publicdomainq-0051435ykpojx.png

(public domain)


■10年以上通うスーパー


私がもう10年以上通っているスーパーがあります。ほぼ2日に1度のペースで通っていますが、コロナがはじまる前まではずっと変わらない日常の風景が続いていました。

開店間際に行くことが多かったのですが、店に入ると、第二の人生でアルバイトをしているとおぼしき高齢の人たちが品出しをしていました。開店してもまだ追いつかないらしく、それぞれの持ち場で台車で運ばれた箱の中から商品を出してそれを棚に並べていました。

ところが、2020年の春先、新型コロナウイルスの感染が拡大を始めると、彼らはいっせいに姿を消したのでした。みんな、感染を怖れて辞めたのだと思います。

実際にスーパーのレジ係の人たちがコロナ禍で過酷な状況に置かれていたのは事実で、店のサイトでは日々感染者が発生したことが発表されていました。

朝の品出しがいなくなったことで、開店しても、東日本大震災のときの買いだめのあとみたいに、商品棚はガラガラの状態が続きました。

レジはビニールで覆われ、レジ係の女性たちはゴム手袋をして仕事をするようになりましたが、感染は続いていました。中には結構高齢の女性もいましたが、(失礼にも)事情があって辞めたくても辞められないのかなと思ったりしました。

ところが、しばらくして、セルフレジが導入されることになったのです。そのため、1週間休業して改装が行われました。

改装後、店に行くと、数人いた高齢のレジ係の女性がいなくなったのでした。長い間通っていると、誰が社員で誰がパートかというのが大体わかるようになりますが、残ったのは若い社員ばかりです。彼女たちは、セルフレジの端でパソコンを睨みながら、不正がないか?監視するのが仕事になりました。そして、余った社員が一部に残った有人レジを交代で担当するようになったのでした。

■コロナ禍と合理化


私自身も、いつの間にかキャッシュレス生活になりました。考えてみたら、先月、銀行で現金をおろしたのは一度で、それも5千円だけでした。数年前には考えられないことです。

食事をするために店に入ろうとしても、オダギリジョーと藤岡弘が出るテレビのCMではないですが、現金払いしかできない感じだと敬遠するようになりました。そもそも財布に現金が入ってないのです。

私が行く病院はキャッシュレス決済ができないので、病院の前にある銀行のATMでお金をおろして行かなければならないのですが、会計の際、請求どおりの小銭がなくてお釣りを貰うはめになると困ったなと思うのでした。小銭を使う機会がないからです。

たまった小銭を使おう(処分しよう)と思って、スーパーのセルフレジで小銭を投入して精算しはじめたものの、要領が悪くて時間がかかっていたら、店員がやって来て「大丈夫ですか?」と言われたことがありました。

このように、コロナ禍によって私たちの社会はかつてない規模で合理化が行われ、風景が一変したのでした。キャッシュレスの便利さも、資本の回転率を上げるための合理化のひとつなのです。契約を切られたり、パートだと時間を削られたり、仕事を辞めても次の職探しに苦労したりと、便利さと引き換えに、自分の人生が血も涙もない経済合理主義に晒されることになったのです。

人出不足と言われていますが、それは若くて賃金の安い労働力が不足しているという話にすぎません。中高年が仕事を探すのは、たとえアルバイトであっても至難の業です。仮に仕事にありついても、足元を見られて学生のアルバイト以下の安い時給しか貰えません。

ハローワークに行くと、シニア向けの求職セミナーみたいなものがあるそうで、そこでは、プライドを捨ててどんな仕事でもしなさい、仕事があるだけありがたく思いなさい、それが現実なんですよ、と得々と説教されるのだと知人が言っていました。

■資本主義の本性


格差も広がる一方です。コロナ禍とウクライナ戦争による物価高でさらに格差が広がった感じです。「過去最高の賃上げ」も、見方を変えれば格差拡大の要因になっています。

最近「全世代型社会保障改革」という言葉を耳にするようになりましたが、それが、岸田政権の目玉である異次元の少子化対策の財源をどうするかという、これからはじまる議論の叩き台です。しかし、最初から結論(方針)は決まっているのです。ターゲットになるのは高齢者の社会保障費です。既に高齢者の医療費の自己負担が増えており、方針が先取りされているのでした。高齢者においては、受益者負担の原則と称して、10万円にも満たない年金の中から月に1万数千円の介護保険料が天引きされるような現実があることを現役世代は知らすぎるのです。

パンデミックとウクライナ戦争をきっかけに、世界地図が大きく塗り替えられるのは間違いなく、当然私たちの生活も変わっていかざるを得ないでしょう。今のかつてないほどの異常な物価高はその前兆だと言えます。

多極化により、政治だけでなく経済の重心が新興国に移っていくことによって、今までドル本位性で守られてきた先進国は、アメリカの凋落とともに先進国の座から滑り落ちていくのです。貧しくなることはあっても、もう豊かになることはないでしょう。既に1千万人の人々が年収156万円の生活保護の基準以下で生活している現実がありますが、そういう人たちはもっと増えていくでしょう。若いときはそれなりに生活できても、年を取れば若いときには想像もできなかったような過酷な日々を送らなければならないのです。今はいつまでも今ではないのです。

新型コロナウイルスを奇貨に、資本主義がその非情で横暴な本性をむき出しにしていると言っても過言ではないのです。

■明日の自分の姿


若いときの貧乏はまだしも苦労で済まされることができますが、老後の貧困は悲惨以外のなにものでもありません。

私は、以前、都心のある街の表通りから狭い路地を入ったところにあるアパートで、訪問介護を受けて生活している一人暮らしの老人を訪ねたことがありました。「立小便禁止」などと書かれた路地を入っていくと、その突き当りに、数軒のアパートが身を寄せ合うように建っている一角がありました。それらは、私たちが学生時代に住んでいたような木造の下駄履きアパートでした。

最初、ホントにここに人が住んでいるのかと思ったほどで、靴を脱いで階段を上がると、薄暗い廊下にドアが並んでいましたが、どこにも部屋番号が書いてないのです。それで目の前のドアをノックしてみました。すると、中から「はい」という返事があり、老人が出て来ました。訪問予定の人の名前を告げると、「ああ、〇〇さんは隣のアパートですよ」と言われました。

でも、隣のアパートも人気ひとけがなく、人が住んでいるようには思えない感じでした。「あそこは人が住んでいるのですか?」と訊きました。すると、「ええ、住んでいますよ。二階に上がってすぐの部屋です」「最近見てないけど、一人では歩けないので部屋にいるはずですよ」と言われました。

教えられた部屋に行くと、部屋の前に車椅子が置いてありました。あの狭い階段をどうやって下ろすんだろうと思いました。ドアをノックすると中から返事があり、言われたとおりドアノブをまわすとドアが開きました。どうやら鍵をかけてないようです。中に入ると、裸電球の灯りの下、頬がこけ寝巻の間からあばら骨が覗いた老人がベットに横たわっていました。部屋は足の踏み場もないほど散らかっており、飯台の上には書類らしきものに混ざって薬や小銭が散乱していました。こんなところに通って来るヘルパーの人たちも大変だなと思いました。一方で、目の前の老人の姿に、すごく身につまされるような気持になりました。

後日、福祉の担当者にその話をすると、「可哀そうだけど、都内には入る施設がないんですよ」と言っていました。担当者の話を聞きながら、もしかしたらそれは、明日の自分の姿かもしれないと思ったのでした。

それから半年も経たないうちに老人が亡くなったことを知りました。さらに数年後、再開発でアパートは壊され、跡地にマンションが建てられたそうです。老人が数十年暮らした記憶の積層は、跡形もなく消し去られたのでした。


関連記事:
殺伐とした世の中
2023.03.31 Fri l 社会・メディア l top ▲
中国国旗


次のようなニュースが飛び込んで来ました。

Yahoo!ニュース
テレ朝NEWS
「彼と会う準備ができている」ゼレンスキー大統領 習近平氏のウクライナ訪問要請

ゼレンスキーの真意がどこにあるのか、今ひとつはかりかねますが、仮に中国主導で和平が実現すれば、世界がひっくり返るでしょう。もちろん、今まで軍事支援をしてきた欧米の反発は必至でしょうから、そう簡単な話でないことは言うまでもありません。

■軍事支援によるNATO軍の参戦


ドイツのキール世界経済研究所によれば、侵攻後、欧米各国が表明したウクライナへの支援額は、2月の段階で約622億ユーロ(約8兆9200億円)に上るそうです(産経新聞より)。ウクライナ戦争が「西側兵器の実験場」になっている(CNN)という声もあるようですが、軍事支援は当初の砲弾や携行型対空ミサイルから、最近は戦車や戦闘機を供与するまでエスレートしているのでした。戦車や戦闘機の供与は、実戦向けにウクライナ兵を訓練しなければならないため、実質的にNATO軍の参戦を意味すると言われています。ポーランドなどNATOの加盟国で訓練するそうですが、中には軍事顧問として前線で指導する兵士も出て来るでしょう。というか、既に多くのNATO軍兵士がドローンの操縦などで参戦しており、それは公然の秘密だと言われているのです。

イギリスが劣化ウラン弾の供与を発表したことに対抗して、ロシアがベラルーシに戦術核兵器を配備すると発表するなど、まるでロシアンルーレットのような戦争ゲームが行われています。

それはウクライナだけではありません。北朝鮮が米韓軍事演習に対抗して巡行ミサイルを日本海に発射すれば、さらに米韓が北朝鮮上陸を想定した演習を行なったり、台湾では野党・国民党の馬英九前総統が中国を訪問すれば、与党・民進党の蔡英文総統が中米歴訪に出発するなど、世界は対立と分断が進み、きな臭くなるばかりです。

■民衆蜂起の時代


誰でもいいから、、、、、、、この状況を止めなければならないのです。頭から水をかける第三者が必要なのです。仮に中国が和平の仲介に成功すれば、今の状況が一変するでしょう。「中国の思う壺」であろうが何だろうが、それは二義的な問題です。

日本のメディアや識者が戦時の言葉でウクライナ戦争を語るのを見るにつけ、彼らに戦争反対を求めるのはどだい無理な相談だということがよくわかります。中国の仲介に一縷の望みを託すというのはたしかに異常ですが、今の状況はそれくらい異常だということなのです。

一方で、笠井潔が21世紀は民衆蜂起の時代だと言ったように、世界各地で民衆の叛乱がはじまっています。フランスの年金改革に反対するゼネストでも、赤旗に交じってチェ・ゲバラの旗を掲げてデモしている映像がありましたが、背景に物価高を招いたウクライナ戦争の対応に対する反発があるのはあきらかです。欧州において、左派だけでなく極右が伸長しているのも同じです。右か左かなんて関係ないのです。

先週、ベルギーのブリュッセルで開かれたG7とNATOとEUの首脳会議に対しても、反NATOの大規模な抗議デモが起こったと報じられました。しかし、反戦を訴える人々の声は、ウクライナを支援する各国政府に封殺されているのが現状です。

そんな中で、ウクライナ和平において、中国がその存在感を示すことにできれば、間違いなく世界史の書き換えが行われるでしょう。

既に中南米は大半の国に反米の左派政権が誕生していますが、多極化に合わせて、世界の主軸が欧米からBRICsを中心とした新興国へと移っていくのは間違いありません。富を独占する欧米に対して、ドルとは別の経済圏を広げている新興国が、俺たちにも寄越せと言いはじめているのです。欧米式の資本主義や民主主義の矛盾が噴出して、地殻変動が起きているのです。もしかしたら、ウクライナ戦争がそのターニングポイントだったと、のちの歴史の教科書に記されるかもしれないのです。
2023.03.29 Wed l 社会・メディア l top ▲
2035年の世界地図


■「非平等主義的潜在意識」


前の記事の続きになりますが、「失われる民主主義 破壊する資本主義」という副題が付いた、朝日新書の『2035年の世界地図』(朝日新聞出版)の中で、フランスの歴史学者のエマニュエル・トッドは、今の社会で起きているのは、「一種の超個人主義の出現と社会の細分化」だと言っていました。

識字率の向上と「教育の階層化」による「非平等主義的潜在意識」によって、共同体の感覚が破壊され、社会の分断が進むと言うのです。

 かつてほとんどが読み書きできるが他のことは知らない。ごく少数のエリート層を除けば人々は平等でした。
 しかし今では、おそらく国にもよりますが、おそらく30%の人びとが何らかの高等教育を受けています。これに対して、20~30%の人々は基本的な読み書きができる程度、つまり、初等教育のレベルで止まっています。
 この教育の階層化は、不平等の感覚を伴います。社会構造の最上部と底辺では、人びとは同じではない、という感覚です。
(『2035年の世界地図』・エマニュエル・トッド「まもなく民主主義が寿命を迎える」)
※以下引用同じ


これが「非平等主義的潜在意識」だと言うのでした。

■日の丸半導体


米中対立によって、中国に依存したサプライチェーンから脱却するために、国際分業のシステムを見直す動きがありますが、ホントにそんなことができるのか疑問です。

日本でも「日の丸半導体」の復活をめざして、トヨタ・ソニー・NTTなど国内企業8社が出資した新会社が作られ、北海道千歳市での新工場建設が発表されましたが、軌道に乗せるためには課題も山積していると言われています。

2027年までに2ナノメートルの最先端の半導体の生産開始を目指しているそうですが、半導体生産から撤退して既に10年が経っているため、今の日本には技術者がほとんどいないと言うのです。

さらに、順調に稼働するためには、5兆円という途方もない資金が必要になり、政府からの700億円の補助金を合わせても、そんな資金がホントに用意できるのかという疑問もあるそうです。

また、工場を維持するためには、台湾などを向こうにまわして、世界的な半導体企業と受託生産の契約を取らなければならないのですが、今からそんなことが可能なのかという懸念もあるそうです。

■グローバル化がもたらした現実


エマニュエル・トッドは、「グローバル化がもらたした現実」について、次のように指摘していました。

(略)世界の労働者階級の多くは中国にいます。今、世界の労働者階級のおそらく25%は中国にいます。ブローバル化の中で国際分業が進み、世界の生産を担っているのは、中国の人々なのです。
 もう一つの大きな部分はインドなどです。欧米や日本といった先進国の経済は、工業(に伴う生産活動)から脱却し、サービスや研究などに従事しています。この構造から抜け出せないでしょう。先進国の国民は労働者として生産の現場に戻れるでしょうか。
(略)
 私たちは、「それはできますか?」と問われています。「サービス産業社会から工業社会に戻ることはできますか?」と。
 第三次産業にふさわしい教育を受けた労働者を製造現場の労働者階級に変えることはできますか? 我々には分かりません。いや残念ながら知っています。これが不可能であることを。


つまり、時間を元に戻すことはできないということです。私たち個人のレベルで言えば、現代は「超個人主義の出現」と「社会の細分化」の時代であり、それは歴史の流れだということです。

■国民国家の溶解


少子化も巷間言われているようなことが要因ではなく、言うなれば歴史の必然なのです。第三次産業社会や「超個人主義」や国民国家の溶解は、「グローバル化がもたらした現実」なのです。少子化もそのひとつです。パンデミックやウクライナ戦争によって、たしかに国家が大きくせり出すようになり、国際会議に出席する各国の首脳たちも、スーツの襟にみずからの国の国旗のバッチを付けるような光景が多くなりましたが、それはマルクスの言う「二度目の喜劇」にすぎないのです。

劣化ウラン弾や戦闘機まで提供するという欧米の軍事支援に対抗して、ロシアがベラルーシに戦術核を配備することに合意したというニュースがありましたが、バイデン政権はまるでロシアが核を使用するまで追い込んでいこうとしているかのようです。

何度も言いますが、どっちが正しいかとかどっちが勝つかという話ではないのです。核戦争を阻止するためにも、恩讐を越えて和平の道を探るべきなのです(探らなければならないのです)。岸田首相の「必勝しゃもじ」のお土産は、アホの極みとしか言いようがありません。いくらバイデンのイエスマンでも、ここまで来ると神経を疑いたくなります。

それは、“台湾危機”も同じです。今のようにサプライチェーンから中国を排除する動きが進めば、中国はホントに半導体の一大生産地である台湾に侵攻するでしょう。バイデン政権は、ここでも中国を追い込もうとしているように思えてなりません。誰が戦争を欲しているのかを考える必要があるのです。

中国に関して、エマニュエル・トッドは、次のように言っていました。

(略)中国の文化と革命の伝統として、平等主義の要素があります。もう一方で、高等教育を受けた人々が増えています。中産階級と呼ばれる層です。この階層の比率が共産主義崩壊直前のソ連と同じ水準に達しようとしているのです。


ゼロコロナ政策に抗議する学生たちの白紙運動を思い浮かべると、中国も国民国家の溶解とは無縁ではないことがわかります。中国もまた、2050年頃から少子高齢化に転じると予測されているのです。

工業社会に戻ることができないように、伝統的な家族像を基礎単位とした社会に戻すことなどできないのです。社会のあり様が変われば、人々の生き方や人生のあり様が変わるのは当然です。エマニュエル・トッドが言うように、グローバル化はもはや避けられないのです。そして、国民国家の溶解が進めば、資本主義や民主主義が変容を迫られるのも当然です。もとより、今の資本主義や民主主義も、パンデミックやウクライナ戦争によって、とっくに有効期限が切れていたことがあきらかになったのでした。

