女帝小池百合子


石井妙子著『女帝 小池百合子』(文藝春秋社)を読みました。

「救世主か? “怪物”か? 彼女の真実の姿」と帯に書かれた本書の肝は、なんと言っても、カイロ大学に留学していた際に、小池百合子と同居していた女性の証言です。小池百合子は、名門のカイロ大学を「正規の四年で(しかも首席で)卒業することのできた最初の日本人」と主張し、それが売りでメディアに登場して、現在の足場を築いたのでした。

ちなみに、小池百合子は、カイロ大学の留学時代に、アラビア語の語学学校で知り合った男性と学生結婚しています。それは、今回小池百合子の謎に包まれた”アラブ留学時代“を証言した「早川さん」と1回目の同居をはじめたあとの話です。小池百合子と「早川さん」が知り合ったのは、語学学校の共通の知人の紹介だったそうです。

その頃の小池百合子は、カイロ大学とは別の私立大学に通っていたそうですが、しかし、同居人の「早川さん」が「勉強しないでも平気なの?」と訊いたほど、本やノートを開くことはまったくなく、アルバイトに明け暮れていたということでした。お父さんが「石油を扱う貿易商」で、芦屋の「お嬢さま」だと聞いていたのに、親がまったく送金してこないので「驚いた」そうです。

関西学院大学を1年で中退してカイロにやって来た当時の小池百合子は、カイロ在住の日本人の中では飛びぬけて若く、日本人社会の中では「アイドルのような存在」でした。そのため、毎夜、二人が同居する家に商社マンなど男性が遊びにやって来るので、語学留学していた「早川さん」はこれではなんのためにカイロにやって来たかわからないと悩んだほどでした。

一方、結婚生活は、本人によれば「半年」とか「数ヶ月」とかで破綻してしまいます。ただ、小池百合子が再び「早川さん」の前に現れたのは、結婚するために引っ越してから3年後のことで、離婚後どこでどう暮らしていたのかはわからないと書いていました。そして、そこから二度目の同居がはじまったのでした。

結婚している間に、彼女は、父親の知り合いのエジプト政府の要人(副首相?)の紹介で、カイロ大学の2年に編入した(コネ入学した)と言われています。しかし、神戸にいた父親は事業に失敗して破産してしまいます。父親の仕事は、「石油を扱う貿易業」と言っていましたが、石油を直接輸入していたわけではく、「業転」(業者間取引の略)と言われる仕事をしていたにすぎません。

車に乗っていると、車体にエッソや昭和シェルやキグナスなどの石油会社の社名が入ってない無印のタンクローリーが走っているのを見かけることがありますが、あれが「業転」なのです。そういったタンクローリーは、メジャーの系列店とは別の安売りスタンドなどに、正規の流通で余った?ガソリンをスポットで納入しているのです。父親は、そのブローカーの仕事をしていたのです。

父親は、兵庫二区から衆院選挙に出馬するなど無類の「政治好き」でしたが、一方で、「大風呂敷で平気で嘘を吐く」「政治ゴロ」だったと陰で言う人もいます。破産後の小池家の”後見人”になった朝堂院大覚こと松岡良右氏は、父親の出馬について、「選挙に出て、あの家は傾いたんじゃない。傾いていたから一発逆転を狙って、後先を考えずに選挙に出たんやろ。議員になってしまえば、借金も返せると浅はかに考えて」と言っていたそうです。

父親の経歴について、本書は次のように書いていました。

   海軍中尉だったと語る一方で彼はまた、周囲に「満鉄経理部で働いていた」「満鉄調査部にいた」「満鉄の野球部で活躍した」とも語っている。だが、海軍にいたのなら満鉄にいられるわけはなく、満鉄にいたのならば海軍にいたとは考えにくい。


そういった「大風呂敷で平気で嘘を吐く」性格は、娘も受け継いでいるという声もあります。娘は父親を憎んでいたと言われており、事実、父親の話をすると不機嫌になったそうですが、しかし、二人は「一卵性父娘」だったと言う人も多いのです。

学歴だけでなく、芦屋のお嬢様だったという生い立ちも、間一髪飛行機事故を回避して命拾いしたという逸話も(それも二度も)、亡くなった父親や母親に関する美談も、もちろん、政治の世界に入ってからの数々の発言やパフォーマンスも、嘘とはったりで、「蜘蛛の糸を掴む」ようにして「虚飾の階段」を登るその過程でねつ造された「物語」だと書かれていました。

本書を読む限り、彼女の虚言は枚挙に暇がなく、学歴詐称はそのひとつに過ぎません。ただ、その後の彼女が歩んだ人生を考えれば、学歴詐称によって、小池百合子はルビコンの川を渡ったと言っていいのかもしれません。

先日、都議会で本書について自民党の都議から質問を受けた際、小池都知事は次のように答えたそうです。

自民党の清水孝治氏は、先日発売された「女帝小池百合子」というタイトルの書籍を手に質問。一部を音読するひと幕まであった。「百合子さん」と繰り返す清水氏に、小池氏は「これほど、本会議場でファーストネームで呼ばれたことは初めて」と、笑い飛ばした。

日刊スポーツ
小池知事、学歴詐称報道に「読んでいないので…」


本書を読むと、こういったはぐらし方こそ、如何にも彼女らしいなと思います。

学歴詐称問題は、今までも何度も取り沙汰されてきました。しかし、「嘘も百回繰り返せば真実になる」というナチス・ドイツの宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスの言葉を実践するかのように、こういったはぐらかしと強心臓で否定し続けてきたのでした。もちろん、学歴詐称が事実であれば、公職選挙法違反になるのは言うまでもありません。

アラビア語には、口語と文語があり、文語は非常に難解で、外国人が文語をマスターするのは至難の業だと言われているそうです。

  エジプトでは現在も、口語(アーンミンヤ)と文語(フスハー)が明確に分かれており、日常では口語が使われている。
  一方、文語はコーランに典型的な四世紀頃から続く古語で、アラブ各国のインテリ層の間では、この文語が共通語として使用される。
  ニュースや大統領の演説には、格調高いこの文語が用いられ、書物や新聞も当然、文語である。カイロの大学の教科書も、教授の講義も文語でなされる。文語は大変に難解で、エジプトの庶民階層に非識字者が多い理由もここにある。
(中略)
  アラビア語を母国語とする人でも苦しむ、この文語を外国人、とりわけ日本人が習得するのは並大抵のことではなく、だからこそカイロ大学を正規に卒業した日本人は数えるほどしかいないのだ。
(中略)
  アラビア語の口語すら話せなかった小池が、文語をマスターして同大学を四年で卒業する。そんなことは「奇跡」だと嫌味を込めて語る人は少なくない。


しかも、本人は、首席で卒業したと主張しているのです。

彼女の主張について、「ある国際関係の専門家」は、「あの小池さんの意味不明な文語を聞いて、堪能、ペラペラだ、なんて日本のマスコミは書くんだから、いい加減なものだ。卒業証書なんて、カイロに行けば、そこら中で立派な偽造品が手に入りますよ」と言っていたそうです。また、「日本在住のエジプト人女性が語った言葉も私には忘れられない」と著者は書いていました。

「たどたどしい日本語で、『私、東大出たよ、一番だったよ』と言われたら、日本人のあなたは、どう思いますか。東大、バカにするのかって思うでしょ。(略)」


ある日、同居人の「早川さん」が帰宅したら、小池百合子がしょんぼりしていたそうです。どうしたのと訊いたら、進級試験に落ちたと。しかも、よくよく聞けば、それは最終学年ではなく、3年から4年に進級する試験だったそうです。そのため、追試も受けられない。それで結局、彼女は、日本航空の現地スタッフとして働きはじめたのだそうです。

ところが、それからほどなく、サダト大統領夫人が日本に来るので帰って来いという父親からの連絡を受けて一時帰国し、父親が娘を「カイロ大学卒」として日本アラブ協会に売り込んだのが功を奏して、大統領夫人の接待係に採用されたのです。そして、それが彼女の人生の大きなターニングポイントになったのでした。

当時の東京新聞には、彼女のことが次のように紹介されていたそうです。

「この九月、日本女性として初めてエジプトのカイロ大学文学部社会学科を卒業し、十月中旬に帰国したばかり」(一九七六年十月二十七日)


日本から戻ってきた小池百合子は、「嬉しそうにスーツケースから新聞を取り出すと早川さんに見せた」そうです。

(略)早川さんは読み進めて思わず声をあげた。
「百合子さん、これって・・・・」
  見上げると小池の視線とぶつかった。驚く早川さんを見て、小池はいかにも楽しそうに微笑んでいた。そんな小池を目の当たりにして、早川さんはさらに当惑した。
「百合子さん、そういうことにしちゃったの?」
  小池は少しも悪びれずに答えた。
「うん」


カイロに戻ってきたのは、カイロでの生活を精算して日本に帰国するためでした。最後の夜、彼女は「早川さん」に次のように言ったのだとか。

「あのね。私、日本に帰ったら本を書くつもり。でも、そこに早川さんのことは書かない。ごめんね。だって、バレちゃうからね」


「早川さん」は現在もカイロに住んでいますが、しかし、小池百合子の”過去”を知る人間として、恐怖すら覚えるようになっているのだとか。政治家として権力を持った元同居人。しかも、現在のエジプトは「なんでもまかり通ってしまう軍事国家」です。なにより、民主的な法秩序より人治的なコネやツテが優先されるアラブ世界。こうして”過去”の話をあきらにしたのも、あえて声をあげることで、みずからの身を守ろうとしているのかもしれません。

日本に帰国した小池百合子は、日本テレビの朝の情報番組「ルックルックこんにちは」で、竹村健一の対談コーナーのアシスタントとしてデビューします。さらに、「東京12チャンネル(現テレビ東京)の天皇」と言われた社長の中川順氏に気に入られ、「ワールドビジネスサテライト」のキャスターに抜擢されるのでした。そして、「ワールドビジネスサテライト」のキャスターを踏み台にして、政界に進出し、誇大妄想の泡沫候補で、「政治ゴロ」と言われた父親の夢を娘が叶えたのです。

政界に入ってからも、日本新党、新進党、自由党、保守新党、自民党と渡り歩き、その間、細川護熙・小沢一郎・小泉純一郎などの権力者に接近することで、「政界の渡り鳥」「爺々殺し」「権力と寝る女」などという陰口をものともせず、政治家としても華麗な転身を遂げていったのでした。そして、今や憲政史上初の女性総理大臣候補と言われるまでになっているのです。

彼女の政界遊泳術については、新進党時代の同僚議員であった池坊保子氏の証言が正鵠を得ているように思いました。

「(略)小池さんは別に政治家として、やりたいことはなくて、ただ政治家がやりたいんだと思う。そのためにはどうしたらいいかを一番に考えている。だから常に権力と組む。よく計算高いと批判されるけれど、計算というより天性のカンで動くんだと思う。それが、したたか、と人には映るけれど、周りになんと言われようと彼女は上り詰めようとする。そういう生き方が嫌いじゃないんでしょう。無理しているわけじゃないから息切れしないんだと思う」


現在、新型コロナウイルスを奇貨として、小池百合子東京都知事はまさに水を得た魚の如くお得意のパフォーマンスを繰り広げています。まるで日本の救世主=ジャンヌ・ダルク(彼女自身、「政界のジャンヌ・ダルクになりたい」と言っていた)であるかのようです。たとえば、彼女がぶち上げた「東京アラート」なるもので歌舞伎町がやり玉に上げられていますが、そんな彼女のパフォーマンスによって、多くの人たちが苦境に陥り、破産か自殺かの瀬戸際にまで追い詰められていることも忘れてはならないのです。もちろん、本書でも再三書かれていますが、彼女をここまで祭り上げたメディアの罪も大きいのです。

小池百合子が「カイロ大学を首席で卒業した」ことをウリに日本に帰って来ると、鼻の下を伸ばしたジャーナリストたちが中東通で才色兼備の彼女に群がり、政界や財界の要人たちとのパイプ作りに一役買ったのですが、なかでも、のちに『朝日ジャーナル』の編集長になった朝日新聞(元カイロ特派員)の故伊藤正孝氏は、今の政治家・小池百合子の”生みの親”としてあまりに有名です。

本人たちは否定していますが、彼女が結婚まで考えたという”元恋人”の舛添要一氏は、彼女の学歴詐称問題について、次のようにツイートしていました。

舛添要一6月6日ツイッター

私は、舛添氏のツイートを見て、木嶋早苗が逮捕された際、唯一金銭抜きで交際していた恋人(某新興宗教団体の本部職員だった男性)が警察から彼女の本名を聞かされて、その場に膝から崩れ落ちたという話を思い出しました。木嶋早苗は、本命の恋人にも本名を伝えてなかったのです。伝えていたのは偽名だったのです。小池百合子にも、似たような心の闇があるのではないか。そんな気がしてなりません。


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(写真AC)



■赤木智弘氏の指摘


フリーライターの赤木智弘氏は、かつて朝日新聞の「論座」で、「コメント欄を設置しないことが真っ当なニュースサイト、言論サイトとしての責任」だと書いていました。

朝日新聞デジタル
論座アーカイブ
ニュースサイトや言論サイトのコメント欄は有害無益である

 サイトが自らのサイトに記載された記事内容に責任を負うのは当然である。だが誰もが自由に書き込むことができるコメントに対する全ての責任を負うことはできない。

 ならばできないことはしない、コメント欄を設置しないことが真っ当なニュースサイト、言論サイトとしての責任なのである。

 もし、かつてのようにコメント欄が自由闊達な意見の場であるならば、それを維持する意味もあったであろう。

 しかし現在のコメント欄には「ストレス解消のために他人を罵倒する」「賛同されたくてネットで受ける意見ばかりを書き込む」ような人が少なくない。

 そうなればコメント欄には同じような目的の人しか近づかなくなる。建設的な議論をしたい人は書き込むどころか、目を通すこともしなくなるのである。


そして、記事に対する感想は、書きたい人が外部に書けばいいんだと言うのです。

 記事へのコメントは、書きたい人が自身のSNSに書いたり、5chやはてなブックマークなどの外部に書けば良いのである。

 ニュースサイトや言論サイトは責任を負える内容をサイト内に置き、責任を負えないコメント欄を設置しつづけるべきではない。もはやこうしたサイトにコメント欄が必要な時代は終わっているのである。


■民族の誇りよりお金


何より、ヤフコメは、記事の対象になった人や団体だけでなく、記事を書いた執筆者にも失礼なものです。ヤフーは「インターネットの双方向性」「自由闊達な議論」などと言っていますが、それは、ネットが常に水に低い方に流れる性質を持っているということを故意に目を瞑った詭弁にすぎません。

それは、私も常々言っているように、ヤフコメでバズらせることでPVを稼ぎ、ニュースをマネタイズするための詭弁にすぎないのです。そのために、ヘイトなコメントで人が傷ついても、「言論表現の自由」の建前に逃げ込んで知らんぷりするだけなのです。

24時間専属の”パトロール隊”が監視しているとか、投稿者に携帯番号の登録を義務づけているとかいった対策を強調していますが、ヤフコメを見れば、それらがただのアリバイ作りにすぎないことがわかります。AIを導入しても、既にAIをすり抜ける方法が拡散しているのが実状なのです。

ヤフートピックスの編集部には、編集者ごとのPVの成績表が貼り出されているそうで、それでは、バズりそうな記事が優先されるようになるのは仕方ないでしょう。今のようにコタツ記事が跋扈するようになったのも、そういったYahoo!ニュースの”価値観”が背景にあるのだと思います。これでは、公正取引委員会の報告書でも指摘されていたように、「消費者(読者)が質の高いニュースを読むことができなくなる」懸念が出て来るのも当然でしょう。

前も書きましたが、Yahoo! JAPANを率いるソフトバンクの総帥の孫正義氏は、九州の久留米の「朝鮮部落のウンコ臭い水があふれる掘っ建て小屋の中で、膝まで水に浸かりながらも、必死で勉強していた」少年時代に、「チョウセン人出ていけ!」と言われて石を投げられたときにできた傷が今も頭の中に残っているそうです。また、日本国籍を取得するに際して、それまで名乗っていた通名の「安本」ではなく、朝鮮半島にルーツを持つ証である「孫」という苗字に執拗にこだわったのでした。

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そんな孫正義氏が運営するYahoo! ニュースが、在日朝鮮人に対するヘイトが横行するコメント欄をいくら批判されても閉鎖しようとしないのでした。それもひとえにニュースをマネタイズするためです。これでは、お金のために夫子自身の民族の誇りも捨て去ったと言われても仕方ないでしょう。しかも、在日の若者たちにとって、そんな孫正義氏は「在日のヒーロー」だ言うのですから、何をか況やです。

■ヤフコメの”経済効果”とその行く末


『週刊文春』(4/18号)の「ヤフーニュースの正体」という記事の中で、「PV稼ぎのヤフコメ放置は、個人的にはきっぱりやめるべきだ」と主張する元LINE執行役員の田畑信太郎氏は、ヤフコメの“経済効果”について、次のように語っていました。

「ヤフコメはヤフーニュース全体のPVの一割から二割は占めている。当然ヤフコメにもPVに応じた広告収入がつくわけです。ヤフーニュースの月の広告収入が数十億円。その一割がヤフコメからの広告収入と仮定しても、数億円規模になる。LY自体が大企業だといっても、さすがに年間数十億円の収入源を簡単には切れない、というのが本音でしょう。(略)」
(『週刊文春』4/18号「ヤフーニュースの正体」)


私も前から言っているように、Yahoo!ニュースには編集権が確立していません。そのため、次のようなことも起き得るのでした(ただ、LYは事実ではないと否定しているそうです)。証言するのは元ヤフトピの編集者で、発言中の「川邊会長」というのは、LINEヤフー(LY))代表取締役会長の川邊健太郎氏のことです。

「川邊会長の元恋人の高橋真麻アナ(48)の結婚記事をエンタメ欄のヤフトピに上げた時です。その中で過去に川邊会長と付き合っていたことも書かれていたためか、会長が直々に編集部にやって来て『武士の情けで・・・・』と言って主要ニュースのヤフトピへの掲載をやめさせたことがあった」
(同上)


Yahoo! ニュースは、自社に関するニュースはヤフトピでは扱わない方針を公言していたそうですが、2019年のヤフーとLINEの合併によってその方針に批判が集中したために、2021年6月から方針を転換しているそうです。

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Yahoo!ニュース トピックスにおける自社(ヤフー)ニュースの取り扱いについて

前から何度も言っていますが、Yahoo! ニュースは「言論機関」と言えるのかという疑問を抱かざるを得ないのです。Yahoo!ニュースは、えげつない人間たちがえげつない方法で、えげつないニュースを切り貼りしているだけではないのか、そう言いたくなります。

ヤフコメのようなものを使ってニュースをマネタイズするYahoo!ニュースの体質が、”ネットの守銭奴”とヤユされる親会社のソフトバンクの体質を引き継いでいるのは間違いないでしょう。

ただ、私の予想では、そのうちヤフーも批判に耐えきれなくなり、ヤフコメを閉鎖せざるを得なくなるような気がします。今の世の中で、あんなもの(!)がいつまでも続くわけがないのです。


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2024.04.15 Mon l 社会・メディア l top ▲
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(写真AC)



■自民惨敗の予想


ネットの某リベラル系のYouTubeチャンネルをググったら、「政権交代は可能だっ!」というタイトルが目に飛び込んできました。ただ、内容はおよそ想像がつくので観ていません。というか、観る気にもなれませんでした。

また、今日(4月11日)発売の『週刊文春』(4/18号)に、「ヤフーニュースの正体」という記事が出ているというので買ったら、トップに「自公83議席減! 過半数割れで自民分裂」いうタイトルの「衆院選激戦区予測」の記事が掲載されていました。

政界のスズメの間では「6月解散説」や「7月解散説」などが飛び交っているようですが、文春の「予測」によれば、自民は小選挙区・比例区を合わせた議席が、現有の259から186に減らす見込みだそうです。それに対して、立憲民主党は95から147に増加。ほかの野党も、日本維新は41から62、国民民主党が7から16、れいわ新選組が3から10に増える見込みなのだとか。なお、公明党と共産党と社民党は現状維持だそうです

きわめつけは、和歌山2区でした。故安倍晋三の腰ギンチャクで近畿大学のドンでもあり、今回の裏金問題で離党勧告が出るやすぐに離党した世耕弘成氏は、「やや劣勢」の△印が付いているのですが、同選挙区の「優勢」マークの〇印は、何と自民党推薦の「未定」の候補なのです。誰が出るかわからないけど、自民党の幻の候補が「優勢」なのだそうです。ということは、自民党が擁立を断念すれば、世耕氏が議席を維持する可能性もあるのです。

その記事を見て、和歌山2区の有権者はどこに行ったのかと思いました。「未定」の候補が「優勢」だなんて、和歌山2区の有権者は意志のない投票マシーンなのか。これでは民主主義も豚に真珠みたいな話です。

また、深田久弥とともに「九重連山」「九重山」「九重高原」の元凶であり、自民党旧安倍派の最高顧問だった大分2区の衛藤征四郎氏は、△印でした。久住連山、久住山、久住高原の地元で生まれた人間としては、これだけは文春の予想どおりになればいいなと思いました。

念の為、しつこいほど言っておきますが、「九重」は「くじゅう」ではなく「ここのえ」です。衛藤征四郎氏の地盤に「九重町」というのがありますが、あれは「ここのえまち」です。「くじゅうまち」は「本山」の側にある久住町が正しいのです。もちろん、「九重連山」「九重山」「九重高原」などという山名や地名はありません。正しくは久住連山、久住山、久住高原です。それが昔から使われていた正しい表記です。

先日も田舎の有力者に成り下がった、いや、ご出世した旧友が天皇夫妻が列席したような某記念大会に出席するために上京した折、久しぶりに会って食事をしたのですが、その際も、「九重連山」「九重山」「九重高原」の話になりました。彼も、「まったく頭に来るよな」と憤慨していましたので、「お前の力で何とかしろよ」と言ったら、「いや、いや」と言って頭を掻いていました。

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「山の日」

■政権交代してどうするの?


もっとも、自民党の過半数割れはあるにしても、政権交代まではいかないのではないかという見方が強いようです。選挙においては、危機感を煽ってアナウンス効果を狙うやり方はよくあることです。

一方で、私は、「自民惨敗」の「予測」記事を前にして、「じゃあ、政権交代してどうするの?」と思いました。また旧民主党政権の復活なのか。マルクスではないですが、二度目は喜劇としてくり返されるのでしょうか。勘弁してくれよという気持しかありません。

消費増税の先鞭を付けたのが、旧民主党政権の野田内閣であったことを考えてもわかるように、立憲民主党や国民民主党は財政再建論に依拠する政党です。いわゆる増税派、緊縮財政派なのです。

野田内閣の消費増税に対するあの捨て身の姿勢が示したように、財政再建を錦の御旗にする、財務省の下僕というか、財務省にとっては自民党が下野したときの”保険”のような政党です。党の要職を松下政経塾の出身者が占めていますが、所詮は松下政経塾が掲げる国家論に基づいた政党でしかないのです。何度も言うように、本質的には野党なんかではないのです。

相も変わらず国対政治にうつつをぬかし、妥協に妥協を重ね裏取引をするだけの野党。そんな立民など「戦わない野党」を痛烈に批判し、そういった姿勢に蓋をしたままの「野党共闘」には参加しないというれいわ新選組の主張は、野党のあり方として、個人的には納得できるものがあります。

求められているのは、ホントの野党なのです。上か下かの視点を喪失した政党は、国会内で野党の立場にいても、本来の意味で野党なんかではないのです。

■絶望的な増税路線


40年振りの株高で浮かれていますが、それはマネーゲームの所産でしかなく、それより深刻なのは34年振りの円安でしょう。今や円は、「アジア最弱」の通貨とまで言われていますが、言うまでもなく貨幣の価値が下がるということは、それだけ国の経済力が低下したということです。

いくら自分たちで「ニッポン凄い!」と自演乙しても、為替市場は正直で誤魔化しは効かないのです。そんな日本経済の深刻な現状を考えるとき、立民などが依拠する財政再建論=増税路線は犯罪的ですらあります。

立憲民主党は減税について、「時限的」と言っています。そこがミソで、立民が消費税廃止を「現実的ではない」と頑なに拒否したのも、立民の基本政策に抵触するからです。

立憲民主党の「所得再分配」「1億総中流社会の復活」というのは、連合の傘下にある大企業の組合員に向けた話にすぎません。それは、今年の春闘を見ればわかるように、所得増は上から下に波及するという、鄧小平の先富論みたいな考え方で、岸田政権の強引な(人為的な)デフレ脱却策を立憲民主党なりの言い方で追認しているだけです。

そもそも「1億総中流社会」などホントに存在したのか、随分怪しいのです。バブルに浮かれたメディアやタレント経済学者が、キャッチーなフレーズとしてそう言っていただけではないのか。

「1億総中流社会」と言われた時代に、自殺者は3万5千人を超えていたし、「サラ金地獄」や「腎臓を売って金を返せ」という商工ローンの強引な取り立ても社会問題になってしました。今と同じで金融緩和によるカネ余りで不動産バブルが起こり、一見景気がいいように見えただけです。

私が覚えているのは、当時、週刊誌に載っていたある漫画でした。朝礼で社長が「申し訳ないけど、今年の冬のボーナスはありません」と言うと、社員たちが我先に屋上に駆け上って行くというブラックユーモアでした。「1億総中流社会」でも、そんな漫画がリアルに感じられる現実があったのです。

「1億総中流社会」なるものを何ら検証することなしに、無定見に借用して党の基本政策に掲げる立憲民主党の”軽さ”を覚えざるを得ません。

万が一政権交代しても、夢も希望もない社会が夢も希望もある社会に変わるわけではありません。それどころか、社会的弱者を切り捨てる絶望的な増税政策を突き付けられる可能性さえあるでしょう。

立憲民主党や国民民主党は、自民党と本質的には何も変わらない保守政党なのです。むしろ、「松下政経塾系の政党」と言った方がわかりやすいかもしれません。最近の野田佳彦の露出を見てもわかるとおり、またぞろ旧民主党政権の戦犯たちがゾンビのようによみがえっています。懲りない彼らが、再び暴走し始めることも充分あり得るでしょう。あの悪夢のような旧民主党政権を忘るべからず、と言いたいのです。
2024.04.11 Thu l 社会・メディア l top ▲
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由布岳



昨日、田舎に戻っている同級生から電話がかかってきました。

同級生が亡くなったという連絡でした。最近、彼から電話があるのは、大概同級生の訃報を伝えて来るときです。いつの間にかそうなったのでした。彼は事情通で、同級生の消息に関する話がよく入るのでした。そして、それをいつも私に伝えて来るのです。


亡くなったのは、同じクラスだった人物で、医者の息子でした。本人も東京の私立の医大に進んだのですが、精神を病み、大学も辞めてずっと精神病院に入院していました。

彼は、ジョン・レノンのファンで、高校時代はジョン・レノンと同じような髪型をして小ぶりの丸眼鏡をかけていました。また、美術部に所属して絵も描いていました。あるとき、どんな画家が好きなのか訊いたら、シャガールと答えたので、「ああ、シュールレアリズムが好きなのはお前らしいな」と言ったら、「さすがだなあ」と感心されたことを覚えています。

これは前もこのブログに書いた気がしますが、遠足の日に雨で急遽中止になり、教室で弁当を食べて即席の慰安会を開いたことがありました。そのとき、彼はギターの弾きがかかりで「レット・イット・ビー」を歌ったのです。その姿が今でも忘れずに私の中に残っています。

電話がかかって来た同級生も東京の大学に行ったのですが、あるとき、彼の下宿先に遊びに行ったら、亡くなった同級生から葉書が来たと言って、見せてくれたのです。何と、そこには「僕は今、精神病院に入院しています」と書かれていたのです。


九州の会社に勤めていた頃、帰省していた別の同級生と街に唯一あるジャズ喫茶に行ったら、そこに若い男の子が入って来たのでした。すると、同級生は、「おおっ」と声をかけていました。

その男の子は、亡くなった同級生の弟だったのです。しかも、私たちと同じ高校の後輩で、やはり、私立の医大に通っているということでした。一緒にいた同級生も大学を出たあと、医者になるために医大に入り直していましたので、大学の話をしていました。

そこで私は、「兄ちゃんは元気か?」と弟に訊きました。
「は、はい」
「まだ入院しているのか?」
「ええ」
「どこの病院に入院しているんだ?」
「長野です」
「へぇ、長野県の病院なのか?」

私は妄想癖があるので、空気のいい諏訪湖か何か湖畔のサナトリウムで療養しているような、時代錯誤なイメージを勝手に抱いて、さすが医者の息子だなと思いました。

ところが、昨日の電話では、地元の病院に入院していたと言うのです。しかも、昨日の電話の主から葉書を見せられたのに、彼はそのことをすっかり忘れているのでした。彼は、大学を卒業したあとに発病したみたいなことを言っていましたが、そうではないだろうと思いました。

また、彼は、亡くなった同級生はIQが非常に高くて「天才」だった、歌もうまかったし、絵も天才肌だったと言っていましたが、いくらなんでもそれは誉めすぎだろうと思いました。

私は、あえて反論はしませんでしたが、どこでそんな話になったのか。彼の話を聞いていると、何だか世間によくいるおっさんやおばさんと話をしているみたいでした。でも、考えてみれば、私たちはもう世間によくいるおっさんやおばさんと同じような年齢になっているのです。

それにしても、地元の精神病院で一生を送ったというのはショックでした。弟が「長野の病院」と言ったのはカモフラージュの嘘だったのかもしれません。


その精神病院は、私が二十歳のときに1年間入院した国立病院のすぐ近くにありました。バス停も同じで、散歩の途中、よく前を通っていました。まさかそこに同級生の彼が入院していたなんて思ってもみませんでした。

また、ほかの同級生もそこに入院していたという話を別の同級生から聞いたことがあります。ふたりは病院内で交流はあったのだろうかと思いました。

ちなみに、同じ病院に入院していた同級生も既に亡くなっています。また、その同級生が入院していたことを話してくれた同級生も数年前に亡くなりました。

彼は、若い頃、同級生と二人で見舞いに行ったことがあったそうです。しかし、自分たちのことをまったく覚えていなかった、と言っていました。もちろん、彼らも、もうひとり同級生が入院していることは知らなかったのでしょう。


「何か、高校時代のあの笑顔を思い出すと死んだというのがウソみたいに思うな」「年を取ると、いろんなことがあるよなあ」「高校時代の笑顔はいっときのものだったんだなと思うよ」

そう言うと、電話の主の同級生は、「そうだよ。時間は容赦ないよ、残酷だよ」と言っていました。


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2024.04.10 Wed l 訃報・死 l top ▲
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アウシュビッツの展示(写真ACより)



イスラエルのガザ侵攻から半年が経ちましたが、イスラエルの蛮行はいっこうに止む気配はありません。既に3万3千人以上のガザの住民が犠牲になり、食料や水も慢性的に不足して110万人が「壊滅的な飢餓」に直面している、と国連も訴えているのでした。

しかし、国際社会は、ほとんど傍観しているに等しいのです。もちろん、ガザの現状に心を痛めるみたいなことは言っていますが、自分たちのアリバイ作りのためにそう言っているだけです。そうやって民主主義者で平和主義者であることを装っているだけです。

アメリカのバイデン政権などはその最たるもので、ロシアのウクライナ侵攻ではあれほど先頭に立ってロシアに制裁を下したにもかかわらず、イスラエルに対してはまったく逆です。国連の停戦決議に対してさえ反対しているのです。

西側のメディアは、アメリカはガザの悲惨な現状を懸念して、イスラエルに圧力をかけているようなことを言っていますが、アメリカはイスラエルに対する軍事支援をむしろ拡大しているのです。ガザ北部からさらにガザ南部へ侵攻して暴虐の限りを尽くしているイスラエル軍をアメリカが支えているのです。

BBCのジョナサン・ビール記者は、アメリカの軍事支援について、次のように伝えています。

BBC NEWS JAPAN
【解説】 アメリカにはどこまでイスラエルを守る用意があるのか

アメリカはイスラエルにとって最大の軍事支援国だ。年間の軍事援助額は約38億ドル(約5690億円)に上る。

ガザ地区をいま空爆しているイスラエルの戦闘機は、アメリカ製だ。イスラエルがいま使っている、精密誘導兵器のほとんども同様だ。イスラエルの防空システム「アイアンドーム」が使う迎撃ミサイルの一部も、やはりアメリカ製だ。

アメリカは、イスラエルが要求するより先に、そうした兵器の補充を送り始めていた。(略)



朝日新聞は、ガザ侵攻半年の節目を迎えて、「イスラエル・パレスチナ問題」という特集を組んでいますが、私は、そこに書かれている記事も、民主主義者で平和主義者であることを装っているだけのアリバイ作りの記事にすぎないように思いました。

イスラエルの「皆殺し作戦」は、誰が見てもナチスと同じ民族浄化です。それは、ネタニヤフ政権だけの問題ではありません。ナチスのホロコーストの犠牲になったユダヤ人が、イスラエルのホロコーストを支持しているのです。これほどの歴史のアイロニーがあるでしょうか。私たちは、今、「歴史に学ぶ」という言葉が死語と化したかのような、目を疑うような光景を目にしているのです。

朝日新聞は、どうしてブラジルのルラ大統領のように、イスラエルがやっていることはナチスと同じだと言えないのか。朝日の特集を読むと、イスラエルは元に戻ることが可能だ、それに期待するみたいなトーンがありますが、”元”とは何なのか。イスラエルに”元”などあるのかと思います。

朝日は、ユダヤ人はガザの現状に冷淡だという、次のような記事を書いていました。

朝日新聞デジタル
ガザ戦闘半年、強硬貫くイスラエル なぜ国際社会は止められないのか

 ネタニヤフ氏が、強硬姿勢を変えない背景には、国内人口の74%を占めるユダヤ人の世論がガザの現状に冷淡なことがある。

 イスラエル民主主義研究所は昨年10月の戦闘開始直後から「戦闘継続の計画を決める際、ガザの市民の苦しみをどの程度考慮するべきか」との世論調査を継続的に実施してきた。3月の調査では「かなり小さいか、全く考慮する必要がない」と回答した人が、ユダヤ系の80%を占めた。昨年10月下旬の調査結果から3ポイントほどしか下がっていない。


でも、それをユダヤ人(ユダヤ教)の問題と捉える視点はありません。それどころか、朝日も含めた西側のメディアは、ガザの現状に心を痛める良心的なユダヤ人の話を殊更取り上げて現実を糊塗しているだけです。しかし、大半のユダヤ人は心なんか痛めてないのです。ガラント国防相と同じように、パレスチナ人は「人間の顔をした動物」くらいにしか思ってないのです。


イスラエルには朝日が言う「国際社会」なんて存在しないのです。彼らの目にあるのは、世界中に散らばっているユダヤ人=ユダヤ教徒だけです。それがイスラエルにとっての「国際社会」なのです。そして、その「国際社会」は圧倒的多数でイスラエルの民族浄化を支持しているのです。何故なら、それはユダヤ教の根本にある理念=シオニズムに関係するからです。

前も書きましたが、ユダヤ人という呼称も、民族的な概念ではなく、「ユダヤ教を信仰する人」という意味にすぎません。日本人とか韓国人とか中国人とかアメリカ人とかいった概念とは異なるのです。同じように言うなら、イスラエル人になるのです。ユダヤ人という民族はいないのです。ユダヤ教徒をそう呼んでいるだけです。イスラム人とかキリスト人とかいった言い方はありませんので、そういったところにもユダヤ人の”特殊性”があると言えるでしょう。ユダヤ教徒はシオニストとも呼ばれますが、シオニズムの理念に従えば、パレスチナ人に対する民族浄化も合理化されるのです。

なのに、どうして朝日は、イスラエルがやっていることはナチスと同じだと言わないのか。どうして問題の本質をぼかすような言い方に終始するのか。メディアとして、「世界の分断と対立に組みしない」などともっともらしいことを言っていますが、ナチズムに分断も対立もありませんでした。ナチズムは、そんな二項対立を凌駕した先にあったのです。

メディアは、いつの間にかファシストを「右派」とか「保守派」とかいった「分断と対立」にカテゴライズされた言い方に変えて、その本質をぼかすようになっていますが、イスラエルについても同じです。

世界中のユダヤ人がその蛮行を支持していることを考えれば、イスラエルはナチス以上に深刻な問題を含んでいると言っていいでしょう。それこそ、私たちは、新たな(まったく位相の異なる)”ユダヤ人問題”を目の前に突き付けられているのです。それは、「世界の分断と対立」という一般論に解消されるような問題ではないのです。

私たちは現在いま、虐待の世代連鎖ではないですが、ホロコーストの記憶を持った人間たちがみずからホロコーストを行っているという、歴史が反転した、正義も民主主義も「アンネの日記」もハンナ・アーレントの「凡庸な悪」も、すべて無に帰するような、あり得ない絶望の只中にいるのです。

しかし、メディアは今なお、おためごかしの言葉で現実から目を背けているだけです。


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(小鹿野町観光協会のサイトより)



■二子山東岳の伐採と埼玉県の事なかれ主義


ちょっとわかりにく話なのですが、昨日(4月3日)の毎日新聞に次のような記事が出ていました。

毎日新聞
クライミング名所で保安林伐採か 県の情報開示ミスで判明 埼玉

記事によれば、「埼玉のジャンダルム」などと言われている、埼玉県小鹿野町の二子山の東岳で、一般社団法人「小鹿野クライミング協会」が伐採した木の中に、本来、森林法で県知事の許可が必要な保安林が含まれていたのではないかという疑惑が持たれているそうです。

しかも、話はそれだけに留まらないのでした。ここから話がややこしくなるのですが、埼玉県は通報に基づいて調査した結果、「『保安林の伐採はなかった』と結論づけた」のです。

一方、埼玉県の説明に疑問を持った「小鹿野の石灰岩地域の植物保護を考える会」のメンバーが、当時の保安林改良事業の詳細を知りたいと記録の開示請求を行ったところ、記録自体が「存在しない」ことになっていたそうです。ところが、開示された文書の中に黒塗りの部分があり、その処理が不十分でパソコンで黒塗りを取り外せることがわかったそうです。それで、黒塗りを取り外したところ、なんとそこに保安林改良事業の記録があったというのです。埼玉県はミスだったと言っていますが、これでは記録が隠蔽されていたと言われても仕方ないでしょう。

しかし、埼玉県は保安林改良事業の記録の存在を認めたものの(認めざるを得なかったものの)、「小鹿野クライミング協会」の伐採に関しては、保安林を伐採していないという結論は変えてないのです。

ただ、記事の写真にもあるように、「小鹿野クライミング協会」は、保安林との境界を示す「赤い杭」の内側の木を伐採しているのですが、埼玉県は「土地境界は関連土地所有者の同意で最終的に決められるもの」で、必ずしも保安林と山林との境界を示すものではないと主張して、「小鹿野クライミング協会」の伐採に法令違反はないと強弁しているのです。

埼玉県の姿勢を見るにつけ、責任を回避するために詭弁を弄しているだけでなく、ほかにも何か不作為に至る不可避の事情があるのではないかと詮索したくなるのでした。どうして正直に違法と瑕疵を認めようとしないのか。ここでも責任を取りたくない小役人たちによって、あることがないこと、、、、にされようとしているのでした。

■保安林


奥多摩などの山に登ると、山中で保安林の看板や保安林の改良事業が行われた旨の看板をよく見かけますし、近くに「赤い杭」があるのもめずらしくありません。保安林改良事業がどんなことなのか知らなくても、そういった看板や杭は、ハイカーにとっておなじみのものです。

ちなみに、保安林について、林野庁のサイトでは次のように概要が説明されています。

林野庁
保安林制度

保安林とは、水源の涵養、土砂の崩壊その他の災害の防備、生活環境の保全・形成等、特定の公益目的を達成するため、農林水産大臣又は都道府県知事によって指定される森林です。保安林では、それぞれの目的に沿った森林の機能を確保するため、立木の伐採や土地の形質の変更等が規制されます。


「立木の伐採」や「土地の形質の変更」には、都道府県知事の許可が必要であることが明記されています。その代わり、土地の所有者には、山林の維持管理に補助金が支給されたり、固定資産税や不動産取得税や特別土地保有税が免除されるなど優遇処置があるそうです。

■キバナコウリンカの危機


それにしても、私が気になったのは、「小鹿野クライミング協会」なる一般社団法人の存在です。彼らは、クライミングの普及のために、木を伐採したり、岩にボルトを打ち込んだりしていたのです。東岳の前に行われた西岳の伐採においては、森林法の認識がなかったとして、県に申請もせずに伐採していたことが判明しています。自分たちの便宜を図るために、町や地権者と話を付けて伐採していたのです。

地元の小鹿野町のサイトでも、「二子山に自生するキバナコウリンカについて」というタイトルで、クライマーによって貴重な在来種であるキバナコウリンカが危機に瀕していることが書かれていました。

小鹿野町
二子山に自生するキバナコウリンカについて

 アプローチ道の整備及びクライミングルートの新規開拓ということで、次々に新しいルートが開拓されクライミングで訪れる人が増える一方、石灰岩地特有植物であり「埼玉県希少野生動植物の種の保護に関する条例」で希少種に指定されているキバナコウリンカ(キク科)の群生地が荒らされる危機に瀕しています。(キバナンコウリンカは国内でも群馬の叶山、小鹿野の二子山や白石山にしか自生していない希少な植物です。)この条例で指定されている種については、人命保護その他の適用除外理由に該当しない限り、自生地での形状変更を伴う作業や行為等については県への許可申請が必要です。


ここからさらに話がややこしくなるのですが、この小鹿野町のサイトだけを見ると、小鹿野町と「小鹿野クライミング協会」は利害が「対立」しているように思います。しかし、どうやらそうではないみたいなのです。「小鹿野クライミング協会」の会長は、著名なプロクライマーの平山ユージ氏が務めているのですが、同時に平山氏は小鹿野町から観光大使を委嘱されているのでした。西岳の伐採では、埼玉県の許可を得てなかったものの、小鹿野町とは「やり取り」しながら行ったと協会のサイトには書かれていました。

それどころか、小鹿野町にクライミングで町おこしを提案したのは平山氏だったそうです。平山氏の提案に町が乗って、2018年に平山氏は観光大使に就任し、同時に、平山氏はクライミング仲間らと「小鹿野町クライミング委員会」を設立、2020年に「クライミング委員会」を現在の一般社団法人「小鹿野クライミング協会」に格上げしたのだそうです。町の担当者も、2019年に約4000名だった二子山の入山者数が、2021年に約6800名と1.7倍に増えたと喜んでいるのだとか。

このような経緯を考えると、上記のキバナコウリンカの危機を訴える小鹿野町のサイトの文章は、「だから自然を保護するために『小鹿野クライミング協会』に整備を委託したのですよ」という風に読めなくもないのです。それに対して、町が言っていることは二枚舌で嘘っぱちだと告発したのが、今回の記事なのではないのかと思います。

西岳の伐採で「小鹿野クライミング協会」と「やり取り」した際、町の担当者は何故、保安林の伐採は県知事の許可が必要だとアドバイスしなかったのか、それも不思議でなりません。まさかと思いますが、町の職員までが森林法の基本的な知識もなく「クライミングで町おこし」をしていたとしたら、呆れるほかありません。

ここでも、「過疎地は有力者のネットワークですべてが決まるので、民主主義をコントロールしやすい」(宮台真司)という、田舎の弱点が衝かれているような気がします。

「小鹿野クライミング協会」のサイトには、「二子山へ入山するクライマーに向けたお願い」というPDFも貼られており、自然保護を謳いながらトレラン大会を主催するどこかの山岳団体とよく似ているのでした。

いづれにしても、クライマーたちは、「登山者の安全のため」という大義名分で、木を伐採したり、岩にボルトを打ち込んだりして、岩を穴だらけにしているのですが、もとより山はクライミングのためにあるのではないのです。町のお墨付きを貰っているとか、地権者に許可を得ているとか、保安林を伐採したのは僅か数本だとか、そんな話ではないでしょう。

2012年に世界遺産の那智の滝に登り、軽犯罪法違反で逮捕された「外道クライマー」の事件を思い出しますが、ちょっと大風呂敷を広げれば、そこには、近代登山が抱える根深い問題があるような気がしてなりません。山を「征服」するというヨーロッパ由来の近代アルピニズムには、自然に対する人間の傲慢な考えが伏在しているのです。山を「征服」するというのは、自然を支配するということです。クライミングはその最たるものです。彼らの行為を「原罪」とか「冒険者の根源的欲求」とかいった言葉で誤魔化してはならないのです。それこそ、人間の傲慢さ以外の何物でもありません。

登山は自由だと言われますが、その自由は、言うなればヘーゲルが言う「向自」的な意味において自由だということです。それが、登山が自己責任だとも言われる所以ですし、その自由は本来孤独な営為の中に存在するものです。みんなで渡れば怖くない(みんなで登れば怖くない)と言わんばかりに、木を伐採したり、岩にボルトを打ち込んだり、自生している植物を踏み荒らしたり、野生動物を邪魔物扱いしたり、ゴミをポイ捨てする、そんな自由があるわけではありません。

この問題について、ブログなどで持論を書いているクライマーもいますが、それを読むと、森林法で定められた保安林に対する知識が欠けていたり、「後出し」で文句を言うのはおかしいなどと、子どものような論理で告発した側を批判したりと、「何だかなあ」と言いたくなるレベルのものばかりでした。

「小鹿野クライミング協会」の姿勢を批判するクライマーもいるのですが、でも、彼らも、岩にボルトを打ち込んだり、アプローチの道を作るために木を伐採したことを批判しているわけではなく、クライミング技術のグレードを設定する、その決め方が一方的だとかいった内輪の話で批判しているだけでした。クライマーには、そもそも自然破壊など眼中にないかのようです。というか、そういった観念すら持ってないのかもしれません。

それらを読んで、私は、『岳人』の「自立した登山者への道」という特集を読んでショックを受けたことを思い出しました。確認したら、その特集はまだ東京新聞から発行されていた2011年の4月号に掲載されたものだったのですが、特集では、今をときめく著名な登山家10名がそれぞれ山に対する考えや思いを綴っていたのです。しかし、そこで開陳された考えがあまりにも稚拙で、惨めささえ覚えほどでした。そういった「体力バカ」みたいなお粗末さが、今回も露呈されているような気がします。

「原罪」とか「冒険者の根源的欲求」とかもっとらしいことを言っていますが、彼らにとっての登山は、多分に軽佻浮薄なものでしかないのです。元山岳部の知り合いがいますが、特に大学の山岳部などの出身者にその傾向が強いように思います。九州にいた頃も、大学の山岳部出身の人間と親しくなり、よく一緒に山に登っていましたが、私はいつも彼に「山岳部なんてくだらない、くたばれ」と言っていました。山岳部が廃れるのは当然なのです。

木を伐採したり岩を穴だらけにしなければ安全を図れないのなら、登らなければいいのです。人間が登れない山があってもいいし、それはおかしなことでもなんでもありません。むしろ、当然のことです。


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■恒例になった値上げと春闘


下半期や四半期など節目になると、値上げが恒例になった感がありますが、日本経済新聞によれば、新しい年度が始まる4月から値上げする商品は食品などを中心に2806品目に上るそうです。

日本経済新聞
4月からこう変わる 電気代値上げや残業規制強化

「株屋の新聞」(堤康次郎)である日経は、「物価上昇は家計に直結するものの、賃上げとの好循環が生まれれば、日本の経済にはプラスに働く」と寝言みたいなことを書いていますが、賃労働者の中で「賃上げ」の恩恵に浴する者はごく一部にすぎないことは言うまでもありません。岸田首相が言ったので、オウム返しに言っているだけなのでしょうが、こんな言い方は希望的観測ですらなく、気休めにもならないのです。

厚生労働省の統計によれば、2022年の雇用者数は6,041万人ですが、その中で労働組合に加入している労働者の割合、つまり組織率(推定組織率)は16.5%にすぎません。数十年ぶりとか史上最高とかいった、景気のいい言葉が飛び交っていますが、それは連合(日本労働組合総連合会)の春闘のニュースです。連合の組合員は683万7,000人(2022年現在)で、全労働者の僅か1割なのです。

大幅賃上げは大企業の一部の労働者の話で、労働者の大半を占める中小企業の労働者にはほとんど無縁な話なのです。何度も言いますが、メーカーや銀行や電力会社など大企業は、原材料高や人件費や物流費の上昇を理由にした値上げによって、史上空前の利益を上げていますが、その一部を社員に還元しているだけです。

その証拠に、厚生労働省が発表した「毎月勤労統計調査」の令和6年1月分の速報値によれば、物価の動きを反映させた「実質賃金」は、22か月連続マイナスです。

「毎月勤労統計調査」の令和5年分の速報値を見ると、給与総額は329,859円(前年比1.2%増)で、うち一般労働者が436,849円(同1.8%増)、パートタイム労働者が104,570円(同2.4%増)と、収入は増えているものの、物価高に追いついていないのです。

ちなみに、一般労働者の所定内給与は323,833円(前年比1.6%増)で、パートタイム労働者の時間当たり給与は1,279円(同3.0%増)だそうです。

川上の大企業は(便乗)値上げで史上空前の好景気を謳歌しているものの、川下の中小企業はその煽りを受け苦境に喘いでいるのが現状ですが、それは労働者も同じなのです。

■警備業界はアンダークラスの高齢者の最後の拠り所


このブログではおなじみの70歳の知人が働いている警備業界などはその典型で、夕方から朝まで16時間拘束される「夜勤」でも、賃金(時給)が支払われるのは8時間分にすぎないのだそうです。業界で「当務」と呼ばれる24時間勤務も、16時間分の時給しか支払われないのだとか。

時給が支払われない時間帯は、仮眠や休憩となっているそうです。仮眠時間は4時間あるのですが、その時間帯に警報がなったり救急が発生したら当然対応しなければなりません。ただ、その場合は、申請すれば時間外手当が支給されるそうです。

一方で、休憩時間も4時間あるのですが、その時間帯も警備室で監視業務や電話番をしなければなりません。でも、時間給は支払われないのです。そんなバカなと思いますが、何でも警備業はその”特例”が認められているのだそうです。

しかも、時給はほどんど最低賃金のレベルなので、休憩時間の分を入れると、とんでもない低賃金になるのだそうです。これでは警備業界が人手不足なのは当然だと思いますが、ただ、その多くを占める高齢者にとってはその方が好都合でもあるだとか。つまり、そんな労働条件の悪い職場だからこそ高齢者を雇ってくれるし、慢性的な人手不足だからこそ70歳を過ぎても雇用が維持されるからです。

中には有給休暇をほとんど取らない警備員もいるのだとか。知人は、「有休を取ると、給料が減ると思っているんじゃないかな」と言っていました。職場にはパソコンもなく全てが手書きで、しかも委託先の現場に派遣されているので、有休も手書きの申請書をいちいち郵送しなければならずひどく手間なのだそうです。

有休も取らずに会社にしがみつく高齢者たち。そんな高齢者を重宝する会社。警備業界は、アンダークラスの高齢者の最後の拠り所のようになっているのです。そこにあるのは、春闘のニュースとはまったく無縁な、もうひとつの労働の実態です。

