日大闘争と全共闘運動


ついにと言うべきか、東京板橋区にある日大医学部付属病院の建て替えをめぐる背任事件は、本命である田中英寿理事長の逮捕に至りました。

東京地検特捜部は11月29日、所得税約5300万円を脱税したとして、所得税法違反容疑で日大の田中英寿理事長を逮捕。逮捕を受けて日大の臨時理事会は、12月1日、田中氏の理事長解任を決定したのでした。

これによって、「アマチュア相撲の学生横綱から、大学職員、理事、常務理事となり、2008年に理事長就任。5期13年にわたり、権限の集約と側近重用で築き上げた『「田中王国』が崩壊、ついに終焉の時を迎えた」(FRIDAY DIGITAL)のです。

私は、このニュースを聞いたとき、(私自身は下の世代なので直接には知りませんが)、1968年から1970年にかけて戦われた日大闘争を思い起こしました。

田中前理事長の存在はもちろんですが、理事長や理事たちが大学を私物化した今回の事件も、日大闘争が道半ばでやり残した問題が露呈しているような気がしてなりません。

日大闘争との関連を報じたのは、私が知る限りJBpressというネットメディアだけです。朝日などは、田中前理事長とカルロス・ゴーンの共通点なるトンチンカンな記事を書いてお茶を濁しているだけでした。

JBpressのタイトルと記事の内容は次のようなものです。

JBpress
日大全共闘と敵対、学生用心棒からドンにのし上がった田中英壽

   日大闘争は1968年の4月に始まった。発端は理工学部教授による裏口入学の斡旋だ。動いた金は3000万円。それだけではなかった。さらに調べによると大学当局にも22億円という巨額の使途不明金が見つかった。大学のあり方自体が問われる問題だった。学問の場という知的環境が金まみれになっていたのだ。大学上層部がカネ絡みのスキャンダルの張本人だったという点を見れば、今回の田中英壽、井ノ口忠男の事件と何も変わらない。
(JBpress同上記事)


「国家権力である機動隊は治安維持のプロだから強いのは当たり前だけど、それとは別に日大にはプロのヤクザのような集団がいたな」

  とOB達は振り返る。

  その集団とは“関東軍”と呼ばれる柔道部や相撲部、空手部などの体育会系の学生とそのOBで日大や系列校の職員による集団で、300人くらいが日本刃やハンマーを持って学生に襲いかかってきたのだ。現場ではまさに血の雨が降った。その大学お抱え“関東軍”を率いていたのが日大相撲部で学生横綱にもなった前理事長の田中英壽(74)だ。68年当時は経済学部の4年生だった。
(同上)


また、全共闘の元学生たちの証言をまとめた『日大闘争と全共闘運動』(三橋俊明編・彩流社)の巻末にある「日大闘争略年表」には、次のような記述がありました。

1970年(昭和45年)
二・二五
京王線武蔵野台駅付近でビラ配布中、右翼暴力学生集団に襲撃され日大全共闘商闘委の中村克己さんが重傷。襲われた二九名が逮捕され、一名が起訴。襲撃した右翼学生は後日逮捕されるが、全員が不起訴。

三・二
入院加療中の中村克己さんが永眠。(略)


当時の日大は「ポン大」と呼ばれ、受験のランクもおせいじにも高いとは言えませんでした。大学進学率が15%を超え、「大学の大衆化」が言われ始めた頃だったのですが、日大は文字通りそれを象徴するようなマンモス大学だったのです。しかも、学内は大学側と一体化した体育会系の右翼学生が支配し、集会やデモなどとても考えられないほど厳しい管理化におかれていたのです。そのため、日大闘争は、同時期に戦われた東大闘争などとはまったく異なり、「マルクスも読んだことがない」非エリート学生たちの身体を張った命がけの闘争と言われたのです。知り合いの団塊世代の人は、当時、他の大学で運動に参加してみたいですが、「今でも日大の連中のことを考えると涙が出る」と言ってました。

1968年に神田の三崎町で日大生が200メートルのデモをしたのも「画期的」と言われました。それこそデモをするのも命がけだったのです。それは、日大全共闘が掲げた「①経理の全面公開、②全理事の総退陣、③検閲制度の撤廃、④集会の自由を認めろ、⑤不当処分の撤回」の5大スローガンにもよく表われています。日大全共闘は、これを「民主化要求闘争」と呼んでいたそうです(『日大闘争と全共闘運動』より)。

『日大闘争と全共闘運動』は、冒頭、次のような文章で始まっていました。

   1968年五月、日本大学で「使途不明金」に端を発した日大闘争が沸騰しました。
   東京国税局の監査で日本大学の経理に約二〇億円にも及ぶ使途不明金が判明した新聞記事とともに、不正に抗議する学生たちが集会を開いたとニュースが報じました。
  五月二三日、大学当局に抗議する日大生たちによって「栄光のニ〇〇メートルデモ」が起こります。この日のデモをきっかけに、日本大学の本部と法学部・経済学部の校舎が建つ神田三崎町界隈の路上で、大学当局の不正と不当な教育体制に異議を申し立てる抗議デモが毎日のように繰りかえされました。
  五月二七日、大学校舎の前を通る白山通りの路上で、日本大学全学共闘会議(日大全共闘)の結成が宣言されます。日大全共闘は大学に対し大衆団交による話し合いを要求し、各学部に結成された闘争委員会とともに五月三一日に全学総決起大会を開催しました。
  六月一一日、連日にわたって要求してきた大衆団交を実現しようと、経済学部一号館前での全学総決起集会が呼びかけられます。ところが、集会に参加しようと集まった多くの一般学生たちに向かって、体育会系学生や右翼が大学校舎の階上からガラス瓶や鉄製のゴミ箱などを無差別に投げつける暴行を加えたためけが人が続出します。暴力による弾圧に怒った学生たちは法学部三号館へと移動して校舎をバリケード封鎖し、この日から日大闘争はバリケードストライキ闘争へと一気に突入していったのでした。
(「まえがき」より)


また、同書では日大全共闘の議長だった秋田明大氏のインタビューも掲載されており、その中で秋田氏は、1967年の経済学部学生会が主催した羽仁五郎の講演会が右翼学生に襲撃されるのを目の前で見て、大学に対して怒りを覚えたと述懐していました。

(略)そりゃ、めちゃくちゃでしたよ。二〇人ぐらいの学生を黒い学ランを着た応援団や右翼の連中が大勢やってきて、会場の大講堂で講演を妨害したうえものすごい暴力を振るったんだよね。


日大闘争は、「アウシュビッツ体制」と言われた学内の暴力との死闘の歴史でもあったのです。

そんな中、JBpressの記事で「あの田中は学生に向かって建物の上から砲丸投げの球を投げ落したんだ」とOBが証言しているように、田中英寿は「関東軍」を率いてスト破りをした功績が認められ、大学職員として大学に残り、のちに学内に恐怖政治を敷いて絶対的な地位を手にするのでした。

今の日大もおそらく集会やデモなど考えられないほど厳しい管理化にあるに違いありません。もっとも今の学生たちにとっては、集会やデモは別世界の話であって、「そうしたお金があるのなら、学費を安くしてほしい」と間の抜けた発言をするくらいが関の山です。

日大闘争はまだ終わってなかったのです。ただ、戦う学生がいなくなっただけです。
2021.12.07 Tue l 社会・メディア l top ▲
中国のテニス選手・彭帥(ほうすい)さんをめぐる騒動について、外交評論家の宮家邦彦氏が、時事通信に示唆に富んだ解説記事を書いていました。(この記事はYahoo!ニュースにも転載されています)

時事ドットコムニュース
中国女子テニス選手、彭帥さんをめぐる騒動の本質【コメントライナー】

宮家氏が記事の中で紹介していた彭帥さんの「告白」の概要は次のようなものです。

「私は良い女の子ではない、悪い悪い女の子だ。あなたは私を自分の部屋に引き入れ、十数年前と同様、私と性的関係を結んだ。あなたは共産党常務委員に昇進し、北京へ行き、私との連絡を一度絶ったのに、なぜ再び私を探し、私に関係を迫ったのか? 感情とは複雑で、うまく言えない。あの日から私はあなたへの愛を再開した。…あなたはとてもとても良い人だった。私は小さい頃から家を離れ、内心極度に愛情に飢えていた。…あなたは私に2人の関係を秘匿させた。関係は終わったが、私にはこの3年間の感情を捨て去る場所がない。私は自滅する覚悟であなたとの事実を明かすことにした」


宮家氏が書いているように、「告白」の中では「『関係を強要された』とは言っていない」のです。しかし、いつの間にか「関係を強要された」話になり、それが独り歩きしているのでした。むしろ、宮家氏も書いているように、「身勝手な相手に捨てられた鬱憤(うっぷん)から自暴自棄になり」告白文を書いて投稿したように見えます。

しかし、告白文は、中国共産党内の権力闘争のみならず中国をめぐる外交問題に発展し、北京五輪の「外交的ボイコット」にまで話が進んでいるのでした。「外交的ボイコット」というのもよくわからない話ですが、どう見ても、アメリカのバイデン政権が彭帥さんの「告白」を政治問題化して意図的に大きくしたのは否定できないでしょう。

とは言え一方で、今回の騒動に、一党独裁国家である中国社会の暗部が露呈されていることもまた、たしかです。共産党の権力や権威を絶対視する事大主義的な社会の中で、一人の女性の人生が翻弄されたのはまぎれもない事実で、それをどう解釈するかでしょう。もっとわかりやすく言えば、今回の騒動は、共産党の地方幹部が党の権威を利用して、親元を離れてテニスの英才教育を受けている少女と性的な関係を持ち、その後、中央政府の要職に就いてからも彼女の身体と心を弄んだという話なのです。

宮家氏は、騒動の本質について、次のように書いていました。

  筆者には、森羅万象が政治的意味を持つ中国で、幼少からテニス一筋で厳しく育てられ、親の愛情を知らないまま成功を収めたものの、時の権力者に翻弄(ほんろう)された「天才テニス少女」の半生が哀れでならない。
   今ごろ、彭帥さんがどこで何をしているかは知る由もない。が、今後彼女が自由に自らの心情を語ることは二度とないだろう。
   あまりにゆがんだ中国社会は、彼女ほど有名ではないが、彼女と同じような悲しい境遇を生きる人々を毎日生みつつある。これこそが、彭帥騒動の本質ではないか。


党の腐敗と言えばそのとおりですが、私たちが政治を見る場合、こういった個人的な視点から見ることも大事なように思います。吉本隆明は「政治なんてない」と言ったのですが、言うまでもなく私たちの人生にとって、政治は二義的なものにすぎないのです。

私もこのブログで、床屋政談とも言うべき軽佻浮薄な記事を書いていますので、偉そうなことを言う資格はないのですが、政治が一番と考えるような見方では、本来見るべきものも見えなくなるような気がします。それは眞子さんの問題にも言えることでしょう。

たまたま堤未果氏の『デジタル・ファシズム』(NHK出版新書)という本を読んでいるのですが、同書を読むと、デジタル先進国の中国では、政府が最先端のデジタル技術を使って人民の生活の隅々にまで入り込み、そうやって取得した個人情報を共産党が一元管理して人民を監視し支配する、文字通りのディストピアみたいな社会になっていることがよくわかります。独裁的な政治権力とGoogleがかつて(Web2.0で)バラ色の未来のように自画自賛したデジタル技術が結び付くと、とんでもない監視社会が訪れるという好例でしょう。その意味では政治と無縁とは言えないのかもしれません。しかし、だからと言って、私たちの人生は(政治に翻弄されることがあっても)政治が全てではないのです。それだけは強調する必要があります。くり返しになりますが、坂口安吾が言うように、人間というのは政治の粗い網の目から零れ落ちる存在なのです。だから希望があるのです。もとよりバイデンだって、政治に翻弄された彭帥さんの「悲しい境遇」を慮って中国政府を批判しているわけではないのです。どっちがホントなのか、どっちに正義があるのかなんてまったくナンセンスな話です。

今回の騒動についても、アメリカ中国双方の政治的プロパガンダに動員されるのではない、私たち自身の日常感覚に基づいた冷静な視点を持つことが何より大事だと言いたいです。
2021.12.05 Sun l 社会・メディア l top ▲
眞子さんと小室圭さんが結婚され、日本を飛び立ちましたが、その姿を見ながら「私たちにとって結婚は、自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択でした」という眞子さんのことばが思い出され、涙が出そうになりました。

天皇制云々以前の問題として、若い二人に誹謗中傷を浴びせ、ここまで追いつめた日本社会や日本人の下劣さについて、私たちはもっと深刻に受け止める必要があるでしょう。

でも、それも、今の日本では馬の耳に念仏のような気がします。ネットを見ればわかるように、二人に対する誹謗中傷と「在日」や生活保護受給者などに対するヘイト・スピーチは同じ根っこにあるのですが、そういった認識はほとんどありません。

眞子さんの下記のような発言は、今の日本社会に対する痛烈な批判、違和感を表明したものと言えるでしょう。

これまで私たちが自分たちの心に忠実に進んでこられたのは、お互いの存在と、励まし応援してくださる方々の存在があったからです。今、心を守りながら生きることに困難を感じ傷ついている方が、たくさんいらっしゃると思います。周囲の人のあたたかい助けや支えによって、より多くの人が、心を大切に守りながら生きていける社会となることを、心から願っております。


天皇制反対のイデオロギーに縛られ、二人の問題について見て見ぬふりをしてきた左派リベラルもまた、眞子さんから批判されるべき対象ですが、その自覚さえ持ってないかのようです。彼等もこの日本社会のなかでは、ヘイト・スピーチを行なう差別主義者と同じ穴のムジナと言っても言いすぎではないのです。仮にヘイト・スピーチに反対していてもです。

政治の幅は生活の幅より狭いと言ったのは埴谷雄高ですが、私たちにとってたとえば恋愛は、病気などと同じようにどんな政治より大事なものです。そういった人生の本質がまったくわかってないのではないか。ましてや、好きな人と愛を貫く気持など理解できようはずもないのです。

大袈裟すぎると思われるかもしれませんが、私は、天皇制反対のイデオロギーに拘泥して二人の問題を見て見ぬふりしてきた左派リベラルに、「自由」とか「平等」とか「人間の解放」とかを口にする資格はないとさえ思っています。

余談ですが、先の衆院選における「野党共闘」の総括をめぐり、「野党共闘」周辺のグループが山本太郎や北原みのりや前川喜平氏などに対して、「限界」なるレッテルを貼ったりして執拗にバッシングしていますが、それを見るにつけ、時代は変わっても相変わらず衣の下からスターリン主義の鎧が覗いている気がしておぞましい気持になりました。その行き着く先は、言うまでもなく近親憎悪と「敵の敵は味方」論なのです。そういったことも含めて、私はイデオロギーにとり憑かれた”左翼の宿痾”というものを考えないわけにはいきませんでした。

二人の出国を前にして、元婚約者の男性が400万円の解決金を受け取ることになり、いわゆる金銭問題も急転直下して解決しましたが、何だか出国のタイミングに合わせて手打ちをしたような気がしないでもありません。

どうしてもっと前に400万円を渡さなかったのかという週刊誌の記事がありましたが、渡さなかったのではなく、下記の小室さんの発言にあるように、元婚約者が小室さんのお母さんと直接会うことに拘り400万円を受け取らなかったからです。文字通り七つ下がりの雨とも言うべきお母さんに対する執着心が問題を長引かせてきたのです。

付き合っていたときに使ったお金は貸したものだ、別れたから返せ、というチンピラまがいの要求に対して、小室さんは立場上妥協に妥協を重ね、結局、「解決金」として400万円を支払うことにしたのですが、にもかかわらず、お母さんに直接会うことが条件だとして問題をこじらせたのでした。そのあたりの下衆な事情を百も承知で、週刊誌はあたかも小室さんに誠意がないかのように悪意をもって報じてきたのです。元婚約者も、そういったメディアのバッシングを背景に要求をエスカレートしていったフシがあります。

それは、小室圭さんの会見の際の次のような発言からも伺えます。

私が母に代わって対応したいと思い、母の代理人弁護士を通じてそのことをお伝えしました。元婚約者の方からは、元婚約者の方の窓口となっている週刊誌の記者の方を通じて、前向きなお返事をいただいています。


何のことはない元婚約者の代理人は、弁護士などではなく未だに「週刊誌の記者」(実際はフリーライター)が務めていたのです。彼がバッシングのネタが尽きないように、元婚約者のストーカーもどきの執着を「借金問題」としてコントロールしてきたのではないか。某大手週刊誌に近いと言われるフリーライターは、小室家の金銭問題を演出する工作員みたいな存在だったのではないのか。そんな疑いが拭えません。少なくとも週刊誌やスポーツ新聞やテレビのワイドショーにとって、彼の存在は実においしいものだったと言えるでしょう。

『噂の真相』が健在だったなら、そのあたりのカラクリを暴露したはずです。こんな人権侵害のやりたい放題のバッシングが許されるなら、もう何でもありになってしまいます。公人・私人という考え方も極めて恣意的なもので、その刃がいつ私たちに向かって来るとも限りません。そのためにも、元婚約者や代理人のフリーライターの素性、それにフリーライターと週刊誌の関係など、小室問題の真相が衆目の下にあきらかにされるべきで、『噂の真相』のスキャンダル精神を受け継ぐと言っているリテラや『紙の爆弾』など(マイナーだけど)骨のあるメディアにもっと奮起して貰いたいと思います。

大塚英志が言う死滅しつつある既存メディアがまるで悪あがきをするかのようにネット世論に迎合した結果、バッシングがエスカレートして閾値を越え、狂気と言ってもいいような領域に入っていったのでした。東京大学大学院教授の林香里氏は、朝日の「論壇時評」で、今年度のノーベル平和賞に輝いたフィリピンのオンライン・ニュースサイト「ラップラー」の創設者マリア・レッサさんの「ソーシャルメディアは『人間の最悪の性向を技術的に増幅させている』」というニューヨーク・タイムズのインタビューでの発言を紹介していましたが、既存メディアとネット世論を媒介してバッシングを増幅させたYahoo!ニュースの存在も見過ごすことはできないでしょう。もちろん、その背後に、日本社会や日本人の底なしとも言える劣化が伏在しているのは言うまでもありません。そういった構造と仕組みを知る上でも、週刊誌的手法を逆手に取ってこの問題を総括することは非常に大事なことのように思います。
2021.11.16 Tue l 社会・メディア l top ▲
衆院選における立憲民主党の惨敗は想像以上に深刻だと言えるでしょう。あれだけ「野党共闘」による政権交代を訴えながら、獲得した議席は改選前を下回ったのです。片方の共産党も同様です。文字通り、大山鳴動してネズミ一匹に終ったのでした。

選挙が近づいた途端に新規感染者が激減したのも魔可不思議な話ですが、もちろん、だからと言ってパンデミックが収束したわけではありません。百年に一度などと言われるパンデミック下においてもなお、立憲惨敗、自民単独過半数、自公絶対安定多数のこの結果は、今まで何度もくり返してきたように、立憲民主党が野党第一党であることの不幸をあらためて痛感させられたと言えるでしょう。立憲民主党に対しては、野党としての存在価値さえ問われていると言っても過言ではありません。

立憲民主党はホントに野党なのか。今回の選挙で立民は、消費税を5%に下げるという公約を掲げました。それを聞いたとき、多くの有権者は、民主党政権(野田内閣)が公約を破って自公と「社会保障と税の一体改革に関する三党合意」なるものを結び、今日の増税路線に舵を切ったことを思い出し呆れたはずです。

当時、枝野代表は経産大臣でした。蓮舫は行政改革担当の内閣府特命担当大臣、安住淳に至っては財務大臣だったのです。野田元首相も現在、立民の最高顧問として復権しています。みんな昔の名前で出ているのです。

このように消費税5%のマニフェストだけを見ても、よく言われるブーメランでしかないのです。立民や国民民主党などの旧民主党が、自民党を勝たせるためだけに存在していると言うのは、決してオーバーな話ではないのです。

今回の選挙結果を受けて、さっそく国民民主の玉木代表があたかも連合に愁眉を送るかのように立民にゆさぶりをかけていますが、今後立民に対して旧同盟系の芳野体制になった連合の右バネがはたらき、反共の立場を明確にして自民党と中間層の取り込みを争うという中道保守政党としての”原点回帰”が進むのは間違いないでしょう。でも、それは、ますます自民党との違いが曖昧になり、野党としての存在価値をいっそう消失させ、立民が自己崩壊に至る道でもあるのです。にもかかわらず、今の立民には、連合が自分たちを潰す獅子身中の虫であるという最低限の認識さえないのです。芳野友子会長はとんだ食わせ物の反共おばさんで、ガラスの天井が聞いて呆れます。

だからと言って今回のような「野党共闘」に希望があるかと言えば、今までも何度も言っているように、そして、今回の選挙結果が示しているように、「野党共闘」が”人民戦線ごっこ”を夢想した理念なき数合わせの野合にすぎないことは最初からあきらかだったのです。そんなもので政治が変わるはずもないのです。立憲民主党や国民民主党が野党になり切れないのは、何度もくり返しますが、労働戦線の右翼的再編と軌を一にして生まれた旧民主党のDNAを受け継いだ、連合=右バネに呪縛された政党であるからにほかなりません。その根本に目を瞑って「野党共闘」の是非を論じても、単なるトートロジーに終わるだけでしょう。

「野党共闘」の支援者たちのSNSをウオッチしても、この惨敗を受けてもなお、小選挙区で立民の議席が増えたことを取り上げて、「野党共闘」があったからこの程度の敗北で済んだのだなどと言い、相変わらず夜郎自大な”無謬神話”で自演乙しているのでした。

立民は小選挙区では増えたものの、支持政党を選択する比例区では致命的と言っていいほど議席を減らしました。比例区で野党第一党が有権者に見放された事実こそ、投票率の低さも含めて野党不在の今の政治の深刻さを表しているように思います。つまり、自公政治に対する批判票の受け皿がない、立民がその受け皿になってないということです。皮肉なことに今回の「野党共闘」によって、それがいっそう露わになったと言えるでしょう。

昔、著名なマルクス経済学者の大学教授が、社会党の市会議員選挙だかにスタッフとして参加した経験を雑誌に書いていましたが、そのなかで、選挙運動を「偉大なる階級闘争だった」と総括しているのを読んで、まだ若くて尖っていた私はアホじゃないかと思ったことを覚えています。共産党はもちろんですが、「野党共闘」の接着剤になったと言われる市民連合なるものも、もしかしたらそのマルクス経済学者と同じような、「負けるという生暖かい場所」で惰眠を貪っているだけのとんちんかんな存在と言うべきかもしれません。「アベ政治を許さない!」というボードを掲げるような運動がほとんど成果を得ることなく後退戦を余儀なくされた末に、苦肉の策として「野党共闘」が構想されたという事情も見過ごすことはできないでしょう。ものみな選挙で終わるのです。

ヨーロッパで怒れる若者たちの心を掴み、議会に進出して今や連立政権の一翼を担うまでになった急進左派(それはそれで問題点も出ていますが)と日本の野党との決定的な違いは、街頭での直接的な要求運動、抵抗運動が存在するかどうかです。誤解を怖れずに言えば、ヨーロッパの急進左派は火炎瓶が飛び交うような過激な街頭闘争から生まれ、それに支えられているのです。でも、日本の野党はまるで逆です。「アウシュビッツ行きの船に乗る」とヤユされた立民への合流によって、むしろ地べたの社会運動が次々と潰されている現実があります。「野党共闘」もその延長上に存在しているにすぎません。

コロナ禍によって格差や貧困の問題がこれほど深刻且つ大きく浮上したにもかかわらず、その運動を担う政治勢力が存在しない不幸というのは、とりもなおさずホントの野党が存在しない不幸、立憲民主党が野党第一党である不幸につながっているのです。

前も引用しましたが、シャンタル・ムフの次のようなことばをもう一度(何度も)噛みしめて、今の政治と目の前の現実を冷徹に見る必要があるでしょう。

  多くの国において、新自由主義的な政策の導入に重要な役割を果たした社会ー民主主義政党は、ポピュリスト・モーメントの本質を掴みそこねており、この状況が表している困難に立ちむかうことができてない。彼らはポスト政治的な教義に囚われ、みずからの過ちをなかなか受入れようとせず、また、右派ポピュリスト政党がまとめあげた諸要求の多くが進歩的な回答を必要とする民主的なものであることもわかってない。これらの要求の多くは新自由主義的なグローバル化の最大の敗者たちのものであり、新自由主義プロジェクトの内部にとどまる限り満たされることはない。
(略)右派ポピュリスト政党を「極右」や「ネオファシスト」に分類し、彼らの主張を教育の失敗のせいにすることは、中道左派勢力にとってとりわけ都合がよい。それは右派ポピュリスト政党の台頭に対する中道左派の責任を棚上げしつつ、彼らを不適合者として排除する簡単な方法だからである。
(『左派ポピュリズムのために』)


今、求められているのは、右か左かではなく上か下かの政治なのです。むしろ極右が「階級闘争」を担っている側面さえあるのです。シャンタル・ムフは、左派が極右に代わってその政治的ヘゲモニーを握るためには、自由の敵にも自由を認める(話せばわかる)というようなヤワな政治ではなく、自由の敵に自由を許すなと言い切るような「対抗的で闘技的な政治」が必要だと訴えているのでした。彼女はそれを「民主主義の根源化」と呼んでいました。

  ソヴィエト・モデルの崩壊以来、左派の多くのセクターは、彼らが捨て去った革命的な政治観のほかには、自由主義的政治観の代替案を提示できてない。政治の「友/敵」モデルは多元主義的民主主義とは両立しないという彼らの認識や、自由民主主義は破壊されるべき敵ではないという認識は、称賛されてしかるべきである。しかし、そのような認識は彼らをして、あらゆる敵対関係を否定し、政治を中立的領域でのエリート間の競争に矮小化するリベラルな考えを受入れさせてしまった。ヘゲモニー戦略を構想できないことこそ、社会ー民主主義政党の最大の欠点であると私は確信している。このため、彼らは対抗的で闘技的なアゴニスティック政治の可能性を認めることができないのである。対抗的で闘技的な政治こそ、自由ー民主主義的な枠組みにおいて、新しいヘゲモニー秩序の確立へと向かうものなのだ。
(同上)

2021.11.01 Mon l 社会・メディア l top ▲
第49回衆院選挙が19日に公示され、31日に投開票行われることになりました。

今回の選挙のポイントは「野党共闘」だと言われています。朝日の記事によれば、全国289選挙区の75%の217選挙区で候補者が一本化され、与野党による事実上の一騎打ちは約140選挙区にのぼるそうです。

朝日新聞デジタル
初の衆院選の野党共闘 217選挙区で一本化、強さには濃淡か

そのなかの東京8区で、公示前に「野党共闘」をめぐってトラブルがありました。

公示の10日前の10月8日、れいわ新選組の山本太郎代表が、突然記者会見を行ない、「野党統一候補」として東京8区から立候補することを表明したのでした。

東京8区は、杉並区(ただし方南1・2丁目を除く)を対象にする選挙区です。小選挙区制になってから今まで8度の選挙ではいづれも自民党の石原伸晃氏が当選しており、田中龍作ジャーナルのことばを借りれば、石原氏の「金城湯池」とも言うべき選挙区です。

しかし、この突然の山本代表の出馬会見にびっくりしたのは、立憲民主党の吉田はるみ候補を野党統一候補として担いでいた市民運動や立民の地元の関係者でした。「晴天の霹靂」「怒り心頭」と報じるメディアもありました。そして、その怒りは山本代表に向けられたのでした。

山本太郎は「限界系左翼」の盲動みたいな言い方をされ、今までの市民運動(と言ってもただの選挙運動)の成果を反古にする利敵行為だとの非難が浴びせられたのでした。吉田氏の支援者のなかには、「山本太郎さんに鼻をつまんで投票しない」というボードを掲げて抗議活動を行なう人たちまで登場する始末でした。

ところが、その後、山本自身があきらかにしたところによれば、東京8区の野党統一候補は山本で行くように水面下で話が進んでいたそうです。しかも、話を持ってきたのは立民の方で、枝野代表も承知済みだったとか。その際、山本氏が出馬すれば吉田はるみ氏を降ろすという生くさい話まで出たそうです。

そんななか、岸田内閣が誕生し、選挙日程が前倒しされた。でも、いっこうにラチがあかない。それでしびれを切らした山本が強行突破するかたちで立候補を表明したということでした。

しかし、山本太郎がフライングして立候補を表明し、彼に批判が集中すると枝野代表も立民中央も「困惑している」と言い出し、山本との”密約”についても知らぬ存ぜぬを決め込んだのでした。

結局、山本太郎が立候補を辞退することで一件落着になったのですが、すると今度は枝野代表や立民中央の姿勢を批判したリベラル系のジャーナリストに対して、「野党共闘」の周辺にいる支援者が「限界系ジャーナリスト」などというレッテルを貼って悪罵を浴びせはじめたのでした。

このトラブルで露呈されたのは、まぎれもない”もうひとつの全体主義”です。社民主要打撃論ならぬれいわ主要打撃論とも言うべき左翼政治のお家芸です。また、リベラル派であっても自分たちの意に沿わないジャーナリストは容赦なく叩くやり方には、あの夜郎自大な”無謬神話”さえ垣間見えるのでした。

立民の某国会議員は、それまで散々山本太郎を非難しておきながら、辞退が決まると一転して「山本太郎さんの英断に感謝します」とツイートしていましたが、なんだか白々しく思えてなりませんでした。私たちは、そんな白々しいことばの裏で、衣の下から鎧が覗いていたのを見過ごすことはできないのです。

「野党共闘」とはそんなスターリン主義的な左翼リゴリズムと保守反動が同床異夢する野合にすぎないのです。文字通り「『負ける』」という生暖かいお馴染みの場所でまどろむ」古い左翼(左派リベラル)の姿にほかなりません。

こんな選挙になにを期待しろというのでしょうか。AかBかなどという二者択一論にどれほどの意味があるというのか。もちろん、政権交代なんて左派特有の大言壮語、誇大妄想にすぎません。「左翼小児病」というのはレーニンの有名なことばですが、このような夢見る夢子のようなおめでたさは「左翼中二病」と言うべきかもしれません。

折しも朝日の衆院選に関連した特集で、下記のような記事が掲載されていました。

朝日新聞デジタル
韓国に抜かれた日本の平均賃金 上がらぬ理由は生産性かそれとも…

私もつい先日、このブログで同じような記事を書いたばかりですが、朝日の記事も次のように書いていました。

経済協力開発機構(OECD)の2020年の調査(物価水準を考慮した「購買力平価」ベース)によると、1ドル=110円とした場合の日本の平均賃金は424万円。35カ国中22位で、1位の米国(763万円)と339万円も差がある。1990年と比べると、日本が18万円しか増えていない間に、米国は247万円も増えていた。この間、韓国は1・9倍に急上昇。日本は15年に抜かれ、いまは38万円差だ。日本が足踏みしている間に、世界との差はどんどん開いていた。


もちろん、賃金が上がらない理由のひとつに非正規の労働者が多くなったということがあります。しかし、いちばん大きな理由は、非正規の問題も含めて労働組合が弱くなった、戦わなくなったからです。労使協調路線が当たり前のようになったからです。それは、言うまでもなく1987年の連合の誕生=労働戦線の右翼的再編からはじまったのです。一方で企業の「内部留保」は「500兆円に迫るほど積み上がって」おり、自民党でさえ「分配」を政策に掲げるほど、企業はお金をため込んでいるのです。

その労働戦線の右翼的再編と軌を一にした政界再編の申し子のような存在が、今の立憲民主党であり国民民主党の旧民主党です。その根っこを見ることなしに、自公の悪政を正すには政権交代が必要だと言うだけでは、文字通り木を見て森を見ないおためごかしの論理と言わざるを得ません。どう考えても、立民や国民民主が今の状況を剔抉しているとは思えないし、そもそもどれほど自民党と違うのかもわかりません。その選択の幅はきわめて狭いのです。二大政党制を前提とする「政権選択選挙」なんて茶番でしかないのです。花田清輝の口吻をもじって言えば、すべてが選挙に収れんされ、そして、ものみな選挙で終わるのです。
2021.10.21 Thu l 社会・メディア l top ▲
小室圭さんの自主隔離期間が終わり、26日の入籍と記者会見が近づきましたが、小室さん一家と眞子さんに対するバッシングは止む気配はありません。むしろ、最低限の節度さえ失い、狂気の領域に入ったと言ってもいいくらいです。

ネトウヨのYouTuberが小室家に押しかけてあたりはばからず大声で「結婚反対」と叫ぶので、近所の人がうるさくて迷惑しているという話も、メディアの手にかかると小室さんが帰宅して近所の人たちは迷惑しているという話になるのです。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いではないですが、全ては小室さん一家が悪いのです。

ましてや、メディアは、結婚反対デモなるものを主催しているのが件のネトウヨのYouTuberだということや、小室さんのお母さんが遺族年金と傷病手当金を不正受給した疑いがあるとして詐欺罪で告発した(でも「返戻」された)のがネトウヨのジャーナリストであることは何故かあまり触れずに、彼らのチンピラまかいの言いがかりを二人に対するバッシングの材料に使っているのでした。

小室さんのお母さんに対する告発にしても、通常であれば名誉棄損で反訴されてもおかしくないのですが、今のお母さんの立場ではそれは叶わぬことです。それをいいことにやりたい放題のことがまかり通っているのです。

SNSで野党をフェイク攻撃してきたネトウヨの「Dappi」の実体が、実は自民党と取引きするワンズクエストというウェブ制作会社であったことがあきらかになり問題になっていますが、ネットにおいてはそれは特異な例ではないでしょう。ネットを使った情報操作や世論工作は、なにも中国に限った話ではないのです。そして、そういった世論工作に誘導された老人たちが、「ネットで目覚めた」などと言い、まるで憂国の士でもなった気分で愛国運動に動員され、ネトウヨになっていくのです。

眞子さんの結婚に関して、とりわけネトウヨが熱心にバッシングするのも、皇位継承問題に絡む極右の政治的な主張と関係しているからで、そこにも、万世一系の国体を維持するために(!)、「Dappi」と同じような政治の力がはたらいてないとも限らないでしょう。

ところが、女性自身やNEWSポストセブン(週刊ポストのウェブ版)は、「小室佳代さん 眞子さまに追い打ち…刑事告発報道で結婚会見がさらなる修羅場に」(女性自身)とか、「小室佳代さん刑事告発も 小室圭さんは結婚会見で反対世論を変えることはできるのか?」(NEWSポストセブン)などと、ネトウヨの主張をそのまま小室バッシングに利用しているのでした。

こういったフェイクに依存するメディアは、もはやメディアを名乗る資格なしと言わざるを得ません。ネットだけでは採算が合うはずはないので、読者が拒否すればすぐに言論の場から駆逐できるでしょう。ビジネスマンではなく会社員の国である日本では、不買運動が成り立ちにくいのはたしかですし、こういうクソメディアほど錦の御旗のように「言論の自由」を振りかざして大衆を恫喝するのが常です。でも、そんな脅しに屈しない読者の見識と良識が問われているのだと思います。

女性自身やNEWSポストセブンのような大衆の負の感情をこれでもかと言わんばかりに煽りまくる、悪意の塊のようなバッシングに晒されれば、眞子さんが複雑性PTSDになるのも、小室さんのお母さんが自殺を考えるまでに追い込まれるのも当然でしょう。

もっとも、女性自身やNEWSポストセブンのようなおばさん&おじさんメディアは、誰が見てもオワコンで、もはや余命が取り沙汰されるような存在です。だから、なりふり構わずネトウヨと密通して最後の悪あがきをしているとも言えるです。

さらにここに来て、元婚約者がいつものことながらわけのわからないコメントを発表して、メディアに燃料を投下しています。

仮に元婚約者が主張するように「借金」があったとして、たかが400万円のお金を用意できないのが不思議だと誰も思わないのが逆に不思議です。問題が解決しないのは、元婚約者がのらりくらりとわけのわからない理由で解決を拒んでいるからです。お母さんと直接会うことが条件だとか何とか言って、「解決金」を受け取らないからです。

そもそも400万円の「借金」が存在すること自体がずいぶん怪しい話です。ホントに貸したのなら訴訟を起こせばいいと思いますが、法律の専門家に相談したら訴訟は無理だと言われたという話もあります。さもありなんと思います。だから、小室さん側は「解決金」と言っているのでしょう。別れたから付き合っていた頃に使ったお金を返せというのは、本来なら「最低の男」と言われても仕方ないでしょう。でも、何故かそうは言われないのです。

今回、元婚約者のコメントに関する記事が朝日にも出ていたので、元婚約者が朝日の取材に応じたのかと思ったら、なんのことはない、以前と同じようにフリーライターの代理人を通して一方的にコメントを発表しただけなのでした。いつもそうやってタイミングをはかってコメントを発表し、状況を攪乱するのでした。狙いはお金より他にあるのではないかと勘繰りたくなります。そんなにお金に困っているのなら、お金(「解決金」)を受け取ればいいだけでしょう。「頑固」とかそういう問題ではないように思います。「Dappi」ではないですが、一方的に言い分を垂れ流すのではなく、元婚約者の正体をあきらかにするのがメディアの本来の役割でしょう。どうして元婚約者を取材しないのか、それも不思議でなりません。

この問題について、先日の朝日に、北原みのり氏のインタビュー記事が出ていましたが、そのなかで下記のことばが目に止まりました。

朝日新聞デジタル(有料記事)
眞子さまの苦しみ、人ごとではない 北原みのりさんが語る女性の結婚

 ただ、意識のどこかで皇室は「別世界」だと思っていたのです。天皇制そのものが性差別的な要素を含んでいるため、フェミニストも制度そのものに反対の声はあげても、その中で実際に生きている人たちをどう守るかを話すことがなかった。皇室の中にいる女性の人権は語られてこなかったのです。

 しかし今、眞子さまという生身の人が苦しんでいるのが見えています。差別的な日本の法律の一つが皇室典範であり、皇室という制度ではないかと思います。変えようという議論を始めるときではないでしょうか。


この問題に対していわゆる左派の感度が鈍いのは、天皇制そのものに反対するというイデオロギーが邪魔をして、所詮は天皇制内部の揉め事みたいな考えがあるからではないかと思います。どう見ても”もうひとつの自民党”でしかない立憲民主党に同伴しながら、心のなかは頑迷でスターリン主義的な左翼思想に凝り固まっているのが彼らの特徴ですが、そういったヌエ的な彼らの思考態度がこの問題でも露わになっているように思います。

もう天皇制が時代の間尺に合わなくなっているのです。折しも、ガールスカウトの記念イベントで、佳子さんがジェンダー平等を訴えたことが話題になっていますが、今の時代に若い皇族を皇室のなかに閉じ込めるのは無理があるのです。とどのつまりはそういうことでしょう。二人の結婚について、「いいんじゃね」「自由でしょ」とあっさり言い放つ、今どきの若者たちの方がよほどマトモで健全なのです。
2021.10.13 Wed l 社会・メディア l top ▲
小室圭さんの帰国をきっかけに、再びバッシングが沸き起こっています。なかでも、スポーツ新聞とそれを転載するYahoo!ニュースのコメント欄(ヤフコメ)の異常さが際立っています。ネット民の異常さは今にはじまったことではありませんが、スポーツ新聞に関しては、販売部数の低迷による経営不振という背景があるように思えてなりません。そこにあるのは、どう考えても精神病理学でなければ説明がつかないような、ネットと旧メディアの共振による”日本の異常”です。

Yahoo!ニュースに転載されたスポーツ紙のコタツ記事の見出しをざっとピックアップしてみるだけでも、その異常さがよくわかります。

小室圭さん「エコノミークラス」で帰国へ 航空チケット代は〝お国持ち〟か(9/24東スポ)

あの時とは別人 小室さん ロン毛、ちょんまげ、ポケットに手入れ無視 宮内庁関係者「もう少し考えて…」(9/25スポニチアネックス)

小室圭さん激変 えっロン毛! フジテレビ突撃取材に左手ポケット、発言一切なし(9/25ディリースポーツ)

眞子さま&小室さんと対照的…百恵さん&友和、唐沢&山口智子らの幸せ結婚会見現場(9/25女性自身)

