンスキー大統領は、レズニコフ国防相の更迭を発表したのですが、レズニコフ国防相はロシアの侵攻後、欧米からの軍事支援を取り付ける中心的な役割を担っていたのでした。しかし、一方で、かねてより装備品や物資の調達を巡って、横流しなどの疑惑や汚職が指摘されていたいわくつきの人物でもありました。

三つ子の魂百までとはよく言ったもので、一説には50万人とも言われる国民が戦場に散った戦争の只中で、本来その責にあるべき人間がこのあり様なのです。ゼレンスキー大統領の役者仕込みの言葉巧みな演説の裏で、相も変わらず政治の腐敗は続いているのです。でも、今のウクライナは、政党活動が禁止された翼賛体制下にあるので、クーデターでも起きない限り、指導者の責任を問う声が出て来ることはありません。むしろ、レズニコフのように、やりたい放題のことができる環境にあるとも言えるのです。

関連記事:
ウクライナ侵攻で薬物製造拡大の恐れ
ウクライナに集結するネオナチと政治の「残忍化」

■陰謀論という問答無用


もっとも、陰謀論が異論排除の手段に使われているのは、原口議員の発言に限った話ではありません。汚染水の海洋放出も同じです。

少しでも異論をはさもうものなら、非科学的とか媚中とか言われて頭ごなしに排除されるのでした。汚染水の海洋放出がナショナリズムと結びつけられているため、陰謀論という言葉が「反日」や「売国」と同じような意味に使われているのでした。

そのため、今や「汚染水」という言葉を使うことさえタブーになっているのでした。そうやって言論を抑圧する役割を担っているのが、ジャニー喜多川氏の性加害をタブー視した新聞やテレビをはじめとするメディアです。今や彼らは、自由な言論とは真逆な存在なのです。

原口議員に対する批判や誹謗について、下記のようなツイートがありましたが、こういう意見は、今やホントに貴重になっているのでした。



2023.09.17 Sun l ウクライナ侵攻 l top ▲
DSC01563.jpg
(2022年12月)



■発熱騒ぎと血尿


昨日の朝も起きてトイレに行ったら血尿が出ました。そこではたとこの3日間続いていた、発熱騒ぎの原因に思い至ったのでした。

ここ数日、どことなく熱っぽく寒気を覚え、体調がすぐれませんでした。しかし、熱を測っても平熱です。そうなると、私の性格でよけい体調が気になり。それこそ30分おきくらいに熱を測るようになったのでした。しかも、ひとつの体温計では信用ならないので、2本の体温計を使って交互に測るという念の入れようです。

そして、一昨日の早朝5時頃、寝苦しくて目が覚め、体温を測ったら、37.3度に上がっていたのでした。咳などはないものの、これはもしかしたら新型コロナウイルスか新型インフルエンザではないかと思いました。

その日は仕事で人と会う約束になっていたのですが、すぐにメールでキャンセルすることを伝えました。その後、相手から「どうしたんですか?」とメールが来たので、「コロナかインフルの可能性がある」と返事をしました。

店が開く時間を待って、近所の調剤薬局に検査キットを買いに行きました。キット自体は、綿棒で鼻の中の粘液を採取し、それを抽出容器に浸して、テストプレートに滴下するだけの簡単なものです。

結果はコロナ・インフルともには陰性でした。しかし、自分でやっただけではまだ一抹の不安が残ります。

それで、ネットで抗原検査をやっている病院を検索して、商店街の中にある内科の医院に予約を入れました。

初めて行った病院でしたが(ちなみに、これで手持ちの病院の診察券は20枚を越えました)、別の部屋に通されて同じように綿棒を鼻孔に差し込まれたのですが、思わずのけぞるくらいに奥まで入れられたのでした。後頭部にしばらく痛みが残るほどで、もしかしたら自分の場合は綿棒の入れ方が足りなかったのかもしれないと思いました。

個室で10分くらい待っていると、ドクターがやって来て、「コロナもインフルもマイナスでした」と告げられました。「風邪にもいろんな種類がありますので、一般的な風邪でしょう」「解熱剤を処方しておきますので、また熱が出たらそれを飲んでください」と言われて終わりでした。何だか安心したようながっかりしたような気分でした。

ところが、その日も深夜になると熱が出たのでした。解熱剤を飲むとすぐに熱も下がり、体調ももとに戻ります。そして、翌朝、血尿を見てはたと思い至ったというわけです。

ある病院の泌尿器科のページには、尿管結石の発熱について、次のように書いていました。

夜間や早朝に起きることが多く、通常、3~4時間持続します。 一部には腎盂腎炎を併発し、38~40度の発熱を呈することもあります。


何のことはないまた一人相撲を取っていたのです。この状態がまだ続くようでしたら、休み明けにかかりつけの泌尿器科に行こうと思います。

下記の記事の中に書いていますが、先月、診察に行った際に血尿が出ていたので、石が動くことは想定されていたのです。痛み止めの座薬があるかどうか確認された上で、芍薬甘草湯を処方されたのですが、慌てふためいてそのことをすっかり忘れていたのでした。

関連記事:
中国の不動産バブル崩壊と横浜駅で道に迷った話

■消えゆく書店


今日の夕方、突然、ナンシー・フレイザーの『資本主義は私たちをなぜ幸せにしないのか』(ちくま新書)という本を読みたくなり、近所の商店街の中にある本屋に行きました。しかし、売り切れたのか、店には置いていませんでした。

それで落胆して帰ろうと思ったら、階段に「閉店のお知らせ」という貼り紙があるのに気付きました。10月末で閉店するのだそうです。書店の前には同じ系列の文具店もあるのですが、そこも一緒に閉店するのだとか。これでこの街から書店と文具店が全て姿を消すことになるのです。私も最近はアマゾンで買うことが多くなりましたので、偉そうなことは言えないのですが、何だかさみしい気持になりました。

仕方ないので、散歩ついでに新横浜まで歩いて、新横浜の駅ビルにある三省堂書店に行くことにしました。

すると、何ということか、新横浜の三省堂書店にも今月いっぱいで閉店するという告知が出ていたのでした。書店が激減しているのは街を歩いていてもわかりますが、淘汰は大手の書店にまで及んでいるのです。

新横浜には、以前は文教堂書店もありましたが、既に撤退しています。残すは駅から少し離れたプリンスペペの中のくまざわ書店だけになりました。

■新横浜の苦戦と横浜の落日


しかし、くまざわ書店は三省堂や文教堂に比べると売場面積が狭いので、品揃えも豊富とは言えないし、プリンスペペ自体もおそらく現存しているのは新横浜だけのはずです。

私は、このブログでも書いていますが、サラリーマン時代にセゾングループを担当していましたし、文教堂とくまざわ書店も担当していましたので、その内部事情や変遷もある程度は知っているつもりです。

新横浜のプリンスペペも、(今にはじまったことではありませんが)テナントの流出が相次いでいます。それは、駅ビルよりむしろ深刻な感じさえします。新横浜から書店が姿を消すのも遠い先のことではないように思います。

私が横浜に引っ越していた頃はまだ駅ビルはありませんでした。それ以前も、新横浜に取引先の会社があったのでよく来ていましたが、当時は、プリンスぺぺはあったものの、駅も簡素で、新幹線の高架下に飲食店などが入っている「名店街」のようなものがあるだけでした。ビックカメラも高架下の突き当りにありました。

地下4階・地上19階建ての駅ビルが完成したのが2008年ですが、15年でこの状態なのです。相鉄線と東横線が相互乗り入れするのに伴い、新しく相鉄・東急新横浜線が開通して新横浜駅とつながったにも関わらず、駅ビルは3階・4階を占めていた高島屋の食品売場が今年の2月に撤退して以来、あとのテナントが見つからず、2フロアがベニヤ板で囲われた廃墟ビルのようになっているのです。そして、11月からは8階の半分もベニヤ板で囲われることになるのでしょう。

横浜のもう一つの顔とも言うべき新横浜の苦戦は、単にネットの影響だけでなく、横浜の経済的文化的な落日を象徴しているような気がしてなりません。


関連記事:
閑散としたゴールデンウィークで愚民社会を考える
2023.09.17 Sun l 横浜 l top ▲
週刊朝日7月26日号




■朝日の不作為


これは、2019年7月16日に発売された『週刊朝日』(7月26日号)の表紙です。

言うまでもなく、ジャニー喜多川氏が亡くなったときの特集号です。表紙にコラージュされているのは、過去にジャニーズ事務所のタレントたちが表紙を飾った『週刊朝日』です。今になれば悪い夢でも見ているような表紙ですが、『週刊朝日』はこれほどまでにジャニーズ事務所とベッタリだったのです。

もちろん、この私でさえ知っていたくらいですから、1988年に北公次が書いた『光GENJIへ』という本や、1999年10月から14週にわたって繰り広げられた『週刊文春』のキャンペーンや、2002年5月に東京高裁でジャニー喜多川氏の「淫行行為」は「事実」だと認定されたことや、それを追うように『噂の真相』が次々と掲載したジャニーズ事務所のスキャンダルの記事を、朝日新聞の優秀な記者であった編集長が知らなかったはずがないのです。

この追悼号の編集長は、2013年頃には旧統一教会に関する鈴木エイト氏の記事を掲載するなど、如何にも朝日らしいリベラルな編集者として知られた人だったそうです。

でも、すべて見て見ぬふりをしてきたのです。「YOU、やっちゃいなよ」なんて、これほど悪い冗談みたいなコピーはありません。性加害やハラスメントに対しての人権感覚が鈍かった大昔の話ではないのです。今から4年前の話なのです。

■外圧でやっと重い腰を上げた日本のメディア


その朝日新聞は、今日(9月13日)の朝刊で、「メディアの甘い追及と日本型幕引き 『ジャニーズ問題で繰り返すな』」という、イギリスのインディペンデント紙やエコノミスト誌の東京特派員を務めたジャーナリストのデイビッド・マクニール氏のインタビュー記事を掲載していました。

朝日新聞デジタル
メディアの甘い追及と日本型幕引き 「ジャニーズ問題で繰り返すな」

何だか自分の「不作為」を棚に上げた厚顔無恥な記事とも言えますが、もちろん、見て見ぬふりをしてきたのは朝日だけではありません。そこには日本のメディアの惨憺たる光景が広がっているのです。言論の自由などない、あるのは自由な言論だけだ、と言ったのは竹中労ですが、自由な言論の欠片さえないのです。

ジャニー喜多川氏の性加害も、イギリスのBBCの報道によって白日の下に晒され、それが逆輸入されて(いわゆる“外圧”によって)日本のメディアがやっと重い腰を上げたにすぎないのです。

■メディアの悪あがき


しかし、ここに至っても、メディアの悪あがきは続いているのでした。それは、汚染水を巡る報道とよく似ている気がします。

今月の7日に行われたジャニーズ事務所の記者会見においても、新社長に就任した東山紀之氏に対する東京新聞の望月衣塑子記者の質問が、セクハラだとか東山氏を貶めるものだとか言われ、批判が浴びせられているのでした。さらには、彼女の質問の仕方はマナーがなってない、行儀が悪いなどと言われる始末なのでした。

Yahoo!ニュース
ディリースポーツ
ジャニーズ記者会見 質問4分超の女性記者に疑問の声「自己主張をダラダラ」「悪いことした奴には失礼な対応してもいい?」

まるで記者クラブが仕切るお行儀のいい記者会見が記者会見のあるべき姿だとでも言いたげな批判ですが、記者会見に「お行儀」を持ち出すなど、日本のメディアと世論のお粗末さを象徴しているような気がします。それこそ海外のメディアから見たら噴飯ものでしょう。

■望月衣塑子記者の質問


上記の朝日の記事で、デイビッド・マクニール氏は、望月記者について、次のように話していました。

首相官邸の会見にも出席してきましたが、まず、質疑のキャッチボールがほとんどない。記者の質問の多くは形式的で、鋭い追及も少ない。これは英語では“short circuit questions and answers”と呼ばれます。おざなりで省略型の質疑、という悪い意味です。菅義偉官房長官時代に厳しい質問を重ねた記者は、私の目には、国民の疑問を代弁するという負託に応えていると映る。でも、現場では記者クラブのルールや「和」を損ねた人物と扱われます。

朝日新聞デジタル
メディアの甘い追及と日本型幕引き 「ジャニーズ問題で繰り返すな」


マナーやお行儀で望月記者を批判したディリースポーツですが、じゃあ夫子自身は突っ込んだ質問をしたのかと言えば、そんな話は寡聞にして知りません。彼らが言うマナーやお行儀というのは、忖度ということなのです。臭いものに蓋をすることです。そこにあるのは、村社会の論理です。

ジャニーズ事務所の記者会見を受けて、先日、NHKの「クローズアップ現代」が、「私たちメディアはなぜ伝えてこなかったのか」として、NHKや民放の芸能番組の制作担当者にインタビューしていましたが、彼らが言っていることはただの弁解にすぎず、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。そこから垣間見えたのも、抗えない空気に支配され思考停止して唯々諾々と従う、日本的な村社会の論理でした。彼らは「条件反射だった」と弁解していましたが、丸山眞男はそれを「無責任の体系」と言ったのです。

記者会見で一番最初に指名され話題になった「赤旗」の女性記者にしても、当たり障りのない質問をしてお茶を濁すだけでした。「赤旗」でさえそうなのですから、あとは押して知るべしでしょう。

望月記者が東山紀之新社長に、自分のイチモツを皿の上に乗せて、後輩のタレントに「俺のソーセージを食え」と言ったのは事実かと質問すると、東山氏は「記憶をたどっても本当に覚えていない。したかもしれないし、してないかもしれない」と曖昧な答えに終始したのですが、その質問に対しても、轟々の非難が浴びせられたのでした。

しかし、イギリスのBBCがその質問を報道し、「ガーディアン」や「ニューヨーク・タイムス」など海外のメディアは、日本のメディアのあるものをないものにする往生際の悪い姿勢を揃って批判しているのでした。その最たるものがディリースポーツやJ-CASTニュースと言えるでしょう。

案の定、日が経つに連れ、東山紀之氏の社長就任は人格的にも不適任という声が沸き起こっていますが、一方で、大企業の相次ぐジャニーズ離れに対して、「タレントには罪はない」という考えを論拠にそれを疑問視する記事が、一部のスポーツ新聞や女性週刊誌に出始めています。ここに至っても臭いものに蓋をする忖度はまだ続いているのです。

ジャニーズとの決別を宣言した大企業は、そうしないと海外で事業ができないからです。スポーツ新聞や女性週刊誌のお情けに訴える疑問とはまったくレベルが異なる話なのです。

言論機関としての最低限の矜持も見識もなく、ジャニーズ事務所にふれ伏したメディアは恥を知れ、と言いたくなります。汚染水の海洋放出に関する報道もそうですが、日本の言論は異常なのです。ジャニーズの問題は、たかが、、、芸能界の話にすぎませんが、しかし、それは異常な日本の言論のあり様を赤裸々に映し出しているとも言えるのです。

ジャニーズ事務所のパシリになり、嘘八百を並べてきた芸能リポーターや芸能記者は、メディアから即刻退場すべきでしょう。その引導を渡すのが世論のはずですが、しかし、哀しいかな、世論もまた、村の一員でしかないのです。
2023.09.14 Thu l 社会・メディア l top ▲
4907532_m.jpg
(写真AC)



■石田純一の姉の「孤独死」


ディリー新潮に石田純一の実姉が「孤独死」していたという記事が出ていました。

ディリー新潮
石田純一の姉(72)が都内マンションで「孤独死」していた 熱中症が原因か 第一発見者となった石田が語る「無念」

あれほどマスコミから叩かれても「お人好し」の石田純一は、新潮の電話取材に応じ、練馬のマンションで「孤独死」していた姉の第一発見者が石田自身だったことをあきらかにしたそうです。応答がないという姉の友人からの連絡で、マンションに駆け付けた石田は、警察官の立ち合いのもと鍵業者を呼んで開錠し、変わり果てた姉を発見したのだとか。

そして、記事では以下のように語っていました。

 最後に会ったのは7月末くらいで、桃子さんから「クーラーが故障した」との連絡を受けた時だという。

「たまたま家の中に使っていないクーラーがあったので、それを持っていったのですが、事情があって設置するところまでは見届けられなかった。『必ずちゃんと業者を呼んで設置するように』と言って帰ったのですが……」

 石田が届けたクーラーは、部屋の中で未使用のまま置かれた状態だった。

「『業者を呼ぶお金が足らないならばこっちで用意するから、クーラーの設置だけはお願いします』と口を酸っぱく言っていたんですが……、あれを見た時は残念な気持ちで……」

(略)

 コロナ禍もあって、桃子さんの暮らしぶりは決して良くなかったと振り返る。

「本人もプライドがあって、ずっと音楽以外の仕事は一切してこなかったんです。しかし、生活も大変で、昨年から梱包のアルバイトを始めたところでした。ただ、高齢がネックになったのか、8月初めに辞めざるを得なくなってしまった。ショックを受けていた様子だったので、それも影響したのかもしれない」


しかも、電気料金を滞納して、この酷暑の中、部屋の電気も止められていたのだそうです。

NHKのアナウンサーだった父親に溺愛され、父親の赴任に伴って渡米してピアノと出会い、帰国後、桐朋学園大学に進んで本格的に音楽を学び、音楽家・ピアニストとして活動していたお姉さんが72歳で迎えた最期。何とも身につまされる話です。

この記事がYahoo!ニュースに転載されると、さっそくコメント欄でシニア右翼のような暇人たちが石田純一を叩いていましたが、まったくクソみたいな連中だなと思いました。

■警備員の嘆き


老人介護施設で警備員をやっている知人の嘆きも止まりません。

施設では新型コロナウイルスが蔓延しており、入所者の半数以上が感染しているフロアもあるそうです。

しかし、5類に移行したからなのか、感染対策に緊張感はなく、フロアを閉鎖したりはしないので、職員たちにまで感染が広がっていっそう人手不足に陥り、応急的に短期派遣の介護員で補っているそうです。

知人は「やってられないよ」と言っていました。

介護施設の場合、ディサービスの運転手や清掃や洗濯や警備員など雑用を担っているのは、入所者と年齢がほとんど変わらない高齢者です。介護施設も御多分に漏れず給与が安いのですが、既に年金を受給している近辺の高齢者にとっては格好のアルバイト先になっているのです。

巡回に行くと、廊下で洗濯物を整理している高齢の非正規の職員と車椅子の入所者が、世間話をしている場面に出くわすことがあるそうです。年齢がほとんど変わらないので、昔話にも花が咲くのでしょう。

入所者は身体の自由が利かない、つまり自立できないだけで、頭の中は認知も進んでおらず、そうやって普通の会話もできるのです。

巡回していると、「ご苦労様です」と声をかけてくる入所者もいるそうです。

特養などの介護施設は、終の棲家です。「看取り」という制度があり、病院などで延命治療を受けずに実質的な安楽死とも言える“自然死”に任せる場でもあるのです。

ただ身体の自由が利かず、一人で生活ができないからというだけで、そうやって終の棲家である施設で死を待つというのは、正常な感覚を保っているだけに「つらいだろうな」と知人は言っていました。もとより、そういった光景を否が応でも目にしなければならない知人も、「つらい」と言っていました。

一方で、古市憲寿や成田悠輔は、そういった老人たちに対して、安楽死させろとか集団自殺しろと言い放ったのでした。そんな人の機微、生きる哀しみや苦しみを理解できない(その想像力さえ欠如した)おぞましい人間たちが、コメンテーターとして、メディアで世の中の出来事を偉そうに解説しているのです。
2023.09.13 Wed l 社会・メディア l top ▲
26633466_m.jpg
(写真AC)


たまたまですが、二人の友人から電話がかかってきました。ひとりは飲食店を経営しており、もうひとりはゲストハウスを経営しています。ふたりとも「いい会社」に勤めていたのですが、親の介護などもあって、いづれも会社を辞めて田舎に帰り、それぞれ自営で商売をはじめたのでした。

飲食店をやっている友人は、盆休みが明けてから客足がガクッと減り四苦八苦していると言っていました。一方、ゲストハウスをやっている友人は、ほぼコロナ前の状況に戻った感じで「まあまあ順調だ」と言っていました。観光地に近いということもあって、9割が外国人で、アメリカ、ドイツ、香港、韓国などの観光客から予約が入っているそうです。

■ホーユーの破綻


飲食店の苦境の話を聞いているうちに、私は、給食会社のホーユーの破産のニュースを思い浮かべました。

ホーユーは、本社は広島市ですが、国内の22カ所に営業所があり、学校や学生寮、官公庁や病院、さらには自衛隊の駐屯地や警察学校など、全国の約150施設に食事を提供していたそうです。

経営が行き詰った背景について、下記のビジネスジャーナルの記事は、「原材料や電気料金、人件費の値上がりなどを受け給食事業者が学校や行政に値上げを要求しても拒否され、赤字での事業継続を余儀なくされるなど、業界全体に横たわる根深い問題がある」と伝えていました。

ビジネスジャーナル
ホーユー破綻→全国で給食中止が続出…値上げ拒否する学校・行政の責任、安値発注も

また、メディアの取材に対しての次のようなホーユーの山浦芳樹社長の発言も伝えていました。

「値上げの申請に行くと『わかった値上げしよう』という学校や役所はゼロ」(テレビ新広島の取材に対し)

「広島の落札金額は他の府県と比べると半分以下。全国で一番安い。運営できない金額で平然と落札される」(同)

「(値上げの相談をした高校から)『値上げの根拠を教えてくれ』と言われる。鶏肉の値段を出して、回答が来るのが1~2カ月後」(「テレ朝news」より)

「食材費や人件費は高騰しているが、業界は非常に安い。ビジネスモデルは崩壊している」(同)


広島県では今年の7月に、物価高騰に対応した給食事業の補助をホーユーにも提案したそうです。しかし、ホーユーの社長はそれを断ったのだとか。その理由を、「申請したとしても、1食当たり30円しか高くならないうえに、とても手間がかかる」と話していました。如何にも役所の事なかれ主義に翻弄され末路を辿った気がしてなりません。

警備員をしている知人は、施設で救急搬送があるときに救急隊員から横柄な態度を取られることが多く、「頭に来る」と言っていました。私も以前、病院で救急搬送に立ち会ったことがありますが、救急隊員の施設の職員に対する偉そうな態度に唖然としたことがあります。救急を依頼したときと救急を受け入れるときの態度が全然違うのです。

救急隊員は、高い使命感を持つ命の綱、無私の精神で私たちを助けてくれるありがたい存在みたいなイメージがありますが、しかし、一方で、覚醒剤の使用で捕まったり、痴漢や盗撮や未成年者に対する買春などで捕まったり、非番のときに消防士仲間と派遣ヘルスの送迎のアルバイトをして処分されたり、あるいは職場のパワハラが問題になったりと、不祥事にも事欠きません。日本は官尊民卑の国なので、国民もことさら美談仕立てにして、ありがたがる傾向がありますが(私などは仕事だから当然じゃないかと思いますが)、彼らも所詮は公務員なのです。よく救急車や消防車でコンビニで買い物をしていたとして批判を浴びていますが、それも意趣返しという側面もなくはないでしょう。特に大都会の救急隊員ほどその傾向が強い気がします。

生活保護の受給資格は世帯年収が156万円(月収13万円)以下ですが、その基準にも満たない人が2千万人もいて、貧困に苦しむ国民は増える一方なのに、まるで花咲か爺さんのように外国にお金をバラまいて得意満面な総理大臣と方向感覚を失った夜郎自大な政治。

牽強付会と思われるかもしれませんが、「安すぎる給食」の問題も、円安と資源高が招いた異常なインフレという経済の問題だけでなく、そういった日本社会のトンチンカンぶりとまったく無関係ではないように思います。つまり、にっちもさっちもいかなくなっているこの国の現実が垣間見えているような気がしてならないのです。

■飲食店の苦境


飲食店は、今の物価高に加えて、新型コロナ対策で実施されたいわゆる“ゼロゼロ融資”の返済にも迫られており、文字通り二重苦の中にあると言われています。

こんなにあらゆるものが上がると、それに伴うコストの上昇は凄まじいものがあるでしょう。しかし、全てを価格に転嫁できるわけではないので、その分利益が食われて経営が圧迫されるのです。

それでなくても、飲食業の場合、開業してから生き残ることができるのは、2年で50%、3年で30%、10年で10%と言われるくらい浮沈の激しい世界なので、今の物価高(コスト高)は、文字通り瀕死の状態でさらに追い討ちをかけられているようなものと言っていいでしょう。いや、トドメを刺されている、と言っていいかもしれません。

収入が増えないのに物価だけがどんどん上がるのは、国民経済の崩壊と言ってもいいような話です。物価の上昇に賃金の上昇が追い付いてないと言われますが、追い付いてなくても賃金が上昇している人たちはまだいい方です。逆に収入が減っている人たちも多くいるのです。そんな人たちにとっては地獄絵図のような世界でしょう。

知人も言っていましたが、警備員なんて20年前から賃金がまったく上がってないのだそうです。そんな職業はごまんとあるのです。現在いま、人手不足とか言われている職業のほとんどはそんな構造的に低賃金の仕事なのです。

ホーユーの社長は、メディアやネットから「迷惑だ」「無責任だ」と散々叩かれていますが、何だか身につまされるような話で同情を禁じ得ません。

それは、個人経営の飲食店なども然りです。材料を仕入れ時間をかけて調理して、気を使って接客して、朝から晩まで身も心もクタクタになって働いても、利益は上がらないどころか減る一方なのです。

■ネットに破壊される既存の経済


一方で、友人のゲストハウスのように、完全に無人化されて、予約から支払いや入退室や清掃などすべてがネットによって管理され、手間をかけずにネットで注文を受けるだけのようなビジネスが千客万来で濡れ手に粟(ちょっとオーバーですが)というのは如何にも現代風ですが、身体を張って地道に商売をしている人間から見れば割り切れないものがあるでしょう。

余談ですが、友人がやっているようなゲストハウスは割高なので、「日本人の利用は少ない」と言っていました。たまに来ても、人数を誤魔化したり、備品を持って帰ったりと、「日本人がいちばんタチが悪い」と言っていました。驚いたのは、掃除のおばさんもウーバーイーツのようなシステムになっているということです。

ただ、すべてがネットに置き換わるわけではないので、ネットはそうやって既存の経済を壊して、最終的には富の偏在を招き国民の生活を貧しくするだけです。

1万人の人間が働いて1千億円のお金を稼ぐのならお金はまわるけど、10人の人間が100億円稼いでもお金はまわらないのです。そんな社会は滅びるだけだよ、と言っていた友人の言葉が耳に残りました。そして、これが坂道を転がり落ちて行く国(社会)の現実なのかと思いました。
2023.09.08 Fri l 社会・メディア l top ▲
26941193_m.jpg
(写真AC)



2019年、36人が犠牲となった京都アニメーション放火殺人事件で、殺人や現住建造物等放火などの罪で起訴された青葉真司被告の裁判員裁判が5日、京都地裁で始まり、青葉被告は「私がしたことに間違いありません」と起訴内容を認めたそうです。また、「事件当時はこうするしかないと思ったが、こんなにたくさんの人が亡くなるとは思わなかった。現在はやりすぎだと思っている」と述べたということです。

来年の1月に判決が下される予定だそうですが、それでも「裁判員裁判では異例の長期に渡る」と言われているのです。これから迅速な裁判と迅速な処刑の要請に従って、淡々と処理されていくのでしょう。裁判員裁判なんて単なる儀式にすぎないのです。

この事件の直後、私はブログに下記のような記事を書きました。

関連記事:
京アニ放火事件の「貧困と孤独」

■貧困と孤独と精神の失調


また、下記の記事の中でも事件について書いています。その部分を再掲します。

関連記事:
『令和元年のテロリズム』

---引用始まり

「京都アニメーション放火事件」の犯人は、昭和53年に三人兄妹の次男として生を受けました。でも、父親と母親は17歳年が離れており、しかも父親は6人の子持ちの妻帯者でした。当時、父親は茨城県の保育施設で雑用係として働いており、母親も同じ保育施設で保育士として働いていました。いわゆる不倫だったのです。そのため、二人は駆け落ちして、新しい家庭を持ち犯人を含む三人の子どをもうけたのでした。中学時代は今のさいたま市のアパートで暮らしていたそうですが、父親はタクシーの運転手をしていて、決して余裕のある暮らしではなかったようです。

そのなかで母親は子どもたちを残して出奔します。そして、父親は交通事故が引き金になって子どもを残して自死します。実は、父親の父親、つまり犯人の祖父も、馬車曳き(馬を使った運送業)をしていたのですが、病気したものの治療するお金がなく、それを苦に自殺しているのでした。また、のちに犯人の妹も精神的な失調が原因で自殺しています。

犯人は定時制高校を卒業すると、埼玉県庁の文書課で非常勤職員として働きはじめます。新聞によれば、郵便物を各部署に届ける「ポストマン」と呼ばれる仕事だったそうです。しかし、民間への業務委託により雇用契約が解除され、その後はコンビニでアルバイトをして、埼玉県の春日部市で一人暮らしをはじめます。その間に母親の出奔と父親の自殺が起きるのでした。

さらに、いったん狂い始めた人生の歯車は収まることはありませんでした。犯人は、下着泥棒をはたらき警察に逮捕されるのでした。幸いにも初犯だったので執行猶予付きの判決を受け、職安の仲介で茨城県常総市の雇用促進住宅に入居し、郵便局の配達員の職も得ることができました。

しかし、この頃からあきらかに精神の失調が見られるようになり、雇用促進住宅で騒音トラブルを起こして、家賃も滞納するようになったそうです。それどころか、今度はコンビニ強盗をはたらき、懲役3年6ヶ月の実刑判決を受けるのでした。その際、犯人の部屋に踏み込んだ警察は、「ゴミが散乱、ノートパソコンの画面や壁が叩き壊され、床にハンマーが転がっていた光景に異様なものを感じた」そうです。

平成28年に出所した犯人は、社会復帰をめざして更生保護施設に通うため、さいたま市見沼区のアパートに入居するのですが、そこでも深夜大音量で音楽を流すなど騒音トラブルを起こすのでした。著者は、「再び失調していったと考えられる」と書いていました。そして、そのアパートから令和元年(2019年)7月15日、事前に購入した包丁6本をもって京都に向かうのでした。彼の場合も、精神的な失調に対して適切な治療を受けることはなかったのです。

生活困窮者を見ると、たとえばガンなどに罹患していても、早期に受診して適切な治療を受けることができないため、手遅れになってしまい本来助かる命も助からないというケースが多いのですが、精神疾患の場合も同じなのです。

不謹慎を承知で言えば、この「京都アニメーション放火事件」ほど「令和元年のテロリズム」と呼ぶにふさわしい事件はないように思います。私も秋葉原事件との類似を連想しましたが、著者(引用者註:『令和元年のテロリズム』著者・磯部涼氏)も同じことを書いていました。

また、著者は、小松川女子高生殺人事件(1958年)の李珍宇や連続射殺魔事件(1968年)の永山則夫の頃と比べて、ネットの時代に犯罪を語ることの難しさについても、次のように書いていました。

「犯罪は、日本近代文学にとっては、新しい沃野になるはずのものだった。/未成年による「理由なき殺人」の、もっともクラシックな典型である小松川女子高生殺し事件が生じたとき、わたしはそのことを鮮烈に感覚した。/この事件は、若者が十七にして始めて自分の言葉で一つの世界を創ろうとする、詩を書くような行為としての犯罪である、と」。文芸評論家の秋山駿は犯罪についての論考をまとめた『内部の人間の犯罪』(講談社文芸文庫、平成19年)のあとがきを、昭和33年の殺人事件を回想しながらそう始めている。ぎょっとしてしまうのは、それが日々インターネット上で目にしているような犯罪についての言葉とまったく違うからだ。いや、炎上に飛び込む虫=ツイートにすら見える。今、こういった殺人犯を評価するようなことを著名人が書けばひとたまりもないだろう。
 秋山は犯罪を文学として捉えたが、犯罪を革命として捉えたのが評論家の平岡正明だった。「永山則夫から始められることは嬉しい」「われわれは金嬉老から多くを学んできた。まだ学びつくすことができない」と、犯罪論集『あらゆる犯罪は革命的である』(現代評論社、昭和47年)に収められた文章の書き出しで、犯罪者たちはまさにテロリストとして賞賛されている。永山則夫には秋山もこだわったが、当時は彼の犯罪に文学性を見出したり、対抗文化と重ね合わせたりすることは決して突飛ではなかった。一方、そこでは永山に射殺された4人の労働者はほとんど顧みられることはない。仮に現代に永山が同様の事件を起こしたら、彼がアンチヒーローとして扱われることはなかっただろうし、もっと被害者のバッググランドが掘り下げられていただろう。では近年の方が倫理的に進んでいるのかと言えば、上級国民バッシングが飯塚幸三のみならずその家族や、あるいは元農林水産省事務次官に殺された息子の熊澤英一郎にすら向かった事実からもそうではないことが分かる。


この文章のなかに出て来る秋山駿の『内部の人間の犯罪』や平岡正明の『あらゆる犯罪は革命的である』は、かつての私にとって、文学や社会を語ったりする際のバイブルのような本だったので、なつかしい気持で読みました。でも、当時と今とでは、犯罪者が抱える精神の失調や、犯罪を捉える上での倫理のあり方に大きな違いがあり、益々身も蓋もなく余裕のない社会になっているとも言えるのです。

しかし、いくら脊髄反射のような平板な倫理で叩いても、それは気休めでしかないのです。こういったテロリズム=犯罪はこれからもどとめもなく私たちの前に出現することでしょう。むしろ、貧困や格差の問題ひとつをとっても、テロリズム=犯罪を生み出す土壌が益々拡散し先鋭化しているのは否定できません。だからこそ、そのテロリズムの底にある含意(メッセージ)を私たちは読み取る必要があるのです。そこにあるのは、坂口安吾が言う政治の粗い網の目からこぼれ落ちる人間たちの悲鳴にも似た叫び声のはずです。

「京都アニメーション放火事件」の犯人はみずからも大火傷を負い命も危ぶまれる状態だったのですが、懸命な治療の結果、命を取り止めることができたのでした。「あんな奴、助ける必要ない」という世間の怨嗟の声を浴びながら、彼は「こんな自分でも、必死に治療してくれた人がいた」と感謝のことばを述べ涙を流したそうです。なんだか永山則夫の「無知の涙」を思い浮かべますが、どうしてもっと早くそうやって人の優しさを知ることができなかったのかと悔やまれてなりません。しかし、それは、彼個人の問題だけではないように思います。

---引用終わり

格差社会というのは、ありていに言えば階級社会ということです。彼らの”テロ”は「たったひとりの階級闘争」という側面もあるように思います。

最近は電車や街中などで、自暴自棄とも言えるような感情を爆発させた言動や行動を目にすることもめずらしくなくなりました。自暴自棄になって自死するケースも多いのですが、その際も他人を巻き添えにする「拡大自殺」という言葉さえ生まれているのです。

「自己責任」という言葉は、何と非情でむごいものかということをあらためて痛感せざるを得ません。私たちが生きているのはそういう社会なのです。
2023.09.05 Tue l 社会・メディア l top ▲
4575330_m.jpg
(写真AC)



■関東大震災


100年前の1923年(大正12年)の9月1日午前11時58分、マグニチュード7.9と推定される地震が関東南部を襲い、190万人が被災し、死者・行方不明者は10万5千人、建物全壊は10万9千棟、全焼が21万2千棟という甚大な被害が生じたのでした。しかし、これらの数字はあくまで推定にすぎません。

尚、当時の東京市の人口は226万人(48万戸)、横浜市が44万6千人(10万戸)だったそうです。

ウィキペディアにも書かれているように、関東大震災と言えば、東京の火災による被害ばかりが報じられますが、実際の被害の中心は「震源断層のある神奈川県内」だったと言われています。「建物の倒壊のほか、液状化による地盤沈下、崖崩れ、沿岸部では津波」など多くの被害が発生したそうです。