■忍び寄るスタグフレーションの足音


もとより、大半の労働者が大幅賃上げとは無縁な中では、日経が言うような「物価上昇と賃上げの好循環」なんて夢物語で、現実は物価高によって格差が広がる一方の「悪循環」しかないのです。要するに、日銀がマイナス金利政策を解除するための舞台装置を設えるために、「好循環」が演出されているだけです。

言うなれば、政府は、デフレ脱却の大博打を打ったようなものです。ところが、金利が上がれば円高になるはずなのに、為替市場は逆に円安にシフトしているのでした。これは、経済学のイロハに反する出来事で、そこに日本経済の危機が表出しているように思えてなりません。

日本経済は、スタグフレーション(不況下の物価高)に突入しているのではないかと指摘する人もいますが、春闘のニュースの中にはそんな話は微塵も出て来ません。みんな(自分たちが賃上げの恩恵に浴してなくても)ホレホレとわけもなく踊っているだけです。そんな幻想の中で思考停止しているだけなのです。


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(日刊ゲンダイより)


■非常識な開示要求


松本人志が「週刊文春」を名誉毀損で訴えた裁判の第一回口頭弁論が、28日(木)、東京地裁で開かれました。

もっとも、第一回の口頭弁論は、原告と被告双方が提出した陳述書と答弁書を確認して、今後の裁判の争点を整理するのが目的なので、僅か5分で閉廷したそうです。

その中で素人の私でも驚いたのは、原告の弁護士が、文春に性加害を告発した「A子さん」「B子さん」の個人情報を明らかにするよう求めたことです。

日刊ゲンダイは、次のような司法記者のコメントを紹介していました。

日刊ゲンダイDIGITAL
文春側弁護士も呆れた…松本人志「事実無根」主張なのに「被害者個人情報開示」要求の矛盾

「松本サイドは『A子さん、B子さんが特定できないと認否のしようがない』と主張し、A子さん、B子さんの氏名(芸名含む)、住所、生年月日、携帯電話の番号、LINEのアカウントを明かし、容姿がわかる写真まで用意するように要求しています。これに対して文春サイドの喜田村洋一弁護士が会見で“47年、弁護士やっててこんなことは初めて”と呆れていたように、本人が記事に書かれたようなこと(性加害)を一回もやったことがないなら、全否認でいい。2人以外にも複数の女性に対して同様の行為を行っていて、誰だかわからないという場合においてなら個人の特定に意味はありますが、少なくとも記事に書かれたことについて事実無根と主張しているのですから特定する必然性はありません。個人情報の開示要求は嫌がらせに近いものを感じます」(司法担当記者)


言うまでもなく、「A子さん」「B子さん」は、裁判の当事者(被告)ではありません。松本は「A子さん」「B子さん」を訴えているわけではないのです。裁判の相手は文春です。なのに、文春に彼女たちの個人情報の開示を求めるなど、そんな非常識なことがまかりとおるのかと思いました。

それに、記事にも書いているように、「A子さん」「B子さん」は街でナンパした女性ではなく、もともと小沢の知り合いの女優の卵だったりと芸能界の周辺にいた女性たちで、「A子さん」に至ってはアテンドした小沢一敬とLINEのやり取りをしているのですから、わざわざ裁判の中で個人情報を求めなくても、小沢に聞けばわかるはずです。

だからこそ、「くれぐれも失礼のないように。(引用者註:松本を)怒らせるようなことをしたら、この辺、歩けなくなっちゃうかもしれない」(文春記事より)という小沢の脅しも利いたのでしょう。また、小沢が間をおかず休業して表舞台から消えたにも、そういったことと関係しているのかもしれません。

文春側の喜田村洋一弁護士は、「『まるで警察みたいなものでしょ。それと原告の記憶喚起のために容貌、容姿が分かる写真を出してくれと。出してくれないと、週刊文春に書かれた内容が事実か、事実じゃないか認否できないと言っている』と首をかしげた」(スポーツ報知)そうです。

何だか最初から白旗を上げているような気がしないでもありませんが、司法記者のコメントにもあるように、文春の記事は捏造だと主張している(全否定している)のですから、記憶もクソもないでしょう。記憶が曖昧なのに全否定するというのは、あきらかに矛盾しているのです。それに、記憶を喚起しなければならないという主張は、松本自身が相当数の女性を相手にしたと告白しているようなもので、語るに落ちたとはこのことでしょう。

■下劣な意図


ネットに、文春のX(旧ツイッター)のフォロワーは40万人だけど、松本人志のフォロワーは900万人もいるので、ネットの世論を使えば松本は文春を圧倒する力を持っている、というようなことが書かれていましたが、松本側は、そういったお笑い芸人としての人気を背景にした、嫌がらせどころか、むしろ脅しブラフと言ってもいいような下劣な意図をチラつかせている気がしてなりまん。「A子さん」「B子さん」ともに、証人で出廷することも辞さないと言っていますので、松本側とすれば、何としてでも証言するのを阻止しなければならないのです。そのために、わざと個人情報の開示を要求して(暗にネットに晒されることを仄めかして)、彼女たちにプレッシャーをかけているのではないでしょうか。

メディアも松本の非常識な要求の裏にある意図を報道すべきですが、しかし、ネットに出ているのは文春に個人的な感情を持つコメンテーターたちの牽強付会な(ため、、にする)コメントばかりです。中には、弁護士でありながら、松本の要求は限定付きで容認できるなどとコメントしているタレント弁護士もいるくらいです。

松本の性加害疑惑の流れは潮目が変わったと言う人もいますが、それは松本や吉本興行に忖度するメディアが、この問題について発言した文春の幹部の言葉尻を捉えて、潮目が変わったように情報操作しているからです。松本のファンたちの論理は、無知蒙昧でメチャクチャですが、メディアはメチャクチャを指摘するどころか、逆にそれに同調しているあり様です。欧米では、SNSが若者の心に悪影響をもたらしているとして、SNSの規制に乗り出す動きがありますが、それは若者だけの話ではないのです。

ネット上では既に告発した彼女たちに誹謗中傷が浴びせられており、個人を特定する動きもあるそうです。池袋の暴走事故で妻子を亡くした遺族にさえ、「金目当てだろう」などと誹謗中傷が浴びせられるくらいですから、告発した女性たちが悪意を持った松本ファンのターゲットにされるのは火を見るよりあきらかです。松本側の開示要求がわざとらしく見えるのも、そこにチンピラまがいのいかがわしい底意があるような気がするからです。

最近は#MeToo運動に対する反発で、お金にものを言わせて、告発した女性にスラップを仕掛けるような動きが芸能界やスポーツ界から出ていますが、松本のやり方はその典型と言っていいのかもしれません。吉本興行やテレビ局は、それでも松本に同調し松本を擁護するのか、と言いたいのです。松本人志は、どうあがいても、トンチンカンなアンシャンレジュームでしかないのです。

私は今、たまたま臨床心理士の信田さよ子氏の『家族と国家は共謀する』(角川新書)という本を読んでいるのですが、もし週刊文春の記事にあったアテンドの「指示書」が本物なら(筆跡鑑定すればすぐに証明できるはずですが、松本は嘘だと提訴していませんので本物なのでしょう)、松本人志の性向にもアディクション(嗜癖)の傾向があるように思えてなりません。皮肉でも何でもなく、裁判よりまずカウンセリングを受ける方が先決ではないかと思うのです。

■裸の王様 ※追記


第一回口頭弁論で示された非常識な開示要求にも、松本人志の裸の王様ぶりが露呈されているように思います。松本の不幸は、若くして漫才界の頂点を極めたために、アドバイスをする人間がいなくなったことにあるのではないか。そう思えてなりません。

疑惑のパーティに同席していた放送作家も、松本の子分みたいな人物だし、吉本興業の現社長も前社長も、ダウンタウンのマネージャーだった人物です。

紀藤正樹弁護士は、Xで、「A子さん」「B子さん」の個人情報の開示を求めた「松本氏側の主張は実務上あまりにも非常識な主張」だとコメントしていたそうですが、それが(文春に個人的な感情を持つタレント弁護士を除いた)法曹界の常識であり、多くの弁護士の一致した見方なのだと思います。

どうして裁判の常識を無視したような主張が出て来たのかと言えば、立証方針に松本の意向が強く働いたからでしょう。

あの八代英輝弁護士でさえ、松本側の開示要求に「びっくりした」と言っているのです。

東スポWEB
八代英輝氏 松本人志裁判の身元開示要求に驚き「準備がお粗末」「開示するわけがない」

「訴えてからこの何か月の間にいろいろ打ち合わせもしてきたと思うんですけど、この第一回の口頭弁論になって初めて『A子さん・B子さん誰ですか』って、そんな素朴な疑問今から始めるんだっていうところがある意味衝撃でした」と語ると「なんの立証計画も方針も立ってないって自分で言ってるようなもの」と指摘した。


八代弁護士は「準備がお粗末」と言っていますが、「お粗末」と言うなら、「準備」だけでなく、ダウンタウンの”チンピラ芸”を地で行くような松本の意向が強く反映された原告側の姿勢をそう言うべきでしょう。

くり返しますが、ホントは「A子さん」「B子さん」を知っているのに知らないふりをしている、そこに嫌がらせ以上の意図があるように思えてならないのです。ヤメ検の弁護士も、裸の王様に振り回されているのかもしれません。

専門家の間には、最初から、松本の提訴はかなり無理があるという声がありましたが、何だか第一回目の口頭弁論からずっこけた感じです。
2024.03.30 Sat l 芸能・スポーツ l top ▲
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(Unsplash)



前の記事に「追記」として書いたものが、私のミスで削除されてしまいました。それで、独立した記事として、もう一度書き直しました。

■既視感


大谷翔平選手は、日本時間26日の朝、ドジャーススタジアムで会見を行い、専属通訳の水原一平氏の件について、20日の韓国での開幕戦後のミーティングの席で、水原氏の告白を聞いて初めて知った、自分の口座からブックメーカーに送金していたことも知らなかった、水原氏がESPNのインタビューを受けていたことも知らなかった、水原氏は自分のお金を盗んだ、自分は賭博はやってない、と弁明したのでした。会見の場には100人近くのメディア関係者が集まっていたものの、質疑応答もなく、声明を読み上げただけで会見場を後にしたそうです。

私は何だか既視感を覚えました。その数日前、日本の国会では、裏金問題の政治家たちが同じように弁明していたからです。台詞までよく似ています。

特に送金の件に関しては突っ込みどころ満載なので、質疑応答を避けたのでしょう。と、代理人の弁護士あたりからそう指示されたに違いありません。

■大谷は被害者ではない


当然、アメリカのメディアからはきびしい声が上がっています。

全国紙「USAトゥデー」は「ドジャース・大谷翔平、元通訳にだまされ賭博疑惑に目を奪われたと語る」との見出しで報道。「暗い秘密が暴露されたわけでもなく、刺激的な告白があったわけでもなく、謝罪があったわけでもない。メジャーリーグ最大のスター、大谷翔平は月曜日の午後、ドジャー・スタジアムで12分間、大勢の記者とテープレコーダーの前に座り、少しも緊張することなく、ただ単にだまされたのだと語った」と厳しい論調で報じた。

スポニチ
大谷翔平 違法賭博問題会見に米メディアの反応は 水原氏がなぜ送金できたか不明点を指摘、厳しい論調も


J・トリビオ記者(MLB.com)
「(略)質問したいことはたくさんあった。どうやって一平が翔平の口座にアクセスできたのか、大金が動いたのに(金融機関から)何の連絡も来なかったのか、とかね。僕なんて韓国でカードで7ドル(約1000円)支払っただけで、『通常と異なる動き』というお知らせが来て、カードが止まりそうになったよ。一平と翔平は親友や家族のような存在だった。だから、ミーティングで初めて知ったというのは信じるのが難しいかな」

M・ディジオバナ記者(LAタイムズ)
「(略)6年間毎日一緒にいた人が、ギャンブルの問題を抱えていたことに気づかなかったのかは疑問だし、どうすれば銀行口座にアクセスできるかは聞きたいね。もし自分の妻が500万ドル(約7億6000万円)を送金して全く気がつかないってことはない。彼にしたら500万ドルなんて大した金額じゃないのかもしれないけど…。(略)」

スポーツ報知
大谷翔平の会見に米記者は厳しい反応…「真実と異なるかも」「本当に何が起きたのかは分からない」


そもそも送金したと言っても、私たちのような数万円のはした金ではないのです。1回で7500万円の大金を数回に分けて送金しているのです。当然、二重認証で大谷のスマホに認証コードが送信されたはずですし、ましてやこれほどの大金であれば、銀行はマネーロンダリングを防ぐ責務を課せられていますので、二重認証だけでなく、もっと厳格な本人確認も求められたはずです。なのに、知らなかったとは、アメリカのメディアならずとも、とても信じられない話です。

アメリカのメディアが言うように、大谷はただの「野球バカ」で、精神的にはまだ子どもなのでしょう。日本の野球ファンは、その精神的に未熟な部分を「好青年」と解釈しているだけではないのかと思います。

水原氏がミーティングの席でみずからギャンブル依存症だと告白したとき、大谷は水原氏が言っていることがよく理解できなかったそうです。それは、信じたくないという意味で理解できなかったということではないのです。単に喋っている英語がわからなかったからだそうです。

大谷は渡米して既に6年以上になるのですが、未だに英語をマスターしていません。まだ20代の若者であることを考えると、ちょっとお粗末と言うしかありません。今回の問題でも、大谷のお粗末さが影を落としているような気がしないでもないのです。

日本では、水原氏は通訳と言っても日常の雑務まで行っていたので、大谷の口座の管理を任されていたのではないかという話があります。仮に、二重認証や本人確認の問題を脇に置き百歩も二百歩も譲って、大谷のあずかり知らぬところで杉原氏が送金したのだとしても、銀行の口座開設の際の約款にも書かれているとおり、口座は自己責任で管理しなければならず、キャッシュカード等も含めて他人に譲渡したり貸与することは固く禁じられています。約款上でも大谷の責任はきわめて大きく、同情の余地はありません。しかも、アンダーグランドのブックメーカーに送金されたとなれば尚更です。文字通りマネーロンダリングに加担したわけで、大谷は間違っても被害者なんかではないのです。

■日本的な”情緒”


弁護士の菊間千乃氏は、「モーニングショー」で、大谷は「嘘をついているようには見えなかった」と言っていましたが、そういった個人的な印象でことの真偽を口にするのは弁護士としてどうなのかと思いました。

コンプライアンスが重視されるようになったのに伴い、テレビのコメンテーターにやたら弁護士が起用されることが多くなりました。でも、彼らは、法律の専門家というより、番組で与えられた役割を演じる電波芸者タレントのそれでしかありません。にもかかわらず、弁護士という肩書で解説されると、適当が適当ではなく、あたかも信憑性があるかのように受け取られるのでした。中には、ちょっとでも批判されるとすぐ名誉棄損で訴える、始末の悪いタレント弁護士さえ出ているのでした。前も書きましたが、ホントにワイドショーに出ているような弁護士は何とかならないものかと思います。

また、新しく日本テレビの「news every.」のキャスターに加わった斎藤佑樹も、同番組の中で、元日本ハムの同僚の大谷について、「彼自身の言葉でちゃんと話している姿が、誠実な印象を受けました」と述べたそうです。

それらにあるのは、如何にも日本的な”情緒”にすぎません。でも、それはほとんど意味がないものです。

アメリカのメディアやアメリカの野球ファンは、450万ドル(6億8千万円)の大金を大谷のアカウントで送金したのに、大谷が知らないなんてあり得ないと言うのですが、日本の野球ファンは、大谷ならあり得る、そう「信じる」と言うのです(笑)。日本では「信じる」のひと言で思考停止してしまうのでした。それは、メディアも同じです。

大谷を批判すると、「大谷が嫌いなんだろう」と言われるだけです。それで耳を塞ぐのです。誰かの台詞ではないですが、そんな「バカと暇人」がヤフコメなどを通して可視化され、「水は常に低い方に流れる」世論を形成するようになったのでした。

前の記事で書いたように、朝日新聞は、大谷人気は「日米韓と国境を越えて」広がっており、韓国人の「反日感情」も「ショーヘイに抑え込まれた」と書いていましたが、たかが野球なのにそこまで言うかと思いました。もはや妄想と言うしかありません。

ついでに話を飛躍すれば、保田與重郎が戦前に書いた『日本の橋』(1936年)などを読むと、安倍晋三が『美しい国へ』で換骨奪胎したような、日本的な”情緒”と浪漫ロマン主義的と言われる空疎な言葉がご大層に溢れる文体に、戦後生まれの私たちは辟易させられると同時に、それがキッチュであることもわかるのでした。保田の言葉とその日本的な”情緒”は、日本を平定した渡来人の政権が自画自賛した「大和は国のまほろば」「大和しうるわし」のコピーにすぎないのに、「日本精神」の原点、国(天皇)に殉じる美学として、戦時イデオロギーに利用され、戦意高揚に一役買ったのでした。

考えすぎだと言われるかもしれませんが、朝日の大仰なもの言いは、保田と似たような気分(”情緒”)で大谷を語っているように読めなくもないのです。悪ノリするにも程があると言いたくなります。

今回の問題を冷静に見ると、合理的な視点で大谷にきびしい目を向けるアメリカのメディアやアメリカの野球ファンの方が、アジア人への偏見を差し引いてもなお、日本のメディアや日本の野球ファンよりはよほど健全で、まともな気がするのでした。
2024.03.27 Wed l 芸能・スポーツ l top ▲
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(写真AC)



■皇室をも凌ぐ礼賛報道


今朝(21日)、ドジャースの大谷選手の専属通訳で、大谷ファンからも「一平ちゃん」などと言われて親しまれていた水原一平氏が、違法賭博に関与したとしてドジャースを解雇された、というニュースが駆け巡りました。それは日本のメディアではなく、アメリカの複数のメディアがいっせいに報じたものです。

報道によれば、大谷選手の口座から450万ドル(日本円でおよそ6億8千万円)が違法なブックメーカーに送金されていたそうです。

つい先日のドジャースVS韓国代表戦でも、スタンドで大谷選手の新妻と水原氏の妻が並んで観戦するなど、大谷選手と水原氏が、単に選手と通訳の関係にとどまらない親しい関係にあったことは想像に難くありません。

それにしても、このところの大谷フィーバーは異常でした。特に結婚があきらかになってからは、皇室をも凌ぐほどの礼賛一色に染まったのでした。日本のメディアは、新妻の一挙手一投足を、傍で見ていると恥ずかしくなるほどの最大限の賛辞で報じていたのです。

野球だけでなく、大谷選手の新妻が所属していたバスケットボールチームの「富士通レッドウェーブ」が勝利すると、「結婚を祝う白星!」(スポニチ)などとぶち上げるあり様でした。早稲田に進学したのも、卓球の愛ちゃんと同じようにスポーツ推薦で入ったにすぎないのですが、「超ハイスペック」だとか言って、文武両道の才媛のように報じているのでした。

ドジャースにしてもパレドスにしても、両球団にはあんなに日本人選手がいるのに、開幕戦の”興行権”を韓国に奪われて、日本は文字通り後塵を拝したのでした。普段なら、ネトウヨから両球団の日本人選手が在日認定されてもおかしくないのですが、何故か彼らもおとなしく、日本人にとって屈辱的な(はずの)開幕戦をスルーしているのでした。

韓国の球場は空席が目立っていたにもかかわらず、韓国中も大谷フィーバーで沸いているように報じ、その報じ方は、間違いなく昨今の“皇族女子”の上を行くものでした。

あの朝日新聞でさえ、大谷人気は「日米韓と国境を越えて」広がっており、韓国人の「反日感情」も「ショーヘイに抑え込まれた」などと言う始末です。韓国人にとって、「日本人選手は日韓戦で対戦する『敵』という認識が強かった」けど、大谷選手の活躍がそんな「複雑な感情を吹き飛ばした」のだと。ホントかよと言いたくなります。

日本のメディアに言わせれば、大谷選手は、どんな政治家よりも、皇室の誰よりも凄いのです。小室夫妻の叩かれようと比べると、どっちが皇室かわからないような感じです。

でも、スタンドは空席が目立ちました。メディアは、チケットが高額だからと言うのですが、そんな凄い選手なら金に糸目をつけないはずです。チケットが高いから行かない、その程度のフィーバーなのかと思いました。

■シビアな現実


しかし、それも昨日までの話で、現実はよりシビアだったのです。ただ、それも、アメリカのメディアやドジャース球団がシビアだったにすぎません。日本のメディアは、あれだけ張り付いて、夫妻の一挙手一投足を微に入り細にうがって報じながら、大谷の結婚も今回の水原氏のスキャンダルもまったくノーマークだったのです。

私たちは、大谷の何を知らされていたのか。メディアが伝えたのは、新妻のZARAの5千円のバッグやしまむらのニットのセーターのような話ばかりです。それも、セレブなのに安物を身に着けているから「好感度爆上げ」みたいな、愚民向けの痴呆的な話なのです。日本のスポーツ新聞の記者たちは、今やコタツ記事を書くのが仕事みたいになっていますが、ジャーナリストとしてマトモな取材すらしてなかったのではないか、そう思えてなりません。田崎史郎ではないですが、恥を知れと言いたくなります。

その点、ドジャースにとっては、大谷を使ったビジネスと企業としてのコンプライアンスはまったく別のものだったということでしょう。前横浜DeNAのトレバー・バウアー投手の処遇でも示されたように、コンプラに対する姿勢がMLBとNPBとでは大きく違うのです。

そこでふと思ったのですが、6億8千万円を送金したのも、メディアや大谷の代理人の弁護士が言うように勝手に使われた「窃盗」ではなく、水原氏の賭博の損失を大谷が知って、大谷の黙認のもとに送金(補填)したのではないかということです。日本のメディア(特にスポーツ新聞)は、今までも大谷に関して肝心なことは何ひとつ報道してないので、彼らが言っていることをそのまま鵜呑みにすることはできないのです。

と思ったら、案の定、水原一平氏が一夜で証言を変えていることがわかりました。それを伝えているのは、「FRIDAY DIGITAL」でした。

Yahoo!ニュース
FRIDAY DIGITAL
「大谷翔平がパソコンから送金」通訳・水原一平氏が「詳細すぎる回想シーン」を“半日で撤回”のナゾ

水原氏は、現地時間の19日夜に、スポーツ専門チャンネルESPNのインタビューを受けて、詳細を語っているそうです。

《自分で穴を掘ったのに、その穴はどんどん大きくなり、そこから抜け出すためにはより大きな賭けをしなければならなくなり、負け続けることになったのです。雪だるま式の現象のようなものです》

として自分がギャンブル依存症であることを認めており、泥沼の深みにはまっていったことを自覚している。

「水原さんはインタビューで、大谷さんにお願いしたうえで、借金の支払いに同意してもらったと話していました。そして水原さんが同席し見ている前で大谷さんが自分のコンピューターにログオンし、昨年、数ヵ月間に分けて電信送金を行ったと話した。

インタビュアーに“なぜ大谷がボウヤーの関係者に直接支払うのではなく、単にあなたにお金を渡さなかったのか”と質問されると、水原さんは“大谷はお金に関して私を信頼していない”と明かしています。(略)」(スポーツライター)

しかし水原氏はこのインタビューの翌日の午後、発言した内容のほとんどを撤回したという。

あれだけ具体的なシーンを回想し証言していたにもかかわらず、半日ほどで

《大谷は何も知らない》

と証言を180度転換したのだ。


ドジャースの”韓国シリーズ”を放送したテレビ朝日などは、アメリカの多くの州ではスポーツ賭博は合法化されているけど、ドジャースの本拠地のカルフォルニア州はまだ違法なので、それで引っかかったんだろうみたいな言い方をしていますが、合法・違法に関係なく、賭博の対象となるMLBは、所属する選手や関係者がスポーツ賭博に関与することをきびしく規制しているのです。そもそも水原氏が手を染めたのは、合法の州でも違法な(アンダーグランドの)ブックメーカーだったそうです。だから、送金した大谷のお金について、マネーロンダリングの疑いも持たれているのです。テレ朝がほのめかすように、運悪くたまたま引っかかったというようなヤワな話ではないのです。

水原氏は、エンゼルスにいた2022年には既に億単位の負債を抱え、大谷が「肩代わりした」という話もあります。そして、最終的に(少なくとも)450万ドル=6億8千万円もの負債を抱え、大谷の口座から返済したと言うのです。ところが、インタビューのあと、大谷側は急に、大谷が肩代わりしたのではなく、知らない間に「窃盗」されたんだ、と言いはじめたのでした。そうなれば、私は逆に、賭博をやっていたのはホントに水原氏だけだったのか、と下衆の勘繰りさえしたくなるのでした。

もし水原氏が当初証言したように、大谷がみずからパソコンを操作して送金したのなら、大谷は捜査の対象になるだけでなく、MLBからもペナルティを課せられる可能性がある、とアメリカの法律に詳しい専門家は指摘しています。いづれにしても、これでバカげた大谷フィーバーに水が差されたのは間違いありません。いつかは落とされるだろうと思っていましたが、こんなに早く手のひら返しが訪れるとは思ってもみませんでした。

もっとも、日本のメディアが大谷フィーバーを過剰に演出したのも、自分たちの利益のためです。大谷が金のなる木だったからです。大谷にタカっているという点では、水原一平氏と同じなのです。

英語に「you reap what you sow」ということわざがありますが、日本のメディアはこれから「みずからで撒いた種をみずからで刈り取る」醜態を演じなければならないのです。それは大谷も同じかもしれません。

■日本のメディアはクソ ※追記


最初の報道から24時間以上が経ち、やっとと言うべきか、水原一平氏が一夜で証言を撤回した問題を日本のテレビや新聞も報じるようになりました。しかし、それもアメリカのメディアの報道を紹介するだけで、自分たちが独自に取材したものではありません。

この問題をスクープしたロサンゼルス・タイムズのディラン・ヘルナンデス記者や、水原氏にインタビューしたESPNのティシャ・トンプソン記者を見ると、これぞホンモノのジャーナリストという感じでカッコいいなと思います。彼らがやっているのはジャーナリストの基本である調査報道です。

スポーツチャンネルのESPNが90分にわたって水原氏にインタビューしたのは、大谷選手の広報担当者からの紹介だったそうです。広報担当者は、水原氏をメディアの前に出して、大谷選手はあくまで善意の被害者であることをアピールしようとしたのでしょう。

ところが、上述したように、水原氏は、インタビューの中で、借金の肩代わりを大谷に頼んで、大谷自身が水原氏の目の前でパソコンを操作して、違法カジノの胴元へ送金したと証言したのです。大谷はどうして現金を水原氏に渡さず、みずから送金したのかという質問に対して、水原氏は、「お金に関しては大谷は自分を信用してないからだ」と答えているのでした。

この証言が大きな波紋を呼び、大谷自身の関与(法的責任)が疑われるようになったため、翌日、水原氏が態度を一変して、インタビューの証言を全面的に取り消したのでした。日本だったら、メディアも同じように忖度するので、大谷側の目論見通りにこと・・が運んだでしょうが、アメリカではむしろそれがアダになり、水原氏は大谷のスケープゴートにされたのではないかという話さえ出て来たのでした。

日本と違ってMLBは地域密着なので、ロサンゼルス・タイムズはドジャースの地元の応援団のような新聞です。しかし、それでもこのようにスキャンダルはスキャンダルとして果敢に報道するのです。それに比べると、発表ジャーナリズムに飼い慣らされ、ジャーナリストの本分を忘れた日本の記者は、(誰かのセリフではないですが)ホントにクソみたいな連中だなとつくづく思います。

今回の問題をそういったジャーナリズムのあり様という視点から見ることも必要な気がします。
2024.03.21 Thu l 芸能・スポーツ l top ▲
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「牡丹のある家」は、1934年(昭和9年)に書かれた短編です。

高等小学校を卒業した主人公のこぎくは、大阪の大きな商店のようなところで、寄宿舎(会社の寮)に入り店員として働いていました。

しかし、肺病(肺結核)になったので、静養のため、兵庫県と岡山県の県境近くの(多分)山陽本線が走っている山間の村に帰ってきたのでした。

実家は、近くの山で桃と梨を栽培している零細な自作農の農家です。父親が亡くなったあと、長兄が家業の果樹栽培を継いでいます。家族は、母親と祖父、兄が2人に妹が2人、そしてこぎくの7人でした。しかし、現在、家にいるのは、母親の小房と長兄の市次とその妻の信江と79歳の祖父と、まだ学校にも上がってない一番下の妹きぬ子の5人です。

こぎくが初めて喀血したのは、勤めて2年が経ったときでした。高等小学校は、今で言えば中学2年までですので、喀血したのは満年齢では16歳か17歳の頃です。

お店なんて、肺病の巣でっせ、みんな言ってはるわ、などと仲間同士で語り、友達の二人三人の死を送りながら、遂に自分に廻ってくるのをどうしようもなく、自然に胸を折るように背中のうずくのをじっと、目を強く据えて見つめるばかりであった。こういう娘にとって、る朝起き抜けに、咳き込む拍子にぶくぶくとあぶくといっしょに吐き出されたまっ赤な血は、生活に変化をもたらすやけくそな希望にさえ見えた。病的に熱した目をきらきらと光らせて、縁先の土にぶつぶつとあぶくの消えてゆく自分の血を見つめていた。それからまっさおになり、床についた。


妹のきぬ子と一緒に山で桃の虫取り作業をしている祖父と長兄のもとに、昼食の弁当を届けに行った際、突然、山の下から火の手が上がったのでした。下からせまって来る火を半纏で叩き消している長兄に、「村に言うて来い」と命じられて、妹のきぬ子と山道を駆け下りていく途中で、こぎくは再び喀血に襲われるのでした。

そのとき、こぎくは、山道を外れて熊笹の中に身をよこたえ、「ぶるぶるとふるえる指先で、唇をそっと押え」、山にやって来る村人の騒ぎを耳にしながら、「怒涛どとうの中で身を浮かせているような、捨て切った気で、大きな悲劇を待つ気持」になったのでした。

こぎくの家には、亡くなった父親が植えた大きな牡丹の木があり、それが一家の自慢であり拠り所でもありました。牡丹の木は、一家のささやかでつつましやかな幸せの思い出とともにあったのでした。しかし、父親が亡くなったあと、家が傾いていくのを家族は自覚していました。零細な自作農が困窮に瀕するようになるのはわけがないのです。一家に次々と難題が持ち上がり、自慢の牡丹の木も売らなければならないかもしれないと思うようになっていました。

人生に絶望したこぎくは、深夜ひそかにかき餅に鼠取りの薬を張り付けて自死を試みるものの、寸前に母親に発見され未遂に終わります。

やがて体調も回復したこぎくは、再び大阪に戻って行くことを決心します。そして、黙って家を出て行くのでした。

 もう九月に入り、じりじりと暑かった。昼過ぎの停車場は風を通しながらも、かあっと照りつけられてうだっていた。
 駅のへちま棚の下で遊んでいたきぬ子は、這入って来た上がりの汽車を見ようとして棚の方へ飛んで行ったが、向かい側のホームにちらとこぎくの姿をみとめた。柵の上に足をかけてよじ登り、窓の一つ一つを見ようとしたが、姉の顔はもう見えなかった。
 こぎくは小さな風呂敷包を膝の上にのせ、雨傘と日傘の二本の傘をいっしょに傍らにおいてじっと窓の外を見ていた。
 どうしても口にへ入れられなかったかき餅の、ひどい臭気と、薬を買いに行った時の、じっと握りしめたてのひらの中で印形いんぎょうがじっとり汗ばんでいたのを、いつまでも忘れなかった。


このブログでも何度も書いていますが、私も東京の予備校に通っていたとき、持病が再発して九州に帰り、1年近くの入院生活を送ったあと、山間の町にある実家に戻ってしばらく静養した経験があります。そのときの絶望感を思い出すと、「牡丹のある家」のこぎくの心情は痛いほどよくわかるのでした。

入院中、毎日のように病室に行って話をするほど仲のよかった女性の患者が、早朝、病院の裏山で首を吊って自殺するという出来事もありました。

裏山で縊死せし女のベットには 白きマリア像転がりており

以前にも紹介しましたが、これはそのときに詠んだ歌です。彼女は、敬虔なクリスチャンでした。

心が折れそうになるほどつらいけど、歯を食いしばって足を前に出す。ありきたりな言い方ですが、人生は山登りと似ています。「悲しみは人生の親戚」(大江健三郎)なのです。悲しみを哀しみと言い換えてもいいと思いますが、生きる哀しみというのは、たしかにあるのです。そういったナイーブな感性は、実利的に生きていくにはマイナスかもしれませんが、人としての優しさや温かさの裏返しでもあるのです。

佐多稲子の小説の主人公はよく泣くのですが、こぎくもよく泣いています。その涙が私たちの心を打つのでした。それが佐多稲子の小説の魅力であり、佐多稲子がプロレタリア文学のジャンルを越えて、多くの読者を獲得した理由でもあるのだと思います。


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森敦「月山」
2024.03.18 Mon l 本・文芸 l top ▲
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(写真AC)



■キリンビールは人を舐めた会社


テレビコメンテーター(!)の成田悠輔をキリンビールが広告に起用したことで、成田の「高齢者の集団自決」「集団切腹」のすすめの過去の発言が蒸し返され、結局、キリンビールは成田の起用を取り下げるという出来事がありました。

どうしてキリンビールはいわくつきの成田を起用したのか不可解だという声もありましたが、キリンが起用したのが、缶チューハイ「氷結無糖」のWEB広告だったというのがポイントでしょう。

つまり、実社会では顰蹙を買っても、ネット上では成田はヒーローだと考えたのではないでしょうか。成田の発言に眉をひそめているのは年寄りばかりだ。缶チューハイの「氷結無糖」がターゲットにしたい若い世代には、むしろ拍手を持って迎えられている。キリンビールは、そう考えたのかもしれません。

まったく人を舐めた会社です。私はほとんど酒を飲まないので、関係するのは生茶くらいですが、キリンビールを飲まなくても別に人生の大勢には影響はないでしょうから、不買運動はもっと広がった方がいいし、広がるべきだと思います。

■機能主義


ウィキペディアで成田悠輔のプロフィールを見ると、麻布中学・高校を卒業して、一浪の後に東京大学に入学。2011年に東京大学大学院経済学研究科修士課程を修了しています。さぞや偏差値の高いお勉強ができるお子さまだったのでしょう。

しかし、高齢者の「集団自決」「集団切腹」のすすめに限らずほかの彼の発言を見ても、突っ込みどころ満載の軽率、単純の誹りを免れないようなものが多いのです。

成田悠輔の家には祖父母はいないのでしょうか。人生が順繰りで、いづれ自分も年老いて行くという、子どもでもわかる話が理解できないのか。成田は「比喩で言った」とひろゆきは擁護していましたが、比喩にもなってないのです。

若い人に椅子を譲れと言いたいのかもしれないけど、それがどうして「集団自決」になるのか。どうして介護を必要とする高齢者を引き合いに出すような(そうイメージするような)話になるのかと思います。

彼を見ていると、〈思想〉がないのです。というか、自分を含めて人を見る視点を持ってないのです。そういう眼差しが欠けているのです。だから、このような身も蓋もない杓子定規な言葉を振りかざすことになるのでしょう。人生において煩悶したこともないのかもしれません。そんな障子紙のような、薄っぺらな人間にしか見えません。

アメリカのメディアは、成田悠輔をファシストと呼んでいましたが、ファシストですらないのです。

これは東浩紀などにも言えますが、彼らは世の中を機能主義的に考えることしかできないのです。そこにいる生きている人間を見ようとしないのです。人間をシステムの一部のようにしか見ることができないのです。それが彼らの特徴です。そのため、現実の政治にコミットすると、途端に単細胞でトンチンカンな醜態を晒してしまうのでした。

■始末の悪いタレント学者


東浩紀に関しては、東日本大震災のとき、次のような発言をしたことを私は忘れません。

関連記事:
論壇なんてない ※2015年8月

 日本人はいま、めずらしく、日本人であることを誇りに感じ始めている。自分たちの国家と政府を支えたいと感じている。
 むろん、そのような「キャラ」はナショナリズムに繋がるのでよくない、との意見はありうるだろう。ネットでは早くもその種の懸念が登場しているし、また熱狂はしょせんは一時的なもので長続きしないという見方もある(おそらくそうだろう)。しかし、ぼく自身はそのうえでも、やはりその現象にひとつの希望を見いだしたいと思う。


また、2012年の東京都知事選の際は、当選した猪瀬直樹候補を支持して、選挙カーの上で応援演説まで行っているのです。

無邪気と言えば無邪気ですが、こういったお粗末さは、高偏差値の彼らに往々にして共通するもうひとつの顔でもあります。

彼らがものごとをすべて費用対効果で解釈するのも、それがもっとも単純でわかりやすいからでしょう。

成田悠輔は、ひろゆきを尊敬しているそうですが、彼の発言がひろゆきの冷笑主義と陸続きであるのは、誰でも理解できる話でしょう。

何より吉本芸人と同じように成田悠輔をコメンテーターに起用して、時事問題を語らせているメディアの無見識、無責任はもっと批判されて然るべきでしょう。ヤフコメなどと同じように、視聴率を稼ぐためにはプチ炎上も厭わないようなメディアの姿勢が、このような夜郎自大で始末の悪いタレント学者(もどき)を生み出したとも言えるのです。

成田悠輔に関しては、併せて下記の記事もお読みください。


関連記事:
成田悠輔の“高齢者集団自決のすすめ”と冷笑主義
2024.03.16 Sat l ネット l top ▲
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■哀しみやせつなさややり切れなさ


ちくま文庫から佐久間文子氏が編集した『佐多稲子傑作短編集 キャラメル工場から』が発売されたので、さっそく買って読みました。若い頃、佐多稲子の小説は結構読んでいたのですが、こうしてまとめて読むのは久しぶりです。

この短編集の中では、本の表題にもなっている1928年に書かれたでデビュー作の「キャラメル工場から」と1934年に書かれた「牡丹のある家」を感銘深く読みました(「牡丹のある家」は後日感想文を書きます)。

小説の中にあふれる哀しみやせつなさややり切れなさは、プロレタリア文学特有のものとも言えますが、同時にそれは、現代にも通じるものがあります。

「キャラメル工場から」は、家庭の事情で小学校5年の13歳(おそらく数え年)のときに、キャラメルを製造する工場で働きはじめた作者自身の体験に基づいて書かれた作品です。故郷の長崎から一家で上京したものの、父親は仕事が続かず、一家の生活が「寸詰まりにつまっていった」中で、家計を助けるために(父親から命じられて)工場勤めをしなければならなくなった少女の日常が描かれているのでした。

特に朝の通勤電車に翻弄される主人公の姿には、都会の片隅で虐げながらも必死で生きている者の(文字通り下層のプロレタリアの)哀しみやせつなさややり切れなさが象徴的に描かれているように思いました。一方で、13歳の少女は、電車賃がなく、片道2時間の道を歩いて通わなければならないこともあるのでした。でも、作者は、その中にも、ささやかながら人の温かさがあることも忘れないのでした。

 まだ電燈でんとうのついている電車は、印袢纏しるしばんてん菜葉服なっぱふくで一ぱいだった。皆寒さに抗うように赤い顔をしていた。味噌汁をかきこみざま飛んでくるので、電車の薄暗い電燈の下には彼らの台所の匂いさえするようであった。
 ひろ子は大人達の足の間から割り込んだ。彼女も同じ労働者であった。か弱い小さな労働者、馬に食われる一本の草のような。
「感心だね、ねえちゃん、何処どこまで行くんだい」
 席をあけてくれた小父おじさんが言葉をかけた。
「お父ちゃんどうしてんだい」
「仕事がないの」
 ひろ子はそれを言うのが恥ずかしかった。
「おや、あそんでいるのかい。そいつはたまらないな」
 そう言って彼は親しげな顔付きをした。


■忘れられない姿


私は、上の箇所を読んだとき、ふと、昔見た光景を思い出しました。もしかしたら、このブログでも書いているかもしれませんが、当時、私は池袋から電車で40分くらいかかる埼玉の街に住んでおり、そこから都内の港区の会社に勤めていました。

今のように相互乗り入れが多くなかったので、私たちは池袋駅で始発の私鉄電車に乗り換えて帰らなければなりませんでした。帰宅時間帯の池袋駅のホームはすさまじく、電車が着いてドアが開くや否や、座席を確保するために、ホームの乗客が我先に車内になだれ込むのでした。

私は上京してまだ間もない頃、そうとも知らずにホームの一番前にぼーっと立っていたら、スタートダッシュした乗客に突き飛ばされてえらい目に遭ったことがありました。会社の飲み会の席でその話をしたら、みんなが「嘘だろ」と言うのです。いくらなんでもそれはオーバーだと。それで、飲み会のあと、”埼玉都民”の生存競争の実態を見るために、社長以下何人かが池袋駅まで来たことがありました。

でも、それは池袋だけではないのです。和光市駅では当時既に地下鉄の有楽町線と接続していたので、そこでもすさまじい押しくら饅頭がはじまるのでした。特に電車が遅れたり、あるいは週末の最終電車のときなどは、ホームで待ち構えている乗客たちも殺気立っており、「苦しいっ」という車内のうめき声もなんのその、ラグビーのスクラムのような光景が繰り広げられるのでした。

あるとき、夜遅くの電車に乗っていると、ドアに押し付けられるように立っている若い女性が目に入りました。彼女は、ドアのガラスに両手を揃えるように当てて、外の夜の風景に目を向けていました。ガラスに映っている女性の顔を見ると、まだ少女っぽさが残る面影で、何だか哀しそうでさみしそうな表情をしていたのが印象的でした。化粧っけもなく、まわりの都心に通うOLと違って服装も地味で、使い古したような布のトートバックを肩から下げていました。

ところが、それから数カ月後の夕方、仕事で高田馬場の駅前を通りかかったら、何と舗道に彼女の姿を見つけたのでした。私の中に彼女の記憶が残っていたので、その偶然に驚きました。

彼女は、あのトートバッグを肩から下げて、行き交う人々に片端から声をかけていました。電車の中とは違って、通行人に無視されてもめげることなく、何かにとり憑りつかれたかのように、舗道を行ったり来たりしながら声をかけつづけていました。ただ、恰好は電車の中で見たときと変わっていませんでした。

彼女の前に通りかかると、彼女は私の前に立って「少し時間をいただけませんか?」と声をかけてきました。そして、まるで訴えるような眼差しをこちらに向けながら、”手かざし”で知られる宗教団体の小冊子を目の前に差し出したのでした。

■涙


佐多稲子は、その後、カフェの女給をしているときに、中野重治やのちに夫となる窪川鶴次郎らと知り合い、プロレタリア文学運動に身を投じることになります。「キャラメル工場から」も、中野重治に勧められて初めて書いた小説です。1979年、中野重治が亡くなったあとに出版された『夏の栞』(新潮社)に書かれているように、中野重治との親交は終生変わらず続きました。この短編集にも、中野重治の妻の女優の原泉のことを書いた「プロレタリア女優」という作品が収められています。

プロレタリア文学(革命運動)と新興宗教という違いはあるにせよ、そこにある、一個の人間としての生きる哀しみやせつなさややり切れなさは同じではないかと思うのです。佐多稲子の小説が、政治的イデオロギーに従属した従来のプロレタリア文学の概念を越える普遍性を持ち、私たちの心を打つのもそれゆえです。「キャラメル工場から」に限らず、佐多稲子の小説の主人公はよく涙を流すのでした。

「キャラメル工場から」の最後は、次のようなシーンで結ばれていました。既に主人公は、キャラメル工場を辞め、「口入屋くちいれやのばあさんに連れられてある盛り場のちっぽけなチャンそば屋」で働いていました。

 ある日郷里の学校の先生から手紙が来た。
 誰かから何とか学費を出してもらうように工面くめんして――大したことでもないのだから、小学校だけでも卒業する方がよかろう――と、そんなことが書いていた。
付箋ふせんがついてそれがチャンそば屋の彼女の所へ来た時――彼女はもう住み込みだった――それを破いて読みかけたが、それをつかんだままで便所にはいった。彼女はそれを読み返した。暗くてはっきり読めなかった。暗い便所の中で用もたさず、しゃがみ腰になって彼女は泣いた。



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(大休場尾根)



■「自民不倫」と検索


自民党の広瀬めぐみ参院議員の「不倫」のニュースが、メディアをかけめぐっています。ジャニーズ問題ではあれほどジャニー喜多川の性加害を見て見ぬふりし、松本人志の性加害疑惑では、松本本人や吉本興行に忖度した「真実は藪の中」「松本は売らんかな主義のスケープゴート」みたいな記事を垂れ流しているメディアが、まるで手のひらを返したみたいに、ここぞとばかりに”広瀬叩き”に狂奔しているのでした。

因みに、Chromeで「自民不倫」と検索すると、1ページ目に次のようなタイトルが表示されました。

TBS NEWS DIG
自民・広瀬議員不倫認め謝罪 議員辞職や離党は否定 “赤ベンツ不倫”週刊誌報道

FNNプライムオンライン
「夫を裏切り、子供たちにつらい思いをさせた」“不倫報道”認め謝罪した自民・広瀬めぐみ参院議員 涙にじませ…7分間で6回頭下げる

AMEBA TIMES
涙の謝罪…自民党・広瀬めぐみ議員が不倫報道を認める「夫と家族を大切に、皆様の信頼を回復できるようなお一層の努力を」

毎日新聞
自民・広瀬めぐみ氏、週刊誌で不倫疑惑報道 地元岩手の関係者衝撃

Yahoo!ニュース
自民党・広瀬めぐみ議員の赤ベンツ不倫、相手はカナダ人有名サックス奏者 直撃に議員は「しょうがない、もう撮られてるんだから」(ディリー新潮)

スポーツ報知
広瀬めぐみ参院議員“赤ベンツ不倫”涙で謝罪「関係は事実」「一生かけ夫と家族に償ってまいります」議員辞職は否定

Yahoo!ニュース
大下容子アナ 不倫、裏金…自民・エッフェル軍団に「なぜフランス研修の報告書を公表しないのでしょうか」(スポニチ)

Yahoo!ニュース
「恥の上塗り」不倫謝罪の広瀬めぐみ氏に自民党内でも厳しい声 裏金問題にラブホ不倫重なる(日刊スポーツ )

■あえて言いたい


何だか「不倫」も性加害も十把一絡げにされている感じですが、「不倫」と性加害は根本的に違うものです。その基本的な認識がメチャクチャなのです。

私はあえて言いたいのですが、「不倫」がそんなに悪いことなのでしょうか。まるで重罪を犯したみたいに袋叩きにされていますが、じゃあ、広瀬議員に石を投げる人間たちは、今まで「不倫」をしたことがないのか。あるいは、したいと思ったことはないのか。そう問いたいのです。

性愛に既婚も未婚もないでしょう。誰だっていくつになっても、恋する気持はあるはずです。叶わぬ恋ならなおさらです。身分制度がなくなった現在、身を焦がすような恋と言ったら、もう「不倫」しかないのではないかと思うくらいです。人様の恋路に石を投げるなど最低の人間のすることです。

野党やその支持者の中には、広瀬議員が「エッフェル姉さん」と呼ばれ、自民党女性局のフランス研修旅行の参加者であったことと結びつけたがるむきがありますが、そんなのはまったく関係ない話です。まして、議員辞職を求めるなど常軌を逸しているとしか思えません。リベラルが聞いて呆れます。

「不倫」に国会議員であるかどうかなんて関係ないでしょう。もちろん、政治的イデオロギーも関係ありません。広瀬議員はたしかに公人ですが、「裏金」問題と違って「不倫」はあくまでプライベートな話(!)です。個人の性愛の話なのです。むしろ、俗情と結託してプライベートな空間に〈権力〉を呼び込む、”良識”を装ったリベラルな〈政治〉こそ逆に怖いなと思います。

”広瀬叩き”でも伝家の宝刀のように振りかざされているのが、「ふしだらな女」の論理です。もちろん、夫婦別姓に反対し「伝統的な家族制度」の堅持を訴えている保守政治家として、言っていることとやっていることが矛盾しているのはたしかで、そういった意味では自業自得という見方もできるでしょう。

ただ、これが男性議員だったらここまで叩かれるだろうかという気がします。女性議員だから、よけい「ふしだらな女」だとして、バッシングの声が大きくなっているように思います。

たとえば、松本人志もれっきとした妻帯者ですが、彼に関する報道の中には、「不倫」の「ふ」の字も出て来ません。問われているのは合意があったかなかったかだけです。擁護する人間たちは合意があったと言い、指弾する人間たちはなかったと言うだけです。いつの間にか、合意があったなら松本の行為は許されるのかのような話にすり替えられているのでした。松本側が文春の第一弾の記事だけを提訴しているのも、そういった狙いがあるような気がします。多くのメディアも松本の意図に加担しているのですが、今や世界的な流れになりつつある#MeToo運動の理念を考えるとき、こういった日本の芸能界とメディアの持ちつ持たれつの関係に対して、私はおぞましささえ覚えるのでした。

広瀬議員と松本人志を比べてもわかるように、そこに示されているのは文字通りの「性の二重基準」です。性においても(その倫理の兼ね合いにおいても)、男と女は最初から対等ではないのです。上野千鶴子はそれを「ブルジョア性道徳」と呼んだのでした。

民法第770条は、次のように書かれています。

第七百七十条
夫婦の一方は、次に掲げる場合に限り、離婚の訴えを提起することができる。 一 配偶者に不貞な行為があったとき。 二 配偶者から悪意で遺棄されたとき。 三 配偶者の生死が三年以上明らかでないとき。


たしかに、上記のように、民法においては「不倫」=「不貞な行為」は慰謝料や離婚を請求できると定められていますが、しかし、それはあくまで夫婦間(あるいは「不倫」相手を含めた三者間)で処理すべききわめてプライベーな問題として、そう定められているにすぎません。恋愛に良いも悪いもないのです。

「不倫」も、立派なとは言わないけど、大人の恋愛のひとつで、他人がとやかく言う筋合いのものではないでしょう。夫婦関係のリスクはあるにせよ、「恋愛の自由」の範疇にあるものです。

一方で、テレビにコメンテーターとして出ているようなタレント弁護士たちが、上記の民法の条項を盾に、「不倫」をあたかも「悪」であるかのように言い募り、バッシングするのにひと役買っているのはたしかでしょう。広瀬議員も弁護士だそうですが、あのテレビに出ているお便所コオロギのような弁護士たちは、何とかならないのかといつも思います。

「不倫上等」の伊藤野枝が、大杉栄をめぐる三角関係(実際は四角関係)で、神近市子に刺された「日陰茶屋事件」が起きたのが今から100年以上前の1916年(大正5年)ですが、この100年間で「不倫」は当たり前のこととして定着したけれど(資本主義の発達とそれに伴う労働形態の変遷によって、性の自由も拡張されたのですが)、「伝統的家族制度」の残滓である「ブルジョア性道徳」は相も変わらず幅をきかせ、私たちの生活にというか、「一生かけ夫と家族に償ってまいります」という広瀬議員の発言に見られるように、とりわけ女性の人生に理不尽な圧力を加えているのです。