眞子さまの「ゴリ押し婚」が違憲かもしれないこれだけの理由(9/25JBpress)

ロン毛の小室圭さん「直撃ガン無視」が及ぼす結婚会見への影響(9/25FRIDAY)

小室圭さんのロン毛に哀愁を感じるワケ 米NYで質素倹約生活「散髪代すら…」(9/25東スポ)

眞子さまのNY生活を待ち受ける小室佳代さんの“支配” 異国の地で居場所を失う可能性も(9/26ディリー新潮)

小室圭さん 急展開!眞子さまと渡米延期も…手続き待つ都内新居に母・佳代さんが“通い姑”(9/27スポニチアネックス)

小室圭さん 母の金銭トラブル、不正受給疑惑など“4つの騒動”自身から説明あるか(9/27スポニチアネックス)

小室圭さん 物価高いNYで役立つレシピ本「月たった2万円のふたりごはん」購入済み(9/27スポニチアネックス)

高橋真麻 小室圭さんの直撃取材無視に「印象悪すぎ」 対応変化も「挽回できない」(9/27スポニチアネックス)

清原博氏 弁護士の立場捨て?空港の小室圭さんを糾弾「とてもじゃないけど感じ悪い」(9/27ディリースポーツ)

国際弁護士・清原博氏 小室圭さん就職…米法律事務所の新人実情説明「大変厳しいと思います」(9/27スポニチアネックス)

高橋真麻 小室圭さんに「嫁のために頭下げられないやつが夫…大丈夫なの?っていう気持ち」(9/27スポニチアネックス)

実家で2週間の隔離期間を過ごす小室圭氏 警備費用は誰が負担するのか(9/27NEWSポストセブン)

小室さん”ロン毛”帰国に遠野なぎこ疑問「笑かしにきてるのかな」「なんかのネタなのか」(9/27中日スポーツ)

天皇陛下 小室さんと“面会拒否”の真相…「義理の甥」肩書乱用を憂慮か(9/28女性自身)

坂上忍 無言貫く小室圭さん「ハート強いわ」 注目度の高さ「金銭トラブル解決してないまま…」(9/28スポニチアネックス)

これを見ると、スポニチの異常さが特に目立ちます。小室家に何か恨みでもあるのかと思いたくなるような、悪意をむき出しにした記事のオンパレードです。

一方で、SMAP解散の際も指摘しましたが、スポニチはジャニーズ事務所べったりのメディアで、嵐の櫻井翔と相葉雅紀のW結婚の発表では、同じ新聞かと思うほど歯の浮いたような祝辞が紙面を覆っているのでした。しかも、結婚相手についての記事は一切なく、ただジャニーズ事務所の大本営発表を垂れ流しているだけなのでした。

また、高橋真麻や遠野なぎこや国際弁護士の清原博らによる、大衆の負の感情を煽るようなコメントも目につきますが、彼らは風にそよぐ葦の典型的なゲスタレントと言うべきでしょう。

大手芸能事務所だと報復が怖いので忖度するけど、小室さんなら立場上無防備にならざるを得ないので、スポーツ新聞やワイドショーにとっては書き放題、言いたい放題なのです。

そして、こういったコタツ記事に煽られて、ヤフコメに終日貼り付いているネット民たちが小室バッシングに狂奔するのです。

もちろん、なかにはネットで人殺し扱いされたスマイリーキクチのような冷静な意見もないこともありません。

小室圭さんバッシングに「一億総いじめっ子時代か…」スマイリーキクチ私見
(日刊スポーツ9/24)

でも、こういった意見は、”日本の異常”のなかでは濁流に呑み込まれる小舟のようなものです。

挙句の果てには、この”日本の異常”が、平均年収で日本を抜いた韓国のメディアに「嘲笑」される始末なのでした。

同紙(引用注:京仁日報)はこれまでの小室さんを巡る騒動に触れつつも結婚を好意的に捉えており、映画「ローマの休日」などと例示しながら様々な壁を乗り越えて愛を貫く様子を報じた。

 そのうえで「2人の交際に世論は友好的ではない。メディアは小室の経済力を問題視した。夫と死別した母親が恋人から400万円を借りた後、返済がなかったと〝つまらない暴露〟が出た」と疑惑に対して批判的な日本の世論を疑問視。

 そして「家庭の事情を口実に結婚に反対する日本国内の世論はスルーすればいい。『私生活よりも、それぞれの立場にふさわしい行動をしなければならない』などという指摘は息苦しいものだ。世の中は光速化の時代になっているのに、日本人の前近代的思考は変わらない。発展が鈍くなった日本には濃い暗雲が垂れこめている」とお二人の結婚に反対する日本の世論を強く非難した。

日本の〝小室圭さん報道〟を韓国紙が嘲笑「日本人の前近代的思考」「つまらない暴露」

(9/28東スポ)

こういった指摘が日本のメディアから出て来ないのも不思議です。「多様性のある社会」なんて片腹痛いと言えるでしょう。恋愛の自由はもちろんですが、当人同士の合意に基く結婚の自由は、子どもでも知っている民主主義社会の基本の「き」です。でも、日本のメディアはそんな基本の「き」さえ認めたくないかのようです。自由を求める二人の勇気ある行動をここまで呪詛する日本の社会の、その根底にある歪んだ心性を考えないわけにはいきません。

自分たち(あるいは自分たちの子ども)は、借金があろうがなかろうがすぐ同棲し、できちゃった結婚をしているくせに、眞子さんには浮世離れしたいつの時代の話だと思うような厳格を求めるのです。もはや狂気と言ってもいいかもしれません。

二人に浴びせられる誹謗中傷をまじかで見てきた佳子さんも、今の自分たちが置かれた立場(と言うか日本という国)に絶望して何らかの行動を起こす可能性は高いでしょう。次期天皇の悠仁さんも、最近、感情の起伏が激しく、聞くに堪えないような乱暴なことばを使ったりして、側近たちも頭を悩ましているという話もあります。どう考えても、今どきの若者たちに赤坂御用地のなかに閉じ込めるような人生を押し付けるのは無理があるのです。秋篠宮家の教育方針が間違っているとかトンチンカンなことを言う者がいますが、要するに、現代社会に天皇制は間尺が合わなくなっているのです。反動的な日本国民がその現実を見ようとしてないだけです。

いわゆる小室さん問題については、今まで何度もこのブログで書いていますのでくり返しませんが、ご興味があれば下記の関連記事をご覧ください。

小室さんは、眞子さんと結婚するために留学し、一生懸命勉強して優秀な成績を残し、12月に発表される弁護士資格の試験でも合格するのはほぼ間違いないと言われています。私などは個人的に、凄いなとか立派だなということばしか浮かびませんが、しかし、ネット民はそうは思わないみたいです。終日ネットに貼り付いているような、努力とは無縁な人生を送っているので、小室さんの血の滲むような努力が理解できないのかもしれません。

また、もうひとつ注目すべきは、ネトウヨや右派系の著名人たちが小室さんだけでなく、眞子さんもバッシングしていることです。韓国紙が書いているように、結婚相手が皇室にふさわしくないからと言いたいのかもしれませんが、それは裏を返せば、カゴのなかの鳥でいろということです。まるで税金で養われている身分なのだからとでも言いたげで、皇室に対する尊敬の念など微塵も感じられないのでした。かつて『噂の真相』は、記事のなかで皇太子妃を呼び捨てにしたとして、右翼のテロに遭ったのですが、ネトウヨや右派著名人の誹謗中傷はとてもその比ではないでしょう。


関連記事:
小室さん問題の新展開?
小室文書とバッシング
眞子さんと小室圭さんの結婚
眞子さんに対する中傷
小室さんバッシングのおぞましさ
2021.09.29 Wed l 社会・メディア l top ▲
一部のメディアにも取り上げられていましたが、2002年の小泉・金正日会談の陰の立役者である元外務審議官の田中均氏が下記のようなツイートをしていました。

田中均ツイート20210922
@TanakaDiplomat 9月22日

また、ダイヤモンドオンライン「安いニッポン 買われる日本」という特集のなかにも、次のような記述がありました。

   OECD(経済協力開発機構)の調査によると、日本の平均賃金(年間)は2000年時点、3万8364ドル(約422万円)で加盟35カ国中17位だった。20年には3万8514ドル(約423万円)と金額はわずかに上がったものの、22位にまで順位を下げた。過去20年間の上昇率は0.4%にすぎず、ほとんど「昇給ゼロ」状態。これでは「給料が上がらない」と悩む日本人が多いのも当然だろう。

 他国と比べると、日本の賃金の低さは歴然としている。トップの米国は6万9391ドル(約763万円)で、率にして44%の大差が開いている。OECD加盟35カ国の平均額の4万9165ドル(約540万円)に対しても22%低い。

 米国以下には、アイスランド、ルクセンブルク、スイスといった欧州の国々が並ぶ。日本の賃金はこういった欧米の国々に負けているだけでなく、お隣の韓国よりも低くなっている。

(略)日本の平均賃金は韓国に比べて、3445ドル(約37万9000円)低い。月収ベースで見れば3万1600円ほど低いという計算になる。

DIAMOND online
日本人は韓国人より給料が38万円も安い!低賃金から抜け出せない残念な理由


日本が韓国から抜かれたのは2015年だそうです。以来、その差は開く一方なのです。

今の自民党総裁選では、中国や北朝鮮を念頭に「敵基地への先制攻撃能力の保持」などという、まるでそれが「愛国」の踏み絵であるかのように、勇ましい外交防衛論議がくり広げられていますが、その一方で、国内の貧困問題はほとんどと言っていいほど取り上げられていません。唯一、河野太郎が消費税を財源とする「最低保障年金制度」の導入に言及しましたが、それも他の候補者やメディアからは絵空事として一蹴されただけです。

もっとも、自民党総裁選で何に関心があるかという問いに対して、「外交・防衛政策」と答えた国民(有権者)が意外と多いという世論調査の結果もあります。コロナで貧困と格差の広がりにいっそう拍車がかかり、自分たちの尻に火が点いているにもかかわらず、まるで「欲しがりません勝つまでは」の再来のように、国民自身がメディアの中国脅威論に煽られている側面があるのです。

もちろん、その背後にはアメリカの対中強硬策があるからですが、でも、前に書いたように、アメリカは唯一の超大国の座から転落してもはや「世界の警察官」ではなくなったのです。パクス・アメリカーナの時代は終わったのです。

アメリカは、クアッド(日米豪印戦略対話)を軸に中国に対抗しようとしているみたいですが(自民党総裁選の勇ましい外交防衛論議もそのアメリカの意向の上にあるのですが)、先のアフガン撤退を見てもわかるとおり、もはやアメリカにその力はありません。アジアの覇権が中国に移るのは既定路線なのです。

「ネットで目覚めた」高齢者のネトウヨが「高市早苗を総理大臣にする」運動なるものを始めて、ネットのみながらず街頭にまで進出しているみたいですが、彼らが胸を高鳴らせる「敵基地への先制攻撃能力の保持」も、安倍晋三らが主張していた自衛隊が平壌に侵攻して拉致被害者を奪還するという話と同じような荒唐無稽な妄想にすぎません。

高市早苗応援団の背後に、韓国の情報機関から金銭を受け取っていたと報道された“極右の女神”の存在も指摘されていますが、自己保身のために高市早苗を担いだ安倍晋三ともども、そうやって「愛国」の名のもとに国を過つ方向に持って行こうとしているようにしか思えません。

高齢者は人生も残り少なく、年金においても食い逃げ世代なので、勇ましい戦争ごっこの妄想の世界で夜郎自大な余生を送ることができるかもしれませんが、これから長い人生を「アジアの片隅」で生きて行かねばならない若者たちにとっては、既に中国や韓国に「負けている」現実はとてもしんどいものがあると言えるでしょう。貧困と格差のむごい現実に直面し、生活がままならない現状をいちばん痛感しているのは若者たちなのです。高齢者のネトウヨは、中国や韓国のような二等国の台頭を許すなみたいに言っていますが、それは(中国や韓国に追い抜かれて)二等国へ転落している日本の悪あがきと言うか、引かれ者の小唄のように聞こえなくもありません。

同じ『週刊ダイヤモンド』(9月11日号)の「新階級社会 上級国民と中流貧民」という特集でも、「エリート転落56社実名リスト」と題して、ホンダやパナソニックやANAやTBSやフジテレビのような一流企業が大幅なリストラを実施している現実を伝えていました。最近、テレビ局の特に女性アナウンサー退社のニュースをよく見かけますが、あれもメディアを覆うリストラと関係があるのかもしれません。リストラされたエンジニアのなかには中国企業への転職も目立つそうです。もちろん、リストラの陰では、「新中間階級」から滑り落ちたエリートたちの悲哀も存在します。

日本は「安い国」なのです。間違ってもテレビが言うように、世界の人々があこがれる豊かな国ではないのです。千客万来で外国人観光客が訪れたのも、日本が「安い国」だからです。そして、その裏に、「安い国」を支える低賃金の日本の労働者がいるのです。それが私たちなのです。「敵基地への先制攻撃能力の保持」に胸を高鳴らす前に、虚心坦懐に今の自分の生活と向き合い、まず「己を知る」ことが肝要でしょう。


関連記事:
日本は「買われる国」
「安くておいしい国」日本
2021.09.25 Sat l 社会・メディア l top ▲
先月の初め、東京オリンピックに関して、下記のような世論調査の結果が出ていました。

讀賣新聞オンライン
五輪開催「よかった」64%…読売世論調査

オリンピックを開催してよかったかという質問に対して、「思う」と答えた人が64%、「思わない」と答えた人が28%だったそうです(残りは無回答)。

開催する前までは、「反対」が80%もあったのです。にもかかわらず、菅総理は、開催してメダルラッシュに感動すると「反対」の声も消えるに違いない、大衆とはそんなものだ、という保守政治家特有の冷徹な大衆観に基づいて開催を強行したのでした。あにはからんや、まったくその通りになったのです。

ただ、菅総理の目論みが外れたのは、その感動に寝返った世論が内閣支持率の浮揚につながらなかったという点です。新型コロナウイルス、特にデルタ株による感染拡大は、大衆にとってかくも切実な出来事だったと言えますが、その意味では「(総理大臣に)誰がなっても同じ」と言うのはそのとおりだったかもしれません。悪い冗談ですが、仮に枝野内閣だったとしても、菅内閣と同じ運命を辿ったのは間違いないでしょう。

何が言いたいのかと言えば、あたらしい内閣になれば、オリンピック開催で寝返ったと同じように、世論も高い支持率に変わるのは火をみるより明らかだということです。反転なのか豹変なのかわかりませんが、同じ自民党政権であるにもかかわらず、掌を返したように支持率がV字回復するのは目に見えています。菅政権だって1年前の成立時は、70%以上の「稀に見る」高い支持率を誇っていたのです。

いくら「反対」の声が大きくても、開催すればメダルラッシュに感動して「賛成」に寝返るという保守政治家の大衆観は、裏を返せば大衆は単純でバカだということなのですが、それは間違いなく真実を衝いているのです。

「菅降ろし」という自民党内の権力抗争も、つまるところ、顔をすげ替えれば支持率が回復するという鉄壁の”法則”があるからにほかなりません。そこにあるのは、どうしようもない(としか言いようのない)単純でバカな大衆の存在です。それが旧態依然とした保守政治の半永久的な独裁体制をもたらしているのです。

支持率低迷で窮地に陥った菅総理が、内閣改造で局面を打開するために、同じ神奈川県選出の麻生派の河野太郎を要職に起用できないか、麻生太郎にお伺いを立てたら、麻生が「おまえと一緒に、河野の将来まで沈めるわけにいかねえだろ」と「声を荒らげた」そうで、それでにっちもさっちもいかなくなった菅総理は辞意を決意したと言われています。首相経験者とは言え、内閣の一員でしかない財務大臣が最高権力者の総理大臣をお前呼ばわりして怒鳴り付けるなんて、日本はなんと民主的な国なんだと思えなくもありませんが、まさにそこにあるのは丸山眞男が言った「番頭政治」の哀しくも切ない光景と言えるでしょう。

前川喜平

来る総裁選の立候補予定者の顔ぶれについて、前川喜平氏は上記のようにツイートしていましたが、しかし、このなかにはもうひとり、安倍晋三の支持表明で俄かに注目されるようになった高市早苗氏が欠けています。信じ難い話ですが、安倍に加えて麻生が支持すれば、憲政史上初の女性宰相も「夢ではない」とさえ言われているのです。高市氏が加わったことで、今回の自民党総裁選は、文字通り「凡人、軍人、変人、〇人」の戦いになったのです。

高市早苗氏は、韓国の情報機関の工作員だったという前代未聞なスキャンダルに見舞われているあの”極右の女神”ともども、ネトウヨから熱烈に支持されている狂信的な右翼思想の持ち主です。そんな高市氏が総裁選で”台風の目”になっているというのは、保守政党としての自民党の劣化を象徴していると言えますが、そうなると、だから自分たちこそが自民党に代わる真の保守政党だという立憲民主党の声がいちだんと高くなるのもいつものことです。菅総理の突然の辞任で、急遽「野党共闘」に戦略を変えつつあるみたいですが、かつて枝野幸男代表は、「正当な保守は我々だ」と朝日のインタビューで明言しているのでした。

朝日新聞デジタル
枝野氏「自民は『革命政党』、正統保守は我々」

こんな野党があるでしょうか。自民党が右へ行けば行くほど、野党第一党もそれに引きずられるように右へ移動しているのです。明確な対立軸を示すこともなく、有権者に提示する選択の幅をみずから狭めている野党第一党の責任はきわめて大きいと言わざるを得ません。立憲民主党の存在は、単に保守政治のトートロジー(同義反復)でしかないのです。

日本では、いつの間にかフランスやイタリアやスペインなどのような激しいデモが見られなくなりました。街頭で目立つのは、中国と同じような市民を監視するカメラばかりです。それは、ホントに平和でいいことと言えるのでしょうか。その結果、与党も野党もほとんど変わらない、オレこそが正当な保守政党だと保守の正当性を競うような、文字通り翼賛的な議会政治しか存在しなくなったのです。そして、政権の顔をすげ変えることが政治を動かすことだというような、冗談みたいな政治がまかり通っているのです。一方で、「アウシュビッツ行きの最終列車に乗る」とヤユされたようなリベラル左派の立憲民主党への合流によって、地べたの社会運動がどんどん潰されている現実もあります。

ちょっと古いですが、ヨーロッパでの急進左派(新左派)の台頭について、下記のような記事がありました。

Yahoo!ニュース
今井佐緒里
日本には存在しない欧州の新極左とは。(3) EUの本質や極右等、欧州の今はどうなっているか

この記事が書かれたのが2018年で、その後、この記事で紹介されていた「極左」=急進左派も、議会のなかで存在感が増すにつれ、理想と現実のはざまで苦悩しているのはたしかですが、しかし、スペインのポデモス、ギリシャのシリザ、フランスの「不服従のフランス」、ポルトガルのブロコなどは、いづれも火炎瓶が飛び交うような街頭闘争のなかから生まれた政党(党派)で、今でも街頭での大衆運動に支えられていることには変わりがありません。記事にも書いているように、この超格差社会のなかで上か下かという視点に立てば、コミュニズムの「『人民の平等』『富の平等』の精神」が現代的意味を持つのは当然でしょう。

日本でこんなことを言うと、過激派か誇大妄想狂のように思われるのがオチですが、この弛緩した状況を打破するためにも、社会の変革を大胆に求める急進左派の出現が日本でも待ち望まれるのです。『人新世の資本論』ではないですが、あきらかに資本主義が臨界点を迎えている現在、「3.5%」の人々がみずから声を上げて既存の政治に異議申し立てを行うことで、上級国民の社交場と化したような今の議会政治に活を入れる必要があるのです。顔を変えて支持率回復を目論むという、こんな有権者をバカにした(バカな有権者を前提にした)政治なんてあり得ないでしょう。


関連記事:
『左派ポピュリズムのために』
日本で待ち望まれる急進左派の運動
2021.09.05 Sun l 社会・メディア l top ▲
アメリカのアフガニスタン撤退こそ、これからの世界の行く末を示した出来事はないでしょう。それは、今までも何度も言ってきたように、アメリカが唯一の超大国の座から転落して世界が多極化するということです。

バイデン大統領は、戦争の終結を宣言した演説のなかで、現在もまだ100~200人のアメリカ国民がアフガンに残っているにもかかわらず、退避作戦は「大成功だった」と胸を張ったそうです。どう見ても惨めな負け惜しみと言うしかありません。アフガンに残っているアメリカ国民に対しては、期限を設けずに退避を支援することを約束したそうですが、もちろんそれも”カラ約束”になる可能性があります。

退避作戦の混乱を見れば、100~200人のアメリカ国民は置き去りにされたと言った方が正しいでしょう。どんな負け惜しみを言おうが、あわてふためいて逃げ帰ったのは誰の目にもあきらかなのです。つまり、私たちが見ているのは、パクス・アメリカーナの終焉という世界史的な転換の光景なのです。

カブールの国際空港近くで発生した「イスラム国」の分派組織の自爆テロに対する報復として、アメリカ軍がドローンによる無人爆撃を行ない幹部2名を殺害したと発表しましたが、それもアメリカが一方的に発表しただけでホントに幹部を殺害したかどうかもわからないのです。なんだかむなしい最後っ屁のように思えなくもありません。

タリバンとアメリカの間で秘密協定が結ばれ、タリバン兵が付き添って、カブール空港の秘密の通路からアメリカ兵を脱出させたいうニュースもありますが、もし事実なら、アメリカにとってこれほどの屈辱はないし、アフガンからの逃走が9.11に匹敵するほどのトラウマになるのは間違いないでしょう。

民主主義を守るためにテロを撲滅するという大義名分のもとに、20年も侵略しつづけたアフガンからの逃走が示しているのは、アメリカが世界の警察官の役割を果たせなくなり、文字通り「世界内戦の時代」が終わりを告げたという事実です。そして、何度もくり返しますが、世界は間違いなく多極化するのです。

既に7月に、アメリカ撤退後を睨んで、タリバンの代表団が北京を訪問して中国政府と協議していることからもわかるように、中国がアジアの盟主になり、同時に北東アジアではロシアもその存在感を増すようになるでしょう。超大国の座から転落したアメリカがアジアから撤退するのも、近い将来俎上にのるでしょう。

全体主義か民主主義か、善か悪かなどという価値観に関係なく、世界が多極化して流動化し、これから世界史が大きく塗り替えられるのは間違いないのです。もとより、イスラム諸国や中国共産党の価値観が、私たちのそれとはまったく別個のものであるのは言うまでもありません。

アフガン侵攻の失敗が示しているように、イスラム教の国にアメリカの民主主義を押し付けようとしたこと自体が”帝国”の思い上がりだったのです。アメリカやヨーロッパの価値観が絶対視される時代も終わろうとしているのです。私たちのようなアメリカ式価値観にどっぷりと浸かった人間にとっては、悪夢のような時代の到来に思うかもしれませんが、しかし、時代の流れ、世界史というのは本来そういうものでしょう。

古い言い方をすれば、多極化した世界では、イスラム思想や中華思想や大ロシア主義が台頭し、中国から「東夷」などと呼ばれる東アジアの端に連なる小さな列島の国は、これからそういった異世界のイデオロギーに翻弄されることになるでしょう。

一方、今回のアフガン撤退に伴う退避作戦では、日本は、下記のリテラの記事に書いているとおり、敗戦時、関東軍の幹部たちが自国民を置き去りにしていち早く逃げ帰ったのと同じことをくり返していたのです。

日本政府は、アフガニスタンに残っている民間日本人と日本大使館や国際協力機構(JICA)など日本の関係機関で働いていたアフガン人スタッフら約500名を退避させるために、自衛隊員260名とともに、自衛隊のC2輸送機1機とC130輸送機2機、それに政府専用機1機を、パキスタンの首都イスラマバードに派遣しました。カブール空港からイスラマバードまで自衛隊機でピストン輸送し、そこから政府専用機で日本国内に運ぶ作戦でした。

ところが、イスラマバードに運ぶことができたのは日本人1名とアフガン人14名だけでした。しかも、アフガン人の14名は旧政権の関係者で、アメリカ軍から依頼されてついでに乗せただけで、関係機関の現地スタッフではありません。実質的に退避できたのは1名だけなのです。たとえは悪いかもしれませんが、文字通り大山鳴動して鼠一匹のような話で、あとは見捨てられたのです。どうしてこんなことになったのかと言えば、先の敗戦時に、民間人や下級兵士を置き去りにして満州からいちはやく逃げ帰った関東軍の幹部たちと同じように、現地の大使館員たちが、アメリカ軍のヘリで我先に逃げたために、現地のオペレーションがまったく機能しなかったからです。

  本サイトでも28日に報じたとおり、日本の大使館員は民間人とアフガン人スタッフを残して、真っ先に退避。カブールが陥落した15日、岡田隆アフガニスタン大使はすでにアフガニスタン国内にはおらず、日本人の駐アフガニスタン大使館員12人も17日に全員、英軍機で出国した。

 イギリスやフランスなど他国の大使や大使館員は退避せず、空港内に大使館機能を移転し、アフガン人のためにビザを発給し続けるなどしていたという。また390人のアフガン人退避に成功した韓国も、一旦退避した大使館員がアフガン人救出のためにカブールに戻り、空港までの移動手段となるバスの確保や現地スタッフへの連絡など現地のオペレーションに動いていた。

 ところが、日本の大使や大使館員たちは自分たちだけとっとと先に逃げて、こうした救出作業を放り出していたのだ。

リテラ
アフガン500人置き去り、英仏や韓国は残ったのに日本大使館は先にトンズラ


韓国やイタリアやフランスなどは、希望する人たちの退避を成功させ、28日の時点で大半が作戦を終了していました。日本のお粗末さだけが際立っています。

しかし、日本国内では、退避作戦が失敗したのは、自爆テロで空港に向かうことができなかったからだとか、対応が遅れたのは、自衛隊法が障害になったからだとか憲法の制約があったからだなどと、安倍晋三を彷彿とするような言い訳ばかりが飛び交っており、大使館員たちの無責任さを指摘する声はほとんど聞かれません。そうやって自己を慰撫し不作為に開き直るのは、先の戦争からずっと続いている日本のお家芸とも言うべきものです。もちろん、そこにあるのは、戦前戦後も変わらずこの国を貫く”無責任体系”の露わな姿です。

挙句の果てには、地に堕ちた”帝国”のアメリカと一緒になって、タリバン政権は退避作戦に協力するべきだという共同声明を発表して、馬の耳に念仏のようなお題目を唱えるだけです。しかし、アフガンの現地では、歌舞はイスラム法で禁止されているという理由で、著名な民謡歌手が有無を言わさず銃殺されるようなことが既にはじまっているのです。これでは取り残された人々の運命も押して知るべしでしょう。日本政府に見捨てられた彼らが、外国勢力の協力者として、斬首や銃殺などの残酷な方法で「処刑」される可能性はきわめて大きいと言えるでしょう。

国連の安保理がどんな声明を出そうが、多極化した世界ではカエルのツラにションベンなのです。世界が溶解し、デモクラシーやヒューマニズムも単なる・・・ひとつの価値観にすぎないような時代が、私たちの前に訪れようとしているのです。そのことだけは肝に銘じた方がいいでしょう。
2021.09.01 Wed l 社会・メディア l top ▲
路上生活者についても、たとえばバブルの頃は、私の周辺でも「普通に生活していればあんな風にはならないよね」と言う声がありました。世の中は景気がいいんだから働き口は沢山ある。普通に働いていればホームレスになるわけないという認識があったように思います。

そのため、路上で生活している人たちは、社会的に適合できない、知的障害があったり酒やギャンブルで身を持ち崩したような「特殊な人々」だという見方がありました。「ホームレスは三日やったらやめられないと言うじゃないか」なんて言って笑って見ている人さえいました。

もちろん、それは認識不足による偏見にすぎないのですが、そういった見方をするというのは、私たちのなかにまだ経済的な余裕があったからです。だから、所詮は他人事で異物を見るように見ていたのです。

しかし、現在はそんな見方は少なくなりました。経済的な余裕がなくなっており、ましてこのコロナ禍で、生活が困窮するようになるのは他人事とは言えなくなったからです。

また、コロナ禍だけでなく、労働者の半分以上が派遣など非正規雇用だという、私たちをとりまく労働環境の変化もあります。

先日の小田急線刺傷事件の犯人も派遣で職を転々としていた青年でした。京都アニメ事件の犯人も秋葉原事件の犯人も似たような境遇でした。若くして「人生が詰み」、自暴自棄になって犯罪に走ったという解釈もできなくはないように思います。

先進あるいは中進工業国38カ国が加入するOECDのなかの経済指数を見ても、日本は下落する一方で、社会における所得の不平等さを測る指標であるジニ係数では、韓国より下の16位まで落ちています(2018年)。このように私たちの人生が板子一枚下は地獄のような危いものになっており、生活保護や路上生活ももはや他人事ではなくなっているのです。「普通に生活していればあんな風にはならないよね」とは言えなくなったのです。むしろ、「もしかしたら自分も」と思うような人が多くなっているのは事実でしょう。

ただ一方で、その分”見たくないもの”として激しく排斥しようとする近親憎悪のような心理もはたらくようになっています。似たような境遇だから、明日の自分の姿だからと思うと、寛容になる人と逆に不寛容になる人がいるのです。人間にはその二つの相反する心理が存在するのです。

昔、作家の野坂昭如が「二度と飢えた子どもの顔を見たくない」というスローガンで参院選に出馬した際、五木寛之が自分は「二度と飢えた親の顔を見たくない」と言ったのを覚えています。五木寛之が言うには、目の前にパンが一切れしかない場合、平時だと「お母さんはいいから食べなさい」と子どもに食べさせるけど、飢餓の状態にある非常時だと親は子どもからパンを取り上げて自分が食べようとする。そんな場面を朝鮮半島から引き上げる途中に何度も見たそうです。今は隣人との関係において、それに近いものがあるのではないでしょうか。思いやりとか優しさとかいった寛容の精神は、まだ余裕があった平時の話かもしれないのです。

自分たちのことを考えてみればわかりますが、私たちは、親から結婚資金やマイホームの頭金を出してもらうのが当たり前のような世代でした。じゃあ、今度は私たちが自分の子どもにも同じことができるのかと言えば、もうできないのです。

前も書きましたが、私は九州の高校を卒業しましたが、当時、東京の大学に進学した同級生は100名近くいました。今でも関東圏に住む同級生は60名くらいいます。でも、現在、母校の卒業生で東京の大学に進むのは数名しかいません。それだけ進学するにしても地元志向、そして公立志向が強くなっているのです。どうしてかと言えば、昔のように子どもを東京の大学にやるほどの経済的な余裕がなくなったからです。

一見贅沢な生活をしているように見えますが、しかし、このように確実に余裕がなくなっているのです。それだけ貧しくなっているのです。格差と言うと、じゃあ勝ち組になるようにがんばればいいと思いがちですが、勝ち組は数%の人間しか入れない狭き門です。大半は勝ち組になれないのです。それが格差というものです。格差は間違っても誰でも努力次第で勝ち組になれるような平等な競争なんかではないのです。ジニ係数が示しているのはその冷酷な現実です。

私たちが忘れてはならないのは、経済的な余裕がなくなり社会全体が貧しくなればなるほど、負の感情の「地下茎」が広がっていくというおぞましい現実です。そして、それが優生思想のようなものと結び付き、今回のように突然社会の表面に噴出するようになるのです。

DaiGoの場合はあぶく銭を掴んだので勘違いしたとも言えますが、負の感情の「地下茎」が表面化したという点では、相模原のやまゆり園事件や座間の9人連続殺害&遺体損壊事件の犯人たちの方がわかりやすいように思います。

DaiGoの発言を狂気だと言った人がいましたが、相模原のやまゆり園事件や座間の9人連続殺害&遺体損壊事件の犯人たちについても、なんらかの精神障害を発症しているのではないかという見方がありました。優生思想が社会の表面に噴出したとき、それが狂気のような相貌を帯びているのは当然と言えば当然です。そんな狂気のような相貌を帯びているものが私たちの社会に間違いなく広がっているのです。

「普通に生活していればあんな風にはならないよね」「ホームレスは三日やったらやめられないと言うじゃないか」というのは単なる差別ですが、しかし、経済的な余裕がなくなり彼らの存在が身近になればなるほど、そういった差別意識が地下深くもぐり込んで”狂気の思想”と結び付くようになるのです。合理主義の極致とも言うべき市場原理主義的な考え方も、優生思想と親和性が高いと言えるでしょう。

DaiGoの発言は、そんな狂気の思想が足下でマグマのように溜まっている私たちの社会のもうひとつの顔を浮かび上がらせたとも言えるのではないでしょうか。
2021.08.17 Tue l 社会・メディア l top ▲
メンタリストのDaiGoが、YouTubeの自身のチャンネルで行なった発言が批判を浴びています。それは、「生活保護の人達に食わせる金があるのなら猫を救って欲しい」「自分にとって必要の無い命は僕にとっては軽い」(新聞記事より)などという、生活保護受給者や路上生活者に対する差別をむき出しにした身の毛もよだつような発言です。DaiGoの発言は、相模原のやまゆり園事件や座間の9人連続殺害&遺体損壊事件の犯人たちと同じような優生思想に基づくものと断言していいでしょう。

批判が殺到するなかでも、DaiGoは当初、「命は平等っていうけど優劣は全然ある」、自分は「税金をめちゃくちゃ払ってるから」、自分を叩いている人たちより「彼らのことを保護」しているなどと、挑発的な発言をして開き直っていました。ところが、その翌日、今度は一転して「知識が足りなかった」と反省の意を示し、(メディア風に言えば)「謝罪」の姿勢を見せたのでした。しかし、これはYouTube特有の炎上商法で、「謝罪」もその過程におけるポーズにすぎないという声もあります。

YouTubeは、文字通り丸山眞男が指摘した「タコツボ」化した世界を象徴する(そして低俗化した)ようなプラットフォームで、世間から眉をひそめられる言動や行為もそうであればあるほど、逆にコアな視聴者によって拍手喝さいを浴びるような世界です。実際に、「謝罪」の動画の再生回数は168万(8月15日現在)にものぼり、再生回数に連動したアドセンスやアフィリエイトなどの広告収入も爆発的に増えることが予想されます。ちなみに、DaiGoのYouTubeのチャンネル登録者数は246万人です。

DaiGoは「メンタリスト」という肩書を名乗っていますが、メンタリストとはなんぞやと思ってググると、「メンタル・マジック(mental magic)を行う人」ということばが出てきました。要するに、心理学などを応用したマジック(超能力的な行為)を行なうエンターテイナーというような意味のようです。そう考えれば、炎上から謝罪へ至る一連の流れも、メンタリスト特有のマジック(人心操縦術)と言えなくもないように思います。

DaiGoがこのような暴言を吐いた背景には、この社会の根底に、以前も書いたように、生活保護受給者やホームレスを差別し蔑視する負の感情の「地下茎」(安田浩一氏)があるからでしょう。それが「タコツボ」化したネットで、このようにときおり姿を現わすのです。

Yahoo!ニュース
AERA dot.
「ヤフコメ」は日本の恥? 社内で問題視も「PVが減るから閉鎖できない」〈週刊朝日〉

先日、Yahoo!ニュースに上記のような記事がアップされていましたので、ヘイトの巣になっているヤフコメに対して、ヤフーの社内でも「日本の恥」だという認識が広がっているのかと思って読んだら、なんのことはないオリンピック期間中のアスリートに対する「誹謗(ひぼう)中傷」が恥だと思っているだけでした。

アスリートには罪はない、スポーツは特別だ、というメディアの詭弁に対する反発がSNSなどを通してアスリートに向けられたのはある意味で当然だと思いますが、ヤフーの社内ではそれが「日本の恥」と思っているらしいのです。私は、むしろ、(今までも何度も書いていますが)PVを稼ぐためにヤフコメを使ってヘイトな記事を拡散させる(バズらせる)Yahoo!ニュースこそが「日本の恥」だと思っていますが、ネットの守銭奴たるヤフーの認識はそれとは別のところにあるようです。

言うなれば、DaiGoは、ヤフコメなどに代表されるような負の感情の「地下茎」から出てきたメンタリストならぬトリックスターと言っていいのかもしれません。

ただ、そんな暗澹たる世相のなかで、意外なと言ったら失礼かもしれませんが、ホッと安堵するような反応も見ることもできました。

ひとつは、厚労省の素早い反応です。厚労省は、サイトやTwitterで、「生活保護を申請したい方へ」と題して、「生活保護の申請は国民の権利です。生活保護を必要とする可能性はどなたにもあるものですので、ためらわずにご相談ください」と呼びかけたのでした。

厚生労働省
生活保護を申請したい方へ

もうひとつは、たまたま見つけたのですが、エッセイストの犬山紙子氏が、みずからのTwitterで、上記の厚労省のサイトへのリンクとともに次のようにツイートしていたことです。

犬山紙子
@inuningen

犬山紙子子ツイート

私は、犬山紙子氏については、アイリスオーヤマの社長の娘くらいしか知識はなく(実際は娘ではなく姪だった)、こんな生活保護に対する正しい知識を持っているような人だとはまったく知りませんでした。

ちなみに、憲法25条は、国民の生存権(健康で文化的な人間らしい生活を営む権利)とその生存権を保障するために国家がやらなければならない義務について、条文で次のように謳っています。

第二十五条
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。


私は、個人的に世間一般の人たちよりは多くの生活保護受給者の人たちを見て来たつもりですし、彼らの生活もそれなりに知っているつもりですが、実際に見聞きした経験から言えば、”生活保護叩き”は誤解どころか、犯罪だとさえ言ってもいいくらいです。

極々一部の例外を針小棒大に言挙げして、如何にも生活保護という制度そのものに問題があるかのように言い放つのはきわめて悪質なデマゴーグと言わねばなりません。ネットには、その手のデマゴーグが病的(!)と言えるほど蔓延しています。

このブログでも、”生活保護叩き”について、下記のような記事を書いていますので、僭越ですが、お読みいただければ幸いです。

DaiGoの犯罪まがいの暴言はきびしく糾弾されて然るべきですが、ただ、これを機会に、生活保護やホームレス問題に対する理解が広がれば、不幸中の幸いと言っていいでしょう。そうなることを願ってやみません。

貧困は誰にでもあり得る話です。明日の自分の姿かもしれないのです。DaiGoだって、YouTubeのアカウントを停止されメディアから総スカンを食ったら、自慢していた税金を払うのも困るようになるでしょう。


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2021.08.16 Mon l 社会・メディア l top ▲
過日(7/9)アップした「横浜市長選の魑魅魍魎」に下記のような追記を書きました。尚、読みやすいように、行をあけて転載しています。

横浜市長選の魑魅魍魎
http://zakkan.org/blog-entry-1637.html

追記:(7/29)
神奈川県内に無料配布されるタウン紙・「タウンニュース」の最新号(7月29日号)の「意見広告」に、小此木氏と菅義偉首相の対談が掲載されていました。そのなかで菅首相は、「横浜の顔になれるこれ以上の人はほかにいない」「すべての横浜市民の未来のために、小此木さんの政治活動を全面的かつ全力で応援します」と小此木氏への支持を明言していました。

上記に書いたとおり、これで小此木氏の出馬が「出来レース」であることがはっきりしました。林VS小此木の一騎打ちの色彩がより濃くなったとも言えますが、一方で、もう勝負は決まったも同然という声もあります。もっとも、林VS小此木と言っても、(ここが重要!)現状のまま話を進めて華僑・中国系にするのか、それともいったん「白紙撤回」してアメリカのIR業者の再登板を待つのか、そのどっちかにすぎないのです。このままでは候補者の乱立も茶番に終わりそうな気配ですが、口さがない街のスズメたちの間でも、選挙戦そのものより、「退路を断ってない」候補者のなかで誰が出馬をとりやめるかに関心が移っています。

また、ここに来て、関内駅近くの一等地にある評価額9億2千万円の旧市庁舎跡地が、7700万円で三井不動産やDeNAなどの企業グループに叩き売られた問題にも再度スポットが当てられています(実際は建物は売却だが土地は70年の定期借地権契約)。濡れ手に粟の買い物をした企業グループのなかに、林市長と親しい星野リゾートの関連会社が入っていたことが物議を呼んでいるのでした。もちろん、その背後にIRの存在があるのは言うまでもありません。下記は、昨年、この問題が浮上したときの記事です。

