昨日の国葬で、参列者の涙を誘ったとかいう菅前首相の弔辞も、電通の演出ではないかと言われていますが、たしかに、今回の国葬は電通が請け負ったイベントでもあるのです。それを忘れてはならないでしょう。

ネットを見ていたら、「小林よしのり氏、安倍元首相国葬で2万人超訪問の一般献花に私見『統一教会の動員で十分集まる』」(日刊スポーツ)というニュースの見出しがありました。

それで、小林よしのり氏のブログを見たら、次のように書いていました。

YOSHINORI KOBAYASHI BLOG
献花2万人超は統一協会の動員で十分

秘書みなぼんが昨夜、こうメールしてきた。
「一般の献花に行列ができたことを、Hanada、WiLLはじめネトウヨは『これが日本人の本当の民意だ!』『国葬に半数以上が反対とか偏向報道だったんだ!』とか騒いでいて滑稽ですw こんな平日に献花で並ぶとか、統一協会の信者もかなり動員されてますよね」

確かに献花がたった2万人超なら、統一協会の動員で十分集まる。
統一協会の権力浸食問題は、そういう邪推や偏見を生んでも仕方がないということなんだ。
わしも統一協会が献花に来ないはずないと思っているがな。(略)


平日の昼間なのに、2万5889人(政府発表)の人たちが献花に訪れ、3時間も4時間も並んでいたのです。しかも、インタビューによれば、遠くからわざわざ訪れた人たちも結構いるのです。山梨から献花に訪れたと答えていた親子連れがいましたが、子どもは学校を休んで来たんだろうか、と思いました。

旧統一教会にとって、安倍(岸)一族は、教団の財政を支える「資金源」を与えてくれた大恩人です。それこそ足を向けて寝られないような存在です。

8月16日にソウルで開かれた、故文鮮明教祖の没後10年を記念するイベントでも、安倍晋三元首相を追悼する催しが行われ、スクリーンに大きく映し出された安倍元首相の写真に向かって参加者が献花をしていました。昨日の国葬でも、(国葬を盛り上げるために)信者を動員したとしても不思議ではないでしょう。

旧統一教会は何でもありなので、一概に「邪推」や「偏見」とは言えないような気がします。

テレビ東京の「世界ナゼそこに?日本人」で取り上げられた中に、合同結婚式でアフリカなどの奥地に嫁いだ日本人花嫁が多く含まれていたという話がありましたが、昨日の国葬でも、もしかしたら、テレビは、献花の花束を持って長蛇の列に並ぶ信者をインタビューして、「賛否両論あります」なんて言っていたのかもしれません。

ここに至っても、文化庁の担当者は、「解散命令を請求するのは難しい」と言っているのですから、教団にとって日本はどこまでもチョロい存在なのでしょう。

上映を国葬当日にぶつけた『REVOLUTION +1』は、狙い通りかどうかわかりませんが、大きな話題になっています。ただ、これはあくまで編集前のラッシュにすぎないので、当然毀誉褒貶があります。だからこそ、否が応でも、劇場用に編集された本編に対する期待が高まってくるのでした。

そんな中、やはり上映会の会場に来ていた切通理作氏が、みずからのユーチューブチャンネルで、町山智浩氏と『REVOLUTION +1』について語っていたのを興味を持って観ました。

YouTube
切通理作のやはり言うしかない
切通理作/足立正生作品『REVOLUTION +1』を語る【特別ゲスト】町山智浩

動画では、いろんな角度から『REVOLUTION +1』が論じられていました。これだけ論じられるというのは、国葬にぶつけたという話題だけにとどまらず、足立正生監督の新作が出たこと自体が既に「事件」だったということなのでしょう。

編集前ということもあるのでしょうが、『REVOLUTION +1』が今までのシュールレアリスムの手法を使った足立作品に比べれば、非常にわかりやすかった、「敷居を低くしていた」と切通氏は言っていました。似たような事件を素材にした「略称・連続射殺魔」に比べると、作品の前提になっている事件に予備知識がなくても理解できる作品になっているので、その分、カタルシスを得て「すぐ忘れる」懸念がある、というようなことを言っていました。家に帰ってもずっと考えなければ理解できないような作品こそ、いつまで心に留まるのです。それがどう編集されどんな作品として完成されるのか、そういった楽しみもあるように思います。

私は町山智浩氏の話の中で、興味を持った箇所が2つありました。ひとつは、映画で主人公の父親が大学時代、学生運動家と麻雀仲間だったという設定になっているそうですが、それは監督のノスタルジーではなく、実話に基づいたものだと言うのです。

山上容疑者の父親は、1972年のテルアビブ空港乱射事件で自爆した赤軍派の活動家と京都大学の同級生で、顔見知りだったという話があるそうです。

もうひとつ、いちばん興味を持ったのは、山上容疑者が2019年に公開された映画「ジョーカー」を大変評価しており、Twitterで何度も「ジョーカー」について投稿しているという話です。

山上容疑者が「ジョーカー」の主人公のアーサーに自分を重ね合わせていたというのは、衝撃ではあるものの、しかし、今となっては納得できる気もします。

アメリカで「ジョーカー」が公開される際、犯罪を誘発するのではないかと言われ、公開に難色を示す声もあったそうですが、結局、アメリカでは何も起きなかった。しかし、日本で起きた。町山氏は、そう言っていましたが、映画で描かれたアーサーの哀しみや怒りは、たしかに山上容疑者にも共通するものがあるような気がします。

読売新聞の記事によれば、山上容疑者の「ジョーカー」に関する投稿は14回にも及んでいたそうです。

ただ名門の政治家の家に生まれたというだけで、周りからチヤホヤされて、小学校からエスカレート式で大学まで行き、漢字もろくに読めないのに総理大臣にまでなった安倍晋三に対して、頭脳明晰だったにも関わらず父親の自殺や母親の入信などがあって貧困の家庭に育ち、大学進学も叶わず、様々な資格を取得しても人間関係が原因で仕事が続かず、不遇の人生を歩むことになった山上容疑者は、黒澤明監督の「天国と地獄」を思わせるような対称的な存在です。

しかし、町山氏が言うように、それはたまたまにすぎないのです。「親ガチャ」にすぎないのです。安倍晋三と山上徹也が入れ替わることだってあり得たのです。

山上容疑者は、そんな自分の人生を、自己責任のひと言で一蹴するような社会の不条理に対して引き金を引いたのではないか、と想像することもできるように思います。
2022.09.28 Wed l 社会・メディア l top ▲
今日、山に行こうと思っていたのですが、寝過ごしてしまい行くことができませんでした。それで、再び寝たら、次に目が覚めたのは午後でした。

テレビを点けたら、どこも黒い喪服を着たアナウンサーたちが国葬の模様を中継している画面ばかりでうんざりしていたところ、テレビ東京が「昼めし旅」を放送していたのでホッとして、遅い朝飯を食いながらそれを観ました。

国民の60%だかが反対しているというのに、読売新聞の調査では47都道府県のうち43知事が参列し、欠席したのはわずか4知事だけだそうです。しかも、テレビ各局は(テレ東を除いて)特別番組を組み、黒い喪服姿のアナウンサーたちがさも沈痛そうな表情を装って、美辞麗句がちりばめられた安倍元首相に対するお追従の原稿を読み上げているのでした。

個人的にはあまり信用していませんが、それでも60%の民意はどこに行ったんだ、と思いました。「ニッポン低国」というのは竹中労の言葉ですが、まさに最後はみんなで思考停止に陥ってバンザイする「ニッポン低国」の光景を見せつけられているような気がしました。

でも、安倍元首相は旧統一教会のエージェントみたいな人物だったのです。「反日カルト」の旧統一教会を日本に引き入れ、日本人をサタンと呼ぶ「反日カルト」に日本を「売ってきた」一家の3代目なのです。「保守」や「愛国」や「反共」や「売国」という言葉が虚構でしかなかったことを、文字通り体現する人物なのです。

自宅から遺骨が出る際には20名の自衛隊の儀仗隊が先導し、遺骨が乗った車が国会や総理官邸ではなく、何と防衛省をまわって会場の武道館に向かい、武道館に到着したのに合わせて、北の丸公園で弔意を表す19発の空砲(弔砲)が放たれるという、驚くべき企画がありましたが、何だかそれも空々しく見えました。

私は、「愛国」と「売国」が逆さまになった”戦後の背理”ということをずっと言ってきましたが、旧統一教会の問題によって、まさにそれがきわめて具体的に目の前に突き付けられたのです。それでもまだ事実を事実として見ようともしない人間たちがいるのです。それは、今なお空疎な「愛国」にすがるネトウヨだけでなく、黒い喪服を着たメディアの人間たちも同じです。

今日の国葬には、7人だかの皇族も参列したそうですが、ここでも統治権力の外部にある、天皇制という「法の下の平等」を超越した擬制を利用して、みずからを正当化するこの国の無責任体制が示されているのでした。

赤坂真理は、『愛と暴力の戦後とその後』(講談社現代新書)の中で、天皇を「元首」とする自民党の改憲案について、「権力を渡す気などさらさらないのに、『元首』である、と内外に向けて記述する」厚顔さと、「天皇権威を崇め、利用し、しかし実権を与えない」夜郎自大を指摘していましたが、そうやってみずからの無責任体制を認知させるために天皇制を利用する、それが日本の「国体」なのです。右翼は、そんな「国体」を死守する、と言っているのです。むしろ、左翼の方が、「君側の奸」みたいなことを言って政権批判しているようなあり様です。ここにも、底がぬけた日本の現実が露わになっている気がします。

ただ、こうやって大々的に「安倍政治」を葬送したことで、旧統一教会との不埒な関係も、人々の記憶の中に永遠に残ることになったとも言えます。

旧統一教会をめぐる問題もそうですが、東京五輪のスキャンダルや急激な円安をもたらしたアベノミクスの問題など、これから「安倍政治」の精算が進むのでしょうが(進まざるを得ないのですが)、今日の国葬が”トンチンカンな出来事”として歴史に記述されるのは間違いないでしょう。

世界的な景気減速が明白になり、特にアジアは軒並みに通貨が暴落しており、アジア通貨危機の再来さえ取り沙汰されています。そんな中で一人勝ち、というかいちばん痛手が少ないのは、やはり中国なのです。

日本は今のマイナス金利政策を転換しないことには、この円安から抜け出すことはできませんが、しかし、金利を上げれば途端に不況が襲ってきます。30年間ほとんど給料も上がってない中で経済が落ち込めば、その影響は今の比ではないでしょう。でも、今のままでは円安と物価高が進むばかりです。

この一周遅れのドツボにはまったのも、アベノミクスの失政によるものです。安倍政権があまりに長く続きすぎたために、経済においても、もはや取り返しがつかないような事態にまで進んでしまったのです。

通貨安で千客万来と言うのは、どう見ても発展途上国の発想でしょう。そもそも売春や児童ポルノを含めて観光しか頼るものがないというのも、発展途上国の話です。でも、日本は発展途上国ではありません。もうそこまで没落したということです。

にもかかわらず、どうして「安倍さん、ありがとう」なのか。旧統一教会がそう言うのならわかりますが、どうして日本の国民が、「反日カルト」と一緒になって「安倍さん、ありがとう」と言わなければならないのか。何がそんなにありがたいのか。何だか悪い夢でも見ているような気持になります。

からゆきさんではありませんが、日本の女性たちが、生活のために、外国人観光客相手に春をひさぐようになっているのです。みんな見て見ぬ振りをしていますが、(ひと昔前の日本人のように)中国や韓国の男性たちがツアーを組んで日本の風俗街を訪れているのです。そんな国にしたのは誰なのか、と言いたいのです。
2022.09.27 Tue l 社会・メディア l top ▲
今日(26日)、新宿のロフトプラスワンで行われた「REVOLUTION+1」の上映会の後のトークパート(トークショー)が、vimeo.comでライブ配信されていましたので、それを観ました。

vimeo
【REVOLUTION+1】トークパート
https://vimeo.com/753485644/09313605ac

トークパートは明日も行われるようですが、今日出ていたのは、足立正生監督と宮台真司、それにヒップホップミュージシャンのダースレイダーで、司会は井上淳一氏が務めていました。

その前に、トークでもちょっと触れられていましたので、歌手の世良公則のことについて、私も書いておきます。実は、私も昨日の記事で書いていたのですが、あまり個人攻撃するのも気が引けたので削除したのでした。

それは、世良公則の次のようなツィートに対してです。


ネトウヨならまだしも、表現を生業とする人間として、「この異常な状態を許す」「それが今の日本」「国・メディアは全力でこれに警鐘を鳴らすべき」という発言には唖然とするしかありません。まして、彼は映画を観てないのです。作品を観てないにもかかわらず、国家なりメディアなりが「警鐘を鳴らすべき」、つまり、(解釈の仕方によっては)表現を規制すべきとも取れるようなことを言っているのです。

政治的立場がどうであれ、表現行為は最大限自由であるべきだというのは、表現を生業とする者にとって共通事項でしょう(そのはずです)。自由な表現にもっとも敏感であるべき表現者として、この発言はあり得ないと思いました。

また、彼は、今日は次のようなツイートをしていました。


投稿の時間を見ると、立て続けに届いていますので、たしかにしつこい感じはありますが、SNSでみずからの考えを発信していると、この程度の誹謗は想定内と言ってもいいようなレベルのものです。もしかしたら、酔っぱらっていたのかもしれません。

「内容から危険な人物と判断」「事務所から警察に報告する案件であるとの連絡を受けました」というのは、いくらなんでもオーバーではないかと思いました。何だか一人相撲を取っているような感じがしないでもありません。

閑話休題それはさておき、トークでは、宮台真司が、まずホッブスの『リバイアサン』を引き合いに出して、自力救済の話をしていました。統治権力が信頼できなくなり、社会や政治の底がぬけた状態になったら、人々は(国家以前のように)自力救済するしかない。しかも、コミュニティ(共同体)も機能しなかったら、もはや自力救済はみずからの暴力に頼るしかなくなる、というようなことを言っていました。

ホッブスが言うように、自然状態では、お互いがみずからの生き死を賭けて暴力を振るい合うような「万人の万人に対する闘争」になります。それで、「万人の万人に対する闘争」を避けるために、それぞれがみずからの権利を委託して仲介する装置として「国家」が登場したのです。その国家が与えられた役割をはたさなくなったら(つまり、底がぬけた状態になったら)、もとの「万人の万人に対する闘争」の状態に戻るしかないでしょう。

底がぬけた状態になればなるほど、国家はみずからの責任を回避するために、自己責任だと言うようになります。それでは、寄る辺なき生の中で自力救済を求めれば、「ローンウルフ型テロ」や「拡大自殺」に走る人間が出て来るのは当然でしょう。

会場に来ていた東京新聞の望月衣塑子記者が、撮影現場を取材した際に、足立監督が語っていたという話を披露していたのが印象に残りました。

山上徹也容疑者は、父親の自殺、母親の入信、兄の病気と自殺、貧困による大学進学断念という不本意な人生を歩む中でも、酒にも女にもギャンブルにも逃げることなく、愚直にまっすぐに生きて来た。そんな人間の気持を映画で描いてあげたいと思った、と足立監督は言っていたそうです。私はそれを聞いて、監督が日本赤軍に合流するためにパレスチナに旅立ったときの気持が、何となくわかったような気がしました。もっとも、パレスチナに行ったもうひとつの目的は、「赤軍-PFLP・世界戦争宣言」の続編を撮るということもあったようです(ただ撮影したフィルムは空爆で焼失したと言っていました)。

会場には、望月衣塑子記者以外にも、映画監督の森達也氏、漫画家の石坂啓氏、ドイツ語翻訳家の池田香代子氏、脚本家の荒井晴彦氏、映画監督の金子修介氏、評論家の切通理作氏などが来て、それぞれ映画の感想を述べていました。若松孝二監督や松田政男氏らも生きていたら、間違いなく会場に来ていたでしょう。

世良公則ではないですが、未だに「元日本赤軍のテロリスト」みたいなイメージが先行していますが、足立正生監督が前衛的なシュールレアリスムの作り手として知られた伝説の映画監督であり、多くの人たちが彼の新作を待ちわびていたことが、よくわかる光景だと思いました。

ついでに言えば、「やや日刊カルト新聞」の藤倉善郎氏が、カルト新聞とは別に、ライターの村田らむ氏との雑談をYouTubeに上げているのですが、昨日上げたYouTubeの中で、先行上映会で「REVOLUTION+1」を観た感想を述べていました。しかし、それはひどいものでした。

「REVOLUTION+1」のトークでも、荒井晴彦氏が辛辣な感想を述べていましたので、否定的な感想がひどいというのではありません。二人して映画を嘲笑するような、そんな小ばかにした態度があまりにもひどいのです。批判するならもっと真面目に批判しろと言いたいのです。それに、村田らむ氏は、世良公則と同じように映画を観ていないのです。ただ余談と偏見でものを言っているだけです。

YouTube
フジクラム
藤倉が安倍銃撃事件を題材にしたフィクション「REVOLUTION+1」を観ました

しかも、村田らむ氏は、足立正生監督について、次のようなツイートをしていました。


私は映画を観てないのですが、映画の中で、優しくされたアパートの隣人の女性とセックスをしかけるけど、主人公がハッとしてそれを拒否するといううシーンがあるみたいです。それに関して、監督が村田らむ氏が書いているような説明をしたのかもしれません。村田らむ氏も映画を観てませんので、それを藤倉氏から聞いて、ツイートしたのでしょう。これじゃ#MeToo運動の名を借りた個人攻撃じゃないか、と思いました。

私は知らなかったのですが、ウキペディアによれば、村田らむ氏が出した『こじき大百科―にっぽん全国ホームレス大調査』や『ホームレス大図鑑』という本は、路上生活者を差別しているという抗議を受けていづれも絶版になっているようです(そのあと『紙の爆弾』の鹿砦社から同じようなホームレスの本を出していたのには驚きました)。唐突に4年以上前に書いた#MeTooの記事を出して批判するというのも、そのときの「左翼」に対する個人的な感情みたいなものもあるのかもしれない、と思いました。

上の動画を観てもらえばわかりますが、嘲笑しているのはどっちだというような話なのです。二人して「左翼だから」というような言葉を連発して、面白おかしく話のネタにしていましたが、何でも笑いにすればいいってものではないでしょう。

前に藤倉氏が菅野完氏と一緒に、渋谷の松濤の世界平和統一家庭連合の本部にイベントの招待状だかを持って行くという動画を観たことがありますが、その如何にもYouTubeの視聴者向けに行われたような悪ふざけに、私は、違和感と危うさを覚えたことがありました。「やや日刊カルト新聞」にはもともと遊びの要素みたいなものがありますが、鈴木エイト氏がマスコミの寵児になり注目を浴びたことで、勘違いが度を越してエスカレートしているのではないか、と思ったりしました。

藤倉善郎氏は、日本脱カルト協会がカルト化していると批判していましたが、自分たちも軽佻浮薄の中に自閉してカルト化しているのではないか、と心配になりました。
2022.09.27 Tue l 社会・メディア l top ▲
安倍元首相の国葬が火曜日(27日)に行われますが、それに合わせて都内の駅ではゴミ箱が使えないように封がされ、車内でも「ゴミはお持ち帰り下さい」という放送がくり返し流されていました。ここは山か、と思いました。

トイレも警察官が定期的に見まわっているようですが、だったらどこかの山のように、簡易トイレ持参で「糞尿もお持ち帰り下さい」と放送すればいいんじゃないか、と思いました。

この分では登山帰りに大きなザックを背負って歩いていると、職務質問されないかねないような雰囲気です。また、駅の構内でも各所に警察官が配備され、あたりに鋭い視線を走らせています。彼らの目には、目の前を行き交う国民がみんなテロリストに見えているのかもしれません。

全国から2万人の警察官が動員された「厳戒体制」というのは、さながら戒厳令下にあるようなものものしさですが、そうやって恫喝まがいの国家の強い意志を私たちに示しているのだと思います。

一方、テレビ各局も当日は特集番組を組んでいるそうです。国家の要請に従って、「歴史的な一日」を演出するつもりなのでしょう。

どんなに反対意見が多かろうが、最後は国家が求める”日常”に回収されるのです。自民党の二階俊博元幹事長は、「(オリンピックと同じように)終わったら反対していた人たちも、必ずよかったと思うはず」と発言していましたが、そうやって「必ずよかったと思う」ように仕向けるのでしょう。実際に、オリンピックも最後には「やってよかった」という意見が多数になったのでした。

国民なんて所詮そんなものという声が、どこからか聞こえてくるようです。二階は別に耄碌なんかしていないのです。彼の大衆観は間違ってないのです。

『ZAITEN』の今月号のコラムで、古谷経衡氏は、次のように書いていました。

(略)現在の右派界隈を総覧すると、統一教会と自民党(安倍家・清話会)との関係については、黙殺とする姿勢が多数を占めている。それは統一教会には一切触れずに、ひたすら安倍時代を回顧するというノスタルジー的姿勢で、実際に今年9月号の『WiLL』『Hanada』両誌は事前協定でもあったかのように「安倍回顧・ありがとう特集」を組み、表紙は揃って安倍晋三氏である。
(『ZAITEN』10月号・「『政治と宗教』で返り血を浴びる言論人」)


安倍元首相が「反日カルト」と一心同体だった、「保守」や「愛国」が虚構だった、という事実を彼らは何としてでも否定しなければならないのです。でないと、自分たちの存在理由がなくなってしまいます。

しかし、旧統一教会が「反日カルト」であることは、もはや否定しようもない事実です。安倍家が三代にわたって旧統一教会と深い関係にあったのも、否定しようがないのです。彼らが依拠する「愛国」や「反共」も、「反日カルト」からの借り物でしかなかったことがはっきりしたのです。だったら、とりあえず現実を「黙殺」して、「安倍さん、ありがとう」と引かれ者の小唄のように虚勢を張って、その場を取り繕うしかないのでしょう。

もとより、旧統一教会や旧統一教会と政治の関わりを叩くことは、山上容疑者の犯罪を肯定することになるという、ネトウヨや三浦瑠麗や太田光などにおなじみの論理も、きわめて歪んだ話のすり替えにすぎません。彼らは、もはやそんなところに逃げ込むしかないのです。

そんな彼らにとって、たとえば、27日の国葬に合わせて公開される映画「REVOLUTION+1」などは、とても看過できるものではないでしょう。その苛立ちは尋常ではありません。

今の20数年ぶりの円安もアベノミクスの負の遺産ですが、国家ともども長い間“安倍の時代”に随伴し、我が世の春を謳歌してきた者たちにとって、”安倍の時代”の終わりはあまりにもショッキングで受け入れがたいものだったはずです。

何度も言うように、山上徹也容疑者の犯行がなかったら、安倍元首相と「反日カルト」の関係が白日の下に晒されることもなかったのです。旧統一教会めぐる問題が、こんなにメディアに取り上げられることもなかったのです。山上容疑者の犯行をどう考えようが、そのことだけは否定しようのない事実でしょう。

ただ、旧統一教会をめぐる問題でも、有象無象の人間たちが蠢いているという話もあり、(変な言い方ですが)一筋縄ではいかないのです。別に旧統一教会に限りませんが、なにせ相手はお金を持っている宗教団体なのでアメとムチはお手のものです。

前も書きましたが、信仰二世の問題も、言われるほど単純な問題ではないように思います。カルトに反対しているからとか、脱会運動をしているからというだけで、”正義”だとは限らないのです。

笑えないお笑い芸人もいますが、一方で、カルトをお笑いにして(嘲笑して)お金を稼いでいる反カルトもいます。今は、そんなミソもクソも一緒くたになった状況にあることもたしかでしょう。

また、国葬は国民を「分断」する愚行だという識者の声も多く聞かれます。たとえば、朝日の「国葬を考える」という特集でも、「『国葬』が引き起こした国民の分断」とか「国葬で人々はつながれるのか  岸田首相に求められる『包摂の言葉』」などという見出しに象徴されるように、「分断」を危惧する声が目立ちました。

朝日新聞デジタル
国葬を考える

でも、そういった論理は、結局、二階が言うような「(オリンピックと同じように)終わったら反対していた人たちも、必ずよかったと思うはず」という国家が求める”日常”に回収されるだけの、日本の新聞特有のオブスキュランティズムの言葉でしかありません。宮台真司が言う「現実にかすりもしない言葉」にすぎないのです。識者たちは、新聞のフォーマットに従ってものを言っているだけなのです。

そんな中で、どこまで事件が掘り下げられているのかわかりませんが、この映画のような”直球”は貴重な気がします。「国葬反対」と言っても、こういった国家と正面から向き合う”直球”の言葉はきわめて少ないのです。

未だに左翼だとか右翼だとか、そんな思考停止した言葉しか使うことができない不自由な人間も多くいますが、映画でも文学でも、表現するということが、世の中の公序良俗に盾突くことは当然あるでしょうし、表現者なら、それを躊躇ってならないのは言うまでもありません。

2万人の警察官に守られて挙行される国葬に、ひとりの老映画監督がみずからの作品を対置するという(不埒な)行為こそ、自由な表現の有り得べき姿が示されている、と言っても過言ではないのです。

ネットには、映画の公開を前にメイキング動画がアップされていました。


企画・脚本は井上淳一。撮影監督は三谷幸喜作品にも名を連ねるあの高間賢治。音楽はドラマ「あまちゃん」の大友良英。予算わずか700万円の映画であっても、足立正生監督の心意気に、こんな豪華なメンバーが集まったのです。

今回上映されるのは、未編集のラッシュで、正式な劇場公開は年末だそうです。都内の上映会に予約しようとしたら、いづれもSOLDOUTでした。
2022.09.25 Sun l 社会・メディア l top ▲
ひろゆきは、よく2ちゃんねるを「捨てた」という言い方をしています。

前に記事で紹介した『僕が2ちゃんねるを捨てた理由』(扶桑社新書054)の中で、ひろゆきは、「2009年、2ちゃんねるをシンガポールのパケットモンスター社に譲渡しました」と言っていました。

尚、『僕が2ちゃんねるを捨てた理由』は、ひろゆき自身が、自分は長い文章を書くのが苦手なので、「今回も前著の『2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?』と同様、ライターの杉原光徳さんに文章にしてもらったりしています」、とゴーストライターの存在を明言しています。

「譲渡した理由」について、ひろゆきは同書で次のように言っていました。

(略)もっとも大きな理由というのが、ちょっと前から2ちゃんねるの運営に関して僕のやることがほとんどなかった、ということです。記事の削除やIPアドレスの制限、苦情が入ったり殺人予告が行われたときにアクセスログを提出する、といったものはすでにシステム化されていて、ほとんど関与していなかったのです。なので、やっていたことといえば、2ちゃんねるの運営にかかわっているボランティアの人同士がもめたときなどに仲裁に入るぐらい。しかも、『メガネ板とコンタクト板を分けるべきか?』といったどうでもいい話でもめた時の仲裁に入るくらいだったのです。
  で、それだけの仕事しかなかったのに、2ちゃんねるかかわっているにもどうなのか? と思ったのです。さらに、もし2ちゃんねるを手放したら、どうなるのか?  というのを見てみたくなってしまったのですね。言ってしまえば、「2ちゃんねるを手放したのは実験的なもの」だったのです。


しかし、のちにパケットモンスター社は実態のないペーパーカンパニーであることが判明しています。

清義明氏は、そのことについて、「論座」の記事で次のように書いています。

朝日新聞デジタル
論座
Qアノンと日本発の匿名掲示板カルチャー

  2011年3月27日付の読売新聞は、このパケットモンスター社が経営実態のないペーパーカンパニーだったとの現地調査を伝えている。それによれば、同社の資本金は1ドル。本店登記された場所は会社設立代行会社の住所、取締役も取締役代行をビジネスにしている人だったとのことだ。典型的なタックスヘイブンを利用した節税対策の手法である。

  同紙によるとパケットモンスター社の取締役と登記されている人は「頼まれて役員になっただけで、2ちゃんねるという掲示板も知らない」と証言し、日本から手紙などが来ても日本語が読めないため放置しているとも語った。同社の事務所とされる住所にいた人に聞くと、あっさりと「バーチャルオフィスだよ」と笑っていたそうだ。


「捨てた」というのは、ウソだったのです。実際に、2ちゃんねるが(「捨てた」のではなく)乗っ取られて、ひろゆきの手を離れたのはずっとあとになってからです。

ひろゆきが2ちゃんねるを設立したのが1999年ですが、もともとはあめぞうという別の匿名掲示板があり、2ちゃんねるはその名のとおり、あめぞうの「避難所」のような位置づけだったそうです。しかし、あめぞうはトラフィックに耐えられずサーバーダウンが常態化したことなどにより、2000年閉鎖してしまいます。

その結果、2ちゃんねるのトラフィックがいっきに増え、2ちゃんねるもあめぞう同様、大きなトラフィックに耐えられるサーバーの必要性に迫られることになったのでした。

そんな中、(のちに家宅捜索を受けることになる)札幌のIT会社の仲介で紹介されたのが、アメリカにサーバーを置いて日本で無修正のアダルトサイトを運営していたNTテクノロジー社のジム・ワトキンス氏です。そして、ひろゆきは、日本向けのホスティングサービスも行っていたNTテクノロジー社に、サーバーの管理を委託することになるのでした。

(略)この2001年前後に、ジム氏のNTテクノロジー社は2ちゃんねるから月額約2万ドルを受け取っていると2004年7月12日号のアエラ誌で答えている。そしてそれに加えてジム氏は有料課金の2ちゃんねるビューアのサービスの権利を得た。後に、このサービスは年間1億以上の売上を稼ぐようになる。こうしてジム氏はサーバーを手配し、以降2ちゃんねるは安定した通信環境で運営できるようになっていった。(略)

  一方で西村氏は自身で東京プラス社(2002年9月設立)、未来検索ブラジル社(2003年4月設立)を立ち上げ、それぞれ代表取締役と取締役に就任。広告事業や、影では企業向けの2ちゃんねるの書き込みのデータサービスや、ジム氏によれば企業向けの誹謗中傷投稿の削除業務などをビジネスとして展開しはじめたようだ。


この時期、ひろゆきは2ちゃんねるを舞台に、文字通りマッチポンプのようなビジネスもはじめたのでした。それは、ヤクザの手口に似ています。

ところが、2011年から2012年にかけて、「麻薬特例法違反事件と遠隔操作ウイルス事件に関連する書き込みが2ちゃんねるにあったとの理由」で、ひろゆきの自宅や自身が経営する会社などが4度にわたり家宅捜索されたのでした。また、2013年には、東京国税局から、2ちゃんねるの広告収入のうち、約1億円の”申告漏れ”を指摘されたのでした。これは、再々の削除要求にも従わなかったひろゆきに対する、国家の意趣返しの意味合いがあったのは間違いないでしょう。

何のことはない、2ちゃんねるを「捨てた」はずのひろゆきが、2ちゃんねるの運営責任者として捜査の対象になったのです。ひろゆきが「譲渡した」と主張するシンガポールのパケットモンスター社も、警察や国税は、単なる「トンネル会社」にすぎないと見做したのです。

また、2013年には、2ちゃんねるで個人情報が大規模に流出するという事件も起きました。当時、私もこのブログで書きましたが、個人情報の流出によって、2ちゃんねるの投稿と有料会員のクレジットカードが紐付けされ、その情報が企業に販売されていたことも判明したのでした。

そのことがきっかけに、ひろゆきとジム・ワトソン氏の間で内輪もめが勃発します。ひろゆきが、2ちゃんねるをNTテクノロジー社から自分の会社に移転しようとしたのでした。ところが、ジム・ワトソン氏は、それに対抗して、2ちゃんねるのドメインを同氏が新たにフィリピンに設立したレースクィーン社に移転したのでした。

パスワードも変更されたため、ひろゆきは、2ちゃんねるの管理サーバーにアクセスすることができなくなります。ジム・ワトソン氏は、内輪もめに乗じて、2ちゃんねるのドメインとサーバーのデータの二つを手に入れることに成功したのでした。

翌年(2014年)、ひろゆきは、移転の無効を訴えて裁判を起こします。その裁判の中で、ジム・ワトソン氏は、ドメインの移転について、「シンガポールのペーパーカンパニーであった西村氏のパケットモンスター社に、ドメインを管理する団体から、その法人に運営実態がないとクレームが入ったからだ」と証言したそうです。ひろゆきのウソが逆手に取られたのです。

また、ジム・ワトソン氏は、サーバー代をもらってないので、サーバーの名義を自分の会社に移転したとも証言したそうです。

結局、2019年に、ひろゆきが訴えた「2ちゃんねる乗っ取り裁判」は、最高裁で原告棄却の判決が下され、ひろゆきの敗訴が確定したのでした。もっとも、実質的には、2ちゃんねるは2014年からジム・ワトソン氏に乗っ取られていました。

裁判について、清氏は次のように書いていました。

  一審ではジム氏が証人として出廷しなかったことがあり西村氏側が勝訴したが、二審でジム氏が出廷すると判決は一転した。判決に決定的な影響したのは、そもそもジム氏との西村氏側に契約書が存在しなかったという呆れるような事実である。

  また、2ちゃんねるビューアのトラブルか起きてから追加で払ったサーバー代の前払金は、西村氏とジム氏とチャットで決めたもので、そのパスワードを西村氏が忘れてしまったため、証拠として提出できないとのこと。

  ジム氏の裁判での主張は、月額約2万ドルをもらっていたのはサーバー代ではなく広告収益の共同でビジネスしてきた分配金である、ということだ。その金額はどうやって決めたかと問われて、ジム氏は「温泉で西村氏と日本酒を呑みながら決めた」ということだ。

  挙句の果てに、裁判でジム氏は、西村氏は2ちゃんねるのスポークスマンにすぎず、最初からプログラミングの技術力もさほど高くなかったし、ウェブサイトの運用にはついていけないレベルだったとし、これに限らず西村氏には2ちゃんねるの運営でやることは特になかったとまで言っている。サイトを事実上運用してきたのはNTテクノロジー社ということだ。

  極めつけに、西村氏にサイトの管理実態はないという証拠に、西村氏の著書『僕が2ちゃんねるを捨てた理由』を提出されて証拠採用されてしまう始末だ。



日米の匿名掲示板カルチャーの伝番の系統図
(「Qアノンと日本発の匿名掲示板カルチャー」より引用)

2ちゃんねるが乗っ取られたことで、ひろゆきは、掲示板ビジネスを日本からアメリカに移すことにします。

上の「日米の匿名掲示板カルチャーの伝番の系統図」を見てもわかるとおり、日本のおたくカルチャーにあこがれるアメリカ人によって、日本のふたばちゃんねるをそっくり真似た4chanがアメリカで作られていました。ひろゆきは、その4chanを買収したのでした。すると、同時期、ジム・ワトソン氏も、まるでひろゆきに対抗するように、4chanから派生した8chanを買収して、掲示板ビジネスをはじめます(2019年に8kunと名称を変更)。

やがて、二つの掲示板は、陰謀論者Qアノンを心酔するトランプ支持者たちの巣窟となっていきます。そして、承知のとおり、トランプ支持者たちは、アメリカ大統領選が不正だったとして、連邦議事堂襲撃事件を起こすのでした。そのため、言論の自由を重んじるアメリカンデモクラシーの伝統に則り、プラットフォーマーの責任を原則として問わないことを謳った、通信品位法(1996年)第230条の改正が、連邦議会で取り沙汰されるようになったのでした。

清氏も、「西村氏が管理する4chanはオルタナ右翼の発祥の地と目されるばかりか、Qアノンが最初に現れた掲示板である」と書いていました。また、「4chanが変質したのは西村氏が経営権を取得してからだというのはVICE誌も指摘している」として、次のように書いていました。

  しかし西村氏は投稿規制にこれまで以上に積極的ではなく、一応はルールとしてあった人種差別投稿の禁止というルールがほとんど守られなくなった。そして一部のボランティアの管理者の独断による掲示板の運用が進み、一応は存在していた差別的な投稿の禁止のガイドラインが著しく後退してしまったという。(略)

  そうして、アニメやコスプレやスポーツについて話したり、時にはポルノ画像を閲覧したりするためにサイトにアクセスしたユーザーは、ネオナチや白人至上主義、女性嫌悪や反ユダヤや反イスラムのイデオロギーについての投稿を学んでいく。ヘイトの「ゲートウェイコンテンツ」に4chanはなっているというわけだ。こうして4chanは極右や差別主義者の政治ツールになってしまった。ここに集まる白人至上主義や女性差別主義者の群衆は、やがてそしてここにトランプ支持者のコア層となっていく。これがいわゆるオルタナ右翼である。(略)

  ネットリテラシーなど関係なく、様々な人々を吸引した4chanは、そうしてヘイトの巨大な工場となった。アメリカのパンドラの箱は開いた。そこからダークサイドの魔物が次々と姿を現していく。

  その魔物のひとつがQアノンだ。


Qアノンの陰謀論の拡散に一役買ったような人物が、コメンテーターとして再び日本に舞い戻り、「論破王」などと言われて若者の支持を集め、さらには社会問題についても、お茶の間に向けてコメントするようになっているのです。

2ちゃんねるを「捨てた」という彼の発言を見てもわかるように、ひろゆきが言っていることはウソが多いのです。だからこそ、「論破王」になれるとも言えるのです。

”賠償金踏み倒し”もさることながら、そんな人物に、常識論や良識論を語らせているメディアの”罪”も考えないわけにはいきません。

それは、みずからのコメントに対する批判・誹謗に対して、こともあろうにスラップ訴訟をほのめかすようなお笑い芸人を、ニュース・情報番組のキャスターに起用しているメディアも同様です。件のお笑い芸人が、自分たちにとって、獅子身中の虫であることがどうしてわからないのか、と思います。

コメンテーターひろゆきの存在は、このようにみずから緩慢なる自殺を選んでいるメディアの末路を映し出していると言えるでしょう。
2022.09.24 Sat l ネット l top ▲
『ZAITEN』2021年9月号のインタビューで、近現代史研究家・辻田真佐憲氏が、次のように語っていたのが目に止まりました。

ZAITEN
【全文掲載】辻田真佐憲インタビュー「『2ちゃんねる』ひろゆきの〝道徳〟を 甘受する『超空気支配社会』の大衆」

辻田氏は、SNSはもはや「〝リアルを忍ぶ仮の姿〟ではなくなった」と言います。そして、SNSを通して、「人々が空気の微妙な変化を読み、キャッチーな言動で衆目を集め、動員や自らの利益に繋げようとする中で、新たなプロパガンダや同調圧力が生み出されている」と言うのです。「それは、言論のクオリティや深度を問わない空虚なゲームでしか」ないのだ、と。

そして、「こうしたゲームに長けているのが、連続性に重心を置かず、瞬間的な立ち振る舞いをよしとする人たちで」、その典型が西村博之(ひろゆき)だと言います。でも、彼は、「それこそ『誹謗中傷を是とするネットメディアでカネを稼いだ人』と言われても仕方がない」人物なのです。

  (略)そんなひろゆきが今や、メディアで堂々と「道徳」を語っています。つまり、"武器商人"が平和を説くような状況を、人々が受け入れているわけで、これをどう解釈すべきか。つまり、「今日言っていることと、明日言っていることが違っていても問題ない」「瞬間的に話題になれば、言い逃げであったとて構わない」「過去を顧みず、今、数字とカネを得られれば勝ちである」ということです。超空気支配社会の元で、そうした価値観が息づいているのは間違いありません。


私も前から言っているように、昔、職場には、交通違反で捕まってもどうすれば切符を切られずに逃れられるかとか、違反金を払わずに済むにはどうすればいいか、というようなことを得々と話すおっさんがいました。ひろゆきはそれと似たようなものです。しかも、ひろゆきの場合、お金が絡んでいるのよけい始末が悪い。

清義明氏は、朝日新聞デジタルの「論座」で、2ちゃんねるを立ち上げネットのダークヒーローとして登場し、数々の賠償金請求訴訟で雌伏のときを過ごした末に、今日のようにメディアのコメンテーターとして“華麗なる復活”を遂げた、この20年のひろゆきの生きざまを、5回にわたってレポートしていました。その中で、彼の“賠償金踏み倒し”について、次のように書いていました。

朝日新聞デジタル
論座
Qアノンと日本発の匿名掲示板カルチャー

(略)「誰かが脅迫電話を受けたとしたら、携帯キャリアを訴えますか?」(『VICE』2008年5月19日 )と西村氏はうそぶく。

「裁判所には行ってたこともあるんですが、あるとき寝坊したんです。でもなにもかわらなかった。それで裁判所に行くのをやめたんです」(『VICE』2009年5月19日)と西村氏はインタビューで答えている。

  敗訴しても、賠償金は踏み倒すと豪語していた。そうして裁判に協力しないばかりか被害者補償を財産がないとして無視するようになり、挙句の果てには「時効も法のうち」と豪語するようになった。(略)

  こうした不作為により、2007年3月20日の読売新聞によれば、この時点で少なくとも43件で敗訴。それでも「踏み倒そうとしたら支払わなくても済む。そんな国の変なルールに基づいて支払うのは、ばかばかしい」「支払わなければ死刑になるのなら支払うが、支払わなくてもどうということはないので支払わない」と平気な顔をしていた。完全な確信犯の脱法行為である。


ひろゆきは、損害賠償請求を起こされた当時は、プロバイダー責任制限法がまだなかったので、責任を問われる筋合いではないと言っているそうですが、それについても、清氏は、次のように指摘していました。

  プロバイダ責任制限法という法的なルールか出来たのは2002年。西村氏が訴えられた民事訴訟の多くは、その法律が施行された後のことだ。訴えた人は、プロバイダ責任制限法のルールにそって、それぞれに損害や精神的な被害を与えた書き込みを要請したのだが、それでも西村氏は削除しなかったのである。警察庁の外郭団体からの年間5000件の削除依頼も正式な2ちゃんねるの手続きを経ていないということで放置していた。


私も、当時、ひろゆきが住所として届け出ていた新宿だったかのアパートの郵便受けに、訴状など「特別送達」の郵便物が入りきらずに床の上まであふれている写真を見たことがありますが、ひろゆきはそうやって賠償金の支払いをことごとく無視してきたのです。その金額は4億円とも5億円とも、あるいは10億円以上とも言われています。

そして、10年の時効まで逃げおおせた挙句、2ちゃんねるで名誉を毀損され泣き寝入りするしかなかった被害者を、上記のように「ざまあみろ」と言わんばかりに嘲笑ってきたのです。

そのひろゆきが、今やメディアのコメンテーターとして、どの口で言ってるんだと思うような常識論や良識論をお茶の間に向けて発信しているのです。

それどころか、福岡県中間市の「中間市シティプロモーション活動」のアドバイザーに就任したり、金融庁のYouTubeに登場して、何故か「以前から知り合い」だという金融庁総合政策課の高田英樹課長と、「ひろゆき✕金融庁  金融リテラシーと資産形成を語る」という対談まで行っているのでした。対談の中で、ひろゆきは、「友達に聞かれた場合は、とりあえず全額NISAに突っ込めって言ってます」と語っていたそうです。

中間市や金融庁の担当者は、ひろゆきの”賠償金踏み倒し”について、口をそろえて「詳細は承知していない」と答えていますが、それは旧統一教会との関係を問われた政治家たちの“弁解”とよく似ているような気がしてなりません。まして、「以前から知り合い」だという金融庁総合政策課の高田英樹課長が、ひろゆきの素性を知らないわけがないでしょう。

一方で、ひろゆきは、旧統一教会の問題では、いつの間にか批判の急先鋒のような立ち位置を確保しているのでした。

PRESIDENT Onlineでは、鈴木エイト氏と対談までして、何だかメディアのお墨付きまで得ている感じです。しかし、同時に、国葬に関する発言に見られるように、その言動には多分にあやふやな部分もあります。要するに、営業用にそのときどきの空気を読んで世間に迎合しているだけなので、流れが変わればいつ寝返るか知れたものではないでしょう。Qアノンの陰謀論を拡散した人物が、旧統一教会批判の急先鋒だなんて、悪い夢でも見ているような気がするのでした。

PRESIDENT Online
鈴木エイト×ひろゆき「自民党の旧統一教会"自主点検リスト"は、あまりに杜撰でひどすぎる」

東洋大学教授の藤本貴之氏も、メディアゴンのメディア批評で、“賠償金踏み倒し”を自慢げに語るような人物が、旧統一教会を批判していることに「強い違和感を覚えた」、と書いていました。

メディアゴン
4億円踏み倒し「ひろゆき氏」の統一教会批判に感じる違和感

藤本氏は、「法の抜け穴を見つけだし、法の盲点を突く脱法テクによって、法律的にグレーであっても、100%黒でない限り『何が悪いんですか?  悪く感じるのは、あなたの感想ですよね?』」という、旧統一教会などのロジックは、ひろゆきの“賠償金踏み倒し”の屁理屈にも共通するものだと言います。

筆者が感じた違和感というのは、ひろゆき氏のロジックと脱法テクニックも、結局は旧・統一教会のような団体とほとんど同じではないのか、という点だ。もちろん、ひろゆき氏は霊感商法をしているわけではないし、高額な壺を売っているわけでもない。しかし、手法や考え方はほぼ同じではないのか。

違法でなければ何をしてもよい、ロジカルに説明できれば間違えていない、論破できれば相手が悪い・・・というスタンスは脱法反社組織のそれとまったく同じだ。被害者が泣き寝入りしがちであるという点も似ている。


大塚英志は、「旧メディア のネット世論への迎合」ということを常々言ってましたが、コロナ禍のリモートの手軽さもあって、ネットのダークヒーローをコメンテーターとして迎えた旧メディアは、文字通りネット世論に迎合したとも言えるのです。ひろゆきがテレビの視聴率にどれだけ貢献しているのかわかりませんが、そうやって旧メディアは、ネットの軍門に下ることでみずからの首を絞めているのです。

コロナの持続化給付金詐欺には、闇社会の住人だけでなく、学生や公務員といったごく普通の若者たちも関与していたことがわかり、社会に衝撃を与えました。彼らには、犯罪に手を染めたという感覚はあまりなく、どっちかと言えば、ゲーム感覚の方が強かったのだろうと思います。「法の網をかいくぐってお金を手に入れるのが賢い。それができない頭の悪い人間は下層に沈むしかない」とでも言うような、手段を問わない拝金主義の蔓延は、ひろゆきの“賠償金踏み倒し”やそれを正当化する屁理屈と通底する、ネット特有のものとも言えるのです。

ネットの黎明期に、「ネットは悪意の塊だ」と言った人がいましたが、ネットによって悪知恵が称賛されあこがれの対象にさえなるような風潮が若者たちをおおうようになったのは事実でしょう。その「悪意」の権化のような人物が、コメンテーターとして旧メディアにまで進出してきたのです。

ひろゆきは、2009年に出した『僕が2ちゃんねるを捨てた理由』(扶桑社新書054)の中で、「テレビのモラルとネットのモラル」について、次のように言っていました。

  雑誌でもテレビでもネットでも、コンテンツを作るうえで間違った方向に走ってしまうことはよくあります。とはいえ間違った方向に走ったら、「これは違うよね、よくないよね」と言って軌道修正すべきでしょう。しかし、テレビには軌道修正する動きが見えてこない部分があります。だったら、「ネットの情報なんて、もっとモラルがないし、ヒドイ」とか思う人もいるはず。
  でもよくよく考えてみてください。ネットは、誰もが情報発信できるツールなので、そもそもモラルがないのです。しかし新聞や雑誌、テレビなどは、ものすごい参入障壁があるぶんモラルがあって格式があるメディア。だからこそ、自社のイメージをよくするためにも、企業が番組スポンサーとして多額の広告費を払うのです。そうやってスポンサーのイメージをよくするために、いいイメージのコンテンツを作らなければいけないのに、情報の軌道修正を謝り、格式の高さを自ら捨てはじめている。


今読むと、これ以上の皮肉はないように思います。これが、ひろゆきが「論破王」と言われるゆえんかもしれません。テレビはひろゆきに愚弄されているのです。それがまるでわかってない。

(つづく)
2022.09.23 Fri l ネット l top ▲
エリザベス女王の国葬の模様が連日、歯の浮いたような賛辞とともにテレビで放送されています。まるで大英帝国の残虐な侵略の歴史を、忘却の彼方に追いやったかのようなお追従のオンパレードです。

今の時代に国王なんてあり得ないだろう、などと言おうものなら、それこそひねくれものの戯言のように言われかねないような雰囲気です。

イギリスの立憲君主制は昔の王政とは違うんだ、特別なんだ、という声が聞こえてきそうですが、でも、それってただ君主制を延命させるための方便にすぎないのではないか、と思ってしまいます。

そうまでしてどうして君主制を延命させなければならないのか。そう言うと、イギリスは連邦国家なので、国民を統合する象徴が必要なんだ、などとどこかで聞いたことのある台詞が聞こえてきそうです。

もっとも、イギリス連邦というのは、大英帝国の侵略史の残り滓みたいなものでしょう。やはり、イギリス国民の中には、左右を問わず、未だに”過去の栄光”を捨てきれない気持があるんじゃないか、と思ったりします。EU離脱も、同じ脈絡で考えると腑に落ちる気がします。

またぞろこの国の左派リベラルのおっさんやおばさんたちの中から、安倍元首相の国葬はノーだけど、エリザベス女王の国葬はイエスだ、という声が出て来ないとも限らないでしょう。

何故か日本には、イギリスは法の支配が確立した立憲主義の元祖のような国なので、今のような理想的な立憲君主制が生まれたのだ、と言う人が多いのですが、そのためか、二大政党制を志向する政治改革だけでなく、”開かれた皇室”など天皇制のあり方などにおいても、日本はイギリスをお手本にしているフシがあります。

しかし、イギリス王室の血塗られた歴史を見てもわかるとおり、君主制は所詮君主制であって、民主主義にとって不合理且つ不条理な存在であるのは否定すべくもないのです。それに、イギリス連邦も日本で見るほど一枚岩ではなく、スコットランドの独立も現実味を帯びつつあると言われています。

一方、日本でも1週間後に、エリザベス女王とは比ぶべくもない「反日カルト」の木偶みたいな人物の国葬を控えていますが、安倍派の世耕弘成参院幹事長は、先日の同派の会合で、国葬について、憲政史上最長の8年8カ月間、首相の地位を担った「その地位に対する敬意としての国葬だ」と強調したそうです。