たしかに、横浜に住んでいる人間から見ても、横浜というのは、平地は海抜の低い沿岸部だけで、あとは坂や崖が多い丘陵地帯です。しかし、その割に標高は低いのです。私は海からひと山超えた東急東横線沿いの住宅地に住んでいますが、それでも標高は5メートル(海抜も5メートル)にすぎません。

昔、お年寄りで関東大震災を経験したと言ったら、それこそ歴史の証人みたいで「凄いな」と思っていましたが、しかし、私たちは既に大震災を二度も経験したのです。それどころか、かつて人類が遭遇したことがない原発事故まで経験しているのでした。

ちなみに、1995年(平成7年)の阪神大震災のマグニチュードは7.2、2011年(平成23年)の東日本大震災のマグニチュードは9.0だそうです。

■「東京人の堕落時代」と「からっぽな日本人」


夢野久作は、戦前の右翼の巨頭で、玄洋社を主宰する父親の杉山茂丸が一時社主を務めていた九州日報社(現在の「西日本新聞」)の特派記者として、震災から2ヶ月後の1923年9月と、翌年の1924年9月~10月の二度にわたって、福岡から大震災に見舞われた東京を訪れ、そこで見聞したものを「東京人の堕落時代」と題して同紙に連載しています。

そのことについて、このブログでも取り上げていますので、ご参照ください。

関連記事:
『よみがえる夢野久作』

「東京人の堕落時代」で書かれているのは、のちの坂口安吾の「堕落論」にも通じるような人間観です。と同時に、それは、三島由紀夫が『文化防衛論』(ちくま文庫)に収められている「果たし得ていない約束」(1970年)という文章の中で書いていた、「からっぽな日本(日本人)」という言葉にも通底する日本人論でもあるように思います。

三島は、冒頭、「私の中のこの二十五年間を考えると、その空虚に今さらびっくりする。私はほとんど『生きた』とは言えない。鼻をつまみながら通りすぎたのだ」と書いています。そして、最後に、次のような辛辣な言葉を並べているのでした。

このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目ない、或る経済大国が、極東の一角に残っているであろう。


でも、「東京人の堕落時代」や「からっぽな日本人」に書かれた日本人のあり様は、夢野久作が見た大震災や三島由紀夫が戦後社会に抱いた憂国の情だけでなく、私たち自身に突きつけられた、すぐれて現代的な問題でもあると言えるのです。

■汚染水の海洋放出


東京電力と日本政府は、7月24日、放射能汚染水を海洋に放出しました。放出されたのは、単なる冷却水ではなく、デブリ(崩れた燃料棒)に触れた地下水です。チェルノブイリを見れば分かるように、現代の科学技術ではデブリの取り出しはほぼ不可能です。つまり、デブリに触れた汚染水は、地下水が止まらない限り、半永久的に続くことになる可能性もあるのです。東電や政府が言う「30年」は、何の根拠もない数字にすぎないのです。

今年度は3万1千200トンを4回に分けて放出する予定で、トリチウムの総量は5兆デシベル(db)に達するそうです。デブリに含まれているトリチウムは、10年後の現在も1920兆dbあると言われていますが、その中でタンクに汲み出したのは780兆dbにすぎないそうです。

汚染水の処理については、いくつかの方法があると言われていますが、代表的なのがチェルノブイリで行われたようなセメントで固形化して地下に埋設する「石棺」方式です。ただ、それだと費用が2千431億円かかるそうです。一方、海洋投棄だと80分の1の34億円で済むのです。

このように安価で済む海洋投棄は当初から計画されており、満杯になったタンクの置き場所がなくなるというのは、単なる口実にすぎなかったと言われています。

2018年8月、「処理水」に基準値を超える放射性物質が除去されずに残留していることが、一部のメディアによって報道され問題になりました。それを受けて、東電は、翌月の2018年9月に、「処理水」の8割超が最大2万倍の放出基準値を超えていたと発表したのでした。にもかかわらず、翌年の2019年の9月には、原田義昭環境大臣(当時)が退任時に、「海洋放出するしか方法がない」と発言しているのです。その当時から海洋放出は、政府・東電の既定路線だったことがわかります。

原発の安全対策の基本は、核分裂を「止める」、燃料を「冷やす」、放射性物質を「閉じ込める」というこです。これは原子力を扱う上での、それこそ中学生でも知っているような大原則です。放射性物質というのは現代の科学ではどうすることもできないので、基本は放射能の寿命まで閉じ込めて時間を稼ぐしかないのです。海洋放出というのは、その基本、大原則を無視した蛮行と言っていいものです。

■不死鳥のようによみがった「原発村」


それにしてもまたぞろ「科学」なるものが一人歩きしています。メディアも、中国や韓国の反発は「非科学的」だと一蹴するだけです。何だか「原発は安全」という、かつての「原発村」の挙国一致の論理が再び跋扈し始めているような感じさえします。「原子力の安全利用を推進する」IAEA(国際原子力機関)のお墨付きを得たとして、「科学」なる言葉がまるで水戸黄門の印籠のように振りかざされているのでした。

「科学は真理に至る方法にすぎず、科学自体は真理ではない」と言った人がいましたが、その言葉はあのSTAP細胞の騒ぎを思い出せば理解できるでしょう。

未曾有の原発事故から僅か12年。今、私たちの目の前にあるのは、「原発村」が再び不死鳥のようによみがえった悪夢の光景とも言えるものです。

当時はメディアはどこも原発推進でした。原発は原子力の平和利用の最たるもので、「夢のエネルギー」と言われたのです。原発反対運動は治安問題として扱われ、原発に反対する人間たちはテロリストのように見なされ、公安警察の監視対象になったのでした。そんな強権的な翼賛体制を支えたのが、国策の名のもとに我が世の春を謳歌した「科学」と、「総括原価方式」で庇護された電力会社の資本の論理でした。

今回の海洋放出について、左派リベラルや野党は、漁業者や福島の住民に丁寧な説明をせずに見切り発車したとして、政府や東電のやり方を批判しています。そのために、「風評被害」が広がり、地元の人たちがさらに被害を蒙ることになると言うのでした。

何のことはない、政府や東電のやり方を批判する彼らも、同じ「科学」に依拠しているのです。「科学」的には安全だけど、やり方が拙速すぎると言っているだけです。「風評被害」という言葉も、安全なのに誤解されている、という意味に使われているのでした。

■”廃炉”の定義さえ決まってない


ビデオニュースドットコムは、汚染水の海洋放出を受けて、原発事故以後、東京電力を取材してきたフリーライターの木野龍逸氏にインタビューして、その動画を無料で公開していました。

そこで語られるデタラメぶりは、とても「科学」の名に値するものではありません。それは、原発反対運動を治安問題として扱ってきた時代から一貫して変わらない東電の姿勢でもあるのです。もちろん、それは、再び東電や政府と一体となって、空疎な"安全神話"を振りまいているメディアも同じです。

ビデオニュースドットコム
なぜ東電は問題だらけの汚染水の海洋放出に追い込まれたのか

インタビュアーの神保哲生氏が「概要」をまとめていますが、私も動画を観ながら下記のようなメモを取りました。

・海洋放出は、安くて簡単。コストが安い。しかし、その分環境負荷が大きい。これは「コストの外部化」にすぎない。環境に押し付けるから自分たちのコストが安いだけ。

・膨大な廃炉費用は国からの借金。でも、返すあてがない。最終的には、電気代に上乗せされ国民負担になる。

・ALPS(多核種除去設備)を通しても、トリチウム以外にも除去できない放射性物質が12核種あるとも言われる。トリチウムだけが問題なのではない。ALPS自体があいまい。トリチウムが含まれている冷却水と、デブリに触れた汚染水はまったく違う。メディアはそれを同じもののように言っている。

・汚染水の検査をやっているのは東電。東電は、外部による検査をかたくなに拒否している。しかも、東電は地元との合意なしには海洋放出をやらないという約束を反古にしているが、政府が判断したことだからと逃げている。

・汚染水の海洋放出は、30年とも40年とも言われる“廃炉”のプロセスで必要だからという大義名分を掲げているけど、“廃炉”の定義さえあいまいで、その議論もまったく進んでいない。何をもって“廃炉”と言うのか。そもそも“廃炉”などできるのかという疑問さえある。

・1号炉から3号炉までのデブリ(崩れた燃料棒)は800~1000トンあると言われているけど、事故から10年以上経っても、小指の先くらいのグラム単位のものしか取り出せてない。しかも、そのデブリをどうするのか、外部の空気に触れて安全なのかという問題さえ解決していない。

・“廃炉”まで30年とか40年とかかかるという話も何ら根拠がない。もしかしたら、100年経っても排出しつづける可能性もある。そもそもデブリに触れる地下水を止めることさえできてない中で、全てのデブリを取り出せるのか。汚染している建屋は解体できるのか。その結論が出てないし、今の「科学」では出すことができない。

・ホントはチェルノブイリと同じように「石棺」するしかないけど、それだと地元が猛反発するし、帰還困難区域解除の前提も崩れる。

・早い時期から海洋放出が前提だった。タンクがいっぱいで置き場所がないというのは言い訳で、それを待っていた。そういった無責任な体質は昔から変わってない。

・汚染水の海洋放出は生態系に影響を与えることになる。まずプランクトンや小魚などの体内に取り込まれ、食物連鎖の過程で「生物濃縮」が起きて、人間にも影響を及ぼすことになる。汚染された海の魚を食べたからと言って、すぐにバタバタと死ぬわけではないけど、癌の発生率など将来に渡って深刻な健康被害をもたらす。「風評被害」は、非科学的で無知なものとは言えない。

木野龍逸氏は、東電や政府は「空手形を切って選択を迫っているようなものだ」と言っていました。

■トリチウムによる内部被爆


現在、東電や政府やメディアが言う「処理水」は139万リットルあるそうですが、そのうちの71%は(上記で書いたように)トリチウム以外の高濃度の放射性物質が含まれており、再処理が必要だと言われています。

トリチウムにしても、「トリチウム水」という言い方があるくらい普通の水と同じ分子構造(HTO)なので、トリチウムだけを分離して取り出すことは基本的にできません。ホリエモンなどは、だから(水と同じだから)安全なんだ、安全じゃないと言ってる奴は中学まで戻った方がいい、と言っているのです。

しかし、ホリエモンが言っていることは詭弁で、普通の水と同じ分子構造であるがゆえに、容易に体内の組織に取り込まれ、長いもので15年間も体内にとどまり、その間トリチウムが発するベータ線によって内部被爆を受けると言われているのです。

ビデオニュースドットコムでは、分子生物学者の河田昌東氏にもインタビューしているのですが、河田氏によれば、「トリチウムは中性子を放出するとヘリウムに変わるが、その際にトリチウムと有機結合していた炭素や酸素、窒素、リン原子が不安定になり、DNAの科学結合の切断が起きる」(「概要」より)そうです。そうやって「構成元素を崩壊させることで分子破壊」をもたらし、それが癌などの要因になると言っていました。

ビデオニュースドットコム
トリチウムの人体への影響を軽くみてはならない

■歪んだ(屈折した)愛国心


日本テレビ系列のNNNと読売新聞が8月25日から27日までに行った世論調査によれば、「福島第一原発の処理水」の放出について、「評価する」が57%、「評価しない」が32%だったそうです。

Yahoo!ニュース
日テレNEWS
処理水の放出開始「評価」57% 徐々に理解増える【NNN・読売新聞 世論調査】

これこそ思考停止の極みと言うべきでしょう。

エコバックを持って買物に行ったり、「子どもには身体にいいものを与えたい」と無農薬や低農薬の野菜を求めたりしていながら、肝心な汚染水の海洋放出に対してのこの鈍感さはどう考えればいいのか。汚染水の海洋放出は、自分たちの問題なのです。”嫌中憎韓”に置き換えるような話ではないでしょう。

中には、海洋放出に反対するのは、コロナワクチンに反対するのと同じ陰謀論だとか、中国に同調するものだ(中国の手先だ)というような記事さえあるくらいです。開いた口が塞がらないとはこのことです。

況や、唯一の被爆国の国民で、尚且つ未曾有の原発事故を経験した国民でもあるのです。ホリエモンの暴言に見られるように、ネットの守銭奴のコタツ記事に煽られて思考停止するなど愚の骨頂としか言いようがありません。

三島由紀夫は、「唯物功利の惨毒に冒された」(©竹中労)戦後社会を憂いて「からっぽな日本(人)」と言ったのですが、私は、やはり、敗戦時、どうして日本人は昨日の敵に、あれほど我先にすり寄って行ったのか、その変わり身の早さはどこから来るのかという疑問に、すべては由来しているように思います。日本人論はそこから始めるべきでしょう。

一夜明けたら昨日の敵に我先にすり寄り、すべてをなかったことにして、誰も責任を取らなかったのです。それを合理化するために、戦後の日本はフジサンケイグループに代表されるような、対米従属「愛国」主義とも言える歪んだ(屈折した)愛国心を持たざるを得なかったのですが、海洋放出に対する世論にも、そういった無責任の構造に連なる歪んだ(屈折した)心情が陰画にように映し出されているように思います。ただ、それを「科学」という言葉で誤魔化しているだけです。
2023.09.01 Fri l 震災・原発事故 l top ▲
DSC09965_20230819091525abf.jpg
JR青梅線・鳩ノ巣駅



■非常識な電話


先日、病院に勤める知人に会った際、正月休みの当直勤務のときにかかってきたという電話の話をしていました。ちなみに、彼も山登りが趣味で、私など足元にも及ばないような上級者です。

彼が勤める病院の整形外科には、一部の登山関係者の間で名前を知られているドクターがいるのだそうです。

深夜、そのドクター宛に電話がかかってきたのだとか。

「△△先生いますか?」
「今夜は勤務していません」
「じゃあ、明日は出て来ますか?」
「いえ、○日まで休みです」
「じゃあ、今すぐ連絡を取って貰えませんかね」
「それはできません」
「どうしてできないんだ?」
「個人的な電話は取り継げないことになっています」
「個人的な電話ではないんだよ。山に行って凍傷にかかったんだよ。だから診て貰いたいんだよ」
「だったら、予約して休み明けの診察日に来て頂けますか?」
「それでは遅いんだよ」
「それでしたら、最寄りの当番医か救急病院を受診されたらどうですか?」
「だから△△先生に診て貰いたいと言ってるだろ」
「でも、申し訳ありませんが、○日まで休診なので診察は無理としか申し上げようがありません」
「俺の凍傷がどうなってもいいと言うのか」
「そうは言っていません。休み期間中でも受診できる病院がありますので、そちらで受診して頂けるように申し上げているだけです」
「そんなことわかってるよ。だったらこんな電話しないよ。お前、名前は何と言うんだ? こんな電話対応があるか! まったく話にならんじゃないか!」

声の感じではかなり年を取った感じだったそうです。いろんな場面で登山者のマナーがやり玉に上がることがありますが、その背景の一端を見た気がします。彼は、同じハイカーとして「情けない」と言っていました。

何度も言いますが、山ですれ違う際、「こんにちわ」と挨拶するので、みんないい人に見えるのですが(ハイカー性善説)、実際は山の上も下界の延長にすぎないのです。噓つきは山の名物と言えるくらい吐いて捨てるほどいるし、泥棒や痴漢もいます。山小屋で強姦殺人が起きたこともあるし、避難小屋を根城にした強盗が出没したこともあります。駐車やトイレやゴミのマナーが問題になることがありますが、そんなものは朝飯前と言えるでしょう。

■”弾丸登山”と富士登山競争


でも、それは、登山者だけではないのです。山岳団体や山小屋や地元自治体なども似たようなものです。

前にハセツネカップとそれを主催する都岳連の問題を取り上げましたが、たとえば、今批判の的になっている富士山の“弾丸登山”にしても、「お前が言うか」と言いたくなるような現実があるのでした。

”弾丸登山”が無謀で危険な登山であることは論を俟ちませんが、その一方で、富士吉田市は、「過酷に挑む価値がある」と銘打って、富士登山競争(フジマラソンレース)を主催しているのでした。今年も7月28日に開催されたようですが、富士吉田スポーツ協会、毎日新聞社、山梨日日新聞社、山梨放送、富士吉田市教育委員会が共催し、山梨県、(株)テレビ山梨、(株)CATV富士五湖、富士吉田市外二ケ村恩賜県有財産保護組合、富士山吉田口旅館組合、(一財)ふじよしだ観光振興サービスが後援する、官民あげての一大イベントなのです。これこそ”弾丸登山”の最たるものと言えるでしょう。

トレランは、「山を愛でる」などという精神とは真逆な、ただゴールを目指してタイムを競うゲームにすぎません。しかも、一度に何百何千の選手が駆け抜けて行くので、踏圧による登山道の剥離や崩落、それに伴う植生への影響などの問題も指摘されています。そのくせ、大会の趣旨には必ず「自然保護」が謳われているのですから、その二枚舌には呆れるばかりです。富士山に関係する団体や自治体が、個人ハイカーの”弾丸登山”に懸念を示すのは、文字通り天に唾するものなのです。個人の”弾丸登山”は金にならないが、富士登山競争は金になるからいいんだ、という声が聞こえて来るようです。

それは、俗情と結託して遭難は迷惑だみたいな言い方をする一方で、登山ユーチューバーに媚を売って、ニワカ登山者の安易な登山に阿る、地元自治体や観光協会や山小屋の夜郎自大な建前と本音も同様です。

■登山とは無縁な友人の弁


とは言え、つらつら考えてみれば、私たちのような下々のハイカーも五十歩百歩で、山に登ること自体が非常識と言えなくもないのです。トレランだけでなく、私たちだって登山道を踏み固めることで、地質の透水性や保水性の低下を招いているのです。丹沢の山などで指摘されているオーバーユースの問題とトレランがどう違うのかと言われれば、返す言葉がありません。非常識なことをしながら、一方で「自然保護」を口にするのは偽善ではないかと言われれば、首をうなだれるしかないのです。

登山とはまったく無縁な友人が、「登山する人間があんなに山小屋を有難がるのかわからない。山小屋だって商売なんだろ。中にはお客さんに説教したり、夕食のときに講釈を垂れたりするオヤジがいるそうじゃないか。どうしてわざわざ金を払ってそんなものに有難がるんだ? 」と言っていました。

「ただ山小屋は、緊急時の避難所としての役割もある。そのため、無謀な登山者に対して、ときに説教めいたことを言うことはあるだろう。それに、登山道の整備なども手弁当どころか、むしろ費用を持ち出しでやっている。単なる宿泊施設とは言えないんだよ」
「でも、その代わり国立公園内で商売する既得権を得ているわけだろ。登山道の整備だって、お客さんが訪れる道を整備するのは客商売として当たり前とも言える。そんなに有り難がる話か?」
「しかし、登山道が荒れたり、山小屋がなくなったりすると、行くのが困難になる山もある」
「困難になってもいいじゃないか。山は登山者が登るためにあるんじゃない.。そういう考え方が傲慢なんだよ。むしろ自然保護の観点から言っても、登山者が入らなくなることはいいことかもしれない。山小屋や登山道だって自然破壊のひとつだと言える」

私は、友人の辛辣な言葉に反論しながらも、山小屋には客を客とも思ってないような横柄なスタッフがいることもたしかなので、友人が言っていることも一理あるかもと思いました。それに、(同じことのくり返しになりますが)非常識で無謀な登山者を生み出す一因になっている(と言っていい)登山ユーチューバーに対して、宣伝のためなのか、普段はいかめしい山小屋のオヤジが相好を崩して阿っているのもめずらしいことではありません。西穂高の山小屋のように、建物内の撮影はいっさい禁止、ユーチューバーには協力しないという山小屋は稀なのです。

一方で、友人は、富士山の登山鉄道の構想には賛成だと言うのです。ヨーロッパのように、日本でも山岳観光はもっと広がるべきだし、そのために登山鉄道も敷設すべきだと言うのでした。

自然に対してはフレキシブルに考えるべきで、「山は一部の登山者のものではなく、体力のない年寄りや子どもや身障者も山に親しめるようにするべきだ。その一方で、人が入ることができない(入ることが困難な)山もあっていい。それも山本来の姿だ」と言うのでした。

■趣味としての登山の行く末


ある山小屋は、コロナ前まで素泊まりで7千円だったのに、コロナ後に行ったら1万2千円に値上がりしていたそうです。その大幅な値上げには、昨今の物価高&コスト高だけでなく、山小屋が置かれている苦境が示されているように思えてなりません。山小屋にはもはや登山道整備の費用を持ち出す余力などなく、入山料などのシステムを導入して、登山者が応分に負担すべきだという意見が出ているのも当然でしょう。

もちろん、.環境庁や地元自治体が登山道の整備費用に1銭も出してないわけではありません。でも、それは微々たるものです。

登山道の整備に税金が投入しづらいのは、現状ではまだ世論が充分納得しているとは言い難いからだ、という官庁の担当者の話をこのブログでも紹介したことがありますが、しかし、税金投入に対して、国民が納得することは永遠にないでしょう。

警察庁によれば、2022年の山岳遭難は3015件で、死者と行方不明者は327人、負傷者は1306人だそうです。こんな無謀で危険な趣味に税金を使うなど、国民の理解が得られるはずがありません。

しかも、富士山の混雑ぶりを見て登山ブームだとトンチンカンなことを言っている人たちもいますが、今の登山者のボリュームゾーンは70代なので、早晩、登山者が激減するのは目に見えているのです。そうなれば、宿泊料金のさらなる値上げや整備費用のさらなる負担も避けられないでしょうし、趣味としての登山がどれだけ成り立つかという問題も出てくるでしょう。

あの芥川龍之介は、1909年、東京府立第三中学校(現在の都立両国高等学校)5年のときに、友人らと一緒に上高地から槍沢に入り槍ヶ岳に登っているのですが(のちの「河童」は、そのときに立ち寄った上高地の河童橋をヒントにしたと言われています)、登山が再び高等遊民の趣味に戻ることだってあり得るでしょう。

登山者や登山の関連団体が、いつまでも”特権"を享受し、非常識にあぐらをかいていられるわけがないのです。


関連記事:
マイクロプラスチックと登山
登山をめぐる貧すれば鈍する光景
登山道の整備と登山者の特権意識
2023.08.19 Sat l l top ▲
2135270_m.jpg
深圳(写真AC)



■中国の「日本病」


昨日(16日)の「モーニングショー」で、中国が不動産不況に陥っているという問題を取り上げていました。

天津市では、117階建ての高層ビルの工事がストップした状態になっており、周辺でも骨組みが剥き出しになったまま放置されているビルがあるということです。また、個人向けのマンションも建設が中断し、代金を払ったにもかかわらず何年経っても引き渡されない事例も珍しくないそうです。

「私は金を払って『モノ』を買ったんだ。ジュースや野菜ではなく、『4000万円の部屋』だ。たくさんの金を払ったんだから、その『モノ』を私に引き渡してほしい」「俺は3000万円払って家を買った。それなのに建ててくれない。ほったらかしだ。理不尽だ」というような購入者の声を紹介していました。

番組は、今の中国は30年前に不動産バブルが崩壊した日本と同じ轍を踏んでいるとして、専門家の間でも「日本病」と呼ばれている、と言っていました。

これに対して、中国の対外経済貿易大学・国際経済研究院の教授である西村友作氏は、不動産会社の資金繰りが悪化して工事が中断しているのは、中国政府の“総量規制”のためで、多分に政策的な要因によるものだ、と言っていました。新型コロナウイルスのゼロ・コロナ政策に伴う経済対策のために金融緩和を行なった結果、お金が不動産市場に流れて不動産バブルを引き起こしてしまったので、規制を始めたのだとか。習近平主席の「家は投機のためにあるのではなく、住むためにあるのだ」という言葉に従って、不動産業界に対する締め付けが行われているのだと言うのです。

代金を払ったのにマンションが建たないというのも、日本と違って中国では購入代金を前払いする商習慣があるので、日本とは事情が異なる、と言っていました。つまり、日本の感覚で考えれば、詐欺みたいな話に聞こえるのですが、中国では代金を払ってから引き渡されるまで何年もかかるのはよくある話だそうてす。

不動産バブルと言っても、一部の先進的な大都市の話にすぎず、中国経済自体が行き詰まり、かつての日本と同じ轍を踏んでいると見るのは早計だと言っていました。中国は都市部と農村部の格差が大きく、統計的に見ても、日本の80年代や90年代のような「遅れた」部分も多く、まだ成長の余地はあると言うのです。

マンション業者の「1階を買うともう1階をサービス」という広告についても、日本の感覚で考えるととんでもない話のように思うかもしれないけど、中国のマンションは、上の階と下の階の部屋の間に階段を設置して二世帯住宅のようにするオプションがあり、もう1階をサービスというのはそういう意味だ、と言っていました。

そもそも中国は社会主義国家なので、土地の私有は認められていません。土地は国家のものなのです。不動産と言っても、あくまで「使用(借地)権」があるだけです。居住用の土地の「使用権」は70年と定められているそうですが、しかし、公共のためという理由で、政府が一方的に「使用権」を破棄して立ち退きを迫られることもあるのです。そう考えれば、資本主義国の不動産バブルと同じように考えるのは無理があるように思えてなりません。

日本の専門家と称する人間たちは、何かにつけ中国経済は崩壊すると寝言のように言うのが常で、メディアが伝える中国像も、そういったバイアスがかかったものばかりです。まして今のように米中対立が先鋭化して、明日でも戦争が起こるかのようなキャンペーンが繰り広げられている中ではよけいそうでしょう。だからこそ、希望的観測や予断や偏見ではなく、ホントの、、、、中国はどうなのかを知りたいという気持があります。ホントの、、、、中国は案外知らされてないのではないかという疑問さえあるのです。

たしかに、ゼロ・コロナ政策では、中国は最新のデジタル技術を駆使してウイルスの封じ込めに成功したと言われていますが、一方で、新型コロナウイルスが蔓延したのは、食用の野生動物を売買していた武漢の海鮮卸売市場からではないかとも言われているのです。そういった両極端とも言えるような新しいものと古いものが混在しているのが、中国社会の特徴と言えるでしょう。

■恒大集団破産のニュース


折しも中国の大手不動産会社の恒大集団が、アメリカのニューヨークの裁判所に「破産法」の適用を申請したというニュースがありました。ただ、これは、48兆円という途方もない負債を抱える恒大集団が、アメリカ国内で抱えている負債を整理して経営の立て直しをはかるというもので、同じ破産でもアメリカのそれと日本のそれとではかなり意味合いが違うことを忘れてはならないでしょう。

一方、日本のメディアは、中国の不動産バブルの崩壊が日本経済に影響を及ぼすのは避けられないとして、”破産”をセンセーショナルに(ネガティブに)伝えているのでした。もっとも、その内容はと言えば、調子抜けするほど通り一遍なものです。都心部のタワマンなど高級物件が中国人に買占められ、それがマンション価格高騰の一因になっていると言われていますが、中国のバブル崩壊が連鎖的に中国人に支えられた日本の不動産バブルの崩壊につながることを懸念しているのかと思ったらそういう話でもないのです。

テレビ朝日のニュースの中で、第一生命経済研究所・首席エコノミストの永濱利廣氏は、次のようにコメントしていました。

「日本から中国への輸出額がこのところ減少を続けているが、仮に日本みたいにデフレに陥ってしまうと、さらに中国向けの輸出が減ったりとか、中国人の日本向けの団体旅行も当初の期待ほど盛り上がらなかったりと、日本経済に及ぼす影響も無視できない」

Yahoo!ニュース
テレ朝news
48兆円負債 恒大集団が破産申請 中国“危機”日本への影響不可避


なんだそんなことかと思いました。日本には、「ざあまみろ」という気持と中国経済に依存していることによる「困った」という本音の両方があるのですが、恒大集団の問題でもことさら騒ぎ立てるだけで、不動産不況が中国政府の政策的な要因によるものだという冷静な視点がまったくないのでした。

■『数字中国デジタル・チャイナ コロナ後の「新経済」』


それで、昨年の2月に出版された西村友作氏の『数字中国デジタル・チャイナ コロナ後の「新経済」』(中公新書ラクレ)を読みたいと思い、アマゾンを検索したら売切れでした。駅に行く途中に、念の為、商店街の中にある書店に寄ったら、やっぱり置いていませんでした。

そのあと、病院に診察に行ったのですが、尿の検査をするためにおしっこを紙コップに取ろうとしたら、赤いおしっこが出たのでした。朝の排尿時は普通の色だったのに、よりによって病院の検査のときにどうして血尿なんだ?と思いました。

案の定、(待ってましたと言わんばかりに)レントゲン撮影とエコーの検査が行われました。腫瘍などは見当たらず、腎臓に2ミリくらいの小さな石が2~3個あるので、それが原因だろうと言われました。それで、いつもの薬以外に芍薬甘草湯が処方されました。

芍薬甘草湯に関しては、私は「ラッキー!」と思いました。残り少なくなっていたので、何か理由を付けて処方して貰おうと思っていたところだったのです。

山に登る人ならわかると思いますが、芍薬甘草湯は足が攣ったときに飲むと効果てきめんなので、登山のファーストエイドでは必携の薬です。調剤薬局でも、薬剤師から「いつもの薬以外に芍薬甘草湯が処方されていますが、足が攣るのですか?」と言われました。しかも、ひと月分なので90包もあり、これでまた数年分のストックができました。

泌尿器科で芍薬甘草湯を処方されたのは、人が感じる最も強い痛みのひとつとも言われる尿管結石の痛み止めのためです。しかし、(変な言い方ですが)尿管結石のホント、、、の痛みには、とてもじゃないけど芍薬甘草湯では対処できません。ドクターからも「(痛み止めの)座薬はまだありますか?」と訊かれたので、「はい、冷蔵庫で保管しています」と答えました。

病院のあと、市営地下鉄で横浜駅まで行きました。しかし、改札口を出て相鉄線のジョイナスの方に出たら道に迷ってしまい、構内をウロウロするはめになってしまいました。どうしてジョイナスに行こうと思ったのかと言えば、ジョイナスにある有隣堂書店で『数字中国』を探そうと思ったからです。

横浜に住んで既に15年以上が経っていますし、輸入雑貨の会社に勤めていた頃も横浜を担当していましたので、横浜の駅ビルや地下街はよく知っているつもりなのですが、どうしたことか迷子になったのです。ただ、ジョイナスの中にあんなに充実した食堂街があったことを初めて知ったので、それはそれで怪我の功名と言えるのかもしれません。そして、やっと地上に出て、あらためて西口の地下街に入ることができたのでした。

私自身は、未だに横浜駅より池袋駅や新宿駅や渋谷駅の方がよくわかります。横浜駅はちょっと来ないと、頭が混乱して方向感覚を失ってしまうところがあります。西口と東口を結ぶコンコースにしても、池袋や新宿や渋谷も及ばないくらいの人混みで、それだけでも圧倒されるのでした。

もっとも、有隣堂があった地下街は、以前はダイヤモンド地下街と呼ばれていたのです。それがジョイナスに統一されたので、よけいわかりにくくなったのでした。前は西口の地下街はダイヤモンド地下街で、その横にジョイナスという相鉄の駅ビルがあり、そのビルの地下街が別にあったのですが、それがいつの間にか一緒になってジョイナスと呼ばれるようになったのでした。そのため、私は、隣の昔からあるジョイナスの方に迷い込んでしまったというわけです。

結局、ジョイナス(旧ダイモンド)の地下街にある有隣堂にも本はありませんでした。それで、東口のそごうの中にある紀伊国屋書店に行くことにしました。夕方のラッシュ時のコンコースの人混みをかき分けて、さらに東口の地下街のポルタを突き抜けて、その先ににあるそごうの7階の紀伊国屋書店にやっと辿り着いたものの、紀伊国屋も売切れでした。

そごうも、仕事でよく行ったなつかしい場所です。昔、そごうで行われたブライダルショーに出演していた彼女と知り合い、しばらく付き合ったせつない思い出もあります。当時、横浜そごうは日本一の売場面積を誇るデパートでしたが、もう昔日の面影はありません。今のそごう・西武をとりまく状況から考えても、先行きは暗いと言わねばならないでしょう。いろんな意味で、いい時代、、、、は終わったのです。

で、そこで初めて、私は、スマホで在庫検索する”知恵”を思い出したのでした。思い出すのが遅すぎますが、頭から汗をタラタラ滴り落しながらスマホで検索すると、伊勢佐木町の有隣堂書店の本店に在庫があることがわかりました。もうこうなったら、伊勢佐木町まで行くしかありません。

横浜駅からみなとみらい線で馬車道まで行って、馬車道から伊勢佐木町まで歩いて、やっと『数字中国』を手に入れることができたのでした。本の価格は税込み990円ですが、買うためにかかった交通費は838円でした。

ちなみに、前に書いたと思いますが、伊勢佐木町から撤退した富士そばのあとには、最近、横浜橋の商店街などで目立つようになっている中国人経営の安売り八百屋が入っていました。有隣堂本店の斜め前の一等地に八百屋を開く感覚とその資金力には驚くばかりですが、不動産バブルが崩壊して中国経済が行き詰ったら、あの八百屋も撤退するのだろうかと思いました(もちろん皮肉ですが)。

※「恒大集団破産のニュース」の部分は、あとで追加しました。


関連記事:
散歩してデパートの時代の終わりを考えた
『セゾン文化は何を夢みた』
2023.08.17 Thu l 日常・その他 l top ▲
2059549.jpg

(イラストAC)



■高齢者の就職難


前に70歳になってアルバイトを探しているけど、なかなか思うような仕事が見つからず苦労している知人の話を書きましたが、警備員の仕事をするようになったそうです。

世の中は未曽有の人手不足と言われていますが、そんな中でも高齢者はアルバイトを探すのさえ苦労しなければならないのです。

結局は、警備員か清掃のような昔から高齢者に割り当てられたような仕事しかないのです。しかも、賃金など労働条件は10年もそれ以上も前からまったく変わってないそうです。むしろ、正社員を対象した「働き方改革」の皺寄せが非正規に向けられている現実さえあると言われます。

要するに、高齢者を雇用する側も年金受給が前提なのです。だったら安くていいだろうという考えがあるのです。高齢者自身も、年金があるので安い賃金でも妥協してしまう、と言うか、妥協せざるを得ないのです。

折しも、Yahoo!ニュースに下記のような共同の記事が転載されていました。

Yahoo!ニュース
共同
高齢者の53%、就職できず リクルート調査、企業及び腰

 60~74歳の就職希望者のうち53.7%が、仕事探しをしても見つかっていなかったことがリクルートの調査で分かった。企業が特段の理由がないのに採用に及び腰になっていることが主な要因として浮かんだ。


60歳~74歳の就職発動状況
(記事より)

中でも年金だけでは生活できない高齢者にとって、就職難は深刻な問題だと言えるでしょう。仮に仕事が見つかっても「安い給料でこき使われるような」仕事しかないのです。知人が前に言っていたように、役所や社会福祉法人のような公共性が高い職場ほど、低賃金で搾取されるというひどい現実さえあるのです。そのため、生活費を稼ぐためにWワークを行なっている高齢者もいるそうです。

■警備員の仕事


警備にしても、大半は交通誘導のような仕事だそうです。たしかに、この酷暑の中、警備員の制服を着て道路に立っているのは高齢者が目立ちます。私の知っている警備会社の人間も、「あれは地獄ですよ」と言っていました。

知人は幸いにも施設警備の仕事を見つけることができたそうですが、夕方から翌朝までの夜勤を15日やっても手取りは13万円もいかないと言っていました。夜勤が15日だと、夜勤明けを除けば実質的な休みはゼロです。そのため、夜勤を減らして、24時間勤務を入れるのだとか。

彼が働いている職場は一人勤務で、3名でシフトを組んでいるそうですが、他の2人はいづれも低年金の”後期高齢者“で、70歳の彼は「若い」と言われているのだとか。久々に「若い」と言われて、自分でも若返ったような気持になったよと笑っていました。