月刊ベルダ
林・横浜市長に“叩き売り”疑惑

横浜市は直近のデータ(平成30年度)で市債発行残高が3兆1570 億円あり、しかも残高は右肩上がりで増え続ける一方です。それで、執行部や議会は、だから博打のテラ銭で借金を返済しなければならないのだ、と「チンビラの論理」で市民を脅すのですが、その一方で、昨年、917億円の巨費を投じて32階建ての新市庁舎を馬車道駅の近くの北仲通に新築・移転したのでした。ところが、完成した途端に雨漏りがしたとかで、「天下の笑いもの」と言われたり、全国でトップクラスの高給を誇る職員たちが32階の雲上から市民を睥睨するため、横浜名物の「三塔物語」をもじって「デビルの塔」とか「ドラキュラの塔」とヤユされる始末なのでした。

もちろん、このような市政を支えているのはオシャレな街の住民たちです。文字通りこの市民にしてこの市政ありなのです。横浜が「日本一大きな田舎」なら、横浜市民は「日本一の田舎坊」と言うべきでしょう。

横浜市は、住民税が全国一高い自治体です(前は職員の給与が全国一高い自治体でした)。どうして住民税がこんなにバカ高いのかということを少しは考えてもよさそうですが、そんな市民は圧倒的に少数です。言うなれば、住みたい街、オシャレな街という不動産会社が作ったイメージをバカ高い住民税で買っているようなものですが、それがまるでわかってないのです。

住民税が高い市区町村ランキング
https://magazine.aruhi-corp.co.jp/0000-4429/

ともあれ、これで「日本一大きな田舎」にふさわしい市長選になったと言えるでしょう。

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※もうひとつ付け加えました。
※これは元記事には追記していません。

追記:(8/2)
自慢するわけではありませんが、予告したとおり、魑魅魍魎が跋扈する横浜市長選はいよいよグダグダのスキャンダル合戦の様相を呈してきました。

今日、Yahoo!トピックスに次のような記事が掲載されました。

Yahoo!ニュース
SmartFLASH
横浜市長選「野党統一候補」がパワハラメール…学内から告発「この数年で15人以上辞めている」

このスキャンダルを報じたのが『FLASH』だということに、まず注目すべきでしょう。先日、立候補が噂されていた元横浜DeNAベイスターズ球団社長の池田純氏とDeNAとの金銭トラブルを報じたのも『FLASH』です。DeNAは、言うまでもなく旧市庁舎跡地の再開発などにも深く関わっている横浜市ご用達の企業です。

この手の記事は、「もしこれがホントなら」という仮定さえ付ければ、いくらでも拡大解釈は可能です。そして、いつの間にか事実として、しかも別の目的をもってひとり歩きしていくのです。池田氏の交際費をめぐる「金銭トラブル」や今回の指導をめぐる「パワハラ」はとても便利なネタと言えるでしょう。

横浜市は、天下りの批判を受けてか、「横浜市退職者の再就職状況」をメディアに発表しているのですが、それを見ると、どう見ても天下りとしか思えない再就職先が嫌味のように並んでいるのでした。でも、それは天下りではなく斡旋だという公務員におなじみの詭弁を使って正当化しているのです。もしかしたら、次期市長(その可能性は低いけど)のパワハラをいちばん怖れているのは、職員たちなのかもしれません。

横浜市
横浜市退職者の再就職状況

それにしても、如何にもわけありげな『FLASH』の記事をトップページに掲載したYahoo!ニュースは、『FLASH』同様、典型的なイエロージャーナリズムと言うべきでしょう。もっとも、Yahoo!ニュースが横浜市長選の足の引っ張り合いに関与したのは今回が初めてではありません。Yahoo!ニュースは、大阪の吉村知事の「イソジン会見」(ポビドンヨードでうがいすると、陽性率が下がる=新型コロナウイルスの弱毒化に効果があるというトンデモ会見)のデータを解析したのが横浜市立大の山中教授だという、「ニュースソクラ」なるキューレーションサイトの怪しげな記事を転載しネットに拡散した前歴もあるのでした。その結果、水は低い方を流れるネットでは、水たまりに湧いたボウフラのようなネット民たちが未だにそれを信じて拡散しつづけているのです。そんなYahoo!ニュースの総会屋まがいの行為を見るにつけ、ソフトバンクも横浜のIRに一枚噛みたいのではないかと穿った見方さえしたくなります。

東京新聞 TOKYOWeb
山中氏「うがい薬解析した事実ない」 大阪府知事の「イソジン会見」めぐり反論 横浜市長選

もっとも、これも何度も書いていますが、ニュースをバズらせてマネタイズすることしか考えないYahoo!ニュースをジャーナリズムと呼ぶのは最初から無理があるのです。ジャーナリストを落ちこぼれたスタッフたちが、終日パソコンの前にすわって、まるでまとめサイトの管理人と同じように、ニュースを切り貼りしているその光景自体が多分にいかがわしいと言わざるを得ません。

前の中田市長のケースもそうですが、横浜ではどうしてこんなスキャンダルが次々と出てくるのかと言えば、この手の記事が、民主主義が豚に真珠の横浜市民には非常に効果があるからです。そのため、まるでロシアのように、このような古典的な手法が取られるのです

また、今回に限って言えば、立憲民主党が獅子身中の虫に対してあまりにも無頓着すぎるという背景もあるように思います。と言うか、誰が獅子身中の虫で誰がそうではないのかもわからないほど、立憲民主党もグダグダなのかもしれません。連合神奈川や市関係4労組の面従腹背ぶりを見ても、とてもまともに市長選を戦う体制になっているとは思えません。そもそも林市政の生みの親は旧民主党です。実際に、ついこの前まで旧民主党(立憲民主党)は林市政の与党でした。立憲民主党が独自候補を擁立すること自体、悪い冗談としか思えません。

横浜市長選はカオスなんて言いながら、「村社会」は意気軒高です。まさにおそるべしです。メディアを使った足の引っ張り合いは、まだまだこのあともつづくに違いありません。
2021.07.29 Thu l 社会・メディア l top ▲
案の定、オリンピックが開催されると、昨日までの「開催反対」の声はどこ吹く風、日本列島は感動に湧き立っています。前回の記事でも書きましたが、70~80%あった「開催反対」の世論も、あっという間に30%に急降下しています。

そして、たとえば、開催に反対していた立憲民主党の蓮舫代表代行がツイッターで、日本選手の金メダルをたたえるツイートをすると、「反対していたのにおかしい」「手の平返しだ」などという声が殺到し、炎上するような事態まで起きているのでした。また、茂木健一郎がオリンピック反対派をノイジーマイノリティ(声だけ大きい反対派)だと批判し、沿道でオリンピック反対の行動をしていることにツイッターで「苦言を呈した」というニュースが流れると、反対デモをしているのは極左団体だとか中核派だとかいったコメントが瞬く間にヤフコメに溢れたのでした。

それにしても、昨日まで70~80%あった反対の声がどうしてこんなに180度違う空気に変わったのか、その豹変ぶりにはただただ唖然とするばかりです。と同時に、ここにも日本社会の”特殊性”が垣間見えるような気がするのでした。

このブログを読んでいただければわかるように、私は、70~80%の反対の声に対してずっと懐疑的でした。開催されれば「感動に寝返る」はずだと書いてきました。また、菅総理は「国民は、開催されればメダルラッシュに感動にして反対していたことなど忘れる」と言っていましたが、まさにそのとおりになったのです。

これは蓮舫や茂木健一郎にも言えることですが、たとえ反対のポーズを取っていても、「感動に寝返る」要素は最初から存在していたのです。いつでも「寝返る」ことができるように「逃げ道」が用意されていたのです。

ひとつは、スポーツは特別だという「逃げ道」です。反対論の多くは、コロナ禍なのにオリンピックなんかやっている場合かという素朴な反発心にすぎず、一方でそこには、あらかじめ代表選手は批判しない、選手は別という抑制(一種のタブー)がありました。

つまり、70〜80%の反対論の多くは、オリンピックやスポーツのあり方を真面目に考え論理的に整序された反対論ではなかったのです。そんなただ素朴な心情から発した反対論が、スポーツは特別なのかという”壁”を乗り越えるのはどだい無理な話だったとも言えます。ゆえに、批判の矛先が向くことのなかった代表選手たちによってもたらされる感動に、一も二もなく飛びついたのは当然と言えば当然でしょう。

もうひとつの「逃げ道」は、中韓に対するヘイトという「逃げ道」と言うか「ガス抜き」です。反対論を唱える多くの人びとのなかにも、御多分に漏れず中韓に対する民族排外主義的なナショナリズムが貼り付いていたのです。オリンピック開催にまつわる政権批判の矛先をかわすのに、中韓ヘイトはこれ以上のない”魔法の杖”とも言えます。さしずめ下記の記事などはそのカラクリを端的に表していると言えるでしょう。

PRESIDENT Online
東京五輪にかこつけて文在寅大統領が日本から引き出したかった"ある内容"

日本はいつまで経っても優位な立場でいたいのでしょう。だから、韓国はオリンピックにかこつけて物乞い外交をしたかったけど、それができないとわかったので文在寅大統領は来日を取りやめたという、如何にも日本人の自尊心をくすぐるような記事です。

しかし、現実は冷厳で、豊かさの指標である一人当たり実質購買力平価GDPでは、既に韓国に抜かれています。日本の国民より韓国の国民の方が豊かだということが、国際的な指標でもあきらかになっているのでした。

Yahoo!ニュース
Wedge
なぜ、日本は韓国よりも貧しくなったのか

日本人はこういった現実は絶対に認めたくないはずです。できれば見たくない現実でしょう。

中国に対しても然りで、米中対立が実は二つの大国による世界支配(世界分割)をめぐる丁々発止のやりとりだというのは、もはや誰の目にもあきらかでしょう。それこそが中国の狙いであり、同時にそれはアメリカが唯一の超大国の座から転落したことを意味しているのでした。いつの間にか、中国がアメリカと対等に、世界分割について交渉するまでになっていたという、日本人にとっては信じたくない現実がここにも立ち現れたのです。

そう考えれば、勝ったか負けたかのスポーツの祭典で中韓ヘイトがヒートアップするのも、「コロナ禍なのに」という素朴な反発心が偏狭なナショナリズムの前で片隅に追いやられるのも、最初から予定されていたと言うべきかもしれません。

そして、あとは、丸山眞男が言った「つぎつぎとなりゆくいきほひ」という、もうはじまったことは仕方ない、それに乗っていくしかないという没論理的なノリノリの総動員体制に突き進むだけです。一方で、寝返った人間たちが、(その後ろめたさから)未だに反対している少数派に対して牙を剥き出しにするというのもいつもの光景です。そのためには、反対派は市民社会の埒外にいる極左、過激派ではなくてはならないのでした。

もっとも、それも権力が用意した「逃げ道」、矛先にすぎません。先月だったか、京大の熊野寮や中核派の前進社が相次いで家宅捜査を受けたのは、その前段だったのでしょう。そして、先週の反対デモにおいて、警察官の「手首を掴んだ」として公務執行妨害で中核派の活動家が逮捕され、大きく報道されたのでした。そうやってオリンピックの反対運動をしているのは極左だというイメージが流布されたのでした。もっとも、逮捕された活動家は、「手首を掴んだ」程度の微罪なので、早晩、処分保留で釈放されるのは間違いありません(もしかしたら既に釈放されているかもしれません)。それもいつものことですが、メデアが報道することは一切ありません。

丸山眞男は、『日本の歴史』のなかで、開国(明治維新)以後の日本の思想風土について、次のように書いていました。

思想が伝統として蓄積されないということと、「伝統」思想のズルズルべったりの無関連な潜入とは実は同じことの両面にすぎない。一定の時間的順序で入って来たいろいろな思想が、ただ精神の内面における空間的配置をかえるだけでいわば無時間的に併存する傾向をもつことによって、却ってそれらは歴史的・・・な構造性を失ってしまう。小林秀雄は、歴史はつまるところ思い出だという考えをしばしばのべている。それは直接的には歴史発展という考え方にたいする、あるいはヨリ正確には発展思想の日本への移植形態にたいする一貫した拒否の態度と結びついているが、すくなくとも日本の、また日本人の精神生活における思想の「継起」のパターンに関するかぎり、彼の命題はある・・核心をついている。新たなもの、本来異質なものまでが過去との十全な対決なしにつぎつぎと摂取されるから、新たなものの勝利はおどろくほど早い。過去は過去として自覚的に現在と向きあわずに、傍におしやられ、あるいは下に沈降して意識から消え「忘却」されるので、それは時あって突如として「思い出」として噴出することになる。(略)
日本社会あるいは個人の内面生活における「伝統」への思想的復帰は、いってみれば、人間がびっくりした時に長く使用しない国訛りが急に口から飛び出すような形でしばしば行われる。


そして、丸山眞男は、そんな時間軸が消失し「前近代」と「近代」が継ぎ目なしに併存した思想風土において、「実感信仰」による「『ありのままなる』現実肯定」が現在と向き合う際の日本人の特徴であると(いうようなことを)書いていましたが、それこそが今回のような「感動に寝返る」バッググランドになっているように思います。

また、丸山眞男は、『超国家主義の論理と心理』で、「抑圧の委譲」というものについて、次のように書いていました。この「抑圧の委譲」は、日本特有の同調圧力のメカニズムを考える上でヒントになるように思いました。

自由なる主体的意識が存せず各人が行動の制約を自らの良心のうちに持たずして、より上級の者(従って究極的価値に近いもの)の存在によって規定されていることからして、独裁観念にかわって抑圧の委譲・・・・・による精神的均衡の保持・・・・・・・とでもいうべき現象が発生する。上からの圧迫感を下への恣意の発揮によって順次に移譲して行く事によって全体のバランスが維持されている体系である。これこそ近代日本が封建社会から受け継いだ最も大きな「遺産」の一つということが出来よう。


もっとも、いくら権力の意志を貫こうとしても、パンデミック下にあるオリンピックでは、猛威を振るうウイルスを(どこかの誰かではないけど)都合のいいようにアンダーコントロールできるわけではありません。感動に沸き立つ日本列島に冷水を浴びせるかのように、7月27日の東京都の新規陽性者数は2848人という過去最高の数字を記録したのでした。4日連休が関係しているからだという声もありますが、しかし、検査数は8038人にすぎず、連休明けで検査数が増えたのでその分感染者数も増えたというわけではないのです。

オリンピックが開催されてから、東京都は検査数を絞っているようでずっと1万件を下回る数字になっています。それでもこんな新規感染者数が記録されるのですから、まともに検査したらどれくらいの感染者が出るかわかりません。デルタ株(インド型変異株)の感染爆発はもう既にはじまっていると考えるのが常識でしょう。

オリンピックと感染爆発のダブルパンチで医療も逼迫しています。東京都が通常の救急や手術は控えて新型コロナ用のベットを確保するように、病院に指示したというニュースもありました。トリアージが再び行われようとしているのです。アスリートたちがメダルを胸にはしゃいでいるその裏で、皺寄せを受けた患者たちの命が人知れず選別されようとしているのです。なんと不条理な話でしょう。それでもスポーツ(アスリート)は特別だと言えるのか、そう問い返したい気持があります。
2021.07.28 Wed l 社会・メディア l top ▲
なんだか水に落ちた犬を叩いているように思われるかもしれませんが、その後も次々と出て来る小山田圭吾の悪行については、やはりひとつひとつ取り上げて糾弾していくべきではないでしょうか。障害のある同級生に与えた一生消えない心の傷を考えれば、通りいっぺんの反省で済むようなものではないでしょう。

ネットでは「何をいつまで同じことを言っているんだ」という言い方をよく目にしますが、ネットの場合、タイムラインに見られるように、目の前の事柄をやり過ごし、次々から次へと興味が移っていくのが当たり前のようになっています。小山田圭吾の悪行も然りで、彼に対するバッシングの熱気も既に失せつつあるように思えてなりません。人々の関心は次に移っているのです。

小山田圭吾の問題について、日本のメディアは、外国メディアに比べて、ぼかして報道しているという指摘がありましたが、たしかに、新聞やテレビを見ても、いじめの内容にはさらりと触れているだけで詳細は伝えていません。そのため、どこか他人事のように見えます。私たちがいじめの詳細を知るのは、週刊誌やネットなどを通してです。

もっとも、日本のメディアのどこか他人事のような報道は、今にはじまったことではありません。つまり、それは、「不偏不党の客観性」という建前の理念があるからでしょう。また、「抑制のきいた文章」ということばもよく耳にしますが、それがぼかして書くことにつながっているように思います。その結果、日本のメディアは、何を言っているのか、何を言いたいのかわからない、オブスキュランティズム(曖昧主義)に陥っているのです。

羽仁五郎は、日本の新聞は、「明日は雨ですが、天気はいいでしょう」というようなよくわからない記事ばかりだと言っていましたが、それこそ日本のメディアの”特殊性”を言い当てているように思います。しかも、そういった「抑制のきいた文章」がメディアのなかでは連綿と受け継がれているのです。新米の記者が書いた記事も、デスク?によって添削され「抑制のきいた文章」に書き直されるのです。そういったトレーニングがくり返され、新聞記事とは「抑制のきいた文章でなければならない」「そういった品位のある文章が書けるようにならなければならない」という刷り込みが行われるのです。そして、たとえば朝日の「天声人語」のような文章がお手本とされ、ときに名文などと言われるようになるのです。

私たちは、残念ながら、当時の『ロッキング・オン・ジャパン』と『クイック・ジャパン』のインタビュー記事を直接読むことはできません。そのため、小山田圭吾の悪行の詳細は、メディアをとおして知るしかないのです。

下記の芸能ネタに特化したまとめサイトで、私は、前回の記事で触れた以外のいじめを知ることができました。他人のふんどしで相撲を取るまとめサイトについては、批判的な意見の方が多いのですが、しかし、今回の問題でも、その詳細を知るにはまとめサイトを参考にするしかないのが日本のメディアの実情なのです。

TREND NEWS
【全文】小山田圭吾記事内容(ロッキンオン・クイックジャパン)と年賀状

何度も言いますが、小山田圭吾は、「民主的な人格の育成」という教育理念を掲げる和光学園で、小学校から高校まで知的障害を持つ同級生に対して、執拗にいじめをくり返したのでした。それは、障害を持つ児童と健常者の児童が同じクラスで学ぶ和光学園の「共同教育」というシステムを逆手にとったものでした。「みんなで助け合って仲良くしましょう」「何事も話し合って解決しましょう」という性善説に基づいた民主主義教育の理念が、実際は空回りして”悪の根源”にさえなっていたのです。

でも、たとえば、通勤・通学電車のなかでの乗客たちのふるまいを見れば、そういった民主主義教育の理念が、空疎で観念的な理想論にすぎないということが容易にわかるでしょう。私が住んでいる路線にも、有名な私立学校がありますが、そこに通う高校生たちの車内での傍若無人なふるまいを見るにつけ、テレビドラマでよく描かれる金持ちのおぼっちゃんの歪んだ人格が連想されてならないのでした。系列の大学では集団強姦事件も何度か起きていますが(最近も高校の同級生である経産省キャリア2人の給付金詐欺がメディアを賑わせました)、それもなんとなくわかる気がするのでした。

そこにあるのは、まさにマルクスが言う「存在が意識を決定する」(としか思えない)現実です。剰余価値を生み出す有用な労働力という資本の論理から言えば、心身に障害のある人間は有用ではないのです。そんな人を社会の役に立つか立たないかで判断し選別するする考えは、近代合理主義(経済的合理性)に必然的に存在する”悪魔の思想”とも言うべきものです。その極地にあるのがナチズムでしょう。小山田圭吾にもそんな”悪魔の思想”が影を落としているように思えてなりません。

『クイック・ジャパン』のインタビュー記事では、いじめた相手と対談をするという企画まで持ち出し、実際に編集者が相手の家を訪問して母親にそのことを伝えているのでした。また、小学生のときに障害のある同級生から来た年賀状をわざわざ持参して、ハガキに母親が線を引いた上に「スゲェ汚い字で」文字を書いているのをヤユして笑いものにしているのでした。25歳を過ぎた立派な大人になってもなお、雑誌でそんないじめ自慢をしているのでした。

彼の所業について、日刊ゲンダイデジタルに、次のような記事がありました。

日刊ゲンダイデジタル
小山田圭吾が一生涯背負う“十字架”と本当の謝罪 障害者の父親は「謝っても許されない」と強い憤り

 自身も障害児の父親である動物写真家で、YouTuberとしても活動する小原玲氏はこう憤る。

「親とすれば子供が学校でこんな目に遭っていたと思うと言葉がありません。私が当該記事を読んで涙が出たのは、障害児童が小山田氏に出した年賀状を雑誌でさらして笑いものにしたことです。その年賀状にはお母さんが定規で線を引いてそれに沿って児童が鉛筆で稚拙ながらも文をしたためていました。それを大人になってからかうとはどんな神経か。親がどんな思いで友達に年賀状を出すかわかりますか。子供が少しでも学校で友達に恵まれるようにという願いからですよ。こんな人物が手掛けた楽曲がパラリンピックで流されるなんてブラックジョーク過ぎる。トラウマになってしまいかねない。たとえ27年前のことであっても許される話ではない」


辞任したからそれで済んだ話なのか。もう終わったことなのでしょうか。

小山田圭吾は、ツイッターの謝罪文で、いじめた相手に対して「連絡を取れる手段を探し、受け入れてもらえるのであれば、直接謝罪をしたいと思っております」と、『クイック・ジャパン』の企画と同じようなことを言っていましたが、辞任した今でもホントにそう考えているのか、実際に実行したのか、たしかめたい気さえします。「自分自身でも長らく罪悪感を抱えていた」と言いながら、今まで何もやってなかったのですから、どこまで本気なのかわかりません。身内の人間たちの挑発的なツイートを見ても、ホントに反省しているのか疑問です。

そして、今度は、開閉会式のディレクターを務める予定だった小林賢太郎が、お笑いコンビの時代に、コントのなかで「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」という発言をしていたことが発覚して”解任”されました。ただ、今回は小山田圭吾のときと違って、小林賢太郎に同情する声が多いようです。

「言葉尻を捉えて全体を見てない」という茂木健一郎のコメントがそんな国内の空気を代表しているように思いますが、しかし、ホロコーストの犠牲になった人々にとって、「ユダヤ人大量虐殺ごっこ」というギャグが単に「言葉尻」の問題なんかではないことは、少しでも考えばわかるでしょう。茂木健一郎の無神経ぶりにも驚くばかりです。

小林賢太郎の問題では、このように、メディアを中心とした空気の緩さが際立っているように思えてなりません。そんな日本の緩い空気に対して、日本在住のイスラエル人が「もし広島や長崎の原爆や福島の原発事故が笑いのネタにされたら日本人はどう思いますか? それと同じでしょ」と言っていたのが印象的でした。

そんななかで、既に一部のオリンピックの競技がはじまりました。すると、メディアは、早速、今大会では日本は史上空前のメダルラッシュが期待されるなどと言って、手のひらを返したようにオリンピックムードを煽りはじめたのでした。前も書いたように、どう考えてもアンフェアな今大会で、開催国の日本が有利なのはあきらかです。でも、誰もそうは言いません。既に見え透いた感動物語も出ています。反語的に言えば、大衆はバカで単純だ、愚鈍な存在だという保守政治家の冷徹な大衆観は圧倒的に正しいのです。あと数日もすれば、菅総理やIOCのバッハ会長が言うような「メダルラッシュに熱狂してなにもかも忘れる」現実が、日本的な同調圧力を携えて私たちの前に出現することでしょう。

このパンデミックのもと、無観客のなかで競技をするアスリートたちを見て、どうしてスポーツだけが特別なのかという(素朴な)疑問を持つ人さえ少ないようです。そもそもオリンピックのようなものがスポーツの本来のあり方なのかという疑問を持ってもよさそうですが、もはやそれも水中に火を求むようなものです。ついひと月前まで70%~80%の国民がオリンピック開催に反対だと言われていたのに、最新の世論調査では、案の定、反対の声は30%に急降下しています。

次から次に発覚するスキャンダルに対しても、日本人はタイムラインをスクロールするように、終わったこと、過ぎ去ったことにして、オリンピックの熱狂にみずから身を投じようとしているのでした。そして、それに呼応するように、あの(東浩紀も礼賛した)「ニッポン、凄い」の自演乙が再びメディアを覆うとしているのでした。まさに衆愚たちの祝祭がはじまろうとしているのです。
2021.07.23 Fri l 社会・メディア l top ▲
コーネリアスの小山田圭吾が、小林賢太郎や田中知之とともに、オリンピック・パラリンピックの開閉会式の制作メンバーに選ばれたことをきっかけに、小山田圭吾が過去に『ロッキング・オン・ジャパン』と『クイック・ジャパン』のインタビューで語っていた”いじめ自慢”が再び取り上げられ物議をかもしています。

ちなみに、大会組織委員会が制作メンバーとして彼らを発表したのは14日です。オリンピックの開会式が今週の23日ですから僅か10日前です。発表自体に唐突感があるのは否めませんし、なんだか不自然な感じがしないでもありません。当然ながらメンバーにはずっと以前に依頼していたはずで、どう考えても、発表するのを目前まで待っていた、あるいは控えていたとしか思えないのです。

大会組織委員会の武藤敏郎事務総長は、小山田圭吾の”いじめ自慢”を「知らなかった」と言っていますが、同時に、「引き続き貢献してもらいたい」とも発言しています。小山田圭吾の”いじめ自慢”は、ネットをググればすぐ出てくるくらい有名な話で(ただ、ウィキペディアでは、何故か記載と削除のイタチごっこが繰り返されていたみたいです)、どう考えても”渋谷系”の音楽と縁があるとは思えない武藤事務総長はともかく、彼らを選定した人間たち(電通?)が知らなかったというのは俄に信じ難い話です。それに、役人主導の典型的な日本的組織である大会組織委員会において、決裁を受ける際にその話が出なかったとはとても思えないのです。

一方で、もう終わったことをいつまで言っているんだというような寛容な(ことばを変えれば臭いものに蓋をする)意見もあります。私の知る限りでは西村博之(ひろゆき)や爆笑問題の太田光などがその代表と言えるでしょう。なかでもひろゆきのそれは、子どものような論理で屁理屈をこねまわして、批判するのを避けながら遠回しに擁護するというまわりくどいものです。

ひろゆきは、2ちゃんねる絡みの訴訟で下された数々の賠償金を踏み倒して(住所だけ置いていた西新宿の木造アパートの郵便受けから督促状があふれ出ている写真を見たことがあります)、それを得意げに語るような人物ですが、今やメディアでは”論破王”としてもてはやされているのでした。しかし、その”論破王”なるものも、一皮むけば、賠償金の踏み倒しに見られるように、昔、私たちのまわりにもいた、どうすれば飲酒運転の摘発から逃れられるかとか、どうすれば駐禁の違反金を払わずに済むかとかいった”裏テクニック”を得意げに話していたあのおっさんたちと同じレベルのものにすぎません。

もちろん、小山田圭吾が自慢たらしく語ったいじめは、もはやいじめの範疇を越えた、犯罪と言ってもいいような悪行で、ひろゆきや太田光が言うように、もう終わったことをいつまで言っているんだと言えるようなレベルのものではありません。しかも、いじめは、「民主的な人格の育成」を教育理念に掲げる和光学園の障害者と健常者が同じ教室で学ぶ「共同教育」を舞台に、小学校から高校まで執拗につづいたのでした。

「ディリー新潮」は、いじめの内容について、実際にインタビューで語った内容も含めて、次のように詳細に書いていました。

「全裸にしてグルグルにひもを巻いてオナニーさしてさ。ウンコ喰わしたりさ。ウンコ喰わした上にバックドロップしたりさ」(「ロッキング・オン・ジャパン」)

「クイック・ジャパン」のインタビューによると、小学校の時には障がいのある同級生の体をガムテープで巻き、身動きが取れないようにして、段ボールに入れたという。

 同じ同級生のことは高校生時代にもイジメた。みんなでジャージを脱がせ、下半身を露出させた。

「女の子とか反応するじゃないですか。だから、みんなわざと脱がしてさ、廊下とか歩かせたりして」(「クイック・ジャパン」)

 中学の時の修学旅行では違う同級生を、留年した先輩と一緒にイジメている。この同級生にも障がいがあった。小山田は先輩と一緒になって同級生に自慰行為をさせている。

「クイック・ジャパン」にはほかにもこんな下りがある。

「掃除ロッカーの中に入れて、ふたを下にして倒すと出られないんですよ。すぐ泣いてうるさいから、みんなでロッカーをガンガン蹴飛ばした」

「マットの上からジャンピング・ニーパットやったりとかさー。あれはヤバいよね、きっとね」

(2021年7月17日掲載)


ディリー新潮
イジメっ子「小山田圭吾」の謝罪に不可解な点 当時の学校運営に不満だったという証言

また、それ以外にも、近くの学校に通うダウン症の子どもに対する侮蔑発言や人種差別発言も掲載されているそうです。

身の毛もよだつとはこのことでしょう。実際に中学時代、小山田圭吾にいじめられた同級生は自殺まで考えたそうです。

また、東浩紀も、ひろゆきや太田光と同じような論法でこの問題を語っていましたが、知識人の仮面を被って発言している分、ひろゆきや太田光より始末が悪いと言えるでしょう。東浩紀は、次のようにツイートしていました。

東浩紀 Hiroki Azuma
https://twitter.com/hazuma

東浩紀小山田圭吾1

東浩紀小山田圭吾2

東浩紀小山田圭吾3

それにしても、「そもそも音楽もスポーツも苦手なので、個人的には例の件はかなりどうでもいい」という言い草にも驚くばかりです。「何様か」とツッコミたくなります。

東浩紀は「過去の記録はアップデートできない」と言いますが、その気になればいくらでも「アップデートできる」でしょう。小山田圭吾は、今回批判が殺到して初めてツイッターで謝罪したにすぎず、今までも「アップデートできる」チャンスはあったのにそれをしなかったのです。

その時代の背景、その時代の環境も考えるべきというような屁理屈も然りで、それは、(牽強付会だと言われるかもしれませんが)戦争中だからジェノサイドや集団強姦も許される、戦争中だから妊婦を強姦して腹を切り裂きなかの胎児を取り出したことも許されるという論理と同じです。話を飛躍すれば、そうやって戦後の日本は平和と繁栄の虚構を演じてきたのです。だから、胎児を取り出して高笑いしていた日本兵たちは、復員すると、俺たちのお陰で戦後のニッポンがあるのだと開き直り、金・物万能の世の中で精神が疎かになっている、愛国心を忘れていると説教を垂れるようになったのです。もちろん、その責任を当事者の兵士だけに帰するのではなく、どうやって加害国の国民として共有していくのかを考えるのが”知”の役割というものでしょう。

この東浩紀の屁理屈を見て、私は、かつて東京都知事選で猪瀬直樹を応援して選挙カーの上で応援演説をしたそのトンチンカンぶりを思い出さざるを得ませんでした。

池袋駅東口に停められた選挙カーの上で、聴衆に向って手を振る猪瀬直樹の横で、「猪瀬さんこそ夢を託しながら現実の第一歩を踏み出せる、着実に改革ができる人物だ」と応援演説をしたその姿とその演説の内容こそ、彼が如何に俗物で中身がスカスカかということを示しているように思います。穿った見方をすれば、東浩紀が「アップデートできない過去」を強調するのも、彼自身にこういった消せない過去があるからかもしれないのです。

tegetter
東浩紀の演説。

また、彼は、東日本大震災の際、なにを血迷ったか、次のような日本賛美&総動員体制万歳のような発言をしたこともありました。

 震災前の日本は、二〇年近く続く停滞に疲れ果て、未来の衰退に怯えるだけの臆病な国になっていた。国民は国家になにも期待しなくなり、世代間の相互扶助や地域共同体への信頼も崩れ始めていた。

 けれども、もし日本人がこれから、せめてこの災害の経験を活かして、新たな信頼で結ばれた社会をもういちど構築できるとするのならば、震災で失われた人命、土地、そして経済的な損失がもはや埋め合わせようがないのだとしても、日本社会には新たな可能性が見えてくるだろう。もちろん現実には日本人のほとんどは、状況が落ち着けば、またあっけなく元の優柔不断な人々に戻ってしまうにちがいない。しかしたとえそれでも、長いシニシズムのなかで麻痺していた自分たちのなかにもじつはそのような公共的で愛国的で人格が存在していたのだという、その発見の経験だけは決して消えることがないはずだ。
(「For a change, Proud to be Japanese : original version」)
東浩紀の渦状言論 はてな避難版 2011年3月22日


東浩紀は、筑波大附属駒場中学・高校から東大の文科一類に進んだ秀才で、たしかに頭はいいのでしょう。しかし、その頭のよさは、子どものような論理で屁理屈をこねまわす程度の頭のよさにすぎないのです。実際は、巷の労働体験もほとんどない世間知らずのセンセイにすぎないのです。もしかしたら「先生と言われるほどの馬鹿でなし」という諺の意味もわかってないのかもしれません。

東浩紀のゲンロンなるものは、そんな子どもの論理で屁理屈をこねまわす、俺たち凄いだろう?というような、登山者にとってのヤマレコと同じような自己顕示と自己慰謝の場にすぎないのです。

だから、彼らの言説が、宮台真司が言う「現実にかすりもしない」のは当然です。ゲンロンなるものに集まって、どうでもいい屁理屈をこねまわしている学者やジャーナリストたちは、ただそうやって知識人ごっこをしているだけなのです。

要するに、屁理屈のわりに中身はスカスカなので、現実と拮抗すると、小山田圭吾の問題を「過去の話」と一蹴したり、猪瀬直樹のような自称作家の俗流政治屋に伴走したり、東日本大震災後の「ひとつになろう日本」キャンペーンに象徴される国家がせり出してきた状況を手放しで礼賛するような、トンチンカンな醜態を晒すことになるのでしょう。

パラリンピックの開閉会式に、上記のような凄惨ないじめをした人物が作曲した音楽が使われるというのは、考えようによってはこれほどの悪趣味はないのです。しかし、東浩紀らは、そんな想像力の欠片さえ持ってないと言うべきかもしれません。

おぞましいのは小山田圭吾だけではないのです。擁護しているんじゃないと言いながら擁護している東浩紀も同じです。


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2021.07.19 Mon l 社会・メディア l top ▲
メディア関係で働く知り合いは、小池百合子はまだ自民党に党籍があり、二階派に所属しているよと言っていましたが、ホントなのでしょうか。

都民ファーストは地域政党にすぎないので、現実的にはあり得ない話ではありません。小池百合子の国政復帰が取り沙汰されるとき、メディアの報道も自民党から出馬するというのが前提になっているように思います。実際に、都議選後、彼女がいの一番に向かったのは、自民党本部の二階俊博幹事長のところでした。そういった曖昧模糊とした怪しげな話も、如何にも小池百合子らしいなと思います。

小池百合子の虚像について、メディアがどこまで関わっているのか、むしろそっちの方が興味があります。少なくとも彼女の数々のパフォーマンスも、メディアの協力なしには成り立たないのです。

都議選寸前に「過度の疲労」だとして入院したことについて、”元恋人”(本人たちは否定)と言われる舛添要一氏が、ツイッターでかなり執拗に「病名をあきらかにしないのはおかしい」と突っ込んでいたのも気になりました。若作りをしているとは言え、小池百合子も来週で69歳になります。病気のひとつやふたつ抱えていてもおかしくないでしょう。ただ、投票日前日のサプライズ応援を見ると、今回の入院もやはり、”小池劇場”だったのではないかという疑念は拭えないのでした。

しかし、メディアは、あくまで病気を押して応援したというような(いつもの大甘な)見方に終始していました。政治家が入院すると、病状をあれこれ詮索されて、権力の威光に翳りが生じることもありますが、一方で、批判を封じたり、難局を切り抜けたりするのに都合のいい場合もあります。

安倍晋三が持病で二度目の政権投げ出しを行なった際も、たとえば下記の記事に書いたように、おしどりマコは病気をダシに批判するのはフェアではないと言っていたのですが、そういったおしどりマコのような”同情論”に、したたかな政治家はしてやったりとほくそ笑んでいるに違いないのです。現に安倍はその後、病気などどこ吹く風とばかりにケロッとして、復権への準備に余念がないなどと言われているのです。

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舛添要一氏は、小池百合子の入院について、「政治は演技である。嘘も方便。IQの低い大衆は、それを見抜けない」とツイートしていましたが、たしかに都議選の結果を見ると、小池都知事のパーフォーマンスは、「IQの低い」都民に大きな効果があったのは事実でしょう。「倒れてもがんばるあたし」に、多くの都民は目を潤ませていたのかもしれません。しかも、入院によって、東京都のコロナ対策に対する批判もすっかり影を潜めたのでした。

私は、都議選の結果を見て、70%とか80%とか言われていた開催反対の世論はどこに行ったんだろうと思いました。案の定、大衆は寝返ったのです。あとは開催されたら、(菅総理らが考えるように)なにもかも忘れて感動に酔い痴れ、バカな本性を臆面もなくさらけ出すに違いありません。

選挙協力した立憲民主党と共産党は、選挙結果について「手ごたえがあった」と論評していましたが、それもいつもの党官僚による自演乙と言わざるを得ません。両党の得票率や得票数を合わせると、自民党のそれを上回ると牽強付会に総括していますが、しかし、今の選挙制度ではそういった総括も気休めにすぎないことぐらい子どもでもわかる話です。どうあがいても、彼らが永遠の野党であることには変わりがないのです。

一方で、メディアは、自民党と都民ファーストの「対立」みたいな幻想をふりまいていますが、しかし、小池百合子の自民党籍の真相は別にしても、都民ファーストが自民党の別動隊であることはまぎれもない事実でしょう。

そもそも記者会見における小池番の記者たちの、あの下僕のようなヘタレな姿はなんなんだと思わざるを得ません。あんなものはジャーナリストでもなんでもなく、ただの御用聞きと言うべきでしょう。

選挙のたびに思うのですが、大衆(有権者)は賢明だ、いつも正しい選択をしているというような言説には違和感を覚えてなりません。社会主義国家(党派)の大衆を神格化する政治的なスローガンのなかにある大衆蔑視の思想を指摘したのは埴谷雄高ですが、社会主義国家の愚劣な憲法の文言を持ちだすまでもなく、大衆を神格化する左派リベラルの観念的なダメさ加減に対して、大衆は所詮「IQの低い」存在にすぎないというバルカン政治家の身も蓋もない大衆観は、ある意味で大衆の本質を衝いているとも言えるのです。小池百合子のパフォーマンスが最強であるのもむべなるかなと思います。

そう考えれば、オリンピック後の総選挙で、麻生+菅VS二階の権力抗争の結果次第では自民党が都民ファと”保守合同”して小池百合子を”選挙の顔”にするという、一部で取りざたされているトンデモ話も、満更あり得ない話ではないような気さえしてくるのでした。と言うか、どこを見渡しても”選挙の顔”がいない自民党内で、「この際、清水の舞台から飛び降りたつもりで小池百合子に相乗りしよう」という、世も末のような話が出て来てもおかしくないように思います。


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『女帝 小池百合子』
2021.07.06 Tue l 社会・メディア l top ▲
Yahoo!ニュースに載っていた「オーサー」の森田浩之氏の記事「東京五輪の暴走に、何もしなかったメディアのことを忘れない」が秀逸で、共感するところ大でした。

Yahoo!ニュース(個人)
東京五輪の暴走に、何もしなかったメディアのことを忘れない

パンデミック下のオリンピック開催をめぐる問題で、私たちがまずなにより痛感されられたのはこの国のメディアのテイタラクです。今までも記者クラブの弊害など、メディアに関してはいろいろ言われてきましたが、ここまでひどかったのかとあらためて思い知らされたのでした。

ポストコロナでは、いろんな業界で大きな変化が訪れるだろうと言われていますし、ビジネスの現場でそのことを痛感している人も多いと思いますが、メディアでも”新聞離れ””テレビ離れ”がいっそう加速するのは間違いないでしょう。森田氏は、「怠慢」と書いていましたが、むしろ根本的な体質の問題と言った方が適切でしょう。文字通り、メディアはみずから墓穴を掘ったのです。

