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■10年以上通うスーパー
私がもう10年以上通っているスーパーがあります。ほぼ2日に1度のペースで通っていますが、コロナがはじまる前まではずっと変わらない日常の風景が続いていました。
開店間際に行くことが多かったのですが、店に入ると、第二の人生でアルバイトをしているとおぼしき高齢の人たちが品出しをしていました。開店してもまだ追いつかないらしく、それぞれの持ち場で台車で運ばれた箱の中から商品を出してそれを棚に並べていました。
ところが、2020年の春先、新型コロナウイルスの感染が拡大を始めると、彼らはいっせいに姿を消したのでした。みんな、感染を怖れて辞めたのだと思います。
実際にスーパーのレジ係の人たちがコロナ禍で過酷な状況に置かれていたのは事実で、店のサイトでは日々感染者が発生したことが発表されていました。
朝の品出しがいなくなったことで、開店しても、東日本大震災のときの買いだめのあとみたいに、商品棚はガラガラの状態が続きました。
レジはビニールで覆われ、レジ係の女性たちはゴム手袋をして仕事をするようになりましたが、感染は続いていました。中には結構高齢の女性もいましたが、(失礼にも)事情があって辞めたくても辞められないのかなと思ったりしました。
ところが、しばらくして、セルフレジが導入されることになったのです。そのため、1週間休業して改装が行われました。
改装後、店に行くと、数人いた高齢のレジ係の女性がいなくなったのでした。長い間通っていると、誰が社員で誰がパートかというのが大体わかるようになりますが、残ったのは若い社員ばかりです。彼女たちは、セルフレジの端でパソコンを睨みながら、不正がないか?監視するのが仕事になりました。そして、余った社員が一部に残った有人レジを交代で担当するようになったのでした。
■コロナ禍と合理化
私自身も、いつの間にかキャッシュレス生活になりました。考えてみたら、先月、銀行で現金をおろしたのは一度で、それも5千円だけでした。数年前には考えられないことです。
食事をするために店に入ろうとしても、オダギリジョーと藤岡弘が出るテレビのCMではないですが、現金払いしかできない感じだと敬遠するようになりました。そもそも財布に現金が入ってないのです。
私が行く病院はキャッシュレス決済ができないので、病院の前にある銀行のATMでお金をおろして行かなければならないのですが、会計の際、請求どおりの小銭がなくてお釣りを貰うはめになると困ったなと思うのでした。小銭を使う機会がないからです。
たまった小銭を使おう(処分しよう)と思って、スーパーのセルフレジで小銭を投入して精算しはじめたものの、要領が悪くて時間がかかっていたら、店員がやって来て「大丈夫ですか?」と言われたことがありました。
このように、コロナ禍によって私たちの社会はかつてない規模で合理化が行われ、風景が一変したのでした。キャッシュレスの便利さも、資本の回転率を上げるための合理化のひとつなのです。契約を切られたり、パートだと時間を削られたり、仕事を辞めても次の職探しに苦労したりと、便利さと引き換えに、自分の人生が血も涙もない経済合理主義に晒されることになったのです。
人出不足と言われていますが、それは若くて賃金の安い労働力が不足しているという話にすぎません。中高年が仕事を探すのは、たとえアルバイトであっても至難の業です。仮に仕事にありついても、足元を見られて学生のアルバイト以下の安い時給しか貰えません。
ハローワークに行くと、シニア向けの求職セミナーみたいなものがあるそうで、そこでは、プライドを捨ててどんな仕事でもしなさい、仕事があるだけありがたく思いなさい、それが現実なんですよ、と得々と説教されるのだと知人が言っていました。
■資本主義の本性
格差も広がる一方です。コロナ禍とウクライナ戦争による物価高でさらに格差が広がった感じです。「過去最高の賃上げ」も、見方を変えれば格差拡大の要因になっています。
最近「全世代型社会保障改革」という言葉を耳にするようになりましたが、それが、岸田政権の目玉である異次元の少子化対策の財源をどうするかという、これからはじまる議論の叩き台です。しかし、最初から結論(方針)は決まっているのです。ターゲットになるのは高齢者の社会保障費です。既に高齢者の医療費の自己負担が増えており、方針が先取りされているのでした。高齢者においては、受益者負担の原則と称して、10万円にも満たない年金の中から月に1万数千円の介護保険料が天引きされるような現実があることを現役世代は知らすぎるのです。