日本国憲法は、第14条に、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と謳っていますが、世耕氏が言うような理由で、国費を使って国葬を行うのは、まさに法の下の平等に反する行為と言ってもいいでしょう。学校の授業で、子どもから憲法との整合性について疑問が出されたら、教師はどのように説明するつもりなのか、と心配になりました。

余談ですが、ひろゆきは、いくら反対だからと言って、葬式のときくらいは静かに見送るべきだ、とトンチンカンなことを言ってましたが、葬儀は既に7月12日に増上寺で終えているのです。国葬と言っても、実際は「お別れ会」のようなものです。そもそも賠償金を踏み倒したことを得意げに語るような人物から、冠婚葬祭の礼節を説かれる筋合いはないでしょう。何だか説教強盗に遭ったような気持になるのでした。

もうひとつ余談を言えば、自民党の村上誠一郎元行政改革担当相は、国葬に欠席する旨をあきらかにした上で、安倍元首相について、「財政、金融、外交をぼろぼろにし、官僚機構まで壊した。国賊だ」と批判していました。どこぞの痩せたソクラテスになれない肥った豚や仔犬も笑ってる愉快なサザエさんに聞かせてやりたい話です。二人は、村上氏の爪の垢でも煎じて飲んだ方がいいでしょう。(※この部分はあとで追記しました)

時事ドットコムニュース
安倍氏国葬を欠席へ 自民・村上氏

岸田首相は、今回の国葬について、内閣府設置法を根拠に決定した、と言っていますが、しかし、今回の国葬は、同法が定める「内閣の儀式・行事」ではなく、岸田首相自身も明言しているように「国の儀式」なのです。であるならば、どう考えても、「天皇の国事行為」を模したとしか思えません。岸田首相は、政治=統治権力の外部にある、天皇制という「法の下の平等」を超越した擬制の中から、国葬の理屈を引っ張り出して、自分たちに都合がいいように解釈したにすぎないのでしょう。

それは、国葬だけではありません。そのときどきに、政治=統治権力の外部にある天皇制という”治外法権”の中から都合のいい理屈を引っ張り出して来るのが、日本の政治、統治の特徴です。そして、その先にあるのが丸山眞男が言う日本特有の無責任体制です。

丸山眞男は、日本の近代政治における無責任体制の原型を明治憲法に見るのですが、そのメカニズムは、当然ながら戦後憲法下にも貫かれています。

  明治憲法において「殆ど他の諸国の憲法には類例を見ない」大権中心主義(美濃部達吉の言葉)や皇室自律主義をとりながら、というよりも、まさにそれ故に、元老・重臣など憲法的存在の媒介によらないでは国家意思が一元化されないような体制がつくられたことも、決断主義(責任の帰属)を明確化することを避け、「もちつもたたれつ」の曖昧な行為連関(神輿担ぎに象徴される!)を好む行動様式が冥々に作用している。「補弼」とはつまるところ、統治の唯一の正当性の源泉である天皇の意思を推しはかるゝゝゝゝゝと同時に天皇への助言を通じてその意思に具体的内容を与えることにほかならない。さきにのべた(引用者註:「國體」にみられる「抱擁主義」と表裏一体の)無限ゝゝ責任のきびしい倫理は、このメカニズムにおいては巨大な無責任ゝゝゝへの転落の可能性をつねに内包している。
(丸山眞男『日本の思想』岩波書店)


つまり、日本人が好きな「連帯責任」みたいなものは、いつでも無責任(体制)に反転し得るということです。「みんなで渡れば怖くない」というのは、集団の中に埋没して「誰も責任を取らない」日本人の精神性エートスを表しているのです。

今回の国葬は、莫大な税金を使った文字通りの”お手盛り”と言えるでしょう。そこにあるのは、国家を私物化する政権与党の世も末のような醜態です。それはまた、「愛国」を唱えながら「反日カルト」に「国を売っていた」「保守」政治家たちの”国賊”行為にも通底するものです。(ブルーリボンのバッチを胸に付け)日の丸に拝礼して、「天皇陛下バンザイ」とか「日本バンザイ」と叫んでおけば、どんなことでも許されるという無責任体制。

その傍らでは、下記に書いているように、人知れず亡くなり、誰も立ち会う人もなく荼毘に伏され、無縁仏として「処理」される人々もいます。同じ国の国民とは思えないこの天と地の違い。国葬には、そんな「社会的身分」や「門地」で差別される、国家の構造が露わになっているように思えてなりません。でも、政治家はいわずもがなですが、家畜化された国民も、「自己責任だ」「自業自得だ」などとアホ丸出しで天に唾するようなことを言って、その国家の構造を見ようとはしないのです。


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ある女性の死
かくも脆く儚い人生
2022.09.20 Tue l 社会・メディア l top ▲
Yahoo!ニュースに、コラムニストの佐藤誠二朗氏が書いた次のような記事が転載されていました。

Yahoo!ニュース(ライフ)
集英社オンライン
みちのく車中泊の旅で最大の失敗は、犬を連れてきたことだった

スタインベックが『チャーリーとの旅』で書いていたような犬との車旅にあこがれて、6歳の愛犬と一緒に「車中泊東北一周の旅」に出かけたときのことを綴った記事ですが、結局、愛犬がホームシックにかかってしまい、予定より3日繰り上げて9日間の旅を終え東京に戻ることになったという話です。しかし、私の目に止まったのは、記事よりコメント欄の方でした。

次のようなコメントが書かれていたのです。

同じスタインベックの「怒りの葡萄」というアカデミー賞映画で世界恐慌の中、借金で農地と家を奪われた農家の家族が家財道具一式をフォード車に詰め込み職を求めてアメリカ各州を放浪するストーリーがあったけど、今の日本でも俺が住んでるトコの近隣市の日立市内で家電メーカーをハケン切りされて寮・社宅を追い出された非正規が家財道具を貸しコンテナ倉庫に入れ自身は車中泊してスマホで就活しているカーホームレスも多く見かける。
未練がましくなぜ日立市内のかつての寮の近くで車上生活しているのか図々しく聞いたことがあるけど追い出された日立市内の借り上げ寮は外付け郵便ポストで寮に今も届く郵便物を取り出すためだとの話を聞いて心が苦しくなったよ! 住所を変更しようにも変更する住所が無いんだから…
いま貧困は日常でよく見かける風景になってしまった。


記事とはまったく関係のない話ですが、私たちはこういった現実は知っているようで、案外知らないのではないか、と思ったのでした。

今の20数年ぶりと言われる円安にしても、「物価が高くなった」とかいった漠然とした感覚があるだけで、まだ生活が逼迫するような状況に追いつめられているわけではありません。このように、今の日常に安楽している人々の想像力が及ぶ範囲はたがか知れているのです。もとより、所詮は他人事で想像力さえはたらせない人も多くいます。

メディアにしても、円安で値上げが目白押しといった程度のおなじみの文句を並べているだけです。それどころか、入国制限の緩和と結び付けて、円安で外国人観光客が殺到して千客万来が期待できるような話さえふりまくあり様です。

しかし、円安は日米の金利差だけではなく、「買い負け」や「日本売り」による要因も大きいという声もあります。そもそも先進国で日本だけが超低金利政策(マイナス金利政策)を取り続けなければならないのも、そうしなければならない切実な事情があるからです。

円安が日米の金利差だけによるものなら、今の超低金利政策を転換すればいいだけの話です。こんな超低金利政策を維持しているのは、今や日本だけなのです(スイスもマイナス金利政策を取っていますが、早晩欧米各国に連動して方針転換すると言われています)。

でも、それができないのです。いつまで経っても体力が回復しないので、栄養剤の注入を止めるわけにはいかないのです。でも、他の国はとっくに体力が回復して次のレースに参加しています。日本だけが参加できない。それでは、「買い負け」や「日本売り」になるのは当然です。円安が進行すれば、益々「買い負け」や「日本売り」が進むでしょう。今の日本は、そういったどうしようもない負のスパイラルに陥っているのです。

日本の没落は、IMFが発表するデータを見ても明白です。
数値は主に下記サイトより引用しています。

世界経済のネタ帳
世界のランキング
https://ecodb.net/ranking/
※元データはIMF - World Economic Outlook Databases (2022年4月版)。

日本の名目GDP(国内総生産)はアメリカ・中国に続いて第3位ですが、アメリカが22,997,50(単位10億ドル)、中国が17,458,04(同)に対して、日本は4,937.42(同)でその差は大きく開いています。それどころか、第4位のドイツが4,225.92(同)で、すぐまじかにせまっているのです。名目GDPは、為替相場や物価だけでなく、人口規模にも影響されます。2020年現在の人口を比べると、ドイツは8324万人で日本は1億.258万人ですので、人口は20%少ないのです。それでも名目GDPはほぼ肩を並べるくらいになっているのです。ちなみに、為替相場と物価を換算した購買力平価GDPだと、日本はインドにぬかれて4位になります。

これは購買力平価の指標にもなっているのですが、各国の物価を比較するのに、「ビッグマック価格」がよく知られています。「ビッグマック価格」は、ビッグマック1個の価格をUSドルに換算して比較したものですが、2022年は、日本は54ヶ国中41位の2.83USドル(390円)でした。でも、その後、急激な円安で円がおよそ36%下落していますので、順位はさらに下がっているはずです。今や日本は、先・中進国の中でもっとも安い国になりつつあるのです。不動産から買春まで、「安くておいしい国」になっているのです。

昔はスケベ―なおっさんたちが韓国にキーセン観光に行っていましたが、今はまったく逆で韓国から買春ツアーで来るようになっているのです。それは韓国だけではありません。中国や中東あたりからもツアーでやって来るそうです。

また、国民一人当たりの豊かさを示す一人当たりGDPは、日本は名目で第28位(前年より-4位)、購買力平価で36位(-3位)です。韓国の一人当たりGDPは、名目、購買力平価ともに30位です。購買力平価一人当たりGDPでは既に韓国にぬかれているのです。平均年収でもぬかれていますので、そういった国民の生活実態(豊かさ)が一人当たりGDPにも示されていると言えるでしょう。

平均年収に関しては、IMFのデータとは外れますが、OECDが「世界平均年収ランキング」(2020年現在。USドル&購買力平価換算)を発表しています。それによれば、加盟国38ヶ国の中で、日本は38,515USドルで22位、韓国は41,960USドルで19位です。

一方、経済成長率になると、もっと衝撃的な数字が出てきます。経済成長率とは、「GDPが前年比でどの程度成長したかを表す」もので、以下の計算式で算出した指標です。

経済成長率(%)= (当年のGDP - 前年のGDP) ÷ 前年のGDP × 100

それによれば、日本は何と191位中157位なのです。前年が107位だったので、1年で50位も下落しているのです。

何だか溜息が出るような数値ばかりですが、「豊かさ」ということで言えば、日本はもはや先進国ではないのです。ただ、2000兆円という途方もない個人金融資産、つまり、過去の遺産があるので、それを食いつぶすことで先進国のふりができているだけです。

これらの指標は、まさにYahoo!ニュースのコメントにあるような光景を裏付けていると言えるでしょう。「一億総中流」なんて言っていたのはどこの国だ?、と思ってしまいます。ついこの前までそう言って「豊かな国ニッポン」を自演乙していたのです。

しかも、家電メーカーの工場で派遣切りに遭ったという話も、今の日本を象徴しているように思いました。日本の白物家電が世界の市場を席捲していたのも今は昔です。ひと昔前まで、安かろう悪かろうの代名詞のように言われていた中国のハイアールは、今や大型白物家電では世界シェアナンバーワンの企業になっています。三洋電機もハイアールと合併しましたが、結局、ハイアールブランドに統合されてしまいました。日本のメーカーは見る影もないのです。

日立の光景が映し出しているのは、先進国で最悪と言われる格差社会=貧困の現実です。こんな光景が日本の至るところに存在するのです。もちろん、それは、非正規の労働者だけの話ではありません。低年金や生活保護でやっと生を紡ぐ高齢者やシングルマザーなど、「自己責任」のひと言で社会の片隅に追いやられている人たちはごまんといます。でも、多くの日本国民は、そういった人たちを見ようとも、知ろうともしないで、ネットの同調圧力に身を任せて、明日は我が身の現実から目をそらすだけなのです。

同じスタインベックの作品や同じ車中泊の話に対して、さりげなく逆の視点を提示したこの投稿主は凄いなと思いました。

自分とは違う生活や生き方をしていたり、違う言語や文化で生きている人たちのことを、想像力をはたらかせて知る、知ろうとすることが「教養」であり、その手助けになるのが「人文知」です。コンビニの弁当売場のように、過去のデータを分析して売り上げを予想し仕入れ数を決めるような思考=「工学知」では、絶対に知ることができない現実です。”他者”を知る、知ろうとする思考は、間違ってもAIに代用できるようなものではないのです。


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2022.09.17 Sat l 社会・メディア l top ▲
何だかみんな死んでいくという感じです。

先達と呼んでもいいような、若い頃にその著書を読んでいたような人たちの訃報がこのところ相次いでいるのでした。最近はその著書なり映像なりに接する機会はありませんでしたので、なつかしさとない混ざったかなしくせつないしみじみとした気持になりました。もちろん、私よりはるかに年上で、しかも多くは90歳を越したような長寿の方ばかりです。

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森崎和江
6月15日逝去、享年95歳

詩人でノンフィクション作家の森崎和江氏は、総資本と総労働の戦いと言われた三井三池争議をきっかけに、谷川雁とともに筑豊の炭住(炭鉱労働者用の住宅)に移住し、同人誌『サークル村』などを発刊して、炭鉱夫たちへの聞き書きをはじめたのでした。その聞き書きは、『まっくら  女坑夫からの聞き書き』(岩波文庫)などに発表されています。また、『サークル村』は、のちに『苦海浄土』を書いた石牟礼道子氏や上野英信氏などのすぐれた記録文学も生み出しています。

森崎和江氏は、谷川雁との道ならぬ恋が有名ですが、その体験もあって、ボーヴォワールを彷彿とするような『第三の性 はるかなるエロス』や『闘いとエロス』(ともに三一書房)など女性性に関する著書も残しています。また、九州から東南アジアに娼婦として出稼ぎに行った女性たちの足跡を辿った『からゆきさん』(朝日文庫)というルポルタージュも多くの人に読まれました。

結局、敗北した闘争の総括をめぐって谷川雁と別れることになるのですが、一方、「東京に行くな」と言っていた谷川雁は、九州を捨てて上京してしまい、闘争に関係した人たちの顰蹙を買うことになります。

『原点が存在する』というのは谷川雁の著書ですが、森崎和江氏は、文字通り九州で「原点」を見続けた表現者だったのです。また、谷川雁は、『工作者宣言』で「大衆に向かっては断乎たる知識人であり、知識人に対しては鋭い大衆である」という有名な箴言を残したのですが、それを生涯実践したとも言えるように思います。

尚、上京した谷川雁は、役員として招かれた語学教育の会社の労働争議で、社員だった平岡正明と対立することになります。また、「連帯を求めて孤立を恐れず」という谷川雁の箴言は、10年後に東大全共闘のスローガンに用いられ話題になりました。

前に韓国を旅行した際、慶州を訪れるのに、『慶州は母の叫び声』(ちくま文庫)という本を読んだ記憶もあります。尚、私が最後に読んだのは、中島岳志氏との共著『日本断層論』でした。

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『消えがての道』 九州に生きる

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山下惣一
7月10日逝去、享年86歳

山下惣一氏は、佐賀県在住の農民作家です。私は九州にいた頃、仕事で身近に見て来た農業や農村の現状について自分なりに考えることがあり、農や農村を考える集会などによく出かけていました。山下惣一氏は、そこで何度か会ったことがあります。著書ではユーモアを交えた飄々とした感じがありましたが、講演では、当時「猫の目農政」と言われた”理念なき農政”に対する怒りがふつふつと伝わってくるような話しぶりが印象的でした。その静かな怒りの背景にあるのは、”諦念の哀しみ”みたいなものもあったように思います。

私もその後、九州をあとにして再度上京することになったのですが、そのとき私の中にあったのも、田舎に対する同じような感情でした。

訃報に際して、朝日新聞の「天声人語」が山下氏を「田んぼの思想家」と称して、次のように書いていました。

朝日新聞デジタル
(天声人語)田んぼの思想家

  農作業を終え、家族が寝静まった後、太宰治やドストエフスキーを読み、村と農に思いをめぐらせる。きのう葬儀が営まれた農民作家山下惣一さんはそんな時間を愛した▼(略)山下さんは佐賀県唐津市出身。中学卒業後、父に反発し、2回も家出を試みる。それでも農家を継ぎ、村の近代化を夢見た。減反政策に応じ、ミカン栽培に乗り出すが、生産過剰で暴落する。「国の政策を信じた自分が愚かだった。百姓失格」と記した


谷川雁と山下惣一氏に接点があったのかどうかわかりませんが、「農作業を終え、家族が寝静まった後、太宰治やドストエフスキーを読み、村と農に思いをめぐらせる」その後ろ姿には、まぎれもなく「大衆に向かっては断乎たる知識人であり、知識人に対しては鋭い大衆である」山下氏の生きざまが映し出されていたように思います。

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鈴木志郎康
9月8日逝去、享年87歳

鈴木志郎康氏は、私自身が何故かずっと気になっていた詩人でした。何故、そんなに気になっていたのか、このブログでも書いています。

私が気になっていた「亀戸」の詩は、鈴木氏がまだNHKに勤務していた頃の作品ですが、「亀戸」という地名が当時九州で蟄居していた私の心に刺さるものがあったのだと思います。九州の山間の町の丘の上にあるアパートの部屋で、その詩を読んだ当時の私を思い出すと、今でも胸が締め付けられるような気持になるのでした。

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「亀戸」の詩

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ジャンリュック・ゴダール
9月13日、享年91歳

もちろん、私は、ヌーヴェルヴァーグの旗手と言われた頃のゴダールを同時代的に観ているわけではありません。ただ、予備校の授業をほっぽり出してアテネ・フランセの映画講座に通っていた私は、当然ながらゴダールの作品も観ていました。

ゴダールと言えば、トリュフォーとともに「カンヌ国際映画祭粉砕」を叫んで会場に乗り込んだ話が有名ですが、海外の映画祭で受賞することばかりを欲して、いじましいような映画ばかり撮っている今の風潮を考えると、あの時代は遠くなったんだなと思わざるを得ないのでした。

私はまだ10代でしたが、アテネ・フランセの上映会で、足立正生監督の『赤軍 PFLP・世界戦争宣言』を観たとき、ゴダールに似ているなと思ったことを覚えています。その際、ゲストで来ていた監督に対して、カメラの目の前でパレスチナの兵士が撃たれたらどうするか、カメラを置いて銃を取るのか、というような質問があったのですが、それからほどなく監督はパレスチナに旅立ったのでした。

ある日、新宿の紀伊国屋書店に行ったら、ゴダールの映画ポスターの販売会のようなものをやっていて、階段の上に、買ったばかりの「中国女」だったかのポスターを持ち、もう片方の手に缶ピー(缶入りのピース)を持った長髪の同世代の若者が、物憂げに座っていたのが目に入りました。その姿が妙にカッコよく見えたのを覚えています。

あの頃は、論壇にもまだ新左翼的な言説が残っていたということもあって、近所で幽霊屋敷と呼ばれるような実家に住んでいると噂された小川徹が編集長の『映画芸術』や松田政男の『映画批評』なども、過激で活気がありました。まさに、缶ピーが似合う時代でもあったのです。

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たしかに”時代の意匠”というのはあるのだと思います。大塚英志ではないですが、私たちの時代、厳密に言えば、私たちより前の時代は、今では信じられないくらい「人文知」が幅をきかせる(ことができた)時代だったのです。そんな時代の残り火を追い求めていた私は、間違いなくミーハーだったと言っていいでしょう。でも、そんなことがミーハーになれる時代だったのです。
2022.09.16 Fri l 訃報・死 l top ▲
日本がバカだから戦争に負けた


とうとう角川歴彦会長に司直の手が伸びました。私は意地が悪いので、「ザマー」みたいな気持しかありません。

その前に、文春オンラインの次の記事が目に止まりました。

文春オンライン
「絶対に捕まらないようにします」元電通“五輪招致のキーマン”への安倍晋三からの直電

記事は、『文藝春秋』10月号に掲載されているジャーナリスト西崎信彦氏の「高橋治之・治則『バブル兄弟』の虚栄」の一部を転載したものですが、その中に次のような語りがあります。

  安倍政権が肝煎りで推進した五輪招致のキーマンとなる男は、当時の状況について知人にこう話している。

「最初は五輪招致に関わるつもりはなかった。安倍さんから直接電話を貰って、『中心になってやって欲しい』とお願いされたが、『過去に五輪の招致に関わってきた人は、みんな逮捕されている。私は捕まりたくない』と言って断った。だけど、安倍さんは『大丈夫です。絶対に高橋さんは捕まらないようにします。高橋さんを必ず守ります』と約束してくれた。その確約があったから招致に関わるようになったんだ」


この「五輪招致のキーマンとなる男」とは、言うまでもなく、先月17日に受託収賄容疑で東京地検特捜部に逮捕された、東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の元理事の高橋治之容疑者です。

と言うことは、この事件も安倍案件だったのか。安倍元首相が亡くなってことによって、重しが取れて今までのうっぷんを晴らすかのように検察が動き出したのかもしれない。そんなことを考えました。

ここに来て、公安調査庁や警視庁公安部が、ひそかに旧統一教会を監視していたという話が出ています。ウソかホントか、週刊誌には、警視庁公安部が旧統一教会と安倍首相(当時)の関係を監視していた、という話さえ出ているのでした。

上記の「大丈夫です。絶対に高橋さんは捕まらないようにします。高橋さんを必ず守ります」という安倍首相の生々しい発言がホントなら、一連の摘発は、まさに検察・警察の(安倍元首相に対する)意趣返しとみることもできなくはないのです。もしかしたら、権力内部にそんな暗闘が生まれているのかも、などと思ったりもしました。

前の記事でも紹介した『日本がバカだから戦争に負けた  角川書店と教養の運命』(星海社新書)で、著者の大塚英志氏は、次のように書いていました。

  ぼくはプラットフォームを中世の楽市のような「無縁」的空間に譬えることができると思います。
「無縁」とは、それぞれのコミュニティ全てに対して「外部」です。この「外部」で物と物が流通するわけで、それが「市」です。これは世俗の外にあるのだけれど、同時に世俗の権力に拮抗する別の権力に支えられなくてはいけないわけです。(略)
  プラットフォームが既存のメディアや流通の外部で「自由」でありながら、しかしこの自由を誰が担保するのか、という問題ですね。今の日本のプラットフォーム企業はこれを「政権与党」に担保してもらうことを求めたわけです。プラットフォームの側は公共性の形成ではなく、マネタイジングを目的とし、与党に権力への同調圧力の装置を提供することで相互的関係を結んだからです。「楽市楽座」という無縁の場は、信長っていう新しい権力の庇護によって始めて可能になった。何が言いたいのかと言うと「無縁」という「外部の公共性」は旧権力からは自由ですが新しい権力の庇護がいる、ということです。それがwebという「無縁」と、「新しい権力」としての安倍以降の与党との「近さ」でも現れている。


そう言えば、ドワンゴが主催する「ニコニコ超会議」にも、2013年と2014年の2回、安倍首相が来場しています。また、夏野剛社長は、2019年に安倍首相によって、内閣府規制改革推進会議の委員に任命されています(2021年8月からは議長に指名)。

角川歴彦会長は、兄の角川春樹氏と確執があり、いったんは角川書店を追い出されたのですが、春樹氏がコカイン密輸事件等によって逮捕されたのに伴い、角川書店に戻ると、70年代からはじまった文化の「オタク化」「サブカルチャー化」を背景に、いっきにメディアミックス路線に舵を切り、ドワンゴとの合併にまで進むのでした。大塚英志氏は、それを「人文知」から「工学知」への転換だと言っていました。角川歴彦会長には、もともと「工学知」しかなく、だから、川上量生と馬が合ったのだと言うのです。

メディアミックスとオリンピックの公式スポンサーがどう関係あるのか、門外漢には今ひとつわかりませんが、要するに、79歳の鼻マスクの爺さんがネットの守銭奴たちの甘言に乗せられて暴走した挙句、いわくのある人物との闇取引に手を染めて晩節を汚した、という話なのではないか。かえすがえすも「ザマー」としか言いようがないのです。

本のタイトルの「日本がバカだから戦争に負けた」というのは、角川文庫の巻末に掲げられていた創業者・角川源義の「角川文庫発刊に際して」を、著者の大塚英志氏が評した言葉ですが、もっともその「名文」も、角川源義自身のオリジナルな文章ではなく、文豪に委託して書いて貰ったものだそうです。

角川書店と言えば、私たちは高校時代に使っていた漢和辞典の『字源』でなじみが深い出版社ですが、その『字源』も、千代田書院という出版社が大正時代から重ねてきた凸版を買い取ったものにすぎないのだとか。つまり、角川書店は、自社で開発したものは少なく、「リユースの刊行物が中心」の出版社で、今日のプラットフォーム企業としてのKADOKAWAに対しても、もともと整合性が高い企業体質を持っていた、と言っていました。

角川歴彦が好んで口にしていたのは、「ソーシャル社会」という馬が落馬した式のいわゆる重言(重ね言葉)ですが、それは「SNSでつながった社会」という意味です。

でも、大塚氏が言うように、SNSを使うということは、そのプラットホームに無意識のうちに自分自身を最適化する、しなければならない、ということでもあるのです。

その意味では、SNSは「自由な意見や自己表現の場」ではないのです。大塚氏は、アントニオ・ネグリのアウトノミア(自律)という言葉を使っていましたが、SNSは間違っても自律ではなく他律のシステムなのです。Twitterの言葉は、ロラン・バルトが言う「教養」なしでも読める「雑報」なのだと言います。それが「ソーシャル社会」なるものの本質です。

それは、次のように描かれる世界です。

  (略)角川の歴彦(ママ)のことばを借用すると、近代が構築して来た「社会」とは別に、「サブの社会」、今ふうに言えばオルタナティブな社会、あるいは、もう一つの社会、とでもいうべきものがそれぞれの国の中に今や存在しているということだ。それは、従来の階級とは異なったものだから、階級闘争は起きにくく、互いの憎悪によって対立する。貧困の問題も含め、今、起きているのは、階層化というよりは分裂なのである。


前にTwitterで新しい社会運動のスタイルが生まれると言ったリベラル系の”知識人”がいましたが、むしろ私は、SNSに依拠した社会運動の”危うさ”を感じてなりません。イーロン・マスクのTwitter買収問題に一喜一憂する「自由な言論」+社会運動って何なんだ、と言いたいのです。

日本に限っても、ネットと連動したメディアミックスやプラットフォームというと、何だか新しいもののように思いがちですが、しかし、何度も繰り返すように、日本のネット(プラットフォーム)企業には相も変らぬ、お代官様にへいつくばるような事大主義の発想しかないのです。日本のプラットホーム企業の「理念」のなさは「見事なもの」で、そもそもそう批判されても批判だと気づかないほどだ、と言っていましたが、その先にオリンピックの公式スポンサーという俗物根性があったと考えれば、何となく納得ができます(一部にはeスポーツの青田狩りという声もあるようですが)。

また、大塚英志氏は、「『保守』とか『日本』とかいう連中が『参照系』とする『日本』はひどく貧しいわけです」と言っていましたが、彼らにはそんな政治権力にすがる低俗な発想しかないのです。しかも、その「日本」にしても、隣国のカルト宗教が作成したテンプレートをトレースしたものにすぎなかったという散々たる光景を、現在いま、私たちは見せつけられているのです。

私も余計なお節介を言わせて貰えば、ニコニコ動画を根城にするネトウヨたちも、自分たちが安倍を介して「反日カルト」の走狗にさせられていた現実をぼつぼつ認めた方がいいのではないか、と思うのでした。でないと、これから益々「愛国」の始末ができなくなってしまうでしょう。帯にあるように、みんなが「バカ」になった時代の「次」も、やっぱり「バカ」だったではシャレにもならないのです。
2022.09.14 Wed l ネット l top ▲
昨年の8月に、京都府宇治市のウトロ地区の建物などに放火したとして、放火や器物損壊などの罪に問われた被告対して、8月30日、京都地方裁判所は、求刑どおり懲役4年の実刑を言い渡しました。

この事件に関して、BuzzFeedNewsは、今年の4月に下記のような記事を掲載していました。

BuzzFeedNews
在日コリアン狙ったヘイトクライム、ヤフーが被害者に「心よりお見舞い」動機に“ヤフコメ”その責任は

BuzzFeed Newsの接見と文通を通じた取材に対し、被告は、不平等感や嫌悪感情が根底にあったと説明。「(在日コリアンが)日本にいることに恐怖を感じるほどの事件を起こすのが効果的だった」と話した。

さらに、自らの情報源が「Yahoo! ニュース」のコメント欄にあったと説明。「ある意味、偏りのない日本人の反応を知ることができる場だと思っていました」としたうえで、こんな狙いがあったと明かした。

「日本のヤフコメ民にヒートアップした言動を取らせることで、問題をより深く浮き彫りにさせる目的もありました」


つまり、被告の話で示されているのは、Yahoo!ニュースがネットで自分が見たい情報しか表示されなくなる「フィルターバブル」の役割を果たしているということです。そして、ヤフコメが、かつて津田大介が朝日新聞の「論壇時評」で紹介していたように、「人々は他者からの承認目的で共通の『敵』を見つけ、みずからの敵視の妥当性を他者の賛意に求め、それを相互に確認し続ける解釈の循環を作り出す」(朝田佳尚「自己撞着化する監視社会」・『世界』6月号)場になっているということです。

朝日新聞デジタル
(論壇時評)超監視社会 承認を求め、見つける「敵」 

BuzzFeedNewsはヤフーとつながりが深い媒体ですが、ヤフーに対して「プラットフォームの社会的責任」についてどう思うか、取材しています。しかし、ヤフー広報室の回答は、相変わらず通りいっぺんなもので、コメント欄を見ればわかりますが、現在もヘイトな投稿は事実上「放置」されたままです。判決を伝えるニュースに対しても、判決を肯じない「でも」「しかし」のコメントが多く見られました。

ヤフー広報室の回答に対して、記事は次のように疑問を呈していました。

「Yahoo! ニュース」は月間225億PVを達成したこともある、日本最大級のニュースプラットフォームだ。「Yahoo! Japan」全体では月間アクティブユーザーは8400万人(2022年3月)。運営するヤフーは、企業として大きな社会的責任を背負っている。

事業者の「使命」を掲げるのであれば、自社のサービスが一因となった「ヘイトクライム」に対し、より一層はっきりとしたメッセージの発出と、これまでの対策の見直し、強化が必要なのではないだろうか。


しかし、私も何度も書いていますが、Yahoo!ニュースにとって、ニュースはページビューを稼いでマネタイズするためのコンテンツにすぎないのです。そのためには、とにかくニュースをバズらせる必要があるのです。その手段としてコメント欄はなくてはならないものです。Yahoo!ニュースがコメント欄を閉鎖することなど、天地がひっくり返ってもあり得ないことです。

ヤフー広報室が言う「健全な言論空間を提供することがプラットフォーム事業者としての使命」なるものが建前にすぎず、パトロールやAIを使った「悪意ある利用者や投稿の排除」や「外部有識者の意見を受けた見直し」も、単なるアリバイ作りにすぎないことは、誰が見てもあきらかです。それは、前から言っていることのくり返しにすぎません。

本来「公共」であるべきプラットホームを、マネタイズのツールにすること自体が「社会的責任」を二の次にしたえげつない守銭奴の所業と言わねばなりません。それは、KADOKAWA(ドワンゴ)も同じです。

プラットホームであるからには、言論・表現の自由を担保しなければなりません。でないと、ユーザーも「自由」に投稿することはないでしょう。要するに、ヤフーやKADOKAWAは、言論・表現の自由で釣って、「自由」に投稿するプラットフォームを提供しているのです。動機がどうであれ、それ自体はきわめて「公」おおやけなものです。

しかし、ヤフーやKADOKAWAは、その一方で、「自由」な投稿を(ユーザーのあずかり知らぬところで!)お金に換えているのでした。ページビューやビッグデータがそれです。だから、「自由」に投稿できると言いながら、会員登録を求めているのです。そうやって他のサービスを利用した履歴と紐付けることで、個人情報に付加価値を付けているのでした。にもかかわらず、彼らは会員の投稿に責任はないと言うのでした。

折しも私は、KADOKAWAの問題を考えるために、大塚英志氏の『日本がバカだから戦争に負けた 角川書店と教養の連帯』(星海社新書)という本を読んでいたのですが、同書の中に、次のようなヤフーに関する記述を見つけました。

   「投稿」はプラットフォームにとっては「コンテンツ」です。ヤフーニュースだけ見て、コメントは読まない、ということはあまりない。「投稿」する場を提供しているだけで、「投稿」の中味に責任はありません、って明治時代以降「中央公論」も「文學界」も、どの論壇誌も文芸誌も、言ってない。でも、プラットフォームの連中はずっとそう言って来た。
   もういい加減、それは詭弁だろ、プラットフォームとメディアは「同じ」なんだ、と誰かが言うべきですからぼくが言います。


(略)新聞も政治的ポジションは違いますが、それは記事を新聞社が自ら書き、社説その他で立場を明確にしているわけで、その責任は新聞社にあります。メディアの責任、というのは「公器」としての責任で、新聞社で立場が異なることも「公」の形成の大事な容器です。報道した内容の責任は新聞社が負う。だから、ネトウヨはあれだけ朝日新聞を叩く「大義」があったわけです。本当はヤフニュースが転載した朝日の記事が気に入らなければ、朝日じゃなくて転載したヤフーニュースを叩くべきです。Googleニュースと違ってヤフーニュースはヤフーの人間が記事をセレクトしている。つまり、「編集」しているのです。そこには「朝日の記事を選んだ責任」がある。それなのにヤフーは読者に「叩く材料」をただ提供している。


ヤフーは、そうやって巧妙に責任回避しながら、ニュースをマネタイズしているのでした。そこで求められるのは、ニュースの真贋や価値などではありません。多くのコメントが寄せられてバズるかどうかなのです。ヤフーにとっての価値は、どれだけページビューを稼げるかなのです。そのために、編集者みずからがリアルタイムにバズりそうな記事を選び、キャッチーなタイトルを付けてトピックスに上げているのです。それがYahoo!ニュースの編集者の仕事です。彼らはジャーナリストではありません。言うなれば、ハサミと糊を持ったまとめサイトの主催者のようなものです。そこにYahoo!ニュースの致命的な欠陥があるように思います。

ここからは個人的な悪口ですが、子どもの頃、佐賀県の鳥栖の駅前の朝鮮人部落で暮らしていた孫正義の頭には、「朝鮮人出て行け」と言われて日本人から投げ付けられた石によってできた傷跡がまだ残っているそうです。そんな孫正義が成りあがったら、今度は同胞に対するヘイトクライムを煽ってお金を稼いでいるのです(と言っても言いすぎではない)。しかも、ユーザーが勝手にやっていることだ、自分たちには責任はないとしらばっくれているのです。

人間のおぞましさとまでは言いませんが、ヘイトクライムの問題を考えるとき、孫正義のような存在をどう捉えればいいのか、と思ってしまいます。ひどい民族差別の記憶を持っている(はずの)彼でさえ、自分が民族差別に加担しているという自覚がないのです。

被告が在日コリアンに憎悪を募らせる根拠になった「在日特権」なるものも、まったくの子どもじみた妄想にすぎまないことは今更言うまでもありません。被告は拘置所で面会するまで、実際の在日コリアンと会ったことすらなかったそうです。単なるアホだろうと思いますが、しかし、被告は特別な人間ではありません。過半の国民も似たようなものでしょう。

Yahoo!ニュースのコメント欄が、そんな無知蒙昧な人間に差別感情を吹き込み、類は友を呼ぶスズメの学校になっているのです。被告は、犯行を振り返って、「ヤフコメ民」を多分に意識していたような発言をしていますが、そうやってヒーローになりたかったのかもしれません。彼らにとって、ヤフコメはまさにトライブのような存在なのでしょう。

被告の背後には、裁判で裁かれることのない”共犯者”がいるのです。その陰の”共犯者”は人の負の感情を煽ることで、それをビジネスにしているのです。そういったネットの錬金術師たちの存在にも目を向けない限り、ヘイトクライムの犯罪性をいくら法律に書いても、なくなることはないでしょう。


関連記事:
『あんぽん 孫正義伝』
『ウェブニュース 一億総バカ時代』


他者からの承認目的で共通の「敵」を見つけ、「みずからの敵視の妥当性を他者の賛意に求め、それを相互に確認し続ける解釈の循環を作り出す」
2022.09.13 Tue l ネット l top ▲
元『週刊現代』編集長の元木昌彦氏がPRESIDENT Onlineに連載する下記の記事に、旧統一教会に関して「衝撃的」とも言えるようなことが書かれていました。それは、情報誌『エルネオス』(休刊)の2018年4月号で行われた、樋田毅氏との対談の中の話です。

PRESIDENT Online
だから「生ぬるい追及」しかできない…朝日新聞が認めない「統一教会側との談合」という信じがたい過去

一連の赤報隊事件の中で、朝日新聞阪神支局の記者2名が銃撃されたのは1987年5月3日ですが、当時、『朝日ジャーナル』は、霊感商法で多くの被害者を出している統一教会(当時)に対して、詐欺商法を糾弾するキャンペーンを行っていました。そのため、「社員のガキをひき殺す」という脅迫状が届いたり、朝日新聞に国際勝共連合の街宣車が押しかけたりしていたそうです。

樋田氏によれば、「朝日ジャーナル誌上で霊感商法批判の記事を書いた記者は、信者とみられる複数の男たちによって四六時中監視されていたし、娘さんが幼稚園に通う際、これらの男たちが付きまとうので、家族や知人が付き添っていた時期」もあったそうです。また、赤報隊事件の3日後には、東京本社に「とういつきょうかいのわるぐちをいうやつはみなごろしだ」という脅迫状が届き、その中には「使用済みの散弾容器二つが同封されていた」こともあったそうです。

朝日の大阪本社は赤報隊事件のあと専従取材班を組んで、事件の真相に迫るべく「地を這はうような取材」を行なうのですが(樋田氏はのちに専従取材班のキャップになる)、対談では次のような話が出て来ます。

【元木】  (略)襲撃事件の前に、対策部長と名乗る男が、「サタン側に立つ誰かを撃ったとしても許される」と、信者の前で言っていたとも書かれています。

統一教会は、当時、全国に二十六の系列銃砲店を持ち、射撃場も併設していた。樋田さんたちは、「勝共連合の中に秘密軍事部隊が存在していた」と話す信者にも会っていますね。

【樋田】  (略)秘密軍事部隊のほうは、脱会した元信者の紹介で、学生時代の仲間で、やはり脱会していた夫婦から、「三年前に脱会する直前まで秘密軍事部隊にいて、銃の射撃訓練も受けていた」と打ち明けていたというので会いましたが、朝日の記者と名乗って話を聞いていないので、当時は記事にできませんでした。


当時、旧統一教会が全国に銃砲店を持っていたとは驚きです。こんな宗教団体があるでしょうか。当時から旧統一教会の中に、ヨハネの黙示録に出てくる「鉄の杖」を「銃」と解釈する”裏教義”があったかもしれません。それが、今の七男が設立したサンクチュアリ教会に引き継がれているのではないか。

また、元木氏は次のようなことも書いていました。

  警察は新右翼の捜査は熱心にやってくれたようだが、統一教会への捜査は及び腰だったという。

  樋田氏はこうも話してくれた。

「明治大学の吉田忠雄教授から聞いた話ですが、元警察官僚で総理府総務副長官の経験もあった弘津恭輔氏が『勝共連合が少々むちゃをしても、共産党への対抗勢力だから許される』と発言したと聞いています」

  こういう警察側の姿勢が、統一教会を追い詰められなかった大きな要因ではなかったか、そうした疑問は残る。


ところが、さらに驚くべき話があります。記者たちが多くの脅迫や嫌がせにもめげず取材にかけまわっている中で、朝日新聞の上層部は統一教会との手打ちを模索し、事件から2年後の1988年に、統一教会と朝日新聞の幹部たちの間で実質的な「手打ち」をしていたことが判明したのでした。

統一教会と「内通」していたベテラン編集委員の仲介で、「広報担当の役員と東京本社編集局の局次長の二人が、世界日報の社長や編集局長らと会食」していたのです。会食は2回行われたそうです。

旧統一教会と政治、特に政権与党がズブズブの関係を築き、政治の深部まで旧統一教会に蚕食されたその傍らで、メディアや警察も、まるで政治に歩調を合わせるかのように、旧統一教会に対する姿勢をトーンダウンしていたのです。そうやって「保守」政治家たちが、「愛国」を隠れ蓑にして、「反日カルト」に「国を売っている」「日本終わった」現実が隠蔽されたのです。

にもかかわらず、今なお旧統一教会に対する批判に対して、政治と宗教は分けて考えるべきだ、信教の自由は尊重すべきだ、感情的になって解散を求めるのは極論だ、旧統一教会なんかよりもっと大事な政治案件がある、教団を「絶対悪」と見ること自体がカルト的思考だ、教団を叩くことは信仰二世の社会復帰を拒むことになる、などという声が出ているのでした。旧統一教会から見れば、そういったカルトの本質から目をそらした訳知り気な声は、願ってもない「利用価値のあるもの」と映るでしょう。実際に、そういった訳知り気な声は、「宗教弾圧」だと抗議する教団の論拠と多くの部分が重なっているのでした。どこまでトンマな「エバ国家」なんだろうと思います。

カルトである彼らは、バッシングが続いていても怯むことなどあり得ません。手を変え品を変え、いろんなダミー団体を使って活動を続けており、最近のキーワードは、「平和」「SDGs」「医療従事者支援」だそうです。自治体や公的な団体が後援しているからと言って油断はできないのです。

問題なのは、カルトが何たるかも考えずに、「リベラル」や「ヒューマニズム」の建前論を振りかざして、結果的にカルトに抜け道を与えているような人たちです。カルトはときに「リベラル」や「ヒューマニズム」を利用することもあるのです。そのことにあまりにも鈍感すぎるのです。

口幅ったい言い方をすれば、自分たちの自由を脅かす存在とどう向き合うか、自由を奪う存在にどこまで寛容であるべきか、旧統一教会をめぐる問題が、そういった「自由と寛容」という重いテーマを私たちに突き付けているのはたしかでしょう。

それは、私たち自身が、自分たちにとってカルトとは何かを問うことなのです。そのためには、まずカルトを知ることでしょう。その上で、自分たちの自由のリスクも勘案しながら、国家に対して「解散命令」なりを要求することなのです。

あの足立正生監督が、山上徹也容疑者を描いた映画を、国葬の日の公開に合わせて突貫工事で撮っているというニュースがありましたが、映画を撮ろうと思った動機について、「この事件は事件として扱われて、半年ぐらい1年ぐらいで忘れられる可能性すらある」ので、「そういったことにしちゃいけないと思った」からだと言っていました。また、「俺は山上徹也の映画を撮る。徹底的に山上のフォローに回る。公開は断固国葬の日にやる。これが俺の国家に対するリベンジだ」とも語っていたそうです。その言やよしと思いました。

足立正生監督が言うように、30年前のように大山鳴動して鼠一匹で終わらせてはならないのです。今また、当時と同じように、信教の自由や感情論を方便に、元の鞘に収めようとする言説が出始めているように思えてなりません。あまり騒ぐと信者や信仰二世が孤立して戻って来る場所がなくなるという、その手の言説は別に目新しいものではないのです。

じゃあ、ほとんど叩かれることがなかったこの30年の間に、信仰二世は孤立することなく社会に戻って来ることができたのか、と言いたいのです。どうして、山上徹也のような人物が出て来たのか、出て来ざるを得なかったのか。「リベラル」や「ヒューマニズム」の建前論をかざして事足りとするような人たちは、その根本のところをまったく見てないような気がしてなりません。

旧統一教会に関しては、信仰二世の問題だけではありません。政治との関係もあります。それらを貫くカルトの問題があります。「リベラル」や「ヒューマニズム」の身も蓋もない建前論でカルトに抜け道を与えた挙句、「統一教会はもう飽きた」「いつまで統一教会の話をしているんだ?」となったら元も子もないのです。それでは結局、信仰二世の問題も現状のまま置き去りにされることになりかねないでしょう。

カルトの規制に関して、フランスの「反カルト法」がよく引き合いに出されていますが、フランス在住のジャーナリストの広岡裕児氏が、『紙の爆弾』10月号で「反セクト法」について書いていました。

「反カルト法」は信教の自由を侵す危険性があるという主張がありますが、それについて、広岡氏は、フランスの「反セクト法」=「アブー・ピカール法」は、(カルトを)「精神操作(マインドコントロール)とそれを使う危険な団体と定義」しているにすぎず、「宗教とは関係ない」と書いていました。

  統一教会問題の本質は精神操作(マインドコントロール)である。ところが、宗教学者たちはいまでも宗教団体における精神操作(マインドコントロール)を認めていない。これを認めると、宗教には自由意思で入るという彼らの学問の基礎が崩れてしまうからだ。
  日本で四十年来議論が進まず統一教会が跋扈している責任の一端は宗教学者にある。
  いま提起されている統一教会と政治の関係は、「宗教(団体)」と政治の関係ではなく、「重大または繰り返しの圧力、またはその人の判断を変質させるのに適した技術の結果心理的または肉体的な服従の状態を創造し利用する団体」と政治の関係なのだ。
  宗教問題ではないから宗教団体の規制とは無縁である。既成宗教は何の心配もいらない。本質をみきわめて犠牲者を減らすことを考えるべきだ。
(『紙の爆弾』10月号・広岡裕児「『反カルト法』とは何か」)


現在、「フランスでは統一教会はなきに等しくなった」そうです。「でも、それは『反カルト法』で解散させられたからではない。法的根拠ができたために、追及を逃れようとさまざまなセクト的団体は、活動を穏健化させ、金銭的要求などもおさえている」からだそうです。つまり、法律の抑止効果のためなのです。

しかし、私は、カルトを宗教団体に限定せずに、「精神操作(マインドコントロール)とそれを使う危険な団体」と対象を団体一般に広げたことで、民主主義にとってはリスクが大きすぎるように思いました。そう考えると、個人的には、やはり現行法(宗教法人法)で対処するのが適切なように思います。

鈴木エイト氏によれば、今、教団がいちばん怖れているのが「解散命令」だそうですが、消費センターへの接触も、被害届(被害の拡大)を窓口で防ぐという狙いがあるのは明白です。それくらい教団も必死なのです。

「自身が信仰を望まない場合でも宗教活動を強制させられる」、いわゆる「宗教虐待」を受けている「統一教会の祝福2世」の方が、change.orgで、宗教虐待防止のための法律制定を求めるネット署名を立ち上げています。

change.org
【統一教会・人権侵害】宗教虐待防止のための法律制定を求めます。#宗教2世を助けてください #宗教2世に信教の自由を

その中で、「提言」と「問題の概要」について、次のように書かれていました。

【提言】
子供の基本的人権(信教の自由・幸福追求権など)を守るために必要な法律の整備をお願いします。
①虐待の定義に「宗教虐待」の概念を追加
②子供に対する宗教虐待の禁止、刑事罰化
③他者に対して宗教虐待を行うように指導する行為を厳罰化

【問題の概要】
多くの日本の宗教信者の子供(宗教2世)は「自身が信仰を望まない場合でも宗教活動を強制させられる」という問題を抱えています。(以後「宗教虐待」と呼びます。)

これは、宗教組織が存続するために、資金源・労働力となる信者が抜け出せない様な『歪んだ教義』を作り上げている事が大きな原因です。宗教組織が、更なる信者確保のために真っ先に狙うのは信者の子供です。宗教組織(特に新興宗教)が信者の子供を狙うのは常套手段なのです。

しかし、この問題は『非常にセンシティブな家庭内の問題』として日本社会は介入しません。蹂躙され続ける宗教2世の存在を、2世自身が独力のみで家族を捨てて脱会することの厳しさを日本社会は十分に認知せず、問題が存在しないものとして扱われてきました。日本の立法機関や行政機関による「家庭内の問題や宗教活動に対して強く干渉しない姿勢」がこれらの被害を増大させてきました。

宗教2世には、日本国憲法の定める『基本的人権』がありません。日本社会はこの人権蹂躙を許してはいけないと私は強く確信しています。これは宗教組織が仕組んだ『虐待』の問題なのです。

日本では信教の自由が認められているからこそ宗教組織は活動できる。一方その結果、信者の子供たちの人権が侵されています。


社会保障にしても、日本では「世帯」が基本です。まず家庭(家族)による自助努力が前提なのです。行政による援助はその先にしかありません。それは、カルトの問題も同じです。それが日本を「カルト天国」にした所以なのでしょう。

これを読むと、救済のための法整備とともに、教団の活動を規制する必要があるということがよくわかります。専門家の話では、マインドコントロールから脱するには、まず教団との連絡を絶つことが大事だそうです。信仰二世の問題の前には子どもを信仰に縛り付ける親の問題もありますが、いづれにしても本腰で彼らを救済しようと思えば、「解散命令」なりで教団の活動を規制することが前提なのです。そして、教団から引き剥がして、徐々にマインドコントロールを解くことから始めるしかないように思います。

なのに、それがどうして感情論に走るのは危険だとか、信仰二世を孤立させ苦しめるという話になるのか、私には理解できません。そういった主張は、30年前と同じ”元の木阿弥論”のようにしか聞こえないのです。「宗教虐待」を受ける子どもを親と教団に縛り付ける、非情な主張のようにしか思えないのです。もし、そういった”元の木阿弥論”の背景に、自民党と連立を組む公明党=創価学会の意向や忖度が存在しているとしたら、問題はもっと深刻だと言えるでしょう。

カルトは、信教の自由とは別の次元の話です。それを橋下徹や太田光のように、バカのひとつ覚えのように信教の自由で解釈しようとすると、あのようなトンチンカンな醜態を晒してしまうことになるのです。

30年前と同じ愚を繰り返してはならないのです。

※タイトルを変更しました。(9/12)
2022.09.09 Fri l 社会・メディア l top ▲
東京オリンピックをめぐる汚職事件で、今度は大会スポンサーであったKADOKAWAの元専務と事業担当の室長が、東京地検特捜部に贈賄容疑で逮捕されたというニュースがありました。