森田氏は、ロンドンのメディア・コミュニケーション学の大学院の授業を受講した際に、教授が口にした「嘘には3種類あります ── 嘘、真っ赤な嘘、そして世論調査」ということばを思い出したそうですが、たしかに、「moving goalposts(ゴールポストを動かす)」ようなやり方で開催に向けた世論を誘導したNHKを筆頭とする世論調査などは、犯罪的であるとさえ言えるでしょう。

そして、現在、開催をまじかに控え、どこの新聞もテレビもオリンピック賛美の美辞麗句で彩られようとしています。タレント活動をしている元オリンピック代表選手らの出演も目立って多くなっています。パンデミック下の不平等な今大会で、開催国の利を生かしてメダルラッシュになるのは火を見るよりあきらかですが、メディアはメダルラッシュを熱狂的に煽り立て、菅総理が言うように「感動で何もかも忘れる」ように演出するつもりなのでしょう。

開催の是非をめぐる議論について、メディアが本来の役割を果たさなかったことだ。この先、東京五輪の行く末がどうなろうと、私たちはメディアについてその点をしっかり忘れずにいるべきだ。


私たちは記憶にとどめておけばいい ── メディアは東京五輪の暴走を止めるために、ほとんど何も仕事をしなかった。メディアとしての機能を果たさなかった。

ぼくたちは何だかすべて忘れてしまう。でも、このことだけはもう忘れない。


森田氏はそう言いますが、私たちもメディアが果たした役割を忘れないようにしなければいけないのです。

東京オリンピック開催のようなデタラメが通るのならなんだってまかり通るでしょう。戦争だってまかり通ってしまいます。適当な大義名分を掲げてそれを煽れば、かつての戦争がそうであったように、そして、オリンピックと同じように、国民はそれを真に受けて熱狂するでしょう。

権力者は、今回の経験で、日本あるいは日本人には「強力な指導力」が通用するということを知ったはずです。小泉政権で「B層」ということばが生まれ、衆愚政治のタガが外れたのですが、菅政権ではサディスティックな強権政治のタガが外れた(外された)と言っていいのかもしれません。それは菅義偉が政治家ではなく、政治屋だからこそできたことでもあります。横浜市議時代に培った”恐怖支配の手法”をそのまま国政に持ち込み、しかも、それが国政でも通用したのです。

いつも上目使いであたりを睥睨する、如何にもコンプレックスの塊のような貧相な小男。なんだかヒットラーと共通するものがありますが、そんな”プチ独裁者”の暴走を押しとどめる者がどこにもいないのです。メディアが本来のメディアの役割を果たしてないのです。そもそも今のメディアは、「本来のメディアの役割」さえはなから持ってないかのようです。

私は、もうひとつ、今回の開催をめぐる問題のなかで、個人的に疑問を持ったことがあります。それは、どうして「愛国」を標榜する右翼は開催に賛成するのか、どうして右翼の街宣車はオリンピック反対のデモにあんなに敵意を剥き出しにするのか、という疑問です。本来なら右翼こそが反対すべきテーマのはずです。国民の命や健康よりスポンサー企業やIOCの意向を優先する菅政権を「売国的」と糾弾してもおかしくないのです。

それで、本棚から片山杜秀氏の『近代日本の右翼』(講談者選書メチエ)という本を引っ張り出して読み返しているのですが、その「あとがき」で、片山氏は戦後の右翼が陥った隘路について、下記のように書いていました。片山氏は、戦前の右翼(超国家主義者)は、「天皇を小道具に魔術を為そうとした者たちが、逆に天皇の魔術にからめとられて、今が気に入らないのか、今のままで大いに結構なのかさえ、よく分からなくなっていった」と指摘していましたが、戦後の右翼もまた、その桎梏から自由になれなかったと書いていました。たとえば、「反共右翼からの脱却」というスローガンを掲げて登場した新右翼に私たちは衝撃を受けたのですが、しかし、大半の戦後右翼にとってはそれも単なる”世迷い言”にすぎなかったのです。

(略)戦後の右翼は、天皇絶対の思想が象徴天皇制をうたう新憲法のせいで相当に弱められることで、かえってもっと自由に、必ずしもすべてを天皇に縛られずに、日本の過去の様々なイメージを持ちだして撃つ方法を手に入れることができたはずであった。ところが実際の右翼は、左翼が天皇を脅かし、新憲法によって弱らされた天皇をますます痛めつけ、ついには天皇を排除しようとしているので、とりあえずこれを守らねばならないという「国防哲学」に専心しすぎ、今ある天皇をとりあえずそのまま保つという戦時中の現在至上主義の一種の反復にかなりの精を費やし続け、現状を打破するための思想性を回復、もしくは創出できないまま、ずるずる来てしまったようにも見える。
(『近代日本の右翼』あとがき)


ところが、その天皇は、なんと菅総理による内奏の3日後に、”推察”というかたちで強行開催に懸念を示したのでした。

一方、菅総理らは、”推察”について、「西村宮内庁長官の個人的な意見」と無視を決め込んだのです。そんな菅総理らの態度に対して、私は真っ先に「君側の奸」ということばを思い浮かべましたが、しかし、不思議なことに、右派からそのようなことばが出て来ることはありませんでした。それどころか、安倍晋三元総理は、”極右の女神”との雑誌の対談で、オリンピック開催に反対する人たちは「反日的」だと仰天発言をしているのです。つまり、パンデミック下においてもなお、国民の命や健康よりスポンサー企業やIOCの意向を優先することが「愛国」だと言っているのです。まさに「愛国」と「売国」が逆さまになった”戦後の背理”を象徴する発言と言えるでしょう。安倍元総理の発言についても、「なに言っているんだ、お前こそ反日じゃないか」という声があってもおかしくないのですが、そういった声も皆無でした。

いろんな意味で、この国の劣化はもはや押しとどめないほど進んでいるのです。オリンピック開催をめぐる問題が、それをいっきに露わにした気がしてなりません。
2021.07.02 Fri l 社会・メディア l top ▲
昨日(21日)にYahoo!トピックスに掲載された下記の記事に対して、「国際ジャーナリスト」の高橋浩祐氏が書いたコメントが正鵠を射ていたので、あえて再掲します。

Yahoo!ニュース
共同通信
東京五輪、観客上限1万人で開催 5者協議決定、政府制限に準拠

東京オリパラがマネーファーストになっている。スポンサー招待客やチケット代、IOC委員ら五輪貴族を重視し、有観客になったとみられる。

コロナ禍の人命重視で五輪中止が内外で叫ばれてきた中、ここに来て、スポンサー企業などに左右される世界一大スポーツ興行の五輪の地金が出てきている。

ある大会組織委幹部は、「何十億円も出してくれた各スポンサー企業のことを考える、中止という選択肢はない」「電通がスポンサー集めに奔走した。中止になったら電通がつまはじきにされ、つぶれかねない」と話した。

しかし、スポーツはいったい誰のためにあるのだろうか。スポーツの語源はラテン語の「deportare」で仕事や家事から解放される人々の「気晴らし」や「娯楽」を指す。

一方的な決定に国民感情としては大会を支持する気持ちが薄れていくばかりではないだろうか。

五輪を巨額のカネが動く商業主義に陥らせたIOCの罪は大きい。


「マネーファースト」というのは、言い方を変えれば利権ということです。お金がからめば利権が生じるのは当然でしょう。

「スポーツの力」とか「アスリートの夢」とか、あたかもスポーツやアスリートは特別であるかのような言説がふりまかれるのも、その根底にスポーツにからむ利権があるからです。

与党の政治家や産経や読売や右派コメンテーターらが、オリンピックは「国際公約」なので中止はあり得ないと言っていましたが、それは詭弁で、ホントは単にお金を出してもらっているスポンサーとの契約に縛られているだけなのです。こういったところにも、「マネーファースト」の資本主義が持つ野蛮さや節操のなさが顔を覗かせているように思います。

時流におもねる現代文学(平成文学)を「電通文学」だと一刀両断したのは、セクハラで失脚した渡部直己ですが、それは文学だけでなくスポーツも同じです。スポーツに限らず「元気をもらう(元気を与える)」とか「勇気をもらう(勇気を与える)」などという言い方が盛んに使われるようになったのは東日本大震災からですが、言うなればそれは広告代理店のコピーのようなものでしょう。

ネットでは黒色のウレタンマスクをしている人間は頭が悪いイメージがあると言われているそうですが、私は、テレビのインタビューで臆面もなく「元気をもらう(元気を与える)」とか「勇気をもらう(勇気を与える)」などと言っているアスリートや芸能人を見ると、「私は何も考えていません」「私はバカです」と言っているようにしか聞こえませんでした。

今回のオリンピックでも、招致の段階から電通が大きな役割を担い、今回のオリンピックの陰の主役は電通ではないかと言われているくらいですが、もしかしたら、菅首相や丸川五輪大臣や橋本大会組織委員会会長の発言も、電通が作成した台本をただ読んでいるだけかもしれないのです。

昔の政商と言えば、三井や三菱などの旧財閥を思い浮かべますが、高度な情報化社会になった現代では、電通やパソナのような広告や情報を扱う第三次産業の会社がそれに代わったと言えるのではないでしょうか。どこかのバカ息子が役員になっていた東北新社も然りでしょう。

言うまでもなく登山もスポーツですが、だからと言って、私たちのような個人的に山が好きで山に登っている下々のハイカーには、たとえば日本山岳会のような団体はほとんど関係のない存在です。

ところが、(私もこのブログで批判しましたが)昨年の緊急事態宣言の際、日本山岳会をはじめとする山岳関連の4団体が共同で登山自粛の呼びかけをしたのでした。それが登山者を縛るだけでなく、さらに”自粛警察“やメディアに、山に行く登山者を攻撃する格好の口実を与えることになったのでした。しかし、呼びかけはその一度きりで、その後の緊急事態宣言では同様の呼びかけはありませんでした。じゃあ、去年のあの呼びかけは一体なんだったんだと思わざるを得ないのです。ただ国家の要請に盲目的に従っただけのようにしか思えないのです。日本山岳会は、戦前がそうであったように、今も「お国のための登山」を奨励する翼賛団体にすぎないのではないか。私は、彼らが登山者を代表しているかのように振舞うことには反発すら覚えるのでした。一方で、日本山岳会は、百名山、二百名山、果てはみずから三百名山までねつ造して、「モノマネ没個性登山者」(本多勝一)のミーハー登山を煽っているのです。おそらくそこにも、モンベルなどスポンサーの存在があるからでしょう。

それは、登山だけでなく、ほかのスポーツについても言えることです。街のスポーツ愛好者がいつの間にか電通などによってオリンピックのような国家イベントに動員される、その巧妙なシステムを知る必要があるのです。これだけ感染防止が叫ばれているのに、ボランティアを辞退しない人間たちに対する批判がいっさい出て来ないのが不思議でなりません。彼らはホントに”善意の人々”なのでしょうか。彼らの陰で、ボランティア募集の実務を担ったパソナは、対前年比10倍の莫大な利益を得ているのです。

パンデミック下のオリンピック開催によって、初めて(と言っていい)「スポーツは特別なのか」「アスリートは特別なのか」という疑問が人々の間に生まれたのですが、それが「元気をもらう」とか「勇気をもらう」とかいったカルトのような呪縛から抜け出すきっかけになれば一歩前進と言えるでしょう。そして、今回のオリンピックを奇貨として、もう一度スポーツのあり方を根本から考え直すことができれば、”狂気の祭典”もまったく無駄ではないと言えるのかもしれません。と言うか、既に開催が既成事実化された今に至っては、もうこんなことくらいしか言えないのです。


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2021.06.22 Tue l 社会・メディア l top ▲
怖れていたことが現実になった感じです。オリンピックの事前合宿のため、19日の夜に来日したウガンダの選手団9人のなかで、成田空港での検査によって1人の陽性が確認されたというニュースがありました。

しかも、当初、成田空港で行われた検査は、唾液による抗原検査で、抗原検査ではっきりした反応が出なかったので、PCR検査を行ったところ陽性が判明したということでした。入国時の検査の問題について、私は、以前、このブログで次のように書きました。

選手と関係者の入国に伴う検査と健康管理にも、大きな懸念があります。観客を除いても、選手1万5千人に関係者を含めると5〜7万人が入国すると言われていますが、そういった海外からの入国者に対しても、PCR検査より精度が落ちる唾液による抗原検査をするだけで、しかも、選手の健康管理はアプリによる自己申告が主だそうです。

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選手たちは、母国でアストラゼネカ製のワクチンを2回接種し、出国前72時間以内に受けた検査の陰性証明書も提出していたそうですが、それでも陽性者が出ているのです。医療関係者の話では、そういったケースは充分あり得るそうです。ワクチンを打ったから大丈夫というわけではないのです。

ワクチンの接種率が90%に上るイギリスでは、デルタ株(インド型のなかでいちばん最初に発見された変異株)の変異ウイルスが猛威を振るいはじめ急拡大しているというニュースもあります。日本でも早晩、インド型が主流になると言われています。

今回のウガンダ選手団は僅か9人です。そのなかで1人の陽性が判明したのです。東京オリンピック開催に伴う入国者数は、当初の予定から大幅に減って3万5千人になったとか言われていますが、それでも3万5千人に9分の1をかけると、身の毛もよだつ数値が出てきます。もちろん、現実はそんな単純な話ではないにしても、相当数の陽性者が出るのは間違いないでしょう。

さらにびっくりするのは、抗原検査で陰性と判定された残りの選手たちは、どう見ても濃厚接触者であるにもかかわらず、「行動制限が不要と判断され」(東京新聞)、合宿地の大阪府泉佐野市にバスで移動したそうです。合宿地の泉佐野市に到着すると、市民たちが拍手で迎えたのだとか。しかも、陽性の1人も、陰性になれば「入国と国内移動が可能になる」そうです。

パンデミック下にオリンピックを開催するという”狂気の沙汰”が、野郎自大な政治の力によってまかり通ってしまうこの国の現実。しかも、政府は、オリンピック期間中はリモートしろ、通勤は控えろと言うのです。まさに言いたい放題、やりたい放題です。私たちは、現在いま、アイパーを当てて剃りこみを入れ、チョビ髭を生やし、学ランを着て学内を闊歩していた学生時代から一歩も出ない、稚児じみた政治思想の持ち主が運転する専制主義という名の暴走列車に乗っているのです。

加速主義者が願うように、こうやってこの国は堕ちるところまで堕ちていくのだと思います。オリンピックが、国威発揚どころか二等国の悲哀をかこつそのターニングポイントになるのは間違いないでしょう。

あらためてしみじみ思うのは、菅義偉首相は、田舎の市会議員くらいががお似合いの政治屋にすぎないということです。そんな政治屋が、政権与党内のパワーバランスによって、あろうことか国の指導者に祭り上げられたのです。それはマンガチックな不幸でさえあります。

政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長らの提言(案の定、腰砕けになったけど)を無視して開催に突き進む菅内閣の姿勢を、日米開戦について「日本必敗」の結論を出した戦中の総力戦研究所になぞらえるむきもありましたが、しかし、あのときとはあきらかに社会の体制は違っているのです。曲がりなりにも今は「言論の自由」があるのです。

にもかかわらず、産経や読売の保守メディアを筆頭に、オリンピック開催を擁護する言説がこれほど多く存在する現実は、むしろ天皇制ファシズム体制下の戦中よりも深刻な問題を孕んでいると言えるでしょう。右派メディアや右派文化人(コメンテーター)たちが、唖然とするようなアクロバチックな論理で政府の方針を追認する姿を見るにつけ、私はやはり「太鼓持ち」「狂気」ということばしか思い浮かびません。それは、元オリンピック選手をコメンテーターに起用して、彼らにオリンピック賛美を言わせている各局のスポーツ番組も然りです。

反対運動をしている活動家たちに対する警察の監視も日ごとにきびしくなっているようですが、開催まで残りひと月になり、オリンピック開催が治安問題として扱われ、「テロ」を名目に反対運動に対する取締りが香港のようにエスカレートしていく懸念もあります。オリンピックに反対するのは「プロ市民」だというイメージを流布するために、みせしめの強制捜査が行われる可能性もないとは言えないでしょう。そうやって「ニッポン低国」(©竹中労)は、”狂気の祭典”にいっきに雪崩れ込んでいくつもりなのでしょう。

オリンピック開催の問題が、いつの間にか観客数の上限をどうするかという問題に矮小化され、開催そのものが既成事実化されていますが、いみじくも国会の党首討論で前回の東京オリンピックに対する思い出を延々と語っていたように、菅首相には、ガラガラの客席に向かって開会式の挨拶をするような事態はなんとしてでも避けたい気持があるのだと思います。秋田出身のオールド世代の政治屋にとって、オリンピックの開会式は(運動会の来賓とは比べ物にならない)文字通り天にも上るような晴れ舞台に違いないのです。

一方で、無観客を避けるというのは、IOCの至上命令でもあるのだと思います。IOCの独断で、マラソン競技の会場が東京から札幌に変更になった理由について、『オリンピック・マネー 誰も知らない東京五輪の裏側』(後藤逸郎著)は、暑さ対策というのはあくまで建前で、真意は「(暗くて)ヘリで中継できない」からだと書いていました。

当初、東京都は、「暑さ対策」のため、午前6時以前のスタートを決めていました。しかし、IOCは、それでは「(暗くて)ヘリで中継できない」ので午前7時以降のスタートの必要性を主張していたそうです。

IOCは、ドーハ大会でも、ドーハ当局が提案したマラソンのスタート時間について「視聴率が下がるから」という理由で拒否している過去があるそうです。IOCは、放映権を契約した放送局に対して高視聴率を保証しており、そのために、視聴率に貢献できる時間帯や撮影環境に必要以上に拘るのだとか。無観客のようなさみしい光景ではオリンピックは盛り上がらない、視聴率も稼げない、とIOCが考えても不思議ではないのです。

そんな思惑は日本政府も共有しているのです。国民なんて(バカだから)開催反対なんて言っていても、開催すれば戯言を忘れて感動するに違いないと思っているので、そのためにはなんとしてでも観客を入れて、感動を演出しなければならないのです。

海外を見てもわかるように、早晩、第五波の感染爆発が起きるのは必至です。感染防止の優等生だと言われていた台湾やイスラエルでさえ感染拡大に見舞われているのです。私たちは、「風にそよぐ葦」に同調して祝祭ムードに踊らされるのではなく、なにより自分のために、次の感染爆発に備えて「正しく怖れる」ことが肝要なのです。それが”狂気の祭典”に対する賢明な向い方でしょう。


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2021.06.20 Sun l 社会・メディア l top ▲
これは強調しておかなければなりませんが、当初、国会議員で東京オリンピックに反対したのは山本太郎参院議員(当時)だけです。今でこそ、共産党や立憲民主党が反対を表明していますが、反対に転じたのはごく最近のことです。誘致に成功した当初は、立憲民主党(旧民主党)や共産党も賛成していたのです。

前の記事のくり返しになりますが、後藤逸朗氏の『オリンピック・マネー』からその部分を引用します。

  二〇二〇年東京大会開催が決定した直後、日本の衆参両院は十三年十月十五日、「二〇二〇年東京オリンピック・パラリンピック競技大会の成功に関する決議案」を採択した。
  衆院では、自民党の遠藤利明議員が、「自由民主党、民主党・無所属クラブ、日本維新の会、公明党、みんなの党、生活の党を代表し」と、提案趣旨を説明。全会一致で可決された。
  参院では、自民党の橋本聖子議員が、「自民党、民主党・新緑風会、公明党、みんなの党、日本維新の会、新党改革・無所属の会、生活の党の各会派共同提案」、「国民との対話を重視し、情熱を持って諸対策を強力に推進し、二〇二〇年に向け、万全の体制を構築すべき」と説明。投票総数二百三十九、賛成二百三十八、反対一で可決された。


まさに翼賛国会そのものです。共同提案に応じなかった日本共産党も、本会議の決議では賛成したのです。でも今になって、日本共産党は「日本はIOCの植民地なのか」(志位委員長)などと言っているのでした。

その山本太郎れいわ新選組代表は、先日の記者会見で、開催強行に突き進む菅政権について、「完全に常軌を逸した世界」「漫画のような世界」とこき下ろしていたそうですが、けだし、当時の国会議員のなかで、開催を批判する資格があるのは山本太郎だけでしょう。

今頃、国会でオリンピック開催の是非を論じているのは、朝日の反対論と同じであまりにも遅すぎると言わねばなりません。と言うか、リベラルなメディアや野党が得意とする、大勢が判明してからのとって付けたような反対のアリバイ作りであるのはミエミエです。

ついこの前まで開催に反対する声が国会内に存在しなかったという事実。オリンピックは、文字通り挙国一致体制のなかにあったのです。一方で、ここに至っても尚、「愛国」を自称する右派メディアを中心に、莫大なキャンセル料を取られるとか、アスリートの夢を潰すことになるとか、日本の信用がガタ落ちになるとか、それこそ本末転倒した理由で開催強行を擁護する声があります。狂っているのはIOCだけではないのです。

ロラン・バルトが喝破したように日本の中心にあるのは”空虚”なのです。誰も責任を取らない「無責任体系」が、この国をこの国たらしめているもうひとつの国体です。

下記の文春オンラインの記事は、そんな日本の社会をつらぬく「無責任体系」について、「日本人の習性」という言い方で分析してました。

文春オンライン
「五輪で日本人が金を取れば盛り上がる。何とかなる」…菅政権の「楽観論」に見る“日本人の習性”

「日本人には危機に際して、『起きては困ることは、起こらないことにする』悪癖がある」という故半藤一利の指摘は、まさに正鵠を射ていると言えます。たしかに、「想定外」ということばはなんと便利なんだろうと思います。「想定外」ということばにも、この国をつらぬく「無責任体系」が映し出されているのでした。

開催を1年延長した際の安倍総理(当時)の対応について、記事は次のように書いていました。

(略)週刊文春4月29日号にこんな逸話が載っている。東京オリンピック開催の延期を決定した昨年3月、大会組織委会長の森喜朗が「2年延期」を主張したが、首相だった安倍晋三が「日本の技術力は落ちていない。ワクチンができる。大丈夫です」と根拠のない理屈を言って「1年延期」で森を説得。その結果、2021年開催になる。


それは、菅総理も同じです。

(略)菅首相は4月12日、「感染の波は想像を超えたもの」と国会で答弁した。そのような災禍の最中でありながら、コロナと五輪は別問題だと言い続け、また五輪開催はワクチン接種を前提としないと言いもした。今の日本はとめどない無責任の渦中にある。


そして、現在、菅総理は、ワクチン接種の拡大をなりふり構わず進めているのでした。なんだか出来の悪い受験生のようです。

菅総理は、当初、ワクチンなんてあとでいい、オリンピックが始まれば、開催反対の世論なんてすぐ変わる、感動に寝返るとタカを括っていたのでしょう。しかし、ワクチンの遅れに対する不安が思ったより広がったので、今度はワクチン接種が進めば世論をなだめることができると、記事が書いているように泥縄式にワクチン接種に舵を切ったのだと思います。

開催まで2ヶ月を切りましたが、ここに来て、案の定と言うべきか、「高止まり」と言いつつも感染拡大に歯止めがかかりはじめました。しかし、何度も言いますが、新規感染者数なんて検査数を操作すればどうにでもなるのです。

職場と通勤電車の感染防止がなおざりにされたまま、飲食店や娯楽施設や商業施設などがやり玉に上げられて苦境に追いやられていますが、これほど理不尽で、これほど無責任な話はないでしょう。

コロナ禍でも仕事に行かなければならない事情はわかりますが、それにしても、通勤電車のなかでの乗客たちのふるまいはおよそ感染防止とは程遠いものです。ひとりひとりが「正しく怖れる」なら、緊急事態宣言なんてどうだっていいのです。しかし、通勤電車における感染は「感染経路不明」として処理され、誰が見てもスーパーのレジなどに比べたらはるかに問題ありの車内の”密”は不問に付されているのでした。

「電車の座席に座ることが人生の目的」みたいな彼らを見ていると、オリンピック開催に反対だなどとよく言えたもんだと言いたくなります。菅総理が考えるように、彼らはワクチン接種さえ進めばいつ感動に寝返るとも限らないでしょう。

(略)東京オリンピックやコロナ対策を戦争と重ね合わせる向きがある。分不相応に大きなことをやろうとする、撤退戦を知らず玉砕に向かう、精神論で乗り切ろうとするetc。

  これらをレトリックと見る方もいるかもしれないが、そうとも言えない。軍隊は閉鎖的な性質であることから、その内部で観念が純化される性質にあり、そのため戦争には国の文化や国民性がより強調して現れるからだ(略)。
(同記事)


要するに、みんなで渡れば怖くないは「日本人の習性」なのです。たしかにオリンピック開催に突き進む今の日本は、アスリートに元気や勇気をもらってみんなで感動すれば、コロナも怖くないとでも言いたげです。為政者やメディアが、「スポーツの力」なるカルトまがいの精神論を口にするのもよく似ています。

なんだかアスリートが悪病を祓ってくれる神サマのようです。そのうち神宮外苑に”池江神社”が建立されてもおかしくないでしょう。

もちろん、「無責任体系」は、政治家だけの話ではなく国民も同じです。先の戦争でも、国民は、東條英機の自宅に「早く戦争をやれ」「戦争が怖いのか」「売国奴め」と段ボールに何箱もの手紙を送って、戦争を熱望したのです。でも、敗戦になった途端に、自分たちは被害者だと言いはじめたのでした。そして、政治家や軍人と一緒になって、”昨日の敵”にすり寄っていったのでした。

誰も責任を取らない、如何にも日本的な「とめどない無責任の渦中」で、開戦、いや、開催は文字通りなし崩し的に強行されようとしているのです。


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『永続敗戦論』
2021.05.30 Sun l 社会・メディア l top ▲
オリンピック・マネー


アメリカのNBCは、2013年から2020年(2021年に延期)の東京オリンピックまでの夏冬4大会分の放映権を44億ドル(約4855億円)で獲得しており、契約の上では今回の東京大会が最後の大会になるそうです。ただ、NBCは、これとは別に2032年まで(東京大会以後6大会分)の放映権も、既に76億5000万ドル(約7800億円)で獲得しています。

放映権というのは、無観客であれ何であれとにかく大会さえ開かれて、IOC(実際は関連会社のオリンピック・ブロードキャスティングサービス=OBS)が撮影したいわゆる“国際映像”が配信されれば、契約が成立するのです。

つまり、IOCにとっては、どんなかたちであれ、開催すればいいのです。日本政府は、自国民の健康より、そんなIOCの金銭的な都合を優先しているのです。そんな日本政府の姿勢に対して、間違っても”右”ではない私でさえ「売国」ということばしか思い浮かびません。

ちなみに、日本のメディアは、高騰する放映権料のために、NHKと民放が共同でジャパンコンソーシアム(JC)という組織を作っており、JCも2018年の平昌冬季オリンピックから2020年(2021年)の東京オリンピック、2022年の北京冬季オリンピック、2024年のパリオリンピックまでの4大会分の放映権を獲得しています。放映権料は、平昌・東京が660億円、北京・パリが440億円で、合わせて1100億円だそうです。

他にヨーロッパでは、ヨーロッパ全域で「ユーロスポーツ」を展開するアメリカのディスカバリー社が放映権を取得しており、金額は2018~2024年までの4大会で13億ユーロ(約1730億円)だそうです。

これらの巨額な放映権料と、IOCが「TOP」または「ワールドワイドオリンピックパートナー」と呼ぶスポンサー企業からのスポンサー料がIOCの財政を支えているのです。年間平均で約1500億円と言われるIOCの総収入のうち、テレビの放送権料が73%を占め、次いで「TOP」スポンサー料が18%で、残りがライセンス料などだそうです。

いづれにしても途方もない金額のお金が、関連会社などを通って(文字通り資金洗浄されて)「五輪貴族」たちのもとに流れ、彼らに優雅な生活をもたらしているのです。それが「ぼったくり男爵」と呼ばれるゆえんです。

オリンピックではIOCの幹部たちが泊るホテルのグレードまで、開催都市契約の付則で細かく規定されているそうです。

  ホテルのグレードは「四つ星~五つ星のホテル」で計千六百室、三十三泊の確保を開催都市に義務づけている。
  二〇二〇年東京大会では、立候補ファイルで「ホテルオークラ」と「ANAインターコンチネンタルホテル東京」、「ザ・プリンス パークタワー東京」、「グランドハイアット東京」の五つ星ホテルの全室をIOCファミリーに提供すると保証した。
(後藤逸郎『オリンピック・マネー』)


「TOP」というのは、「The Olympic Partner」の略で、東京オリンピックに協賛するスポンサーとはまったくの別格の、IOCと直に契約したスポンサー企業です。一業種一企業に限定されており、そうすることでオリンピックに連動した宣伝効果の価値を高めているのです。IOCが実質的なスポーツビジネスの会社であることの一面を伺わせる内容と言えるでしょう。

現在の「TOP」スポンサーは、以下の14社です。

コカ・コーラ
エアビーアンドビー
アリババ
アトス(フランスのIT企業)
ブリヂストン
ダウ・ケミカル
ゼネラル・エレクトリック
インテル
オメガ
パナソニック
P&G
サムスン
トヨタ
VISA

「TOP」スポンサーの契約内容もご多分も漏れず秘密にされていますが、『オリンピック・マネー』によれば、2015年にIOCと「TOP」スポンサー契約を結んだトヨタ自動車のスポンサー料は、「2024年までの10年間で約2千億円と推定されている」そうです。

先日、パナソニックが大幅なリストラを発表しましたが、IOCに多額のスポンサー料を払いながらその一方で首切りと言うのでは、社員たちもやり切れないでしょう。

「TOP」以外の東京オリンピック限定のスポンサー企業については、下記に記載されています。

TOKYO2020
パートナー

それを見ると、前も書きましたが、「オフィシャルパートナー」に読売新聞・朝日新聞・日本経済新聞・毎日新聞が入っています。また、その下のカテゴリーの「オフィシャルサポーター」には、ヤフー・産経新聞・北海道新聞が名を連ねています。

これから開催に向けた本格的なキャンペーンがはじまると思いますが、スポンサーになっているそれらのメディア(その系列のテレビやスポーツ新聞も含めて)の報道は、くれぐれも眉に唾して見る必要があるでしょう。

JOCの「オフィシャルパートナー」の朝日新聞は、開催をめぐる問題について、下記のような記事を書いていました。

朝日新聞デジタル
五輪開催に突き進むIOCの本音は 放映権料に分配金…

IOCは支出の約9割を、アスリート育成や世界各国の五輪委員会や競技団体への分配に使っているとしている。仮に大会が中止になり、放映権料を払い戻すことになれば、特にマイナー競技の団体は分配金が減って資金難に陥る可能性がある。


なんだか中止になったら大変なことになると遠回しに脅しているような記事で、オリンピックありきの本音が出ているように思いました。「配当金」なる二義的な問題に焦点を当てることで、問題のすり替えをしているように思えなくもありません。

『オリンピック・マネー』によれば、IOCは、競技団体をA~Eの5段階にランク分けして活動資金を「配分」しているのですが、その5段階のランク付けは、テレビなどメディアの露出度によって分けられているのだそうです。そこにもスポーツビジネスの営利会社と見まごうようなIOCの体質が垣間見えるのでした。ちなみに、2016年のリオ大会におけるランク付けでは、Aランクは水泳・陸上・体操で、最下位のEは近代五種・ゴルフ・ラブビーだったそうです。Eランクのゴルフとラグビーは経済的に自立しているため、オリンピックに対する依存度が低いからでしょう。Dランクには、カヌー/カヤック・乗馬・フェンシング・ハンドボール・ホッケー・テコンドー・トライアスロン・レスリングなどがありました。

しかし、IOCの財務が非公開なので、「支出の9割」という話がどこまでホントなのか、誰もわからないのです。あくまでそれはIOCが主張していることにすぎないのです。ましてマイナー競技の団体が、IOCの「分配金」で息を継いでいるような話には首を傾げざるを得ません。後藤氏は、IOCの下に多くの財団や関連会社が連なる「複雑なグループ組織」の間の金の流れを調べようとしても、「情報が公開されていないという壁が(略)立ちふさがる。疑問があって調べても、スイスの法制というブラックボックスへと消えてゆく」と書いていました。

IOCが本部を置くスイスのNPOの規制は緩く、誰でも定款を作りNPOを名乗れば登記しなくても法人格が認められるのだそうです。しかも、財務を公表する必要もないのです。定款に基づけば収益活動も自由で、収益に対しても税の優遇処置を受けることができるのだとか。そのため、IOCだけでなく、FIFA(国際サッカー連盟)やUEFA(欧州サッカー連盟)など多くのスポーツ団体が、NPOとしてスイスに本部を置いているのだそうです。

オリンピックが経済的に自立できないマイナースポーツの祭典になっており、それ故にマイナースポーツの競技団体や選手たちが、オリンピックにすがらざるを得ない事情があることも事実でしょう。だからと言って、オリンピックが(それもたった1回の東京オリンピックが)中止になると、競技団体が兵糧攻めに遭い苦境に陥るかのような言い方は、いくらなんでも大袈裟すぎるように思います。

仮に百歩譲ってそうだとしても、じゃあ経済的に自立できないマイナースポーツの存続のために(IOCから「分配金」を貰うために)、開催国の国民の健康と命がなおざりにされていいのかという話になるでしょう。それこそオリンピックありきのアスリートが、自分のことしか考えてないというのと同じではないでしょうか。

アスリートの夢は、コロナ禍で苦境に陥っている飲食店の店主や真っ先に人員整理の対象になった非正規雇用の労働者や、あるいは医療崩壊してトリアージの対象になり命が見捨てられた患者のそれと違って特別なものなのか。彼らにも夢はあるしあったはずなのです。スポーツは、国民の暮らしや健康や命に優先するほど特別な存在なのか。とどのつまり、そういうことでしょう。スポーツで元気を与えたいなどとふざけたことを言っている代表選手に、そう問い正したい気がします。むしろ、スポーツは、聖火リレーの歴史が示しているように、ファシズムやスターリニズムなど全体主義ときわめて親和性が高いものでもあるのです。朝日の記事にある「スポーツの力」ということばには、くれぐれも注意が必要でしょう。と同時に、朝日の記事がIOCのいかがわしさに一切触れてないのも不思議でなりません。朝日は、IOCの利権について、それを検証する視点さえ持ってないのでしょうか。

後藤氏は、「分配金」を「寄付」と言い換えて、そのカラクリを次のように書いていました。

  IOCは開催都市との契約で、「競技の撮影はOBSに発注する」ことを義務づけている。この金額は非公表だが、「数百億円」(二〇二〇年東京オリンピック組織委員会メンバー)とみられている。
  IOCはテレビ放送権で得た巨額な収入の一部を、開催都市に運営部の一部として寄付している。しかし、開催都市がOBSと契約せざるを得ない以上、IOCの寄付金はいったん開催都市を経由し、IOCの関連会社に戻るだけに過ぎない。
(同上)


また、”国際映像“の撮影費用の一切合切も開催国の組織委員会が負担することになっているのだそうです。そこにも「寄付」のカラクリが存在するのでした。

  二〇二〇年東京大会で発生するOBSの費用は公表されていない。だが、一九九八年長野大会が七競技六十八種目で約二百億円かかっていることから、三十三競技三百三十九種目が行われる二〇二〇年東京大会の放送費用は、数倍に上る可能性が高い。
  この費用は東京オリンピック組織委員会が負担する。IOCは東京オリンピック組織委員会に八百五十億円を寄付している。お金に色はついてないが、八百五十億円の大半はOBSの費用に充てられる計算だ。
(同上)


まるで「寄付」がマネーロンダリングの役割を担っているかのようです。いったん「寄付」したお金が、契約上圧倒的な優位に立つIOCによって回収される(ぼったくられる)ことによって、結果的にオリンピックマネーがIOCの関連会社に還流し、関連会社の役員をしているIOCの幹部たちの懐に入っていくのです。しかも、関連会社の役員報酬も非公開なのです。

メディア、特に「オフィシャルパートナー」の4大全国紙は、どこも明確に開催に反対する社論を掲げていません。「感染が収束しないので政府は困っている」というような論調でお茶を濁しているだけです。まだ感染収束とはほど遠い状況にあることを考えれば、そういったオブスキュランティズムは、スポンサーになっているということも含めて、「言論の死」ならぬ「言論の自死」と言っても過言ではないでしょう。これでは、”緩慢な死”どころか、加速度的に新聞離れが進むのは間違いないでしょう。東京オリンピックは、「言論の自死」という副産物までもたらしたのです。

もっともそれは、政治家も同じです。東京オリンピックの招致に成功したあと、衆参両院は、「2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会の成功に関する決議案」を採択したのですが、その際反対したのは参院の山本太郎議員(当時)だけだったそうです。共産党も賛成したのです。後藤氏は、翼賛的な決議案の採択について、日本は「無邪気な選良がオリンピックを無批判にあがめる」国だと痛烈に批判していました。ただ、現実には日本のような国は少数で、開催費用の高騰なども相まって、今後オリンピック開催に手を上げる都市がなくなる懸念さえあり、IOCも危機感を募らせているのだそうです。

また、新国立競技場が、オリンピック後、陸上の世界大会が開かれることができなくなるという話もあります。何故なら、世界陸連の規定でサブトラックが付設されていなければならないのですが、新国立競技場はオリンピック後に神宮外苑の再開発でサブトラックがなくなるからです。そのために、世界新記録などの公式記録が認められなくなるのです。

そのオリンピックにかこつけた神宮外苑の再開発が、「サメの脳みそ」や「空疎な小皇帝」など少数の関係者の密談で決まったという話や、マラソンと競歩が札幌に変更されたホントの理由などもありますが、そういった話は次回に譲ります。

感染が蔓延しているからオリンピックをやめるべきだというのも大事な論理ですが、オリンピックが抱える問題はそれだけではないのです。1974年に「オリンピック憲章」からアマチュア規定が削除され、以後オリンピックもIOCも大きく変質したのです。上記のように放映権料もとてつもない金額に高騰し、利権まみれになって、IOCの幹部たちも「五輪貴族」と呼ばれるようになったのです。能天気な日本の国会議員たちが「あがめる」ような大会ではなくなったのです。

『オリンピック・マネー』には、イギリスのオックスフォード大学のベント・フライバーグ教授が算出した「予算超過率」が紹介されていました。これは、「立候補時に掲げた開催費用と実際にかかった費用の乖離度を調査した」ものです。それによると、1960年~2012年の夏冬17大会の「実質割合の平均は174%だ」そうです。「つまり、当初予算の2.7倍かかっている」のです。『オリンピック・マネー』は、「乱暴に言えば、ハナから当初予算がないに等しい」と書いていました。前の記事でも書いたように、今回の東京大会も例外ではないのです。

今回の開催の問題は、オリンピックそのもののあり方を根本的に問い直すいい機会でもあります。ポエムのような”オリンピック幻想”からいい加減自由になる必要があるのです。でなければ、池江璃花子の”感動物語”のような”動員の思想”にからめとられる怖れはまだ残っているように思います。

日本という国の上にIOCの幹部たちが鎮座ましまして、日本政府が国民そっちのけでIOCのパシリをしているその卑屈で滑稽な姿。私たちは、お涙頂戴の”感動物語”にごまかされるのではなく、そんなこの国の指導者たちの姿をしっかり目に焼き付けておくべきでしょう。その卑屈で滑稽な姿は、一夜明けたら、「鬼畜」と呼んでいた昨日の敵に我先にすり寄っていったあのときと同じです。その背後にあるのは、丸山眞男が喝破した日本の(もうひとつの)国体とも言うべき”無責任体系”です。開催に関するリモート会議などを見ても、日本政府の関係者や東京都の小池都知事などは、まるで本社から指示を受ける支店長みたいです。それでよくもまあ「美しい国」「とてつもない国」「日本、凄い!」などと言えたものだと思います。宮台真司は、この国にはホントの愛国者はいないと言っていましたが、今更ながらにそのことばが思い出されてならないのでした。
2021.05.20 Thu l 社会・メディア l top ▲
Yahoo!ニュースにも転載されていましたが、クーリエ・ジャポンがフランスの日刊紙リベラシオンの東京五輪に関する特集を紹介していました。