仕事自体は、防災設備の監視と巡回だそうですが、しかし、設備に関してはズブの素人なので、発報があった場合、対応できるのか不安だと言っていました。前からいる”後期高齢者”の2人からはまともな引継ぎもできてないと嘆いていました。

知人はインテリで文才もあるので、警備員になった顛末などをnoteに書いたそうですが、ほとんど「いいね」も付かず読まれないので、書くのをやめたと言っていました。

note自体が劣化する一方なので、読者の質の問題もある思いますが、もうひとつは、高齢者が警備員になるのは特段珍しくないということもあるのかもしれません。

知人は、警備員の仕事を始めてから何だか世間から疎外されているような気持を抱くことが多くなり、自分を卑下するようになったと言っていました。そういった心情を書き綴って貰いたいと思っていたので、noteの挫折は個人的には残念でした。

妙なプライドがあるからダメなんだという意見もありますが、しかし、人間がプライドを捨てたらお終いでしょう。つまり、警備員のような仕事は、プライドがあるからダメなんだと言うような、身も蓋もない殺伐とした世界でもあるのです。そんな中で、人のやさしさを失うことなく何を拠り所に生きていくか、という切実な問題もあるように思います。

別の知り合いの人間は、「給与が低くても仕事が楽だからという理由で妥協して就職すると、その程度の人間しかいなくて、低級な人間関係に苦労することになる」「給与が高いけど仕事のハードルも高い職場には、それなりの人間が集まっているので切磋琢磨することができ、社会人としてのスキルが上がる」と言っていましたが、若い人に聞かせてやりたい言葉だと思いました。

■関心外の世界


帰省や行楽のニュースが溢れるお盆休みの中で、知人のような高齢者たちは、今日も暗い警備室で24時間勤務に就いているのでしょう。しかし、世の中の多くの人たちは、そんな高齢者など視野にも入らないような日常の中で、休日を謳歌しているのでした。でも、その”特権”も今だけかもしれないのです。

そう言えば、私が若い頃に勤めた会社にも守衛のお爺さんがいて、夜遅く帰ったら、受付のところに座っていました。2人いましたので、一日交代で勤務していたのでしょう。会社には宿直室があり、同期の人間は、残業した際、その中で同じ課の女の子とキスをしたと言っていましたが、私は中に入ったことさえありませんでした。その宿直室で、守衛のお爺さんたちは仮眠をとっていたのでしょう。でも、”特権”を享受していた当時の私にはまったくの関心外で、誰が社屋の鍵を閉めているのかということさえ考えたこともなかったのです。


関連記事:
70歳の職探しと移民排斥の予兆
2023.08.11 Fri l 日常・その他 l top ▲
Amazonメール



■アマゾンの文化


今日、アマゾンがプライム会員の会費を値上げするというニュースがありましたが、折しも私は、今日、アマゾンから荷物が届かないトラブルに遭遇したばかりです。会費値上げのニュースを見て、その前にすることがあるだろうと思いました。

今日、アマゾンから注文した商品が二回に分けて送られてくるはずでした。私は、アマゾンの「配送指示」には、宅配ボックスに入れて貰うように設定してます。「置き配」でもいいのですが、それでは不安なので、宅配ボックスを指定しているのでした。

今日の二回の配達予定は、それぞれ別の配送業者でした。午前中の便はネコのマークの配送業者で、用事があって出かける際には既に宅配ボックスに商品が入っていました。もう一つの商品は、「Amazon」の配送業者が配達するようになっていました。時間指定はしてないので、いつでも都合のいいときに宅配ボックスに入れておいてくれるはずでした。

アマゾンの場合、配達日になると、「配達中です」というメールが届きますが、その際も私は念の為に宅配ボックスを指定しています。私は、”予備がないと不安症候群”なので(ホントはただの取り越し苦労性ですが)、そういったことには非常に律儀でマメなところがあるのでした。

ところが、夕方、帰宅しても、宅配ボックスは空でした。おかしいなと思っていたら、留守電に着歴が残っているのに気付きました。着歴に残っていた電話番号をネットで検索するとアマゾンからでした。それで、電話すると、「サイトの配達状況をご確認ください」という固定メッセージが流れてきました。

サイトの「配達状況を確認」を見ると、「配達を試みましたが配達できませんでした」と書かれていました。今までは問題なく配達されていたのに、今回に限って何が原因で配達できなかったのか知りたいと思い、アマゾンのカスタマーセンターに連絡しました。

しかし、アマゾンの場合、このカスタマーセンターが曲者なのです。チャットで問い合わせるようになっているのですが、相手はあまり優秀とは言えないAIが搭載されたチャットボットです。「どうして配達できなかったのか、理由を知りたい」というような、個別の質問の回答は用意されてないのでした。「よくある質問」のような通りいっぺんの回答があるだけです。挙句の果てには、二言目には「解決しましたか?」としつこく問いかけて来るのでした。

でも、配達できなかった理由がはっきりしないと、明日も同じことをくり返すかもしれません。こんな非生産的な問答を繰り返しても、何の解決にもなりません。まったくバカバカしくて付き合ってられないという感じでした。

メディアは、プライムの会費の値上げに関して、アメリカやヨーロッパに比べて日本は格安だとか、日本の会費が安いのは日本の配送料が安く、その分配送業者が犠牲になっているからだなどと言って、わりと”好意的”に伝えていますが、私が言いたいのはそれ以前の問題です。

カスタマーセンターにしても、送料が安いからいいだろうみたいな感じで、おざなりになっているような気がしてなりません。そこに見えるのは、アマゾンらしい徹底した合理化の考え方だけです。その先にあるのは、単なる事なかれ主義です。でも、それは、自分たちの手間を省くために、顧客に面倒な手間を強いていることになっているのです。

そもそもトラブルが生じても、サイト内でカスタマーセンターを探すことから苦労しなければなりません。さらに、チャットボットが相手のカスタマーセンターから人間相手のオペレーターに辿り着いて、ただのアルバイトでしかない(しかも外国人?の)オペレーターと頓珍漢なチャットでやり取りしながら、トラブルの内容を根気よく伝えなければならないのです。そうやって初めて"保障"などの問題に入ることができるのです。何だか途中で挫折して泣き寝入りするのを狙っているような感じさえするのでした。

要するに、「荷物が届かないのはどうしてですか?」というように律義に考える日本人の文化とアマゾンの文化は、まったく別個のものだということです。届かなければ即キャンセルして再注文というのがアマゾンとの正しい付き合い方のように思います。そこには、合理化や省力化とは真逆な壮大なる無駄があるように思いますが、それがアマゾンの文化・思想なのでしょう。

■日大の体質


もっとも、こういった事なかれ主義は、アマゾンに限った話ではありません。

たとえば、再びアメフト部の”違法薬物問題”が取り沙汰されている日大も然りです。林真理子理事長の他人事のようなもの言いに呆れたのは私だけではないでしょう。あたらめて作家が如何に裸の王様なのかということを痛感させられた気がします。

これも前に書いたと思いますが、作家こそ世情に通じていなければならないのに、現実はまったく逆で、今や作家センセイは世間知らずの代名詞のようになっているのでした。文字通り「先生と言われるほどの馬鹿でなし」のような愚鈍な存在になっているのです。

林真理子の当事者能力を欠いた寝ぼけたような発言に対して、週刊文春を筆頭に週刊誌が腰が引けているように見えるのは、文壇タブーがあるからでしょう。もとより日大が彼女を担いだのも、メディア対策として文壇タブーを利用しようという思惑があったのかもしれません。文字通り、林真理子はただのお飾りでしかなかったのです。

今回の問題で隠蔽工作と言われても仕方ないような不可解な対応を主導したのは、競技スポーツ部担当の澤田康広副学長ですが、彼は日大OBの元検事、つまり“ヤメ検”です。そう考えれば、記者会見でのあの横柄な態度も納得できる気がします。

今回の問題の背景にあるのも、下記の記事で書いたように、55年前の日大闘争で提起された日大の体質です。その体質は何も変わってないのです。日本会議ではないですが、“持続する志”のもとに集まった勢力が日大を牛耳っている限り、何があっても日大が変わることはないのです。その根本を問うことなしには、結局元の木阿弥になるだけでしょう

案の定、理事長らの記者会見からわずか2日後の今日、大学当局は、アメフト部の活動停止処分を解除するという茶番を演じているのでした。


関連記事:
田中英寿逮捕と日大闘争
Amazonプライムを退会した
2023.08.10 Thu l 社会・メディア l top ▲
26162963_m.jpg
(写真AC)



■常軌を逸したワンマン経営


ビッグモーターをめぐる問題でクローズアップされているのは、前社長親子の常軌を逸したワンマン経営です。まさにブラック企業の典型のような会社ですが、しかし、前社長親子が退陣しても、彼等が会社のオーナーであることには変わりないのです。これからは株の100%を保有する資産管理会社を通して、ビックモーターを動かすことになるのでしょう。

ビッグモーターは、六本木ヒルズの森タワーに本社を構え、資本金4億5千万円、従業員数6千名の非上場の「大企業」です。非上場だと、社外(株主)の意向に左右されず安定した経営環境のもとで事業を行なうことができるメリットがある一方で、コンプライアンスが欠如しオーナー社長の独善的な企業経営に陥ることになりかねないと言われますが、ビッグモーターはその典型と言えるでしょう。

1976年山口県岩国市で個人経営の自動車修理工場を創業して、10年もたたずに西日本を中心に多店舗展開を開始し、2000年代に入ると全国に店舗を広げるまでになったのです。

今回の保険金不正請求では、板金部門の不正がクローズアップされていますが、多店舗展開するに際して下関に設立したのが鈑金塗装専門工場で、もともと前社長自身の中に、“金の成る木”としての板金塗装に対するこだわりがあったように思います。前社長の車屋としての出発点は、「板金屋」だったのかもしれません。

■日本社会のブラックな体質


ビッグモーターがブラック企業なのは論を俟ちませんが、しかし、同社が特殊な会社なのかと言えば、決してそうとは言えません。ビッグモーターのような会社は、それこそ枚挙に暇がないくらいどこにでもあるのです。

ブラック企業のオーナー経営者に共通しているのは、一代で財を成したことによる“成金趣味”です。それは、傍から見ていて恥ずかしいような光景ですが、しかし、過剰な自信家である当人は得意満面に違いありません。会社がブラックであるかどうかはさて置くとして、例えばソフトバンクの孫正義氏などにもそれが見て取れます。

そして、彼らの“成金趣味”が企業経営にも反映し、ビッグモーターのようなブラックな体質を必然的に生み出しているように思います。ヤフーの“ネットの守銭奴”のような体質も同じです。

でも、悲しいかな、成金は所詮成金なのです。早稲田を出てMBAを取得した息子は自慢の息子だったに違いありませんが、同時に高卒の叩き上げの身にはコンプレックスの対象でもあったのかもしれません。それが、「コナン君」の人を人とも思わないような暴君ぶりを許してしまったのではないか。

一方で、ビッグモーターで役員や店長を務めたとかいう人物が、まるでホワイトナイトのように、ビッグモーターの体質を批判する先頭に立っていますが、過去の立場を考えれば彼だって一連托生だったのです。彼らのパワハラの犠牲者になった社員もいるでしょう。

こういった寄らば大樹の陰から一転して手のひら返しに至る心性も、三島由紀夫が指摘したように「空っぽの日本人」の特徴を表しており、日本の社会ではめずらくないのです。

■ブラックな福祉事業


私の友人は、現代のいちばんのブラックな業界は、福祉だと言っていました。低賃金と劣悪な労働環境のもとに置かれている介護労働者の背景にあるのは、”福祉”の美名の陰に隠された福祉業界のブラックな体質だと言うのです。

福祉のブラック化は、福祉事業の民間委託の流れから生まれたものです。民間委託というのは、要するに資本の論理を取り入れるということで、ブラック化はある意味で必然とも言えるのです。もっとも、民間委託と言っても介護保険制度を通した公的なコントロール下にあり、社会福祉法人が地方公務員の天下りや再就職の場になっている現実も少なくありません。元公務員たちが、外国人研修制度の監理団体と同じように、介護労働者を管理する立場に鎮座ましましているのです。

それは介護だけではありません。福祉事務所の委託を受けて、年間数千件の葬祭扶助の葬儀を引き受けている、天下りの元公務員たちに牛耳られた社会福祉法人もあります。

介護労働者の給与の大半は、介護報酬という名の国費(介護保険)で賄われているのですが、そもそも介護報酬が低すぎるという指摘があります。そのため、零細な事業所ほど人手不足とそれに伴う利用者の減少で赤字に陥っており、全体の30%近くが赤字だという話さえあるのでした。

その一方で、介護施設をいくつも運営するような規模の大きな事業所においては、介護報酬による”内部留保”を指摘する声があります。国から支払われる介護報酬を労働者にまわすのではなく、経営者が”内部留保”として溜めこんでいるのです。そういった二極化が、福祉のブラック化を見えなくさせていると言っていました。

広島の医師が、ブログの中で、「介護業界の闇・・・、そして在宅療養の勧め」と題して、次のように書いていました。

介護施設がより多くの利潤を追求しようとすると、得られる介護報酬には上限があるため、より少ない職員数での施設運営の方向に向かうしか方法はありません。やりがいのない、賃金の安い、ハードな職場となるため、職員は次々と入れ替わっていきます。介護職員の使い捨てのような状態が生じてしまうのです。そして、それは結局入居者への不利益へとつながるのです。

https://www.matsuoka-neurology.com/posts/post5.html


また、「公益性を求められる社会福祉法人が、利益最優先の介護施設運営」に走った結果、「経営陣は介護職員の能力を軽視しており、介護の素人でも代わりがきくと考えている」と書いていました。

介護の現場で頻発する入所者に対する暴力に対して、「気持はわかるけどな」という声が多いのも、介護という仕事がもっとも低劣なやりがい搾取になっているからでしょう。「能力」や「質」が問われず、ただ低賃金・重労働でこき使われるだけの介護の現場で、仕事に誇りを持てと言う方が無理があるのです。もとより、介護の仕事を失業対策事業のようにした国の責任は大きいのです。

しかも、まるで屋上屋を重ねるように、さらに規制を緩和して介護の仕事を外国人に開放する動きが進んでいますが、それは低賃金・重労働を前提とした愚劣な発想にすぎません。そこにあるのは、プロレタリア国際主義ではなく、3Kの仕事を担う若くて安い人材がほしいという資本の論理なのです。

ビッグモーターの前社長親子と、現代のドレイのように社会の底辺で酷使される介護労働者を対比する中で、この社会のあり様を考えることは決して無駄ではないように思います。


関連記事:
『あんぽん 孫正義伝』
2023.08.02 Wed l 社会・メディア l top ▲
publicdomainq-0050822hkhnfl.jpg
(public domain)



こんなことばかり書いても仕方ないのですが、最近、世情を賑わせているビッグモーターの不正問題と札幌ススキノの頭部切断遺棄事件についても、メディアのまわりくどい報道に、何だか隔靴掻痒の感を覚えてなりません。どうしてもっとシンプルに考えることができないんだろうと思います。

■保険金不正請求の深層


昔ディラーで働いていて、その後損保の代理店に転職した知人にビッグモーターの問題を訊いたら、中古車業界や車の修理工場の根深い体質もさることながら、主因は損保会社の不作為にあると言っていました。

「保険金詐欺」とも言っていいようなビッグモーターの不正請求があれほどまかり通ったのは、損保会社が修理金額をチェックする査定を事実上棚上げしてビッグモーターのやりたい放題を黙認した上に、さらに不正行為に手を貸すかのように修理車両をビックモーターに紹介していたからです。

わざと傷を付けて修理代金を上乗せした事故車の多くは、別にビックモーターから中古車を買ったユーザーの車ではないのです。損保ジャパンをはじめとする損保会社が紹介(修理を依頼)した保険契約者の車なのです。

私も昔、車を当て逃げされた経験がありますが、翌日、当て逃げした「犯人」が名乗り出たので、保険会社に紹介された修理工場に修理を出したことがありました。修理が出来上がり、後日、送られてきた明細を見てびっくりしました。「保険だからいいようにぼったくっているな」と思いましたが、自分が支払うわけではないので苦笑するだけでした。

パーツを取り替えるより板金塗装した方が工賃が高く、修理工場が儲かるのかもしれませんが、ビッグモーターがやっていたことは、いくら高くても車の持ち主からクレームが来ることはないという、保険のシステムを悪用した手口で、業界では別に珍しいことではないのでしょう。

保険会社にしても、過大な修理代金は保険から支払い、その分は保険料の料率の改定に反映されるだけなので、自分たちの懐が痛むわけではないのです。だから、大手の代理店であるビッグモーターの売上げに手を貸すことで保険契約(特に自賠責保険)のシェアを拡大するという、”悪手”とも言うべき持ちつ持たれつの関係を築いたのでしょう。

「保険制度の根幹をゆるがす大問題」とホントに思っているなら、ビックモーターよりむしろ不正に手を貸した損保会社に対して、会社のあり方そのものを問い直すような大ナタを振るうべきでしょう。でも、所詮はトカゲの尻尾切りで終わるのは目に見えています。

■トランスジェンダーを隠れ蓑にした性犯罪のデジャビュ


一方、札幌の頭部切断遺棄事件では、小学校の頃から不登校であったという29歳の娘は、自分の性に対して定まらない、いわゆる「ノンバイナリー」の側面があったと言われています。しかもメンヘラだったのか、責任能力がないと見做されて罪を問われない可能性があるとも言われているのです。

また、被害者の男性は女装してクラブのパーティなどに出没していたそうですが、実は女装は女性をナンパするための手段だったという話も出ているのです。そのため、ススキノのいくつかの店では女性とトラブルを起こして出入り禁止になっていたそうです。

そして、究極の箱入り娘とも言える29歳の娘との間でもトラブルが生じ、スマホで撮影した娘の動画をネタに自宅にまで押しかけていたという話があります。

断片的な情報しかなく事件の概要が掴みにくいのですが、計画を主導(提案)したのは、娘ではなく父親だったと言われているのも、一家をまきこむトラブルが背景にあったからでしょう。メンヘラでトランスジェンダーの一人娘が、それこそ女装して女性トイレに忍び込む性犯罪者と紙一重のような男の魔の手に落ちたことで、世間知らずの代名詞でもあるような医者の一家が追いつめられて、あのような猟奇的と言うのか稚拙な完全犯罪と言うのかわからないような犯行に至ったというのが真相なのではないか。ここにもLGBTQで指摘されていた、トランスジェンダーを隠れ蓑にした性犯罪の問題が露呈されているように思えてなりません。

このように二つの事件に共通しているのは、被害者が単純な、、、被害者ではないということです。加害者VS被害者という単純な、、、図式で事件を見ると、事件の本質が見えなくなってしまうのです。


関連記事:
LGBT理解増進法の一歩前進とニ歩後退

2023.07.28 Fri l 社会・メディア l top ▲
たそがれの御堂筋


YouTubeで1980年代のJポップを検索していたら、坂本スミ子の「たそがれの御堂筋」の動画が出て来ました。私にとって御堂筋は、欧陽菲菲の「雨の御堂筋」ではなく、坂本スミ子の「たそがれの御堂筋」なのでした。

YouTube
たそがれの御堂筋~坂本スミ子

考えて見れば、「たそがれの御堂筋」を聴いたのは、もう30年もそれ以上も前です。今聴くと如何にも昭和の歌謡曲っぽいメロディと歌詞に、逆にしんみりとした気持になりました。

■関西汽船


私は、九州の大分県出身ですが、昔の大分は大阪の経済圏の中にありました。当時の交通手段は、今のように飛行機ではなく船でした。別府から神戸や大阪を結ぶ航路が主要な交通手段だったのです。観光客も商売人も別府と阪神間を結ぶ関西汽船に乗ってやって来ていたのです。

別府には、関汽タクシーという関西汽船系列のタクシー会社があったし、近鉄タクシーや近鉄デパートもありました。

私が出た中学は大分県でも熊本との県境にある山奥の学校でしたので、私の頃は同級生の3分の1は中学を出て集団就職をしていました。彼らの就職先は、阪神工業地帯と呼ばれていた大阪や兵庫の工場でした。

■修学旅行の思い出


中学の修学旅行も、別府から関西汽船に乗って京都・奈良に行きました。当時は小学校でもそうでしたが、修学旅行に行くと、旅行先に住んでいる親戚が面会に来るのが習わしでした。私も、神戸に伯母(母親の実姉)が嫁いでいたので、母親から「おばちゃんに連絡しようか?」「小さいときしか会ってないので喜ぶよ」と言われたのですが、恥ずかしいので「連絡しなくていいよ」と断ったのでした。

宿泊先の旅館では、親戚が面会にやって来た場合に限り、一緒に外出していいという決まりになっていました。関西には先に就職した兄姉や叔父叔母がいるケースが多いので、そういった親戚がやって来て、同級生たちは一緒に外出するのでした。

近所の幼馴染にも、大阪かどこかで働いているお姉さんがやって来ました。しかし、私たちとは年が離れているので、私もお姉さんにはまったく記憶がなく初めて会うような感じでした。幼馴染からは、「一緒に行こうよ」と言われたのですが、私は断って旅館に残ったのでした。

数時間後に外出から戻って来た幼馴染は、「御堂筋に行ってケーキを食べた」と言うのです。そのとき、坂本スミ子の「たそがれの御堂筋」が浮かんで来て、御堂筋はどんなにネオンが瞬く華やかな通りだったんだろう、と想像をめぐらしたのでした。

■御堂筋のイメージ


後年、東京の会社に勤めるようになってから、大阪にも何度か出張で行ったことがありますし、プライベートでも関西を旅行した際に寄ったことがありますが、しかし、営業所があった江坂の東急ホテルに泊まったという記憶くらいしかなく、あとはまったく印象に残ってないのでした。大阪に高校時代の同級生がいたので、出張した際、彼とどこかに食事に行ったことは覚えていますが、どこに行ったのかも覚えてないのです。私の中では、中学の修学旅行のときに頭に浮かんだ「たそがれの御堂筋」しか残ってないのでした。

東京は、仕事でも車を使っていましたので、それこそタクシーの運転手もできるくらい道に詳しいのですが、私にとって大阪はまったくの未知の世界です。未だに「たそがれの御堂筋」のイメージしかないのでした。

そして、昔の思い出に耽っていたら、脈略もなく、いよいよホンモノの黄昏がやって来たなと思ったのでした。さみしい話ですが、これから先、こんな心に残るような思い出エピソードに出会うことはもうないだろうなと思うのでした。


関連記事:
ロマンティックという感覚
黒田三郎「夕暮れ」
『33年後のなんとなく、クリスタル』
2023.07.17 Mon l 芸能・スポーツ l top ▲
publicdomainq-0064101quglxv.jpg
(public domain)



■クックパッドのリストラ


私はまったく利用しないので知らなかったのですが、クックパッドが6月に今年3度目となるリストラを発表したそうです。

2月に一部事業の停止に伴い46名の希望退職者を募集し、その翌月の3月には、海外レシピ事業からの撤退を発表して73名のリストラを断行したばかりで.した。ところが、6月には、さらに海外子会社を含むグループ全体で110人削減すると発表したのでした。

クックパットは、2022年12月期通期の連結決算では売上高が前年比9.2%減の90億8,600万円、営業損益も前年26億3,200万円から35億2,000万円の赤字拡大に陥っているのでした。

クックパッドの収益の柱は、サイトの広告とプレミア(有料)会員の会費ですが、そのプレミアム会員も2018年に200万人だったのが2022年には168万人に減少しているのだそうです。

要因としては、競合サイトの乱立や料理系ユーチューバーの台頭があると言われています。とりわけ、動画コンテンツに乗り遅れたことが大きいと指摘する声が多いのです。

■集合知の末路


しかし、私は、次のようなユーザーの声にいちばんの要因が示されているような気がしてなりません。

サイト利用者からの投稿によって掲載レシピ数を増やしてきたクックパッドだが、逆にレシピの数が増えすぎたために、利用者の間からはレシピのチョイスに迷ってしまうといった声が上がっていたようだ。

また同時に、レシピのクオリティも基本的には素人による投稿なだけに玉石混交、ぶっちゃけていえば“ゴミレシピ”と呼ばれるような、あまり役に立たないレシピが増えたにも関わらず、その状況を半ば放置したのも悪手だったとの指摘も。特に酷いケースだと、離乳食レシピにも関わらず、はちみつが入ったものも以前は多くあったようで、そのことが大いに叩かれたことも過去にはあった。

さらに、そういった“ゴミレシピ”が、普通に検索サイトなどでレシピを探している時に“サジェスト汚染”よろしく多く引っかかることも、クックパッドへの嫌厭に繋がったようで、そういった層は、食品メーカーや調味料メーカーなどが運営するレシピサイトなどに流れたようだ。

MONEY VOICE
クックパッド、今年3度目となるリストラ断行の異常事態。増殖する“ゴミレシピ”放置と動画対応への遅れが致命傷に?


つまり、ここに示されているのは、Googleがウェブ2.0で華々しく唱えた「集合知」の末路とも言うべきものです。

誰もがネットを利用するようになるにつれ、ネットが「常に水は低い方に流れる」ようになり、「集合知」と言っても玉石混交で、それを見分ける手間とリテラシーが求められるようになったのです。ネットを覆ったのは、「集合知」ならぬ「集合」だったのです。

動画に乗り遅れたという話も、YouTubeがアルファベット(Googleの持株会社)の収益の足を引っ張っていることに象徴されるように、タムパやコスパの風潮の中で、動画投稿も頭打ちになりつつあります。その意味では、クックパッドは二周遅れているとも言えるでしょう。

■ネットの錬金術の終わり


それどころか、検索さえ、チャットGTPのようなAIによるチャットボットに代わるのではないかと言われているのです。そうなれば、検索対象とダイレクトにつながるので、今のように検索エンジンで表示される、広告と検索がごっちゃになったような検索結果の候補リストなど、誰も見向きもしなくなるでしょう。

ネットを支配してきたGoogleが用済みになったら痛快ですが、それもあり得ない話ではないのです。

このように、クックパッドの苦境は、(スマホ以来の)大きな転換期を迎えたネットの今の状況を体現していると言っていいのかもしれません。それは、タダで集めた口コミ(ゴミ)に広告を付けて宝にするという、ネットの錬金術とも言うべき典型的なビジネスモデルが終わりつつあるということでもあります。そのビジネスモデルによって広告に依存したネットの”無料経済”が成り立っていたのですが、既に”無料経済”も遠い昔の話になっています。だからと言って、サブスクに移行するのも簡単ではなく、まるで雨後の筍のように乱立してお金と時間の取り合いをすれば、収益化のハードルが高くなるのは当然でしょう。

「先行者利益」という言葉がありますが、クックパットはネットの黎明期から事業を始めた「料理レシピのコミュニティウェブサイト」(Wikipediaより)の文字通り先行者だったのです。でも、わずか20年足らずで苦境に立たされているのです。
2023.07.16 Sun l ネット l top ▲
DSC01229.jpg



■痛ましいという言葉しか見つからない


ryuchell の自殺のニュースを聞いたとき、男性の同性愛者は、異性愛者と比べて自殺未遂の割合が6倍近く高いという統計を思い出しました。ゲイとトランスジェンダーを一緒くたにするのは批判があるとは思いますが、SNSの誹謗中傷も含めて、ryuchell は私たちが想像する以上に生きづらさを抱えていたのでしょう。

ryuchell の生きづらさを考える上で、下記のカルーセル麻紀の言葉が参考になるように思いました。

集英社オンライン
〈ryuchellさんを偲んで〉カルーセル麻紀、自らも苦しんだホルモンバランスの崩れと誹謗中傷「昔は見世物、コンプライアンスはあったもんじゃなかった」「男が女に生まれ変わるには想像を超える痛みと苦しみが待ってるのよ」

ryuchell もまた、森鴎外と同じように、「夜中、忽然として座す。無言にして空しく涕洟」していたのかもしれません。

年を取ると、世の中から邪魔扱いをされているような気がして、いっそう孤立感を抱くようになりますが、27歳という若さで家庭を持ち子どもさえいながら、それでも生きづらさを抱えて自死を選ばざるを得ないというのは、痛ましいという言葉しか見つかりません。

それにしても、この所詮は他人事、、、、、、の大合唱は何なんだと思います。ネットの時代になり、有名人の悲劇について、一般の人々がSNSを使ってさまざまな(勝手な)意見や感想を公開するようになったのですが、しかし、それは所詮は他人事、、、、、、が公けになりさらに輪を広げて拡散すること以上の意味はないのです。ありていに言えば、有名人の宿命とは言え、単に晒し者にされているだけです。

もうひとつ、SNSなどで誹謗中傷した人間たちがやり玉に上がっていますが、そういった「バカと暇人」を煽った者たちがいるということも忘れてはならないでしょう。

コメント欄を使ってバズらせ、ニュースをマネタイズすることしか考えてないYahoo!ニュースのようなネットメディア。自社サイトへ誘導するために、コタツ記事で過剰に劣情を煽る週刊誌やスポーツ新聞などのオワコンメディア。末端の実行犯ばかりが叩かれていますが、彼らこそが指示役なのです。そんな彼らは、今になって口を拭いきれいごとを並べているのでした。

■濃褐色の血尿


昨日の朝、起きてトイレに行ったら、白い便器の中に濃褐色の尿が流れ出ました。今までも何度も経験していますが、やはり少なからずショックを受けました。

夜中には右足が攣って目が覚めたのでした。いつもだとふくらはぎが攣ることが多いのですが、今回は関節の裏あたりが攣って足を動かすこともできないほどでした。何とか片足でベットから起き上がり、痛み止めを飲んで再び寝たのでした。

そして、朝の濃褐色の血尿です。夜はエアコンを点けずに、窓を開け放して扇風機をかけて寝たのですが、そのためか全身は汗びっしょりで、トイレから戻っても汗が止まりませんでした。しかも、右脇腹が痛く、冷や汗さえ出るようになったのでした。

再びベットに横になったものの、右脇腹の痛みが増し身もだえするようになっていました。私は、何の根拠もなく、これはもしかしたら熱中症かもしれない、と思いました。山で熱中症になり、夢遊病者のようにフラフラになって、やっとの思いで下りてきたという話をこのブログでも書いていますが、吐き気はなかったものの、汗が止まらないのは似ているような気がしたのです。

でも、あとで冷静になって考えれば、熱中症で脇腹が痛くなるはずはないのです。

とりあえず、もう一度痛み止めの薬を飲み、同時に経口補水液を水に溶かして、それを飲みました。そして、浴槽にお湯を入れて風呂に入ったのでした。前に尿管結石になったとき、風呂に入ったら痛みが和らぐことを学習していたからです。

このように、私の中では熱中症と尿管結石がごっちゃになり、支離滅裂なことをしていたのでした。

風呂に浸かると、睡眠不足ということもあってか、睡魔に襲われ、いつの間にか湯舟の中で眠ってしまいました。1時間くらい眠って目が覚めたのですが、脇腹の痛みもかなり収まっていました。

風呂から上がると、ネットを観る余裕も出ていました。それで、椅子に座ってネットをチェックしていたら、いつの間にか脇腹の痛みが消えていたことに気付いたのでした。

痛みも取れ、やっと落ち着いたら、今年の初め、かかりつけの病院で、尿検査をしたら血が混じっている、と指摘されたことを思い出したのでした。その半月前に、今回と同じように濃褐色の血尿が出て、そのあと茶こしで尿を確認していたら石がポロリと出たことがあり、私は、体内の石が全て排出され、これで暫くは尿管結石から解放されると勝手に思っていたのですが、そうではなかったのです。しかし、何故か、昨日の朝は病院で指摘されたことをすっかり忘れ、熱中症かもしれないなどと思って、支離滅裂なひとり芝居を演じたのでした。

最近はこのように冷静さを失って勘違いすることも多くなっています。私はもともとネガティブな人間で、ものごとを悪い方に解釈する傾向がありますが、それは対人関係においても同じです。人当たりはすごくよくて愛想もいいので、誰も私が”人間嫌い”だと露ほども思ってないと思いますが、しかし、心の中はまったく逆なのです。いつも疑心暗鬼にとらわれ、他人を信用することはありません。そして、年を取れば取るほど、その傾向が強くなっているのでした。

■身体は文化を内蔵する


それにしても、人間というのは現金なもので、肉体的な不調や痛みがあると、何とかしてその不調や痛みから逃れたいという気持ばかりが強くなり、悩みなどはどっかに行ってしまうのでした。

山に登っていると、よけいなものが削ぎ取られて考えることがシンプルになると言いますが、〈身体的〉というのはそういうことでしょう。

「健全なる精神は健全なる身体に宿る」というのは、極めて不適切で反動的な言葉ですが、ただ、精神と身体が不可分の関係にあるという意味においては、私たちの身体の本質を衝いているとも言えるのです。

「身体は文化を内蔵する」と言ったのは、身体論で有名な哲学者の市川浩ですが、ryuchell の生きづらさもそこから来ていたのではないかと思ったりもするのでした。文字通り身を裂かれるような気持だったのかもしれません。私たちの身体からだは、頭で割り切ればいいというような、そんな簡単なものではないのです。
2023.07.15 Sat l 訃報・死 l top ▲
2589739.jpg

(イラストAC)



■ETCからも排除される暴力団員


今年の2月、産経新聞に次のような記事が出ていました。

産経新聞 THE SANKEI NEWS
ETC不正利用容疑で 山口組直系組長3人ら計11人逮捕

つまり、家族や親族名義のETCカードを使って高速道路を走行したことで、ETCを使って割引になった分をだまし取ったとして、電子計算機使用詐欺の疑いで逮捕されたという、目を疑うようなニュースです。

暴力団員の話なので、ざまあと言いたくなりますが、しかし、こういった権力の言いがかりが通用するような社会は怖いなと思いました。何でもありというのはこういうことで、その言いがかりがいつ自分たちに向かってくるやもしれないのです。

この記事は家族や親族名義のカードを使ったという話ですが、クレジットカードを持つことができない暴力団員は、普通はクレジットカードと紐づけてないデポジット式のETCパーソナルカード(パソナ)を使っているケースが多いそうです。「パソナ」の利用規約の中にも暴力団員の申し込みを拒めるとは明記されてなかったのだとか。

ところが、今年の3月から、高速道路6社は、暴力団員が「パソナ」の申し込みができなくなるように規約を改定したそうです。よって今年の3月以降、暴力団員は実質的に高速道路を利用することができなくなったのです。上記の摘発は2月なので、事前に警告する狙いもあったのかもしれません。

■金融庁の「通達」


そもそも暴力団員が銀行口座やクレジットカードを持つことができなくなったのは、1992年に施行された暴対法(暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律)を根拠に、監督官庁である金融庁が、金融機関に暴力団を排除するように「通達」を出したからです。銀行口座やクレジットカードの禁止は、法律に定められているわけではなく、一官庁の「通達」によって行われているのです。

もちろん、ヤクザの肩を持つ義理も由縁もありませんし、それどころか、ヤクザは私たちの日常生活においても、時と場合によってはいつ牙を向けてくるかもしれないような迷惑な存在ですが、それはそれです。ヤクザであれ何であれ、基本的な人権である生存権を奪うようなことが一官庁の「通達」でまかり通ってしまうことには、法治国家として首を傾げざるを得ません。

暴対法に従って全国の自治体で制定された暴排条例(暴力団排除条例)では、暴力団員は市営住宅や県営住宅など公営住宅にも入居できないように定められています。それどころか、賃貸契約に暴力団排除条項が入っていれば、民間住宅の賃貸契約も禁止(もしくは解除)されるのです。もちろん、土地や家屋の売買も同様です。暴力団員は日本国籍を持つ日本国民でありながら、制度的には日本国内に住む家を持つことができないのです。