ブルジョア社会の守護神である弁護士たちは、これ見よがしに「不倫」の代償は高くつくなんて言っていますが、もちろん、「不倫」という言葉の前に「女性の」という言葉が伏せられているのは言うまでもありません。そうやって「ブルジョア性道徳」を前提に、性における私的な自由まで脅迫して制限するような社会が、「良い社会」だとはとても思えないのです。


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堤清二 罪と業



■身も蓋もない本


遅ればせながら、友人にすすめられて『堤清二 罪と業』(児玉博著・文春文庫)を読みました。

この『堤清二 罪と業』は、2016年の第47回大宅壮一ノンフィクション賞(雑誌部門)の受賞作で、堤清二氏の死によって終了するまで、都合10時間のロングインタビューを行い、そこで語られた堤家の複雑な人間関係とそれに起因する親族間の骨肉相食む物語をまとめたものです。

前も書きましたが、海外のポスターやポストカードを輸入する会社に勤めていたとき、堤清二氏が一代で築いたセゾンを担当していた私は、彼の「自立した消費者であれ」とか「文化は事業になっても、芸術は事業にならない」という言葉に惹かれ、彼がふりまいた”消費革命”の幻想に踊らされたスノッブの一人でもありました。

『堤清二 罪と業』は、堤清二氏自身の証言を丹念にたどることによって、堤清二氏もまた、単なる二代目のボンボンにすぎなかったことを描いている、(かつてのスノッブから見れば)身も蓋もない本とも言えるのでした。ただ、個人的な考えでは、敵味方、好き嫌いに関係なく、カリスマは引きずり降ろさなければならないので、同書を面白く読むことができました。

■堤康次郎


父親の堤康次郎は、幼い頃父親を病気で亡くし、母親は離縁されて実家に帰されたために、尋常高等小学校を卒業すると、祖父の清左兵衛と故郷の滋賀で農業をしていたのですが、20歳のときに清左兵衛が亡くなると、田畑を売ったお金を持って上京するのでした。早稲田大学に入学するためです。そして、早稲田を卒業してからも数々の事業で失敗を重ね、28歳のときに起死回生をはかった軽井沢の別荘地開発が成功、のちの”西武王国”を築く足がかりを得たのでした。また、政治家としても衆院議長にまで上りつめるなど、立志伝中の人物として語り継がれるほどになったのです。

しかし、堤康次郎は大変な好色家で、三度目の妻である青山操(堤清二の実母)の妹とも関係を持ったり、病床にあったときに看病した看護婦とも関係を持って愛人にしたりと、私生活は奔放でした。

どこまでホントかわかりませんが、ウィキペディアには、わざわざ「女性関係」という項目が設けられ、次のように記載されていました。

康次郎の女性関係は派手だった。お手伝いさんから華族まで“女”と名のつくものであれば“手当たり次第”だったという(略)。お手伝いさんから女子社員、部下の妻、看護婦、マッサージ師、乗っ取った会社の社長夫人、秘書、別荘管理人、旧華族…社員たちの言葉の端にのぼっただけでもざっと手を付けた女性はこんな具合である(略)。この後始末は部下の仕事だった(略)。愛人の数は有名な女優を含めて、正確な数は誰もわからないし、康次郎本人もわからなくなっていた(略)。子供12人というのは嫡子として認めた数にすぎず、100人を超えるという説もある(略)。葬儀には康次郎そっくりの子どもの手を引いた女性が行列を作ったという(略)。


堤清二氏は、堤康次郎にとって戸籍上では次男でしたが、康二朗が早稲田の学生時代に、(学生の身分でありながら)日本橋で経営していた三等郵便局の事務員に産ませた長男がみずから申し出て廃嫡になったので、それ以後は清二氏が堤家の長男としての扱いを受けていました。三度目の妻の青山操には、堤清二氏の下に娘の邦子がいましたが、邦子はのちにパリにあった西武百貨店のヨーロッパ駐在事務所の責任者になり、「他の百貨店に先んじて」、アルマーニ、エルメス、イヴ・サンローラン、ソニア・リキエル、ミッソーニなどのブランドと独占契約を結んだのでした。しかし、フランスの警察当局に横領容疑をかけられて職を失い、失意のままこの世を去るのでした。

堤康次郎には、清二氏の他に、三男に西武グループの中核企業であったコクドや西武鉄道を率いた堤義明氏、四男に豊島園の社長を務めた康弘氏、五男にインターコンチネンタル東京ベイの社長を務めた猶二氏がいましたが、義明氏、康弘氏、猶二氏は、清二氏とは腹違いの弟で、子どもたちは認知されていたものの、母親は未入籍のままでした。言うなれば義明氏らは、昔で言う「二号さん」の子どもだったのです。

■独裁者としての資質


そういった複雑な家庭環境を背景に、兄・清二氏と弟・義明氏の確執や、”西武王国”が崩壊する過程では親族の間で骨肉の争いが生じ、メディアの格好の標的になったでした。

もっとも、好色家の父親の性癖は子どもたちにも受け継がれており、清二氏、義明氏ともに女性関係の噂は絶えることがありませんでした。それぞれ著名な女優と愛人関係にあったという噂がありましたが、中には、お手付きの女性社員を押し付けられて結婚した社員が、役員にまで引き上げられたという話さえあるそうです。

また、堤康次郎氏は、”カミソリ堤”と呼ばれ、暴君として知られていましたが、その独裁者としての資質も、清二氏にも義明氏にも受け継がれていました。セゾンも西武も、典型的なワンマン経営だったのです。

以前、池袋の西武デパートの地下にリブロという書店がありましたが、リブロは堤清二氏の肝入りで作った(というか、自分のために作った)書店で、毎日必ず顔を出して書籍を購入していたそうです。

私は当時、埼玉に住んでいて、しょっちゅうリブロで本を買っていましたし、セゾンを担当していたということもあって、リブロの店員と顔見知りになり、いろんな話を聞きましたが、その中でいちばん多かったのは会長(堤清二氏)の暴君ぶりでした。

『堤清二 罪と業』にも書かれていますが、堤清二氏がどんな本を購入したのか、秘書や役員たちがそれを知りたがるのだそうです。そして、彼らも同じ本を買い、手分けしてその概要を頭に叩き込むのだとか。でないと、あとで堤清二氏から話題を振られ、うまく答えることができないと怒りを買うからです。

堤清二氏は、事業家としての顔を持つ一方で、辻井喬というペンネームを持つ作家・詩人の顔も持っていました。毎日、帰宅すると2時間書斎にこもって、本を読んだり創作したりしていたそうですが、そうやって暴君としての事業家の顔と、繊細な作家・詩人としての顔を使い分けていたのです。

でも、自分のことを考えればわかりますが、表と裏はあるにしても、サイコパスでもない限り、二つの顔を使い分けることなどできるわけがありません。どっちかがホンモノで、どっちかがニセモノのはずです。

余談ですが、鈴木涼美が登場したとき、私は、テレビのコメンテーターだけにはならないで貰いたいと書いたのですが、案の定、最近、YouTubeに出て発言している彼女を見ると、がっかりすることが多いのです。こんな薄っぺらな考えで、小説を書いているのかと思うと、いっぺんに興ざめするのでした。

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文学(の言葉)というのは、所詮はそんなものなんだなと思います。若いときはそうでもありませんが、ままならない人生を生きて年を重ねると、文学の言葉の薄っぺらさが透けて見えるようになるのでした。

■血は汚い


箱根の別荘地の売買で財を成した堤康次郎は、麻布の北条坂に大邸宅を構え、その本館を時の総理大臣の東条英機に迎賓館として提供していたのですが、米軍の空襲で焼け落ちる際、堤康次郎は、清二氏の目の前で「敷地に逃げ込もうとした被災者を鬼の形相で一歩たりとも入れようとせず、「財産を守るとはこういうことだ」と言い放ったそうです。

でも、堤清二氏は、人の道を踏み外してまで財産を守ろうとした父親に、一定の理解を示すのでした。堤清二氏には、父・堤康次郎に対して、愛憎二筋のアンビバレンツな感情があったのでしょう。でも、私は、やはり、「血は汚い」という言葉を思い出さざるを得ません。

西武のライバルであった東急もそうですが、日本の資本主義がまだ”成熟”していない発展段階においては、商売人としてこういったむき出しの暴力的なエピソードが通用する余地はあったのかもしれません。もちろん、それは、資本制社会の中に、家父長的な”家内制手工業”の残滓が、燃えカスのように残っていたからです。

”西武王国”が崩壊したのは、公私混同した前近代的な経営形態が行き着いた当然の帰結という側面があるものの、同時に資本主義の”成熟”と金融資本の台頭という、教科書に書いているような発展段階の構図も見て取れるのでした。

所詮は二代目のボンボンにすぎなかったと言えば、それまでですが、「売り家と唐様で書く三代目」という川柳があるように、現代の”成熟”した資本主義は、三代までのさばることを許さなかったと言っていいのかもしれません。

本書には、”西武王国”を率いた堤義明氏に関して、次のようなエピソードが紹介されていました。

 康次郎の言いつけを守り続け、幼い時から堤家独特の帝王学を学んできた義明の精神構造は、独裁の酷薄さと幼稚さが同居した。ロールスロイスに乗るや、運転手に「コロッケを買いに行け」と言いつけ、コロッケをロールスロイスの広過ぎるであろう後部座席で一人頬張っては、
「お前たちはこんな美味いもんをいつも食べているのか」
と漏らしたりもした。


また、箱根の別荘に幹部たちを招集して馬乗りをして遊んだという、耳を疑いたくなるようなエピソードも紹介されていました。

全国のプリンスホテルに視察に訪れる際、支配人たちは、義明氏が前日に食べた献立を調べるのが必須だったそうです。もし、同じメニューを出したら、義明氏の逆鱗に触れるからです。実際に、前日と同じメニューを出した支配人が閑職に追いやられたケースもあったそうです。そして、到着すると玄関に赤い絨毯が敷かれ、従業員が整列して迎えるのだとか。著者の児玉博氏は、「プリンスホテルの従業員にとって、最上のもてなしを考えなければならないのは顧客ではなく、義明に対してだった」と書いていました。

現代のように、「超資本主義」と言われるほど高度に発達しシステム化された資本主義の時代において、こんなあまりにも稚児めいた経営者が通用するはずがないのです。それは、最近の某中古車販売会社のスキャンダルでも示されたとおりです。

案の定、堤義明氏も、2005年、(国家権力の常套手段である)証券取引法違反の疑いで東京地検特捜部に逮捕され、金融資本の手に落ちた”西武王国”と運命をともにするように、みずからも落日を迎えるのでした。

堤清二氏は、「凡庸」という言葉を使って、異母弟のことを次のように評していました。

「(略)義明君が凡庸なことは分かっていましたが、そのまま維持するくらいはできると思ってた。しまったな、と思う訳です。自分が引き継ぐべきだったのかなあ、と。それを思うと、父に申し訳ないことをしてしまったと思うばかりなんですね。毎日、父に詫びております。父が命がけで作って来たものを、いらないって言った訳ですから‥‥、さぞがっかりもしたでしょう‥‥」


著者は、「清二は心底、そう思っているのだろう」と書いていましたが、後継者を巡る話には如何にも自信家らしい清二氏の虚勢が加味されていて、自分が断ったのではなく、父親から禅譲されなかったというのが真相です。その話は別にしても、この発言を見ると、清二氏もまた、「凡庸」な「お家大事」の考えから自由ではなかったことがわかるのでした。

私たちは、そんな堤清二氏がぶち上げた”消費革命”の幻想に踊らされた、いや、みずから進んで踊った、「あえて踊った」のです。崩壊感覚のようなものを抱きながら、「あえて踊った」のです。それが正直な気持です。


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(写真AC)



■「凄い、凄い」の大合唱


花巻東高校野球部の佐々木麟太郎選手がアメリカの名門、スタンフォード大学に推薦入学することになったそうで、大きな話題になっています。メディアは「凄い、凄い」の大合唱です。

スタンフォード大学は、日大のようにスポーツさえできればフリーパスで入学できるような大学ではなく、学業も優秀でないと入学できないと言われているそうです。

テレビ朝日の「モーニングショー」にコメンテーターとして出演しているバイオリニストの廣津留すみれさんは、私の地元の大分上野丘高校を出てハーバード大学に入学したのですが、地方の公立高校からハーバードに入学したとして話題になり、本を出したりテレビに出演するようになったのでした。

廣津留さんが出た大分上野丘高校は、大分県では屈指の進学校で、偏差値も70を超えています。一方、佐々木麟太郎選手の花巻東高校の偏差値は、私立なのでいろんなコースを設けているのですが、特進コースでも49、スポーツコースは44、進学コースは42です。

そんな高校からハーバードと並び称されるくらいの難関大学と言われるスタンフォードに進むのは、たしかに「凄い」とは言えますが、しかし、いくら学業優秀とは言え、スタンフォードに入学するのはそれこそ奇跡に近いような話でしょう。メディアも、「凄い」ではなく「奇跡だ」と言うべきなのです。

しかも、スタンフォード大学の合格率は4%であるにもかかわらず、佐々木麟太郎選手は野球部の監督とリモートで面接しただけで合格したそうです。大学は高校時代の成績も考査して入学を認めたと言うのですが、その高校は特進コースでも偏差値49の高校なのです。

さらに驚くことに、入学者の5%しか適用されない奨学生に選ばれ、その総額は4年間で5000万円と言われているのです。奨学生の場合、毎年学業などの審査が行われて更新の可否が決められるそうですが、佐々木凛太郎選手は毎年の審査も免除され、5000万円の返済も免除されるのだとか。まさに至れり尽くせりなのです。

当然、監督とリモートで面接しただけでなく、水面下では入学に際しての条件面での交渉も行われたはずですが、しかし、メディアの手にかかればすべてが「凄い」の言葉で片づけられ、”英雄譚”として扱われるのでした。

廣津留すみれさんも、陰で「冗談じゃないわよ」「あんなのと一緒にしないで貰いたいわ」と悪態を吐いていたとしても不思議ではないのですが、テレビではひたすら歯の浮いたような言葉で佐々木麟太郎選手を持ち上げて、”英雄譚”の太鼓持ちを演じているのでした。

■「国内的鎖国と国際的開国」


松本人志の性加害疑惑でも、テレビやスポーツ新聞や、文春など一部を除いた週刊誌は、独自取材をせずに、松本や吉本興行に忖度したコタツ記事でお茶を濁しているだけですが、佐々木麟太郎選手に関してもその姿勢は変わりません。ただひたすら「凄い、凄い」と持ち上げるだけです。

こういうのを「ニッポン凄い!」と言うのか。少しでも考えれば、そんな単純な話ではないことぐらいわかりそうなものです。

テレビやYouTubeは、外国人観光客が日本の食べ物や日本の風景に感動したとかいう話をバカのひとつ覚えのようにくり返し流していますが、一方で、東アジアからの観光客が頭打ちになり、欧米からの観光客も横ばいで、タイやマレーシアやインドネシアやシンガポールなど東南アジアからの観光客が主流になっているという、インバウンドの先行きを暗示するような現実には誰も触れないのです。

現在、世界は有史以来の観光旅行ブームなので、観光客が増えるのは当たり前ですが(日本だけでなく、どこの国でも観光客が増えているのですが)、その分競争も熾烈を極めているのです。

ひと昔前の発展途上国のように(!)、日本でも外国人観光客向けの”ぼったくり価格”が横行しているようですが、メディアは間違ってもそれを”ぼったくり”とは言わないのです。昔はぼったくられる方だったのですが、今はぼったくる方に身を落としているのでした。

外国人から批判されると「大変だ」と右往左往し、逆に「外交辞令」で褒められると天にも昇るほど大喜びする、その右顧左眄するだけの(それでいて狡猾な)日本人の精神構造は何百年経っても変わらないのです。

丸山眞男は、1961年に刊行した『日本の思想』(岩波新書)の中で、「国内的鎖国と国際的開国」という文章を書いていますが、丸山は、国内では個々の集団がタコツボ化して没交渉になっている一方で、それぞれが「八方破れで、外に向かって開かれている」、そういった「鎖国」と「開国」が無勝手流に同居しているのが日本社会の特徴だと言うのでした。

丸山の理論を敷衍すれば、前も書いたような日本の企業の「パラダイス鎖国」で浮利を追う内弁慶な体質などは、「国内的鎖国」の最たるものと言えるでしょう。でも、その一方で、「亀山モデル」などと言い、さも世界にも認められたかのように自演乙する「国際的開国」も忘れないのです。

何でもいいから、とにかく世界に認められたら「一流」なのです。そのために(嘘でもいいから)世界という「箔」が必要なのです。この「国内的鎖国と国際的開国」という馬から落馬したような話は、鹿鳴館時代から連綿と続く日本人の精神構造をよく衝いているように思います。

佐々木麟太郎選手のスタンフォード進学の報道も、陰では首をかしげながら(スタンフォードって日大と同じじゃないのかと思いながら)、誰もおかしいと口に出して言わないのです。そう言えば、タコツボ化した集団トライブからパージされる(村八分にされる)ことがわかっているからです。そして、単にメディアが大谷に続く新しいヒーローを欲しているだけなのに、スタンフォード進学をそれこそ「国内的鎖国と国際的開国」で牽強付会に解釈した”英雄譚”が、御大層に独り歩きしているのでした。

■大谷翔平の結婚 ※追記


佐々木麟太郎の高校の先輩の大谷翔平が、結婚を発表したことで、日本中が大騒ぎしています。関西テレビの「newsランナー」に言わせれば、日本だけにとどまらず「世界中が大谷ロス」に陥っているのだそうです。

Yahoo!ニュース
FNNプライムオンライン
「大谷さんと結婚したかった…」世界中が大谷ロス 大谷選手が語ったお相手は「日本人で…」 高校生からこれまでの大谷選手の「好きな女性のタイプ」を検証

さすが維新の応援団の大阪のテレビ局だけあって、同じデマゴギーでもスケールが違うのです。しかも、あろうことか、”オータニ”つながりで、「結婚式の増加に期待を寄せている」として、ホテルニューオータニにまで取材するあり様です。私は、「痴呆的」という言葉しか浮かびませんでした。その延長に維新人気があるのでしょう。

「大谷ロス」で夜も眠れない女性が続出という言い方が常套句のようになっていますが、これもミソジニーの一種と言えるでしょう。ミーハーな女性を街頭インタビューに引っ張り出して、そんなパープリンなニュースに仕立てているのでした。

もっとも、”悪ノリ”は国民を脅して年間6800億円近くの受信料を巻き上げる「みなさまのNHK」も同じで、よりによって自民党の裏金問題で開かれた政倫審(衆院政治倫理審査会)の中継中に、「大リーグ・大谷翔平選手 結婚を発表」「相手は日本人女性」というニュース速報のテロップを流したとかで、顰蹙を買っているのでした。

世界に誇る百均のダイソーが韓国資本になり、今や世界に誇るのは大谷しかなくなったかのようで、まさに大谷様々なのです。

報道によれば、既に去年婚約をしていたそうですが、婚約のニュースはいっさい表に出ていませんでした。これだけメディアが大谷に張り付いていながら、ホントに誰も知らなかったのかと思います。

かつてのイチローもそうだったと言われますが、まるで腫れ物に触るような感じで、見事なほどメディアはコントロールされているのでした。言うなれば、メディアは武装解除されて、大谷の足下に跪いているのでした。

もしかしたら、皇室より言論が統制され、スキャンダルもタブーになっているのかもしれません。

佐々木麟太郎は、そんな大谷翔平に続けとばかりに青田買いされているのですが、ホントに大谷のように化けるのか。知ったことじゃないけど。


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■世界の多極化のスピード


くどいようですが、私は、アメリカが唯一の超大国の座から転落して、世界は間違いなく多極化すると言い続けてきました。その最初の兆候が2008年のリーマンショックだったのです。そして、アメリカの凋落にとどめを刺したのが2021のアフガン撤退でした。

今年11月のアメリカ大統領選挙では、トランプが返り咲く可能性がきわめて高いと言われていますが、そうなれば、2020年の前回の選挙に敗北した際、支持者を煽ってワシントンの連邦議会議事堂の襲撃事件を起こした張本人が、再びアメリカ大統領に返り咲くことになるのです。

これはもうメチャクチャとしか言いようのない歴史的な珍事ですが、しかし、珍事として笑い飛ばすことのできない深刻な問題を含んでいるのは言うまでもありません。トランプの返り咲きは、共和党と民主党の(実質的な)二大政党制や、アメリカンデモクラシーのお粗末な現実を示しているだけでなく、アメリカがもはや取り返しのつかない分裂と混乱に陥り、自滅への道をひた走ることをも同時に示しているのです。

世界は多極化して、世界にいくつかのセクターが生まれ、アジアの覇権は中国が握り、赤い資本主義による”新中華思想”が世界を席巻するようになると言い続けてきましたが、その通りになっています。一方でイスラムが台頭し、大ロシア主義も復活するだろうと書きましたが、現実は予想を超えた速いスピードで進んでいることがわかります。

■BRICSの台頭


今のロシアのウクライナ侵攻も、ガザをめぐるハマスとイスラエルの対立も、その脈絡で見るとより理解が進むように思います。「休眠から目覚め」(ブルームバーグ誌)ロシアや中東の”武器製造工場”として存在感を見せ始めている北朝鮮が、「バカにできない国」になりつつあるのも然りです。

西側のメディアは、ウクライナに侵攻したロシアは疲弊し、今にも敗北しそうだと言っていましたが、ここに来て急に、敗北しそうなのはむしろウクライナで、ロシアは侵攻前より手持ちの現金は13倍にも増えて国庫は潤沢になっている、というニュースが出ています。

CNN
ロシア国庫、異例の潤沢ぶり 手持ち現金は侵略前の13倍以上

その背景には、言うまでもなく、BRICSの台頭があるのです。BRICSの国々が経済的にも政治的にも欧米の支配から脱し、欧米に対抗し得るような大きな力を持つようになったからです。そして、BRICSに、昔は「第三世界」と呼ばれ、現代は「グローバルサウス」と呼ばれる発展途上国が連なって大きな市場を形成しているからです。

国際経済の専門家やロシア研究者が競馬の予想屋ではないことは重々承知していますが、それにしても、世界経済やロシアのウクライナ侵攻に関して彼らが言っていることは、的外れのトンチンカンなことばかりです。

もちろん、アメリカが凋落すると言っても、戦後世界に君臨した唯一の超大国だったので腐っても鯛で、その資産は莫大なものがあります。アップルやマイクロソフトやグーグルなどアメリカの企業が、インターネットという歴史的な情報革命を担い、時代をリードしてきたことは否定し得ない事実です。

下の図は、東京新聞に掲載されていた1989年と2023年3月末現在の世界の時価総額トップ10の比較ですが、これを見ると、日本の企業の没落と先端産業をけん引してきたアメリカの企業の台頭が一目瞭然です。

世界時価総額ランキング 093833
※東京新聞Webより https://www.tokyo-np.co.jp/article/252608

■77歳の狂人と81歳の認知症


しかし、これは国境を飛び越えて世界の市場でビジネスを展開する経済の話にすぎません。大統領選挙はあくまで国内政治の問題なのです。トランプの逮捕や暗殺など大どんでん返しが起こらない限り、アメリカが大混乱に陥り、自滅していくのは避けられないでしょう。だからと言って、トランプよりバイデンがマシかと言われても返答に窮するような話で、今回の大統領選挙は77歳の狂人と81歳の認知症の老人の戦いでしかないというのはその通りです。

万が一バイデンが当選しても、今の状態ならあと4年はとても持たないでしょう。そのことはみんなわかっているのですが、でも、誰もそうは言わないのです。アメリカ国民にバイデンを選べという方が無理でしょう。

バイデンのような高齢者が未だに大きな力を持っている民主党の党内力学を考えるとき、民主党はトランプ(トランプ支持者)に支配された共和党を嗤えないのです。

もっとも、トランプであれバイデンであれ、今のアメリカに民主主義や正義を語る資格はありません。ブラジルのルラ大統領が、イスラエルがガザでやっていることはナチスのホロコーストと同じだと発言し、それに対してイスラエルのネタニヤフ首相が猛反発したというニュースがありましたが、イスラエルを”現代のナチス”のような怪物国家にしたのはアメリカとイギリスなのです。そして今なお、アメリカは一貫してイスラエルのホロコーストを支持しているのです。

ヨーロッパ各国も、名にし負う腐敗国家であり、ファシストの聖地でもあるウクライナにのめり込んだ結果、分裂と混乱と右傾化の返り血を浴びてどこも疲弊しているのでした。何だかプーチンの高笑いが聞こえてくるようです。

私たちは、二度の大震災や未曾有の原発事故を経験し、百年に一度というパンデミックも経験しました。知らず知らずのうちに、”歴史の生き証人”みたいになったのですが、もうひとつ、近代をリードしてきたアメリカやヨーロッパの凋落と歴史からの退場を、今まさに目の当たりにしているのです。
2024.02.26 Mon l 社会・メディア l top ▲
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(写真AC)



■榊英雄の犯罪


映画監督の榊英雄が、2月20日、準強姦の容疑で警視庁の捜査一課に逮捕されたというニュースがありました。

逮捕容疑は、2016年の5月23日に榊容疑者が事務所に使っていた港区赤坂のマンションで、女優志望の20代の女性に演技指導と称して性的暴行を行ったというものです。ただ、文春デジタルによれば、「警察は複数の女性からの被害届を受理しており、余罪を調べている。自宅から押収されたSDカードには、複数の女性とのわいせつ動画が50点以上見つかって」いるそうなので、今後、別の事件でも再逮捕される可能性は高いでしょう。

松本人志の性加害疑惑では、2015年の出来事を今頃告発するのはおかしい、すぐに警察に相談しなかったのも不自然だとして、告発女性をバッシングする声がありましたが、文春が榊英雄の性加害を報道したのは、2022年の3月10日号と3月17日号で、被害女性はその報道を受けて同年の9月に弁護士を通じて警視庁に相談し、翌年(2023年)の6月に被害届を出したそうです。被害届を出したのは、被害に遭ってから8年後なのです。

昨年の刑法改正で、不同意わいせつ罪(強制わいせつ罪から罪名が変更)の時効が7年から12年に、不同意性交罪(旧強制性交罪)の時効が10年から15年に延長され、さらにそれらの犯罪は親告罪から非親告罪になりました。

そのため、今までは告訴されても示談が成立して告訴を取り下げて貰えば、事件化を避けることができたのですが、それができなくなったのです。つまり、和解して(早く忘れたいという被害者の心情に付け込んで)あったことをなかったことにすることができなくなったのです。

松本人志の性加害疑惑でも、もし報道されていることが事実であれば、中にはあきらかに犯罪を構成する事案もありますので、非親告罪の施行後であったら、別の展開になっていた可能性もなくはないでしょう。

いづれにしても、性犯罪が「心の殺人」と言われるくらい被害者の心に大きな傷を残す犯罪なので、時効の延長は、それを勘案して告発するまで猶予の時間を持たせたという側面(配慮)もあるのだと思います。

松本を告発した女性も、芸能界で大きな力を持つ松本人志を敵に回すと、今後芸能界で活動できなくなると思い、長い間被害を公にすることができなかったと言っていました。榊容疑者の盟友の俳優の木下ほうかから被害に遭った女性たちも、同じようなことを言っています。そうやって、ときにフラッシュバックに苦しみながらも、胸の内にしまい込み、ものを言えずにいたのです。

木下ほうかの場合も、榊容疑者と同じように、演技のワークショップと称して(女優志願の)女性を集め品定めをしていたのです。強姦する際も、こんなことは芸能界では常識だ、これを受け入れなければ芸能界では生きていけない、というようなことを女性に告げているのです。

そして、告発されると、合意だった、事実無根だと弁明するのも同じです。榊容疑者も、新聞報道によれば、「映画に出る時に、ヌードにならないといけないこともある」「タトゥーがあると大変だから裸を確認したい」(文春オンライン)などと言って、女性に迫っているのです。

逮捕容疑になった事件の被害者とは別の女性は、『週刊女性』の記事の中で、榊容疑者の手口とその異常性について、次のように証言していました。

ライブドアニュース
「本当に殺されるのではないかと」逮捕の榊英雄容疑者 被害者が明かしていた“卑劣な所業”

女性は榊容疑者の映画に出演したあと、食事に誘われて性加害に遭ったと言います。

日曜日だったため居酒屋の営業時間が短く、2人はそれほど遅くない時間に退店。しかし、店が駅から離れていたせいか、通りには人けがなかった。すると突然、榊容疑者はCさんの腕を掴み、さらに人一人が通るのもやっとな建物と建物の隙間に押し込んだという。

「肩と頭を力いっぱいに抑えられ、跪かされました。いつのまにか彼は男性器を出していて『咥えろ』と。『嫌です』といっても無視され、『咥えろ、咥えろ』と低い声で繰り返し要求してきました。頭をつかまれていて動けないなか、無理やり立ち上がって抵抗しようとしたら『静かにしろ』『殺すぞ』と脅されて……。真っ暗なうえに、彼は道路を背に立っていて逃げられない。本当に殺されるのではないかと思いました。

行為後は人が変わったように『大丈夫?』と声をかけてきて、家まで送ろうとしてきた。意味がわからず怖かったです」

Cさんは隙を見て逃げ出し、警察に行くことも頭をよぎった。しかし被害状況を詳しく説明したり、状況を再現したりすることに耐えられる自信がなかったという。

「昔、痴漢を捕まえたときに、高圧的な事情聴取を受けたことがありました。自分が被害者の状況で、そんなふうに根掘り葉掘り聞かれたら心が壊れると思ったんです」

その後、Cさんのもとには榊容疑者から「また飲みに行こうね」と書かれたメッセージがーー。無視を続けたところ、榊容疑者からは「えっ怒ってる?」と送られてきたという。


松本人志が名誉棄損で文春を訴えた事件では、女性たちをアテンドしたスピードワゴンの小沢一敬から事前にスマホを取り上げられているのですが、松本人志の用意周到さに比べれば榊英雄容疑者はあまりに稚拙で、プロと素人の違いさえ感じるほどです。

■#MeToo運動に対する日本社会のトンチンカンな反応


映画界の性加害について、私は、以前、次のように書きました。

関連記事:
松本人志の性加害疑惑とミソジニー

もちろん、性加害はお笑いの世界だけにとどまりません。ひと足早く告発された映画界の性加害も、松本の報道をきっかけにYouTubeなどで取り上げられ、あらためて波紋を広げているのでした。そこで告発されているのは、男性に対する性加害も含まれているのでした。そして、告発の過程では、加害者の園子温や榊英雄や松江哲明だけでなく、”村社会の論理”で彼らをかばったことで二次被害を生じさせた、カンパニー松尾や森達也や町山智浩や水道橋博士などへも批判が向けられているのでした。

榊英雄のことはよく知りませんが、ほかの人間たちは、ヘイトスピーチに反対したりSEALDsの運動に同伴するなど、どちらかと言えばリベラル系と呼ばれる人たちです。最近も、ヘイトスピーチに反対する運動をしていた人間が、松本の問題について、#MeToo運動への理解の欠片もない、それこそ松本の信者と同じようなことをSNSに投稿をしているのを見て、唖然としたことがあります。人権にもっとも敏感であるはずの(敏感であるべき)人間が、こと性のことになると「性の二重基準」に何のためらいもなく依拠しているのでした。


松本人志や伊東純也の報道に関しても、#MeToo運動に対する日本社会のトンチンカンな反応には呆れるばかりです。何だか「嫌よ嫌よも好きのうち」とか、セックスのときに女性の尻の下にハンカチを置けば合法とかいった、アホな世界が未だに残っているかのようです。ネットで語られていることの多くはそのレベルなのです。

東国原英夫は、松本人志に対して、文春だけでなく告発した女性も訴えるべきだと言っていましたが、それを言うなら、スマホを取り上げて証拠を残さないように事前工作をした第一弾だけでなく、第二弾も第三弾も第四弾も第五弾も第六弾も名誉棄損で訴えるべきでしょう。

週刊新潮に性加害を報道された伊東純也が、週刊新潮ではなく、告発した女性に「2億円」の損害賠償を求めて提訴したのも、女性の口を封じるのが目的の”スラップ訴訟”のようなもので、著名人がお金にものを言わせて#MeTooに圧力をかけるような風潮さえ出ているのでした。そうやって被害者の女性たちが声を上げるのに、精神的にも金銭的にもより大きな負担を強いるように仕向けているのですが、あろうことか、日本ではメディアがその旗振り役を演じているのでした。東国原英夫の発言も、そういった流れを受けてのものだと思います。

芸能界やスポーツ界には似たような話が掃いて捨てるほどあると言われますが(それが半ば常識であるとまで言われていますが)、しかし、後を追うような報道はほとんど出ていません。むしろ、この社会に厳然として残るミソジニーに追随するような記事を垂れ流して、男社会の俗情と結託しているだけです。英雄色を好むとでも思っているのか、芸人として面白ければ、スポーツ選手として有能であれば、多少の”遊び”には目を瞑るべきだとでも言いたげです。

石井妙子氏が言うように、被害女性に沿った報道がほとんど見られないのは驚くべきことです。週刊誌やスポーツ新聞の発行元に勤める女性たちは、自社の記事をどう思っているんだろうと言った人がいましたが、「軽率」「不用意」「自己責任」という言葉も、もっぱら女性に向けて使われるのでした。

メディアは、まるでタリバンが支配するイスラム原理主義の世界や未だにカースト制の残滓が支配するインドの社会のように、襲った(襲おうとした)男より襲われた女性の方に非(問題)があるかのように言うのでした。そして、ホテルに女性を連れ込んだのがほぼ事実であるにもかかわらず(それだけでアウトでしょう)、松本人志や伊東純也があたかも被害者であるかのような報道さえ出ているのでした。それが日本社会の現実なのです。
2024.02.22 Thu l 芸能・スポーツ l top ▲
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■横山厚夫氏の写真


昭和37年6月3日発行の『奥多摩と大菩薩の旅』(山渓文庫)という古本を手に入れました。昭和37年と言えば1962年ですから、今から60年前の本です。

著者は、梶玲樹かじりょうじ氏という奥多摩山岳会に所属するハイカーです。奥多摩の山のいわばガイドブックのような本ですが、現在は廃道になった古いルートも紹介されていたりと、奥多摩の山が好きな人間には興味がそそられる内容なのでした。また、本には多くの写真が掲載されているのですが、それらは、以前このブログでも紹介した横山厚夫氏が撮影したものです。横山氏もまた奥多摩山岳会に所属していたハイカーでした。

関連記事:
昔の山は明るかった

あらためて写真を見ると、どの山も景色がぬけていて、今まで歩いてきた道も、これから山頂に向けて歩く道も見通すことができるのでした。

人間嫌いの私は一人で山を歩きたいので、なるべく土日や休日は避けるようにしています。そして、一日歩いて誰も会わなかったら「今日はいい日だったなあ」と思うのでした。上りと下りは大概人に会うことはありませんが、山頂では似たような”もの好き”に会うことがあり、そのときは私の性分で明るく話しかけたりするものの、心の中では「ついてないなあ」と舌打ちしているのでした。

そんな偏屈な人間ですので、熊に怯えながら奥多摩の鬱蒼とした樹林帯の中を歩くのも嫌いではないのですが、ただ、横山氏の60年以上前の写真を見ると、こんな明るい山を歩きたかったなと思ったりもするのでした。

■「耐久遠足」で登った山


私が子どもの頃に歩いた九州の山も、同じように明るかったのを覚えています。私の頃は既に学校登山はなくなっていましたが、しかし、それでも中学の二学期の遠足は「耐久遠足」と言って、結構な距離を歩いた先にある山に登っていました。

私が出た中学校は久住連山の麓にある「へき地校」でしたので、遠くから通って来る同級生たちも多くいました。私は、彼らの家がある集落(昔は「部落」と言っていた)の名前は知っていても、中学生だったので実際に行ったことはありませんでした。バスが通る県道沿いだと、バスに乗って街に行くときに通るのでわかるのですが、彼らの集落の多くは県道から奥に入った山の中にあったからです。

以前帰省した際、自分の田舎なのでレンタカーのナビを使わずに走っていたら、道に迷って山の奥に入ったことがありました。そして、山の下にへばりつくように点々と家が建っている集落に到着したのですが、スマホの地図アプリで現在位置を調べたら聞き覚えのある集落の名前が出て来たことがありました。そのとき、昔の同級生の顔が浮かんで、あいつはこんなところから通っていたのかと思ったものです。

そんな中で唯一、彼らの家がある集落を訪れる機会があるのが二学期の「耐久遠足」のときでした。そのときは、「エエッ、〇〇はこんなところから通って来ているのか?」と言って、本人をヘッドロックして(もちろん、ふざけながら)「お前の家はどれだ?」と訊き出すのがお決まりの行為でした。

あの頃「耐久遠足」で登った山も、山頂はカヤトで、遠くまで見渡すことができました。そんな目の前に広がる景色に目をやりながら、みんなで弁当やおやつのお菓子を食べたものです。そして、正面にどんと構える久住連山の久住山・大船山・黒岳の雄姿に、何だから誇らしい気持になったことを覚えています。当時の私たちにとって、久住連山、中でも真ん中にある大船山が「おらが山」だったのです。

■昔の山が羨ましい


『奥多摩と大菩薩の旅』の冒頭、著者の梶玲樹氏は次のように書いていました。

 奥多摩と大菩薩の山々は、丹沢山塊などとともにもっとも東京から近いのと、日帰りできる山が多く、そして親しみやすい山域のため登る人はきわめて多い。電車やバスは日曜日となると前夜からの宿泊者や夜行列車組も含めて大変混雑する。その数は奥多摩で年間五〇万人、大菩薩と小金沢の山々で二〇万人と推定される。これらはみな、登山というよりハイキングを楽しむ人たちであり、訪れる人の層もまちまちで、地図も持たずに都会の歩道を歩くのとなんら変わらない服装の人たちも多く見かける。そうかと思うと事前の調査が不充分なのだろうか、不必要な装備を弁慶の七ッ道具よろしく背負い、ザイルを肩に、ハンマーやカラビナを腰に下げている人までいる。


この本には掲載されていませんが、横山厚夫氏の写真に、当時の氷川駅(現在の奥多摩駅)の駅前の人混みを撮ったものがありますが、今では考えられないくらい登山(ハイキング)が盛んだったことがわかります。

そして、当時のハイカーたちは、川苔山でも三頭山でも大岳山でも御前山でも浅間嶺(浅間尾根)でも本仁田山でも、今とは違ったぬけた明るい景色の中を登っていたのです。

巻末には、奥多摩に存在した山小屋や旅館の一覧表もありましたが、昔はこんなに宿泊施設があったのかと思いました。私の田舎でもそうでしたが、昔は前泊して山に登るのが普通だったので、宿泊施設もあちこちにあったのでしょう。山小屋も至るところにあり、登山というより”山旅”のような体験を求めて山に来ていたことがわかります。

ローカルな話になりますが、日原にも2件の旅館と国民宿舎があったみたいです。その中のひとつの「使用料」には、「二食付き五五〇円より。毛布のみ素泊まり一五〇円より」と記載されていました。奥多摩湖(小河内ダム)周辺には20軒近くの旅館があり、バス停の「小河内神社」には3軒、「深山橋」には2軒、「鴨沢」にも3軒ありました。小河内ダムに隣接した水根(六ッ石山と鷹ノ巣山の水根ルートの登山口)にも旅館がありました。

これも前に若山牧水の『木枯紀行』を紹介した中で書きましたが、昔の旅は歩くことが主で、今で言うロングトレイルのようなものだったので、登山(ハイキング)もその延長にあったのかもしれません。

関連記事:
若山牧水『木枯紀行』

ちなみに、旅館の宿泊料金は350円(素泊り)から1000円(一泊二食付)くらいまでで、有人の山小屋は(当時は食事を提供してなかったので)200円から300円です。たとえば、雲取山には、秩父鉄道が経営する雲取山荘と、しばらく前まで廃材が残っていた個人経営の雲取ヒュッテがあったのですが(ほかに三峰ルートの途中に今でも建物が残っている白岩小屋もあった)、収容人数は雲取山荘が300人に対して雲取ヒュッテが400人と、雲取ヒュッテの方が規模が大きかったことがわかります。宿泊料金はいづれも200円でした。

『奥多摩と大菩薩の旅』で紹介されている奥多摩の山の上の多くも、カヤトに覆われていたことがわかります。また、御前山や本仁田山の山頂や川苔山の東の肩には、簡単な小屋があって、地元の人たちがジュースなどを売っていたそうです。かく言う私の実家も、一時”アイスキャンデー屋”を兼業でやっていたのですが、ハイシーズンには大船山の中腹でアイスキャンデーを売っていました。アイスキャンデーは地元の農家の馬で運んでいたそうです。

当時の人気の山の名前が今も残っていて、今はその名前で登っているに過ぎない気がします。「奥多摩三山」なんて言っても、どうして「三山」なのかわからないのです。その実感もなく、「奥多摩三山」という名前で登っているだけなのです。

そう考えると、コースタイム至上主義もトレランもなかった昔の登山(ハイキング)は、さぞや楽しく豊かな体験を得ることができたんだろうな、と羨ましく思えてならないのでした。
2024.02.20 Tue l l top ▲
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■ドイツに抜かれて世界第4位になったGDP


昨日、日本の去年1年間の名目GDPが、ドイツに抜かれて世界第4位になったというニュースがありました。

内閣府によれば、日本の去年1年間の名目GDPは、ドル換算で4兆2106億ドルでしたが、ドイツの去年1年間のGDPは、4兆4561億ドルで日本を上回ったそうです。

日本は2010年にGDPで中国に抜かれ、世界3位になっていましたが、今度は人口がほぼ3分の2のドイツに抜かれて4位になったのでした。

GDP(国内総生産)は、一定の期間に国内で生産されたモノとサービスの付加価値の合計額ですので、基本的に人口が多い国の方が「有利」です。そう考えると、人口が3分の2しかないドイツに抜かれたことの意味は、円安の影響があったとは言え、数値以上に深刻な問題を含んでいると言えるでしょう。

さっそく朝日は、次のような記事を掲載していました。

朝日新聞デジタル
時時刻刻
技術立国は昔話、円安頼みにも限界 経済浮上のカギはデフレ克服

 高度経済成長の勢いに乗った日本は、1968年に西ドイツ(当時)を国民総生産(GNP)で上回り、世界2位の経済大国となった。なかでもテレビは80年代に世界市場の3~4割を握ったとされる「メイド・イン・ジャパン」の象徴だった。

 それがいまや、家電は外貨の稼ぎ手ではなく、海外から買い付けるものになった。その光景は、テレビにかわって家電の「主役」に躍り出たスマートフォンにも重なる。

 「ワンセグ」や「iモード」など国内で独自のサービスが発展した日本の携帯電話は、ガラパゴスと言われながらも、世界の先端を走っていた。だがスマートフォンの登場で、一気に陳腐化してしまう。東芝やNECなど大手が次々と市場を去った。いま国内市場の半分を握るのは、米アップルのiPhoneだ。

 日本はスマホに組み込むセンサーやカメラなどの電子部品では、高い競争力を保つ。スマホが売れれば関連企業ももうかる仕組みは残ったものの、最終製品にして世界に送り出す力は衰えた。

 この間、米国ではアップルやグーグルなど巨大IT企業が急成長。アジアではサムスン電子や台湾積体電路製造(TSMC)など、半導体で覇権を握る企業が台頭した。日本はイノベーションでも、ものづくりでも、世界から後れを取った。


■ガラパゴス化と内向き志向


日本の技術は一流、ものづくりは日本のお家芸、と言われたのも(そう自演乙していたのも)今は昔なのです。

「世界に誇る亀山モデル」とか言われた(勝手にそう言っていた)液晶テレビの市場でも、今や日本の企業は見る影もなく、有機ELテレビの世界シェアのトップを走るのは韓国のLG電子だそうです。私たちの世代は、かつて韓国のLGや中国のハイセンスは安かろう悪かろうの象徴みたいに言ってバカにしていました。しかし、今は完全に立場が逆転しているのです。さらに、中国メーカーでは新興企業のTCL集団が、大型テレビの分野でシェアのトップを占めるまでになっているのでした。

記事にもあるように、ドコモが主導した携帯のガラパゴス化は、スマホの時代になると瞬く間に海の藻屑と化したのですが、私は、トヨタのハイブリッドも同じ轍を踏んでいるように思えてなりません。世界の自動車産業は競ってEVにシフトしているのですが、しかし、日本では依然としてトヨタが主導するハイブリット車が幅をきかせており、そのために(トヨタに遠慮して?)EV向けのインフラの整備が全然進んでないのでした。

そこには、なつかしい言葉ですが、「パラダイス鎖国」=ガラパゴス化で浮利を追う(それで世界に誇るとか言っている)、日本企業の内弁慶な体質が示されているように思えてなりません。名目GDPでドイツに抜かれたことについても、(そんなことは気にせずに)身の丈に合った日本独自の道を歩めばいいんだ、というような意見がありますが、既に資本主義が石橋湛山が生きていた頃のような牧歌的な段階にないことは常識中の常識で、何の慰めにも(ましてや負け惜しみにも)なってないのです。

■「脱成長」というお花畑と少子高齢化という言い訳 ※追記


今や市場は世界に拡大しているのです。資本は国民国家の枠を超え、世界の市場でしのぎを削っているのです。それは、資本主義が拡大再生産という”宿痾”を抱えているからで、そうやって常に新たな市場を開拓しなければ行き詰まってしまうからです。30年間ほとんど成長していない日本が衰退していくのは当然なのです。

「脱成長」なんて口で言うのは簡単ですが、成長をやめるなら資本主義をやめるしかないのです。資本主義というシステムを維持するためには、力尽き倒れるまで走り続けなければならないのです。そんなのは経済学のイロハでしょう。

日本が衰退したのは少子高齢化が原因だ、というような言説がまかり通っていますが、それは本末転倒した言い訳、誤魔化しにすぎません。そんな言い訳を百万篇くり返しても、現在進行形の衰退(坂道を転がり落ちている現実)を押しとどめることはできないのです。

今から45年前の『なんとなく、クリスタル』で、田中康夫が少子高齢化で社会的コストの増大に苦しむ近未来の日本を予言したように、少子高齢化の社会になるのは45年も50年も前からわかっていたのです。だから、さらに成長するためには、新たな市場を開拓することが求められていたのですが、日本の電機・電子部品メーカーは、IT化の流れに乗り遅れ(競争に敗れ)、欧米だけでなく中国や韓国や台湾にも先を越され、現在のスマホからEVという絶好の成長の機会を逃すことになったのでした。それで(革命を起こす気もないのに)「脱成長」だとか言うのは、日本人お得意の(いつもの)負け惜しみの誤魔化しにすぎないでしょう。

少子高齢化に伴う人手不足には、外国人労働者を使えばいいではないかと考えるかもしれませんが、中国や韓国や台湾などの周辺国も少子高齢化が急速に進んでいますので、既に外国人労働者の取り合いになっているそうです。

そのため、政府は現代の奴隷制度と言われた従来の「技能実習制度」を見直して、転籍や転職が可能になる在留資格の緩和に方針転換したのですが、しかし、日本の場合、賃金や待遇が際立って悪い上に円安も重なり、外国人労働者にとっても日本は魅力のある国ではなくなっていると言われています。一方で、留学生は週28時間までアルバイトが可能で、何故か留学性に対する規制は緩いので、”留学生”という名の出稼ぎ労働者しか入って来ないのではないかと言われているそうです。当然の話ですが、衰退する国は外国人労働者からも敬遠されるのです。

先日、テレビは、半導体製造の”巨人”と言われ、2月15日時点の時価総額が420億ドル(約6兆3100億円)を誇るTMSCが、日本政府の働きかけで熊本県の菊陽町に日本工場を建設したことで、熊本では”TMSCバブル”が起きているというニュースを伝えていました。

熊本の田舎町にときならぬ通勤ラッシュが起きているとか、ホテルやマンションの建設ラッシュに沸いているとか、清掃員や食堂の調理員を時給1800円や1500円で募集しているとかいった話とともに、世界で唯一の「半導体学部」を持つ台湾の明新科技大学が、新たに日本人学生を対象にした「日本コース」を新設したという話も伝えていました。

その中で、明新科技大学の学長は、「日本には半導体を担う人材がいますか? いないでしょ。だから、日本のため、台湾のために日本人の技術者を育成するのです」と言ってましたが、これが今の日本の現実なのです。

もっとも、TSMCの工場誘致に対して、「日の丸半導体」の復活をもくろむ日本政府も、数兆円の投資を行うそうですが、IT業界の勢力図は短いサイクルでめまぐるしく変わるので、他人の褌で相撲を取ろうという日本政府の巨額投資がただの紙くずになる可能性もなくはないのです。

岸田内閣は、物価高と賃上げの好循環でデフレ脱却などと言っていますが、そんなものが絵に描いた餅であるのは誰の目にもあきらかです。この物価高に対応できるだけの賃上げを獲得できる労働者なんてホンの一部です。多くの国民は物価高に苦しめられ、貧しき者は益々貧しくなるばかりです。

実際に「物価高と賃上げの好循環」という謳い文句とは逆に、実質賃金は下がり続けているのです。時事通信が運営する投資家向けサイトの「時事エクイティ」も、次のように書いていました。

時事エクイティ
物価高上回る賃上げ、遠く=実質賃金下げ幅拡大、消費足かせ―23年

 6日発表された2023年の毎月勤労統計調査(速報)では、物価の変動を反映させた実質賃金が前年比2.5%減少した。2年連続で前年を下回り、下げ幅は9年ぶりの大きさに拡大。政府が目指す「物価上昇を上回る賃上げ」の実現には程遠い状況だ。物価高による賃金の目減りが家計を圧迫、23年の消費支出は3年ぶりに減少した。
 厚生労働省によると、23年は基本給と残業代などを合わせた名目賃金が、労働者1人当たり月平均で32万9859円と1.2%増加。3年連続の上昇となったが、新型コロナ禍による賞与などの大幅な落ち込みからの反動増が見られた前年(2.0%増)から伸びは鈍化した。
 一方で、実質賃金などの算出に用いる消費者物価指数(持ち家の帰属家賃を除く総合)は前年比3.8%上昇。春闘で30年ぶりの高水準の賃上げを達成したものの、物価高騰に賃金上昇が追い付いておらず、生活実感に近い実質賃金の下落に歯止めがかかっていないのが実情だ。


日経平均株価が34年ぶりにバブル後最高値を更新するのではないかとメディアは大騒ぎしていますが、それはやっと34年前の水準に戻ったにすぎないのです。一方、この34年間で、アメリカの株価は約14倍、ドイツは9倍、イギリスと韓国は約3倍になっているそうです。

日本は2023年の11月と12月に2ヶ月連続してGDPがマイナスになり、それがドイツに抜かれた直接の要因になったのですが、日本経済はむしろ縮小しはじめている(不況に陥りつつある)のです。にもかかわらず、メディアは、マネーゲームの狂熱をまるで日本経済の再生のように報じているのでした。