COURRiER Japon(クーリエ・ジャポン)
フランス紙が東京五輪を大特集「なぜ日本国民にしなかった対策を外国の選手団のためにはするのか」

リベラシオンは、「政府は、PCR検査数を増やすこともなく、ワクチンの提供を急ぐこともなく、医療体制を強化することもなく、必要な資金援助をすることもなく、1年以上もウイルスの蔓延を放置している」と日本政府の不作為を批判していますが、まったくそのとおりでしょう。

また、数字が正確かどうかわかりませんが、「3万人の選手団とその関係者に毎日PCR検査をする」という方針に対して、次のように書いているそうです。

オリンピック期間中、3万人の選手団とその関係者へのPCR検査が毎日予定されている。リベラシオン紙は、日本のPCR検査数の少なさや、ワクチン接種の遅れにも懸念を示す。

「現在、東京都の人口1400万人に対し、1日のPCR検査の数が1万件を超えることはほとんどない。1人が4年に1度接種できる程度の割合で行われているに過ぎない」という専門家の言葉を引用し、「東京で1日3万回の検査が可能なのであれば、なぜ住人には提供しないのか。無料でPCR検査を受けるには処方箋が必要であり、自分の希望で受けるには検査に最大250ユーロ(約3万3000円)も払わなければならない。さらに、1億2700万人の国民がいるなか、抗原検査は1日5000件にも満たない」。こう矛盾を問いかける。


海外から見れば、東京都に限らず日本の検査数の少なさが異常に映るのは当然でしょう。

それで、直近の東京都のPCR検査数を調べてみました。東京都が発表している「医療期間等実施分」は以下のとおりです。尚、これとは別に「健康安全研究センター」という公衆衛生の研究機関が研究目的で検査している分が、大体一日に200~300くらいあります。

5/13(木) 7,702
5/12(水) 8,936
5/11(火)1,0528
5/10(月)14,444
5/9 (日) 2,399※
5/8 (土) 6,828
5/7 (金)13,678
5/6 (木)14,981
5/5 (水) 4,768※
5/4 (火) 5,464※
5/3 (月) 5,227※
5/2 (日) 3,564※
5/1 (土) 7,441
4/30(金)12,574
4/29(木) 2,928※
4/28 (水)12,037
4/27(火)10,837
4/26(月)13,580
4/25(日) 2,444※
4/24(土) 6,292
4/23(金)10795
4/22(木)10,222
4/21(水)11,324
4/20(火)11,118
4/19(月)14,195

※印は休日

リベラシオンが書いているように、東京都は一日に3万件の検査能力があると言っていますが、しかし、相変わらずその3分の1程度しか検査をしていません。検査の拡充は、それこそ耳にタコができるくらい去年からずっと言われてきたことですが、未だにこんな状態なのです。拡充する気などさらさらないのでしょう。

メディアは、連日、新規感染者数が何人だとか「ニュース速報」でセンセーショナルに伝えていますが、検査数をまったく問わずに感染者数だけを報じてもどれほどの意味があるのかと思ってしまいます。日本では海外のように、自分が感染しているかどうかを知るための公的な検査は行われてないために(海外では無償で検査を受けることができる国も多いのですが、日本では”専門家”と称する太鼓持ちたちがそんなことをしても意味がないなどと言って、政府の無作為を擁護しているのが現状です)、国民は自費で民間の検査を受けているのですが、そこで陽性の判定が出た人、特に無症状の人が正直に保健所に届け出るとは限らないので、「隠れ陽性者」もかなりの数に上るのではないかと言われています。当然ながら、市中の検査が行われてないので、当局が把握していない市中の陽性者も相当数いると考えるのが普通でしょう。そんな潜在的な陽性者が、あの超密な通勤電車で席の奪い合いをしているのかもしれないのです。

何故、日本は海外に比べて検査数が極端に少ないのかと言えば、日本医師会の存在が関係しているという指摘があります。彼らが医療崩壊を理由に検査を増やすことを拒んでいるからだと。つまり、彼らの既得権益を守るためです。それは、打ち手不足で、ワクチン接種が遅々として進まないのも同じ理由だという声があります。

日本医師会は医師17万人が加入する公益社団法人ですが、その影響力は絶大で、政治団体の「日本医師連盟」をとおして自民党をはじめ与野党に年5億円近くを献金しているそうです。また、選挙においても地方の名士である開業医の影響力は大きく、「当選させるほどの力はないが落選させる力はある」と言われているそうです。

前も書きましたが、日本は人口当たりの病院数や病床数が世界で一番多く、CTやMRIの台数も他国を圧倒しているにもかかわらず、病床不足が指摘され医療崩壊が叫ばれているのです。既に大阪や兵庫や北海道では、実質的な医療崩壊が起きています。それも、ひとえに日本医師会の政治力に医療行政が歪められているからです。ちなみに、人口千人当たりの医師数は、OECD平均が3.5人なのに日本は2.4人しかいません。日本の医師数は、「1人当たりGDPが平均以上の国の中で最下位」だそうです。医療設備の充実を宝のもち腐れにしている”医師不足“も、既得権益を守る日本医師会の意向が関係していると言われているのです。

そんな日本の医療行政を歪める日本医師会の会長の記者会見を、まるで神の御託宣のように伝えているメディアは、よほどの節穴か、よほどのタヌキかどっちかでしょう。

コロナ禍であきらかになった日本の劣化。百年に一度と言われるパンデミックに晒されても尚、政治は旧態依然としたままで、周辺に蝟集する既得権益者の意向に従ってことが進められているのです。「国民の健康や命よりどうしてオリンピックを優先するのか」という声がありますが、オリンピックだけでなく感染対策そのものも、既得権益を甘受するステイクホルダーの意向が優先されているのでした。

「日本凄い!」も、文字通り自演乙でしかなかったのです。それこそ「笑笑」と言うべきでしょう。しかし、外国の新聞から心配されるくらい政府からコケにされているのに、国民は怒るわけでもなく、ただ陰でブツブツ言うだけです。通勤電車の光景を見ればわかりますが、ここに至っても、彼らにとっては、感染云々より電車で座席に座ることの方が大事なのです。目を血走らせながら車内に乗り込んで来ると、まるでマスクをしたニワトリのように車内をキョロキョロ見まわして、少しでも空いているスペースがあれば我先に突進する彼らを見ていると、絶望感すら覚えます。

世論調査を見ても、自民党の支持率は35%前後で、2位の立憲民主党が5~6%ですから、相変わらず自民党は抜きん出て支持されているのです。私は、読売の「オリンピック反対59%」という数字にも懐疑的です。池江璃花子の”感動物語”に涙するその単細胞ぶりを見せつけられると、ホントにどこまで反対の意思があるのか、首を捻らざるを得ません。東京五輪の問題は、オリンピックそのもののあり方を考えるいい機会だと思いますが、彼らを見ていると、それこそないものねだりの子守歌のように思います。

昨日の記者会見でも、菅首相は、オリンピック開催について「安心・安全な大会を実施することは可能と考えている」と人を食ったようなことを言っていましたが、正気かと言いたくなるようなそんな強気な姿勢の裏には、(何度も言いますが)「国民はオリンピックが始まれば今までのことを忘れて熱狂するに違いない」「池江璃花子のような感動話を与えれば涙を流して応援するに決まっている」という考えがあるからでしょう。バッハ会長も同じようなことを言って、日本の世論から反発されたとメディアは書いていましたが、しかし、開催されれば実際そのとおりになるでしょう。

なにせ日本人は、あの未曾有の原発事故でも変わらなかったのです。一度行き着くところまで行った方がいいという加速主義の(加速主義的な)考え方も、わからないでもないのです。
2021.05.15 Sat l 社会・メディア l top ▲
ツイッターで「奇跡の復活劇で人々を感動させたばかりの池江選手に厳しい言葉が浴びせられている」(東洋経済オンライン)そうで、メディアで批判の大合唱になっています。「厳しい言葉」を浴びせているのは、オリンピック反対派だそうです。池江璃花子自身のツイートで明らかになったのですが、メディアはそれを「おぞましい匿名の圧力」と言い、なかには「サイバーテロ」だと指弾するメディアもあります。

しかし、ツイッターのハッシュタグは「#池江璃花子選手は立派だが五輪開催は断固反対」という穏やかなものです。それに、巷間言われるようなオリンピック辞退を要求したツイートは極々一部で、「おぞましい匿名の圧力」「サイバーテロ」というのはどう見てもオーバーな表現です。むしろ、池江璃花子にからんだオリンピック反対の声を「おぞましい匿名の圧力」「サイバーテロ」にしたいがために、ことさら騒ぎ立てているフシさえあるのです。

とは言え、池江璃花子に限らずオリンピックありきのアスリートが「自分のことしか考えていない」と言うのは、そのとおりでしょう。メディアに袋叩きに遭った「あんたがどんな記録を出そうが、私たちには全く関係ない」というツイートに対しても、ことばがやや乱暴だとは思うものの、特に私は違和感を覚えませんでした。

ただ、一方で、池江選手に「オリンピックを辞退してほしい」という声については、私もお門違いだと思いました。と言って、それは、風にそよぐ葦にすぎないワイドショーのコメンテーターと同じ意味で言っているのではありません。辞退する気がない人間にそんなことを言っても、最初から無駄だと思うからです。

大学や高校の運動部でよくクラスターが発生していますが、スポーツ選手が感染防止について、どこまで正しい認識をもっているのか、はなはだ疑問です。もちろん、オリンピック代表という立場上、自分の感染には神経を使っているでしょうが、では、コロナ禍でのオリンピックのあり方やアスリートとしての自分とコロナ禍の社会との関係について、一度だって真面目に真剣に考えたことがあるのでしょうか。すべて所属するクラブや競技団体にお任せのようにしか見えないのです。

病魔と戦いながら、オリンピックという夢に向かって努力をしてきた池江選手に辞退しろなんて言うのは酷だ、鬼畜だ、みたいな批判もありますが、何度も言いますが、努力をしているのは池江選手だけではないのです。みんな努力しているのです。それぞれ夢に向かって努力してきたのです。それが、コロナで職を失ったり、事業が立ち行かなくなったりして、夢破れ、路頭に迷い、なかには死をも覚悟している人だっているのです。

まして、下記のニュースにあるように大阪や神戸では既に医療崩壊がはじまっており、実質的なトリアージ(命の選別)が行われ、高齢者がその対象になっているのです。命が見捨てられているのです。

朝日新聞デジタル
関西の高齢者2施設で計38人死亡 大半が入院できず

 神戸市と大阪府門真市の高齢者施設で新型コロナウイルスのクラスター(感染者集団)が発生し、二つの施設で計38人の入所者が亡くなっていた。大阪府と兵庫県では病床逼迫(ひっぱく)が深刻化しており、両施設では、多くの入所者が入院先が決まらないまま療養を続けていたという。


そういった現状を前にしても、池江璃花子は特別なのか、アスリートは夢に向かって努力して来たので特別なのか、と問いたいです。「生命いのちだけは平等だ」というのは、徳洲会の徳田虎雄が掲げた理念ですが、私はアスリートは特別だみたいに言う人たちにそのことばを突き付けたい気持があります。

別にみながみな池江璃花子の”感動物語”に涙を流しているわけではないのです。オリンピック開催のシンボルに祭り上がられたことで、その”感動物語”に胡散臭さを感じる人が出て来るのは、むしろ当然でしょう。

池江璃花子のような”感動物語”は、戦争中もメディアによっていくらでもねつ造されてきました。そうやって戦場に赴く若者が美化されたのです。一度走りはじめたら停まることができない日本という国家のメカニズムは、戦争もオリンピックも同じなのです。そして、そこには必ずメディアを使ったプロパガンダが存在します。

私は、池江選手に対する”同情論”に、逆にオリンピック開催反対の世論の”軽さ”を見たような気がしました。今回の針小棒大なバッシングには、丸山眞男が指摘したような、オリンピックよりコロナ対策だという合理的思考が、「勇気」や「元気」や「感動」など日本人が好きな”情緒的美化”によって、いともたやすく”動員の思想”にからめとられる”危うさ”が示されているように思います。病気を克服した池江璃花子が開催の象徴として利用されるのもそれゆえでしょう。(何度も言いますが)大衆は時が経てば忘れる、喉元すぎれば熱さを忘れる存在だ、という菅ら保守政治家の大衆観は真実をついているのです。彼ら為政者たちは、コロナがどうだとか言ってても、オリンピックがはじまればなにもかも忘れて熱狂するんだ、とタカを括っているに違いないのです。

じゃあ、池江璃花子の「夢」の対象であるオリンピックはどんなものなのか。今週のビデオニュースドットコムがその実態を取り上げていました。

ビデオニュースドットコム
マル激トーク・オン・ディマンド (第1048回)
誰がそうまでしてオリンピックをやりたがっているのか

私はゲストの後藤逸郎氏の著書の『オリンピック・マネー 誰も知らない東京五輪の裏側』(文春新書)をまだ読んでなかったので、番組を観たあと早速、痛い足を引き摺って近所の本屋に行きました。しかし、既に売切れていました。しかも、アマゾンや楽天や紀伊国屋などネットショップもどこも売切れで、電子書籍しか販売されていませんでした。

アメリカのワシントン・ポスト紙は、IOCのバッハ会長のことを「ぼったくり男爵」と書いていたそうですが、言い得て妙だなと思いました。今やオリンピックは、「一にお金二にお金、三四がなくて五にお金」の世界なのです。そのなかで、彼も「五輪貴族」とヤユされるような優雅な暮らしを手に入れたのです。

番組で、IOCにとっては、無観客でも何でもいいからとにかく開催してテレビ中継さえ行われればIOCが「儲かる」仕組みになっていると言っていましたが、スイスのNPO(民間団体)にすぎないIOCは、別に財団をいくつか持っており、さらにそれに連なるメディア関連の「オリンピック・チャンネルサービス」と「ブロードキャスティングサービス」という二つの会社が、それぞれスイス(株式会社)とスペイン(有限会社)にあるそうです。実務はスペインの有限会社が担っており、そこには日本のテレビ局や広告代理店からも社員が派遣されているのだとか。「ブロードキャスティングサービス」は、競技を撮影・中継し、それを各国のテレビ局を通して世界に配信することを主な業務にしているのですが、2016年12月末の資料では、日本円で400億円近くの売上げがあり、約60億円の利益を得ているそうです。もちろん、同社の役員にはIOCの幹部たちが就いていますが、その報酬は非公開だそうです。

要するに、IOCというのは、オリンピックというイベントを企画して、それを各国に売り込み、さらにイベントのコンテンツを管理するスポーツビジネスの会社と言っても間違いないのです。そもそもオリンピック自体が、キャッチアップを果たした旧発展途上国の国威発揚のイベントになっているというのはそのとおりで、オリンピック招致という発想そのものがアナクロなのです。

招致の際、コンパクトなオリンピックにするという触れ込みで7340億円で済むように言っていたにもかかわらず、2019年12月の会計検査院の報告によれば、招致から6年間で既に1兆600億円の関連経費が支出されていることがあきらかになっています。また、それ以外に大会組織委員会や東京都、国の別枠の予備費を合わせると実際は3兆4000億円にまで膨らんでいるそうです。

しかも、無観客になれば900億円の入場料収入もなくなり、開催都市の東京は1兆円の赤字を負担しなければならなくなるのだとか(そして、国が財政保証しているので、最終的には私たちの税金で処理することになるのです)。

選手と関係者の入国に伴う検査と健康管理にも、大きな懸念があります。観客を除いても、選手1万5千人に関係者を含めると5〜7万人が入国すると言われていますが、そういった海外からの入国者に対しても、PCR検査より精度が落ちる唾液による抗原検査をするだけで、しかも、選手の健康管理はアプリによる自己申告が主だそうです。

緊急事態宣言では人流を抑制しなければならないと盛んに言われていますが、オリンピック期間中は晴海のオリンピック村に選手1万5千人を閉じ込めることになるのです。食堂だけでも一度に数千人が食事できる規模だそうで、これ以上の”密”はないでしょう。しかも、いくら閉じ込めると言っても、無断で外出して飲みに行く選手が出て来ないとも限りません。強制収容所ではないのですから、電流を通した金網を張ったり、脱走した人間を銃殺するわけにはいかないのです。

IOCが作った大会関係者向けの「プレイブック」には、「選手同士の交流や握手、ハグは禁止」と書いているそうですが、しかし、禅道場ではないのですから、狭い空間のなかに1万数千人の若い男女が閉じ込められると、性的な欲望が充満するのは避けられないでしょう。そのために、表に出ていませんが、16万個のコンドームを配るという話もあるそうです。ハグどころか、合体が前提なのですからもはや笑い話みたいな話です。因みに、夜毎大量のコンドームが使われる選手村は、オリンピックが終われば高級マンションに化けるのです。

ワイドショーのコメンテーターはどれもいかがわしいのですが、そんなコメンテーターの日本政府がキャンセルすると違約金が発生するので日本政府からやめると言うことができないという発言についても、後藤氏はあり得ないデタラメだと言っていました。そんなことは開催都市契約のどこにも書いてないそうです。

ただ、開催がキャンセルになった場合、スポンサー企業などから開催都市やIOCに対して損害賠償の訴訟を起こされることはあるかもしれないと言っていました。もっとも、そういった訴訟は大規模イベントにはつきものなので、後藤氏も言うように、仮に訴訟を起こされたら粛々と対応すればいいだけでしょう。

最終的には40万人?必要とか言われているボランティアについても(無観客になればそんなにいらないのでしょう)、ボランティアを手配し派遣する仕事はパソナが一括して請け負っているそうです。当然ながらパソナは、その費用をもらっているのです。しかし、ボランティアの人たちは無償です。これでは、JOCではなくパソナに対してボランティアをしているようなものじゃないかと言っていましたが、たしかにこれほどおいしい商売はないでしょう。濡れ手に粟とはこのことでしょう。

でも、こういった話はメディアにいっさい出てきません。どうしてかと言えば、朝日・日経・読売・毎日は、オフィシャルスポンサーに名を連ねており、東京オリンピックに関しては利害当事者になっているからです。だから、自分たちにとって都合の悪いことは口を噤んでいるのです。

開催が厳しいという話も、どこの新聞も欧米のメディアの報道を引用するばかりで、自分の口で言おうとしません。宮台真司も、「自分とこの社論はどうなっているんだ」「自分の口でものを言えよ」と憤っていましたが、コロナ禍のオリンピック開催についてはメディアも同罪なのです。

繰り返しますが、サマランチ時代にオリンピックが商業主義に大きく舵を切り(だから、IOCの関連会社がサマランチの出身国のスペインに置かれているという指摘があります)、「オリンピック憲章」に謳われる崇高な精神も単なる建前と化したのですが、しかし、こと代表選手に関しては、未だに「スポーツの力」とか「感動をありがとう」とか「夢をもらう」などと、永井荷風が言う「駄句駄字」の空疎なことばが飛び交っているのでした。まるでそこだけありもしない「オリンピック憲章」の建前が生きているかのようです。一方で、メディアは、オリンピックありきのアスリートへの批判を「差別」だと断じていますが、そんな大仰なもの言いには、アスリートと同じオリンピックありきのメディアの本音が透けて見えているような気がしてなりません。

アスリートにとってオリンピックが「夢」だという話にしても、番組でも言っていたように、サッカーや野球やバスケットやテニスやゴルフなど経済的(興行的?)に自立している人気スポーツは、オリンピックに対する幻想がほとんどありません。仮にオリンピックの種目に入っていても、オリンピックはワールドカップや世界大会よりカテゴリーが下です。だから、選手たちもオリンピックに出ることにそんなにこだわっていません。むしろ怪我すると損だみたいな理由で辞退する選手も多く、オリンピックに出ることが「夢」だなんて、ゆめゆめ思ってないのです(おやじギャク)。

今やオリンピックはマイナースポーツの祭典になっているという指摘も、あながち的外れではないように思います。要するに、自立できないがゆえに、競技団体も選手もオリンピックにぶら下がらざるを得ないし、金銭面で活動を支えてくれるスポンサー企業の手前、出るか出ないかでは天と地の差があるというのはそのとおりなのでしょう。アスリートは、マイナースポーツであるがゆえに、スポンサー企業や政治の論理にがんじがらめに縛られて、(武者小路実篤ではないですが)「一個の人間」として自立することさえ阻まれているのです。そんな彼らにとって、オリンピック中止はあり得ないし、まして辞退など想像すらできないことでしょう。

ただ、そうは言っても、自然の猛威である新型コロナウイルスが都合よく収束してくれるはずもありません。感染拡大とともにオリンピック開催の問題がグチャグチャになっているのは誰の目にも明らかで、どう見ても準備が順調に進んでいるようには思えません。強気な姿勢の裏で、菅政権がかなり追い詰められているのも事実でしょう。番組のなかでは、小池都知事が時期を見て開催反対を言い出すんじゃないか、そして、国民の喝采を浴び、それを国政への復帰のステップにするんじゃないかと言っていましたが、私もそれは充分あり得ると思いました。進むも地獄戻るも地獄ならぬ、やるも茶番やめるも茶番になる可能性も大きいのです。
2021.05.09 Sun l 社会・メディア l top ▲
ビデオニュースドットコムを観ていたら、ゲストに出ていた斎藤幸平氏の次のようなことばが耳に残りました。

ビデオニュースドットコム
マル激トーク・オン・ディマンド (第1047回)
コロナでいよいよ露わになったコモンを破壊する資本主義の正体

「多くの人たちが立ち上がらない限り、この問題(引用者註:気候変動の問題)は解決しない。しかし、一方で分断が生じていて、お前は恵まれているからこういうことを考えられるんだっていうのは、環境問題でいつも言われることなんですよ。お前、恵まれているからベジタリアンの食事も食べられるし、オーガニックの服も買えるけど、俺ら金もないし忙しいから牛丼とラーメン食って、ユニクロの服着なきゃいけないんだ、みたいな話になるわけですよね。それは本当に不毛の対立で分断なわけですよ。僕は別にお金がなくてユニクロを買ってる人、牛丼を食べてる人だって、むしろ、積極的に声を上げてほしい。なんでオーガニックコットンのシャツを買えるくらいの給料をくれないんだよ。なんで300円400円で食えるものが、身体に悪い牛丼みたいなジャンクフードしかないのかということを怒ってもいい」

「(余裕があることに)全然罪悪感を感じる必要もないし、一方で余裕がある人も買って満足するというのは、まさにアヘンですよね。(しかし)社会全体を変えていくためには単に自分が良いものをちょっと買うだけではなくて、社会の構造とか格差そのものも変えていかなければ意味がないわけで、みんなが声を上げていいんだっていう風になれば、僕はその瞬間に変わっていくと思うし、逆に、みんなで声をあげてこのシステムそのものを変えていこうという風にしていかないと最終的には問題も解決しない」

斎藤幸平氏はまた、「3.5%」の人が立ち上がれば世の中は変わるとも言っていました。「3.5%」というのは、ハーバード大学の政治学者エリカ・チェノウェス教授が主張する数字です。エリカ・チェノウェス教授によれば、フィリピンのマルコスの独裁体制を倒した「ピープルパワー革命」やグルジアの「バラ革命」など、過去の社会変革のきっかけになった運動を調べると、「3.5%」の”法則”が当てはまるのだそうです。今のミャンマーの国軍に対する不服従の運動も、例外ではないように思います。

悪しき大衆主義と前衛主義の対立は左派の永遠のテーマですが、「3.5%」というのは腑に落ちる数字なのでした。宮台真司は、社会の圧倒的多数の人たちは何も考えずにただ漫然と大勢に流されて生きているだけという現実を考えれば、「3.5%」の数字はリアルティがあると言っていました。つまり、はっきり言えば、大衆というのは金魚の糞みたいな存在だということです。私が大衆主義に「悪しき」という連体詞を付けたくなるのも、それゆえです。

安倍元総理や菅総理らは、「有権者は時間が経てば忘れる」という大衆観を持っており、それがモリカケの対応や一連の反動的な法改正などの強権的な姿勢につながっていると言われていますが、彼らは如何にも保守政治家らしく大衆の本質を熟知しているとも言えるのです。オリンピック開催も同じでしょう。オリンピックが開催され、メディアがオリンピック一色に彩られ、「勇気」や「感動」などというおなじみのワードが飛び交うようになれば、8割反対もどこ吹く風、態度を一変してオリンピックに熱狂するに違いないのです。政権与党の政治家たちもそうタカをくくっているのだと思います。

誤解を怖れずに言えば、世論調査であれ、政党支持率であれ、そんなものはほとんど意味がないのではないか、ホントは取るに足りないものではないのか。そんな大胆な考えがあってもいいように思います。

前にも書いたとおり、ミレニアル世代あるいはその下のZ世代と呼ばれる若者たちの間では、ジェレミー・コービンやバーニー・サンダースのカリスマ的人気に象徴されるように、”左派的なもの”に対するシンパシーが世界的に広がっているのですが、しかし、残念ながら日本では、”左派的なもの”は嘲笑と不信の対象でしかありません。

番組でも言っていましたが、”左派的なもの”に対する関心は、今の社会のシステムを根本から変えなければもうどうにもならないことを若い世代が気付きはじめたということでもあるのです。地球温暖化や格差拡大や財政破綻の問題は、若い世代にとっては自分たちの人生に直接関わる切実な問題で、否応なくそれと正面から向き合わなければならないのです。彼らは、そこに「資本主義の限界」を見ているのです。鷲田小彌太氏のことばを借りれば、「臨界点」を見ているのです。たとえば、余暇としての趣味ではなく、趣味のために働くという先行世代から眉をしかめられるような考え方も、今の社会に対するラジカルな批評になっているのです。斎藤幸平氏は、『人新世の「資本論」』のなかで、それを「ラジカルな潤沢さ」と呼んでいました。

文字通り喉元すぎて熱さを忘れた反原発運動の”愚”をくり返さないためにも、(前も書きましたが)地べたの生活の現実に依拠し、まっとうな生き方をしたいと思っている「3.5%」の人々の琴線に触れるような、真に革命的な急進左派の運動が今の日本に求められているのです。それは、「アウシュビッツ行きの最終列車に乗る」とヤユされるような、選挙対策の”野党連合”(立憲民主党への合流)などとはまったく別次元の話です。

社会のシステムを変えると言うと、政治のことばを大上段に振りかざしたものを想像しがちですが、一方で、それは、自分の人生や生き方にも関わるきわめて身近なもの(こと)でもあるのです。人生を少しでも豊かで充実したものにするためには、趣味でもボランティアでも家族サービスでもなんでもいいから、生活のなかに仕事だけでない別の時間を持つことが大事でしょう。そして、それが仕事と同じかあるいはそれ以上のウエイトを占めるようになれば、労働時間の短縮や最低賃金の引き上げや有給休暇の拡大などが身近な問題として考えられるようになってくるでしょう。そうやって”左派的なもの”との接点が生まれ、それが世界に目をひらく端緒になるのです。

山を登る趣味を考えても、山に登ることがきっかけで、自然の大切さや身体しんたい(=身体的であること)の重要性と出会い、環境にやさしい素材を使った服を買ったり、安全で身体からだにいいものを食べたりするようになれば、自分の人生に対する考え方も変わるだろうし、世の中に対する見方も変わっていくでしょう。

もちろん、「SDGsは大衆のアヘンである」と斎藤幸平氏が言うように、SDGsが貪欲な資本のあらたな市場になっているのも事実です。地方の山がソーラーパネルで埋め尽くされたのと同じように、「田舎」がエコな経済の収奪の対象として「外部化」されているのは否定できないでしょう。昨今のリモートによる地方移住も、あたらしい生き方でもなんでもなく、彼らはただ地方を「外部化」し収奪するために資本から派遣された先兵にすぎません。もとより、エコバッグで買い物に行ったり、有機野菜で料理をしたりするのは、あの「お花畑」の元総理夫人だってやっていることです。ありきたりな言い方ですが、ホンモノとニセモノが混在しているのはたしかです。しかし、それを百も承知で言えば、個的なレベルにおける”革命”というのは、そういう身近な生活スタイルを変えることからはじまるわけで、そこから世界に向けた回路がひらかれているのもまた、たしかなのです。


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2021.05.03 Mon l 社会・メディア l top ▲
ゴールデンウィークで連休が続くので、今日、手持ちがなくなった薬を処方してもらうべくあわててかかりつけの病院に行きました。土曜日で午前中しか診察をやってないため、朝8時すぎの電車に乗り、東横線、そして市営地下鉄のグリーンラインとブルーラインをそれぞれ乗り継いで行きました。普段はタクシーで行くことも多いのに、何故か今日はケチって電車で行くことにしたのでした。

電車の場合、当然ながら駅まで歩いて行かなければならないし、途中、二度の乗り換えもあるので、距離的にも遠回りになり、タクシーだと15分くらいで行くところが電車だと1時間近くかかります。そのため、帰って来たら、痛めている右膝が曲げるのも困難なくらいパンパンに腫れていました。

前日は、整形外科の病院で、膝にたまった”水”をぬきヒアルロン酸を注入しました。通常、ヒアルロン酸は5週注入するケースが多いみたいですが、いっこうに改善しないのでもう少し続けた方がいいでしょうと言われたのです。しかし、自宅に帰った頃には、再び”水”がたまっているのが自分でもわかりました。

痛みそのものは、最初の頃に比べれば半分くらいに和らいでいます。と言っても、それは痛みのランクが半分くらいに下がったにすぎず、歩けないほどの痛みからなんとか歩けるほどの痛みに変わった程度です。

ヒアルロン酸を注入されているからなのか、心なしか膝のお皿のあたりがツルツルになった感じがします。これだったら膝より顔に注入してもらった方がよほど効果があるような気がしないでもありません。

また、膝に力を入れて(膝をロックして)足を15センチから20センチ持ち上げて5秒から10秒維持し、それを10回くり返すストレッチを毎日3~5セット行って下さいと言われました(ほかにタオルを丸めたものを膝の下に置いてそれを上から潰すストレットも)。

私は、「はい、わかりました」と聞いたふりをしましたが、それはもうとっくに自分でやっていました。また、今日もかかりつけ医に膝を痛めたという話をしたら、やはり同じストレッチを推奨されました。

私の場合、前も書きましたが、変形性膝関節症ではなくただのオーバーユースだと言われたのですが、ネットで見ると、オーバーユースで変形性膝関節症を発症すると書いているサイトもあります。でも、私が行っている整形外科のドクターは(認定スポーツ医でもある)、レントゲンでは膝は非常にきれいで問題はないし、しかも、膝を使わないときに痛みがないということを考えれば、変形性膝関節症ではなくただの使いすぎだろうと言うのです。

山に登り始めの頃も、(主に反対側の膝でしたが)膝痛に悩ませられたことがありました。そのときも、膝が腫れた感じがして屈伸するのに違和感がありましたので、おそらく膝に”水”がたまっていたのでしょう。でも、数日もすると痛みも取れて元に戻っていました。同じオーバーユースでも、今回はあまりにレベルが違いすぎるのです。患者というのは不思議なもので、明確な病名を付けられないと逆に不安を覚えるのでした。

ヒアルロン酸の効果や深夜の通販番組ではおなじみの軟骨がすり減ることによる膝の痛みについて、京都のドクターがブログで次のように書いていたのが目に止まりました。

石田内科リウマチ科クリニック
クリニックBLOG
膝関節へのヒアルロン酸注射の有効性

米国整形外科学会(AAOS)は6月4日、変形性膝関節症(OA)治療に関する臨床診療ガイドライン(CPG)改訂版を発表した。ヒアルロン酸関節内注射治療を推奨しないと明記した。(略)ヒアルロン酸の関節内注射は、14件の試験のメタ解析において臨床的に重要な改善を意味する最小閾値に達しておらず、症候性の変形性膝関節症(OA)治療法としてもはや推奨されないものとしている。日本では、症候性OAについては、ヒアルロン酸関節内注射が頻繁になされている。ロコモティブシンドロームの代表格であるOAについて、このような見解が示されたのは、大きな衝撃であろう。「OAの症状のみで、関節内遊離体や半月板損傷など他の問題が見られない者には、関節鏡下洗浄治療は行わない」「BMI25超の肥満者は最低5%減量する」「低負担の有酸素運動を積極的に取り入れる」などが盛り込まれている。患者が主体的に治療に取り組むことが、痛みを軽減し、良好な健康状態を実感するに最適な方法の一つである。太り気味であれば、減量が進行を遅らせるためにできる最善策でもある。


そして、最後に「これまでOAは軟骨の変性摩耗と叫び続けてきた方々のコメントを待ちたい」と書いていました。

やっぱり、ヒアルロン酸は皺取りの方が効果があるのかもと思ってしまいました。「軟骨の変性摩耗」もおなじみのフレーズですが、たしかに深夜の通販番組を見ると、医学的な一見解にすぎないものが、商業的な目的のために拡大解釈され独り歩きしているような気がしないでもありません。

膝痛を経験した多くの人たちが口にする、病院に行っても湿布薬と”水”抜きとヒアルロン酸で「お茶を濁されるだけ」というのもわからないでもないのです。そのために、ストレッチに望みを託して整骨院に駆け込み、回数券や「部位回し」で散財することになるのでしょう。

筋力が落ちたり、筋肉が固くなったりするのを防ぐという意味では、ストレッチは有効かもしれません。ただ、痛みが改善するのは、あくまで自然治癒にすぎないのでないか。保存療法というのは、結局、そういうことでしょう。だったら、「自然に治るまで待つしかありませんよ」と言ってくれればいいのにと思います。ヒアルロン酸や”水”抜きに過大な期待を抱く分落胆する気持も大きいのです。

同じように膝痛を抱える知人は、膝痛は命には関係ないので治療の研究が進んでないんじゃないかなと言っていましたが、膝痛の当事者として、そう思いたくなる気持もわからないでもありません。そして、そういったなかなか痛みが取れない”もどかしさ”が、通販番組の主役を務めるくらいに膝痛の市場を虚業化し大きくしたと言えなくもないでしょう。

余談ですが、膝に”水”がたまると膝がいびつな形に変形するのですが、それを見るといっそう気が滅入ってきます。そのため、女子高生の素足のミニスカートから覗いた、左右きれいに揃った膝が羨ましくてならず、やたら女子高生の膝が気になるようになりました。道を歩いていても、電車のなかでも、ついつい女子高生の膝に見入ってしまうことがあり、近くにいた女性から怪訝の目で見られたこともありました。このように膝痛によって、”膝フェチ”という副産物までもたらされたのでした。

閑話休題あだしごとはさておき、今朝の東横線も、通勤客やレジャーに出かける乗客で、普段の週末とほとんど変わらないくらい混んでいました。また、新横浜駅方面に向かう市営地下鉄の車内では、通勤客に混ざって大きなキャリーケースを横に置いた乗客も目につきました。

どうしてこのタイミングなんだ?と思いますが、横浜の桜木町駅から汽車道の上を通るロープウェイが開通したので、それを目当ての家族連れも多く押しかけているようです。「人の流れを抑制しなければならない」「ゴールデンウィーク期間中はステイホームで」とか言いながら、その一方で、テレビはロープウェイ開通をトピックスとしてとりあげ宣伝しているのです。それでは行くなと言う方が無理でしょう。

しかも、今月の15・16日には、山下公園で「世界トライアスロン」の横浜大会が開催されます。国内外の招待選手に優待・一般参加の選手を含めて2000名の参加者でレースが行われるそうです。無観客の大会になったので、林文子横浜市長は「観戦に来ないで」と呼びかけていますが、これほどバカげた話はないでしょう。無観客とは言え、どうしてこの時期に開催しなければならないのか。私は、横浜市民として、林市長の神経さえ疑いました(もっとも、緊急事態宣言が延長されて中止になる可能性の方が高いですが)。

埼玉から都内に通勤している友人も、今朝の電車はいつもと変わらなかった、普段の土曜日よりむしろ多いくらいだったと言っていました。また、池袋駅では山登りの恰好をした登山客やハイキングに向かうとおぼしきリュックを背負った家族連れも目についたと言っていました。

三度目の緊急事態宣言は、政府の目論みとは逆に外出自粛にはほど遠い現実しかないのです。私は、これでは「オリンピックなんてできるわけがない」とあらためて確信しました。もしかしたら、国民はわざと外出し感染を拡大させることで(そうやってみずから身を挺して)、オリンピック開催を阻止しようとしているんじゃないか。そんな皮肉な見方さえしたくなりました。

おそらく、二週間後はとんでもない新規感染者数を見ることになるでしょう。もし、そうではなく、予想に反して新規感染者数が減少していたら、それはオリンピック開催のためになんらかの”操作”が行なわれたと見て間違いないでしょう。

今日のテレビのニュースでは、緊急事態宣言で軒並み人出が減っていることを強調していましたが、どこが?と思いました。東京駅の新幹線のホームも「閑散としている」と伝えていましたが、JRによれば新幹線の乗車率は50%〜70%で、過去2回の緊急事態宣言のときより大幅に増えているのです。乗車率50%〜70%は、普通に考えても「閑散」とは言わないでしょう。オリンピックのスポンサー企業に名を連ねる大手の新聞社やテレビ局は、言うまでもなく”開催ありき”です。開催して貰わなければ困るというのが本音です。そんなオリンピック開催で政府と一体化したメディアが、あたかも緊急事態宣言に効果が出ているかのように恣意的な報道を行っていることも気になりました。
2021.05.01 Sat l 社会・メディア l top ▲
小室さんの問題で、元婚約者がコメントを発表し、「解決金」の交渉に応じる意向を示したというニュースがいっせいに流れました。

毎日新聞
小室圭さん母の元婚約者、解決金の交渉進める意向 コメント発表

意地悪な私は、やっぱりと思いました。ことばは悪いけど、意外と早く食いついてきたなと思いました。このあたりが老いらくの恋の落としどころなのかもしれません。二人の結婚の意思は固いようなので、いづれにしても結婚の方向に話が進んで行くのは間違いないでしょう。

ただ、元婚約者の真意が、「解決金」にあるのか、それとも体調を崩して入院していると伝えられる小室さんのお母さんにあるのか、今ひとつはっきりしませんので、今後も紆余曲折がないとは言えないでしょう。

単にお金がほしいだけなら話は簡単ですが、そうではなく(それだけではなく)ストーカーによく見られるような別の屈折した心情が伏在しているとしたら、話がこじれる可能性はあるでしょう。元婚約者の代理人を務めるのは、弁護士ではなくフリーライターだったのですが、今もそうなのか気になります。と言うのも、代理人やメディアの立場から言えば、話がこじれた方が間違いなくオイシイからです。

別れたから今まで使ったお金を返せというのは、昔だったら「最低の男」「男の風上にもおけない」と言われたでしょう。それは、かわいさ余って憎さ百倍のストーカーに暴走しかねない論理と言えなくもないのです。

元婚約者はなかなか老獪で、金銭問題でふたりの結婚に支障が出るのは忍びないとか言いながら、だからと言ってメディアから身を遠ざけているわけではないのです。今回も、「代理人」のフリーライターのプロデュースなのか、小室さんの「文書」が発表されると『週刊現代』の取材に応じて、マンションのローンを払えないので今は家賃8万円の木造アパートに住んでいるとか、小室さんの「文書」には「納得できない」とか、婚約解消の話し合いの席での”無断録音”に「驚いた」などと「独占告白」しているのでした。そうやってことあるごとにメディアに登場して、バッシングの材料を提供しているのです。

問題の本質は、お金を貰ったか借りたか(貸したか)にあるのではなく、小室さんと眞子さんの恋愛&婚約がメディアに大々的に取り上げられ、小室さん一家にスポットライトが当てられた途端、元婚約者が金銭問題をメディアにリークしたその行為にあるのです。もっとありていに言えば、その行為に至った動機にあるのです。

もし自分だったらと考えれば、問題がわかりやすくなるかも知れません。私も度量の狭い人間ですので、使ったお金はもったいなかったなとか捨て銭になったなとか、心の片隅で少し思ったりはするかもしれませんが(それも半分は自虐ネタみたいなものですが)、しかし、いくらなんでも“金銭トラブル”をメディアにタレこんで若いふたりの恋路を邪魔するなんてことは、とても考えられないしあり得ない話です。そこまでやるというのは、「執念」ということばでも解釈し切れない、もっと根深い要因があるような気さえします。