KADOKAWAが大会スポンサー選定のキーパーソンの高橋治之容疑者(実際は電通時代の同僚を社長にしたダミー会社)に、コンサル料として支払った金額は7600万円と報道されています。

ただ、今回逮捕されたのは、あくまで窓口になった担当社員にすぎません。決裁した(はずの)角川歴彦会長や夏野剛社長にも捜査の手が及ぶのか注目されます。

夏野社長で思い出すのは、パンデミック下でオリンピック開催が強行され世論が沸騰していた時期に、ABEMA TVで飛び出した”トンデモ発言”です。

調べてみると、放送されたのは2021年7月21日で、FLASHによれば下記のような内容です(FLASHの記事では2019年になっていますが、2021年の間違いです)。夏野氏はまだ子会社のドワンゴの社長でした。

Smart FLASH
「五輪汚職」報道のKADOKAWA 夏野剛社長が五輪をめぐり語っていた「アホな国民感情」“上から目線”の大暴言

  番組では、子供の運動会や発表会などが無観客なのに、五輪だけ観客を認めると、不公平感が出てしまうという話題になった。その際、夏野氏は

  「そんなクソなね、ピアノの発表会なんかどうでもいいでしょ、オリンピックに比べれば。それを一緒にするアホな国民感情に今年、選挙があるから、乗らざるを得ないんですよ。

  Jリーグだってプロ野球だって入れているんだから。オリンピックを無観客にしなければいけないのは、やっぱりあおりがあるし、それからやっぱり選挙があるから。そこに対してあまり国民感情を刺激するのはよくないという判断。もうこのポリティカルな判断に尽きると思いますよ」

と、国民の素朴な不平の声に対し、“上から目線”の、まるで馬鹿にしたような発言を繰り広げたのだ。


この身も蓋もないおっさんの”上から目線”。こんな人物が、NTTドコモでiモードの立ち上げに参画したとして、日本のネット業界の立役者のように言われているのです。

楽天の三木谷浩史氏やかつてのライブドアの堀江貴文は、ネットで金を集めるとプロ野球の球団の買収に乗り出したのですが、そこに示されたのも目を覆いたくなるような古臭いおっさんの発想です。ドワンゴにとっては、それがオリンピックだったのでしょう。

もっとも、パンデミックという予想外の出来事や大会前のゴタゴタで公式パンフレットの販売も中止になり、結局、大会組織員会に払ったスポンサー料2億8千万円と高橋理事に払った斡旋料7600万円でKADOKAWAが手にしたのは、ほとんど人の目に止まることもない「大会スポンサー」というクレジットタイトルだけだったのです。大会スポンサーという「名誉」を手にしたと言えばそう言えるのかもしれませんが、傍目には、爺殺しのドワンゴとおねだり理事の口車に乗せられて、3億5千万円の大金をドブに棄てたようにしか見えません。文字通り「ザマ―」みたいな話なのでした。

クスリを無料で差し上げますよと言ってお客を囲い込み、ジャンキーになった頃を見計らって有料にするという、ヤクの売人みたいな商法が当たり前のように通用するのがネットなのです。あるいは、欠陥商品を売ってもあとでアップデートだと言って修正すれば、ネットでは欠陥商品を売った責任は問われないのです。既存のビジネスから見れば、こんな美味しい世界はないでしょう。

KADOKAWAとドワンゴが合併したときから、こうなるのは必然だったという声もありますが、合併については、私も下記のように、大塚英志氏の著書を紹介する中で何度か触れています。

角川とドワンゴの経営統合
https://zakkan.org/blog-entry-954.html

ネットの「責任」と「倫理」
https://zakkan.org/blog-entry-998.html

『メディアミックス化する日本』
https://zakkan.org/blog-entry-1002.html

あらかじめ作られたプラットフォームに従って物語が二次創作されていくシステムは、日本の出版文化の黎明期から固有のものだったのですが、とりわけKADOKAWAがドワンゴと合併することによって、その課金化が歯止めもなく進んだのでした。

ネットの登場によって、プラットフォームを金儲けの手段にした”愚劣なシステム”が大手を振ってまかり通りようになったのですが、KADOKAWAはそれに便乗してメディアミックスの総合企業として新しいビジネスモデル(課金システム)を打ち立てようとしたのです。

やや視点は異なりますが、ネットの”愚劣なシステム”について、私は、上記の「ネットの『責任』と『倫理』」の中で次のように書きました。

たしかに、ネットというのは「発話」(発言)すること自体は「自由」です。その意味では、「民主的」と言えるのかもしれません。しかし、現実において、私たちが「発話」するためには、ニコ動や2ちゃんねるやTwitterやFacebookやLINEなどなんらかのプラットフォームを利用しなければなりません。そして、プラットフォームを利用すれば、「発話」は立ちどころにあらかじめコントロールされたシステムのなかに組み込まれることになるのです。「一人ひとりの断片的な書き込みやツイートは、実は今や『民意』という『大きな物語』に収斂する仕掛け」になっているのです。私たちの「発話」は、その”宿命”から逃れることはできないのです。

一企業の金儲けの論理のなかに「言論・表現の自由」が担保されているというこのあやふやな現実。これがネット「言論」なるものの特徴です。


そこにいるのは、間違いなく踊るアホである私たちです。
2022.09.08 Thu l ネット l top ▲
Newsweek913.jpg


『Newsweek』(9・13号)で、ノンフィクションライターの石戸諭氏が、「統一教会を『絶対悪』と見るべきか」というタイトルの記事を書いていました。

石戸氏も、教団と政治の関係は実はあまりたいしたものではなく、ただ、教団が自分たちを大きく見せるために誇大に宣伝しているだけだ、「信用保証」に使っていただけだ、と書いていました。教団が叩かれているけど、「政治との距離や信者の実態は正確には知られていない」と言うのです。

そして、石戸氏は、「カルト信者の脱会支援」を行っている瓜生崇氏の次のような言葉を紹介していました。

「(略)宗教が政治に訴えるのは自由です。教会が『反社会的』だから政治に関わってはダメだという主張もある。でも、伝統宗教だって寄付やお布施の問題はあるし、統一教会も69年以降は霊感商法もかなり減っている。今、違法な行為に手を染めていない信者はどうなりますか? 暴力団と同じ扱いにするなら信仰を理由に銀行口座開設も許されなくなる」
特定の宗教を法人としてつぶしたところで、信者の信仰は続く。だが、届け出も登録もなくなってしまった宗教は地下に潜ってしまい、問題を起こしたとしても責任を取る主体すら明らかでなくなる。過激な言葉で統一教会を批判する人々は、どこまで考えているのかと瓜生は思う。


仮に教団に「解散命令」が下されても、瓜生氏が言うように「信仰を理由に銀行口座開設も許されなくなる」ということはありません。宗教法人法と、いわゆる暴対法や全国の自治体で施行されている暴力団排除条例を混同すること自体メチャクチャです。

瓜生氏は、私も信仰する浄土真宗大谷派の僧侶だそうですが、旧統一教会の問題を考えるのに、憲法20条の「政教分離」の問題にもまったく触れていません。それも驚きでした。それどころか、宗教が政治に接近するのは自由だとさえ言うのでした。

石戸氏は、記事の最後に、「〈自分たちは絶対善の正しい存在、相手は絶対悪〉という思考こそがカルト的な思考なのです。社会がそれにとらわれてはいけない」という瓜生氏の言葉を紹介していましたが、悪人正機を説教したにしても、あまりにも粗雑な現状認識と言わざるを得ません。日本はカルトに「鈍感」だと言われていますが、もっと「鈍感」になれと言っているようなものです。これでは、旧統一教会を擁護するのかと抗議されでも仕方ないでしょう。

私も前に仕事の関係で、旧統一教会とは別のカルト宗教の二世信者の若者とつきあいがありましたが、私の経験から言っても、彼らが社会に適応するのは至難の業だと思います。

もちろん、同じ信仰二世でも濃淡があり、信仰にどっぷり浸かっている人間と信仰と距離を取っている人間がいると思いますが、瓜生氏や石戸氏が取り上げているのはどうも後者のようです。でも、実際にそういった例は少ないのではないか。

山上徹也容疑者のように、カルトに狂った親の元に生まれ、信仰とは別に、半ばネグレクトのような扱いを受けて育てられた子ども対しては、援助の仕組みを設けて社会が受け入れる体制を作ることは必要だと思います。

ただ、一方で、カルトの家に生まれ、親とともにマインドコントロール下に置かれて信仰を余儀なくされた子どもが信仰から離れるのは、傍で考えるほど簡単なことではないと思います。たとえはよくないかもしれませんが、虐待の世代連鎖というのがあるように、育った環境はときに理不尽でむごいものでもあるのです。昔、親がよく「血は汚い」と言っていましたが、親と子の関係は傍で考えるほど簡単ではないのです。

あまり過剰に教団を叩くと、二世信者たちが社会から孤立して益々行き場がなくなると言いますが、しかし、孤立するも何も彼らは最初から社会に背を向けているのです。そういった前提も考えずに安易な「ヒューマニズム」で救済の手を差し伸べるだけなら、前も書いたように、逆にカルトに利用されるのがオチでしょう。

実際に、教団が全国の消費者センターに接触しはじめているとして、全国弁連(全国霊感商法対策弁護士連絡会)が注意を喚起したという報道がありました。

毎日新聞
「旧統一教会が消費生活センターに接触」 全国弁連が注意喚起

  全国弁連によると、8月下旬以降、名古屋市や大阪府、広島県などにある、少なくとも全国8カ所の消費生活センターに、旧統一教会の地元教会から来訪や電話で「(教団に関する)相談には誠実に対応するので、連絡してほしい」という趣旨の申し出があったという。全国弁連は1日、消費者庁所管の独立行政法人「国民生活センター」に、こうした申し出に応じないよう全国の消費生活センターへの周知徹底を求めた。


カルトはどんなことでもするのです。だからカルトなのです。これを差別だと言われたら言葉もありませんが、カルトの本質を軽視してはならないのです。

テレビに出て来る信仰二世を見ると、ごぐ普通のどこにでもいる若者が親の信仰で悩んでいるように見えますが、マインドコントロールされてない若者の方が取材に応じるという事情も考慮に入れる必要があるでしょう。哀しいかな、子どもは親を選べないのです。カルトに狂った(はまった)親に育てられた子どもが、社会になじめないのはある意味で当然なのです。まずそういった共通認識を持つことが大事でしょう。

信者やその子どもたちを「被害者」として捉えて救済の手を差し伸べ、社会が温かく迎えるというのはとてもいいことですが、しかし、そのやり方は教団には通用しないと思った方がいいでしょう。たとえば、一時山上徹也容疑者の母親を引き受けていた弁護士の伯父さん(母親の義兄))などは、それをいちばん痛感しているはずです。

東洋経済 ONLINE ※追記(9/10)
山上容疑者を凶行に駆り立てた一族の「壮絶歴史」
統一教会からの「返金終了」が山上家貧窮の決定打

やはり、為すべきことは教団の活動に対する規制です。「解散命令」も視野に入れた規制が必要なのです。それが信仰二世の問題なども含めた、旧統一教会をめぐる問題の解決策だと思います。大前提と言っていいのでしょう。

石戸氏は、政治との距離は「正確には知られていない」と書いていますが、それはジャーナリストとしてあまりにも怠慢と言わざるを得ません。というか、知ろうとしてないのではないか。これほど明白な現実が目の前に突き付けられているのです。しかも、よりによってそれは、政権与党と韓国のカルト宗教の関係なのです。憲法改正やLGBTや夫婦別姓や女性天皇などに関して、自民党「保守」派と旧統一教会の主張が、どうしてあんなに似通っているのか。あるいは国際勝共連合設立の経緯などを考えれば、政治との距離が「正確には知られていない」などとはとても言えないはずです。

石戸氏は、「統一教会を批判する側にも、相手の実像を見極めるより深い思考が必要になる」と書いていましたが、何をか況やと思いました。

旧統一教会を「絶対悪」だと決めつけて感情的にバッシングすると、益々信者やその二世の子どもたちの社会的な孤立を招くと言うのは、何だか話を別の方向に持って行こうとしているように思えてなりません。教団に対する批判に、あえて冷水を浴びせるようなもの言いには、やはり反論せざるを得ないのです。

旧統一教会をめぐる問題にはいろんな側面がありますが、バッシングしているのは、旧統一教会と政治(主に政権与党)との関係であり、赤報隊事件に関する疑惑や、今なお続いている教団に批判的なジャーナリストや弁護士に対する脅迫や嫌がらせに見られるような、カルト特有の狂暴な反共団体という側面に対してです。何故、公安調査庁が内密に監視していたのか。公安警察が強制捜査の準備をしていたのか。権力でさえ危険視していた教団の体質を考えないわけにはいかないでしょう。それらが「政治の力」で潰された現実を無視して、旧統一教会は言われるほど危険ではなかったと断じるのは、詭弁と言わざるを得ません。

名称変更の問題でも、文化庁宗務課長として関わってきた前川喜平氏の「当時の下村文部科学大臣の意思が働いていたことは間違いない」(野党のヒヤリングでの証言)という発言については、「証拠がない」水掛け論だとして一蹴する一方で、何故か石戸氏の取材を受けた下村博文氏の「(旧統一教会と手を)切っていい」という発言を取り上げて、教団も高齢化して集票マシーンとしては力がなくなったので「簡単に『切る』と言えた」のだろう、と書いているのでした。何だか下村氏の言い分をただ垂れ流しているだけのような感じで、下村氏の発言をそう「簡単に」信用していいのか、と思わざるを得ませんでした。

旧統一教会はただの、、、宗教団体ではないのです。問題の所在は、旧統一教会がカルトであるということなのです。石戸氏の記事は、どう見ても、橋下徹や古市憲寿や太田光や、あるいはパックンと同じように、その肝心な点が捨象され”宗教一般”として論じ問題を矮小化するものでしかありません。どうしてこんな牽強付会な記事を書いたのか、首を捻らざるを得ません。

ここにも、大山鳴動して鼠一匹に収斂しようとする言説があるように思えてならないのでした。
2022.09.07 Wed l 社会・メディア l top ▲
安倍銃撃事件からやがて2ヶ月が経とうとしています。事件をきっかけに、「30年の空白」を経て再び旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の問題がメディアに取り上げられるようになったのですが、この問題に対する言説にも微妙に変化が出てきたような気がします。私なりに解釈すると、それは三つに分類できるように思います。

一つ目は、橋下徹や古市憲寿や太田光や田崎史郎らが言う、旧統一教会と言えども「信仰の自由」は認められるべきだ、という意見です。要するに、旧統一教会の宗教と政治活動の顔を分けて考えるべきだと言いたいのだと思いますが、そもそもカルトというのは、宗教活動と政治活動を分けられるような性格のものではありません。だからカルトなのです。そういったカルトに対する認識が欠落したお粗末な言説、いうか屁理屈と言わざるを得ません。

彼らの屁理屈は、韓国で世界平和統一家庭連合の信者たちが、日本の報道に対して抗議デモをした際に掲げていた、「宗教弾圧をやめろ!」「信仰の自由を尊重しろ!」というスローガンとまったく同じです。このようなカルトが何たるかも考えない単細胞な屁理屈こそカルトの思う壺(!)と言えるでしょう。

橋下徹は、旧統一教会の宗教的な部分まで規制するのは、憲法第20条の「信教の自由」に反すると言ってましたが、それを言うなら、まず後段の「政教分離の原則」を問題にすべきでしょう。ちなみに、憲法第20条は次のように謳われています。

1  信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。
2  何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3  国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。


公明党の石井啓一幹事長は、4日の「NHK日曜討論」で、宗教法人への寄付について、「重要なのは、本人の自由意思で行われたかどうか。自発的な意思で行われたかどうかということが重要だ」と述べたそうですが、問題はそういったところにあるのではなく、その先の心理学等を駆使した現代の宗教的帰依、つまり洗脳(マインドコントロール)にあるのです。旧統一教会の信者たちだって、縛られたり殴られたりして強奪されているわけではないのです。創価学会の信者たちと同じように、自発的に献金しているのです。だから、問題があるのです。石井幹事長の発言は、天に唾する”苦しい弁解”のようにしか聞こえません。それより、今回の問題をきっかけに、自民党と公明党=創価学会の関係も含めて、政治と宗教の問題を根本から問い直すべきなのです。

朝日新聞デジタル
公明・石井幹事長「自由意思を妨げるような寄付の勧誘は対策を」

二つ目は、細野豪志やパックンや安倍応援団だった右派文化人たちに見られるような、旧統一教会の問題にいつまで関わっているんだ、もっと大事な政治案件があるはずだ、という意見です。でも、今回の問題で、憲法改正や夫婦別姓やLGBTや外交防衛など、国の根幹に関わる「大事な政治案件」が、韓国のカルト宗教の主張をそのままトレースしたものにすぎなかったことがわかったのです。日本はそんな国だったのです。

日本の政治の深部まで「反日カルト」に蚕食され、安倍元首相に代表される日本の「保守」政治家たちが、「愛国」を隠れ蓑に「反日カルト」に「国を売っていた」のです。旧統一教会の問題は、とてもじゃないけど、「いつまで関わっているんだ」というような、そんな軽い問題ではないのです。それこそ徹底的に究明しなければならない、「日本終わった」ような問題なのです。細野豪志やパックンらの言説は、そんな世も末のような深刻な問題に蓋をしようとする、きわめて反動的で悪質な詭弁としか言いようがありません。パックンはハーバード大出身がウリで、ニュース番組のコメンテーターなどにも起用されていましたが、何だかここにきて馬脚を露わした気がします。

三つ目は、一部のジャーナリストたちに見られますが、旧統一教会と政治との関わりについて、実態はそれほどでもなく、教団が自分たちを大きく見せるためにオーバーに言っているにすぎない、という意見です。それどころか、古参信者の中には、韓国の本部と手を切り日本の支部が”独立”して、純粋な宗教団体として出直すべきだという声もある、と”怪情報”を披瀝するジャーナリストもいます。

古参信者というのが、ポリタスTVの中で樋田毅氏が話していた人物と同じなのかどうかわかりませんが、たしかに、文鮮明教祖が亡くなったことで教団の求心力が落ちたところに、遺族の間で跡目争いが勃発して、教祖の家庭が教団名とは真逆にバラバラになったので、嫌気が差したというのは考えられなくもありません。しかし、相手はどんなウソでも平気で言うカルトなのです。だからと言って、宗教的な帰依がなくなったり、憲法改正して日本を「神の国」にするとか、「エバ国」と「アダム国」を自由に往来できるように日韓トンネルを掘るとかいった、文鮮明の”御託宣”から自由になっているわけではないのです。仮に今の体制に嫌気が差しているとしたら、むしろ逆に、かつての生学連(生長の家学生会全国総連合)のように、原理主義に回帰してより過激になっていくということも考えられます。彼らは、文鮮明の悲願を達成するために、長い時間をかけて、日本の政治の奥深くにまで触手を伸ばしてきたのです。その”持続する志”は、今のようなバッシングで萎えるような、そんなヤワなものでは決してないでしょう。

あれだけ共産主義を悪魔の思想のように言っておきながら、ある日突然、(日本からふんだくった)2千億円とも言われる持参金を持って北朝鮮を訪問して、金日成と”義兄弟”の契りを結ぶという、天地がひっくり返るような出来事があったにもかかわらず、彼らの文鮮明に対する帰依心はゆるがなかったのです。なのに今になって、霊感商法を反省して宗教の原点に帰るみたいに言うのは、眉に唾して聞く必要があるでしょう。

どんな手段を使ってでも目的を達するというのがカルトです。そのためにはどんな風にも装うしどんなことでも言います。私は、むしろ、カルトを過小評価し軽視することの怖さを覚えてなりません。

霊感商法や多額の寄付などの被害者(信者)を救済する必要があるという声を受けて、政府が今日から電話相談窓口を開設するそうです(ただし今月末までの期間限定)。また、河野太郎消費者担当大臣もさっそく得意のパフォーマンスで、消費者庁に「霊感商法等の悪質商法への対策検討会」の設置を命じたそうですが、その実効性はともかく、もしかしたら、被害者救済にも教団がダミーを使って介入してくる可能性さえあるのではないかと思ったりもするのです。カルトはなんでもありなのです。

それにしても、急に電話相談をはじめるなど白々しいにもほどがあります。じゃあ、安倍銃撃事件がなかったら何もしなかったのか。今まで通り知らぬ存ぜぬを決め込んで、「反日カルト」との蜜月を送っていたのかと言いたくなります。

山上容疑者の行為を美化するのかと言う声もありますが、事件後の流れを見ると美化したくなる人間の気持もわからないでもありません。山上容疑者の犯行があったからこそ、このように旧統一教会の問題が表に出て、政府も相談窓口を設置したのです。言論の自由と言いながら、それまで(30年間)メディアは何も報道しなかったのです。言論の自由は絵に描いた餅にすぎなかったのです。民主主義が機能していなかったから、テロが義挙として美化されることになるのです。

先日、本村健太郎弁護士が日テレの「情報ライブミネヤ」で、次のように発言していたそうです。

ディリーニュース
本村弁護士、旧統一教会「布教活動が違法と司法判断」解散申し立てないのは「怠慢」

  宗教法人法第81条(解散命令)の条文には「著しく公共の福祉を害すると認められる場合」「宗教団体の目的を著しく逸脱した場合」とあり、本村氏は「これには十分、すでに該当しているはずなんです」と説明。「文化庁、行政の怠慢だと思います。文部科学大臣が権限を行使して早急に、あるいはとっくの昔に裁判所に統一教会の解散命令申し立てをするべきだったんです」と切った。

  本村氏は2001年の札幌地裁が統一教会の布教活動の違法性を認定した判決を下しており、最高裁まで争われたが、確定判決となっていることも説明。「すでに裁判所は統一教会のやっている布教活動そのものが違法であるという司法判断が下っているんです。最高裁で確定しているんです。にもかかわらず行政、あるいは政治家の方がやれることをやっていないだけなんですね」と“怠慢”をあらためて強調した。
(上記ディリニュースの記事より)


まさにこれが旧統一教会をめぐる問題の肝で、私たちがめざすべき終着点だと言っていいでしょう。でなけば、元も子もないのです。それこそ大山鳴動して鼠一匹で終わるだけです。

一方で、まだカルト認定してないうちに、感情だけで「解散命令」に走るのは危険だ、という意見がありますが、だったら、カルト認定って誰がするのですか?と問いたいのです。裁判官が異端審問官のように、「はい、これはカルトです」と認定するのか。本村氏が言うように、既に「布教活動の違法性を認定した判決」が最高裁で確定しているのです。現に信者本人だけでなく”信仰二世”の問題も出ているのです。

「自由の敵に自由を許すな」という言葉がありますが、「自由の敵だとまだ認定されないので、自由の敵にも自由を認める」と言ったら、自分の自由は守れないでしょう。旧統一教会がいつも衝いてくるのはそこなのです。その一方で、教団を批判するジャーナリストなどに、あれだけの脅迫や嫌がらせを行ってきたのです。今も批判的なメディアに対する抗議はすさまじいものがあると言われています。

ウクライナがヨーロッパにおける重要な拠点なので、ロシア侵攻の前から、国際勝共連合がアゾフ連帯を支援していたという話があります。と言うと、ロシアを利する陰謀論だと言われるのがオチですが、カルトとネオナチは親和性が高いということを忘れてはならないのです。

教団は、一連の報道に対して、宗教弾圧だ、集団ヒステリーだ、魔女狩りだと言っています。そういった教団の常套句と、まだカルト認定されてないとか、感情に走っているとかいったわけ知り気の口吻は、見事なほど共鳴しているのでした。それは、オウム真理教の坂本弁護士一家殺害事件などでも見られた言説でした。中にはカルト認定できるような新しい法律を作ればいい、と主張する声もありますが、その方がはるかに危険でしょう。もっとも、テレビで感情に走っているとか言っている弁護士は、旧統一教会の問題とはもっとも遠いところにいるようなタレント弁護士ばかりです。

このようにいろんな言説が出ていますが、その多くは問題のすり替えにすぎません。そうやってものごとの本質が隠蔽されていくのです。私には、早くも腰砕けに終わりそうな兆候のようにしか見えません。でも、旧統一教会の問題を”ありふれた話”として終わらせてはならないのです。大手新聞のようなオブスキャランティズムに回収させてはならないのです。

4日の「NHK日曜討論」では、自民党の茂木幹事長が、自民党と旧統一教会の関係を指摘されると、「共産党は左翼的な過激団体と関係があると言われてきた」と発言して物議をかもしていますが、それなども旧統一教会から吹きこまれたトンデモ話ではないのかと思ってしまいました。日本共産党と「左翼的な過激団体」が不倶戴天の間柄で、「反革命」「トロッキスト」と罵り合っているのは常識中の常識です。政権与党の幹事長がそんな初歩的なことも知らないのかと唖然としました。それこそ立憲民主党を「極左」と呼ぶネトウヨと同じレベルの話で、公安調査庁の報告書も読んだことがないのかと思いました。

旧統一教会の彼らは今もなお、丹沢の山ヒルのように日本の政治の深部に張りついたまま、じっと息を潜んで嵐がすぎるのを待っているのです。自民党が調査したと言っても、ただアンケート用紙を配っただけです。ここに至っても自民党が、どうしてそんな子どもだましのようなやり方で切り抜けようとしているのかと言えば、旧統一教会と手を切ることができないことを彼らがいちばんよくわかっているからでしょう。

本村弁護士が言う「怠慢」も、政治との蜜月と連動しているのは間違いないでしょう。オウム真理教は政権与党とつながりがなかったので「解散命令」が下されたけど、旧統一教会は政権与党と親密な関係にあるので「解散命令」が下されることはない、という見方はまったく的外れとは言えない気がします。そこに日本の問題があるのです。旧統一教会をめぐる問題は、戦後史の闇と言っても言いすぎではないのです。そういった背景も考える必要があるでしょう。

立憲民主党などの野党も、何故かその「怠慢」を指摘していませんし、宗教法人法による「解散命令」を視野に入れた主張もしていません。できもしない新しい法律で対処するようなことを言うだけです。まして、野党の中にも「鶴タブー」が存在するのか、「政教分離」の問題は俎上にすらのぼってないのです。
2022.09.05 Mon l 社会・メディア l top ▲
朝日新聞が、先週末(27・28日)の世論調査で、岸田内閣の支持率が前回の57%から47%に「大幅に下落」(不支持率は25%から39%に上昇)したと伝えていましたが、でも、下落したのは10%にすぎません。「大幅に下落」と言うほどではないのです。これだけ自民党と旧統一教会の関係が取り沙汰されても、まだ47%の支持率を維持しているのです。他の新聞も、支持率がいちばん低いのが毎日(20・21日)の36%で、共同(10・11日)と読売((10・11日)はともに51%です。

また、政党支持率に至っては、僅かに下落したとは言え、自民党が他党を圧倒する一人勝ちの状況はいささかも変わりがないのです。二階の「自民党はビクともしない」という発言が「傲慢」だとか言われて叩かれていましたが、傲慢でも何でもないのです。そのとおりなのです。

「日本の誇り」などと言われたときの総理大臣が先頭になって、「反日カルト」に「国を売ってきた」ことがあきらかになったにもかかわらず、日本の国民はこの程度のゆるい反応しか持てないのです。しかも、「国を売ってきた」連中から、どうせ時間が経てば忘れるだろうと見下されているのです。ソウルの市民がテレビのインタビューで、「日本人がどうして韓国のカルト宗教をあんなに支持するのか理解できない」と言ってましたが、それは「日本人はアホでしょ」と言われているようなものです。こんなゆるい反応では大山鳴動して鼠一匹で終わりかねないでしょう。まして、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の「解散命令」など夢のまた夢のような気がします。

でも、「アホ」なのは国民だけではないのです。

今日のYahoo!ニュースに次のような記事が出ていました。

Yahoo!ニュース
時事通信
国葬出席「悩ましい」 党内議論に委ねる意向 立民・泉氏

立憲民主党の泉健太代表は、「国が関与する儀式は一つ一つ重たい。本来であれば基本的に出席する前提に立っている。それが本当に悩ましい」と語ったそうです。何を言っているんだ。その「儀式」が問題なんだろう。下の東京新聞の記事でも読めよ、と言いたくなりました。

東京新聞 TOKYO Web
安倍元首相の国葬、際立つ特別扱い 内閣府設置法の「国の儀式」としては天皇の国事行為以外で初

野党第一党の党首が「法的な根拠のない」儀式を追認してどうするんだ、と思います。それどころか、泉代表の発言は、国葬に反対している運動に冷水を浴びせるものと言っていいでしょう。

こういった発言をするのは、泉代表が社会運動の経験がないことが大きいような気がします。前も書きましたが、スペインのポデモスもギリシャのシリザもイギリスのスコットランド国民党も、もちろん緑の党も、どこも地べたの運動の中から生まれた政党です。「ミクロからマクロへ」という言葉がありますが、目の前の生活課題や政治課題を問う運動の集積として政党があるのです。泉代表は、そんな運動とはまったく無縁な政治家です。どちらかと言えば自民党や維新の政治家に近いタイプの政治家です。

今の旧統一教会と自民党のズブズブの関係が白日の下にさらけ出され、野党第一党の立憲民主党にとってこれほど大きなチャンスはないはずなのに、政党支持率はいっこうに上がらず、相変わらず10%前後を低迷しています。実際に、通常の議会政治における与野党のバランスから言っても、もはや「野党第一党」と言えるほどの勢力を持っているわけではありません。

このように立憲民主党はみずからずっこけて”敵失”を演じ、自民党に塩を送るばかりです。それは今に始まったことではありません。得点を入れるチャンスが来ると、何故かいつもゴール前で転んで(しかも自分で転んで)みすみすチャンスを逃すのでした。まるで得点を入れたくないかのように、です。”兄弟党”である国民民主党が本音を晒して自民党にすり寄っていますが、国民民主と立憲民主がどう違うのか、明確に答えることができる人はどれだけいるでしょうか。

先の参議選でも、選挙前の予想では自民党が議席を減らすのは間違いないと言われていました。立憲民主ら野党にとっても議席を回復させるチャンスがありました。でも、安倍銃撃事件があったとは言え、そのチャンスを生かすことができなかったのです。ひとりで勝てる力もないのに、共産党との野党共闘を拒否して自民党にみすみす議席を譲った一人区も多いのです。

にもかかわらず、執行部は責任を取らず泉代表は居座ったままです。党員たちも執行部を一新させることさえできなかったのです。一応目先を変えるために、”昔の名前”を呼び戻したりしていますが、「責任を取らない政党」というイメージは変わっていません。それが、立憲民主党に対する不信感や失望感につながっているのは間違いないでしょう。

そんないい加減で無責任な総括の背後に、スポンサーの連合の影がチラついていることをみんな感じています。泉代表の厚顔無恥な居座りを支えているのが、連合のサザエさんであることを国民はわかっているのです。

連合は未だに「反共」を旗印にした二大政党制なるものを希求し、今や改憲勢力の中に入った国民民主党を支持する姿勢も変えていません。連合が「反共」に執拗にこだわるのは、連合の執行部が、サザエさんも含めて、旧統一教会と思想を共有していた旧民社党の流れを汲む勢力に占められていることと無関係ではないでしょう。そんな連合にとって、泉代表は都合のいい存在なのだと思います。

泉代表が”対決型”ではなく”政策提案型”野党を掲げたときから、こうなることは目に見えていたのです。でも、その”自滅路線”を誰も止めることができなかったのです。止めようともしなかったのです。

吉本隆明の受け売りではないですが、既に日本では、家計消費がGDP(名目国内総生産)の50%以上を占めるようになっています(2020年は52.0%)。それに伴い、ちょっと古いですが、総務省統計局が国勢調査に基づいて集計した「産業別15歳以上就業者数の推移」を見ても、2007年(平成17年)の時点で、第三次産業の就業者数は全体の67.3%を占めるに至っています(第二次産業は25.9%、第一次産業は5.1%)。一方で、厚生労働省が発表した2021年の「労働組合基礎調査」によれば、労働組合の推定組織率は全労働者の16.9%(1007万8千人)にすぎません。連合に加入する組合員は約700万人と言われていますので、連合の推定組織率は12%前後です。

「生産」と「消費」を社会との関連で考えると、生産に携わる労働者を主眼に置く旧来の左翼的な思考が既に失効しているのはあきらかです。つまり、労働者の概念自体を変えるべきなのです。労働組合も、学校の生徒会と同じような役割においてはまだ有効かもしれませんが、社会運動として見た場合、組合員たちも昔と違って政治的に保守化しており、ほとんど存在意味を失くしているのは事実でしょう。もとより、連合に組織された12%の労働者は、大半がめぐまれた正社員(正職員)にすぎないのです。

立憲民主党は、「現状維持&少し改革」程度の”保守中道”の政党です。にもかかわらず、労働戦線の右翼的統一=連合の誕生と軌を一にして生まれた旧民主党の組織を引き継いでいるため(連合の組織内候補を引き継いだため)、連合をバックにした労組の論理を内に抱えたまま、今日の凋落を迎えてしまったのでした。

労組が「現世利益」を求めるのは当然ですが、ただ連合などの根底にあるのは、生産点(生産の現場)で油まみれで酷使され搾取される人々=労働者みたいな古色蒼然とした”左翼的概念”です。もちろん、彼らは左翼ですらなく、旧同盟=旧民社党の流れを汲む右派労働運動のナショナルセンターにすぎません。ただ、「現世利益」を求める方便として、換骨奪胎された”左翼的概念”が便宜的に利用されているのでした。

でも、”左翼的概念”は歴史的役割を終えています。むしろ、企業の論理から身をはがして、「消費」や消費者という発想に立った方が、ひとりの生活者として、今の社会のあり様や問題点も視えてくるものがあるはずです。階級的視点は、生活者のそれとも重なるのです。それが、今の資本主義が私たちに要請する思考のあり方でもあるのだと思います。

たとえば、家計消費がGDPの半分以上を占めるようになった現在、従来の労働組合によるストライキだけでなく、消費者のストライキもあって然るべきでしょう。労組のストライキが賃上げや待遇改善など企業内にとどまるのに対して、消費者のストライキ=不買運動は企業を外から直撃するラジカルな性格を持っており、その社会的なインパクトは労組の比ではないはずです。

一方で、東電労組に見られるように、ときに労組が企業の論理を代弁して社会運動に敵対するケースも多くなっています。リストラに伴ういじめなどに関しても、労組が会社側に立つケースも見られます。学校のいじめ問題や生活保護などに対する違法な”水際作戦”の問題でも、労組が機能していないどころか、管理者の側に立っていることも多いのです。

今、求められているのは、右か左かではなく上か下かなのです。「反共」という右のイデオロギーにふりまわされる時代ではないのです。まして、日本の「保守」が主張する「反共」が文鮮明の思想をトレースしたものにすぎないことが、旧統一教会をめぐる問題ではっきりしました。「愛国」や「保守」や「反共」は虚構だったのです。

しかし、立憲民主党は古い概念に囚われたままです。消費者や市民という視点は二の次に、「反共」イデオロギーに固執して、未だに連合にふりまわされているのでした。本来の意味におけるリベラルでさえないのです。プロ野球のシーズンが終わると、監督が親会社の社長(オーナー)に報告に行くのと同じように、選挙が終わると代表が連合の会長に報告に行くような政党なのです。だから、参政党のようなデマゴーグ政党にも票を奪われるのでしょう。

ましてや、スーツの襟に、「極右」(旧統一教会のエージェントの別名)の証しであるブルーリボンのバッチを付け、希望の党から国民民主党を渡り歩いた政治家が代表に就くなど、立憲民主党にとって本来あり得ないことだったし、あってはならないことだったはずです。泉代表は、旧民主党や旧新進党時代は代表選で前原誠司氏や細野豪志氏を推薦しているように、もともと彼らに近い政治家です。もちろん、連合の意向もあったのでしょうが、立憲民主党はそんな政治家を党の顔として選んだのです。下手すれば、党内で意に沿わないことがあると、グループを引き連れて離党し、再び前原氏と合流ということだってあるかも知れません。

今回の旧統一教会の問題にしても、立憲民主党には、安倍一族を筆頭とする「愛国」政治家たちによって「国が売られていた」事実を突きつけるような、ラジカルな視点はありません。国葬に対しても、党の代表が出席したいと言っているくらいですから、本音では反対しているわけではないのでしょう。

今まで何度もこの台詞をくり返してきましたが、立憲民主党が野党第一党である不幸をあらためて痛感してなりません。もはや立憲民主党は、「よりまし」でも「次善」でもないのです。「野党第一党がこれ以上弱くなったらどうするんだ?」「 自公の暴走をこれ以上許していいのか?」  そんな脅しに屈せずに、きっぱりと立憲民主党に引導を渡すべきでしょう。


関連記事:
立憲民主党が野党第一党である不幸
2022.09.02 Fri l 社会・メディア l top ▲
前の記事の続きになりますが、「熊本岸田会」の会長の崇城大学の中山峰男学長が、旧統一教会の関連団体の「日韓トンネル推進熊本県民会議」の議長を11年間務めていた件について、有田芳生氏が次のようにツイートしていました。


何のことはない、旧統一教会との関係は父親の代から続いていたのです。にもかかわらず、「知らなかった」、今回初めて旧統一教会だと知って「ショックだった」と言っているのです。それは、父親が笹川良一の運転手?をしていて、しかも、今も住之江競艇場の電気関係のメンテナンスを請け負う仕事をやっているにもかかわらず、「勝共連合、はじめて知った」と言った松井一郎大阪市長とよく似ています。

岸田首相にも、このように親の代から「反日カルト」と深い関係にある筋金入りの人物が、後援会の会長を務めていたのです。そういったことと、安倍国葬を早々と決めたことはホントに関係がないのか。旧統一教会とのつながりは、他にもあるのではないかと思ってしまいます。

自民党は、今日開いた役員会で、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)やその関連団体とは、今後一切関係を持たないことを党の基本方針にすると決定したそうです。また、茂木幹事長は、記者会見で、「今後、関係を絶てない議員については『同じ党で活動できない』と述べ、離党すべきとの考えを示し」(Yahoo!ニュースより)たそうですが、この前まで「知らなかった」と答えろと指示していたのはどこの誰か? と言いたくなります。開いた口が塞がらないとはこのことでしょう。

何故かメディアも報じていませんが、今もなお多くの自民党議員の事務所には、旧統一教会から「若くてきれいで頭のいい」女性秘書が派遣されていると言われています。議員たちは党員集めがノルマになっていましたので、自民党員になっている信者も多いはずです。そうやって政治家たちはカルトに弱みを握られていくのです。茂木幹事長の考えが方便でなければ、100人以上の議員に引導を渡してもおかしくないのです。

それにしても、このふざけた光景は何なんだと思わざるを得ません。議員たちの言い訳は、もはやギャグ大会みたいになっているのでした。中でも「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!」のモノマネタレントと名前も顔も似ている(?)山本朋広議員の言い訳は傑作でした。彼は、韓鶴子総裁を「マザームーン」と呼んだとして批判を浴びたのですが、自身は「韓鶴子」を「かんつるこ」だと思っていたのだとか。でも、会場に行ったら『かんつるこ』と呼ぶ人は誰もおらず、みんなハンとか何とか韓国語で呼んでいる。それで、「名前を言い間違えるのは大変失礼になるので悩んでいたところ、関係者が教えてくれたのが『マザームーン』」だったと言うのです。私は、その記事を読んで吹き出してしまいました。

自民党は旧統一教会と手を切ることなど絶対にできないのです。何度も言うように、自由民主党という政党が解体されない限り、それは無理な話です。

山上徹也容疑者の2発の銃弾によって、私たちの前にさらけ出されたのは、日本を食い物にする「反日カルト」の活動に、政権与党が便宜をはかってきたという文字通り「日本終わった」実態です。そんな関係が1950年代から連綿と続いてきたのです。

でも、その背景にあるものを考えないと、この「愛国」の名のもとに行われた「売国」の本質に行き当たることはできないし、自民党は手を切れないという言葉の意味を理解することもできないでしょう。そこにあるのは、今なお続いている東アジアの冷戦構造とそれに伴うアメリカの反共政策です。前も書きましたが、のちの中東におけるイスラム国やタリバンなどと同じように、旧統一教会は宗教の枠を越えて、アメリカやKICIAに庇護されてきたのです。

一方で、保守合同で誕生した自民党に課せられたのも、対米従属と反共です。岸信介の手引きによって、まるでアメリカの反共政策の伝道師のように(そう装って)日本にやって来た旧統一教会に、日本の政権与党が蚕食されたのは当然の成り行きだったと言っていいかもしれません。その「売国」路線を受け継いだ本家の三代目が、来月、”国家の英雄”のように数十億円の税金を使って盛大に送られるのです。

国葬について、岸田首相は、今日の病み上がりの記者会見で、次のように述べたそうです。

朝日新聞デジタル
岸田首相、国会で安倍氏の国葬を説明へ 「批判、真摯に受け止める」

(略)安倍晋三元首相の国葬に対する批判について「真摯(しんし)に受け止め、政権の初心に帰り、丁寧な説明を尽くしたい」と述べた。その上で、首相自身が早急にテレビ中継される国会審議に出席し、質疑に答える場を設けるよう自民党の茂木敏充幹事長らに指示したことを明らかにした。


何かの雑誌に書いていましたが、官僚が官邸に報告書だかを持って行くと、前任の菅義偉首相が2・3行にまとめて持って来いとメチャクチャなことを言うのに対して、岸田首相はどんなに長い報告書でも最後まで丹念に読んでくれるそうです。でも、それだけ。そのあと何の指示もないのだと。「真摯(しんし)に受け止め、政権の初心に帰り、丁寧な説明を尽くしたい」という言葉もただ聞いておくだけ、聞き流すだけという意味なのでしょう。

話は戻りますが、茂木幹事長の「離党」発言は大ぼらもいいところで、そうやって”本気度”を見せ国民をはぐらかせておけば、そのうち時間が経てば忘れるとタカを括っているのでしょう。それもいつものことです。

もし手を切れないなら離党して貰うと本気で思っているのなら、ましてや旧統一教会(世界平和統一家庭連合)が、それほどの(離党を促すほどの)いわくのある教団だとホントに思っているのなら、まず党としてやるべきことは、宗教法人法に則り「解散命令」を求める方針を打ち出すことでしょう。それをしないで、手を切れないなら離党して貰うなどと大見栄を切るのは、本末転倒した大ぼら、白々しい目くらましとしか言いようがありません。

これからは、私はこうして旧統一教会と手を切りましたというギャグ大会がはじまるのでしょう。


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追記: (9/1)

早速、昨日(31日)、自民党の井上義行参院議員が、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の「賛同会員」をやめたというコメントを発表しました。併せて、党の方針に従って、関連団体を含めて、教団と一切の関係を断つと明言したのでした。

でも、有田芳生氏によれば、そもそも「賛助会員」なんていう制度はなく、井上議員のために「つくられたもの」だそうです。

井上義行参院議員は、参院選の決起集会で、応援演説に立った教団関係者が「井上先生は、もうすでに食口シック(信者)になりました」と演説しているシーンがテレビで放送され有名になりましたが、これは潜入取材をしていたジャーナリストの横田一氏によって撮影されたものです。それで、慌てた教団が井上議員と話し合い、信者ではなく「賛助会員」ということにしたそうです。

井上議員に関しては、先の集会とは別に、さいたま市で教団内部の「神日本第1地区」の出発式が催されたこともわかっています。もちろん、そもそも存在しない「賛助会員」を退会したというのはギャグでしかありません。これもまた、教団お得意の”偽装工作”の疑いは拭えないのです。

井上議員は、安倍晋三元首相が副官房長官だった頃からの秘書官で、総理大臣になったあとも内閣総理大臣秘書官を務めていました。今回の参院選は2期目ですが、前回はみんなの党(解党)の比例区からの出馬でした。しかし、今回自民党から”鞍替え出馬”するに際して、次のような証言がありました。

朝日新聞デジタル
旧統一教会側の支援受けた自民・宮島氏 陣営幹部「教団の力すごい」

前回の2016年の参院選で世界平和統一家庭連合(旧統一教会)から支援を受けた自民党の前参院議員の宮島喜文氏は、今回、教団から支援を受けられなくなり出馬を断念したのでした。理由は、井上義行議員の出馬です。

  宮島氏らによると、昨年11月、安倍氏が自民党の最大派閥・清和会(安倍派)の会長に就くと、宮島氏は政界を引退していた伊達忠一・元参院議長から、参院選に向け安倍氏と面会するよう指示されたという。

  年が明けてほどなくして安倍氏との面会が実現した。宮島氏は「態勢はある程度、整いました。ただ、ちょっと厳しいんです」と伝え、平和連合の支援を念頭に「前回と同じように応援票を回していただけませんか」と頼んだ。これに対し、安倍氏は「もう少し頑張らないと」などと、はっきりした考えを示さなかったという。

  その後も平和連合からの支援は決まらず、宮島氏は3月中旬にも安倍氏のもとを訪れた。すると安倍氏に「前回みたいな応援は難しい。6年間国会議員をやってきたのだから、自分で頑張れないか」などと告げられたという。

  宮島氏は、参院選には安倍氏の元首相秘書官の井上義行氏(59)が立候補を予定しており、支援組織に困っているとの情報を耳にしていた。安倍氏は、井上氏に平和連合の支援を割り振るのではないかとも感じた。宮島氏らは平和連合の支援は事実上、井上氏に一本化されたと受け止めた。


この証言は、安倍元首相が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の組織票を差配しており、少なくとも清和会内部ではそれが衆知の事実だったことを示していると言っていいでしょう。

尚、記事によれば、前回の選挙で当選したあと、宮島氏は、教団から「静岡県熱海市の温泉旅館で1泊2日の『研修』を求められた」のだとか。研修では、「教団の友好団体である政治組織『国際勝共連合』の歴史や、岸信介元首相とのつながりも聞いた。岸氏の孫である安倍晋三元首相が登場するビデオを見せられ、『安倍さんは我々の目標とする反共を理解してくれている』との話もあった。昼や夜は平和連合の幹部らと『豪華な食事』をともにした」そうです。
2022.08.31 Wed l 社会・メディア l top ▲
津田大介氏が主催するYouTubeの「ポリタスTV」で、『君は早稲田で死んだ』(文藝春秋)の著者の樋田毅氏とジャーナリストの青木理氏をゲストに迎えた下記の番組を観ました。

ポリタスTV
『彼は早稲田で死んだ』と統一教会 ゲスト:樋田毅・青木理
https://www.youtube.com/watch?v=MDxYXmc1Z4o

樋田毅氏は、朝日新聞の記者時代、阪神支局に勤務していたそうです。1987年に赤報隊事件が起きたときは大阪社会部に配属されていたのですが、事件の翌日、阪神支局に派遣され、不審者情報などを聞き込むチームに入り、また、のちに大阪社会部で編成された専従取材班のキャップも務めたそうです。

樋田氏は、その体験をもとに2018年に岩波書店から『記者襲撃   赤報隊事件30年目の真実』という本を出しています。今回、旧統一教会の問題が再び取り沙汰されるようになったので、私も『記者襲撃』を読みたいと思ったのですが、考えることはみんな同じみたいで、どこも在庫切れでした。

『彼は早稲田で死んだ』は、私も下の「関連記事」に感想文を書いていますが、1972年に、早稲田大学で中核派のスパイと間違われた「川口大三郎君」が、当時、早稲田を暴力的に支配していた革マル派にリンチされ殺害された事件を扱った本です。

「川口君」は、文学部2年のとき、中核派系の集会に参加したことから、中核派のオルグの対象になりました。しかし、中核派に入る意志がなかったので、友人を介して同派と話し合い、中核派と距離を置いたのでした。にもかかわらず、その矢先、構内を歩いていた「川口君」は革マル派の活動家に拉致され、一文(第一文学部)の自治会室に監禁されて、リンチの末殺害されるのでした。

『彼は早稲田で死んだ』は、その事件を発端に誕生した新しい一文の自治会の委員長として、非暴力を貫いて革マル派と対峙し、みずからも革マル派に襲撃され大けがを負うという過酷な体験を通して、当時大学を覆っていた異常な空気を描いています。ところが、番組の中で、『彼は早稲田で死んだ』と赤報隊事件を扱った『記者襲撃』はつながっており、「川口事件」にも旧統一教会が絡んでいたという裏話が飛び出したのでした。

私もこのブログで書きましたが、有田芳生氏が、先日、94年頃だったかにオウムの次は旧統一教会だとして、公安警察を中心に強制捜査に着手する準備をしていたけど、結局、「政治の力」でとん挫したとテレビで発言して話題になりました。樋田毅氏も、同じ話を朝日の社内で聞いて小躍りしたそうです。でも、待てど暮らせど捜査は始まらなかったと。また、当時、共同通信で公安担当の記者だった青木理氏も、やはり、同じ情報を入手していたと言ってました。

もし強制捜査に入っていたら、日本の政治の風景もずいぶん変わったものになっていたでしょう。

公安の強制捜査を阻止した「政治の力」とは何なのか。誰なのか。自民党は旧統一教会との関係を絶対に切れないと言われるのは何故なのか。そこにあるのは、”戦後史の闇”と言ってもいいものです。選挙の手伝いをして貰ったとか、イベントに祝電を打ったとか、新聞や雑誌のインタビューを受けたとかいうのは枝葉の問題にすぎません。

樋田氏によれば、最初に旧統一教会が絡んできたのは、事件から1年後だそうです。『彼は早稲田で死んだ』でもチラッと触れられていますが、早稲田の原理研(原理研究会)の活動家(つまり信者)たちが、早稲田を暴力のない大学にするためと称して、「川口記念セミナーハウス」を造ることを提唱し運動を始めたのでした。そして、「川口君」のお母さんもその主旨に賛同して、お見舞金として大学から貰った600万円を寄付しました。また、当時の村井資長総長夫妻も、「革マル寄り」と言われた周辺の教授たちの薦めもあって、同氏が別荘用地として伊豆に持っていた土地を無償提供しました。残りの建設費は全国から寄付を集めて計画が実行されました。ところが、いざ完成してみたらセミナーハウスは宗教施設として登記されていたそうです。何のことはない、セミナーハウスがいつの間にか旧統一教会の宗教施設に化けていたのです。如何にも旧統一教会らしいやり方ですが、当然ながら訴訟沙汰になったそうです(のちに和解した)。