■これからの社会


一方で、どんな新しい時代が訪れるのかはまだ不透明です。『2035年の世界地図』もタイトルが示すとおり、この「全世界を襲った地殻変動」のあとにどんな未来があるのかを論じた本ですが、エマニュエル・トッド以外は、「新しい啓蒙」(マルクス・ガブリエル)とか「命の経済」(ジャック・アタリ)とか「資本主義を信じる」(ブランコ・ミラノビッチ)とか、まるでお題目を唱えるような観念的な(希望的観測の)言葉を並べるだけで愕然としました。国家主義や全体主義という「二度目の喜劇」の先を描く言葉を彼らは持ってないのです。

エマニュエル・トッドは、ヨーロッパで伸長している極右政党について、彼らは労働者階級や低学歴者を代表(代弁)しているのであり、「強い排外的傾向を持っているからと言って、民主主義の担い手として失格にできません」と言っていましたが、これからの社会を考える上ではそういった視点が大事ではないかと思いました。右か左かではなく上か下かなのです。
2023.03.26 Sun l 社会・メディア l top ▲
23592493.jpg
(イラストAC)


ガーシーは”三度目の炎上”の只中にある、と書いていた記事がありました。SNSの世界は、タイムラインのような時間軸の中にあるので、人々の関心も次々と移っていきます。そのため、炎上させてしばしの間、関心を繋ぎ止めておくしかないのです。

”三度目の炎上”とは、言うまでもなく除名から逮捕状発付に至る今の局面を指しているのでしょう。

そこでさっそく、ガーシー大好きな八っつぁん&熊さんのかけあいがはじまりました。

■チキンな性格


 何でもガーシーって国会での謝罪を行なうつもりで極秘に帰国しようとしたんだってな?
 謝罪予定日の前日の3月13日、韓国まで戻っていて、トランジットで深夜1時頃にLCCで羽田空港に到着する予定だったというあれだろ。でも、航空会社がメディアに情報を洩らしたので引き返したという‥‥。
 そう。やっぱり国会議員をやめたくなかったのかな。
 「だって詐欺師だよ‥‥」(笑) どこまでホントかわからないよ。
 たしかにその前はトルコからチャーター機で帰るとか言ってたな。そのときも「やめた」と言っていたけど、何のことはない韓国まで戻っていた。今思えば、あのトルコ訪問は何だったんだ?と言いたくなるよな。
 ただ、これだけは言えるのは、ガーシーはチキンな性格だよ。そう考えれば、このような顛末も氷解できる。ドバイに行ったときだって、BTS詐欺(正確には「詐欺疑惑」)が発覚したあと、スマホに警察署からの着歴が入っていることに気付いて、それで怖気づいてドバイ行きを決断したんだよ。警察に行って事情を話せば、仮に立件されても初犯なので執行猶予が付く可能性は高い。へたすれば、起訴猶予もあり得る。相談した弁護士からもそう言われたみたいだけど、「逮捕されたら借金の返済がでけへん」という理由で飛ぶことを決断した。
 何と律義なお方。
 それだけヤバいところから借金していたんだろうな。結局、現実に向き合う覚悟ができずにドバイに飛んでさらに墓穴を掘ってしまった。
 何だか世の人々にとっても人生訓になるような話だな(笑)。
 秋田新太郎氏からの誘いに乗って、妹などから40万円だかを借りてドバイに行く。でも、ドバイの国際空港に着いたときは、飛行機代を払ったので手元には数万円しか残ってない。それで、タクシーを使わずに砂漠の中の道を2時間歩いて秋田氏のマンションを訪ねるんだ。
 せつない話だな。
 とりあえず、秋田氏の婚約者(?)が経営するレストランでアルバイトをすることになった。秋田氏はドバイでも有数な高級マンションに住んでいたけど、ガーシーはレストランの社員寮の部屋を与えられた。それも、モロッコ人スタッフと同室の埃だらけの部屋だった。
 そのあと秋田氏から説得されて暴露チャンネルをはじめたのか。
 さすがのガーシーも、最初は乗り気ではなかったと書いているな。でも、秋田氏から「金を返すにはどうする?」と詰問され、意を決して「東谷義和のガーシーch【芸能界の裏側】」を開設することになったというわけだ。
 そうまでしてお金を返済しなければならないと考えるのは、相当きつい追い込みをかけられていたんだろうな。
 裏カジノで借金を作って進退窮まり、雪山で自殺しようと思って山に行ったら、雪がなくて死ねなかったというトンマな話がある。眉唾な話だけど、ガーシーの性格を物語る話だと言えないこともない。チキンな性格によってみずから墓穴を掘り、どんどん深みにはまっていくんだよ。

■「ガーシー一味」


 あの「ガーシー一味」は何なんだ?
 言い方は悪いけど、たかり、、、みたいなもんだろ。ガーシーチャンネルがバズったので、甘い蜜を吸うために集まっただけじゃないのか。
 たしかに、あれだけの人脈があったのに、どうして孤立無援の状態に置かれ、妹からお金を借りてドバイに飛ぶことになったのか?と誰でも思うよな。
 テレビドラマのように一網打尽とはいかないだろうけど、国家は恣意的なものなので、逃亡を支援したとしてシッペ返しを食らう可能性はあるだろうな。逃亡が長引けば長引くほど、彼らに対する圧力は強まるだろうから、そのうち「お願いだから早く帰って来てくれ」と懇願するようになるんじゃないか。
 彼らを見ていると、表の仕事は別にして、暗号資産などの裏のビジネスで繋がっているような気がしてならないな。
 「集英社オンライン」も少し触れていたけど、福一の原発事故のあと、”脱原発政策”で再生可能エネルギーが脚光を浴び、腹に一物の連中が太陽光ビジネスに群がった。そして、そのあと、ブロックチェーンを使った暗号資産のブームが起きると、それにも手を伸ばした。今、反社や半グレがらみで摘発されている事件も、そのパターンが多い。ガーシーに直接関係ないけど、三浦瑠璃の旦那の事件も同じだ。

■身から出た錆


 ガーシーは自分で言うようにこのまま一生日本に帰らないつもりなのかな。
 「だって詐欺師だよ‥‥」(笑)
 そんなことないか?
 51歳で薬が手放せない糖尿病持ちだよ。あのドス黒い顔色を見ると、既に腎臓病の合併症を併発しているような気がしないでもない。だとすれば、そのうち人工透析も必要になる。それでなくてもチキンな性格なんだから身が持たないよ。
 逃亡生活はきついだろうし‥‥。
 ガーシーの攻撃は相手の家族までターゲットにした容赦ないもので、ガーシー自身も、アキレス腱を攻めるのが俺のやり方だと嘯いていたけど、今度はその言葉がそっくりそのまま自分に返って来ることになる。「ガーシー本」を読むと、高校教師だった父親はギャンブルに狂って借金を作り自殺したそうだ。それもあって77歳の母親や48歳の妹は、今のガーシーを心配しているという。まして、逮捕状が出て国際指名手配されたらよけい気に病むだろう。でも、世間は情け容赦ないので、今度はガーシーのアキレス腱である母親や妹がターゲットになる。正月には母親をドバイに呼んで一緒に新年を祝ったみたいだけど、家族の泣きごとにいつまで耐えられるかな。
 あとは帰国した場合の命の保証か?(笑)
 芸能界がヒットマンを放っているというのは法螺で、ホントは何度も言うように借金がらみのトラブルを怖れているんだと思う。もうひとつは、ガーシーを帰したくない、帰ったら困る人間たちの存在もあるんじゃないか。それは日本にもいるしドバイにもいるはず。
 ドバイに行っていろんなしがらみが出来たからな。
 でも、それでも帰ると思うよ。チキンな詐欺師の結論はそれ一択だよ。ホリエモンと立花(前党首)は、ガーシーはカルロス・ゴーンのように逃げ切れると言っていたけど、カルロス・ゴーンとは事情がまったく異なる。彼らは、逃げ切ってほしいという”希望的観測”で言っているにすぎない。「ガーシー本」の著者の伊藤喜之氏は、UAEにはタイのタクシン元首相など各国から政治亡命者が集まっているので、ガーシーもUAE政府から政治亡命として保護される可能性があると言っていたけど、ガーシーが政治亡命と見做されるとはとても思えない。ゴールデンビザを持っているから大丈夫だという話も同じだけど、UAEは梁山泊じゃないよ。国家や政治が、時と場合によって冷酷で非情なものに豹変する、ということがまるでわかってないお花畑の論理にすぎない。
 そのうち、出頭するので迎えに来てください、と警察に連絡が入るんじゃないか。
 もちろん、軟禁や〇〇もないとは言えないけど、SNSで啖呵を切ったように、ホントに自分の意志で逃亡者の道を選んだのなら、少しはガーシーを見直すよ。
 もともとは横浜の裏カジノにはまって借金を作り、首が回らなくなったという、身から出た錆の話にすぎないのに、どうしてこんなおおごとになってしまったんだと言いたくなるよな。
 ドバイの連中は、ガーシーは不当に「弾圧されている」と言っているけど、元はと言えば、ガーシーが自分が起こしたチンケな詐欺まがいの事件に必要以上に怯えてドバイに飛んで、みずから傷口を広げただけ。演出されていたとは言え、自分の借金を返すために、旧知の芸能人やタレコミがあった一般人をネットで晒して、あのようなヤクザ口調で追い込んでいながら、それで「弾圧されている」はないだろう。ネットとは別に、裏でも脅迫していたという話もあるみたいだし。
 当然そうだろうな。表の暴力はデモンストレーションで、裏でその暴力をチラつかせてビジネスを行う。それが「やから」のやり方だよ。
 ガーシーを「反権力」みたいに言っていた「元赤軍派」は、アメリカにいた頃、ブラック ・パンサー党の準党員だったそうで、現在アメリカで大きな潮流になっているブラック・ライブズ・マター(BLM)運動について、国内でも乞われて発言していたみたいだ。ガーシーにアメリカの黒人を重ねて、「嘘の正義より真実の悪」とか「悪党にしか裁けない悪」といったマンガから借用したフレーズを真に受けたのかもしれないけど、語るに落ちたとはこのことだよ。
2023.03.19 Sun l 社会・メディア l top ▲
publicdomainq-0000311dxdzwv.jpg
(public domain)


■三島憲一氏の批判


成田悠輔の“高齢者集団自決のすすめ”は、日本より海外のメディに大きく取り上げられ批判に晒されているようですが、彼の暴論について、朝日新聞デジタルの「WEBRONZA」で、ニーチェ研究で知られる三島憲一・大阪大学名誉教授が次のように書いていました。

尚、「WEBRONZA」は7月いっぱいで終了し、既に課金サービスも終わっているため、三島氏の論稿も無料の導入部しか読めません。以下もその部分からの引用です。

論座
成田悠輔氏の「高齢者集団自決」論は、“新貴族”による経済絶対主義

三島氏は、「民主主義社会では、規範や信頼などを無視した少数の優秀な人々が、大衆の人気を博しながら大金を儲け、権力にありついて、好き勝手なことをするようになるだろう」というニーチェが予言した「冷笑主義(シニシズム)」の観点から、成田の暴論を論じていました。

ニーチェの「冷笑主義」は、社会理論の言葉で言えば「再封建化 refeudalization」で、それは「新自由主義が生み出した現象」だと言います。

 下々への統制手段はかつては政治権力と宗教だったが、今では、新たなアルゴリズム=カルトが、いわゆるパンピーに君臨する。庶民はかつて貴族の園遊会と恋の戯れを垣根越しに眺めていたが、今では高級店に出入りするセレブの恋愛沙汰をメディアで覗かせていただく(専門用語でいう「顕示的公共圏」)。庶民はかつてラテン語が読めなかったが、今ではネット用語がわからない。新貴族は法に触れてもいわば上級国民として、法の適用も斟酌してもらえることが多い。あるいは辣腕の弁護士を駆使して軽傷で切り抜けて、高笑い。
 彼らの駆使する独特の論理は、「言い負かす」と「なるほどとわかってもらう」という古代ギリシア以来の区別を解消している。原発の必要性を論じて懐疑的な人々を言い負かしても、本当の理解は得られないことが重要なのだが。彼らは、テレビ画面でその場の思いつきで相手を言い負かせばいいのだ。


■システム理論と炎上商法


私は、子どもの頃からお勉強だけをしていて、まったく世間を知らない頭でっかちの屁理屈小僧の妄言のようにしか思っていませんでしたが、ただ、屁理屈小僧の妄言も、たしかに時代の風潮と無関係とは言えないでしょう。もちろん、自分たちも時が経てば集団自決をすすめられる高齢者になることは避けられないわけで、それを考えれば、これほどアホらしい(子どもじみた)妄言はないのです。

こういった(文字通りの)上から目線=エリート主義は、今流行はやりのシステム理論の必然のように思いますし、東浩紀などの発言にも、もともと同じような視線は存在していました。彼が三浦瑠麗と「友人」であるというのは、不思議なことでもなんでもないのです。

 既成の構造をぶち壊す議論といっても、そうした多くの「論客」たちも実は、ブランドという名の既成の権威を広告塔に使っているようだ。超一流大学卒業の「国際政治学者」、あるいはこれまでの西洋崇拝に便乗して名乗る東海岸の有名私立大学「助教授」、だいぶ前からあちこちの大学で売り出している「総合政策」「デジタル・プランニング」「ソリューション」「フェロー」などなど、よくわからないものも含めてネットの画面に割り込んでくる広告みたいなキャッチー・タイトルだ。その多くは彼らがおちょくる既成のランキングのなかで培われてきたものを、彼ら独特のやり方で、例えば大学名の入ったTシャツで目立たせる。
(同上)


もうひとつ、炎上商法という側面から見ることもできるように思います。たまたまガーシー界隈の怪しげな人物のツイッターを見ていたら、ツイッターは流れが速すぎて付いていけないと嘆いていて、思わず笑ってしまいましたが、タイムラインで話題が次々変わっていくのも、今のSNSの時代の特徴です。だからこそ、過激なことを言って人々の目を食い止める必要があるのではないか。

成田悠輔にしても、所詮はSNSの時代の申し子にすぎず、アクセス数や「いいね」の数で自分が評価されているような感覚(錯覚)から自由ではないのです。エリートと言っても、所詮はその程度なのです。

■お里の知れたエリート主義


一部の報道によれば、三浦瑠麗にはコロナ給付金の詐欺疑惑まで出ているようですが、六本木ヒルズに住むなど嫌味なほどセレブ感満載で、東大を出た「国際政治学者」とお高くとまっていても、やっていることは夜の街で遊び歩いているアンチャンたちと変わらないのです。もっとも、日本のセレブは漢字で書くと「成金セレブ」になるのです。コメンテーターも「電波芸者コメンテーター」にすぎないのです。そもそも成田悠輔の“高齢者集団自決のすすめ”にしても、5ちゃんねるあたりで言われていることの焼き直しにすぎません。

東浩紀にも、都知事選のときに猪瀬直樹を支持して、選挙カーの上で田舎の町会議員と見まごうような応援演説をしたという”黒歴史”がありますが、彼らのエリート主義はお里が知れているのです。況やひろゆきの冷笑主義においてをやで、ひろゆきなどはどう見ても2ちゃんねるそのものでしょう。

でも、問題は彼らを持ち上げたメディアです。コメンテーターとして起用したテレビや彼らにコラムを担当させた週刊誌は、それこそ大塚英志が言った「旧メディアのネット世論への迎合」と言うべきで、そうやってみずから墓穴を掘っているのです。自分たちがコケにされているという自覚さえないのかと思ってしまいます。貧すれば鈍するとはこのことでしょう。
2023.03.11 Sat l 社会・メディア l top ▲
APC0306.jpg
(イラストAC)


ガーシーのことが気になって仕方ない友人との会話。

■警察とのかけ引き


友人 日本に帰ると言ったり、帰るかわからないと言ったり、煮え切らないおっさんだな。50歳なんだろう。子どもと一緒じゃないか。
 警察との心理戦、かけ引きなんだろう。
友人 かけ引き?
 最新のアクセスジャーナルの動画では、FC2(このブログの管理会社)の高橋理洋元社長から依頼されたドワンゴに対する中傷で、警察が動いていると言っていたな。
友人 それで帰りづらくなっていると?
 それだけでなく、ガーシーが楽天の三木谷社長のスキャンダルを取り上げたのも、NHK党の立花党首がやらせたんだという話もしていた。ガーシーの「死なばもろとも」の暴露動画も、周辺にいいように利用され、話がどんどん広がっている感じだな。
友人 ガーシーの関係先を家宅捜索したのは「常習的脅迫」という容疑だったけど、「常習的脅迫」というのは暴力団を取り締まるための”罪名”らしいな。
 「暴力行為等処罰に関する法律」という、一般の刑法とは別の“特別刑法”の中に規定された容疑だよ。もともとは学生運動などを取り締まるために作られた法律だけど、今は主に暴力団に適用外されている。単なる脅迫ではない。そこがポイントだな。