パンデミックとウクライナ戦争をきっかけに、世界地図が大きく塗り替えられるのは間違いなく、当然私たちの生活も変わっていかざるを得ないでしょう。今のかつてないほどの異常な物価高はその前兆だと言えます。
多極化により、政治だけでなく経済の重心が新興国に移っていくことによって、今までドル本位性で守られてきた先進国は、アメリカの凋落とともに先進国の座から滑り落ちていくのです。貧しくなることはあっても、もう豊かになることはないでしょう。既に1千万人の人々が年収156万円の生活保護の基準以下で生活している現実がありますが、そういう人たちはもっと増えていくでしょう。若いときはそれなりに生活できても、年を取れば若いときには想像もできなかったような過酷な日々を送らなければならないのです。今はいつまでも今ではないのです。
新型コロナウイルスを奇貨に、資本主義がその非情で横暴な本性をむき出しにしていると言っても過言ではないのです。
■明日の自分の姿
若いときの貧乏はまだしも苦労で済まされることができますが、老後の貧困は悲惨以外のなにものでもありません。
私は、以前、山手線の某駅の近くにあるアパートで、訪問介護を受けて生活している一人暮らしの老人を訪ねたことがありました。韓国料理店などが並ぶ賑やかな表通りから、「立小便禁止」などと貼り紙がされた路地を入っていくと、その突き当りに、数軒のアパートが身を寄せ合うように建っている一角がありました。それらは、私たちが学生時代に住んでいたような木造の下駄履きアパートでした。
そのうちのひとつは、1階が普通の家で2階がアパートになっていました。おそらく1階は大家さんの家なのだろうと思います。しかし、1階は昼間なのに雨戸が閉まったままで、家のまわりも雑草が生い茂っており、どうやら誰も住んでいるないような感じでした。念の為、声をかけましたが、やはり返事はありませんでした。
それで建物の横にまわり、アパートの入口らしき戸を開けると、中に履物が乱雑に入れられた下駄箱がありました。それを見て、アパートにはまだ人が住んでいることが確認できたのでした。と言っても、建物の中は物音ひとつせず、気味が悪いほどひっそりとしていました。靴を脱いで階段を上がると、薄暗い廊下にドアが並んでいましたが、どこにも部屋番号が書いてないのです。それで適当にドアをノックしてみました。すると、その中のひとつから「はい」という返事があり、どてらを着た老人が出て来ました。訪問予定の人の名前を告げると、「ああ、〇〇さんは隣のアパートですよ」と言われました。
でも、隣のアパートも人気がなく、人が住んでいるようには思えない雰囲気でした。「あそこは人が住んでいるのですか?」と訊きました。すると、「ええ、住んでいますよ。二階に上がってすぐの部屋です」「最近見てないけど、一人では歩けないので部屋にいるはずですよ」と言われました。
お礼を言って、教えられた部屋に行くと、部屋の前に車椅子が置いていました。あの狭い階段をどうやって下ろすんだろうと思いました。ドアをノックすると中から返事があり、言われたとおりドアノブをまわすとドアが開きました。どうやら鍵をかけてないようです。中に入ると、裸電球の灯りの下、頬がこけ寝巻の間からあばら骨が覗いた老人がベットに横たわっていました。部屋は足の踏み場もないほど散らかっており、飯台の上には書類らしきものに混ざって薬や小銭が散乱していました。こんなところに通って来るヘルパーの人も大変だなと思いました。一方で、目の前の老人の姿に、すごく身につまされるような気持になりました。
後日、福祉の担当者にその話をすると、「可哀そうだけど、都内はどこもいっぱいで入る施設がないんですよ」と言っていました。特に単身者の場合、都内23区の福祉事務所が担当していても、群馬や栃木や茨城などの施設や病院に入ってそこで人生を終えるケースも多いそうです。担当者の話を聞きながら、他人事ではないな、もしかしたらそれは明日の自分の姿かもしれない、と思ったのでした。
それから半年も経たないうちに、訪ねた老人が亡くなったことを知りました。さらに数年後、再開発でアパートは壊され、跡地にマンションが建てられたそうです。そうやって老人が数十年暮らした記憶の積層は、跡形もなく消し去られたのでした。
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