小室さん母子が結婚詐欺師VS元婚約者が善意の被害者というメディアが描く構図自体が、どう考えても悪意の所産だとしか思えません。もとより、(何度もくり返しますが)男と女の間には第三者が立ち入れないデリケートなものがあり、仮にお金のやり取りがあったとしても、それが借りたか(貸したか)貰ったかなんて判断すること自体、明確に犯罪でも構成してない限り、無理があるのです。元婚約者が弁護士に相談したら、借用書などがないと返金を求めるのは無理だと言われたという話が漏れ伝わっていますが、その話がホントかどうかは別にしても、法的に解釈すれば当然そうなるでしょう。だから、訴訟も起こしてないのでしょう。

小室さん自身、法律を専門的に勉強しているし、また日本では弁護士事務所に勤務していましたので、法的に見て問題ないという認識は当然持っているでしょう。でも、メディアはそれを「不誠実」「上から目線」だと批判するのです。また、バッシングに対しても、名誉棄損に当たることは小室さん側も重々わかっているはずです。しかし、眞子さんとの関係上、簡単に訴訟を起こすことができないのも事実でしょう。メディアもそれがわかっているので、みずからが描いた構図に従って書きたい放題に書いているのでしょう。

以前、『週刊現代』元編集長の元木昌彦氏がPRESIDENT Onlineに書いた下記の記事を紹介しましたが、元木氏が書いているように、一連の騒動から見えてくるのは、「今の若者には珍しいほど勤勉で誠実な」小室圭さんの姿です。眞子さんとの結婚のために、国際弁護士を目指して渡米、成績も優秀で弁護士資格を取得するのはほぼ間違いないと言われています。眞子さんとの約束を果たすべく努力し、約束どおりちゃんと成果をあげようとしているのです。小室さんに悪罵を浴びせるゲスな国民たちは、むしろ爪の垢を煎じて飲んだ方がいいくらい立派な青年なのです。

PRESIDENT Online
「圭さんと結婚します」の言葉を国民は祝福する

集団ヒステリーと化したかのような小室さんバッシングですが、それはこの社会にマグマのように滞留する負の感情がいびつな姿で噴出した、現代の日本に特有ないじめとストーカーの問題ではないのか。小室さんの問題については、私はどうしてもそんな見方しか持てないのです。


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小室さん
2021.04.28 Wed l 社会・メディア l top ▲
三度目の緊急事態宣言が発令(発出)され、25日から来月11日までの17日間、東京・大阪・京都・兵庫の4都府県で実施されることになりました。併せて既に発令されているまん延防止等重点措置も、対象地域が拡大され、緊急事態宣言と同じく来月11日まで実施されることになりました。

何度も言いますが、来月の11日までというのは、ゴールデンウィーク云々だけでなく、IOCのバッハ会長が17日だかに来日するので、それまでに終了したいという”政治的思惑”がはたらいているのは間違いでしょう。そのために、過去の二度の緊急事態宣言と違って、わずか17日間という「短期間に集中して感染を抑え込む」(菅総理の発言)方針に転換したのです。すべてはオリンピック開催のためです。

昨日の緊急事態宣言初日の朝、用事があって駅に行きましたが、都内に向かう上りの電車も横浜の中心街に向かう下りの電車も、「みんな、どこに行くの?」と思うくらい多くの乗客が乗っていました。若者だけでなく家族連れや高齢者夫婦など、世代を問わずみんな休日の繁華街に向かっていました。また、揃いのユニフォームを着た中学生のグループも、部活の練習試合のためか、改札口の前で待ち合わせをしていました。

「自粛疲れ」「宣言慣れ」などと言いますが、要するに国家が覚悟を示せないのに、国民だけ覚悟を持て、自覚を持てと言っても、それはないものねだりの子守歌というものです。オリンピックはやるけど、お前たちは外出を控えろと言うのは、説得力がないし、自己矛盾も甚だしいのです。

ましてや、大阪市の例が示すように、公務員たちは、市民に自粛を要請しながら自分たちは陰で飲み会をやっているのです。大阪市の場合、感染者が出たので調査してあきらかになったのですが、ほかの自治体もただ調査していないだけで、実態は似たようなものでしょう。厚労省も然りですが、公務員の飲み会の横行は、「自分には甘く住民には厳しい」公務員の習性をよく表しているように思います。たとえば、税金の使い方にしても、自分たちはザルなのに住民に対しては杓子定規で厳格です。一方で、税金の徴収は容赦なく厳しいのです。それは、地頭の子転んでもただでは起きぬの時代から連綿と続いている官尊民卑の考えが背景にあるからでしょう。

私は、新型コロナウイルスの感染が取り沙汰されるようになってから外食はまったく控えています。何故なら、水に落ちた犬を叩くようで気が引けるのですが、飲食店を信用してないからです。大手のチェーン店は、バカッターの例に見られるようにほとんどがアルバイトで運用されていますが、彼らアルバイトがホントに真面目に感染防止に務めているとはとても思えません。

また、個人経営の店なども、テレビのインタビューに答えている店主を見ると、一応マスクはしているものの、二階(幹事長)や麻生(副総理)と同じように鼻が出ている場合が多いのです。それで、「いらっしゃいっ!」と大声で挨拶されたらたまったものではありません。しかも、飛沫防止効果が高いと推奨されている不織布マスクではなく、若者と同じようにウレタンマスクを装着している店主も多いのです。それは、アクリル板や消毒スプレー以前の基本中の基本だと思いますが、そんな基本的なことさえ守られてないのです。

何故、こんな「細かいこと」にこだわり、小言幸兵衛みたいなことを言うのかと言えば、「正しく怖れる」ためです。ひとりひとりが正しく怖れれば、緊急事態宣言もまん延防止措置も必要ないし、「ファシスト的公共性」で不自由をかこつこともないのです。

感染拡大を叫びながら、政府はオリンピックをやると言い、テレビは政府の意を汲んでオリンピックムードを盛り上げ、一方で人出が減ってないとかなんとか言いながら、春爛漫の名所旧跡を訪ねる旅番組を流して外出を煽っているのです。メディアは、オリンピック開催のマスコットガールにすべく白血病から代表に復帰した池江璃花子を美談仕立てで報じていますが、「がんばっている」のは池江璃花子だけではないでしょう。コロナと戦っている感染者も、実質的な医療崩壊のなかで命を繋いでいるほかの患者も、コロナで職を失った人たちも、もちろん諸悪の根源のようにやり玉にあがっている飲食店の店主も、みんな必死で「がんばっている」のです。スポーツ選手だけが「がんばっている」のではないのです。

新型コロナウイルスに関しては、アベノマスクを筆頭に、大阪府知事や大阪市長のイソジンや雨合羽、それに兵庫県知事のうちわ会食など、ホントに危機感があるのか疑問に思うようなトンデモ話が次々と飛び出していますが、今回の緊急事態宣言では、小池都知事が負けじとばかりに”灯火管制”を言い出したのでした。”灯火管制”が必要なくらい危機的な状況なら、まずその前にオリンピックをやめることでしょう。「話はそれから」なのです。

僭越ですが、以前、このブログで私は次のように書きました。

定額給付金・ハイブリット車購入資金の助成・高速料金の千円均一・省エネ家電のエコポイントなど、いわゆる麻生内閣の景気対策を見るにつけ、かつて故・江藤淳氏が「国家・個人・言葉」(講談社学芸文庫『アメリカと私』所収)で書いていた、「倫理の源泉であることを引き受けたがらぬ国家は、ただ金をためろ、輸出を伸ばせ、というだけである」「個人は、したがって孤独であり、なにをもって善とし、なにを悪とするかを知らない。人はただ生きている」という文章を思い出しました。

さしずめこれをもじって言えば、「倫理の源泉であることを引き受けたがらぬ国家は、ただ金を使え、ものを買え、というだけである」「個人は、したがって孤独であり、なにをもって善とし、なにを悪とするかを知らない。人はただ生きている」と言うべきかもしれません。国家主義者ならずとも「この国は大丈夫か?」と思ってしまいます。

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たしかに、新型コロナウイルスの感染対策を見ても、江藤淳が言うように、国家は「倫理の源泉」としての役割すら放棄したかのようです。国家の中枢に鎮座する菅や二階や麻生の能天気ぶりや、新型コロナウイルス対策で露わになった自治体の長たちのトンチンカンぶりが、なによりそれを表しているように思います。

ここに来て、菅総理は突然、7月までに65歳以上の高齢者のワクチン接種を終えるとか、7月から一般の国民に対してもワクチン接種を開始するなどと言い出しましたが、能力的な限界に突き当りいよいよ取り乱しはじめたかと思いました。ホントにそう思っているのなら、国立競技場を接種会場にすればいいのです。そのくらいの覚悟を見せてくれと言いたいです。
2021.04.26 Mon l 社会・メディア l top ▲
特措法改正で新設された「まん延防止等重点措置」がまったく効果がなかったとして、三度みたび緊急事態宣言が発令(発出)されることが決定されたようです。

報道によれば、今回は東京都と大阪府と京都府と兵庫県に発令される予定だとか。しかし、緊急事態宣言の期間は、過去の二度より短く、4月29日~5月9日のゴールデンウィークの間で、感染状況次第ではさらに1週間(5月16日まで)延長することを検討しているそうです。

一度目(2020年4月)は、東京・神奈川・埼玉・千葉・北海道が1ヶ月半、その他の府県が1ヶ月でした。二度目(2021年1月)は、首都圏の1都3県(東京都・神奈川県・千葉県・埼玉県)と、あとで追加になった大阪府・京都府・兵庫県・愛知県・岐阜県・栃木県・福岡県の7府県が対象でしたが、感染が収束しなかったため二度の延長が行われて、期間は最長で2ヶ月半でした。

過去の二度の緊急事態宣言と比べると、今回は極端に期間が短いのです。どうしてかと言えば、IOC(国際オリンピック委員会)のバッハ会長が来月の17日に来日する予定なので、それまでに解除したいという考えがあるからだそうです。バッハ会長の来日によって、開催の可否を最終的に協議する(と言うか、開催を最終的に決定する?)ので、そのスケジュールに合わせたのではないかと言われています。

つまり、今更言うまでもないことですが、新型コロナウイルスよりオリンピック開催が優先されているのです。国民の命と健康よりオリンピックが大事なのです。シロウト目で見ても、僅か10日かそこらで感染状況が好転するとはとても思えません。それでも菅総理の言う「人類がコロナに打ち勝った証し」としての開催にこだわるなら、(既に東京都はPCR検査や変異ウイルスのモニタリング調査をサボタージュしていると指摘されていますが)もはや数字のごまかしで感染状況の”劇的な改善”をアピールするしかないでしょう。もしかしたら、そういった”もうひとつのスケジュール”も同時進行しているのかもしれません。

くり返しますが、第四次感染拡大のさなかにあっても、オリンピック開催ありきでこと・・が進められているのです。まったく狂っているとしか思えません。こういう”狂気”に対して、左だけでなく右からも「憂国」「売国」「国辱」という声が出て来てもおかしくないのですが、不思議なことにそういう声はまったく聞こえてきません。在日に対するヘイトや中国の新疆ウイグルや尖閣の問題、あるいは小室さん問題にはえらく熱心ですが、オリンピック開催ありきの新型コロナ対策に対しては、まるで見ざる聞かざる言わざるのように反応が鈍いのです。

言うまでもなく、商業化したオリンピックによって、バッハ(IOC)はグローバル資本と利害を共有しています。彼がグローバル資本の代弁者であるのは明白で、開催強行はオリンピックに群がるグローバル資本の利益のために(と言うか、先行投資した資金を回収するために)開催国の国民の命と健康がなおざりにされる、資本主義の本性がむき出しになったどん欲で暴力的な光景以外のなにものでもありません。日本の政治家は、その買弁的な役割を担わされているのです。就任早々アメリカに朝見外交に出かけた菅総理が、いつになく卑屈で貧相な田舎オヤジに見えたのもゆえなきことではないのです。

しかし、買弁的なのは与党の政治家だけではありません。オリンピック開催について、立憲民主党の福山哲郎幹事長の発言が、下記の記事に出ていました。

Yahoo!ニュース
東スポWeb
3度目の緊急事態宣言発令へ…東京五輪開催めぐり野党に〝深刻な温度差〟

 立憲民主党の福山哲郎幹事長(59)は「コロナがなければオリンピックにネガティブだったわけではありません。それに対して政府が(五輪開催に)ハッキリとものを言わない状況で、開催に賛成か反対かと無責任にものをいうのは適切じゃない」とした。


社員350人のうち100人をリストラするという、前代未聞の経営危機に陥っている東スポの記事なのでどこまで信用できるかわかりませんが、もしこの発言が事実なら、こんな野党第一党はいらないと声を大にして言いたいです。
2021.04.21 Wed l 社会・メディア l top ▲
「内親王」の身位にある眞子さんの結婚が、まるで芸能人のスキャンダルのように、ここまで下世話な話になってしまったことに対して、この国の天皇主義者はどう考えているんだろうと思うことがあります。

小室圭さんが、いわゆる母親と元婚約者との間の金銭問題について、28ページに及ぶ文書を公表したことで、再びメディアの恰好の餌食になっています。また、文書を公表した4日後、代理人が小室さん側が400万円だかの「解決金」を元婚約者に渡す意向だと表明したところ、さらに火に油を注ぐ結果になり、もはやサンドバッグ状態になっています。もっとも、メディアは最初からバッシングありきなので、何をやっても何を言っても叩かれるのは目に見えているのです。

腹にいちもつのタレント弁護士が、法曹家の文章としては「ゼロ点だ」などと偉そうなコメントを発したかと思えば、ただ口が達者なだけのお笑い芸人やタレントたちが、文字通り風にそよぐ葦とばかりに、「違和感を覚える」「心がこもってない」などと低劣なバッシングの先導役を買って出ているのでした。

貰ったのか借りたのか以前に、たかが数百万円で済む話なのに、どうしてそれで解決しようとしないのか、大きな疑問がずっとありました。今回あきらかになったのは、どうやら眞子さんの側がお金で解決することを望まなかったみたいです。下々の人間には伺い知れない皇室の尊厳みたいなものが関係しているのかもしれません。そのため、小室さんは自縄自縛になった。そこを世故に長けた元婚約者やメディアに、いいように突かれたと言っていいでしょう。

元婚約者が今も住んでいるのかどうかわかりませんが、小室さん親子や元婚約者が住んでいたマンションは、私の住居と同じ駅にあり、一度だけSPをひきつれた小室圭さんが駅から出てきたのを見かけたことがあります。駅前にパトカーが停まって、警察官が舗道に立っていたのでなんだろうと思っていたら、小室さんが勤務先から帰って来るところだったのです。

同じ町に住む人間から見れば、小室さんだけでなく、元婚約者についても、その気さえあればいくらでも取材できたはずなのに、どうして取材しなかったのか、不思議でなりません。一連の報道のなかでは、もう一方の当事者である元婚約者がどんな人物なのか、肝心要なことがすっぽり抜け落ちているのでした。

最初は老後のお金を貸したので生活費にもこと欠いて困っていると言っていたのですが、その後はお金を返して貰おうとは思ってないと「発言」が変わっています。じゃあ、どうしたいのか? どうすればいいのか? 今ひとつわかりません。そもそも小室さんの婚約発表に合わせて、まるでタイミングをはかったかのように金銭問題をメディアにリークしたのは、ほかならぬ元婚約者なのです。だからと言って、金銭問題で訴訟を起こしているわけではありません。もう関わりたくないと言いながら、バッシングが激しくなると、「発言」というかたちでメディアに登場するのでした。

何度も言いますが、男と女の間には、第三者にはうかがい知れないデリケートな部分があるのは言うまでもないことです。別れたからお金を返せというのは、普通は「最低」と言われても仕方ないでしょう。でも、誰もそうは言わないのです。それどころか、”かわいそうな被害者”みたいな扱いになっているのです。もしかしたら、小室さん親子が身動きできないのをいいことに、嫌がらせをしているだけなのかもしれないのにです。愛が憎しみに変わるというのはよくある話ですが、況や老いらくの恋においてをやでしょう。

「発言」なるものも、その多くは代理人から伝えられるものです。いつもならあることないこと書き散らしてもおかしくないのに、何故かメディアに出て来るのは、フリーライターだとかいう代理人をとおした「発言」だけです。

立場が違うとは言え、あれだけ小室さん親子について微に入り細に渡って報道するのなら、元婚約者についても取材しなければあまりに公平さを欠くと言わざるを得ません。しかも、最初から小室さんの主張はウソで、元婚約者の主張がホントと決めつけられているのです。まるで小室さん親子が結婚詐欺師か美人局であるかのような言い方です。しかも、多くの国民はそんなメディアの報道を真に受けて、バッシングに同調しているのです。ネットには、小室さん親子の背後で闇の勢力が(日本の皇室を乗っ取るべく?)糸を引いているなどというQアノンばりの陰謀論まで登場する始末で、もはや集団ヒステリーの様相さえ呈しているのでした。

ただ、今回の文書について、宮内庁の西村長官が、「非常に丁寧に説明されている」、金銭問題の対応の経緯を「理解できた」、「静かにお見守りしていきたい」と感想を延べたことをみてもわかるとおり、文書の公表や「解決金」の支払い(元婚約者がごねてすぐに受け取らない可能性もありますが)が結婚に向けての地ならしであることは間違いないでしょう。なんだか世間の人間たちに比べると、「カゴの鳥」の監視役である宮内庁の元警察官僚の方がマトモに見えるくらいです。

それにしても、メディアに煽られたとは言え、皇族の自由な恋愛&結婚に対して、「オレたちの税金で」という上から目線と、一方で言いがかりとしか思えない非現実的な潔癖性を求める(芸能人の不倫に対するのと同じような)あまりに性悪で冷淡な反応を見るにつけ、私には、ゲスの国民たちが自分のことを棚に上げて、時代にそぐわなくなった天皇制をいいように弄んでいるようにしか思えないのです。要するに、「カゴの鳥」は「カゴの鳥」らしくしろ、「カゴの鳥」にはそれにふさわしい結婚があるだろうということでしょう。眞子さんだけでなく、佳子さんもそうですが、そんな時代にそぐわなくなった天皇制に縛られる若い皇族たちはホンマに!?気の毒だなと思えてなりません。


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眞子さんに対する中傷
2021.04.14 Wed l 社会・メディア l top ▲
ミャンマー国軍による市民への弾圧は、日に日にエスカレートする一方です。クーデターの犠牲者は10日までに700人を超えたと言われています。迫撃砲やロケット弾を使って市民を虐殺しているという話も伝わっており、もはや常軌を逸した虐殺行為と言っても過言ではないでしょう。

ビデオニュースドットコムにリモート出演したヤンゴンの反対派市民は、兵士たちは麻薬や酒を与えられて弾圧行為を強いられていると言っていました。また、兵士たちが命令に背かないように、家族が半ば人質のようになっているとも言っていました。

ビデオニュースドットコム
マル激トーク・オン・ディマンド (第1044回)
ミャンマー危機における日本の責任を考える

もともとミャンマーの国軍は、設立以来、常に国内の少数民族の武装組織やビルマ共産党の掃討作戦を続けており、国軍は国防より警察と一体化した治安組織としての性格の方が強いそうです。そのため、国民に銃を向けるのもそんなに抵抗はないと言われています。

狙撃兵が道端で遊ぶ子どもを狙って撃ったり、アトランダムに民家に銃弾を撃ち込んだり、あるいはいきなり民家を襲撃して片端から若者を連行するなどという行為も行われているようです。連行された若者は、日本円で3万円とか5万円を払うと釈放されるという話もあるのだとか。このように狂気と化した国軍や警察によって、暴虐の限りが尽くされているのです。

上智大学の根本敬教授は、番組のインタビューで、国軍の経済利権について、国防省兵站部国防調達局という国防省内の一部局が2つの持ち株会社を所有しており、その2つの持ち株会社の下に150以上の大手企業が連なり、国軍はそれらから株主配当金を吸い上げるシステムになっていると言っていました。しかも、その株主配当金は非課税の上非公開なので実態は闇の中だとか。一説には、ミャンマーの国防予算の2500億円を上回る金額が上納されているという話もあるそうです。もちろん、その一部は国軍の幹部たちのポケットマネーにもなっているのです。

しかし、ミャンマーに対して最大の援助国であり、しかも、国軍と太いパイプがある(密接な関係がある)日本政府は、欧米とは歩調を異にし依然として制裁には消極的です。日本が援助を凍結すると、ミャンマーに経済的な空白が生じ、その間隙を突いて中国が進出してくるという、ネトウヨでおなじみの「中国ファクター」がその理由です。そのため、G7に参加する主要先進国として、一応クーデターを非難する声明は出すものの、制裁などに踏み切るつもりはなく、かたちばかりの声明でことを済まそうとする姿勢が見えると根本教授も言っていました。

前の記事でも書きましたが、ミャンマーに進出している日系企業は2020年末の時点で、433社に上るそうです。そのなかには、丸紅や三菱商事、住友商事、イオン、KDDIなど、日本を代表する大手企業も入っており、それらの多くは、何らかのかたちで、国防調達局傘下の持ち株会社に連なる会社と合弁事業を行なっています。そうやって”狂気の軍隊”を経済的に支えているのです。

国軍がやっていることはどう見ても戦争犯罪としか言いようがありません。だとしたら、”援助”の名のもとに彼らを経済的に支える日本政府や日本企業も、「人道に対する罪」は免れないように思います。

かつての宗主国であり、そして現在、最大の援助国として経済的に密接な関係のある日本は、間違っても傍観者の立場などではあり得ないのです。

JIJI.COM
NGOがユニクロ告発 ウイグル強制労働めぐり―仏

昨日、「中国・新疆ウイグル自治区での人権問題をめぐり、ウイグル族を支援するフランスのNGOなどは(略)、少数民族の強制労働で恩恵を受けているとして、人道に対する罪の隠匿の疑いで『ユニクロ』の仏法人を含む衣料・靴大手4社をパリの裁判所に告発した」という記事(上記)がありましたが、市民を虐殺するミャンマー国軍を経済的に支える日本企業に対しても、もっときびしい目を向ける必要があるでしょう。


追記:
根本敬教授らが、ミャンマーの民衆を支援するクラウドファンディングを立ち上げています。主催者は、「たとえ少額でもミャンマー市民への力強い応援歌になる」と支援を呼びかけています。また、発起人の今村真央山形大教授は、「かつての弾圧時にはなかったネットを味方に付け、民主主義を求めるミャンマーの人々を支えたい」とプロジェクトの目的を述べていました(朝日新聞デジタルより)。

緊急支援:クーデター下のミャンマー市民へ医療・食料支援を。
https://readyfor.jp/projects/justmyanmar21
2021.04.12 Mon l 社会・メディア l top ▲
東京オリンピックの聖火リレーが、3月25日から7月23日までの日程で、福島県の楢葉町及び広野町のJヴィレッジでスタートしました。Jヴィレッジというのは、東京電力によって原発建設の地域対策事業の一環として造られた全天候型のスポーツ施設です。その原発関連の施設から「復興五輪」を掲げて聖火リレーがスタートしたのです。原発事故で生活も人生も乱わされた(くるわされた)地域の人たちはどんな思いで、この「復興」の文字を掲げたセレモニーを見たのでしょうか。

早速メディアは、聖火ランナーに選ばれた震災で家族を亡くした男性が、亡き家族への思いを託して笑顔で走った、などという美談を報じています。主要な新聞社やテレビ局は、メディア委員会などに属するスポンサー企業なので、ここに来て開催ありきの本音を臆面もなく出し始めた感じです。

でも、一方で、変異ウイルスを中心にした感染拡大が止まりません。”第四次感染拡大”の懸念さえ出始めています。

このブログでも紹介した『感染症の世界史』の著者・石弘之氏は、下記のインタビュー記事で、「新型コロナウイルスはRNAウイルスという種類で、変異を起こしやすいタイプなので、大変なことになるかもしれない」と考えていたそうですが、実際そのとおりになりつつあります。

カドブン
人類史が教えるパンデミック収束の道筋と、コロナ後の世界

また、石氏は、次のように語っていました。

石:今回の新型コロナウイルスが収まっても、中国奥地に生息する自然宿主のコウモリには数百種のコロナウイルスの変異株が見つかっているそうです。そのなかには次の出番を待っているものがいるかもしれません。次の感染症に備えることも大切だと思います。

 もうひとつ気がかりなのは、私の友人で新型コロナウイルスに感染した人がいるのですが、7ヵ月後に再検査したら抗体がまったく消えていたそうです。ワクチンが普及してもどれだけ効果が持続するのか。ちょっと心配になります。


それに、ワクチンは毎年打たないと効果が持続しないという話もあります。インフルエンザなどを見てもわかるように、次々変異株が出て来るので、それに合わせたワクチンを定期的に接種する必要があるというのは、素人でも理解できます。

また、たまたま現在、私は膝痛でヒアルロン酸を注入されていますが、ヒアルロン酸は、ワクチンの代表的な副作用であるアナフィラキシーショックを起こしやすいと言われています。実際に、ヒアルロン酸の副作用に「アナフィラキシーショック」の記載がありました。膝痛のおっさんだけでなく、美容外科で皺取りにヒアルロン酸を使っている美魔女も要注意でしょう。

そもそも、日本のワクチンの接種率は、まだ1%にも満たないのです(3月26日現在0.03%)。

そういった現実を考えれば、オリンピック開催は狂気の沙汰のようにしか思えません。このまま開催に突っ走れば、間違いなくこの国は、その愚鈍ぶりを世界に晒すことになるでしょう。ざまあみろと言いたいところですが、もちろん、社会の一員である限り、無関係で済ますわけにはいかないのです。感染の恐怖を抱きながら、これからも正しく怖れていかなければならないのです。自分の身は自分で守るしかないのです。

自治体の長たちも、連日、飲食店の時短営業の延長や不要不急の外出自粛の要請など、感染拡大の危機感の共有を訴えていますが、しかし、不思議なことに、誰ひとり開催反対を表明する者はいません。不要不急の外出を控えるようにと言いながら、聖火リレーはマスクもしないランナーたちによって、天下の公道で堂々と行われているのでした。

国家が行うことに対して、野党も自治体の長もメディアも誰ひとり反対する者がいない。「オリンピックなんてやってる場合じゃないだろう」と誰も言わない。これこそ”プチ全体主義”と言えるのではないか。中国やロシアの全体主義を批判する資格はないのです。

新型コロナウイルスで一抜けた(と主張する)中国は、未だコロナ禍の真っ只中で右往左往している世界を尻目に、中華思想の再来を彷彿とするような覇権大国への道を突き進んでいます。既に香港やミャンマーで全体主義=社会帝国主義の影響力の行使がはじまっています。それは、おぞましいとしか言いようのない光景です。

一方、香港やミャンマーに対する米欧西側諸国の対応は誰が見ても心許ないものです。日本に至っては、米欧が提唱する中国への制裁について二の足を踏んでいるようなあり様です。ミャンマーについても、戦争中のいきさつから日本政府は国軍と密接な関係にあり、制裁に後ろ向きだと言われています。過去の軍政下においても、欧米が制裁に舵を切るなかで、日本政府は一貫して経済的な支援を行い、軍政を支えてきたのでした。ジェトロ(日本貿易振興機構)によれば、2020年末の時点でミャンマーに進出している日系企業は433社に上るそうです。しかも、その多くは国軍の経済的利権の根っこにある国軍系企業と合弁事業を行っています。しかし、今回のクーデターで国軍系企業との取引きを見直すと表明したのは、キリンビールだけです。日本は、実質的には国軍を支援する中国やロシアと同列なのです。日本のメディアが心配するのも、民衆への弾圧よりも、制裁によって、日系企業がビジネス上の被害を蒙るのではないかということです。挙句の果てには、曖昧な立場だからこそ、国軍と欧米を仲介する役割を期待できるなどと言い出す始末です。

西側諸国の対応が心許ないために、香港やミャンマーの民衆の抵抗運動は孤立し、独裁権力の弾圧のなかで苦闘を強いられています。そのために、悲劇はどんどん増すばかりです。それどころか、国軍のクーデターに抗議の声を上げる在日ミャンマー人たちに対して、ネトウヨや自粛厨は、「コロナ禍で迷惑だ」「ミャンマーに帰れ」などと罵声を浴びせているのでした。

全体主義に対して全体主義で対抗する。トランプ政治であきらかになった”全体主義の時代”がポストコロナの世界の主流となるのは、もはや既定路線のようになっています。

コロナ禍において「ファシスト的公共性」を希求する大衆の心情が(みずからの基本的人権を何のためらいもなく国家に差し出す大衆の”動員の思想”への回帰が)、このような流れを作り出しているのは否定し得ない事実でしょう。

ただ、こういった国家に依存した”全体主義の時代”は両刃の剣でもあるのです。今回のコロナ禍で露わになったように、盤石だったと思われていた国家が機能不全に陥ることだってあるのです。

斎藤幸平は『人新生の「資本論」』(集英社新書)で次のように書いていました。

    (略)危機の瞬間には、帝国的生活様式の脆弱さが露呈する。実際、コロナ感染の第一波が襲った瞬間、先進国では、マスクも消毒液も手に入らなかった。安くて、快適な生活を実現するために、あらゆるものを海外にアウトソーイングしてきたせいである。
   また、SARSやMERSといった感染症の広がりが、遠くない過去にあったにもかかわらず、先進国の巨大製薬会社の多くが精神安定剤やED(勃起不全)の治療薬といった儲かる薬の開発に特化し、抗生物質や抗ウイルス薬の研究開発から撤退していたことも、事態を深刻化させた。その代償として、先進国の大都市は、レジリエンス(障害に直面した際の復元力)を失ってしまったのだ。


そして、「こうした問題は、『価値と使用価値の対立』として、マルクスが問題視していた事柄にほかならない」と書いていました。

資本の価値増殖のために、本来の人間の経済活動の目的であった使用価値は価値に従属されるようになったのです。国家をリバイアサン(怪物)と呼んだのはホッブスですが、資本主義社会では資本こそがリバイアサンなのです。その最たるものがネオリベラリズムでしょう。ネオリベは、みずからの出自である国民国家さえ足手まといだと言わんばかりに飛び越えて、世界市場で文字通り野蛮なリバイアサンとして、価値増殖の猛威を振るうようになったのでした。

つまり、斎藤幸平のことばを借りれば、非合理的な資本主義社会では、「命を救う」ワクチン(使用価値)より儲かるEDの薬(価値)が優先されるのです(ただ、今回のパンデミックでは、開発競争を制したファイザーやモデルナ、アストラゼネカなどの世界的医薬品メーカーは、莫大な利益=価値を手にすることになりました。ちなみに、ワクチン1回分の売価は、1400円〜1600円と言われています)。

もとより、今回のオリンピック開催においても、「価値と使用価値の対立」が露わになっているように思えてなりません。国民の健康より、オリンピックに商業的な利益(=価値増殖)を求める資本の都合が優先されるのです。オリンピックに先行投資した彼らにとって、やめるなんてあり得ない話でしょう。これこそ資本の野蛮な性格が如実に表れているように思います。もちろん、そのなかには、新聞社やテレビ局などのマスメディアも含まれています。だからよけいタチが悪い。

斎藤幸平は、「『コミュニズムか、野蛮か』、選択肢は二つで単純だ!」と書いていましたが、ここで言う「コミュニズム」というのは、脱成長を前提にした自治管理や相互扶助に基づいた社会のことで、間違っても、中国のような人民の一挙手一投足が徹底的に管理されたディストピアのような(”思想の生産力主義”に呪縛された)社会のことではありません。

でも、前も書きましたが、私はきわめて悲観的です。ポストコロナの世界は、やはり、全体主義で全体主義に対抗する、”全体主義の時代”が私たちの頭上を覆うような気がしてなりません。


関連記事;
感染症の世界史
2021.03.27 Sat l 社会・メディア l top ▲
こんな床屋政談みたいなことばかり書いても虚しくなるばかりですが、1都3県に出されていた緊急事態宣言は、明日(21日)で全面解除されることが決定しました。それにつけても、今回の緊急事態宣言はなんだったのか。まして、2週間の延長なんて、文字通りの蛇足だったとしか思えません。

緊急事態宣言の愚策については、ノンフィクションライターの窪田順生氏が、DAIAMOND onlineに書いていた下記の文章が正鵠を得ているように思いました。

DAIAMOND online
根拠なき緊急事態宣言延長で「経済死」を国民に強いる日本は75年前のまま

政治家や官僚の事なかれ主義は言わずもがなですが、いつの時代もおまかせな”翼賛体制”を無定見に欲する国民のあり様も問題でしょう。先の戦争でもそうですが、国民は無謀な政治に引きずり込まれた犠牲者ではないのです。みずからそれを欲したのです。緊急事態宣言の解除についても、世論調査では反対する声が多数です。しかし、一方で、自粛破りする自分を「自粛疲れ」などと弁解することも忘れないのです。こういう身勝手さこそ衆愚の所以でしょう。

おととい(木曜日)の深夜2時すぎ、所要で池袋の西口を車で通りました。飲食店は午後8時までの時短要請が行われているので、飲み屋街も寝静まっているのではないかと思っていましたが、あにはからんやコロナ以前の”眠らない街”の光景がそのままありました。

私も山に行っているので他人のことをとやかく言えないのですが、特に若者の姿が目立ちました。通りを千鳥足で歩いているだけでなく、地べたに座り込んでいる若者もいます。飲食店が入ったビルからは若者のグループがぞろぞろ下りて来て、舗道で嬌声を上げながら騒いでいました。通りの角に立ち、客引きをしている若い女の子たちもいました。

店の看板の照明は消されているものの、通りは煌々とした灯りに照らされて、まさに不夜城といった感じでした。飲み屋街から少し行った北口の通りには、深夜で駐車違反の取り締まりがないからなのか、路上駐車の車がずらりと停まっていました。どう考えても、飲みに来た人間たちの車だとしか思えません。

また、飲み屋街のなかの通りは、路肩に客待ちのタクシーが列を作って停まっているため、通り抜けるのもひと苦労するほどでした。しかも、タクシーの間から酔っぱらいがふいに飛び出してくるので、運転していても気が抜けません。そのあたりは、2014年に合法(脱法)ドラッグを吸引した男性が運転するRV車が舗道を暴走し、1人が死亡6人が重軽傷を負う事故のあった通りです。街の光景は、その頃と寸分も違わないのでした。

有名無実化した緊急事態宣言。しかし、政府は緊急事態宣言の効果を自画自賛しています。また、解除に伴って、猛威を振るいつつある変種ウィルスに対するモニタリング検査の拡充など、今後の感染対策の5大方針も発表されました。飲食店の時短営業も当面は継続されるそうです。でも、それらは、今まで何度もくり返されてきた空念仏にすぎません。

時短営業では、一日6万円の協力金(東京都の場合)で”コロナバブル”に沸いている店もあると言われています。飲食街で貸しビル業をやっている知人は、店をやめると言っていたスナックの高齢の経営者が、協力金で急に元気になり、不労所得で手に入れた優雅な日々を謳歌していると笑っていましたが、そういった話もめずらしくないでしょう。知人は、コロナが終息して協力金を貰えなくなったら、スナックは予定通り閉めるだろうと言っていました。

知人は、役人のことを「あいつら」という言い方をしていましたが、「あいつらは、原資が税金なので、やっていることがザルなんだよ」と憤慨していました。”Go To Eat”の申請書についても、「ものすごく立派な封筒が届いたのでびっくりしたよ」「普通の封筒でいいと思うけど、そうじゃないんだ。特注の分厚い封筒で、どれだけお金をかけているんだと思ったよ」と言っていました。

でも、”コロナバブル”で旅行三昧のスナックのママなんてまだかわいいものです。”Go To Eatキャンペーン”では、ポイント付与業者に選ばれた菅総理のスポンサー企業であるぐるなびなどは、目もくらやむような莫大な収益を上げて、場末の飲食店などとは桁違いの”コロナバブル”を謳歌しているのでした。

もっとも、国家を食い物にしているのは、政治家やそのオトモダチ企業だけではありません。「あいつら」も同じなのです。

立憲民主党の辻元清美議員は、山田真貴子内閣広報官が東北新社の菅総理の息子らから接待を受けていた問題について、「安倍政権のときは、森友(学園の問題)で財務省が振り回されて自殺者まで出したけど、菅政権でも、今度は息子さんで優秀な女性官僚が潰されたという側面もあるんじゃないか」(朝日新聞デジタル)と記者団に述べたそうですが、辻元議員は「地頭は転んでも只では起きない」という諺を知らないのかと思いました。

国が掲げる某看板政策に関わり、その政策を実行するための関連団体(天下り団体)から委託されて実働部隊の仕事をしていた別の知人も、「あいつらは乞食と同じだよ」と常々言っていました。”たかり”は、中央の官僚から地方の末端の役人まで、規模の違いこそあれ、地頭の時代からずっと続いている、公務員の習性とも言えるものなのです。私も若い頃、似たような経験をしたことがありますが、仕事で公務員と関わったことがある人なら、そういった公務員の卑しさを痛感した人は多いはずです。

それは、日本の社会が官尊民卑のイデオロギーに縛られているからにほかなりません。「優秀な官僚」以前の問題なのです。辻元議員の発言も、官尊民卑のイデオロギーを前提にしたものにすぎないのです。

その結果として、国会でのあの人を食ったようなデタラメな答弁があるのだと思います。憲法では、国会は「国権の最高機関」と謳われていますが、彼らにはその認識は微塵もないのでしょう。でないと、「国権の最高機関」である国会を愚弄するようなあのようなデタラメな答弁は出て来ないはずです。彼らは公僕ではなく、ときの政権の下僕にすぎないのです。内閣人事局の創設で、官邸に生殺与奪の権利を握られたということもあるのでしょうが、彼らこそ上にヘラコラし下に威張る”ヒラメ上司”の典型と言えるでしょう。この場合の上は与党政治家で、下は国民です。

今回の問題は、「優秀な官僚」がどうたらではなく、国家の仕組みそのものを根本から変えなければどうにもならないということを示しているのです。まさに革命待望のような話なのです。しかし、野党議員には、その思想も気概も認識もないのでした。いみじくも福島みずほが言ったように、カレーライスをライスカレーと言い換えて、「優秀な官僚」はそのままに、同じ権力の移譲を求めているだけです(でも、移譲なんて永遠にあり得ない)。

いわゆる左派リベラルと呼ばれる、未だ”革新幻想”に囚われた観念の屍のような人たちは、それこそ目を皿のようにして与党と野党の違いを探し出し、立憲民主党のような保守政党に同伴することで”政治を変える”運動をしているつもりになっているようですが、それはうんざりするような前時代の遺物の光景でしかありません。彼らは、二大政党制幻想と政党助成金と小選挙区比例代表並立制がセットになった政界再編なる”翼賛体制”に、みずからが組み込まれているという自覚さえないのです。与党も野党も、そして左派リベラルも、所詮は同じ穴のムジナと言うべきでしょう。
2021.03.20 Sat l 社会・メディア l top ▲
東北新社に勤務する長男らによる総務省幹部の接待問題を見るにつけ、(前も書きましたが)菅総理は政治家ではなく政治屋なんだとあらためて思えてなりません。所詮は、(市会議員には悪いけど)市会議員レベルの人間なんだなと思います。

菅総理は、官房長官のイメージが強いのですが、もともとは総務省に絶対的な影響力を持つ”総務省のドン”と言われてきました。それは、小泉政権下で総務副大臣を任命されたときまで遡ります。第3次小泉改造内閣の竹中平蔵総務大臣のとき、「総務副大臣(情報通信、郵政担当)として総務省内部統制のトップを任され、事実上人事権なども行使」(ウィキペディア)し、総務省に睨みをきかせるようになったのでした。さらに、第1次安倍内閣で総務大臣として初入閣してからその権勢を絶対的なものにしたのです。

みずから政権を手にしてから、携帯料金の引き下げやデジタル庁新設などの目玉政策を打ち出しましたが、それもひとえに菅総理が自他ともに認める”総務省のドン”だからにほかなりません。

また、東北新社は、創業者の故植村伴次郎氏(2019年没)が菅氏と同郷(秋田県出身)だったことから、JR東日本やぐるなびなどとともに菅氏の有力なスポンサー企業になっていました。今回の接待問題が発覚してからも、過去に500万円の政治献金を受けていたことがあきらかになっています。もちろん、そこには持ちつ持たれつの関係がありました。