もちろん、ETCや住宅だけではありません。前も書きましたが、暴排条例の「利益供与の禁止」によって、葬式もできない、宅配も利用できない、何もできないのです。

でも、(ここからが不思議ですが)現実には彼らは普通に生活しています。ホームレスになっているわけではないのです。それどころか、私たちよりいい生活をしています。

■暴対法や暴排条例の当然の帰結


昔、知っている女の子が不動産会社に就職したら、あとでその会社がフロント企業だったことがわかったという話がありました。それで、辞めるときのトラブルを怖れて、親の伝手で警察の幹部に頼んで辞めたのですが(でも、実際は女の子の取り越し苦労で普通に辞めることができたそうですが)、その女の子が言うには、事務所には普段から刑事がよく訪れていたそうです。用事もないのにふらりとやって来て、ソファに座って新聞を読んだり、お茶を飲んでバカ話をしたりしていたのだとか。女の子の目には、警察とヤクザの“癒着”に映ったようですが、担当者の刑事はそうやって情報収集を行っていたのでしょう。しかし、暴対法以降、そういったこともなくなったはずです。そのため、警察の情報収集能力が格段に落ちたと言われているのでした。

フィリピンを拠点にしたルフィ一味による特殊詐欺や強盗などが、暴対法以後の状況を象徴しているように思いますが、暴対法と暴排条例でがんじがらめに縛られた彼らは、直接手を下すのではなく、周辺にいる悪ガキたちを使って“裏稼業”を行なうようになったのでした。ルフィなんてただの使い走りのチンピラにすぎないのです。

彼らは暴対法に対応するために、あのようなSNSを駆使した巧妙なシステムを作って地下に潜ってしまったのでした。そのため、捕まるのは末端のチンピラだけで、元締めには手が伸びることはなくなり、警察は無能みたいに言われるようになったのでした。メディアは、チンピラを指示役だと言っていますが、指示役の上にはさらに指示役がいるのです。警察も金融庁も所詮は公務員なので、ヤクザは公務員の事なかれ主義の体質を逆手に取っているような気がしないでもありません。

YouTubeが新しいシノギになっているという話も同じです。彼らにとって、Googleの建前や本音とYouTubeのいかがわしさは格好のターゲットと言えるでしょう。

ルフィ一味の犯罪も、センセーショナルに報道されたわりには、結局、大山鳴動して鼠一匹に終わる公算が大ですが、それは役人的発想にすぎない暴対法や暴排条例の当然の帰結と言えなくもないのです。

■「駅前やくざは、もういない」


坂口安吾が『堕落論』で書いていたように、人間というのは社会制度の粗い網の目からこぼれ落ちる存在なのですが、況やヤクザにおいてをやという気がします。

猪野健治は、名著!『戦後水滸伝』(現代評論社・1985年)の中で、戦後の混乱期に出現した「新興アウトロー集団」が、博徒やテキヤと言った伝統的なヤクザ組織とは一線を画す”戦後ヤクザ”の基礎を作った、と書いていました。そういった新興の”戦後ヤクザ”が、暴対法やSNSに対応する現代のアウトローの系譜に連なっているのです。

 占領軍による軍政下に展望を失った政治権力とおよび腰、、、、の共産党――その間隙にたくましく芽ぶいていたのが、大小無数のアウトロー集団だった。
 それらのアウトロー集団は、戦前の博徒やテキヤとは、無縁の実力部隊であった。その構成層も、戦前のそれとはまるでちがっていた。復員軍人、特攻くずれ、元官史、ボクサー、旧制大学生、農民、土方の現場監督、元博徒、旧制中学の番長、現職新聞記者、引揚者、元共産党員、元教師、元テキヤ、元銀行員、漁夫、船員あがり‥‥などあらゆる階級の出身者が加わっていた。
 だから彼らは伝統や習慣にとらわれることなく、力のおもむくまま、露店、賭博、集団強盗、詐欺、強奪、恐喝、用心棒、債権とりたてなどありとあらゆる分野に手を出した。
 もてる者から奪い、仲間で分配すること――それが彼らの行動論理だった。
(『戦後水滸伝』・序章 ヤクザ維新)


「この『義侠の血』は、日本のアウトロー独自の情念的なもの」だ、と猪野健治は書いていました。

メディアは、暴対法や暴排条例によって、ヤクザはシノギができなくなり青息吐息だとか、若い組員たちは「ヤクザになったことを後悔している」などと言っていますが、それは権力にベッタリのメディアが暴対法や暴排条例の効果を宣伝しているだけです。

竹中労は、「駅前やくざは、もういない」と書いていましたが、たしかに駅前からヤクザの姿は消えたけど、しかし、彼らは今様に姿かたちを変え、ネットやSNSの奥でしたたかに生き延びているのです。


関連記事:
「ヤクザと憲法」
2023.07.13 Thu l 社会・メディア l top ▲
DSC03263.jpg
(山下公園)



■政治なんてものはない


前の記事からの続きになりますが、年金だけでは生活できないのでアルバイトを探しているけど、アルバイト探しにも苦労しているという70歳の知り合いのせつない話を聞くにつけ、私は〈政治〉というものについて考えさせられました。そして、吉本隆明の「政治なんてものはない」(『重層的な非決定へ』所収)という言葉を思い出したのでした。

指導者の論理と支配者の論理というのは、自分の目先の生活のことばかり考えているやつは一番駄目なやつで、国家社会、公共のことを考えてるのがそれよりいいんだみたいな価値観の序列があるんですよね。ところが僕は違うんです。僕は反対なんです。自分の生活のことを第一義として、それにもう24時間とられて、他のことは全部関心がないんだって、そういう人が価値観の原型だって僕は考えている。


これは、前も紹介しましたが、NHK・Eテレの吉本隆明を特集した番組(戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか 2014年度「知の巨人たち」「第5回 自らの言葉で立つ 思想家~吉本隆明~」)の中で取り上げられていた吉本隆明の発言です。

高齢のためにアルバイトすらなかなか見つけることができない。見つかっても警備員のような薄給で体力的にきつい仕事しかない。アルバイトの現場では、外国人の若者の方がはるかに労働力として重宝され、彼らができない仕事を落穂拾いのように与えられるだけ。

そんな現実の中で出会った(出会いつつある)のが、「外国人排斥」に繋がりかねないような〈政治〉です。「自分の生活のことを第一義として、それにもう24時間とられて、他のことは全部関心がない」彼にとっての〈政治〉がそれなのです。

昨日(7月8日)は安倍銃撃からちょうど1年でしたが、親ガチャで過酷な人生を歩むことを余儀なくされた山上徹也容疑者にとっての〈政治〉は、安倍晋三であり旧統一教会だったのでしょう。

■革命は胃袋の問題


日々の生活に追われ、自分の生活を一義に考えていく中で、阻害要因として目の前に立ちはだかるのが〈政治〉なのです。与党か野党かとか、政党支持率がどうかとか、投票率がどうとかいったことは二義的なことで、日々の生活に追われ、自分の生活を一義に考えている人々にとっては、どうでもいいことなのです。

でも、メディアに出ている識者やジャーナリストは、そんな「どうでもいいこと」を政治としてあげつらい、大事なもののように言うのです。生活者が無関心なのは当たり前なことなのに、無関心ではダメだ、だから政治がよくならないのだ、と説教するのでした。

日々の生活に追われる人々にとって、もっとも切実で大事な問題は今日のパンを手に入れることです。そして、パンが手に入らないとき、初めて〈政治〉と出会うのです。竹中労は、革命は胃袋の問題だと言ったのですが、とどのつまりそういうことでしょう。

ちなみに、吉本隆明は、埴谷雄高との論争の過程で書かれた「政治なんてものはない」という文章の中で、「革命」について、次のように書いていました。

「革命」とは「現在」の市民社会の内部に厖大な質量でせり上がってきた消費としての賃労働者〈階級〉の大衆的理念が、いかにして生産労働としての自己階級と自己階級の理念(およびそれを収奪している理念と現実の権力――その権力が保守党であれ革新党であれ――)を超えてゆくか、という課題だと考えております。
(『重層的な非決定へ』・埴谷雄高への返信)


しかし、これは、新旧左翼と同じように、大いなる錯誤だとしか言いようがありません。何だかシャレみたいに上げたり下げたりしていると思うかもしれませんが、吉本隆明もまた、上か下かの視点が欠如した市民的価値意識に囚われた人なのです。

武蔵小杉や有明のタワマンの住人に向かって、「子育て大変ですよね」「私たちは皆さんの経済的負担を軽減したいと考えています」「皆さんの味方になりたいのです」と演説している、左派リベラルの政党なんて「敵だ」「クソだ」と思われても仕方ないでしょう。”下”の人々にとって、そんなものは〈政治〉でもなんでもないのです。

宗教二世に限らず、多くの”下”の人々が山上徹也容疑者に共感するのも、彼の生活や人生に自分と重なるものがあるからでしょう。


関連記事:
二発の銃弾が暴き出したもの
2023.07.09 Sun l 社会・メディア l top ▲
DSC03273.jpg



■労働市場から弾き出される中高年


70歳になる知り合いがいて、年金だけでは生活できないのでアルバイトを探しているけどなかなか見つからず苦労している、という話をしたことがありますが、昨日、その知り合いと久しぶりに会って中華街で食事をしました。

彼は、自分たちにまわって来る仕事は、20年も30年も前からまったく時給も上がってないような底辺の仕事しかない、と嘆いていました。たとえば、警備員などがその典型で、警備員になるには本籍地の役所が発行する身分証明書が必要なので、実際は日本国籍の人間しかできない仕組みになっているそうですが、そのため、いつまで経っても時給が上がらない、と言っていました。

どういうことかと言えば、今の非正規の労働市場は、「若ければなんでもいい、国籍を問わない」という感じなのだそうです。外国人労働者の流入によって、今まで日本人の中高年がやっていたような仕事も、とにかく若い人材を求めるようになっているのだとか。そのため、年齢の高い非正規の労働者が労働市場から弾き出されるようになっていると言うのです。

しかも、警備員に見られるように、日本人に限定される(若い外国人を雇用できない)仕事は、逆に低賃金のまま据え置かれるという“逆転現象”さえ生まれているのです。ありていに言えば、単純労働の市場では、年老いた日本人より若い外国人の方が付加価値が高いという、身も蓋もない市場原理がはたらきはじめているのです。

彼の話を聞きながら、何だかこっちまでつらい気持になりました。そして、以前、高齢化社会を扱ったNHKの番組の中で流れていた、「歳をとることは罪なのか」という言葉を思い出したのでした。

要は、日本の過酷な老後の現実と照らし合わせた上で、外国人労働者の問題をどう考えるかでしょう。その問題を資本の論理に任せるだけでホントにいいのか、ということです。

■資本の論理


今日、近所の「まいばすけっと」というイオンが展開しているミニスーパーに行って外に出たら、そこに納品のトラックがやって来ました。トラックを見ると、助手席には黒人の青年が首にタオルを巻いて乗っていたのでした。それは、運送業界の「2024年問題」が取り沙汰される中で、助手を付けて運転手の負担を少しでも軽減しようという付け焼刃の対策なのかもしれませんが、納品の補助をするのも、今や外国人労働者が起用されるようになっているのでした。それともう一つは、ゆくゆくは彼らのような若い外国人を運転手として育成しようという思惑もあるではないかと思いました。

人手不足と言っても、それは若い人材が不足しているという話にすぎません。高齢の労働者は、人手不足だと騒がれている中でも、相変わらず仕事探しに苦労しているのです。人手不足ではないのに、人手不足にされているのです。そうやって労働市場の埒外に置かれているのでした。

知り合いは駐車場の係員の面接に行って、「愕然とした」という話をしていました。けんもほろろに断られて、帰りに駐車場を見ると、そこにはパキスタンかネパールの40代くらいの男性が二人働いていたそうです。特別の技能も知識も必要ない単純労働では、国籍は二の次で、とにかく若けりゃいいという、身も蓋もない考えがまかり通っているのです。それが、資本の論理なのです。

■重宝される若い移民たち


これでは、日本でも早晩、ヨーロッパと同じように移民排斥の声が大きくなっていくでしょう。移民を入れるかどうかという論議自体がナンセンスなほど、既に日本はなし崩し的に“移民大国”になっているのですが、「若けりゃなんでもいい、国籍を問わない」という資本の論理によって、若い移民たちが今後益々重宝されるようになるでしょう。国連の自由権規約委員会の調査報告で、「人身取引き」と指摘された技能実習制度の見直しもはじまっていますが、しかし、それは、必ずしも人権尊重やヒューマニズムから外国人労働者の待遇の「改善」がはかられているわけではないのです。土木建設や農業や漁業や介護だけでなく、あらゆる単純労働の現場に若い人材がほしいという、資本の要請によるものが大きいことを忘れてはなりません。それを、左派リベラルがあたかも自分たちの運動の成果であるかのように言い募っているだけです。そこに大いなる錯誤と誤魔化しがあるのです。

ヨーロッパでは、移民反対の先頭に立っているのは、移民として先にやって来たマイノリティーたちだと言われています。つまり、自分たちの仕事があとから来た若い移民たちに奪われるからです。

でも、日本の場合は、ヨーロッパと比べて社会保障制度が遅れているので、年金のレベルも低く、年金を受給しながら生活のために働かなければならない高齢者が多く存在します。そのあたりがヨーロッパと事情が異なるし、問題はもっと深刻だと言えます。

日本で移民排斥の声が高まれば、中国や韓国に対する民族排外主義とは比べものにならないくらい、極右の台頭と社会の分断をもたらすことになるでしょう。

「爺さんや婆さんに仕事がないのは当たり前。早く死んで楽になれよ」なんて悪態を吐いているネットの(頭の弱い)若者たちにしても、やがて外国人労働者との間で職の奪い合いをしなければならないのです。そして、年を取って夫子自身が「爺さん」や「婆さん」になれば、若い外国人労働者に職を奪われることになるのです。資本主義社会では、「共生」など絵に描いた餅にすぎないのです。

生き延びるために資本は国家を易々と乗り越えるけど、私たち個人は〈国民〉という概念や身分に縛られたまま、国家の中で(そして、その理不尽さの中で)一生を送るしかないのです。

■観念の先を行く現実


観念的に「差別は悪い」「移民排斥は間違っている」と言っても、現実は既に観念の先を行っているのです。「万国の労働者団結せよ」というスローガンも、(昔から言われていたことですが)めぐまれた本工の話にすぎません。まぎれもない労働者でありながら、左派の運動の中でも排除されてきた底辺の労働者たちが、移民排斥に動員されファシズム運動に組織されるのは杞憂とは言えないでしょう。

左派リベラルには、「ざまあみろ」「笑わば笑え」という気持しかありません。「差別は悪い」「移民排斥は間違っている」と言っても、負の感情に支配された人々からは冷笑されるだけでしょう。シャンタル・ムフではないですが、「闘技」の政治を回避してひたすら中道化して行った彼らには、もはやどこにも出番はないのです。それどころか、〈革命〉はファシストに簒奪され、右派の政治の代名詞にさえなってしまったのでした。


関連記事:
殺伐とした世の中
2023.07.04 Tue l 社会・メディア l top ▲
IMG03a46859_20230703000029164.jpg




■同級会の案内状


地元にいる高校時代の同級生から、同級会の案内状が届きました。私の出た高校には各地に同窓会があって、関東地区の同窓会の世話役も同級生がやっているのですが、それとは別に、地元の同級生が個人的に計画した同級会のようです。

今回の同級会については、私も事前に知っていました。地元にいる別の同級生から電話があった際、「同級生の○○知っているやろ。あいつが中心になって同級会を計画しているらしい。この前会ったときそう言っていた」という話を聞いていたからです。

ただ、会場を探すのに苦労していると言っていました。と言うのも、観光地なのでホテルなど会場になる施設はいくらでもあるのですが、どこのホテルも人手不足で宴会を受け入れることができないと断られるのだとか。特に仲居さん不足が深刻なのだそうです。

■観光地の勢力図


私が知っている頃は、大きな観光ホテルには「副支配人」や「営業部長」などという肩書の名刺を持った専属の営業マンがいて、宴会や団体旅行の勧誘のために県内の役所や企業などを回っていました。

昔は役場や農協などに関連する団体がお得意さんだったのです。また、会社も忘年会などは泊まり込みで行くことが多かったのでした。

もちろん、ホテルと言っても全国チェーンのホテルではなく、昔からやっている地元の温泉ホテルです。温泉地なので、働いている人も、(言い方は悪いですが)いろんな事情を抱えて「流れて来た」人も多かったのです。

でも、今はそんな地元のホテルや旅館はどこも苦戦しており、廃業したり買収されたところも多いようです。その一方で、まるでハゲタカのように全国的に名の知れたホテルチェーンなどが進出してきて、観光地の勢力図は大きく塗り替えられているのでした。

因みに、同級会の案内状を送って来た同級生の実家も温泉ホテルでしたが、既に廃業しているそうです。同級生の中には何人かホテルや旅館の息子がいましたが、いづれも廃業していると言っていました。

■みんな買収された


昭和の終わり頃から、団体旅行や社員旅行などがだんだん姿を消していったのでした。このブログで何度も書いていますが、私は、山奥の過疎の町から親元を離れて観光地にある高校に入ったのですが、年に何回か父親が団体旅行でやって来るので、そのたびに旅館を訪ねて小遣いを貰ったりしていました。父親だけでなく母親も、婦人会の旅行でときどき来ていました。

旅行と言っても、実際はただ宴会するために訪れるにすぎません。私の田舎も旅館が10軒くらいある山奥の温泉場だったので、わざわざよその温泉場に行く必要もないだろうと思いますが、昔はそうやって街に出ることが楽しみでもあったのでしょう。しかも、利用する旅館も決まっていたのでした。それぞれの町や村にはご用達みたいな旅館があったのです。

もっとも、今をときめく湯布院温泉や黒川温泉も、昔は鼻の下を伸ばした男たちが行くピンク色の温泉地でした。前も書いたかもしれませんが、近所のおいさん、、、、(おじさんのこと)が、黒川の枕芸者に会うために、夜毎、高原の道をバイクを走らせていたのは子どもの間でも有名でした(親の噂話を盗み聞きしてみんなに触れ回っただけですが)。しかし、湯布院や黒川は、小さな温泉地で小回りが利いたので、時代の波にうまく乗って従来のイメージを一新することに成功したのでした。

そして、瀕死の状態にある温泉地にトドメを刺したのが、今回の新型コロナウイルスだったと言えるでしょう。友達も言っていましたが、地元の温泉ホテルは韓国や中国の資本に買収されているそうです。私が知っているホテルの名前を次々にあげて、「みんな買収された」と言っていました。

■ポン引きのおばさん


仲居さん不足をもたらしたのは、昔からの仲居さんが高齢化して、引退したことが大きいのかもしれません。仲居さんもまた、「流れて来た」人が多かったのです。

前に帰省した折、飲食店をやっている友達の店に行こうとしたら、道がわからなくなり、たまたま路地の角で客引きをしていたお婆さんに店の場所を訊いたら、何と店まで案内してくれたことがありました。

友達にその話をしたら、「ああ、あの婆さんにはときどき小遣い銭を渡しているんだ」と言っていました。そうすると、観光客を連れて来てくれるのだそうです。

で、この前電話があった際、「あのポン引きのお婆さんはまだ元気か?」と訊いたら、生活保護を受給して施設に入ったと言っていました。友達の話によれば、(多分離婚して)若い頃「流れて来て」、飲み屋で働いたり仲居をしたりしているうちに、旦那を見つけて「二号さん」になり面倒を見て貰っていたそうです。そして、旦那亡きあとは街頭に立って客引きで生活費を稼いでいたのです。ポン引きは、余所者が集まる色街において、相互扶助みたいな側面もあったのです。

高校生の頃、友達の家に行くのにポン引きが立ち並ぶ裏通りを歩いていると、私は体格がよかったので、「お兄ちゃん、遊んで行かない。安くするよ」と次々と声がかかるのでした。でも、高校生の私には、ズボンのポケットに100円玉や10円玉が数個しか入っていません。そのため、「申し訳ございません」というような恐縮した気持で通ったことを覚えています。

今のように社会が整序化されシステム化される前の時代は、たしかに暴力が身近にあり人の欲望もむき出しになった荒っぽい社会だったけど、しかし一方で、そのように人の温もりのようなものがあったし、お互いに助け合う精神も健在だったのでした。

私が高校生の頃は繁華街の路地はポン引きだらけで、温泉街の風物詩と言ってもいいような光景がありましたが、今はポン引きのおばさんを見かけることもほとんどなくなりました。

■インバウンドのもう一つの顔


とは言え、韓国などから来るおっさんたちの目的が、ゴルフと買春であることには変わりがありません。中国政府の方針でまだ復活していませんが、中国からやって来るおっさんたちの団体も同じです。それは、テレビが決して伝えることがないインバウンドのもう一つの顔なのです。昔は、日本人がゴルフと買春のために韓国に行っていましたが、いつの間にか逆になっているのでした。

東京などには外国人観光客専門の風俗も多いそうで、東京の若い女性の間に梅毒が流行しているのも、それと無関係ではないと指摘する人もいるくらいです。

日本は、いつの間にか「安い国」「買われる国」になったのです。しかも、テレビやYouTubeなどは、それをさも自慢であるかのように「ニッポン凄い!」と伝えているのでした。
2023.07.01 Sat l 社会・メディア l top ▲
DSC05731_20230629175303b8a.jpg



■「自殺幇助」容疑に対する疑問


4代目市川猿之助の逮捕の容疑が(母親に対する)「自殺幇助」ということに対して、頭を捻らざるを得ません。

メディアの報道によれば、両親の死因は向精神薬による中毒だそうです。市川猿之助が普段服用していた2種類の向精神薬を両親に渡して、死に至らせた(自殺を幇助した)ということのようです。

しかし、私たち素人の知識でも、向精神薬は相当な量を飲まなければ致死に至らないはずです。現実的には、向精神薬で死ぬのは不可能と言う専門家もいるくらいです。しかも、一方で、パジャマ姿で床に横たわっていた両親の顔に、ビニール袋を被せたと供述しているのです。ということは、向精神薬で眠った状態の両親に、ビニール袋でトドメを刺したという風に考えることもできるのです。少なくとも、市川猿之助はそのつもりでビニール袋を被せたのでしょう。

しかも、一家心中を提案し自分もあとを追って死ぬつもりの人間が、そのあとビニール袋を外のゴミ置き場に捨てに行っているのです。その不自然さをどう考えればいいのかと思います。まるで証拠隠滅をはかったような(そう受け取られても仕方ないような)行動を取っているのでした。警察発表では、顔に被せたビニール袋は、死因にはまったく関係ないということになっているのですが、何だか腑に落ちないものがあります。

■ホントに家族みんなで死ぬことに合意したのか?


市川猿之助は一人っ子だったので、家族3人でひっそりと暮らしていたと書いているメディアがありましたが、だったら、死のきっかけになったと本人も言っている『女性セブン』の記事とはまったく矛盾します。

『女性セブン』の記事では、ホテルでパーティを開いて、そこで男性のスタッフに対するセクハラが行われていた、と書かれているのです。目黒の家では、お母さんが老老介護で寝たきりのお父さんの面倒を見ていたのはたしかでしょう。しかし、一人息子の市川猿之助は、そんなことはお構いなしにセクハラパーティを頻繁に開いていたのです。私には“バカ息子”みたいなイメージしかありません。

そもそも家族みんなで死ぬことに合意したという話も、額面通りには受け取れない気がします。父親の四代目市川段四郎氏は、既に寝たきりで、自分の意志を表明することもできない状態だったと言われています。

一人息子でめいっぱい甘やかされて育てられた梨園のボンボンが、自分の恥部を晒されたので、「もう生きていけない」と母親に泣きついたと考えた方が真実に近いような気がするのです。

泣きつかれた母親が、「じゃあ、みんなでさよならしようね」と提案したとは思えず、意地の悪い言い方をすれば、猿之助が「ママ、一人で死ぬのは嫌だ。みんなでさよならしよう」と説得したと考えた方が自然でしょう。溺愛した一人息子からそう説得された母親が、息子を不憫に思って同意したのかもしれません。

まして、自分の意志を表明することもできない状態の父親は、同意するもなにもないのです。だから、父親に対する容疑がポイントになると言われているのでしょう。

■市川猿之助より広末涼子の方が”重罪人”


それにしても、市川猿之助の報道に関して、歌舞伎界に対するメディアの腫れ物を触るような気の使いようには呆れるほかありません。松竹への忖度なのか、逮捕前までは、市川猿之助はまるで”悲劇の主人公”でもあるかのように言われていたのです。だから、梨園にはやりたい放題の”バカ息子”が多いのでしょう。

前に、ジャニー喜多川氏の性加害より広末涼子の「W不倫」の方が罪が重いと書きましたが、市川猿之助の「自殺幇助」も同じです。芸能マスコミの手にかかれば、市川猿之助より広末涼子の方が”重罪人”であるかのように流布されるのでした。それは、市川猿之助の一家心中(とされるもの)は古い家族制度を連想させる一方で、広末涼子の「W不倫」は家族制度に反旗を翻すように映るからでしょう。

山口真由氏は、広末涼子のバッシングに対して、次のようにツイートしていましたが、まったくそのとおりでしょう。


メディアは、アンシャンレジュームを代弁する鼻くそでしかないのです。それは、やがて姿を消す運命にあるメディアの最後のあがきのようなものかもしれません。

〈結婚〉や〈家族〉や〈夫婦〉といったものは、広末涼子をバッシングするような(「不倫」を断罪するような)そんな価値観のもとにはもうないのです。何度も言いますが、資本主義社会はもはやそんな段階にはないのです。卑俗な言い方をすれば、みんな陰では「不倫」しているし、チャンスがあればしたいと思っているのです。「異次元の少子化対策」なるものがトンチンカンで滑稽なのは、にもかかわらず古い家族(結婚)制度を前提にしているからです。社会の構造が変わり、それに伴って働き方が変われば、私たちの意識も生き方も変わるのは当たり前です。


関連記事:
市川猿之助氏の自殺未遂と歌舞伎の世界
2023.06.28 Wed l 芸能・スポーツ l top ▲
IMG_20191112_120212_202306251833247b2.jpg



■ある登山ユーチューバー


しばらく動画の投稿が途絶えていた30代半ばの登山系ユーチューバーがいたのですが、今年の初めにYouTubeの「コミュニティ」欄に文章をアップして、ユーチューバーとしての活動をやめると宣言していました。

理由は、大事な人が突然亡くなって、「登山もYoutubeもする気が起きなくなった」からだと書いていました。それで、就職活動を始めたのだそうです。

YouTubeをはじめて2年半くらいでしたが、その間60本以上の動画をアップしていました。全国各地の山を訪れて、実質的に専業ユーチューバーとしての活動をしていました。登山の初心者でしたが、御多分に漏れずあれよあれよという間にステップアップして、北アルプスの表銀座を縦走するまでになっていたのです。

しかし、再生回数の伸びから見ても、専業ユーチューバーとして一本立ちするには無理がある、という結論に達したとも書いていました。

それを読んで、別に親しい人間が亡くなったとか、そういうのではないのですが、私は、彼の気持がわかるような気がしたのでした。

■コロナ禍


「コロナ禍で変わった風景」というような記事も書きましたが、私自身も知らず知らずのうちに、コロナ禍によって心境に変化が生まれていたように思います。もしかしたら、それは、”トラウマ”のようなものかもしれません。

幸いにも私自身は感染することはありませんでしたが、しかし、新型コロナウイルスに翻弄された現実を、嫌になるくらい間近で見てきました。

もちろん、新型コロナウイルスは終息したわけではなく、変異株による新たな感染の拡大も指摘されていますが、しかし、新型コロナウイルスによって、私たちは、身体だけでなく、精神面でも大きな影響を受けたことはたしかな気がします。あの何とも言えない陰鬱な気持。毎日が「葬式列車」(石原吉郎)のような、通勤電車の中に漂う重苦しい空気。次々と職場を去って行く人たち。もしかしたら、戦争もこんな感じなのかもしれないと思ったりしました。知らぬ間にまわりの状況がどんどん変化していく。足元の砂山が徐々に崩れていくような、そんな崩壊感覚がありました。

■リセットしたい


私自身も、このブログも含めて全てをリセットしたいという誘惑に駆られることがあります。自己顕示欲のようなものが鼻に付いて、ときにたまらない自己嫌悪に陥ることがあるのです。ただ、一方で、18年も続けてきたので、ここでやめるのは「もったいないな」という気持もあります。傍目ではそう見えないかもしれませんが、私自身の中では、このブログは“備忘録”のようなものでもあるのです。私は若い頃からずっと日記を書いて来ましたが、ブログを書くようになって日記をやめたのでした。

前も書きましたが、年を取ると、肉体的な面だけでなく、精神的な面でも“体力”がなくなっているのを痛感することが多く、矛盾とか羞恥心とか自己嫌悪とかいったものに耐えることがしんどくなっているのも事実です。

石原吉郎は、「一九五六年から一九五八年までのノートから」(構造社刊『日常への強制』所収)の中で、次のように書いていました。

 私は孤独という中心のまわりを、ただむなしくまわっているにすぎない。永久に孤独の中心へはいって行こうとはしないのだ。


〈生きることの困難さ〉とは、〈積極的に生きることの困難さ〉である。労苦や悲しみに押し流されている間は、この困難さへの認識はない。


最近は、こういった言葉がやけに心に染み入るのでした。

■近所の老人


近所のアパートに、70歳前後くらいの男性が住んでいるのですが、数年前からときどき道ですれ違うようになりました。仕事をしているらしく、ショルダーバッグを肩から下げて駅の方から帰って来たり、逆に駅の方に向かっている男性と、それこそ数ヶ月に一度くらいすれ違うことがありました。すれ違う時間が朝だったり夕方だったりするので、三交代か何かの仕事をしているのだろうと思いました。第二の人生で警備員の仕事をしているのではないか、と勝手に思ったりしていました。

ところが、最近、何故か頻繁に見かけるようになったのです。数ヶ月に一度どころか、一週間か十日に一度すれ違うようになったのでした。それも、駅に向かう道路だけでなく、近所のスーパーでもすれ違うようになったのでした。

しかも、不思議なのは、スーパーの店内より敷地内ですれ違うことが多く、それも何か買い物をしているわけではなく、いつも手ぶらなのでした。

ある日の夕方、アパートの前を通りかかったら、男性がドアをガチャガチャ言わせているのに気付きました。どうやら部屋のドアが開かないみたいです。そのとき、男性の部屋が一階の奥から二番目だということを知ったのですが、でも、傍から見れば、不審者に見えるでしょう。

それで、私は、「どうしたのですか?」とアパートの前から彼に声をかけたのでした。しかし、距離が離れているということもあって、何やらムミャムミャ言っていますがよく聞き取れません。何だか酔っぱらっているような感じに見えなくもありません。

もう一度声をかけると、「閉められた」と言っているのが聞こえました。それを聞いて、一人暮らしではなく奥さんがいて、中から部屋の鍵を閉められたのかと思いました。

男性は、ドアノブから手を離して私の方に身体を向けると、突然、「携帯電話を持っていますか?」と訊くのです。やはり酔っぱらったようなもの言いでした。

「はい、持っていますよ」
「すぐ繋がりますかね」
「ええっ?」

言っている意味がわからず、戸惑っていると、「どうも、すいません」と言って再びドアノブに鍵を差し込んでガチャガチャ言わせていました。

私は用事があったので、その場を立ち去ったのですが、駅に向かって歩きながら、あれは酔っぱらっているのではなく、脳梗塞か何か病気なのではないかと想像したりしました。

そして、昨日の昼間のことです。アパートの前の道路を歩いていると、前から男性がやって来たのでした。男性に会ったのは、二週間ぶりくらいでした。「こんにちは」と挨拶すると「あっ、こんにちは」を挨拶を返してきました。昨日は気温が30度近くも上がった暑い日でしたが、男性は雨具のような長袖のジャンパーを着ていました。頻繁に会うようになったのでわかったのですが、いつも同じ服装なのでした。

「暑いですね?」と言うと、「はあ、そうですね」と相槌を打っていました。滑舌は前よりましになっていましたが、やはり、いくらか聞き取りにくい感じがありました。そう言ったあと、男性の服装を見て、「しまった、皮肉に聞こえたかな」と思いました。

しかし、そんなことはお構いなしに、「こんなに暑かったら仕事に行くのも大変ですね?」と言うと、「ええ、まあ」と曖昧な返事をするのです。それで、さらに畳みかけるように(ホントは好奇心を抑えることができなかったからですが)、「どんな仕事をしているんですか?」と失礼な質問をしてみました。

すると、「働いてないんですよ」と言うのです。私は、思ってもみない返答に心の中で「えっ」と思いましたが、「そうですか。それはいいですね」とその場を取り繕うようなことを言って別れたのでした。

数ヶ月に一度道ですれ違っていた頃は、間違いなく働いていたような様子でしたので、もしかしたら、コロナ禍で辞めたのかもしれません。あるいは、病気で辞めざるを得なくなったのか。

私は、一つのことに関心を持つとずっと気になる性格なので、もう男性と会いたくないなと思いました。これ以上、男性のことをあれこれ想像をめぐらしていると(ホントはただ詮索しているだけですが)、気持がつらくなるような気がしたのでした。

他人は他人。他人のことに関心を持ってもどうなるわけではないし、いいことはない。俺は人間嫌いのはずじゃないか。そう自分に言い聞かせているもうひとりの自分がいました。


関連記事:
関内あたり
石原吉郎
2023.06.25 Sun l 日常・その他 l top ▲
DSC03207.jpg



■生麦事件


用事があって、鶴見区の生麦(なまむぎ)に行きました。生麦と言えば、学校の歴史の授業で習った生麦事件があったところです。

昔、仕事関係の知り合いに生麦在住の人がいましたが、最初に会ったとき、「ああ、あの生麦事件があったところですか?」と訊いたら、「住所を言うと必ずそう言われる」と苦笑いしていました。

駅の近くに生麦事件の石碑があるそうなので探したのですが、見つけることができませんでした。

私は、初めて生麦に行きましたが、想像していたよりうらびれた感じの街で、正直言ってびっくりしました。横浜駅から京急(京浜急行)線に乗り換えて生麦駅で降りたのですが、駅前には何もないのです。駅のすぐ横に”駅前商店街”がありましたが、おせいじにも商店街として充分機能しているようには見えませんでした。

ただ、ネットで生麦を検索すると、駅の近くにスーパーがあって便利だと書いているのです。それで、地元の人に訊いたら、2019年だかに閉店したということでした。

でも、ネットでは、電車で横浜や鶴見や川崎には10分もかからずに行けるので「買い物にも便利」「住み心地がいい」などという記事ばかりでした。私は、「全然便利じゃないだろ」とツッコミを入れたくなりました。それらは不動産会社のバイアスがかかった記事なのでしょう。Googleで上位に出て来るのは、そんなものばかりです。

駅前と言っても、車が離合するのも苦労するような細い路地があるだけでした。ただ、駅から路地を5分も歩けば国道15号線、つまり、旧東海道でもある第一京浜に出ることができます。生麦にはキリンビールの工場があるそうですが、工場があるのは国道を渡った先の埋め立て地です。また、国道に出ると、先の方に大黒パーキングに至る首都高横羽線のジャンクションのループ橋を見ることができました。かつて横浜の暴走族の聖地だった大黒パーキングや大黒埠頭にも近いのでした。

■京浜工業地帯の駅


ところが、こんなひなびた生麦駅ですが、一日の平均乗降客が2万5千897人(2022年)だそうで、それにもびっくりしました。私が、生麦駅に降りたのは午前10時すぎでしたが、人通りも少なく閑散としており、そんな面影は微塵もありませんでした。

つまり、生麦駅は、京浜工業地帯の中にあり、埋立地の工場などに通勤するための駅という性格が強いのでしょう。だから、乗降客が多いわりには駅周辺は殺風景なのかもしれません。

あとで知ったのですが、近くにはJR鶴見線の国道駅(無人駅)があるそうです。国道駅の「国道」は国道15号線のことですが、戦前からの高架の風景を残した国道駅は、昔の京浜工業地帯の通勤風景を偲ぶことができるレトロな駅として、鉄道ファンの間ではよく知られているのでした。生麦駅からだと歩いて行ける距離だそうで、前もって知っていれば行きたかったなと思いました。