■反社のネットワーク


友人 国会での陳謝の日(8日)が近づいてきたら、急にトルコに行くとか、やってることがわざとらしいな。
彼ら・・なりに考えた作戦なんだろう。普通に考えれば、帰国しない口実のためにトルコに行ったように思うけど、それも警察や世論に対する揺さぶりなんだと思う。
友人 なんでそこまでするのか? 往生際が悪いとしか思えん。
 伊藤喜之氏の『悪党 潜入300日 ドバイ・ガーシー一味』でもそれらしきことが書かれているみたいだけど、ドバイには日本社会に恨みを持つワルたちが集まっており、その中にガーシーが加わった。お互いの利害が一致して協力関係を築いたと言われている。
友人 なに、それ?
 結構、根は深いんだよ。反社のネットワークみたいなものにかくまわれているとも言える。その意味では「反権力」というのは、必ずしも間違ってない。もっともそれは、脱法的な組織=反社を「反権力」だと見做せばという話だけど。
友人 それだったら「反権力」ではなく、誰かさんが言う「脱権力」じゃないか?(笑)
 ガーシーが再三口にする「身の危険」というのは、表に出ていること以外に何かあるんじゃないかと思わせる。もちろん、個人的な借金問題もあるかもしれない。闇カジノにはまって作った借金なんだから、おのずとその素性はあきらかだろう。でも、それだけではない気がする。
友人 Yahoo!ニュースにあがっているような記事を見ると、単純で簡単な名誉棄損の問題のように見えるけどな。

■大手メディアの腰が引けた姿勢


 ガーシー問題でも、大手メディアのテイタラク、腰が引けた姿勢が目立つ。背景がまったく語られてない。ガーシーではなく、ガーシー、ガーシー一味・・と呼ぶべきなんだよ。だって、警察が家宅捜索した中に、ネットの収益を管理する合同会社・・・・というのがあったけど、あれなんか大きなヒントなのに、大手メディアは知ってか知らずかスルーしている。だから、ネットでいろんな憶測を呼ぶことになり、ガーシー問題が暇つぶしのオモチャになっている(オレたちもそうだけど)。
友人 メディアは警察の発表待ちなんだろうな。
 警察が発表したら、いっせいに報道しはじめるんだろう。いつものことだな。芸能界との関係も、暴露がどうだという問題だけじゃないよ。アクセスジャーナルの山岡氏は、ガーシーのことを「やから」と言っていたけど、そういった「やから」との関係が問題なんだよ。でも、テレビを牛耳る大手プロに忖度して、大手メディアはどこも見ざる言わざる聞かざるを決め込んでいる。
友人 ガーシー問題の本質は「やから」の問題ということか。
 フィリピンの「ルフィ」一味も、彼らが特殊詐欺で稼いだ金額は60億円以上と言われており、警察庁長官もそう発言している。しかし、「ルフィ―」一味に渡ったのは数億円にすぎない。あとはどこに消えたのか?という話だが、今の様子では、残りのお金が誰に渡ったのか、解明されるとはとても思えない。末端の小物ばかり捕まえて点数を稼ぐ”点数稼ぎ”や役所特有の”縦割り意識”など、いろいろ言われているけど、警察も所詮は(小)役人。児童虐待が起きるたびにやり玉にあがる児童相談所と同じで、事なかれ主義の体質を持つ公務員の組織にすぎない。ガーシーの問題も、国会議員のバッチと引き換えに、ウヤムヤに終わる可能性は高いだろうな。世論も、国会議員を辞めろという話に収斂されているし、辞めれば国民の溜飲も下がって幕引きだろう。

■「共感主義」の「暴走」


友人 でも、ガーシーと他の国会議員がどれほど違うのか?という気持もあるな。
 たしかに、ガーシーに投じる一票と、選挙カーの上で陰謀論やヘイトスピーチをふりまく候補者や、壇上で大仰に土下座して投票をお願いする候補者に投じる一票がどう違うのか。ガーシーの後釜は、ホリエモンの秘書兼運転手でNHK党副党首の肩書を持つ人物と決まっているらしいけど、ガーシーと、ひろゆきやホリエモンや成田悠輔や三浦瑠麗や橋下徹や落合陽一や古市憲寿がどう違うのか、というのはあるな。村上裕一氏が『ネトウヨ化する社会』で書いていた「共感主義」の「暴走」という観点から見れば、同工異曲としか思えない。ガーシーが消えても、また次のガーシー=ネット時代のトリックスターが出て来るだろうな。栗城史多が死んだあと、ミニチュアのコピーのような登山ユーチューバーが次々と湧いて出たのと同じだよ。しかも、栗城を批判した登山家たちが、節操もなく人気登山ユーチューバーに群がりヨイショしている。ユーチューバーの信者たちも、栗城を叩きながらミニチュアのコピーは絶賛する。ガーシーを叩いても、ひろゆきやホリエモンや成田悠輔には心酔するんだよ。
友人 ‥‥‥。


関連記事:
ガーシーは帰って来るのか?
続・ガーシー問題と議員の特権
ガーシー問題と議員の特権
2023.03.06 Mon l 社会・メディア l top ▲
DSC02257.jpg
(2023年2月)


■ガーシーは帰って来ない


「どうでもいいことだけど、ガーシーってホントに帰って来るのかな?」と友人が言うので、私は、「帰って来ないよ」と答えました。友人は、「いくらガーシーでもそこまで国会をコケにしないだろう」と言うので、ではということで、食事代を賭けることになりました。

朝日新聞デジタルは、今朝(3月1日)の「ガーシー氏『陳謝』、8日に開催で調整」という記事の中で、次のように書いていました。

朝日新聞デジタル
ガーシー氏「陳謝」、8日に開催で調整

ガーシー氏は参院側に本会議場で陳謝する意向を文書で回答しているが、文書には帰国日などは明記されていない。このため与野党内には、ガーシー氏が実際に登院するのか、処分内容を受け入れるのかなどについては懐疑的な見方が根強い。


朝日新聞と言えば、元ドバイ支局長で昨年退社して現在もドバイに在住し、ガーシーに1年近く密着取材したと言われる伊藤喜之氏が、今月(3月17日)、講談社から『悪党 潜入300日 ドバイ・ガーシー一味』(講談社+α新書)という本を出版するそうです。ガーシー本人も、本の中に「黒幕A」として登場する秋田新太郎氏も、それぞれTwitterで本の宣伝をしていましたが、「目次」を見ると「元大阪府警の動画制作者」「朝日新聞の事なかれ主義」「王族をつなぐ元赤軍派」など、気になる見出しがいくつかありました。納税者であることを忘れてエンターテインメントとして見れば、これほど面白い悪漢ピカレスク小説はないのです。

■「だって詐欺師だよ…」


きわめつけは、昨日(2月28日)の集英社オンラインの記事でしょう。

集英社オンライン
〈帰国・陳謝〉を表明したガーシー議員、それでも側近・友人・知人が揃って「帰国しないだろう」と答える理由とは…「逮捕が待っている」「議員より配信のほうが儲かる」「だって詐欺師だよ…」

タイトルに全て集約されていますが、記事は次のように書いています。

ガーシー氏が帰国するXデーに注目が集まっている。だが、ガーシー氏と親しい複数の“仲間たち”は「それでも彼は帰国しないと思う」と口を揃えている。


また、次のような知人の言葉も紹介していました。

「(略)そもそも冷静に考えてください、彼は詐欺師として告発されて有名になった男ですよ。僕も昔、彼に金を貸したけど全然返金してくれなかった。今回、書面で『帰ります』と言ったからって、信用できますか?」


「議員のセンセイからしたら屈辱的にみえるかもしれませんが、彼からしたらなんてことないでしょう。これまでも借金の返金を延ばすためなら土下座だってしてきたし、ヤバイ人に脅されたりして死線をくぐり抜けてきた。そんな彼が一番恐れているのは逮捕、拘束されること。(略)」


国会で謝罪してもすぐにドバイに戻るという見方もありますが、それでは帰国したことになるので私の負けです。

でも、この記事も突っ込み不足で、「配信のほうが儲かる」という話も、どうしても配信を続けなければならない”裏事情”をそう言っているような気がしてなりません。それは、フィリピンの収容所に入ってもなお、闇バイトで集めた人間たちにスマホで指示して強盗までさせていた「ルフィ」たちと同じように思えてならないのです。

アクセスジャーナルは、ガーシーと「ポンジ・スキーム(投資詐欺の一種)である可能性が決めて高い」会社との関係を「追加情報」として伝えていました。

アクセスジャーナル
<芸能ミニ情報>第112回「ガーシー議員とエクシア合同会社」

案の定、昨日、日本テレビの取材に応じたガーシーは、帰国の意思はあるが「まだ悩んでいる」などと、発言を二転三転させているのでした。

YouTube
日テレNEWS
【ガーシー議員】“陳謝”の帰国は? 帰国の意思はあるが…

「懲役刑とかになったときに、僕からしたら意味不明になってくるんですよ。それを受けるためにわざわざ日本に帰るという選択肢を持っている人は、たぶんいないと思うんですよ」
(略)
「事情聴取されるのは全然いいんですよ。ただ、その先にパスポートを止められたり、『国会終わった後に逮捕しますよ』とかいうことをされてしまうと、俺は何のために日本に帰ったんやってなってくるんで」


ひろゆきも脱帽するような「意味不明」な屁理屈で、アッパレとしか言いようがありません。前は「身の危険があるから」帰らないと言っていましたが、途中から「逮捕されるから」に変わったのです。ただ、ガーシーが怖れているのは、やはり、「逮捕」より「身の危険」のような気がします。

■前代未聞の光景


現職の国会議員が「身の危険があるから」「逮捕されるから」帰国しないと言っているのです。それも、軍事クーデターが起きて、政敵から迫害される怖れがあるとかいう話ではないのです。

村のオキテを破ったので村八分にされるみたいな感じもなきしにしもあらずですが、だからと言って村八分にされる人間に理があるわけではないのです。参議院の採決にれいわ新選組が棄権したのも、大政党が国会を牛耳る”村八分の論理”を受け入れることができなかったからでしょうが、しかし、それは片面しか見てない”敵の敵は味方論”にすぎないように思います。

いづれにしても、「だって詐欺師だよ…」と言われるような国会議員の動向を日本中が固唾を飲んで見守っているのです。まさに”ニッポン低国”(©竹中労)と呼ぶにふさわしい前代未聞の光景と言えるでしょう。


追記:
私が見過ごしていたのか、その後アクセスジャーナルのサイトを見たら、YouTubeチャンネルでガーシー周辺の人脈について結構詳しく語っていたことがわかりました。「帰らないというより帰れないというのが真相だろう」という山岡氏の言葉が、この問題の本質を衝いているように思いました。

YouTube
アクセスジャーナルch
「不当拘束される」を理由に国会登院せず懲罰処分ガーシー議員。不当拘束は表向きでもっと危険な事が……帰国して陳謝できるのか?ついにガーシー踏み込み其の1
2023.03.01 Wed l 社会・メディア l top ▲
世界2023年3月号


ひろゆきというイデオローグ(1)からつづく

■「ひろゆき論」


社会学者の伊藤昌亮氏(成蹊大学教授)は、『世界』(岩波書店)の今月号(2023年3月号)に掲載された「ひろゆき論」で、ひろゆき(西村博之)の著書『ひろゆき流 ずるい問題解決技術』(プレゼント社)から、次のような文章を取り上げていました。

 昨今の若者は「いい大学を出たり、いい企業に入ったりして、働くのが当たり前」だという「成功パターン」から外れると、「もう社会の落伍者になってしまうから死ぬしかない」などと思い込みがちだが、しかしこうした「ダメな人」は「太古からずっといた」のだから、気に病む必要はない。むしろ「ダメをダメとして直視した」うえで、「チャンスをつかむ人」になるべきだと言う(略)。


そして、ひろゆきは、「ダメな人」でも「プログラマー」や「クリエイター」になれば、(会社員にならなくても)一人で稼ぐことができると言うのです。しかし、それは今から17年前の2006年に、梅田望夫氏が『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる』で言っていたこととまったく同じです。何だか一周遅れのトップランナーのように思えなくもありません。

昨年の10月に急逝した津原泰水も、『ヒッキーヒッキーシェイク』(ハヤカワ文庫)で、ITスキルを武器にしたヒッキー=ひきこもりたちの”反乱”を描いていますが、現実はそんな甘いものではありません(『ヒッキーヒッキーシェイク』のオチもそう仄めかされています)。

ネットの時代と言っても、私たちはあくまで課金されるユーザーにすぎないのです。言われるほど簡単に”あっち側”で稼ぐことができるわけではありません。ネットにおいては、金を掘る人間より金を掘る道具を売る人間の方が儲かるという箴言は否定すべくもない真理で、ひろゆきや梅田望夫氏のようなもの言いは、とっくにメッキが剥げていると言っていいでしょう。

フリーと言っても、昔の土木作業員の”一人親方”と同じで、大半は非正規雇用の臨時社員や契約社員で糊口を凌ぐしかないのです。ユーチューバーで一獲千金というのも、単なる幻想でしかありません。

もとより、ひろゆきの「チャンスを掴む」という言い方に、前述した「ずるい」「抜け道」「ラクしてうまくいく」というキーワードを当てはめれば、当然のように「楽してお金を稼ぐ」という考えに行き着かざるを得ません。極論かも知れませんが、それは、闇バイトで応募する昨今の振り込め詐欺や強盗事件の“軽さ”にも通じる考えです。そういった考えは、ひろゆきだけでなく、ホリエモン(堀江貴文)などにも共通しており、彼らの言説は、新手の“貧困ビジネス”の側面もあるような気がしてなりません。

■「戦後日本型循環モデル」


とは言え、「ダメな」彼らに、日本社会が陥った今の深刻な状況が映し出されていることもまた、事実です。

私は、『サイゾー』(2023年2・3月合併号)の「マル激トーク・オン・デマンド」にゲストで出ていた教育社会学者の本田由紀氏(東京大学大学院教授)の、次のような発言を思い出さざるを得ませんでした。

ちなみに、『サイゾー』の記事は、ネットニュース『ビデオニュース・ドットコム』の中の「マル激トーク・オン・デマンド」を加筆・再構成し改題して掲載したものです。

ビデオニュース・ドットコム
マル激トーク・オン・デマンド(第1136回)
まずは今の日本がどんな国になっているかを知るところから始めよう

本田氏は、1960年代から70年、80年代の高度経済成長期と安定成長期には、「教育」「仕事」「家族」の3つの領域の間に、「戦後日本型循環モデル」が成り立っていたと言います。

本田 (略)「教育」終えたら、高度経済成長期には新卒一括採用という世界に例がないような仕組みで順々に仕事に就くことができていました。「仕事」に就けば長期安定雇用と年功賃金が得られて、「日本型雇用慣行」などと言われていましたが、70、80、90年代はそれなりに経済が成長していたので解雇する必要もなく、企業は順々に賃金を上げることができていた。それに基づいて結婚して子どもを作ることができました。父親は上がっていく賃金を家族の主な支え手である女性たちに持って帰る。「家族」を支える女性たちはそれを消費行動に使い、家庭生活を豊かに便利にするとともに、次世代である子どもに教育の費用と意欲を強力に後ろから注ぎ込む存在でした。こういった関係性がぐるぐると成り立っていたということです。
(『サイゾー』2023年2・3月合併号・「国際比較から見る日本の“やばい”現状とその解」)


それは家族が崩壊する過程でもあったのですが、バブル崩壊でその「戦後日本型循環モデル」さえも成り立たなくなったのだと言います。

本田 (略)「仕事」は父が頑張る。「教育」は子が頑張る。「家庭」は母が頑張るといったように、それぞれの住んでいる世界が違うのです。たまに家に帰っても親密な関係性や会話が成り立ちづらいという状態が、機能としての家族の裏側にありました。
 一見すごく効率的で良いモデルのように見えるかもしれませんが、こういう一方向の循環が自己運動を始めてしまった。例えば「教育」においてはいかにも良い高校や大学、企業に入るかが自己目的化してしまい、学ぶ意味は置き去りに。「仕事」の世界でも、夫は自分が働き続けなければ妻も子どもも飢えるいう状態に置かれ、働く意味などを問うている暇はなくなりました。「家族」は先ほど見たように、父・母・子どもがそれぞれバラバラで、循環構造のひとつの歯車として埋め込まれてしまいました。
 つまり学ぶ意味も、働く意味も、人を愛する意味もすべてが失われたまま循環構造が回っていたのが、60,70,80年代の日本社会の形だったということです。変だなと思いながら、皆これ以上の生き方をイメージできず、この中でどう成功するかに駆り立てられていたというのが、バブル崩壊前の日本の形でした。しかしバブル崩壊によってこの問題含みのモデルさえ成り立たなくなり、今日に至っています。
(同上)


この本田氏の発言は、上記の「『いい大学を出たり、いい企業に入ったりして、働くのが当たり前』だという『成功パターン』から外れると、『もう社会の落伍者になってしまうから死ぬしかない』などと思い込みがちだ」というひろゆきの話とつながっているような気がしてなりません。

「学ぶ意味」も「働く意味」も「人を愛する意味」も持たないまま、「成功パターン」からも外れた人間たちが、「金が全て」という”唯物功利の惨毒”(©竹中労)の身も蓋もない価値観にすがったとしても不思議ではないでしょう。それも、楽して生きたい、楽してお金を稼ぎたいという安直に逃げたものにすぎません。