もうひとつは、樋田氏が、昨年の11月8日の「川口君」の命日に、『彼は早稲田で死んだ』が出版されたのでその報告も兼ねて伊豆のお墓にお参りに行ったときのことです。ちょうど50回忌にあたるため、本堂では、亡くなったお母さんに代わり実のお姉さん夫婦が施主で法要が営まれていたそうです。それで、お姉さんに挨拶したあと、お墓で待っていると、5~6人の男女と一緒にお姉さんがやって来ました。ところが、一緒にやって来た人間たちから挨拶された樋田氏は、びっくりします。何と彼らは早稲田の原理研のメンバーだったのです。もちろん、「川口君」のお母さんやお姉さんは信者ではありません。

旧統一教会は、50年近くずっと「川口君」の遺族と接触をつづけていたのです。実は、ジャーナリスト志願だった「川口君」は、1年のときに、早稲田学生新聞に一時席を置き早慶戦の記事などを書いています。しかし、そのあと、修練会に参加させられた「川口君」は、早稲田学生新聞が旧統一教会(原理研)の関連団体であったことを知り、びっくりしてすぐにやめています。でも、彼らは、早稲田学生新聞にいたことを根拠に、「川口君」が信者だったと主張しているのでした。そして、「川口」君は、早稲田の原罪(つまり共産主義の汚染)の身代わりになって死んだのだとして、同じように人類の罪を背負って磔刑になったイエス・キリストの化身のように祭り上げていたのでした。

ある古参信者は、樋田氏の取材に対して、教団は赤報隊事件に関与してないと断言できるけど、ただ末端の信者で個人的に暴走した人間がいたかどうかまではわからない(その可能性を否定することはできない)と語ったそうです。一方で当時、教団が、自衛隊員をターゲットに勧誘活動を行ったり、教団内部で「特殊部隊」を組織して訓練していたことがあきらかになっています。

私は、その古参信者の発言はもしかしたら樋田氏に対する”警告”の意味も含んでいたんじゃないかと思いました。前の記事で書いたように、そうやって暴力をチラつかせる脅しの手口は旧統一教会が得意とするもので、ヤクザのそれとよく似ているのです。組織はやらないけど、もしかしたら一部の跳ね上がりが勝手にやるかもしれないというような言い方は、相手に恐怖を与える彼らの常套手段です。実際に旧統一教会を取材していたジャーナリストたちは、個人的に様々な脅しや嫌がらせを受けていたと証言しています。

ちなみに、樋田氏に赤報隊の話をした古参信者は、日韓トンネル研究会の会長を務め、2009年から2017年までは日韓トンネルを推進する国際ハイウェイ財団の理事長(その前は事務局長)を務めていたそうです。と、この話は、先日、週刊文春が伝えた、岸田首相の熊本の後援会の会長である崇城大学の中山峰男学長が、旧統一教会の関連団体の「日韓トンネル推進熊本県民会議」の議長を務めていた話と重なるのでした。

中山学長は、「日韓トンネル推進熊本県民会議」が設立された2011年から報道後辞任するまで議長を務めていたのですが、記者会見では、旧統一教会の関連団体だとは知らなかった、「ショックだった」と言ってました。でも、地元の人間には、それが旧統一教会のプロジェクト(と言っても、実際は1口5万円の金集めの口実)だというのは周知の事実で、2016年には韓鶴子総裁が直々に現地を訪れているのです。その際、現地で出迎えたのかどうか知りませんが、中山学長のおとぼけは教育者としてあるまじき、というか恥ずべき詭弁と言わねばならないでしょう。

樋田氏によれば、国際ハイウェイ財団の理事長を務めた古参信者はもと民青(日本民主青年同盟)の同盟員で、共産党員だった有田芳生氏のお父さんの選挙運動も手伝ったことがあるそうです。信者の中には、元革マル派だったという理論派の信者もいたということでした。

旧統一教会と言うと、カルトにとりつかれた真面目だけど浅学無能で愚鈍な信者たちのようなイメージを抱きがちですが、でも、一方で、「頭のいい人間が多い」「文鮮明の教義を彼らなりに解釈してより深化させている」「いくらか醒めたような信者の方がオルガナイザーとして優れているし怖い」という声があります。偏差値の高い大学で熱心にリクルートしているので当然と言えば当然ですが、そんな彼らにとって、ろくに漢字も読めない自民党の議員を篭絡するのは、それこそ赤子の手を捻るくらい簡単なことでしょう。

青木理氏が言うように、右派学生運動を主導した旧生長の家の学生信者たち(生学連)が中心になって作った日本会議ともども、原理研のOBたちも、フロント団体を通じて自民党清和会と親密な関係を築き、憲政史上最長の安倍政権を陰で支えていたのです。そうやって政権の中に深く入り込み、日本の政治に関与してきたのです。そこにあるのは、新左翼との死闘を生きぬいてきた彼らの”持続する志”です。

日本会議(生学連)にしても、旧統一教会(原理研)にしても、60年代後半の”叛乱の季節”の残党とも言うべき彼らが、50年経った今なお、政権与党の周辺に蝟集し国の政治に関与していたというのは、考えてみれば凄い話です。中心メンバーは既に70代半ばなのです。あと10年もすれば彼らの多くは、彼らが言う「霊界」の住人になるでしょうが、それにしても、まるでゾンビのような彼らの”持続する志”には驚嘆するしかありません。

彼らの「神の国をつくる」という”祭政一致”の思想は、たとえば、高市某や杉田某や城内某のような安倍元首相に近い政治家たちに、とりわけ多大な影響を与えてきました。でも、旧統一教会の問題が噴出したことで、そんな政治家たちが信奉する、日本を戦前のようなまるでタリバンが支配するような国に戻すといったウルトラ「保守」思想が、何のことはない韓国のカルト思想をトレースした「エバ国家」の”自虐思想”にすぎなかったことがあきらかになったのでした。「愛国」と「売国」があべこべ(おやじギャグ?)だったのです。

どうして韓国のカルト宗教が日本の憲法改正を主張するのか。それを不思議に思わない方がおかしいのです。私が、「保守」や「愛国」や「反日」や「売国」や「反共」といった言葉は失効したとしつこく言うのも、それゆえです。究極の目的のためには、ヌエのようにどんな姿にも、どんな主張にも変えることができるというカルト特有の戦略を理解しないと、見えるものも見えなくなるでしょう。

憲法改正して日本を「誇りの持てる国」にすることや、ジェンダーフリーやLGBTや夫婦別性に反対して「日本の伝統的な家庭を守る」ことを彼らは主張していますが、その先には、「エバ国家」の日本を「アダムの国」の韓国に永遠に奉仕する国にするという目的があります。本来の目的は、そうやって日本を「浄化」することなのです。そもそもLGBTにしても、それが旧統一教会の復帰摂理(復帰原理)=血代交換の教理と真っ向から対立する性的指向なので反対しているだけであって、「日本の伝統的な家庭を守る」ためというのは単に日本の「保守」を懐柔するための方便にすぎないのです。そんなこともわからないのかと思います。

「エバ国家」と「アダムの国」の主張にしても、荒唐無稽な話のように思われるかもしれませんが、でも、霊感商法や身ぐるみはがされるような献金などを見れば、理解できない話ではないはずです。もとより、カルトは荒唐無稽なものでしょう。具体的な金額は不明ですが、今まであきらかになった金額から推定しても、兆に喃々なんなんとするような莫大なお金がむしり取られ、韓国に送金されたのは間違いないでしょう。

私たち国民に、日の丸に頭を下げろ、君が代を歌え、愛国心を持てと説教して、君が代斉唱の際に椅子から立たなかった教師を懲戒免職にしたような(胸にブルーリボンのバッチを付けた)「愛国」的政治家やその追随者たちが、その陰では、彼ら流の言い方をすれば「反日カルト」に「国を売っていた」のです。「エバ国家」を「アダムの国」に奉仕させる活動にお墨付きを与え、便宜をはかってきたのです。その中心人物が「日本の誇り」だなどと言われ、来月、まるでどこかの国の独裁者と同じように「国をあげて」送られるのです。

ここにきて、「24時間テレビ」に旧統一教会のフロント団体がボランティアとして協力していたことを教団がリークしてざわついていますが、それも先の「異常な過熱報道に対する注意喚起」という抗議文に沿った彼らの反撃であるのはあきらかです。

フジは論外としても、NHKともども旧統一教会の報道に及び腰と言われてきたテレビ朝日が、教団の施設に「初潜入取材」などと言って、施設内で撮影した嫌がらせの被害を訴える信者のインタビューを流していましたが、それは教団の意に沿ったテレビ局だから許可が出ただけです。一方で、教団の意に沿わないメディアに対しては、日テレのように、これから”過去の癒着”がリークされゆさぶりをかけて来るでしょう。そういったメディアに対する選別&”脅し”にも、拍車がかかるのは間違いありません。でも、ここで怯んでいたら元も子もないのです。

何度もくり返しますが、自民党が旧統一教会と手を切るなどできるわけがないのです。自由民主党という政党が解体されない限り、関係を絶つことはできないでしょう。


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2022.08.26 Fri l 社会・メディア l top ▲
岸田首相リモート1

岸田リモート2


私は、この写真を見て、裸の王様?と思いました。誰も変だと思わないのでしょうか。上の写真をよく見ると、モニターの下のテーブルの上にはスマホやボイスレコーダーが並べられています。デジタルネイティブとおぼしき若い記者たちの中で、「こんなのバカバカしい」と言って帰った者はいないのか。だとしたら、彼らは思考停止したただのドレイでしょう。2枚目の「リモート試食」の写真も同じです。これでは、世界の笑い物になっても仕方ないでしょう。

このようにいざとなれば、竹槍でB29を撃ち落とすというような発想にいつでも戻ってしまうニッポン。でも、誰もおかしいと言わない。それがこの国に連綿と続く「国のあり様」なのです。それで、「ニッポン凄い!」とか言って自演乙しているのです。

フィンランドのマリン首相が、友人たちとの私的パーティで「踊ったりして騒ぐ動画がSNS上に流出」し、野党が違法薬物を使っているのではないかと批判したというニュースがありました。それに対してマリン首相は、自腹で薬物検査を受けて潔白を証明したそうです。私は件の踊っている動画を観ましたが、「カッコいいなあ」と思いました。岸田首相のマンガチックなリモート会見や政界と旧統一教会とのズブズブの関係を考えると、日本にマリン首相のような「カッコいい」総理大臣が生まれるのはそれこそ夢のまた夢のように思います。マリン首相に比べれば、「次世代のホープ」と言われる河野太郎や小泉進太郎も、ただのアナクロなおっさんのようにしか見えません。

岸田総理は24日に、新型コロナウイルスで全ての感染者を届け出る「全数把握」を見直して、届け出は重症化リスクのある高齢者や基礎疾患のある人に限定するという新たな方針を発表しました。もっとも、これは届け出の義務を廃止するというだけで、「全数把握」を続けるかどうかは自治体の判断に任せるという、自治体に丸投げした恰好です。

「全数把握」を見直す論議は、医療現場から出てきたもので、診察を終えたあと、感染者情報共有システム「HER-SYS(ハーシス)」に基本情報や検査・診断情報など10項目以上を入力しなけばならないので、感染が拡大すればするほど負担が大きくなるという話なのです。それに対して、「早く帰りたい」保健所の職員や毎日住民に感染状況を発表しなければらない手間を強いられる各自治体の首長たちが同調して、見直しの声が大きくなっていったのでした。最近は特に「公務員負担」とか「医療機関や保健所、行政の負担」という言葉をよく耳にするようになりましたが、それが「全数把握」見直しの本音のように思えません。

メディアもそんな声しか伝えず、あたかも「全数把握」は現状に適してないかのような印象操作を行っていましたが、ホントにそうなのか、疑問も多くあります。

ただ単に「忙しいからやってられない」という話だったら、システムを改善するなり人員を増やすなりすればいいだけの話です。それがどうして本体の「感染症法」の問題にまで言及されているのか。しかも、「感染症法」を改正して新たに設けられた「新型インフルエンザ等感染症」の適用まで外して、季節性インフルエンザ並みの「5類」に緩めろという話になっているのです。

現在、感染者数も死者数も過去最多を更新しています。文字通り、新型コロナウイルスの正念場を迎えていると言っても過言ではない状況下にあるのです。そんな中で、このような方針が出ること自体、異常と言うしかありません。どうして今なのか? 疑問は尽きません。

「全数把握」の見直しを主張する医者の論拠に、実際は無症状や軽症で医者にかからない患者も多いので、「全数把握」自体がもはや意味を持たなくなったというものがありますが、でも、「全数把握」の目的はそんなことだけではないのです。保健所が患者個々の詳細な感染状況を把握してフォローし、濃厚接触者を特定して感染拡大を防ぐという目的もあるはずです。

それに、落ちこぼれがあるにしても、現在、全体の感染状況を知るには「全数把握」しかないのです。それが唯一の指標なのです。それをなくせば、リアルタイムに全体の感染状況を知る指標がなくなってしまうのです。

そんな私でもわかるようなことをどうして専門家の医者たちが無視して、「こんなのやめちまえ」とちゃぶ台をひっくり返すようなことを言うのか。しかも、感染が急拡大している最中に、です。

私は、新型コロナウイルスが猛威をふるいはじめた2020年の5月に、このブログで、徳洲会の徳田虎雄氏の話を引き合いに出して、次のような記事を書きました。

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専門家会議の方針は、徳洲会の徳田虎雄氏が指摘したような医者特有のご都合主義の所産に過ぎません。徳田氏が9歳のとき、3歳の弟が激しい下痢と嘔吐を繰り返し脱水症状を起こしたため、母親に言われて、真夜中に島の医者のもとへ走り往診を頼んだけど、医者は腰を上げてくれなかったそうです。そして、翌日、弟は息を引き取ったのです。徳田氏は、「弟の死がなかったら、僕は医者にならなかった」と自著(『ゼロからの出発 実現できない夢はない』)で書いていました。

自分の病院を持ってからは、「生命(いのち)だけは平等だ」という理念を掲げ、1年365日24時間の受入れを実践し、患者からの心付けを断り、差額ベット代も取らないという、徹底した患者本位の医療を貫いたのでした。そのため、既得権益を守ろうとする日本医師会と激しく対立することになったのですが、そのときも日本医師会は、今と同じように、徳洲会のようなやり方をすると日本の医療が崩壊すると言っていたのです。「医療崩壊」というのは、いつの時代も彼らの常套句=脅し文句なのです。


今回の「全数把握」の見直しも、同じ論理が使われているように思えてなりません。

私もまったく知らない職場ではないので、医療現場が大変なのはよくわかります。その一方で、決して賢いとは言えない人々が、行動制限がなくなったからと言って、呆けたように旅行やイベントに繰り出している現実があるのもわかります。同じ国とは思えないようなこの対称的な光景は、たしかにおかしいと思います。でも、それはあくまで「全数把握」とは関係ない感情的な問題にすぎません。

「全数把握」を見直すメリット、デメリットを考えても、議論がおかしな方向で行われたことがよくわかるのでした。

「全数把握」が見直されれば、言うまでもなく、医療機関の事務負担が軽減されます。この場合の医療機関というのは、「発熱外来」の指定を受けた日本医師会に所属する個人のクリニックのようなところでしょう。また、彼らが「全数把握」の見直しと併せて主張する、今の2類相当から季節性インフルエンザと同じ5類に変更になれば、「発熱外来」の指定自体がなくなり、どこでも受診できるようになるので、彼らの負担が減るのはたしかでしょう。

しかし、その代わり、個々の感染者の把握も、濃厚接触者の特定もできなくなるので、感染者が市中に放置され、感染がより拡大することになります。

政府の方針は、火が燃えているのに、「逃げ足が遅い高齢者などには手を貸しますよ。あとは自分たちで逃げて下さいね」と言っているようなものです。でも、大事なことは燃えている火に水をかけることでしょう。でも、そっちは燃えるに任せているのです。中には火を点けてまわっている人間さえいるのに、それも無視するだけです。いくら火の勢いが増しても水をかけることもしないで、逃げ足が速いか遅いかの話になっているのです。

感染法上の分類を変えろと主張する医者たちにしても、国に対して、もっと感染防止策を取れという主張は何故かしないのです。社会経済活動の再開をお題目のように唱える政府の方針には唯々諾々と従うだけです。そして、自分たちが忙しいのは、「発熱外来」のせいだ、「HER-SYS」のせいだ、「療養証明」や「陰性証明」のせいだ、あんなのはなくせ、と主張するだけです。

株式会社ライボのJob総研が行った「2022年コロナ感染に関する意識調査」によれば、感染して症状があっても、会社に申告した人は68.1%にすぎず、残りの31.9%は申告しなかったと答えています。しかも、この調査を取り上げたテレビ朝日の「モーニングショー」によれば、申告しなかった人の中で70%の人は、症状があっても出社していると答えているそうです。これでは感染が収まるはずもありませんが、「全数把握」を見直せば、この傾向は一層強まるでしょう。でも、そうなれば、重症化リスクのある人たちは益々感染して重症化するリスクに晒されることになるのです。

ライボ
Job総研
『2022年 コロナ感染に関する意識調査』

羽鳥モーニングショー
「コロナ感染に関する意識調査」

「全数把握」を見直せば、基礎疾患にある人と65歳以上の高齢者以外は、感染しても基本的に自己申告になります。よほどの症状がなければ、病院にも行かないでしょう。そうやって自分で自分の感染を管理しなければならなくなるのです。

でも、人間は賢明な人ばかりではないでしょう。というか、むしろ賢明な人は圧倒的に少数でしょう。現実は、行動制限がなくなったからという理由だけで、コロナは終わったかのように街に繰り出すような人たちが大半なのです。

それに、基礎疾患があると言っても、医療機関で把握されているのは現在治療を受けている人だけです。健康診断を受けてない人もいるでしょうし、健康診断を受けて精密検査や治療を指摘されても、無視している人も多いでしょう。自分が基礎疾患があるかどうかもわかってない人も多いはずです。行動制限をなくすとか「全数把握」を見直すとか言うと、新型コロナウイルスはもう峠を越した、風邪と同じになった、怖いものではなくなったように勝手に解釈する人も多くなるでしょう。

でも、65歳以下であっても、無症状や軽症で済むとは限らないのです。もしかしたら自覚していないだけで、基礎疾患を持っているかもしれないのです。メタボや高血圧であっても重症化する可能性はあると言われています。

また、オミクロンの場合、重症者の割に死者数が多いのが特徴で、それは、軽症や中等症の患者の中で症状が急変して死に至る患者が多いからだという指摘もあります。「全数把握」が見直されると、そういった軽症や中等症の患者は保健所のフォローがなくなるのです。

それに、何より今後も新たな変異株による感染爆発があるかもしれません。「全数把握」を見直すと、検体数が少なくなるので新たに発生した変異株を見逃す懸念があるという指摘もあります。何度もくり返しますが、新型コロナウイルスは終わったわけでも、終わりつつあるわけでもないのです。今現在も、過去最高の感染者数や死亡者数を更新しているのです。

今回の「全数把握」見直しについては、意外にもと言ったら失礼ですが、小池百合子東京都知事が他の付和雷同するだけの軽薄な首長たちとは違った高い見識を示していました。

FNNプライムオンライン
コロナ感染者“全数把握”の見直しに疑問 小池知事「切り口が違う」 デジタル化の問題も指摘

新型コロナウイルス新規感染者の全数把握の見直しについて、東京都の小池知事は24日午後2時すぎ、「切り口が違う」と疑問を呈した。

政府が新型コロナ患者の全数把握の見直しを表明したことについて、小池知事は「患者さんがどういう状況でどうなったのかは、知り得た方がいい」と述べた。

その上で、感染者情報を管理するシステム「HERーSYS」と、電子カルテが連動していないなど「デジタル化の問題」を指摘。

また、都は医療機関が「HERーSYS」の届け出と健康観察を行った場合、患者1人につき3万1200円の補助を出していることから「事務の手続きを医師以外に託し、医師はその健康観察に集中するとか」と、代替案にも言及した。


そもそも「HERーSYS」の入力にしても、上の岸田首相のリモートまがいと同じで、ただデジタル風を装っているだけで、実態は中途半端でアナログです。小池都知事が言うように、電子カルテと「HERーSYS」をリンクすれば、ずいぶん手間がはぶけるでしょう。

それに、東京都が患者一人あたり3万1200円の補助を出しているという話も初めて知りましたが、要は、医者がそれをケチって自分で入力しておきながら負担が大きいと不満を言っているだけのような気がしないでもありません。私の知っている医者は、キーボードの入力が苦手なので、電カルもタッチキーボードを使って手書きで入力しています。あれでは時間がかかってイライラするだろうなと思いました。

何だかここにも、徳田虎雄氏が言っていたような、医者(日本医師会)の身勝手さが表われているような気がしてなりません。誰も口に出して言いませんが(でも心の中では思っていますが)、医者というのは世間知らずで子どもみたいな人間が多いのも事実です。徳田虎雄氏が言うように、病院も医者のわがままにふりまわされたらお終いなのです。況や国の感染対策においてをや、でしょう。日本医師会が獅子身中の虫であるという認識が欠けているのではないか。

それにしても、何故、今なのか。同時に発表された水際対策の緩和も同じですが、どうも内閣支持率の急落を受けて、場当たり的に俗情に阿った感じがしないでもありません。これだったら支持率が挽回できるのではないかと、リモートまがいの隔離部屋で一生懸命考えたのかもしれません。こういった歴史的なパンデミックに際しても、小賢しい政治的な都合が優先されるこの国の政治の無責任さとお粗末さを考えないわけにはいかないのでした。
2022.08.25 Thu l 社会・メディア l top ▲
カルト宗教には、カルトとしての、というか、カルトであるがゆえの”もうひとつの顔”があります。そこには、「法難」などというみずからを合理化する便利な言葉もあります。旧統一教会(世界平和統一家庭連合)も例外ではないのです。

私たちは、旧統一教会の”もうひとつの顔”を見逃してはならないのです。そのためには、オーバーだと思われるかもしれませんが、「復帰摂理(復帰原理)」と呼ばれる「セックスリレー」を信仰の柱にする”セックス教団”をここまでゾンビにした、その歴史的背景も含めて考える必要があるのです。

自民党は絶対に旧統一教会と手を切ることはできないと言われるのも、旧統一教会の”もうひとつの顔”と深くかかわっているからです。単に選挙を手伝ってもらったからというような単純な話ではないのです。

自民党は、嵐が過ぎ去るのをじっと待つしかないのでしょう。その意味では、岸田首相の感染も恰好の時間稼ぎになったのかもしれません。

余談ですが、岸田首相の感染に対して、「何やってんだお前」「夏休みで遊んでたからじゃね」「マジでギャグみたいなヤツだな」「遊びまくってコロナにかかるw うけるw」というのがどうして「心ない言葉」なのか。オミクロンとは言え、今は未曽有の感染状況下にあり、医療も逼迫して入院することもままならない状態です。神奈川県の病床使用率も、89%まで上昇し入院はまず無理だと言われています。感染しても軽症だという保障はないのです。コロナに限りませんが、もし入院しなければならなくなったらどうすればいいんだろう、と不安にならざるを得ません。

そんな中、夏休みだといって、マスクもせずにゴルフだ伊豆旅行だと遊び呆けた末に感染したのです。彼はそこいらの無知蒙昧な下級国民ではなく、内閣総理大臣なのです。あまりにもお粗末で、危機意識がなさすぎると言わねばなりません。

岸田首相は、”ウィズコロナ”の幻想に憑りつかれて感染防止策を放棄し、バカのひとつ覚えのように社会経済活動を維持するというお題目を唱えるばかりでした。しかも、行動制限を撤廃する方針を打ち出したことによって、コロナは風邪と同じという間違ったメッセージを衆愚に発信したのでした。その挙句、自分が感染したのです。私も「マジでギャグみたいなヤツだな」と思いました。

閑話休題それはさておき、自民党の萩生田光一政調会長が、今後旧統一教会と「二度と関係は築かないのか?」と記者に問われて、「適切な対応をしていきたい」と曖昧に答え、関係を絶つと明言しなかったのも、旧統一教会の”もうひとつの顔”を怖れているからではないかと思ったりもするのでした。

萩生田光一氏は、八王子市議時代から旧統一教会の施設に出入りしていたと言われていますが、2009年の総選挙で落選した際、教団は信者たちに向かって、「萩生田さんを政界に戻すことが神様の計画」だと言ってハッパをかけていたそうです。また、TBSの「報道特集」によれば、萩生田氏自身も、”浪人”中は頻繁に施設を訪れ、壇上に向かって左側にある文鮮明教祖と韓鶴子夫人の写真に深々と敬礼して登壇し、「私(萩生田氏)もご父母様の願いを果たせるように頑張るから、皆さんも一緒に頑張りましょう。一緒に日本を神様の国にしましょう」と挨拶していたそうです。そんな人間が旧統一教会と手を切るなんて、間違っても言えるわけがないでしょう。

1986年に『朝日ジャーナル』が旧統一教会の「霊感商法追及キャンペーン」を行った際、それを担当した元朝日新聞記者の藤森研氏は、みずからが体験したカルトの”もうひとつの顔”を下記の記事で語っていました。

AERA dot.
旧統一教会「霊感商法」を本格追及した朝日ジャーナル名物記者への非道な抗議と嫌がらせ電話の「中身」

少しでも批判的な報道をすると抗議が殺到するのは、カルトではよくある話ですが、それで効果がないとわかると、今度は「記者本人や家族を標的にするようになった」そうです。

自宅の近くに停められたワンボックスカーの中に、「屈強な若者が何人か乗っていて」ずっとこちらを監視するようになったのだとか。さらには、自宅に嫌がらせ電話がかかるようになり、それは「1日100本以上」にものぼったそうです。

  最初はワゴン車の中にいた男たち。だが次第に家の入り口をうろつくようになった。

  「あまりにもひどいので、こちらも攻勢に出ることにしました。カメラを持って出て行って、証拠を収集するからと言って、バチバチ写した。そうしたら、50メートルくらい離れた公園から見張るようになった」

  ある日、その見張りを巻いてそっと横から近づき、腕をつかむと大騒ぎになった。

  「男は『藤森さん、何するんだよ! 警察呼ぶぞ』って言うから『いい考えだ、一緒に行こう』と、駅前の交番に向かって歩いていった。途中、『電話させてください』って言うから、公衆電話で立ち止まったら、電話かけるふりして突然100メートル11秒ぐらいの感じで逃げていった」


そんな中、1987年から1990年にかけて朝日新聞を標的にした「赤報隊事件」が立て続けに発生し、1987年の阪神支局襲撃事件では、記者2人が散弾銃で撃たれて殺傷されたのでした。当然、旧統一教会も捜査線上にのぼりますが、やがてリストから消えていったのです。

また、最近、有田芳生氏の証言で話題になりましたが、オウム真理教の事件のあと、警視庁公安部を中心に次のターゲットは統一教会だとして準備が進められていたのですが、「政治の力」によってとん挫したそうです。

8月21日に旧統一教会が各メディアに送った「異常な過熱報道に対する注意喚起」という抗議文は、何だか衣の下から鎧が覗いたような文面で、旧統一教会の”もうひとつの顔”がチラついているような気がしてなりません。

この抗議文にも示されているように、一旦関係を持つとそれをネタに脅されて手が切れなくなるという、ヤクザ顔負けの手口も旧統一教会の得意とするものです。”空白の30年”と言われた中でも、『やや日刊カルト新聞』の鈴木エイト氏らフリーのジャーリストたちは、抗議や脅しにめげず取材を続けてきたのです。彼らの地道な取材があったからこそ、ここまで報道が広がることができたのは間違いありません。でも、ここで怯んでいたら旧統一教会の思う壺(!)でしょう。

国際勝共連合については、当初からいろんな”闇”が指摘されていました。その中には、猪野健治氏の著作などに詳しく書かれていますが、「任侠右翼」と呼ばれるヤクザ組織との関係を指摘する声もありました。岸信介は、そんな闇の組織の力も使って、60年安保の大きなうねりを抑え込もうとしたのです。

でも、考えてみれば、60年安保は本来右翼民族派のテーマであってもおかしくないのです。というか、本来はそうあるべきでしょう。これこそ対米従属を国是とするこの国の、「愛国」と「売国」が逆さまになった”戦後の背理”を象徴する光景なのです。そんな中で、岸の手引きで隣国からやって来たカルト宗教に、この国の政治は蝕まれていくのでした。

岸と旧統一教会の関係については、たとえば、次のような話もあります。

1984年に、文鮮明教祖が、アメリカにて脱税容疑で逮捕・拘束された際、岸信介が「日本国元総理」として、時のレーガン大統領に、次のような文氏釈放を求める「嘆願書」を送ったそうです。

300万人近い人々の宗教指導者で国際的にも認められている人物が、このような状況下で米国の刑務所に投獄されていることは私たちにとって非常に気がかりです。大統領閣下、私たちは「宗教の自由」および「言論の自由」を保障した米国憲法修正第一条に基づいて、閣下が直ちに過ちを是正する行動を取るようお勧めするものであります。文師を引続き投獄しておくことは、国家にとっても何ら利益になりません。私たちは閣下がこの問題に注意を向けてくださるようお願いするものであります。

※『紙の爆弾』9月号・「創価学会と岸・安倍家」(大山友樹)より。


300万人近い人々の宗教指導者? 思わず笑ってしまいましたが、岸信介はホントにそう信じていたのでしょうか。

それにしても、これを読んで情けないと思わない日本人はいるのか、と言いたくなるような文面です。これがこの国の「愛国」(者)なのです。そして、こんなお爺ちゃんを尊敬し、その路線を継承した孫が「日本の誇り」と言われていたのです。来月には2億円だか3億円だか税金を使って、国をあげてお別れの会が催されるのです。

前の記事でも書きましたが、旧統一教会は韓国で戦後に生まれた教団であるがゆえに、そこには東アジアの冷戦構造におけるアメリカの反共戦略が色濃く投影されているのでした。時系列で表すとそれがよくわかります。

1945年 ポツダム宣言を受諾(終戦)
1948年 南北朝鮮分裂
1949年 中華人民共和国建国
1950年 朝鮮戦争開戦
1953年 朝鮮戦争休戦
1954年 統一教会設立
1955年 保守合同により自由民主党誕生
1956年 統一教会日本進出
1957年 岸内閣成立
1960年 60年安保(日米安保約反対運動)
1960年 岸内閣退陣
1961年 軍事クーデターにより朴正煕(日本名・高木正雄)が国家再建最高会議議長に就任
1963年 朴正煕大統領に就任
1964年 統一教会宗教法人認可取得
1967年 国際勝共連合韓国で設立
1968年 同日本支部設立
1970年 70年安保(日米安保条約改定反対運動)
1979年 朴正煕暗殺

旧統一教会の設立からほどなく、文鮮明教祖は南北朝鮮分断を目の当たりにして、国際勝共連合の前身となる「勝共運動」をはじめています(ところが、1991年に文鮮明教祖は北朝鮮を訪問して、当時の金日成主席と”義兄弟”の契りを結んだのでした)。そして、朴正煕政権の成立以後はKCIAの庇護を受けるようになります。このように、旧統一教会は、設立当初から”政教一致”と言ってもいいほど、非常に政治色の濃い教団だったのです。

アメリカはのちの中東政策で、 毒には毒をもって制すの論理でイスラム原理主義組織を育成し、現在のイスラム国やタリバンのようなゾンビを生むことになったのですが、それは東アジアにおいても同じでした。中国や北朝鮮や旧ソ連に対抗して、反共組織を育成し利用しようとしたのです。日本における保守合同=自由民主党の誕生も、その脈絡で捉えるべきです。ほどなく岸信介を仲介に、自民党と旧統一教会の蜜月がはじまったのは自然の摂理(!)と呼んでいいかもしれません。

このように日本の戦後のナショナリズムは、最初から対米従属を前提としなければならなかったのです。フジサンケイグループが掲げる、”対米従属「愛国」主義”とも言うべき奇妙奇天烈なナショナリズムがまかり通るようになったのもそれゆえです。でも、それは「愛国」でも何でもないのです。日章旗を振りながら「アメリカバンザイ」と叫んでいるだけです。

「愛国」と「売国」が逆さまになった”戦後の背理”も、日本の戦後を覆った”「愛国」という病理”も、アメリカの反共政策が強いた宿命とも言うべきものです。それが旧統一教会の問題の根幹にあるものです。

何度もくり返しますが、「保守」なるものは虚妄だったのです。最初からそんなものはなかったのです。今回の旧統一教会の問題によって(山上容疑者が放った2発の銃弾によって)、それが白日のもとに晒されたのです。

自民党の「保守」政治家たちは、そんな「アメリカ世」の中で、国民には「愛国」を説きながら、その裏では、岸信介に乞われ、韓国から日帝の植民地支配の”記憶”を背負ってやって来た旧統一教会と密着して(旧統一教会の言うままに)「国を売ってきた」のです。

それは、政界だけでなく、右派学生運動においても同じでした。60年代後半の旧生長の家の学生信者を中心とした右派学生運動と原理研の野合が、時を経て、日本会議や神社本庁と韓国のキリスト教系のカルトである旧統一教会が政治的主張を共有する(もっとはっきり言えば、旧統一教会の影響下にある)ような、今日の「常識では考えられない」関係にまで至っているのでした。

自民党が、旧統一教会やその亜流と手を切ることなど絶対にないでしょう。その証拠に、大手メディアがどうして報道しないのか不思議でなりませんが、今でも多くの若くてきれいで優秀な女性信者たちが、議員会館の自民党議員の事務所に秘書として派遣されています。自民党にすれば、「だったら今までの関係を全部バラすぞ、それでもいいのか?」と脅されたら元も子もないでしょう。旧統一教会を敵に回すなどできっこないのです。
2022.08.22 Mon l 社会・メディア l top ▲
8月18日、ソウルで、日本の旧統一教会に対する報道に抗議する世界平和統一家庭連合主催の集会とデモが行われました。

詳細は有田芳生氏のTwitterに詳しいのですが、それによれば、主催者発表で4000人(警察発表3500人)が集まったそうです。その大半が合同結婚式で韓国に渡った日本人妻だとか。尚、現在、在韓の日本人女性信者は6676人だそうです。

韓国の農村では、入信すれば日本人の若い娘と結婚できるという触れ込みで信者の勧誘が行われていたそうですが、彼女たちはそうやって嫁不足に悩んでいた韓国の農村部の男性信者と「結婚させられた」日本人女性たちなのです。そして今度は、日本メディアに対する抗議のために、まるで弾よけの人質のように動員されているのでした。

旧統一協会は、戦後に生まれた教団で、まして政治色の濃い”政教一致”の教団なので、そこには東アジアの冷戦構造だけでなく、日帝による植民地支配の”記憶”が投影されているのは当然でしょう。韓国では当たり前のことですが、「反共」と「反日」が併存しています。それがカルト的思考と結びついて、非常に歪なかたちで露出しているのが旧統一教会(世界平和統一家庭連合)なのです。

デモに先だって開かれた抗議集会では、韓鶴子(ハンハクチャ)総裁が壇上に登場し、以下のような演説を行ったそうです。


私は、言うまでもなく”嫌韓”ではありませんが、しかし、韓鶴子総裁の「日本が最後の陣痛を経験している」とか「悶着は過ぎ希望に満ちた新日本が誕生するだろう」とか「日本は天が与えた真の自由を得るだろう」といった言葉を聞くと、いらんお節介だと言いたくなります。

日本で報道が始まった頃、韓鶴子総裁が幹部からの報告を受けて、微笑みながら心配には及ばないみたいなことを言ったという話がありましたが、私は、あの激しやすい(そして冷めやすい)韓国人がキャンディーズの微笑み返しみたいな感じで終わるわけがないと思っていましたが、案の定、結構激しい言葉を使っているようです。

こういった言葉の端々にも、日本は「エバ国家」で「アダムの国」の韓国に奉仕しなければならないという彼らの”上から目線”が垣間見えるように思います(まあどっちもどっちですが)。そして、その延長上に、日王(天皇)を自分の前で膝まづかせるんだという、故文鮮明(ムンソンミョン)教祖の発言があるのでしょう。しかし、この国のダブルスタンダードの「愛国」者たちは、それを見て見ぬふりしてきたのです。

日本の「保守」政治家たちは、私たち国民に「自分の国に誇りを持て」と説教を垂れながら、こんな韓国の夜郎自大でお節介な宗教に媚びへつらってきたのです。それどころか、みずからの政治思想さえも、お節介な宗教がしつらえたテンプレートをそのままトレースしていたのです。

何度もくり返しますが、「保守」や「愛国」や「反日」や「売国」や「反共」といった言葉はことごとく失効したのです。というか、そんなものは最初からなかったのです。虚妄だったのです。それが、戦後を覆ってきた”「愛国」という病理”の内実です。それは、対米従属を前提としたこの国の「愛国」が、最初から抱える(抱えざるを得ない)病理だったと言っていいでしょう。

A級戦犯として巣鴨プリズンに拘留されながら、ほかの戦犯と違って不起訴処分で釈放され、公職追放も免れることができた岸信介は、公職に復帰するとすぐに(まるで約束していたかのように)、のちの朴正煕政権下ではKCIAに庇護されることになる旧統一教会の日本進出に手を貸し、以後、朴正煕政権と歩調を合わせるかのように、教団を擁護し親密な関係をつづけたのでした。それは、日本の公安当局から密かに監視されるほどの親密度だったと言われています。

そこに既に、戦後の日本を覆った”「愛国」という病理”の萌芽があったと言うべきでしょう。その後の国際勝共連合の設立等の経緯を考えれば、岸の盟友であった「右翼の巨頭」による「文鮮明の犬」発言も、別に不思議ではないような気がします。

私は右派ではないので「歴史戦」の意味がよくわかりませんが、「歴史戦」というのなら、「保守」や「愛国」や「反日」や「売国」や「反共(容共)」などという空疎な言葉を子どものチャンバラごっこのようにふりまわすのではなく、戦後史の原点に立ち返り「国を売ったのはホントは誰か?」ということをもう一度考えるべきでしょう。

18日の一和の朝鮮人参のお土産付の抗議集会と僅か500メートルのデモは、日本の報道に対する焦り、危機感の表われと考えることもできますが、しかし、一方で、旧統一教会は、韓国やアメリカではとっくに従来のイメージから脱皮することに成功しているのでした。

テレビのニュースを見ても、ソウルの市民たちが違和感なく彼らのデモを受入れているのが印象的でしたが、旧統一教会は韓国では多くの企業を経営しており、新興の企業集団として市民権を得ているのでした。現地のジャーナリストが言っていましたが、韓国ではカルト宗教というより「宗教企業」や「小財閥」のようなイメージなのだそうです。

平昌オリンピックでアルペンスキーの大回転・回転競技の会場となった龍平リゾートや高麗人参でおなじみの一和やプロサッカーチーム・クラブ城南FCなどは有名ですが、その他、小学校から大学まで10近くの学校も経営していますし、病院や銀行から建設会社、旅行会社、不動産会社、石材会社、自動車学校まで傘下におさめています。日本では結婚式場を経営しています。しかも、それらは信者限定ではなく、一般にも開放された「普通の」会社なのです。病院なんて大きな総合病院を複数所有しているそうです。でも、その原資の大半は、日本から送金されたお金です。霊感商法や献金などで日本人から巻き上げたお金なのです。

そんな教団に胸にブルーリボンのバッチを付けた政治家たちが、取り込まれ、教化され、「秘書」などを通して教団が用意したテンプレートをなぞりながら、「愛国」の名のもとに憲法改正を主張し、「日本の伝統的な家庭を守る」という理由でジェンダーフリーやLGBTや同性婚や夫婦別性に反対してきたのです。そして、いわゆる”右派論壇”は、そんな政治家たちを「日本の誇り」と持ち上げたのです。

それにしても、韓国本国では霊感商法や強引な献金があまり行われてなかったということもあるのでしょうが、旧統一協会のフロント企業があんなにすんなり社会に受け入れられていることに対しては、日本人の感覚からするとやはり違和感を覚えざるを得ません。

韓国は「勝ったか負けたか」「損か得か」が日本以上に幅をきかせる社会なので、事業が成功すれば、”素性”が問われることなく認知されるところがあるのかもと思ったりします(半分は皮肉ですが)。ケンカでもビジネスでも手段は二の次に、とにかく勝つことが大事なのです。「勝てば官軍」なのです。日本もあまり偉そうなことは言えませんが、悪貨でもお金はお金という考えがあるのではないか。まして、日本からふんだくったお金ならなおさらでしょう。

また、旧統一教会に対しても、日本と違って「セックスリレー」=「血代交換」の方に目が向けられ、淫祠邪教だとして批判が集まったという過去があります。資金集めはもっぱら日本で行われていましたので、お金の出どころにはもともと関心が薄かったという事情もあるのかもしれません。

今の世界平和統一家庭連合にとって、資金源としての日本にどれほどの利用価値があるのか、私にはわかりませんが、こういったカルト宗教に無節操に魂を売ったダブルスタンダードの「愛国」者たちは、私のような人間から見ても、万死に値すると言わざるを得ません。濃淡なんて関係なく、彼ら「保守」政治家たちは全員退場させるべきでしょう。

教団とズブズブの関係にあるおニャン子クラブ大好きな政調会長が、早速、防衛費の増額について偉そうに話していましたが、「こんなやつが国の防衛を口にする資格があるのか」と思ったのは私だけではないはずです。
2022.08.19 Fri l 社会・メディア l top ▲
先の参院選東京選挙区で当選した自民党の生稲晃子参院議員と萩生田光一自民党政調会長(当時は経済産業大臣)が、公示直前の6月に、萩生田政調会長の地元である八王子の旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の施設を訪問したことに関して、昨日、それぞれが党本部で取材に応じました。

生稲議員は、訪問先が旧統一教会の施設だと知ったのは最近で、岸田首相の指示を受けて調べた結果そうだとわかり、訪問時にはどんな施設かもわからなかった、と言っていました。

五十すぎのいい歳した大人が、それも国政選挙に立候補しようという人間が、たまたま街頭で声をかけられただけで、どんな施設かもわからずに言われるままに訪問したと言うのです。では、施設に入るときに表札も見なかったのか、訪問先の人間と挨拶を交わすこともなかったのか、名刺交換もしなかったのか、とアホみたいなことを考えてしまいました。だとしたら、そんな(空っぽではないけれど)三歳児並みの知能しか持ってないような人間が、国民の代表として国会で法律を作るというのは、とてもじゃないけどあな恐ろしやと言うしかありません。すぐに辞めて貰うのが世のため人のためでしょう。

でも、彼女は619,792票を得て当選したまぎれもない選良なのです。その身分は、私たちのような下級国民と違って最大限に保障されており、現実には自分で辞めない限り、その身分が剥奪されることはほぼありません。

にもかかわらず、事前に打ち合わせをしていたのか、記者たちの質問は通りいっぺんのもので、生稲議員の言い分をただ聞くだけのような感じでした。その場で突っ込んだ質問をするのではなく、あとで報道する際にチクリと論評するだけです。それもいつものことです。

生稲議員から6時間後、取材に応じた萩生田政調会長の発言は、さらに輪をかけてひどいものでした。萩生田氏は現在、政権与党の政策・立案をまとめ、その方針を決める政務調査会の会長です。そんな重責にある人物が口から出まかせのいい加減な発言に終始しているのを見るにつけ、唖然とするとともに世も末のような気持さえ持ちました。

訪問先の施設でのイベントを主催していた「世界平和女性連合」について、「(施設でのイベントを主催した)団体と統一教会の名称は非常に似ていますが、あえて触れなかったというのが正直なところだ」(下記朝日の記事より)と言ってました。しかし、萩生田氏の資金管理団体が2012年から2019年まで毎年「世界平和女性連合」に会費を支出していたことがわかっています。「世界平和女性連合」がどんな組織かもわからず毎年会費を払っていたのでしょうか。

まして、萩生田氏は、2019年9月の安倍内閣から2021年10月の菅内閣まで、宗教法人を所管する文化庁を外局に持つ文部科学大臣を務めていたのです。「世界平和女性連合」と「世界平和統一家庭連合」の関係も知らずに文部科学大臣の任にあったとしたら、それは驚くべきことです。また、後述するように、旧統一教会に問題があるのは過去の話で現在は問題があるとは認識していなかったと発言しているのでした。それも文部科学大臣として驚くべきことと言わねばなりません。

朝日新聞デジタル
萩生田氏「思いが足りなかったと反省」 旧統一教会の関連施設訪問

話は元に戻りますが、教団について、萩生田氏は、「かつての社会的な問題については、今そういうことはないという認識をしていた」「安倍総理が殺害され、山上容疑者の発言から、教会がクローズアップされ、いまだいろんなことで苦しんでいる方がいらっしゃる。少し思いが足りなかったと反省をしている」(同)と言ったそうです。また、選挙についても、「私からお願いをしたこともない」「もしかしたら、ご支援いただいている方の中にそういう方がいらっしゃったっていうことは否定できないかもしれないが、私はわかりません」(同)としらばっくれたのでした。動画も観ましたが、生稲議員のときと同じように記者たちの突っ込みもなく、白々しい空気が流れるばかりでした。

そもそもこの教団施設訪問の話も、自民党本部でお行儀よく聞いていた大手メディアの記者がスクープしたものではないのです。発端になったのは週刊新潮の記事です。大手メディアの記者たちはそれに便乗しているだけです。ジャーナリストして恥ずかしくないのか、と思いました。

萩生田政調会長に関しては、1990年代の霊感商法がもっとも活発だった頃から旧統一教会の施設に出入りしていたという指摘もあります。実際に八王子の旧統一教会の信者たちの間では、萩生田政調会長は「家族も同様」という声もあるそうです。

政治家たちがこのような弁明を平然と行う背景には、彼らの中に有権者を見下す”愚民思想”があるのは間違いないでしょう。適当にその場しのぎの弁明をしておけば、あとは時間が経てばメディアも有権者も忘れるとタカを括っているからでしょう。今回の問題も、下手すれば大山鳴動してネズミ一匹で終わる可能性もなきにしもあらずです。あきらかに腰の引けた記者たちのヘタレな姿が、それを暗示しているような気がしてなりません。

萩生田氏が、安倍政権になって頭角を表し、「最側近」「腰巾着」と言われるまでに安倍元首相から重用されたのも、「家族も同様」と言われるくらい旧統一教会と深い関係にあったことが無関係ではないように思います。萩生田氏は、若い頃から喧嘩っ早く、右派的な思想の持ち主だったようですが、だからこそ、、、、、御多分に漏れず旧統一教会と懇ろになったと言っていいかもしれません。彼にもまた、戦後の日本を覆っていた”「愛国」という病理”が投映されているように思えてなりません。

安倍元首相の秘書官であった井上義行参院議員の選挙集会における、あの熱狂的な旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の支援に見られるように、安倍元首相と旧統一教会は、他の議員とはレベルの違う特別な関係にあったのです。安倍元首相が旧統一教会の組織票の配分まで行っていたという証言がありましたが、そうやって安倍元首相は日本の政治のど真ん中に旧統一教会(世界平和統一家庭連合)を招き入れたのです。

1997年から門前払いされていた名称変更問題が、2015年の安倍政権下で変更が認められたという話がありますが、それだけでなく、公安調査庁の報告書「内外情勢の回顧と展望」の中で、2005年と2006年分で触れられていた「特異集団」という項目が、2007年に安倍政権になった途端、削除されたという話も出て来ました。報告書で具体的な名前が伏せられた「特異集団」について、立憲民主党の辻元清美参院議員が名前をあきらかにするように質問主意書を提出したのですが、それに対して政府が「特異集団」は旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)のことであるという答弁書を閣議決定したことで、俄かに削除の件が注目されはじめたのでした。

『月刊Will』(ワック)は、9月号で「安倍総理ありがとう」という「追悼特集号」を組んでおり、その中で、桜井よし子氏は、「安倍元総理は日本の誇り」と題して、次のように書いていました。

日本の歴史を振り返れば、日本は心優しくも雄々しい文化と価値観を築いてきた。素晴らしい国なのだから、もっと自信を持っていい。世界は日本にもっと活躍してほしいと期待している――。安倍総理は大きな 世界戦略を描きながら、日本の国家としての誇らしさを説いたのです。


でも、実際は、日本を「エバ国家」と呼び、日本人を「サタン」と呼んで、「アダムの国」の韓国に奉仕すべきだと説き、それどころか日王(日本の天皇)を教祖の前に膝まづかせるとまで言った韓国のカルト宗教と三代にわたって深い関係にあったのです。イベントでは教祖を賛美するメッセージを送り、選挙のときはみずからが旧統一教会の組織票の配分を決めていたのです。さらには、上記のような便宜もはかってきたのです。それをどう考えるかでしょう。それでも「日本の誇り」と言えるのか。

ともあれ、東京オリンピックのときもそうでしたが、すべては時間が経てば忘れるという確信が政治家たちにあるのはミエミエです。昨日の有権者をバカにした(としか思えない)会見がそれを物語っているように思います。でも、肝心な有権者にバカにされているという自覚があるのかと言えば、それも極めて疑問です。

ヘタレなメディアには期待できないので、国民がメディアにハッパをかけて膿を出すしかないのです。でも、国民がメディアと同じようにヘタレでは元の木阿弥になるだけでしょう。
2022.08.19 Fri l 社会・メディア l top ▲
ドキュメンタリー作家の森達也氏が、次のようなツイートを行っていました。


また、故文鮮明教祖の没後10年を記念して、12日からソウルで開かれている旧統一教会の関連団体の「天宙平和連合」が主催するイベントでは、開会式につづいて安倍晋三元首相を追悼する催しも行われ、スクリーンに大きく映し出された安倍元首相の写真に向かって、「世界各国から招かれた関連団体などの参加者が献花した」(スポニチ)そうです。

入閣した政治家たちが「旧統一教会とは知らなかった」「軽率だった」「今後いっさい関係を絶つ」などと弁明している中で、それはまるで彼らに無言の圧力をかけている光景のように見えなくもありません。

この追悼について、安倍元首相は旧統一教会に利用されただけだ、というような意見が一部にありますが、それは問題を矮小化する近視眼的な見方と言わねばならないでしょう。旧統一教会と岸信介の切っても切れない関係を見てもわかるように、安倍元首相は旧統一教会の問題における一丁目一番地と言ってもいいような存在です。自民党の中でも、旧統一協会と関係のある議員が清和会(安倍派)に多いのも、故なきことではないのです。安倍元首相は、文字通り問題の根幹にいる人物なのです。