しかも、GDPの半分を占める個人消費が、物価高に対する「節約志向」によって低迷したことで、GDPが押し下げられたと言われながら、その裏では、メーカーや銀行や電力会社など大企業は、値上げによって史上空前の利益を上げているのでした。

能登の地震のニュースの中で、被害を受けた家にブルーシートを高額で売りつける悪徳業者の話がありましたが、日本の大企業はまさにこの悪徳業者と同じことをしているのです。

にもかかわらず、政府は、先客万来のインバウンドでGDPを押し上げるという、雲を掴むような話に頼るだけです。個人消費の落ち込みや火事場泥棒のような大企業の収奪には、為す術もないのか、見て見ぬふりをするだけなのです。

■韓国の後塵を拝する日本


ニッチもサッチもいかなくなっているのは、経済だけではありません。”反日カルト”に国を売りながら、胸にブルーリボンのバッチを付けて「愛国」者のふりをしていた安倍派の国会議員たちが、その裏では裏金作りの”脱法行為”を行っていたという、呆れてものが言えない話もありました。安倍派だけで裏金は6億円超あり、二階派も5.7億円あったそうです。

彼らは国会議員というより、もはやヤクザと言うべきでしょう。こういう人間たちが法律を作っているのですから、「政治資金」と名乗れば無税になり、その上、年間315億円(2023年)の税金が政党助成金として各政党に支給されるという、税金を食い物にするお手盛りの法律が作られるのは当然でしょう。税金を食い物にするという点では、政党助成金を受け取ってない共産党を除いて、与党も野党も同じ穴のムジナなのです。

安倍派の呆れた行状には、愛国と売国が逆立した”戦後の背理”が見事に示されていると言えますが、と同時に”戦後の背理”は、この国には愛国者なんていないことを示しているのです。

(前も同じことを書きましたが)テレビなどのメディアは、まるで大谷を中心に地球が回っているかのように、連日、大谷のどうでもいい話を延々と伝えていますが、もはや誇るべきは大谷だけなのかと言いたくなります。ところが、何ということでしょう、ドジャースの開幕戦(対パドレスの開幕戦)は、日本ではなく韓国で行われるというのですから、もう笑うしかありません。

これもダイソーの買収と同じで、日本の凋落を表していると言えるでしょう。日本では高額の観戦ツアーが発売されるそうですが、岸田首相も開幕戦の当日に韓国を訪問して、開幕戦を観戦する話さえあるそうです。文字通り、恥も外聞も捨てて、韓国の後塵を拝するようになっているのでした。さすがにこれでは、ネトウヨと雖も「ニッポン凄い!」と自演乙することはできないでしょう。


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ネット仕様の安易な登山と登山の黄昏
『33年後のなんとなく、クリスタル』
2024.02.16 Fri l 社会・メディア l top ▲
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(写真AC)


■病院で陽性を確認する


新型コロナウイルスに感染しました。と言っても、既に先週から元の生活に戻っています。

新型コロナウイルスが昨年の5月に、指定感染症の2類相当から5類に移行して、感染時の行動制限などがなくなってからは、いつ感染してもおかしくないなと思っていましたが、案の定、感染してしまいました。

もちろん、私自身は外出時のマスクや手洗い等の感染対策は、5類に移行してからも何ら変わらず続けています。しかし、社会の風景は大きく変わりました。国家が右向け右と言えば右を向き、左向け左と言えば左を向くのです。それは見事なくらい統率が取れているのでした。

1月24日に「身体の不調」という記事を書きましたが、あれが感染の初期症状だったのです。その後、自分で抗原検査をしたら陽性が出たので、病院に行って検査を受けて、あらためて感染を確認したのでした。また、仕事の関係で検体を出していたPCR検査も後日、陽性反応が出たと連絡がありました。

しかし、症状はきわめて軽微でした。熱は出なかったし、悪寒や喉の痛みも数日で改善しました。ただ、咳と痰の絡みが未だに少し残っています。

ドクターから「やっぱり陽性ですね」と言われたので、「どうすればいいんでしょうか?」と訊いたら、「もし仕事の関係で休まなければならなかったら、会社と話し合って決めて下さい」「もう外出制限もありませんので、ご自分の判断で決めて構いません」と言われました。

「薬はどうしましょうか?」と訊かれたので、「コロナの治療薬が出たと聞いたのですが、必要ですか?」と尋ねました。

「あっ、あれは自己負担で9千円もかかるし、糖尿病や呼吸器系の疾患があるような重症化リスクのある人が飲むもので、普通の体力のある人は必要ありませんよ。あれを飲んだからと言って、効果てきめんに症状が改善されるというわけではないのです。ほとんどの人は処方しませんよ」
「じゃあ、ロキソニンを処方して貰えますか?」
「はい、わかりました。それと咳を止める薬と痰を切る薬を5日分処方しておきましょうね」

「先生、こうやって感染して休む場合、診断書を書いて貰って仕事先に提出するもんなんでしょうか」
「いえ、そんな人はいませんよ。みなさん、スマホでキットの写真を撮っています。それを会社に送信するんじゃないですか」

ドクターは、病院に来るのは、症状が重い人か仕事の関係で確定診断が必要な人だけで、無症状だったり軽症だったりした人は病院には来ないし、そもそも自分が感染しているという自覚がない人も多く、「だから、市中感染は想像以上に広がっているはずですよ」と言っていました。これではいつ感染してもおかしくないのです。

■ウイルスと共生して行くしかない


とは言え、感染することを「良くないこと」という考え方も、ぼつぼつ修正する時期に来ているのはたしかでしょう。既に4千万人が感染しているそうですが、(ブレークスルーの変異株も出ているので、集団免疫という考え方がどれだけ有効かわかりませんが)集団免疫を獲得するにはまだ少ないと言われているのだそうです。

私たちは新型コロナウイルスを撲滅することなどできないのです。一旦体内に侵入したウイルスは、生涯体内にとどまり続けるので、既に私たちの体内には、380兆のウイルスと100兆の細菌が生息していると言われています。

その典型例が、最近テレビで盛んにCMが流れている帯状疱疹です。私も罹ったことがありますが、あれは子どもの頃に水ぼうそうを発症したウイルスが原因で、加齢などで免疫機能が低下すると、ウイルスが再び活性化して今度は帯状疱疹を発症するのです。

私たちは、他のウイルスと同じように、これから生涯宿主しゅくしゅとして新型コロナウイルスと共生して行かなければならないのです。その意味では、感染は避けられないことでもあるのです。

5類移行は、弱毒化して普通の風邪と同程度の致死率になったからこそ、行動制限をなくして、あえて感染も厭わないような姿勢に転換し、ウイルスと共生していく道を歩むことを選択したとも言えるのです。

言うことが矛盾していると思うかもしれませんが、感染をそういった積極的な意味でとらえることも必要なのではないかと思ったりもするのでした。

今回の新型コロナウイルスの蔓延で、私たちはパンデミックの怖さを知りました。感染症の専門家たちは、次のパンデミックはあるのかどうかではなく、いつ来るかだと言います。次のパンデミックは必ず来る、と口を揃えて断言しているのです。

いくら科学が発達しITだAIだと言っても、私たちには、自然界からのしっぺ返しを防ぐ手はずはないのです。シンギュラリティーなどと言っても、自然界からのしっぺ返しの前では絵に描いた餅にすぎないのです。何故なら私たちも自然の一員であり、私たちの身体は自然から生まれ自然に属しているからです。たとえば、母胎の羊水の塩分濃度が、海中で脊椎動物が生まれたときの海の塩分濃度と同じだというのはよく知られた話ですが、私たちの身体こそがもっとも身近な自然だとも言えるのです。

もちろん、新型コロナウイルスが終息したわけではありませんし、ワクチン陰謀論などは論外ですが、次に備える教訓とするためにも、「正しく怖れる」ことが求められているのです。

■薬局で拍子抜けする


そのあと、処方箋を持って調剤薬局に行き、受付の女性に小さい声で「あのー、今病院で新型コロナウイルスに感染していることがわかったのですが、大丈夫ですか?」と言いました。すると、女性は明るい声で、「はい、大丈夫ですよ。先ほども同じ患者さんがいらっしゃいました。今日はこれで4人目ですよ」「あちらの一番端の席にお座りになってお待ちください」と言われました。

何だか拍子抜けした感じでした。待合室にはインフルエンザなのか、激しく咳き込んでいるような中学生や高校生の姿もあり、逆に私の方が「こんなところにいて大丈夫か」と心配になったほどでした。

別に会社員として勤務しているわけではないのですが、委託された仕事が滞ることになるので、仕事先に電話したら、「じゃあ、5日後の〇日の〇曜日に来てくださいよ」と言われました。私は、わざととぼけて「エッ、一週間じゃないの?」と言ったら、「また、また、国の指針では発症してから5日ですよ。お願いしますよ」と言われました。最低でも一週間は休もうと思っていたので、「チェッ」と心の中で舌打ちしました。

因みに、電話口の彼は、初期の頃に感染して、ホテルに10日間「監禁」(本人の弁)されたそうで、「地獄だった」と言っていました。「今は楽でいいようなあ」と羨ましがられました。

■ワクチンとペット ※追記


その後、私の知り合いでも感染者が続出しています。彼らに話を聞くと、当然、弱毒化もあるでしょうが、ワクチンを接種することで重症化リスクを避けることができるという、専門家の言葉を裏付けているように思いました。中には80代や70代の人もいますが、みんな軽症で済んでいるのでした。

咳き込んで痰が出たりする症状を考えると、肺炎になってもおかしくないような気がしましたが、それを食い止めているのがワクチンの効果だったのではないかと思いました。私の身内にもいますが、うんざりするくらい無知蒙昧なワクチン陰謀論にとらわれている人間も多いので、あえてそう言いたいのです。

日本では、2024年2月4日現在で、4億2263万5734回接種が行われているそうです。接種率(初回接種)は82%で、フランスと並んで5番目です。日本より高い接種率の国は、カタール(99%)、中国(87%)、韓国(87%)、イタリア(83%)です。

前も紹介しましたが、長崎大学熱帯医学研究所の山本太郎教授は、『感染症と文明』(岩波新書)の中で、感染症の起源は野生動物の家畜化にある、と書いていました。

関連記事:
『感染症と文明』

(これも前に書きましたが)一部で強く警告されているにもかかわらず、相変わらず犬を連れて山に登っている人がいますが、感染症を考える場合、ワクチン陰謀論と同様、彼らの”無知”と”矛盾”をもっと指摘すべきではないかと思います。

と言って、私の実家も子どもの頃から犬を飼っていたので、私以外のきょうだいはみんな、犬や猫を「家族の一員」として溺愛するペット大好き人間で、私自身も犬や猫は可愛いなと思う人間の一人ですが、しかし、感染症のリスクの問題はそれとはまったく別の話です。可愛いからと言って思考停止する愚を犯してはならないのです。

たとえば、沢井製薬のサイトには次のような記述がありました。

サワイ健康推進課
愛するペットが人の病気の原因とならないために知っておきたいこと

1 ペットとの濃厚な接触は避ける

ペットの口の中にいる菌に感染するおそれがあるため、口移しでエサを与えたり、食器を共有したり、キスをしたりすることはリスクのある行為だということを知っておきましょう。ペットと一緒の布団で寝ることや、ペットの毛に顔をうずめて「吸う」ことなども、濃厚接触に当たるため、避けたほうがよい行動です。ペットの毛に感染症を引き起こす菌が付いている場合もあります。

また、ペットを触った後は、必ず流水で手を洗うようにしましょう。毛や唾液などに感染症の原因となる菌が存在することがあるため、ペットを触った後、気づかないうちに口や目、傷口などを触ってしまうと、感染する危険性があります。


ペット関連の市場は約1兆6千億円もあり、資本にとっても美味しい市場なので、ペットと感染症の問題はいつの間にかタブーになった感さえありますが、来るべき新たなパンデミックを「正しく怖れる」ためにも、身近にある感染症のリスクを知ることはまったく無駄ではないはずです。そこから学ぶことは多いのです。
2024.02.10 Sat l 新型コロナウイルス l top ▲
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今日、下記のようなニュースがありました。

Yahoo!ニュース
TBS NEWS DIG Powered by JNN
クマを4月中にも「指定管理鳥獣」に追加へ 伊藤環境大臣が明らかに

何と愚劣なニュースでしょう。呆れてものが言えません。人間は何と傲慢で身勝手なものかと思います。自然保護などよく言えたものだと思います。

動物園に行って檻の中の野生動物を指さして「カワイイ!」なんて言いながら、その一方ではこのような残酷な所業が行われようとしているのです。これでは、自然からのしっぺ返しを受けるのは当然でしょう。

もっとも愚劣でもっとも低俗でもっとも身勝手な最低の世論に迎合した結果がこれなのです。

口幅ったい言い方をすれば、人もまた自然の一員である限り、自然がままならないものであり、ときに脅威にもなり得るのは当然です。山に登れば、自然の脅威に晒されて命を落とすこともあるのです。ましてや、私たちは、新型コロナウイルスという自然の脅威に晒されたばかりです。でも、私たちは、多大な犠牲を強いられながらも、ウイルスと共生して生きていくしかないのです。野生動物も同じでしょう。

私は、昨年の11月に、環境庁が熊を「指定管理鳥獣」に追加する検討を始めたというニュースを受けて、下記のような記事を書きました。怒りの投稿をお読みください。

関連記事:
不憫な熊たち
2024.02.08 Thu l 社会・メディア l top ▲
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(写真AC)



■志葉玲氏の投稿


ジャーナリストの志葉玲氏が、みずからのX(旧ツイッター)に、サッカーの伊東純也の性加害報道に関して、「所詮、玉蹴り遊びだろ?女性の尊厳の方が大切じゃん」」と投稿したことで、サッカーファンの反発を買い炎上しているそうです。

中日スポーツ
日本代表・伊東純也の性加害報道に「所詮、玉蹴り遊びだろ?女性の尊厳の方が大切じゃん」戦場ジャーナリストの投稿が炎上

もっとも、コタツ記事の権化であるスポーツ新聞にとっては恰好のニュースで、炎上したというより炎上させている側面もあるように思います。

志葉玲氏の投稿は、次のようなものです。 
 
志葉氏は、別に「スポーツ至上主義や女性蔑視にウンザリなので、あえて炎上するようなことを言ってみた」と投稿していましたので、一石を投じる意図もあって挑発したのでしょう。 

私は、サッカーファンというほどではありませんが、それでも代表戦は欠かさずテレビで観る程度の俄かファンではあります。私も志葉玲氏と同じように、サッカーは「所詮玉蹴り遊び」であり、だからこそ、娯楽としてのサッカー観戦が成り立つのだと思っています。しかし、それが度を超すと、「愛国」や民族排外主義を持ち出したりするフーリガンになり、さらにエスカレートするとウクライナのアゾフ連隊みたいになるのです。

反ヘイトのカウンター運動を行い、人権問題にことのほか敏感なはずの某氏は、一方で熱烈なサッカーファンでもあるのですが、彼は今回の報道に対して、アジアカップの最中に報道することに意図(悪意)を感じるというようなことを、みずからのXに投稿していました。だから、日本の士気が下がってイランに負けたとでも言いたいのでしょうか。スポーツ至上主義どころか、考えようによっては陰謀論に与するようなもの言いで、私は開いた口が塞がりませんでした。このように、本末転倒した、厚顔無恥なバカバカしい言説が何の臆面もなく飛び交っているのでした。

■二周も三周も遅れた日本


松本人志の性加害問題を発端に(と言うか、ホントは伊藤詩織さんの告発やジャニーズ問題から始まったと言ってもいいように思いますが)、日本でもやっと重い口を開いた女性たちによって、性加害の告発が相次いでいますが、しかし、それに対する社会の反応は、志葉氏が言うようにお粗末きわまりないものです。

世界的な#MeToo運動の流れから言えば、日本は二周も三周も遅れているのです。告発した女性を誹謗中傷する人間に限って、一方で、「ニッポン凄い!」を自演乙したりするのですが、「ニッポン凄い!」どころか、#MeToo運動に対する低レベルの無理解は、今の時代においては「私、アホです」「畜生です」と言っているに等しいようなものです。それがまるでわかってないのです。しかも、Yahoo!のトップページを見ると一目瞭然ですが、その低レベルの無理解を、コタツ記事の権化のようなスポーツ新聞や週刊誌やネットメディアなどが炎上目的で煽っているのですから、お話にならないとはこのことでしょう。

松本人志に関しても、「遊びがへた」(山田邦子)とか「女の扱いが雑」(東国原英夫)とか、そんなレベルでしかとらえることができないのです。中には、女性に渡したお金がショボすぎるというコメントさえありました。それが日本のメディアの現実なのです。

週刊誌は政治党派や宗教団体の機関誌ではないのですから、売らんかな主義であるのは当然です。女性たちがそんな週刊誌にチクるのは、女性たちの#MeTooの告発を取り上げるのが一部の週刊誌しかないからです。そこには、日本のメディアのお寒い現実が反映されているのです。でも、女性たちに悪罵を浴びせる周回遅れの「畜生」たちは、警察には訴えずに週刊誌にチクったのでけしからん、金目当てだろうと言うのです。

■ホモソーシャルの世界とミソジニーの構造


斎藤幸平氏が言うように、芸人やスポーツの世界は典型的なホモソーシャルの世界なので、今回たまたま表に出ただけで、この社会には女性に対する性加害は当たり前のようにあり、その陰では、「軽率」「尻軽女」などと陰口を叩かれることを恐れて、みずからを責めながら泣き寝入りしている女性たちもごまんといるに違いありません。

日本は男性優位で〈権力〉や〈権威〉が幅をきかす社会なので、性加害が多いのは当然と言えば当然かもしれません。日本が「安全な国」だというのは、「ニッポン凄い!」の幻想にすぎないのです。それどころか、学校の教師や警察官や宗教家と同じように、「ニッポン凄い!」などと宣っている張本人が加害者だったりするのです。

前も言いましたが、性加害に関しては、この国では右も左も上も下も関係ないのです。安全な場所や安全な人間であるはずが、全然安全ではなかったりするのです。むしろ、「安全な国」の幻想(神話)がある分、危険度が高いとも言えるのです。

ホモソーシャルが持つミソジニーの構造について、上野千鶴子氏は、前に紹介した『女ぎらい - ニッポンのミソゾニー』で、次のように書いていました。

 男は女とのつい関係のなかで「男になる」のだ、と思っていた。まちがいだった。男は男の集団に同一化することをつうじて「男になる」。
 男を「男にする」のは、他の男たちであり、男が「男になった」ことを承認するのも、他の男たちである。女はせいぜい、男が「男になる」ための手段、または「男になった」証明として与えられたりついてきたりする報酬にすぎない。
 これに対して、女を「女にする」のは男であり、「女になった」ことを証明するのも男である。


 ホモソーシャルな集団とは、このように「性的主体」であることを承認しあった男性同士の集団をさす。女とはこの集団から排除された者たち、男に欲望され、帰属し、従属するためだけに存在する者たちに与えられた名称である。それなら、ホモソーシャルな集団のメンバーが、女を自分たちより劣等視するのは当然であろう。


熱狂的なサッカーファンが、(中には名誉男性のような女性のメンバーがいるにしても)典型的なホモソーシャルな集団であることは論を俟たないでしょう。志葉玲氏の投稿に対する彼らの反発には、サッカーを愚弄したという感情もさることながら、ホモソーシャル特有のミソジニーがあられもなく露呈しているように思います。もちろん、吉本芸人の先輩後輩の関係も然りです。


関連記事:
ウクライナのアゾフ大隊
2024.02.06 Tue l 芸能・スポーツ l top ▲
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(写真AC)



■「最期は本名で迎えたい」


1月25日、鎌倉の病院に末期の胃がんで入院していた男性が、突然、病院の関係者に「自分は指名手配されている桐島聡だ」「最期は本名で迎えたい」と打ち明けたことから、男性が「東アジア反日武装戦線」のメンバーで49年間にわたって逃亡している「桐島聡」の可能性が高いとして、大きなニュースになったのでした。

ただ、私は、このニュースを見て、何だか切なくいたたまれないような気持になりました。

「最期は本名で迎えたい」という言葉について、テレビのコメンテーターたちは「自己顕示欲だ」とか「勝利宣言だ」とか「卑怯だ」とかトンチンカンなことばかり言っていますが、私は、そこには偽りの逃亡生活を清算したいという彼なりの気持があるような気がします。

それに、「桐島聡」に関しては、報道の中で誤解が生まれているのです。

私は、以前、「東アジア反日武装戦線」の「大地の牙」グループの事実上のリーダーとされ、1975年の逮捕時に青酸カリで自決した斎藤和氏の”追悼集”『でもわたしにはいくさが待っている』(東アジア反日武装戦線への死刑・重刑攻撃と闘う支援連絡会議編・風塵社・2004年刊)を読んだことがありますが、そこには、平岡正明や朝倉喬司や松田政男など著名な人たちが斎藤氏の人となりを悼んで文章を寄せていました。

斎藤和氏は、谷川雁が専務を務めていた「株式会社テック」(TEC=東京イングリッシュセンター)の労働争議に関わったりと、70年前後のアナーキズム運動では名の知られた人物だったのですが、一方、「桐島聡」は、「東アジア反日武装戦線」の中では逮捕歴のない唯一のメンバーだったそうで、学生運動も目立った活動歴はなかったのではないかと言われています。

「桐島聡」の手配写真は巷では有名だったそうですが、私は手配書なんて関心がなかったので、メディアに出た彼の写真を見ても、「誰?」という感じでした。彼は、メディアが騒ぐほどの”大物”だったとはとても思えません。ただ、権力の憎悪を浴び、というか、権力の面子のために”大物”扱いされただけなのではないかと思います。

「桐島聡」は、「さそり」グループに属していたのですが、斎藤和氏の内縁の妻だった「大地の牙」グループの浴田由紀子(逮捕拘留中に超法規処置で”釈放”、日本赤軍に合流したあと再び逮捕され現在服役中)の公判の証人尋問で、「狼」グループの大道寺将司(死刑囚として収監中に病死)は、「さそり」グループはリーダーの黒川芳正(服役中)以外、メンバーを知らないと証言していました。

ちなみに、1974年8月30日に発生し、8名の死者を出した三菱重工本社の爆破事件を実行したのは、大道寺将司がいた「狼」グループです。

■印象操作


「東アジア反日武装戦線」というのは、同じ名称を使っていても、一つの統一された組織ではなく、アナーキズムのグループの”集合体”にすぎないのです。それが新左翼のセクトとは根本的に違うところです。

 現在、男が本当に桐島容疑者なのかについては分かっていませんが、連続企業爆破事件の被害に遭った当時ビルの近くにいた三菱重工の元社員に取材をしたところ、「50年近く経って見つかったかもしれないという話を聞いてびっくりした」と話していました。

 世間を震撼させた連続爆破事件の容疑者が50年越しの逮捕となるのか。警視庁の捜査の結果が待たれます。

ANN news 
「自分が桐島」病院関係者に伝える 本人名乗る男を病院で確保


こんなニュースを見ると、「桐島聡」があたかも三菱重工爆破事件に関与したかのようなイメージを持ちますが、それは印象操作にすぎません。

「桐島聡」の手配容疑は、1975年4月18日の東京の銀座の韓国産業経済研究所のドアに時限装置付きの爆弾を仕掛けて爆発させ、ドアなどを破損させた事件にすぎないのです。

その他に「桐島聡」が関与したのではないかと言われているのは、下記の事件です(ただし、手配容疑にはなっていません)。

①鹿島建設爆破事件(1974年12月23日。死傷者なし)
②間組本社ビル(9階・6階)及び大宮工場同時爆破事件(1975年2月28日。桐島が共謀した本社ビル9階爆破で1人が加療4か月の骨折・熱傷等、桐島が実行を担当した本社ビル6階では死傷者なし)
③間組江戸川作業所爆破事件(1975年4月27日。1人が加療約1年3か月を要する頭部外傷等)
④間組京成江戸川橋工事現場爆破事件(1975年5月4日。死傷者なし)
(Wikipediaより)

三菱重工爆破事件の被害が予想以上に大きかったので衝撃を受けたことが、上記の大道寺将司の証言でもあきからになっていますが、それ以後、人的被害を極力避けるために”抑制”していたと言われているのです。

■末端の戦士


当初の報道では、海外に逃亡していたように伝えられていましたが、どうやらそうではなかったみたいです。

 捜査関係者によると、男は入院前、同県藤沢市の工務店に数十年間、勤務していた。「内田洋」の名前を使っていたといい、工務店側は桐島容疑者である可能性を認識していなかったとみられる。

 男は末期の胃がんで、同僚に付き添われて今月、同県鎌倉市の病院に入院した。健康保険証などの身分証は所持しておらず、当初、病院に対しても名前を「内田」としていたとみられるが、「最期は本名で迎えたい」と話して桐島聡と名乗り、25日から公安部が事情を聴いている。

Yahoo!ニュース
時事通信
「内田洋」で数十年住み込み 偽名か、桐島容疑者名乗る男 連続企業爆破で指名手配・警視庁


朝日の記事には、「桐島聡」が住んでいた二階建ての家の写真が掲載されていましたが、ボロボロの廃屋のような建物でした。記事では、一階は物置のようになっており、二階で生活していたみたいだという証言がありました。オウム真理教の菊地直子が逃亡中に住んでいたのも、赤錆びたトタン壁の小屋みたいな家でしたが、何だか似ているような気がしました。

朝日新聞デジタル
呼び名「うっちゃん」、冗談も 60年代ロックで踊る 桐島名乗る男

渡辺直子の場合、偽名で健康保険証を取得していたのですが、「桐島聡」は、住民票も健康保険証もない中で、肉体労働に従事していたのです。

近所の人の話では、病気のせいもあったのでしょうが、ガリガリに痩せて80歳くらいに見えたそうです。また、家の中に入った人の話では、「本が足元に積み上がっていた」そうです。逃亡生活の中でも本を読むことだけは忘れなかったのでしょう。

現在、彼は重篤な状態だそうですが、彼が本名で最期を迎えても、斎藤和氏のような”追悼集”が出ることはないでしょう。一生を棒に振ったという言い方は彼に失礼かもしれませんが、何だか最初から末端の戦士として忘れられていく存在にすぎなったように思います。

逃亡を支援していた人間がいたかどうか調べると警察は言っていますが、支援していた人間がいたら、逆に救われる気がします。

その生活から見ると、とても支援者がいたようには思えませんが、誰からも支援されずに孤独の中で49年の過酷な逃亡生活を送り、今、人生の幕を閉じようとしているのだとしたら、あまりにも痛ましく、よけい切なくていたたまれない気持になるのでした。

■追記


その後の報道によれば、故郷の親族は「桐島聡」の遺体の受け取りを拒否しているそうです。地元の同級生たちも、「桐島聡」に対して、「迷惑を受けた」としてみんな突き放したような言い方をするのでした。メディアやネットも含めてそうですが、どうしてそこまで冷酷になれるのかと思います。国家が人でなしと言うから、人でなしなのか(国家が英雄だと言えば、英雄なのか)。

彼の人となりを一番よく知っているのは故郷の人たちでしょう。それもすべて無に帰してしまうのでしょうか。

数十年過ごした街では、彼は「うっちー」とか「うーやん」と呼ばれ”愛されキャラ”で溶け込んでいたそうです。それで、彼の死を聞いて涙が出たという人もいたそうです。そんな話を聞くとホッとした気持になります。

ウソかホントか、横浜までコンサートを聴きに行っていたとか、バンドを組んでいたという話もありますが、好きな音楽と読書を忘れることはなかったのでしょう。

「桐島聡」は、死の間際の聴取で、手配容疑の韓国産業経済研究所爆破は無関係だと否定していたという報道がありました。彼は、爆弾製造と見張り役が主な任務だったのではないかという話もあります。

「主義者」の仁義に反するのかもしれませんが、獄中にいるリーダーの黒川芳正氏や既に出所しているU氏は、グループの中で「桐島聡」がどんな存在だったのかをあきらかにすべきでしょう。


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■青葉被告の妄想


2019年7月18日に発生した京都アニメーション放火事件では、同社の社員36名が犠牲になったのですが、今日、犯人の青葉真司被告に対して死刑が言い渡されました。死刑を言い渡した京都地方裁判所は、事件当時、青羽被告は善悪の判断をする責任能力があったと認めたのです。

ホントにそうなのか。下記の朝日の記事によれば、事件当時、「青葉被告は精神科に通院。生活保護を受給しながら、心身の状態を観察する訪問看護や身の回りの世話をする訪問介護を受けていた」そうです。既に精神の失調をきたしていたのです。

朝日新聞デジタル
「京都アニメーション事件」第6回
「こっちは余裕ねえんだ」 全財産5万7千円を手に京アニへ向かった

しかも、それはかなり深刻で、「看護師らとのもめ事が絶えなかった」そうです。

(略)看護師が青葉被告の部屋を訪ねてインターホンを押したが反応がないため、ノックするといきなりドアが開いて胸ぐらをつかまれたという。包丁を持っていて、「しつこいんだよ、つきまとうのをやめろ。やめないと殺すぞ」と怒鳴った。室内には破壊されたパソコン2台とプレイステーションが散乱。革ジャンがズタズタに切られていた。処方された薬が服用されないまま残っていた。

 この時、看護師に対しても「ナンバー2」の指示で公安警察に「ハッキングされている」「つきまとわれている」と話したという。
(上記記事よりより)


青葉被告は京アニの放火について、京アニが主催したコンテストに応募した小説が落選させられ、挙句の果てに小説のアイデアがアニメに盗用されたからだと主張しているのですが、それも「闇の人物のナンバー2」の仕業だという妄想に憑りつかれていたのです。

 青葉被告の話では、「ナンバー2」とは「ハリウッドやシリコンバレーに人脈があり、世界で動いている。官僚にも影響力のあるフィクサーみたいな人で、公安警察に指示して自分を監視させていた」という。
(同上)


それも、どういった話の経緯でそうしたのかわかりませんが、青葉被告は、当時の与謝野馨経済財政担当大臣大臣にメールを送ったのが原因で、「ナンバー2」につけ回されるようになった、と言っていたそうです。

■応報主義


京アニの社員だった妻が犠牲になった遺族の男性は、判決後の記者会見で、妻も、(残された)子どもも「理解してくれる判決だった」と述べたそうです。

遺族の中にもいろんな方がいるでしょう。メディアで発信することに積極的な方もいるだろうし、まったく逆の方もいるでしょう。事件に対する考え方もさまざまでしょう。でも、メディアに出ているのは、何故か同じ遺族の方です。それも、(言い方は悪いですが)メディアにとって「都合がいい」、ある意味でメディア向けの発言をする方のように思います。

肉親の命を奪われた遺族が、犯人に対して、みずからの死をもって罪を贖うべきだと考えるのはわからないでもありません。しかし、社会はまた別の考えがあってもいいのではないか思います。社会全体が遺族と同じような考えにとらわれると、「目には目を歯には歯を」の応報主義の野蛮で殺伐とした社会になってしまうでしょう。現に私たちの社会は、チャップリンの「殺人狂時代」ではないですが、「1人殺せば犯罪者だが、100万人殺すと英雄になる」矛盾と偽善を抱えた社会でもあるのです。

その矛盾と偽善を乗り越えるためには、応報主義的な心情や考えをどこかで乗り越えなけば(止揚しなければ)ならないのです。それができるのは、遺族ではなく、第三者である私たちでしょう。その意味では、立場の違いというのは大事なことなのです。

遺族感情に「寄り添う」のも必要ですが、しかし一方で、社会全体が「寄り添う」だけで思考停止して、それでよしとする風潮には違和感を抱かざるを得ません。

■「反省の言葉」


裁判の過程でも、「被告から反省の言葉はない」というフレーズが決まって出てきます。精神に変調をきたして妄想に憑りつかれている人間に、「反省の言葉」を求めるのはそれこそないものねだりのように思いますが、あたかも「反省の言葉」が裁判のポイントであるかのように報道されるのでした。

こうして、「事件の真相を知りたい」「どうしてこんな事件を起こしたのか、犯人の心の底にあるものを知りたい」と言いながら、真相から遠ざかり、事件は歪められていくのです。

そして、裁判官から執拗に「反省の言葉」を求められた被告がやっと(無理強いに)「反省の言葉」を発すると、今度は「ホントに心の底から反省しているのか疑問」だと言われれるのでした。「反省の言葉」が発せられた時点で、事件はまったく別のものに変わっているのですが、そのことはいっさい問われないのでした。

■『令和元年のテロリズム』再掲


私は、磯部涼氏の『令和元年のテロリズム』(新潮社)の感想文の中で、青葉真司被告について、次のように書きました。再掲させていただきますので、お読みください。

関連記事:
『令和元年のテロリズム』

「京都アニメーション放火事件」の犯人は、昭和53年に三人兄妹の次男として生を受けました。でも、父親と母親は17歳年が離れており、しかも父親は6人の子持ちの妻帯者でした。当時、父親は茨城県の保育施設で雑用係として働いており、母親も同じ保育施設で保育士として働いていました。いわゆる不倫だったのです。そのため、二人は駆け落ちして、新しい家庭を持ち犯人を含む三人の子どをもうけたのでした。中学時代は今のさいたま市のアパートで暮らしていたそうですが、父親はタクシーの運転手をしていて、決して余裕のある暮らしではなかったようです。

そのなかで母親は子どもたちを残して出奔します。そして、父親は交通事故が引き金になって子どもを残して自死します。実は、父親の父親、つまり犯人の祖父も、馬車曳き(馬を使った運送業)をしていたのですが、病気したものの治療するお金がなく、それを苦に自殺しているのでした。また、のちに犯人の妹も精神的な失調が原因で自殺しています。

犯人は定時制高校を卒業すると、埼玉県庁の文書課で非常勤職員として働きはじめます。新聞によれば、郵便物を各部署に届ける「ポストマン」と呼ばれる仕事だったそうです。しかし、民間への業務委託により雇用契約が解除され、その後はコンビニでアルバイトをして、埼玉県の春日部市で一人暮らしをはじめます。その間に父親が自殺するのでした。

さらに、いったん狂い始めた人生の歯車は収まることはありませんでした。犯人は、下着泥棒をはたらき警察に逮捕されるのでした。幸いにも初犯だったので執行猶予付きの判決を受け、職安の仲介で茨城県常総市の雇用促進住宅に入居し、郵便局の配達員の職も得ることができました。

しかし、この頃からあきらかに精神の失調が見られるようになり、雇用促進住宅で騒音トラブルを起こして、家賃も滞納するようになったそうです。それどころか、今度はコンビニ強盗をはたらき、懲役3年6ヶ月の実刑判決を受けるのでした。その際、犯人の部屋に踏み込んだ警察は、「ゴミが散乱、ノートパソコンの画面や壁が叩き壊され、床にハンマーが転がっていた光景に異様なものを感じた」そうです。

平成28年に出所した犯人は、社会復帰をめざして更生保護施設に通うため、さいたま市見沼区のアパートに入居するのですが、そこでも深夜大音量で音楽を流すなど騒音トラブルを起こすのでした。著者は、「再び失調していったと考えられる」と書いていました。そして、そのアパートから令和元年(2019年)7月15日、事前に購入した包丁6本をもって京都に向かうのでした。

不謹慎を承知で言えば、この「京都アニメーション放火事件」ほど「令和元年のテロリズム」と呼ぶにふさわしい事件はないように思います。私も秋葉原事件との類似を連想しましたが、著者も同じことを書いていました。

また、著者は、小松川女子高生殺人事件(1958年)の李珍宇や連続射殺魔事件(1968年)の永山則夫の頃と比べて、ネットの時代に犯罪を語ることの難しさについても、次のように書いていました。

「犯罪は、日本近代文学にとっては、新しい沃野になるはずのものだった。/未成年による「理由なき殺人」の、もっともクラシックな典型である小松川女子高生殺し事件が生じたとき、わたしはそのことを鮮烈に感覚した。/この事件は、若者が十七にして始めて自分の言葉で一つの世界を創ろうとする、詩を書くような行為としての犯罪である、と」。文芸評論家の秋山駿は犯罪についての論考をまとめた『内部の人間の犯罪』(講談社文芸文庫、平成19年)のあとがきを、昭和33年の殺人事件を回想しながらそう始めている。ぎょっとしてしまうのは、それが日々インターネット上で目にしているような犯罪についての言葉とまったく違うからだ。いや、炎上に飛び込む虫=ツイートにすら見える。今、こういった殺人犯を評価するようなことを著名人が書けばひとたまりもないだろう。
 秋山は犯罪を文学として捉えたが、犯罪を革命として捉えたのが評論家の平岡正明だった。「永山則夫から始められることは嬉しい」「われわれは金嬉老から多くを学んできた。まだ学びつくすことができない」と、犯罪論集『あらゆる犯罪は革命的である』(現代評論社、昭和47年)に収められた文章の書き出しで、犯罪者たちはまさにテロリストとして賞賛されている。永山則夫には秋山もこだわったが、当時は彼の犯罪に文学性を見出したり、対抗文化と重ね合わせたりすることは決して突飛ではなかった。一方、そこでは永山に射殺された4人の労働者はほとんど顧みられることはない。仮に現代に永山が同様の事件を起こしたら、彼がアンチヒーローとして扱われることはなかっただろうし、もっと被害者のバッググランドが掘り下げられていただろう。では近年の方が倫理的に進んでいるのかと言えば、上級国民バッシングが飯塚幸三のみならずその家族や、あるいは元農林水産省事務次官に殺された息子の熊澤英一郎にすら向かった事実からもそうではないことが分かる。


この文章のなかに出て来る秋山駿の『内部の人間の犯罪』や平岡正明の『あらゆる犯罪は革命的である』は、かつての私にとって、文学や社会を語ったりする際のバイブルのような本だったので、なつかしい気持で読みました。

でも、当時と今とでは、犯罪を捉える上での倫理のあり方に大きな違いがあり、益々余裕のない紋切型の社会になっているのは事実でしょう。そのため、犯罪を語る言葉も、身も蓋もないような寒々しいものしかなく、犯罪者が抱える精神の失調に目を向けることさえないのです。


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(写真AC)※私ではありません(笑)



■ロキソニン


松本人志の”悪口”ばかり書いたのでバチが当たったのか、ここ数日、身体の調子が悪くかなりグロッキーの状態が続いています。

松本人志の”悪口”に関しては、前の記事に、文字通り蛇足と言ってもいいような「追記」を書いていますので、興味のある方はお読みください。

症状は、悪寒がして、咳が出て鼻水が止まらず、しかも、咳が出るからなのか喉が痛くてなりません。ただ、熱はまったくありません。熱がないということは、インフルエンザではないと思いますし(予防接種も打っているし)、新型コロナウイルスでもないような気がします。

仕事の関係でほぼ毎週、PCR検査を受けているのですが、念の為に自分でも抗原検査をしてみようと思っています。 

昨年末に花粉症の初期症状が出て、あわてて病院に行って薬を処方して貰ったという話をこのブログにも書きましたが、何だか再び、花粉症の初期症状が出た感じがしないでもありません。ただ、気になるのは、花粉症の症状にしては重いし、それに症状が長く続いている気がするのです。

風邪かと思って市販の葛根湯を買って飲んでもまったく効果はありませんでした。また、うがい薬を買ってうがいをしても喉の痛みは改善されませんでした。のど飴なんて気休めにもなりませんでした。

そんな中で、ロキソニンを飲むと「劇的」と言ってもいいほど症状が軽くなるのです。ただ、ロキソニンの効果が終わるとまた元に戻ってしまうというくり返しです。

ロキソニンは成人の場合、一日に二回の服用と定められていますので、たしかに、二回飲めば何とか症状に苦しまずに一日をすごすことができなくもありません。ただ、一方で、ロキソニンを毎日二錠も飲み続けることに不安があるのでした。 

エアコンだと空気が乾燥するので、エアコンをやめて足元だけを温めるヒーターに換えました。

若い頃だとこの程度の不調は風呂に入って汗をいっぱいかいたらすぐ改善したように思いますが、もうそんな誤魔化しも利かない年齢になったのです。

■沢田研二とスーザン・ソンタグ


家で寝てすごすことが多いので、本はよく読んでいますが、しかし、最近は感想文を書くような本に出合うことが少なくなりました。それは、自分自身の感性の問題でもあるのだと思います。

このブログでも感想文を書いていますが、島崎今日子氏の『安井かずみがいた時代』(集英社)がすごくよかったので、二匹目のドジョウを狙って『ジュリーがいた - 沢田研二、56年の光芒』(文藝春秋)を読みましたが、感想文を書くほどのものではありませんでした。おそらく、島崎今日子氏は沢田研二のファンなのではないか。だから、あまりにべったりで、批評がないのでした。

むしろ、同時に買った明治大学教授の波戸岡景太氏の『スーザン・ソンタグ - 「脆さ」にあらがう思想』(集英社文庫)の方が面白かったです。

前から言っているように、トランプの大統領復帰は確定的でしょう。トランプの対抗馬がバイデンしかいないという民主党の党内力学はもう救いがないと思いますが(それは日本の立憲民主党も同じですが)、こうしてアメリカは自滅して”アメリカの時代”は終わりを告げるのだと思います。

イスラエル(ユダヤ人)の狂気はこれからも続くだろうし、対米従属を国是とする日本もトランプの狂気に苦しめられ、同じように自滅の道を歩んでいくことになるでしょう。対米従属「愛国」主義の「愛国」者たちは狂喜乱舞して、歯止めもなく「売国」への道を突き進んでいくに違いありません。旧統一教会の問題で、「愛国」という言葉は完全に失効したのですが、彼らは「売国」を「愛国」と言い換えて生き延びていくのでしょう。文字通り、狂気の時代が訪れるのです。

いつも書いていることですが、日本の左派リベラルなんて糞の役にも立たないのです。

最近も、旧統一教会とつながりが深い代表的な政治家であり、安倍派の裏金問題の中心人物のひとりでもある萩生田光一氏の地元の八王子市長選で、自公推薦で日本維新が支援する候補が、予想を覆して野党候補に6645票差をつけて当選したというニュースがありました。新聞の出口調査でも野党候補が有利と言われていましたので、「まさか」と言ってもいいような逆転劇でした。これ以上のない有利な条件下の選挙でも、野党は敗れたのです。その意味は絶望的なほど大きく、今の野党の存在意味すら問われていると言ってもいいでしょう。

にもかかわらず、立憲民主党に近い左派系の人間は、与党候補は前回より1万票減らした、自公に対する民意は離れつつあるなどと、ギャグみたいなことを言って選挙を総括しているのでした。戦わない左翼はただの木偶の坊にすぎないのです。

身体の不調と同じでいいことなんかないのです。 


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(『週刊文春』12024年1月25日号より)



■「女性セレクト指示書」


今日(1月19日)発売の『週刊文春』2024年1月25日号には、〈松本人志 ホテル室内写真と女性セレクト指示書〉というタイトルで、松本人志の性加害疑惑の第三弾が掲載されています。

記事の冒頭は、次のような文章で始まっていました。

 独特の字体で綴られた「黒毛」「つたやの店員」「ユニクロの店員」などの文字。小紙が入手したのは、松本人志(60)性的欲望の矛先が記された「女性セレクト指示書」である。
 ある日、松本の後輩芸人はメモ用紙を写した画像を知人女性に見せながら、自慢げに語った。
「松本さんは、女性の職業に異常にこだわりがあるんだよ。この殴り書きは、松本さんが調達してほしい女の子の職業を直筆で書いたものなんだ。
 それは他ならぬ松本の「SEX上納システム」と裏付ける物証だった――。


■文春の思うツボ


最初に文春の記事が出たとき、吉本興業は「当該事実は一切なく、本件記事は本件タレントの社会的評価を著しく低下させ、その名誉を毀損するもの」だとして、「今後、法的措置を検討していく予定です」というコメントを発表したのですが、水道橋博士だったかが、「吉本は文春を見くびっているのではないか」「週刊文春の編集部は、完全に編集権が独立しており、訴訟を起こされたときのことも考えて用意周到に記事を書いている」というようなことを言っていたのを思い出しました。

これはまだ序の口で、今後に弾は残しているはずだし、吉本の出方によっては、ほかの芸人や吉本興業そのものを巻き込んだ大がかりなキャンペーンに発展する可能性もあるでしょう。

吉本とのしがらみが深いテレビ局や吉本に忖度する週刊誌やスポーツ新聞は、あいも変わらず腰が引けたおざなりな報道しかしていませんが、文春にとっては、それはかえって都合がいいのです。何故ならその方が週刊文春が売れるからです。独壇場であるからこそ、文春砲の注目度が上がり、その威力が増すのです。

■岡本社長の資質


吉本興業の前社長(のちの会長)も現社長も現副社長も、もともとはダウンタウンのマネージャーだった人物です。言うなれば、彼らは松本や浜田に顎で使われていた人間たちなのです。そう考えれば、松本が「天才」などと持て囃され、吉本のみならずお笑い界の”帝王”として君臨するようになったのは当然と言えば当然です。

もちろん、元マネージャーである彼らは松本の性癖や素性もよく知っていたはずで、それで「当該事実は一切なく」などとよく言えたものだと思います。吉本興業は、いづれ企業の社会的責任を問われ、大きなツケを払うことになるでしょう。

前も書きましたが、2019年の闇営業問題が起きたとき、私は、岡本昭彦現社長について、次のように書きました。

それにしても、岡本社長の会見を見て、あんなボキャブラリーが貧しく如何にも頭の悪そうな人間がどうして社長になったのか不思議でなりませんが、それもひとえに岡本社長が大崎会長の操り人形だからなのでしょう。岡本社長のパワハラも、虎の威を借る狐だからなのでしょう。「大崎会長が辞めたら自分も辞める」という松本人志や、「大崎会長がいなくなったら吉本はもたない」という島田紳助の発言は、将軍様ならぬ会長様の意向を汲んだ(あるいは忖度した)、多分に政治的なものと考えるべきなのです。

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大崎洋会長は、「大阪・関西万博催事検討会議」の共同座長に就任するために去年の6月に退社しています。でも、松本人志は辞めませんでした。ところが、皮肉なことに、半年遅れて予期せぬ出来事で辞めざるを得ないはめになったのです(となるのは確定的と言っていいでしょう)。

また、闇営業問題で契約を解除された宮迫博之は、当時の記者会見で、みずからのスキャンダルについて、岡本社長から「在京5社、在阪5社のテレビ局は吉本の株主だから大丈夫と言われた」と暴露しているのでした。しかし、騒ぎが大きくなると、その言葉とは裏腹に宮迫は切られたのでした。記者会見は会社に無断で、田村亮と二人で開いたのですが、暴露は吉本に対する意趣返しという意味合いもあったのでしょう。

このような岡本社長の経営者としての資質が、今回の吉本の対応のお粗末さにもつながっているような気がしてなりません。

■利益相反


吉本は、当初の「今後、法的措置を検討する予定」だという強気の姿勢から、裁判は松本個人が行うようになると発言を後退させているのですが、その理由について、記事は、吉本興業の関係者の話として、次のように書いていました。

「当初、松本さんは事態を甘く見ていました。『事実無根』『法的措置』のスタンスを貫けば、記事が止まると高をくくっていた。
(略)松本さんのプライベートの不祥事が原因で会社に損害が生じた場合、本来、会社は松本さんに賠償を求めなくてはいけない。今後、松本さんが名誉棄損で提訴する場合、会社の顧問弁護士は利益相反になるため担当できず、個人で弁護士を雇うことになります」


損害賠償が発生することを恐れてなのか、松本が出演している番組に関しては、収録分は通常どおり放送されていますが、しかし、番組のクレジットからスポンサー企業の名前が消えるなど、あきらかにスポンサー離れが起きているのでした。松本の活動休止もそういったスポンサー離れと無関係ではないと思いますが、今後、巨額な損害賠償が発生する可能性は充分あるでしょう。

■松本のお粗末さ


もっとも、お粗末さにおいては、松本人志も負けてはいないのです。あくまで文春の記事がホントならという前提付きですが(とは言え、筆跡鑑定をすればはっきりする話ですが)、上記の「指示書」には、「マクドナルド」「スタバ」「高校や中学の先生」「べんごし」「こうほうの女」「人妻(子供なし)」と書かれていたそうです。また、「CA」の横には「ANA、JAL」「LCCはNG」と注意書きまであったそうです。つまり、CA(キャビンアテンダント)はANAとJALに限り、格安航空会社のCAはダメだと言っているのです。松本の並々ならぬ執着ぶりが示されていて、思わず笑ってしまいました。

お笑い界に君臨する”帝王”が、「弁護士」や「広報」という漢字も書けないとは情けない限りですが、この松本の好みを見ると、あきらかに成り上がり者にありがちな学歴コンプレックスのようなものがうかがえるのでした。ちなみに、「指示書」にはNGリストまであり、それには、「茶髪」「モデル」「のみや」「美容師」「アパレル」と書かれていたそうです。

後輩芸人たちは、松本に気に入られるべく「指示書」に従って女の子たちをかき集めていたのでした。ときには、そのために街でナンパまでしていたそうです。

上野千鶴子は、「ときには淑女のように、ときには娼婦のように」という「性の二重基準」による男の性的趣向を、「ブルジョア性道徳」と呼んだのですが、松本が求めた女性のタイプも、まさに「ブルジョア性道徳」を身も蓋もなく妄想したものと言えるでしょう。

松本人志は一人娘を溺愛しているそうで、明石家さんまは、活動休止も娘のためではないかと言っていましたが、上記のような「指示書」まで書いて女性を「上納」させていた人間に、「娘のため」という言い草はないだろうと思いました。

松本にとって、自分の娘は「淑女(聖女)」で、他人の娘は「娼婦」なのかもしれませんが、これから父親として、どんな顔をして「淑女(聖女)」の娘と向き合っていくつもりなのか、と逆に訊きたいくらいです。娘はもう中学生だそうなので、思春期の真っ只中にいる娘のことを考えると、今回の報道はかなりキツものがあるでしょう。だからこそ尚更、「お父ちゃんはそんなことやってへんで」「信じてや」ということを示さなければならないのでしょう。それにしても、将来、娘から弁護士や学校の先生やCAになりたいと言われたら、何と答えるのか。他人事ながら心配になってきます。

前も書いたように、松本人志はチンピラとは言え、小心な性格のように見えるので、断末魔を迎えた今、彼の精神状態も心配ですが、しかし、文春の記事のとおりなら、自分で撒いた種なのですから自分でおとしまえを付けるしかないでしょう。もとより、26文字のアルファベットではとても足りないのではないかと言われている被害女性たちのことを考えると(一説には「上納システム」は20年前から行われており、被害になった女性は千人を越えるのではないかという話まであります)、一片の同情の余地もないことは言うまでもありません。

■文春砲は必ずしも「正義」ではないという話のすり替え※追記


一方で、総合雑誌や経済雑誌の一部のサイトに、無定見に文春砲を持ち上げる風潮に疑問を呈するような、ある種党派的で紋切型の「頭を冷やせ」風の記事がありますが、私は、そういった記事に対しても違和感を抱かざるを得ません。それで蛇足になりますが付け足すことにしました。