明治学院大を卒業したものの就職もせずにバンド活動をしていた長男を、何の社会人経験がないにも関わらず、総務大臣時代にみずからの秘書官(特別職公務員)に抜擢して世間の顰蹙を買ったのですが、その理由について、菅氏は雑誌の取材で、「バンドを辞めてプラプラしていたから」と言ったそうです。

しかし、秘書官も半年しか続かず、そのあと、後援者の植村氏の伝手で東北新社に入社したのでした。東北新社は、総務省から衛星基幹放送事業者の認可を受けている会社です。コネ入社した長男はとんとん拍子で出世して、今回の問題が発覚する前までは、30代の若さで、本社の部長と子会社の衛星放送「囲碁将棋チャンネル」の取締役を兼務していたのでした。そのためかどうか、衛星放送は今や東北新社の売上の4分の1を占めるまでになっているそうです。東北新社にとっても、菅様々なのです(もちろん、父親の方ですが)。

余談ですが、文春に載った長男の目線入りの写真を見て唖然とした人も多いのではないでしょうか。長髪・口髭で、だらしなくネクタイを緩め、咥え煙草でスマホを見ているそのチャラい姿は、まるで福富町(註:横浜の風俗街)あたりの路上でたむろしている悪ガキみたいです。東北新社では、こんな人物が本社の部長と子会社の取締役を兼務していたのです。彼の下で働く社員たちが気の毒でなりません。しかも、子どもまでいて、一家でみなとみらいのタワーマンション(億ション)に住んでいるというのですから二度びっくりです。秘書官時代、まったく仕事ができないので、まわりから「バカ息子」と陰口を叩かれていたそうですが、それが東北新社ではえらい出世なのでした。

ひとり74,203円のステーキ&海鮮ディナーにも目が点になりました。国民年金を40年払い続けても、貰える年金は年間781,700円で(平成20年現在)、月に直すと65,141円です。それが国民年金の満額です。日本は豊かだという幻想がありますが(一部のアホな国民がそう自演乙していますが)、実際は、明日の1万円、いや1万円どころか千円もなくてみずから命を絶つ国民が少なからずいるような国なのです。生活保護の中の生活扶助費(食費・被服費・水道光熱費等の日常生活に必要な経費。家賃は除く)の支給額は、68歳の高齢者単身世帯だと、東京都で月額80,870円、地方で65,560円です(平成28年度の概算)。それでも個人で申請に行っても、自助を口実に追い払われるのがオチです。東京都の調査によれば、ネットカフェで生活するいわゆるネットカフェ難民は都内だけで4千人もいるそうです(2019年調査)。そんな現実はどこ吹く風で、「バカ息子」と「バカ息子」の父親が「総務省初の女性事務次官にしてやる」と言ってはばからないほど寵愛する女性官僚は、ひとり当たり74,203円のステーキ&海鮮ディナーに舌鼓を打ちながらオダを上げていたのです。こういうのを「上級国民」と言うのでしょう。

「バカ息子」だけではありません。菅氏の実弟も、スポンサー企業のJR東日本の関連会社にコネ入社したと言われているのでした。

Yahoo!ニュース
文春オンライン
菅義偉首相の実弟が自己破産後、JR企業の役員に就任していた

上記の記事によれば、実弟は菅氏が横浜市会議員になった2年後の1989年に菓子店を起業し、「八重洲中央改札近くの『銀の鈴』そばのコンコース(大通路)という一等地」にあるキオスクでお菓子を売っていたのだとか。しかし、2002年に倒産し、実弟も東京地裁から自己破産宣告を受けたのでした。

ところが、そのあとびっくりするような”人生の逆転劇”が待っていたのでした。

 (引用者註:実弟は)半年ほど病院で介護職を務めた後、JR東日本の子会社である千葉ステーションビルに営業部付きの部長として入社していたのだ。2010年には取締役にも就任し、2017年まで務めている。

 千葉ステーションビルは海浜幕張、津田沼、西船橋など10の駅ビルを運営しており、年間400億円近くを売り上げる優良企業だ。277店舗のテナントが入居する中核の千葉駅「ペリエ千葉」は、数あるJR東日本管内の不動産・ホテル事業のなかでも3番目の規模を誇る。


入社したとき、実弟は既に50歳を越えていたそうです。自己破産して、病院で介護の仕事をしていた50歳を越えた男性が、いきなり優良企業の部長として再就職するなんて話は、そうそうあるものではないでしょう。初老のおっさんには似合いませんが、なんだか韓流ドラマのシンデレラストーリーを彷彿とするような話です。

ちなみに、JR東日本グループの千葉ステーションビルは、社員125名(2020年6月現在)で、資本金2億円、売上高は515億2千5百万円(2019年度テナント売上高)の会社です。しかも、弟は役員にまでなっているのです。ここでも「バカ息子」同様、電光石火の出世をしているのでした。JR東日本は、1987年の国鉄分割民営化によって誕生した会社です。民営化に際しては、新会社が選別した1047名の国労組合員が再雇用されず解雇されています。千葉ステーションビルもそういった犠牲(不当労働行為)の上にできたグループ会社です。まさに革命上等のような話でしょう。

人事権を駆使して官庁を”恐怖支配”するやり方については、下記の朝日の記事に具体的に書かれていました。それは、市役所の人事に介入することで、「影の横浜市長」と言われた横浜市議時代に培ったものなのです。言うなれば”横浜方式”とも言えるものです。

朝日新聞デジタル
(未完の最長政権)「課長を飛ばしたよ」(有料記事)

 「OBが人事を決めている省もある。総務省の人事はどういうふうに決まるんだ? OBはどのぐらい力があるんだ?」

 第2次安倍政権で官房長官を務めた菅義偉は2006年9月、第1次政権で総務相に就いた。着任早々、総務省幹部にこう尋ねたという。

 幹部が「うちはOBは決めていません」と答えると、菅は即座に続けた。「人事権を持っているのは誰だ?」。幹部が「大臣です」と答えると菅は「そうだよな、権限は使わないと意味がない」。省庁の人事権は閣僚が持つと法的に定められているのに、事実上は、各省の現職官僚、そしてOBが決める霞が関の体質を菅は嫌っていた。


そして、NHKの受信料値下げに対して、「そう簡単ではない」と発言した担当課長を更迭したときの菅氏の様子について、同省元幹部は次のように語っています。

 同省元幹部は、更迭直後の菅の様子を明確に覚えている。これまで多くの大臣が使わなかった権力を行使したことに興奮を隠せない様子で「課長を飛ばしたよ、飛ばしてやったよ」と言ったという。


そうやって”総務省のドン”としての地歩を築いて行ったのでしょう。

出世がすべての官僚にとって、人事権を握られることは絶対的な服従を強いられるほどの恐怖があります。さらに、菅氏は、政治主導の名のもとに、内閣人事局の創設を主導し、霞が関そのものをかつての横浜市庁舎と同じように”恐怖支配”することに成功したのでした。

それは、官僚だけではなくメディアにおいても然りです。「断らない女」山田真貴子内閣広報官を使ったメディア支配については、下記のNEWSポストセブンが詳しく書いていました。

文春といい、週刊誌の奮闘が目立っていますが、それはとりもなおさず新聞やテレビなどのマスメディアが権力の支配下に置かれ、ジャーナリズムの牙をぬかれているからでしょう。もっとも、かつての『噂の真相』のように、記者たちが自社で記事にできないネタを週刊誌に持ち込んでいるということもあるかもしれません。上層部が権力者と懇ろになり、完全に取り込まれていることに対するうっぷん晴らしという側面もあるのかもしれないのです。

Yahoo!ニュース
NEWSポストセブン
7万円ステーキ汚職の総務省が「文春にリークした犯人捜し」に血眼になっている

長くなりますが、引用します。

 そもそも山田氏の広報官としての強権ぶりは官邸記者たちにすこぶる評判が悪かった。会見に参加する記者たちから事前に事細かに質問内容を聞き出し、それをもとに官僚が「答弁書」を作り、菅首相はお得意のペーパー読み回答をするだけだった。こんなものは記者会見とは呼ばない。中国か北朝鮮の国営メディアのインタビューと同じである。その会見で山田氏は、政権の意に沿わない質問をする記者は徹底的に無視して、いくら手を挙げても指さない。首相の答えに納得せずに食い下がる記者を制止し、最後は「このあと日程があります」と、質問の途中でも強引に会見を打ち切って首相を逃がすガードマンの役割だった。

 そもそも首相会見は記者クラブが主催しているものだ。山田氏に司会をさせて、その傍若無人を許している記者クラブのほうこそ情けないのだが、それでも山田氏に逆らえない理由が大手マスコミにはある。それこそ、今回の菅正剛氏(菅首相の長男)による高額接待の舞台となった総務省「情報流通行政局」の存在である。

 この部署は2008年に新設された新しいセクションで、その生みの親こそ、第一次安倍内閣で総務大臣を務めた菅氏だった。ここにNHKから民放、衛星放送まですべての許認可を集中させ、系列の新聞社を含めて大手マスコミに睨みを利かせる“放送マフィア”の役割を担わせた(ちなみに電波の割り当てを行う総合通信基盤局は「電波マフィア」と呼ばれる)。安倍内閣、菅内閣を通じて政権がマスコミに高圧的に接し、会見は適当、NHK人事にまで介入したと疑いをかけられてきたのは、この放送マフィアの存在ゆえだ。総務省のドンである菅氏は、この局にお気に入りの菅派官僚を集め、マスコミ支配の道具にしてきた。山田氏も総務省時代に同局の局長を務めたマフィアのボスである。


何度も言いますが、菅義偉は政治家ではなく政治屋なのです。政治屋が総理大臣になったのです。そして、その政治屋に急所を握られた大手メディアは、いいように手玉に取られてきたのでした。
2021.02.27 Sat l 社会・メディア l top ▲
Yahoo!トピックスに「アパレル苦境 相次ぐ人員削減」という東洋経済の記事が掲載されていました。

Yahoo!ニュース
東洋経済オンライン
アパレル苦境で「人減らし」の嵐がやまない 三陽商会、ワールドなど相次ぎ希望退職の発表

コロナ禍の自粛によってアパレルが売れなくなったのは、誰でも容易に理解できることでしょう。先日、近所のクリーニング店に行ったら、売上げが半分以下に落ちて廃業の危機だと店主が嘆いていました。特にワイシャツの落ち込みが大きいと言ってましたが、もちろんワイシャツだけでなく、いわゆる通勤着をクリーニングに出す頻度も少なくなっているはずです。ほかに、リモートワークとマスクの影響で化粧品の落ち込みも大きく、資生堂もとうとう赤字に転落しました。

ただ、アパレルの苦境は今に始まったことではありません。モードの時代はとっくに終わっているのです。自分を振り返ってみればわかりますが、もうおしゃれをして街を歩くことに高揚感を覚えることはなくなったのです。言うなれば、コロナ禍でとどめを刺されたにすぎないのです。

文化的な最先端の商品であるアパレルが売れなくなったのは、現代の先進資本主義が行き詰ったことを意味しているのです。アパレルの苦境は、現代資本主義の苦境を映し出しているのです。

アメリカの若者たちの間では、社会主義者のバーニー・サンダースがカリスマ的な人気を博していますが、アパレルが売れなくなったということと、バーニー・サンダース人気は無関係ではないのです。それは、牽強付会な話ではありません。既にそうやってポスト資本主義を模索する流れが始まっているのです。見方によっては、”トランプ現象”もその流れのひとつとも言えるのです。世界は間違いなくポスト資本主義に向けて流動化しているのです。そして、ポスト資本主義のキーワードが、右か左かではなく「上か下か」だというのももはや自明です。

私は、以前、『誰がアパレルを殺すのか』という本に関連して、アパレルの低迷が現代資本主義の”宿痾”を表しているという、以下のような記事を書きました。ご参照ください。

ちなみに、下記の記事の中で触れている総務省の家計調査による「1世帯当たりの年間の被服及び履物の消費支出額」に関して言えば、2000年と最新データの2020年を比較すると、2000年が182,266円で2020年が92,291円です。この20年で何と半分になっているのです。


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2021.02.19 Fri l 社会・メディア l top ▲
オリンピック・パラリンピックの招致に関しては、投票権があるIOC(国際オリンピック委員会)委員たちに対する買収疑惑がずっと以前より指摘されてきました。それは、東京オリンピックも例外ではありませんでした。JOC(日本オリンピック委員会)の竹田恒和会長(当時)も、東京オリンピック開催のために、一部のIOC委員に200万ユーロ(約2億5000万円)を支払ったとしてフランスの検察当局の捜査対象になりました。そのため、一昨年の6月、任期満了をもって退任したのですが、それは実質的な引責辞任だと言われています。

東京五輪の疑惑については、2019年1月にロイターのEdward Hadasという記者が、下記のようなコラムを書いていました。

PEUTERS
コラム:東京五輪にも疑惑浮上、「不正の連鎖」断ち切れるか

(略)過去数十年、五輪の開催国は常に損失を出してきた。日本も例外ではない。東京五輪の組織委員会は放映権や企業のスポンサー料、チケット販売などで約6000億円の収入を見込んでいる。一方、日本の会計検査院は、関連経費を含めた支出は2兆8000億円超になると指摘している。

これでは賄賂に支払う財源などないように見えるかもしれない。しかしコストの大半は、専用の競技施設や選手の宿泊施は無駄にならないとの皮算用をはじく政府が負担している。収入のほとんどを手にする各国の五輪委員会とIOCは、少なくとも競技が実際に始まるまで資金繰りに余裕があるものだ。

つまり、ばらまく現金は存在する。そして、開催地を決めるIOC総会で投票権を持つ96人の委員のうち、少なくとも一部の票は買収し得る。

なぜ赤字の大会を開催するために金を払うのか。施政者が成功というシンボルを手に入れたいからだ。世界から注目を集めるとともに、オリンピック精神の輝きを手に入れることができる。これまで多くの影響力ある人たちが、スポーツイベント開催の栄光に浸るため、倫理を無視してカネを払うこともいとわない姿勢を取ってきた。


安倍総理は、東京五輪は東日本大震災の被害から「力強く復興しつつある被災地の姿を、世界に見てもらうため」の「復興五輪」だと言っていました。一方、菅総理は、五輪開催は「人類が新型コロナウィルスに打ち勝った証し」だと言っています。開催理由なんて、そのときどきの都合で変わっていくのです。ホントはどうだっていいのでしょう。

また、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の職員数は、開催するまでに7000人~8000人に増やす予定だと言われていましたが、今年1月時点で3500人です。それとは別に、理事が35名、参与や評議員や顧問、各委員会の委員などが100名以上います。

これらの人員に対して、当然報酬が払われています。理事には最大年間2400万円の報酬が支払われているという話もあります。昨年12月に公表された最新データによれば、総経費は1兆6440億円で、開閉会式の制作等の業務委託をしている電通との契約金額は165億円だそうです。

言うなれば、これは五輪招致で生まれた既得権益です。中止になれば、この既得権益が一瞬で失われるのです。仮に中止にするにしても、できる限り先延ばしにしようと考えてもおかしくないでしょう。それは税金を食い物にする公務員の習性のようなものです。

しかし、メディアは、開催が近づくにつれ、オリンピックに関する疑惑を報道することはなくなりました。五輪開催の問題が、あたかも森個人の問題であったかのように報道するだけです。それが問題のすり替えであるのは言うまでもありません。

IOCは無観客の開催も視野に入れているようですが、もしそうなれば、菅総理は観客のいないスタンドに向かって、開催は人類が新型コロナウィルスに打ち勝った証しだと演説して胸を張るのでしょうか。これほど滑稽な光景はないでしょう。

昨夜の福島県沖のマグニチュード7.1の地震は、10年前の地震の余震だと言われていますが、この余震が開催をいっそう困難にする可能性もあるでしょう。

ワクチンが、ホントに感染収束の”魔法の薬”になるのか誰もわからないのです。ただ、そうなればいいと思っているだけです。しかも、そのワクチンさえ国民全員に行き渡らない中で、開催を強行すると言うのです。狂気の沙汰としか思えません。一体誰のために、何のために開催するのか、という疑念を抱かざるを得ません。どう考えてもオリンピックなんてできるわけがないのです。


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東京五輪とメディアの病理
2021.02.14 Sun l 社会・メディア l top ▲
噂の真相2000年6月号2


今はなき『噂の真相』は、現在、日本中から袋叩きに遭っている森喜朗が、早稲田大学の学生時代に、売春等取締条例(売春防止法の前身)違反で警視庁に検挙された前歴があることをスッパ抜いたのでした。それは、彼が内閣総理大臣に在任中のことでした。また、記事では、彼がマスコミから「サメの脳ミソ、ノミの心臓、だが下半身はオットセイ」とヤユされていると書いていました。

その記事が掲載された『噂の真相』の2000年6月号から一部を抜粋します。

今回、本誌の取材に匿名で応じてくれた警視庁OBが重い口を開く。
「あれはそう、今から40年ほど前、確か昭和33年のことだった。その年の4月に赤線(半ば公認された売春地域)を廃止する売防法が施行されるというんで、2月1日から青線(非公認の売春地域)や白線(もぐりの売春)業者の一斉摘発に乗り出したんだ」
(略)
   一方の森は当時20歳。早稲田大学商学部にコネで入学し、ラグビー部に入部したものの胃潰瘍を患って退部。雄弁会に入るまでは酒浸りの日々を送っていたという。警視庁OBが続ける。
「その年(昭和33年)の2月17日から18日にかけて、新宿や浅草などの青線、白線業者を売春等取締条例違反などで一斉摘発し、業者や女、客ら20人近くを検挙したんだが、その客の中に、当時まだ早稲田の学生だった森、そう、今の総理大臣がいたんだよ」
(略)
「売防法と違って、当時の条例は売春業者側だけじゃなく、客も検挙したからね。森は検挙された客の一人だった。一目見ていいところの坊ちゃんだと思ったよ。結局、石川県では有名なエライ町長さんの息子で、将来もある若者だということで、1週間くらいで起訴猶予になったと記憶している」

(『噂の真相』2000年6月号 「サメの脳ミソ」と「ノミの心臓」を持つ森喜朗”総理失格”の人間性の証明)


この記事に対して、森側は名誉棄損で民事訴訟を起こしました。それに対して、『噂の真相』は、検挙された際の事件番号や指紋等の証拠を裁判所に提出。裁判所から証拠の真偽を求められた警視庁は回答を拒否。結果的に、森側も示談金も謝罪もなしで和解することに同意したのでした。

尚、同記事では、検挙された件だけでなく、「下半身がオットセイ」の面目躍如たるさまざまな醜聞も書かれていました。そんな森は「文教族」のドンで、常々日本人のモラルの低下を嘆き、あるべき愛国教育の必要性を唱えていたのでした。

言うなれば、女性差別(蔑視)発言は出るべくして出たと言えるのです。

そんな「サメの脳ミソ」の女性差別(蔑視)発言に対して、内外から批判の嵐が止まりません。それどころか、当初、擁護もしくは黙認していたIOCのバッハ会長やJOCの山下泰裕会長、小池百合子東京都知事や橋本聖子オリンピック担当相や自民党の「名誉男性」である野田聖子議員や稲田朋美議員、果てはワイドショーのコメンテーターの山口真由までもが、次々に手の平を返して批判に転じているのでした。その豹変ぶりは見事と言うほかありません。

中でもいちばん見事な手の平返しは、森発言を受けてオリンピックのボランティアを辞退した人間たちでしょう。彼らこそ、いけ好かないカマトトと言うべきです。ボランティアを辞退した人間たちに対する二階の発言が顰蹙を買っていますが、しかし、二階に痛いところを突かれたと言えなくもないのです。

それに忘れてはならないのは、このような手の平返しの風見鶏たちは、オリンピック開催に異議を唱えているわけではないということです。オリンピックを開催する上で、森発言が阻害要因になったと考えているにすぎないのです。

一方で、森に引導を渡せないのは、森がオリンピックを巡る利権の采配に絶大の力を持っているからだと見方がありますが、さもありなんと思います。

私は、以前、JOCの山下泰裕会長についても、森と同じように「サメの脳ミソ」であるかのような書き方をしましたが、そんなJOCの中で唯一マトモな意見を発信している山口香氏が、スポーツジャーナリストの近藤春夫氏によるインタビュー記事の中で、東京五輪の闇の部分について、次のような発言をしていたのが目に止まりました。

Yahoo!ニュース
山口香JOC理事「国民が五輪開催のリスクを負うことが問題」契約の不透明さに疑義

「(略)それに五輪に関してオープンにされていないことが、あまりにも多いんです。

たとえば今回、『IOCが中止を発表するか、東京が返上するか、それによって違約金の問題が生じるからチキンレースだ』みたいに言われていますよね。でも本当のところは私も知りません。なぜならば、IOCと東京都が、どのような契約を結んでいるかがオープンにされていないからです。こんな状況下では開催できないと東京が返上した時に、どれだけの違約金を支払うのかは契約時に決まっているはずです。それを国民にオープンにするべきではないでしょうか。

それが開示されたならば国民の判断材料になります。コロナ対策費と比べてどうなのか、五輪を開催すべきかやめるべきなのかを、お金=税金の観点からも考えることができます。なのに、この部分が国民に知らされていないのはおかしいんですよ」

──五輪に関してはブラックボックス化されていることが多くあるように思います。今回を機に、もっとオープンにされるべきですね。

「ええ。私は今回の五輪に関しては、日本国民の思いが大事だと思っています。IOCから押し付けられるものではないでしょう。そのために、判断材料となる正確な情報が国や組織委員会から発信されるべきなんです」


どういう契約になっているのか、JOCの理事すら知らないというのは、驚くべきことと言わねばならないでしょう。ここでも、政府と大会組織委員会の「由(よ)らしむべし知(し)らしむべからず 」の姿勢が存在するのです。

山口香氏が言うように、国民は〇〇〇桟敷に置かれているのです。国民はもっと怒るべきでしょう。ホントにオリンピックどころじゃないと思っているのなら、ミャンマーの国民のように声をあげるべきでしょう。オリンピック開催の問題には、私たちの命と生活がかかっていると言っても大袈裟ではないのです。

くり返しますが、今になって手の平を返している人間たちは、間違っても開催することに反対しているわけではないのです。ただ阻害要因を一掃して、開催にごぎつけようと思っているだけです。それは、森叩きに狂奔しているメディアも同様です。彼らも東京五輪の利権に連なっているわけですから、本心は開催されないと困るのです。

要するに、「サメの脳ミソ」の森は、オリンピック開催のためにスケイプゴートにされている(されつつある)のです。そのために現在(いま)、さまざまな政治的な思惑が交錯する中で、開催を前提にした悪あがきのような綱引きが行われているのだと思います。

追記:
ダークな東京五輪を象徴する(電通と二人三脚の)森喜朗にはがんばって貰いたいと思っていたのですが、辞任のニュースが流れてがっかりしました。最後に「ノミの心臓」の弱点が出た感じです。メディアは調整役がいなくなって開催が益々不透明になったみたいな言い方をしていますが、くれぐれも眉に唾して聞く必要があるでしょう。オフィシャルパートナーやメディア委員会に名を連ねる新聞社やテレビ局が、本音では”開催したい派”であることをゆめゆめ忘れてはならないのです。これで障害がなくなり開催のハードルが低くなったと安堵している関係者も多いはずです。後任に若くてクリーンな?操り人形を選んで、”いろいろあったけど、みんな水を流してオリンピックを楽しもう”という開催キャンペーンが、これから新聞やテレビを先頭にはじまることでしょう。(※後日、スケートの橋本聖子が後任に選ばれたのに伴い、太字にしました)



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オリンピックなんてできるわけがない
2021.02.11 Thu l 社会・メディア l top ▲
前回の記事で書きましたが、あらたに罰則規定を設けた特別措置法と感染症法の改正案が、昨日成立しました。国民の私権を制限する法案にも関わらず、衆参合わせて僅か4日の審議で成立したという、全体主義国家まがいの拙速さでした。

Yahoo!ニュース
時事通信
審議4日、懸念置き去り 政府、曖昧答弁に終始 コロナ対策法

成立した途端、メディアのアリバイ作りのために、上記のような問題点を指摘する記事が出るのもいつものことですが(だったら先に言えよという話ですが)、この改正案が与党と立憲民主党の談合によって成立した事実は、いくら強調しても強調しすぎることはないでしょう。

参議院の予算委員会で、立憲民主党の徳永エリ議員が、与党議員の銀座夜遊び問題に関連して、「特別措置法の改正案では、要請に従わない人には罰則を科す。自分たちは(自粛を)守らないで、国民には守らないと罰則を科すなんてメチャクチャではないか」(朝日)と言っていましたが、そのメチャクチャな法案の成立に手を貸したのはみずからの党なのです。徳永議員も、そう言いながら採決では賛成しているのです。メチャクチャなのはどっちなんだと言いたくなりました。

因みに、銀座夜遊び問題では、三人組の中で大塚高司議員が当時、議員運営委員会のメンバーであったことから、議運委の席上で立憲民主党のメンバーが、「武士の情けでこの件はこれで終わりにする」と発言したという話も漏れ伝わって来ています。

法案に関しても、どこまでが罰則の対象なのか、誰が罰則を下すのか、そういったことさえ曖昧なまま、密室で合意し成立したのです。しかも、改正特措法と改正感染症法は、さっそく来週(13日)施行されるのです。

感染して入院したくても入院できないのに、改正感染症法では、入院を拒否すると行政罰が下されるのです。国家の瑕疵は免罪され、全ての責任を国民に転嫁するまさにふざけた法律と言えるでしょう。

これで、政府は、「ファシスト的公共性」に、有無を言わせずに国民を従わせる強権(脅し文句)を手にすることができたのです。

感染の拡大は、ホントに国民の責任なのでしょうか。あるいは、飲食店やパチンコ店など業者の責任なのでしょうか。今回の改正ニ法からは、二階(幹事長)が言うように、お上のやることにはつべこべ言わずに黙って従えという声が聞こえて来るようです。

それにつけても、「アベ政治もスガ政治も許さない!」などというボードを掲げながら、立憲民主党に同伴して、政権交代の甘い夢を共有している左派リベラルのお粗末さを今更ながらに痛感せざるを得ません。彼らもまた、心ならずかどうかわかりませんが、与党と立憲による翼賛政治の片棒を担いでいるのです。私たちの前にあるのは、まったく唾棄すべき愚劣で反動的な政治の光景です。

また、同党常任顧問の岡田克也氏らが、共産党が立憲民主党に提唱する「野党連合政府」構想に反対してあらたなグループを結成するという読売の記事がありましたが、これも旧民主党のお家芸とも言うべきものです。記事の真偽は別にしても、今までも自民党が苦境に陥ると、必ずと言っていいくらいみずからずっこけて”敵失”を演じ、自民党を助けて来たのでした。これから選挙が近づけば、獅子身中の虫たちが、現実にはあり得ない(夢物語のような)「野党連合政府」構想に難癖を付け、野党内のゴタゴタを演出するに違いありません。

一方、党内のリベラル派と言われる議員たちも、今回の改正案に対しては見ざる聞かざる言わざるの姿勢に終始しています。日頃の言動からすれば誰よりも敏感に反応してもおかしくないのですが、彼らの口から出るのは拉致問題や週刊誌ネタの政権スキャンダルの話ばかりで、与党と密室で談合した改正案などまるで存在しないかのようです。

こういった政党が野党第一党である不幸をあらためて痛感せざるを得ません。
2021.02.04 Thu l 社会・メディア l top ▲
朝日新聞デジタルの「論座」に、ジャーナリストの高田昌幸氏が、「『東京五輪中止』の現実味をスルーする日本マスコミの病理」と題する記事を書いていました。

論座
「東京五輪中止」の現実味をスルーする日本マスコミの病理

最近、やっとと言うべきか、日本のメディアにも、東京五輪の開催を危ぶむ報道が欧米メディアから相次いでいるという記事が出るようになりましたが、しかし、それも欧米のメディアの口を借りた多分にヘタレなものでしかありません。どうしてこんなに腰が引けているのか。それどころか、一方では未だに開催を前提にアスリートの紹介などを続けているのです。そうやって性懲りもなく”五輪開催幻想”を振りまいているのです。

それは、「怖れ多くもご質問申し上げます」とでも言っているかのような、内閣記者会(官邸記者クラブ)が仕切る首相記者会見のヘタレっぷりと通底しており、文字通り日本のマスメディアの「病理」を映し出していると言っていいでしょう。

高田氏はこう書いていました。

  全国紙で東京都や組織委を取材している記者は「今夏の開催が難しいことは記者の誰もが分かっているでしょう。でも、それを積極的に記事にしよう、社会に投げかけようという機運はありません。どのメディアも自分が先陣を切るのが怖いのだと思います」と言う。


これをヘタレと言わずして何と言うべきかと思いました。先陣争いをするのではなく、「先陣を切ることが怖い」とは。彼らにジャーナリストを名乗る資格はあるのでしょうか。

こういったメディアのヘタレっぷりが、権力を監視するどころか、虚言癖の宰相に伴走し、ひたすら忖度し続け、トランプ政権と同じように民主主義を毀損した長期政権を支えてきたのです。

でも、オリンピックに関しては、国民の8割は開催に反対しています。今の感染状況を見れば、オリンピックどころじゃないと考えるのは当然でしょう。しかし、メディアは違います。相も変わらず、官邸の意を忖度するような姿勢に終始しているのです。それでは、国民の間に、新聞やテレビなどの既存メディアに対する不信感が増すのは当然でしょう。そして、メディア離れをいっそう加速させることになるのも当然です。権力を監視する役割を放棄して、権力のパシリに零落した彼らは、そうやってみずから墓穴を掘っているのです。貧すれば鈍するとはこのことかもしれません。

  東京オリンピック・パラリンピックのオフィシャルパートナーには読売新聞社と朝日新聞社、日本経済新聞社、毎日新聞社が名を連ねている。オフィシャルサポーターには産業経済新聞社と北海道新聞社が加わっている。メディア委員会にはテレビ局や通信社、新聞社などが揃い踏みだ。

   新聞社やテレビ局も営利企業であり、オリンピックを大きなビジネス・チャンスとして捉えること自体は否定しない。しかし、営利目的が「報道の論理」を食い尽くし、国民が疑問に思う大きなテーマを取材・報道しないのであれば、報道機関としては役割放棄と言えよう。報道をしない期間にも開催に向けて湯水のごとく税金は使われている。


こういった言葉も、もはや馬の耳に念仏なのでしょう。日本のメディアの「病理」は、治癒不能なほど深刻なのです。

追記:
21日、日本政府が内密に東京五輪を中止する結論を出したと報じた英タイムズ紙の記事が、日本国内でも大きなニュースになっています。記事によれば、日本政府の関心は既に「開催枠が空いている2032年の五輪大会を確保すること」に移っているのだとか。

Yahoo!ニュース
THE PAGE
英タイムズ紙が「政府が内密に東京五輪中止を決定。2032年開催プランが水面下で進行」の衝撃報道

政府や大会組織委員会は報道を否定していますが、火のないところに煙は立たないという諺があります。もしかしたら、国内外の反応を見るために、「政権与党の古参議員」を使ってアドバルーンを上げたのかもしれません。

それにつけても、この場に至っても、国民は○○○桟敷に置かれ蔑ろにされているのです。主権者である国民に情報が開示され、それに基づいた国民=主権者の意思と判断が適時行政府の政策決定に反映されるというのが民主主義のイロハのはずですが、肝心な国民は○○○桟敷に置かれたままです。まったくいいように嘗められたものです。と同時に、政府の動向が海外のメディアに先行して報道される日本のメディアのテイタラクぶりにも、ただただ呆れるしかありません。民主主義を毀損しているという点では、メディアも同罪なのです。


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オリンピックなんてできるわけがない(2)
オリンピックなんてできるわけがない
2021.01.21 Thu l 社会・メディア l top ▲
日本の不思議。前から何度も言っていますが、どう考えてもオリンピックなんてできるわけがないのに、何故か誰もそう言わないのです。野党もメディアも誰も言わない不思議。

テレビのスポーツ番組などは、オリンピック開催を前提に、候補選手にまじかに迫ったオリンピックに対する抱負をインタビューしたりしていますが、正気かと言いたくなります。

折しも、政府は今日、「新型コロナウイルス変異種の国内侵入を防ぐため、全ての国・地域からの外国人の新規入国を今月28日から来年1月末までの間、一時停止すると発表した」(共同)そうです。

東京オリンピックは、来年の7月23日から8月8日まで開催される予定です。半年前まで外国人の新規入国を停止するような状態で、ホントに開催できるのでしょうか。それでもできると考えるのは正気とは思えません。

私は、安倍晋三の記者会見を観ているうちに、”安倍晋三という病い”という言葉が浮かんでなりませんでしたが、嘘に嘘を重ねる安倍晋三と同じように、ここに至ってもオリンピック開催が可能と考えるのも、もはや”狂気”の領域に入った気さえします。政府や与党だけではありません。野党もメディアも、その”狂気”を共有しているのです。

2月からワクチンの接種がはじまるそうですが、それが全国民に行き渡るのに1年以上かかると言われています。それどころか、COVID-19が収束するのにあと2年くらいかかるだろうという専門家の声もあります。それでも見切り発車をして開催するつもりなのでしょうか。

外国では、オリンピックの選考会どころか、選手たちは練習さえしていない国も多いのです。そんな国がホントにあと7ヶ月後に選手を派遣することができるのでしょうか。

でも、何度も言いますが、メディアも野党も誰もこんな疑問を口にすることはありません。

先の戦争では負け戦とわかっていても、誰もそう言わずに大本営発表を流し続けたのですが、また同じ愚をくり返しているのです。これでは全体主義国家と同じです。

感染力が強いと言われている変異種のウィルスも広がりつつあります。安倍応援団として、一緒になって嘘を流し続けた産経新聞やフジテレビは、来年の2月には収束するだろうというあらたな嘘を流していますが、変異種のウィルスの問題ひとつをとっても、これから収束までひと山もふた山もあるのは間違いないでしょう。

野党にしても然りです。こんな野党に何を期待するというのでしょうか。そもそもこんな野党が信用できるでしょうか。オリンピック開催という国策に関しては、与党も野党もないのです。先の戦争を遂行した大政翼賛会と同じです。

オリンピック開催という大義名分のために、国の感染対策が後手にまわっているのは、今更言を俟たないでしょう。

幻のオリンピックに何千億円あるいは何兆円の国費を注ぎ込む一方で、明日の1万円のお金もなくてみずから死を選ぶ国民もいるのです。

月に10数万円の生活保護を申請しても、自助努力が足りないと門前払いされる一方で、幻のオリンピックのためには、今も何十億円も何百億円もの大金が(まるでドブに捨てるように)無駄使いされているのです。

眞子さんの1億5千万円の結婚一時金を「税金ドロボー」と悪罵を浴びせるくせに、何兆円何千億円の無駄使いする政治家や官僚には、野党もメディアも国民もみんな寛容なのです。

話は飛躍しますが、ここでも「愛国」とは何かを考えないわけにはいきません。柳美里の『JR上野駅公園口』ではないですが、明日の1万円がなくて死を選らばざるを得ない同朋がいることに涙するのがホントの愛国者でしょう。でも、この国にはそんな真っ当な愛国者はいません。むしろ、柳美里のような在日をヘイトするのが「愛国」者の役割と見做されているのです。古谷経衡が言うように、そこにあるのはただの「愛国ビジネス」です。数億円の白亜の豪邸を建てた”極右の女神”は、今も安倍晋三と一緒に改憲推進の講演活動を行っていますが、かように「愛国」とは濡れ手に粟の美味しい商売なのです

ともあれ、政府も与党も野党もメディアも経済界も、未だにオリンピック開催に拘っている光景は、役人特有の事なかれ主義とドッキングした究極のサンクコストの呪縛と言えないこともないでしょう。


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オリンピックなんてできるわけがない
2020.12.27 Sun l 社会・メディア l top ▲
今日のYahoo!ニュースに、中京テレビが制作した満蒙開拓団の「性接待」についての記事が転載されていました。

Yahoo!ニュース
【75年目の告白】満州・性的な接待を強いられた女性たち “覚悟の告白”で“タブー”打ち破る「しゃべって残していくのが、人間の社会の歴史」(中京テレビNEWS)

ここにはさまざまな問題が伏在しています。単に戦争犯罪の問題だけでありません。戦後の日本社会のあり様も問われているのです。こういった問題をタブー視することで、戦後の平和と民主主義が仮構されてきたのです。もちろん、その延長上に従軍慰安婦の問題も存在しています。

満蒙開拓団の「性接待」の問題は、このブログでも、2年前に朝日新聞の記事に関連して、下記のような記事を書きました。また、従軍慰安婦の問題も、朴裕河(パクユハ)氏の『帝国の慰安婦』を通して、私なりの考えを書いています。

私たちは、こういった問題から目を背けてはならないのです。直視することで戦争を知ることができるのです。もとより私たちは、戦争を知らねばらないのです。


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「性接待」と「愛国」
『帝国の慰安婦』と日韓合意
2020.12.22 Tue l 社会・メディア l top ▲
今週の東京都の新規陽性者数は、以下のとおりです。

14日(月)305人
15日(火)460人
16日(水)678人
17日(木)822人
18日(金)664人
19日(土)736人
20日(日)556人

また、12月20日現在の東京都の新規陽性者数(感染者数)の累計は51446人です。

ちなみに、4月7日から5月25日までの緊急事態宣言下において、もっとも新規陽性者数が多かったのは、4月17日の206人です。今はその倍以上の新規陽性者が連日発生しているのです。

今日(日曜日)、用事があって朝から自由が丘~中目黒~渋谷~原宿・表参道~新宿(三丁目)~池袋を走る副都心線に乗ったのですが、COVID-19前の日曜日と変わらないくらい電車の中や駅のホームは多くの乗客で溢れていました。

夕方、地元の駅に戻って来たのですが、駅前も舗道がスムーズに歩けないほど買い物客でごった返していました。また、駅の近くにある飲み屋も、COVID-19前に戻ったかのように客で賑わっていました。みんな、マスクを外し、ワインやビールなどを飲みながら、小さなテーブル越しに向き合って談笑していました。

感染の危機感など微塵もありません。それは、若者だけでなく家族連れも高齢者も、みんな同じです。再び手綱を引き締めようとしても、いったん緩めた手綱はそう簡単に元に戻ることはないのです。

岩田健太郎医師は、日本政府の感染対策は、無謀な作戦で多くの犠牲を出した旧日本軍の「インパール作戦」と同じだと言っていました。

AERA dots
岩田健太郎医師「GoToは異常。旧日本軍のインパール作戦なみ」

GoToトラベルの全面的な解禁によって、旅行に行っても大丈夫という安心感を与えたことで、正しい知識で「正しく怖れる」冷静な判断などどこかに吹っ飛んだ感じです。言うなれば、GoToトラベルの全面的な解禁によって、国全体がみんなで渡れば怖くない式の反知性主義的な考えに蔽われてしまったのです。

GoToトラベルを巡る迷走を見てもわかるとおり、政府の対応はチグハグで、どう見ても感染対策が正常に機能しているようには思えません。そのあたふたぶりを見ていると、危機管理能力以前に政権を担う能力そのものに疑いを持たざるを得ません。

菅義偉首相誕生の際、法政大学出身で大丈夫かという声に対して、法政大学出身者を中心に学歴差別だという反発があったそうですが、しかし、彼が空手部に所属し、髪をアイパーで固め、チョビ髭を生やし、裾の長い学ランを着て、学内を闊歩していた事実はやはり無視できないのです。

メディアはメッキが剥げたと言っていますが、しかし、最初からメッキは剥げていたのです。メディアが持ち上げたから根拠もなく支持率が水ぶくれのように60%を越えたにすぎないのです。

問題になったステーキ会食や会食のはしごなどを見るにつけ、「国民は(バカなので)すぐ忘れる」という国民を見くびった彼の”大衆観”が如実に出ているように思えてなりません。何度も言いますが、彼は政治家ではなく政治屋なのです。

みずからの利権を守るために麻生や二階らが主導した自民党内の無責任な政治力学によって、本来その器ではない人物が総理大臣に祭り上げられたのです。そこにも、圧倒的多数を占める政権党の驕りが見えて仕方ありません。