岸田首相は、組閣後の記者会見で、「組閣にあたり、それぞれが当該団体との関係を点検し、厳正に見直すことを厳命して、それを了解した者のみを任命した」と言ったのですが、いざ蓋を開けて見ると次々と関係があきらかになり、どこかのメディアが言うようにもはや「底なしの様相」を呈しているのでした。

旧統一教会との関係について、自民党は党として調査を行っていませんし、行う予定もないと明言しています。あくまで自己申告に任せているのです。それは、調査したら組閣もできないどころか、党として収拾がつかなくなるからだと言われています。それくらい旧統一教会は政権与党に深く食い込んでいたのです。

ホリエモンや古市憲寿や太田光などが、エスカレートする旧統一教会の報道にあえて水を差すようなことを言うのも、そういった事態を察知しているからかもしれません。いちいち取り上げるのもバカバカしいのですが、彼らは今の旧統一教会に関する報道は山上容疑者の「思うつぼ」だと言うのです。しかし、山上容疑者自身は実行するにあたって、米本和広氏に宛てた手紙で「安倍の死がもたらす政治的意味、結果、最早それを考える余裕は私にはありません」と書いているのです。それを意図的に狙っていたかのように言うのは、悪質な論理のすりかえと言うしかありません。それに、仮に「思うつぼ」だとしても、だからと言って旧統一協会の問題を不問に付していいという話にはならないでしょう。

また、森達也氏は、1970年に日本武道館で開催された国際勝共連合主催の「WACL世界大会」で、「右翼の巨頭」の笹川良一が、「私は文鮮明の犬だ」と発言したこともリツイートしていました。これなども「愛国」と「売国」が逆さまになった”戦後の背理”を象徴する発言と言えるでしょう。まさにそこに映し出されているのは、戦後の日本を覆っていた”「愛国」という病理”です。これが日本の「愛国」(者)の姿なのです。

ちなみに、件の「右翼の巨頭」が、競艇のテラ銭で作ったのが日本財団です。日本財団の研究者がテレビに出て国際情勢などを解説していますが、日本財団が設立者の右翼思想を組織として検証したという話は寡聞にして知りません。今も日本財団はウクライナ支援などを行って「平和」をアピールしていますが、彼らが掲げる「平和」と、国際勝共連合が唱える「平和」はどう違うのか、問い質したい気がします。

旧統一教会が韓国で設立されたのが1954年で、日本に進出したのが1958年です。そして1964年に東京都から宗教法人の認証を得ています。その日本進出に大きく関わったのが岸信介で、以来、安倍晋太郎、安倍晋三と三代に渡って親しい関係を続けてきたことは、先日の旧統一教会の記者会見でも会長みずからがあきらかにしていました。

旧統一教会の日本支部から韓国に送金された金額については、(前も書きましたが)2011年の「週刊文春」に、「4900億円の送金リストを入手した」と書かれていました。また、それとは別に、「ニューヨーク・タイムズ」は、7月23日、1976年から2010年までに日本の支部からアメリカの支部に36億ドル(4700億円)が送金され、それがアメリカでの事業の資金になった、という記事を書いていました。これだけでもとてつもない金額ですが、もちろん、これは一部の期間に送金された金額にすぎません。一体、彼らは「エバ国家」の日本からどれだけのお金を巻き上げたのかというのでしょうか。

そんな美味しい「エバ国家」への進出に手を貸してくれた恩人の三代目を、旧統一教会があのように大々的に追悼するのは当然と言えば当然でしょう。旧統一教会にとって、岸・安倍一族の恩義は計り知れないほど大きいのです。

それを自分たちを大きく見せるために「利用している」などというのは、まことのお母様に失礼でしょう。岸・安倍家があってこそ、今の旧統一協会(世界平和統一家庭連合)があると言っても過言ではないのです。まるで「国葬」の予行練習のように厳かに営まれた追悼の催しは、旧統一協会の安倍元首相に対する報恩にほかならないのです。

旧統一教会との関係を調べると組閣さえできないというのは、まさに「日本終わった」としか思えませんが、今、必要なのは、ホリエモンや古市憲寿や太田光のような論理のすりかえや、他に重要な政治案件があるのにいつまで旧統一教会の問題に拘って政治を停滞させる気だというような脅しに屈するのではなく、たとえ国の土台がぐらつくようなことがあってもこの際徹底的に膿を出し切る、その覚悟を持つことでしょう。NHK党の立花党首は、自身が幸福の科学の信者であることを認めているそうですが、それは政権与党にとどまらず、ガーシー当選などにも通じる問題でもあるのです。

1994年、下野した自民党は、当時の細川政権と公明党=創価学会の関係が憲法20条で謳われている「政教分離」に反するとして、「憲法20条を考える会」を立ち上げ、池田大作名誉会長のハレンチなスキャンダルを取り上げたり、同名誉会長の証人喚問を要求したりと、週刊誌顔負けの”反創価学会キャンペーン”を行ったのでした。ところが、政権に復帰して公明党との連立がはじまった途端、「考える会」はなかったことにされ、「政教分離」の問題は闇に葬られてしまったのでした。もとより憲法20条の「政教分離」は、そんな政党のご都合主義で解釈されるような問題ではないでしょう。

今回の旧統一教会と政治の関係には、旧統一教会やカルトの問題にとどまらず、根本にはそのような政治と宗教の問題があるのです。「憲法20条を考える会」のような問題意識が今こそ求められているのだと思います。でも、そのタブーは依然残ったままです。

何度もくり返しますが、旧統一教会の問題が示したのは、日本の「保守」と言われる政治(思想)がまったくの虚妄だったということです。「保守」政治家たちは、日本が「美しい国」だとか「とてつもない国」だとか誰もオリジナルに思ってなかったということです。そのテンプレートは、日本を「エバ国家」と呼び日本人をサタンと呼んで、日本から兆を超すお金を巻き上げた韓国のカルト宗教にあったのです。私たちの前にあるのは、そんな卒倒するような「日本終わった」現実なのです。


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2022.08.15 Mon l 社会・メディア l top ▲
トレイルズ


昨日の8月11日は「山の日」でした。

ネットで調べると、「山の日」を提案したのは、作曲家の船村徹氏だそうです。船村徹氏は山好きで、日本山岳会の会員でもあったので、「海の日」があるなら「山の日」があってもいいんじゃないかと、そんな理由で提案したみたいです。

船村徹氏の提案に、あのコロナで山登りの自粛を呼びかけた山岳4団体(日本山岳・スポーツクライミング協会、日本勤労者山岳連盟、日本山岳会、日本山岳ガイド協会)や自然保護団体、各登山雑誌などが賛同し、超党派の「山の日」制定議員連盟が設立され、制定に向けての活動がはじまったのだそうです。

最終的には、自民党、民主党(当時)、日本維新の会、公明党から、共産党、社民党までの9党が共同で祝日法の改正案を提出して、2014年の衆参両院で可決成立し、「山の日」の制定が決まったということでした。

「山の日」制定議員連盟の会長には、先日、「日本は韓国の兄貴分」というトンデモ発言で批判を浴びた、清和会の最高顧問の衛藤征士郎議員が就いていました。

衛藤征士郎議員は大分県選出の国会議員なので、昔からそれなりに知っているのですが、もう81歳になっていることを知ってびっくりしました。だったら、清和会の最高顧問にもなるはずだと思いました。

私が出た学校の関係で、実家の親たちは衛藤議員の後援会に入っていました。田舎の人間は妙に律義なところがあり、その程度の縁でも大事にするのです。そんな律儀な田舎の人間たちがこの国の保守政治を草の根で支えているのです。

ところで、衛藤征士郎議員がどうして議員連盟の会長で、「山の日」制定の呼びかけ人に名を連ねているかと言えば、同議員が大分県の玖珠郡というところの出身だからです(国政に転進する前は玖珠郡玖珠町の町長を務めていました)。

玖珠郡は、現在、久住連山の表の登山口のようになっている長者原(玖珠郡九重町ここのえまち)があるところです。私の田舎とは久住連山を挟んで反対側にある町です。久住連山の地元ということで、「山の日」制定に動いたのでしょう。

前も書きましたが、私たちが子どもの頃は、私たちの田舎の方が表側の登山口でした。久住連山はもちろんですが、山を越えた先にある法華院や坊がつるも、私たちの田舎と同じ住所です。江戸時代には法華院に国境警備を兼ねた藩の祈願所があったそうで、昔は久住の山を越えて行っていたのです。

それは雲取山と似ています。雲取山も今では東京の山のように言われていて、登山者の9割は東京側(実際の住所は山梨県丹波山村)の鴨沢から登って来るそうですが、昔は逆で埼玉の三峰側から登って来るハイカーの方が多かったそうです。

だから、昔は山小屋も埼玉側の登山道沿いに多くあったし、今唯一残っている雲取山荘の小屋主も秩父の人でした。周辺の山の名前にドッケという秩父の方言が残っていることからもわかるように、雲取山はどっちかと言えば埼玉の山だったのです。奥多摩の風土記などを読むと、大昔、奥多摩に移住して来た人たちも、秩父などから雲取山を越えてやって来たケースが多いのです。

今の自動車道は、谷底を迂回したり、山の下にトンネルを掘ったりして造られていますが、昔は徒歩だったので、ショートカットして山を越えて行くのが一般的でした。そのため至るところに道ができているし、それらをつなぐ尾根上の道もありました。

私の田舎は久住連山の麓にある温泉場ですが、登山シーズンになるとどこの旅館も登山客でいっぱいでした。今と違ってマイカーがなかった昔は山に登るときは前泊するのが普通だったのです。

しかし、九州横断道路(やまなみハイウェイ)が開通してマイカーが普及するようになると、長者原に駐車場が整備されたこともあって、長者原を起点にした日帰りのマイカー登山が主流になったのでした。

そのためかどうか、山名も、山と高原の地図などではいつの間にか「久住山」が「九重山」と表記されるようになり、環境庁の説明文も「九重山」になってしまったのでした。

もうひとつは、深田久弥が久住山を「九重山」、久住連山を「九重連山」と書いたことも大きいように思います。私などから見れば、「くそったれ」と言いたくなるような話ですが、深田久弥に関しては、本多勝一氏が「深田さんは確かに山が好きだったけれど、山と旅をめぐる雰囲気を愛したのであって、『山それ自体』への関心があまり深くなかったのではありませんか」(朝日文庫『新版山を考える』所収「中高年登山者たちのために あえて深田版『日本百名山』を酷評する」)と書いていたのがわかるような気がします。

私は、「九重山」と表記されているを見ると、つい「ここのえやま」と読んでしまいます。私たちの頃は、学校で使っていた地図帳も「久住町、久住山、九住連山」でした。また、最近は下記の「関連記事」で紹介している森崎和江さんの『消えがての道』でも表記されているように、「九重高原」という表記もよく目にしますが、久住町にあるのは久住高原で、九重町ここのえまちにあるのは飯田はんだ高原です。「九重高原」なんてどこにもないのです(『消えがての道』の「九重高原」は久住高原のことです)。

「阿蘇くじゅう国立公園」という呼称も、1986年に阿蘇国立公園に大分県の久住連山が加わることになり、新しい呼称について周辺自治体で議論された際、本来なら「阿蘇久住国立公園」となるべきところ、九重町ここのえまちが「俺たちも九重=くじゅうだ」と言い出し、その結果、折衷案としてひらがなで「くじゅう」と表記するようになったのです。

当時、私の田舎の人たちは、「そんなバカなことがあるか」と憤慨していました。阿蘇は私の田舎からは県境を跨いで隣にありますが、九重町ここのえまちと阿蘇は離れており、同じ地域というイメージはありませんでした。

で、その名称でもめたとき、九重ここのえ側の先頭に立って「九重=くじゅう」説を強引に主張したのが、衛藤征士郎議員だったと言われているのでした。ひらがな表記の折衷案になったのも、彼の政治力のたまものだったのかもしれません。にもかかわらずうちの親たちは、九重ここのえ側の強引な主張には憤慨しつつも、一方で地元でもない衛藤議員を応援していたのでした。

たかが「久住山」が「九重山」に変わっただけじゃないかと思われるかもしれませんが、当事者にとってはそんな簡単な話ではないのです。私たちが暮らす街でも、昔からの町名が如何にも不動産会社が喜びそうな今風な名前に変えられることがありますが、あれと同じで、町名が変わるということは、永年そこで暮らしてきた人々の記憶もそこで遮断されることを意味するのです。

私もこちらに来て町名の変更を経験したことがありますが、マンションに住んでいるような新しい住民はこれで不動産価値が上がるなど言って歓迎しますが、昔から住んでいるの人たちは愛着のある名前がなくなるのは淋しいと反対するのでした。町名変更は、沿線開発を目論む鉄道会社とそれに乗っかかる行政の思惑が一致して行われるケースが多いのですが、結局は多勢に無勢で、「不動産価値が上がる」ような変更に押し切られるのが常です。

記憶は私たちの生きるよすがでもあります。記憶によって私たちのアイデンティティは形成されています。そして、記憶はいろんなものと結びついており、地名もそのひとつです。その記憶が遮断されリセットさせられるのです。私がこんなに偏執狂のように拘るのも、自分の中の幼い頃の記憶がないがしろにされたような気持があるからです。それくらい私たちの幼い頃の記憶は、久住や阿蘇とともにあったのです。

私は、衛藤議員のその政治力を、たとえば登山道の整備にもっと税金を投入するとか、欧米に比べてお金とヒトのリソースが圧倒的に足りない日本の国立公園のあり方を改善するとかいったことに使って貰いたいと思うのですが、そんな問題意識は見られません。地元に対する顔つくりと利益誘導に使われただけです。それは、呼びかけ人に名を連ねていたほかの国会議員たちも同じです。

「山の日」制定にあたって、「全国『山の日』制定協議会」なる財団法人が設立されたのですが、役員の顔ぶれを見ると、日本山岳会などと同じように、お年寄りのサロンのようになっています。年に一回、「山の日」が真夏の8月なので、冷房の効いた屋内で開催地の地名士を集めて記念イベントをやるくらいです。上記のような日本の山が直面している問題に対して、会として何かアクションを起こしているという話は聞きません。

そもそも「山の日」が何のためにあるのかもわからないのです。船村徹氏ではないですが、「海の日」があるので「山の日」も作ろうというような理由で、ただ休みを増やすために付け焼き刃で作った祝日のようにしか思えません。制定の趣旨を見ても、私にはこじつけのようにしか思えません。

「山の日」は認知度が低く、国民からもっとも「不評」な祝日だと言われているそうですが、それは一般ハイカーにとっても同じでしょう。山とは相容れない、妙な政治力みたいなものしか感じられないのです。

ちなみに、久住連山に登るのなら、久住の側からの方が全然楽しいし山に登っている気分を味わうことができます。長者原の登山口は、由布岳もそうですが、あまりにも観光地化されていて、これから山に登る(冒険する)というワクワク感は得られません。久住側はシーズン外だと人が少なく、道も一部わかりにくいところがありますが、その分、本来のトレイルを歩く楽しさがあります。

『トレイルズ  『道』と歩くことの哲学』(A&F出版)の著者・ローバート・ムーアは、トレイルについて、同書の中で次のように書いていました。

  以前、森や都市の公園で標識のない道を見つけたとき、誰がつくったのだろうと疑問に思ったことがある。それはたいてい、誰かひとりでつくったわけではない。道は誰かがつくるのではなく、そこに現れる。まず誰かが試しにそこを通ってみる。そして次の人がそれに続く。つぎつぎにそこを誰かが通るたびに、少しづつルートが改善されていく。


  人間は地上で最初に道を切り拓いたわけでも、最大の開拓者でもない。人がつくる不格好な土の道と比べて、アリの道は明らかに優美だ。哺乳類の多くも道を切り拓くのが巧みだ。どれだけ知性の劣る動物でも、最も効率よく場所を通過するルートを見つめることができる。こうしたことは人間の言語にも反映されている。日本では、デザイア・ラインは「獣道」と呼ばれる。フランスでは「ロバの道」だ。オランダでは「ゾウの道」、アメリカとイギリスでは「ウシの道」という言い方をすることがある。


私たちが山を歩く際に利用するトレイルは、あらかじめブルトーザーで切り拓かれた道ではありません。モンベルが出店したり、人が車でやって来るのに便利なように造られた道ではないのです。

私たちが歩く道は、もともとは山に棲む動物の知恵で自然に生まれた(現れた)ものです。それが長い時間をかけてアップデートされて今の道になったのです。アプリのアップデートにも「履歴」が残るように、道にはそこを歩いてきた者たちの”記憶の積層”があります。私たちはその上を歩いているのです。もちろん、”記憶の積層”は人間のものだけではありません。前に書いたように、トレイルにおいても人間は客体なのです。野生動物や小さな昆虫と同じように、ただの一個の存在にすぎないのです。


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『消えがての道』 九州に生きる
2022.08.12 Fri l 山行 l top ▲
「見てみろ、凄いじゃないか。とうとう内閣の改造まで行ったぞ」と私は彼に言いたくなりました。

鉄パイプに黒のビニールテープを巻いただけの粗末な手製の銃から発射された2発の銃弾が、ここまで世の中を変えたのです。1発目を撃ったとき、まわりにいた人たちは、銃声だと思わなかったそうです。自転車か何かのタイヤがパンクした音のように聞こえたと。そんな粗末な手製の銃が、これほどのインパクトをもたらすとは誰が想像したでしょう。

まるでみずからの不手際を弁解するかのように、事件直後から垂れ流される容疑者の供述。それもまた、今までの事件では見られない異例のものだと言われます。事件直後には、「安倍元首相に対して不満があり、殺そうと思って狙った」という供述がありましたが、すぐに「元首相の政治信条への恨みではない」と「訂正」するような供述に代わっています。またそのあとも、「特定の団体に恨みがあり、安倍元首相が団体と繋がりがあると思い込んで犯行に及んだ」というような供述も発表されたのでした。

専門家の中には、犯行直後にそんな供述をするのは不自然だという声があるそうです。容疑者は、逮捕直後の混乱(興奮状態)の中で、「思い込んだ」と自分の犯行を後悔(否定)するようなことを口にしているのです。時間が経ってから後悔の念に苛まれてそう言うのならわかりますが、犯行直後なのです。

警察がメディアに発表した供述内容が、公判の際、調書に出てないことも多いのだとか。それはあくまで警察が発表した一方的な供述にすぎず、正式な供述ではないのです。

さらには、容疑者を精神鑑定するために鑑定留置することが認められたと発表されたのでした。それも4ヶ月にもわたる長期です。「動機に論理の飛躍が見られる」というのがその理由ですが、たしかに奈良県警が発表した供述に従えば、単なる「思い込み」であれだけの犯行に及んだのですから、「論理に飛躍が見られる」ことになるでしょう。

犯行からひと月が経ちましたが、あらためて暴力が持つインパクトの大きさを痛感させられるばかりです。容疑者は、決行するにあたって、「政治的意味を考える余裕はない」と言ったのですが、時間の経過とともに容疑者の行為はとてつもなく大きな「政治的意味」を持つに至ったのでした。

犯行の翌々日が参院選の投票日でしたが、選挙の結果がどうであれ山上容疑者の銃撃がなければ、これほど日本の政治が旧統一教会に浸食されていたことが白日のもとに晒されることはなかったでしょう。与党の議席がどうの野党の議席がどうのといういつもの報道がくり返されるだけで、胸にブルーリボンのバッチを付けた「愛国」政治家たちと韓国のカルト宗教の蜜月は、何事もなかったかのようにこれからも続いていたでしょう。

前も書きましたが、自民党の改憲案と旧統一教会の政治団体である国際勝共連合の改憲案が酷似しているというのはよく知られた話ですが、「愛国」政治家たちがジェンダーフリーやLGBTや同性婚や夫婦別性に反対して「日本の伝統的な家庭を守る」と主張しているのも、旧統一教会からの受け売りであったことが徐々にあきらかになっています。

今年の6月に開かれた神道政治連盟国会議員懇談会の席で、同性愛は「回復治療の効果が期待できる」「依存症」や「精神障害」であり、「LGBTの自殺率が高いのは社会的な差別が原因ではない」というような内容のパンフレットが配布されたとして問題になりましたが、神道系の議員たちが前はほとんど関心がなかった”性の多様性”の問題に急に関心を持ちはじめ、強硬な反対論を展開するようになったのも、旧統一教会の働きかけがあったからだと言われているのでした。

それどころか、彼ら神道系議員の母体である神社本庁が、日本人をサタンと呼ぶキリスト教系の旧統一教会の影響下に置かれているという、信じられない話まで飛び出しているのでした。神道の信者は数の上では莫大ですが、葬儀や結婚式を神道式で行なう人が稀であるように、実際に信仰している人は少なく、しかも、御多分に漏れず信者の高齢化が進んでいるそうです。そんな中、旧統一教会がNPO法人のような団体名で近づき、若い隠れ信者たちが神社本庁の活動を手足となって手伝い、中には本部の職員に採用された信者もいたそうです。そうやって神社本庁に浸透していったのです。それは、国会議員の選挙運動を手伝って、その議員を取り込み思想的影響下に置くのとまったく同じです。また、神社本庁は内紛によって分裂状態にあるのですが、それも旧統一協会が裏で糸を引いていたのではないかという見方さえあるのでした。

何度もくり返さなければなりませんが、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)は、サタンの日本人は「アダムの国」の韓国に奉仕しなければならないと主張する韓国のカルト宗教なのです。

そんなカルト宗教に日本の「愛国」や「伝統」が簒奪されコントロールされていたのです。岸田首相は昨日の記者会見で否定していましたが、自民党の改憲案や神道政治連盟のパンフレットに見られるように、政権与党の政策が影響を受けていたのではないかという疑惑は拭えません。

神道政治連盟のサイトのトップページには、「日本に誇りと自信を取り戻すため、さまざまな問題に取り組んでいます」と麗々しく謳っていますが、そんな議員たちがよりによって、日本人をサタンと呼ぶ韓国のカルト宗教と密通していたのです。こんなふざけた話があるでしょうか。

国民に「愛国」を説き、国民向けには”嫌韓”を装いながら裏では韓国のカルト宗教にへいつくばりおべんちゃらを言っていたのです。こんな「愛国」者がいるでしょうか。

日本は美しい国、日本人の誇りを取り戻そうと言っていた政治家が、よりによって日本を「エバ国家」と呼ぶ韓国のカルト宗教と三代前から親しい関係を結び、選挙の際は票の配分を依頼するなど、みずから日本の政治のど真ん中にカルトを招き入れていたのです。

2発の銃弾が暴き出したのは、この国の「保守」と呼ばれる政治がまったくの虚妄だったという事実です。「保守」なるものが、「愛国」と「売国」が逆さまになった”戦後の背理”の産物にすぎなかったことがあらためて明らかになったのです。「愛国」や「保守」や「反日」や「売国」という言葉はことごとく失効したのです。

江藤淳は、占領軍の検閲によって、戦後の言語空間は閉ざされたものになったと言ったのですが、そもそも言語空間もくそもなかったのです。保守主義者の江藤淳が見ていたのは虚構だったのです。

今、私たちの前にあるのは、戦後の「保守」政治が見るも無残に破綻した光景です。それを未だに空疎な言葉を使って糊塗しようとするのは、あまりに往生際が悪くみっともない所業としか言いようがありません。ホントに「反日」なのは誰だったか、もう一度自問した方がいいでしょう。国葬なんかやっている場合じゃないのです。

それは、橋下徹や三浦瑠麗や東浩紀らテレビの御用知識人たちの言語も同様です。今回の事件では、彼らの言語の薄っぺらさが晒されるという副産物も生んだのでした。テレビを観ていて呆れた人も多いはずです。

目の前に突きつけられた事態があまりに衝撃的で想像を越えていたためか、彼らは、みずからの常套句で説明することができずトンチンカンを演じてしまった感じでした。わからないことはわからないと正直に言えばよかったのです。彼らが駆使する言語も、現実をかすりもしない単なる口先三寸主義の屁理屈にすぎないことが明らかになったのでした。

このように、一夜にして世の中の空気が一変したのです。旧統一協会に再び世間の厳しい目が向けられるようになりました。また、今まで視野に入ってなかった信仰二世の問題にも、目が向けられつつあります。

自転車のタイヤがパンクしたと間違われるような粗末な手製の銃から発せられた2発の銃弾が、ことの善悪を越えて、、、、、、、、、「凄いじゃないか。やったじゃないか」と言いたくなるような光景を引き出したのです。それは驚き以外のなにものでもありません。
2022.08.11 Thu l 社会・メディア l top ▲
また、『紙の爆弾』の記事の話になりますが、今月号(9月号)の中川淳一郎氏のコラム「格差を読む」に、思わず膝を打つような記事が載っていました。

ホントは全文を紹介したいくらいですが、もちろん、それは叶わぬことなので、もし興味があれば、『紙の爆弾』9月号(鹿砦社)をお買い求めください(いつもお世話になっているので宣伝します)。

タイトルは『「34位」の日本人が生きる道』。記事は次のような文章で始まっています。

  スイスのビジネススクール・国際経営開発研究所(IMD)が「世界競争力ランキング2022」を発表した。日本の競争力は二〇二一年の三一位から三四位に低下。これは六三ヵ国を対象に二〇項目・三三三の基準で競争力を数値化したもので、調査開始の一九八九年から九二年まで日本は四年連続一位。その後も二位、三位、四位、四位と上位の常連だった。九七年に一七位に急落し、二十番台が続いたが、ついに三四位まで落ちた。マレーシア(三二位)やタイ(三三位)の下である。
  もはや日本は東アジアの没落国といってもいいかもしれない。上位常連のころは、自動車・家電・金融・不動産が活況だったものの、ネット時代以降は社会の変化についていけなくなったようだ。また、かつて世界に五〇%はあった半導体のシェアが 一〇%を切るなど、目も当てられない状態になっている。
(『紙の爆弾』2020年9月号・「格差を読む」”「34位」の日本人が生きる道”)
※以下、引用は同じ。


私がこのブログでしつこいように書いている「ニッポン凄い!」の自演乙も、ここまで来るともはやギャグのように思えてきます。

だったら、日本にとって強みは何があるのか?、と中川氏は考えるのでした。

  (略)日本にとっての強みというのは、「物価が安くて食・サービスの質が高く、インフラが整い、歴史もあり、豊かな自然もあり、観光に適した国」というものしかなくなってしまう。あとは魚介類や野菜をはじめとしたグルメ方面か。


  自動車も家電もネットサービスも、今後日本が世界で存在感を示すことは難しいだろう。これから考え得る日本の進む道は「観光立国」しかない。となれば、国民の働き先は飲食店やホテルの掃除、コンビニ店員といったところになるだろう。現在、日本の都市部に住む東南アジア系の人々が担っている仕事を日本人がやるということだ。


私は、ほかに風俗と児童ポルノがあるのではないか、と思いました。コロナ前までは、中国人や韓国人の買春ツアーは活況を呈していました。風俗に詳しい人間の話では、外国人専用の派遣ヘルスも多くあったそうです。ガーシーではないですが、外国人相手に大和撫子をアテンドするプロのブローカーも「掃いて棄てるほど」いたそうです。

中川氏は、続けてこう書いていました。

国の物価を示す「ビッグマック指数」においても、もはや日本はタイよりも下である。この三十年間、給料が上がらない稀有な国こそ日本なのだ。


前も書きましたが、日本は「安くておいしい国」なのです。買春する料金も、外国人から見たら格安で「良心的」です。給料が上がらない分、風俗の料金も30年前から上がってないからです。

「Youは何しに日本へ?」でインタビューされている外国人たちのかなりの部分は、ホントは日本に買春に来ているのです。秋葉原に行きたいというのも、ホントは児童ポルノが目当てなのです。昔のJ-POPのレコードを探しに来たとか、地方のお祭りに参加するために来たというのは、奇人変人の部類に属するような稀な例です。

以前、このブログで、若者の間で海外旅行離れが進んでいるという話題を取り上げたことがありますが、今調べてみたら2008年4月の記事でした。既にその頃から没落が顕著になり、私たちも身に沁みてそれを実感するようになっていたのでしょう。

私たちのまわりを見るとわかりますが、格差と言っても、親がどれだけ資産を持っているか、親からどれだけ遺産を受け継いだかによっても違います。起業しても同じです。手持ちの資金にどれだけ余裕があるかによって、どれだけチャンスをものにできるか、どれだけ持ちこたえることができるかが決まるのです。

とは言え、日本にはまだ個人の金融資産が2000兆円弱もあるそうです。それを食いつぶす間は”豊かな幻想”を持つことができるでしょう。一方、金融資産の恩恵に浴することができない人たちの多くは、既にこの社会の中で落ちぶれてアンダークラスを形成しているのです。

安倍元首相を狙撃した山上徹也容疑者の父親は、京大卒で大手建設会社に勤務していたそうです。母親も大阪市立大(現・大阪公立大)卒の栄養士だったとか。旧統一教会に寄付した総額は1億円だったそうですから、遺産も含めて、山上家には1億円の資産があったことになります。もし、母親が旧統一教会に入ってなければ、容疑者が言うように、その資産を使って大学にも行けたでしょうし、今もそれなりの生活を送ることができたでしょう。

今の「それなりに豊かに見える」生活も、単に親から受け継いだ資産が投映されたものにすぎない、と言ったら言いすぎかもしれませんが、没落していく国では、とりわけ親の資産や遺産の多寡によって子の人生が決まる無慈悲な現実があるのも事実です。そもそもスタートが平等ではないのですから、個人の努力の範囲は最初から限られているのです。

私たちの世代は、進学資金や結婚資金やマイホームの頭金などを親から出して貰うのが当たり前でした。じゃあ、私たちは、自分たちの子どもに同じことができるかと言えば、もうそんな余裕はありません。せいぜいが奨学金の保証人になるくらいです。

私は九州の高校を出たのですが、私たちの頃は東京の大学に進学した同級生が100人近くいました。今でも都内で開催される同級会には常時20~30人は集まるそうです。しかし、現在、母校から東京の大学に進学する生徒は数人程度です。それも私たちのような凡人ではなく、超優秀な生徒だけです。

私たちの頃と違って、圧倒的に地元志向、しかも公立志向なのです。つまり、それだけ親に経済的な余裕がなくなっているのです。同級生と話をすると、みんな口をそろえて「あの頃、親はよく仕送りしてくれたな」「考えられないよ」「よくそんなお金があったと思うよ」と言いますが、それが私たちの世代の実感です。

このように、私たちは子どもに残す遺産がないのです。身も蓋もないことを言えば、それだけ貧しくなっているということです。”負の世代連鎖”に入っていると言ってもオーバーではないでしょう。

ネットニュースの編集者でもあった中川淳一郎氏は、こうも書いていました。

  おそらく日本で給料が大幅に上がることは難しい。それは、ひとえに、情報の伝播のしやすさの問題だ。英語のサイトが世界中からアクセスを集められるのと比べて、日本語の情報は、ネット上の存在感が極端に低いのである。


とどのつまり、益々没落していくしかないということでしょう。

デジタル革命に乗り遅れたと言えばその通りなのですが、日本語の問題も含めて、そこには日本の社会そのものに起因する致命的な問題があるような気がしてなりません。

日本の企業は、いつまで経っても日本流の生産方式や品質管理が一番いいという「神話」から脱皮できず、そのために世界から取り残されてしまったという話を前にしたことがありますが、ネットの時代になって日本は逆に「愛国」という病理に、そして「ニッポン凄い!」という自演乙に自閉していったのでした。つまり、「パラダイス鎖国」の幻想に憑りつかれ、内向きになっていったのです。そうやっていっそう没落を加速させたのです。

海外に出稼ぎに行くにしても、「壊滅的に英語ができない国民」である日本人には、言語の壁が立ちはだかって難しいと皮肉を書いていましたが、それも笑い話で済まされるような話ではないでしょう。「同じ東アジアのタイやベトナム、カンボジアの方が日本より英語が通じる」現実を前にしてもなお、「ニッポン凄い!」と自演乙しつづけるのは、何だか哀愁を漂わせるピエロのギャクのようにしか見えません。


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2022.08.10 Wed l 社会・メディア l top ▲
ナンシー・ペロシ下院議長の台湾訪問は、当初、中間選挙で民主党の敗色が濃厚と言われている中での季節外れの“卒業旅行”みたいなものだとヤユする向きもありました。ところが、蓋を開けてみるとそんな呑気な話ではなく、82歳の老婆による、とんでもない”戦争挑発旅行”だったということがわかったのでした。

「これでウクライナが東アジアに飛び火した」と論評した専門家がいましたが、まさにそれこそがナンシー・ペロシの「電撃的な台湾訪問」に隠されたバイデン政権の狙いだったように思います。

アメリカ空軍の軍用機(要人輸送機C-40C)を使った今回の訪問が、露骨に中国を挑発するものであることは誰が見てもあきらかでしょう。でも、対米従属の日本では、「挑発」という言葉はまるで禁句であるかのようです。メディアにもその言葉は一切出て来ないのでした。

ナンシー・ペロシの行動をバイデン大統領が止めることができなかった。個人的な旅行なのに、中国が「メンツを潰された」と過剰に反応して、台湾や日本に軍事的な圧力をかけている。このまま行けば中国が戦争を仕掛けて来るかもしれない、というような報道ばかりです。

今回の挑発行動には、米中対立によって、半導体の一大供給地である台湾の戦略的な重要性が益々増しているという、近々の状況が背景にあることは間違いないでしょう。石油や天然ガスのような天然資源ではなく、今の時代ではデジタル技術も大事な資源なのです。そういった新たな資源争奪戦という帝国主義戦争の側面は否定できないように思います。

しかし、それだけではなく、アメリカ経済が陥っている苦境とも無縁ではないような気がします。FRBは、6月に28年ぶりの大幅利上げを行なったのですが、翌月にも同様の利上げを再度行なって世界を仰天させたのでした。このように、現在、アメリカは「経済危機」と言ってもいいような未曽有のインフレに見舞われているのです。そのため、アメリカは、起死回生のために新たな戦争を欲しているのではないか。台湾有事という”危機”を現前化することで、今やコングロマリットと化した軍需産業を起爆剤に、低迷するアメリカ経済を好転させる魂胆があるのではないか、と思いました。もとより、蕩尽の究極の場である戦争ほど、美味しいビジネスはないのです。1機100億円以上もする戦闘機がどんどん撃ち落とされるのを見て、歓喜の声を上げない資本家はいないでしょう。

アメリカは戦後、朝鮮戦争からシリア内戦までずっと他国の戦争に介入してきました。そうやって超大国の座を維持してきたのです。ただ、ウクライナ戦争を見てもわかる通り、既に直接介入する力はなくなっています。しかしそれでも、他国の人々の生き血を吸って虚妄の繁栄を謳歌する”戦争国家”であることには変わりがありません。

もちろん、どうして今なのか?を考えたとき、中間選挙をまじかに控えた民主党の党内事情も無視できないように思います。苦戦が伝えられる中間選挙で逆転するためには、”強いアメリカ”を演出しなければなりません。しかし、ロシアは役不足です。案の定、ウクライナ戦争はインパクトに欠け、国民も冷めています。やはり、中国を民主主義と権威主義の戦いに引き摺り込むしかない。バイデンらはそう考えたのかもしれません。

でも、バイデンは79歳、ナンシー・ペロシは82歳です。私たちは、ガーシー当選に勝るとも劣らない悪夢を見ているような気持になってしまいます。

ナンシー・ペロシの台湾訪問のひと月前に発売された『紙の爆弾』(7月号)で、天木直人氏(元駐レバノン大使)と対談した木村三浩氏(一水会代表)は、今回の挑発行為を予見していたかのように、次のように発言していました。

木村   (略)米国が次に狙うのが中国で、だからこそ台湾有事の勃発が危惧されている。しかし、日本にはその視点がない。独裁者のプーチンが暴走した。香港・ウイグル・チベットなどで人々を弾圧している習近平も暴走するに違いない、と事態が極度に単純化されている。この論調に政治が乗っかり、日米同盟を強化すべきだ、NATOに入るべきだといったことまで公言されています。防衛費増強にしても、米国からさらに武器を買って貢ぐことにすぎません。
(「台湾有事」の米国戦略と「沖縄」の可能性)


一方、天木氏は、台湾有事に備えるには、沖縄の平和勢力が「反戦平和」を唯一の公約にする、つまり、その一点で結集できる「沖縄党」をつくって国政に参加するべきだと言っていました。

唯一の地上戦を経験しながら、戦後も基地の負担を強いられてきた沖縄には、本土のように対米従属に対する幻想はありません。だから、ネトウヨには、沖縄は「左傾」した「中共のスパイ」のように見えるのでしょう。天木氏の提案は、そんな対米従属の幻想から「覚醒」した沖縄が、日本の対米従属からの脱却を促し、日本を「覚醒」させることができるという、沖縄問題を論じる中でよく聞く”沖縄覚醒論”の延長上にあるものと言えます。

何度もくり返しますが、日本という国は、国民に「愛国」を説きながら、その裏では、サタンの日本人は「アダムの国」の韓国に奉仕しなければならないと主張する韓国のカルト宗教と密通していたような、ふざけた「愛国」者しかいない国なのです。それは政治家だけではありません。”極右の女神”に代表されるような右派のオピニオンリーダーたちも同じです。嫌韓で自分を偽装しながら、陰では韓国のカルト宗教から支援を受け、教団をヨイショしていたのです。また、旧統一教会の魔の手は、「愛国」の精神的支柱とも言うべき神社本庁にまで延びているという話さえあります。

自民党の改憲案と旧統一教会の政治団体である国際勝共連合の改憲案が酷似しているというのはよく知られた話ですが、胸にブルーリボンのバッチを付けた「愛国」者たちが、ジェンダーフリーやLGBTや同性婚や夫婦別性に反対するのも、教団からの受け売り(働きかけによるもの)だったのではないかと言われています。それどころか、女系天皇反対もそうだったのではないかという指摘もあるくらいです。

そんなふざけた「愛国」者が煽る戦争に乗せられないためにも、「沖縄の覚醒」を対置するという考えはたしかに傾聴に値するものがあるように思います。しかし、同時に、もう沖縄に頼るしかないのか、また沖縄を利用するのか、という気持も拭えないのでした。

天木   米国はいまでも「一つの中国」について変わらないと繰り返す一方で、あいまい戦略を、どんどんあいまいではないようにしています。台湾への軍事支援を公然と行ない、独立をそそのかしている。五月に来日したバイデンは岸田首相との会談で「武器行使」を肯定する発言をしました。(略)そんな発言をすること自体、バイデンは米中関係を損ねているのです。


天木   この現実を変えるには、沖縄に期待するしかないと思うに至りました。(略)このままいけば再び沖縄は捨て石にされる。今度は中国と戦うことを迫られる。これだけは何があっても避けたいはずです。沖縄の人たちは、「ぬちどぅたから(命こそ宝)や万国津梁ばんこくしんりょう」という言葉を琉球王国時代からの沖縄人の魂だと言います。ならば、それを唯一の公約とした「沖縄党」をつくって国政に参加してほしい。


天木   (略)本当に有事になったときは、日本人は皆”反戦”に傾くはずです。そのときに民意を集約できるのは、既存の左翼勢力ではなく「沖縄党」だと、私は思っているのです。


天木氏の発言に対して、木村氏も次のように言っていました。

木村   (略)このまま台湾有事に向えば、今のロシアと同じように、冷静な意見も「お前は親中か!」と排斥が始まるでしょう。それでも沖縄が「二度と戦争の犠牲にならない」と言えば、誰も反論はできない。


ただ、中には、台湾有事になれば自衛隊が戦うだけ、沖縄が犠牲になるのは地政学上仕方ない、自分たちが安全圏にいられるならいくらでも防衛費を増強すればいい、と考えているような日本人も少なからずいます。彼らもまた、”対米従属「愛国」主義”に呪縛され、戦争のリアルから目を背けているという点では、ふざけた「愛国」者と五十歩百歩と言うべきなのです。


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2022.08.08 Mon l 社会・メディア l top ▲
先の参院選で当選したNHK党のガーシーが、8月3日の臨時国会の招集にあたって提出した海外渡航届に対して、参院議院運営委員会理事会は「納得がいく理由がない」として、全会一致で許可しないことを決定したという報道がありました。

この「許可しない」というのは渡航を許可しないという意味だと思いますが、許可するも何もガーシーは選挙前から渡航していて日本にいないのです。しかも、渡航届の帰国日は「未定」になっていたそうです。まったく冗談みたいな話です。

ところが、議院運営委員会理事会の決定に対して、ガーシーは、インスタグラムに下記のような怒りの投稿を行ったのでした。

Instagram
ガーシーチャンネル(東谷義和)
https://www.instagram.com/p/Cgx0SHVPvkA

gaasyy_chアホらし
お前らに参議院議員にしてもらった訳でもないのに偉そーにすな
オレの議員としての存続を決めれるのは、票を入れてくれた支持者だけや
居眠りこいてるジジイやゴルフや飲み過ぎで議会欠席してるジジイ、パパ活不倫してる奴らに言われる筋合いはない
オレの存在が疎ましーのはわかるけどな、
人のことばっかり気にしてると足元すくわれんぞ
『明日は我が身』この言葉、よー噛み締めてオレに攻撃してこい

突けば吹き飛ぶよーなジジイ相手にケンカしたないねん
海外にいてもできることはよーけある。
海外やないとできひんこともよーけある。

日本にいても何もせん、人の粗さがしてる老害ども
ええ加減に身ひいて、次の時代の若者にバトン渡せや

もーお前らが作った時代は完成してん
次の新しい時代をまた築くのに、お前らはただただ邪魔な存在なんや

そのあたりよー理解して、最後の議員生活満喫せーや

リモートでも当選することを立証した、それが次の選挙にどー繋がるか?
お前らにもわかるような未来が訪れるわ

SNSをろくにつかえん奴は当選せーへん時代がもーそこまできとるわ

それはオレを議員辞めさせようが続けさせようが変わらん未来や

ジタバタせんとオレの攻撃を待っとけ、な?
政界に嵐を吹き込んだるから。

当選された皆様
初登院おめでとうございます!
いつかオレが初登院したあかつきには、クラッカー鳴らす用意しとってくださいw

古い時代を踏み台に、新しい時代に足跡つける
オレの好きなミュージシャンの言葉

それを実践したるから、支持してくれたみんな
期待して、歓喜に震え、待っとけよ!!

ほなの!


何だかチンピラの口上みたいですが、コメント欄には、「ほんとそのとおりですね。 許可なんてする必要あります? くだらない議員ばかりのために納税させられてる身にもなれ」「リアルに議会政治のあり方が変わりますよ」「じいちゃんたちは時代の変化についてこれないから、新しい風を怖がってるんだね」というようなコメントが寄せられていました。

冗談みたいな話なのに、みんな本気で怒っているのでした。しかも、老害を打破して新しい政治の夜明けがはじまるみたいなことを言いはじめているのでした。

言うまでもなく、ガーシーのYouTubeは私怨からはじまったのです。いわゆる”BTS詐欺”をネットに暴露され窮地に追い込まれたガーシーに対して、今まで女性をアテンドしたりと親しくつきあってきた芸能人たちがみんなソッポを向いたことに怒り、「死なばもろとも」と彼らのスキャンダルをYouTubeで暴露しはじめたことが発端だったのです。

ところが、「死なばもろとも」どころか国会議員になったため、上の投稿のように、私怨が付け焼刃の”公共性”を纏うようになったのでした。裏カジノで「つまんだ」借金を返済するため、文字通り窮鼠猫を噛むではじめたことが、いつの間にか新しい政治の夜明けの話になったのです。多くの人たちが、呆気に取られたのは当然でしょう。

議院運営委員会の不許可は、除名への布石だという見方もありますが、仮に除名されて国会議員の地位を剥奪されると、取り沙汰されているような詐欺や名誉棄損、業務妨害などの容疑で、警察が表立って動き出す可能性はあるかもしれません。でも、私は、除名までは行かないように思います。というか、そこまで行くべきではないと思います。

公民権の停止を受けてない限り、どんな人間であれ、選挙に立候補する権利はあります。議会制民主主義の建前に従えば、それは最大限尊重されるべきです。どんな人間であっても、どんな考えを持っていてもです。

ガーシーは、法律に則り、287714票を得て参議院議員になったのです。選挙で選ばれた国会議員を簡単に除名などできないでしょう。ガーシーと言えどもそれくらい国会議員の身分は重いのです。

ただ、一部で言われているように、機を見るに敏なところがあるみたいなので、みずから辞職する可能性がないとは言えないでしょう。

でも、声を大にして言いたいのは、問題の所在はガーシーの帰国や除名や逮捕にあるのではないということです。公人になったので「個人的な問題」という言い方は適切ではないと思いますが、ガーシーの帰国や除名や逮捕は二義的な問題にすぎないのです。それより、ガーシーに「清き一票」を投じた有権者を問題にすべきでしょう。それがこの問題を考える上での基本中の基本だと思います。身も蓋もない話と思われるかもしれませんが、その身も蓋もない話が大事なのです。でないと、これからも第二第三のガーシーが(NHK党から?)出て来るでしょう。

呆気に取られるような日本の民主主義の劣化を体現しているのは、国民に「愛国」を説きながら、その裏で、サタンの日本人は「アダムの国」の韓国に奉仕しなければならないと主張する韓国のカルト宗教と密通していたような、胸にブルーリボンのバッチを付けた政治家だけではないのです。ガーシーに「清き一票」を投じた有権者も同じです。

ガーシーを支持するのは、「うだつのあがらない人生を送っている」ガーシーと同世代の中年男性が多いという説がありますが、世の中に対する不満がこのようなかたちで発露されるのはあり得ないことではないように思います。

集合知どころか、むしろ逆に「水は常に低い方に流れる」ネットの習性によって、反知性主義が臆面もなく跋扈するようになる「ネットの時代」を懸念する声は前々からありましたが、今回、それがきわめて具体的に、これでもかと言わんばかりに、私たちの前に突き付けられたとも言えるのです。

それは、NHKの問題も同じです。政治家と旧統一教会の関係にNHKが及び腰であるとして、リベラルな人間たちが、「#もうNHKに金払いたくない」などというハッシュタグを付けて反発しているそうですが、私は「またか」と冷めた目で見ることしかできませんでした。NHKに関しては、受信料の問題だけでなく、政治との関係においても以前から問題視されていました。今にはじまったことではないのです。

そもそもNHKの最高意思決定機関である経営委員会の委員は、国会の同意が必要ではあるものの、放送法の規定によって内閣総理大臣が任命することになっています。ときの政権に忖度するなと言う方が無理でしょう。そんなNHKの体質を問題視して、昔は受信料支払い拒否の市民運動もあったくらいです。

NHKの問題をNHK党の専売特許にさせたのは誰なのかと言いたいのです。今になって「#もうNHKに金払いたくない」などと言うのは、「『負ける』という生暖かいお馴染みの場所でまどろむ」左派リベラルお得意のカマトトなご都合主義だとしか思えません。それに彼らは「払いたくない」と言っているだけで、払わないと言っているわけではないのです。これじゃNHK党にバカにされるのがオチでしょう。

弱みがあるのか、(計算高い)彼なりの計算があるのか、田村淳なども国会議員になったガーシーにすり寄っているみたいですが、そういったことも含めて、ガーシーを持ち上げる民意にこそ問題の本質があるのだということを忘れてはならないのです。

要は、この目の前に突き付けられた「ネットの時代」の”夜郎自大な現実”を、私たちがどう考えるかでしょう。斜に構えて冷笑するだけでいいのか。あるいは、無責任にざまあみろと囃し立てるだけでいいのかということです。これからこういった”野郎自大な現実”が、容赦なく私たちのまわりを覆うようになるのは間違いないのです。
2022.08.05 Fri l ネット l top ▲
岩波文庫 新編山と渓谷


田部重治の「数馬の夜」を読みました。

「数馬の夜」については、山田哲哉氏が「名文」だ、と書いていましたし、ネットでも何度も読み返した、という投稿がありました。私も前から読んでみたい、と思っていましたが、私が持っている山と渓谷社の『山と渓谷  田部重治選集』には何故か収録されていませんでした。それで、「数馬の夜」が収録されている岩波文庫の『新編   山と渓谷』をあらためて買ったのでした。

「数馬の夜」は、文庫本で3ページ半の短いエッセイです。

文章の末尾には、「大正九年四月の山旅」、と記されていました。今から102年前の1920年、田部重治が36歳のときです。

山行について、本文には次のように書かれていました。

昨日は、朝、東京を出て八王子から高原を登りながら、五日市を経て南北秋川の合流点にある本宿もとじゅくの宿屋に平和な一夜を送ったが、今日は私は北秋川の渓流に沿うてその上流の最高峰御前ごぜん山にじてから、更に南秋川の渓谷を分けて此処へ辿たどりついたのである。


「此処」というのは、南秋川の最上流の数馬にある宿です。年譜で調べると山崎屋という旅館に泊まったみたいです。翌日は三頭山の三頭大滝を見てから山梨の上野原に下りて、東京に戻っています。

午後、「深山の静寂がひしひしと胸に迫ってく来る」数馬に着いて宿に荷を解き、山旅を振り返るのですが、それは、秋川の上流にある春の渓谷や山の風景に自分の心情を重ねた、内省的で情緒的なとても印象深い文章になっていました。

田部重治が秋川渓谷を歩いたのは10年以上ぶりで、当然ながら当時と比べて様子は変わっていますが、しかし、「南秋川の渓谷の奥では昔ながらの様子が残っている」、と書いていました。そして、次のように綴るのでした。

道端の落ち着いた水車の響きや昔ながらの建物が平和な山奥の春を語って、一日の滞在が不思議なほど、私の周囲の生活の静まり返っている落着の姿を見せている。あたりの静けさ、渓河の響きは、私の心の奥底に真の自分と融け合っているような気がする。


田部重治は、「私はこの二、三ヶ月間絶えず不安な心持に動いて来た」、と書いていましたが、文章からも懊悩の日々を送っていたことがわかります。そんなとき、ひとりで山に行きたくなる気持は、私も痛いほどわかるのでした。