もちろん、文春砲が「正義」ではないことは重々承知していますが、しかし同時に、私たちは、松本人志の性加害疑惑の背景にあるものを見逃してはならないのです。

それは、くり返しになりますが、ひとつはテレビ局と吉本興行の癒着の問題です。「制作協力」の名のもとに、吉本興行が公共の電波を私物化するのに、テレビ局が手を貸していたということです。その結果、どのチャンネルをひねっても、吉本のおなじみの芸人ばかりが出て来るという、さながらテレビが吉本にジャックされたかのような光景を見る(見せられる)ことになったのです。そして、そこには、いみじくも岡本社長が言ったように、吉本の株主である在京5社、在版5社のテレビ局と吉本が利害を共有する構図が伏在しているのでした。

もうひとつは、松本の性加害疑惑が、女性の人権を踏みにじる重大なハラスメントであるということです。それは、性交したのかどうかとか、性交に同意があったのかどうかとかに関係なく、そこにあるのはまぎれもなく松本人志の性的ハラスメントそのものです何故なら。たとえキッチュであっても、松本人志は誰もがひれ伏すようなお笑い界の”帝王”とされ、女性たちに恐怖を与えるくらいの絶対的な〈権力〉を持っていたからです。それは、文春が書いているように、女性を貢物のように松本に献上するシステムであり、そのための儀式ゲームだったのです。だから、女性が拒否すると、松本はみずからの〈権力〉を振りかざして激怒したのです。しかも、驚くことに、そのゲームは20年も前から続けられていたと言われているのでした。

さらには、文春に個人的な恨みを持つゲスなコメンテーターたちの腹にイチモツの発言や、松本を擁護する子飼い芸人たちのカマトトな発言や、吉本に忖度する週刊誌やスポーツ新聞のコタツ記事や、そして、それらに煽られた松本の信者と呼ばれる人間たちからあびせられる誹謗中傷によって、告発した女性たちが性的二次被害に苦しんでいるという現実さえあるのでした。

#MeToo運動が切り拓いた性における人権尊重の新しい地平から見ると、今回の松本の性加害疑惑が文字通りジャニー喜多川の性加害と同じ構造上にあることがよくわかるのでした。にもかかわらず、吉本興行は初動ミスを犯したなどという”技術論”で語るだけでは、性における人権侵害という問題の本質を見失うことになるでしょう。

女性は軽率だった、女性にも落ち度があったというもの言いは、松本の信者たちによる誹謗中傷にもつながる愚劣な論点のすり替えですが、それこそが「性の二重基準」という男優位の社会のイデオロギーにほかならないのです。

と言うと、未だに”昭和”を生きるミソジニストたちから石礫が投げつけられるのが常ですが、文春砲は「正義」ではないという今更みたいな斜に構えた言説も、メディアにおけるミソジニーのひとつと言っていいかもしれません。少なくとも、文春が「正義」ではないという言説が、松本の信者たちによって、松本を擁護する根拠として使われ、挙句の果てにそれが告発した女性への誹謗中傷に転化しているのは事実でしょう。早速、松本と同期だという吉本の女芸人は、文春が「正義」であるかのような風潮に「違和感がある」などと言い、松本を擁護しているのでした。

文春は「正義」ではないという言説は、主に左派リベラル界隈から出ているように思いますが、そこにもまた、再三指摘したように、性加害は政治的な思想信条には関係ない(ミソジニーには政治的な思想信条は関係ない)という身も蓋もない現実が露呈されているように思います。もっとも、その手の記事を書いているフリーライターも、テレビのコメンテーターと同じように、文春に個人的な恨みつらみがあり、それであのような牽強付会な記事を書いているのかもしれないのです。

日本共産党に初の女性委員長が誕生したとか言われていますが、彼女は誰が見てもわかるように、自民党の女性議員たちと同じ「名誉男性」にすぎません。口ではジェンダーフリーとか言っても、ただ女性の国会議員はどれだけ増えたとか、女性の管理職の割合がどうだとか言った話にすぎず、社会の本質は何も変わってないし、それが問われることはないのです。メディアも、共産党の無謬神話がどうだとか、党内民主主義がどうだとかいった話で済ますだけです。まず問われなければならないのは、日本共産党の体質もさることながら(それも大事ですが)この社会の体質でしょう。

■上沼美恵子の発言※追記


松本のケースとは若干違いますが(逆に松本の方が根が深いとも言えますが)、上野千鶴子は、『女ぎらい ― ニッポンのミソジニー』の中で、次のように書いていました。

 セレブの男は、高級コールガールを呼んだり、モデルやタレントの女をカネで買おうとするが、それも自分の性欲につけた値段と思えばわかりやすい。かれらは、付加価値のある女しか欲情しない(と自分に言い聞かす)ことで、自分の性欲がタダの男の性欲とは違う(高級なものである)ことを、自分(と他の男)に証明しようとする。


そして、上野千鶴子は、「買春をつうじて男は女への憎悪を学ぶ。売春をつうじて、女は男への侮蔑を学ぶ」と言うのでした。

もっとも、松本人志にとっては、買春より、「黒毛」「つたやの店員」「ユニクロの店員」や、「マクドナルド」「スタバ」「高校や中学の先生」「べんごし」「こうほうの女」「人妻(子供なし)」や「CA(ANA、JAL)」の方が、自分の価値を証明するものだったのでしょう(何度も言いますが、筆跡鑑定をすれば松本が書いたメモがどうかはっきりするでしょう)。

上沼美恵子は、松本の報道に「吐き気を催した」と言う一方で、松本の遊びは「三流以下」とも言っていました。芸能界には、”ミニ松本”や”一人松本”がいて、スケールは比ぶべくもないけど似たような話はいくらでもあると言われますが、要するに”素人”を相手にするのは「三流以下」で、上野千鶴子が書いているような、身銭を切って付加価値のある(高級な)”プロ”の女と遊ぶのが「一流」だと言いたいのでしょうか。上沼美恵子の発言の中にも、女によるミソジニーが顔をのぞかせているのでした。でも、上沼恵美子に拍手する人間はいても、彼女を批判する人間はほとんどいないのです。

■松本の訴訟と吉本興業のコンプライアンス※追記


それにしても、(Yahoo!ニュースで知る限りですが)太田光、今田耕司、立川志らく、ビートたけし、梅沢富美男、安藤優子など、彼らのコメントがあまりにお粗末すぎて、日本人として恥ずかしくなるくらいです。

何度も言うように、#MeToo運動によって時代は大きく変わったのです。いくら身勝手で幼稚で古い観念で松本を擁護しようとも、性的ハラスメントに対する世界の目は厳しく、常に世界基準のコンプライアンスを要求されるスポンサーが松本人志の元に戻って来ることは(高須クリニック以外は)もうないでしょう。彼は引退するしかないのです。

それは、松本だけの問題ではなく、吉本興行も同じです。今後、大阪万博にも深く関わっている吉本興業自体のコンプライアンスも厳しく問われるのは避けられないでしょう。もっともその前に、あの松本の子分のような芸人たちの見え透いたコメントを何とかしろよと言いたくなります。彼らの無責任な妄言が、告発した女性たちへの二次被害を招いているだけでなく、吉本のコンプライアンスの問題にも跳ね返っていることがどうしてわからないのかと思います。いくら幹部たちがダウンタウンの元マネージャーだからと言って、あまりに無神経で無責任で傲慢と言わざるを得ません。

松本は提訴するに際して、弁護士を「陸山会」事件で小沢一郎衆院議員の取り調べを担当したヤメ検の弁護士に依頼したのですが、その名前を聞いて驚いたという声も多いのでした。と言うのも、彼は、裁判所に提出した捜査報告書の中で聴取内容を「捏造」していることが発覚し、最高検から「懲戒処分」を受けて依願退職している過去があるからです。だから、いろんな弁護士に相談したけど勝ち目がないと断られた末に、件の弁護士に行き着いたのではないかという見方が出ているのでした。でも、メディアは、何故か、担当する弁護士の”不都合な真実”についてはまったく触れてないのでした。

しかも、松本が訴えたのは、性交に合意があったという一点だけです。文春が「性の上納システム」と呼ぶパーティの存在や松本の直筆と言われる「女性セレクト指示書」については、虚偽だという訴えはしてないのです。名誉棄損と言っても、合意があったかどうかだけなのです。

松本の提訴は、ブラフという側面が大きいように思います。つまり、密室の二人だけのことなので合意でないという立証は難しい、だから、これから文春に訴えると大きなリスクを背負うぞという脅しブラフのような気がしないでもないのです。告発した女性たちに大きな負担を強いるのが目的の、それこそ#MeToo運動に真っ向から対決するような訴訟という風にも考えられなくもないのです。

テレビの奥歯にものがはさまったようなもの言いや、コメンテーターたちの夜郎自大なコメントや、吉本芸人たちの松本をかばうだけが目的の無責任な発言などを見て、しみじみと思うのは、日本が#MeToo運動や女性の人権に対してホントに理解の乏しい後進国だということです。何度も言いますが、それは思想信条も信仰も、右も左も上も下も関係ないのです。

いづれにしても、吉本興行は松本人志を切るしかないでしょう。前も書いたように、松本人志がお笑い界の帝王と言われるほどの〈権力〉を持った人物であるということを考えれば、性交の合意があったかどうかなんてナンセンスで(性加害の事件では、犯人は「合意があった」として犯意を否定するのが常ですが)、吉本興行が松本を切らざるを得ない状態まで追いつめられるのは必至でしょう。同時に、ダウンタウンの元マネージャーが社長と副社長の座にすわっているような現在の会社の体質を根本から変えることも肝要でしょう。
2024.01.18 Thu l 芸能・スポーツ l top ▲
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■僅か4日で活動自粛の急転


地震より芸能界の話かよと思われるかもしれませんが、前の記事から数時間後、小沢一敬の所属事務所のホリプロコムが、以下のように、小沢一敬が「当面の間」芸能活動を自粛すると公式サイトで発表したのでした。

ご報告

弊社所属タレントのスピードワゴン小沢一敬に関して、ご報告いたします。
小沢本人より、一連の報道において現在も関係者及びファンの皆様に混乱やご迷惑をお掛けしていることに強く責任を感じ、芸能活動を自粛したい旨の申し出がありました。
弊社としてはその申し出を受け、当面の間、小沢一敬の芸能活動を自粛することと致しました。
出演を予定していた番組・イベント等の関係各位に多大なるご迷惑をお掛けし、深くお詫び申し上げます。


株式会社ホリプロコム
http://com.horipro.co.jp/

ホリプロコムは4日前の1月9日に、公式サイトで「スピードワゴン小沢一敬はこれまで通り活動を続けてまいります。なぜならば、小沢の行動には何ら恥じる点がないからであります。一部週刊誌の報道にあるような、特に性行為を目的として飲み会をセッティングした事実は一切ありません」と断言したばかりなのです。

一応本人からの申し出となっていますが、企業として、この言葉のおとしまえはどうつけるのかと言いたくなります。あまりにもいい加減で無責任と言わざるを得ません。

小沢一敬については、冷たい言い方ですが、芸能界を引退してほかの仕事に就いた方がいいのではないかと思います。仮にカムバックしても、笑えないお笑い芸人がどうやって生きていくのかと思うのです。

仕事を辞めて違う道を歩むというのは、私たちカタギの世界では普通にあることです。どうして芸能人だけは特別なのか。それは、松本人志も同じです。

私たちは、吉本興業に対しても、企業としてどうおとしまえをつけるのか、しっかりと見届ける必要があるでしょう。

何故こんなことを言うのかと言えば、彼らの言葉があまりに「軽い」からです。その場を取り繕えばいいとしか思ってないからです。それは、社会やファンをバカにしたものと言っていいでしょう。

■『Newsweek』日本版の反論記事


一方で、微妙に流れが変わってきているのはたしかでしょう。当初の強気なコメントとは裏腹に、裁判は松本が「個人で提訴する形になるだろう」という吉本の幹部の発言があったり、今回のように僅か4日で小沢も活動休止になったりと、あきらかに守勢に回っているような気がしてなりません。

松本の信者から告発した被害者にあびせられる心ない言葉による二次被害についても、『Newsweek』日本版に、ライターの西谷格氏が非常にわかりやすく具体的に”反論”を書いていました。

Yahoo!ニュース
Newsweek
松本人志を自分の「家族」と見なす人々への違和感

<「ホテルに行く女が悪い」説>
(略)
記事を読めば分かる話だが、小沢一敬はまず「VIPの参加する飲み会」に誘い「ドタキャン厳禁」と釘を刺した上で、飲み会当日に「撮影防止のため、会場はホテルのスイートルームになった」旨を伝えている。

この流れで危機感を感じて誘いを断るのは、どう考えても「警戒しすぎ」であろう。芸能人が個室を選ぶのは至極当然であり、それがホテルの広々としたスイートルームであれば、それほど不自然なことではなかろう。つまり、小沢はそれほど巧妙に女性たちを誘い出していたと考えられる。


<「警察に訴えるべき」説>
(略)
日本では20歳以上の女性の約7%が性被害の経験を持つ。だが、被害者のうち警察に相談する人はたった5.6%に過ぎない。誰にも相談しない人がもっとも多く、約6割を占める。(2020年度「男女間における暴力に関する調査」男女共同参画局)
(略)
あまりにも「不都合な真実」であるため大きな声では語られないが、日本社会は性犯罪者にとって極めて有利な国と言える。痴漢や強制わいせつ、強制性交などの犯罪を実行しても、めったに罪に問われることはなく、逃げ切ることが可能というのが現状だ。教育社会学者の舞田敏彦は、2007年から2011年の統計資料を基に、レイプ事件のうち裁判所で罪が裁かれるのはたったの1.92%と推定している。


<「お礼メッセージは同意を意味する」説>
(略)これはもう多くの有識者が説明しているので付言は不要だが、恐怖を感じている時こそ、ああいう文章を送ってしまうものではないか。


被害者の女性は、最初に小沢から、「くれぐれも失礼のないように。怒らせるようなことをしたら、この辺、歩けなくなっちゃうかもしれない」(文春記事より)と脅されているのです。しかも、自身も含めて3人の女性のうち2人が性交を拒んだため、激怒した松本が小沢と放送作家を怒鳴りつけ、二人が松本に謝罪しているのを目の前で見ているのでした。俳優の卵であった彼女の恐怖心は、いかばかりのものであったろうと思います。

さらにひどいのは、このLINEのスクショが芸人の間に出回っていたことです。これは被害者が小沢に送ったメッセージなので、誰が流したかは今さら言うまでもないでしょう。

しかも、LINEは、アリバイ作りなのか、没収されたスマホに没収中に入っていた、「大丈夫?」「無理すんなよ?」という小沢からのメッセージに対して、帰りのタクシーの中から返信したものなのです。これからも芸能界で仕事をしたいと思っていた彼女は、トラブルを避けるためにも、そうせざるを得なかったとも言えるのです。

何だかやり口がきわめて巧妙で、手慣れた感じがしないでもありません。まして、松本の「とうとう出たね」という投稿に至っては、素人とは思えない悪辣ささえ覚えました。松本人志は女性をもの扱いしているという指摘がありましたが、こういった投稿にもその一端が垣間見えるような気がします。

■「二重基準」と「分断支配」


松本の信者たちによる被害女性に対するバッシングには、今までもこのブログで何度も書いてきた、あの「ふしだらな女」の論理が使われていることがよくわかります。それは、女性を都合よく〈聖女〉と〈娼婦〉に使い分ける、男が持つ性に対する差別的な観念の所産です。

上野千鶴子氏は、#MeToo運動がうぶ声を上げる前の2010年に刊行された『女ぎらい ― ニッポンのミソジニー』(紀伊国屋書店)の中で、「ふしだらな女」の論理を「性の二重基準」という言葉で説明していました。つまり、「男向けの性道徳と女向けの性道徳」は違うということです。

(略)たとえば男は色好みであることに価値があるとされるが(吉行淳之介や永井荷風のように)、女は性的に無垢で無知であることがよしとされる。だが、近代の一夫一婦制が、タテマエは「相互の貞節」をうたいながら、ホンネでは男のルール違反をはじめから組みこんでいたように(守れないルールなら、最初から約束なんかしなければよい)、男のルール違反の相手をしてくれる女性が別に必要となる。


男の社会は、そうやって女を「分断支配」するのだと言います。そして、その一方で、性の快楽のために必要とする女を「ふしだらな女」としてバッシングすることも忘れないのです。まるで、「男向けの性道徳と女向けの性道徳」が違う「性の二重基準」を隠蔽するかのようにです。性加害において、女にも落ち度がある、わかって行ったのにあとで文句を言うのはおかしい、お金が欲しくて被害を訴えているんだろ、というような常套句で、被害者の女性をバッシングするのもそのためです。

セカンドレイプ(性的二次被害)というトラウマに起因する言葉がありますが、被害に遭った女性にとって、松本の信者や吉本の芸人やテレビのコメンテーターたちは、それこそ悪魔の使徒のように思えたに違いありません。彼らは、「時代が変わった」ことに対して、あまりにも無頓着というか、学習能力がなさすぎるのです。それは犯罪的と言ってもいいくらいです。

■日本の社会は総崩れ


もちろん、性加害はお笑いの世界だけにとどまりません。ひと足早く告発された映画界の性加害も、松本の報道をきっかけにYouTubeなどで取り上げられ、あらためて波紋を広げているのでした。そこで告発されているのは、男性に対する性加害も含まれているのでした。そして、告発の過程では、加害者の園子温や榊英雄や松江哲明だけでなく、”村社会の論理”で彼らをかばったことで二次被害を生じさせた、カンパニー松尾や森達也や町山智浩や水道橋博士などへも批判が向けられているのでした。

榊英雄のことはよく知りませんが、ほかの人間たちは、ヘイトスピーチに反対したりSEALDsの運動に同伴するなど、どちらかと言えばリベラル系と呼ばれる人たちです。最近も、ヘイトスピーチに反対する運動をしていた人間が、松本の問題について、#MeToo運動への理解の欠片もない、それこそ松本の信者と同じようなことをSNSに投稿をしているのを見て、唖然としたことがあります。人権にもっとも敏感であるはずの(敏感であるべき)人間が、こと性のことになると「性の二重基準」に何のためらいもなく依拠しているのでした。

ミッシェル・フーコーが言うように、性的趣向セクシュアリティは、優れて階級的な産物であるがゆえに、もっとも〈権力〉が露出しやすく、そのために性加害は、既に告発されているだけでも、芸能界、映画界、演劇界、学校、スポーツの現場、学習塾、宗教団体、社会運動団体、政界、ビジネスの現場、警察、自衛隊、児童養護施設、生活保護の現場、病院、家庭内など、この社会のあらゆる分野に渡っているのです。性加害(性暴力)には、思想信条も信仰も関係ないのです。

強姦(不同意わいせつ)を「いたずら」と言い換えて、日本の社会は性に鷹揚だと言い、(宮台真司のように)大人が少年に行う「いたずら」は加入儀礼(の残滓)にすぎないと嘯いていたこの社会は、#MeTooのシッペ返しによって、文字通り総崩れになっているのです。

いくら松本の信者や吉本の芸人やテレビのコメンテーターたちが「性の二重基準」にすがり、道化師のように「ブルジョア性道徳」(上野千鶴子氏)を振りかざそうが、それは腐朽する運命にあるアンシャン・レジームの悪あがきにすぎないのです。
2024.01.14 Sun l 芸能・スポーツ l top ▲
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(写真AC)



■極めて異例な「推定無罪」


松本人志に対する文春砲について、テレビの取り上げ方に私はどうしても違和感を抱かざるを得ません。

どこか奥歯にものが挟まったような言い方で、最後には必ず、「なお、松本さんの所属事務所の吉本興業は、報道に対して当該事実は一切なく、法的措置を検討していく予定だと述べています」との文言を付け加えることを忘れないのです。いわゆる「推定無罪」を前提に、松本人志の人権に配慮したような姿勢が垣間見えるのでした。

もちろん、それはそれでとてもいいことです。芸能人のスキャンダルを報じるのに、このように人権に配慮して丁寧な扱い方をするのは、報道機関のイロハとも言えるでしょう。

ただ、これが極めて異例であることもまたたしかなのです。松本人志のような大物タレントではなく、吉本のような(各テレビ局が株主になっているような)大手ではなく弱小プロダクションのタレントの場合は、人権もクソもないのです。それこそ「推定有罪ゝゝ」で、あることないことあげつらうのが普通なのです。

ほかのタレントやテレビのコメンテーターが、松本のスキャンダルに疑問を呈して援護射撃を行うようなことも、普段はほとんどありません。彼らは風にそよぐ葦なので、メディアと一緒になって叩くのが常です。

■問題の根幹


今回のスキャンダルの問題の根幹にあるのは、やはり「テレビ局と吉本興業の”不純な関係”」です。

内田樹氏は、Xに次のように投稿していましたが、決してオーバーではなくテレビは生き残ることができるかどうかの瀬戸際に立っていると言ってもいいでしょう。もう誤魔化しは利かないのです。


テレビは、松本人志のスキャンダルでは、スポンサーが企業名を外すなど先に行動を起こし、テレビがそれに引きずられて対応するという醜態を演じているのでした。しかも、スポンサー名を外したのは、あのサラ金のアコムやレイクなのです。ハラスメントに対する社会的責任という点では、報道機関であるテレビはかつて社会的な批判を浴びたサラ金より意識が低いと言わざるを得ないでしょう。

既得権益の上に胡坐をかき、公共の電波を私物化するその思い上がった姿勢が、既に国民の目にもはっきりと映っているのです。だから、電波オークションを求める声が出て来るようになったのでしょう。

どのチャンネルをひねっても吉本の芸人が出て来るような今の状況は、どう考えてもおかしいのです。だから、このような破廉恥なスキャンダルも生まれるのです。

松本人志に関しては、堰が切られた感じなので、これからさらにスキャンダルが噴出する可能性は高いと思いますが、テレビはどうするつもりなのか。今のように吉本興業の意向ばかり気にしていたら、にっちもさっちもいかなくなるでしょう。

テレビのあり方が問われているのですが、とてもそういった問題意識を持っているようには思えません。テレビは反省しないまま生きる屍と化すのでしょうか。

■早くも露呈した吉本の「腰砕け」


くり返しになりますが、吉本興業とアテンドした小沢一敬の所属事務所のホリプロコム(ホリプログループ)のコメントは、次のようなものでした。

一部週刊誌報道について

本日発売の一部週刊誌において、当社所属タレント ダウンタウン 松本人志(以下、本件タレント)が、8年前となる2015年における女性との性的行為に関する記事が掲載されております。

しかしながら、当該事実は一切なく、本件記事は本件タレントの社会的評価を著しく低下させ、その名誉を毀損するものです。当社としては、本件記事について、新幹線内で執拗に質問・撮影を継続するといった取材態様を含め厳重に抗議し、今後、法的措置を検討していく予定です。

ファン及び関係者の皆様には大変ご心配をおかけする記事内容でしたが、以上のとおり本件記事は客観的事実に反するものですので、何卒ご理解いただきますようお願い申し上げます。


皆様におかれましてはご心配をお掛けし、大変申し訳ございません。
スピードワゴン小沢一敬はこれまで通り活動を続けてまいります。
なぜならば、小沢の行動には何ら恥じる点がないからであります。
一部週刊誌の報道にあるような、特に性行為を目的として飲み会をセッティングした事実は一切ありません。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
                                     株式会社ホリプロコム


吉本興業の強気なコメントだけでなく、ホリプロコムのコメントにも驚きました。「小沢の行動には何ら恥じる点がない」と言い切っているのです。ホントに大丈夫かと思いました。今回のスキャンダルの前にも、同僚のタレントたちから、小沢の飲み会は「闇」だとか、小沢のファンだという女子アナに対して、飲み会だけは行かない方がいいなどと言われていたのです。

一方で、吉本興業の幹部は、朝日新聞の取材に対して、「裁判になった場合、松本が個人で提訴する形になるだろう。吉本は会社としてサポートするが、側面支援という形だ」と明かしているのでした(下記記事参照)。

朝日新聞デジタル
松本人志さんのワイドナショー出演表明 驚いたのはフジ幹部だった

コメントで、「今後、法的措置を検討していく予定です」と強気の姿勢を見せていたことと比べると、あきらかに後退した印象です。私も前の記事で、コメントの文面に対して、「既に腰が引けている」「『法的措置』まではいかないのではないか」という声があることを書きましたが、早くも「腰砕け」が露呈した感じです。休止から引退が既に既定路線であることが、この吉本の「腰砕け」からもうかがえるのでした。

週刊誌やスポーツ新聞では、松本人志の活動休止に際して、何年したら復帰するのかとか、その間誰が代打で出るのかなどといった話がまことしやかに飛び交い、麒麟の川島だ、東野幸治だ、今田浩司だ、千鳥の大悟だなどと吉本の芸人の名前が上げられているのでした。

テレビだけでなく、週刊誌やスポーツ新聞も、未だに吉本の顔色を伺って、現実を糊塗するような記事を書いているだけです。それが読者にバレバレになっていることすら彼らはわかってないのです。
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(public domain)



■「ワイドナショー」出演見合わせの方針転換


松本人志が活動を休止すると発表したのが1月8日です。その際、松本はみずからのX(旧ツイッター)で、「事実無根なので闘いまーす。それも含めワイドナショー出まーす」と投稿し、波紋を呼んだのでした。

翌日にはフジテレビと同系列の産経新聞も「ワイドナショー」に出演と書いたので、出演は確定的と受け取られ、出演の是非をめぐって論議が沸き起こったのでした。

ところが、10日になって一転、フジテレビは、吉本興業と協議をした結果、松本人志の出演は見合わせると発表したのでした。

これだけを見ると、松本の暴走と受け取られるかもしれませんが、決してそうではなく、現場では出演の内諾を得ていたとみるのが自然でしょう。

既に降板しているとは言え、それだけ松本には番組に対する影響力を持っていたのでしょう。実際にメイン司会は松本の子飼いの東野幸治が務めていますし、レギュラーコメンテーターも松本と近い田村淳と今田耕司が担当してます。

ただ、一部で指摘されていますが、松本が出演する番組では、スポンサー企業が企業名を外すなど、実質的なスポンサー離れがはじまっていたのです。つまり、企業も#MeToo運動に敏感にならざるを得なくなったということです。それが新しい時代の地平なのです。被害を受けた女性が文春に告発したのも、そういった時代背景と無関係ではないのです。

それで、あわてたフジテレビは吉本と協議をして急遽方針を変更したのでしょう。松本が「ワイドナショー」に出ることを知らなかったフジテレビの幹部が出演を知って、出演にストップをかけたみたいな報道がありますが、フジテレビが言うことですから、カマトトな作り話のように思えてなりません。

■「追記」の再掲


私は、活動休止のニュースが流れたとき、前に書いた記事に「追記」として下記のような文章を書き加えました。その部分を再掲します。

関連記事:
松本人志という哀しきピエロ(※追記あり)

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本日、松本人志が芸能活動を休止するという「速報」がありました。吉本興業によれば、松本人志から「『様々な記事と対峙(たいじ)して、裁判に注力したい』とし、活動を休止したいという強い意志が示された」(朝日の記事より)のだそうです。

テレビの画面から察するに、その言動とは裏腹に彼自身は小心な性格のような気がしますが、ここに来てその性格がモロに出た感じです。そもそも記事に書かれたことが事実なら、記事に登場する松本人志は文字通りの裸の王様なのです。

既に旬が過ぎただけでなく、その芸風から言ってももう笑えない芸人になってしまったダウンタウンの松本人志は、このまま永遠にフェードアウトするしかないでしょう。

「裁判に注力したい」というのもめいっぱいの虚勢のつもりなのでしょうが、もう虚勢にすらなってないのです。

文春がほのめかしているように、今後あらたな証言が出て来る可能性は高く、「裁判に注力」するどころか泥沼に引きずり込まれる可能性の方が高いでしょう。

松本人志は文字通り堕ちた偶像になったのです。そんな逆風が吹き始めたのを察知して活動休止したというのが、今日の「速報」の真相だと思います。記者会見もやりたくない小心な人間が選んだ”最善の方法”が、活動中止から引退という姑息な方法だったのではないか。

活動休止の発表後、松本人志はみずからのX(旧ツイッター)を更新して、「事実無根なので闘いまーす」と投稿したそうですが、これが還暦を迎えたおっさんの日本語かと思うと、哀しくもせつないものがあります。文字通り引かれ者の小唄と言うべきでしょう。足掻けば足掻くほど笑えないギャグしか出て来ない。もう完全に終わっているのです。

一方で、テレビなどのメディアは、ここに至っても吉本のコメントを垂れ流すだけで、多分に腰が引けたおざなりな報道に終始しています。あれだけ人の揚げ足とりが得意なワイドショーも、独自の取材さえ行ってないのです。ジャニー喜多川の性加害と同じように、触らぬ神に祟りなしの姿勢なのです。

けだし、吉本興業とテレビ局の“不純な関係”については、何ひとつカタが付いてないのです。これからはこの問題も、松本人志のスキャンダル以上に注視する必要があるでしょう。

吉本による公共の電波の私物化をテレビ局が許していたという、とんでもない問題なのです。お笑いだから許されるというような惚けた話ではないのです。

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■吉本興業とテレビ局の“不純な関係”の背景


もっとも、松本が裸の王様になった背景、つまり、吉本に公共の電波の私物化を許している「吉本興業とテレビ局の“不純な関係”」にはちゃんとした背景があるのです。

下記の図は、ちょっと古いですが、2015年5月現在の吉本興業の主要株主の持ち株比率です。

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これを見ると一目瞭然ですが、在京のキー局がずらりと名を連ねています。また、表には出ていませんが、下位には関西テレビ放送株式会社、讀賣テレビ放送株式会社、テレビ大阪株式会社の名もあります。

吉本興業は2009年9月に、元ソニー会長の出井伸之氏が代表を務める投資会社による株式公開買い付け(TOB)に賛同し、上場を廃止して、上記のような株主の構成に変わったのでした。

つまり、吉本興業とテレビ局は利害を共有する関係になったのです。テレビ局が吉本に公共の電波の私物化を許しているのも、それが自分たちの利益になるからです。

そう考えれば、吉本とテレビ局の関係は、ジャニーズ事務所との関係の比ではありません。ジャニーズ事務所の場合、資本関係があったわけではないのです。ただ、取引上の忖度がはたらいただけです。でも、吉本との関係はそうではないのです。資本のつながりがあるわけですから、吉本が番組制作に大きく関わり、どのチャンネルをひねっても吉本の芸人が出ているのは当然と言えば当然なのです。

さらに吉本興業の現社長も前社長(後に会長)も、ダウンタウンのマネージャーだった人物です。そういった背景のもと、松本人志は、吉本だけでなくテレビのお笑いの世界においても、誰も逆らえない絶対的な権力を持つようになったのです。私に言わせれば、ただのチンピラのおっさんがお笑い界に君臨するようになったのです。

そして、彼の歓心を買うために、各地に接待担当の女衒芸人がいて、彼に素人女性を上納アテンドするシステムが作られたのです(と言われているのです)。

中には、博多大吉が、九州時代に女衒を担当した際の苦労を語っていたテレビ番組が発掘され、ネットにアップされるという余波まで生じているのでした。

■「ふしだらな女」の論理


吉本興業の成り立ちを見てもわかるとおり、もともと興行や芸能は市民社会の埒外にあるものでした。特にお笑い芸は、差別や偏見や暴力など人々の負の感情を下敷きにした、多分に下劣でいかがわしいものでした。キッチュだったのです。それがテレビを通してお茶の間に浸透し、若者が憧れるほど市民権を得たのです。ただ、いくら市民権を得ても、彼らがチンピラまがいのダークな存在であることには変わりがないのです。しかも、お笑いだとダークサイドな部分が許容されたのも事実です。そう考えれば、彼らの芸が#MeToo運動の時代とまったくそぐわないのは理の当然で、そのひずみが今回の松本のスキャンダルで露呈したとも言えるでしょう。

一方で、被害を訴えた女性に対する松本ファンのバッシングは、文字通りセカンドレイプと言えるような目に余るものがあります。多分にネトウヨ的な傾向のある人間が多いように思いますが、その根底にあるのは「ふしだらな女」の論理です。それは性被害だけでなく、芸能人の不倫などでも登場する差別的な論理です。

そのことについて、既に一部のメディアでも取り上げられていますが、倉田真由美氏がXで秀逸な投稿をしていましたので、(引用が多くなりますが)紹介します。

なお、Xは、字数制限が緩和されてから字数の多い投稿の場合、タイムラインでは一部しか表示されなくなりましたので、Xの埋め込みではなく投稿した文章を引用させていただきます。

倉田真由美
@くらたまごはん

「高級ホテルでの有名人が来る飲み会にノコノコ行く女が愚か。何かあって当たり前」こんな考えの人が多くてとても残念だ。「名もない庶民は何されても仕方ない」という発想に他ならない。人間を、対等に見ない人の発想。呼ばれた本人も有名な女優だったとしたらどうか。いきなり乱交パーティーのような目に遭う可能性が俄然低くなるだろうし、「ノコノコ行くな」という人もいないだろう。理由は簡単、「対等な人間同士」という図が出来上がるからだ。本来、相手が誰であっても人間同士は対等だ。その当たり前の感覚を忘れ選民意識を内面化してしまっている人たちの多さに愕然とする。


「対等な、等しい重さの人権を持った人間同士」って、金銭の授受とか権力のあるなしとか関係ないんですよ。「高級レストランでご馳走してもらう側、奢る側」がいるとして、この二人の人権の重さは等しいの。対等なんです。この辺りが腑に落ちていない人、多いなあ。人権意識の問題なんだけど。奢ってもらったんだからそれに代わる何かを差し出せ。って、それを奢った人が個人的に奢った相手に言うのはいいけど(それがどう思われるかは置いといて)、社会がそれを認めたらおかしいでしょ。


これは全世界共通なんだが、「尻軽(っぽい)女」に対して異常に厳しい「何かされても仕方ない」という地味に攻撃的であるらある考えに悩む人が少ない。動機はさておき世間の認識には「売春婦」に対する根強い差別感情がある事は否めない。 今、日本でいえばギャラ飲み女子とかパパ活女子とかがそうか。有名人の飲み会に行く女子もそうだろう。 しかし、彼女たちも一般の変わらない人権を持った人間なんだよ。何かがあった時、有名女優が告発する場合とギャラ飲み女子が告発する場合で印象を変えてしまう場合がある、根本に差別感情があるからに他ない。


「満員電車に乗った時、スカート履かない方がいい」 ↑これ、家族が娘に言うのはいい。でも社会のメッセージとしてはおかしいでしょ。 こんなポスター駅のホームに貼られてたら、やばい国です。個人的に身内に「危なそうな飲み会に参加してて痛い目、それは女も悪い」というのは勝手にしたらいいけど、社会が言うのは違う。


「私は◯◯(加害者かもしれない人)を信じます」って、

「被害を訴えている人を信じません」「被害を訴えている人が嘘を吐いていると思います」

と言ってるのと同じなんだけど、その言葉の重さ分かっているんだろうか。


どんな事件でもそうなんだけど、加害者と被害者がいる場合、この二者は鏡像対称性を持つ右と左、のような存在ではないんです。

だから「同じ事は逆でもいえますよね!」っていう人多いんだけど、いえないんですよ…まったく別物だから。


口幅ったい言い方をすれば、「天皇制は一木一草に宿る」という言葉がありますが、〈権力〉もまた私たちの日常の隅々に存在しています。倉田真由美氏が言うように、人と人との関係においても〈権力〉が介在し、その関係性を規定するのです。

本来は対等な関係なのに、属性が付与されることによって人と人との間は対等な関係ではなくなるのです。そういった力学によって私たちの社会や日常が仮構されているのです。だからこそ、〈人権〉という概念が必要なのです。

ワイドショーは倉田真由美氏のような人物をコメンテーターに起用すべきだと思いますが、そもそも吉本の株主であるテレビ局は松本人志のスキャンダルを正面から扱うことすら避けているのですから、それはないものねだりにすぎないのでしょう。
2024.01.11 Thu l 芸能・スポーツ l top ▲
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(山本太郎氏のXより)



■馳知事の呼びかけと山本太郎バッシング


地元の北國新聞によれば、石川県の馳浩知事は「5日の石川県災害対策本部員会議で『能登に向かう道路が渋滞し、困っている。個人や一般ボランティアが被災地へ向かうのは控えてほしい』と述べ、不要不急の来訪はしないよう呼び掛けた」そうです。馳知事は、それ以前にもX(旧ツイッター)で、一般車の乗り入れの自粛を呼びかけており、あらためて自粛を呼びかけた格好です。

現在の西日本新聞の前身である「九州日報」の記者をしていた夢野久作は、1923年の関東大震災の際に、二度にわたって震災直後の東京を訪れ、そのルポルタージュを「街頭から見た新東京の裏面」「東京人の堕落時代」と題して、「九州日報」に連載したのですが、その中で、廃墟と化した東京は人影もなく「がらーんとしているだろう」と思っていたら、実際は人であふれ、道路も大混雑していた、と書いていました。震災直後の東京にあふれていたのは、廃墟と化した東京を興味本位に見に来た物見遊山の人々だったのです。 

馳知事が被災地への来訪を控えるように呼びかけたのは、そういった物見遊山の来訪を恐れたからではないかと解釈する人もいるかもしれませんが、東京と能登半島では事情がまったく異なるでしょう。ただ、甚大な被害が生じた奥能登へ行くには、道路も限られているため、支援活動に支障が出ることを恐れたというのはあるかもしれません。

ただ、被災地への来訪は議員も自粛が要請されていますし、被災地の上をドローンを飛ばすことも禁止されているそうで、何だか異常な気がしないでもありません。

能登半島にある志賀原発では、油の流出が当初の発表より5倍に増えているとか、周辺15カ所ではモニタリングポストが「壊れて」放射線量の測定が不可能になったというニュースがありますが、来訪禁止やドローン禁止の”過剰な規制”を考えると、どうしてもよからぬ想像を巡らせたくなるのでした。

馳知事の呼びかけに呼応するかのように、ネット上ではさっそく「自粛警察」の震災版とも言うべき人間たちによる、ボランティアに対するバッシングがはじまったのでした。たとえば、いちはやく被災地に入ったれいわ新選組の山本太郎代表もそのひとりです。

山本代表は、現地に行った理由も含めて、みずからのXに次のように投稿していました。 


この投稿に対して、被災者のカレーを食べたのはけしからんと難癖を付けているのでした。それをスポーツ新聞のコタツ記事が取り上げて、Yahoo!ニュースが拡散し、テレビのコメンテーターたちがしたり顔でバッシングを追認しているのでした。

私は、こういった手合いを「最低の日本人」と呼んでいるのですが、要するに、「最低の日本人」の彼らが気に入らないのは、馳知事の呼びかけを無視して被災地に行ったからでしょう。 

しかし、同じように支援物資を積んだトラックとともに現地に入り、「軽率だ」「迷惑だ」とバッシングを浴びた後藤祐樹千葉県八街市議は、道路が渋滞しているのは乏しいガソリンを求めて地元の人たちの車がガソリンスタンドに行列を作っているからで、必ずしもよそから来た車で渋滞しているわけではない、とXで反論していました。

ネットには現地を車で走ったツイキャスも上げられていましたが、それを見ると特に渋滞している様子はなく、ツイキャスの主も「(自粛要請は)風評被害だよ」と皮肉を言っているくらいでした。しかし、メディアには今の道路状況に関する報道はいっさいないのです。自分たちもカメラを持って奥能登を訪れているので、道路の状況もわかっているはずですが、政府や石川県の自粛要請をオウム返しのようにくり返すだけです。

こう言うと、陰謀論やフェイクニュースを煽っているように思われるかもしれませんが、テレビなどメディアはどこまでホントのことを伝えているのかという疑問を持たざるを得ません。

地元の人によれば、地震直後は一時的に道路が渋滞していたことがあったそうです。それは、能登半島の出身者で金沢などに住んでいる人たちが、身内の安否を心配したり支援物資を届けるために車で訪れたからだと言っていました。もちろん、道路が寸断されて限られたルートしか通れないということもあったのでしょうが、ツイキャスを見ると、至るところで補修工事が行われた跡があり、(前の記事でも書きましたが)土木作業員たちが夜を徹して突貫工事をしたことがよくわかるのでした。土建会社にとっては地震特需でしょうが、工事に携わる作業員たちは被災者でもあり、頭が下がる思いがします。

一方、馳知事は、不要不急の来訪は控えるようにと言いながら、非常事態を宣言して、県の職員に「全庁をあげて災害対応にあたるよう指示」したのは1月6日、つまり、地震が発生した5日後なのです。これでは新年の「仕事始め」と同じでしょう。まったく呆れるしかありません。

石川県内で100人を超える人が亡くなった今回の地震について、石川県の馳知事は「これまでにない未曽有の大災害だ。能登を救うために、県庁としての非常事態を宣言する」と述べ、県の職員に対し、全庁をあげて災害対応にあたるよう指示しました。

県は被害の大きい自治体への職員の応援を増員させるなど、対応を強化することにしています。

また、県は被災地以外の旅館やホテルに、被災した人たちが過ごせるよう調整を進めるとしています。

このほかに、石川県小松市が能登地方の被災者およそ80人を受け入れるなど、県内の自治体で被災した人を受け入れる支援の動きが出ていることを明らかにしました。

NHK
石川 馳知事が非常事態を宣言 県職員に災害対応を指示


現場を知るということは大事なことです。支援活動がどうなっているのか、ホントに機能しているのを知るのも、政治家やジャーナリストだけでなく、ボランティアを志願する人たちも必要なことでしょう。

実際に現地の惨状を見た山本太郎代表は、上記のXで、自衛隊は自走式と牽引式キッチンカーを800台以上も持っている、牽引式は約45分のうちに250人分、自走式は約60分で150人分の炊事を行うことができる、どうしてその能力を活用しないのだ、と書いているのでした。

■ボランティアを拒否する「お役所仕事」の夜郎自大と「最低の日本人」たち


生き埋めになったままの人たちだけでなく、山間部で一人暮らしの高齢者の移送も進んでない状態だそうで、震災の関連死は東日本大震災を上回るのではないかという懸念さえ出ているのです。

どうして積極的に民間のボランティアの力を借りようとしないのか、不思議でなりません。役所は尻を叩かないと動かないというのは、私たちでもよく知っています。ホントに「お役所仕事」に任せるだけでいいのかと思います。

輪島市の坂口市長は、1月6日の石川県災害対策本部員会議で、「避難所もぎゅうぎゅう詰めで、ノロ(ウイルス)やコロナが発生している」と窮状を訴えたそうですが(朝日の記事より)、そういった事態に迅速に対応できるノウハウを持っているのは民間でしょう。「お役所仕事」ではとても対応できるとは思えません。

尻を叩かないと動かないのに、「最低の日本人」たちは、お役所に任せればいいんだと言って、自衛隊や消防や警察を英雄視するだけなのです。今、必要なのは役所の尻を叩くことでしょう。

しかも、岸田政権が投入した自衛隊は、「2日の約1千人を皮切りに、3日に約2千人、4日に約4600人、5日には約5千人、6日には約5400人、7日には約5900人に増員した」(朝日)だけだそうです。2011年の「東日本大震災では発災の翌日に約5万人から約10万人に、熊本地震では2日後には当初の約2千人から約2万5千人」(同)へと増員していることに比べれば、岸田政権の不作為はあきらかです。それは、被災者にとっては座して死を待つに等しいものです。

その極めつけは、元自衛隊員だとかいう芸人のやす子の発言です。彼女は、1月7日に放送されたTBS「サンデー・ジャポン」に出演して、次のように言ったそうです。

「一般の方がいま、助けに行くぞって行かれているんですけど、その一般の方がどこに泊まるかというと、民泊を借りたりとか、ガソリンをどうするかというと現地のものを使わないといけなくて、被災地の方にも力を借りなければいけなくなる」

「けど、自衛隊は自己完結してて、燃料、食べるもの、寝るところもすべて自分たちで持って行く。ですので、被災地に迷惑をかけずに支援ができるのが、自衛隊の大きないいところのひとつかなと思っているので」

「緊急車両が通れないと助かる命も助からなくなってしまう。いま、みんなができることは、募金とか、一旦、いまいるところで祈るというか、いまできる生活を送った方がいいんじゃないかなと思います」

Yahoo!ニュース
ディリースポーツ
やす子が完ぺき説明「自衛隊は被災地に迷惑かけずに災害支援できる」一般市民へは自重求め「みんなが出来るのは祈る事」


このやす子の発言に対して、ディリースポーツは「完ぺきな説明」と書いていましたが、どこが「完ぺき」なんだと思いました。山本太郎代表が言うように、圧倒的な人員不足だけでなく、キッチンカーすらも活用してないのです。やす子は決して賢いとは思えないキャラクターの芸人ですが、自衛隊の派遣人数など現状認識はお粗末なものしか持ってないようです。にもかかわらず、まるでボランティアが被災地に迷惑をかけているようなこましゃくれた発言をしているのです。バカな愛されキャラだから何を発言しても許されるというものではないでしょう。

ここに来て岸田政権に対して、政府内からも「初動を甘く見た」(朝日)というような声が出始めているそうですが、最初から初動を誤っていたのです。緊急事態であるにもかかわらず、仕事始めまで緊急事態宣言の発出を控えていた(としか思えない)石川県の対応を見てもわかるとおり、「お役所仕事」に任せていては、被災地の惨状は益々深刻化するばかりでしょう。未だに被害の全容すらつかめてなくて、日ごとに死者や安否不明者の数が増えているあり様なのです。

ボランティアというのは、瓦礫を片づけたり、家具を運び出したり、側溝の泥を掻き出したりするだけではないでしょう。「お役所仕事」にない即応性もあるし、通信や食事やトイレや衛生管理のノウハウも持っているのです。何より「最低の日本人」と違って、どこかの総理大臣の言葉ではないですが、「共助」の精神も、利他の考えもあるのです。

自分たちが税金を使うときはザルだけど、納税者に使うときは「ごうつくばばあ」みたいに厳格になるのは政治家や役人の常ですが、そんな連中にすべてを任せていては悲劇がさらに悲劇を呼ぶような事態になるのは目に見えているような気がします。生き埋めになったまま放置されるだけでなく、関連死も膨大に増えるのではないかと言われる中で、彼らがやっているのはボロ隠しのようなパフォーマンスと自演乙だけなのです。

どうして自衛隊はキッチンカーを使わずにヤマザキパンを運ぶのか。そう言うべきなのです。やす子のお粗末な発言を「完ぺき」と持ち上げるメディアのアホらしさをどうしてアホらしいと言わないのか。

■災害出動より「出初式」


当初、メディアはこぞって、甚大な被害が発生した奥能登に至る道路は寸断され、陸路による物資の輸送や被災者の移送ができないという報道をしていました。だったら、自衛隊が持っている大型ヘリを使って空路で行えばいいじゃないかという声もあったのですが、政府にはそういった発想はありませんでした。

その一方で、1月7日には、陸上自衛隊の第1空挺団は、千葉県の習志野演習場で「降下訓練始め」を予定どおり実施したそうです。これを報じた赤旗電子版によれば、「訓練は島しょ防衛を想定し、空挺団員によるパラシュート降下や、陸自ヘリによる部隊展開などを展示。訓練には陸自第1ヘリコプター団、航空自衛隊のC2、C130H輸送機などが参加(略)。米英、カナダ、フランス、ドイツ、オランダ、インドネシアの7カ国の軍隊も参加」し、派遣命令を出す木原防衛大臣も訓示したのだとか。つまり、災害出動より例年行われている「出初式」=お祭りを優先したのです。

「訓練始め」に参加したCH47Jヘリは55人の輸送が可能で、C2は最大約30トン、C130Hは最大20トンを搭載できるそうです。奥能登の孤立した集落を救援するために、どうして「降下訓練」の成果を発揮しないのかと誰でも思うはずです。

なお、この模様を朝日新聞は、何の批評も加えずに(悪びれもせずに)映像付きで報じています。政府も政府ならメディアもメディアなのです。

朝日新聞デジタル
陸自、千葉で降下訓練始め 防衛相「同盟国との連携示すことは重要」

ただ、忘れてはならないのは、(今まで書いたことと矛盾するかもしれませんが)自衛隊=軍隊は国家=国体を守るためにあるのであって、国民を守るためにあるのではないということです。災害対応ごときでは、陸路がダメなら空路や海路があるという発想は自衛隊にははなから存在しないのです。災害派遣は、あくまで「自衛隊は頼りになるぞ」というパフォーマンスの場にすぎないのです。

孤立した集落を救助するために、悪路を徒歩で進む自衛隊員に「感動と感謝の声」という記事などはその典型でしょう。いたずらに72時間が過ぎ、生き埋めになった多くの人々が見捨てられていても、みんなで感動して感謝しなければならないのです。

■デマを拡散するYahoo!ニュースの怖さ


今回の地震では、X(旧ツイッター)がYouTubeと同じようにアクセス数に応じて広告料が支払われるようになった影響もあり、Xを中心にしたSNS上で炎上目的のデマ投稿が増えたというニュースがありました。

しかし、それはSNSだけではないのです。むしろ、一番のデマの発信源は、スポーツ新聞や週刊誌のコタツ記事です。

その端的な例が、避難所に車で乗り付けて自販機を壊して中の飲み物を奪っていく集団の話です。そんなコタツ記事がYahoo!ニュースに掲載されると、とんでもない事件、犯人たちは極刑に処すべきとヤフコメで炎上したのですが、後日、それがまったく事件性がないことが明らかになったのでした。

北國新聞によれば、ことの顛末は次のようなものです。

能登半島地震の避難所となっている穴水町の穴水高で1日夜、男女数人が自動販売機を壊し、同校の避難者用に飲料水を置いていったとみられることが6日、同校などへの取材で分かった。自販機を壊した人は「自分も避難者で、飲み物を確保するために自販機を壊していいか(管理者に)確認した」と話しており、石川県警は事件性はないとの見方を示している。

 穴水高によると、車で訪れた数人が自販機を器具でこじ開け飲料水を取り出し、避難所に置いていったという。

北國新聞DIGITAL
自販機破壊、避難者のためだった 
「飲料水確保するため」 穴水高


私は、このニュースを見て、関東大震災の際の朝鮮人が井戸に毒を入れたという話を思い出しました。

アクセス数を稼ぐためにデマを発信しているのは、SNSだけでなくYahoo!ニュースも同じなのです。ヘイトの問題でも散々指摘されていますが、Yahoo!ニュースがどんな存在であるのかを考えると、これはとても怖いニュースだなと思いました。
2024.01.08 Mon l 震災・原発事故 l top ▲
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(ウエザーニュースより)



■僅か2000人


1月1日に発生した石川県能登地方を震源地とする地震では、食料や水や毛布などの支援物資が届かず、被災した人たちから支援を求める声が相次いでいますが、1995年の阪神・淡路大震災以後、2011年の東日本大震災、2016年の熊本地震と甚大な被害を出した地震が続いたにもかかわらず、また同じことをくり返しているような気がしてなりません。

地震が発生して2日経った1月3日の夜に、「岸田首相は、石川県の馳知事や被災地の自治体の首長らとオンライン会議を行い、被災地の状況確認、支援ニーズの確認などを行った」というニュースがありました。