だからと言って、振り込め詐欺や強盗に走る人間はごく一部で、多くの人間は、親に寄生したり、ブラック企業の非正規の仕事に甘んじながら、負の感情をネットで吐き散らして憂さを晴らすだけです。彼らのITスキルはその程度のものなのです。誰でも、「プログラマー」や「クリエイター」になれるわけではないのです。

■非情な社会


『世界』の同じ号では、岸田政権が打ち出した「異次元の少子化対策」に関連して、「保育の貧困」という特集が組まれていましたが、保育だけでなく、、、、、もっと深刻な貧困の問題があるはずですが、左派リベラルや野党の優先順位でも上にあがって来ることはありません。何故なら、全ては「中間層を底上げする」選挙向けのアピールにすぎないからです。

総務省統計局の「2022年労働力調査」によれば、2021年の非正規雇用者数は2千101万人です。その中で、自分の都合や家計の補助や学費等のためにパートやアルバイトをしている人を除いた、「非正規雇用の仕事しかなかった」という人は210万人です。

また、内閣府の「生活状況に関する調査」によれば、2018年(平成30年)現在、満40歳~満64歳までの人口の1.45%を占める61.3万人がひきこもり状態にあるそうです。しかも、半数以上が7年以上ひきこもっているのだとか。一方、2015年(平成27年)の調査で、満15歳~満39歳の人口の1.57%に当たる54.1万人がひきこもり状態にあるという統計もあります。

厚労省が発表した「生活保護の現状」によれば、2021年(令和3年)8月現在、生活保護受給者は203万800人(164万648世帯)で、全人口に占める割合(保護率)は1.63%です。世帯別では、高齢者世帯が90万8千960世帯、傷病・障害者世帯が40万3千966世帯、母子世帯が7万1千322世帯、その他が24万8千313世帯です。

生活保護の受給資格(おおまかに言えば世帯年収が156万円以下)がありながら、実際に制度を利用している人の割合を示す捕捉率は、日本は先進国の中では著しく低く2割程度だと言われています。と言うことは、(逆算すると)およそ1千万人の人が年収156万円(月収13万円)以下で生活していることになります。

国の経済が衰退するというのは、言うなれば空気が薄くなるということで、空気が薄くなれば、体力のない人たちから倒れていくのは当然です。衰退する経済を反転させる施策も必要ですが、同時に、体力がなく息も絶え絶えの人たちに手を差し伸べるのも政治の大事な役割でしょう。しかし、もはやこの国にはそんな政治は存在しないかのようです。

ひろゆきが成田悠輔と同じような”イタい人間”であるのはたしかですが、イデオローグとしてのひろゆきもまた、政治が十全に機能しない非情な社会が生んだ“鬼っ子”のように思えてなりません。
2023.02.27 Mon l 社会・メディア l top ▲
ひろゆき論


■「ニューヨークタイムズ」の疑問


林香里氏(東京大学大学院教授)は、朝日の論壇時評で、アメリカで陰謀論の巣窟になっている掲示板の4chanを運営するひろゆき(西村博之)が、日本ではコメンテーターとしてメディアに重用され、「セレブ的扱い」を受けていることに「ニューヨークタイムズ」紙が疑問を呈していると書いていました。成田悠輔もそうですが、彼らに対する批判を過剰なコンプラによる逆風みたいな捉え方しかできない日本のメディアの感覚は異常と言ってもいいのです。

朝日新聞デジタル
(論壇時評)ネットと言論 現実世界へと滲みだす混沌 東京大学大学院教授・林香里

林氏が書いているように、ひろゆきは「カリスマ的有名人として男子高校生の間では『総理大臣になってほしい有名人』第1位」ですが、今やその人気は高校生にとどまらないのです。『女性自身』が、セルフアンケートツール・QiQUMOとTwitterで実施した「好きな“ネットご意見番”についてのアンケート」でも、ひろゆきは堂々の一位に選ばれているのです。それもこれもメディアが作った虚像です。

女性自身
好きな「ネットご意見番」ランキング 3位古市憲寿、2位中田敦彦を抑えた1位は?

■独特の優越感


林氏も記事で触れていましたが、社会学者の伊藤昌亮氏(成蹊大学教授)は、『世界』(岩波書店)の今月号(2023年3月号)に掲載された「ひろゆき論」で、今の相対主義が跋扈する世相の中で、ひろゆきとその信者たちが依拠する“価値”の在処を次のように指摘しているのでした。

(略)ひろゆきの振る舞い方は、弱者の見方をして権威に反発することで喝采を得ようとするという点で、多分にポピュリズム的な性格を持つものだ。しかもリベラル派のメディアや知識人など、とりわけ知的権威と見なされている立場に強く反発するという点で、ポピュリズムに特有の、反知性主義的な傾向を持つものであると言えるだろう。
(略)
 しかしその信者には、彼はむしろ知的な人物として捉えられているのではないだろうか。というのも彼の知性主義は、知性に対して反知性をぶつけようとするものではなく、従来の知性に対して新種の知性、すなわちプログラミング思考をぶつけようとするものだからだ。
 そこでは歴史性や文脈性を重んじようとする従来の人文知に対して、いわば安手の情報知がぶつけられる。ネットでのコミュニケーションを介した情報収集能力、情報処理能力、情報操作能力ばかりが重視され、情報の扱いに長(た)けた者であることが強調される。
 そうして彼は自らを、いわば「情報強者」として誇示する一方で、旧来の権威を「情報弱者」、いわゆる「情弱じょうじゃく」に類する存在のように位置付ける。その結果、斜め下から権威に切り込むような挑戦者としての姿勢とともに、斜め上からそれを見下すような、独特の優越感に満ちた態度が示され、それが彼の信者をさらに熱狂させることになる。


リベラル派が言う「弱者」は、「高齢者、障害者、失業者、女性、LGBTQ、外国人、戦争被害者」などで、ひろゆきが言う「弱者」である「コミュ障」「ひきこもり」「うつ病の人」などは含まれていないのです。彼らはリベラル派からは救済されない。リベラル派は「特定の『弱者の論理』を押し付けてくるという意味で、むしろ『強者の論理』なのではないかと、彼らの目には映っているのではないだろうか」と、伊藤氏は書いていました。

■「ライフハックの流儀」


ひろゆきの方法論にあるのは、「プログラミング思考」に基づいた「ライフハックの流儀」だと言います。

 彼はその提言の中で、「ずるい」「抜け道」「ラクしてうまくいく」などという言い方をしばしば用いる(略)。そうした言い方は、その不真面目な印象ゆえに物議をかもすことが多いが、しかしこの点もやはり単なる逆張りではなく、まして彼の倫理観の欠如を示すものでもなく、むしろ「裏ワザ」「ショートカット」などの言い方に通じるものであり、ライフハックの流儀に沿ったものだと見ることができるだろう。


しかも、そういった「ライフハックの流儀」を個人の生き方や考え方だけでなく、社会批判にも適用するのがひろゆきの特徴であり、それが彼が熱狂的な信者を抱えるゆえんであると言うのです。

それは、ちょっとしたコツやテクニックさえあれば、人生のどこかに存在するショートカットキーを見つけることができるとか、高度にデジタル化した社会なのに、いつまでもアナログな発想からぬけきれない日本社会は「オワコン」だとかいった主張です。もちろん、その主張には、だからオレたち(ひろゆきが言う「弱者」)は浮かばれないんだ、という含意があるのは言うまでもありません。

私はつい数年前まで2ちゃんねるが5ちゃんねるに変わったことすら知らなかったような「情弱」な人間ですが、遅ればせながら5ちゃんねるに興味を持ち、5ちゃんねるのスレに常駐するネット民たちをウオッチしたことがありました。

ユーチューバーについてのスレでしたが、当然ながらお約束のように、そこでは信者とアンチのバトルが飽くことなく繰り広げられていました。

「羨ましんだろう」「悔しいんだろう」「嫌なら観るな」というのが彼らの常套句ですが、信者・アンチを問わず彼らの論拠になっているのがひろゆきが提唱する「ライフハックの流儀」です。まるで「お前の母さんでべそ」と同じように、どっちが「情弱」なのか、罵り合っているだけです。そこにあるのは、ネットの夜郎自大な身も蓋もない言葉が行き着いた、どんづまりの世界のようにしか思えませんでした。承認欲求とは自己合理化の謂いにほかならず、彼らが二言目に口にする自己責任論も、ブーメランのようにみずからに返ってくる自己矛盾でしかないのです。(つづく)

ひろゆきというイデオローグ(2)へつづく
2023.02.26 Sun l 社会・メディア l top ▲
publicdomainq-0069167lvvvar.png

(public domain)


■議会政治の末路


Yahoo!ニュースにも転載されていますが、元『プレジデント』編集長の小倉健一氏が、「みんかぶマガジン」に下記のような記事を書いていました。

MINKABU(みんかぶマガジン)
ガーシー帰国でNHK党の最終局面「日ハム新庄監督、衆院比例1位で国政へ」”実権は比例2位の稀哲に

前の記事からの続きになりますが、ここには既成政党がお手盛りで行った政治改革=政界再編の末路が示されているような気がしてなりません。それは、日本の議会政治の末路であると言っても決してオーバーではないでしょう。

日本共産党の除名問題は、同党の無定見な野党共闘路線が招いた当然の帰結で、『シン・日本共産党宣言』の著者である「反党分子」(共産党の弁)は、言うなれば、野党共闘路線が生んだ“鬼っ子”のようなものと言えるでしょう。彼や彼に同伴する左派リベラルの“マスコミ文化人”たちは、そうやって野党共闘の肝である日米安保賛成・自衛隊合憲を日本共産党に迫っているのです。言うなれば、日本共産党は立憲民主党のようになれと言っているのです。除名問題は、そういった新たな戦前の時代を志向する翼賛体制による揺さぶりにほかならないのです。

もとより、NHK党も同じように、政治改革=政界再編の名のもとに、既成の議会政党が国会を私物化し自分たちで政権をたらしまわしするために行った、今の選挙制度と政党助成制度が生んだ“鬼っ子”と言えるでしょう。

有権者そっちのけで導入された、参議院のグダグダの選挙制度を理解している有権者は、どのくらいいるでしょうか。多くの有権者は、選挙制度を充分理解しないまま、唯々諾々と制度に従って投票所に向かっているだけなのかもしれません。

記事は、NHK党の立花党首の次のような発言を取り上げていました。

「ガーシー議員が、戸籍謄本だけNHK党にくれたら、立候補の手続きはこちらでぜんぶできてしまいます。もっと言うと、戸籍謄本の委任状さえ送ってもらったら、戸籍謄本すらこちらで手に入れることが可能です。ガーシー議員が当選したことによって、すごく、YouTuberたちが理解しやすくなったと思います」


そして、次回の衆院選挙についても、俄かに信じ難いのですが、立花党首は次のような“戦略”を披歴していると言うのです。

「衆院選挙は、参院選挙と違って、全国を11ブロックに分けた比例選挙が行われます。つまり、それぞれのブロックにリーダーが必要になってくるのです。例えばですが。東京ブロックはホリエモン(堀江貴文氏)に任せます。南関東ブロックは、ヒカルチームに任せます…(中略)。実は、北海道ブロックは新庄剛志さんに任せたいと考えていて、本人と話をしているところです。どっかで回答くれるという話で「立花さん、いいよね」(ママ)というようなことも言ってもらっています。新庄さんについては、北海道日本ハムファイターズの監督をしながら、立候補し、議員もできるのですよ。新庄さんの監督業が忙しいとなれば、比例リストの2番目に森本稀哲(ひちょり)さんを入れておけば、新庄さんが1カ月で議員を辞めても、稀哲さんが当選して議員活動ができますよね」。


記事は、「ガーシー議員の登院拒否問題は、これまで議論されることすらなかった日本の民主主義の在り方が問われている。パンドラの箱が開いてしまったのかもしれない」という言葉で結ばれていますが、お手盛りの政治改革=選挙制度がこのような“鬼っ子”を生み、いいように利用されている(付け込まれている)現実は、ある意味で日本の議会政治の欺瞞性をどんな反議会主義の革命党派よりもラジカルに暴き出していると言えなくもないのです。

一方、互いの利害が対立する既成政党は、三すくみの中で自分たちの既得権益を守ることしか念頭になく、彼らにできることは、せいぜいがガーシー問題に見られるように弥縫的な“鬼っ子”退治をするくらいです。グダグダの選挙制度や文字通り税金を食いものにする政党助成制度を、根本から問い直すなど望むべくもありません。
2023.02.25 Sat l 社会・メディア l top ▲
2166751.jpg
(イラストAC)


■議員の特権


NHK党のガーシー議員に対して、参議院本会議は、22日、「議場での陳謝」の懲罰処分を賛成多数で可決しました。

処分の決定を受けて、参議院の議院運営委員会の理事会が開かれ、ガーシー議員が陳謝する機会は、来週にも開かれる次の本会議とすることで与野党が合意したそうです。

また、議院運営委員会の理事会の合意を受け、参議院の尾辻議長が本会議への出席を命じる通知を出すとともに、石井議院運営委員長がNHK党に対しガーシー議員に応じる意思があるか確認を求める文書を手渡し、来週27日の午前11時までに回答するよう伝えたということです(NHKの報道より)。

仮に来週に開かれる本会議に欠席して「陳謝」しなかった場合、もっとも重い「除名処分」に進むのは既定路線だと言われています。

ガーシー議員は、昨年の7月に当選したあとも、ずっとドバイにいて一度も国会に登院していませんが、歳費(給料)や期末手当等、既に1780万円が支給されているそうです。日本では、一人の国会議員に対して、年間およそ1億円の税金が使われていると言われているのです。

ガーシー議員の噴飯ものの言い分や一部でささやかれている彼の背後にいる人物などの問題はさて措くとしても、彼のような議員が生まれたのは、国会議員には選良=上級国民にふさわしいさまざまな特権があるからでしょう。

特権は議員本人だけではありません。各政党には政党助成金制度もあります。政党助成金(政党交付金)の総額は、政党助成法という法律で、国勢調査で確定した人口一人あたりに250円を乗じた(掛けた)金額になると定められており、令和2年の国勢調査で算出すると約315億円になるそうです。ガーシー議員を担いだNHK党のような政党が生まれたのも、このような美味しい特権があるからでしょう。

しかも、特権ゆえなのか、ガーシー議員やNHK党に対するメディアの報道も腰が引けたものばかりで、そのヤバさにはほとんど触れられていません。

アジア記者クラブのTwitterを見ていたら、次のようなツイートがありました。

アジア記者クラブ(APC)
@2018_apc




■官尊民卑


これは日本の官僚(公務員)問題にも通じるものですが、法律を作るのが彼らなのですから、その特権を剥奪するのは泥棒に縄をゆわせるようなものです。

しかし、日本社会に抜きがたくあるこの官尊民卑の考えに支配されている限り、今のような国家(税金)を食いものにする構造は永遠に続くでしょう。そして、国民はいつまでも苛斂誅求に苦しむことになるのです。

脱税や公金チューチューや生活保護などに対して、役所やメディアのリークに踊られて当事者をバッシングする光景もおなじみですが、そうやってアホな国民の損得勘定(感情)を煽るのが彼らの常套手段です。そして、政治家や役人は、アホな国民を嘲笑いながら、自分たちが税金をチューチューしているのです。

ガーシーに投票した人間だけが問題ではないのです。ガーシーを批判している人間たちも同じ穴のムジナなのです。

そういった国家を食いものにする構造と目先の損得勘定で踊らされる愚民たちに引導を渡さない限り、NHK党のような政党やガーシーのような議員はこれからも出て来るでしょう。
2023.02.23 Thu l 社会・メディア l top ▲
publicdomainq-0006441iitlmn.png
(public domain)


■所得制限撤廃で8兆円が必要


岸田首相が突如として打ち出した「異次元の少子化対策」が、具体的に進められようとしています。ここでも立憲民主党をはじめとする野党は、推進側にまわり岸田首相にハッパをかけているのでした。

現在の子ども手当(児童手当)は、3歳未満の子ども1人につき月額1万5千円、3歳~小学生までは1万円(第3子以降は1万5千円)、中学生は1万円が支給されています。一方、所得制限があり、子ども2人と年収103万円以下の配偶者の場合、年収ベースで960万円が所得制限の限度額で、それ以上は児童1人当たり月額一律5000円が特例給付されています。ただ、昨年(2022年)の10月に所得制限が強化され、夫婦どちらかが年収1200万円以上の場合は、特例給付の対象外になったのでした。

ところが、僅か数ヶ月で、「異次元の少子化対策」として、大幅に緩和し増額する方針があきらかにされたのでした。

報道によれば、現在、政府・自民党は、第2子以降の支給額の増額、支給対象年齢を高校生までに引き上げ、所得制限の撤廃等を検討しているそうです。

具体的には、第2子を3万円、第3子を6万円とする案が検討されており、最大で3兆円が必要になるそうです。また、支給対象を高校生まで引き上げたり、所得制限を撤廃したりすれば、子ども手当(児童手当)に必要な予算は、2022年度の約2.0兆円から5.8兆円へと一気に3倍近くにまで膨れ上がるそうです。

それ以外に、自治体でも医療費を無償にしたり、独自で子ども手当を支給したりしていますので、子どものいる家庭では、結構な金額の手当て(公金)が入る仕組みになっているのです。

もちろん、そのツケはどこかにまわってくるのです。「異次元の少子化対策」の財源として、既に与党内から消費税の引き上げの声が出ています。社会全体で子どもを支えるという美名のもと、消費増税が視野に入っているのは間違いないでしょう。