生麦駅は、京急の各駅停車が停まるだけの駅ですが、京急と並行してJRの東海道本線や横須賀線や京浜東北線など8本の線路が走っているため、反対側(山側)に行くには長さが60メートルの跨線橋を渡らなけばなりません。駅の横に踏切があるのですが、歩行者は使用禁止だそうです。ウィキペディアによれば、車両も7~9時と14~19時は通行禁止になっているそうです。どおりで踏切に係員が立っていたわけです。2013年に88歳の老人が踏切を渡り切れずに電車に轢かれて亡くなったそうで、その事故をきっかけに駅と直結する跨線橋が設置されたということでした。

駅周辺には、牛丼店や定食屋やラーメン屋などのいわゆるチェーン店も一軒もありませんでした。ファミレスもサイゼリアが一軒あるだけでした。閉店したスーパーマーケットもチェーン店ではなく、地元の店だったそうです。チェーン店が進出してないということは、商業地としてのメリットがないと見做されているからでしょう。

約束の時間より早く着いたので喫茶店を探したのですが、もともと店自体がないので喫茶店などあろうはずがありません(ただ、帰りに山側に行ったら、昔ながらの喫茶店が一軒ありました)。喫茶店がなければ、公園のベンチで時間を潰そうと思ったのですが、公園も見当たりませんでした。

駅の海側は、駅と国道15号線の間の限られた土地しかないので、住宅地として発展する見込みがほどんどないのはよくわかります。一方、線路を越えた山側に行くと、町名が生麦ではなく「岸谷」に変わるのですが、町名どおり跨線橋から道路に下りると、すぐ丘になり、丘一帯が住宅地になっているのでした。ただ、通勤・通学のために生麦駅を利用するには、長い跨線橋を渡らなければならないし、車で15号線に出るにも大きく迂回しなければなりません。しかも、山側にも商店街らしい商店街はありませんので、日常の買物が不便であることには変わりがありません。

このように実際に現地に行くと、ネットで書かれていることとはかなりイメージが違っているのでした。それがGoogleの検索がevilなものになったと言われる所以なのでしょう。

■伊勢佐木町


用事を済ませたあと、横浜駅まで戻り、横浜駅からみなとみらい線で馬車道で降りて、伊勢佐木町で昼食を食べました。

伊勢佐木町は、去年の年末以来ですが、あらためて通りを歩いたら、コロナ前と比べて異変があることに気付きました。

前も書きましたが、コロナ禍の間、私は伊勢佐木町には一度も訪れていません。それだけにコロナ禍の前と後の違いが目に付くのでした。

有隣堂の近くにあった吉野家が撤退して買い取り屋になっていましたし、吉野家のはす向かいの富士そばも閉店していました。また、かつやもてんやもなくなっていたのです。

別にチェーン店を擁護するつもりはありませんが、しかし、彼らの冷徹なマーケティングは街の現状を知る上で参考になるのです。チェーン店に見放されたというのは、私もこのブログで散々書いていますが、伊勢佐木町の衰退がいよいよ来るところまで来たなという気がします。たしかに、平日の昼間に行くと、益々人通りが少なくなっており、淋しい光景が広がっていました。

コロナ前にあれほどいた南米系の外国人たちが見事なほど姿を消していました。金のネックレスやブレスレットをチラつかせながら、文字通り肩で風を切って歩いていた中国人の不良たちも、いなくなっていました。

こういった伊勢佐木町の衰退に象徴される横浜の現状が、前に書いた「横浜の不穏」のような発想につながっているのかもしれません。

関連記事:
横浜の不穏

■アジアの民衆は「お客様」


先日もタイに行った知り合いが、バンコクは東京と変わらないくらいの都会で、タイの活気に圧倒されたと言っていましたが、考えてみれば、中国をはじめアジアの国がどんどんキャッチアップして豊かになっているので、昔のように出稼ぎに来ることがなくなったということもあるのかもしれません。まして、こんなに円安になれば、同じ出稼ぎするにしても、ほかの割りのいい国に行くでしょう。

埴谷雄高と吉本隆明の間で、いわゆる「コムデギャルソン論争」があったのは1984年でしたが、当時は日本人はエコノミック・アニマルと言われて、埴谷雄高が言うように、アジアの民衆を「ぼったくっていた」のです。日本は「日帝本国」で、アジアは「周縁」だったのです。

しかし、今の日本にとって、アジアの民衆は「お客様」です。彼らはいつの間にか「インバウンド」と呼ばれる観光客になり、彼らが落とすお金に、日本人が平身低頭して手を差し出すようになっているのでした。もはや日本は仰ぎ見るような国ではなくなったのです。

「日本はあこがれの国」というのは、日本人から「ぼったくろう」という(見えないところで舌を出している)ロシア人や韓国人のユーチューバーたちが言っているだけなのです。


※拡大画像はサムネイルをクリックしてください。

DSC03211_20230622030636dbf.jpg

DSC03213.jpg

DSC03216.jpg

DSC03218.jpg

DSC03224.jpg

DSC03229.jpg

DSC_0079.jpg
伊勢佐木モール
2023.06.24 Sat l 横浜 l top ▲
publicdomainq-0051635tqhgpj.png
(public domain)



■独りよがりな左派の文章のスタイル


別に言いがかりをつけるつもりはありませんが、左派界隈の文章を読むと、ホントに相手に伝えようと思って書いているのか、疑問に思うときがあります。

これは、昔からそうで、たとえば『現代の眼』などに書かれていた文章は難解なものが多く、相当な読解力が必要でした。先日、某雑誌で久しぶりに菅孝行氏の文章を見つけてなつかしかったのですが、菅氏の文章などはその最たるもので、一度では理解できないので、何度も同じ個所を読み返しながら読み進んで行かなければなりませんでした。

丸山眞男氏の実弟のジャーナリストの丸山邦男氏が、左派はもっと読みやすい文章を書かなければダメだと、それこそ口が酸っぱくなるくらい言っていましたが、そういった左派特有の独りよがりな伝統は今も引き継がれているような気がします。

もっとも、左派は思想的に唯一前衛党主義で独善的なところがありますので、独りよがりな体質は宿痾とも言えるのかもしれません。

■アジア記者クラブのツイッター


最近、難解ではないけど、読みにくいなと思ったのは、アジア記者クラブのツイッターです。たとえば、こんな感じです。


最悪な”おじさん構文”と言えるでしょう。野暮を承知で言えば、文章の中に国旗の絵文字が散りばめられていると、読みづらくて疲れるのでした。恐らくリズミカルに読み進むことができないからだと思います。投稿しているのはジャーナリストのはずですが、文章にリズムがあるという基本がわかってないのではないかと思ったりします。

そもそもこんな文章を投稿して、恥ずかしいと思わない感覚が凄いなと思います。もしかしたら、逆に得意満面なのかもしれません。

読みにくい文章を書いて、「オレ凄いだろ」みたいなアホらしい風潮がネット以前にはありましたが、ネットの時代になると、こういった絵文字の多用が“痛い”文章の代表例みたいに言われるようになったのでした。これではアジア記者クラブのツイッターが、”痛い”左翼を象徴していると言われても仕方ないでしょう。

前にリベラル界隈のYouTubeチャンネルが、テーマも出演者も重複していて、まるで“リベラル村”の井戸端会議みたいになっていると嫌味を書きましたが、左派も似たようなもので、狭いサークルで「異議なし!」と言い合ってお互いに慰謝し、自己満足しているだけのようにしか見えません。

アジア記者クラブのツイッターは、特にウクライナ戦争においては、一般的なメディアとは違う視点を持っているので参考になることも多いのですが、それだけに残念な気がしてならないのでした。

これもまた、「『負ける』という生暖かいお馴染みの場所でまどろむ」光景の一つかもしれない、と思いました。
2023.06.22 Thu l 社会・メディア l top ▲
publicdomainq-0068415lpmjwj.jpg
(public domain)



■プライバシーがダダ漏れの記者会見


広末涼子の「W不倫」があくまで個人の生き方の問題で、広末涼子の女優としての評価にいささかの影響を与えるものではないことは言うまでもありません。と言うか、影響を与えるようなバカなことをしてはならないのです。

今回の騒動で「唯一」と言ってもいいような問題は、あの乙女チックなラブレターや交換日記を誰が流出させたのか、誰が週刊文春に提供したのかということだけです。

そんな中で、夫のキャンドル・ジュン氏が、突如記者会見を開くという出来事がありました。

キャンドル・ジュン氏は、冒頭、「広末ジュンです」と婿養子に入っている自分を紹介していましたが、何だかそんな自己紹介に記者会見を開いた意図が隠されているような気がしないでもありませんでした。家族が住んでいたのは広末が購入した家だそうで、「W不倫」が発覚する直前に(広末の“名代”の)彼女の母親から離婚を切り出されて、「家を出て行ってほしい」と言われたそうです。

三人の子どもたちは、母親の広末の元に残ることを選択したので、どうやら一人で家を出たみたいです。

キャンドル・ジュン氏は、広末は「良き妻であり. 最高の母親だった」と言っていましたが、それに対して、ファンなどから「救われた」「ありがとう」という反応があったという記事がありました。私は、その記事を見て頭の中は「!?」マークしか浮かんできませんでした。

その一方で、広末涼子は、何年に一回か、仕事のプレッシャーから派手な恰好で夜遊びすることがあり、前にも浮気したけど本人には内緒で「示談した」というようなことまで”暴露”していたのでした。キャンドル・ジュン氏は、広末涼子がメンヘラで、性的に放縦な傾向があるかのように言っていましたが、事実であるかどうかに関係なく、それは他人ひと様に吹聴するようなことではないでしょう。

広末涼子自身は、「これが私の個性だ」とキャンドル・ジュン氏に言ったそうですが、女優としてその言やよしと思いました。女優にとって、良妻賢母であるかどうかなどどうだっていいのです。女優が二つも三つもの顔を使い分けるのは当たり前です。

何だか”ドロ沼離婚劇”という、おなじみの(くだらない)自作自演が既に始まっているような気がしてなりません。もしかしたら今回の騒動の本題は、そっちの方かもしれないのです。

また、「不倫報道を機に家庭内のプライバシーが暴かれ『次男や長女は長男と血がつながっていないことは知りませんでした。次男には心の成長を見て折を見て話そうと思っていました。こんな形でうちの事情を知り、本当かどうかも分からないことを多数目にして、何も悪いことをしていないうちの子たちがどうやって外を歩けばいいんでしょうか』と訴えた」(中日スポーツ)のですが、しかし、何のことはない、自分もそうやって家庭内のプライバシーをメディアにダダ漏れさせているのでした。私は、父親の記者会見によって、次男や長女の幼い心が傷つくことの方が逆に心配になりました。

それに、言葉尻を捉えるようですが、「次男や長女は長男と血がつながっていない」と言っていますが、血はつながっているのです。ただ、自分との血縁関係で血がつながってないだけです。そこには、キャンドル・ジュン氏の古い家族観が顔を覗かせているような気がしました。

■メディアの反応とホリエモンの発言


ところが、キャンドル・ジュン氏の奇妙な記者会見を好意的に受け止めているメディアもあるのでした。

日刊ゲンダイは、「夫ジュン氏“けじめ会見”で状況一変…広末涼子が迫られる『引退、仮面夫婦、元サヤ』の三択」という記事の中で、キャンドル・ジュンさんの会見で、世間の印象が変わったとして、「キャンドル・ジュン氏は18日の会見で、広末の情緒不安定なこれまでの様子や過去の不倫についてまで包み隠さず話したため、『これまで“謎のヒモ夫”と見る向きもあったのが、むしろ好感度は爆上がり。もう誰もジュンさんを悪く言う人はいないでしょう』(スポーツ紙芸能デスク)」というようなコメントを紹介していました。と、まるでキャンドル・ジュン氏が、記者会見で逆転ホームランを打ったかのような書きっぷりなのでした。日刊ゲンダイの中では既に、広末涼子VSキャンドル・ジュンの“ドロ沼離婚劇”の構図ができているのかもしれません。

日刊ゲンダイ
夫ジュン氏“けじめ会見”で状況一変…広末涼子が迫られる「引退、仮面夫婦、元サヤ」の三択

それに対して、キャンドル・ジュン氏の記者会見を批判し、ラブレターの流出について、「あれ(手紙を)多分暴露したのはキャンドル・ジュンさんなんでしょうけど」と自身のYouTubeチャンネルでコメントしたホリエモンに対しては、批判が集中しているそうです。

ジャニー喜多川氏の性加害の問題では相変わらず上目使いで事務所の出方を伺うだけなのに、広末涼子の「W不倫」になると、狂ったように悪意に満ちた記事を書き散らしている『女性自身』は、その批判の声をコタツ記事で次のように伝えていました。

Yahoo!ニュース
女性自身
「誹謗しすぎ」「胸糞悪い」ホリエモン 広末の夫キャンドル・ジュン氏への“適当発言”に批判殺到

《ホリエモン好きだけど、この件は鳥羽さんが悪いでしょ。知り合いだからって大目に見過ぎ》
《なんの情報もないなら動画にしなきゃいいのに。相変わらず人を小馬鹿にしたただた胸糞悪い時間だった》
《キャンドルジュンさんのこと誹謗しすぎ あと、話盛りすぎ、若手俳優なんて言ってないじゃん》
《キャンドルジュンさんへの物言いがちょっとひどいです。間違ったこと(暴露したのはジュンさんではない)だしそういったことに抗議するために命を捨てるとも言ってましたし事実とわかってること以外言わないでほしいです。》
《証拠の手紙とかキャンドルさんじゃなかったらどうするんですか?言いっぱなしですか?影響力あるのだから確信がある事だけ発言して欲しいです。今日はとても意地悪に感じました》


私は、「なんじゃらほい」という感想しかありません。まあ芸能マスコミにすれば、鎮火するより炎上した方が美味しいのはたしかなのでしょう。こんなコタツ記事を書く暇があるなら、ラブレターや交換日記を誰が週刊文春に提供したのか取材しろよと言いたくなります。

メディアにプライバシーが暴かれて迷惑していると言いながら、みずから進んでプライバシーをどんどん流出させているキャンドル・ジュン氏の矛盾は、火事だと言いながら火を点けてまわっているような感じがしないでもありません。案外、そこに今回の騒動のモヤモヤとゲスないやらしさがあるのかもしれないのです。
2023.06.21 Wed l 芸能・スポーツ l top ▲
23997767.jpg
(イラストAC)



■「世界難民の日」


6月20日は国連が定める「世界難民の日」で、それに合わせて東京スカイツリーは、特別に国連カラーの青色にラットアップされるそうです。これは、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の駐日事務所が主催するライトアップイベントの一環で、スカイツリーのほか全国40ヶ所以上のランドマークが青色にライトアップされるということです。

また、「世界難民の日」に合わせたユニクロの「特別授業」で、女優の綾瀬はるかが、東京都武蔵野市の小学校にサプライズで登場したというニュースもありました。これは、ユニクロがUNHCRとタイアップして行っている、箪笥の肥やしになった服を回収して、難民たちに届けるという社会貢献活動の一環だそうです。

■異常な日本の難民認定率


先日、国会で成立した改正入管難民法で散々指摘されたように、日本の難民認定は外国に比べて非常に厳しく、2022年度に難民と認定されたのは202人です。2021年が74人でしたから2.7倍に増えたのですが、しかし、不認定とされた人は2022年では1万人を超えるそうで、認定率は2%以下の狭き門なのです。

ちなみに、2021年度の各国の認定数と認定率は以下のとおりです。これを見ると、日本の異常さが一目瞭然です。

2021年難民比較

※日本以外のデータは、以下のサイトから引用しました。

国際NGOワールド・ビジョン
難民認定者数と認定率の世界比較、受け入れ数ランキングや日本の現状

※日本のデータは、生活保護の捕捉率などと同じように、出入国管理庁が発表したおおまかな数字しかなく、上記のような比較データがありません。それで、出入国管理庁が発表した数字に基づいて当方で算出しました。

■難民は他人事


ユニクロの「特別授業」に見られるように、日本にとって難民は所詮他人事なのです。自分たちは難民を冷酷に追い返しながら、遠い国の難民には可哀そうと同情を寄せる。ここにも、日本人お得意の建前と本音が表れているのでした。

まるで現代版貴族の館のような33階建ての豪奢な横浜市庁舎も、UNHCRの呼びかけに応じて、6月20日には青色にライトアップされるそうですが、だったら山中竹春市長は、日本のお寒い難民認定の現実について、嫌味の一つくらい言えよと思います。

難民申請を審査する参与員が100人いる中で、一人で難民申請の25%を担当していた参与員がいたことが、先の入管難民法改正案の審議の過程であきらかになりましたが、その参与員にどうして審査が偏ったかと言えば、彼女が難民審査にことのほか厳しい姿勢を持っていたからです。その一方で、認定に積極的な参与員の元には、いっこうに審査がまわって来なかったそうです。

片端から(事務的に)申請を却下した彼女は、一方で、地雷除去の活動もしていて、「難民を助ける会」という国際NGO団体の名誉会長を務めていたという、驚くべき事実もあきらかになったのでした。もっとも、近くに来た難民は水をかけて追い返し、遠くの難民には可哀そうと施しを与える日本人のいやらしい心根を考えれば、それも別に不思議ではないのです。

そして、こういった建前と本音の両刀遣いの先に、あの「ニッポン凄い!」の自演乙に象徴される、「反日カルト」の旧統一教会と平気で手を組むような下劣な「愛国」主義があるのでしょう。

■知性より名誉


国連難民高等弁務官事務所と言えば、ご存知のように、緒方貞子さんが1991年から2000年まで10年間、第8代の難民高等弁務官を務めていましたが、そのお膝元がこのあり様なのです。

緒方貞子さん自身は、日本の難民認定の低さを批判していたようですが、ただ、日本では緒方貞子さんの難民高等弁務官という職も、名誉職のようなイメージで捉えられていたフシがありました。だから、日本の入管行政が変わることはなかったのです。

知性より名誉が優先されるのは、日本の公的な組織ではよくある話で、そうやって建前と本音が合理化されるのでしょう。さしずめ綾瀬はるかの「世界難民の日」の「特別授業」などはその最たるもので、そこには知性の欠片もないのです。彼女は、難民の何を知っているというのでしょうか。
2023.06.20 Tue l 社会・メディア l top ▲
2635716_202306182001391c5.jpg
(イラストAC)



■「性自認」を避けたい思惑


性的マイノリティに対する理解を増進するための「LGBT理解増進法」が、昨日(16日)参議院本会議で可決、成立しました。

今回成立した「LGBT理解増進法」について、当事者たちは、これはマイノリティではなくマジョリティのための法律で、むしろ差別を助長するものだと批判しています。メディアの論調も概ね、彼らの批判に沿ったものになっているようです。

「LGBT理解増進法」には、自民案、維新・国民民主案、立民・共産案の三つの案がありました。

下記は、三案を比較した図です。

LBGT理解増進法案
(毎日新聞より)

これを見てもわかるように、大きな違いは「基本理念の表記」と「性自認の表記」です。ただ、「性自認の表記」に関しては、「性自認」も「性同一性」も英語に訳すと「ジェンダーアイデンティティ」になるので、英語では同じことです。にも関わらず、あえて「性同一性」や「ジェンダーアイデンティティ」という言葉に拘ったのは、「性自認」という言葉を使いたくないからでしょう。つまり、自分が女だと思ったら女で、男だと思ったら男で、どっちでもないと思ったらどっちでもないという、「性自認」が認知されるのを避けたいという思惑が透けて見えるのでした。

■日本の伝統的な家族形態はとっくに破産


一方で、LGBTQそのものに対して、天皇制に連なる日本の伝統的な家族形態=家族観を壊すものだとする、右派からの反対もありましたが、そういったカルト的な「愛国」思想がとっくに破産しているのは誰が見てもあきらかです。むしろ、家族が個に解体されてバラバラになっていることは、私たちが一番よくわかっているはずです。

それは教育や道徳の問題なんかではありません。何度も言いますが、資本主義の発展段階において必然的に変容が迫られる「文化」の問題です。家父長制的大家族から核家族になり、核家族から個の時代になっていくのは、産業構造の変化やそれに対応した労働の変化によってもたらされる新しい「文化」=生き方に他ならないのです。未婚者やディンクスなどが増えているのも、”時代の変化”としか言いようのない「文化」=生き方であって、「異次元の少子化対策」などでどうなるものでもないのです。

話が逸れますが、年間3兆円の税金を投じるなら、「少子化対策」ではなく貧困対策に使うべきでしょう。児童手当なども含めた子ども向けの施策も、貧困対策として講じるべきでしょう。そもそも、アナクロな伝統的家族の形態や、広末涼子のスキャンダルに見られるように未だ「不倫」などという言葉が流通して、”良い母親”像みたいなものを一方的に押し付けられるような社会で、「少子化対策」もないだろうと思います。

マイナンバーをめぐるトラブルも然りで、家族単位で発行される健康保険証と、個人単位のマイナンバーカードとは根本的に仕組みが違うわけで、それを統合するのに無理があるのは少しでも考えればわかるはずです。伝統的家族の形態を守りながら、マイナンバーカードを発行するというのは、発想そのものに矛盾があるのです。それを入力ミスや設定ミスといった、いわゆる人為的ミスのせいであるかのように言うのは、問題を矮小化するものでしかありません。

■LGBT理解増進法(案)の問題点


「LGBT理解増進法」の問題点については、上野千鶴子氏が理事長を務める「NPO法人 ウィメンズ アクション ネットワーク(WAN)」のサイトに法案の成立前に書かれた、奈良女子大学名誉教授の三成美保氏の下記の文章が非常にわかりやすくまとめられていました。

WAN
LGBT理解増進法案の問題点

三成氏は、まず、超党派合意案にあった「学校設置者の努力」という独立条項がなくなり、与党案・維国案・4党合意案では「事業者等の努力」条項に統合されたことに大きな”後退”があると言います。これにより、「LGBT児童生徒の自殺念慮」がきわめて高い現実に対して、学校現場の対策が「停滞」することが懸念されると言うのでした。子どもがみずからの性に対して同一性を持つことができず、悩んだ末に死にたいと思うような事態を見逃すことになると言うのは、そのとおりかもしれません。

さらに与党案・維国案・4党合意案(「LGBT理解増進法」)は、理解増進に対して”足枷”とも言うべき文言や「留意事項」が付け加えられたと言います。

第二は、超党派合意案にはなかった「保護者の理解と協力を得て行う心身の発達に応じた教育」(維国案)という文言が「家庭及び地域住民その他の関係者の協力を得つつ教育」(4党合意案)に修正されて追加されたことである。(略)4党合意案は、「保護者の理解」を「家庭」に置き換え、さらに「地域住民」を加えた。これにより、親や地域集団が批判的な声をあげると学校でのLGBT理解増進教育が阻害される恐れが高まる。


今回の修正案でなによりも懸念されるのは、「すべての国民が安心して生活できるよう留意する」(維国案・4党合意案)という留意条項である。これは、LGBTの人びとが他の国民の安全を脅かす存在であるとのメッセージになる。加えて、4党合意案では、「この場合において、政府は、その運用に必要な指針を策定する」とまで規定された。いったい誰のための指針なのか。理解増進法はマイノリティたるLGBTのための法である。留意事項を入れると、意味が180度異なってしまう。


たしかに、「LGBT理解増進法」が、「すべての国民」や「家庭」や「地域住民」といった、今まで性的少数者を差別していたマジョリティに配慮することに重心を置いた法律に変わった、と言うのはその通りかもしれません。

そこに、「性自認」という言葉を避けたいという思惑や、「不当な、、、差別」という表記にこだわった理由があるように思います。ただの差別ではなく、「不当な、、、差別」と表記することで、法文解釈では不当ではない、、、、、、「合理的な区別」が対置されることになるからです。つまり、差別ではない「合理的な区別」もあり得るという、論理的な余地を残すことになったのです。

どうしてこのように”後退”したのかと言えば、その背景に、トイレや浴場やスポーツの現場で、今後トランス女性の存在を認めなければならないという、人々の「懸念」や「不安」があるからだと言われています。言うなれば、「LGBT理解増進法」の”後退”は、「俗情との結託」に他ならないのです。

三保氏は、この「懸念」や「不安」について、次のように書いていました。

「トイレ・浴場・スポーツ」という「女性専用/女性限定」の場面に、男性としての経験や男性としての身体的要素をもつトランス女性が侵入することは女性の安全や権利を脅かすという議論は、一見わかりやすい。しかし、この議論はあまりに乱暴であり、現実的でもない。トイレ・浴場・スポーツでは条件が異なるため、同一レベルで論じるべきではなく、トイレについても不特定多数が使う公衆トイレと職場学校などの顔見知りが使うトイレとでは利用者の状況が異なる。そもそも男性がトランス女性であると偽った上で女性トイレなどに侵入することは犯罪であり、侵入者個人の責任が問われるべきである。トランス女性一般を性暴力と結びつける言説は、トランス女性の尊厳をも脅かす。

トイレや浴場などの設備は改修し、目的に応じて利用ルールを定めることによって想定されるトラブルを十分に防ぐことができる。スポーツについても、男女という区別を超えて、体格やホルモン値、筋量などの指標による新たな区分を設けて競い合うこともできるだろう(略)。


スポーツを「男女という区別を超えて、体格やホルモン値、筋量などの指標による新たな区分を設けて競い合うこともできる」というのは、驚くべき論理ですが、「性の多様性」がそういう発想に行き着かざるを得ないというのもたしかでしょう。

■トランス女性と「女性の安全」の問題


トランス女性の問題については、当然と言うべきか、一部のフェミニストたちから、もともとトイレが性犯罪が起きやすい危険な場所だったことから、男女の区別がないトイレが増えたり、トランス女性が女性用トイレにフリーで入ることが認められれば、さらに性犯罪の危険が増すことになりかねないとして、見直しを求める声が上がったのでした。彼女たちは、それを「女性スペースを守る」というような言い方をしていました。また、そんなフェミニストに同調したのかどうかわかりませんが、やはり一部の左派の間でも、トイレの共有には「懸念」の声が上がっていました。

「懸念」する側の“論客”の一人と言ってもいい、武蔵大学社会学部教授の千田有紀氏は、Yahoo!ニュースの「個人」のコーナーで、LGBT法の問題について以下のような文章を書いていました。私もすべて読みましたが、「LGBT理解増進法」への流れを知る上で非常に参考になりました。

尚、千田有紀氏は、その言説ゆえにLGBTQの当事者団体やフェミニズムの団体から裏切り者扱いされて、誹謗中傷の攻撃を受けているみたいです。そのためもあってか、16日にWANの理事を辞任したことをあきらかにしていました。

自分たちの意に沿わない主張に対して、被害者や少数派の名を借りて、近親憎悪のような攻撃を仕掛けて来るのは今にはじまったことではありませんが、そうやって自由な言論を封殺する”もうひとつの全体主義”がここでも顔を覗かせているような気がしてなりません。まったく唾棄すべき光景と言うべきでしょう。

Yahoo!ニュース個人
LGBT法案は、性別の意味を変える。もっと議論が必要だ。
LGBT法案、「すべての国民の安全」は差別か?
LGBT法案で、損をした政党、得をした政党はどこか?
LGBT法案のもう一つの焦点―学校から医療に送られる子どもたち
自民党のLGBT法案――女湯問題は「デマ」なのか、「不当な差別」とはどういう意味なのか
LGBT法案、自民党が失望させた「保守派」と「女性たち」
LGBTと女性の人権 加賀ななえ議員がホッとしたわけ

千田氏は、LGBT法で大事なのは、「女性の安全」である、そうでなければならないと言います。

LGBT法案に反対しているのは、「統一教会の人たち」「家族の価値を保持したい人たち」「男女の2分法を維持したい、反フェミニスト」なのだという報道を聞くと、これほど大騒ぎになっているのに、争点自体がわかってないように感じる。もちろん、そういう側面はあるだろう。この法案に反対する自民の「保守派」は、確かにそういう人たちであろう。しかし報道されないできたが、でてくる反対の論拠は、そういったものよりもむしろ「女性の安全」に軸足がある。
(LGBT法案、自民党が失望させた「保守派」と「女性たち」)


千田氏は、女性は数の上ではマジョリティだけど、社会的にはマイノリティな存在だと書いていましたが、まったくその通りで、例えば、痴漢などはこの社会における女性の存在をよく表した性犯罪だと言えるでしょう。

「性自認」というのは、社会的にはきわめて曖昧なもの(わかりにくいもの)です。そういった曖昧さ(わかりにくさ)を盾にした性犯罪から、どうやって「女性の安全」を守るのかということを、もっと真面目に考える必要があるでしょう。

そのあたりのことを千田氏は、次のように書いていました。

トイレがそもそも危険な場所であることは、一定の社会的合意があると思われます。そしてトイレの安全は、いまの制度では「男女」に空間をわけることによって、担保されています。しかしそのような制度設計と、自分の「性自認」に基づいてトイレを使用したいと考えるトランスジェンダーのひとの思いと、ほんのごく一部の、なんとかして女子トイレに入りたいと考える潜在的性加害者の存在とが、ハレーションをおこしてしまっています。このような状況下で、「女性が安全にトイレを使いたい」という、それ自体は当たり前の願いが、「トランス差別」と解釈されてしまいかねないという、複雑な状況がでています。

というのもよく誤解されているように、トランスジェンダーという概念は、性同一性障害(性別違和、性別不合、トランスセクシュアル)のひとだけを指すのではないからです。異性の服装をするひとから、ときには社会から押し付けられる性役割に違和感をもつひとまでを含み込む、ひろい概念です。そして「性自認を尊重する」という行為は、他人の内心の「性別」を受け入れることです。ですからどんな場合にでも、「あなたはトランスジェンダーの振りをしているのではないか」などと他人にいうことは、差別となってしまう可能性があります。他人の心をのぞき込むことは、できないからです。なので、(本当に)トランスした性自認をもつひとと、トランスジェンダーの振りをして女性のトイレに入ろうとする不届き者とを、判別することが難しくなってしまうことがあるのです。
(LGBTと女性の人権 加賀ななえ議員がホッとしたわけ)


三重県の津市で、女装して女風呂に入った男性が、建造物侵入の疑いで警察に逮捕された際、男性が「私は女だ」と容疑を否認するという事件がありましたが、そこには「性自認」の”危うさ”が示されているように思いました。

性加害が目的で女性の恰好をして女性用のトイレに入るような「不届き者」とLBGTQは直接には関係ない。そんな「不届き者」はいつでもどこでもいるのだから、警察がしっかり取り締まればいい。そんな一部の「不届き者」の問題を取り上げてLGBT理解増進に水を差すのは、木を見て森を見ない反動的な言いがかりだという推進派の声がありますが、ホントにそんな話で済ませていいのだろうかと思います。

■ジャニー喜多川氏の問題と同性愛者


私も若い頃、映画館で隣に座った男性から突然股間を触られたり、渋谷の路地裏ですれ違いざまに男性から股間を握られた経験がありますが、ジャニー喜多川氏のように、性の問題には常に犯罪や犯罪まがいのことが付き纏うということも忘れてはならないのです。それは「女性の安全」だけではありません。ジャニー喜多川氏のような”少年愛”は、グルーミング自体に快楽を見出すというような倒錯したものでもあるのです。それが同性愛の世界で、一つの性的嗜好ジャンルとして存在しているのです。しかも、前も書きましたが、同性愛者たちは、ジャニー喜多川氏の問題について、みんな沈黙しているのでした。文字通り見て見ぬふりしているのです。そういった現実も見過ごしてはならないでしょう。
2023.06.18 Sun l 社会・メディア l top ▲
広末涼子サイト
(広末涼子サイトより)



■ジャニー喜多川氏の性加害問題との違い


テレビもネットも広末涼子の「W不倫」で一色に染まっている、と言っても言いすぎではないくらい大きな話題になっています。

ジャニーズ喜多川氏の性加害の問題では、今週の月曜日に、ジャニーズ事務所がヤメ検をトップに据えた「再発防止特別チーム」を設置しましたが、これはどう見ても、「死人に口なし」と「被害者の心理的負担に対する配慮」を御旗にした幕引きであるのはあきらかです。

また、旧統一教会の解散命令も、「質問権だけでは限界がある」という逃げ口上によって、うやむやのまま終わる公算が高いと言われています。文字通り大山鳴動して鼠一匹に終わろうとしているのです。

その一方で、広末涼子は、当人たちが「W不倫」を認めたということもあって、CMは削除され、テレビは降板し、映画は公開延期になって、あっという間に表舞台から姿を消したのでした。この違いには驚くほかありません。日本の社会では、性加害より「不倫」の方が罪が重いのか、と皮肉のひとつも言いたくなりました。

ジャニー喜多川氏の性加害の問題では、あれほど見て見ぬふりをしたきた芸能マスコミが、嬉々としてあることないこと報道しているのを見るつけ、おぞましささえ覚えてなりません。ホントにこいつらはゲスだなとつくづく思います。

私は、別に広末涼子のファンではなかったし、彼女が早稲田に入学したときは、むしろ反発さえ覚えたくらいです。卓球の愛ちゃんもそうですが、「自己推薦」とか「スポーツ推薦」とかに名を借りた特別枠の“入試”は、まったく正直者がバカを見るような、受験生を愚弄した話だと思いました。

知り合いの早稲田OBは、「どうしてヒロスエが入学できたんだ? だったらOBの子どもの推薦入学も認めろ」とわけのわからないことを言っていましたが、案の定、彼女たちは、何のために入学したのかわからないまま退学したのでした。

週刊文春には、広末涼子が書いた(と言われる)ラブレターや交換日記が掲載されていましたが、たかが、、、「不倫」なのにそこまでやるかと思いました。「W不倫」を認めた謝罪文の中では、「3人のこどもたちには、膝をつき合わせ、直接『ごめんなさい』をしました。彼らは未熟な母親である私を、理解し認めてくれました」と書いていましたが、家の内と外で、これでもかと言わんばかりに晒し者にされている感じで、何だかせつない気持にならざるを得ませんでした。

■世間知らずのアイドルの人生


彼女は、中学生のときから芸能界に入り、まわりの大人たちにチヤホヤされて来たので、私たちが想像する以上に世間知らずであるのは間違いないでしょう。今までの結婚相手も含めて、「男を見る目がない」のも仕方ないのかもしれません。

もとより、芸能界の遊び人たちにとっても、そんな世間知らずの彼女は格好の餌食だったはずです。アイドルには似つかわしくない「奔放な男遍歴」と言われたのも、ホントはただ遊ばれただけではないのかと思います。二度の結婚はいづれも”できちゃった婚”で、脇の甘さを指摘する声がありますが、脇が甘いというのは、見方を変えれば男に甘いと解釈できないこともないのです。

彼女の周りにいたのは、金の成る木である彼女をおだてて利用しようとする貪欲な商売人か、人気アイドルをものにするために甘言を弄するジゴロみたいな人間たちばかりだったのではないか。

このSNSの時代に手書きのラブレターや交換日記を残したというのも、彼女の拙い人生が影を落としているように思えてなりません。何だか中学生か高校生で時計の針が止まったままの”恋する乙女”のようで、その時代遅れとも言えるような感覚が、稚拙な文章とともによけいせつない気持にさせるのでした。

■”ふしだらな女”の論理


それにしても、「不倫」だとどうしてこんなに叩かれるのか。それも女性の側が一方的に叩かれなければならないのか、と思います。そこにあるのは、このブログでも何度もくり返し書いているように、“ふしだらな女”の論理です。まして、母親であればよけいバッシングがエスカレートするのでした。

でも、広末涼子を叩いている世間の人間たちも、陰では「不倫」しているのです。あるいは、チャンスさえあれば「不倫」したいと思っているのです。結婚していようがいまいが、恋に胸を焦がしたり、あるいは胸を焦がしたいという気持は誰だってあるでしょう。「不倫」を叩く心理には、間違いなく妬みや嫉みがあるように思います。