そして、岸田首相は、下記のように述べたそうです。

会議の後、岸田首相は「ニーズを確実に吸い上げ、確立すること、自治体の機能が十分に回復するまでの間は、国が自治体をサポートしてニーズの把握と物資の運搬が重要だと認識している」と述べた。

岸田首相は、木原防衛相に対し、自治体が把握しきれない支援物資のニーズを自衛隊が避難所を回り聴き取って、救援物資の輸送まで行うよう指示したことを明らかにした。

FNNプライムライン
能登半島地震 岸田首相「国が自治体をサポートしてニーズ把握と物資運搬が重要」


また、讀賣新聞によれば、同日(1月3日)の午前、岸田首相は、非常災害対策本部会議を開いて、自衛隊の人員を2000人程度に倍増することを決定したそうです。それは、「生存率が急速に下がるとされる『発生から72時間』を4日午後に迎えることを意識」したものだそうです。

一方、同日(1月3日)の朝に行われた石川県の災害対策本部会議で、市内6000世帯のうち9割がほぼ全壊して、「壊滅的」な被害に遭ったと言われる珠洲市の泉谷市長は、「対応できていない救助要請は72件に上っているので、人命救助を最優先にしてほしい。避難所のトイレも限界で至急仮設トイレが必要だ」と訴えたそうです。それを受けてなのかどうか、岸田首相は、発生して2日経ってやっと派遣する自衛隊を倍増することを決定したのです。それでも僅か2000人なのです。

■佐藤正久参院議員のプロパガンダ


そんな切羽詰まった状況の中で、ヤマザキパンが支援のパンを送ったとかで、自衛隊出身の佐藤正久参院議員がみずからのX(旧ツイッター)に、パンが自衛隊員の手で運ばれる様子を撮影した動画をアップして、「ヤマザキパンさん、いつも災害時にご支援ありがとうございます。避難所等に届けます」と投稿したそうです。

日刊スポーツ
ヤマザキパンが能登半島地震の被災地に「いつも災害時に国民を助けてくれる!」SNSに称賛続々

佐藤参院議員の投稿に対して、SNS上では「流石ヤマザキ!」「やっぱり天下のヤマザキ!」と称賛の声が相次いだそうですが、災害時においてもこんな見え透いた自演乙を繰り返している日本という国は何なんだと思いました。

パンの提供はそれはそれでありがたいことでしょうが、しかし、何より必要なのは被災者全員に行き渡るような政府の支援でしょう。

佐藤正久参院議員のXを見ると、自衛隊員はまるでボランティアで救助活動をしているみたいな感じです。しかし、言うまでもなく、彼らは出動手当を貰って当たり前の任務を行っているだけです。自衛隊を派遣するには隊員の手当や滞在費も含めて莫大な費用がかかるので、派遣する人数をケチるのも予算の関係があるのではないかという声もあるくらいです。

と言うか、自衛隊にしても、佐藤参院議員のXに見られるように、災害派遣は本来の任務から外れた、言うなれば、自衛隊が頼りになる存在だと宣伝するための機会としか捉えてないようなフシさえあるのです。そのため、やたらフォーマンスが目立つような気がしてなりません。

佐藤参院議員のプロパガンダに乗せられて、自衛隊員をヒーローのように持ち上げるだけでは、悲痛な声を上げている被災者の現状から目をそらすことになるでしょう。私たちがまず目を向けるべきは、自衛隊員ではなく被災者なのです。

■日本に蔓延する事なかれ主義


火事の現場などでは、野次馬から「もっと早くしろよ」「消防は何しているんだ」という罵声が上がるのはよくあることです。災害の現場の映像などを見ても、救助活動をしている隊員よりそのまわりで見守っている隊員の方が多く、何だかもどかしい気がすることがあります。

瓦礫の下に放置されたまま、「発生から72時間」を迎える人たちは、一説には石川県全体で200人に上るのではないかと言われています。それを考えるといたたまれない気持になります。そんな状況下にありながら、(たしかにありがたい話かもしれないけど)ヤマザキパンさんありがとう、自衛隊はしっかり仕事をしていますよという佐藤参院議員の投稿に対しては違和感を抱かざるを得ません。政治家ならもっと他に目を向けるべきところがあるはずです。おそらく今回も、SNS上の称賛の声と違って、現場では「何やっているんだ」「どうして助けに来てくれないんだ」という怨嗟の声が上がっているに違いないのです。

もっとも、仮に自衛隊や消防隊に罵声を浴びせている姿が映像で流れたら、その人物はネットで袋叩きに遭うでしょう。テレビで「警察24時」とか「救急24時」とかいったドキュメンタリー風の番組をやっていますが、問答無用で自衛隊や救急を称賛したがる人間たちはテレビの観すぎなのかもしれません。あれはテレビ向けの顔にすぎないことを知るべきなのですが、彼らにこんなことを言っても所詮は馬の耳に念仏なのでしょう。

それより災害の現場でもっとも過酷で大きな役割を担っているのは、民間の土木作業員や地元の消防団員たちだという声があります。夜を徹して寸断された道路の復旧作業を行ったり、初動の避難誘導を行っているのは彼らなのです。そのおかげで、警察や消防や自衛隊が現場に向かうことができるのです。しかし、彼らにスポットライトが当たることはないのです。これみよがしにトラックに「災害派遣」の垂れ幕が付けられた自衛隊などに、感謝と称賛の声が寄せられるだけなのです。

公務員の特徴に前例主義と事なかれ主義というのがありますが、いつの間にか日本全体が、事なかれ主義と、それを隠蔽するためのパフォーマンスに堕しているような気がしてなりません。

今回も30数時間ぶりに倒壊した家屋の下から奇跡的に救助されたというような映像が流れていますが、それらは消防や警察が自分たちの仕事ぶりをアピールするためにみずから撮影したものです。しかし、救助されたのは僅か数人で、文字通り「奇跡」のように幸運な人たちです。その背後には、「人命優先」の訴えも空しく、生き埋めのまま放置され死を迎えることになる(既に死を迎えている)200人あまりの人たちがいることを忘れてはならないでしょう。

スポーツ中継などを見ていても、敗退した選手がまず口にするのは「自分は精一杯やったので悔いはない」というような弁解です。これもSNSが普及しはじめてからの傾向のように思いますが、要するに批判を恐れて弁解が先に立つのでしょう。自分を責めることがいいとは思いませんが、「まず弁解」の風潮がともすれば無責任な風潮をつくっていると言えなくないのです。

そして、そんな無責任な風潮を糊塗するために、「ニッポン、凄い!」「感動をありがとう」「勇気をもらった」の自演乙が行われているように思えてなりません。そうやって日本社会をおおう無責任体系が、手を変え品を変えて未だに続いているように思えてならないのです。

救助活動に携わる関係者は見事ほどおそろいの防災服に身を包んでおり、総理大臣までが見るからに真新しい(折り目がきっちり付いた)防災服を着て会見していますが、何だかそれで”やってる感”を出しているだけのような気がしてなりません。

これも「自粛」の一種なのかもしれませんが、救助隊を批判することはタブーみたいな空気があるのも事実でしょう。むしろ、感謝することを強要されるのです。そうやって被災者の悲痛な訴えはそっちのけに、公務に携わる人間たちの大変さや”やってる感”だけが強調されるのでした。

財務省によれば、2023年度の国民負担率、つまり収入に対する税金の負担率は46.8%だそうです。 ちなみに、統計をとりはじめた1970年度は34.3%でした。納税者であれば為政者や行政府に文句を言う権利は当然あるし、それが民主主義だと思いますが、官尊民卑の日本では文句を言うと謀反人みたいに叩かれる風潮があるのでした。

特に今回のような大災害のときは、自衛隊や消防や警察の言うことを聞け、彼らに任せろと言われて、ホントの被害の実態が掴めないまま、「一つになろうニッポン」「がんばろうニッポン」式の(おなじみの)ファナティズムに動員されてしまうのでした。

■ゲスの極み


地震の翌日に羽田空港で発生した日本航空と海上保安庁の航空機の衝突事故でも、どう考えても人的ミスによるものであるにもかかわらず、メディアでは、日航機が一人の犠牲者も出さずに脱出できたのは「奇跡」だとして、世界中から称賛を浴びているというような「ニッポン、凄い!」のニュースが優先されるのでした。

学習能力もなく同じことをくり返している日本は、ホントに「凄い」国なのかと思ってしまいます。

またぞろ、タレントなどを利用して、「一つになろうニッポン」「勇気をもらった」「元気をもらった」などという空疎な言葉が飛び交うようになるのかもしれませんが、(だったら前もって言いますが)他人の不幸で「勇気をもらった」り「元気をもらった」りするのはゲスの極みです。「最低の日本人」である彼らは、そんな「所詮は他人事」の美辞麗句によって被災者を愚弄しているだけなのです。
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(『週刊文春』12024年1月4日・11日合併号より)


■火のないところに煙は立たない


今度の文春砲のターゲットは、松本人志でした。どこまでホントかわからないとはその通りですが、ただ、ちょっと意地の悪い言い方をすれば、火のないところに煙は立たないとも言うのです。

いささか古いのですが、話は8年前の2015年の冬のことだそうです。場所は、六本木のホテル「グランドハイアット東京」の15階にある「グランドエグゼクティブスイートキング」という、1泊約30万円の「VIP御用達のゲストルーム」です。

女性を集めたのはスピードワゴンの小沢一敬。彼から仕事で知り合った女性たちにLINEが入り、ホテルでの「部屋飲み」に誘われたそうです。参加者は、女性が3人で、男性も小沢のほかに放送作家の「X」、それにあとから遅れてやって来た「VIP」の松本の3人でした。そして、3人の女性が順繰りに男性の相手をさせられる「ゲーム」が行われたそうです。

「X」については、文春の記事の中で次のように書かれています。

「Xは、NSC出身の元芸人。元雨上がり決死隊の宮迫博之らと親しく、その縁で松本と知り合い、バラエティ番組『松本家の休日』(朝日放送)などに出演していました。放送作家としては『人志松本の酒のツマミになる話』などを担当。松本の身の回りの世話をこなしており、一時期は1年のうち三百六十日一緒にいると言われたほどの仲です」(テレビ局員)


まるで「ググれよ」と言われているような書き方なので、さっそくググってみました。その結果、大阪NSC12期生の某だということがわかりました。記事からもわかるように、彼は松本人志の腰巾着のような放送作家だそうです。

ただ、文春に書かれている乱交パーティは、これだけではありません。

その3カ月前にも、「女衒」の小沢が企画した「部屋飲み」が同じ場所で行われていたのだとか。

そのときの参加者は、女性が4人で男性も4人でした。上記の3人のほかに「男性タレント」が1人参加していたそうです。ただ、「男性タレント」に関しては差し障りがあるのか、放送作家と違ってヒントになるような記述はありませんでした。

■吉本の剛腕恐るべし


当然ながら「軽率だ」「無防備だ」として、小沢の誘いに乗った女性たちを責める声もあるに違いありません。中には行きがかり上、断るに断れなかった駆け出しの女優やタレントもいたようですが、ただ、(私も知っていますが)お笑い芸人と遊びたがる女性たちがいることも事実です。また、遊びが本気になって結婚に至るケースも結構あるみたいですが、お笑い芸人たちも、彼女たちを性のはけ口としてお手軽に利用しているのも事実です。でも、それはそれ、これはこれです。

「セックスするから覚悟しておいでよ」と言って誘ったわけではないのです。「今からすごい世界的な人が来るから」(文春の記事より)と言われたのです。しかも、部屋に入ると、「くれぐれも失礼のないように。怒らせるようなことをしたら、この辺、歩けなくなったちゃうかもしれない」(同)と半ば脅しのように釘を刺されているのです。そして、スマホまで取り上げられているのです。

そういった脅しが功を奏して、「芸能界の権力者である彼の怒りを買うと、どんな仕事上の報復を受けるか分からず、これまで口を閉ざした子が数多く存在する」(同)と被害者の女性は証言しているのでした。

性犯罪やハラスメントの背景にある力関係を考えると、日本人お得意の「どっちもどっち」論は、被害者の口を封じる悪質な圧力=デマゴギーと言えるでしょう。

もっとも、こういった女性を性のはけ口にする性暴力まがいの話は、お笑い芸人に限ったことではないのです。『紙の爆弾』(鹿砦社)の今月号(2024年1月号)にも、「政界に横行する公金『コンパニオン宴会』」という記事が出ていましたが、政治家も、成り上がりの若手経営者も、同じようなことをやっているのです。それをいちばんよく知っているのはあのガーシーかもしれません。

「不同意性交」だったのかどうかわかりませんが、テレビ局の障害者トイレで、女性スタッフとこと・・に及んだ(松本の子分のような)お笑い芸人も、今では何事もなかったかのようにテレビやCMに出ています。吉本の剛腕恐るべしですが、吉本をそのようなモンスターにしたのはテレビ局なのです。

■松本人志の一夫多妻論


松本人志は、女性に性行為を求める際、盛んに「俺の子どもを産んでほしい」「君の子どもがほしい」と耳元でささやくのだそうです。それは松本が好むプレイのひとつなのかと思ったら、必ずしもそうではなく、パーティの席では次のような一夫多妻論を開陳していたそうです。

「日本の法律は間違っていると思うねん。日本は俺みたいな金も名誉もある男が女をたくさん作れるようにならんとあかん。この国は狂ってる。なんで嫁を何人も持てないんや」
(略)
 その一人が場を取り繕うように、「素敵な奥様がいらっしゃいますよね」と尋ねると、松本は眉間に縦皺を刻んで言った。
「女は出産すると変わんねん」
 そして、女性たちを凝視しながら言葉を続けたのだ。
「俺的には三人とも全然ありやし。で、俺の子ども産めるの? 養育費とか、そんくらい払ったるから。俺の子ども産まん?」
(記事より)


テレビでも似たような発言をしているようですが、もしこれがホントなら、アホ丸出しです。テレビはこんな松本に時事問題を語らせていたのです。

■テレビの異様な光景


それもひとえに(このブログでも何度も指摘していますが)、テレビ局が番組制作を吉本に(実質的に)丸投げするほど、吉本と深い関係を築いてきたからです。その結果、どのチャンネルを回しても吉本の芸人が出て来るという、まるでテレビが吉本にジャックされたような異様な光景が作り出されたのでした。

今回の問題でも、芸能マスコミに出ているのは、会社からの指示なのか、忖度なのかわかりませんが、松本を擁護する芸人たちのしらばっくれたコメントばかりです。特に今田耕司のコメントは極めて悪質でした。もとより、松本に時事問題を語らせてきたテレビ局は、何がなんでも松本を守ろうとするでしょう。そういった絶対的な力を背景にした理不尽でアンフェアな空気に対しても、私は違和感を抱かざるを得ません。

前に闇営業問題が発覚した際、私は、下記の記事の中で、吉本と闇社会の関係について、次のように書きました。

関連記事:
吉本をめぐる騒動について

前に紹介しました森功著『大阪府警暴力団担当刑事』(講談社・2013年刊)では、わざわざ「吉本興行の深い闇」という章を設けて、吉本と闇社会の関係について書いていました。

昭和39年(1964年)の山口組に対する第一次頂上作戦を行った兵庫県警の捜査資料のなかには、舎弟7人衆のひとりとして、吉本興業元会長(社長)の林正之助の名前が載っていたそうです。

2006年、正之助の娘の林マサと大崎洋会長(当時副社長)&中田カウスの間で起きた内紛(子飼いの芸能マスコミを使った暴露合戦)は、私たちの記憶にも残っていますが、その背後にも裏社会の魑魅魍魎たちが跋扈していたと書いていました。本では具体的な名前まで上げて詳述していますが、巷間言われるような、裏と表、守旧派と開明派、創業家と幹部社員の対立というような単純なものではなかったのです。また、その対立は、2011年の島田紳助の唐突な引退にもつながっているそうですが、今回の騒動にもその影がチラついているように思えてなりません。


そもそも吉本内部の序列が、テレビの世界に持ち込まれていること自体が異常です。そのため、まるで楽屋での内輪話みたいなもので番組が作られて、太鼓持ちのような役割を担う「ひな壇芸人」と呼ばれる芸人たちさえ生まれているのでした。それも、吉本など芸能プロダクションが番組制作に大きく関わり、キャスティングを一手に引き受けているからでしょう。

その結果、多くのお笑い芸人を擁する芸能プロダクションと深い関係にあるテレビ局のプロデューサーが、部外者から見ればただの癒着にしか見えないのに、「大物プロデューサー」と呼ばれたりしているのでした。

しかも、お笑いの世界の序列がいつの間にか独り歩きして、ビートたけしやタモリや明石家さんまなど、既にお笑い芸人として旬を過ぎ芸らしい芸もなくなったベテラン芸人を、「お笑い界のビッグ3」などと呼んで持て囃しているのでした。

■ダウンタウンのチンピラ芸と松本人志


松本人志は、彼の日頃の言動やその芸風を見てもわかる通り、チンピラがそのまま年を食ったような人間です。そう言って悪ければ、”大物芸人”として、背伸びして大きく見せることを強いられた哀しきピエロです。吉本がそうさせたのです。

今回の報道のあと、松本人志はみずからのX(旧ツイッター)に、次のように投稿しています。

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(Xのスクショより)

闇営業問題のときも「松本動きます」とかいった投稿が話題になりましたが、こういった投稿もめいっぱいの虚勢なのでしょう。石原慎太郎ではないですが、「空疎な小皇帝」(斎藤貴男)という言葉が思い出されてなりません。

ダウンタウンが登場した頃は、今のようにコンプライアンスという言葉もない時代でした。彼らのチンピラ芸は、コンビ名に示されているように、阪神工業地帯の周縁部に住むクソガキたちの中から生まれたものです。だから、彼らの笑いは、イジメと紙一重だったのです。

しかし、コンプライアンスという言葉が生まれ時代が変わっていく中で、彼らのチンピラ芸は時代と齟齬が生じるようになったのでした。

今回の記事がホントなら、松本がやっていることはまさに#MeToo運動の真逆をいくチンピラのそれでしかないのです。いい年していつまでそんなことをやっているんだという話ですが、芸だけでなく芸人としても完全にズレているのです。

♯MeToo運動の高まりの中で、たとえば、左派リベラル界隈でも、文芸評論家の渡部直己や国際ジャーナリストの浅井久仁臣など「手癖の悪い」連中が過去のハラスメントを告発され、表舞台から姿を消しましたが、松本が「いつ辞めても良い」と本気で思っているなら、潔くやめた方がいいでしょう。それが身のためであるし、何より時代はもうダウンタウンの笑いを求めてないのです。

もちろん、チンピラは松本人志だけではありません。フライデーの記事にチラッと出て来る何とかジュニアや、ガーシーの友達でもあった何とか淳も似たようなものです。彼らもまた、チンケな芸人に過ぎないのに、吉本の剛腕によって偉そうに時事問題を語るまでになっているのでした。

そう考えれば、テレビの罪は大きいと言わねばなりません。テレビがやっていることはあまりに節操がなさすぎるのです。

テレビ東京が通販番組か情報番組かわからないような、グレーゾーンの番組をよく放送していますが、吉本と癒着して番組を作っているテレビ局も似たようなものです。公共の電波を使っているテレビのあり方として、吉本興業との関係は旧ジャニーズ事務所との関係に勝るとも劣らないほどの大きな問題を孕んでいると思いますが、どうしてその声が少ないのかと思います。

■吉本のコメント


吉本は文春の報道を受けて、次のようなコメントを発表しました。

一部週刊誌報道について

本日発売の一部週刊誌において、当社所属タレント ダウンタウン 松本人志(以下、本件タレント)が、8年前となる2015年における女性との性的行為に関する記事が掲載されております。

しかしながら、当該事実は一切なく、本件記事は本件タレントの社会的評価を著しく低下させ、その名誉を毀損するものです。当社としては、本件記事について、新幹線内で執拗に質問・撮影を継続するといった取材態様を含め厳重に抗議し、今後、法的措置を検討していく予定です。

ファン及び関係者の皆様には大変ご心配をおかけする記事内容でしたが、以上のとおり本件記事は客観的事実に反するものですので、何卒ご理解いただきますようお願い申し上げます。


「当該事実は一切なく」といつもの吉本の強面が垣間見えるようですが、一方で、「取材態様」にまで言及しているのは、大阪に向かう新幹線の車内で記者から直撃された際、松本人志がスマホで記者とカメラマンを撮影しているからで、そのことをわざわざ取り上げているのでした。恐らく松本に泣きつかれたのでしょう。

ただ、その唐突感に対して、既に腰が引けていると指摘する人もいます。また、「法的措置」まではいかないのではないかという見方もあるようです。「法的措置」を取れば、ジャニー喜多川の性加害のようにみずから墓穴を掘る恐れがあるからです。だから、「当該事実は一切なく」と言いながら、「検討していく」という表現にとどめているのではないかと言うのです。もっとも、逆に吉本が「法的処置」を取った方が、いろんな暗部がさらけ出されるので、却っていいのでないかという声もあるのでした。

■活動休止 ※追記


本日、松本人志が芸能活動を休止するという「速報」がありました。吉本興業によれば、松本人志から「『様々な記事と対峙(たいじ)して、裁判に注力したい』とし、活動を休止したいという強い意志が示された」(朝日の記事より)のだそうです。

テレビの画面から察するに、その言動とは裏腹に彼自身は小心な性格のような気がしますが、ここに来てその性格がモロに出た感じです。そもそも記事に書かれたことが事実なら、記事に登場する松本人志は文字通りの裸の王様なのです。

既に旬が過ぎただけでなく、その芸風から言ってももう笑えない芸人になってしまったダウンタウンの松本人志は、このまま永遠にフェードアウトするしかないでしょう。

「裁判に注力したい」というのもめいっぱいの虚勢のつもりなのでしょうが、もう虚勢にすらなってないのです。

文春がほのめかしているように、今後あらたな証言が出て来る可能性は高く、「裁判に注力」するどころか泥沼に引きずり込まれる可能性の方が高いでしょう。

松本人志は文字通り堕ちた偶像になったのです。そんな逆風が吹き始めたのを察知して活動休止したというのが、今日の「速報」の真相だと思います。記者会見もやりたくない小心な人間が選んだ”最善の方法”が、活動中止から引退という姑息な方法だったのではないか。

活動休止の発表後、松本人志はみずからのX(旧ツイッター)を更新して、「事実無根なので闘いまーす」と投稿したそうですが、これが還暦を迎えたおっさんの日本語かと思うと、哀しくもせつないものがあります。文字通り引かれ者の小唄と言うべきでしょう。足掻けば足掻くほど笑えないギャグしか出て来ない。もう完全に終わっているのです。

一方で、テレビなどのメディアは、ここに至っても吉本のコメントを垂れ流すだけで、多分に腰が引けたおざなりな報道に終始しています。あれだけ人の揚げ足とりが得意なワイドショーも、独自の取材さえ行ってないのです。ジャニー喜多川の性加害と同じように、触らぬ神に祟りなしの姿勢なのです。

けだし、吉本興業とテレビ局の“不純な関係”については、何ひとつカタが付いてないのです。これからはこの問題も、松本人志のスキャンダル以上に注視する必要があるでしょう。

吉本による公共の電波の私物化をテレビ局が許していたという、とんでもない問題なのです。お笑いだから許されるというような惚けた話ではないのです。
2023.12.29 Fri l 芸能・スポーツ l top ▲
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(記事より)



■鬱屈した老後の人生


前に書いた介護施設で警備員をしている70歳の知人と話をした際、彼は、まわりが高齢者だらけの警備員という仕事に加え、派遣された現場も高齢者ばかりの介護施設なので、何だかいっきに年を取ってもう人生が終わったような気持になっている、と言っていました。

たしかに、どう考えても人生を前向きに考えることができるような環境とは言えないでしょう。いくら職場を面白おかしくとらえても、その空虚感は消しようがないのです。

週末の電車に乗ると、冬休みということもあって、やたら家族連れが目立ちます。ドアの横に立っていると、まわりを途中から乗ってきた家族連れのグループに囲まれて、反対側のドアに降りようにもおしゃべりに夢中で通路を空けないので降りられないのです。

「すいません」と言ってもいっこうに動く気配がないので、「この野郎、のけよ!邪魔だろ!」と叫びたくなりました。もちろん、常に体裁を気にするしがいな小市民の私ですので、醜態を晒すことはありませんが、何だかキレる老人の気持がわかるような気がしました。

前も書きましたが、週末の電車のシルバーシートは、そんな家族連れに占領されています。ベービーカーに乗った「小さなお子様」をダシに、親たちがさも当然の権利と言わんばかりにシルバーシートにふんぞり返って座っているのでした。

少ない年金を補填するために、警備員の夜勤を終え、くたくたになって帰る途中の高齢者がそんな場面に出くわしたら、「くそったれ!」と思っても仕方ないでしょう。

政府は、こういった子育て世帯を支援するために、年間3.6兆円の財源が必要だと言うのです。支援の内容は、児童手当の拡充と保育サービスの充実が主な柱になっています。また、財源は、「社会保障費の抑制」とともに、私たちが支払う社会保険料(具体的には医療保険料)に一定額を上乗せした1兆円規模の「支援基金」を創設する案が有力だそうです。もちろん、低年金の警備員も応分の負担をすることになるのです。

児童手当の拡充に関しては、24年10月分から児童手当の支給対象を高校生まで拡大し、第3子以降については支給額を月3万円に増やす方針だそうです。

一方、厚生労働省年金局の資料によれば、国民年金の月の平均支給額は、5万679円です(以下、すべて令和3年度の資料)。厚生年金の受給者で、月の支給額が5万円未満は38万8575人、5万円以上10万円未満は336万1204人です。しかし、国民年金だと、月に5万円以下の受給者が864万2783人もいるのです。

もちろん、夫婦であれば二人分の年金が受給できるのですが、一人暮らしだとこの金額で生活しなければならないのです。

それに対して、児童手当は、第3子以降であれば0歳~18歳までは、月に3万円が支給されることになります。3人子どもがいれば、月に最大で6万円支給されることになるのです。それ以外にも扶養控除もありますし、医療費や学費の無償化も進んでいます。

月に5万円ほどの年金で生活している(一人暮らしの)高齢者は、おそらく数百万人は優にいるのではないかと思いますが、貧困に喘ぐ高齢者に比べると、子育て家庭への厚遇ぶりが突出しているように思えてなりません。同じ子育て家庭でも母子家庭などの貧困家庭をダシにして、ほぼ所得制限なしの大盤振る舞いが行われようとしているのでした。そこには上か下かの視点がまったくないのでした。

電車の中の光景は、何だか今の理不尽な世の中を象徴しているように思えてなりません。

■生活保護の実態


それでもまだ、働くことができる高齢者は恵まれているのです。働くことができなくなった低年金の高齢者の生活は悲惨を極めています。やっとどうにか生活保護を受けることができるようになっても、「一日千円」「週に1万円」の屈辱や、「甘えだ」「怠け者だ」「自業自得だ」というバッシングに耐えなければならないのです。それどころか、彼らを食い物にする貧困ビジネスも待ち構えています。中には、貧困ビジネスと役所が提携しているケースさえあるのです。

福祉事務所からの依頼で生活保護受給者の葬儀を多く手掛ける社会福祉法人で働く人間に話を聞いたことがありますが、「一日千円」「週に1万円」のような屈辱は人生の最後までついてまわるのです。生活保護専門のような病院や老人ホームも存在しますが、メディアもそういったホントの影の部分に目を向けることはないのです。もっとも、それでも病院や施設で最期を迎えるのはまだ恵まれた方だと言っていました。

そもそも葬祭扶助を手掛ける社会福祉法人にしても、現業の職員以外は公務員の天下りで、しかも彼らは単なるお飾りではなく、実質的に団体は彼らによって牛耳られているそうです。公金が投入される場所にはどこまでも公務員たちの”触手”が伸びているのです。

でも、先日の朝日の記事もそうでしたが、メディアは引き取り手がない無縁仏の最後の駆け込み寺みたいな記事を書くだけで、葬祭扶助が濡れ手に粟の”遺体ビジネス”を生み出し、生活保護受給者がどこまでも食い物にされている実態にはまったく触れないのでした。むしろ、メディアは、全体の0.29パーセント(全国厚生労働関係部局長会議資料より)の不正を針小棒大に報道して、バッシングを煽るような側面さえあるのでした。

国民はそんな生活保護の実態を知らずに(知らされずに)、役所にとって都合のいい生活保護バッシングに動員されているのでした。バッシングが向かうべきはそっちじゃないだろうと思いますが、彼らには所詮馬の耳に念仏です。

■「ぷよぷよ」元社長のジェットコースター人生


私はゲームはしないので、「ぷよぷよ」もまったく知りませんでした。その一世を風靡した「ぷよぷよ」の生みの親で、文字通りジェットコースターのような人生を送った、コンパイル社の元社長・仁井谷正充氏の記事を読みましたが、どんつまりの老後しか待ってないような人生の中で、何だか「元気をもらった」気がしました。鬱屈した日々を送っている知人にも、是非、読んでもらいたいと思いました。

集英社オンライン
 「ぷよぷよ」で70億円売り上げてテーマパーク建設で90億円の大赤字破産…伝説のクリエイターがそれでも抱く野望とは「流れに流されているうちに当たっちゃったんだよね」

仁井谷氏は、地元の広島大学理学部に通っていたときに学生運動に没頭して、7年かけて大学を卒業したあと、広島電鉄に入社し電車の車掌をしながら今度は労働運動に没頭します。革命家を夢見ていたそうです。しかし、三里塚闘争で逮捕されて「転向」(本人の弁)するのでした。 

そのあと写植の仕事をしていたときに、「魔導物語」や「テトリス」や「コラムス」などのロールプレイングゲームのブームがはじまり、自分でもゲームを作っていたら、その流れに乗って、「なんとなく『ぷよぷよ』ができて、ヒットした」と言っていました。

設立したコンパイル社は、70億円の売り上げをあげるほど急成長。その勢いを借りて、今度は千葉県の幕張に「ぷよぷよランド」というテーマパークを作ることを計画。結局、それがアダとなり、90億円の大赤字で会社は倒産し、自身も自己破産したのでした。

自己破産したあとは、警備員や介護の仕事をして糊口を凌ぎ、現在は家賃4万円の千葉のアパートで暮らしているそうです。

「今は年金生活ですが、たまに副収入があります。年金プラス5万から10万円くらい副収入あれば、生活ができるんです。あとは貯金を取り崩しながら……。でも、本業のゲーム開発で稼げるのが理想ですけどね。なかなかそうはいかないですね」
(上記記事より)


「たまの副収入」というのは、韓国のゲーム関係者からの「YouTube動画制作や、パッケージへのサインなどの販促活動の協力金」だそうです。

というのも、「大ヒットした『幻世酔虎伝』(1997年リリース)が、その後、韓国の学校で支給されるパソコンに標準でインストールされたことがきっかけで」、韓国では「日本ゲーム史の偉人として」仁井谷氏がとらえられているのだとか。そして、現在、韓国での自叙伝の出版計画が進められているのだそうです。

そういうこともあって、仁井谷氏は意気軒高なのでした。

「僕は過去を振り返らない、過去を振り返って、それを肴にお酒飲むとか、そういうタイプじゃないんです。常に何か新しいことをやってみたいし、人生に悲観することがないんです。任天堂さんあたりが僕に200億円預けてくれたら絶対にヒット作品を作れると思うんですけどね」  
(同上)


ここまでポジティブになれるのは本人の性格もあるかもしれませんが、人生なんて「どうで死ぬ身の一踊り」(西村賢太)なのです。残り少ない人生だからこそ、好きなように勝手に生きてみたいものだと思います。老後だからこそ、なりふり構わず生きてもいいのではないか。死ぬときはみっともなくてもいいのです。

年の瀬、仁井谷氏の記事を読んで、そんなことを考えました。                  
2023.12.27 Wed l 日常・その他 l top ▲
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(写真AC)



■「訪日外客数」


日本政府観光局(JNTO)が「訪日外客数」の2023年11月の推計値を発表していますが、コロナ禍前の2019年と比較すると以下のとおりです。

2019年11月の「訪日外客数」は2,441,274人で、2023年11月が2,440,800人です。2019年との比較では± 0。統計上はコロナ禍前に戻ったと言えるでしょう。

一方、「出国日本人数」は、2019年11月が1,642,333人、2023年11月が 1,027,100人で、-37.5%です。

日本人の出国数は、依然コロナ禍前より大幅に減少したままです。これはあきらかに、コロナというより円安の影響でしょう。

つまり、日本は観光客を迎えるだけで自国民は外国に旅行にも行けない、かつての発展途上国と同じようになりつつあるのです。そのうち外貨獲得の唯一の手段が観光ということにもなりかねないでしょう。

また、国・地域別の「訪日外客数」は、以下のとおりです。

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出展・日本政府観光局(JNTO)

これを見るとわかるように、韓国からの観光客が大きく伸びています。ほかには、シンガポール・インドネシア・ベトナム・インド、オーストラリア・アメリカ・カナダからの観光客が増えていることがわかります。

アジアからの観光客は、中国本土からの観光客が激減したこともあって、全体の57.7%とやや比率が下がっています。

■「激安のおいしい国」


私は、5年前の2018年に下記のような記事を書きました。

関連記事:
「安くておいしい国」日本

日本に来るのは日本が「安くておいしい国」だからですが、ここ1年のさらなる円安で、日本は「激安のおいしい国」になったのです。これでは、観光客を迎える日本人は益々貧しくなるばかりで、外国に旅行に行くなど夢物語であるのは当然でしょう。

実際に観光に関連する職業はどれも低賃金でハードなものが多く、深刻な人材不足の背景にあるものは運送業や介護職などと共通しています。

ヤフーだかに、日本を旅行するのを趣味にしている韓国人の若い女性が、交通や食事の便がいい東銀座のビジネスホテルを利用しているという記事が出ていました。東銀座が穴場だという記事だったのですが、そのホテルは朝食付きで一泊13000円だそうです。日本のビジネスホテルの相場から言えばやや高い部類に入りますが、しかし、それでも韓国の同程度のホテルより安いと言っていました。

私たちは自分たちの国が未だに世界トップクラスの豊かな国だと思っているのですが、でも、その根拠はなにもないのです。空疎に「ニッポン凄い!」を自演乙しているだけです。

前も書きましたが、一皿15000円の和牛を食べたタイ人観光客が「これは安いですよ」と言っているのを見て、ネットに巣食う単細胞な日本人は「ニッポン凄い!」と喜んでいるのですが、でも、自分たちはそんな和牛を口にすることはできないのです。せいぜいが破れたチリ紙のような切り落としの肉を食べるのが関の山です。

■年収156万円以下の世帯が705万世帯


生活保護は、世帯収入が月に13万円以下、つまり年収156万円以下であれば受給資格があるのですが、実際には窓口で小役人から難癖を付けられて門前払いされるのがオチです。それが「水際対策」と言われるものですが、そのために、共産党系の団体や創価学会や貧困問題を扱うNPO団体など、小役人の難癖を「論破」する専門家の同行が必須になっています。

昔より受給率は上がっていますが、それでも生活保護の受給率(いわゆる捕捉率)は23%にすぎません。受給資格があるのに生活保護を受けていない年収156万円以下の世帯は、705万世帯もあると言われているのです(日本共産党調べ)。

■先進国から転落した日本


テレビではインバウンド客たちの飽満ぶりが連日報じられていますが、そういった千客万来の光景の裏では益々貧しくなる一方の(実質的に先進国から転落した)日本の姿があるのです。

ついこの前まで、(中国人の爆買いを除いて)外国人観光客はお金を使わない、ケチだと言われていました。私が別府に帰省した際も、当時から別府は韓国からの観光客が多かったのですが、タクシーの運転手は「韓国からの観光客はタクシーに乗らないで歩いて移動するのでお金になりませんよ」と嘆いていました。それが、今から5~6年前の話です。

ところが、今ではドライバー不足も手伝い、別府でもタクシー不足が深刻になっているのだそうです。そのために、苦肉の策として、市が観光客向けに夜間の無料バスを走らせているのだとか。このように僅か5~6年で様変わりしているのです。その背景にあるのは、単にドライバー不足だけではなく、今までタクシーを利用しなかった観光客が積極的にタクシーを利用するようになったからです。需要が増加したからです。

韓国は今では平均年収も日本の上を行くほど豊かな国になりましたが、ほかのアジアの国も底上げされ、いわゆる中間層が形成されるようになりました。そんな彼らが一皿15000円の和牛を「安いですね」などと言っているのです。

一方で、日本はどんどん没落しています。生活保護の基準以下の収入しかない世帯が増えるばかりで、そのため福祉事務所の職員たちは、仁王像のようになって窓口につめかける貧困者たちを追い払うのに必死です。憲法25条なんてどこ吹く風のようなあり様です。

また、妬みと僻みは日本のムラ社会の宿痾みたいなものですが、まるで「水際作戦」と軌を一にするように、多くの国民は、生活保護を受給するのは甘えだ、怠け者だと決めつけ、彼らをバッシングするのに余念がありません。もちろん、それは天に唾する行為とも言えますが、そうやって没落する国の現実から目を反らすことが「愛国」のように思っているのです。
2023.12.25 Mon l 社会・メディア l top ▲
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(2023年12月)



■花粉症の薬の処方


また、私事から書きますが、昨日、さっそく花粉症の薬を処方して貰うために、かかりつけの病院に行きました。ドクターに花粉症の症状が出始めたと言ったら、びっくりしていました。

「やっぱり、この異常な気候が影響しているのかもしれませんね。今年は11月まで夏日が続き、秋がほとんどなかったですからね」と言っていました。私が山に行くのを知っているので、「熊も里に下りて来たりして大変みたいですが、気を付けてくださいよ」と言われました。

「この前も途中の集落の人と話をしたんですが、今年はブナやミズナラが不作どころか凶作と言ってもいいような状況だそうで、熊も餌がなくて生きるのに必死なんだと思いますよ。野生動物の間でも餌の争奪戦が激しくなっているようです。争いからはじき出された熊が里に下りて、鉢合わせした人間に過剰に反応するのも、争いの影響があるのではないかと言われているそうです」
「なるほどね。餓えると人間でも本能がむき出しになりますからね」
「人食い熊のように言われ、問答無用のように射殺されるのは可哀想ですよ。僅か1万2千頭しかいないのに、個体が増えたのが原因だなどと言って、補助金を出して”駆除”しているのです。そもそも”駆除”という役所用語自体がおかしい。人間の傲慢を表している言葉だと思いますね」

薬局でも、「花粉症の症状がもう出ているのですか?」と訊かれました。「去年は2月に一度処方されただけですのでびっくりしました」と言われました。

「花粉症の患者さんはまだ少ないですか?」
「たまにいらっしゃいますけど、皆さん、インフルエンザか花粉症かわからないと言うのです」
「でも、インフルは熱が出るけど花粉症は熱が出ない。その違いははっきりしていますけどね」
「そうなんですけどね。何だかわかってないみたいです」と言っていました。

前も書きましたが、かかりつけの病院は現金一択なので、ATMで5千円を下ろして行きました。会計をする際、「今日は390円です」と言われたので、一瞬聞き間違いかと思ったほどです。その一週間前は、インフルエンザの予防接種も受けたので、支払いは5千円以上ありました。処方箋を出して貰うだけだとそんなに安いんだと思いました。無駄話をして何だかドクターに申し訳ないような気持になりました。

■左派リベラルの瞬間芸


このブログを読んでいただけるとわかるかと思いますが、私は、いわゆる左派リベラルの言説に対して、ずっと違和感と反発を抱いてきました。

そのもっともわかりやすい例がYouTubeです。YouTubeにはリベラル系のチャンネルがここ2年くらいでいくつか登場しましたが、出演するゲストの多くはテレビの吉本芸人と同じようにおなじみの顔ぶれで、言うなれば使いまわしです。そんなに人材がいないのかと思ってしまいます。

今回の裏金問題についても、彼らはただ政治家の悪口を言って留飲を下げているだけです。告発があったとは言え、東京地検特捜部がここに来てどうして捜査に乗り出したのか。もちろん、「検察の正義」というような、そんな単純な話ではないでしょう。検察も権力の一部なのですから(というか、検察は権力の守り神なのですから)、政治家絡みの事件の場合、彼らがやっていることを額面通りに受け取ることができないのは常識中の常識のはずです。

財務省は、自分たちの意に従わない人物や勢力に対して、国税を使って税務調査を行い脱税などの罪で意趣返しするのが常ですが、その末端で使い走りしているのが検察です。そこに伏在するのは、この国を牛耳る官僚たちの「国家は俺たちが動かしているんだ」という自負です。そのために、ときに政治と官僚が対立することもあるのです。

ただ政治家の悪口を言って留飲を下げるだけでなく、そういった”裏読み”も必要なのです。でないと、「検察の正義」で終わるだけでしょう。

YouTubeのリベラル系チャンネルで語られていることは、検察バンザイか、検察は手ぬるいという話ばかりで、権力内部の暗闘=権力闘争という視点は提示されないのでした。

かつてのロッキード事件のとき、私はまだ子どもでしたが、それがアメリカの東部エスタブリッシュメント(=ダクラス・グラマン)と西部の新興の「オレンジ資本」(=ロッキード)の対立が反映されたものだという見方があることをあとで知り、文字通り目から鱗が落ちる気がしました。その見方を示したのは、日本共産党を離党して評論活動を始めていた故・山川暁夫氏でした。

謀略論と違って、ものごとには”裏読み”が必要な場合があるでしょう。”裏読み”しなければ、ものごとの本質に行き着かない場合もあるのです。

左派リベラルはもやは状況を剔抉する視点を持ってないのです。目の前に上がって来る現実を見て、怒ったり喝さいをあげたりするだけです。そういう瞬間芸を演じるだけの存在になっているのです。

YouTubeにはお追従コメントが付きものです。どんなYouTubeでも必ずお追従コメントが付くのです。信者たちのお追従コメントを真に受けると、「これでいいんだ」と天才バカモンのパパのような気持になり、大いなる勘違いをすることになるでしょう。ネットは克己がない夜郎自大の世界だと言われますが、YouTubeも例外ではないのです。

■〈中道〉に逃避した政治


裏金問題にしても、検察がここまで赤裸々に権力闘争に介入するのは、それだけ権力に余裕があるからでしょう。(心の中で)「検察バンザイ」を叫びながら、この不正を政権交代に結び付けなければならない、なんてよく言えるなと思います。

左派リベラルは完全に当事者能力を失っているのです。何故、当事者能力を失ったかと言えば、〈ラジカリズム〉を放棄したからです。(前も書きましたが)シャンタル・ムフが言う「闘技的アゴニスティック」な政治を回避して〈中道〉に逃避したからです。

(略)政治の対抗モデルと右-左の対立を時代遅れであると主張し、中道右派と中道左派の「中道での合意」を歓迎することで、いわゆる「ラジカルな中道」は専門家支配テクノクラシーによる政治形態を進めることになった。この考え方によれば、政治とは党派的対立ではなく、公共の事柄を中立的にマネジメントすることとされたのだ。
(シャンタル・ムフ『左派ポピュリズム』・明石書店)


松下政経塾で学ぶ「政治」は、どう公共の事柄をマネジメントするかなのです。それが、「政治」とされたのです。旧民主党政権が消費増税を主張して政権が崩壊したにもかかわらず、今なお立憲民主党などが頑迷にそれを主張し続けるのは、松下政経塾で学んだ「政治」を墨守し、”ザイム真理教”とヤユされるくらい、増税を前提とした財政再建論や国家論を財務官僚と共有しているからです。こんなのが野党であるわけがないのです。

まして、ノブタ待望論なんて気が狂っているとしか思えません。しかも、彼は現在、立憲民主党の最高顧問に鎮座ましましているのでした。25年以上船橋の街頭で演説をしてきたとか、37年間駅前で早朝のビラ配りを続けてきたとか、そんなものが政治家としての彼の評価と何の関係があるというのでしょうか。村会議員じゃないのです。とどのつまり、彼の「政治」は、そんな日本の古い政治風土を体現したものにすぎないのです。選挙の際、有権者の前で土下座して支持を訴えるような、そんな世界の政治家にすぎないのです。当時の故安倍晋三自民党総裁との党首討論で見せたピエロぶりが、すべてを物語っているでしょう。

シャンタル・ムフは、デモクラシーの根源化(ラディカル・デモクラシー)による闘技的な政治を復活するためには、〈中道〉化した左派リベラルが忌避してきた議会外の街頭闘争の政治的効果インパクトを再評価することが大事だと言います。

誰も言わないけど、今の裏金問題も、たとえそれが権力闘争であっても、山上徹也のテロが遠因になっているのはたしかでしょう。そのインパクトは、ことの良し悪しを越えて否定することができないのです。

 リベラルな論者たちが装ってきたものとは異なり、国家は中立的な領野ではない。それはつねにヘゲモニーによって構造化されており、対抗ヘゲモニー的な闘争にとって重要な足場を構成している。しかし、国家は介入のための唯一の足場というわけではない。政党と運動を対立させたり、議会内と議会外の闘争を対立させることは拒否されなければならない。民主主義の闘技モデルにしたがえば、民主主義の根源化のために介入すべき多様な闘技的公共空間が存在する。議会という伝統的な政治空間は、政策的決定が行われる唯一の空間ではないということだ。代表制は重要な役割を保持もしくは回復すべきではあるが、民主的な新しい形態には、民主主義の根源化が必要となる。
(同上)

2023.12.23 Sat l 社会・メディア l top ▲
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(2023年12月)



■花粉症の到来


こんな私事を書いても興味ないでしょうが、ただ、このブログは私にとっては備忘録のような側面もありますので、何卒ご容赦ください。

年の瀬も押し迫ってきましたが、年内にやらなければならないことがあまりに多くて、スマホのアプリの「ToDo」にそれらをリストアップしたら、よけい憂鬱になってしまいました。

私は花粉症がひどいのですが、しかし、コロナ禍の3年間は不思議と症状が出ませんでした。通常だと1月から4月頃まで、月に一度病院で花粉症の薬(アレルギーを抑える錠剤と点鼻薬と目薬)を処方して貰っていたのですが、この3年間はいづれも一度処方して貰っただけで済みました。

ところが、今年は先週から既に花粉症の症状が出始めたのでした。急に寒気がして身体がだるくなり、クシャミと鼻づまりが始まりました。あきらかに花粉症が発症しはじめた兆候です。

こんなことは初めてです。あわてて薬箱の中を探したら、飲み薬が10日分くらい残っていました。また、点鼻薬も封を切ってないものが2本ありました。ただ、1本は使用期限が既に切れていましたので捨てざるを得ませんでしたが、残り1本の使用期限は来年の3月まででしたので、一日に1度鼻の中に噴射したら、鼻づまりはかなり改善されました。

飲み薬も一日に1度飲むだけですが、1回飲んだあと、薬を入れていた小さなポリ袋が見当たらなくなったのです。いくら探しても出てきません。狐につままれたような話ですが、デイバックに入れていたので、外出先で何かを出すときに落としてしまったのかもしれません。そうとしか思えないのです。

先週、かかりつけの病院を受診したばかりなのですが、これでは花粉症の薬を処方して貰うためにもう一度受診しなければなりません。

考えてみれば、かかりつけの病院にはもう20年近く通っています。この20年間で受付の女性や看護師さんも全員変わりました。最近も受付の一人を残して顔ぶれが一新されていました。ボーナスに不満があったのかなと思いました。

かかりつけの病院は、支払いにキャッシュレスができず、現金一択なのでそれが面倒でなりません。普段はほどんど現金を持ち歩かないので、病院に行くときだけATMで現金を下ろさなければならないからです。

■キャッシュレス社会


キャッシュレスとは恐ろしいもので、たとえば外出先で食事をしようと思っても、スマホ決済などのキャッシュレスの表示がなく現金一択だと、いつの間にかスルーするようになっている自分がいました。でも、そうやって属性と結びつけられた決済のデータがビッグデータとして売り買いされ、自分のあずかり知ぬところで自分のデータが独り歩きしているのです。わかっているけれど、現実に流されてそれほど切迫感はないのでした。

私がこのブログで宇多田ヒカルに絡めて、鈴木謙介氏の『ウェブ社会の思想ー〈偏在する私〉をどう生きるか』(NHKブックス)に触れたのが、2007年の9月でしたので、もう16年前の話です。

関連記事:
宇多田ヒカル賛

私は、ネットの時代を「ひとり歩きする個人情報によってとどめもなく増殖する自己イメージを抱えたまま立ちすくむしかないような時代」と書きましたが、立ちすくむどころか、今の自分はその中にどっぷり浸かっているのでした。まるで「増殖する自己イメージ」に自分が規定され承認を得ているような、そんな時代になっているのでした。コロナ禍でそれがいっきに進んだように思います。

■カミュのような作家はもう登場しない


もちろん、それはペストの時代にはなかったものです。しかも、今回は『ペスト』を書いたカミュのような作家は出ていないのでした。

桐野夏生は、リニューアルした『世界』(2024年1月号)の「いま小説を書くということ」という副題が付けられたインタビュー記事の中で、「大衆的検閲と切り取りが横行する中、作家が表現を自粛しないようにするためにはなにが必要でしょうか」と問われて、次のように語っていました。

桐野 まず作家の勇気と、出版社の勇気でしょう。読者はなにを言ってもいい。なにを言われても平気な顔していられるように、私たちが強くならなきゃいけないと思います。現実じゃなくてフィクション、表現物なのだから、その自由を守らないと。(略)


さらに続けて次のように言っていました。

桐野 (略)小説には悪に向かう力はないように思います。小説のように、言葉を使って表現するものは、善なるものだと思う。


私は、何と凡庸でつまらない言葉の羅列なのかと思いました。文学は、もはや世界を構想する言葉を持ってないのかもしれません。だから、コロナ禍においても、カミュのような作家が登場しなかったのでしょう。

『世界』では、ほかに批評家の大澤聡氏が、「意見が嫌われる時代の言論」と題する記事の中で、次のように書いていました。

 素人の喧嘩自慢をあつめた格闘技番組「ブレイキングダウン」が人気ですが、試合時間を一分間と極端に制限することで、ひょうとしたら素人がプロを負かすかもという面白さがある。あれとおなじで一四〇字なら一般ユーザーが思いつきで時事について専門家より魅力的な発言をする可能性は十分あります。詳述の余地がないからこそ。


つまり、140文字の「つぶやき」と称する断片的な言葉が大手を振ってまかり通るような時代において、カミュのような作家の登場を期待すること自体が間違っていたとも言えるのかもしれません。ひろゆきのようなピエロが、時代の寵児のようにもてはやされるのもむべなるかなと思いました。

前に大塚英志が、『ユリイカ』の「電子書籍特集」の中で、堀江貴文が「どうでもいい風景描写とか心理描写」をとっぱらって、尚且つ「要点を入れて」あるような小説がみずからの「小説の定義」として上げていたことを取り上げて、それは、文学における文体の否定であり、作者性の否定であると批判していたことを、このブログで紹介したことがありました。大塚英志は、まんがにおいても「ペンタッチの消滅」が主流になりつつあり、それは「自我の発露である『文体』の消滅」とパラレルな関係にあると書いていました。