私たちにとってもなじみの深いパトス(pathos)というギリシャ語は、ロゴス(logos)との対で、感情、あるいは感性という意味に解釈するのが一般的ですが、宮台真司氏は伊藤二朗氏との対談で、パトスはもともと「降ってくるもの」という意味で、「受動態」という意味の「passive」と同じ語源だ、と言っていました。

宮台氏は、パトスは感情が訪れる、という意味だけでなく、山や川など自然があるのもパトスで、パトスという言葉は自然の中では人間は主体ではなく客体であるということを意味しているのだ、と言うのです。

自然が主体で人間は客体である(にすぎない)という考えは、自然保護の根本にも関わってくる話なのですが、私たちが山に行くと、自分が非力で小さな存在に感じたり、(俗な言葉で言えば)「山にいだかれる」ような気持になったりするのも、そこから来ているのかもしれない、と思いました。

伊藤二朗氏は、対談の中で、雲ノ平の溶岩が季節や日や時間によって大きく見えたり小さく見えたりする、と言ってましたが、仮にそれが”妄想”であっても、そういった”妄想”を誘うものが山にあるのはたしかです。「山に魔物が住んでいる」というような言い伝えも同じでしょう。

山に行くと、自分が自分ではないような感覚を抱くことがあります。若い頃によく言っていた、空っぽになるために山に行くというのも、山が空っぽにさせてくれたからでしょう。

(唐突ですが)平岡正明が『ジャズ宣言』の冒頭で掲げた下記のアジテーションはあまりに有名で、若い頃の私も心をうち震わせた人間のひとりですが、平岡正明が言うような激しい「感情」は登山とは無縁ではあるものの、このアジテーションも見方を変えれば、登山に通じるものがあるような気がしてならないのです。

  どんな感情をもつことでも、感情をもつことは、つねに、絶対的に、ただしい。ジャズがわれわれによびさますものは、感情をもつことの猛々しさとすさまじさである。あらゆる感情が正当である。感情は、多様であり、量的に大であればあるほどさらに正当である。感情にとって、これ以下に下劣なものはなく、これ以上に高潔なものはない、という限界はない。


私たちは、電車が来てもないのに駅の階段を駆け下りていくような日常の中で、論理的一貫性とか整合性とか、そんな言葉で切り取られた「現実」に囚われてすぎているのではないか。そうでなければならないという強迫観念に縛られているのではないか、と思います。もっと自由であるべきなのです。

田部重治は、自問自答をくり返したのち、夜のしじまに包まれていく宿で、次のように書きます。

  今日、見て来た自然は何と素朴的なものであったろう。温かき渓谷の春は、静かに喜びの声をあげて、その間を動く人間もただ自然の内に融けている。それは全くそれ自身において一致している。私たちはこれに理想と現実との矛盾を感ずることは出来ない。私は解放されたる動物のように手足を自由に延ばしながら秋川の渓谷を遡って来た。私はただ萌え出ずる自由を心の奥から感じつつ来た。


ここに書かれているものこそパトスであり、これが山に登る、山を歩くことの真髄ではないのか、と思いました。

そして、「数馬の夜」は、次のような感傷的な文章で終わっているのでした。

  もう夜の闇は押し寄せて来た。南秋川の流れは、ただ、闇の中に白く光って、爽やかな響きを立てている。台所の馬子の唄も止んで、あたりが静寂の気に充ち、私の心はしんとして静かな大地に沈んで行くかのように思われる。私は何の為すべき仕事を持ってない。私は、ただ明日、この上流の大きな滝を眺めてから、上野原まで五里の山道を行けばそれでよいのである。

2022.08.02 Tue l 本・文芸 l top ▲
先週、笹尾根に登った帰り、バスに乗っていると、檜原街道沿いの民家の軒先に「産廃施設建設反対」の幟が立っているのが目に入りました。それも幟はいたるところに立っているのでした。

それで帰ってネットで調べると、檜原村の人里(へんぼり)地区に産業廃棄物処理施設の建設計画が持ち上がっていることを知りました。人里も何度も行ったことのある、おなじみの集落だったのでびっくりしました。

計画については、下記のYouTubeで経緯等詳細を知ることができます。

YouTube
SAVE HINOHARA 東京の水源地「檜原村」を大規模産廃焼却場から守れ!〜「顔の見えすぎる民主主義」から日本の未来を考える〜

建設を計画している会社は、既に地元の武蔵村山市で産廃処理施設を運営しているのですが、その処理能力は1日4.8トンだそうです。しかし、檜原村の人里に建設を計画している施設は1日96トンの処理能力なのだとか。武蔵村山の施設が老朽化したからというのが新施設計画の理由のようですが、何と前より20倍の処理能力を持つ施設を造ろうというのです。

今年の3月1日に、廃棄物処理法に基づいて「廃棄物処理施設設置許可」の申請が東京都に提出され受理されています。建設される場所は檜原村なのですが、申請の窓口は東京都で、諸々の手続きを経て最終的に許可するかどうかを決定するのも東京都知事なのです。

申請後、1ヶ月の申請書の告示期間や関係市町村長(この場合は檜原村の村長)の意見聴取や利害関係者の意見書提出の手続きは既に終えており、専門家からの意見聴取(専門家会議)が先週の27日からはじまっています。専門家会議が終われば、あとは欠格事由に該当してないかどうかの審査と許可するかどうかの都知事の最終判断が残っているだけです。

朝日新聞デジタル
「具体性欠く」業者へ指摘続々 檜原村の産廃施設計画で専門家会議

行政手続法と都条例により、申請から180日以内に結論を出すという決まりがあるそうで、今年の10月か11月までには最終的な結論が下されるのではないかと言われています。

檜原村は島嶼部を除いては東京都で唯一の村で、令和4年7月26日現在の人口は2,069人(1,137世帯)です。人口も、島嶼部を除いて東京都でもっとも少ない自治体です。しかも、昭和の大合併や平成の大合併はもちろん、この400年間どことも合併せずに、独自の歩みを続けている稀有な村でもあるのす。

檜原村のサイトには、次のように村が紹介されています。

檜原村
村の概要

檜原村は、東京都の西に位置し、一部を神奈川県と山梨県に接しています。

面積は105.41平方キロメートルとなっており村の周囲を急峻な山嶺に囲まれ総面積の93%が林野で平坦地は少なく、村の大半が秩父多摩甲斐国立公園に含まれており、産廃処理施設の建設予定地も国立公園の中です。

村の中央を標高900m~1,000mの尾根が東西に走っており両側に南北秋川が流れていて、この川沿いに集落が点在している緑豊かな村です。


東西に走っている尾根が笹尾根と浅間尾根です。その間を檜原街道が通っています。そして、その檜原街道に沿って流れているのが北秋川と南秋川です。秋川は多摩川の支流で、檜原村は文字通り「東京の水源地」なのです。

人里(へんぼり)は、檜原街道から北側の山の縁にかけて家が点在するのどかな山里の集落です。浅間尾根の人里峠に至るには、最初に息も上がるような急坂を登らなければならないのですが、その急登に沿って家が建っているのでした。そして、突端の家の横から登山道に入りしばらく進むと、テレビの「ポツンと一軒家」で紹介された家があります。既に無人になっていますが、敷地内は自由に見学でき、庭の奥では400年前から出ているというとても美味しい湧き水を飲むことができました。

そんな集落の一角に、一日の処理能力が96トンという巨大な産廃施設が造られるのです。予定地を地図で見ると、先週笹尾根の笹ヶタワノ峰から下りた道の西側にあたり、笹ヶタワノ峰の隣の笛吹(うずしき)峠から下りて来る道の近くでした。しかも、産廃施設ができると、ツキノワグマも生息するような森を持つ山に囲まれた焼却炉から、産廃を燃やす煙が24時間止むことなく吐き出されるのです。それは、想像するだけでも異様な光景です。それだけではありません。あの檜原街道を一日に70台の産廃を積んだトラックが行き交うようになるそうです。

業者は、2020年の11月に、産廃施設の予定地に隣接する場所に、村の木材産業協同組合などの協力を得てバイオチップ工場を造っているのですが、それは産廃施設を造るための”地ならし”だったのではないかと言われています。「SDGsは『大衆のアヘン』である」と言ったのは斎藤幸平ですが、ここでも「循環型社会」「エコサイクル」「地球(環境)に優しい」という言葉が、自然を収奪する資本の隠れ蓑に使われているのでした。

ダイオキシンをはじめ、水銀やカドミウムや鉛やヒ素など有害物質による周辺の環境への影響も懸念されます。ましてや村のサイトでも謳われているように、檜原村の大部分は秩父多摩甲斐国立公園の中にあり、檜原村は「国立公園の中の村」と言ってもいいくらいです。そんな村に24時間稼働の巨大産廃焼却施設を造るなど、どう考えてもとんでもない話と言わざるを得ません。

YouTubeの中でも、パネラーの宮台真司氏が北アルプスの雲ノ平山荘の小屋主の伊藤二朗氏の話をしていましたが、先の「登山道の整備と登山者の特権意識」という記事で触れたような、日本の国立公園が抱える自然保護の問題が、檜原村の産廃問題にも映し出されているように思えてなりません。また、下記の対談で語られている人と自然の関係というテーマとも無縁ではないように思います。

YouTube
宮台真司×伊藤二朗 -自然と社会を横断する二つの視点から

法律では最終的な決定権は小池百合子都知事にあるので、極端な話、可否は小池都知事の胸三寸みたいなところがあります。そのため、最後は(よりによって)あの小池百合子都知事に、「小池さん、許可しないでください」とお願いするしかないのです。それが今の民主主義のルールなのですが、何か割り切れないものを覚えてなりません。

業者も、人口が2000人で村会議員も9人しかいない小さな村なので、御しやすいと思ったのは間違いないでしょう。宮台真司氏は、過疎地は有力者のネットワークですべてが決まるので、民主主義をコントロールしやすいと言っていましたが、業者はまさにそういった地縁・血縁に縛られた日本の田舎の”弱点”を衝いてきたとも言えます。

しかし、建設予定地区の住民や村の若い後継者や移住者などが中心になり、勉強会を開いたり、ネットを利用して計画のことを村の内外に発信したり、村の歴史上画期的とも言える反対デモを行ったりして、「とんでもないことが進んでいる」「あきらめるのはまだ早い」ということを訴えてきたのです。その結果、村議会における全会一致の反対決議や村民の3人に2人が反対署名するという、村挙げての反対運動に発展したのでした。檜原街道沿いの民家の軒先に掲げられた幟もそのひとつなのでしょう。

そんな反対運動を通して、YouTubeのトークイベントのタイトルにもあるように、誰もが顔見知りであるような小さな村の利を逆に生かした、「顔の見えすぎる民主主義」なる住民自治を模索する試みもはじまっています。小さな村の人々が思考停止を拒否しているのです。

檜原村の問題は、檜原村に通うハイカーにとっても、自然保護を考える人たちにとっても、日本の国立公園のあり方を考える上でも、見て見ぬふりのできない問題だと言えるでしょう。


関連サイト:
Change.org※ネット署名
東京都の水源地「檜原村」に、産業廃棄物焼却場を建設しないでください!
Twitter
檜原村に産廃焼却場を建設しないでください
facebook
檜原村の産廃施設に反対する連絡協議会


※サムネイル画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

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人里バス停

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登山口

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テレビの「ポツンと一軒家」で紹介された民家

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400年前から出ているという湧き水

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浅間嶺展望台

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「払沢の滝入口」バス停

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払沢の滝
2022.08.01 Mon l 社会・メディア l top ▲
ハーシス(新型コロナウイルス感染者等情報把握・管理支援システム)の不具合の影響なのかどうか知りませんが、28日、東京都の新規感染者数が4万人を越えました。一方で、5万人越えも想定されているという声さえあります。

ちなみに、東京都の専用サイトを見ると、28日現在、入院中の感染者は30,794人、ホテルなどの宿泊療養が6,323人、自宅療養が178,862人、さらに入院・療養調整中が70,884人いるそうです。

東京都の病床使用率は50.5%で「まだ余裕がある」はずですが、にもかかわらず70.884人が入院・療養調整中というのはどう考えればいいのか。保健所のコントロールが機能してないのか。あるいは病院側に問題があるのか。いづれにしても、とても正常な状態とは思えません。

奈良で行われた全国知事会で、平井伸治会長(鳥取県知事)は、冒頭「私たちは今、未曽有の危機にあります」と挨拶したそうですが、しかし、そのあと「新型コロナを抑え、経済も回さなければなりません」と述べたそうです。「そういった難しいかじ取りが使命となっている」のだと。

でも、それは、「難しいかじ取り」ではなく「二兎を追う者は一兎をも得ず」で、最初から無理な相談ではないのかと思いました。

できないことでも、みんなでやればできるみたいな精神論は日本人の得意とするものですが、今回の新型コロナウイルスにおいても、そうやって最後は没論理の精神論に行き着いてしまう「日本の思想」の哀しさを感じました。

スーパー近代と前近代が切れまなく連続しているのが「日本の思想」の特徴だと言ったのは丸山眞男ですが、新型コロナウイルスでもそれが見事なほど露わになっているように思います。

朝のワイドショーで、コロナに感染したコメンテーターがみずからの体験談を話していましたが、その際、「感染したことで経済を止めたのもたしかで」とわけのわからないことを言っていました。要するに、感染して仕事を休んだことで、「経済を止めた」結果になり申し訳ないと言いたかったようです。

何だかひとりで国家を背負っているような発言ですが、そこにも日本人特有のメンタリティがあるように思えてなりません。でも、それは間違っても思考ではありません。ただ神のご託宣を伏して待つようなメンタリティがあるだけです。だから、いとも簡単に自我の中に国家が入って来るのでしょう。

政府が「経済を止めることはできない」と言えば、識者たちも国民も、さらには公衆衛生学や感染学の立場から感染防止策を進言し啓蒙していたその道の専門家たちも、途端に思考停止に陥って、オウム返しのように同じ台詞を口にしはじめるのでした。「悩ましい問題ですね」と他人事のように言うのですが、悩ましくしているのは自分自身だということがわかってないのです。

たとえば、朝日に載っていた下記のような記事にも、日本人特有の寄らば大樹の陰のメンタリティが示されているように思いました。

朝日新聞デジタル
マスクなし、声出しありの欧州の応援 日本「ガラパゴス化」のなぜ

スポーツライターの増島みどり氏は、マスクを付けて大声も出さずに応援する日本のサッカーの観戦スタイルに、「違和感」を覚えたそうです。「ガラパゴス化」した光景に見えたと言うのでした。

もっとも、それは「海外と比べて」そう見えたという話にすぎないのです。そこにあるのも思考停止です。どうして海外をお手本にしなければならないのかという留保さえ存在しないのです。その手の言説は、私たちのまわりにうんざりするほどあります。

私は、花粉症ということもあり、コロナ禍の前から真夏を除いて1年の3分2以上マスクをしているような”マスク人間”ですが、そんな人間から言わせてもらえば、マスクを外さずに感染防止に努める日本人の潔癖な習性は、むしろ”日本的美徳”と言ってもいいはずです。それがどうして同調を求める日本社会の象徴みたいに言われ、否定的な意味合いで語られなければならないのか。

今回の第7次感染拡大がはじまる前、感染が落ち着いたのでもう終息に向かっていると早とちりしたのか、いつまでもマスクを外さない日本人をヤユするような文章が新聞などメディアに飛び交い、上記の記事のように、マスクを外すことが日常を取り戻すことであるかのようなもの言いが多く見られました。

たとえば、下記のようなキャッチーな記事のタイトルにも、そんな”含意”が顔をのぞかせているように思いました。

朝日新聞デジタル
マスク外す?外さない? 自分で決められない日本社会の空気感

今回の感染拡大では、あらためてエアロゾル感染を防ぐ重要性が指摘されていますが、メディアや識者はつい昨日まで、いつまでマスクをしているんだ、海外を見習え、とマスクを外さない日本人を恫喝していたのです。

海外がそうだからというだけで、それが”いいこと”なのかどうかという検証はないのです。先日のテレビで、フランス人は政府が強制すると、反発しながら一応マスクを装着するけど、強制が解除されるとほとんどの人はマスクを外すという話をしていましたが、新型コロナウイルスの感染防止にとって、それが”いいこと”がどうかが大事なのです。フランス人がマスクを外したので日本人もマスクを外すべきだという話にはならないでしょう。それこそ日本人が好きなエビデンス(!)の問題でしょう。

丸山眞男は、『日本の思想』の中で、「思想評価の際にも、西洋コンプレックスと進歩コンプレックスとは不可分に結びつき、思想相互の優劣が、日本の地盤で現実にもつ意味という観点よりは、しばしば西洋史の上でそれらの思想が生起した・・・・時代の先後によって定められる」と書いていましたが、私は、ただの思考停止の産物でしかない夜郎自大な「マスク論」を目にするたびに、このような丸山のシニカルな言葉を思い出さざるを得ませんでした。

そんな中、「未曾有の」感染拡大を前にして、新型コロナウイルスを感染症法上の「2種相当」から季節性インフルエンザと同じ「5類」に引き下げるべきだ、という声が日ごとに大きくなっています。

「5種」になれば、診察した病院が、感染者の詳細な情報を保健所に届け出る義務(全数把握)がなくなります。代わりに都道府県が指定した指定医療機関が、患者の発生状況を一定の期間ごとに報告するだけです(定点把握)。医療機関や保健所の業務の負担が減るというのは、そのとおりでしょう。

しかし、その代わり、今のようなリアルタイムの新規感染者数のカウントがなくなるのです。もちろん、濃厚接触者という扱いもなくなります。新型コロナウイルスが可視化されなくなるのです。

「5種」に引き下げられると、今までの発熱外来に限られた窓口が一般の病院にまで広がりますので、症状があるのに病院から断られて診察してもらえない「受診難民」が減るのは間違いなく、それもたしかにメリットです。でも、濃厚接触者の追跡がなくなるのは、今後に大きな禍根を残すような気がしてなりません。

濃厚接触者の追跡がなくなれば、当然、今以上に感染は広がります。しかし、どのくらい感染が広がっているのかはわかりません。感染症なのですから、無症状や軽症の人たちも他人に感染させる可能性は当然あります。にもかかわらず彼らは市中に放置されるのです。

また、「5類」引き下げには、別の政治的背景があることも忘れてはなりません。今回の感染拡大では、行動制限をしてないにもかかわらず、感染拡大で休む人間が多くなり、社会インフラや企業活動に支障が出てしまいました。これでは元の木阿弥です。「休む理由をなくせ」「休ませないようにしろ」という資本の要請があったことは想像に難くありません。

一方、メディアも、ほとんど異論をはさむことなく、むしろ逆に、「5種」引き下げの世論を煽っている感さえあります。既に一部の新聞には、今回の第7次の感染が収まったら、「5種」に引き下げになる方向だという記事も出ています。

”日本的美徳”と言えば、弱肉強食の欧米式「社会実験」ではなく、重症化リスクの高い高齢者に対する”配慮”を一義に考える敬老精神もそう言えるでしょう。「5種」に引き下げになれば、高齢者に対する”配慮”もなくなり、「経済をまわす」ためにはある程度の犠牲はやむを得ないという、無慈悲な経済合理主義が大手を振ってまかり通るようになるのです。

資本にとって、眼中にあるのは労働力として使える(再生産できる)健康な現役世代の人間だけです。労働力として使えない高齢者なんて知ったことじゃないのです。ネットでよく高齢者はコストばかりかかる社会のお荷物みたいな言い方がされますが、それは思考停止したネット民が資本の論理を受け売りしているだけです。古市憲寿や落合陽一なども同じようなことを言ってますが、彼らも資本の論理を代弁しているだけです。「資本家の犬」は岸田首相だけではないのです。

もちろん、新型コロナウイルスは終息する目処が立ったわけではありません。いつ終わるか誰にもわからないのです。今後、免疫をすりぬける新種が出て来る可能性もあると言われています。感染が一旦収まっても、それは次の感染拡大までの”準備期間”にすぎないのです。

それに、いくら弱毒化したからと言って、みんながみな無症状や軽症だとは限らないのです。自分が無症状や軽症で済むという保障もないのです。上の東京都のデータを見てもわかるとおり、「風邪みたいなもの」と言われながら、感染して入院中の人、ホテルなどで宿泊療養している人、入院・療養調整中の人を合わせると、10万人以上の人たちが入院・加療を必要としているのです。

「5類」引き下げ、あるいは「5類」並み緩和の方針に対して、医療現場も専門家も与野党の政治家も識者もメディアも国民も、明確に反対する声はほとんどありません。私のような考えの人間は、「不安神経症」などと言われるほど圧倒的に少数です。

一応医療費の公費負担は維持されるようですが、「5種」引き下げになれば、行政レベルの感染対策はほとんどなくなるに等しいのです。もう補償金や支援金を払うことはないぞ、休む理由もなくなったぞ、あとはお前たちの責任でコロナ禍を乗り越えろ、と言われているようなものです。でも、みんな歓迎しているのです。いつの間にかパンデミックという言葉も使われなくなりましたが、「5類」引き下げになれば、パンデミックが終わったかのような空気が益々広がっていくことでしょう。

感染して自宅療養している知人がいるのですが、その知人のもとに、政府が「5類」に引き下げてくれればこんなに騒がれなくてもよくなるのにね、と職場の同僚から慰めのメールが届いたそうです。コロナ疲れもあるのかもしれませんが、なんだか面倒くさいものから解放されたい、という気持の方が先に立っているような気がしないでもありません。新型コロナウイルスはイメージではないのですから、私たちの見方や捉え方が変わったからと言って、ウイルスの性質が変わるわけではないのです。これからも(当分は)新型コロナウイルスに翻弄される日々は続くのです。今の感染状況を見ると、集団免疫というのも随分怪しい話になってきました。なのに、こんな安易な気分に流されてホントにいいんだろうか、と「不安神経症」の私は思うのでした。
2022.07.29 Fri l 新型コロナウイルス l top ▲
オミクロン株「BA.5」の感染は拡大する一方です。WHO(世界保健機関)の最新レポートによれば、先週1週間の日本の新規感染者は96万9068人で世界で最多だったそうです。また、昨日(7/27)の国内での新規感染者も20万人を越えた、というニュースもありました。

それでも政府は行動制限を行わない姿勢を崩していません。政府がやったことは、抗原検査キットを医療機関に配ったくらいです。

NHKが発表している病床使用率は、7月20日時点で全国平均が37%、酸素吸入などが必要な重症病床の使用率は19%です。政府の無作為は、こういった数字を根拠にしているのかもしれません。

しかし、この数字は、毎週木曜日に1週間分を集計して翌日の金曜日に発表したものです。つまり、あくまで1週間前の20日時点の数字にすぎないのです。20日以後この1週間で、東京都の新規感染者数は3万人を越すなど、ほとんどの自治体で新規感染者数が「過去最高」を更新しているのです。明日(7/29)発表される最新データが、これよりはるかに高い数値を叩き出すのは火を見るよりあきらかでしょう。

実際に昨日(27日)のデータでは、大阪府の病床使用率が52.0%です。東京都も50.5%、沖縄に至っては87.8%(重症病床使用率43.5%)です。

一方、厚労省が発表した7月20日現在の自宅療養者は全国で61万2023人にものぼっているそうです。何度もくり返しますが、これも20日時点の話なので、この1週間でさらに増えていることは安易に想像できます。

病院の外来が一日に診察するキャパを超え診察を断っている、というニュースが連日伝えられています。そのため、発症しても病院で診察を受けることができないのです。でも、病床使用率は「まだ余裕がある」というのです。これもおかしな話と言えるでしょう。

現在は感染しても、病院どころかホテル療養も難しいと言われています。専門的な診断を受けることもなく、保健所との電話のやり取りで「軽症」と判断され、自宅療養を余儀なくされるのです。しかも、保健所の受付もキャパを越えたため、電話ではなくFAXに切り替えたなどという話さえあります。

感染した人の中には、「軽症」と言われても症状が想像以上にきつく、2~3日食事もできず重症化するのではないかという不安に襲われたと話す人も多いのです。

もちろん、医療従事者も感染の蔓延と無縁ではありません。感染したり濃厚接触者になったりして休まざるを得ないケースも多いのです。先の病床使用率が低い”矛盾”も、人員の配置ができずベットを使いたくても使えないケースも多いのではないかと思います。

すると、政府は、科学的知見を無視して、濃厚接触者の待機機関を従来の7日から原則5日(最短3日)に短縮すると方針転換したのでした。要するに、「早く職場に出て来い」ということです。泥縄式とはこのことでしょう。でも、日本医師会が会見を開いて注意を喚起したように、7日間は他人を感染させる可能性があるのです。これでは、政府みずから感染を拡大させる要因を作っているようなものでしょう。

医療が逼迫した状況がある一方で、夏休みに入った街には人々が繰り出し、繁華街は感染拡大がウソのように人でごった返しているのでした。その別世界のような光景にも驚かざるを得ません。それは、文字通り「水は低い方に流れる」光景と言うべきでしょう。彼らは、政治の無作為を口実に、「自分だけは大丈夫」「所詮は風邪と同じ」と言い聞かせて、楽な方、欲望の赴く方に身を預けるだけで、それ以上のことは考えることができないのでしょう。政治の方も、旧統一教会との関係を黒塗りしたり、見せしめのために死刑を執行することには熱心ですが、肝心な感染拡大に対しては、「経済をまわすため」というお題目を唱えてサボタージュするだけなのです。どっちもどっちという気がしてなりません。

しかし、感染者や濃厚接触者が集中して発生したため、郵便局の窓口が閉鎖されたとか電車やバスが運休されたとかいう話も出ています。皮肉なことに、政府の無作為によって社会インフラがみずから崩壊しつつあるのです。

夜の飲み屋街でも、人出が減り飲食店が再び苦境に立たされているという話も出ています。感染の拡大を怖れ、外での飲食を控える人が多くなっているからです。政府は感染源は飲食ではなく家庭が多いと言うのですが、実際に感染した人の話を聞いても、飲食が原因だったという人も多いのです。

この季節でこれほど感染が拡大しているのですから、秋冬になったらどうなるのだろうと考えてしまいます。今の「BA.5」に比べて3倍も感染力が強いと言われる新しい変異株「BA.2.75」の市中感染も、既に東京や大阪などで確認されています。第8波の感染爆発も当然のように予定(予想ではなく予定)されているのです。それが、秋冬にずれ込んだらと考えると戦慄さえ覚えます。

もちろん、「BA.2.75」は最終型ではありません。重症化率が低くなり「弱毒化」されたからと言って、新型コロナウイルスが終わりに近づいたという保障はどこにもないのです。次々と登場する変異株の中には、免疫をすり抜ける新種も含まれているという話もあるくらいです。

新型コロナウイルスとの戦いがはじまってまだ3年も経ってないのです。いつ終わるのか、誰もわからないのです。

にもかかわらず、政府が根拠のない”楽観論”を振り撒き、「経済をまわす」ことを優先する背景には、深刻度を増す世界経済の状況も無関係ではないように思います。

アメリカのFRBが2ヶ月続けて利上げを行なったのも、資本主義世界の危機の表われだとしか思えません。それくらいインフレが深刻なのでしょう。アメリカは、インフレ(物価高)と不況の股裂き状態にあり、その泥沼(=スタグフレーション)から抜け出す手立てもなく苦境に喘いでいるのです。それが属国・日本に及ぼす影響は想像を絶するものがあるでしょう。

感染対策を二の次にして「経済をまわす」という日本政府のかたくなな方針も、換言すれば、感染対策を二の次にせざるを得ないということなのかもしれません。ウイズコロナなんて呑気な話ではないのかもしれないのです。
2022.07.28 Thu l 新型コロナウイルス l top ▲
今日、2008年の「秋葉原事件」の実行犯で、死刑が確定していた加藤智大死刑囚に刑が執行されたというニュースがありました。事件から14年。加藤智大死刑囚は39歳だったそうです。

穿ちすぎと言われるかもしれませんが、どうして今のタイミングなんだ?と思いました。「模倣犯に対する抑止効果」「みせしめ」。そんな言葉が浮かびました。宮台真司風に言えば、「呼んでも応えない国家」からの警告なのか、と思ったりしました。

加藤智大死刑囚は、青森県下トップレベルの進学校である青森高校を卒業しています。しかし、犯行時は派遣工として各地を転々とする生活をしていました。安倍元首相銃撃事件の山上徹也容疑者も、奈良県下でも有数の進学校を卒業しています。でも、犯行時は派遣社員として務めた工場を辞めて無職でした。年齢もほぼ同じのいわゆるロスジェネ世代です。驚くほどよく似ています。しかし、ふたりが胸の内に持っていた言葉はまったく違うように思いました。

「秋葉原事件」について、私は、このブログでは事件直後と事件から10年目の2回記事を書いています。事件直後の記事で、事件を聞いて憂鬱でやり切れない気分が続いていると書きましたが、今日、死刑執行のニュースを聞いたときも同じような気分になりました。

僭越ですが、とり急ぎ事件直後の記事を再掲させてもらいます。

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秋葉原事件 2008.06.20

秋葉原の無差別殺傷事件以来、憂鬱でやり切れない気分がつづいています。山田昌弘氏の『希望格差社会』(ちくま文庫)には”「負け組」の絶望感が日本を引き裂く”という副題が付けられていますが、秋葉原事件はまさにそれが現実のものとなった気がします。私も事件の報を聞いたとき、雨宮処凛氏がマガジン9条のブログに書いていたのと同じように「とうとう起きてしまったか」と思いました。

埼玉に住んでいたとき、たまたま近所の工場で派遣社員として働く若者と知り合い、話を聞いたことがありますが、誤解を怖れずに言えば、派遣会社が借り上げたワンルームマンションに住んでいるという点も含めて、秋葉原事件の犯人とあまりにも似通った部分が多く、あらためて愕然とせざるを得ませんでした。今や年収200万円以下の労働者が1000万人もいるというような現実の中で、程度の差こそあれ、絶望感に打ちひしがれ閉塞した日々を送っている彼らのような若者達は日本中の至るところにいると言っても過言ではないのでしょう。

派遣社員の彼はさかんに「あいつら」という言い方をしていました。「あいつら」とは誰なのかと言えば、正社員のことなのです。そんな二重あるいは三重とも言われる差別構造の中で、秋葉原事件の犯人は、始業前に自分の作業服(つなぎ)が見つからなかったことがきっかけで「この会社はなめている」とその鬱屈した感情を爆発させたのですが、恐らく似たような環境にある彼も「その気持はわかる」と言うに違いありません。

犯人と同じ青森県出身で、30年近く前、季節工として半年間トヨタの自動車工場に勤務した体験をもとに書かれたルポルタージュ『自動車絶望工場』(講談社文庫)の著者の鎌田慧氏は、今回の事件に関する新聞のコメントの中で、「派遣は(当時の)季節工よりも労働条件が劣悪だ」と言ってました。30年前より現在の派遣工(派遣社員)の方が劣悪な条件におかれているというのは信じがたい話ですが、しかし、考えてみれば、本工→期間工(季節工)→派遣工というヒエラルキー(三重構造)の中で、派遣工は会社にとって直接雇用のリスクがない分、雇用の調整弁として安易に「使い捨てられる」運命にあるのは当然かもしれません。

そんな中で、戦前のプロレタリア文学の代表作である小林多喜二の『蟹工船』が多くの若者達に読まれベストセラーになっているという現象もあります。最初、この話を聞いたとき、正直言って、どうして今、『蟹工船』なんだ?と思いました。古典的な窮乏化論などとっくに終ったと思われていたこの時代に、『蟹工船』と重なるような搾取や貧困がホントに存在するのだろうかと俄かに信じられない気持でした。

吉本隆明は、『文芸春秋』7月号で、『蟹工船』ブームについて、『蟹工船』を読む若者達は、貧困だけがつらいのではなく、彼らが感じている重苦しさはもっと別のものかもしれないと言ってました。

ネットや携帯を使っていくらコミュニケーションをとったって、本物の言葉をつかまえたという実感が持てないんじゃないか。若い詩人や作家の作品を読んでも、それを感じます。その苦しさが、彼らを『蟹工船』に向かわせたのかもしれません。
 僕は言葉の本質について、こう考えます。言葉はコミュニケーションの手段や機能ではない。それは枝葉の問題であって、根幹は沈黙だよ、と。
 沈黙とは、内心の言葉を主体とし、自己が自己と問答することです。自分が心の中で自分の言葉を発し、問いかけることが、まず根底にあるんです。
 友人同士でひっきりなしにメールで、いつまでも他愛ないおしゃべりを続けていても、言葉の根も幹も育ちません。それは貧しい木の先についた、貧しい葉っぱのようなものなのです。
(「蟹工船」と新貧困社会)


この記事は秋葉原事件の前に書かれていますが、なんだか秋葉原事件の犯人に向けて言っているようにも受け取れます。秋葉原事件の犯人も、とりわけネットに依存し、ネットに翻弄されたことが大きいように思います。彼のネットの書き込みを読むにつけ、大方の書き込みと同じように、あまりにもものの考え方が短絡的で想像力が貧困なのにはびっくりします。恐らくそれは自分の言葉を持ってない、つまり、ホントに自分と向き合い胸を掻きむしるように苦悩したことがないからでしょう。

しかし、それでも私は、今回の事件を個人の問題に還元するのは、やはり、問題を矮小化することになるような気がしてならないのです。たしかに、本人や家庭に問題があったかもしれません。でも、20才そこそこの若者にしては、親に頼らず派遣会社に登録して、ひとりで知らない土地に行き、1年なり2年なり工場で働いて生活の糧を得ていたというのは、むしろ「がんばっていた」と言えるのではないでしょうか。それをマスコミのように、「実家とは疎遠」「派遣会社を転々とした生活」などというのはあまりにも底意地が悪く冷たい気がします。要は、「偉いじゃないか」「がんばっているじゃないか」と言ってくれる人がいなかったことが彼の悲劇だったように思います。だからこそ、派遣の問題やその背景にあるグローバリズムの問題も含めて、社会的に未熟な25才の若者をそこまで追い込んだこの社会のしくみや風潮こそもっときびしく問われて然るべきではないかと思うのです。


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2022.07.26 Tue l 社会・メディア l top ▲
昨日(7/25)の朝日に、北アルプスにおいて、4月から行われている「登山道整備の協力金を求める実証実験、『北アルプストレイルプログラム』」の記事が出ていました。

朝日新聞ジタル
北アルプスで登山道がピンチ 整備の協力金一口500円を呼びかけ

記事を書いたのは、”山岳記者”として知られる近藤幸夫氏です。実験は昨年に続いて2回目だそうです。

通常、登山道の整備は山小屋のスタッフを中心にしたボランティアの手で行われています。しかも、人員だけでなく費用の一部も山小屋が負担しているのです。

ところが、近年、山小屋の経営がきびしくなったことで、登山道の維持管理にも支障が出はじめているそうです。それで、関係する団体や有志で協議会を立ち上げて、登山者に1口500円の「任意の協力金」を求める試みがはじまったのでした。

 安全登山を支える登山道の整備は山小屋を中心にした関係者の努力で整備されてきました。しかし、自然災害による登山道の被害に加え、新型コロナ禍で山小屋の経営が厳しくなり、これまでの枠組みでは登山道を守ることが難しくなっています。この実態を登山者に知ってもらい、新たな制度を発足させる狙いがあります。


しかし、それでも費用を賄うことはできてないのだとか。

 2021年度の同協議会の決算書によると、約1600万円の歳入に対し、歳出は約2500万円でした。差額の約900万円は、山小屋の収益から持ち出すことで補われました。しかし、コロナ禍で、各山小屋とも経済的な余裕がなくなっています。


私たちが登る山の多くは、国立公園や国定公園(あるいは県立公園)の中にあります。しかし、国立公園の中で国が所有するのは6割にすぎず、あとは民有地なのです。

よく知られた話では、尾瀬の40%は東京電力が所有し、間ノ岳・塩見岳・悪沢岳・赤石岳・聖岳・光岳など、3000メートル級の山がひしめく南アルプスの山域は、特種東海製紙が所有しています。余談ですが、私はポストカードやポスターを輸入する会社に勤めていた頃、オリジナルのポストカードを作るのに、当時は特種製紙と呼ばれていた静岡の同社に何度か足を運んだことがありました。

このブログでも触れたことがありますが、以前『週刊ダイヤモンド』(2019年10月5日号)でも「日本の山が危ない 登山の経済学」という特集が組まれ、その中で登山道の問題が取り上げられていました

記事を担当した鈴木洋子記者も、次のように書いていました。

(略)登山道整備の多くは日常の整備を担当する山小屋が担う。どの登山道をどの山小屋が分担するかは、山小屋間の申し合わせで決まる。
  だが、経営が安定している山小屋とそうではない山小屋では、登山道整備に費やせる金銭・人的リソースが全く異なる。実際は山小屋の費用持ち出しが発生するからだ。登山道の安全は近隣の山小屋の経営状況で決まるのが現実だ。
   国立公園は『美しい景観を国民が楽しむことを目的として、国が管理する自然公園』と定義されている。だが、山の環境や登山道の正確な状況について全容を把握し管理計画を立てている機関は、国にも地方自治体にも存在しない。


下記は、『週刊ダイヤモンド』の特集に添付されていた、日本とアメリカとイギリスの国立公園のデータを比較した図です。これを見ると、記事でも指摘されていましたが、日本の国立公園は「ヒト」「カネ」のリソースが足りてないことがよくわかります。

週刊ダイヤモンド国立公園
(『週刊ダイヤモンド』(2019年10月5日号より)

アメリカやイギリスの国立公園では、投資対効果や地域への経済効果なども細かに検証されているそうです。もちろん、当然のように入山料も徴収しています。しかし、「日本では国立公園の経済効果の試算は存在しない。そもそも行政が積極的に国立公園を運用する計画自体がない」のです。

そのため、日本とアメリカ・イギリスとでは、国立公園の”あり様”が大きく異なっています。簡単に言えば、日本の場合、門戸が開放されてない、誰でも行ける国立公園ではないのです。とりわけ、北アルプスや南アルプスなどは、上高地など麓の施設を除くと、国立公園と言っても、近づくことすらできません。ただ、遠くから山を眺めるだけです。しかも、その山は、上級者レベルの登山者だけが登ることができる”特別な場所”のようになっています。

私は、谷川岳の天神平や北横岳の坪庭や新穂高ロープウエイの展望台に、家族に手を引かれた高齢者や車椅子に乗った身障者が来ているのを見たとき、「ああいいなあ」と感動さえ覚えました。年を取っても、身体が不自由になっても、山に来たい(登りたい)という気持はあるのです。そう考えたとき、山は誰のものなのかと思わざるを得ませんでした。一部の特殊な登山者のものではないはずです。ましてや、「勝者」や「強者」のものではないのです。

国立公園であるなら、子どもでも高齢者でも身障者でも誰でも、自然に触れ合えるような場所であるべきでしょう。もちろん、それは無節操に開発するという意味ではありません。手始めにまず、アメリカやイギリスのように、「山岳レンジャー」や山岳ガイドが常駐する体制くらいは整えるべきしょう。

とは言え、前例主義と事なかれ主義に呪縛された行政にそうそう期待できるはずもなく、とりあえず現状の中で次善の策を考えるしかないのです。「北アルプストレイルプログラム」もそのひとつと言えるのです。

あまり整備されると登るのがつまらなくなる。最低限の整備にとどめるべきだ。危険と背中合わせなところが登山の魅力だ。一部の「軽業師」か「消防夫」(田部重治)のような登山者に、そういった高慢ちきな特権意識が存在するのは事実でしょう。

また、北アルプスなどはブランド化され、「登山者のあこがれ」「聖地」みたいに祭り上げられている現実もあります。登山雑誌でも登山シーズンになると、北アルプスの特集が組まれるのが定番です。そんなミーハーな意識で訪れている登山者も多いのです。

山小屋を運営する自治体もあるので、自治体の支援に濃淡があるのは当然ですが、中央の行政機関の担当者の中には、登山道の整備に税金が投入しづらいのは、現状ではまだ世論が充分納得しているとは言い難いからだという声もあるそうです(と言いながら、皇族が登るときは惜しみなく税金を使って整備しているのですが)。

遭難事故が発生するとさも迷惑みたいに叩かれるのも、警察やメディアに誘導された無知と悪意による予断が大きいのですが、一部にはそういった登山者の特権意識に対する反発もなくはないように思います。

山を「征服」するヨーロッパ由来のアルピニズム思想を無定見に信奉しながら、一方で自然保護を唱える矛盾も同じです。私の知人で登山愛好家を「偽善者」「似非ナチュラリスト」と痛罵する人間がいますが、まったく的外れとは言えないのです。

前から言っているように、私も登山における利用者負担は当然と思っています。また、行政の支援に頼るだけでなく、上記のような”協議会方式”で利用者負担の仕組みを作るのも、ひとつの方法だと思います。実際に北アルプスだけでなく、全国の山域でも同じような試みが既にはじまっているそうです。

考えてみれば、魚釣りに行くのも入魚料を徴収されるのです。私が子どもの頃、九州の山奥の渓谷みたいところで魚を釣るのでも、途中にある煙草屋で入漁料を払っていました。山に登る際も、入山料を払うのが当たり前のようになるべきでしょう。記事にも書いているように、登山者の間でも、利用者負担(入山料の徴収)に対する理解は広がっているのです。というか、むしろ登山者自身が率先して声を上げるべきでしょう。

入山料が当たり前になれば、登山道の整備費用が賄えるだけでなく、登山者の抑制にもつながるので、丹沢などに象徴されるようなオーバーユースの問題が解消されるメリットもあるのです。国立公園のあり方を考えるきっかけにもなるでしょう。

北アルプスのようなブランドの山なら、子どものお誕生日会のプレゼント代みたいなケチな金額ではなく、1万円でも2万円でも入山料を徴収すればいいのではないか。「あこがれの」ブランドの山なのだから、それくらい払ってもバチが当たらないだろう。そんな皮肉さえ言いたくなるのでした。
2022.07.26 Tue l 山行 l top ▲
新型コロナウイルスの新規感染者数が23日、初めて20万人を超え、4日連続での過去最多を更新しました。東京都は23日が3万2698人で、3日連続での3万人超えになりました。

政府は、急遽、4回目のワクチン接種を医療従事者や介護施設の職員などに拡大する方針を決定しましたが、同時に、現時点では「まん延防止等重点措置」などの新たな行動制限は行わない考えをあらためて表明しました。

そんな中、軽井沢で開かれている経団連の夏セミナーを訪れた岸田首相は、その席で、「『日本は、これまで6回の感染の波を乗り越えてきた。全体として対応力は強化されている。政府としては現時点で新たな行動制限を考えてはいないが、医療体制を維持・強化しメリハリのきいた感染対策を行ないながら、社会経済活動の回復に向けた取り組みを段階的に進めていく方針だ』と強調した」(FNNニュースより)そうです。

一方で、政府は、濃厚接触者の待機期間を現在の原則7日間から5日間に短縮するなど方針転換を発表したのでした。行動制限や時短営業についても、「感染者が減らせるエビデンスがない」「感染拡大の原因は飲食店ではなく家庭だ」と今までとは180度違うことを言い出しているのでした。政府は、オミクロン株は感染力が強いけど重症化リスクが低く、弱毒化していると言っていますが、オミクロンはそんな根本的な転換を伴うほど違うのだろうか、と首をひねりたくなります。

現在の感染拡大はBA.5という亜種によるものですが、でも、オミクロン株にも次々と新種が発見されています。既にBA.5に比べて3倍もそれ以上も感染力が強いと言われる、新しい変異株のBA.2.75が市中で発見されたという話もあります。そんなに能天気に構えていていいのかと思わざるを得ません。

先日、ワイドショーの某電波芸者コメンテーターが、「国民はもうこれ以上できないというくらい感染防止をしっかり行ってきました」、それでも感染を防げないのならウィズコロナに向けてウイルスと共存する方法を考えた方がいいのではないか、というようなことを言っていました。

しかし、身近を見てもわかるとおり、「国民はこれ以上できないくらいしっかり感染防止を行っている」わけではありません。政府の180度転換した楽観論をこれ幸いに、国民の感染防止もかなり緩んでいるのは事実です。夏は外ではマスクを外しましょう。でも、2メートル以内に接近したらマスクを付けましょうと呼びかけていますが、そんな面倒なことをしている人なんていません。マスクを外した人も目立って多くなりました。手の消毒をスルーする人も多くなりましたし、電車内でのあたり憚らないお喋りも復活しています。何より夜の繁華街や行楽地を見れば、その緩みは一目瞭然でしょう。

場当たり的なワクチン接種の拡大を見てもわかるとおり、結局のところ、政府に成す術がないということではないのか。行動制限も、行わないのではなくできないのではないのか。もはや日本の経済にそんな余裕がないというのが本音ではないのか、と思ってしまいます。

それを言い訳のようにアナウンスするので、国民もオミクロンは風邪と同じみたいな受け止め方をして、感染対策がいっきに緩みはじめたように思います。いつの間にか日本全体が反コロナの陰謀論に宗旨変えしたみたいになっているのです。

既にいろんなところで言われていますが、先進国において日本だけがこの30年間成長が止まったままです(給与も上がってない)。そのため、いつの間にか韓国や中国の後塵を拝するまでになっているのです。過去の”遺産”があるので何とか先進国のふりをしていますが、年を経るごとに貧しくなり没落しているのは誰の目にもあきらかです。ゼロ金利政策を取り続けているのも日本だけです。日本だけが泥沼から抜け出せない状態になっているのです。それはあきらかにアベノミクスなど政策ミスによるものです。

中国のような強権的なゼロコロナ政策も問題かもしれませんが、ああやって経済を止めて強力な感染対策を講じることができるのも、中国に経済的な余裕があるからでしょう。

しかも、あろうことか、政府の分化会などでは、現在の感染症法上の「2類相当」の扱いからインフルエンザ並みに緩和すべきだという声も出ているようです。これだけの感染爆発を前にして、「2類相当」の厳格な要件を適用すると、社会経済活動に再び支障が出てくるからでしょう。すべては本末転倒した社会経済活動ありきの発想なのです。

「だが重症化率が低いといっても、季節性インフルエンザに比べればまだ高い水準にある。厚生労働省の資料によると、60歳以上の重症化率はオミクロン株2・49%に対し、インフルは0・79%。致死率もオミクロン1・99%、インフル0・55%でなお開きがある」(JNNニュースより)という指摘があることも忘れてならないのです。

先日、バイデン政権の首席医療顧問を務めるアンソニー・ファウチ博士が、バイデン大統領の任期が終わる2025年1月までに退任する意向を明らかにしたというニュースがありました。ファウチ博士は現在81歳ですが、退任の理由として、「新型コロナがなくなってから辞めるとなると、私は105歳になってしまう」と言ったそうです。

新型コロナウイルスとの戦いは、これからも長く続くのです。国内で初めて新型コロナウイルスの患者が確認されたのは、僅か2年前の2020年1月です。なのに、早くもギブアップしている日本はホントに大丈夫なのかと心配になってきます。

発熱外来は患者が殺到して予約が取れないとか、保健所も電話が鳴りやまずパニックになっているとか、救急外来も救急車を断るようになったとか、重症化リスクが低いと言いながらまた医療現場の混乱が伝えられています。にもかかわらず、何故かメディアも識者も、肝心な感染防止策に対して言及することはないのです。水が溢れて大変だと言いながら、蛇口から流れる水をどうすれば減らすことができるかの議論がまったくないのです。それは実に奇妙な光景です。

不勉強なので素人の戯言ですが、今のような感染防止がないがしろにされた状態を見るにつけ、紙幣を増刷してそれを国民に配り(俗な言い方をすれば、働かないでも当面しのげるお金を給付して)とりあえず感染防止を優先するという、MMT理論のような大胆な方策も必要ではないか、と考えたりもするのです。そして、感染が収まったら、十全な状態で経済活動を復活させればいいのではないか。ちなみに、アメリカは200兆円使って国民一人あたり15万円の支援金を3回給付しました。一方、日本は10万円を1回給付しただけです。

いつまで続くのかわかりませんが、これからも新株が出るたびに感染爆発が起きるのは間違いないでしょう。新型コロナウイルスは、世界史の上でも特筆すべき大きな出来事なのです。私たちは現在、その歴史の真っ只中にいるのです。この国の為政者には、その認識が決定的に欠けているように思えてなりません。
2022.07.24 Sun l 新型コロナウイルス l top ▲
武蔵小杉駅~立川駅~武蔵五日市駅~「仲の平」バス停~【数馬峠】~【笹ヶタワノ峰】~「浅間尾根登山口」バス停~武蔵五日市駅~立川駅~武蔵小杉駅

※山行時間:約6時間(休憩等含む)
※山行距離:約6.5キロ
※累計標高差:登り約488m 下り約392m
※山行歩数:約18,000歩
※交通費:3,808円


一昨日、奥多摩の笹尾根を歩きました。前回の1年3ヶ月ぶりの山行から既にひと月の間が空いてしまいました。

雨が続いたかと思えば、つかの間の晴れ間は「熱中症警報」が発令されるような酷暑で、山どころではなかったのです。

早朝5時すぎの東横線に乗って武蔵小杉駅。武蔵小杉駅から南武線で立川駅。立川駅から武蔵五日市線の直通電車で武蔵五日市駅。武蔵五日市駅に到着したのは7時すぎでした。そして、駅前から7時20分発の「数馬行き」のバスに乗って、終点の「数馬」のひとつ手前のこのブログではおなじみの「仲の平」(檜原村)のバス停まで行きます。「仲の平」まで約1時間かかりますが、半分も進まないうちに乗客は私だけになりました。これもいつものことです。

実は前日にいったん出かけたのです。武蔵小杉まで行き、南武線の改札口に向っている際、首にサコッシュがかかってないことに気付いたのでした。サコッシュには、財布や健康保険証やクスリなどが入っています。もっとも、普段の移動はモバイルスイカを使っていますので、スマホさえあれば支障はないのですが、とは言え、心はまだアナログ人間なので一抹の不安がありました。それで、山行を中止して自宅に戻ることにしたのでした。ちなみに、翌日の山行では、財布をサコッシュから一度も出すことはありませんでした。

登山口がある「仲の平」のバス停に着くと、外は雨になっていました。それもかなり雨脚が強く、山の方も霧におおわれています。前回(と言っても一昨年)下山で使った道を登ろうと計画していましたので、傘を差してバス停から民家の横の細い道を川の方に下って行きました。その際、民家から出て来たおばさんに出くわしました。