そもそも麻生や二階らの傲岸不遜な態度に対して、メディアが及び腰になっていること自体が異常と言わざるを得ません。反発するどころか、逆にご機嫌を損なわないように当たり障りのない質問に終始しているあり様です。また、菅首相のぶら下がり会見においても、芸能人の謝罪会見とは違って、代表質問する若い記者のもの言いが、台本を読んでいるようなわざとらしい感じであるのに気付いた人も多いでしょう。その光景には、ぶら下がり会見が記者会見でもなんでもなく、単なる(事前に質問を提出した)小芝居にすぎないことが暴露されているのでした。

メディアが権力を監視する役割を放棄しているのです。歌を忘れたカナリアになっているのです。それは、産経新聞(フジテレビ)や読売新聞だけの話ではありません。権力を忖度し権力にふれ伏す安倍一強の時代はまだつづいているのです。その弊害がCOVID-19でいっきに露わになった気がしてなりません。もちろん、自業自得と言うべきか、そのツケを払う(払わせられる)のは私たち国民なのです。


関連記事:
米大統領選とネトウヨ化したニッポン
2020.12.20 Sun l 社会・メディア l top ▲
最近、「日本の異常」ということを考えないわけにはいきません。と言うと、ネットだったら(このブログもネットだけど)「だったら日本から出て行け」「反日」と罵言を浴びせられるのがオチでしょう。

誰もその異常を疑おうとしないのです。言うなれば、異常が日常化しているのです。オリンピック開催にこだわるがゆえにアクセルを吹かしつづけた挙句、アクセルが戻らなくなり暴走車のようになっているCOVID-19対策などはその最たるものですが、日本の異常はそれだけではありません(オリンピックなんてできるわけがないと誰も言わないのも異常ですが)。

ひとつは、眞子さんの結婚に対してです。小室さん母子に対するバッシングも異常ですが、眞子さんが結婚の意思に変わりがないと表明し、続けて父親の秋篠宮が条件付きながらも「結婚を認める」と発言したことに対して、いっせいに巻き起こった眞子さん本人や秋篠宮家に対するバッシングも、もはや常軌を逸していると言っても過言ではないでしょう。

元衆院議長の伊吹文明も、「小室さんは週刊誌にいろいろ書かれる前に、やはり皇嗣殿下がおっしゃっているようなご説明を国民にしっかりとされて、そして国民の祝福の上に、ご結婚にならないといけないんじゃないか」などと、まるで小室さんに説明責任があるかのような発言をしたそうです。

私などは、その前に「安倍さんは過去の国会答弁について国民に対する説明責任がある」と言うべきではないかと思いますが、伊吹文明にとっては、安倍よりも小室さんの説明責任の方が優先度が高いのでしょう。

また、伊吹文明は、秋篠宮が「結婚を認める」理由としてあげた「憲法に明記された婚姻の自由を尊重すべき」という発言に対しても、「皇族方は、(中略)法律的には日本国民ではあられない」ので、皇族は日本国憲法が認める「婚姻の自由」や「幸福追求の権利」が保障されるわけではないという旨の発言もしているそうです。これは、生活を保障するからカゴのなかの鳥でいろと言っているようなものでしょう。

「婚姻の自由」や「幸福追求の権利」が、日本国憲法が認めているから成立するような、そんなチンケな権利ではないことは子どもでもわかる話でしょう。人権ということばの意味も理解してないのではないか。こういう人物が国権の最高機関の長を務め、政権党の重鎮と遇されているのですから、政権党のなかから民主主義や歴史を否定する言動が出てくるのもむべなるかなと思います。

これでは、眞子さんや佳子さんが封建的な日本を離れて海外で結婚生活を送ろうと考えても仕方ないでしょう。もう彼女たちの人生に、天皇制がそぐわなくなっているのは事実なのです。むしろ、皇族であるが故に、人権も認められない、幸福を追求する権利もない人生に疑問を抱かない方がおかしいのです。

封建的と言えば、もうひとつ、「日本の異常」を痛感する出来事がありました。

それは、群馬県の草津町で、女性の町議会議員が村八分のようなリコールで失職した件です。町長室で町長から性被害を受けたと告発した女性議員に対して、「嘘を言って議会の品位を汚した」として町議会議長を中心にリコール運動が行われ、住民投票の結果、賛成2542票、反対208票という92%の圧倒的多数でリコールが成立、裁判で真相があきらかになる前に女性議員が町議会から追放されることになったのでした。

草津町議会を傍聴した北原みのり氏は、その異常さについて、次のように書いていました。

 休憩を挟んで議場に戻ろうとしていた男性議員たちが「傍聴席のヤツラ! 今日はやりにくい」と大声で言っているのが聞こえた。「ヤツラ」と言うんだな……と驚いたが、普段から傍聴している人によると、「今日は議場がいつもより穏やか」とのことだった。いつもは新井議員への嘲笑や暴言、叱責が激しいといい、この日は傍聴席の女性が圧になっていたのは確かのようだ。

 一方、傍聴席は殺気だっていた。70代くらいの男性たちが前列に座る私たちの背後から、「こっちにだって選ぶ権利あるんだよ」「誰があんな女と」「犬だってしねぇよ」と声を浴びせたり、「(性被害が)本当なら(時間的に)町長はニワトリだ」と盛り上がったりもしていた。ニワトリの意味は、すぐ射精するとのことらしい。コケッコッコーと言っては笑っていた。セクハラを背中からずっと浴び続けた思いになる。

AERAdot.
殺気だつ草津町傍聴席「犬だってしねぇよ」 セクハラを背中で浴び続けた気分になった


また、草津町を取材したハーバー・ビジネス・オンラインも、次のように書いていました。

(略)この住民投票の一番の問題は、どこかの一般町民がリコールをしようと言い出したのではなく、なんと、草津町議会の議長が中心となってやっている点です。だから、公共施設にまでリコールに賛成を呼び掛けるポスターが貼られているのです。ここには「住民投票の公平性」という概念は一切ありません。これはもう民主主義でもありゃしないのです。

 今回の新井祥子議員のリコール住民投票は、明らかに「町ぐるみ」で仕掛けられています。これはとても深刻で重大な問題です。本来、自治体というのは住民投票の公平性を担保しなければなりません。賛成するか反対するかはあくまで「住民の意思」で決められるものであって、町がどちらかを推奨するということがあってはならないのです。ところが、草津町では公民館や児童室といった公共施設の駐車場にポスターが貼ってあって、新井祥子議員のリコールに賛成するように促していました。

ハーバー・ビジネス・オンライン
群馬県草津町の「町議リコール」住民投票がはらむ、性被害の事実以前の大きな問題


リコール(解職賛成)を呼びかけるポスターは、観光客が訪れるバスターミナルにも貼られており、「こんなにイカれた話はありません」と書いていましたが、草津町は町あげてリコールに狂奔していたのです。文字通り”異常な町”と化していたのです。町内に9ケ所ある共同浴場にも、あの有名な湯畑の近くにも、ポスターは貼られていたそうです。なんだか横溝正史の小説に出てくる村のようです。

草津町というのは、温泉を資源にビジネスをしている人が多く暮らしているため、町長や議員を敵に回すことは、イコール、この地で商売ができなくなってしまうということであり、非常に閉鎖的な町です。議員になる人も、ホテルや旅館の二代目や三代目だったりして、そもそも町長に逆らうような人はいません。
(同上)


草津温泉を訪れる女性客を笑顔で迎える「ホテルや旅館の二代目や三代目」の主人たちが、一方で、議会ではミソジニー(女性蔑視)の権化のような顔を見せていることを観光客は知る必要があるでしょう。

この異常に対して、職員組合はどうしているのかと思ったら、草津町には職員組合はないのでした。「公共施設にポスター」「町ぐるみのリコール運動」の理由がわかった気がしました。

しかも、北原みのり氏は、Twitterに次のような驚くべき光景をツイートしていました。中澤議員というのは、議会で唯一女性議員のリコールに反対したために、懲罰動議をかけられた議員です。

北原みのり草津町
https://twitter.com/minorikitahara/status

村八分に加担する日本共産党。日本共産党の日常活動はとうとうこのレベルまで来たのかと思いました。自由と人権を守る党が聞いて呆れますが、そこにはいみじくも左の全体主義の体質が露呈していると言っていいでしょう。「日本の異常」には右も左もないのです。
2020.12.09 Wed l 社会・メディア l top ▲
今日、「安倍晋三前首相の後援会が主催し『桜を見る会』前日の夕食会を巡り、東京地検特捜部が安倍氏本人に任意の事情聴取を要請した」(共同)というニュースがありました。

安倍辞任について、病気はあくまで表向きの理由で、実際は河井夫妻に対する強制捜査に関連して(河井夫妻に自民党本部から振り込まれた買収資金の1億5千万円に関連して)みずからに捜査の手が及ぶのを避けるため辞任したのではないかという見方がありましたが、まさか「桜を見る会」で事情聴取に発展するとは意外でした。

それにしても、国会答弁の嘘八百には今更ながら呆れます。森友問題で、佐川宣寿財務省理財局長(当時)が国会で答弁した際、野党の追及にあたふたしている佐川局長に対して、総理大臣席の安倍が「もっと強気で行け」というメモを渡して叱咤していたそうですが、あれは「強気で嘘を吐け」という意味だったのでしょう。

安倍や菅には、「国民はすぐ忘れる」「世論はその場限りのものに過ぎない」という、国民や世論に対する”冷めた認識”が共通していると言われています。つまり、それは、「国民なんてバカですぐ忘れるので、強気で嘘を吐いてその場を言い逃れればいいんだ」という、ある意味でシビアな大衆観とも言えます。実際その通りなのですが、それがあのような国会軽視にもつながっているのでしょう。

甘やかされて育てられたボンボンにありがちな生来の嘘つきが、自民党内の無責任な政治の力学でなんと総理大臣になってしまった。そんなマンガのような話が安倍一強7年8カ月の実態なのです。

生来の嘘つきが総理大臣になった悲劇については、このブログでも下記の関連記事で書いていますので、ご参照ください。

ただ、確認しておきたいのは、安倍辞任や聴取要請は、決して反安倍の運動によるものではないということです。そういったリベラル左派にありがちな他力本願な自画自賛に対しては釘を刺しておく必要があるでしょう。この一連の流れは、あくまで権力内部の力関係の変化によるものにすぎないのです。

追記:
午後には各メディアが一斉に「聴取要請」の記事をアップしましたが、本人は記者たちの質問に対して、「そんな話は聞いてない」と答えたそうです。ここに至っても白々しく嘘を言い続けるその姿は、なんだか頬をプーッと膨らませて「ボク、知らない」と言い張っていた子どもの頃のエピソードを彷彿とさせるものがあります。三つ子の魂百までとはよく言ったもんだと思います。

こういう人物が総理大臣として、公私混同して国政を運営し、国会で嘘八百を言い続けて来たのですから、これほどの悲劇はないでしょう。しかも、彼は、「愛国者」として右派系の人間たちの間ではヒーロー扱いさえされていたのです。古谷経衡流の言い方をすれば、「愛国ビジネス」にとって格好のシンボル(ブランド)だったのです。



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2020.12.03 Thu l 社会・メディア l top ▲
アメリカ大統領選は、案の定、トランプの悪あがきによってグダグダにになっていますが、そもそも4年前にトランプを大統領に選んだことが全ての間違いのもとなのです。と、今更言っても仕方ないのですが、ただ多くの人たちもそう思っていることでしょう。

これで共和&民主という二大政党制も、大きな曲がり角を迎えることになるのは間違いないでしょう。とりわけ、日本で言えばネトウヨの権化のようなトランプに依拠してきた共和党は、深刻な事態を迎えるのではないでしょうか。草の根の保守運動の原点である「 ティーパーティー」も、トランプの登場でほとんど機能しなくなり瓦解してしまったと指摘する声もあります。だからよけいトランプに頼らざるを得なかったのでしょう。共和党がトランプ党になったというのは、決してオーバーな話ではないのです。

でも、何度も言いますが、日本も他人事ではないのです。Yahoo!ニュースが、大統領選の特集のなかで、トランプとバイデンのどっちが当選すると思うか?という「みんなの意見」のアンケート結果を円グラフにして掲載していました。それによれば、バイデンの当選がほぼ確実になった昨日の時点でも、トランプが当選すると答えた人が50%を越えており、バイデンが当選すると答えたのは30%台でした。

さすがにまずいと思ったのか、昨日、突然、円グラフはトップページから削除されてしまいましたが、その背景にあるのはトランプが唱える陰謀論です。日本のネトウヨたちも、本国のトランプ支持者と同様、トランプを信奉し、彼が唱える荒唐無稽な陰謀論を信じているのでした。Yahoo!ニュースは、そのフェイクニュースの牙城になっているのでした。

感情の劣化は対岸の話ではなく、この国でももはや修復ができないほどエスカレートしているのです。「話せばわかる人がいなくなった」(宮台真司)のです。それは、民主主義にとって深刻な問題でしょう。

ちなみに、このブログでも再三登場する評論家の田中宇氏も、みずからのサイトで、開票日当日は、トランプが当選すると主張していました。しかし、開票日の翌日には、最初の主張を覆してトランプが負けそうだという記事を書いていました。ところが、さらに翌々日には、民主党が選挙不正しているという陰謀論を書いて、主張を二転三転させているのでした。

昨日の記事「米民主党の選挙不正」で、田中氏は次のように書いていました。

今後、この膠着状態のまま時間がたつほど、民主党の選挙不正について詳細がわかってくる。トランプ傘下の諜報界は、民主党側にスパイを潜り込ませ、不正について何らかの証拠を握っている(証拠を握れる状態を作れなければ民主党に不正させない)。これは「おとり捜査」である。これから証拠がリークされていく。ロシアゲートの逆転劇に似ている。決定的な証拠がリークされる前後に、マスコミがネバダ州のバイデン勝利を確定し、バイデンの当選を発表するかもしれない。しかしそれと同時に民主党の選挙不正について決定的な証拠が暴露され、マスコミも選挙不正に協力してバイデン勝利を捏造していたことがバレていく。

http://tanakanews.com/190527spygate.htm
スパイゲートで軍産を潰すトランプ

このシナリオが成功すると、民主党だけでなくマスコミの権威も失墜させ、軍産の全体を潰せる。最終的な次期大統領はトランプになる。もう少しで勝てたのに、と悔しがる民主党左派は、全米で絶望的な暴動・略奪に走る。米国は混乱が続いて国際信用が低下し、経済も破壊され、軍産が最も望まない覇権の失墜になる。その中でトランプの2期目が始まり、米中分離や隠然多極化を進めていく。結局のところ、一昨日書いた記事のシナリオに戻っている。嘲笑してください(笑)。

田中宇の国際ニュース解説
米民主党の選挙不正


なんだかネトウヨみたいですが、田中氏の場合、ただインターネットで海外の新聞などを読んで情勢を分析するだけなので、フェイクニュースに惑わされてこんな醜態を演じることになるのでしょう。

何度もくり返しますが、トランプの狂気は他人事ではないのです。

学生時代、挨拶は「押忍」しか言ったことがないと本人も言っているように、法政大学で学ランを着てアイパーに剃りこみを入れた髪型で構内を闊歩していた学生が、横浜で代議士秘書になり、秘書から市会議員になると、代議士事務所の威光を笠に市の人事に介入し、「影の横浜市長」と呼ばれるほどの影響力を手に入れたのでした。

彼はどう見ても政治家というより政治屋です。人事を盾に権勢を振るう、官僚制度の弱点を熟知した政治屋なのです。だから、「内閣人事局」の創設に関わり、官邸が官僚の人事権を一手に握る体制を敷いたのでしょう。さらには、公安警察に隠然たる影響力を持つ元公安OBを側近に据え、公安を使った情報管理で霞が関ににらみをきかせて、有無を言わせない絶対的な権力を手にしようとしているのです。まるでロシアのプーチンを真似たかのようです。

でも、メディアには、秘密警察化する公安への懸念も、全体主義に対する危機感も皆無です。それどころか、危険な権力に尻尾を振って取り入ろうとするあり様です。大統領の狂気に及び腰だったアメリカのメディアの二の舞どころか、そこには歌を忘れたカナリアの「あさましくさもしい」姿しかありません。権力の太鼓持ちは、ネトウヨ御用達のフジサンケイグループだけではないのです。


関連記事:
ネトウヨ化する社会
2020.11.07 Sat l 社会・メディア l top ▲
米大統領選は混迷を極めています。と言っても、混迷を極めているのは選挙結果よりそれを報じるメディアの方です。郵便投票など期日前投票が1億100万人もいるので(これは前回の大統領選の総投票数の73%に当たる数字だそうです)、即日開票分なんてまだ半分程度を開票した途中経過にすぎないのです。それなのに、どっちが当選確定したとか性急に結果を求めるので、ますます混迷に拍車がかかるのでした。

最終的にはトランプの悪あがきで法定闘争にまで持ち込まれるのではないかと言われていますが、あらためて大統領選を見るにつけ、アメリカと対立する中国やロシアが本音ではトランプ再選を期待しているというのはわかる気がします。

宮台真司は、ビデオニュースドットコムの開票特番で、自分は前回から一貫してトランプ支持だと言っていました。それは、彼独特の「加速主義」という考えによるものです。「加速主義」というのは、民主制が機能不全になり、人々の実存的な不全感、鬱屈がポピュリズムの標的になった結果、「自分が凄くないので国が凄いと思いたい」とか「昔思っていたような生活ができないなのは異分子がいるからだ」(異分子は、アメリカでは移民やヒスパニック、日本では「在日」)というような排外主義によって人々の感情的な劣化が進んだこの社会は、ポピュリズムの権化であるトランプや安倍(今の菅)の手に委ねて、手っ取り早く終わらせた方がむしろ建設的だという考え方です。言うなれば逆療法、あるいは「創造的破壊」のような考え方です。宮台は、それを「制度による社会変革ではなく技術による社会変革」という言い方をしていました。必ずしも的確ではないかもしれませんが、私は、「加速主義」の考えを聞きながら、若い頃に読んだ林達夫の『反語的精神』を思い浮かべました。

共和党はもはやトランプにすがるしかないのです。共和党が掲げる伝統的な保守主義なるものは、トランプのハチャメチャなポピュリズムに簒奪されたのです。それはバイデンを担ぎ出した民主党も同じです。党内の権力バランスでバイデンのような人物を担ぎ出さざる得ない民主党のテイタラクもまた、共和党と軌を一にしていると言えるでしょう。トランプは、バイデンは「認知がはじまっている」と言って物議を醸しましたが、バイデンのトンチンカンぶりを見るにつけ、私も「もしかしたら」と思いました。町山智浩氏が言うように、バイデンではなくバーニー・サンダースだったらもっと違ったものになったに違いありません。

今回の子どものケンカのような大統領選が映し出しているのは、アメリカの「加速度的」な凋落です。それが誰の目にもあきらかになったのです。そこにはもはや唯一の超大国の面影は微塵もありません。低レベルのドタバタぶりを演じる、それこそお笑いネタになるような滑稽な姿しかないのです。それは政党や政治家だけではありません。メディアも同じです。

私たちは、今までアメリカ人と言ったら、ニューヨーカーと呼ばれるような大都市に住むエリート市民しか知りませんでしたが、今回の大統領選をとおして、アメリカの国民ってこんなにバカだったんだということを初めて知りました。彼らの民度の低さをこれでもかと言わんばかりに見せつけられのでした。

子どもの頃、社会科の授業でアメリカン・デモクラシーこそ民主主義のお手本のような教育を受けましたが、今回の大統領選を見て、こんなバカな国民ばかりいてどこが民主主義のお手本なんだと思わざるを得ません。おそらくそういった幻想もこれで終わるでしょう。

再三言っているように、アメリカが超大国の座から転落して、世界が多極化するのは間違いないです。私たちは、まさに今、その光景を、その赤裸々な姿を見ている、見せられているのです。

もちろん、日本も他人事ではありません。宮台が言う「インテリ憎しの反知性主義」という点では、安倍や菅はトランプと瓜二つです。老害を絵に描いたような偉ぶることしか能のない麻生や二階、それにいつも的外れでトンチンカンな河野太郎や小泉進次郎も、どう見ても感情の劣化を象徴する道化師にすぎません。そんな連中が権力の中枢に座り、トンマな姿を晒しているのです。民主党のテイタラクも、日本の野党のそれとよく似ています。もう「話せばわかる人がいなくなった」(宮台真司)のです。「話せばわかる」というのは民主制の前提ですが、ポピュリズムによって感情の劣化が進んだ現在、その前提が壊れてしまったのです。

現代史に君臨しつづけた<帝国>が、バカな国民と”狂気のヒーロー”によって崩落の危機に瀕しているのは痛快ですが、しかし、それは他人事ではないのです。トランプの狂気を笑い物にして見ている私たちは、天に唾しているようなものかもしれません。
2020.11.05 Thu l 社会・メディア l top ▲
先月、日本学術会議が推薦した新会員候補のうち、安保法制や特定秘密保護法や共謀罪の新設などに反対し、政府に批判的なスタンスを取ってきた6名の研究者の任命を菅義偉首相が拒否した問題が、俄かに政治問題化しています。

学術研究に対する政治介入だとして、「学問の自由」を守れという抗議の声も大きくなっています。日本学術会議も、任命拒否の理由をあきらかにするように菅首相に要望書を出したそうですが、官邸から明確な説明はないようです。

経済学者で元早大の教授でもあった静岡県の川勝平太知事は、菅首相の任命拒否について、「菅義偉という人物の教養のレベルが露見した」と痛烈に批判したそうです。

朝日新聞デジタル
「教養のレベルが露見」 任命問題、学者知事が強く反発

記事は次のように書いていました。

 美濃部事件、滝川事件など戦前の言論統制にも触れ、「政治家が学問に口を出してはいけない。首相に任命権があるから行使したというのは、何も説明していないに等しい。理由を開示すべきだし、学問がなっていないという理由以外は認められない」と批判した。


菅首相が、法政大学時代に空手部に籍を置いていたのは有名な話です。学生時代、挨拶は「押忍」しか言わなかったという本人の話がメディアに出ていましたが、恐らく剃りこみを入れ裾の長い学ランを着て学内を闊歩していたのでしょう。

私は菅首相より全然年下ですが、当時、中核派の拠点であった法政大学で運動部の彼らがどんな役割を果たしていたか、およその想像はつきます。それがのちの政治家秘書から政治家に至る道につながったのは事実でしょう。私の知り合いにも似たような空手部出身の人間がいますが、菅首相のようなパターンは別にめずらしくないのです。ただ、大半は地方議員で終わるだけです。

今回の任命拒否も、日本会議の古参メンバーと同じで、学生時代から彼のなかに根強く残っている反共思想や復古的な全体主義への憧憬がそうさせたのだと思います。学生時代、学問とは無縁にすごしてきたので、「学問の自由」という概念も彼のなかには存在しないのかもしれません。もしかしたら、ナチズムやスターリニズムと同じように、学問は政治に従属するものと思っているのかもしれません。その意味では、川勝平太静岡県知事の「菅義偉という人物の教養のレベルが露見した」という発言は正鵠を得ていると言っていいでしょう。

ただ一方で、日本学術会議のみならず日本の大学が、これまで学問の場に権力の介入を許してきたことはまぎれもない事実で、今回のような露骨な政治の介入は、ある意味で当然の帰結とも言えるのです。

彼らは「学問の自由を守れ」と言いますが、その前提でもある「大学の自治」を壊してきたのは彼ら自身なのです。東大ポポロ事件を見てもわかるとおり、昔は構内に警察官が入ってきただけで大問題になっていました。「学問の自由」と「大学の自治」は一体であるという認識が半ば常識としてあったからです。

全共闘運動に乗り遅れた私たちは、羽仁五郎の『ミケランジェロ』(岩波新書)という本でそれを学んだのですが、「大学の自治」という理念は、ルネッサンスの時代から「真理は汝を自由にする」「学問の自由」と表裏一体のものとして、半ば天賦のものとして存在していたのです。

しかし、多くの大学では、「過激派」から大学を守り学内を正常化するためという理由でみずから権力の介入を求めて、「大学の自治」を放棄してきたのでした。

菅首相の母校の法政大学の田中優子総長も、今回の問題を座視することはできないとして抗議声明を発表したそうです。

J-CASTニュース
菅首相母校・法大の田中優子総長が声明 日本学術会議問題は「見過ごすことはできません」

声明のなかで、田中総長は次のように述べているそうです。

「この問題を座視するならば、いずれは本学の教員の学問の自由も侵されることになります。また、研究者の研究内容がたとえ私の考えと異なり対立するものであっても、学問の自由を守るために、私は同じ声明を出します。今回の任命拒否の理由は明らかにされていませんが、もし研究内容によって学問の自由を保障しあるいは侵害する、といった公正を欠く行為があったのだとしたら、断じて許してはなりません」


しかし、その一方で、田中総長は、法政大学では、学内の「過激派学生」を排除するために積極的に警察権力の介入を促し、この10年間で百数十名の学生が逮捕されるという異常な事態を招いているのです。これこそ二枚舌と言わずして何と言うべきかと思います。

と言うと、お前は中核派のシンパかというお決まりの罵言が飛んで来るのが常ですが、「学問の自由」や「大学の自治」には「過激派」も「極左」も(あるいは「保守反動」も「極右」も)ないのです。そういうこととはまったく別の問題なのです。

「大学の自治」を権力に売り渡した人間たちが、「学問の自由を守れ」と叫んでいる様は、片腹痛いと言うしかありません。
2020.10.08 Thu l 社会・メディア l top ▲
伊勢谷友介が大麻取締法違反の疑いで逮捕されましたが、さっそく芸能マスコミは、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い式のバッシングに狂奔しています。それは、まさに狂奔ということばしか見つからないほど常軌を逸しています。

こういったセンセーショナルなバッシング報道に対して、疑義を唱える声がほとんど聞こえてこない今の状況は、どう考えても異常です。

大麻で芸能人を逮捕して大騒ぎするのは、先進国では日本だけと言った人がいましたが、一罰百戒の見せしめのために、逮捕された芸能人をさも重罪人のようにバッシングするメディアがその片棒を担いでいるのです。これでは、日本においては、他の先進国では常識ですらある大麻に対する冷静な議論も、夢のまた夢と言えるでしょう。今にはじまったことではありませんが、この国には「自由な言論」がまったく存在しないのです。

菅義偉の総裁選立候補の記者会見を見学した宮台真司は、東京新聞の望月衣塑子記者の質問を菅と一緒になって嘲笑していた会見場の記者たちについて、「あさましくさもしい」と下記の番組でこき下ろしていましたが、権力の監視どころか、権力の番犬(忠犬?)に成り下がったメディアのテイタラクは、なにも芸能マスコミに限った話ではないのです。

マル激トーク・オン・ディマンド
安倍政権の検証(1)
日本の民主政治を変質させた責任を問う


若い世代ほど安倍内閣の支持率が高く、20代(男性)では60%近くが「支持する」と答えたという数字さえあります。どうしてなのか。それは、物心ついたときからずっと安倍政権が続いているので、若者たちは安倍政権しか知らず、そのため安倍政権が政治のスタンダードになっているからだと宮台真司は言っていましたが、さもありなんと思いました。まるで長期独裁政権下の国民のようです。

しかし、政権を牛耳るのは、安倍・麻生・二階・菅など傲岸不遜でいかがわしい爺さんたちです。どう見ても「くそジジイ」です。ところが、今の若者たちは、そんな老いてもなお権力に汲々とする利権まみれの爺さんたちを「くそジジイ」呼ばわりするどころか、「凄い!」などと言って称賛しているのです。私たちの感覚からすれば驚くべきことです。

それは、若い政治記者たちも同じです。ジャーナリストの矜持などどこ吹く風で、政治家に気に入られサラリーマンとして栄達の道を歩むことしか念頭にないかのようです。一握りの老害政治家が牛耳る、文字通りの前時代の遺物のような今の政治をおかしいとも思わないのでしょう。彼らは、老害政治家にたかる銀バエのようで、ただ忖度しておべんちゃらな質問をくり返すだけです。

今ほど若者が権力や権威に弱く、事大主義的になった時代はないように思います。毛沢東ではないですが、いつの時代も革命の主役は若者でした。しかし、今は若者がアンシャン・レジュームになっているのです。もっとも、自分より強いものにはヘラコラする一方で、同輩や目下に対しては結構えげつなくて計算高いのも彼らの特徴です。競争に勝つためには手段は二の次で、卑怯なことも厭わないのです。

よく言われるように、日本は経済的に没落し余裕がなくなったので、座る椅子も少なくなっており、そのため、朝夕の通勤電車と同じで、サークル内の椅子取り合戦(ポジション取り)も熾烈をきわめているのです。まして、新聞社やテレビ局などは、誰しもが認める”限界企業“です。そう考えれば、権力にすり寄る「あさましくさもしい」記者が多いのも、当然と言えば当然かもしれません。

仕事先の知人は、大倒産・大失業・大増税の時代が目前に迫っているのに、「日本ではどうしてアメリカのように暴動が起きないんだろう?」と不思議がっていましたが、たしかに日本では、暴動どころか、政権批判する人物をSNSや電凸で攻撃する、”現代版アカ狩り”に動員されているのがオチです。日本の若者たちは、椅子にふんぞり返って国民を見下し、「日本を、取り戻す」(自民党のポスター)という掛け声とは裏腹に、ネオリベラリズムに拝跪して日本を切り売りしている老害政治家に対して、「がんばれ!」「日本を守ってくれてありがとうございます!」と拍手喝さいを送っているのです。そのトンチンカンで倒錯した感覚にも驚くばかりです。

そして、若い記者たちも、老害政治家と一緒になって、政権にまつろわぬ目障りな記者を嘲笑し、その記者の質問権を奪うことに手を貸しているのです。そうやって、政治を私物化して総理大臣をたらいまわしする与党の派閥のボスたちに忠誠を誓い、みずからのポジションを守っているのでしょう(正確に言えば、守っているつもりなのでしょう)。

芸能記者も政治記者もみんな、「あさましくさもしい」同じ穴のムジナなのです。
2020.09.09 Wed l 社会・メディア l top ▲
安倍首相の政権投げ出しに対して、今回は前回のような批判が影を潜めています。やったことは同じでも、それに対する反応はまったく違ったものになっているのでした。

たとえば、立憲民主党から参院選に出馬したこともある芸人のおしどりマコは、安倍首相に対する石垣のりこ議員のツイートに対して、みずからのツイッターで、次のように批判していました。

おしどりマコツイート2020年8月28日
https://twitter.com/makomelo/status/

でも、私は、このツイートの意味がよくわかりません。私たちは、潰瘍性大腸炎という病気に罹ったことを批判しているのではないのです。まして、病気が自己責任だなどと言っているわけではありません。持病を抱えながら、二度に渡って権力の座を欲したその無責任な姿勢を批判しているのです。その結果、二度も政権を投げ出して、“政治的空白”をもたらすことになったのです。そもそも、この”非常時”に国会を開かなかったのも、病気の悪化で安倍首相自身が躊躇したからかもしれません。

石垣議員も、持病で政治を停滞させることがわかっていながら、二度に渡って権力を欲し、同じことをくり返したその姿勢が無責任だと言いたかったのだと思います。それを立憲民主党執行部は、「不適切発言」と断じ、謝罪と削除を命じたのでした。

内閣総理大臣というのは、一般市民とは違うのです。公人!なのです。サラリーマンやOLとは、立場がまったく異なるのです。

公人!である安倍首相の病気を、サラリーマンやOLの病気と同じように考えると、大きな錯誤を招くことになるでしょう。それは、最高権力者の健康が第一級の国家機密だと言われる理由を少しでも考えればわかることです。

もっとも、安倍首相の病気に関しては、第一級の国家機密であるはずなのに、どうして千駄ヶ谷の慶応大学病院に検査に向かうのがバレバレだったのかという疑問があります。普通は誰にも知られないように検査を受けるはずでしょう。安倍首相の病気は、辞任を軟着陸させるためのストーリーだったんじゃないかという見方がありますが、その後の流れを見ると、あながち的外れとは言えないんじゃないかと思ったりもします。

前回は、「政権を投げ出した」と批判していたメディアが、今回はまったく逆に同情的な報道に終始し、それが辞任後すぐに、安倍内閣の支持率が55%に急上昇し、安倍政権を「評価する」が71%に上ったという世論調査(朝日新聞社が2、3日に実施した世論調査)に表れているのです。次期首相にふさわしいのは誰かという質問でも、「菅氏」と答えたのがいちばん多かったそうです。まさに衆愚としか言いようがありませんが、世論とはそういうものでしょう。

この世論調査の結果は、総理大臣を自分たちの都合のいいようにたらい回しする、派閥のボスたちのやり方を実質的に追認したと言えるでしょう。安倍辞任に同情的な報道に終始したメディアがそう仕向けたのです。やることなすこと全てが裏目に出る、政治的行き詰まりによる支持率低迷から見事なまでに流れが反転しているのです。なんだかおかしな(この国のメディアにありがちな)政治の力がはたらいているような気がしてなりません。

安倍辞任に対するメディアの報道は、まるで独裁国家のそれのようですが、おしどりマコの発言もそんなメディアと軌を一にしていると言えるでしょう。

「言論の自由などない。あるのは自由な言論だけだ」と言ったのは、おなじみの竹中労ですが、たとえば、「言論の自由」のいかがわしさを考える上で、(安倍辞任とは直接関係がないけど)下記の朝日の記事などは好例です。いいように憎悪を煽ってきたくせに、憎悪の相手から反撃されると、途端に仮面ライダーのように民主主義者に変身するのは、彼ら差別主義者の得意芸です。でも、おしどりマコはそのカラクリを見抜くことはできないのでしょう。もしかしたら、ものごとの本質を隠蔽し差別主義者に逃げ場を与える、こういうメディアのオブスキュランティズム(両論併記の曖昧主義)を、民主主義のあるべき姿と思っているのかもしれません。

朝日新聞デジタル
炎上した三浦瑠麗さんのCM 「左右問わず排除激しく」

安倍政治がもたらしたのは、ヘイトの蔓延と格差の拡大と政治の私物化です。おしどりマコのように「公」と「私」を混同し「情緒」で政治を語るようでは、今の世も末のような衆愚政治を「理会」(©竹中労)することはできないでしょう。それどころか彼女のツイートは、野党もまた、この世も末のような衆愚政治に組み込まれていることをいみじくも証明しているように思えてなりません。
2020.09.04 Fri l 社会・メディア l top ▲
安倍辞任は、メディアに言わせれば、「予想外」「突然の決断」「一人で判断」ということになるのでしょう。ただ、一部に辞任の見方がなかったわけではないのです。しかし、そんな見方も、反安倍の朝日新聞の記者が希望的観測であり得ない辞任を吹聴しているだけと言われ、封殺されたのでした。

そもそも安倍首相の持病悪化を報道したのは、私の知る限り『FLASH』(2020年8月18日・25日合併号)だけです。大手メディアは、あれだけ番記者を配置しながら、安倍首相が慶応大学病院に検査入院(一日入院)するまで、どこも病気悪化を報じていないのです。ホントに病気悪化の情報をキャッチしていなかったのか。だったら、どれだけふし穴、無能なんだと思います。もしかしたら、キャッチしていたけど書かなかったのかも知れません。そうであれば、ことはもっと深刻でしょう。

官邸担当の記者たちに、ジャーナリストを名乗る資格はないのです。記者会見のおべんちゃら質問を見てもわかるとおり、もはや彼らはただの御用聞きにすぎないのです。

そんな彼らが、辞任表明の記者会見においても、なにひとつ突っ込んだ質問ができないのは当然と言えば当然でしょう。病気だから仕方ないとか、不本意な辞任だとか、同情論で報じるのもむべなるかなと思います。誰もフジ・サンケイグループやNHKの幇間たちを笑えないのです。

でも、私は、安倍首相ほど無責任な政治家はいないと思っています。「愛国者に気をつけろ!」と言ったのは鈴木邦男氏ですが、まさに(自称)愛国者の正体見たり枯れ尾花という感じです。メディアは、今回は第一次安倍政権のときとは違うようなことを言っていますが、どこが違うのでしょうか。どう見ても、同じことをくり返したとしか思えません。

安倍政権を批判するあまり、持病(潰瘍性大腸炎)について言及するのはフェアじゃない、同じ病気と闘いながら仕事をしている人たちを傷つけることになるというような声があり、それも安倍批判を封じる口実になっていましたが、「同じ病気と闘いながら仕事をしている」一般のサラリーマンと安倍首相は、立場が全然違います。安倍首相は内閣総理大臣という、この国の政治(行政)を司る公人!なのです。

この国の最高権力者である限り、みずからの持病に対して責任を持つのは当然です。持病の不安がありながら(そのリスクを抱えながら)、あえて二度も内閣総理大臣の座を求めたのは、きわめて無責任と言わねばならないでしょう。これほど国家や国民をみくびった話はないのです。

しかも、安倍首相は、連続在任日数が大叔父の佐藤栄作元首相の記録を抜いて歴代1位になった途端に、辞任を表明したのでした。まるで連続出場記録の更新を餞に引退するプロ野球選手のようです。でも、連続在任日数の記録更新と辞任の関係を質した記者は、誰ひとりいませんでした。みんな、「ご苦労さまでした」というような質問に終始するばかりでした。

このコロナ禍のなかにあっても、考えているのは自分のことだけです。そんな人間の一体どこが愛国者なんだと思います。「大事な時に体を壊す癖がある危機管理能力のない人物」という石垣のりこ参院議員のツイートは正鵠を得ており、「不適切発言」なんかではありません。第二次安倍政権が誕生した際、安倍首相は「危機突破内閣が誕生しました!」と得意満面に宣言したのですが、まさに危機の真っ只中で、突破どころかまたしても政権を投げ出したのです。コロナ禍で、失業したり倒産したりして苦境に陥っている人たちを尻目に、「ボクちゃん、お腹が痛いから辞めるよ、バイバ〜イ」というのが今回の辞任の真相でしょう。

念の為に、もう一度くり返しますが、安倍首相は「病気と闘いながら仕事をしている」一般のサラリーマンとは違うのです。内閣総理大臣という公人!なのです。しかも、在任中に突然、病気になったわけでもないのです。最初に政権を投げ出したとき(投げ出さざるを得なかったとき)、ホントに公人!としての責任を感じていたなら、同じことをくり返さないでしょう。

安倍首相は、会見で、拉致問題を解決できなかったのが断腸の思いだと言ってましたが、たしかに彼が権力の階段を駆け上ったのも“拉致の安倍”のイメージがあったからでしょう。でも、ホントに解決しようという気持があったのかはなはだ疑問です。彼のヘイトな極右思想と旧植民地である北朝鮮とのデリケートな交渉が相容れないことは、最初からわかっていたはずです。せいぜいが、兵糧攻めにすれば北朝鮮が根を上げて拉致被害者を差し出して来るという、オウム真理教まがいの荒唐無稽な奪還論を主張するのが関の山でした。しかも、拉致被害者の家族もネトウヨと一緒になって、そんな荒唐無稽な奪還論を共有していたのですから、何をか況やです。いいように利用され、騙されたという認識もなく、「安倍さんが辞めるのは残念」「これで拉致問題の解決が遠のく」などと言っている家族たちを見ると、ますます現実から遊離し、カルト化して、孤立の道を歩んでいるようにしか思えません。

辞任しても、解決の道筋をつけていたのなら、それを引き継げばいいだけの話です。ても、そんなものはどこにもないのです。

7年8ヶ月に及ぶ“安倍時代”がもたらしたのは、ヘイトの蔓延と格差の拡大と政治の私物化です。私は、安倍首相については、国会で総理大臣の席から口をすぼめてヤジを飛ばしている、バカ丸出しの姿しか思い出しませんが、そんな姿が不毛な“安倍時代”を象徴しているように思えてなりません。

安倍首相は、内閣総理大臣というまぎれもない公人!なのです。だからこそ、ときには水に落ちた犬を叩くような総括も必要なのです。でないと、小泉政権以後ずっとつづいている、(またぞろ愚劣な復縁劇を演じている連合子飼いの野党も含めた)この世も末のような衆愚政治を終わらせることはできないでしょう。
2020.08.29 Sat l 社会・メディア l top ▲