広末涼子は、もう42歳だそうですが、最近やっとアイドルの呪縛から解き放たれ、再ブレークしたと言ってもいいくらいメディアに露出していました。出演しているドラマや映画のリストを見ても、引っ張りだこだったことがわかりますが、それらも「不倫」のためにすべてなかったことにされるのでしょうか。これだけ高く評価されている女優が、たかが、、、「不倫」ごときで葬られていいのか、と言いたいのです。

ドラマや映画の中では、「不倫」を演じることも当然あるでしょう。しかし、実生活で「不倫」を演じると、女優としての人生が終わることにもなりかねないのです。なんともバカバカしい話ですが、こんなバカバカしいことをいつまで続けるのだろうと思います。

広末涼子のラブレターや交換日記が流出したことについては、上原多香子のケースを思い出しました。上原多香子のときも書きましたが、晒し者にするためにラブレターや交換日記を流出させた人間こそ一番のワルです。私たちが叩かなければならないのは、善意ズラしたそのワルのはずなのです。


関連記事:
上原多香子と柳原白蓮 ※2017年8月
魔性 ※2009年8月
2023.06.16 Fri l 芸能・スポーツ l top ▲
RPN20211013GBQE02-01.jpg
(Laos – China Railway Company Limited)


■「中国ラオス鉄道」と日本のメディア


たまたま早起きしたので、テレビ東京が早朝にやっている「経済報道番組」の『モーニングサテライト』を観ていたら、「中国焦点」というコーナーで、中国の雲南省の昆明とラオスのビエンチャンを結ぶ1035キロの国際旅客列車「中国ラオス鉄道」のことを取り上げていました。

番組では、「中国ラオス鉄道」は習近平国家主席が提唱する「一路一帯」構想に基づいた事業で、ゆくゆくはマレー半島を南下し、タイ・マレーシアを経てシンガポールまでを結ぶ予定だと言っていました。実際に、中国外交部も「中国ラオス鉄道」を「一帯一路」の縮図と位置づけているそうです。

ラオス国内の建設費用約60億ドル(約7800億円)のうち、3割の18億ドルをラオスが負担したということですが、その大半は中国からの借り入れによるもので、そのため、ラオスが中国の「債務の罠」に陥り、中国に首根っこを押さえられることになるのではないか、と言われているのでした。

実際に、中国の雲南省と接するラオスのボーテン駅周辺は、昔は検問所と数軒の食堂や商店があるだけの田舎の町にすぎなかったのに、今はオフィスビルやホテルやマンションやショッピングモールの建設ラッシュの只中にあり、既に住民の7割は中国人に占められているということでした。

しかし、これは日本のメディアではおなじみのパターン化された中国報道にすぎません。「一路一帯」構想の野望、みたいなトーンで報じられるのが常です。

もちろん、「一路一帯」構想が、ユーラシア大陸を陸と海から縦横に結ぶ壮大な経済圏構想で、そこに新しい覇権国家としての中国の野望が伏在していることは否定できないでしょう。実質的な”ドル本位制”とも言うべき今の国際通貨体制に代わって、中国が新たな通貨体制を作ろうとしているのも事実かもしれません。

■両国の思惑


しかし、個々のケースを見ると、日本のメディアが一律に伝えるものとは若干異なる背景があるようです。

「中国ラオス鉄道」についても、アジア経済研究所の研究員は、下記のチャンネルで、もともとはラオス側から提案されたものだと言っていました。

YouTube
アジア経済研究所
【アジジ-アジ研時事解説 No.9】ラオス・中国鉄道(山田紀彦研究員)

ラオス政府は、国境を接するベトナムやカンボジアやタイとの間でも鉄道を敷設する構想があるのだそうです。「中国ラオス鉄道」も、そういった「経済開発戦略」の一環で、ラオスの提案に、中国がビジネスチャンスと渡りに船で応じたのが真相だと言うのでした。

中国は、「中国ラオス鉄道」を利用して、農業に適したラオス南部のボラベン高原に、将来の食糧不足に備えた食糧生産基地を造る計画だそうです。また、同じくラオス南部の観光地であるコーンパペンの滝に90億ドルを投じて、経済特区を設けた一大リゾート地にする計画もあるということでした。中国企業は、コーンパペンの滝周辺を、温暖な土地で老後を過ごしたいという中国東北部の富裕層向けの保養地として売り出す狙いもあるのだとか。

■アメリカに梯子を外される日本


一方、アメリカのブリンケン国務長官が今月18日から2日間中国を訪問し、中国政府の高官と会談することがアメリカ政府により正式に発表されましたが、「米中対立」も何だか怪しい雲行きになってきました。

YouTubeで「中国ラオス鉄道」に関する番組を探していたら、「中国ラオス鉄道」は乗客が0人で既に計画が破綻した、というようなネトウヨ系の番組がいくつもあり、いづれも10万回以上視聴されていることがわかりました。未だにそういった「愛国ビジネス」の話を信じて、「ニッポン凄い!」と自演乙する人間がいることに驚きましたが、日本政府の”中国敵視政策”も、案外それに近いものがあるのかもしれません。

1972年のニクソン訪中のときと同じように、日本はアメリカに梯子を外されるかもしれないのです。「米中対立」を煽るだけ煽られて、産軍複合体と深い関係のあるバイデン政権から在庫品の武器を言い値で買わされて、それで梯子を外されたのでは目も当てられませんが、対米従属を国是とするこの国は、それでも黙然と(奴隷のように)アメリカに従うしかないのでしょう。

中国が300年振りに覇権国家として世界史に復活することの意味は、好むと好まざるとに関わらず、私たちが想像する以上に大きな意味があるのです。しかし、日本は、小心な駄犬のように遠くからワンワン吠えるようなことしかできないのです。それも、飼い主からけしかけられて吠えているだけです。
2023.06.15 Thu l 社会・メディア l top ▲
サンデーLIVE
(「サンデーLIVE!!」のサイト)


■「サンデーLIVE!!」の日本再生論


先日、東山紀之がキャスターを務めるテレビ朝日の「サンデーLIVE!!」が、台湾の半導体メーカーTSMCが熊本県の菊陽町に二つの工場を建設する、というニュースを取り上げていました。

TSMC(台湾積体電路製造股份有限公司)は、圧倒的な供給力と3ナノ半導体を製造する高水準の技術を持つ半導体の受託製造企業で、2022年第3四半期の段階で世界シェアの56.1%を占め、23年2月時点の時価総額はトヨタの倍以上の約62兆円を誇る巨大企業です(日経ビジネスより)。

そのため、「実質的に半導体の価格決定権を握っている」と言われるほどの、業界のリーディングカンパニーなのです。尚、日本法人の本社は横浜のみなとみらいにあります。

そんなTSMCの工場が日本にできるというのは、たしかに朗報ではあるでしょう。10年間で4兆3000億円の波及効果をもたらすという試算さえあるそうです。しかし、こう言うと語弊があるかもしれませんが、地政学上のリスク回避という特殊事情があるにせよ、たかが外国企業が日本に工場を造るという話にすぎないのです。

それを「サンデーLIVE!!」は、田中角栄の「日本列島改造論」になぞらえて、半導体による「新日本列島改造論」を唱える、東京理科大学の若林秀樹教授をゲストに迎え、これが日本再生の「最後で最大のチャンス」だなどとぶち上げているのでした。何だかひと昔前に、トヨタの工場ができると言って国中で大騒ぎしてしていた、アジアや中南米の発展途上国のようです。

中でも驚いたのは、日本株が33年振りの高値を付けたことまで引き合いに出して、いよいよ日本経済が反転攻勢に打って出たかのように太鼓を打ち鳴らしていたことでした。もちろん、日本株が高値を付けたのは、TSMCの工場建設とはまったく関係がありません。

下記の朝日の記事が書いているように、今の株高は、過去最高を更新するほどの異常な自社買いが大きな要因です。本来なら設備投資や従業員のベースアップに使われるべき資金が、自社買いに向けられているのです。

5月だけで3.2兆円という途方もない自社買いで極端に流通量が減った日本株が、実体経済の数倍、レバレッジを含めると数十倍とも言われる余剰マネーを駆使する海外の投資家によって、マネーゲームの対象になっているだけです。

朝日新聞デジタル
自社株買い過去最高、バブル後高値を演出 投資・賃金とバランスは?

また、「サンデーLIVE!!」は、北海道の千歳市に、「日の丸半導体」の復活をめざすラピダスの新工場が建設されることも日本再生の起爆剤になると、取らぬ狸の皮算用みたいに伝えているのでした。

ラピダスについては、エコノミストたちの間で、先行きは不透明だという見方があります。私もこのブログで次のように書きました。

■日の丸半導体


米中対立によって、中国に依存したサプライチェーンから脱却するために、国際分業のシステムを見直す動きがありますが、ホントにそんなことができるのか疑問です。

日本でも「日の丸半導体」の復活をめざして、トヨタ・ソニー・NTTなど国内企業8社が出資した新会社が作られ、北海道千歳市での新工場建設が発表されましたが、軌道に乗せるためには課題も山積していると言われています。

2027年までに2ナノメートルの最先端の半導体の生産開始を目指しているそうですが、半導体生産から撤退して既に10年が経っているため、今の日本には技術者がほとんどいないと言うのです。

さらに、順調に稼働するためには、5兆円という途方もない資金が必要になり、政府からの700億円の補助金を合わせても、そんな資金がホントに用意できるのかという疑問もあるそうです。

また、工場を維持するためには、台湾などを向こうにまわして、世界的な半導体企業と受託生産の契約を取らなければならないのですが、今からそんなことが可能なのかという懸念もあるそうです。

関連記事:
エマニュエル・トッドの指摘


テレビ朝日は、ニュースに対する掘り下げ方に問題があるように思えてなりません。意図的なのかどうかわかりませんが、あまりに薄っぺらな捉え方しかしてないのです。

ジャニー喜多川氏の性加害の問題に関して、「報道ステーション」のなおざりな姿勢を指摘する声が多くありましたが、それは「報道ステーション」に限らないのです。「モーニングショー」でも、玉川徹氏のいつものツッコミは影をひそめ、当たり障りのない”公式論”に終始するだけでしたが、そこには、それこそ玉川徹氏の電通発言の際に取り沙汰された、テレビ朝日の体質が露呈されているように思いました。

関連記事:
テレビ朝日の「絶対君主」

■戦争プロパガンダに踊らされる日本のメディア


これはテレビ朝日に限った話ではありませんが、たとえばウクライナ戦争においても、メディアはどこまで真実を伝えているのか、非常に疑問です。ウクライナ南部のドニエプル川流域のカホフカ水力発電所のダムが破壊された問題でも、メディアが伝えるように、ホントにロシアがやったのか、首を捻らざるを得ません。

ウクライナ側の住民の被害ばかりが報じられていますが、ダムの破壊による被害は、圧倒的にロシアの支配地域の方が大きいはずです。しかも、ダムの水位の低下は、ロシアが管理する欧州最大規模のザポリージャ原発の安全にも影響を及ぼすのではないかと言われているのです。もしロシアがやったのなら、それこそ常軌を逸した自殺行為としか言いようがありません。

昨年9月のロシアとヨーロッパを結ぶ海底パイプラインの「ノルドストリーム」で起きた大規模なガス漏れのときも、西側のメディアはロシアの自作自演だと言っていました。ところが、実際はウクライナ軍の特殊部隊によるものであったことが、先日、ワシントン・ポストによって暴露されたのでした。しかも、アメリカがその計画を事前に把握していたと言うのです。

ワシントン・ポストによれば、アメリカ空軍の州兵が対話アプリの「ディスコート」で流出させた例の機密文書の中にその記述があったそうです。

機密文書には、ゼレンスキー大統領には知らされないまま、現在重傷説が流れているウクライナ軍のヴァレリー・ザルジニー総司令官の直属のグループが実行した、と記されていたそうです。ただ、一方でアメリカがそれを「阻止した」とも書かれているのだとか。

何度も言うように、ウクライナがどういう国なのかという検証もなしに、ただ可哀そうという短絡思考でものごとを見ると、とんでもない戦争プロパガンダの餌食になるだけでしょう。

「サンデーLIVE!!」の「新日本改造論」の打ち上げ花火は、まともにニュースを伝えることさえできない日本のメディアの劣化を象徴していると言えますが、それでは戦争プロパガンダに踊さられるのも当然でしょう。


■追記:


上の記事をアップしたあと、作家の甘糟りり子氏が書いた下記の記事が「NEWSポストセブン」にアップされたことを知りました。

NEWSポストセブン
作家・甘糟りり子氏、『報道ステ』全仏オープンを2日連続トップ扱いに疑問 「他に優先すべきニュースがあるのではないか」

やはり、みんな「テレ朝はおかしい」と思っているんだなと思いました。

私は、前に次のように書きましたが、全てはそれに尽きるように思います。もちろん、これはテレ朝だけの問題ではないのです。テレ朝があまりにひどすぎる、、、、、ので目立っているだけです。

「早河王国」になって、テレ朝はエンタメ路線に舵を切り、報道部門が弱体化していると言われます。「ニュースを扱う資質に欠けるような人物」が報道局に送り込まれているという指摘さえあるそうです。

関連記事:
テレビ朝日の「絶対君主」

2023.06.13 Tue l 社会・メディア l top ▲
DSC06928.jpg



■リベラル系の番組


前に朝日新聞が周回遅れのトップランナーのように、ネットの後追いしているという話を書きましたが、それは朝日だけではないのです。

いわゆるリベラル系と言われる元新聞記者やライターたちが、次々とYouTubeにチャンネルを開設しているのも似ているような気がします。元の職業が似ているからなのか、チャンネル名も似ているし、常連の出演者も多くが重複しているのでした。言うなれば、「リベラル村」とも言うべき小さなマーケットでお互いに競合しているのでした。しかも、リベラルの支持者たちも、どこかの宗教団体と同じように高齢化しているため、サブスクに二の足を踏む人も多いでしょう。前も書きましたが、それで収益化をめざすというのは、傍から見ても非常に厳しいと思わざるを得ません。

■ユーチュ―バーの帰化


再びたとえに出すのは忍びないのですが、朝日が「GLOBE+」でコラムに起用した(?)ユーチューバーの帰化申請が却下されたそうで、本人がYouTubeであきらかにしていました。数日前は、ネックになっていた母国の国籍離脱の問題で、日本政府が柔軟に対応するという方針転換があったとかで、「朗報が届いた」と喜んでいたばかりでした。と言うか、まるで帰化がほぼ決定したかのような言い方までしていたのでした。

今の日本の基準では、在日12年のユーチューバーで帰化が認められるなどほとんどあり得ないと考えるのが常識でしょう。友達のユーチューバーも、同じように帰化を希望しているようですが、帰化の要件の一つである「生活要件」のハードルは想像する以上に高いと考えた方がいいでしょう。専業ユーチューバ―で生活をしていますとか、モデルをやっていますとかいう理由で帰化が認められるのは、針の穴を通すより難しいはずです。

彼女は、まわりの人間たちや動画の視聴者から「絶対大丈夫」と言われたので、自分も楽観的になっていたと言っていましたが、私はどこが大丈夫なんだ?と思いました。本来なら無理だと言うべきでしょう。

YouTubeのコメント欄のお追従コメントは論外としても、大丈夫と言ったまわりの人間たちの中には、申請を仲介する業者も含まれているのではないかと思いました。要件を満たしてないのに帰化や永住を希望する外国人たちが、手数料ビジネスの業者に食い物にされる現実があることも忘れてはならないのです。

■YouTubeの鉄板コンテンツ


何が言いたいのかと言えば、このようにYouTubeはほとんどおままごとの世界だということです。Googleは、FC2と同じようにグレーな動画投稿サイトだったYouTubeを買収するに当たって、「総表現社会」などという詭弁を弄し、YouTubeを広告ビジネスのプラットフォームにしたのでした。

これはあくまで私の感想にすぎませんが、今のYouTubeでは、ロシア人と韓国人の「ニッポンに涙する」動画や、仔猫を拾って来て「幸せになろうね」というペットの動画や、自分の子どもの顔を晒して「どう、かわいいでしょ?」という親バカの動画などが、多くの視聴者を集める鉄板のコンテンツになっているようです。

誰かの台詞ではないですが、ネットのお得意様は多くの視聴時間を持つ「バカと暇人」なので、そういった低俗化は”宿命”とも言えるのです。ただ、ネットの流行り廃りはリアル社会の比ではないので、飽きられるのもはやいのです。

■登山動画の凋落


たとえば、上記の定番コンテンツに比べて、再生回数が一桁少ない登山の動画では、早くも凋落の兆しが出ているのでした。登山のようなニッチなジャンルでは、視聴者も登る山も限られるので、YouTubeの特徴がよけい際立って表れるように思います。

登山ユーチューバーが登場して4年くらいになりますが、4年経つとほとんどの山は登り尽くされてしまい、登る山に新鮮味がなくなるのです。あとはユーチューバーのキャラクターということになりますが、登山という特殊なジャンルでは個人のキャラクターなどたかが知れています。

前も書きましたが、Googleの課金システムの見直しもあってか、ここに来てYouTubeからフェードアウトする登山ユーチューバーが続出しているのでした。もちろん、新しいユーチュ―バーも出ていますが、先行者利益さえ成り立たなくなったジャンルでは、自己満足で終わるのが関の山でしょう。

そもそも登山ユーチューバーにしても、その多くはおままごとにすぎません。私は、前に下記のような登山ガイドの加藤智二氏の言葉を紹介したのですが、それは登山ユーチューバーにもあてはまるように思います。

関連記事:
若い女性の滑落死と警鐘

美しい写真、動画とルート解説、個人の感想などは、雑誌やインターネット上には多く存在しています。それらを見たと思われる実に多くの若者が挑戦していました。正直言って、どこでミスしても簡単に「死ねる」場所だらけの日本最難関コース上に、何ら緊張感乏しく歩き回る登山者の姿に恐ろしさも感じました。

Yahoo!ニュース(個人)
死と隣合わせの日本最難関コースに溢れる登山者 山岳ガイドが感じた危機感


■ユーザーの高齢化


Googleに関しては、チャットGTPのようなテキスト生成AIがもっと精度が増して普及すれば、検索のあり方も大きく変わり、Googleが神のようにネットに君臨していた時代も終わりを告げるかもしれないという見方があります。

そういったGoogleをとりまく環境の変化に伴い、YouTubeにおいても、配信料だけでなく運営のシステムそのものの見直しが始まるのは充分考えられるでしょう。きつい言い方をすれば、素人のおままごとがお金になるような、そんな”いい時代”がいつまでも続くわけがないのです。

YouTubeがTikTokに対抗するために、ショートに注力するという話もありますが、それで激化する視聴時間争いに勝てるのかと言ったら首を傾げざるを得ません。このように今のGoogleは他社のサービスを追随するだけで、昔みたいにネットを牽引するようなパワーは完全に失われているのでした。

それからもうひとつ、YouTubeには、ニコ動やフェイスブックやヤフコメなどと同じように、コアな層が固定されたまま年を取って行くユーザーの”高齢化”の問題があります。「素人シニアYouTuber急増」(日刊ゲンダイ)などという記事は、それを象徴するものでしょう。YouTubeにとって、高齢化と低俗化は避けられない問題なのです。そう考えれば、今後、YouTubeが、既に「論外」と言われているフェィスブックと同じような運命を辿るのは、目に見えているような気がします。


関連記事:
ユーチューバー・オワコン説
2023.06.11 Sun l ネット l top ▲
23102289.jpg
(イラストAC)



■法律改正は国家の都合


昨日(6月9日)、参議院本会議で入管法改正案の採決が行われ、自民・公明・維新・国民民主などの賛成多数で可決され成立しました。

入管法改正案は、手っ取り早く言えば、出入国管理や入管施設のキャパを超えるほど収容者=「不法残留外国人」が増えたため、難民申請や収容のあり方を見直すというものです。要するに、「不法残留外国人」を減らすためです。

今回の入管法の改正について、私は、2010年に貸金業法と利息制限法が改正された際に、その改正案作りに関わった旧知の弁護士が言っていたことを思い出しました。

当時は、自己破産が年間10万件(2010年は12万件)を超えるほど、多重債務が社会問題になっていました。そのため、東京地裁はは、申し立ての急増で手がまわらなくなり、免責の可否を決める審尋を書面だけで済ませるようにしたくらいです。つまり、自己破産の申立てを行なっても、裁判所に出廷しなくてよくなったのです。

そんな状況を改善するために、国が法律が改正して、自己破産件数を減らすことにしたそうです。旧知の弁護士は、どちらかと言えば国寄りの人でしたが、「法律は国家のためにあるので、国家の都合で変わるんですよ。キャパを越えたので匙加減を変更したのです。別に多重債務者を救済する目的なんかではありませんでした。結果的に多重債務者の救済や業者の淘汰につながっただけです」と言っていました。

今回の改正案では、「収容者を減らす」(出入国管理業務の負担を減らす)ために、2つの大きな改定を行ったのでした。ひとつは、難民申請中は強制送還が停止されるという規定を見直して、申請は原則として2回に限るとしたのです。3回目以降は、「相当の理由」がなければ規定を適用しないことにしたのです。これは、言うまでもなく収容期間を短縮する(早く国外退去させる)ためです。また、もうひとつは、退去するまでの間、施設に入らずに「監理人」と呼ばれるボランティアのもとで生活できる新しいシステムが設けられたことです。このシステムは、施設に収容する人数を減すのが狙いなのでしょう。

でも、これだけ収容人数が増えたのは、難民認定率が0.3%という、およそ先進国では考えられないような認定率の低さがあるからです。そうやって国が「不法残留外国人」を増やしてきたからです。難民であるかどうかを審査する参与員の一人は、2021年4月の衆院法務委員会で「難民はほとんどいなかった」と発言して物議を醸したのですが、それは「いなかった」のではなく「いない」ようにしたからでしょう。

そう発言した女性参与員は、参与員が100人いるにもかかわらず、ひとりで難民申請の25%を担当していたそうです。どうしてそんな片寄ったことになったのかと言えば、彼女が難民の認定に消極的だからです。前向きな参与員のところには審査の依頼が来なかったそうです。今回の入管法改正案は、そんな恣意的な行政の延長上にあるのです。

ちなみに、その女性参与員は、一方で、地雷除去の活動をしており、「難民を助ける会」という国際NGO団体の名誉会長も務めているそうです。何だかジキルとハイドのような話ですが、旧統一教会のダミー団体でも問題視されたように、「難民」とか「平和」とか「環境」とか「SDGs」とかいった耳障りのいい言葉は、いったん保留して(場合によっては眉に唾して)二度見三度見をする必要があるでしょう。

■山本太郎代表と望月衣塑子記者


一昨日(6月8日)の参院法務委員会で改正案が強行採決された際に、法案に反対するれいわ新選組の山本太郎代表が暴力を振るったとか、取材に来ていた東京新聞の望月衣塑子記者が傍聴席から「不規則発言」を行なった(要するにヤジを飛ばした)として、与党だけでなく法案に反対した立憲民主党や同党に随伴する左派リベラルからも批判が起こっているそうです。私は、それを聞いて、文字通り世も末のような気持になりました。

たとえば、多くの社会運動にコミットして来た社会学者の木下ちがや氏は、ツイッターで両名を次のように批判していました。



木下ちがや氏は、山本太郎代表が強行採決のあと、街頭でその暴挙を訴えたことに対しても、「ほらさっそく路上で受難ごっこ」とヤユしているのでした。「民主主義にとって害悪」なのはどっちなんだ、と言いたくなります。何だか衣の下から鎧が覗いているような気がしてなりません。

山本太郎代表に対しては、与野党共同で懲罰動議が出される予定だと言われています。参議院懲罰委員会の委員長は、ガーシーの懲罰でおなじみの鈴木宗男氏ですが、ガーシーに対するやり方が踏襲されているような気がしないでもありません。味をしめたと言ったら言いすぎかもしれませんが、国会ではガーシーの一件によって、懲罰のハードルが格段に下がったように思います。

れいわ新選組に関しては、参院本会議で櫛渕万里共同代表が「与党も野党も茶番!」という紙を掲げたことに対して、既に10日間の「登院停止」という懲罰を科しているのでした。また、同様の行為を行なった大石晃子共同代表に対しても、厳重注意の処分が下されています。

2019年、北海道の札幌で演説中の安倍首相(当時)に向かって、「安倍やめろ」とヤジを飛ばした男女が警察に排除されるという出来事がありましたが、国会でも同じことが行われているのです。しかも、国会は、懲罰まで科しているのですから警察より始末が悪いと言えるでしょう。

一方、れいわ新選組は、声明の中で次のように述べています。

れいわ新選組
【声明】「闘わない野党」への檄(げき)- 財務金融委員長解任決議案の否決を受けて。(2023年5月12日 れいわ新選組)

現在の与野党のパワーバランスでは、正攻法では太刀打ちできないのだ。

選挙で勝って議席を増やし、与野党の議席を拮抗(きっこう)させてあらがえるようになるまでは、
どれだけ酷い法律が作られても仕方がない、とあきらめるのか。

私たちは、そのような政治家のメンタリティや永田町仕草が、日本をここまで破壊に導いたと考える。

「ちょっとは闘いました」アピールの野党では、悪法の増産は止められない。話にならない。


「野党なら本気で闘え」と言っているのです。もっとも、タイトルどおり「闘わない野党」に激を飛ばしているつもりなら、それは的外れと言わねばならないでしょう。

大塚英志氏は、ツイッターに次のように投稿していました。


余談ですが、大塚英志氏がリツイートした時事の記事によれば、自民党の世耕弘成参院幹事長は、(望月記者は)「もうジャーナリストではなく活動家だ。(取材用の)記者記章を取り上げる必要がある」と発言したそうです。でも、それは、ネトウヨが望月氏を攻撃する際の常套句とそっくり同じなのでした。自民党とネトウヨが共有するものが垣間見えたような気がしました。その認識は、上記の木下ちがや氏のツイッターも共有しているように思います。

それにしても、翼賛化する一方の国会と、”異物排除”に手を貸す野党や左派リベラルに対しては、もはやおぞましいという感覚しかありません。こんなやから、、、、、、に何を期待しろというのか。


関連記事:
SEALDs批判のタブーと左の全体主義※2016年9月
左の全体主義※2015年9月
2023.06.10 Sat l 社会・メディア l top ▲
publicdomainq-0011037fpvdio.jpg
(public domain)



■ガーシーの犯罪


逮捕されたガーシーのYouTubeでの収益は1億円だそうです。ほかに二次使用の切り抜き料の収入も数千万円あったと言われています。

それらのお金は、親族や本人、それに複数の別人の口座に送金されていたそうです。

ガーシーのチャンネルは、ガーシーひとりで運営されていたわけではないのです。言うなれば、「東谷義和のガーシーch【芸能界の裏側】」は、ガーシーの冠番組のようなものだったのです。もちろん、ネタもガーシーが持ち込んだのですが、しかし、そのネタを材料にして番組を企画・制作するのに別の人物たちも関わっていたのです。それらの人物の下には実際に実務に携わる人間たちもいたはずで、あの暴露チャンネルにはかなりの人数が関わっていたとみるのが常識でしょう。

今言われている「名誉棄損」「常習的脅迫」「威力業務妨害」「強要」という容疑に限っても、ガーシーだけでなくそれらの“共同制作者たち”に捜査の手が及んでもおかしくないのです。さらに、チャンネルの運営とは別に、ガーシーの周辺の人物たちもチャンネルに便乗して、利害関係のある特定の人物に関するネタを提供したり、ガーシーに“暴露”を依頼していたと言われており、そういった周辺の人物たちも事情聴取される可能性があるでしょう。

■YouTubeの建前と本音


YouTubeには様々な禁止事項や暴力や死や性に関してのNGワードがあるそうです。にもかかわらず、炎上系とか迷惑系と呼ばれる動画が制作され、多くの視聴者を集めているのでした。そして、彼らは、そういったゲスな動画で再生回数を稼ぎ、動画に貼り付けられた広告によって少なくない金額の配信料(広告費)を得ているのでした。

もちろん、動画に広告を貼り付けているのも、ユーチューバーに配信料(広告費)を分配しているのも、Googleです。

それどころか、最近では、「あなたは日本の歴史の真実を知っていますか?」というような陰謀論や、後背位でセックスをしているような女性の顔が映し出されて、「60歳でもビンビンです」というような強精剤の広告さえ目立つようになっているのでした。

Googleの建前と本音には、呆れるというよりもはや嗤うしかありません。さすがに、Googleも創業以来掲げていた「Don’t be evil(邪悪にならない)」という行動規範を2018年に削除したのですが、今やGoogle自身がevilな存在になっていると言ってもいいでしょう。

■ネット通販の黎明期


私がネット通販をはじめたのは2004年でした。Googleが創業(会社設立)したのが1998年で、日本にオフィスを開設したのが2001年ですから、その3年後のことでした。

2004年当時の日本のインターネットの検索エンジンは、YST(Yahoo! Search Technology)と呼ばれていたヤフーのシステムが圧倒的に強くて、Googleのシェアはまだ20~30%でした。YSTやGoogleのほかにマイクロソフトにも、今のBingの前身で、アメリカのinktomi(インクトミ)という検索エンジンを利用したMSNサーチという検索エンジンがありました。

YSTで上位に表示されるには、ヤフージャパンのディレクトリ型検索サービスである「Yahoo!カテゴリ」に登録されることが必須で、3万円だかを出して申請したことを覚えています。

関連記事:
Google ※2006年4月

2004年当時はまだネット通販の黎明期でした。先行者だったということもあり、YSTでもGoogleでも上位(つまり1ページ目)に掲載されて、最初から順調にスタートすることができました。もちろん、当時のブログでも書いていますが、ネットは容易に模倣できるので(それどころかフィッシングサイトさえ簡単にできてしまう)、すぐに似たようなサイトが雨後の筍のように出て来たことは言うまでもありません。

2010年にYSTの撤退に伴い、ヤフージャパンがGoogleのエンジンを採用したことで、日本におけるGoogleのシェアはいっきに80%以上になったのですが、それでもしばらくは上位掲載が続いていました。

ところが、Googleの寡占体制が確立されると、Googleのアロガントな体質が徐々に目立つようになってきたのです。つまり、現在、EUなどが問題にしている検索と広告を結び付けた(広告サイトを優遇するような)システムができていき、検索ページでも資本力のある大きな企業のサイトが上位に並ぶようになったのです。それにつれ、自社のサイトも目に見えて後退して行ったのでした。昔のGoogleの検索ページは、すっきりして見やすかったのですが、広告が目立つようになると、ひどく汚れて見にくくなっていきました。

上の記事でも書いているように、初期の頃は、私たちのような資本のない零細な業者でも、ネット上では大手の会社と対等に競争できたのです。それで“ウェブ民主主義”と呼ばれたりしていました。しかし、革命の理想はホンのつかの間で終わったのでした。

■ネットとリアル


何度もくり返しますが、ネットにおける「言論の自由」も、所詮はGAFAのようなプラットフォーマーが自社の利益と照合した上で、便宜的に保障しているにすぎないのです。プラットフォーマーなどと言うともっともらしく聞こえますが、要するに、彼らはリアル社会のインフラを使ってサーバーを運営しているアメリカの民間企業にすぎないのです。

ガーシーのような動画が可能だったのも、Googleから見れば、ハグのようなものだったのかもしれません。しかし、国家権力の要請によって、あのように簡単にBANされるのです。BANされればすべてはそれで終わりです。ガーシーと一緒にするなと怒られるかもしれませんが、それは「言論の自由」においても決して他人事とは言えないでしょう。

昔はビジネスでも、言論活動でも、ゲリラ的に行うことが可能でした。しかし、GAFAのようなプラットフォーマーが台頭すると、ネットの世界も整序され、リアル社会の権威や秩序がネットにも持ち込まれるようになり、その結果、ネットとリアルの境界が曖昧になったのでした。ネットとリアルを対立概念のように捉えて、ネットの優位性みたいな話がまことしやかに言挙げされていますが、もはやそんな時代でもないのです。

初期の頃のネットの”無料経済”を支えていた広告に依存するビジネスモデルも、視聴時間の競争が激しくなった現在では難しくなっていると言われます。広告に依存するビジネスモデルの代表格はGoogleですが、そのGoogleでさえYouTubeの広告の低迷に収益の足を引っ張られているのでした。

広告に依存するビジネスモデルに代わるのがサブスクですが、しかし、サブスクこそネットとリアルの垣根を越えた時間とお金の奪い合いなので、その収益化はさらに難しいと言えるでしょう。

去年あたりから似たようなリベラル系のYouTubeチャンネルが立て続けに登場していますが、しかし、扱うテーマも出演するコメンテーターも重複しており、傍目で見ても、それで収益化するのは至難の業だろうなと思います。

■ITと身体


山に登ったりすると、身体性(身体的なもの)によって私たちが規定されていることがよくわかります。私たちは、自分の身体を通して、世界との関係を築いていくのです。いくらチャットGTPがネットを席捲しても、そこには身体性(身体的なもの)はなく、世界を獲得することはできないのです。

マイナンバーカードのように、安易に個人情報を提供すれば、あとは五月雨式に様々な情報が紐付けられ、私たちの生活が国家の手によって丸裸にされることになるのですが、眼の前にぶら下げられた餌に一に二にもなく飛びつく人たちは、そんなことさえわかってないかのようです。便利さと引き換えに、中国式のデジタル監視社会が完成し、私たちは自分の個人情報で自分が縛られることになるのです。

中国の警察官が、3D眼鏡のようなものを装着して街頭に立っている動画を観たことがありますが、眼鏡は指名手配犯や危険人物の顔認証のデータと接続されており、目の前の通行人の中に該当する人物がいればヒットして反応するようになっているのでした。そういった光景も他人事ではなくなるのです。

Fx_FFb-acAEmEV0.jpg
@ks1531471966より

これは、上記のツイッターから拾った画像ですが、このようにマイナンバーカードの導入は、欧米では管理社会化への懸念による国民の抵抗によって廃止されているのでした。一方、日本では、周回遅れのトップランナーのように、“中国化”がいっそう加速されているのです。

もっとも、マイナンバーカードは、個人情報保護法と社会保障と税の一体改革がベースになっており、その意味では旧民主党政権も無関係とは言えないのです。立憲民主党やその界隈の左派リベラルが、今になって善人ズラしているのにはいつものことながら呆れますが、ただよく聞けば、彼らは「拙速だ」と言っているだけで、マイナンバーそのものに反対しているわけではないのです。彼らは、欧米の市民のレベルにも達してないリベラルもどき、、、にすぎないのです。

でも、ちょっとクサい言い方をすれば、私たちの生き死にや人生の喜びや悲しみは、ITやデジタルやAIの便利さとは何の関係もないのです。そんなものがあろうがなかろうが、私たちは生老病死から解放されるわけではないし、貧困や疎外から解放されるわけでもないのです。そう考えることは、決して時代遅れでも情弱でもトンチンカンなことでもないのです。逆に、1件7500円で自分の個人情報を売り渡す、この国のマジョリティの人間たちを心底から嗤ってやればいいのです。
2023.06.08 Thu l 社会・メディア l top ▲
朝日新聞 (2)



■インディーズ候補


朝日新聞は、統一地方選に関連して、下記のようなテーマで「ルポ インディーズ候補の戦い」という連載をしていました。

全5回
「ルポ インディーズ候補の戦い」
議員のなり手不足が指摘されるなか、既存政党の枠組みから距離を置き、独自の選挙戦を繰り広げる候補者たちがいる。何が彼ら彼女らを突き動かすのか。孤独な戦いに迫る。


ところが、その4回目(5月30日)に埼玉県草加市の河合悠祐市議を取り上げたのですが、記事を読んだ読者から、同議員が顔を白塗りしたジョーカーの扮装で、Colaboのメンバーなどに差別的な言葉を吐きながら激しく絡んだり、ツイッターで再三に渡ってColaboを中傷する投稿を繰り返しているという指摘があったそうです。それで、本人に確認したところ、「その場でも、その後のツイッターでも、けなすような過激な発言をしたのは大人げなかった。不適切だった」と認めたため、もとの記事が削除され、下記のような記事に差し替えられたのでした。