「おはようございます」と挨拶したら、「今から山に登るんですか?」と訊かれたので「そうです」と答えたら、「生憎の雨で大変ですね。気を付けて下さいね」と言われました。

川まで下りると、そこは昔のキャンプ場の跡になっています。朽ちたバンガローが数軒、そのまま残っています。炊事場だったところに屋根があるので、そこで雨宿りを兼ねて山に登る支度をはじめました。

40分以上待ったけどいっこうに雨が止む気配がないので、しびれを切らして雨具を着て登ることにしました。途中の伐採地まで結構な登りが続きます。

私は笹尾根には今まで冬か秋しか来たことがなく、夏は初めてでした。道中は草が繁茂して半分藪漕ぎみたいなところもあり、同じ山だとは思えないくらい様相が変わっていました。もちろん、山行中誰にも会うことはありませんでした。

息が上がり足も重くてなりませんでした。それに雨具を着ているので、外気と湿気で水を被ったように全身汗びっしょりになり、よけい疲労感が増します。雨も止む気配がなく、情け容赦なく叩きつけてきます。

30分近く歩くと、ようやく登りがいったん緩む伐採地に出ることができました。既に疲労困憊でした。でも、山の中なので雨宿りができる建物などあろうはずもありません。

それで、木の下にあった倒木に座って、休憩がてら雨脚が弱くなるのを待つことにしました。天気予報によれば、1~2時間経てば雨が止むはずです。

再び傘を差してうずくまるように座り、おにぎりを頬張っていたら、何だか情けなくて泣きたいような気持になりました。でも一方で、「やっぱりひとりがいいなあ」と心の中で呟いている自分もいました。自己愛の強い私は、そんな孤独な自分が嫌いではないのです。

30~40分待つと、空も明るくなり雨脚も急速に衰えてきました。雨具を脱いで再び歩きはじめたのですが、1年以上のブランクとまだ少し痛みが残っている膝の影響もあって、足を前に進めるのがつらくてなりませんでした。それに、同じ道とは思えないほどの景色の違いにも、心が萎えるばかりでした。全身から吹き出す汗に水も減る一方です。水は2.5リットル持って来ましたが、既に1リットル以上飲んでいました。

山に登ることほど孤独な営為はありません。常に自分と向き合い、自分と葛藤しながら足を出して登っているのです。しかも、その自分は文字通り素の自分です。そこにいるのは、ハァーハァー息を切らし鼻水を垂らしながらネガティブな気持と戦っている、何の後ろ盾もない非力な自分です。

普段の生活のように、自分を強く見せたり、大きく見せたりすることもできないのです。自然の前にいる自分は何と非力で小さな存在なのかとただただ思い知るだけです。

前も書きましたが、ヨーロッパ由来のアルピニズムでは、山は「征服」するものでした。アダム・スミスの研究者である山口正春氏(日本大学教授)が下記の論稿でも指摘しているように、西洋の自然観は『聖書』の「天地創造説」に影響されています。つまり、「神が自然(世界)を創造し、『神の似像』として人間を創り、人間が支配し、食糧とするために自然が与えられている」という考えです。そのように、「元々キリスト教の教義の中には『自然支配』の思想、さらに『人間中心主義』が包含されていた」のでした。

山口正春
西洋の自然観とその問題点

私たちは、「人間中心主義」と言うと、ルネッサンスのような人間賛歌、ヒューマニズムの原点のように思いがちですが、しかし、それは「自然支配」と表裏の関係にあるものにすぎないのです。ヨーロッパ由来のアルピニズムに、軍隊用語がふんだんに使われているのも故なきことではないのです。

それに対して、日本人は古来から自然に対して畏敬の念を持っていました。とりわけ山岳信仰などはその代表的なものでしょう。また、採集経済においては恵みを与えてくれるものとして、そして、畑作や稲作の農耕文化が伝来すると雨乞い信仰の対象として、山を崇拝するようになりました。山は「征服」するものでなく、「ありがたい」ものだったのです。

文字通りほうほうの体で笹尾根上の数馬峠(標高1102メートル)に着いたときは、既に12時をまわっていました。登山アプリのコースタイムより1時間以上多く時間がかかってしまいした。

他の季節だと、数馬峠からは山梨県側の眺望がひらけているのですが、大きく茂った灌木が邪魔をしている上に、まだ水蒸気が下から上に登っている最中だったということもあり、正面にそびえる権現山(標高1312メートル)の大きな山容もほどんど雲に隠れていました。その先には富士山も望めるのですが、もちろん、姿かたちもありません。

笹尾根は、東京都(檜原村)と山梨県(上野原市)の間に延びている、標高1000メートル前後の都県境尾根です。檜原村からは尾根の上に向っていくつも道が伸びています。それこそ、檜原街道沿いのバス停があるところからは大概登山道があるくらいです。そして、尾根の上からは、今度は山梨側に向って道が下っているのでした。さらに尾根上にもそれらをつなぐ道が走っています。

私たちが今登っている道は、昔の人たちの生活道路だったのです。そうやって双方を行き来したり、尾根の上で物々交換をしていたのです。尾根を越えて反対側の集落に嫁ぐ例さえあったそうです。ちなみに、数馬峠というのは東京側の呼び名で、山梨側は「上平峠」と呼ぶみたいです。

私の奥多摩歩きのバイブルである『奥多摩   山、谷、峠、そして人』(山と渓谷社)の中で、著者の山田哲哉氏は、今から110年前の1909年、田部重治が東京帝国大学の先輩である木暮理太郎と二人で、笹尾根を歩いたことを「日本初の縦走路   笹尾根」と題して書いていました。二人は、奥多摩の小仏峠から景信山、陣馬山、和田峠を経て奥多摩に入り、途中、浅間峠のあたりで1泊したあと、西原峠まで笹尾根を歩いたのでした。私も田部重治の『山と渓谷』で、その山行について書かれたエッセイを読みましたが、実は二人の最終目的は笹尾根ではなく、笹尾根を経由して雲取山に登ることだったです。

そのため、三頭山の手前の西原峠から上野原側の郷原へ下山して鶴峠を越え、今の奥多摩湖畔の川野から(恐らく鴨沢ルートで)雲取山に登っているのでした。しかも、田部重治は、それが初めての本格的な登山だったそうです。山田氏は、二人のこの「壮大な山行」が日本で初めての「縦走登山」だったと書いていました。

笹尾根は、広義に解釈して三頭山から高尾山まで40キロ近くの縦走路をそう呼ぶ人もいますが、実際は、三頭山から浅間峠までの20キロあまりを笹尾根と呼ぶのが正しいようです。

山田氏は、笹尾根について、次のように書いています。

  起伏が少なく、山上に広々とした地形をもつ笹尾根は、その尾根自体が生活を支える重要な場所であった。ここ20年ほどの間に広葉樹が繁茂し、かつてのような一面カヤトは少なくなっても、40年ほど前までは、茅葺き屋根の材料だったカヤを得る場所として、明るい展望とともに随所に美しい茅原が広がりを見せていた。今でも、峠道を少し下れば炭焼き窯の跡が点々と残っている。
(『奥多摩   山、谷、峠、そして人』)


このブログにもたびたび出て来るように、私は笹尾根が好きで、今までも何度も歩いています。

前も書きましたが、田部井淳子さんも冬の笹尾根を歩くのが好きだったそうです。今の笹尾根は、檜原街道を挟んで反対側にある浅間尾根に比べると歩く人が少ないのですが、たまたま山中で一緒になった女性ハイカーに話を聞くと、やはり田部井さんの足跡を辿って歩いている人も多いようです。

数馬峠には、たしかベンチが二つあったはずです。ところがベンチが見当たりません。一瞬、「エッ、これが数馬峠?」と思ってしまいました。よく見ると、ベンチは原型をとどめないくらい朽ちて崩壊していました。私はその荒れように少なからずショックを受けました。

仕方なくベンチの残骸の上に腰を下ろすと、バリバリと木が折れてさらに崩壊してしまいました。ザックからおにぎりを出して食べようとすると、コバエが集まって来て食べるどころではありませんでした。しかも、どこからか蟻も這い出てきてスタッフバッグの上を我が物顔に徘徊しているのでした。そのため、ザックに戻すのにくっ付いた蟻をいちいち払い落さなければなりませんでした。

雨のあがった夏空からは強烈な陽光が容赦なく照り付けています。じっとしていても汗が吹き出して、ひっきりなしに水を飲みました。

と、そのときでした。山梨側の方から「オッ、オッ」というようなやや甲高い鳴き声が聞こえてきたのでした。山梨側にも道が通っているはずですが、藪に覆われて踏み跡も判明しないほどかなり荒れていました。最初、猟犬かと思いましたが(山中でGPSのアンテナを装着した猟犬に遭遇すると腰をぬかすほどびっくりしますが)どうも犬の鳴き声のようには思えません。何だろうと思っていたら、ふと、山の中で「おーい、おーい」と人を呼ぶような声が聞こえたら注意した方がいいという話を思い出したのでした。

「おーい、おーい」というのは、仔熊が母熊を呼んでいる鳴き声なのだそうです。私は、首から下げている笛を「ピーピー」と吹きました。しかし、鳴き声は止みません。それで、あわててザックを背負うとその場をあとにしたのでした。あとで気付いたのですが、その際、カメラのレンズのキャップを落としたみたいです。

冷静になって考えると、熊だったという確証はなく、いつものひとり芝居だったのかもしれないと思いました。誰にも会わずにひとりで山の中を歩くのが好きだと言いながら、このように過剰に熊に怯える自分もいるのでした。前方にある枯れ木や岩が熊に見えることもしょっちゅうです。そんなときは枯れ木や岩に向って懸命に笛を吹いているのでした。

当初の予定では数馬峠から7キロくらい先にある浅間峠から下る予定でしたが、時間が押していたので計画を変更して、数馬峠の先にある笹ヶタワノ峰(標高1121メートル)から「浅間尾根登山口」のバス停に下りることにしました。

「浅間尾根登山口」は「仲の平」から三つ手前のバス停です。2年前も反対側の浅間峠から歩いて来て下りたことがありますし、また、浅間尾根(浅間嶺)に登る際に下車したこともありました。

下の方は「中央区の森」になっているため道も整備され、2年前はそれこそ鼻歌交じりで下りたものですが、今回は痛い方の膝をかばうように歩いたので、前回の倍くらい時間がかかりました。そのため、鼻歌どころではなく、やたら時間が長く感じて苦痛を覚えるばかりでした。

バス停に下りたのが15時すぎで、武蔵五日市駅行きのバスは出たばかりでした。15時台のバスはないので、次は16時すぎです。1時間以上も待たねばなりません。仕方なくバス停のベンチにひとりぽつんと座ってバスを待ちました。もちろん、やって来たバスには乗客は誰も乗ってなくて、来たときと同じ私ひとりだけでした。

武蔵五日市駅からは朝と逆コースを帰りましたが、電車の連絡がスムーズに行ったので、横浜の自宅に帰り着いたのは19時半すぎでした。

翌日はオミクロン株BA.5の感染爆発に怖れをなしてワクチン接種に行ったのですが、太腿に筋肉痛はあったものの、接種会場の階段を下りる際、セサミンのテレビCMに出ているおばさんのようにトントントンと下ることができたので、自分でもびっくりしました。


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※オリジナルの画像はサムネイルをクリックしてください。

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閉鎖されたキャンプ場の炊事場

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途中の伐採地から

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数馬峠からの眺望

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数馬峠の朽ちたベンチ

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笹ヶタワノ峰から下る

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途中の大羽根山(標高992メートル)

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「中央区の森」の中のヌタ場
※沼田場(ヌタ場)とは、イノシシやシカなどの動物が、体表に付いているダニなどの寄生虫や汚れを落とすために泥を浴びるぬたうちを行う場所のこと。(ウィキペディアより)

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「中央区の森」の中にある炭焼き小屋
※体験用の炭焼き小屋です。

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「浅間尾根登山口」バス停

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反対側のバス停
バス停の上から下りて来ました。
2022.07.24 Sun l 山行 l top ▲
一昨日、今回の安倍晋三元首相銃撃事件に関連して、朝日新聞デジタルに、下記のような宮台真司氏のインタビュー記事が掲載されていました。

宮台真司氏は、近代化により(中間共同体が消滅して)むき出しになった個人が、近代合理主義(=資本主義)のシステムと直接向き合わなければならなくなり、その結果「寄る辺なき個人」が大量に生まれた、そのことが今回の事件の背景にあると言うのです。そして、「寄る辺なき個人をいかに社会に包摂するかを考えていくことが大切だと指摘」するのでした。

朝日新聞デジタル
(元首相銃撃 いま問われるもの)バラバラな人々に巣くう病理 宮台真司さん

それは、オウム真理教の事件の際に出版された『終わりなき日常を生きろ』(ちくま文庫)に書かれていることのくり返しで、正直言って「またか」という気持を持ちましたが、言っていることはよくわかるのでした。たままた本棚を整理していたら『終わりなき日常を生きろ』が出て来ましたので、もう一度読み返してみようかなと思ったくらいです。

宮台氏は次のように言います。

 「既に安倍氏への過度な礼賛や批判が『確かな物語』を求めて増殖中です。それとは別に、『民主主義への挑戦』と批判して済ませる紋切り型も気になります。無差別殺傷事件も政治家を狙った事件も、『剥き出しの個人の不安』と『国家を呼んでも応えないがゆえの自力救済』という類似面があります」


前に書いた『令和元年のテロリズム』に出て来るような事件を、宮台氏は「国家を呼んでも応えないがゆえの自力救済」だと言います。それと「剥き出しの個人の不安」は「類似」していると。でも、私には、「類似」というより表裏の関係のように思いました。

そんな「寄る辺なき生」に、カルトは「確かな物語」(大きな物語)を携えてやって来ます。『令和元年のテロリズム』を読むと、登場する人物たちがカルトとすれすれのところで生きていることがよくわかります。

ただ、それは今回の事件の一面にすぎません。今までの報道を見る限り、容疑者はカルトに取り込まれたわけではないのです。容疑者にとって「大きな物語」は、ネトウヨの陰謀論であり、その延長にある安倍政治に随伴することだったのです。

なのに容疑者は安倍を撃ったのです。統一教会によって家庭がメチャクチャにされた積年の恨みが、「本来の敵ではない」安倍に向けられたのです。たとえイデオロギーと関係がなくても、行為自体はきわめて政治的なものと言っていいでしょう。

もしかしたら、ネトウヨを自認する容疑者には、安倍元首相に対して「可愛さ余って憎さ百倍」のような感情があったのかもしれません。安倍元首相は、国内向けには嫌韓的なポーズを取りながら、その裏では、サタンの日本人は「アダムの国」の韓国に奉仕すべきだと主張する韓国のカルト宗教と三代に渡って親密な関係を続けてきたのです。そのジキルとハイドのような二つの顔を知ったことが、安倍元首相をターゲットにする”飛躍”につながったのではないか。そう考えなければ今回の事件は理解できません。

宮台氏の言説に従えば、あの腰の座った覚悟の犯行も「自己救済」ということになります。私はむしろ逆ではないかと思っていました。ロープシンの『蒼ざめた馬』のような”虚無のテロリスト”さえ幻視していたのです。一発目が逸れたあと、容疑者はためらうことなくさらに前へ進み、致命傷となる二発目を命中させているのです。容疑者にとって、「本来の敵ではない」安倍元首相は「呼んでも応えない」国家だったのか。あるいは、国家を呼び出すために安倍を撃ったのか。警察発表の犯行動機を理解するためには、私たちもまた、”飛躍”が必要なのです。

一方で、宮台氏も言うように、既に「心の平穏に向けた物語化」がはじまっているのでした。ワイドショーの電波芸者コメンテーターたちの言動にも、そういった空気の変化が反映されています。メディアも、統一教会と政治の関係に言及するのを避けるようになっているそうです。

これから「国葬」に向けて、死者の悪口を言わないという”日本的美徳”のもと、安倍政治を賛美する声が益々大きくなっていくのでしょう。そして、今回の事件も、容疑者個人の一方的な「思い込み」で起きたことにして幕が下ろされるに違いありません。

朝日の記事のタイトルのように「病理」と言うなら、個人の心より政治、特に安倍元首相を含めたこの国の「愛国」者たちの”二律背反”こそそう呼ぶべきなのです。間違っても(記事のタイトルに含意されているような)「個人的な思い込みによる事件」として回収させてはならないのです。


関連記事:
『令和元年のテロリズム』


追記:(7/21)
事件の政治的な側面ということで言えば、宮台氏もインタビューでは統一教会と自民党の関係に言及していたそうです。しかし、J-CASTニュースによれば、朝日新聞が掲載に当たってその部分を削除したのだとか。宮台氏もTwitterでそれを認めています。

Yahoo!ニュース
J-CASTニュース
宮台真司氏「掲載中止よりもマシ、Twitterで捕捉」 朝日新聞がインタビューから削除した「重要なポイント」

削除された「重要なポイント」について、J-CASTニュースは次のように書いていました。

(略)旧統一教会が提唱する原理を学ぶ団体の原理研究会が1970年代末以降どのように活動していたかや、自民党と教会が2000年代末以降にズブズブの関係になっていたことについて、宮台氏の元の原稿では言及されていた。しかし、朝日の担当記者がその記述を残そうと奮闘したにもかかわらず、記事公開に当たって、それらの部分が削除されたという。


別に目新しい話ではなく、正直言って、そんなに騒ぐことなのかと思いました。自民党に忖度したと言えばそう言えないこともありませんが、私には穿ちすぎのような気がしました。
2022.07.21 Thu l 社会・メディア l top ▲
先日、自民党の某国会議員が、過去に世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の関連団体が開催したイベントに祝電を送ったという指摘を受け、お詫びのコメントを発表した上で、旧統一教会との関係を否定したという報道がありました。

しかし、その「国会議員」こそ、30年近く前に、私が元取引先が統一教会のフロント企業であったことを知った週刊誌の記事に書かれていた人物なのです(「統一教会・1」参照)。

保守系の国会議員のサイトから、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)に関係する記述が次々と削除されているそうですが、このように国会議員たちの間で再び、知らぬ存ぜぬの”猿芝居”がはじまっているのでした。

しかも、それは、自民党だけにとどまらず、国民民主党の玉木雄一郎代表にも飛び火したのでした。玉木代表への寄付は、同代表が旧民社党の流れを汲む政治家だからだと思いますが、もしかしたら、統一教会は野党や労働団体にも触手を伸ばしていたのかもしれません。

有田芳生氏がツイートしていましたが、テレビに出た際、事前に番組の担当者から、「政治の力」という言葉は使わないでほしい、具体的に政治家の名前を出すのは控えてほしいと釘を刺され、「昔のテレビとは違うんだ」と言われたそうです。

たしかにテレビのワイドショーを観ていると、時間の経過とともにコメンテーターたちに、統一教会の問題と安倍元首相の事件を分けて考えるべきだ、一緒くたにするのは誤解を招く、というような言動が目につくようになりました。そうやって、事件は山上容疑者の「思い込み」だったという結論に持って行こうとしているかのようです。「精神鑑定」が行われたという話も、恰好の口実になっているように思います。

でも、安倍晋三元首相こそ統一教会の問題を「象徴する存在」(山上容疑者)なのです。「安倍三代」と統一教会との関係を考えれば、統一教会にもっとも近い政治家と言っていいでしょう。

一方で、コメンテーターたちの言動を見るまでもなく、政治と宗教の”不都合な真実”も、徐々に幕引きがはかられているように思えてなりません。結局、安倍元首相らが体現する”戦後の背理”は糊塗され、獅子身中の虫もそのままに、元の日常に戻っていくのでしょう。その大団円として「国葬」が用意されているのかもしれません。

山上容疑者は、みずからをネトウヨとツイートしていましたが、そのネトウヨが、彼らのヒーローの安倍元首相に引き金を引いたのです。そのことの意味はあまりに大きいと言わねばなりません。「愛国者に気をつけろ」というのは鈴木邦男氏の著書の書名ですが、私たちはまず、「愛国」者を疑うことからはじめなければならないのです。

サタンの日本人は「アダムの国」の韓国に奉仕しなければならないと主張する韓国のカルト宗教の教祖に、「日本を守るために」反共団体の設立を依頼する。そんな愛国者がどこにいるでしょうか。統一教会の問題であきらかにされたのは、そういった日本の戦後政治を蝕んでいた「愛国」という病理なのです。
2022.07.20 Wed l 社会・メディア l top ▲
親族によれば、容疑者の母親は、統一教会に入信したあと、自殺した父親の保険金などを原資に3年間で6000万円、容疑者の祖父が死亡後、相続した会社の土地や自宅などを処分して4000万円、総額1億円を献金したそうです。その後、親族が教団と交渉して5000万円が返金されたそうですが、それも再び献金したという話があります。

11年以上前の資料ですが、下記の『週刊文春』の記事によれば、1999年から9年間に日本から韓国に送金された総額は約4900億円にのぼるそうです。年平均約544億円です。

週刊文春 Shūkan Bunshun 2011.9.8
統一教会 日本から「4900億円送金リスト」を独占入手!

統一教会の献金や霊感商法などの”集金システム”の背景に、「真の父母と一緒にいる食口(引用者注:シック。信者のこと)たちは、この世の中のすべての物を自由に使えるのがあたりまえだ」というこ故・文鮮明総裁の考え方があるのは間違いないでしょう。この世の中の物やお金は、サタンが勝手に奪ったものにすぎない。だから、「真の父母と一緒にいる食口たちが、たとえそれを盗んで使ったとしても、それが世の中の法律にひっかかったとしても、実際には何でもないことになる」(後述する朴正華氏の手記より)と文鮮明氏は言うのです。ただ、サタンから奪い返しただけだと。

統一教会(現・世界平和統一家庭連合)は、そうやって集めた巨額な資金を使って、食品業や建設業や不動産業やリゾート産業に進出し、今や韓国でも有数な財閥になったのでした。

2018年の平昌冬季オリンピックでアルペンスキーの大回転・回転競技の会場となった龍平リゾートも、世界平和統一家庭連合が所有するスキー場です。また、龍平リゾートは、のちに日本でもブームとなった韓流ドラマ「冬のソナタ」のロケ地にも使われたそうです。教団も、日本人観光客を呼び込むためにロケ地めぐりのツアーを手がけ、文鮮明氏の肖像画が飾られたスーベニールショップでは、日本人観光客が先を競ってグッズを買い求めていたそうです。

高麗人参(朝鮮人参)でおなじみの「一和」も、統一教会系列の会社(フロント企業)です。「一和」は、サッカークラブ城南FCの実質的なオーナー企業と言われています。

また、先頃、ニューヨークタイムズが、アメリカに寿司を広めたのは日本ではなく韓国の統一教会だった、という記事を掲載して話題になりました。記事によれば、統一教会は所有する食材卸会社「True World Foods」を通して、現在、アメリカの寿司レストランの7割から8割と取引しており、年間で500億円を売上げているそうです。

日本人は「アメリカで寿司ブーム!」「ニッポン凄い!」と自演乙していましたが、実はそんな話ではなかったのです。テレビ東京の「世界ナゼそこに?日本人」という番組で紹介された日本人女性たちの中に、統一教会の合同結婚式で嫁いだ信者が含まれていたとして問題になったことがありましたが、それと似たような話です。しかも、統一教会は、寿司は韓国が発祥だと主張しているそうです。

話は戻りますが、紀藤正樹弁護士は、日本からの送金額は世界全体の半分以上を占めているとテレビで言っていました。どうして日本が突出して多いのか。もちろん、政界に深く食い込んでいるため、他の国に比べて規制が緩く、活動しやすいということが大きいでしょう。ただ、それだけでなく、日帝の植民地支配に対する韓国人の反日感情も関係していると言われています。韓国を植民地支配した日本はとりわけ罪深い「エバの国」であり、日本人は極悪なサタンである。サタンの日本人は「アダムの国」の韓国に奉仕しなければならないという考えです。セミナーなどでも、日本人信者にそういった贖罪意識を植え付けるのだそうです。

1949年北朝鮮の興南収容所で、同じ服役囚として文鮮明氏と知り合い、以後13年間行動をともにして、統一教会の設立に加わった朴正華氏も、手記『六マリアの悲劇・真のサタンは、文鮮明だ!!』(恒友出版・1993年刊)の中で、次のように書いていました。

六マリアの悲劇・真のサタンは、文鮮明だ!!
統一教会創始者 朴 正華(パク チョン ファ)
https://xn--u9j9e9gvb768yqnbn90c.com/

  ことに隣国の日本では、統一協会の実態を知らない食口たちが、理想世界の実現を信じて金集めに走り、霊感商法という反社会的な大問題に発展した。

  創成期の苦労を知らない一族がなせる弊害、という他はない問題である。「法に触れて盗んでも神様は許してくれる」と、女食口を唆した文鮮明の身内らしいやり口で、物欲・金銭欲にいっそう拍車がかかっている。

  そしてもう一つ。

  朝鮮は日帝支配で被害を受けた。その日本に仇を討つためにも、日本の金を洗いざらい捲き上げよ」と文鮮明が豪語していた事実(何人もの幹部が聞かされた)を、日本の純粋な食口たちは知っているのだろうか。

(以下引用は同じ。一部、改行やスペースを引用者が修正しています)


私は、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)についての報道や識者の発言には、隔靴掻痒の感を覚えてなりません。言うまでもなく、統一教会の教義の大きな柱である「復帰摂理(復帰原理)」と呼ばれる、「セックスリレー」=「血代交換」のことがまったく触れられてないからです。

文鮮明氏が北朝鮮の興南刑務所で服役(強制労働)することになったのも、当時、「混淫教」という土俗の”セックス教”を信仰していた文氏が、夫と3人の子どもがいる信者の家で人妻と同棲し、しかも、神の啓示を受けたとしてその人妻と「小羊の儀式」(正式な結婚)を行なうと言い出して騒ぎになり、「社会秩序紊乱罪」で警察に逮捕されたからでした。

朴正華氏の手記にある「六人のマリア」というのも、「六人の人妻」という意味です。統一教会の「復帰摂理(復帰原理)」については、朴正華氏の手記に多くの具体例が出ていますが、もとは聖書の「創世記」の独自な解釈に基づいたものだそうです。

  六千年前、神様は、土で人のかたちを造りその鼻に息を吹き込んで、人として動けるようにした。その名をアダムと呼び、エデンの園に住まわせた。そして、ふさわしい伴侶を造るため、アダムが眠っているとき、アダムのアバラ骨を一本とって女性を造った。それがエバである。神様は二人に、エデンの園の中央にある木の実だけはとって食べてはいけないと命じたが、蛇がエバを唆したため、エバはついに禁断の木の実を食べ、夫であるアダムにも勧めて食べさせた。

  そして、神を裏切り禁断の木の実を食べた二人は、木の陰に身を隠し、発見されたとき恥ずかしそうに無花果の葉で身体を隠していた。神様がアダムを創造しエバを造った目的は、エバが成熟したらこの世の中に罪のない子孫を繁殖させることだったが、神様に背いた二人は、やがてエデンの園から追放され、再び帰ることができなくなった。罪を犯し汚れたアダムは、汗を流して働かなければ生きてゆけなくなり、エバは、お産の苦しみという苦労をしなければならなかった。

  二人の間にはカインとアベルの兄弟が生まれたが、やがて兄のカインは弟のアベルを殺すことになり、この世の中に初めて罪人ができた。

  エバを唆した蛇とは天使長ルーシェルのことで、ルーシェルは、神様の摂理を知って甘い言葉で本成熟(原文ママ)なエバを誘惑し、禁断の木の実を食べさせた。つまりルーシェルとエバはセックスをしたのだ。そして処女を犯されたエバは、神様に見つかる前に、サタンの血で汚れた身体のまま夫のアダムともセックスをした。


  「形のない神様は、エバがエデンの園で成熟したら、形ある人間のアダムに臨在し、アダムとエバが結婚して、汚れていない子どもがこの世の中に生まれ、その子孫がこの世の中に繁殖することによって、この世の中を平和で罪のない社会にすることを目的としていた。ところが、天使長ルーシェルが神の目的を知って、エバを誘惑して奪い取ったため、この世の中はサタンのものになり、罪人ばかりになってしまった。だから、夫のいる人妻を奪い取ることによって、サタンに汚された血を浄める復帰摂理の儀式が成り立つことになる」と文鮮明は説明した。

  文鮮明は私に、復帰する方法まで具体的に教えてくれた。その復帰の方法とは、「今までのサタンの世の中では、セックスをするときに、男の人が上になり、女の人が下になっていたが、復帰をするときには、二回まで女の人が上になり、男の人が下になるのだ」「そして、蘇生、長成、完成と、三回にわたって復帰しなければならない」ということだった。


「血代交換」とは、「第二のアダムであるイエスが達成できなかったことを、第三のアダム(要するに文鮮明氏)がこの世の中に再臨して血代交換をする」という教えです。

メシア(引用者注:文鮮明氏のこと)が世界の代表として、六人のマリアと三十六家庭の妻たちとセックスをすれば、汚れた血がきれいになるということで、この儀式を血代交換と言う。そして、血代交換をした三十六家庭から生まれてくる子どもは、罪のない天使ばかりであり、こういう人たちが世界に広まることによって、罪悪のない世の中が生まれる」ということだ。


1987年に発生した朝日新聞阪神支局などを襲った赤報隊事件で、統一教会の関連団体が一時捜査の対象になったという話もありますが、有田芳生氏によれば、オウム真理教の事件のあと、警察庁の幹部から頼まれて、警察施設で眼光の鋭い刑事たちを前に、統一教会のレクチェーをしたことがあったそうです。その際、幹部は、オウムの次は統一教会だと言っていたのだとか。しかし、待てど暮らせどその気配はない。そして、10年が経った頃、たまたま会った幹部にレクチャーの話をしたら、「政治の力でストップがかかった」と言われたそうです。

全国霊感商法対策弁護士連絡会のサイトを見ると、2020年の旧統一教会関連の相談件数は、消費者センターに寄せられたものも含めて、214件、918072300円で、もっとも活発だった1990年前後に比べれば、件数・金額ともに10分の1以下に減っています。しかし、それでも被害がなくなっているわけではないのです。

自民党などの保守派の議員が、選択制夫婦別姓や同性婚やジェンダーフリーに強硬に反対するのも、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の結婚観や家庭観が影響しているからではないかと言う人もいるくらい、彼らは「愛国」を叫ぶ一方で、このようなカルト教団と深い関係を結び、日本を食いものにする彼らの活動に手を貸しているのです。それは、政治家だけではありません。あの”極右の女神”が系列の新聞社の集まりで講演している写真もネットにアップされていました。

1967年、来日中の文鮮明氏が右翼の大物の笹川良一氏や白井為雄氏(児玉誉士夫氏の代理)と本栖湖で会談して、70年安保をまじかに控えて高まりを見せる反対運動に対抗すべく反共団体を設立することで合意。そして、その翌年、統一教会の政治団体である国際勝共連合が日本でも設立され(韓国では前年に設立)、会長に統一教会の日本支部会長の久保木修己氏、名誉会長に笹川良一氏が就いたのでした。その裏には、統一教会の日本進出(1964年東京都が宗教法人として認可)に尽力した岸信介元首相のお膳立てがあったと言われています。実際に、日本の国際勝共連合の発起人には岸信介元首相も名を連ねています。その頃から、統一教会の日本の政界への浸透が本格的にはじまるのでした。

どうして日本に反共団体を作るのに、韓国の宗教団体の教祖が主導的な役割を果たすのか。そこにも戦後保守政治やそれに連なる戦後右翼の歪んだ姿が露わになっているように思います。

戦後政治を考える場合、どうしても日米関係ばかりに目が行きがちですが、隣の韓国との”奇妙な関係”も視野に入れるべきでしょう。もちろん、韓国との関係の背景に、当時のアメリカの東アジア戦略が伏在しているのは言うまでもありません。

韓国では1963年、日本の陸軍士官学校出身の朴正煕がクーデターを決行し、以後1979年まで軍事独裁政権を続けたのですが、国際勝共連合も軍事独裁政権下のKCIA(大韓民国中央情報部)の要請で作られたという説があります。

朴政権は日帝の植民地支配の記憶がまだ色濃く残っている中で、「反日」を演じながらその裏では岸信介氏ら日本の保守政治家と癒着して、日韓基本条約で対日請求権の放棄に伴って供与されることになった5億ドル(当時は1ドル360円)の経済支援=「経済協力金」をめぐる利権を築いたと言われています。経済支援は、最終的には借款等も併せて11億ドルにものぼったそうです。

そういった表では「反日」、裏では買弁的な「親日」を使い分けるヌエのような関係が、日本の戦後政治にさまざまな闇をつくったと指摘する声もあります。統一教会の日本の政界への浸透を許すことになったのも、そのひとつと言えるでしょう。

このように統一教会をめぐっても、「愛国」と「売国」が逆さまになった”戦後の背理”が如実に示されているのでした。こんなことを言っても今の日本人には馬の耳に念仏かもしれませんが、この国を蝕む獅子身中の虫は誰なのか、「愛国」を口にする人間たちはホントに愛国者なのか、もう一度考えてみる必要があるでしょう。それは、安倍元首相の死に対する言説でも同じです。
2022.07.17 Sun l 社会・メディア l top ▲
今朝、テレビを点けたら、「モーニングショー」で統一教会の特集をやっていて、金沢大学教授の仲正昌樹氏がリモートで出ていたのでびっくりしました。仲正氏は社会思想史の研究家ですが、昔から新書もよく出しており、雑誌などでもわかりやすい文章を書いていたので、私は比較的早い頃から読んでいました。

仲正昌樹氏が過去に統一教会に入っていたことは私も知っていました。自分でそのときのことを書いていたのを読んだ記憶があります。ハンナ・アーレントについて啓蒙的な文章をよく書いているのも、統一教会の体験と関係があるのかもしれないと思ったこともありました。でも、まさかテレビに出て、自分の学問とは直接関係ない”黒歴史”のことを話すとは思ってもみませんでした。

ただ、自分でも言っていましたが、仲正氏の場合、その性格ゆえか懐疑的な部分を完全に払拭できないまま信仰生活を送っていたみたいなので、完全にマインドコントロール下にあったとは言い難く、テレビで扱う事例としてはあまり参考にならないかもしれません。

私の高校時代の同級生にも、仲正氏と同じように東大で統一教会に入信し合同結婚式で外国人女性と結婚した人間がいます。あるとき、別の同級生から、同級生で彼の結婚をお祝いする会を開きたいという連絡が来ました。それで私は、「何言ってるだ、統一教会じゃないか」「どうして俺たちが信者の結婚をお祝いしなければならないんだ」と差別感丸出しで怒鳴りつけ、以来同級会には行っていません。風の噂に聞けば、彼はその後大学教授になったそうです。

私たちの年代は、桜田淳子の合同結婚式をきっかけにメディアを席捲した統一教会のキャンペーンを知っていますので、統一教会に対してはある程度の”免疫”がありました。駅頭でまるで憑かれたように「統一原理」の理論を延々と語っている若者の姿をよく見かけましたし、夜遅くアパートに北海道の珍味を売りに来た風体が怪しい若者とトラブルになったこともありました。

当時は私たちの身近にも統一教会の影が常にチラついていたのです。海外のポストカードやポスターを輸入する会社に勤めていた頃、すごく買いっぷりのいい顧客がいました。いつもまとめて大量に買ってくれ、しかもニコニコ現金払いでした。しかし、都内の会社だったのですが、FAXと電話でやりとりするだけで一度も会ったことがありません。それで、一度ご挨拶に伺いたいと電話したところ、「いや、結構です」とにべもなく断られました。

それから数年経ち、私も転職していたのですが、週刊誌を見ていたら、ある記事の中にその会社と電話した担当者の名前が出ていたのを偶然目にしたのでした。

それは、保守系の国会議員のスキャンダルに関する記事だったのですが、その中で、議員が統一教会の影響下にあり、秘書も統一教会から派遣された人間で占められているというような内容のことが書いていました。そして、議員を取り込む工作をした中心人物として、得意先であった会社と担当者の名前が上げられていたのでした。記事の中でも、私が納めた商品が額に入れられてセミナー会場などで数万円で販売されていると書かれていました。でも、私が納めたのは1枚千円にも満たない商品です。何のことはない、得意先の会社は統一教会のフロント企業だったのです。

また、同じ頃だったと思いますが、当時交際していた女性のお父さんが病気で急死したという出来事がありました。彼女の実家は、JRのターミナル駅の近くにあって、数億円の資産価値があると言われていました。

ある日、彼女が「最近、変なおばさんが家によく来ている」と言うのです。今まで見たこともない人なので、どこで知り合ったのかお母さんに訊いたら、道で声をかけられてそれから親しくなった、と言うのだそうです。それを聞いた私はピンと来て、「そのおばさん、もしかしたら統一教会かも知れないよ」と言いました。「一回、たしかめた方がいいよ」と。

それから数日後、彼女から電話がかかってきて、「やっぱり、統一教会だった」と言うのです。お母さんに私から言われたことを話したら、お母さんがおばさんに「あなた、もしかしたら統一教会じゃないでしょうね」と問い詰めたそうです。すると、おばさんはお母さんの権幕に気圧されたのか、「ごめんなさい、統一教会です」とあっさり認めたということでした。

恐らく道で声をかけたのも偶然ではなく、家の資産やそのときの家庭状況も把握した上で接近して来たに違いありません。どこかでそういった情報を手に入れているのでしょう。

その頃、統一教会のキャンペーンは、合同結婚式から霊感商法などへ拡大しており、大学では統一教会の名を伏せたダミー団体を使って学生を勧誘したり、街角でも手相などの占いを餌に声をかけてセミナーに誘うという統一教会の活動が次々と可視化されていました。だから、そのときもピンと来たのだと思います。

しかし、ほどなく発生した地下鉄サリン事件など、オウム真理教の一連の事件によってメディアもオウムの方に関心が移り、統一教会はいつの間にか「忘れられた存在」になったのでした。そのため、今は”免疫”どころか、統一教会について何の予備知識もない若者も多いそうです。しかも、統一教会は、分裂騒ぎもあって教団名を変えているのです。昔の統一教会のことを知らない若者が増えたということは、教団にとって好都合であるのは間違いないでしょう。そのための改名だったという話もあるくらいです。

今回の銃撃事件で、「暴力は民主主義の敵」「暴力に屈してはならない」「民主主義を暴力から守ろう」というような常套句が飛び交っていますが、しかし、考えてみれば、銃撃事件がなければ、これほど統一教会のことが取り上げられることはなかったのです。

元首相を銃撃する「許されざる暴力」があったからこそ、統一教会というカルト宗教の問題、特に日本の政界に深く食い込んでいる憂慮すべき問題が再び可視化されつつあるのです。怪我の功名と言ったら不謹慎かもしれませんが、もし今回の銃撃事件がなかったら、統一教会は「忘れられた存在」のままだったでしょう。

私たちは、今回の事件で、言論では微動だにしなかったものが暴力だと簡単に動かすことができるという、この社会の本質とも言える脆弱性を見せつけられたと言っていいかもしれません。同時に、「許されざる暴力」という規範や「話せばわかる」という幻想が、この社会から疎外された人たちにとっては、単なる”不条理”にすぎないことも知ったのでした。今回の事件で「暴力の連鎖」を懸念する声が出ていますが、これほど赤裸々に暴力のインパクトを見せつけられると、それもまったくの杞憂だとは言えないように思います。

どんな立派な意見も、最初に「もちろん暴力がいけないことは言うまでもありませんが」とか「容疑者がやったことは許されることではありませんが」という枕詞(断り)を入れると、途端に「きれいごと」のトンマな言説に見えてしまうのも、暴力のインパクトがあまりにも大きかったからでしょう。自業自得とは言え、言論は為すすべもなく戯画化されているのです。
2022.07.15 Fri l 社会・メディア l top ▲
知り合いの話では、東京タワーが安倍元首相追悼のために真っ暗になっていたそうです。「びっくりした」と言っていました。それで、ネットで確認したら、株式会社TOKYO TOWERのサイトに次のようなプレスリリースがアップされていました。

東京タワーは本日(7/9)、安倍晋三元首相に哀悼の意を表し、ライトアップを消灯して喪に服します。

株式会社TOKYO TOWER
2022年7月9日 15時45分

東京タワーは7月9日(土)、多大な功績を残された安倍晋三元首相に哀悼の意を表し、終日、ライトアップを消灯して喪に服します。

尚、足元については観光でお越しのお客様の為ライトアップを点灯致します。

ご理解いただきますよう、よろしくお願い致します。


いくら追悼とは言え、ここまで来ると異常としか言いようがありません。それは東京タワーだけではありません。新聞やテレビなども、まるで独裁者が亡くなったかのように、歯の浮いたような賛辞のオンパレードなのでした。

安倍元首相は毀誉褒貶の激しい政治家だったのは衆目の一致するところです。それをすべて賛美や美化に塗り変えるのは、もはや言論の死と言っても過言ではないでしょう。死人を鞭打つのかと言われるかもしれませんが、死してもなお毀誉褒貶に晒されるのが政治家でしょう。民主国家ならそうあるべきでしょう。

今回の事件を「民主主義に対する挑戦」「自由を封殺する行為」と非難し、社説で「言論は暴力に屈しない」と表明していながら、メディアはみずからで言論を封殺しているのでした。これでは、私たちは警察が描いたストーリーの方向に誘導されているのではないか、という不信感さえ抱いてしまいます。

山岡俊介氏のアクセスジャーナルに次のような記事が出ていました。

アクセスジャーナル
安倍氏に批判的なジャーナリストも洗う? 本紙・山岡の出入り先に警視庁捜査員

山岡氏が一時事務所として使っていた建物の管理人室に刑事が訪れ、そこの住所が印刷された昔の山岡氏の名刺を出して、「(山岡氏は)ここの部屋を使っているかと聞いて来た」そうです。

「今回の安倍氏銃殺を機に、警察庁(中村格長官)の方から安倍氏に批判的な者、それもジャーナリストを徹底的に洗えとの指示が出ている」そうなので、「“私文書偽造”など、何でもいから微罪でいちゃもんを付けようと動いている可能性もあるのではないか」と書いていましたが、私は記事を読んで、そうではなく、警察はまだ”政治テロ”の線を捨てていないのではないかと思いました。

山岡氏が別の動画で言っていましたが、山上徹也容疑者が右翼団体に出入りしていたという話もあるそうです。山上容疑者は前日は新幹線で岡山の遊説先まで行ったことがわかっています。韓鶴子氏の代わりにしては、かなり執拗に安倍元首相を付け狙っていたことがわかります。それに、前も書きましたが、当日の山上容疑者の行動には相当な覚悟すら感じます。あの用意周到さと冷静沈着さは、警察が発表する供述とどこかそぐわない気がしてならないのです。

もとより、韓鶴子氏の代わりなら他の教団幹部をターゲットにしてもおかしくないでしょう。日本支部の幹部でもいいはずです。集会で挨拶するビデオを見たからと言って、どうして安倍元首相だったのか、どうしてそこまで”飛躍”したのか、という疑問は残ります。

山岡氏は、下関市長選に絡んで(山口の)安倍元首相の自宅に火炎瓶が投げ込まれた放火未遂事件をスクープしていますし、最近も、13年間安倍元首相の私設秘書を務めた経歴を持ちながら、先の参院選に立憲民主党の山口選挙区から立候補して話題になった秋山賢治氏の自宅やその周辺に、糞尿がまかれる事件があったこともあきらかにしていました。

このように安倍元首相周辺ではきな臭い事件も起きていたので、警察はそういったことに関連して聞き込みをしていたのではないでしょうか。

旧統一教会との関係もそうですが、安倍元首相は、祖父や父親の代からの縁もあって、地元では在日朝鮮人実業家などと深い関係があるのはよく知られています。青木理氏の『安倍三代』(朝日新聞出版)にも書かれていますが、山口県下関市にある安倍元首相の自宅や事務所も、パチンコで財を成した地元の在日朝鮮人実業家から提供されたものなのです。その政治姿勢や言動を考えると信じられないかもしれませんが、地元の総連系の朝鮮人で安倍元首相の悪口を言う者はほとんどいないそうです。

旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)は、教祖の文鮮明氏亡きあと、未亡人の韓鶴子氏と子どもたちの間で後継者争いが起きて、韓鶴子氏と三男と四男・七男が対立し、四男・七男が「サンクチュアリ協会」を設立しました。日本にも支部がありますが、アメリカの「サンクチュアリ協会」は、トランプ派によるホワイトハウス占拠事件にも関わっているような過激な団体で、占拠事件の際、七男の文亨進氏も現場にいたそうです。

聖書のヨハネの黙示録に出て来る「鉄の杖」は銃を指していると解釈する「サンクチュアリ協会」は、半自動小銃を信奉しており、合同結婚式にも小銃を携行するように呼びかけているくらいです。

折しも設立者の文亨進氏が先月から来日しており、今も日本に滞在中で各地で集会を開いているそうです。

文亨進氏の来日については、下記に詳しく書かれています。

ディリー新潮
統一教会から分派「サンクチュアリ教会」指導者が来日 文鮮明7男は集会でアブナイ発言を連発

いわゆる「信仰二世」の山上容疑者は、幼い頃は母親に連れられて統一教会に通ったのは間違いないでしょう。そのあと脱会したのかどうか。また、統一教会の分裂の際、山上容疑者と教会はどういう関係だったのかなど、気になる点はいくつもあります。

警察も自分たちが描いたストーリーに沿った情報を小出しにしながら、それとは別に、事件の洗い直しを行っているのかもしれません。

尚、前の記事で、実兄が自殺して本人も海上自衛隊時代に自殺未遂したと書きましたが、「ディリー新潮」によれば、父親も自殺だったそうです。しかも、父親が亡くなったので母親が宗教にのめり込んだと言われていますが、そうではなく、母親が統一教会の前に別の宗教にのめり込んでいたのが原因で父親が自殺したと記事には書かれていました。父親が京大卒だったというのにも驚きました。山上容疑者が学業優秀だったというのもわかった気がしました。
2022.07.14 Thu l 社会・メディア l top ▲
私は山に着て行く服はパタゴニアが多く、特にこの季節はズボンもTシャツもパタゴニアです。雨具もパタゴニアです。ザックは、大小ともにパタゴニアのものを使っています。このようにいつの間にか”歩くパタゴニア”みたいになっているのでした。

パタゴニアの商品は少し値段が張りますが、パタゴニアを使っていると環境にやさしいことをしているみたいな気分になるので、”気分料”みたいなものだと割り切って買っています(ホントは大きなサイズが揃っているからですが)。山に登るなら環境のことを考えなければならない。そういった強迫観念みたいなものがありますが、そこをパタゴニアにうまく突かれているような気がしないでもありません。もっとも最近は、外国のアウトドアメーカーはどこもリサイクル素材を使ったりと、環境に配慮するのがトレンドになっています。

パタゴニアの製品自体は特に優れていると思ったことはありません。逆にちゃちなと思うことすらあります。

先の参院選に際して、パタゴニアの公式サイトに掲げられた次のような呼びかけも、他のメーカーのサイトではなかなかお目にかかれないものでしょう。

パタゴニア(Patagonia)
VOTE OUR PLANET

私たち人間は、健全な地球とそれを基盤とした社会がなければ生きられません。
近年顕著な気候危機とともに、私たちは人間、動物、生態系の健康がつながっていること、地球の生物多様性の破壊や生態系の損失は、経済にも大きな影響を与えることを知りました。

私たちには、自然に根差した解決策をもって、社会構造を大胆かつ公正に変化させようとするリーダーが必要です。

政治に関心がなくとも、関係なくはいられません。
私たちそれぞれにとって大切な何かとともに生きるために、行動しましょう。


そんな意識高い系から支持されているパタゴニアですが、一昨日の朝日に次のような記事が出ていました。

朝日新聞デジタル
「パタゴニア」パート社員ら労組結成 雇用「5年未満」見直し求める

それは、パタゴニアの店舗で働くパート社員や正社員ら4人が、「不更新条項」の撤廃を求めて労働組合を結成したという記事でした。2013年に改正された労働契約法では、非正規労働者が同じ会社で通算5年を超えて働いた場合、本人が希望すれば無期雇用に転換できるという「5年ルール」が設けられたのですが、それに対して「雇用期間を制限し、無期転換できないようにする『不更新条項』を設ける企業」もあり、パタゴニアも例外ではなかったのです。

アパレル業界では、ファストファッションの台頭によって、委託先の工場がある発展途上国では、低賃金・長時間労働・使い捨て雇用といった劣悪で過酷な労働環境が問題になっていますが、そんな中でパタゴニアはいち早くフェアトレードの方針を打ち出し、環境にやさしいだけでなく労働者にもやさしい会社のイメージを定着させたのでした。

ところが、足元の職場では法律のすき間を利用して労働者に不利な条項を設けるような、資本の論理をむき出しにした”普通の会社”であることが判明したのでした。

環境にやさしい、身体にやさしいというオーガニック信仰は、思想としてはきわめて脆弱で、手軽でハードルも低く、そのため、意識が高いことをアピールする芸能人などの間では、一種のファッションとして流通している面もあります。

しかも、ヨーロッパでは既に「エコファシズム」という言葉も生まれているように、そういった純潔なものを一途に求める思考は、ややもすればナチスばりの純血主義のような思考に行き着いてしまう危険性もあるのです。

古谷経衡氏は、Yahoo!ニュース(個人)で、今回の参院選の比例区で176万3429票を集めて1議席を獲得し、選挙区・比例区ともに得票率2%をクリアして政党要件を満たした参政党をルポしていましたが、その中で、参政党の躍進が意識高い系の人たちのオーガニック信仰に支えられていることを指摘していました。

Yahoo!ニュース個人
参政党とは何か?「オーガニック信仰」が生んだ異形の右派政党

参政党は、1.子どもの教育、2.食と健康・環境保全、3.国のまもりを三つの重点政策として掲げていますが、特に2と3が両翼の政党だと言われています。3を具体的に言えば、「天皇を中心とした国家」「外国資本による企業買収や土地買収が困難になる法律の制定」「外国人労働者の増加を抑制し、外国人参政権を認めない」というような多分に右派的な主張です。

しかし、古谷氏は、どちらかと言えば2が「主」で3は「従」みたいな関係にあると言っていました。

古谷氏は同党の街頭演説などに出向いて、数多くの「定点観測」をしたそうですが、その中で、中心メンバーのひとりである歯科医師の吉野敏明氏の次のような演説に、参政党が意識高い系の人たちに支持される秘密が隠されていると書いていました。