少子化が深刻な問題であるのは論を俟ちませんが、しかし、お金を配れば子どもを産むようになるのかという話でしょう。そもそも結婚をしない生涯未婚率も年々増加しているのです。

内閣府が発表した最新の「少子化社会対策白書」によれば、1970年には男性1.7%、女性3.3%だった生涯未婚率が、2020年には男性28.3%、女性17.8%まで増加しているのです。結婚しないお一人様の人生は、もはやめずらしくないのです。特に男性の場合、4人に1人が生涯独身です。しかも、近い将来、男性の3人に1人、女性の4人に1人が結婚しない時代が訪れるだろうと言われています。

軍備増強と軌を一にして「異次元の少子化対策」が打ち出されたことで、お国のため産めよ増やせよの時代の再来かと思ったりしますが、いづれにしても価値観が多様化した現代において、お金を配れば出産が増えると考えるのは、如何にも官僚的な時代錯誤の発想と言わねばなりません。

顰蹙を買うのを承知で言えば、”副収入”と言ってもいいような、結構な金額の手当て(公金)を手にしても、結局、子どものために使われるのではなく、ママ友とのランチ代や家族旅行の費用や、はては住宅ローンの補填などに消えるのではないかという意地の悪い見方もありますが、中でも万死に値するような愚策と言うべきなのは、立憲民主党などが要求している所得制限の撤廃です。

そこには、上か下かの視点がまったくないのです。この格差社会の悲惨な状況に対する眼差しが決定的に欠けているのです。もっと厳しい所得制限を設けて、その分を低所得の子ども家庭に手厚く支給するという発想すらないのです。

■深刻化する高齢者の貧困


「異次元の少子化対策」も大事かもしれませんが、高齢者や母子家庭や非正規雇用の間に広がる貧困は、今日の生活をどうするかという差し迫った問題です。でも、真摯にその現実に目を向ける政党はありません。野党も票にならないからなのか、貧困問題よりプチブル向けの大判振舞いの施策にしか関心がありません。だから、成田悠輔のような”下等物件”(©竹中労)の口から「高齢者は集団自決すればいい」というような、身の毛もよだつような発言が出るのでしょう。

成田悠輔の発言は、古市憲寿と落合陽一が以前『文學界』の対談で得々と述べた、「高齢者の終末医療をうち切れ」という発言と同じ背景にあるものです。人の命を経済効率で考えるようなナチスばりの“優生思想”は、ひろゆきや堀江貴文なども共有しており、ネット空間の若者たちから一定の支持を集めている現実があります。そういった思考は、現在、世情を賑わせている高齢者をターゲットにした特殊詐欺や強盗事件にも通じるものと言えるでしょう。

しかし、テレビ離れする若者を引き留めようと、無定見に彼らをコメンテーターに起用したメディアは、ニューヨークタイムズなど海外のメディアが成田悠輔の発言を批判しても、「世界中から怒られた」などとすっとぼけたような受け止め方しかできず、成田自身も何事もなかったかのようにテレビに出続けているのでした。その鈍磨な感覚にも驚くばかりです。

■ネットの卓見


今日、ネットを見ていたら、思わず膝を打つような、次のようなツイートが目に止まりました。と同時に、こういう無名の方の書き込みを見るにつけ、あたらめて知性とは何か、ということを考えないわけにはいきませんでした。

Kfirfas
@kfirfas





追記:
2月20日、立憲民主党と日本維新の会が、現行の児童手当に関して、所得制限を廃止する改正案を衆議院に共同で提出したというニュースがありました。所得制限を廃止するということは、上記で書いたように、モデル家庭で年収960万から一律5000円の特例給付になるケースや、年収1200万円から特例給付も対象外になるケースを廃止するということです。つまり、そんな高所得家庭を対象にした”救済”法案なのです。にもかかわらず、法案提出のパフォーマンを行っていた立憲の女性議員は、「これは社会全体で子育て家庭を応援するという大きなメッセージになります」と自画自賛していました。私は、それを見て立憲民主党は完全に終わったなと思いました。社会全体で応援しなければならないのは、先進国で最悪と言われる格差社会の中で、最低限の文化的な生活を営むこともできないような貧困にあえぐ人々でしょう。そんな1千万人も喃々なんなんとする人々は、今の物価高で文字通り爪に火を灯すような生活を強いられているのです。明日をも知れぬ命と言っても決してオーバーではないのです。政治がまず目を向けなければならないのはそっちでしょう。
2023.02.19 Sun l 社会・メディア l top ▲
publicdomainq-0014773ioihpt.jpg
(public domain)


■“未確認飛行物体”


タモリではないですが、既に”新たな戦前の時代”が始まっているような気がしてなりません。

たとえば、“未確認飛行物体”などと、まるでUFO襲来のようにメディアが大々的に報じている中国の気球も然りで、どうして急にアメリカが気球の問題を取り上げるようになったのか、唐突な感は否めません。今まで気球は飛んでなかったのか。何故、F22のような最新鋭の戦闘機が出撃して空対空ミサイルで撃墜するという手荒い方法を取ったのか。首をかしげざるを得ないことばかりです。

しかも、アメリカが騒ぎはじめたら、さっそく日本も属国根性丸出しで同調して、過去に気球が飛んできたことをあきらかにした上で、今度飛んで来たら自衛隊機で撃墜できるようにルール(?)を変更するなどと言い出しているのでした。過去に飛んできたときは、政府はほとんど無反応だったのです。当時の河野太郎防衛相も記者会見で、「安全保障に問題はありません」とにべもなく答えているのです。それが今になって「防衛の穴だ」などと言って騒いでいるのでした。

アメリカは、空から情報を収集する偵察用の気球だと言っていますが、撃墜した話ばかりで、アメリカの軍事施設を偵察していたという具体的な証拠は何ら示されていません。それどころか、オースティン国防長官は、今月の10日に撃墜した3つの気球は中国のものではなかったと語り、何やら話が怪しくなっているのでした。

昨日のワイドショーで、女性のコメンテーターが、「人工衛星を使って情報収集するのが当たり前のこの時代に、どうしてこんな手間のかかる古い方法で情報収集しようと考えたのですかね。中国の意図がわかりません」と言っていましたが、それは冷静になれば誰もが抱き得る素朴な疑問でしょう。今どきこんなミエミエの偵察活動なんてホントにあるのかという話でしょう。

一部でナチスの宣伝相・ヨーゼフ・ゲッベルスにひっかけて、「ゲッベルス」と呼ばれているおなじみの防衛研究所の研究員は、西側諸国との軍事対立を想定して、「アメリカの弱点を探るために」試験的に飛ばしている可能性がある、としたり顔で解説していました。

中国政府は、民間の気象観測用の気球だと言っていますが、中国政府の話も眉唾で、ホントは空から自国の国民を監視するために飛ばした気球ではないかという話があります。それがたまたま季節風に乗って流れたのではないかと言うのです。

とどのつまり、時間が経てば何事もなかったかのように沈静化し、メディアも国民もみんな忘れてしまう、その程度のプロパガンダにすぎないように思います。

■中露が主導する経済圏


考えてみれば、今のように米中対立が先鋭化したのはここ数年です。とりわけ2021年8月のアフガンからの撤退をきっかけに、いっそう激しくなった気がします。

アフガンでは20年間で戦費1100兆円を費やし、米兵7000人が犠牲になったのですが、それでも勝利することはできず、みじめな撤退を余儀なくされたのでした。アメリカは、戦後、「世界の警察官」を自認し、世界各地で戦争を仕掛けて自国の若者を戦場に送りましたが、一度も勝利したことがないのです。文字通り連戦連敗して、とうとう唯一の超大国の座から転落せざるを得なくなったのでした。

それをきっかけに、新興国を中心にドル離れが進んでいます。アメリカのドル経済圏に対抗する中国とロシアが連携した新たな経済圏が、BRICSを中心に広がりはじめているのです。

それを裏付けたのが今回のウクライナ侵攻に対する経済制裁です。前も引用しましたが、ジャーナリストの田中良紹氏は、次のように書いています。

(略)ロシアに対する経済制裁に参加した国は、国連加盟国一九三ヵ国の四分の一に満たない四七ヵ国と台湾だけだ。アフリカや中東は一ヵ国もない。米国が主導した国連の人権理事会からロシアを追放する採決結果を見ても、賛成した国は九三ヶ国と半数に満たなかった。
米国に従う国はG7を中心とする先進諸国で、BRICS(ブラジル・ロシア・インド・中国・南アフリカ)を中心とする新興諸国はバイデンの方針に賛同していない。このようにウクライナ戦争は世界が先進国と新興国の二つに分断されている現実を浮木彫りにした。ロシアを弱体化させようとしたことが米国の影響力の衰えを印象づけることにもなったのである。
(『紙の爆弾』2022年7月号・「ウクライナ戦争勃発の真相」)


突如浮上した米中対立には、こういった背景があるのではないか。今回の気球も、その脈絡から考えるべきかもしれません。

私たちは、いわゆる”西側”の報道ばかり目にしているので、ロシアや中国がアメリカの強硬策に守勢一方で妥協を強いられているようなイメージを抱きがちですが(そういったイメージを植え付けられていますが)、ロシアや中国は、以前と比べると一歩もひかずに堂々と対峙しているように見えます。それどころか、むしろ逆に、アメリカに力がなくなったことを見透かして、新興国を中心に自分たちが主導する経済圏を広げているのでした。

■中国脅威論


一方、日本は、米中対立によって、敵基地先制攻撃という防衛政策の大転換を強いられ、巡航ミサイルの「トマホーク」の購入を決定した(させられた)のでした。

当初は2026年度から購入する予定でしたが、昨日(14日)、浜田靖一防衛相が、2023年度に前倒しして一括購入することをあきらかにしてびっくりしました。報道によれば、最大で500発を2113億円で購入するそうです。前倒しするというのは、その分別に買い物をするということでしょう。アメリカからそうけしかけられたのでしょう。

しかも、日本が購入する「トマホーク」は旧式の在庫品で、実戦ではあまり役に立たないという話があります。「世界の警察官」ではなくなったアメリカの防衛産業は、兵器を自国で消費することができなくなったので、その分他国(同盟国)に売らなければなりません。とりわけ防衛産業(産軍複合体)と結びつきが強い民主党政権は、営業に精を出さなければならないのです。そのため、ロシアのウクライナ侵攻だけでなく、東アジアでも「今にも戦争」のキャンペーンをはじめた。それが、今の”台湾有事”なのです。

日本にとって中国は最大の貿易相手国です。しかも、勢いがあるのはアメリカより中国です。アメリカの尻馬に乗って最大の貿易相手国を失うようなことがあれば、日本経済に対する影響は計り知れないものになるでしょう。そうでなくても先進国で最悪と言われるほどの格差社会を招来するなど、経済的な凋落が著しい中で、ニッチもサッチも行かない状態までエスカレートすると、先進国から転落するのは火を見るよりあきらかです。日頃の生活実感から、それがいちばんわかっているのは私たちのはずなのです。この物価高と重税を考えると、軍事より民生と考えるのが普通でしょう。

でも、今は、そんなことを言うと「中国共産党の手先」「売国奴」のレッテルを貼られかねません。いつの間にか、与党も野党も右も左も、中国脅威論一色に塗られ、異論や反論は許さないような空気に覆われているのでした。「人工衛星でスパイ活動する時代に気球で偵察するの?」という素朴な疑問も、一瞬に打ち消されるような時代になっているのでした。右も左もみんなご主人様=アメリカの足下にかしづき、我先に靴を舐めているのです。

■”新たな戦前の時代“の影


共産党の除名騒ぎも、共産党はご都合主義的な二枚舌をやめて、自衛隊合憲や日米安保容認に歩調を合わせろという、翼賛的な野党共闘派からのメッセージと読めなくもないのです。そこにもまた、”新たな戦前の時代”の影がチラついているような気がしてなりません。

これも既出ですが、先日亡くなった鈴木邦男氏は、かつて月刊誌『創』に連載していたコラム「言論の覚悟」の中で、次のように書いていました。

(略)それにしても中国、韓国、北朝鮮などへのロ汚い罵倒は異常だ。尖閣諸島をめぐっては、「近づく船は撃沈しろ」と叫ぶ文化人もいる。「戦争も辞さずの覚悟でやれ!」と言う人もいる。テレビの政治討論会では、そんな強硬な事を言う人が勝つ。「今、中国と戦っても自衛隊は勝てる」などとロ走る人もいた。
(略)70年前の日米開戦の前も、そう思い、無責任な本がやたらと出版された。いや、あの時は、「戦争をやれ!」と政府や軍部に実際に圧力をかけたのだ。
 東条英機のお孫さんの由布子さんに何度か会ったことがある。戦争前、一般国民からもの凄い数の手紙が来たという。段ボール何箱にもなった。その内容は、ほとんどが攻撃・脅迫だったという。「早く戦争をやれ!」「戦争が恐いのか」「卑怯者!」「非国民め!」というものばかりだったという。
 国民が煽ったのだ。新聞・出版社も煽った。
(『創』2014年9・10月合併号・「真の愛国心とは何か」)


また、(引用が長くなりますが)続けてこうも書いていました。

(略)強硬で、排外主義的なことを言うと、それで「愛国者」だと思われる。それが、なさけない。嫌中本、嫌韓本を読んで「胸がスッとする」という人がいる。それが愛国心だと誤解する人がいる。それは間違っている。それは排外主義であって愛国心ではない。(略)
 今から考えて、「あゝあの人は愛国者だった」と言われる人達は、決して自分で「愛国者だ」などと豪語しなかった。三島由紀夫などは自決の2年前に、「愛国心という言葉は嫌いだ」と言っていた。官製の臭いがするし、自分一人だけが飛び上がって、上から日本を見てるような思い上がりがあるという。当時は、その文章を読んで分からなかった。「困るよな三島さんも。左翼に迎合するようなことを書いちゃ」と思っていた、僕らが愚かだった。今なら分かる。全くその通りだと思う。もしかしたら、46年後の今の僕らに向かって言ったのかもしれない。
 また、三島は別の所で、「愛国心は見返りを求めるから不純だ」と書いていた。この国が好きだというのなら、一方的に思うだけでいい。「恋」でいいのだと。「愛」となると、自分は愛するのだから自分も愛してくれ、自分は「愛国者」として認められたい、という打算が働き、見返りを求めるという。これも46年後の日本の現状を見通して言ってる言葉じゃないか。そう思う。
(同上)


”極右の女神”ではないですが、「愛国ビジネス」さえあるのです。もちろん、それは”右”だけの話ではありません。”左”やリベラルも似たか寄ったかです。

立憲民主党などは、上記の河野太郎防衛相(当時)の安全保障上問題ないという発言を国会で取り上げて、認識が甘かったのではないかと批判しているのでした。政府与党は危機感が足りないとハッパをかけているのです。それは、「早く戦争をやれ!」と手紙を送りつけてきた戦前の国民と同じです。

再び煽る人間と煽られる人間の競演がはじまっているのです。国体を守るために本土決戦を回避して、”昨日の敵”に先を競ってすり寄って行ったそのツケが、このような愚かな光景を亡霊のように甦らせていると言えるでしょう。


関連記事:
『永続敗戦論』
2023.02.15 Wed l 社会・メディア l top ▲
publicdomainq-0015133umaqda.jpg
(public domain)


■物価高と重税


私は自炊しているのでスーパーによく買い物に行くのですが、最近の物価高には恐怖を覚えるほどです。値上げと言っても、そのパーセンテージが従来より桁違いと言ってもいいくらい大きいのです。しかも、これからも値上げが続くと言われているのです。

値上げは食品だけにとどまらず、あらゆる分野に及んでいます。たしかに、「資源価格の上昇」「エネルギー価格の高騰」という大義名分があれば、どんな商品でもどんなサービスでも値上げは可能でしょう。何だか値上げしなければ損だと言わんばかりに、我先に値上げしている感すらあるのでした。

それどころか、値上げは民間だけの話ではないのです。 厚生労働省は、介護保険料や、75歳以上が入る後期高齢者医療制度の保険料も、引き上げる方向で調整に入ったというニュースがありました。また、自治体レベルでの住民税や国民健康保険料や介護保険料(自治体によって負担額が違う)も、引き上げが当たり前のようになっています。

昨年12月の東京新聞の記事では、「昨今の物価高の影響で22年度の家計の支出は前年度に比べ9万6000円増えており、23年度はさらに4万円増える」と書いていました。

東京新聞
物価高で家計負担は年間9万6000円増、来年度さらに4万円増の予想 それでも防衛費のために増税の不安

でも、生活実感としては、とてもそんなものではないでしょう。

財務省は、令和4年(2022年)度の「所得に対する各種税金と年金や健康保険料などの社会保障負担の合計額の割合」である国民負担率が、46.5%となる見通しだと発表しています。ちなみに、昭和50年(1975年)の国民負担領は25.7%で、平成2年(1990年)は38.4%でした。さらに、近いうちに50%を超えるのは必至と言われているのです。

日本は重税国家なのです。昔、北欧は社会保障が行き届いているけど税金が高いと言われていました。しかし、今の日本は、税金は高くなったけど、社会保障は低い水準のままです。