朝日新聞デジタル
第5回
京大卒ジョーカー、挫折の先の自己実現 ウケ狙いから当選への分析

もう元の記事を読むことができませんが、記事自体はよくあるインタビュー記事です。ところが、周辺の取材は一切やらず、ただ本人が喋ったことをそのまま記事にしただけなのでした。そもそも河合氏は2021年の衆院選と参院選では“NHK党”から出馬していますので、「インディーズ候補」ですらないのです。

河合氏については、ウィキペディアやツイッターをチェックすればすぐわかることですが、それすらもしてなかったのでしょう。

スポーツ新聞や週刊誌のコタツ記事と同じじゃないかという声がありますが、もしかしたらコタツ記事以下かもしれません。朝日新聞の落日を象徴するような話だと言う人もいますが、落日するにしても程があると言いたくなります。記事を書いたのは入社して10年くらいの記者だそうですが、10年でこれかと思うと、新聞記者としての適格性を欠いているとしか思えません。

しかも、記者の後ろには、記事をチェックするデスクと呼ばれる上司がいたはずなのです。デスクは何をチェックしていたんだろうと思います。節穴どころの話ではないのです。

青木理氏か望月衣塑子氏だかが、今の朝日は昔のようにクオリティペーパーとして問題提起するような気概も姿勢もなく、ただ、ネットで人気のあることを後追いして記事にするようになっている、と言っていましたが、さもありなんと思いました。

これこそまさに大塚英志が言う「旧メディアのネット世論への迎合」にほかなりません。それも、その劣化版と言ってもいいようなあり様なのでした。かつて700万部あった部数が400万部を切り、さらに1年で15%のペースで減り続けているという惨状が、このような貧すれば鈍す(としか思えない)醜態を晒すことになったのかもしれません。もはや危機どころではないのです。

■ロシア人ユーチューバー


しかも、ネットを後追いしているのは、河合悠祐市議のケースだけではありません。

別紙の「GLOBE+」のサイトには、次のような記事が掲載されていました。

GLOBE+
ロシア人は海外移住指向 ソ連崩壊、ウクライナ侵攻…私が国籍を日本に変えたい理由

あしやさんという女性は、私も結構前からチェックしていますが、登録者数が30万人を越えるロシア人の人気ユーチューバーです。前にも書きましたが、ロシア人ユーチューバーには、やたら日本を賛美して再生回数を稼ぐチャンネルが多いのですが、彼女もその中の一人です。と言うか、既にYouTubeを開設して11年になるそうで、その先駆けと言っていいかもしれません。

もちろん、ユーチューバーと言っても一人でやっているわけではなく、同じ人気ユーチューバーのHIKAKINが所属する(現在は顧問)マネジメント会社に所属していました。たしかに、動画を観ると、テーマや構成や喋り方などに、視聴者の心を掴むような仕掛けが垣間見える気がします。しかし、今は「GLOBE+」にも登場している同じロシア人ユーチューバーの小原ブラス氏が設立した事務所に移籍し、マネージャーも付いてタレント活動も行っているようです。

彼女は、日本人好みのきれいな顔をしていますので、その美貌がユーチューバーとして成功する要因になったのは間違いないでしょう。また、日本語も堪能で、ややハスキーがかった声で落ち着いた喋り方をするので、それも魅力的に映ったように思います。同じロシア人でも、おっさんが「日本の景色に涙した」「日本の食べ物に感涙した」「日本人の優しさに感動した」と言っても、彼女のような人気を得ることはできなかったでしょう。

過去にはスキャンダルまがいの出来事で自粛していた時期もあったようですが、こんな白人のきれいな女性から、「日本に恋した」「だから日本人になりたい」と言われれば、それだけで視聴者の男たちが舞い上がるのは当然のように思います。

ただ、余談ですが、最近は、ロシア人の牙城に韓国人が進出しており、ロシア人も安閑としてはおれなくなっています。韓国人の場合、「反日」のイメージが強いので、韓国人が「日本に恋した」「もう韓国に帰れない」などと言えば、日本人の自尊心(愛国心)を大いにくすぐることになり、そのインパクトは絶大なのです。

このように、少なくとも彼女は、例えは悪いですが、ガーシーなどと同じように配信料を稼ぐためにYouTubeを運営している、専業ユーチュ―バーなのです。専業ユーチューバーにすぎない、と言ってもいいかもしれません。

とは言え、彼女がロシアのウクライナ侵攻に反対し、帰化を希望しているのはたしかで、それも最近の動画の大きなテーマになっています。ユーチューバーとして時流を読み、日本の世論に阿っているだけじゃないか、というような意地悪な見方もありますが、しかし、帰化したいという気持に嘘偽りがないことはよくわかります。

ただ、ユーチューバーで帰化を申請するのは、「無謀」と言えるくらいハードルが高いのも事実でしょう。それに、身も蓋もないことを言えば、顔がきれいで日本語が堪能な外国人(白人)女性だから、多くの支持を集め、好意的に受け取られていることもまた、否定し得ない事実でしょう。もとより、YouTubeというのは(と言うか、ネットというのは)もともとそういうものなのだ、ということも忘れてはならないのです。

■ロシアの生活


TBSのモスクワ特派員だった金平茂紀氏が、特派員時代の知り合いに会うために、年末年始にモスクワを訪れたときのことをネットで話していたのですが、金平氏は「あくまで自分が見た範囲だけど」と断りを入れて、モスクワの市民たちの日常は予想外なくらい「普通だった」と言っていました。ロシアは経済制裁で市民生活が困窮しているとか、プーチン体制のもとで窮屈で暗い日常を送っているとかいったイメージがありますが、人々の生活は駐在していた頃と変わってなかったし、赤の広場も、カウントダウンを楽しむ人々で賑わっていたと言っていました。

私自身も、結婚してロシアの地方都市で生活している、下記の日本人のYouTubeをよく観ていますが、たしかにショッピングセンターからユニクロやマクドナルドやスターバックスやナイキやアディダスのような外国企業が撤退した光景を映したような場面はあるものの、動画で紹介されている日々の生活は、びっくりするほど「普通」なのです。車を走らせている道路沿いの工場も通常通り稼働しているし、市場も中東や近隣の国などから輸入された野菜や魚で溢れているのでした。

YouTube
森翔吾

侵攻した直後、経済制裁でロシア・ルーブルが暴落するかもしれないと、お金を物に変えるためにあわてて日本車を買う場面などもありました。その際、担当したディラーのセールスマンは、日本車の輸入が止まったので、のちに失業することになるのでした。そういった影響はありますが、しかし、市民の生活はきわめて「普通」です。

あしやさんのように、別に反政府運動をして迫害されたわけでもないのに、ロシア国籍を捨てたいというのも、ロシアの生活水準がそれなりに「豊か」で、政治的な自由もそれなりにあり(あって)、それに大学進学率が高く、女性の地位も高いということなどが関係しているように思います。

エマニュエル・トッドは、ソ連が崩壊したのは国民の中で高等教育を受けた人の割合が25%を超えたことが要因である、と言っていましたが、ちなみに、25歳から64歳の大卒の人口比率(2021年・OECDのデータ)を見ると、ロシアは56.73%で、カナダに続いて世界第2位なのです。尚、日本はロシアの次の第3位です。高等教育を受けた人の割合が閾値を超えると、権力や権威の求心力が低下し、国民国家が民主化やグローバル化の波に洗われて揺らぎ始めると言うのです。

また、エマニュエル・トッドの家族システムの分類によれば、ロシアは、親子関係が権威主義的だけど兄弟関係が平等な「外婚制共同体家族」とされています。中国やベトナムなども同じで、党や国家は権威主義的だけど人民は平等主義的という、社会主義思想との親和性がもともと高いのです。尚、日本は、親子関係が権威主義的で兄弟関係が不平等な「直系家族」です。それは、保守政治を蝕んでいる世襲制の問題を考える上でも参考になるように思います。

徴兵を逃れるために多くの若者が国外に脱出したという報道もありましたが、それは、ロシアがウクライナのように、18~60歳の成人男性の出国が禁止されていたわけではなかったので、脱出することも可能だった、と考えることもできるのです。ウクライナは、成人男子の出国を禁止しているため、法を犯して出国するしかなく、そのためワイロが横行しているという話もあります。もちろん、「政治的な主張を除いて」という括弧付きですが、ロシアは、私たちが想像するような(メディアが言うような)かんじがらめに縛られ監視されているような社会ではない(なかった)のです。

侵攻した際、ニュース番組の中で戦争反対のボードを掲げた国営放送の女性キャスターがいましたが、彼女は拘束されたもののすぐに解放され、さらにそのあと、再びモスクワの街頭で戦争反対を訴えるボードを掲げたために、刑事訴追の怖れが出て、フランスに出国したと言われています。私たちは、彼女の勇気とともに、その間の”ゆるさ”にも驚きました。それは、普段抱いているロシアのイメージからは程遠いものだったからです。多くの日本人は、拘束された時点で拷問され、仮に解放されても秘密警察から四六時中監視される(下手すれば”変死”する)ようなイメージを持っていたはずですが、そうではなかったのです。

あしやさんもそのあたりのことを次のように書いていました。ただ、外国人だから仕方ない面はあるものの、文章はチャットGTPで書いたような通り一遍で平板なものでした。

私の友人や知り合いも、侵攻の前後で考えは変わったようです。

侵攻前は、海外移住したい気持ちはあったものの、ロシアでの生活が、ある程度豊かだったので、無理して海外に出て、ゼロから生活を築こうとは思わなかったといいます。たとえ政治に不満があっても、生きていく上では何ら不自由はなかったわけです。

ところが軍事侵攻が始まると、状況は全く変わりました。「これ以上、ロシアに住むことはできません」「ロシアで税金を払いたくない」「戦争する国にはいたくない」などと思うようになり、目が覚めたようです。
(上記「GLOBE+」のコラムより)


私たちが知りたいのは、ロシアの地べたの人々の実像なのです。そして、ウクライナ戦争に対して反戦を訴えるなら、ロシア・ウクライナを問わず、まずそういった地べたの人々の視点からこの戦争を考え、連帯することが大事なのです。

双方のプロパガンダとは別に、ウクライナ戦争が多分に抑制された、、、、、戦争であるのは事実でしょう。たとえば、今盛んに言われているウクライナの「反転攻勢」にしても、ウクライナは「反転攻勢」するぞ、総攻撃するぞ、とまるでロシアに通告するように公言していますが、そんな手の内を明かすような戦争があるのかと思います。しかも、日本のメディアは毎日のように「『反転攻勢』がはじった」と言っていますが、実際はいつまで経っても「反転攻勢」は始まらないのでした。

メディアであれば、そういった抑制された、、、、、戦争の内実を伝えることが必要でしょう。知らないことを知らせてくれるのがメディアのはずです。

あしやさんを取り上げたのも、ただネットで話題になっていることを後追いして、それを記事にする今の朝日の姿勢が出ているように思えてなりません。少なくとも、ひと昔前だったら、このようにネットに媚を売り、ネットに便乗するような企画はやらなかったはずです。
2023.06.05 Mon l 社会・メディア l top ▲
先程、ガーシーが既に日本行きの飛行機に搭乗していて、成田に向かっている、というニュースがありました。

別に競馬の予想屋ではないですが、それ見たことか、と自慢したくなりました。ただ、自首ではなく強制送還だったようです。

下記の記事をお読みください。

⇒ 【大胆予想】ガーシーは帰って来る

「名誉棄損」「常習的脅迫」「威力業務妨害」「強要」などの容疑はあくまでトバ口に過ぎないのです。これから第二幕が始まるのだと思います。

彼ら、、は、相変わらず虚勢を張っていますが、過去のSNSなどを見ると、言っていることが的外れでトンチンカンなことばかりだというのがよくわかります。メディアもコタツ記事ばかりなので、あたかも彼ら、、が言っていることにも、”三分の理”があるかのように思ってしまいますが、それは単に詐欺師の口上(そうなればいいなあという”希望的観測”を断定口調で言っている)にすぎないのです。

21世紀になり、資本主義が高度に発達するにつれ、社会や仕事のシステムは複雑になる一方ですが、肝心な人間はまったく逆に、どんどん退行して”単細胞”になっているような気がします。Googleが言った「集合知」や「総表現社会」とはこういうことだったのかと思いました。ガーシーの事件(と言うか、騒動)は、まさにそういった時代を象徴していると言えるでしょう。

最後に嫌味を言うつもりはないですが(でも嫌味ですが)、ヘタレな芸能マスコミは、せめてガーシーの親友である田村淳のコメントくらい取って来いよ、コタツ記事を書いているだけが能ではないだろう、と言いたいです。


関連記事:
『悪党 潜入300日 ドバイ・ガーシー一味』
日本の重大事? ガーシーの帰国問題
ガーシーは帰って来るのか?
続・ガーシー問題と議員の特権
ガーシー問題と議員の特権

※この記事は後日削除する予定です。
2023.06.04 Sun l 社会・メディア l top ▲
横濱物語



■仮面強盗事件


5月8日に銀座で起きた「仮面強盗事件」で、逮捕されたのが16~19歳の横浜の遊び仲間だったという報道について、吉田豪氏がネットの番組で、「犯人が横浜の不良仲間と聞いて納得できましたよ」と言っていましたが、横浜住みの私も同じように思いました。

他の強盗事件にも関与していたようですが、しかし、闇バイトで実行部隊を集めた「広域強盗事件」ではなく、それを真似た事件だったのです。

先輩や友人に誘われてやったという供述が、如何にも横浜らしいなと思いました。横浜に住んでいると、誰が横浜をオシャレな街だなんて言ったんだ、と思うことが多いのです。

ガーシーが裏カジノにはまって借金を作ったのも、横浜の福富町の裏カジノだと言われていますが、さもありなんと思いました。

私は、前に横浜市立大を出た馳星周に、横浜を舞台にしたピカレスク小説を書いて貰いたいと書いたことがありますが、横浜ほど馳星周の小説が似合う街はないのです。

■『横濱物語』


にわか市民の私にとって、横浜のバイブルと言えるのは、平岡正明の『横浜的』(青土社)と小田豊二氏の『横濱物語』(集英社)です。

『横濱物語』は、黄金町の遊郭で生まれ、終戦後の横浜の夜の街でその名を轟かせた松葉好市氏という生粋のハマっ子に聞き書きした本で、終戦直後から1960年代半ばまでの、文字通り横浜が栄華を極めた頃の風俗や不良たちのことが語られているのでした。その中に、次のような箇所がありました。

 大正初期だったと聞いていますが、横濱の港湾荷役事業のために神戸からやってきたのが、「各酒藤兄弟会(かくしゅとうけいていかい)」。鶴井寿太郎、酒井信太郎、藤原光次郎というそれぞれの親分の頭文字を取って付けられた組織名で、いわゆる全国の港湾関係を仕切るために産まれた組織なんですね。
(略)
 その「鶴酒藤」の看板を次の世代で背負ったのが、酒井信太郎、笹田照一、藤木幸太郎、鶴岡政次郎といった親分衆。みなさん、神戸の山口組二代目・山口登さんと五人の兄弟分の人たち。その人たちが新興勢力として関西から横濱にやってきた。
藤木さんと鶴岡さんは綱島一家の盃をもらって藤木一家、鶴岡一家を興し、酒井さんと笹田さんもこの横濱で一家を構えて、親分になったんです。
(略)
 藤木企業? ええ、その前身です。でも息子さんはカタギで、いまでは横濱を代表する立派な実業家です。(略)
  港湾の仕事は、とにかく人を集めなければ話になりませんからね。それも働くのは沖仲仕と呼ばれる荒っぽい人たちですから、そういう組織がないとしめしがつかない。


 GHQは最初、荷役の下請けを禁止していたんですよ。ところが、直接に沖仲仕を雇うと、ストとか起こりやすいじゃないですか。それで、笹田親分の笹田組や鶴岡さんのところの東海荷役、それから藤木さんの藤木企業という会社に下請けをまかせたんです。(略)


松葉氏は、「この港湾事業のおかげで戦後の横濱が発展した」と言っていました。「とにかく横濱に行けば仕事にありつける」ということで、横浜に人が集まったのでした。そして、アメリカが接収した土地の6割が横浜に集中していたと言われるくらい進駐軍の影響が大きかった横浜は、繁華街もアメリカ文化に彩られ「憧れの街」になったのでした。そんな中から愚連隊が生まれ、横浜は愚連隊の発祥の地だと言われたそうです。「仮面強盗事件」の少年たちは、元祖愚連隊の継承者と言っていいのかもしれません。

■映画「ハマのドン」とカジノの”再燃”


2021年の横浜市長選では、山下埠頭にIR、つまりカジノを誘致するかどうかが大きな争点になりました。そして、カジノ反対の急先鋒に立ったのが、”ハマのドン”と言われた藤木企業会長の藤木幸夫氏でした。藤木氏は、昵懇の仲であった菅義偉首相(当時)と袂を分かって、立憲民主党が擁立した反対派の山中竹春候補(現市長)を支援することを表明し話題になりました。

その藤木氏を描いた映画「ハマのドン」が今月から劇場公開されています。これは、テレビ朝日が製作した2022年2月放送のドキュメンタリー番組を劇場版に再編集したもので、監督はテレビ朝日の「報道ステーション」でプロデューサーを務めた松原文枝氏です。

ところが、今年の2月の市議会で、山下埠頭の再開発計画に関する「山下ふ頭再開発検討委員会」の設置が決まったことで、横浜でカジノが”再燃”するのではないかという声が出ているのでした。と言うのも、再開発の事業者提案の中に、山下埠頭をスポーツ・ベッティング(スポーツの試合を対象にした賭け)の「特区」にするという計画案が含まれていたからです。しかも、スポーツ・ベッティングの解禁には法改正が必要なので、「特区」という文字に政治家や経産省の深慮遠謀を指摘する声もあるのでした。検討委員会の設置には、自民党だけでなく立憲民主党も共産党も賛成して、反対したのは無所属の2人だけだったそうです。

そういったカジノ”再燃”の不穏な動きとの絡みもあり、映画「ハマのドン」に対しても、「虚構」だ、藤木氏をヨイショしているだけだ、という批判が噴出しているのでした。私は、まだ本編を観ていませんが、予告編の冒頭に、「主権は官邸にあらず 主権在民」というキャッチコピーが画面いっぱいに映し出されるのを観ると、たしかに違和感を持たざるを得ないのでした。

市長選前の2021年8月3日に、藤木氏は外国特派員協会で記者会見を行なったのですが、その中で注目を集めた発言がありました。

YouTube
横浜市カジノ誘致に反対 「ハマのドン」藤木氏が会見(2021年8月3日)

「カジノの問題なんか小さな問題なんです。ただ、マスコミの皆さんがやっぱりカジノを中心にリポートされてるから、これだけのことになってる。私、カジノはやっていいんですよ。横浜港以外ならどこでもやってくださいよ。だって国がやると言ってるんだから」


ここに来て、藤木氏はカジノには反対ではなかった、ただ利権から外されたので反対しただけだ、という見方が再び取り沙汰されているのでした。

■旧市庁舎の売却問題とMICE


先日の市議会では、気に入らない質問があるとあきらかに不機嫌な様子を見せて、ふんぞり返るように椅子に座っている市の幹部の態度が一部の市民から批判されていましたが、横浜市は名にし負う役人天国でもあります。カジノの”再燃”には、横浜市庁舎の”中の人”たちの意向もあるのではないかという穿った見方もあります。何故なら、みなとみらいと同じように、巨大な天下り先が確保できるからです。

横浜にはカジノだけでなく、ほかにも問題が山積していますが、反対派が「激安処分」と呼ぶ旧市庁舎の売却問題もそのひとつです。林文子市長の時代に、旧横浜市庁舎の建物5棟を7700万円で売却し、土地を77年の定期借地権付きで貸し付ける契約を三井不動産を代表とする8社の企業グループと結んだのですが、これに対して、「たたき売り」だとして契約の差し止めを求める住民訴訟が起こされているのでした。しかし、立憲民主党に擁立された山中竹春市長は、契約は妥当で市に瑕疵がないと判断し、林市政の方針を受け継いでいるのでした。

7700万円で売却した旧市庁舎は、1959年に建築家の村野藤吾の設計によって建てられた、戦後日本を代表する近代建築と言われるような歴史的価値がある建造物です。しかも、2009年に60億円をかけて耐震補強までしているのでした。建物は一応保存することが売却条件になっており、そのうち旧行政棟は、星野リゾートの系列会社が2026年からホテルとして運営することが決まっています。一方で、三井不動産などの企業グループは、同じ敷地内に、地上33階建て高さ170メートルの高層ビルを、2026年完成を目指に建設することをあきらかにしているのでした。

市庁舎がある関内地区には、「都市景観形成ガイドライン」によって、さまざまな規制がかけられており、建築物の高さも実質的に33メートルから40メートルに規制されていました。そのため、私もこのブログで書いたことがありますが、都内のように高い建物で頭上を覆われるような圧迫感がなく、ヨーロッパの街のようなゆったりした雰囲気があり、それが横浜の街の魅力でした。ところが、いつの間にかガイドラインが”緩和”され、高層ビルの建設が可能になっていたのでした。もっとも、2020年に新しく建てられた市庁舎も32階建の豪奢なもので、行政みずからが横浜の街の景観を壊しているのでした。

山下埠頭の再開発では、基本計画の中に、観光庁が推進する「MICE」がテーマとして掲げられています。「MICE」というのは、「企業等の会議(Meeting)、企業等の行う報奨・研修旅行(Incentive Travel)、国際機関・団体、学会等が行う国際会議(Convention)、展示会・見本市、イベント(Exhibition/Event)の頭文字」(観光庁のサイトより)から取った言葉で、政府が成長戦略の一環として打ち出した総合リゾート型観光の中核をなすものです。要するに、そこにあるのは、コンクリートの箱を造ってイベントをやって滞在型の観光客を呼び込むという、旧態依然とした発想です。当然、その中にスポーツ・ベッティングの「特区」も含まれるのでしょう。

横浜がインバウンドの取り込みに失敗しているのは事実ですが、それはイベントをやる施設がないからではないのです。街がミニ東京みたいになってしまって外国人観光客に魅力がないからです。食べ物であれ景観であれ何であれ、日本を訪れる外国人観光客たちが求めるのは”日本らしさ”です。つまり、彼らは、ありのままの日本の歴史や文化を求め、異文化を体験するために日本にやって来ているのです。それがわかってないのではないか。

言うまでもなく、横浜は独自の歴史と文化を持った街ですが、その”記憶の積層”を過去の遺物だと言わんばかり(ゴミのように)に捨て去ってしまう今のやり方は、みなとみらいと同じように、のちに大きな禍根を残すような気がします。

■村社会の魑魅魍魎たち


横浜市は、人口が376万人(2023年1月現在)の大都市ですが、一方で古いしがらみが残る地方都市の側面もある街です。老舗と呼ばれる商店や、港湾(倉庫)業や運送業や建設業など、進駐軍がもたらした戦後の繁栄の恩恵に浴した者たちが、まるで”村社会”のように横浜の政治・経済を牛耳っているのでした。

たとえば、菅義偉元首相が小此木八郎氏の父親の秘書だったかとか、藤木幸夫氏が小此木八郎氏の名付け親だったとか、人間関係も非常に濃密です。そのため、彼らが表面的に対立する構図となった先の横浜市長選も、利権をめぐる“村社会”の内輪もめにすぎないのではないかという見方が当初からありました。

たしかに、林市政のときと同じように、いつの間にかオール与党体制に戻って、市長が変わっても”村社会”の利権の構造は何も変わってないのでした。

下記のような共産党の県議の投稿に対して、カジノ反対派の市民たちが反発していますが、しかし、言っていることはわかる気がします。


共産党も「山下ふ頭再開発検討委員会」の設置に賛成したので、お前が言うなという気がしないでもありませんが、横浜の“村社会”とそこに跋扈する魑魅魍魎たちのことを考えれば、話がそんな単純なものではなかったことがわかるのです。裏には裏があるわけで、横浜市民だったらそのくらい考えなさいよ、と言いたいのだろうと思います。それこそ横浜市歌を空で歌えるような横浜市民たちもまた、利権のおこぼれを頂戴するために横浜の“村社会”を支えているのです。私には、屋根の上からばらまかれる餅に我先にむらがるような、そんなイメージしかありません。

横浜市は、まさに日本の地方の縮図なのです。ただ、日本で一番人口の多い都市(市)なので、そのヤバさが桁違いだということです。「ドン」と呼ばれる人物や官尊民卑を地で行くような小役人が我が物顔で跋扈する街のどこがオシャレなんだ、と言いたくなるのでした。


関連記事:
横浜市長選の争点
”ハマのドン”の会見
横浜市政は伏魔殿
関内あたり※2010年2月
横浜の魅力※2009年3月
2023.06.01 Thu l 横浜 l top ▲
FC2.jpg



■属地主義


先週の金曜日(5月26日)に、下記のようなニュースがありました。

ITmedia NEWS
ドワンゴ、特許裁判でFC2に勝訴 一審から逆転勝訴となった決定打は?

ニコニコ動画を運営するドワンゴが、FC2動画を運営するアメリカネバダ州にあるFC2,Inc.を特許侵害で訴えていた控訴審で、知的財産高等裁判所が、一審の東京地裁の判決を覆して、ドワンゴ側勝訴の判決を言い渡したというニュースです。

訴えられていたのは、コメントが画面に流れるあのシステムに対してです。あのシステ厶は、実はドワンゴの特許だったのです。にもかかわらず、FC2動画にも同じシステムが使われているのでした。と言えば、FC2の侵害であることは誰が見てもあきらかで、議論の余地もないでしょう。

ところが、一審の東京地裁では、「特許権の侵害に当たらない」とドワンゴの訴えが退けられたのでした。何故そんなことになるのかと言えば、FC2の運営会社がアメリカの会社で、サーバーもアメリカにあるため、法律が及ぶのは自国内に限るという“属地主義”の原則に触れるからです。それぞれの国にはそれぞれの国の法律があるので、日本の法律は日本の国内に限る、というのは当たり前と言えば当たり前の話です。

特許を侵害しているかどうかという事実の認定の前に、そもそも法律が適用できるのかという“属地主義”の原則が立ちはだかったのでした。

しかし、FC2動画は日本のユーザー向けのサービスで、流れているコメントも日本語です。また、広告の管理も大阪にある関連会社が行っており、実質的にサイトを運営しているのはその関連会社と言われているのです。

高裁では、そういったドワンゴ側の主張が一転して認められ、流れるコメントの差し止めと1100万円の賠償金が言い渡されたのでした。

今までは、サーバーが海外にあれば日本の法律が及ばないという考えが一般的だったので、業界にとっては予想外の判決で、大きな衝撃を持って受け止められているそうです。法曹界でも、“属地主義”という法律の大原則を覆す判決だとして、物議を醸しているのでした。品性下劣な左派リベラルが言うような、ガーシーやNHK党と関係のあるエロ動画サイトの違法行為が認定されて「ざまあ」みたいな話ではないのです。

これは裁判には直接関係のない話ですが、もっとも、ニコ動はもうオワコンという声も多く、ニコ動とFC2の裁判も、負け犬同士のケンカのように思えなくもありません。

マーケティングアナリストの原田曜平氏(芝浦工大教授)は、SNSなどのネットサービスについて、TikTokのシェアは全年代では22.5%だけど、Z世代に限れば50%を占め、ダントツに若い年代から支持されている、と言っていました。それに対して、Twitterは下降気味で、YouTubeもほとんど伸びてないのだそうです。そして、フェイスブックとニコ動は「論外」と言っていました。

■FC2の生命線


私は、FC2ブログを利用していますので当然FC2の会員ですが、ユーザーの立場から見ると、FC2が悩ましい会社であるのは事実です。2013年には、大阪の関連会社の社長(FC2の創業者の高橋理洋氏の実弟)らが、わいせつ電磁的記録媒体陳列の容疑で逮捕され、2015年には高橋理洋氏自身も同容疑で「国際海空港手配」されたのでした。また、2021年にはFC2動画でわいせつ動画を流したとして、ユーザー7名が逮捕されています。

FC2ブログは非常に使いやすいし、サイトの自由度も高いので重宝しているのですが、ただ、FC2の収益の大半はFC2動画、それもアダルト動画(エロ動画)と言われています。つまり、FC2ブログは、エロ動画のお陰で成り立っているようなものです。このようにFC2にとって、エロ動画は生命線でもあるのです。でも、それは同時にアキレス腱とも言えるのです。実際に、警察の要請によって、昨年の6月からFC2の動画サイトでクレジットカードが使えなくなったために、投稿される動画も売上げも激減しているという記事もありました。そうなれば、当然会社の経営にも支障をきたすようになるでしょう。エロ動画におんぶにだっこされているブログも、ある日突然終了になるんじゃないかと懸念する声もありますが、それも杞憂とは言えないかもしれません。

■高橋理洋氏


高橋理洋氏の強気な発言を見ると、FC2は警察と対立しているので、情報開示にもなかなか応じないのではないかと思っていましたが、実際は逆で、FC2は素直に開示に応じる会社なのだそうです。そんな話を聞くと、益々嫌気が差して来るのでした。あの強気な発言もただの虚勢だったのかと思いました。

高橋理洋氏は今は経営から手を引いていると言われていますが、ガーシーの事件以後、仲間が増えて嬉しいのか、まるで亡霊のようにやたらネットに顔を出すようになりました。彼が参院選に立候補するに際して開設したYouTubeでも、思わず目を覆いたくなるような、成金趣味むき出しのはしゃぎぶりでした。FC2会員としては、そんな創業者の高橋理洋氏の存在が目障りでなりません。FC2のいかがわしいイメージをよけい増幅させている感じさえあります。ガーシーと一緒に「ドバイ来ない?」なんて言っている動画を見せつけられると、何とかしてくれよと言いたくなるのでした。


関連記事:
FC2について
『悪党 潜入300日 ドバイ・ガーシー一味』
2023.05.31 Wed l ネット l top ▲
23589319.jpg
(イラストAC)


■格差という共通の問題


『ニューズウィーク』のウェブ版で、「デジタル権威主義とネット世論操作」というコラムを連載している作家の一田いちだ和樹氏が書いていた下記の記事は、非常に示唆に富んだものでした。

Newsweek(ニューズウィーク日本版)
陰謀論とロシアの世論操作を育てた欧米民主主義国の格差

一田氏は、国際的な陰謀論や世論操作などは、相手国に「分断と混乱」を招いている問題をターゲットする、と書いていました。

情報戦、フェイクニュース、偽情報、ナラティブ戦、認知戦、デジタル影響工作といったネットを介した世論操作は相手国の国内にある問題を狙うことが多い。その問題は相手国ですでに国内の問題として存在し、分断と混乱を生んでいる。そのためどこまでが他国からの世論操作によるものなのか、自国の国内問題なのかという判別は難しい。
(上記記事より。以下引用は同じ)


代表的なのは「格差」です。「格差」は、今や世界の「共通の問題」になっているのです。フェイクの標的になるのは、「格差」によって忘れられた存在になった社会的弱者たちです。彼らは、メディアや「政治の場で取り上げられることも少なく、不可視の状態になっている」と言います。そのため、社会的な共感を得ることも難しく、彼らを「共感弱者」と呼ぶのでした。

一田氏が書いているように、世界の人口の半数を占める貧困層が保有している資産は、僅か2%にすぎません。一方、世界の人口の10%の富裕層の人々が保有している資産は、全体の76%の資産を占めているのです。

インバウンドでは、中国や台湾やシンガポールは言わずもがなですが、タイやマレーシアやインドネシアやフィリピンやベトナムなどのアジアの国からやって来た観光客たちが、私たちが目を見張るような羽振りのよさを見せるのは、彼らがグローバル資本主義の勝ち組の富裕層だからです。私たちも口にできないような高価な和牛を次々と注文して、「安くて美味しい」と言い放つ彼らは、間違いなく私たちより豊かな生活をしているのです。でも、その背後には、海外旅行など想像すらできないような人々がその何倍も存在するのです。インバウンドばかりに目を奪われる私たちにとっても、彼らは「不可視な存在」になっているのです。

一田氏は、続けてこう書きます。

かつて欧米の民主主義国の左派政党は低学歴・低所得者層を支持母体としていたが、徐々に高学歴・高所得層へとシフトしていった。その結果、格差の下位にいる人々の声を政治の場に届けるのはポピュリストのみになった。(略)
民主党を支持の中心は、投票者の90%を占める低位の人々ではなく、上位10%の人々に変化している。同様の傾向は他の欧米の民主主義国でも見られる。
(略)
現在、格差の下位にいる人々がまとまって影響力を行使することは難しい。彼らは多様であり、まとまるためのイデオロギーもない。共通しているのは富裕層=エスタブリッシュメントへの反発である。また、共感弱者(男性、白人など)は共感強者(LGBT、移民など)に反感を持つ傾向がある。共感弱者とはさきほどの共感格差の下位にいる人々でメディアで取り上げられることが少なく、共感を得にくい。共感強者とはメディアに取り上げられ、結果として政治の場でも取り上げられやすい。


それを一田氏は、「ガソリンがまかれている状況=格差が放置されている状況」と言います。

もちろん、日本も例外ではありません。貧困対策より、子育て支援が優先されるのはその典型です。与党も野党も、中間層を厚くしなければならないとして、中間層向けの政策ばかりを掲げるのでした。

しかし、話はそれだけにとどまらないのです。

■スマートシティ


日本政府は、バイデンの要請に従って、今にも中国が台湾や沖縄に攻めて来るかのように言い募り、民主党のスポンサーである産軍複合体に奉仕するために軍拡に走っていますが(実態は型落ちの在庫品を割高な値段で買わされているだけですが)、その一方で、行政の効率化の名のもとに、中国式の“デジタル監視社会”をお手本にして、似たようなシステムを導入しようとしているのでした。

私たちの個人情報をマイナンバーカードに一元管理しようとする試みなどはその最たるものでしょう。また、公共空間における監視カメラと顔認証の普及も然りです。それらが紐付けされれば、中国のような便利で効率のいい、行政官が理想とする社会になるのです。にもかかわらず、パンデミックを経て、それがディストピアの社会であるというような声はほとんど聞かれなくなりました。『1984年』を書いたジョージ・オーウェルも、そのタイトルのとおり、完全に過去の人になってしまった感じです。

問題はガソリンがまかれている状況=格差が放置されている状況なのだから、格差を是正するか、徹底的に低所得層を抑圧して活動を制限するしかない。現時点でもっとも効果的なのは後者、つまり徹底した抑圧を実現するための統合社会管理システムになる。中国やインドが推し進めている監視、行動誘導、国民管理を一体化したシステムである。古い言葉で言えば高度監視社会であり最近の言葉で言えばスマートシティだ。中国はすでにこのシステムを他国に販売している。
(略)
格差を是正するよりは、格差を不可視のままにして、中露の世論操作への対策を口実に中国やインドのような統合社会管理システムを構築し、徹底した抑止を行う方がよい。
(略)
早期にシステムを作れば多くの国に販売・運用代行することも可能であり、産業振興にもつながる。アメリカ、特にSNSプラットフォーム企業は意図的にそうしている可能性が高い。


極端なことを言えば、僅か10万円の給付金のために私たちはみずからの自由を国家に差し出すことに何の抵抗もなくなったのです。そして、今度は「産めや増やせよ」の現代版である「異次元の少子化対策」の餌をぶら下げられ、一も二もなく”デジタル監視社会”への道に身を委ねているのでした。

もちろん、政治においても同様です。この「格差」の時代に、上か下かの視点をみずから放棄した左派リベラルの(階級的な)裏切りは万死に値しますが、それが今の翼賛的な野党なき、、、、政治を招来しているのは論を俟たないでしょう。国際的な陰謀論と連動したミニ政党が跋扈したり、まるで目の上のたん瘤だと言わんばかりに立憲民主党界隈かられいわ新選組に対する攻撃が激しさを増しているのも、その脈絡で考えれば腑に落ちるのでした。