…悪性リンパ腫に限らずですよ、白血病とかでも限らず、普通のがん、骨肉腫もそうです。まず(甘いものを)やめなきゃいけない。

結局は甘いものは何もかもダメなんです。人工甘味料でもダメなんです。蜂蜜もだめなんです。(中略)これらのものに加えてもっと強い発がん物質である食品添加物。


セブンイレブンの何とかハンバーグって、和風ハンバーグとかってなるでしょ。(中略)ところが100g98円とかで売ってるわけ。ありえないでしょ。どうやったら安くなるんですか。

 それは、クズ肉を使うしかない。本来だったら廃棄処分にする。例えば死んだ豚とか。ね。あるいはそもそも全部内蔵取っちゃったあとの余ってる部分の、豚の顔とか牛の顔とか、或いは糞便が詰まってる普通使わない大腸とか。こういうとこを使うわけですよ。そういうのを使うと凄いにおいがします。食品添加物が臭いを消すんです。においを消したらハンバーグっぽい味にしなきゃならないから、合いびき肉だから、豚のエキスとか牛のエキスとか、食品添加物だからそれっぽい味を出すわけです。


一番いけないのはコンビニの弁当とかを、電子レンジでチーンってやって、みそ汁代わりにカップヌードルを飲んでるとかなんだか、中にコーディングしてるわけでしょ、毒の水をわざわざ毒性を強くして、電子レンジで化学反応を起こして食べてる。ていう人たちががんになってるの。もう全員って言っていい、もう。


もちろん、古谷氏も書いているように、どれも科学的根拠があるわけではなく、陰謀論というか都市伝説みたいなものです。それは、「日本版Qアノン」と言われた新型コロナウイルスについての主張も同様です。

しかも、国立ガンセンターなど専門機関が(すべて原因がわかっているのに)公表しないのは、日米合同委員会や国際金融資本による圧力や情報操作があるからだと主張するのでした。

古谷氏は、演説の中で唐突に日米合同委員会や国際金融資本の話が出て来ることについて、次のように書いていました。

(略)だがこれは何ら不自然ではない。

「混じりけのない純粋なる何か」をそのまま延長していくと、「日本は純血の日本民族だけが独占する、混じりけのない国民国家であるべきだ」という結論に行きつくのは当然の帰結だからだ。


このようにオーガニック信仰が持っている純潔主義が、(民族の)純血主義、そして国家主義へと架橋されるメカニズムを指摘しているのでした。

(略)熱心な参政党支持者の人々は、驚くほど政治的に無色であり、むしろ参政党支持以前には政治自体に関心がほとんどないような、政治的免疫が全く無いような人々が多い。でいて自然食品や有機野菜などを好んで摂取する、消費者意識の高い比較的富裕な中高年や、自分の子供に食の安全を提供しよう思っている女性層が、あまりにも、驚くほど多い。

 それまでヨガ教室に熱心に通い、自然食品を愛好し、個人経営の自然派喫茶店が行きつけである、とフェイスブックに書いていた人が、ある日突然、参政党のYouTubeに感化されシェア・投稿しだす。それまでインド等の南アジアを放浪し、自然の偉大さや神秘に触れる感動的な旅行記を寄稿していた人が、ある日突然、参政党のYouTubeに感化され…。このような事例は観測するだけで山のようにあるし、私の周辺にも極めて多い。


従来、「環境・エコロジー」は左派リベラルの専売特許でした。反戦や人権や多元主義とセットで論じられることが多かったのです。ただ一方で、『古事記』でも「倭は 国のまほろば たたなづく青垣 山籠れる 倭し麗し」と謳われているように、「環境・エコロジー」はもともと右派のテーマではないのかという声があったこともたしかです。参政党は、荒唐無稽でカルトな面はあるものの、初めてそれを前面に出して、有権者に認知された右派政党と言えなくもないのです。

私は、日本のトロッキズム運動の先駆者だった太田竜が、アイヌ解放論者から自然回帰を唱えるエコロジー主義者になり、さらにユダヤ陰謀論者から最後はウルトラ右翼の国粋主義者へと、めまぐるしく転向(?)していった話を思い出しましたが、今にして思えば彼の”超変身”も支離滅裂なことではなかったと言えるのかもしれません。

辺野古の基地建設反対運動をしていた女性に久し振りに会ったら、参政党の支持者になっていたのでびっくりしたという話がネットに出ていましたが、あり得ない話ではないように思います。

これは蛇足ですが、私たちは、政治のような”大状況”より日々の生活の”小状況”の方が大事です。それは当たり前すぎるくらい当たり前のことです。多くの人たちは、”大状況”なんてあまり関心もないでしょう。でも、カルトやそれと結びついた政治は、私たちの”小状況”の中に巧妙に入り込んできて、無知なのをいいことに彼らの”大状況”に誘導し引き込んでしまうのです。
2022.07.13 Wed l 社会・メディア l top ▲
参院選挙は文字通り空しくバカバカしいお祭りで終わりました。

自民党は単独で改選過半数を越えたばかりか、寄らば大樹の陰の「改憲勢力」も3分の2を越え、改憲の発議も可能になったのでした。このように、少なくとも次の国政選挙がある3年後まで、絶対的な数を背景に「やりたい放題のことができる」環境を手に入れたのです。文字通り「大勝」の一語に尽きるでしょう。

もっとも、この選挙結果は大方の予想どおりだったとも言えるのです。メディアの事前の予想も、ここまで自民党が大勝するとは思ってなかったものの、与党が過半数を越えるのは間違いないという見方で一致していました。

これもひとえに野党、特に野党第一党の立憲民主党のテイタラクが招いた結果だというのは、誰の目にもあきらかです。厳しい状況だとわかっていたにもかかわらず、執行部は野党共闘からも背を向け、漫然と(敗北主義的に)選挙戦に突入したのでした。

ところが、開票後の記者会見で、泉健太代表は辞任するつもりはないと断言しています。その無責任な感覚にも唖然とするばかりです。3年後も与党の勝利に手を貸すつもりなのか、と思いました。

そもそも労使協調で業界の利害を代弁するだけの、文字通り獅子身中の虫のような大労組出身の議員たちをあんなに抱えて、何ができるのでしょうか。彼らは、間違っても労働者の代表なんかではないのです。

私は、旧民主党は自民党を勝たせるためだけに存在しているとずっと言い続けてきましたが、とは言え、まさかここまであからさまに醜態を晒すとは思っても見ませんでした。

「野党は批判ばかり」というメディの批判を受けて、泉代表は「提案型野党」という看板を掲げ(そうやってみずからずっこけて)、野党としての役割を実質的に放棄したのでした。そのため、先に閉幕した第208回通常国会では、1996年以来26年ぶりに政府が提出した法案61本が全てが成立するという、緊張感の欠けた国会になったのです。これでは野党がいてもいなくても同じでしょう。

90年代の終わり、メディアは55年体制の弊害を盛んに取り上げていました。何故なら、自民党の支持率の長期低落と(旧)社会党の労組依存による退潮がはっきりとしてきたからです。つまり、彼らが支配してきた議会政治にほころびが生じ始めたからです。そのため、既存政党の、特に野党の再編(立て直し)の必要に迫られたのでした。それを受けて、小沢一郎などが先頭に立ち、野党の支持基盤である労働戦線の右翼的統一を手始めに、小選挙区制と政党助成金制度をセットにした「政権交代のできる」二大政党制の実現に奔走(ホントは暗躍)、その結果「連合」と民主党が誕生したのでした。あれから20数年経った現在、見るも無残な野党の劣化を招き、一方で、選挙を「金もうけ」と考えるような政党まで輩出するに至ったのです。少なくとも政党助成金制度がなかったら、NHK党のような発想は生まれなかったでしょう。

さらにメディアは、今度は「批判ばかりの野党」キャンペーンを展開して野党の骨抜きをはかり、巨大与党の誕生を後押ししたのでした。

津田大介氏は、今回の選挙結果について、朝日のインタビュー記事で次のように語っていました。

朝日新聞デジタル
この10年変わらぬ選挙構図、続く低投票率 津田大介さんが見た絶望

自民、公明の両党が全体の4分の1の得票を得て大勝する。この大きな構図は直近10年間の国政選挙と変わっていない。ただ、安倍元首相に対する銃撃事件があってなお低投票率が続き、NHK党、参政党といった新興政党が議席を確保した2点からは、有権者の既存政党に対する絶望感が見えてくる


(略)投票に行った有権者のなかにも既存政党に対するあきらめが漂っていた。こうした人々の不満を巧みなマーケティングとネット戦略ですくいとったのが、参政党とNHK党だった。


 今回の参院選は、ネット選挙が本格化する嚆矢(こうし)となっただろう。良くも悪くも注目を集めてアクセス数を増やしてお金を集める。そんな「アテンションエコノミー」とも呼ばれる手法の有効性が示された。既存政党への不満が最高潮に達する中、不満を吸い取ることに特化した新興政党が出てくることに対し、既存政党側も対策をとり、ネットを積極的に活用していく必要があるだろう。


そして、最後にいつもの常套句を持って来ることを忘れていません。

 もちろん有権者にとっても投票する際の判断材料が増え、見極める力が問われる。自分で情報を集めて精査し、判断する人が増えることで有権者の投票の質が高まる。そのことが投票率の向上にもつながり、政治への信頼を高めることにもなる。


ビジネス用の言説なのか、ホントにそう考えているのかわかりませんが、こんな生ぬるい駄弁を百万編くり返しても何も変わらないでしょう。この国の議会制民主主義は、もはや「絶望」するレベルを越えているのです。与党か野党か、保守かリベラルか、右か左かのような、非生産的で気休めなお喋りをつづけても何の意味もないのです。無駄な時間を費やして日が暮れるだけです。

バカのひとつ覚えのように何度もくり返しますが、今、必要なのは「上」か「下」かの政治です。求められているのは、「下」を担う政党(政治勢力)です。そのためには、ヨーロッパで「下」の政治を担っている急進左派や極右が示しているように、ネットより街頭なのです。

やはり、お金の問題は大きいのです。安倍元首相銃撃事件の犯人が抱えていた疎外感や怨恨も、 シングルイシューのポピュリズム政党に拍手喝さいを送る人々のルサンチマンも、根本にあるのはお金の問題です。そして、言うまでもなく、お金の問題は「上」か「下」かの問題でもあります。「働けど働けど猶わが暮らし楽にならざりぢっと手を見る」と謳った石川啄木が、アナキズムにシンパシーを抱いたのもゆえなきことではないのです。このままでは「最低限の文化的な生活を営む」こともままならない人々は、ファシズムに簒奪されてしまうでしょう。

泉代表だったか誰だったかが、選挙戦で物価高の問題を訴えたけど、有権者にそこまで切実感はないみたいで訴えが響いたようには見えなかった、と言ってましたが、それは物価高でもそれほど困ってない人たちに訴えていたからでしょう。今の野党は「中」を代弁する政党ばかりです。耳障りのいい政策を掲げて、そのクラスの有権者を与党と奪い合っているだけなのです。
2022.07.11 Mon l 社会・メディア l top ▲
私は、石原慎太郎と安倍晋三とビートたけし(北野たけし)が大嫌いですが、昨日、突然舞い込んできた安倍晋三元首相殺害のニュースには、びっくり仰天しました。

昼寝をしていてふと目を覚ましたら、点けっぱなしになっていたテレビから、奈良市内で参院選の応援演説していた安倍元首相が銃撃され、心肺停止になっているというニュースが目に入り、飛び起きてしまいました。

犯人は同じ奈良市内に住む41歳の元海上自衛隊員だそうで、しかも使われた銃が、鉄パイプに黒いビニールテープを巻いた手製だったというのにも驚きました。

夜になると、テレビ東京を除く東京のキー局は通常の番組を取りやめて、いっせいに安倍氏死去の報道特別番組をやっていました。出演するアナウンサーなどは黒い喪服のようなものを着て、沈痛な表情で事件の経緯や安倍氏の政治的な功績を伝えていました。

それは既存メディアだけではありません。ネットでも、「民主主義に対する挑戦だ」と既存メディアと同じセリフで今回の犯行を非難しているのでした。そして、いつの間にか、下手なことを言えば「不謹慎だ」として炎上しかねないような空気に覆われていたのでした。ホリエモンに至っては、日頃の”マスゴミ批判”はどこへやら、Twitterで「反省すべきはネット上に無数にいたアベカー達だよな。そいつらに犯人は洗脳されてたようなもんだ」などとトンチンカンなネット批判をする始末でした。

警察発表によれば、犯人は、政治信条とは関係なく、家族をメチャクチャにした宗教団体と関係がある元首相に恨みを持ち殺意を募らせた、と供述しているそうです。だとすれば、政治テロと言うには無理があるように思いますが、ただ、ジャーナリストの一部には、あの用意周到さと冷静沈着さと捨て身の覚悟に、政治テロの可能性も捨てきれないという見方も残っているようです。

たしかに、これほどの重大事件なのですから、情報が厳重に管理されているのは間違いないでしょう。昭恵夫人が病院に到着して数分後に亡くなったというのも、到着まで死亡確認を待っていたのかもしれません。

一方で、犯人の人生を考えると、あそこまで殺意をエスカレートした裏に、やはり”上と下の問題”があるように思えてなりません。元海上自衛隊員と言っても20代前半の3年間だけで、最近は家賃38000円のワンルームマンションにひとりで暮らし、派遣の仕事で生活を支えていたそうです。職場の人たちも、大人しくて孤独な印象だった、と口を揃えて証言しているのでした。

大物政治家の家系に生まれて上げ膳据え膳で大切に育てられ、おせいじにも優秀だったとは言えないボンボンだったにもかかわらず、周りが敷いたレールに乗って、とうとう総理大臣にまで上り詰めた元首相。父親の死をきっかけに母親が統一教会に入信して経済的に破綻した末に、家族の関係も崩壊して大学進学も断念し、人生設計をくるわされた犯人(この記事のあとにアップされた文春オンラインには、実兄が病気を苦に自殺、本人も海上自衛隊時代に自殺未遂したと書かれていました)。そんな二人を対比すると、私には不条理という言葉しか浮かびません。文字通りこの世に神はいないのかと思ってしまいます。

ちなみに、事件の発端になった統一教会(現在は「世界平和統一家庭連合」と改名)は、霊感商法と合同結婚式で知られた韓国に本部があるカルト宗教で、安倍元首相が同会と深い関係があるのは衆知の事実でした。昨年の系列団体のイベントでもリモートで挨拶しているくらいです。犯人が元首相を逆恨みしたのも故なきことではないのです。

事件直後、ひろゆきは下記のように、今まで蔑ろにされ社会から疎外された人たちの多くは自殺を選んできたけど、これからは「他殺」を選ぶ人間も出てくるのではないか、とツイートしていましたが、ホリエモンなどに比べれば的を射た発言のように思いました。


さらに話を飛躍させれば、社会から疎外された人たちの声を代弁する「下」の政治(政党)が不在な中で、今回の犯人も含めて彼らは、政治的イデオロギーとは別の回路でこの社会の矛盾や不条理に突き当ったとも言えるのです。その結果として、個人的なテロがあるのではないか。

誤解を怖れずに言えば、フランスをはじめヨーロッパでは「下」の政治を極右や急進左派が担っているのですが、日本ではカルト宗教がその代わりを担っていると言えなくもないのです。もちろん、それは餌食にされているという意味です。参院選の応援演説の場で犯行が行われたのも、まったく機能していない政治に対する「下」からのメッセージのようにも私には思えました。

これだけ監視カメラが街中に設置され徹底した監視が行われていても、「暴力は民主主義の敵だ」というような「話せばわかる」民主主義の幻想が振り撒かれても、死や逮捕を覚悟した個人的なテロを防ぐことはできないように思います。「ロンリーウルフ型テロ」という言葉があるそうですが、まさかと思うような人間が政治的イデオロギーとは関係なくテロを実行するような時代になっているのです。今回の事件も特殊な例だとはとても思えません。


※「宗教団体」を実名に直しました。
※内容を一部書き直しました。


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2022.07.09 Sat l 社会・メディア l top ▲
これは私の勝手な妄想なのですが、このブログでGoogleの悪口を書き始めた頃から、ブログのアクセス数が目に見えて減少したように思います。と言うと、ブログの質が落ちたからじゃないか、最近は、床屋政談のような時事問題ばかり扱っているので、検索でヒットしなくなったのは当然だ、という辛辣な声が返って来るかもしれません。ただ、今の私は、かように被害妄想を抱くほど、Googleに対しては不信感しかありません。

Web2.0の黎明期の16年前、私はこのブログで、Googleのことを半分皮肉を込めて「あらたな神」と書きましたが、その後、Googleは、かの有名な「Don't be evil」という行動規範をこっそり削除していたことがわかりました。今、私たちがGoogleに抱いているイメージも、神というより独裁者に近いものです。

検索で上位に表示されるものほど、内容のすぐれたものだとホントに言えるのでしょうか。そもそもAIは、公平で客観的な評価軸を持っているものなのでしょうか。でも、現実は欧州委員会も指摘しているように、ECサイトの「おすすめ順」と同じで、広告を出稿したりとGoogleに都合のいいサイトが上位に表示されるケースも多いのです。

千葉大学大学院教授で、科学史や科学技術社会論が専門の神里達博氏は、朝日新聞デジタルで、次のようなエピソードを紹介していました。

朝日新聞デジタル
ブラックボックスの「ご託宣」 アルゴリズムの透明性が欠かせない

 今月、米国のIT企業グーグルのエンジニア、ブレイク・ルモイン氏が、同社が開発した対話型のAI(人工知能)「ラムダ」に、感性や意識が芽生えたと主張している、と報じられた。

 まるでAIに魂が宿ったかのようだが、それは錯覚である。要するにこのシステムは、テキスト情報のビッグデータを元に、人間の会話のパターンを学習し、やりとりを模倣する仕組みに過ぎないからだ。


AIは「artificial intelligence」の略ですが、それを直訳すれば「人工知能」です。私たちもまた、この「人工知能」という言葉に惑わされ、上記のGoogleのエンジニアと同じように、AIに幻想を抱いているのではないでしょうか。

先日、アマゾンで、代金を払ったものの商品が届かない不正なサイトにひっかかり、アマゾンと返金交渉を行いました。以前とシステムが変更になったみたいで、カスタマーセンターに問い合せると、まずAIとチャットを行なうように指示されました。

「AIチャットボット」と名乗っていましたが、何のことはない問答集を自動化したものにすぎず、「人工知能」とはほど遠いものでした。そのため、チャットをしているとイライラして来るのでした。

最後に「解決しない」を選ぶと、今度は生の人間とチャットができるのですが、しかし、一旦チャットを終えたあと、確認したいことがありカスタマーセンターに再びアクセスすると、また最初から「AIボット」相手に同じ問答をくり返さなければ前に進まないのでした。何だか「AIボット」におちょくられている感じで、イライラが募るばかりでした。

挙げ句の果てに、AIの次に出た中国名の担当者も、「AIボット」と似たような問答をくり返すだけで、私は最初、AIなのか人間なのかわからず戸惑ったくらいでした。彼女?たちもまた、マニュアルどおりの(常套句を並べるだけの)返答を行なうように訓練されているのでしょう。

AIが人間の知能や知性を凌駕する「シンギュラリティ」が2045年頃にやって来ると言う人がいますが、そのことについて、神里達博氏は次のように書いていました。

 かつて米国の哲学者ジョン・サールは、人工知能を「弱いAI」と「強いAI」に区別して考察した。前述のラムダや、囲碁のAIなども含め、現在実現しているAIは全て前者である。一方で後者は、感性や意識、自我や感情などを持つAIのことを指す。「ドラえもん」のように人間の友達になったり、逆に「ターミネーター」のように人類の脅威になったりするのは「強いAI」だ。

 結論としては、「強いAI」は現在も、どうすれば実現できるのか、その端緒すら見えていない。また、そもそも原理的に可能なのかという点も、AIの専門家の間で意見が割れている。実現可能性を否定しない「楽観的な」専門家ですら、ほぼ全員が、できるにしても相当に遠い未来のことだろうと推測している。
(同上)


神里氏は、「そういう話を聞いたら全て、SFだと考えてよい」と書いていました。

「食べログ」が飲食店の評価に使っているアルゴリズムも、きわめて恣意的なものであったことが先日の東京地裁の判決で認定されました。要するに、もっともらしい衣装を着けたアルゴリズムが恣意的な評価の隠れ蓑になっていたのです。それが、神里氏が言う「食べログ」をめぐる「問題の核心」なのです。

 IT化によって客観的で公平な評価が実現すると期待している人は少なくないだろう。だが、どんなシステムも、運用するのはAIではなく人間だ。そこでは、透明性や可読性が欠かせない。
(同上)


私たちはネットだけではなく、人生のいろんな場面においても、既にAIやアルゴリズムに「支配」されています。でも、それは、集められたデータを基にスコアリングされ、導き出された「傾向」や「確率」を使って、推論したり再現(模倣)したものに過ぎないのです。そんな「傾向」や「確率」に、私たちは振り回されているのです。しかも、その「傾向」や「確率」は、「ブラックボックス」と化したアルゴリズムの中で操作されており、決して公平で客観的なものとは言えないのです。そもそも基礎になるデータが正しいかどうかもわかりません。入力ミスだってあるかもしれません。神里氏が言うように、「透明性」や「可読性」は大事ですが、ホントにそれが担保できるのか、きわめて疑問です。

生身の人間が評価したのなら「この野郎!」とか「間違っているだろ!」とか文句をいうこともできますが、AIから評価されたら拳を振り上げることもできません。機械的に処理され、私たち自身も機械的に受け止めるだけで、感情が介在する余地すらないのです。それはとても冷酷で怖いことですが、私たちはそんな時代に生きているのです。しかも、もう後戻りすることはできないのです。


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あらたな神
Google
2022.07.07 Thu l ネット l top ▲
ダイヤモンドオンラインに、ノンフィクションライターの窪田順生氏が下記のような記事を書いていました。

ダイヤモンド・オンライン
ウクライナ侵攻5カ月目…日本人は「戦争報道のインチキさ」今こそ検証を

手前味噌ですが、私も同じことをこのブログでしつこいくらい書いています。

窪田氏は、冒頭、こう書いていました。

 侵攻直後は「ウクライナと共に!」と芸能人たちが呼びかけ、ワイドショーも毎日のように戦況を紹介し、スタジオで「どうすればロシア国民を目覚めさせられるか」なんて激論を交わしていた。今はニュースで触れる程度で、猛暑だ!値上げだ!という話に多くの時間を費やしている。

 作り手側が飽きてしまったのか、それとも視聴者が飽きて数字が稼げなくなったのかは定かではないが、「打倒プーチン!」と大騒ぎをしていたことがうそだったかのように、ウクライナ問題を扱うテンションが露骨に落ちてきているのだ。


「支援疲れ」と言えば聞こえはいいですが、要するに”支援ごっこ”に飽きてきたというのが本音かもしれません。

前の記事で触れた暴露系ユーチューバーのガーシーが、楽天の三木谷浩史社長が親しい経営者仲間とゴルフコンペしたあと、ウクライナ人モデルを集めてパーティをしていたとみずからのチャンネルで暴露したのですが、それに対して、三木谷氏自身がTwitterで過剰に反応して、結果的にパーティの存在をみずから認めてしまったというオチがありました。

もっとも、一方的なネットの話なので虚実は不明です。NHK党から立候補したガーシーの挑発(話題作り)に、三木谷氏がうっかり乗ってしまった、乗せられてしまったという側面もなきにしもあらずでしょう。ただ、下記のような三木谷氏の反応を見ると、ゴルフのコンペのあとにウクライナ人女性を集めてパーティをやったことはどうやら間違いないようです。


「戦争を忘れてあげようと思って」パーティしたという三木谷氏のツイートは、子どもの言い訳のようで笑ってしまいました。野暮を承知で言えば、楽天が子どもを含めたウクライナ人避難民たちを招待して交流をはかり激励した、というような話ではないのです。あくまでコンペの打ち上げの仲間内のパーティなのです。

日本在住のウクライナ人について、ウィキペディアには次のように書かれています。

日本に在留しているウクライナ人の数は2003年には最大の1,927人にまで急増したが、かつて主流だった興行ビザによる滞在は2005年の興行ビザ発給制限の影響で減少し、2006年の387人から2020年では29人にまで大幅に減った。 2021年6月時点の中長期在留者・特別永住者は1,860人となっている。


興行ビザが厳格化されるまでは、ダンサーやモデルなどの資格で来日してロシアンパブなどで働いていたウクライナ人たちも多かったのです。特に外国人の場合、モデルと言ってもピンキリで、ホステスやコンパニオンがそう呼ばれていることも多いのです。

私は、ここでも”支援ごっこ”という言葉を浮かべざるを得ませんでした。

日本のメディアには、自由で清く正しい民主国家・ウクライナVS世界で孤立した悪の帝国・ロシアという図式が所与のものとして存在しているかのようです。あるメディアは、上記のような二項対立を否定してロシア「擁護」の陰謀論にはまっている人間は、同時に新型コロナウイルスの陰謀論にもはまっているタイプが多いと書いていましたが、とうとうここまで来たかと思いました。こんなことを書くのは日本のメディアだけでしょう。同調圧力にもほどがあると言いたくなります。

でも、そこにも、おなじみの「日本、凄い!」の自演乙、自己愛が伏在しているのです。

 日本人が働く日本のマスコミは、どうしても「日本が世界の中心」という考えに基づいた自国ファーストの情報を流す。そして、「数字」が欲しいので、日本人の読者や視聴者が「いい気分」になる話を扱いがちになる。西側についた日本が世界の中心だと視聴者や読者に知らしめるには、ロシアという国がいかに狂っていて、非人道的な連中なのか、とおとしめるのが手っ取り早い。ナショナリズムが報道の客観性をゆがめてしまっているのだ。
(同上)


旧西側陣営の主要メンバーとしてウクライナを支援して、「可哀そうなウクライナ」の人たちから涙ながらに感謝される日本。でも、実際に受け入れた避難民は千人ちょっとにすぎません。しかも、中には早速外国人パブで働きはじめた避難民がいて、それは人道支援の主旨と違うと行政が指導したというニュースもありました。

これでは、給付金詐欺と同じように、外国人パブで人気のウクライナ人ホステスを入国させるために、人道支援を隠れ蓑にしたケースもないとは限らないでしょう。「ウクライナの美女が中国に避難するのを歓迎」という投稿が載った中国のSNSを日本のメディアはやり玉に上げていましたが、その前に我が身を振り返ってみた方がいいかもしれません。

一方、昨日、朝日新聞に次のような記事が出ていました。

朝日新聞デジタル
「ジャベリンなかった」最前線、報道と落差 愛国か命か、揺れる兵士

これは今までの翼賛的な戦争報道と一線を画す記事で、「支援疲れ」の中でやっと出てきた記事と言えるのかもしれません。

 命じられた任務は、想像以上に過酷だった。部隊が前進する際に最前線の状況を確認し、ロシア軍の地雷などがあれば破壊。軍用車両が来れば爆発物で吹き飛ばす――。ロシア軍の進軍を防ぎつつ自陣を確保する、いわば「先遣隊」のような役割だった。

 だが、ほぼ実現することはなかった。「なぜなら、ずっと劣勢で、ウクライナ軍は押し返され続けてきたからです」

 とにかく、武器が足りなかった。メディアは、ウクライナ軍が欧米諸国から対戦車ミサイル「ジャベリン」や「NLAW」などの提供を受け、大きな戦果を上げていると報じている。

 だが男性は、「ジャベリンもNLAWも、見たことなんてない」と不満を口にした。「どこにあるのでしょうか?」。そう尋ねると、「政府や政治家に聞いてくれ」と批判した。


愛国心から軍に入った兵士。でも、今、前線から離れることを望んでいるそうです。しかし、軍人だから脱走するわけにはいかないと言います。

 ゼレンスキー大統領は、「勇気や知恵は輸入できない。我々の英雄が携えているものだ」などと述べて兵士らを鼓舞するが、男性は「そういう言葉を口にするのが大統領の仕事だから」とだけつぶやいた。

 「現場で戦っている兵士は決してあきらめていない」とも男性は言う。一方で、本当の戦況を知らされていないようにも思う。「もう疲れた。こんな状況で、人生を失いたくない」


戦争にプロパガンダは付き物です。もちろん、プロパガンダはロシアの専売特許ではないのです。当然、ウクライナもロシアと同じように、もしかしたらロシア以上にプロパガンダを発信しています。でも、”支援ごっこ”の日本人は、そんな当たり前のことすら理解してないように見えます。

何度も言っていますが、私たちは記事の兵士が抱いているような「厭戦」と連帯すべきなのです。ウクライナ・ロシアを問わず「戦争で死になくない」と考えている人々と連帯すべきなのです。そして、「戦争で死ぬな」と呼びかけるべきなのです。そんな素朴実感的なヒューマニズムが何より大事なのです。それしか戦争を止める道はないのです。

今、街頭で選挙演説している政治家や、そんな政治家に向かって手を振っている有権者に、ホントの平和主義者なんていません。彼らは無定見に国家の論理に拝跪しているだけです。先の大戦前、東条英機の自宅に、「早く戦争をやれ!」「戦争が恐いのか」「卑怯者!」「非国民め!」などというような手紙を段ボール箱に何箱も書いて送った国民と同じ心性を共有する、国家の論理で動員された人々がいるだけです。
2022.07.05 Tue l ウクライナ侵攻 l top ▲
高橋理洋


このブログはFC2ブログを利用しています。

今日、管理画面に入るためにIDとパスワードを入力しようとしたら、画面の余白に「PR」の文字とともに、上記の画像が表示されたのでした。

私は、一瞬、「なんだ、このXJAPANのYOSHIKIみたいなおっさんは?」と思いました。FC2の創業者の高橋理洋氏です。高橋氏は、現在、アメリカ国籍を取得してアメリカに住んでいるのですが(FC2の本社もアメリカ)、2015年の「FC2わいせつ動画配信事件」に連座して、日本の警察当局から「国際海空港手配」されている身なのでした。そのため、日本に帰るには逮捕を覚悟で帰るしかないのですが、でも、逮捕されたら執行猶予は付かず、数年の実刑になる公算が高いので(ホントかな)帰ることができない、と本人は言っていました。

「国際海空港手配」については、下記の記事に詳しく書かれています。

ライブドアニュース
わいせつ動画配信事件で「FC2」創設者に逮捕状
「国際海空港手配」とはなにか?


ところが、高橋氏は今話題の暴露系ユーチューバーのガーシーと旧知の仲だったようで、先日、突然、ガーシーの動画に登場して、その場で今回の参院選にガーシーこと東谷義和氏ともどもNHK党から立候補することを明らかにしたのでした。

それも、本人の話では、NHK党の候補者募集にその場のノリで手を上げたということでした。NHK党は、得票率2%を獲得して政党要件を満たすために、塵も積もれば山となる作戦で、供託金300万円(比例は600万円)持参で選挙を”宣伝の場”と割り切る「当選を目的としない」候補者を手広く募集していたのです。

当日の動画も観ましたが、スキットルと呼ばれるウイスキーを入れた缶を手にしたサングラス姿の高橋氏はかなり酔っぱらっている様子で、呂律がまわらない口調でよくわからないことをブツブツ言うだけでした。

国会議員に与えられる不逮捕特権を手に入れて一時帰国したいんじゃないかという穿った見方もありますが、本人はユーチューブの中で否定しています。

ちなみに、憲法第50条は次のように謳っています。

第五十条
両議院の議員は、法律の定める場合を除いては、国会の会期中逮捕されず、会期前に逮捕された議員は、その議院の要求があれば、会期中これを釈放しなければならない。


立候補にあたっての公約は、任期中の議員歳費を児童養護施設に寄付する、AVのモザイクを潰す(なくす)という2点を上げていました。ガーシーの動画に出ていたときと同じTシャツを着ていましたので、まだ酔いが残っていたのかもしれませんが、これってネタじゃないのかと思いました。話している内容も言葉使いも、おせいじにも聡明とは言い難く、48歳という年齢を考えても幼稚な感じがしてなりませんでした。

彼の公約にツッコミを入れるのは野暮のような気もしますが、たとえばAVについても、社会的に未熟だったりメンヘラだったりする女性が性被害を受けるとか、ガーシーが言う「デジタルタツゥー」によって顔を晒された動画が半永久的にネット上に残るとかいった問題などがあります。しかし、話を聞いていると、そういう問題はまったく視野に入ってない感じでした。

昨年末に父親が亡くなったけど、葬儀に出ることができなかったので悲しかったという話をしていましたが、その際、父親の死因について、腕に注射をする恰好をしながら、「これをやった直後になくなりまして」「でも、因果関係があるのかどうか不明です」と言っていたのには呆気に取られました。

FC2に関しては、動画、それも成人向けの動画共有サービスの「FC2動画アダルト」が大きな収益源であるのは言うまでもありません。FC2ユーザーとしてこんな言い方をするのはおかしいのですが、そんな会社がどうしてあまりお金にならないブログサービスを運営しているのか、不思議に思うくらいです。

FC2動画は、アダルト動画の投稿だけでなく、アニメなどの違法アップロードも多く、いつも当局とのいたちごっこがくり返されていますが、今やその言語は、(Wikipediaによれば)日本語・英語・中国語(簡体字、繁体字)・朝鮮語・スペイン語・ドイツ語・フランス語・ロシア語・インドネシア語・ポルトガル語・ベトナム語をカバーしており、文字通り世界中に視聴者を抱えるまでになっているのでした。ネットはエロとアニメの天国を象徴するようなサイトと言えるでしょう。

2015年の「FC2わいせつ動画公開事件」の際、ユーザーである私のもとにも下記と同じ文面のメールが届きました。

本日の報道に関しまして

平素は、FC2(fc2.com)をご利用いただき、誠にありがとうございます。

2015年4月22日(日本時間23日)に弊社の開発委託先会社の社長が逮捕されたとの報道がございました。

報道では、開発委託先会社ではなく、FC2の代表者が逮捕されたとの誤った報道が散見されますが、FC2の代表者が逮捕されたという事実はございません。

FC2は、今までどおりコンプライアンスを重視し、ユーザー様のご要望・ご期待にに沿えるよう全力でサービスを提供して行く所存です。


FC2総合インフォメーション
04/23 本日の報道に関しまして

たしかに「逮捕されたという事実」はなかったので、FC2の文章だけを読むと、代表者の高橋氏は事件とは無関係で、メディアの勇み足みたいに思ってしまいます。私もそう思いました。でも、逮捕はされてないだど、その代わり指名手配されていたのです。ものは言いようとは言いますが、何だか騙されたような気持になりました。

今のネットにどっぷりと浸かった若者たちにとって、高橋氏は、ホリエモンなどと同じように、ネットの時代のサクセス・ストーリーを地で行くヒーローなのかもしれません。手段や方法は二の次に、金もうけがうまければそれだけで凄い!という話になるのです。それが、給付金詐欺やオレオレ詐欺(特殊詐欺)の敷居の低さにもつながっているような気がしてなりません。

正直言って、高橋氏のユーチューブを観て、FC2ブログを利用していることに恥ずかしさを覚えました。でも、ブログを移転するのもめんどうなのです。前にも一度、他の会社のブログに移転したものの、FC2の方が使いやすかったのですぐに戻ってきたということがありました。弁解するわけではありませんが、エロで稼いでいるからなのか、FC2ブログが安くて使いやすいのはたしかです。

もちろん、優等生ぶってコンプライアンスがどうたらと言いたいのではありません。高橋氏に対しても、ホリエモンなどと同じように、ただ単純に、生理的と言ってもいいような嫌悪感しか覚えないと言いたいだけです。「なんだ、このおっさん」という気持しか持てないのです。

どこかのホテルチェーンの女社長みたいにみずから広告塔になりたいのかもしれませんが、プラットホームを提供する裏方なら裏方に徹すべきでしょう。それが商売のイロハのはずです。
2022.07.03 Sun l ネット l top ▲
先日、ロシアのサハリン州(樺太)北東部沿岸で開発されている資源プロジェクト「サハリン2」の運営会社の資産を、ロシアが設立した新会社に移管する大統領令にプーチン大統領が署名したというニュースが伝えられました。すると、当地での日本の天然ガスの権益が失われ、供給もままなくなるとして、日本でもセンセーショナルに報道されたのでした。

現在の運営会社の株は、ロシアの国営天然ガス企業・ガスプロムが50%、イギリスの石油大手シェルが27.5%、日本の三井物産が12.5%、三菱商事が10%を保有していますが、それがごっそり新会社に無償譲渡されることになるのです。文字通り火事場泥棒の所業とも言えますが、戦争当事国としてはあり得ない話ではないし、予想できない話ではなかったはずです。

「サハリン2」で生産される液化天然ガス(LNG)の60%は日本向けで、日本はLNGの輸入の8.8%(2021年)をロシアに依存しており、その大部分が「サハリン2」だそうです。

もちろん、岸田首相が日本の首相として初めてNATO首脳会談に参加して、「ウクライナは明日の東アジア」などと述べ、アジア太平洋地域とNATOとの連携の強化を呼びかけたことなどに対する意趣返しであるのはあきらかでしょう。

日本は、G7のロシア産の石炭や石油の段階的な禁輸の方針には足並みを揃えることを表明していますが、LNGに関しては代替の調達が難しいという理由で制裁から除外していたのです。ロシアは、そんな都合のいい態度をとる日本の足元を衝いて来たとも言えるのです。

しかし、誤解を怖れずに言えば、ロシアは決して孤立しているわけではありません。アメリカのシンクタンクの集計でも、ロシア非難に加わらなかった国の人口を合わせると41億人で、世界の人口77億人の53%になるそうです。つまり、G7やNATOの制裁に同調する国は、世界の人口の半分にも満たないのです。特にG7に対抗する新興国のBRICS (ブラジル・ロシア・インド・中国・南アフリカ)が運営する新開発銀行(本部は上海市)には、既にUAE(アラブ首長国連邦)・ウルグアイ・バングラデシュが新規に加盟しており、BRICSを中心にドル離れも進んでいます。

それどころか、肝心なアメリカ国民にも、ロシアとの”経済戦争”に冷めた見方をする人たちが多くなっていると言われています。アメリカも一枚岩ではないのです。

コロンビア大学のShang-Jin Wei教授(金融学・経済学)も、『Newweek』(7/5号)のコラムで、「 彼ら(引用者:アメリカ国民)の多くは、エネルギー価格高騰の全ての責任がロシアのプーチン大統領にあるとするバイデンの主張に賛同していない」(「アメリカの原油高を止める秘策」)と書いていました。

アメリカのガソリン価格は、現在、1ガロン55ドルくらいだそうですが、これを1ガロン=3.78リットル、1ドル=135円で換算すると、1リットル178円です。アメリカのガソリンは水みたいに安いと言われたのも今は昔で、日本とほぼ変わらないのです。2022年5月の価格は、昨年同月比の75%増だったそうです。

アメリカは2017年以降、世界の産油国の中でトップを占めるくらい輸出を行っており、原油(シェールガス)の埋蔵量も豊富です。世界最大の原油消費国であるとともに、原油輸出国でもあるのです。だったら、この原油高なのですから、アメリカ経済にもっとうるおいをもたらしてもいいはずです。しかし、アメリカの一般市民は、恩恵に浴してないどころか、逆に値上げに苦しんでいるのでした。

そこには資本主義のしくみが関係しています。原油高の利益が貪欲な石油会社とその株主、つまり資本に独占されているからです。しかも、彼らにとって、国内の消費者も収奪の対象でしかないのです。

アメリカは40年ぶりと言われる猛烈なインフレに見舞われ、アメリカ経済は疲弊しています。それが、FRBが25年ぶりに、政策金利を通常の3倍の0.75%という大幅な利上げに踏み切った背景です。もちろん、金利が上がれば経済成長は鈍化しますが、それよりインフレを抑える方に舵を切ったのです。それくらいインフレが深刻なのです。

アメリカにかつてのような超大国としての”余裕”はもうないのです。今秋(11月)の中間選挙次第では、バイデン政権が進めるウクライナ支援にも、ブレーキがかかる可能性があるかもしれません。アメリカの世論は、ウクライナ支援より自分たちの生活が大事という内向き志向になっているのは間違いありません。もはや「世界の警察官」としての自負もなくなっているのです。

「協調を忘れた世界」のツケが先進国の人間の消費を享受する便利で豊かな生活を直撃する、私たちはその危うい現実を突き付けられたと言っていいでしょう。まして、資源小国の日本が資源大国に歩調を合わせて「協調を忘れた世界」の論理に与すると、「サハリン2」のようなどえらいシッペ返しを受けるのは当然でしょう。良いか悪いかではなく、それが世界の現実なのです。それでもやせ我慢して、(本音では誰も戦場に行きたくないのに)軍事増強に突き進み、犬の遠吠えみたいな対決姿勢を鮮明にするのか。勇ましい言葉に流されるのではなく、今一度虚心坦懐に冷静に考える必要があるでしょう。
2022.07.02 Sat l ウクライナ侵攻 l top ▲
参議院選挙が公示され、駅前では候補者が揃いのTシャツを着たスタッフを従えて、愛想を振り撒きながら演説をしている光景が日常になっています。

聞くと勇ましい国防の話は多いのですが、もっとも身近で切実な格差社会=貧困の問題はどれも通りいっぺんなものばかりで、候補者がホントに貧困問題の切実性を共有しているかはなはだ疑問です。もとより貧困問題はあまり票になりにくいという側面もあるのかもしれません。

当然ながらどの候補者も物価高の問題には触れてはいますが、それも貧困にあえぐアンダークラスに向けてというより、まだまだ余裕があるミドルクラスの有権者に媚を売るような主張が多いのです。

でも、日本は先進国で最悪の格差社会を有する国です。生活保護の基準以下で生活する人が2000万人もいるような国なのです。

所得から所得税・住民税・社会保険料など租税公課を差し引いた金額が可処分所得ですが、さらに世帯ごとの可処分所得を世帯員数の平方根で割った金額を等価可処分所得と言います。そして、ちょっとややこしいのですが、等価処分所得の中央値の半分に引いたラインが「貧困線」になります。その貧困線に満たない(達しない)世帯員の割合が相対的貧困(率)と呼ばれます。相対的貧困(率)はOECD(経済協力開発機構)で定められた計算式に基づいて算出される国際基準で、そのボーダーラインの可処分所得は2019年で127万円だと言われています。

厚労省が発表した「2019年国民生活基礎調査」によれば、ボーダーラインの可処分所得が127万円未満の国民は、全体の15.4%だそうです。人数で言えば、約1930万人です(上の生活保護基準以下の数値とほぼ一致する)。つまり、日本の相対的貧困率は15.4%で、G7の中ではワースト2位です。

子ども(17歳以下)の相対的貧困率は13.5%、約260万人です。また、ひとり親世帯の相対的貧困率は48.1%、約68.2万世帯です。

日本では、これだけ多くの人たちが可処分所得127万円以下で生活しているのです。127万円を月に直せば10万円ちょっとです。その中から家賃や電気代やガス水道代やNHK受信料!を払い、残りのお金で食費をねん出しているのです。マンションや一戸建ての家を持っているミドルクラスのサラリーマン家庭が口にする「生活が苦しい」とは、まるでレベルが違うのです。

音楽評論家の丸屋九兵衛氏のTwitterを見ていたら、次のようなリンクが貼られていました。


アホな人間は、日本人は何でもすぐ政治のせいにするなどと言って、貧しいのも自己責任であるかのような言い方をするのが常ですが、カナダの大学が言うように、日本の貧困は「世界的にも例の無い、完全な『政策のミス』による」ものなのです。個人の努力が足りないからではないのです(上記のリンクは途中までしか表示されていません。「Twitterで会話をすべて読む」をクリックすると、最後まで表示されます)。

今でも何度もくり返し言っているように、日本には「下」の政党が存在しなことがそもそもの不幸だと言えます。(上か下かを問う)「下」の政治が存在しないのです。

同じ丸屋九兵衛氏は、次のようなツイートにもリンクしていました。


いくら「日本凄い!」と自演乙しようとも、日本がどんどん貧しくなっているのは誰の目にもあきらかです。誰も本気で戦場に行く気もないのに、口先だけの”明日は戦争”ごっこをしている場合ではないのです。

今、必要なのは「下」の政治なのです。フランスでは、「下」の政治を5月革命のDNAを受け継ぐ急進左派とファシストの極右が担っているのですが、日本ではそれが決定的に欠けているのです。

いつものことですが、メディアも政権党を側面から応援するために、格差社会の現実から目を背け”明日は戦争”を煽るばかりです。貧困にあげく人たちは完全に忘れられた存在になっています。彼らの切実な声をすくい上げる政党がないのです。その意味では、今回の参院選も、いい気な人たちのいい気なお祭りのようにしか見えません。
2022.06.29 Wed l 社会・メディア l top ▲
ウクライナ侵攻がロシアの侵略であることは論を俟ちません。そんなのは常識中の常識です。しかし、だからと言って、ロシア糾弾一色に塗り固められた報道が全てかと言えば、もちろん全てではないでしょう。まったく別の側面もあるはずです。

旧西側のメディアが伝えているように、ホントにウクライナが小春日和の下で平和で穏やかな日々を過ごしていた中に、突然、無法者のロシアがやって来て暴力を振るい家の中をメチャクチャにしたというような単純な話なのでしょうか。

2004年のオレンジ革命、2014年のマイダン革命とウクライナは国を二分する騒乱の渦中にありました。その中で、西欧流民主主義を隠れ蓑にしたしたウクライナ民族主義が台頭し、ロシア語話者に対する迫害もエスカレートしていったのでした。ロシアはその間隙を衝いて、ロシア系住民を保護するためという大義名分を掲げてクリミア半島に侵攻し併合したのです。

それは、ソビエト連邦やソ連崩壊時の独立国家共同体の理念を借用した行為であるとともに、国民向けには大ロシア主義=ロシア帝国再興の夢を振り撒く行為でもありました。

ただ、当時のウクライナは文字通り内憂外患の状態にあり、政治は腐敗しマフィアが跋扈し常に暴力が蔓延しており、欧州でいちばん貧しく遅れた国と言われていたのです。今回の侵攻で英雄視されているアゾフ大隊もそんな中で登場したネオナチの民兵組織で、国内の少数民族や社会主義者や労働運動家や性的マイノリティやロシア語話者に対する弾圧の先頭に立っていたのです。

でも、ロシアによるウクライナ侵攻によって、そういったウクライナのイメージはどこかに行ってしまったのでした。

欧米から供与された武器が闇市場に流れているのではないかという指摘もありますが、まったく荒唐無稽な話とは思えません。

今日、Yahoo!ニュースには次のような記事も出ていました。

Yahoo!ニュース
AFPBB News
ウクライナ侵攻で薬物製造拡大の恐れ 国連

国連薬物犯罪事務所(UNODC)は、薬物に関する年次報告書で、ロシアによるウクライナ侵攻で、ウクライナ国内の「違法薬物の製造が拡大する恐れがあると警告した」そうです。

 年報によると、ウクライナで撤去されたアンフェタミン製造拠点の数は2019年の17か所から20年には79か所に増加した。20年に摘発された拠点数としては世界最多だった。

 侵攻が続けば、同国における合成麻薬の製造能力は拡大する可能性があるとしている。

 UNODCの専門家アンジェラ・メー(Angela Me)氏はAFPに対し、紛争地帯では「警察が見回ったり、製造拠点を摘発したりすることがなくなる」と説明した。
(上記記事より)


これなども、今まで私たちが抱いている「可哀そうなウクライナ」のイメージが覆される記事と言っていいかもしれません。

俄かに信じ難い話ですが、ゼレンスキー大統領が国民総動員体制を敷いて、最後の一人まで戦えと鼓舞している傍らで、「合成麻薬の製造能力が拡大する可能性がある」と言うのです。しかも、それを国連が警告しているのです。

日本のメディアの「可哀そうなウクライナ」一色の報道に日々接していると、文字通り脳天を撃ち抜かれたような気持になる記事ではないでしょうか。それともこれも陰謀論だと一蹴するのでしょうか。

また、『紙の爆弾』(7月号)には、こんな記事がありました。

ウクライナから避難民とともに日本に入国したペットについて、「農林水産省は入国に際し、180日間の隔離などの狂犬病の動物検疫を免除する特例を認めた」そうです。どうしてかと言えば、避難民が動物検疫所係留の管理費用を払うことができず、費用負担できなければ「殺処分になる」というメールを検疫所から受け取ったことに端を発して(でも、実際にはそういったメールは送信されてなかった)、テレビや超党派の動物愛護議員連盟が費用免除を訴えたからです。それで、農水省が「人道への配慮」により検疫免除の特例を認めたのでした。

しかし、ウクライナは、「毎年約1600件の狂犬病の症例が報告され」「狂犬病が動物と人間の間で広まっている欧州唯一の国」なのです。そのため、農水省の決定に対して、専門家の間から狂犬病のリスクを持ち込む「善意の暴走」という批判が起きているそうです。もっとも、記事によれば、動物検疫所に係留されているのは、犬5匹と猫2匹にすぎないそうです。

言葉は悪いですが、これもウクライナの”後進性”を示す一例と言えるでしょう。と同時に、「可哀そうなウクライナ」の感情だけが先走る日本人の薄っぺらなヒューマニズムを示す好例とも言えるかもしれません。

でも、そう言いながら、日本が受け入れている避難民は、今月の24日現在で1040人にすぎません。大騒ぎしているわりには、受け入れている避難民はきわめて少ないのです。善意のポーズだけなのです。

ウクライナ侵攻に反対を表明しているあるロシア人ユーチューバーは、最近、侵攻以来届いていた「クソリブ」がほどんど届かなくなり、それはそれで逆に悲しいことでもあると言っていました。どうしてかと言えば、「クソリブ」が届かなくなったのは日本人の間でウクライナ侵攻に対する関心が薄れてきたことを示しているからだと。熱しやすく醒めやすい日本人の性格をよく表した話だと思いました。

私たちは今回の戦争について、はたしてどれだけ知っているのでしょうか。というか、どれだけ知らされているのか。「可哀そう」の感情だけでなく、もっといろんな角度から知る必要があるでしょう。そして、ゼレンスキーのプロパガンダに抗して、「戦争で死ぬな」と言い続ける必要があるのです。
2022.06.27 Mon l ウクライナ侵攻 l top ▲