これも何度も書いていることですが、生活保護の捕捉率は、ヨーロッパ各国がおおむね60~90%であるの対して、日本は20%足らずしかありません。そのため、日本においては、生活保護の基準以下で生活している人が1千万人近くもいるのです。彼らにとって、この空前の物価高は、成田悠輔ではないですが、「死ね」と言われているようなものでしょう。

価格は需要と供給によって決まるという市場経済の原則さえ、もはや成り立たなくなっている感じで、何だか官民あげた“カルテル国家”のような様相さえ呈しているのでした。

もちろん、資源国家であるロシアによるウクライナ侵攻と、それに伴う経済制裁が、このような事態を招いたのは否定できないでしょう。

そこに映し出されているのは、臨界点に達しつつある資本主義の末期の姿です。植民地主義による新たな資源や市場の開拓は望むべくもなく、資本主義国家はロシアや中国の資源大国による”兵糧攻め”に、半ばパニックに陥っていると言っても過言ではありません。でも、それは、身の程知らずにみずから招いたものです。メディアは、ロシアは追い込まれていると言いますが、追い込まれているのはむしろ私たち(資本主義国家)の生活です。

だったら、和平に動けばいいように思いますが、そんな指導力も判断力も失っているのです。それどころか、ウクライナの玉砕戦にアメリカが同調しており、私たちの生活は、ウクライナとアメリカの戦争遂行の犠牲になっている、と言っていいかもしれません。

■ロシアの敗北はあり得ない


そんな中、アメリカのシンク・タンクのランド・コーポレーションが、「ロシア・ウクライナ戦争に対して、"Avoiding a Long War"と題する」提言を発表したという記事がありました。

21世紀の日本と国際社会 浅井基文Webサイト
ロシア・ウクライナ戦争:「長期戦回避」提言(ランド・コーポレーション)

上記サイトによれば、2023年1月の「提言」は以下のとおりです。

提言①:ロシアは核兵器使用に踏み切る可能性がある。したがって、核兵器使用を未然に防止することがアメリカの至上優先課題(a paramount priority)である。

提言②:局地戦に押さえ込むことが至上課題だが、ロシアがNATO同盟国に攻撃を仕掛ける可能性が出ている。(したがって、局地戦で終わらせることが至上課題となっている。)

提言③:国際秩序の観点から見た場合、ウクライナの領土的支配を2022年12月時点以上に広げることの利益、言い換えれば、ロシアの2022年12月時点での支配ライン維持(を黙認すること)の不利益は自明とは言えない。

提言④:戦争継続によってウクライナはより多くの領土を回復できるかもしれないが、戦争継続がアメリカの利益に及ぼす影響を考慮しなければならない。

提言⑤:ロシア、ウクライナのいずれによる完全勝利もあり得ず、また、平和条約締結による政治的解決はアメリカの利益に合致するが近未来的には非現実的であり、現状維持の休戦協定を当面の着地点とする。

要するに、(当たり前の話ですが)核保有国・ロシアの敗北はあり得ないということです。そういった現状認識のもとに、「長期戦の回避」=「現状維持の休戦」が現実的だと提言しているのでした。もとより、国民生活が疲弊する一方のアメリカやEUは、もうこれ以上ゼレンスキーやバイデンの戦争に付き合う猶予はないはずです。

世界は既に、”第三次世界大戦”の瀬戸際に立っていると言ってもいいかもしれません。ロシアやアメリカの保守派は、ゼレンスキーは”第三次世界大戦”を引き起こそうとしている、と言っていましたが、あながち的外れとは言えないように思います。実際に、失われた領土を取り返すまで「平和はない」、そのために(ロシア本土を攻撃できる)戦闘機を寄越せ、とゼレンスキーの要求はエスカレートする一方なのです。

今の空前の物価高に対して、ヨーロッパをはじめ世界各地で大規模なデモが起きていますが、その元凶がウクライナ戦争にあるという視点を共有できれば、(日本を除いて)世界的な反戦運動に広がる可能性はあるでしょう。アメリカ国民の中でも、バイデンのウクライナ支援に賛成する国民は半分もいないのです。アメリカは一枚岩ではなく、修復できないほど分断しているのです。その分断が、アメリカの凋落をいっそう加速させるのは間違いないでしょう。「戦争反対」が自分たちの生活を守ることになる、という考えが求められているのです。

それは、ウクライナ戦争に限らず、バイデンの新たな(やぶれかぶれの)世界戦略で、大きな負担を強いられつつある対中国の防衛力増強も同じです。アメリカの言うままになると、再び「欲しがりません、勝つまでは」の時代が訪れるでしょう。防衛増税とはそういうことです。立憲や維新は、防衛増税に反対と言っていますが、防衛力の増強そのものに反対しているわけではありません。清和会などと同じように、税金で賄うことに反対しているだけです。もっとも、清話会が主張するように国債を使えば、戦前のように歯止めが利かなくなるでしょう。

■共産党の除名騒ぎ


それにつけても、日本では今の物価高を糾弾する運動がまったくないのはどうしてなのか。左派リベラルも、物価高を賃上げによって克服するという、岸田首相の「新しい資本主義」に同調しているだけです。じゃあ、賃上げに無縁な人々はどうすればいいんだという話でしょう。本来政治が目を向けるべき経済的弱者に対する視点が、まったく欠落しているのです。連合のサザエさんこと芳野友子会長が、自民党の招待に応じて、今月26日の自民党大会に出席する方向だというニュースなどは、もっとも愚劣なかたちでそれを象徴していると言えるでしょう。

しかも、左派リベラルは、立憲民主党や連合がそうやって臆面もなく与党にすり寄っているのを尻目に、「党首公選制」をめぐる日本共産党の除名問題がまるで世界の一大事であるかのように、大騒ぎしているのでした。それも除名された元党員が「編集主幹」を務める出版社から、共産党への提言みたいな本を書いた”マスコミ文化人”たちが中心になって、鉦や太鼓を打ち鳴らしているのでした。本の宣伝のために騒いでいるのではないかとヤユする向きもありますが、そう思われても仕方ない気がします。

一方、除名された元党員も、自分たちの出版社とは別に、先月、文藝春秋社から党を批判する本を出版しているのです。共産党の肩を持つわけではありませんが、何だか最初から周到に準備されていたような気がしないでもありません。本人は否定しているようですが、そのうち『文藝春秋』あたりで共産党批判をくり広げるのが目に見えるようです。除名された元党員は、条件付きながら自衛隊合憲論者のようなので、今の時代はことのほか重宝されセンセーショナルに扱われるでしょう。

今回の除名騒ぎの背景にあるのは、野党共闘です。言うなれば、共産党の野党共闘路線がこのような鬼っ子を生んだとも言えるのです。

とは言え、(曲がりなりにもと言いたいけど)破防法の調査対象団体に指定されている共産党に、「党首公選制」の導入を主張すること自体、今まで一度も共産党に票を投じたこともない私のような”共産党嫌い”の人間から見ても、メチャクチャと言わざるを得ません。共産党の指導部が、「外からの破壊攻撃」と受け止めるのは当然でしょう。共産党の指導部や党員たちは、今回の除名騒ぎに対して、立憲と維新の連携や自民党へのすり寄りに見られるような、議会政治の翼賛体制化と無関係ではないと見ているようですが、一概に「的外れ」「独善的」「開き直り」とは言えないように思います。

「結社の自由」を持ち出して反論していた志位委員長について、「お前が言うか」という気持もありますが、ただ、言っていることは間違ってないのです。「結社の自由」や「思想信条の自由」というのは、結社を作るのも、その結社に加入するのも脱退するのも自由で、その自由が保障されているということであって、それと結社内の論理とは別のものです。結社に内部統制がはたらくのは当然で、「言論の自由」という外の概念が必ずしも十全に保障されないのは、最初から承知のはずです。ましてや、政治的な結社は、綱領に記された特定の政治思想の下に集まった、言うなれば思想的に武装した組織なのです。思想的紐帯に強弱はあるものの、政治結社というのは本来そういうものでしょう。にもかかわらず、政治結社に外の論理である「言論の自由」を持ち込み、それを執拗に求めるのは、別の意図があるのではないかと勘繰られても仕方ないでしょう。

某”マスコミ文化人”は、共産党より自民党の方がむしろ「言論の自由」があると言っていましたが、そんなのは当たり前です。国家権力と表裏の関係にある政権与党と、曲がりなりにも”反国家的団体”と見做されて監視されている政党を同列に論じること自体、メチャクチャと言うか、稚児じみた妄言と言わざるを得ません。

私が日本共産党を描いた小説として真っ先に思い浮かべるのは、井上光晴の『書かれざる一章』です。『書かれざる一章』は、戦前に書かれた小林多喜二の『党生活者』に対する反措定のような小説ですが、第一次戦後派の文学者や知識人たちは、リゴリスティックな”無謬神話”で仮構された日本共産党の唯一絶対的な前衛主義と向き合い、その欺瞞に満ちた党派性を告発したのでした。

今回の除名騒ぎは、そんな問題意識と無縁に生きた”マスコミ文化人”たちが、古い政治に依拠したミエミエの猿芝居を演じているだけです。それに、大衆運動に「限界系」なる排除の論理を持ち込むような人間に、共産党の民主集中制を批判する資格があるのかと言いたいのです。私には、目くそ鼻くそにしか見えません。

(くどいほど何度もくり返しますが)大事なのは右か左かではなく上か下かです。それが益々リアルなものになっているのです。でないと、見えるものも見えなくなるでしょう。
2023.02.08 Wed l 社会・メディア l top ▲
週刊東洋経済2023年1月28日号


■「割増金」の導入


NHKが4月1日から、テレビの設置後、翌々月の末日までの期限内に受信契約の申し込みをしなかった人間に対して、受信料の2倍の「割増金」を請求できる制度を導入するというニュースがありました。これは、昨年10月に施行された改正放送法に基づくものです。

「割増金」の導入は、現行の受信料制度に対する国民の目が年々厳しくなっている中で、まるで国民の神経を逆なでするような強気の姿勢と言わざるを得ません。

NHKの受信料に対して、特に若者の間で、「強制サブクス」であり、スクランブルをかけて受信料を払った人だけ(NHKを見たい人だけ)解除すればいい、という声が多くあります。

それでなくてもテレビ(地上波)離れが進んでおり、視聴者の志向も地上波からネット動画へと移行しているのです。若者の車離れが言われていますが、テレビ離れはもっと進んでいます。実際、テレビを持ってない若者も多いのです。その流れを受けて、ドン・キホーテは、テレビチューナーを外したネット動画専用のスマートテレビを発売して大ヒットしているのでした。

しかし、NHKの姿勢は、それに真っ向から対決するかのように、現行の受信料制度を何がなんでも守るんだと言わんばかりの「割増金」という強硬姿勢に打って出たのでした。

もちろん、それにお墨付きを与えたのは、NHKの意向を受けて放送法を改正した政治です。そこには、権力監視のジャーナリズムの「独立性」などどこ吹く風の、政治とNHKの持ちつ持たれつの関係が示されているのでした。

与党はもちろんですが、野党の中にも現行の受信料制度に疑義を唱える声は皆無です。前に書きましたが、その結果、NHKの問題をNHK党の専売特許のようにしてしまったのです。昔はNHKの放送に疑問を持つ左派系の不払い運動がありました。しかし、いつの間にか不払い運動がNHK党に簒奪され換骨奪胎されて、理念もくそもない不払いだけに特化した”払いたくない運動”に矮小化されてしまったのでした。上のようなスクランブルの導入を主張しているのも、NHK党だけです。

もっとも、「割増金」制度を導入する背景には、受信料徴収に関するNHKの大きな方針転換が関係しているのです。と言うのも、NHKは、契約や収納代行を外部に委託していた従来のやり方を今年の9月をもって廃止することを決定からです。これで怪しげな勧誘員が自宅を訪れ、ドアに足をはさんでしつこく契約を迫るというようなことはなくなるでしょう。

しかし一方で、テレビ離れによって、受信料収入が2018年の7122億円で頭打ちになり、2019年から減少しているという現実があります。契約件数も2019年に4212万件あったものが、2021年は4155件と減少し、2022年も上半期だけで20万件も減少しているそうです。そのため、2023年度の受信料収入の見込み額も、当初の6690億円から6240億円へと下方修正を余儀なくされているのでした。

一説によれば、NHKは、徴収業務に利用するために、住民基本台帳の転入と転出のデータの提供を求めたそうです。しかし、総務省が拒否したので、割増金や外部委託の廃止に舵を切ったという話があります。

だからと言って、もちろん、今の事態を座視しているわけではありません。NHKは地上波からネットに本格参入しようとしているのです。そして、受信料の支払い対象をテレビ離れした層にも広げようと画策しているのでした。

■NHKの「受信料ビジネス」


そういったえげつないNHKの「受信料ビジネス」について、『週刊東洋経済』(2023年1月28日号)が「NHKの正体」と題して特集を組んでいました。特集には、「暴走する『受信料ビジネス』」「『強制サブスク』と化す公共放送のまやかし」というサブタイトルが付けられていました。

もちろん、NHKは放送法によって、本来の業務はテレビ・ラジオと規定されており、本格的にネットに進出するには、放送法の改正が必要です。ただ、既にネット事業に対して、「21年にはそれまで受信料の2.1%としていた上限を事実上引き上げ、上限200億円とすることを総務省が認め」ているのでした。それにより「事業費は177億円(21年度)から、22年度は190億円に増加。23年度は197億円の計画で、この3年で33%増となる見込み」(同上)だそうです。

このように、NHKがネット事業に本格的に参入する地固めが、着々と進んでいるのです。『週刊東洋経済』の記事も次のように書いていました。

 総務省の公共放送ワーキンググループ(WG)委員である、青山学院大学の内山隆教授(経済学)は「受信料をわが国に放送業界とネット映像配信業者の投資と公益のために使えるようにするべきだ。NHKがこういった業界を引っ張っていけるように、受信料制度を変えていく発想が必要ではないか」と話す。
 受信料制度をめぐる現在の最大の論点がネット受信料だ。NHKのネット事業を「補完業務」から「本格業務」に格上げするための業務が総務省で進む。
(同特集「絶対に死守したい受信料収入」)



NHKネット受信料
(同特集「絶対に死守したい受信料収入」より)

上は、NHKが目論む「ネット受信料」の「徴収シナリオ」を図にしたものです。NHKが求めているのが、右端のスマホ所有者から一律に徴収するという案だそうです。

そのために(NHKの意図通りに放送法が改正されるために)、NHKが与野党を含む政治に対していっそう接近するのは目に見えており、言論機関としての「独立性」や「中立性」の問題が今以上に懸念されるのでした。もちろん、NHK党にNHKの「独立性」や「中立性」を問うような視点はありません。それは、八百屋で魚を求めるようなものです。

■NHKの選挙報道


もうひとつ、NHKと政治の関係を考える上で無視できないのは、NHKの選挙報道です。「開票日、NHKが当選確実を出すまで候補者は万歳しないことが不文律になっている」ほど、政治家はNHKの情報を信頼しているのですが、当然、その情報は理事や政治部記者をとおして、事前に政治家に提供されており、選挙戦略を練る上で欠かせないものになっているのです。

そのために、末端の記者は、選挙期間中は文字通り寝る間を惜しんで取材に走りまわらなければなりません。2013年に31歳の女性記者が、2019年には40代の管理職の男性が過労死したのも、いづれも選挙取材のあとだったそうです。

■非課税の特権と膨張する金融資産


では、NHKの財政がひっ迫しているかと言えば、まったく逆です。NHKの2022年9月末の連結剰余金残高は5132億円です。それに加えて、金融資産残高が剰余金残高の1.7倍近くに上る8674億円もあるのです。NHKの連結事業キャッシュフローは、東京五輪のような特別な事情を除いて、毎年ほぼ1000億円を超えるレベルを維持しているそうです。

特集では、「NHKの『溜めこみ』が加速している」として、次のように書いていました。

 そしてその半分強が設備投資などに回り、残りは余資となり国債など公共債の運用に回されてきた。その結果として積み上がったのが、7360億円もの有価証券である。これに現預金を加えた金融資産の残高が、冒頭で紹介した数字(引用者註:8674億円)になる。金融資産は、総資産の6割を占めており、このほかに保有不動産の含み益が136億円ある。まるで資産運用をなりわいとしているファンドのようなバランスシートだ。
(伊藤歩「金融資産が急膨張 まるで投資ファンド」)


このような「芸当」を可能にしているのが、番組制作費の削減と公益性を御旗にした非課税の”特権”です。子会社は株式会社なので法人税の納税義務がありますが、NHK本体は、上記のような投資で得た莫大な金融資産を保有していても、いっさい税金がかからないのです。放送法で免除されているからです。

しかも、総工費1700億円を使って、2035年に完成予定の渋谷の放送センターの建て替えが昨年からはじまっているのでした。その費用も既に積立て済みだそうです。

■NHKの”暴走”


NHKの問題をNHK党の専売特許ではなく、国民の問題として考える必要があるのです。政治に期待できなければ、国民自身がもっと声を上げる必要があるのです。NHKの思い上がった「受信料ビジネス」を支えているのは私たちの受信料なのです。NHKをどうするかという問題を、国民的議論になるように広く提起することが求められているのです。でないと、政治と癒着して半ばブラックボックスと化したNHKの“暴走”を止めることはできないでしょう。このままでは、国民にさらなる負担を求めてくるのは間違いないのです。