関連記事:
日本の貧困と民衆蜂起の時代
左派のポピュリズム
2023.05.30 Tue l 社会・メディア l top ▲
publicdomainq-0029612xtzswr.jpg
(public domain)



■メディアの環境の変化


前の記事の続きになりますが、ジャニー喜多川氏や市川猿之助氏の問題を考えるとき、やはり念頭に浮かぶのはメディアの問題です。

何度もくどいほど言いますが、ジャニー喜多川氏の問題ではテレビや週刊誌や新聞など既存のメディアは臭いものに蓋をしてきたのです。そして、テレビや週刊誌は、市川猿之助氏の問題においても、今なお、ポイントを外れた(外した)ような報道を続けているのです。市川猿之助氏の代役を務めた市川團子氏を絶賛し、市川團子氏は澤瀉おもだか屋の救世主になった、などと頓珍漢なことばかり言っているのでした。

ジャニー喜多川氏の問題では、既存メディアもやっと重い口を開くようになったのですが、ジャーナリストの青木理氏は、下記の番組で、ジャニーズ事務所がメディアをコントロールする力を失くしたのは、BBCという外圧だけでなく、「メディア環境の変化」によるところが大きいと言っていました。

Arc Times
ジャニーズ事務所凋落の1つの理由はメディア環境の変化にある 

私も何度も書いてきましたが、芸能界では芸能人が独立するとテレビで干されるのが常でした。芸能プロダクションとテレビ局が、そうやって芸能界をアンタッチャブルなものにしてきたのです。しかし、ネットが普及すると、大手メディアが介在しないところで“世論”が形成されるようになり、芸能プロダクションやテレビ局のコントロールが利かなくなったのでした。

番組では、ジャニーズ事務所の関連でSMAPの例をあげていましたが、私は女優ののん(能年玲奈)がその典型だと思います。彼女は、独立したためにテレビで干された(今も干されている)のですが、しかし、テレビ以外のところで大成功を収めて、事務所に所属していた頃とは比べものにならないくらいの収入を得ていると言われます。それを可能にしたのも、メディアの環境が大きく変わり、テレビに頼らなくてもいいようなシステムができたからです。ちなみに、のんの場合、能年玲奈は本名なのですが、本名を前の事務所で芸名として使っていたとして、裁判所で使用禁止の訴えが認められて、芸能活動を行う上では本名が使えないというアホみたいな話になっているのでした。まったく日本はどこまでヤクザな国なんだと思います。

■文春砲


そして、そのネットの“世論”を形成するのに大きな役割を果たしているのが“文春砲”です。政治家が今や怖れるのも、新聞ではなく“文春砲”だ言われているのでした。

しかし、青木氏は、「文春が元気なのは週刊誌ジャーナリズムの最後の輝き」だと言うのでした。どういうことかと言えば、文春があんなにスクープを連発できるのは、他の週刊誌にいた「ハイエナのような」記者たちが、最後の砦のように文春に集まっているからにほかならないからです。毀誉褒貶はあったにせよ、昔はフライデーでも週刊現代でも週刊ポストでもみんな元気でした。ところが、どこも路線変更してスキャンダリズムの旗を降ろしたのでした。それで、書く場を失ったフリーの記者たちが文春にやって来て、今の”文春砲”の担い手になっているというわけです。

週刊誌が元気だった頃、週刊誌で働くフリーライターたちが作った(名前は正確に覚えていませんが)「働く記者の会」とかいう労働組合みたいなものがありました。私も同会が主催する講演会に行ったことがありますが、そこには、竹中労が言うような「『えんぴつ無頼』の一匹狼のルポライターや記者たちが沢山いました。

青木氏は、文春も紙媒体としては恐らく赤字のはずだ、と言っていました。しかも、出版社の中で、デジタル化に成功したコミックの出版権を持ってない出版社はこれからはもっと苦しくなることが予想され、文春の母体の文藝春秋社も例外ではないのです。

そもそも文春などの週刊誌やネットメディアは、ファクトチェックをするだけで、一次ファクトを提示するような力を持ってないというのは、そのとおりでしょう。

■朝日の弱い者いじめ


一次ファクト、つまり、一次情報を取りに行くような(調査報道を担う)記者たちが減り続けている現状にこそ、ジャーナリズムの危機があるのです。

青木氏によれば、現在、朝日新聞には1900人近くの記者がいて、朝日以外の新聞社には1000人程度の記者がいるそうです。テレビはNHKを除くと、記者は大体100人くらいだそうです。しかし、あと10年もすれば半減するだろうと言われているのです。

たとえば、朝日新聞は、最盛期は800万部くらいの部数を誇っていましたが、今では400万部を切っていると言われています。デジタル会員も20~30万人にとどまっているそうで、その惨状は想像以上なのです。名物記者が次々と辞めているのも、故なきことではないのです。

一方、朝日と提携しているニューヨーク・タイムズは、クオリティ・ペーパーとしての評価は高かったものの、もともとはニューヨークの地方紙で発行部数も数10万部にすぎませんでした。それが今では、英字紙というメリットも生かしてデジタル化に成功し、デジタル会員が600万人を超え、紙と合わせると1千万部近くに増えているそうです。ただ、アメリカでも地方紙は壊滅状態だそうで、それがトランプ現象をもたらしたような陰謀論がはびこる要因になっているとも言っていました。

最近、朝日新聞が、足立区議選で初当選した女性議員に関して、立候補する前の今年3月に、アニエスベーのコピー商品をフリマアプリで転売した商標法違反で、東京簡裁から罰金刑を受けていたことを報じ、同議員が初登庁の日に辞職するというニュースがありました。言っていることが矛盾しているではないかと思われるかもしれませんが、私は朝日が火を点けたあのバッシングを見て、嫌な感じを受けました。朝日はスクープしたつもりなのかもしれませんが、国会には下着泥棒をしながら政権与党の要職に就いている議員もいるくらいで、むしろ弱い者いじめをしているようにしか見えませんでした。

たしかに、女性議員がやったことは法に触れることではありますが、ビジネスとして常習的にやっていたわけではなく、転売で得た収益(差額)は2115円です。「ニセモノとは認識していなかった」というのもホントだったかもしれません。件の議員は、Twitterに「情けないです」と投稿して、辞職したことをあきらかにしたのですが、可哀想に思えたくらいです。

しかも、朝日新聞系列のAERA dot.では、「他にも余罪の可能性がある」という”憶測記事”を書いて、Yahoo!ニュースで拡散しているのでした。そのため、ヤフコメの恰好の餌食になったのですが、しかし、立件されたのは、あくまで2115円の収益を得た1件だけなのです。何だかそこには”悪意”さえあるような気がしてなりません。反論できないことをいいことにして、水に落ちた犬をさらに叩くような、こういったメディアはホントに怖いなと思います。

重箱の隅をつつくのではなく、重箱に盛られた特大のうなぎの正体を暴けよと言いたくなりますが、今の朝日にこんなことを言っても、所詮馬の耳に念仏なのでしょう。総理大臣の記者会見も、最初から質問者も質問する内容も決められた「台本の読み合わせ」にすぎないと望月衣塑子氏は言っていましたが、記者クラブの大手メディアの記者たちは読者や視聴者を愚弄しているとしか思えません。質問もしないでパソコンを打っているだけなら、AIで充分でしょう。

元朝日記者の鮫島浩氏は、朝日が5月1日から再び値上げしたことに関して、急激な部数減に襲われている新聞は益々政府広告への依存を深め、政府広報紙のようになっていると批判した上で、次のように書いていました。

かつての同僚に聞くと、もはや「読者拡大」で経営を再建することや「政権を揺るがす大スクープ」を狙って報道機関の使命を果たすことよりも、公的機関や富裕な高齢層など上級国民の一部読者を囲い込みつつ、とにかくリストラを進めて会社を少しでも長く延命させることを志向しているという。

さらなる発行部数の減少はすでに織り込み済みなのだ。会社上層部の世代が逃げ切るための「緩やかに衰退していくソフトランディング路線」である。典型的な縮小再生産といっていい。

Samejima Times
マスコミ裏話
朝日新聞がまた値上げ!異例のハイペースの500円アップで月額4900円に〜購読料を払う一般読者よりも新聞広告を出す政府に依存する経営がより鮮明に


青木氏も言っていましたが、メディアにはさまざまなタブーが存在します。言論の自由なんて、病院の待合室に掲げられている「患者様の権利」と同じで、絵に描いた餅に過ぎないのです。竹中労は、「言論の自由なんてない。あるのは自由な言論だけだ」と言ったのですが、けだし「自由な言論」とは、記者個人の気概や資質の問題にほかならないのです。偉い人や偉そうな人を「この野郎」と思う気持があるかどうかなのです。一次情報を取りに行く記者の数が減るという問題もさることながら、その前に記者の質を問う必要もあるでしょう。

愛国ビジネスという言葉がありますが、YouTubeの広告を見てもわかるとおり、今やネットを中心に“陰謀論ビジネス”が雨後の筍のように登場しており、右派メディアの愛国ビジネスが、身過ぎ世過ぎのために“陰謀論ビジネス”と合体しているような現実もあります。ファクトチェックどころか、ファクト自体が存在しない中でのファクトチェックまがいのことがはじまっているのです。


関連記事:
追悼・佐野眞一
最後のルポライター

トピック関連記事
BAD HOP ※ BAD HOP解散
『令和元年のテロリズム』 ※長野立てこもり事件
2023.05.26 Fri l 社会・メディア l top ▲
publicdomainq-0004880qkujnp.jpg
(public domain)



■幼稚と暴力


ジャニー喜多川氏や市川猿之助氏の性加害を考える上で、私は、北原みのり氏がアエラドットに書いていた下記の記事を興味を持って読みました。

AERAdot.
幼稚と暴力がガラパゴス化したジャパン 「日本の今」を記録したドイツ人女性ジャーナリストが混乱した

北原氏は、ドイツ人女性ジャーナリストたちが、日本に1ヶ月滞在して取材した際に同行したのだそうです。

ドイツ人ジャーナリストは、歌舞伎町の様子をカメラに収めながら、「男性が支配的な国で、なぜこんなに子供っぽいものが多いのか?」と疑問を抱くのでした。

 日本は美しく、日本人は優しく、日本は安全で、どの町にも24時間営業のコンビニがあり、電車が時刻通りにくる便利な国……という良いイメージがあるが、フェミニストの視点でのぞいてみると、まったく違う顔が見えてくる。なかでもドイツ人ジャーナリストを混乱させたのは、「日本のかわいさ」と「暴力性」だった。


 街中のポスターや、アダルトショップで販売されている幼稚なパッケージを前に何度もそう聞かれ、「幼稚」と「暴力」はこの国では1本の線でつながっているのだと気が付かされる。ここは成熟を求められない国。成人女性が高く幼い声で幼い仕草で幼い言葉で「自分を小さく見せる」ことに全力をかける社会。成人男性の性欲はありとあらゆる方法でエンタメ化され、「ほしいものは手に入れられる」と幼稚で尊大な自己肯定感を膨らませ続けられる社会。


ホストクラブは日本にしかない“風俗”だそうですが、ホストたちは、「『貧しい家庭で育ち、学歴もなく、社会的な信頼もないオレ』が、一気に『勝ち組』になれるシステム」だとして、ホストクラブを男の夢として語るのでした。

■こどおじ


週刊誌の記事がホントなら、市川猿之助氏は、両親が老々介護をしているのを尻目に、スタッフをひき連れてホテルで乱痴気パーティを開き、その席でまるで絶対君主のように有無を言わせずに性的行為を強要していたのです。

そして、彼は、そんな暴力的で子どもじみたふるまいをしながら、週刊誌に「あることないこと書かれた」のでもう「生きる意味がない」と言い、両親に「死んで生まれ変わろう」と提案するのでした。何だか甘やかされて育てられた一人息子のボンボンの、どうしようもない(目を覆いたくなるような)幼稚さが露呈されているような気がしてなりません。

そんな市川猿之助氏は、澤瀉おもだか屋の二枚看板の一つである「猿之助」の名跡を継ぎ、これからの歌舞伎界を担うホープとして将来を嘱望されていたのでした。もし今回の事件がなかったら、そのうち人間国宝の候補になったかもしれません。あと10年もすれば紫綬褒章くらいは授与されたでしょう。でも、一皮むけばこんな「こどおじ」みたいな人物だったのです。

■大人と成熟


ジャニー喜多川氏も然りで、まわりの人間たちは、ジャニー氏がやっていることが「ヤバい」というのはわかっていたはずです。しかし、ジャニー氏もまた絶対君主だったので、みんな「見て見ぬふり」をしてきたのでした。

ジャニー氏の被害に遭った少年たちも、芸能界にデビューしてアイドルとしてチヤホヤされるために、ジャニー氏の欲望を受け入れるしかなかったのでしょう。しかも、年端もいかない少年であるがゆえに、グルーミングによって手なずけられたのでした。「ジャニーさんは父親みたいな存在」、そう言うと、メディアはそんな話でないことはわかっていても、それを美談仕立てにして誤魔化して来たのでした。

そして、少年たちは長じると、ニュース番組のキャスターを務めるまでになったのでした。彼らを起用したテレビ局も、ジャニー氏がやって来た「ヤバい」ことを知らなったはずがないのです。ジャニー氏の寵愛を受けたその中のひとりは、番組の中で、真相を語ることなく、ジャニーズ事務所は名前を変えて再出発すればいいと、どこかのカルト宗教みたいなことを言ったのでした。

記事のタイトルの「幼稚と暴力がガラパゴス化したジャパン」とは言い得て妙で、これは芸能界だけの話ではないし、セクハラだけの話でもありません。サラリーマンたちだって、似たような経験をしているはずです。みんな同じように、家族のためとか、生活のためとか、将来の年金のためとかいった口実のもとに、「ヤバい」ことを「見て見ぬふり」して来たのです。私も上司からよく「大人になれ」と言われましたが、会社では「見て見ぬふり」をすることが「大人になる」ことだったのです。

北原氏は、日本を「成熟を求められない国」と書いていましたが、日本の社会では、「成熟する」というのは「大人になる」と同義語なのです。つまり、「大人」や「成熟」という言葉は、現実を肯定し(「見て見ぬふり」をして)自己を合理化する意味で使われているのでした。そういった日本語の多義性を利用した言葉の詐術も、日本的な保守思想の特徴と言えるものです。それは文学も然りで、江藤淳の「成熟」も「こどおじ」のそれでしかなかったのです。

保守派からLGBT法は日本の伝統にそぐわないという反対意見がありますが、その伝統こそがジャニー喜多川氏や市川猿之助氏のような存在を生んだのです。国家に庇護された伝統と人気が彼らの性加害の隠れ蓑になったのです。私たちは、LGBT法とは別に、伝統こそ疑わなければならないのです。

■話のすり替え


ところが、ここに来てワイドショーなどを中心に、市川猿之助氏の才能や人柄をヨイショする報道が目立って増えており、中には復帰することが前提になっているような報道さえ出始めています。さすがに、それは違うだろうと言わざるを得ません。何だか再び(性懲りもなく)「見て見ぬふり」が始まっているような気がしてなりません。

(本人の供述として報道されていることを前提に言えば)自殺未遂に関しても、不可解な点がいくつもあるのです。たとえば、自殺したと言っても、家族三人が枕を並べて一緒に心中したわけではなく、両親と猿之助氏との間でかなりのタイムラグが生じていると推測されるのです。タイムラグの間に、猿之助氏は、向精神薬を飲んで昏睡状態に陥った(と思われる)両親の顔にビニール袋を被せて、呼吸しているかどうかを確認したと供述しており、しかもそのあと、ご丁寧に向精神薬の薬包紙やビニール袋を処分しているのでした。さらに、座長を務める公演を体調が悪いので休むとわざわざ電話しているのでした。その上、自宅の鍵を開けたままにしているのです。

もう一つ忘れてはならないのは、市川猿之助氏が、歌舞伎の”家元制度”を背景にして、日常的にパワハラやセクハラ(性加害)を繰り返していたということです。その性加害はジャニー喜多川氏と同様に、同性に対するのだったのです。そのため、彼の性的指向についても言及せざるを得ないのです。

にもかかわらず、テレビのワイドショーは、性的指向にはひと言も触れずに、伝統ある歌舞伎役者としての側面ばかりを強調しているのでした。それは、どう見ても話のすり替えのように思えてなりません。自殺未遂に関しても、市川猿之助氏は澤瀉屋の後継者としての重圧を背負った犠牲者みたいな言い方がされていますが、目を向けるべきはそっちではないでしょう。

もしこれが国家に庇護された歌舞伎界のスターでなくて”一般人”だったら、それこそ疑問点をあることないことほじくり返して、自殺を偽装した殺人事件のように報じるはずなのです。
2023.05.25 Thu l 社会・メディア l top ▲
publicdomainq-0023458aczxrm.jpg
(public domain)



■先客万来の虚構


観光地でゲストハウスや飲食店などを経営している友人から電話があったので、いつものように「景気はどうか?」と訊いたら、ゴールデンウィークの前半はよかったけど、「後半はダメだった」と言っていました。

「テレビは元に戻ったみたいな言い方をしているけど、元には戻ってないよ」と嘆いていました。
「結局、パンデミックの反動で一時的に戻っただけということか?」
「そうだよ。外国人観光客も完全に戻って来てないので、いい状態が続かないんだよ」

客単価も低くて、言われるほど千客万来の状態ではないと言います。

たしかに、コロナ禍前の2019年度の外国人観光客の「旅行消費額」4兆8135万円のうち、36.8%の1兆7704万円を占めていた中国人観光客は完全に戻って来てないのです。

今のような中国敵視政策が続けば、以前のようにドル箱の中国人観光客が戻って来るのか疑問です。核の脅威を謳いながら核戦争を煽っているG7サミットと同じで、中国を鬼畜のように敵視しながら観光客が来るのを首を長くして待っている矛盾を、矛盾と思ってないのが不思議でなりません。

メディアのいい加減さは、インバウンドでも、G7サミットでも、ジャニー喜多川問題でも同じです。たとえば、欧米の観光客はケチでショボいというのが定説でしたが、いつの間にか中国人観光客に代わる(言い方は変ですが)大名旅行をしているみたいな話になっているのでした。

もっとも、「外国人観光客が戻って来て大賑わい」というのも、外国人が日本の食べ物や景色や日本人の優しさに「感動した」「涙した」という、YouTubeでおなじみの動画の二番煎じのようなものです。その手の動画をあげているのはほとんどが在日の外国人で(その多くがロシア人で、最近は韓国人も増えてきた)、日本人の中にある「ニッポン、凄い!」の”愛国心”をくすぐって再生回数を稼ぎ、配信料を得るためにやっているのですが、テレビも視聴率を稼ぐために同じようなことをやっているだけです。

■被爆者の「憤り」


今回のサミットに対しては被爆者の間から批判が出ており、平岡敬元広島市も、次のように憤っていました。

朝日新聞デジタル
元広島市長「岸田首相、ヒロシマを利用するな」 核抑止力維持に憤り

平岡元市長は、「岸田(文雄)首相が、ヒロシマの願いを踏みにじった」「岸田首相は罪深い」と言います。

(略)本来は核が人間に与えた悲惨さを考えるべきです。核を全否定し、平和構築に向けた議論をすべきでした。

 加えて、19日に合意された「広島ビジョン」では、核抑止力維持の重要性が強調されました。

 戦後一貫して核と戦争を否定してきた広島が、その舞台として利用された形です。


 核を否定し、平和を訴えてきたヒロシマを、これ以上利用するなと言いたいです。

 広島を舞台にしてウクライナ戦争を議論するならば、一日も早い停戦と戦後復興について話し合われるべきでした。

 中国とロシアを非難するだけでは、緊張が高まるだけです。いかに対話をするか、和解のシグナルを発信する必要があります。

 戦争の種をなくし、平和を構築する。それが、岸田首相をはじめとするG7首脳たちに求められていることです。


しかし、翼賛体制下にある今の日本では、こんな発言もお花畑の理想論と一蹴されるだけです。

今回のG7サミットは、ゼレンスキー大統領の参加というお膳立てもあり、さながら第三次世界大戦の決起集会のようでした。どうすれば核戦争を回避し和平に導くことができるか、という議論ははなからありませんでした。とは言え、G7の拡大会議に出席したインドやブラジルの態度に見られるように、それも一枚岩とは言い難いものでした。

翼賛体制に身を委ねているのは、メディアだけでなく左派リベラルも同じです。彼らもウクライナVSロシアという戦時の発想に依拠するだけで、“戦争サミット”を批判する視点を持ってないのです。野党風な態度を取りながら、今の”戦争体制”を補完しているだけなのでした。

それは、新左翼も同じで、一部を除いてはロシアの侵略戦争というベタな視点しか持ちえず、アメリカの戦争政策に追随しているあり様です。そのため、前回のドイツ・エルマウのサミットのときのような、「戦争反対」のデモもまったく見られなかったのです。彼ら自称「革命的左翼」も完全に終わっているのです。

唯一行われた中核派系のデモも、下記の動画のように、警察によって徹底的に封じ込められたのでした。デモの様子は、日本のメディアではほとんど報じられませんでしたが、イギリスBBCによって、警察がデモ隊を暴力的に制圧するシーンが世界に拡散されるというオチまで付いてしまったのでした。また、現場となった商店街の市民が撮影した動画もネットにあげられ、それぞれ万単位の再生数を記録することになりました。こんなことを言うと叱られるかもしれませんが、ネットの時代のカンパニアとしては、大成功と言えるのかもしれません。

G7の首脳たちが円卓を囲んで微笑んでいるシーンや、ゼレンスキー大統領が各国首脳と握手しているシーンだけがG7ではないのです。こういったシーンも、G7広島サミットを記録する上で欠かせないものなのです。と言うか、唯一台本のないガチなシーンだったと言えるのかもしれません。


■資本主義の危機


ウクライナ戦争の天王山とも言われるバフ厶トを巡る攻防についても、一時はバフムトの陥落は近いと言われていました。しかし、最近は形勢が逆転して、ロシア軍が退却しているというような陥落を否定するニュースが出ていました。ところが、G7の最中に、ロシア国防省と軍事会社のワグネルがバフ厶トを掌握したと発表し、それに対して、ゼレンスキー大統領も、記者会見で、郊外で抵抗しているとか何とか言うだけで、完全に否定はしなかったのでした。どうやら当初の話のとおりバフ厶トの陥落は事実のようです。このように日本のメディアは、イギリス国防省やアメリカの国防総省のプロパガンダをそのまま垂れ流しているだけなのでした。そのため、ときどき「話が全然ちがうじゃないか」と思うようなことがあるのでした。

ウクライナ戦争や米中対立によって、西側の経済は大きな傷を負っています。そのことをいちばん痛感しているのは私たち自身です。資源高&エネルギー価格の高騰による物価高に見舞われ、生活苦も他人事ではなくなっています。その一方で、商社や金融機関や自動車メーカーなど大企業は相次いで好決算を発表しているのでした。つまり、大儲けしているのです。

財務省の法人企業統計によれば、大企業の内部留保は2021年度末で484.3兆円まで膨れ上がっているのですが、ウクライナ戦争を好機に、さらに積み増ししようとしているかのようです。この火事場泥棒のような現実こそ、資本主義の危機の表れとみなすことができるでしょう。

■中国抜きでは成り立たない現実


そもそも、国際的な分業体制が確立し、それを前提に成り立っている今のグローバル経済にとって、アメリカが言うような中国抜きのサプライチェーンなど絵に描いた餅にすぎないのです。

『週刊ダイヤモンド』の今週号(5月27日号)では、「半導体・電池『調達クライシス』」という記事の中で、中国ぬきでは成り立たないサプライチェーンの現実を次のように指摘していました。尚、記事の中のCATLというのは、世界最大の半導体メーカーである中国の寧徳時代新能源科技のことです。

 そもそも電池のサプライチェーンは、半導体とは全く異なる特殊性がある。半導体の場合は、設計、半導体材料、半導体製造装置、製造のあらゆる主要工程を米国、日本、台湾、オランダが握り、西側諸国でサプライチェーンを完結できる。だが電池の場合は、中国を介さずに調達できる国は一つとしてない。
 鉱物資源からレアメタルを取り出しす製錬工程が中国に完全に握られている他、日本に強みがある電池材料でも中国勢がコストや品質で猛追。さらに中核の電池製造では、日本と韓国を抑えて、中国電池メーカー2社が圧倒的だ。調査会社テクノ・システム・リサーチによると、22年(見込み値)で世界首位のCATLの出荷額は270GWh、シェアは46%に達する。
 すでにCATLは、中国EVメーカーだけにとどまらず、欧州各国、米テスラ、米ビックスリー、日系大手3社など世界中のEVに車載電池を供給している。「中国排除」のサプライチェーンなど成り立たないのは明白だ。
(『週刊ダイヤモンド』5月27日号)


また、今朝のNHKニュースでは、福岡の市場で競り落とされたノドグロやマナガツオ、アラカブ、タチウオといった高級魚が、香港や韓国や台湾などへ輸出されている現状を特集で伝えていました。そのために中国人の仲買人を雇っている仲卸会社もあるそうです。

NHK NEWSWEB
ビジネス特集・「日本人は金払えない」アジアの胃袋に向かう高級魚

番組によれば、市場に出入りする仲卸会社の大半が輸出に関わっており、既に売り上げの4割近くを輸出が占めている仲卸会社もあるそうです。

「もう国内だけではだめだと思います。われわれとしては、高く買ってくれるところに売るのが一番いいんです。今は海外のほうが確実にもうかります」という仲卸会社の社長の言葉が、今の日本を象徴しているように思います。

似たような話は、横浜橋の商店街でもありました。どこかのニュースでも取り上げられていましたが、横浜橋の商店街では中国人が経営する八百屋や魚屋や総菜屋が増えており、しかも、日本人経営の店より価格が安いので買い物客で賑わっているそうです。と言うと、ネトウヨと同じように、怪しい野菜や魚を売っているんだろうと言われるのがオチですが、しかし、実際は市場から正規のルートで仕入れているちゃんとした商品だそうです。要するに、日本人経営の店と違って、豊富な資金で大量に仕入れるため、その分仕入れ価格が安くなり安売りが可能になるというわけです。

中国が豊かになり、一方で日本が「安い国」になったので、ひと昔前だったら考えられないような”逆転現象”が起きているのでした。先の友人の話では、観光地のホテルや飲食店も、中国資本や韓国資本に次々と買収されているそうです。あそこもあそこもと私も知っているホテル名をあげて、みんな買収されたんだと言っていました。

■梯子を外される日本


米中対立も、超大国の座から転落したアメリカの悪あがきと言えなくもありません。日本はそんなアメリカの使い走りのようなことをやっているのですが、それはホントに国益に敵っていることなのだろうかと思ってしまいます。

昨年10月に国際決済銀行(BIS)が発表した、世界の外国為替取引高における通貨別シェアによれば、トップは言うまでもなくアメリカドルの88%で、第2位がユーロの31%、第3位が日本円の17%、第4位がイギリスポンドの13%で、中国の人民元は4%から7%に上昇したものの第5位でした。アメリカドルの圧倒的な強さは変わらないものの、アメリカが人民元のシェアが伸びていることに神経を尖らせているのは間違いないでしょう。言うまでもなく、今の通貨体制がアメリカの生命線でもあるからです。

一方で、中国は、BISとは別に独自の人民元国際決済システム(CIPS)を導入して、「一帯一路」沿線の国やいわゆるグローバルサウスと呼ばれる国を中心に人民元(それもデジタル人民元)での決済をすすめており、金融面においてもアメリカの覇権(アメリカドルの実質的な基軸通貨体制)に対抗しようとしているのでした。それが今の米中対立の要諦です。

ただ、深刻度を増す金融危機に見られるようにアメリカ経済も疲弊していますので、アメリカの対中政策が一転して軟化する可能性もあり、バイデンも最近、それらしきことをほのめかしているという指摘もあります。米中接近のときもそうでしたが、日本がいつアメリカに梯子を外されるかわからないのです。
2023.05.23 Tue l 社会・メディア l top ▲
24447.jpg
著作者:starline/出典:Freepik)


■パンデミックがもたらした大きな変化


今回のパンデミックでいろんなものが変わったのはたしかでしょう。後世になれば、そのひとつひとつが「歴史の証言」として記録されるに違いありません。

キャッシュレス化がいっきに進んだとか、マイナンバーカードのような個人情報の管理がいっそう進んだとか、ウクライナ戦争とそれに伴う世界の分断と経済の危機が益々顕著になったとか、そういったことが記録されるのかもしれません。

と同時に、パンデミックは個人の生き方にもさまざまな変化をもたらしたのですが、そういった私的な事柄は記録されることはないのです。せいぜいがその時代を特徴付ける風潮や価値観の中で触れられるくらいでしょう。

私の年上の知り合いで阪神大震災のとき、兵庫県西宮市に住んでいて被災した人がいました。家族で会社の社宅に住んでいたのですが、幸いにも社宅の倒壊は免れたものの、地震が収まったので外に出たら、外の風景が一変していて、思わずその場にへたり込みそうになったそうです。「考えてみろよ。目の前の風景が昨日までとはまったく違っているんだぞ。それを見て何もかも終わったと思ったよ」と言っていました。

彼が勤めていた会社は一部上場の大手企業で、既に年収も1千万円を超えていたそうですが、その翌年、会社を辞めて故郷に帰り、自分で小さな商売を始めたのでした。彼は、もし震災に遭わなかったら、会社を辞めてなかったかもしれないと言っていました。

「お前もそうかもしれないけど、俺たちは子どもの頃からお金より大事なものがあると教えられてきた。震災によってその言葉を思い出したんだ。仕事ばかりしていたので、もっと家族との時間も持ちたかったし、親も年を取ってきたので、親の傍にいることが親孝行になるんじゃないかと思ったんだ。そういうことがお金より大事なことだということに気付いたんだよ」

今回のパンデミックでも同じように思った人は多いのではないでしょうか。

私の知っている職場でも、パンデミックのあと、次々と人が辞めて人手不足で困っていると言っていました。その職場は公的な仕事を行なう非営利団体で、職員たちも公務員に準じた身分保障を与えられ、当然ながら定着率が非常にいい職場でした。ところが、パンデミックを経て辞めていく職員が続出しているのだそうです。私の知ってる元職員は、地方に移住して農業をやるつもりだと言っていました。故郷に帰った人間も何人もいます。

どうしてこれほど退職者が出ているのかと言えば、その団体がパンデミックに際して、COVID‑19に感染した生活困窮者をケアする仕事をしていたからです。中には充分なケアができずに亡くなった人も多く、職員たちが精神的なストレスを抱えることもあったようです。職員たちが目にしたのは、文字通り惨状と言ってもいいような光景だったのです。実際に精神的にきついと口にする元職員もいました。

戦争や自然災害においては、直接の被害者だけでなく、被害者をサポートした人たちもPTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症するケースがあると言われますが、それと似たような話なのかもしれません。

■あるブログの閉鎖


私がここ数年愛読していたあるブログがありました。それは10年以上前から書き継がれていたブログで、山行(登山)を主なテーマにしていました。ブログ主は中年の女性で、初心者のときから徐々にステップアップして、北アルプスを縦走するまでになり、そして、再び奥多摩や奥武蔵(埼玉)の山に戻って、自分のペースで山歩きを楽しむ様子が綴られていました。

やがて、そんな日常に、地方に住む母親の遠距離介護がはじまるのでした。それでも、介護と仕事の合間に近辺の山に通っていました。実家に帰った際も、時間を見つけて故郷の山に登ったりしていたのでした。

ところが、そこにパンデミックがはじまったのです。実家で一人暮らしする母親を何としてでもコロナウイルスから守らなければならない、というような書き込みもありました。

遠距離介護は続いていましたが、おのずと山からは遠ざかっていきました。それまで月に2~3回は山に行っていましたが、半年に1回行くかどうかまでになり、そして、とうとう今年の春にブログも閉じてしまったのでした。山に行くのが生き甲斐みたいな生活でしたので、閉鎖すると聞いてショックでしたが、パンデミックによって山より大事なものがあることに気付いたのでしょう。

そんなに細かくチェックしているわけではありませんが、いわゆる登山系のユーチューバーの中でも、更新を停止する人がこのところ多くなっています。公式に停止を表明する人もいるし、停止したまま放置する人もいます。

更新を停止する理由を見ると、身内の不幸や転職や離婚などがあげられています。もちろん、配信料のシステムが変わり収入が減ったということもあるのかもしれませんが、ただ、もしパンデミックがなかったら、登山までやめるという決断はなかったのではないかと思ったりもするのです。人生の転機においても、パンデミックによって、それがより大きなものになったり切実なものになったということはあるのではないでしょうか。

■”お気楽な時代”の終わり


こんな言い方は誤解を招くかもしれませんが、何だか“お気楽な時代”は終わった、という気がしないでもありません。

パンデミックによって、ある日突然、感染したり命を落としたりすることが他人ひと事ではなくなり、自分の生活や生き方を見直すきっかけになったということはあるのではないか。入院もできずに自宅で一人苦しみながら死を迎える人の姿はたしかにショックでした。日本は先進国で豊かな国だとか言われていますが、これが先進国の国民の姿なのかと思いました。訪問して来た医者が、「どこか入院できるように手を尽くしたけど受け入れ先がないんですよ。ごめんなさい。申し訳ない」と患者に告げているのを見ながら、どこが先進国なんだと怒りを禁じ得ませんでした。

ちょうど2年前に、私は、このブログで次のように書きました。

昨日の昼間、窓際に立って、ぼんやりと表の通りを眺めていたときでした。舗道の上を夫婦とおぼしき高齢の男女が歩いていました。買物にでも行くのか、やや腰が曲がった二人は、おぼつかない足取りで一歩一歩をたしかめるようにゆっくりと歩いていました。特に、お婆さんの方がしんどいみたいで、数メートル歩いては立ち止まって息を整え、そして、また歩き出すということをくり返していました。

お婆さんが立ち止まるたびに、先を行くお爺さんも立ち止まってお婆さんの方を振り返り、お婆さんが再び歩き出すのを待っているのでした。

私は、そんな二人を見ていたら、なんだか胸にこみ上げてくるものがありました。二人はそうやって励まし合い、支え合いながら、コロナ禍の中を必死で生きているのでしょう。

関連記事:
『ペスト』とコロナ後の世界


まだこの先も感染拡大が起きる可能性はありますが、私は、個人的にこのパンデミックをよく生き延びることができたなと思っています。私自身が、受け入れ先もなく、一人で苦しみながら息を引き取ることだってあり得たかもしれないのです。感染もせずに何とか生き延びたのは、たまたま運がよかったにすぎないのです。

余談ですが、先日、横浜市に、姉妹都市であるウクライナのキーウから副市長らが訪れた際、横浜市長が「復興に役立てて貰いたい」として、コンテナを繋ぎ合わせて、その中にCTなどの医療機器や入院用のベットを設置することで、応急的な治療施設ができるシステムを紹介した、というニュースをテレビでやっていました。私はそれを観ながら、じゃあどうしてパンデミックのときにそれやらなかったんだ?と思いました。そんな応急的な施設があったなら、受け入れ先もなく適切な治療も受けずに亡くなった人たちの何人かは助かることができたでしょう。市民よりウクライナの方が大事なのか、と言ったら言いすぎになるでしょうが、何だか割り切れない気持になりました。

たしかに、パンデミックを経て、多くの人々はみずからの人権より給付金を貰うことを優先するような考えに囚われるようになったのは事実です。今の異次元の少子化対策もそうですが、わずかな給付金のために、国家にみずからの自由を差し出すことに何のためらいもなくなったように思います。ただ、その一方で、目先のお金よりもっと大事なものがある、といった考えに立ち戻った人々もいるのです。そういった価値の”分断”も、はじまったような気がしてなりません。
2023.05.22 Mon l 日常・その他 l top ▲