関連記事:
インスタグラムの写真と個性の消滅

140文字の「つぶやき」は論理(対論)の否定であり、ひろゆきの「それってあなたの感想ですよね」という殺し文句も同じように論理(対論)の否定です。ペストと同じように100年に一度の感染症のパンデミックと言われた今回の新型コロナウイルスですが、しかし、私たちをとりまく文化(人文)のあり様はカミュが『ペスト』を書いた頃とは大きく違っているのです。

一方で、ただのユダヤ教徒のシオニストにすぎないことがわかり、その業績に味噌を付けた(というか、その薄っぺらな本質が露わになった)ユヴァル・ノア・ハラリですが、彼は、ガザ侵攻前のまだ自身に対する幻想が生きていた頃に、コロナ後の世界は全体主義的な監視政治体制が強化されるだろうと(自分のことを棚に上げて)警告していました。現実はその通りになっています。ロシアのウクライナ侵攻やイスラエルのガザ侵攻などもあり、これほど国家が大きくせり出した時代はかつてなかったのではないかと思えるほどです。

IT技術を駆使した新たな全体主義デモクラティック・ファシズムの時代が到来したと言ってもいいかもしれません。

■立憲民主党は獅子身中の虫


立憲民主党がどうして獅子身中の虫なのかと言えば、立憲民主党をつくった旧民主党系の人間たちには、松下政経塾出身者が多く、その国家観はきわめて保守的(右翼的)なものであるにもかかわらず、それが労働戦線の右翼的再編で誕生した連合と結びついて野党を装っているからです。そこに今の日本の不幸があるのです。それは今までも何度も言ってきました。

消費税増税の路線を作ったのは旧民主党の野田政権です。だから、今回の消費税減税の論議でも、野党第一党の立憲民主党は反対しています。それでは野党共闘なんてあり得ないでしょう。立憲民主党は第二自民党にすぎないのです。でも、誰もそう言わない不思議を考えないわけにはいきません。ちなみに、従来の児童手当ではなく、所得制限のない「産めよ増やせよ」の子ども手当(のちに名称を児童手当に戻した)を創設したのも旧民主党政権です。それが現在、子育て支援と称して増税の口実に使われているのでした。

今の安倍派と二階派の裏金問題に対して、野党第一党の立憲民主党の動きが鈍いのは、彼らがその国家観を自民党と共有しているからです。問題は、東京地検特捜部やメディアが言うように、収支報告書に記載したかどうかではないのです。政治資金に税金が投入されいるにもかかわらず、なおかつ、みずからが作ったザル法の政治資金規正法を利用して裏金を作っていたという、国家を食い物にする構造そのものが問題なのです。

■「凡庸な悪」と世論


政治資金規正法では、個人の寄付の場合5万円以下だと寄付した人間の氏名や住所などを収支報告書に記載する必要がありません。また、パーティ券を買った個人や法人でも、20万円以下だと同じように記載しなくていいのです。

今回の裏金問題でも、パーティ券を買った企業の名前が一切出て来ないのもそのためです。20万円つづ別々の人間が買ったようにすれば、ブラックボックスの中に隠れることができるのです。

私たちは使ったお金を経費で落とそうと思えば、10円でも100円でも領収書が必要です。領収書がなければ経費として認められません。パーティ券を売れば、その売り上げに対して当然所得税がかかるでしょう。

でも、政治家たちはこのようにザルなのです。もちろん、政治資金であれば非課税です。所得税も譲渡税もいっさいかからないのです。政治家たちは、税法の法体系の埒外に存在する、文字通り治外法権に置かれた特権階級なのです。政治には金がかかると言って、そういった法律を政治家みずからがお手盛りで作ったからです(その先頭に立ったのが小沢一郎です)。

群馬県の桐生市で、生活保護受給者に対して、保護費を「一日に千円」「週に1万円」と分割で手渡しして、保護費を満額支給してなかったという問題が浮上しましたが(残りの保護費はどうしたのかという疑問が残りますが)、これなども前時代的な官尊民卑を象徴する話と言えるでしょう。メディアは「不適切な支給」と書いていましたが、「不適切」どころではなく、人権をまったく無視した非道な行為だと言ってもいいくらいです。

桐生市の福祉事務所のケースワーカーたちは、一方で自治労の組合員でもあるのでしょうが、まるでビックモーターの創業者父子のようです。そうやって弱い立場にある市民の生殺与奪の権利を握って優越感に浸っていたのでしょうか。そこにあるのは、ハンナ・アーレントが言うアイヒマンと同じ「凡庸な悪」です。その現代版と言っても言い過ぎではないのです。ナチズムのエートスは、21世紀の今日も私たちの日常に生き続けているのです。

小役人たちには以前さまざまなカラ手当の問題が浮上したことがありましたが、自分たちが税金を懐に入れるときは泥棒みたいなことをしてくせに、市民に支給するときはこのように「ごうつくババア」のようになるのでした。

桐生市ではこの10年間で生活保護の受給者が半減したそうです。朝日新聞は、「際立つ取り下げ」と書いていましたが、そうやって嫌がらせをすることで受給を取り下げるように仕向けていたフシさえあるのでした。何だかおぞましささえ覚えざるを得ません。でも、公務員にはそもそも瑕疵という概念が存在しないので、彼らは誰ひとり責任を問われることはないのです。

「一日千円」「週に1万円」で奴隷にように小役人にへいつくばることを強要される市民と、非課税をいいことに億単位の金を裏金としてため込んでいた政治家たち。この同じ国家の住人とは思えないような違いは何なのでしょうか。まるで中世の世界の風景のようです。

しかし、忘れてはならないのは、こういった国家を食い物にする構造デタラメを支えているのは国民だということです。生活保護受給者に対してどうして小役人が居丈高な態度を取るのかと言えば、生活保護受給者を貶める世論があるからです。申告漏れの人間に対する誹謗中傷や人格攻撃も同じです。「善良な」市民なんていないのですが、「善良」ズラした彼らは、そうやって国家を食い物にする公務員や政治家たちからいいように踊らされ、“ホントの悪”から目を反らす役割を担っているのでした。

まさに愚民としかいいようがありませんが、でも彼らは街頭インタビューで、「政治家に不信感を持たざるを得ませんね」「税金を払うのがアホらしくなりますよ」などと、いけしゃあしゃあと言ってのけるのでした。でも、社畜とはよく言ったもので、源泉徴収されるみずからに一片の疑問を持つことはないのです。ホントは、子育て家庭としてもっとお金を支給してほしい、そうすれば住宅ローンが楽になるとか、家族旅行に行けるとか、子育て支援に舌なめずりするだけのそんな目先の欲しか眼中にないのです。

埴谷雄高や五木寛之は意識して子どもを持たなかったのですが、無定見に子どもを作ることと意識して子どもを作らないことは、後者の方がはるかに思想の深度は大きいと言えるでしょう。でも、将来の納税者を増やすという国家の論理で言えば、前者の方が従順で使い道があるのです。「社会の主人公」と言っても、ただそれだけのことです。まるで種付け馬のように扱われているだけなのです。
2023.12.21 Thu l 日常・その他 l top ▲
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(イラストAC)



■警備員の薄給


都外の海の見える介護施設で警備員のアルバイトをしている70歳の知人に会って、話を聞きました。

彼は、月に12日のペースで勤務をしていると言っていました。ただ、平日は夕方5時から朝の9時までの夜勤ですが、土日や祝日は朝9時から翌日の朝9時までの(警備業界で「当務」と呼ばれる)24時間勤務になるそうです。12日の勤務のうち3日~4日が24時間勤務で、日当も平日の夜勤の倍だそうなので、24時間勤務を2日分と考えれば、15日~16日分の勤務になるのです。平日の夜勤が1万円、「当務」が2万円で、月の収入は額面で15~16万円。今は非正規雇用でも一定の条件を満たせば社会保険の加入が義務付けられていますので、そこから所得税と健康保険料を引かれると(70歳を越えているので年金保険料はない)、手取りは14万円前後だと言っていました。

考えてみれば、夜勤を実質的に15日~16日しているわけですから、ほぼフルタイムで働ていると言っていいでしょう。帰ってから拘束時間を計算したら、月に192時間~206時間くらいです。それで、この給与なのですから、警備員が如何に薄給であるかがわかろうというものです。

彼が働いている施設は一人勤務で、三人でローテーションを組んでいるそうですが、ただ、その中の一人は二つの施設を掛け持ちしているのだとか。

三人の中で彼がいちばん年下で、あとの二人は80歳近くの後期高齢者だそうですが、でも、彼がいちばん勤務日数が少なくて、会社からももう少し増やせないかと言われているのだとか。あとの二人は、「当務」を2日分と考えれば月に17日~18日分働いているそうです。

「低年金だからじゃないかな」と言っていました。知人も、ずっとフリーで仕事をしていましたので年金は多くないのですが、それでも年金と合算すれば、今の給与で「充分」と言っていました。

あとの二人はいづれも独り者だそうなので、一人分の年金だと生活するのが困難を極めるという、年金生活の現実を映し出しているような気がしないでもありません。

■警備業界は最後の拠り所


二人のように月に17日~18日分も勤務すると、ほかの警備員との兼ね合い(ローテーション)もあるので、夜勤明けにも勤務する「連チャン」をしなければならないのだそうです。つまり、夜勤から帰った日に、夕方から再び夜勤に入るという勤務です。文字通り、老体に鞭打って働いている姿が目に浮かびました。

彼は、あまり仕事を入れると自分の時間がなくなるからと言っていました。いくら生活のためとは言え、残りの人生を、夜勤から帰って寝て、そして起きたらまた仕事に向かうというような生活の繰り返しで終えるのは、あまりに空しく切ないと言ってましたが、そのとおりでしょう。

彼らの仕事は、同じ警備員でも「施設警備」と呼ばれ、室内でモニターなどを監視するのが主な仕事なので、警備員の中でも比較的恵まれた仕事とは言えます。でも、人手不足は深刻で、辞めた人間の補充もきかないので、事務の社員なども総出で現場に出ている状態なのだそうです。

下記は、2021年のコロナ禍に書かれた朝日新聞特別取材班の記事に掲載されていた「2020年4月以降の有効求人倍率」の表ですが、これを見てもわかるとおり、コロナ禍においても「警備員を含む『保安の職業』」の求人は、慢性的な人手不足にあったことがわかります。

東洋経済ONLINE
70代の高齢警備員「老後レス社会」の過酷な現実

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有効求人倍率というのは、ひらたく言えば、一人の求職者に対して何件の求人があるかという話なので、この倍率を見てもわかるとおり、警備業界は異常な人手不足の状態にあるのです。だったら、警備員の給与が上がってもおかしくないのですが、給与はほとんど上がっていません。

もちろん、警備業界に人が集まらないのは、労働条件が劣悪だからです。それは、今問題になっているドライバー不足の上を行くような劣悪さですが、一部の大手を除いて、業界にはそれを改めようという姿勢は見られません。何故なら、(特に高齢者が働いているような零細な)警備会社は利益率が著しく低く、経営体力が弱いからです。

ただ、警備業界が構造的に抱える人手不足のおかげで、高齢者たちが仕事にありつけるので、彼らにとっては「好都合」とも言えるのです。要するに、決して生産的はないけれど、警備会社と高齢者の間で持ちつ持たれつの関係ができているのです。

高齢者といえども辞められたら困るので、多少のミスをしても会社は目を瞑ると言っていました。中には契約先から、あまりにヨタヨタなので警備員を変えて貰いたいと言われても”クビ”にすることはなく、別のうるさくない契約先にまわすだけだそうです。

会社にとっては「いないよりまし」なのです。多少の物忘れがあっても認知が進んでいなければオッケー。少しくらい足を引きずっていても歩ければオッケー。入院しても、退院して働けるようだと職場復帰は歓迎だそうです。つまり、警備業界は、風俗業界と同じで、行き場のない人間たちの最後の拠り所のようになっているのです。

もちろん、外国人労働者が警備業に就くことも、条件をクリアすれは可能です。しかし、タクシーや介護ほども雇用は進んでいません。いくらヨタヨタの高齢者でも外国人よりは「まし」なのです。それが警備が(難しくはないけど)特殊でデリケートな仕事であるからです。

■介護施設も「老人天国」


もっとも、知人は、「老人天国」であるのは介護施設も同じだと言っていました。介護職員は若い人が多いものの、介護以外の仕事は老人ばかりだそうです。

ディサービスの送迎車の運転手然り、入所者の衣類などを洗濯する家事の人も然り、入所者の食事を介助する人も然り、それから警備と同じように下請け業者に委託されている清掃や厨房で働いている人たちも然りです。介護施設は高齢者の職場でもあるのです。しかも、彼らはおしなべて非正規職員(社員)で、彼らの賃金は各都道府県が定めた最低賃金と相場が決まっています。

そんな彼らでさえ、介護職の若い人たちは可哀想だと口を揃えて言っているのだとか。それくらい介護職は恵まれない、ワリに合わない仕事なのです。

厚生労働省は、人材の確保のために、2024年2月から介護職員1人あたり月6千円の賃上げを実施する方針だそうですが、私のような部外者から見ても、ひと桁違うだろうと思いました。

一方で、政府がすすめる子育て支援(異次元の少子化対策)には総額で3.6兆円が必要で、そのために「社会保険料に上乗せした支援金制度」が創設されるそうです。国民全員が子育て家庭のために応分の負担をしろというわけですが、その陰では、このようにワリに合わない仕事で疲弊し、将来の人生設計も描けない介護職員や、自業自得と言われ、自己責任を強いられた「死ぬまで現役」の老後を送っている高齢者たちがいるのです。

■理不尽でむごい世の中


ホントに理不尽でむごい世の中になったものだと思いますが、何より糾弾されなければならないのは、歌を忘れたカナリアの左派リベラルが保守的な国家論に基づいた(将来の納税者を確保するための)「産めよ増やせよ」に同調していることです。

子育て支援と言うなら、今のような総花的なバラマキではなく、貧困対策の中で考えるべきだと思いますが(貧困家庭に対する手厚い支援を行うためにもそうすべきですが)、彼らには上か下かの視点がまったく欠落しているのです。左派リベラルには、今の世の中が理不尽でむごいという認識さえないのではないかと思います。

もちろん、そんな理不尽でむごい世の中を支えているのは、社会の主人公の国民たちです。国民の中にも、余命が短い高齢者に税金を使うのは税金の無駄遣いとでも言いたげな、所詮は他人事のような考えがありますが、でも、「死ぬまで現役」の高齢警備員たちは間違いなく明日の自分の姿なのです。それがまったくわかってないのです。
2023.12.17 Sun l 日常・その他 l top ▲
ダイソー



■「ダイソー」の買収


Yahoo!ニュースにも転載されていましたが、朝鮮日報の報道によれば、100円ショップの「ダイソー」を運営する大創産業の全株式を韓国で「ダイソー」を運営する牙城ダイソーが約5000億ウォン(約550億円)で取得し、「ダイソー」が完全に韓国資本の会社になったそうです。

朝鮮日報日本語版
韓国ダイソー、日本・大創産業の全持ち株を取得

記事にもあるように、もともとは韓国で100円ショップを運営していた牙城ダイソー(当時は別名)に、日本の大創産業が2001年に4億円を投資して株を取得、社名を牙城ダイソーと改めたのが両社の提携の始まりだったのですが、いつの間にか立場が逆転してしまったのです。

日本の大創産業から経営参加と配当金増額の要求があったため、じゃあということで全株式を取得することにした(つまり、実質的に買収した)そうです。

急激な円安により100円ショップの経営が圧迫されているのは想像に難くありません。100円ショップのような業態は円高だから成り立つビジネスモデルなのです。

大創産業の創業の地が広島なので、ネトウヨはまたぞろ大創産業を”在日認定”するのかもしれませんが、そんな稚児じみたワンパターンの妄想で現実から目を反らすのではなく、これも落ちぶれていく日本を象徴するニュースと捉えるべきなのです。

2001年に投資した会社から2023年に逆に買収されたという、この20年の時間は文字通り日本が先進国から転落していく過程でもあったのです。

かつて政治が二流でも経済が一流だから日本は大丈夫だ、と経団連のチンケな老害経営者たちが嘯いていましたが、今や政治も経済も完全に底がぬけてしまったのです。

■大谷は「ニッポン凄い!」の最後の砦


既に国民の平均年収も韓国にぬかれており、その現実を考えると今回の買収も別に意外な話ではありません。なお、OECDが発表した2022年度の平均年収(為替レート換算)は、韓国は20位で日本は21位です。

テレビも一時は100均は日本が世界に誇るコンテンツだとして、特集番組などを組んだりしていましたが、いつの間にか「ニッポン凄い!」ではなく「韓国凄い!」になっていたのです。もうその手の番組も姿を消すでしょう。

で、現在の「ニッポン凄い!」は何と言ってもドジャースに移籍した大谷でしょう。連日、大谷の話題ばかりでうんざりしますが、平均年収が21位の国にとって、大谷は世界に誇る唯一のコンテンツ=自慢なのかもしれません。もう誇るものはスポーツ選手しかいないのかと思ってしまいます。

■ブルーリボンは「売国」の印


日本は美しい国、「ニッポン凄い!」と言い、国民に「愛国」を強要する一方で、こそこそとザル法の網の目をかいぐぐって裏金作りに腐心していた政治家たち。彼らは日本人の魂を”反日カルト”に売り渡した”売国奴”であったにもかかわらず、「愛国」政治家としてネトウヨからヒーロー扱いされていたのでした。彼らの襟に付けられたブルーリボンのバッチは、「愛国」ではなく「売国」の印だったのですが、検察の怒りに触れたのもそれゆえだったのかもしれません。この国に愛国者なんていないのです。白亜の御殿に住む”極右の女神”に象徴されるように、「愛国」ビジネスがあるだけです。

政治家が犯罪者で”売国奴”だから検察が力を持ち、検察独裁ファッショになってしまうのです。その点では韓国と五十歩百歩なのです。今まで裏金の「う」の字も報道しなかったくせに、ここに来て「検察バンザイ」のオンパレードになっているメディアの姿勢もまた、多分に危ういものがあり、違和感を抱かざるえを得ません。もちろん、「検察バンザイ」に便乗するだけの”多弱”の野党も然りです。

■子育て支援の本末転倒


左右を問わず子育て支援が金科玉条の如く絶対視されていますが、逆に子育て世帯だけが年収が増えているという統計もあるそうです。豚の子どもではないのですから、奨励金を出すので「産めよ増やせよ」というような話ではないでしょう。少子化や未婚率の上昇は、文化の問題(人生に対する価値観の問題)なので、政治ではどうすることもできないのです。その一方で、大半の高齢者は年収100万円台で、文字通り爪に火を点すようにして老後の生活を送っているのです。生産しない年寄りは用なしなのかと思ってしまいますが、それでは杉田某の発想と同じでしょう。

先進国のふりして子育て支援などと言い出し、そのために貧国対策がなおざりにされ、社会保障費を削ったり増税(社会保険料の上乗せ)したりするのでは本末転倒もいいところです。この格差社会をどうするかということがもっとも大事で喫緊な問題のはずですが、与野党問わずそういった視点が今の政治には決定的に欠けているのです。

もはや日本は先進国ではない、中国に対抗する国力もない、ということを虚心坦懐に認識すべきでしょう。タイから来た観光客が1万5千円の牛肉に舌鼓を打ち、「これは安いですよ」とのたまっているのを見て、どう考えるかでしょう。「ニッポン凄い!」と誤魔化している場合ではないのです。

日本は「安い国」になる一方なので、これからも「ダイソー」買収のようなニュースが出て来るに違いありません。


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「安くておいしい国」日本
2023.12.15 Fri l 社会・メディア l top ▲
秩父2・1月1日
(2002年1月1日)



■登山あるある


前回笹尾根を歩いたのが4月でしたので、もう7ヶ月振りになりますが、昨日、西武秩父線の東吾野駅からユガテ、そして反対側の毛呂山町の鎌北湖まで歩きました。

途中のコースは違いますが、東吾野駅から鎌北湖は去年の6月にも歩いています。最近はまだ膝に対する不安もあるので、山に行くモチベーションがまったくあがらず、それこそやっと重い腰を上げて出かけたという感じでした。

でも、これも登山あるあるですが、一度行くと今度はどこに行こうかなと思ったりするのでした。

もちろん、登山と呼べるようなものではなく、文字通りのハイキングでしたが、しかし、7ヶ月振りの山歩きにしては帰ってから筋肉痛もなく、何より身体の疲れも自分でも意外なほどありませんでした。一応10キロ近く歩きましたし、スマホのアプリでは出かけてから帰るまで2万8千歩歩いていましたが、何だか仕事から帰ってきたのと同じくらいの疲労感で、帰ってから風呂の掃除をしたくらいです。

いちばん辛かったのは、前回も書きましたが、下山したあとの鎌北湖から東毛呂駅までの5キロ近くの道でした。ただ、あとで知ったのですが、鎌北湖には平日に限り午前に1便、午後に2便、村営の巡回バスが立ち寄り、東毛呂駅までバスで行けるようになったみたいです。

■行きと帰りの電車の不運


早朝4時に起きて、みずからを奮い立たせて(それこそ自分で自分のケツを叩いて)、ザックを背負って駅に向かいました。

始発の5時6分の電車に乗り、東急東横線・地下鉄副都心線で池袋まで行きました。始発は各駅停車でしたので、池袋駅に着いたのは6時過ぎで、池袋駅から西武鉄道の特急ラビューで飯能駅まで行き、飯能駅からは西武秩父線に乗り換えて東吾野駅で下車する予定です。

去年の6月も同じ行程だったのですが、西武池袋駅の券売機で特急券を購入しようとしたらクレジットカードが使えないのでした。でも、すっかりキャッシュレス社会の申し子のようになっている私の財布の中には、前日インフルエンザのワクチンを接種した際のお釣りの小銭しか入っていません。

私は、駅の案内所に行って、「特急券はクレジットカードは使えないのでしょうか?」と訊きました。どこの駅でも駅員は大概横柄と相場が決まっていますが(それが駅員に対する暴力事件が多発する背景なのですが、メディアは一切指摘しない)、案の定、ガキのような駅員が「そうですよ」とぶっきぼうに答えるだけです。まるで「それが何か?」とでも言いたげな口調でした。

「スイカは使えないのですか?」とさらに訊くと、「パスモのカードだけですね」とこちらの顔も見ないで手元の作業を続けながら答えるのでした。つまり、モバイルスイカ(パスモ)は使えず、プラスチックのカードしか使えないのです。

キャッシュレス社会を手放しで礼賛するわけではありませんが、スーパーや飲食店などのキャッシュレス化を考えると、何だか鉄道会社の殿様商売ぶりが垣間見える気がしました。もちろん、ネットのアプリだと当然キャッシュレスは可能です。

しかも、特急ラビューは信号機の点検があったとかで6分だか遅れて出発したのでした。しかし、飯能駅での秩父線の接続時間は6分しかなく、それも秩父線のホームは線路をはさんだ反対側にあるので、一度階段を上って反対側のホームに移動しなければならないのでした。

案の定、飯能駅ではダッシュして階段を上ったものの、秩父線のホームに降りた途端に無情にも電車のドアが閉まったのでした。次の電車は1時間後です。それこそ電車のドアを蹴飛ばしたような気持でした。

それで、仕方なく改札口を出て、このブログでも書いたことがありますが、北口の名郷行きのバス停の前に吉野家があるので、そこで朝食を食べて時間を潰そうと思い、北口に向かいました。すると、何ということでしょう、吉野家は改装中でシートがかぶせられ休業していたのでした。まさに踏んだり蹴ったりです。飯能駅には松屋もすき家もなく、吉野家しかないのでした。仕方なく、改札口の前の待合室のようになっているスペースで、コンビニのおにぎりを食べて時間を潰しました。

そのスペースの真向かいのシートに40がらみの女性がひとりで座っていたのですが、しばらくすると、そこに背広の上にステンカラーコートを羽織った同じくらいの年恰好の男性が「お待たせ」と言ってやってきたのでした。そして、女性がスーパーのレジ袋に入った弁当のようなものを渡していました。男性もさも嬉しそうにそれを受け取ると、二人でシートに並んで座わり、まわりに聞こえないような小さな声でおしゃべりをしていました。

私はおにぎりを頬ばりながら、ときどき上目使いで二人を見て、「チェッ、不倫の恋の出勤前の逢瀬かよ」と心の中で舌打ちしました。

電車とのタイミングが合わなかったのは、帰りも同じでした。当初は、八高線の東毛呂駅から八王子まで行って、八王子から横浜線で帰る予定にしていたのですが、鎌北湖から5キロの道を歩いて東毛呂駅にやっと着いて改札口を入ったら、反対側のホームに八王子行きの電車が停まっていたのです。しかし、反対側のホームに行くには階段を上って渡線橋(渡り廊下)を越えなければなりません。私の横を若者が走って渡線橋を渡り、下り階段を一段づつ飛ばしながら降りて行きました。私もフーフー言いながらやっとホームに降りた途端、まるでアカンベーをするかのように電車のドアが閉まったのでした。まったく朝の飯能駅の二の舞です。

しかも、次の電車はやはり1時間後しかありません。逆方向の電車を調べると30分後に来るみたいなので、再び渡線橋を戻り、反対方向の電車で越生駅まで行き、そこから東武東上線を乗り継いで、池袋・新宿・渋谷を通って副都心線・東横線で帰りました。

東毛呂駅で八高線の電車に乗ったのが午後2時40分でしたが、最寄り駅に着いたのが午後5時半でした。そもそも下山口の鎌北湖に下りたのが午後0時半なのです。何とそこから5時間かけて帰ってきたことになります。

■気ままなハイキング


今回のハイキングの目的は、途中の林道沿いにある天文岩を訪ねることでした。ユガテからエビガ坂に向かう登山道の途中から林道に30分くらい進むと天文岩がありました。前にも何度か来たことがありますが、いづれも車でしたので、今度は下から歩いて行ってみたいと思ったのでした。考えてみれば、天文岩を訪れたのは15年振りくらいです。

あの頃は山の上から暮れなずむ秩父の街を眺めるのが好きでした。2002年の元日に撮った写真がありますので、ついでに貼っておきます。夜中にもよく行きましたが、暗闇で天文観察のグループに遭遇したことがありました。また、山の中で仔猫を拾って帰ったこともありました。飼い方もわからないので近所の猫好きの家に聞きに行って事情を話したら、その家で引き取ってくれることになりました。

朝の重い気分はどこへやら、やはり山っていいなあとしみじみ思いました。途中、登山道を歩くだけでは面白くないので、ルートを外れ薄い踏み跡を辿って藪の中に分け入ったりしました。

今回は登山アプリではルート設定もせずに、歩いた軌跡だけを表示するようにしました。もちろん、道案内が豊富なので道迷いする心配はありませんが、何だか車と同じようにナビの案内で山を歩くのはつまらないと思ったのでした。ときどき寄り道をしながら自分のペースで気ままに歩くのは、なつかしい気持もありました。子どもの頃、そうやって裏山を歩いていた記憶があるからでした。

このコースは外国人のハイカーが多いのですが、昨日はひとりも会いませんでした。途中で会ったのは、挨拶もしない侏儒しゅじゅのような日本人の爺さんだけでした。


※拡大画像はサムネイルをクリックしてください。

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西武秩父線・東吾野駅

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東吾野駅はいつの間にか無人駅になってしました。

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駅の反対側は天覚山の登山口で、いわゆる「飯能アルプス」に至ることができます。

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いつもの吾野神社の階段

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登山道は社の裏から

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途中登山道を外れ「雨乞塚」に寄ってみた

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このあたりの山には雨乞いの岩や塚などが至るところにあります。昔は眺望のいい岩や塚(小さなピーク)などで雨乞いの儀式が行われたのでしょう。でも、今は植林で眺望が閉ざされています。

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高齢の猟師は熊より怖い。

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ユガテ

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天文岩

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鎌北湖の上にある集落





2023.12.14 Thu l l top ▲
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一昨日(9日)の土曜日、横浜の日本大通りから象の鼻パーク、山下公園を散歩しました。赤レンガ倉庫前の広場で恒例のアートリンクやクリスマスマーケットが開催されていたからなのか、いつになく人出が多く賑わっていました。

ただ、クリスマスマーケットが広場の大半をゲートで囲み、中に入るのに500円の入場料を取るようになっていたのにはびっくりしました。 

一応、新型コロナウイルスの教訓で、人混みを回避するためという理由があるようですが、でも、中はマーケットというくらいですからものの販売や飲食の提供の場なのです。にもかかわらず入場料を取るという発想には、えげつないという感想しか持ちえませんでした。もちろん、私は、買い物をする予定はないので、中には入りませんでした。

こうったところにも新型コロナウイルスに便乗した新手のビジネスが垣間見える気がします。こういった新手のビジネスは至るところで見られるのですが、一方で、パンデミックによって倒産したり廃業した(させられた)零細な業者がごまんといることも忘れてはならないのです。弱肉強食と言うべきなのか、いろんな業種で資本力のある企業の寡占化がいっきに進んでいる気がします。そして、パンデミックを生き延びた私たちの目の前に出現したのは、政治も経済も底がぬけたこの国のあられもない姿なのでした。

日本大通りの銀杏並木も終わりを迎えていましたが、その下をこんなに多くの人たちが散策しているのを見るのも初めてでした。カミュの『ペスト』では、ペストの終息が宣言され、ロックダウンから解放された人々が歓喜の声を上げながら街に繰り出すのですが、その場面を思い出しました。しかし、主人公のリウーは、これが終わりでないと呟くのでした。

さらに象の鼻パークに行くと、階段にはぎっしりと人々が腰を下ろしてお喋りしたり目の前の海を眺めたりしていました。

また、象の鼻パークから大さん橋の屋上の「くじらのせなか」に行くと、そこにも多くのカップルや家族連れがベンチに腰を下ろして、眼下に広がる暮れなずむ港の風景を眺めていました。

季節は違いますが、夏の夕方、漁村に行くと、ランニングシャツ姿の老人などが、堤防の上に腰をおろして世間話をしている光景を目にすることがありましたが、それを思い出しました。そういった思い出も若い頃のものなのでした。

大さん橋からは山下公園に行き、さらに伊勢佐木町まで歩いて有隣堂で本を買って帰りました。帰ったら歩数が1万5千歩を越えていました。

私の人生も黄昏で、最近はネガティブなことばかり考えていますが、でも、歩くことで、いくらか前向きになれるようなところがあります。前も書きましたが、家の中でものを考えるのと、歩きながらものを考えるのとでは全然違うのです。 


※拡大画像はサムネイルをクリックしてください。

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日本大通り

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象の鼻パーク

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くじらのせなか

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山下公園
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(写真AC)



■歯止めがかからない死者数


イスラエル軍はガザ北部から南部へと侵攻し、ガザの住民の死者がさらに急増、メディアは犠牲者の数に歯止めがかからない状態になっていると伝えています。

歯止めがかからないと言っても、犠牲になっているのは生身の人間なのです。命を奪われた人たちひとりひとりにはそれぞれの人生があったのです。天井のない牢獄で生まれても、当然ささやかな夢や希望があったに違いありません。それがイスラエル軍の爆撃で無念の死を迎えることになったのです。ガザの保健当局の発表では、この2ヶ月間で既に1万7000人以上が亡くなったということです。もはや彼らは個別の存在ではなく、「死者数」という数の上にしか存在しないのです。

イスラエル軍はハマスの壊滅をめざしていると言っていますが、この1万7000人の大半は民間人で、その半数近くは子どもだと言われています。文字通りの無辜の民なのです。でも、イスラエルのヨアフ・ガラント国防相が言うように、パレスチナ人は「人間の顔をした動物」であり、子どもも将来のテロリストなので、殺害するのに容赦ないのです。

これは誰が見ても、ジェノサイド以外のなにものでもなく、かつてホロコーストの犠牲になったユダヤ人たちが、今度はその”被害者の論理”を盾にして、パレスチナ人に対してジェノサイドを行っているのです。

でも、イスラエルは、勝てば官軍だと言わんばかりに攻撃の手をゆるめる気配はありません。日本のメディアの両論併記を地で行くような、日本人の「どっちもどっち論」だと勝てば官軍になるのかもしれません。しかし、それは、20世紀に人類が辿り着いたヒューマニズムという考えを、人類みずから否定することになるのです。今、私たちはその瀬戸際に立っているのだと言ってもいいでしょう。

■スーザン・サランドン


アカデミー主演女優賞を受賞したこともあるアメリカの女優・スーザン・サランドンが、反イスラエル発言で批判を浴び、映画を降板され、所属する事務所からも契約を解除されたというニュースがありました。

ディリースポーツ
スーザン・サランドン 反イスラエル発言で映画降板、事務所も契約解除

超大物女優 差別発言で大手事務所から契約解除「社員数人が非常に傷ついた」

実に驚くべき、そして、憂慮すべきニュースだと思いますが、日本国内の反応は、おおむね「ハリウッドはユダヤ系に支配されているので仕方ないよね」というような能天気なものです。

記事は次のように書いていました。

 スーザンは、ニューヨークで行われているイスラエル・ハマス紛争に反対する一連のデモに参加してきており、反ユダヤ主義的と捉えられている「川から海まで」というスローガンを唱えていたほか、最近のデモでは「現在、多くの人々がユダヤ人であることに恐れを抱いており、この国でムスリムがどう感じているのか分かり始めてきた」と話していた。

 またスーザンは、長年反ユダヤ主義者とレッテルを張られているピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズのX(旧ツイッター)への投稿をリツイートしていたことでも非難を浴びている。ウルグアイで開催されたイベントに関する同投稿には「このイベントを中止させようというイスラエルの圧力にも関わらず、ピンク・フロイドのロジャー・ウォーターズは(パレスチナのアイデンティティの象徴であるスカーフ)ケフィエをまとってウルグアイのステージに立ち、ガザ地区におけるイスラエルによる大虐殺を止めるよう訴えた」と綴られていた。

 スーザンは、過去にはジェーン・フォンダと共にイラク戦争反対デモに参加、また大統領選ではバーニー・サンダースを支持するなど、その左派の政治的活動でも知られている。


スーザン・サランドンの何が問題なんだと思いますが、アメリカではユダヤ人によって、かつての「赤狩り」を彷彿とするようなパージが既に始まっているのです。

あのガザの悲惨な光景を前にしても、ユダヤ人(ユダヤ教徒)たちは、パレスチナ人は当然の報いを受けているかのように言い、イスラエルを批判する人間を、民主主義を標榜する社会から(民主主義なんて関係ないと言わんばかりに)排除しようとしているのです。鬼畜のようなナチズムの犠牲になった彼らが、80年後、鬼畜のように牙をむき出にして、イスラエルを批判する人たちに襲いかかっているのです。

■誰も仕切れない世界


ユダヤ人(ユダヤ教徒)が信奉するシオニズムのようなカルト思想の前では、民主主義やヒューマニズムといった、「普遍的」あるいは「叡智」と言われるような概念が如何に脆いものであるかということを見せつけられた気がします。でも、ファシズムはこういった宗教の衣装をまとってやって来ることもあるのです。それに、今のイスラエルを見ればわかるように、ファシズムの犠牲者がファシストになることもあるのです。

スタンフォード大学をはじめアメリカの学生たちの間で、反イスラエル=親パレスチナの主張が広がっているそうですが、スーザン・サランドンが言うように、ナチスが簒奪したものとはまったく別の新たな「ユダヤ人問題」が生まれつつあるのはたしかでしょう。

もちろん、世界の多極化という背景があるからですが、このような「誰も仕切れない世界」の現状について、斎藤幸平は「ポリクライシス(複合危機)」という言葉を使って警告していました。まるで中世の「戦国時代」に戻ったかのような話ですが、だからイスラエルもどんなに暴虐の限りを尽くしても、勝てば官軍だと思っているのでしょう。

おかしいものをおかしいと言えない時代。それは、宗教も政治も関係ないし、制度の問題でもないのです。私たちにおかしいものをおかしいと言う勇気と想像力と、そして、真っ当な考えがあるかどうかなのです。それが問われているのだと思います。過去においては被害者であっても、だからと言って今の彼らが正しいとは限らないのです。この歴史のアイロニーを正面から受け止める必要があるのです。

問答無用とばかりに突きつけてくる”被害者の論理”にひるむことなく、イスラエルの勝てば官軍の企みを批判し続けなければならないのです。イスラエルやユダヤ人を語るとき、奥歯に物が挟まったような言い方をやめるべきなのです。

でないと、民主主義やヒューマニズムが、イスラエルやそれを支持するユダヤ人(ユダヤ教徒)に蹂躙されたままで終わることになるでしょう。新たな「ユダヤ人問題」とはそういうことだと思います。
2023.12.09 Sat l パレスチナ問題 l top ▲
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アジア記者クラブのXに次のような投稿がありました。



このように一部の左派の間で、周庭氏の事実上の亡命表明に対して、同氏がCIAのスパイであったかのような陰謀論が飛び交っているのでした。

私には「語るに落ちた」「贔屓の引き倒し」という言葉しか浮かびません。周庭氏がCIAのスパイなら、夫子は中国共産党の走狗じゃないかと言いたくなります。

私はへそ曲がりなので、米中対立に関しても、どっちかと言えば中国を擁護するようなことを書いていますが、しかし、この陰謀論は見逃すことはできません。

もちろん、香港の民主化運動にアメリカの思惑が絡んでいるのは事実かもしれません。香港の民主化運動を米中対立の文脈で語るような視点をまったく否定するものではありません。それに、彼女はまだ27歳の若い女性なので、「おそらく一生、香港に戻ることはない」という人生の大きな決断の裏に、彼女を庇護する人たちや組織があるのは当然でしょう。

しかし、自由を知っている香港の学生たちが”香港の中国化”に対して異議を申し立て、立ち上がったのはまぎれもない事実です。21世紀は大衆蜂起の時代だと言ったのは笠井潔ですが、大衆蜂起の政治的な意味合いを根底から否定するような陰謀論はまったく反動的だし、何より「一生逃亡者として追われる」と香港政府(=中国共産党)から脅しをかけられている周庭氏のことを考えると、鬼畜であるとさえ言えるでしょう。

ハマスとイスラエルの戦いではないですが、中国共産党に異議申し立てを行った香港の学生たちは、それこそ巨象に挑む蟻のようなものです。しかし、蟻の一穴ということわざもあるように、香港の学生たちの自由を求める声が、たとえば、習近平のゼロコロナ政策に抗議する市民の「白紙運動」や、デモで掲げられた「独裁反対」のスローガンなど、中国国内の異議申し立てに影響を与えていたのは否定しようのない事実でしょう。

アジア記者クラブは”市民派”ジャーナリストの集まりと言われていますが、しかし、Xの投稿を見ると、みずからが取材した事実に基づいたものではなく、大半が他のメディアの記事を恣意的に引用したものにすぎません。そもそも彼らは、ジャーナリストの仕事をしているのかと思ってしまいます。

何だかジャーナリストを僭称する(親中派の)活動家のような感じさえするのでした。アジア記者クラブではなく「中国記者クラブ」、あるいは「人民日報友の会」と看板をすげ変えた方がいいんじゃないかと言いたくなります。

戦史/紛争史研究家の山崎雅弘氏は、過去に「中国共産党の言い分を鵜吞みにした」アジア記者クラブの主張を次のように批判していました。


アジア記者クラブは、香港の雨傘運動だけでなく、天安門事件の学生たちも単なる「暴徒」にすぎないと言っています。彼らに言わせれば、民主化を要求するのはみんな「暴徒」でアメリカのスパイなのです。

やたら国旗の絵文字を多用した”おじさん構文”もそうですが、何だか左派のなれの果て、トンチンカンの極みのような気がしないでもないのです。中国共産党がなんぼのもんじゃいと啖呵を切りたくなりますが、ここにも左の全体主義が垣間見えているような気がしてなりません。


関連記事:
在香港团结一致
2023.12.06 Wed l 社会・メディア l top ▲
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■建長寺


昨日、午後からふと思いついて北鎌倉に行きました。 

横浜駅で東横線から横須賀線に乗り換えると、最寄り駅から乗り換えの時間も入れて40分くらいで行けます。

前に北鎌倉に行ったのはコロナ前なので数年ぶりです。ただ、平日の午後3時すぎだったからなのか、観光客は想像していたより少ない気がしました。

線路沿いを鎌倉駅方面に歩いて建長寺に行きました。建長寺の中も観光客はまばらでした。時節柄なのか、いつの間にか拝観料が500円に値上げされていました。なお、入口には「天園ハイキングコースを歩かれる方も拝観料をお支払い下さい」と注意書きがありました。

建長寺は、臨済宗建長寺派の本山の禅寺なので、背後の山の麓には修行僧が建てた「塔頭たっちゅう」と呼ばれる小寺が散在しています。

■葛西善蔵


このブログでも書きましたが、葛西善蔵は肺結核の療養のため、一時その小寺の庫裏くりを借りて住んでいました。当時の文士は、貧乏と女と肺病を経験しないといい小説が書けないと言われたのですが、葛西善蔵はその典型のような破滅型の私小説作家でした。

葛西善蔵が建長寺の裏にある「塔頭」の庫裏を借りたのは、関東大震災があった1923年(大正12年)ですから、働きもせずにブラブラして小説を書いているような人間は、文字通り世間からは”いいご身分”のように見えたことでしょう。しかし、本人たちは自分たちを“人非人”と自称していたのです。それで生れたのがわたくし小説です。でも、私小説の自己卑下はエリート意識の裏返しでもあります。中村光夫が「私小説演技説」を書いて、彼らを批判したのも一理あるのです。

森敦も放浪していた途中に、山形の山奥の古寺の天井裏を借りてひと冬を過ごし、その体験から名作の「月山」が生まれたのですが、昔はお寺が旅人を泊めたりしていたので、文学の”後援者”としてのお寺の存在も見過ごすことはできないのです。

私の高校時代の同級生で何故か僧侶になり、名刹と言ってもいいような有名なお寺の住職になっている男がいるのですが、ある日彼から別の同級生に、九州で住職のいない無住寺があるので、「〇〇(私の名前)は小説を書いているんだろ? だったらその寺に住んで小説を書けばいいんじゃないかと思ったんだけど、〇〇に話をしてくれないか」と、電話がかかってきたそうです。同級生は、「〇〇が小説を書いているという話は聞いたことがないな」と答えたのだそうで、私に電話してきてそう言ってました。

私が高校時代から本を読むのが好きだったのでそういう噂が流れているのかもしれませんが、小説を書くためにお寺を貸すという発想が今の時代も存在しているのかと思いました。

葛西善蔵本人と彼と(今風に言えば)不倫関係にあった茶店の娘「おせい」(浅見ハナ)の墓が、「塔頭」のひとつである回春院の境内にあるそうなので、お参りしたかったのですが、残念ながら回春院は立ち入り禁止になっていました。もっとも、葛西善蔵の生家は青森で、彼の墓もそちらにあるので、不倫相手と一緒に建長寺の小寺に墓があるというのはおかしな話ではあるのです。

「塔頭」の間には民家とおぼしき家屋もあり、車も止まっていました。天園ハイキングコースの入口にあたる半僧坊まで歩いて下に降りて来ると、ちょうど犬の散歩をしていた高齢の女性に遭遇しました。それで、「あの民家のような建物は何なんですか?」と訊いてみました。

「お寺の関係者もいるし、普通の方たちも住んでいますよ」
「そう言えばゴミの集積場もありましたね(笑)。中には自動販売機を置いた家もありましたが、昔はあのあたりに茶店があったのですか?」
「そうですよ」
「じゃあ葛西善蔵が借りていたのもあのあたり?」
「そうです。よくご存知ですね」
「で、食事を提供していた茶店の娘と不倫関係になったという茶店もあのあたり?」
「そうです、そうです。ホントによくご存知で」
何でもその女性は昔編集の仕事をしていたそうで、犬は退屈そうでしたが、それからひとしきり葛西善蔵の話で盛り上がったのでした。

■中国人観光客


建長寺を開山した大覚禅師(蘭渓道隆)は中国西蜀淅江省の出身だそうで、そのためもあるのか、境内ですれ違った観光客の大半は中国語を話していました。

建長寺のあとは鎌倉駅まで歩きました。途中の切通しのトンネルを過ぎた先にある洋菓子店の「歐林洞」がもぬけの殻になっていたのはびっくりしました。私も若い頃、鎌倉在住のガールフレンドと行ったことがありますが、ちょっと高級な喫茶店で、中にはコンサートができるスペースもありました。「パトロン」という洋菓子が有名だったのですが、新型コロナウイルスが蔓延しはじめた2020年の6月に閉店したみたいです。

雑草に覆われ看板の店名が剥がれた建物は、何だかハリケーンが通り過ぎたあとに放置された廃屋のような感じでしたが、そういった新型コロナウイルスの痕跡は至るところで見られるのです。百年に一度の災禍というのは決してオーバーではないのです。ペストと同じで、のちの時代になれば私たちは「生き証人」と呼ばれるのかもしれません。

小町通りは相変わらず人であふれていましたが、ただ都内と違って欧米系の観光客は少なくて、やはりすれ違うのは中国語を話す観光客ばかりでした。ただ、中国人観光客と言っても、前のような中高年の団体客は減り、個人旅行の若い観光客が多くなった気がします。筒井康隆が「農協月へ行く」で書いたように日本人もかつてはそうだったのですが(誰も中国人を笑えない)、中国社会も経済発展に伴い人々の生活意識やスタイルも、徐々に変わりつつあるのでしょう。

鎌倉駅からの上りの横須賀線は、通勤ラッシュ並みの大変な混みようでした。それで、たまらず途中の戸塚駅で下車しました。戸塚からは市営地下鉄で関内まで行き、関内から馬車道まで歩いて、馬車道からみなとみらい線で帰りました。


関連記事:
葛西善蔵
森敦「月山」


※拡大画像はサムネイルをクリックしてください。

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2023.12.05 Tue l 鎌倉 l top ▲
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■暴力のインパクト


私は、安倍晋三元総理の銃撃事件からひと月後、このブログで下記のような記事を書きました。

関連記事:
二発の銃弾が暴き出したもの

誰も認めたがりませんが、山上徹也の行為が私たちに示したのは暴力テロルのインパクトです。

山上の行為によって、旧統一教会の問題が白日の元に暴かれたのはまぎれもない事実です。安倍元総理が銃撃されなければ、彼が殺害されなければ、旧統一教会の問題がこれほど大きく取り上げられることはなかったのです。そして、安倍元首相銃撃から1年3か月後の10月13日、とうとう旧統一教会の解散請求にまで至ったのです。その流れを見ていると、文字通り圧力蓋が取れて中に封じ込められていた旧統一教会の問題が一気に噴き出した感じでした。

じゃあ、今までメディアは何をしていたのか、やはり、安倍元総理に忖度していたのではないかと言いたくなりますが、ジャニーズ問題でも示されたように、日本のメディアなんて所詮はその程度のものです。

■安倍派の裏金問題


さらに今度は、安倍派(清和会)の裏金の問題が浮上しているのでした。

自民党では、各派閥が政治資金パーティーを開いた際、「パーティー券のノルマを上回る分」が「寄付」として所属議員にキックバックされるのが”慣例”になっているそうです。

ところが、安倍派の議員たちの政治資金収支報告書にはその記載が見当たらないというのです。朝日新聞はそれを「安倍派の不自然な実態」と表現していました。

 (略)最大派閥である清和政策研究会(安倍派)側の報告書には、該当の支出が見当たらなかった。政治資金に詳しい神戸学院大の上脇博之教授は、金額がばらばらの議員側への寄付について「実質的にはノルマを超えるパー券を売った議員へのキックバックとみられるが、安倍派では記載がないのは不自然だ。帳簿外で処理し裏金にしている疑いがある」と話す。安倍派の事務局は1日、取材に「慎重に事実関係を確認し適切に対応する」と文書で回答した。

朝日新聞デジタル
派閥からのキックバック?安倍派記載なし 専門家「帳簿外で処理か」


安倍派は、歴代最長政権を築いた安倍晋三氏をはじめ、福田赳夫氏、森喜朗氏、小泉純一郎氏の4人の総理大臣を輩出した自民党の最大派閥です。

「その安倍派が組織的に裏金を作っていたとなれば、自民党政治の信頼が根本から揺らぎかねない。支持率の低迷にあえぐ岸田政権にとって、深刻な打撃となる事態だ」と朝日は書いていましたが、まさに国家を食い物にする構造の一端が垣間見えたと言っていいでしょう。

「愛国」を装いながら"反日カルト"に魂を売り渡していた安倍派の面目躍如といった感じです。そこに見えるのは、(何度もくり返しますが)「愛国」と「売国」が逆立した”戦後の背理”です。「愛国」者が実は「売国」者であるということです。そういった似非「愛国」者に随伴してきたネトウヨや右派コメンテーターやフジサンケイグループなどの右派メディアも同じです。

言うまでもなく、各政党には、みずからが作った政党助成法に基づいて、税金が原資の政党交付金が支給されています。

政党交付金の総額は、国勢調査で確定した人口に250円を乗じた額を基準として国の予算で決まるそうです。たとえば、令和2年の国勢調査で算出すると約315億円になるそうです。それを所属する国会議員の数と、前回の衆議院議員総選挙、前回と前々回の参議院議員通常選挙の際の得票総数によって、各政党に分配されるのです。

にもかかわらず、各政党は政治資金パーティーを開催し、パーティー券を売って余った分を議員にキックバックしていたのです。

税金を取るときは高利貸しの取り立てのように厳しく、逆に生活保護などセーフティーネットを利用しようとすると、小役人たちは鬼畜のように非情になるのですが、その一方で、政治家たちにはザルのように税金の大盤振る舞いが行われているのです。特に安倍政権下では、社会保障費の抑制を御旗に、生活保護費の大幅な減額が行われたのでした。

小役人たちの天下りも含めて、この国家を食い物にする構造はまさに「私物国家」と呼ぶにふさわしいお手盛りぶりですが、しかし、誰が何と言おうといささかも揺らぐことはないのです。何故なら法律を作るのが政治家であり、それを運用するのが役人たちだからです。

■正鵠を射た三浦瑠璃の投稿


もっとも、今回の裏金問題をそういった(メディアが報じるような)視点で見るだけでは、単なるガス抜きで終わるだけでしょう。残念なことですが、それでは皮相な見方と言わざるを得ません。

今回の裏金問題を最初に報道したのは赤旗の日曜版で、さらに神戸学院大の上脇博之教授が東京地検に告発して問題が浮上したのですが、東京地検特捜部が動いたのは別に背景があったと見るのが常識でしょう。東京地検特捜部はそんなヤワでバカ正直で公正な組織でないことは、これまた常識中の常識です。

かの三浦瑠璃氏は、この裏金問題について、X(旧ツイッター)で「政界スキャンダルが出てきても自民党内の権力闘争にしか見えない」と投稿していましたが、正鵠を射ていると思いました。

つまり、安倍一強の蓋が取れたことにより、清和会も党内の権力闘争の標的になったということです。

東京地検特捜部がどこまで踏み込んで捜査するのかわかりませんが、検察もまた安倍氏が亡くなったことで忖度する必要がなくなったのです。もちろん、安倍晋三氏が生きていたら、メディアもここまで大々的に報道することはなかったし、東京地検特捜部も動くことはなかったでしょう。