しかも、それは受信料の問題だけでなく、私たちの個人情報が勝手放題に使われるという問題にも関わって来るのです。杉並区の住基ネットから漏洩した個人情報が、振り込め詐欺や広域連続強盗事件に使われたのではないかと言われていますが、そこには国民の個人情報を役所が一元的に管理する怖さを示しているのです。NHKは、住民基本台帳の転入と転出のデータの提供を求めたくらいですから、ネット受信料が始まれば、当然そこにも触手を伸ばして来るでしょう。
2023.01.30 Mon l 社会・メディア l top ▲
週刊ダイヤモンド2023年1月21日号


時事通信が13日~16日に実施した1月の世論調査で、立憲民主党の支持率が前回(12月)の5.5%から2.5%に下落したと伝えられています。

時事通信ニュース
内閣支持最低26.5%=4カ月連続で「危険水域」―立民も下落・時事世論調査

ちなみに、各党の支持率は以下のとおりです。

自民党 24.6%(1.8増)
維新 3.6%(0.2減)
公明党 3.4%(0.3減)
立憲民主 2.5%(3.0減)
共産党 1.8%
国民民主 1.5%
れいわ 0.7%
参政党 0.7%
NHK党 0.4%
社民党 0.1%
支持政党なし 58.7%

このように立憲民主党の支持率だけが際立って落ちています。5.5%の支持率が半分以下の2.5%に落ちているのですから、すさまじい下落率と言えるでしょう。立憲民主党は、支持率においても、もはや野党第一党とは言えないほど凋落しているのでした。

■立憲民主党が片思いする維新


維新との連携がこのような支持離れをもたらすのはわかっていたはずです。にもかかわらず、連合などの右バネがはたらいたのか、立憲民主党はみずからのバーゲンセールに舵を切ったのでした。泉健太代表が獅子身中の虫であるのは誰が見てもあきらかですが、しかし、党内にはそういった危機感さえ不在のようです。それも驚くばかりです。

で、立憲民主党が片思いする維新ですが、昨日、次のようなニュースがありました。

ytv news(読売テレビ)
維新・吉村代表 自民・茂木幹事長と会談

 泉大津市内の飲食店で約2時間にわたって行われた会談では、両党が推進する憲法改正をめぐり、反対する野党と議論をどのように進めるか意見を交わしたほか、維新が重視する国会改革についても協力していくことで一致したということです。


私は、「立憲民主党が野党第一党である不幸」ということを常々言ってきました。立憲民主党は野党ですらないと。維新との連携の先には、連合と手を携えて自民党にすり寄る立憲民主党の本音が隠されているように思えてなりません。

■左派リベラルのテイタラク


一方で、維新との連携を受けて、立憲民主党にはほとほと愛想が尽きた、というような声がSNSなどに飛び交っていますが、私はそういった声に対しても、匙を投げるときに匙を投げなくて、今更何を言っているんだ、という気持しかありません。

立憲民主党のテイタラクは、同時に、立憲民主党に随伴してきた左派リベラルのテイタラクでもあります。今更「立憲民主は終わった」はないでしょう。

フランスでは、年金開始年齢の引き上げをめぐって、労働総同盟(CGT)などの呼びかけで大規模なストが行われているそうです。今の日本では、想像だにできない話です。

朝日新聞デジタル
「64歳からの年金受給は遅すぎ」 フランスで改革反対の大規模スト

フランスの年金制度は、政府の改革案でも、最低支給額が約1200ユーロ(約17万円)で、支給開始年齢が64歳と、日本の年金と比較すると夢のような好条件です。それでもこれほどの激しい反発を招いているのです。

前から何度も言っているように、ヨーロッパやアメリカの左派には、60年代の新左翼運動のDNAが引き継がれています。しかし、日本では、「内ゲバ」や「連合赤軍事件」などもあって、新左翼は「過激派」(最近で言えば「限界系」)のひと言で総否定されています。そのため、ソンビのような”革新幻想”に未だに憑りつかれた、トンチンカンな左派リベラルを延命させることになっているのでしょう。

■日本は貧国大国


『週刊ダイヤモンド』の今週号(1/21号)は、「超階級社会 貧困ニッポンの断末魔」という、もはや恒例とも言える特集を組んでいましたが、その中に下のような図がありました(クリックで拡大可)。

超階級社会2
(『週刊ダイヤモンド』2023年1月21日号より)

特集では、「もはや、日本は経済大国ではなく、貧困大国に成り下がってしまった」と書いていました。

 中国、シンガポール、オマーン ─── 都心の超高級タワーマンションの上層階に居を構えるのは、実はこうした国の人々だ。もちろん、10億円を超える高級物件を所有する日本人もいるが、彼らはごくごく限られた「上級国民」。平均的な日本人にとって、雲上人といえる存在だ。
 もっとも平均的な日本人が「真ん中」というのは、幻想にすぎない。かっては存在した分厚い中間層は総崩れとなり、格差が急拡大。日本は”一億総下流社会“へと変貎を遂げた。そして新型コロナウイルスの感染拡大やインフレが引金となって、拡大した格差が完全に固定化する「超・階級社会」を迎えようとしている。

  超・階級社会を招くのは、「低成長」「低賃金」「弱過ぎる円」「貿易赤字の常態化」の四重苦だ。


2012年末からはじまった第2次安倍政権が提唱したアベノミクス。それに伴う日本銀行の「異次元の大規模金融緩和」、つまり、「弱い円」への誘導がこれに輪をかけたのでした。

「日本売り」「買い負け」が常態化したのです。今、都心のマンションが異常な高値になっていますが、それは不動産市場が活況を呈してきたというような単純な話ではなく、都心のマンションが海外の富裕層に買い漁られているからです。不動産会社も、日本人客より高くても売れる外国人客にシフトしているのです。そのため、一部の不動産価格がメチャクチャになっているのです。

もっとも、私も以前、都心の高級マンションの上層階や角部屋などの”いい部屋”は中国人などの外国人に買われているという、不動産関係の仕事をしている知人の話をしたことがありますが、それは最近の話ではなく、アベノミクスの円安誘導によってはじまった現象でした。ただ、最近の急激な円安によって価格が急上昇したので、特に目に付くようになっただけです。

 アベノミクスの厳しい現実を突き付けたのは、野村総合研究所が年に実施したアンケート調査に基づく推計だ。上級国民に当たる準富裕層以上は資産を増やした一方で、中級国民、下級国民であるアッパーマス層、マス層は資産を減らした。富める者はより富み、貧しい者はより貧しくなったのだ。


しかし、アベノミクスの負の遺産というのは一面にすぎません。その背後には、資本主義の死に至る病=矛盾が広がっているのです。

折しも今日、東京電力が、来週にも家庭向けの電気料金を3割程度引き上げる旨、経済産業省に申請する方針だというニュースがありました。私たちにとっては、もはや恐怖でしかない今の資源高&物価高が、臨界点に達した資本主義の矛盾をこれでもかと言わんばかりに示しているのです。

これもくり返し言っていることですが、今求められているのは、右か左かではなく上か下かの政治です。階級的な視点を入れなければ、現実は見えて来ないのです。好むと好まざるとにかかわらず、階級闘争こそがもっともリアルな政治的テーマなのです。でも、その階級闘争を担う下に依拠する政党がない。だから、デモもストもないおめでたい国になってしまったのでした。


関連記事:
立憲民主党への弔辞
『新・日本の階級社会』
2023.01.20 Fri l 社会・メディア l top ▲
publicdomainq-0013749gngmnd.png
(public domain)


■インフレ率を超える賃上げ


岸田首相が4日に伊勢神宮を参拝した際の記者会見で、今年の春闘においてインフレ率を超える賃上げの実現を訴えたことで、「インフレ率を超える賃上げ」という言葉がまるで流行語のようにメディアに飛び交うようになりました。

日本経済新聞
首相、インフレ率超える賃上げ要請 6月に労働移動指針

「この30年間、企業収益が伸びても期待されたほどに賃金は伸びず、想定されたトリクルダウンは起きなかった」と話した。最低賃金の引き上げに加え、公的機関でインフレ率を上回る賃上げをめざすと表明した。

「リスキリング(学び直し)の支援や職務給の確立、成長分野への雇用の移動を三位一体で進め構造的な賃上げを実現する」と強調した。労働移動を円滑にするための指針を6月までに策定するとも明らかにした。


ときの総理大臣が、この30年間、企業収益が伸びても賃金が上がらなかったと明言しているのです。しかも、賃金が上がらないのに、大企業は大儲けして、史上空前の規模にまで内部留保が膨らんでいると、総理大臣自身が暗に認めているのです。

このような岸田首相の発言は、とりもなおさず日本の労働運動のテイタラクを示していると言えるでしょう。たとえば、欧米や中南米などでは、賃上げを要求して労働者が大規模なストライキをしたり、政府の政策に抗議して暴動まがいの過激なデモをするのはめずらしいことではありません。そんなニュースを観ると、日本は中国や北朝鮮と同じグループに入った方がいいんじゃないかと思うくらいです。

昔、大手企業で労働組合の役員をしていた友人がいたのですが、彼は、連合の大会に行ったら、会場に次々と黒塗りのハイヤーがやって来るのでびっくりしたと言っていました。ハイヤーに乗ってやって来るのは、各産別のナショナルセンターの幹部たちです。友人が役員をしていた組合も、何年か役員を務めると、そのあとは会社で出世コースが用意されるという典型的な御用組合で、彼自身も私とは正反対のきわめて保守的な考えの持ち主でしたが、そんな彼でも「あいつらはどうしうようもないよ」「労働運動を食いものにするダラ幹の典型だよ」と言っていました。

友人は連合の会長室にも行ったことがあるそうですが、「うちの会社の社長室より広くて立派でぶったまげたよ」と言っていました。「あいつらは学歴もない叩き上げの人間なので、会社で出世できない代わりに、組合をもうひとつの会社のようにして出世の真似事をしているんだよ」と吐き捨てるように言っていましたが、当たらずといえども遠からじという気がしました。そんな「出世の真似事」をしているダラ幹たちが、日本をストもデモもない国にしたのです。

彼らは岸田首相から、「あなたたちがだらしがないから、私たちがあなたたちに代わって経済界に賃上げをお願いしているのですよ」と言われているようなものです。連合なんてもはや存在価値がないと言っても言いすぎではないでしょう。

にもかかわらず、連合のサザエさんこと芳野友子会長は、まるで我が意を得たとばかりに、年頭の記者会見で次のように語ったそうです。

NHK
連合 芳野会長「実質賃上げ 経済回すことが今まで以上に重要」

ことしの春闘について、連合の芳野会長は、年頭の記者会見で「物価が上がる中で、実質賃金を上げて経済に回していくことが今まで以上に重要となるターニングポイントだ」と指摘し、賃上げの実現に全力を挙げると強調しました。

ことしの春闘で、連合は「ベースアップ」相当分と定期昇給分とを合わせて5%程度という、平成7年以来の水準となる賃上げを求めています。

そのうえで「賃上げは労働組合だけでは実現できず、使用者側の理解や協力のほか、賃上げしやすい環境づくりという点では政府の理解や協力も必要だ」と述べ、政府と経済界、労働界の代表による「政労使会議」の開催を呼びかけていく考えを示しました。


「恥知らず」「厚顔無恥」という言葉は、この人のためにあるのではないかと思ってしまいます。

■中小企業と賃上げ


同時に、岸田首相は、少子化問題についても、「異次元の対策に挑戦すると打ち出」し、「経済財政運営と改革の基本方針(骨太の方針)を決定する6月頃までに、子ども予算の倍増に向けた大枠を提示すると述べた」(上記日経の記事より)そうです。

それを受けて、松野官房長官も児童手当の「恒久的な財源」を検討すると表明し、また、東京都の小池都知事も、2023年度から所得制限を設けず、「18歳以下の都民に1人あたり月5000円程度の給付を始める方針を明らかにした」のでした。

しかし、これらはホントに困窮している人たちに向けた施策ではありません。私は、鄧小平の「先富論」の真似ではないのかと思ったほどです。もとより、児童手当の拡充や支援金の給付が、防衛費の増額と併せて、いづれ増税の口実に使われるのは火を見るようにあきらかです。賃上げや少子化と無縁な人たちにとっては、ただ負担が増すばかりなのです。

賃上げに対して、企業のトップも意欲を示し、「賃上げ機運が高まってきた」という記事がありましたが、それは経済3団体の新年祝賀会で取材した際の話で、いづれも名だたる大企業のトップの発言にすぎません。

中小企業庁によると、2016年の中小企業・小規模事業者は357.8万で企業全体の99.7%を占めています。また、中小企業で働いている労働者は約3,200万人で、これは全労働者の約70%になります。

ちなみに、中小企業基本法による「中小企業」の定義は、以下のとおりです。

「製造業その他」は、資本金の額又は出資の総額が3億円以下の会社又は常時使用する従業員の数が300人以下の会社及び個人。
「卸売業」は、資本金の額又は出資の総額が1億円以下の会社又は常時使用する従業員の数が100人以下の会社及び個人。
「小売業」は、資本金の額又は出資の総額が5千万円以下の会社又は常時使用する従業員の数が50人以下の会社及び個人。
「サービス業」は、資本金の額又は出資の総額が5千万円以下の会社又は常時使用する従業員の数が100人以下の会社及び個人。

これらの「中小企業」では、賃上げなどとても望めない企業も多いのです。まして、非正規雇用や個人事業者や年金暮らしなどの人たちは、賃上げとは無縁です。

高齢者の生活保護受給者の多くは、単身所帯、つまり、一人暮らしです。年金も二人分だと何とかやり繰りすることができるけど、一人分だと生活に困窮するケースが多いのです。

しかも、「インフレ率を超える賃上げ」という岸田首相の言葉にあるように、賃上げもインフレ、つまり、物価高が前提なのです。ありていに言えば、「商品の値段を上げてもいいので、その代わり賃上げもして下さいね」という話なのです。そして、そこには、国民に向けての「賃上げもするけど(児童手当も拡充するけど)税金も上げますよ」という話も含まれているのです。それを「経済の好循環」と呼んでいるのです。

岸田首相が麗々しくぶち上げた賃上げや「異次元の少子化対策」は、”下”の人々にさらに負担を強いる「弱者切り捨て」とも言えるものです。

しかも、メディアも野党も労働界も左派リベラルも、そういった上か下かの視点が皆無です。それは驚くべきことと言わねばなりません。

■上か下かの政治


一昨年の衆院選で岐阜5区で立憲民主党から出馬し、小選挙区では全国最年少候補として戦った今井瑠々氏が、今春の統一地方選では、自民党の推薦で県議選に立候補することを視野に立憲民主党に離党届を提出した、というニュースがありました。

それに伴い彼女の支援団体も解散した、という記事がハフポストに出ていました。

HUFFPOST
「今井さんごめんね。苦しい中支えきれなくて」今井瑠々氏の自民接近で支援団体が解散

支援団体「今井るるサポーターズ」は、声明の中で、「今井さんごめんね。苦しい中支えきれなくて」と苦渋の思いを吐露していたそうです。私が記事を読んでまず思ったのは、そんなおセンチな「苦渋」などより、支援者たちがみんなミドルクラスの恵まれた(ように見える)女性たちだということです。つまり、立憲民主党と自民党は、同じ階層クラスの中で票の奪い合いをしているだけなのです。だったら、候補者が自民党に鞍替えしても何ら不思議はないでしょう。倫理的な問題に目を瞑れば政治的信条でのハードルはないに等しいのです。

何度もくり返し言いますが、今こそ求められているのは上か下かの政治です。右か左かではなく上か下かなのです。突飛な言い方に聞こえるかもしれませんが、”階級闘争”こそが現代におけるすぐれた政治的テーマなのです。

トランプを熱狂的に支持しているのは、ラストベルトに象徴されるような、「ホワイト・トラッシュ(白いクズ)」と呼ばれる没落した白人の労働者階級ですが、「分断」と言われているものの根底にあるのも、持つ者と持たざる者との「階級」の問題です。

”階級闘争”をアメリカやフランスやイタリアのように、ファシストに簒奪されないためにも、下層の人々に依拠した(どこかの能天気な政治学者が言う)「限界系」の闘う政治が待ち望まれるのです。
2023.01.10 Tue l 社会・メディア l top ▲
publicdomainq-0062446xbqhfa.png
(public domain)



■紅白歌合戦


私は、今年も「紅白歌合戦」は観ませんでした。

前の記事で書いたように、子どもの頃は、大晦日と言えば「年取り」のあと、家族そろって「紅白歌合戦」を観るのが慣例でした。

昔は、テレビというか、受像機自体がお茶の間では欠かすことのできない大きな存在で、テレビを観ないときは芝居の緞帳のような布製の覆いをかぶせていました。それくらい大事なものだったのです。

また、カラー放送が始まる前は、上から赤・青・緑(?)の三色が付いたプラスティック製のテレビ用の眼鏡のようなものを取り付けて、カラー放送を観たつもりになっていました。テレビ用の眼鏡には拡大鏡のようなものもあり、それを取り付けて、14インチのテレビで20インチのテレビを観ているような気分になったりもしていました。

ところが、あの拡大鏡のようなものは何と呼んでいたんだろうと思って、ネットで検索したら、今も「テレビ拡大鏡」という名前で売られていることがわかり、びっくりしました。何とあれはロングセラーの商品になっていたのです。