今回のスキャンダルは、権力内部の暗闘、足の引っ張り合いです。山上徹也が放った二発の銃弾は、旧統一教会の解散請求だけでなく、その旧統一教会と親密な関係を築いていた清和会のスキャンダルまで呼び起こすことになったのです。安倍一強時代には考えられないことが起きているのです。

そう考えると、誰も認めたがらないけれど、暴力テロルの持つインパクトを今更ながらに考えないわけにはいかないのでした。
2023.12.02 Sat l 旧統一教会 l top ▲
Yahoo!ニュース



■有識者会議のとりまとめ


ネット上の誹謗中傷の対策を検討してきた総務省の有識者会議が、「被害者の削除申請から1週間程度での対応を求めること」などを柱とする内容を、28日にとりまとめたというニュースがありました。

朝日新聞デジタル
ネット誹謗中傷「1週間程度で対応を」 総務省会議が事業者に求める

ただ、焦点のひとつだった「削除請求権」に関しては、同権の乱用によって「表現の自由」が侵害される恐れもあることから、明文化(法制化)の議論は先送りされたということです。

朝日の記事は、今回のとりまとめの骨子を、以下のようにわかりやすくまとめていました。

誹謗(ひぼう)中傷対策の骨子

・プラットフォーム(PF)事業者は迅速かつ適切に削除を行うなどの責務がある

・削除の基準や手続きを定めた「削除指針」の策定・公開を求める

・削除の申請窓口や手続きを整備し、日本語での対応を求める

・利用者による削除申請の受け付けから1週間程度での対応を求める。その際、削除の有無や判断理由を利用者に通知する

・対象となる事業者は海外事業者も含め、不特定者間の交流を目的とするサービスのうち、一定規模以上のものに限定する

・削除指針に基づく運用状況の公表を求める


■Yahoo!ニュースのコメント欄を閉鎖すればいいだけの話


また、記事は次のように書いていました。

有識者会議のとりまとめでは、PF事業者が誹謗中傷を含む情報が流通する空間の提供を通じて広告収入を得ている点に着目。「PF事業者は迅速かつ適切に削除を行うなどの責務があると考えるのが相当」と明記した。


このブログでも何度も書いているように、ネットの誹謗中傷問題の根幹には、ニュースをコメント欄でバズらせてアクセス数を稼ぎ広告収入を得るYahoo!ニュースに代表されるような、ニュースをマネタイズする手法があるのです。

有識者会議のとりまとめは問題をSNS一般に解消していますが、たとえば、前から散々言っているように、まずYahoo!ニュースのコメント欄を閉鎖するなどの処置が先決ではないかと思います。Yahoo!ニュースを見ているとどうしてネトウヨになるのか、と言った人がいましたが、Yahoo!ニュースのコメント欄が閉鎖されるだけでネットはかなりまともになるでしょう。水は常に低い方に流れるネットの習性を考えるなら、そういった処置がもっとも効果的なのです。

Yahoo!ニュースの問題だけではないと言う人もいるかもしれませんが、少なくとも月間225億PVを誇るニュースサイトのコメント欄がネトウヨの巣窟になっている今の状況が改善されれば、ネットの言説も通りがよくなるのは間違いないでしょう。

もういい加減、ネトウヨが言っていることが政治的な主張ではなく、単なる陰謀論とヘイトの流布にすぎないという認識を持つべきなのです。Yahoo!ニュースに巣食うネトウヨには、排外主義的なカルト宗教の信者たちも多いのですが、彼らが陰謀論を発信し、Yahoo!がそれを利用してニュースをマネタイズしている構造そのものが問題なのです。

70人体制で24時間監視して対策しています、AIを使って削除しています、というのは単なるアリバイ作りにすぎないのです。そもそもYahoo!ニュースには、独立した編集権さえ存在しないのです。そんな会社がニュースを扱うのですから、どれだけ再生回数を稼いだか(どれだけバズらせることができたか)でニュースの価値をはかるような基準がまかり通っているのは想像に難くありません。

Yahoo!ニュースの問題は、自民党が「Dappi」に資金を提供して、野党攻撃のためのフェイクニュースを拡散していた問題と根っこにあるのは同じです。

いくら有識者がネットの誹謗中傷を議論しても、企業や政治が金儲けや政敵を攻撃するためにそれを利用している限り、そして、そのためのシステムを温存している限り、机上の空論でしかないのです。

■ネトウヨとジャニーズ問題


最近、ジャニー喜多川氏の性加害を告発した元ジャニーズJr.の男性が、ネットの誹謗中傷によってみずから死を選ぶという痛ましい事件がありましたが、彼を誹謗中傷したのはジャニオタだけではありません。ネトウヨがジャニー喜多川氏の性加害に陰謀論を持ち込み、「当事者の会」や元メンバーに悪罵を浴びせ、執拗に攻撃していたことも見過ごしてはならないでしょう。

ジャニー喜多川氏の性加害の問題とネトウヨの関係については、Arc Timesでの中森明夫氏の発言にヒントがあるように思いました。

Arc Times
中森明夫さん<アイドル評論家>・ジャニ ーズの功と大きな罪/アイドル論の明日(尾形×望月)】

彼らは右翼ですらないし、論敵ですらないのです。それこそ学校で、ネトウヨにならないためにはどうすればいいか、ということを教えてもいいようなネットリテラシーの問題なのです。

自由に反対する者に自由を与えるな、という考えが求められているのです。コメント欄は言論・表現の自由のために必要だ、民主社会では多様な意見は担保されるべきだ、というYahoo!!ニュースの主張は、ニュースをマネタイズするための方便だということを忘れてはならないのです。
2023.11.29 Wed l ネット l top ▲
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信濃町駅(写真AC)



■池田氏の功績と神格化


メディアにおいて戦後のタブーに「鶴タブー」と言われるものがあります。言うまでもなく、創価学会のタブーです。今は絶縁していますが、創価学会がかつて信仰していた日蓮正宗の紋が鶴だったことから、そう言われているのだそうです。

創価学会は、東京都から認可を受けた「宗教法人」ではあるものの、もともとは日蓮正宗という日蓮宗から派生した新興宗教の門徒の団体だったのです。

1930年(昭和5年)に、日蓮正宗の信徒であった牧口常三郎氏と戸田城聖氏が中心になって、「創価教育学会」として創立されたのがはじまりです。「創価教育学会」に集まったのは、「教育信徒」と呼ばれるコアな信者たちでした。

牧口氏と戸田氏はともに苦学して教師になった人物で、「創価教育学会」は人生哲学の勉強会の性格が強く、当初は宗派を問わず誰でも入会できたそうです。しかし、二人が日蓮正宗の信徒であったことから、のちに日蓮正宗の信徒であることが入会資格になったそうですが、宗教学者の中には、どうして日蓮正宗の信仰が入会条件になったのか未だに理解できないと言う人もいるそうです。つまり、彼らが究める人生哲学と日蓮正宗の教学には、それほどの関連性がなかったということです。

二人ともに元教師ですが、牧口氏は学究肌、戸田氏は山っ気の多い事業家といった感じで、その気風はまったく違っていたそうです。

なお、創価学会では伝道のことを「折伏(しゃくふく)」と言って、かなり過激で執拗なものだったそうで、特に戦後、なりふり構わず組織拡大をめざした戸田・池田時代の「折伏」は世間からも恐れられ、それが未だに残っている”創価学会アレルギー”の一因になったことはたしかでしょう。

戦前の日本は、今の靖国神社に象徴されるように、天皇を神と崇めるための国家神道の体制だったのですが、そのために国家神道を認めない「創価教育学会」は、戦時中にほかの神道系の新興宗教やキリスト教などとともに淫祠邪教と見做され、治安維持法違反で弾圧されたのでした。牧口常三郎氏も戸田城聖氏も不敬罪で逮捕され、そして、初代会長の牧口常三郎氏が高齢ということあって獄死するのでした。

創価学会と名乗るのは戦後で、敗戦後の1946年(昭和21年)、二代目の会長になった戸田城聖氏が「創価教育学会」を創価学会と名称を改めて、信徒団体として再出発してからです。

戸田城聖氏は、1958年(昭和33年)に亡くなったのですが、そのあとを継いで1960年(昭和35年)に32歳で第三代会長に就任したのが池田大作氏です。

池田大作氏は、1928年(昭和3年)1月2日、東京府荏原郡入新井町大字不入斗いりやまずで、海苔製造業者(海苔漁師)の池田子之吉ねのきちいちの五男として生を受けました。

出生地の東京府荏原郡入新井町大字不入斗は、現在の東京都大田区大森北です。JR大森駅東口から京急の大森海岸駅に向かって歩いたあたりだそうです。しかし、2歳のとき、一家は羽田町大字糀谷こうじやに移転しています。

池田大作氏は、6人きょうだいの五男として生まれたのですが、その後も家族が増え、最終的には養子も含めて池田家は10子になったそうです。文字通り、貧乏人の子沢山を地で行ったのでした。

しかも、池田氏が尋常小学校2年のときに、父親がリウマチで寝たきりになり、一家の生活を支える働き手を失うことになります。さらに、日中戦争が拡大の一途を辿ったことで、既に社会に出ていた池田氏の上の4人の兄が相次いで招集され、一家の生活は貧窮を極めるのでした。

そのため、池田氏は高等小学校(現在の中学校)に入学したときから、家業の手伝いだけでなく新聞配達のアルバイトを始めるのでした。ところが、生来の虚弱体質に加えて栄養失調と過労によって、池田氏自身も「肋膜」(結核)にかかるのでした。まさに踏んだり蹴ったりの少年時代ですが、ただ、学業は優秀とは言えなかったものの、真面目な性格であったのは事実のようです。

後述する『池田大作「権力者」の構造』(1981年三一書房)の中で著者の溝口敦氏は、次のように書いていました。

 少年時代から彼は稼ぐに追いつく貧乏なしという哲学の実践者であることを強いられ、貧乏への彼の対応は、ひたすら労働と親孝行だけであった。彼は遊びざかりを労働で過ごした。


※以下、「ディリー新潮」の記事に関連した部分は後日付け足しましたので、為念。

下記の「ディリー新潮」の記事によれば、池田氏が創価学会の中で頭角を現すのは、戸田城聖氏が東京都建設信用組合を破綻させ、そのあと昭和25年に愛人らを役員にした大蔵商事という小口金融の会社(今で言うサラ金の走りのような会社)を設立してからです。東京都建設信用組合の頃から「カバン持ち」として戸田氏と行動を共にしていた池田氏は、大蔵商事では営業部長として辣腕をふるって戸田城聖氏の信頼を得、創価学会内でも出世の階段をいっきに駆け上っていくのでした。そして、戸田氏亡きあと、32歳で第三代の会長にまで上り詰めたのでした。

デイリー新潮
【池田大作の履歴書】かつては高利貸しの営業部長だった…神格化のために行われた大袈裟な演出とは

池田大作氏の功績は何と言っても、創価学会の組織拡大です。戸田城聖氏が二代目会長に就任した1946年当時、創価学会の会員数は3千人程度だったそうです。それで、戸田城聖氏は「折伏大行進」なるものを掲げて、かなり過激な布教活動を進めるのでした。そして、戸田氏が亡くなる前年の1957年には75万世帯を達成したと言われています。

さらに池田大作氏は、戸田氏の「折伏大行進」を受け継いで布教活動を拡大し、1964年には500万世帯、1970年には750万世帯を達成したのです。創価学会にとって、戸田城聖氏が中興の祖であれば、池田大作氏は躍進の立役者と言えるでしょう。

大蔵商事に関して言えば、同社は手形の割引と個人向けの貸付を行っていたそうです。ただ、当時の法定金利は年利109.5%(1日当たり0.30%)で、「十一といち」と呼ばれる10日で1割という高利も当たり前の時代でしたので、かなりえげつないことが行われていたのは想像に難くありません。実際に病人の布団を剥いで取り立てたこともあるそうで、池田氏自身が「大蔵商事では一番いやな仕事をした。どうしてこんないやな仕事をするのかと思った」(継命新聞社・『社長会全記録 人間・池田大作の野望』)と述懐しているくらいです。その”体験”が「折伏大行進」に生かされたのではないか。そう思われても仕方ないでしょう。サラ金で社員にハッパをかけるのと同じように、「折伏」の進軍ラッパが鳴らされていたのかもしれません。

もっとも、この会員数はあくまで学会が公称した数字にすぎず、宗教学者の島田裕巳氏は、実際の会員数は2020年現在で177万人くらいではないかと言っていました。

組織の拡大を受けて、「国立戒壇」の悲願を達成するために政界進出をめざした池田氏は、1961年に創設された公明政治連盟を発展解消させて、1964年に公明党を作り、創価学会みずからが国会に議席を持つに至ったのでした。

躍進の立役者の池田大作氏は、その功績で神格化していきます。外部の人たちの中には、創価学会が日蓮正宗の信徒団体だと知らなかった人も多いのではないかと思いますが、それくらい学会の中では池田大作氏が教祖のように偶像視されていくのでした。

それに伴い、日蓮正宗本山との軋轢も表面化し、そして、1991年(平成3年)に創価学会は日蓮正宗から破門されるのでした。

では、現在の創価学会が信仰の対象にする「ご本尊」は何なのか。創価学会のサイトには次のように書かれていました。

創価学会では、日蓮大聖人が現した南無妙法蓮華経の文字曼荼羅を本尊としています。「曼荼羅」とは、サンスクリット語「マンダラ」(maṇḍala)の音写で、仏が覚った場(道場)、法を説く集いを表現したものです。

御本尊は、法華経に説かれる「虚空会の儀式」の姿を用いて現されています。

創価学会
創価学会とは(ご本尊)


■創価学会の”罪”と関連本


池田大作氏の死去に際して、岸田首相はみずからのX(旧ツイッター)に「御逝去の報に接し、深い悲しみにたえません。池田氏は、国内外で、平和、文化、教育の推進などに尽力し、重要な役割を果たされ、歴史に大きな足跡を残されました。ここに謹んで御冥福をお祈りするとともに、御遺族の方々および御関係の方々に対し衷心より哀悼の意を表します」と投稿したそうです。それに対して、ときの総理大臣が総理大臣名で一宗教団体の指導者の死に哀悼の意を表明するのは政教分離の原則に反するのではないかという声もありますが、彼らにそんなことを言っても馬の耳に念仏でしょう。もっとも、メディアの報道も、おおむね岸田首相の投稿と似たようなものなのです。

日本には、死者を鞭打つのは慎むべしという考えがありますが、それにしても、池田氏が率いた創価学会や公明党の”ざい”に関して、一片の言及もないのは異常です。創価学会の顧問弁護士を務めていた山崎正友氏(故人)らが暴露した、日本共産党の宮本顕治宅盗聴事件をはじめとする、創価学会が敵対する団体や個人に行った数々の謀略や工作にまったく触れてないのは、(あえてメディアの禁止用語を使えば)片手落ちと言わねばなりません。

手元の本の山の中から創価学会関連の本を探したら、『噂の真相』元編集長だった岡留安則氏(故人)の『武器としてのスキャンダル』(パシフィカ、のちにちくま文庫)と、『現代の眼』の編集長だった丸山実氏(故人)の『「月刊ペン」事件の内幕-狙われた創価学会』(幸洋出版)と、”池田批判”の嚆矢とも言うべき溝口敦氏の『池田大作「権力者」の構造』(三一書房、のちに講談社α文庫)が出てきました。

『武器としてのスキャンダル』には、公明党の初代委員長だった原島宏治氏の息子で、学会の教学部長を務め「学会きっての理論派といわれた」(同書より)原島崇氏(故人)が、山崎正友氏(故人)と組んで暴露した創価学会のスキャンダルと、それに伴って池田氏の国会喚問が与党内で浮上したことをきっかけに、公明党が自民党に接近した経緯などが書かれていました。

『「月刊ペン」事件の内幕-狙われた創価学会』(幸洋出版)では、創価学会を擁護する視点から、創価学会が行った言論弾圧事件のひとつである「『月刊ペン』事件」について書かれていますし、『池田大作「権力者」の構造』(三一書房)は、地道な取材に基づいて学会の“公式本”とは異なる視点から池田氏の半生を描いており、同書は上記のディリー新潮の記事の下敷きにもなっているのでした。

いづれまとめて(もう一度読み返して)紹介したいと思います。

また、竹中労氏も、創価学会系の総合雑誌『潮』に、牧口常三郎初代会長の生涯を描いた「牧口常三郎とその時代」を連載していて、それをまとめた『聞書庶民列伝/牧口常三郎とその時代』の4部作も持っていたのですが、それは引っ越しの際に散逸(処分?)してしまったようです。                 

ちなみに、竹中労氏は、『現代の眼』1983年3月号に書いた「駅前やくざは、もういない」(『左右を斬る』所収)という文章の中で、次のように書いています。

竹中氏は、「昭和33年の夏から34年の暮れにかけて、京浜蒲田から穴森線がカーブする、その線路際の六畳一間きりに棲んで」いたそうです。

 今日といえども、このあたりは東京都内では一、二を争う窮民街の様相を呈しています。小生の居住していたアパートは、すでに取り壊されて建てなおされ、それが早くもボロとなり果てている! さて、向こう三軒両隣のなんと四軒までが創価学会員でありまして(略)、しかも同じ工場に勤務していた。わが家の大家・差配も学会員、表に出るとてえと中華ソバ屋の若夫婦も、信心深き日蓮正宗なのです。
 とうぜん、夜討ち朝駆けの折伏です。マルクス・レーニン信じているとなどと言っても、許してくれるもんじゃない。「それが貧乏の原因だ」とおっしゃる、まことにその通り。
(略)けっきょく、折伏はうやむやになり、「学があるのに運がないんだワ」と、しまいには同情を集める身の上となりました。メシも喰わず(喰えず)、金に換える当てのない原稿を書いているところへ、稲荷ずしや菓子を差し入れてくれる。「ご本尊様にお願いしておきましたよ。きっと売れますよ」と声をかけて。涙がこぼれました、ホント。
 中華ソバ屋に至っては、小半年も出世払いにして貰ったのです。(略)もしこの親切を通りこした仏のごとき夫婦が存在しなかったら、小生は餓えて志を屈していたにちがいありません。
(『左右を斬る』幸洋出版)


また、別の箇所では、創価学会を擁護したみずからに寄せられた左派からの批判に、感情的とも言えるような反論をしている文章もありました。私も似たような経験がありますので、この文章に込められたヴナロードのような竹中労氏の気持もよくわかるのですが、ただ、個人的には”買い被り”という気がしないでもありませんでした。

上記の丸山実氏の本もそうですが、創価学会に対するネガティブな記事に対して、いわゆる”総会屋雑誌”でありながら新左翼系の総合誌という性格を持っていた『現代の眼』界隈では、まるで敵の敵は味方と言わんばかりに創価学会を擁護する(アクロバティックな)論調が展開されていたのは事実です。それを”奇妙な光景”とヤユする人もいたそうですが、しかし、岡留安則氏も竹中労氏も丸山実氏も既に鬼籍に入っています。もう今は昔なのです。

■身近にいた学会員たち


このブログでも何度も書いているように、私の田舎は九州の久住連山の麓にある山間の町ですが、中学の頃、クラスメートが夏休みに家族で富士山に登山すると言うのでびっくりしたことがありました。

今と違って、九州の片田舎から遠路はるばる富士山に登るというのは経済的な負担だけでも大変なことです。九州の山奥で暮らすクラスメートの家は決して裕福とは言えず、彼自身も中学を卒業すると関西方面に集団就職したくらいです。

山だったら、近くに久住連山や祖母傾山があるのに、どうしてわざわざ富士山に登りに行くのか。家に帰って親にその話をしたら、彼の家が創価学会の熱心な信者なので、それと関係があるんじゃないかと言っていました。今思えば、富士山ではなく、富士山の麓の富士宮市にある日蓮正宗の総本山の大石寺に参拝するということだったのかもしれませんが、何だか学校で習ったばかりのメッカ巡礼みたいな話だなと思いました。でも、日蓮正宗と絶縁した現在、創価学会の信者たちにとって、富士山はもう特別な山ではなくなったのでしょう。

九州の地元の会社に勤めていた頃、販売した商品のローンが滞った顧客の家を夜間に訪問したことがありました。その顧客は、自営で建築業だかをしていていました。国道から脇に入った田舎道を進み、さらに私道に分け入ると行き止まりの山の中腹に家がありました。しかし、家の外も中も、ゴミ屋敷とは言わないまでも思わず目を背けたくなるような荒れようでした。そんな家の中の裸電球の下に小学生くらいの子どもが3人がいるだけでした。

「お父さんは?」と訊いたら、出かけていると言うのです。「お母さんも出かけているの?」と訊いたら、急に表情が暗くなり「お母さんはいない」とポツリと言ったのでした。それで、「これをお父さんに渡してね」と言って、名刺を渡して帰りました。

同じ集落の人に聞いたら、創価学会の活動にのめり込み、「あんな風になった」と言っていました。奥さんは、宗教活動が原因かどうかわからないけど家を出て行ったそうです。一方で、創価学会の会員の人に聞くと(と言っても会社の事務員の親ですが)、「あの方は凄い人ですよ」と言っていました。何でも地区のリーダーみたいな人だそうで、事務員の親も「先生」と呼んでいました。

竹中労氏が書いているような話も事実なら、この「地区のリーダー」の話も事実なのです。と言うか、こういう話は当時はめずらしくなかったのです。世間ではそれを「宗教にのめり込む」というような言い方をしていました。

■会員の高齢化と創価学会の正念場


今から20年以上前に、仕事で新宿の四谷三丁目によく行っていたのですが、四谷三丁目の交差点には、いつもイヤホンをした男性が立ってあたりに鋭い視線を放っていました。私は公安の刑事なのかと思ったのですが、取引先の会社の人に聞くと創価学会の職員なのだそうです。知り合いは、信濃町の舗道で写真を撮っていたら、創価学会の職員らしき人物から「どうして写真を撮っているんだ?」と詰問されたそうです。「ここは天下の公道だろうが!」と怒鳴りつけたら、睨みつけながら去って行ったと言っていました。

また、別の知り合いの女の子が信濃町の路地の奥のマンションに住んでいたのですが、深夜、車で女の子を送って行くと、あちこちの路地の暗がりに揃いのジャンパーを着た男が立っているのです。「あれは誰?」と訊いたら、やはり、創価学会の職員だということでした。女の子は「あの人たちが警備しているから安心よ。助かっているわ」と呑気なことを言っていましたが、私は薄気味悪く感じてなりませんでした。

四谷三丁目のあたりには、信濃町の創価学会の本部を訪れた信徒の女性たちがよくグループで地下鉄の駅に向かって歩いていましたが、当時でも40~60代くらいの中高年の女性が多かったので、今はもっと高齢になっているに違いありません。公明党の選挙で一番手足となって動くのは婦人部だそうで、婦人部の高齢化が公明党の集票力の衰退の要因になっているという指摘もあります。

2019年と2022年の参院選の比例の得票数を比べると、2019年は653万票で2022年は618万票です。比例のピークは2005年の衆院選の898万票で、以後減少傾向を辿っているのでした。あと10年もすれば公明党の存立そのものに関わるほど、さらに深刻化しているかもしれません。

ユダヤ人と同じで、創価学会の信者が社会のさまざまな組織の中枢にいますので、未だに「鶴タブー」が存在しているのでしょうが、しかし、時代が変わり世代交代が進めば、ジャニーズや宝塚歌劇団と同じように、「鶴タブー」もタブーでなくなる日が来るかもしれません。バカバカしい話ですが、メディアなんて所詮はそんなものです。

タブーがなくなれば、創価学会は正念場を迎えるはずです。それとともに、池田大作氏も”ただの人”になっていくのかもしれません。

■創価学会の原点


人々が宗教にすがるのは、貧困と病気と家庭の不和だと言われますが、とりわけ創価学会には貧困と病気と家庭の不和に直面した地べたの人たちが多く、そのため共産党と競合し、単にイデオロギーからだけでなく日常活動においてもしのぎを削るライバルになったのだという指摘があります。

竹中労氏が言うように、牧口常三郎氏にはそんな創価学会の原点とも言える”下”の視点があり、宗教家としてのカリスマ性がありました。しかし、池田氏の場合は、大蔵商事時代の「取り立て屋」としての”成功体験”が信仰上のエポックメイキングになっているような気がしてなりません。そのため、宗教家というよりオルガナイザーといった感じで、溝口敦氏も『池田大作「権力者」の構造』の中で、池田氏は「宗教者に見られる精神の高貴さや気品に欠ける」と書いていましたが、ときに「痛く」見えるほど成金で俗っぽいイメージが強いのはたしかです。そんな池田氏も信者からは「先生」と呼ばれていたのでした。

ただ、断っておきたいのは、戸田城聖氏も長女と妻を相次いで亡くした上に自分も結核に冒され、宗教に(最初はキリスト教に)救いを求めたのは事実だし、池田大作氏も貧困と病気の中で絶望的な10代を送りながら、親孝行するために真面目に必死に生きてきた中で、宗教に救いを求めたのは事実なのです。そのことは否定できないのです。

そして、戸田氏は30歳のときに牧口常三郎氏とともに創価学会を設立し、池田氏は19歳でその創価学会と出会うのでした。それは、日蓮正宗の教学とは異なる、彼ら自身が作り上げた人生哲学(生きるしるべ)ともいうべきものです。彼らは、それに不幸を絵に描いたような、みずからの人生の救いをみずからで求めたのです。創価学会が下層の人々の信仰を集めたのもむべべなるかなと言うべきでしょう。
2023.11.21 Tue l 社会・メディア l top ▲
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■国際法違反のシファ病院突入


12日に、WHOと国連人口基金とユニセフの国連三機関が共同で、ガザ北部にあるシファ病院をはじめとする病院への攻撃を停止するための「緊急行動」を求める声明を、国際社会に向けて出したばかりですが、イスラエル軍はそれをあざ笑うかのように、15日未明、シファ病院に突入したのでした。国連三機関の声明はまさに悲鳴にも似た悲痛な訴えだったのですが、”狂気”と化したイスラエルには通じなかったのです。

朝日新聞は、病院突入は「国際法違反の可能性がある」と書いていましたが、誰がどう見ても、戦時における「傷病者、難船者、医療組織、医療用輸送手段等の特別の保護」を定めるジュネーヴ条約及び追加議定書の違反であることはあきらかです。

しかし、イスラエルがターゲットにしているのは医療機関だけではありません。難民キャンプや学校も無差別に空爆しているのです。

また、イスラエルの空爆による死者は、ガザの北部だけではなく南部でも多く発生しているのでした。北部から南部への避難を促すイスラエルの警告も罠の疑いさえあるのです。国連人権問題調整事務所(OCHA)が発表した11月9日現在のデータによれば、イスラエルの空爆で亡くなったガザの住民は10,818人で、それをおおまかに北部と南部に分けると、北部は7,142人(66%)、南部は3,676人(34%)です。南部に避難すれば安全というわけではないのです。

シファ病院には600~650人の入院患者と200~500人の医療従事者、それに約1500人の避難民が残っていると言われますが、既に地上侵攻後、医療従事者16人を含む521人が死亡したと言われています。

エルサレムからの共同電によれば、病院に残る医師は、アルジャジーラの電話取材に、突入したイスラエル軍によって、「多くの避難者が軍に拘束され裸にされた」「手錠をされた上、目隠しで連れて行かれた」と語ったそうです。

病院には電気が供給されておらず、子どもたちは麻酔もないまま手術を受けていると報じられていますが、そんな中に武装したイスラエル兵が突入して、避難している人たちを次々と連行したのです。

ガザではこの1ヶ月のイスラエル軍による爆撃で既に1万人以上が死亡し、そのうち半数は子どもだそうです。

『エコノミスト』(11月21・28日号)の「絶望のガザ」という特集の中で、福富満久氏(一橋大学教授)は、「今、私たちが目にしているパレスチナと中東の問題は、恣意的に権力を行使して好きなように振る舞う欧米諸国に対する憤りの表出であり、屈辱を受けてきた者たちの反乱なのである」と書いていました。

ここに来て、パレスチナ人差別をホロコーストの贖罪に利用した欧米の欺瞞と矛盾もいっきに噴き出した感じです。イスラエルの蛮行に反対する人たちは、同時に欧米も同罪だと非難しているのです。

しかし、アメリカは今なお、シファ病院の地下がハマスの司令部になっているというイスラエルの主張に同調し、イスラエルの蛮行を容認する姿勢を崩していません。

■司令部があれば病院を攻撃していいのか


私は、イスラエルの主張を聞いて、映画「福田村事件」の中で、行商人たちが(朝鮮人ではなく)日本人かも知れないので、鑑札の鑑定の結果を待とうではないかと村人たちを説得する村長に対して、「朝鮮人だったら殺してもええんか?」と村長に詰め寄った行商人のリーダーの沼部新助の言葉を思い浮かべました(その直後、沼部新助は、頭上に斧が振り下ろされ惨殺されるのですが)。じゃあハマスの司令部があれば病院を攻撃していいのかと言いたいのです。

もっとも、イスラエルが公表した映像もずいぶん怪しく、司令部と言うには自動小銃や手榴弾があるだけのしょぼい装備で、せいぜいが兵士の隠れ家と言った感じでした。ずらりと並べられた自動小銃も、撮影のために置かれたのは間違いなく、病院の地下室にあったという証拠にはならないのです。

映像に映っているのは病院とは違う場所なのではないかと話す病院関係者さえいるのでした。また、イスラエルが主張していた地下通路も映像には出ていませんでした。中には、MRIの裏に武器を隠していたという、(テレビドラマの観すぎのような)わざとらしい映像もありました。

そのため、欧米のメディアでも、イスラエルの主張には説得力がないという受け止め方が大半だそうです。しかし、このお粗末なプロパガンダがガザの地上侵攻の口実に使われ、多くの命が奪われることになったのです。

■ヨーロッパに広がる反ユダヤ主義


イスラム研究者の同志社大学大学院教授・内藤正典氏のX(旧ツイッター)には、胸を締め付けられるようなパレスチナ難民たちの動画がアップされていますが、下の動画もそのひとつです。この動画に内藤氏は、「子どもにこんな恐怖を与えるな」とコメントを付けていました。


ヨーロッパではユダヤ人に対する嫌がらせや暴力が広がっているというニュースがありましたが、イスラエルの”狂気”がシオニズムに由来するものである限り、反ユダヤ主義に結び付けられるのは仕方ない面もあるように思います。ユダヤ人というのは、〈民族〉というよりユダヤ教徒を指す言葉なのですが、ユダヤ人=ユダヤ教徒=シオニズム=イスラエルの蛮行という連想には、根拠がないわけではないのです。

こんなジェノサイドを平然と行うユダヤ教やそれを心の拠り所にするユダヤ人って何なんだ、ナチスと同じじゃないかと思われたとしても、それを咎めることはできないでしょう。もちろん、だからと言って、ユダヤ人=ユダヤ教徒がみんなイスラエルの蛮行を支持しているわけではありません。

ホロコーストの贖罪から無条件にイスラエル(シオニズム)を支持してきたドイツは、それ故にイスラエルの蛮行を前にしてもただ傍観するだけです。イスラエルに負い目があるヨーロッパは、この歴史のアイロニーに、なす術もなく見て見ぬふりをしているのです。それどころか、ドイツに至っては、国内での反イスラエルのデモを禁止しているくらいです。

ホロコーストの犠牲になったユダヤ人が、今度はパレスチナ人に対して自分がやられたことと同じ民族浄化ジェノサイドを行っているのですが、この不条理が「ユ ダヤ人は神から選ばれた民であり、メシア(救世主)に救済されるのは選民であるユダヤ人だけである」というユダヤ教の教義に内在する選民思想=差別の構造に起因するものであることを認識しないと、イスラエルの”狂気”を正しく理解することはできないでしょう。リベラル派が言うように、イスラエルの蛮行と「ユダヤ人問題」を切り離すことはできないのです。

欧米を中心とする国際社会が求めている「共存」は共存ではありません。イスラエルへの「隷属」です。欧米が地図に定規で線を引いて中東を分割し、それを王族をデッチ上げて捏造した絶対君主制の国に配分した、帝国主義列強による中東政策の固定化にすぎません。イスラエルはその延長上にあるのです。しかも、そのイスラエルがいつの間にか核を保有する軍事大国=怪物になり、コントロールが利かなくなってしまったのです。

■アメリカの凋落


1年ぶりに対面での米中首脳会談がはじまりましたが、日本のメディアでは、経済的な苦境に陥った習近平政権が背に腹を変えられずバイデン政権に泣きついたみたいな報道が主流です。しかし、それは対米従属の見方にすぎず、実際は逆でしょう。中国には、来年の大統領選挙でほとんど勝ち目がない、ヨボヨボのバイデンと交渉するメリットはないのです。案の定、アメリカは、「デカップリング(供給網などの分離)を模索しない」(イエレン米財務長官)と、日本などをけしかけて「明日は戦争」のムードを作ったあの対中強硬策はどこに行ったのかと思うほど、会談前から中国に媚びを売っているのでした。前から言っているように、「明日は戦争」は、日本など対米従属の国に型落ちの兵器を売りつけるセールストークだったのです。

今回のガザへの地上侵攻においても、アメリカの凋落は惨めなほどあきらかになっています。イスラエルがまったく言うことを聞かないので、アメリカは後付けでイスラエルの行為を追認して、みずからの影響力の低下を糊塗しているようなあり様です。

そこにあるのは、超大国の座から転落してもなお、精一杯虚勢を張ろうとするアメリカのなりふり構わぬ姿です。もとより、ロシアがウクライナを侵攻したのも、イスラエルが強気な姿勢を取り続けるのも、そんなアメリカの凋落を見通しているからでしょう。

■「人道主義」という言葉


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https://twitter.com/MirTaqi_

”狂気”と化したイスラエルの蛮行はもう誰にも止められないのです。国連安保理が停戦決議を採択しても、今まで何度も国連の決議を無視してきたイスラエルにとってはカエルの面にションベンです。

ただ、イスラエルの蛮行がエスカレートすればするほど、イスラエルは世界で孤立し、反ユダヤ主義が広がり、アメリカの権威の失墜、凋落が益々顕著になり、ヨーロッパの分断と混乱が増し、そして、世界の多極化がいっそう進むのです。その先にあるのは、グローバルサウスの台頭に見られるように、アメリカなき新たな世界秩序です。

しかし、そんな「国家の論理」とは関係なく、私たちには平和や人権といった絶対に譲れない私たち自身の論理があるはずです。国連三機関の悲痛な訴えはイスラエルやユダヤ人には通じなくても、世界の世論には通じたと信じたい気がします。でないと、「人道主義」という言葉は死語になってしまいます。”西欧的理念”が崩壊した現在、空爆を受けた子どもの膝の震えに目を止めることができる人々の怒りと悲しみの感情と意思だけが理性の最後の砦なのです。
2023.11.16 Thu l ウクライナ侵攻 l top ▲
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(写真AC)



■「管理鳥獣」に指定


昨日、環境大臣の指示で、環境庁が「捕獲や駆除のための交付金の対象となる『指定管理鳥獣』にクマを追加する検討を始めた」という報道がありました。

朝日新聞デジタル
クマ捕獲の資金支援拡大を 「指定管理鳥獣」化へ環境相が検討指示

これは、連日、熊出没のニュースが流れている北海道と東北地方の知事会からの要望を受けてのものです。

「管理鳥獣」に指定されれば、イノシシやニホンジカと同じように、捕獲や駆除のために交付金がつくことになるそうです。

2014年に従来の鳥獣保護法から、農林水産業などに害を与える鳥獣については、適正な数に減らすことができるように定めた鳥獣保護管理法に法律が変わったのですが、その対象となる「管理鳥獣」に熊も加えようというわけです。

鳥獣保護管理法の成立に伴い、奥多摩町には町主導で鹿肉加工場が作られたのですが、もしかしたら昔の”野蛮な時代”のように、熊肉もジビエとして売買されるようになるのかもしれません。

メディアは、知事たちが熊対策のための「財政支援」を要望したと曖昧な表現で報じていますが、鳥獣保護管理法に基いた「管理鳥獣」の指定というのは、駆除の解禁であり、そのために交付金を支給するということです。

具体的には、鳥獣保護管理法で定められている「捕獲の禁止」や「捕獲した鳥獣の放置の禁止」や「夜間銃猟の禁止」の適用が外されるのです。つまり、熊に対しても、捕獲していいし、捕獲した熊を今のように山に離さなくていいし、夜狩猟することも可能になるのです。「管理鳥獣」指定の眼目は駆除なのです。そして、奥多摩の鹿肉加工場のような、駆除や処理に関連する事業に対して交付金が支給されるようになります。また、駆除の実務を担う鳥獣ハンターが高齢化しているため、「管理鳥獣」に関しては、一定の条件をクリアした企業や団体が(営利目的で)駆除することも認められているのでした。

■熊の絶滅を招いたハンターの密猟


熊(ツキノワグマ)は、私の田舎の九州では既に絶滅しています。四国も現在生存している個体は10数頭と言われており、絶滅が危惧されています。と言うか、このままでは絶滅するのは避けられないでしょう。

西日本で熊が減少した要因のひとつとして上げられているのは、ハンターの密猟です。熊に限らず、1990年代までハンターによる密猟が横行していたそうです。

昔は狩猟が盛んで、私の家は写真館でしたが、狩猟免許の切り替え時期になると、更新用の写真を撮る人たちが引きも切らず来ていました。実家は久住連山の麓の温泉町にありましたが、近所には自転車屋を兼ねた銃砲店もあったくらいです。

でも、そういう人たちは東日本で言うマタギのような狩猟を生業にする人たちではなく、有害鳥獣の駆除という建前のもと、趣味で(遊びで)狩猟をする人たちでした。当時は、山に登ることと山で狩猟をすることが地元の人たちのレジャーだったのです。

■すべては人間の都合


熊が人里に現れるようになったのは、林業の衰退で森林の管理が行き届かず、森林が荒廃したのに加えて、山に入る人間も少なくなったために、熊の行動範囲(生息域)がおのずと広がって、熊と人里の住民との距離が近くなったからだと言われています。

特に今年は、熊が好むドングリの木であるブナやミズナラが不作のため、冬眠するための栄養補給に窮して食べ物を求めて里に下りてきたという背景もあるようです。

しかし、そういったことも含めてすべては人間の都合によるものです。にもかかわらず、「管理鳥獣」に指定され、交付金まで出して駆除が奨励されるのは、熊にとっては受難以外の何物でもないでしょう。

本州に生息するツキノワグマに限って言えば、現在の個体数は1万2千頭前後と言われています。特別天然記念物に指定されているニホンカモシカは全国で約10万頭いるそうですから、熊の個体数がいかに少ないかということがわかります。それなのに、さらに個体数を減らそうというのです。

記事にあるように、10月末の時点で150件の人身被害はたしかに多いとは思いますが、しかし、その対策がハンターを使った(そして、実質的な"報奨金"を伴った)駆除というのでは、あまりにも短絡的で野蛮な自然保護に逆行する発想だとしか言いようがありません。人間にとって、熊は憎むべきかたきなのかと思ってしまいます。

■登山道ではよほどのことがない限り熊と遭遇しない


私は、山に登るときはいつも一人ですが、今まで熊に遭遇したのは1回だけです。それも登山道を外れたときに会いました。ただ、奥多摩や秩父あたりでは、熊の痕跡を見かけることはめずらしくありません。

私たちは熊の生活圏に入るのですから、安全のためには彼らの痕跡を知ることが大事だし、その知識も必要なのです。それがマナーであり、熊など野生動物に対する”礼儀”でしょう。メディアは、あたかも「人食い熊」が出没しているかのようにセンセーショナルに報じていますが、人身被害の大半は事故と呼んでもいいようなものです。

登山者が登山中に襲われたという事例は、最近北海道でありましたが、今まではほとんど聞いたことがありません。登山道を歩いていれば、よほどのことがない限り、熊と出会うことはないのです。と言うか、実際は出会っているのですが、熊も人間が通る道だということがわかっているので、逃げるか、身を隠すかしているのです。だから、熊鈴や笛やラジオなど音の出るもので、人間が通ることを熊に知らせる必要があるのです。

被害に遭った人の話でも、「突然現れて襲い掛かってきた」というケースが大半ですが、それは鉢合わせになったということです。鉢合わせになれば、熊だけでなく、犬だって人間だって誰だってびっくりしてパニックになることはあるでしょう。臆病な動物なので、びっくりするとよけい興奮するのでしょう。だから、鉢合わせを避けるために、自分の居場所を知らせることが大事なのです。

それよりも、春先に仔熊に遭遇することの方が怖い気がします。私自身も、仔熊の鳴き声を聞いて、あわててその場から立ち去ったことがありました。知らないうちに仔熊と母熊の間に入ると、仔熊を守ろうとする母熊から襲われると言われていますので、仔熊を見かけたときが一番危険と言えば危険と言えるでしょう。

■自分たちのマナーの問題を熊に転嫁する身勝手な人間たち


私は、普段、熊鈴以外にも首から笛を下げていて、見通しの悪いところを歩くときなどは必ず笛を吹くようにしています。

秩父などの小学校では、登下校する子どもたちが熊鈴を鳴らしていますが、ハイカーの中には、熊鈴がうるさいと顔をしかめたり、熊鈴を鳴らすと逆に熊をおびき寄せることになるなどと、ヤフコメ民みたいなことを言う手合いがいるのです。事故を防ぐには、そういった山に入る人間の非常識や無知をどうかする方が先決ではないかと思います。

また、彼らは、山頂でインスタントラーメンを食べたり、弁当を食べたりした際に、食べ残したものをちゃんと持ち帰っているのかという疑問もあります。山頂や休憩場所の藪の中などに入ると、あちこちにティッシュが捨てられているのを見かけますが、その程度のマナーしかない人間たちが、食べ残したものを持ち帰っているとはとても思えないのです。

どうしてこんなことを言うのかと言えば、人間が食べ残したものを食べることで、熊が人間の食べ物の味を知ることになるからです。あれだけの大きな哺乳類の動物なのですから、私たちが想像する以上に賢くて学習能力が優れているのは間違いないでしょう。

前に上高地の小梨平のキャンプ場で、夜間、ゴミ箱を漁りに来た熊によって人身事故が発生したのですが、その熊は人間の食べ物の味を知ってしまった可哀想な熊とも言えるのです。被害に遭ったハイカーは、「熊に申し訳ない」と言って、『山と渓谷』誌などで事故を検証した文章を発表していましたが、野生動物と共存するためには(お互いに不幸にならないためには)野生動物に対する正しい知識と、人間も自然の一員だという謙虚な姿勢が求められているのです。

ましてやハンターや山仕事をする人や渓流釣りの人たちは、食べ残したものを持ち帰るなどというマナーははなからないのです。彼らを啓蒙することも必要でしょう。

私も山で地元のハンターに会ったことが何度かありますが、彼らは一般車が通行禁止の林道を軽トラに乗って奥の方までやって来ると、GPSのアンテナを装着したロボットのような猟犬を連れて山に入って行くのでした。しかも、俺たちは山の主だと言わんばかりの横着な爺さんが多いのでした。発砲音が聞こえると、爺さんに間違って撃たれるのではないかと不安になります。よく木に「発砲注意」と書かれた札が下げられていることがありますが、「落石注意」と同じでどう注意すればいいんだと思うのでした。

「マタギの文化」をまるで古き良き時代の習俗のように持ち上げ、熊と格闘した(?)マタギをヒーローのように伝説化する登山関係者も多いのですが、マタギによる野放図な狩猟が熊の減少につながったということも忘れてはならないのです。

山菜取りの人間が熊の被害に遭うことが多いのは、道を外れて普段人が足を踏み入れない奥に入り、山菜を探すのに夢中になるからで、彼らは熊鈴さえ持ってないケースが多いのです。あれでは熊と鉢合わせになり、パニックになった熊から襲われることはあり得るでしょう。

運不運もありますが、多くは人間の側の問題なのです。それを熊のせいにして、僅か1万2千頭しかいない熊を行政がお金が出してまで駆除しようというのです。

そこにあるのは、「人食い熊」の出没みたいなメディアの無責任でセンセーショナルな報道と、それに連動した地元の政治家たちのポピュリズムと、ヤフコメに代表されるような最低の日本人の「脊髄反射」(古い?)による無見識な世論だけです。自然の保全や鳥獣保護や野生動物との共存などというのは、高尚な現実離れした考えのように言われ一笑に付されるだけなのでした。

エコバックを持って買い物に行き、パンダが可愛いと大騒ぎして、自分の家の犬や猫を溺愛する者たちが、熊のことになると目を吊り上げて、「人食い熊」は殺せと叫んでいるのです。

何と傲慢で野蛮で身勝手な人間たちなのでしょうか。私は熊が不憫に思えてなりません。


関連記事:
熊に襲われた動画について
2023.11.14 Tue l l top ▲
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Wikipediaより



■スラヴォイ・ジジェクの投稿


私は前にユヴァル・ノア・ハラリの「ワシントンポスト」への寄稿について、彼も単なるシオニストにすぎなかったと書きましたが、現代の思潮をリードする知識人のお粗末さ(政治オンチぶり)は彼だけではないのです。

ラジカルな左派系の論客と知られるスラヴォイ・ジジェクの投稿が、『クーリエ・ジャポン』に出ていましたが、これが「古き良き」プロレタリア独裁や反議会主義を提唱するラディカリストの言葉かと思うと、みじめさしか覚えません。

クーリエ・ジャポン
ジジェク「パレスチナ人への同情と反ユダヤ主義との戦いは両立できる」

彼は、「故郷の地にとどまることを否定されたパレスチナ人と、同様の経験が民族の歴史に刻まれているユダヤ人が、奇妙に似通っている」と言います。そして、それを前提にして、言うなれば左右の過激派を排除した上で、穏健なパレスチナ人とユダヤ人の共存は可能だと主張するのでした。

でも、私は、ちょっと待てよと言いたくなりました。パレスチナ人が「故郷の地にとどまることを否定された」のはイスラエルが建国されたからです。ユダヤ人に土地を奪われて追い出されたからなのです。それなのに、パレスチナ人とユダヤ人の二つの民族の歴史(境遇)が「奇妙に似通っている」だなどとよく言えるなと思います。「奇妙」もクソもないのです。スラヴォイ・ジジェクが言っていることはメチャクチャなのです。

イスラエルのエフード・オルメルト元首相によれば、同国の進むべき道とは、ハマスと戦いつつも、反ユダヤ主義に陥らず、交渉の準備もあるパレスチナ人たちにアプローチしていくことだ。イスラエルのウルトラナショナリストたちの主張とは異なり、そのようなパレスチナ人もたしかに存在する。
(略)
すべてのイスラエル人が熱狂的なナショナリストでもなければ、すべてのパレスチナ人が熱狂的な反ユダヤ主義者でもないという事実の理解は、邪悪さの噴出をもたらす絶望と混乱を正しく理解することにつながる。故郷の地にとどまることを否定されたパレスチナ人と、同様の経験が民族の歴史に刻まれているユダヤ人が、奇妙に似通っていることに気づくだろう。


スラヴォイ・ジジェクは、「ハマスとイスラエルのタカ派は、同じコインの裏表である」と言います。そして、「我々はテロ攻撃に対するイスラエルの自国防衛を無条件で支援することができるし、またそうすべきでもある。しかしながら、ガザ地区を含むパレスチナ自治区のパレスチナ人たちが直面する真に絶望的な状況にも、我々は無条件で同情せねばならない」と言い、さらには「こうした立場に『矛盾』があると考える人は、事実上、問題の解決を妨げているのと同じである」とさえ言うのでした。

この投稿はガザへの地上侵攻の前に書かれたのだと思いますが、それを割り引いても、この陳腐な言葉の羅列には唖然とせざるを得ません。誰がどう考えても、彼が言っていることは「矛盾」があるでしょう。

そこには、ユダヤ教=ユダヤ人問題の根本にあるシオニズムの問題や、ハマスが2006年のパレスチナ立法評議会選挙で多数を占めたという事実や、ガザにおけるハマスの存在が「パレスチナにおける最大の人道NGO(非政府機関)」(高橋和夫氏)と言われるほど、ガザの民衆に支持されている現実に対する言及はどこにもないのです。

■PLOの腐敗


ハマスを掃討したあとにガザの管理をどうするかについて、イスラエルは直接統治をほのめかしていますが、その理由として、ヨルダン川西岸を統治するPLOがあまりに腐敗していることを上げているのでした。日本政府も、同じ理由からガザをPLOに任せることはないだろうと見ているという報道がありました。イスラエルや日本政府でさえもそう言うくらいなのです。

そもそもPLOはパレスチナ立法評議会選挙で敗北したにもかかわらず、その後、自治政府の連立を組むハマスをアメリカやイスラエルの支援を受けてクデーターでガザへ追い出したという経緯があるのでした。

にもかかわらずスラヴォイ・ジジェクは、「平和共存」の障害になる「テロリスト」のハマスと現在のネタニヤフ政権を含むイスラエルのタカ派を排除した上で、パレスチナ問題を解決すべきだと主張するのでした。漁夫の利を狙うPLOにとっては願ったり叶ったりの「提案」でしょうが、その政治オンチぶりには二の句が告げません。

イスラエルには、ネタニヤフよりももっと強硬な民族浄化を主張する勢力が存在し、支持を広げているという現実があります。多くのユダヤ教徒=ユダヤ人たちが依拠するシオニズム思想が、今回の”集団狂気”を呼び起こしている構造(「ユダヤ人問題」の基本中の基本)も忘れてはならないのです。シオニズムはどんな政治的主張より優先されるべきドグマなのです。ジジェクはそれがまるでわかってないと言わざるを得ません。

■パレスチナ人差別を肯定した左翼


東浩紀などもそうですが、机上の論考ではそれなりの言葉を使っているものの、現実の政治を語るようになると、途端にヤフコメ民とみまごうような陳腐で低レベルの言葉になってしまうのでした。それは、世間知らずというだけではなく、現実の政治に対する知識があまりに陳腐で低レベルだからでしょう。

もともとイスラエルの入植地の拡大に使われたキブツについても、左翼はキブツに原始共産制を夢見て”理想”と”希望”を語っていたのです。当時の左翼には、キブツの背後にパレスチナ人の悲劇があるという認識すらなかったのです。それは驚くべきことです。

当時の左翼は、パレスチナ人差別をユダヤ人に対する贖罪に利用することに何の疑問を持ってなかったのです。その過程において、現在のガザのジェノサイドと同じことが行われたことに対しても彼らは目を瞑っていたのです。その一方で、プロレタリアート独裁や革命を叫んでいたのです。まさにスラヴォイ・ジジェクは、当時の左翼と(二周も三周も遅れて)同じ轍を踏んでいると言えるでしょう。

それどころか、左翼ラディカリストのスラヴォイ・ジジェクが主張する「排除の論理」は、今のガザの殲滅作戦=ジェノサイドを肯定することにつながるものであると言ってもいいでしょう。もとよりそれは、スターリン主義に架橋されるような言説であるとも言えるのです。単にトンチンカンと笑って済まされるような話ではないのです。
2023.11.13 Mon l パレスチナ問題 l top ▲