でも、現在、家族そろってコタツに入り、テーブルの上に置かれたみかんを食べながら(みかんも箱ごと買っていた)、「紅白歌合戦」を“観戦”するというのは想像しづらくなっています。

受像機自体は、昔の拡大鏡で観ていた頃に比べると、信じられないくらい巨大化していますが、しかし、もう昔のような存在感はありません。木製の家具調テレビというのもなくなったし、ましてや芝居の緞帳のような布で覆うこともなくなりました。そもそも家族がそろってみかんを食べるお茶の間というイメージも希薄になっています。いや、一家団欒さえ今や風前の灯なのです。

聞くところによれば、地上波は中高年がターゲットだそうです。若者は、PCやスマホでAmebaやYouTubeを観るのが主流になっており、ひとり暮らしだと、テレビ(受像機)を持ってない若者も多いのだとか。ケーブルテレビを契約している家庭では、地上波の番組よりカテゴリーに特化したケーブルテレビのチャンネルを観ることが多いそうです。

私自身も、いつの間にか「紅白歌合戦」を観ることはなくなり、「紅白歌合戦」を観なくても正月はやって来るようになりました。

平岡正明が採点しながら「紅白歌合戦」を観ていると言われていたのも、今は昔なのです。当時、平岡正明は、朝日新聞に“歌謡曲評”を書いていました。今で言う「昭和歌謡」ですが、あの頃は「歌は世に連れ、世は歌に連れ」などと言われ、歌謡曲が時代を映す鏡だなどと言われていました。

五木寛之が藤圭子をモデルに書いたと言われる『怨歌の誕生』をはじめ、彼の一連の歌謡曲とその背後でうごめく世界をテーマにした小説なども、私は高校時代からむさぼるように読んでいました。平岡正明も五木寛之もそうですが、ジャズの視点で歌謡曲を語るというのも斬新で、インテリの間では歌謡曲を語ることがある種のスノビズムのように流行っていました。 

しかし、今は私自身が歳を取ったということもあるのでしょうが、時間の観念もまったく違ってしまい、まるでタイムラインを見ているように移り変わりが激しく、それにAIみたいなデータでつくられたような歌も多いので、私のような人間は心に留める余裕すら持てません。ヒャダインの分析や批評は秀逸で面白いと思いますが、昔のように世代や属性を越えた「国民的ヒット」が生まれるような社会構造もとっくに消え失せ、もう「誰もが知っている歌」の時代ではなくなったのでした。

■お笑い


では、歌謡曲に代わるのが、現在、テレビを席捲しているお笑いなのかと思ったりもしますが、それもずいぶん危いのです。地上波のメインターゲットが中高年だとすれば、お笑いがそんなに中高年に受け入れられているとは思えません。

大晦日は、日本テレビでやっていた「笑って年越し!世代対決 昭和芸人vs平成・令和芸人」という番組を観ましたが、新世代の芸人だけでなく、「世代対決」と銘打って「昭和芸人」も持って来たところに、中高年をターゲットにする地上波のテレビの苦心が伺える気がしました。しかし、ぶっつけ本番のライブが裏目に出た感じで、余計笑えない芸ばかりが続くので、私はいつの間にか眠ってしまい、目が覚めたら番組は終わっていました。

現在、テレビを席捲しているお笑いは、吉本興業などによって捏造されたテレビ用のコンテンツにすぎません。大衆の欲望や嗜好で自然発生的に生まれたものブームではないのです。だから、大衆や時代との乖離が益々謙虚になってきているように思います。人為的につくられたお笑いブームもぼつぼつ終わりが見えてきた気がしないでもありません。

お笑いにとって、今のような「もの言えば唇寒し」の時代は、あまりに制約が多くやりにくいというか、お笑いが成り立ちにくいのはたしかでしょう。昔のように、歌謡曲で革命を語るような(とんでもない)時代だったら、もっと自由にお笑いが生まれたはずです。

M-1グランプリでウエストランドが優勝して、私も彼らの漫才は最近では唯一笑えましたが、しかし、ウエストランドのような漫才さえも、悪口かどうかと賛否が分かれているというのですから、驚くばかりです。悪口だったらNGだと言うのでしょうか。

今やお笑いをほとんどやめてしまった、タモリ・明石家さんま・ビートたけしの御三家をはじめ、ダウンタウンや爆笑問題やナインティナインが、お笑い芸人のロールモデルであることは、お笑い芸人にとってこれ以上不幸なことはないでしょう。彼等こそ、お笑いをテレビ向けに換骨奪胎してつまらなくした元凶とも言うべき存在だからです。今の彼らはトンチンカンの極みと言うしかないような、貧弱なお笑いの感覚しか持っていません。歌を忘れたカナリアが歌を語るみじめさしかないのです。

ウエストランドのお手本があの爆笑問題であれば、彼らの先は見えていると言えるでしょう。今のお笑いのシステムの中でいいように消費され、たけしや爆笑問題のようなつまらない毒舌になっていくのは火を見るよりあきらかです。

「ごーまんかましてよかですか?」みたいな話になりますが、昔は発言の機会も与えられることがなかった「頭の悪い人たち」が、ネットの時代になり、SNSなどで発言の機会を得て、社会をこのように自分たちで自分たちの首を絞めるような不自由なものにしてしまったのです。

それがGoogleの言う“総表現社会”の成れの果てです。もっとも、「Don't be evil」と宣ったGoogle自身も、今や「Is Google the new devil?」とヤユされるように、偽善者の裏に俗悪な本性が隠されていたことが知られたのでした。”総表現社会”なるものは、「水は低い方に流れる」身も蓋もない社会でしかなかったのです。そのことははっきり言うべきでしょう。

テレビがお茶の間の王様ではなくなったのに、そうであればあるほどテレビは、過去の栄光を取り戻そうとするかのように、「頭の悪い人たち」に迎合して、「水が低い方に流れる」時代の訓導であろうとしているのです。それに随伴するお笑いのコングロマリットが捏造した今のお笑いが、文字通り噴飯ものでしかないのは当然と言えば当然でしょう。

ウエストランドがネタにしていたYouTubeも、広告費の伸び悩みや参入者 の増加による再生回数の奪い合いなどによって、ユーチューバーが謳歌していた”我が世の春”も大きな曲がり角を迎えようとしていますが、皮肉なことにそれは、お笑いにとっても他人事ではないのです。

Twitterの問題に関して、一私企業の営利に担保された「言論の自由」なんて本来あり得ないと言いましたが、それはYouTubeもお笑いも同じなのです。
2023.01.02 Mon l 社会・メディア l top ▲
DSC08018.jpg


先日のゼレンスキー大統領のアメリカ訪問は、何だったんだと思えてなりません。ゼレンスキー大統領がワールドカップの決勝戦の前に演説することをFIFAに申し出て拒否されたというニュースがありましたが、アメリカ議会でのまさに元俳優を地で行くような時代がかった演説と映画のシーンのような演出。

しかし、アメリカ訪問の目玉であったパトリオットの供与も、報道によれば1基のみで、しかも旧型だという話があります。1基を実践配備するには90人の人員が必要だけど、運用するのは3人で済むそうです。あのアメリカ訪問の成果がこれなのか、と思ってしまいました。

もちろん、配備や運用には兵士の訓練が必要で、それには数ヶ月かかるそうですが、「訓練を受ける人数や場所はまだ未定」だそうです。

今回の中間選挙で下院の多数派を奪還した共和党は、ウクライナへの軍事支援に対して反対の議員が多く、国民の間でも反対が50%近くあるという世論調査の結果もあります。

折しも今日、ウクライナが再びロシア本土を攻撃したというニュースがありました。ゼレンスキー大統領は、奪われた領土を奪還しない限り、戦争は終わらないと明言しています。

今回の大山鳴動して鼠一匹のような「電撃訪問」には、アメリカがウクライナ支援に対して、徐々に腰を引きつつある今の状況が映し出されているような気がしないでもありません。

反米のBRICS側からの視点ですが、アメリカとウクライナの関係について、下記のような指摘があります。私たちは日頃、欧米、特にアメリカをネタ元にした報道ばかり目にしていますが、こういった別の側面もあるということを知る必要があるでしょう。

BRICS(BRICS情報ポータル)
米国企業は、ウクライナの耕地の約 30% を所有しています

記事の中で、執筆者のドラゴ・ボスニック氏は、次のように書いていました。

米国の3つの大規模な多国籍企業 (「カーギル」、「デュポン」、「モンサント」) は合わせて、1,700 万ヘクタールを超えるウクライナの耕作地を所有しています。

比較すると、イタリア全体には 1,670 万ヘクタールの農地があります。要するに、3 つのアメリカ企業は、イタリア全土よりも多くの使用可能な農地をウクライナに所有しています。ウクライナの総面積は約60万平方キロメートルです。その土地面積のうち、170,000 平方キロメートルが外国企業、特に大多数が米国に本拠を置いている、または米国が資金を提供している欧米企業によって取得されています。(略)オーストラリアン・ナショナル・レビューによる報告(ママ)米国の 3 つの企業が、6,200 万ヘクタールの農地のうち 17 を 1 年足らずで取得したと述べています。これにより、彼らはウクライナの総耕地の 28% を支配することができました。


また、ドラゴ・ボスニック氏は、ロシア派のヤヌコーヴィチ政権を倒した2014年の「ユーロマイダン革命」のことを「ネオナチによるクーデター」と表現していました。

ウクライナでは、2004年の「オレンジ革命」と、その10年後の「ユーロマイダン革命」という、欧州派による二つの政治運動があり、現在は「ユーロマイダン革命」後の政治体制下にあります。ただ、それらが選挙で選ばれた政権を倒したという意味においては、「クーデター」という言い方は必ずしも間違ってないと思います。しかも、欧州派が掲げたのは、ありもしない「民族」を捏造したウクライナ民族主義でした。それが「ネオナチ」と言われる所以です。

奪われた領土を奪還するまで戦争はやめないというゼレンスキー大統領の主張は、「オレンジ革命」や「ユーロマイダン革命」で掲げられたウクライナ民族主義に依拠した発言であるのは間違いないでしょう。しかし、ウクライナは、ロシア語しか話さないロシア語話者が3割存在し、公用語も実質的にウクライナ語とロシア語が併用されていた多民族国家でした。ゼレンスキー自身も、母語はロシア語でした。しかし、「ユーロマイダン革命」以降、ウクライナ民族主義の高まりから、公的な場や学校やメディアにおいてロシア語の使用が禁止されたのでした。多民族国家のウクライナに偏狭な民族主義を持ち込めば、排外主義が生まれ分断を招くのは火を見るよりあきらかです。

そんなウクライナ民族主義の先兵として、少数民族のロマやロシア語話者や性的マイノリティや左派活動家などを攻撃し、誘拐・殺害していたのがアゾフ連隊(大隊)です。アゾフ連隊のような準軍事組織(民兵)の存在に、ウクライナという国の性格が如実に示されているような気がしてなりません。

最近やっとメディアに取り上げられるようになりましたが、一方でウクライナには、ヨーロッパでは一番と言われるくらい旧統一教会が進出しており、国際勝共連合がアゾフ連隊を支援していたという話もあります(国際勝共連合は否定)。それに、ウクライナは、侵攻前までは人身売買や違法薬物が蔓延する、ヨーロッパでもっとも腐敗した“ヤバい国”である、と言われていました。ウクライナにおいて、オリガルヒ(新興財閥)というのは、違法ビジネスで巨万の富を築いた、日本で言えば”経済ヤクザ”のフロント企業のような存在です。腐敗した社会であるがゆえに、ヤクザが「新興財閥」と呼ばれるほど経済的な権益を手にすることができたのです。

私は、サッカーのサポーターから派生したアゾフ連隊のような準軍事組織について、ハンナ・アレントが『全体主義の起源』で書いていた次の一文を想起せざるを得ませんでした。アゾフ連隊が、ハンナ・アレントが言う「フロント組織」の役割を担っていたように思えてなりません。

 フロント組織は運動メンバーを防護壁で取り巻いて外部の正常の世界から遮断する、と同時にそれは正常な世界に戻るための架け橋になる。これがなければ権力掌握前のメンバーは彼らの信仰と正常な人々のそれとの差異、彼ら自身の虚偽の仮構と正常な世界のリアルティとの間の相違をあまりに鋭く感じざるを得ない。


また、牧野雅彦氏は、『精読  アレント「全体主義の起源」』(講談社選書メチエ)の中で、ハンナ・アレントが指摘した「フロント組織の創設」について、次のように注釈していました。

 非全体主義的な外部の世界と、内部の仮構世界との間の媒介、内外に対する「ファサード」、一種の緩衝装置としてフロント組織は機能する。(略)この独特の階層性が、(略)全体主義のイデオロギーの機能、イデオロギーと外的世界のリアルティとの関係・非関係を保証するのである。


日本のメディアもそうですが、ジャーナリストの田中龍作氏なども、ウクライナは言論の自由が保証された民主国家だと盛んに強調しています。しかし、それに対して、アジア記者クラブなど一部のジャーナリストが、でまかせだ、ウクライナの実態を伝えていない、と反論しています。そもそも、アゾフ連隊のような準軍事組織が存在したような国が民主国家と言えるのか、という話でしょう。

ゼレンスキー大統領の停戦拒否、徹底抗戦の主張に対して、さすがにアメリカも腰が引けつつあるのではないか。そんな気がしてなりません。

とまれ、どっちが善でどっちが悪かというような“敵・味方論”は、木を見て森を見ない平和ボケの最たるものと言えるでしょう。

何度も言いますが、私たちは、テレビで解説している事情通や専門家のように、国家の論理に与するのではなく、反戦平和を求める地べたの人々の視点からこの戦争を考えるべきで、それにはロシアもウクライナもないのです。


関連記事:
ウクライナのアゾフ大隊
2022.12.27 Tue l 社会・メディア l top ▲
DSC00057.jpg


新型コロナウイルスの感染拡大が続いていますが、重症化リスクは少ないとして、ワクチン接種の呼びかけ以外はほとんど野放しの状態です。しかし、発熱外来には患者が詰めかけて診療制限する病院も出ていますし、病床使用率も軒並み上がっています。

NHKがまとめた12月21日現在の都道府県別の病床使用率を見ると、60%を超えている自治体は以下のとおりです。なお、全国平均も既に55%に達しています。

神奈川県 81%
滋賀県 77%
埼玉県 75%
群馬県 75%
茨城県 70%
愛知県 67%
栃木県 66%
岡山県 65%
福岡県 64%
青森県 61%
福島県 60%
愛媛県 60%
長崎県 60%

ワクチン接種状況も、デジタル庁が発表した接種率を見ても、3回目以降の接種率が大きく落ちているのがわかります。12月21日現在の数字は以下のとおりです。

※全人口に対する割合
1回目 77.81%
2回目 77.30%
3回目 67.54%
4回目 42.73%
5回目 16.44%

一方、ゼロコロナ政策を転換した中国では、転換した途端に感染が急拡大しており、朝日新聞は、「中国政府が21日に開いた内部会議の議事録が出回り、12月1~20日の国内の新型コロナ感染者数が2億4,800万人に達するとの推計が示された」と伝えていました。

朝日新聞デジタル
コロナ感染、20日間で2.5億人? 中国政府、内部会議で推計

また、別の記事では、「コロナによるとみられる死者が増え続けて」おり、「北京では火葬場の予約が埋まり、お別れが滞る事態も始まった」と伝えていました。「敷地内の火葬場に向かう道にも、ひつぎをのせた車の行列が出来ていた」そうです。

朝日新聞デジタル
中国で統計に表れぬ死、次々と 渋滞の火葬場、遺影の行列は1時間超

何だか習近平の「ざまあみろ」という声が聞こえてきそうです。「愚かな人民の要求を受け入れるとこのざまだ」「思い知るがいい」とでも思っているのかもしれません。

中国がどうしてこんなに感染が急拡大しているのかと言えば、隔離優先でワクチン接種が疎かにされたからだという見方があります。

日本でも日本版Qアノンや参政党のような反ワクチン派がいつの間にか市民権を得たかのように、「オミクロンは風邪と同じ(風邪よりリスクは低い)」「ワクチンなんか不要(無駄)」の風潮が広がっていますが、個人として重症化リスクを回避するためにはやはりワクチンは無駄ではなく、中国が置かれている状況から学ぶべきものはあるでしょう。

一方、入国制限の(事実上の)撤廃によって、外国人観光客も徐々に増えており、また、全国旅行支援などによって、国内旅行も大幅に回復、観光地は千客万来とまではいかないまでも、久々に賑わいが戻っているそうです。観光庁が発表した宿泊旅行統計調査でも、10月の宿泊者数は前年同月比38%増でした。

ところが、観光地ではせっかくの書き入れどきなのに、人出不足が深刻だそうで、ついこの前まで閑古鳥が鳴いていると嘆いていたことを考えれば、180度様変わりしているのでした。

産経ニュース
人手不足でホテルや旅館が悲鳴 「稼ぎ時なのに」予約や夕食中止に 外国人活用の動きも

記事ではこう書いていました。

本来なら稼ぎ時だが、人手不足のため宴会や夕食の受付をストップして朝食のみにしたり、客室の稼働を減らしたりしているといい、「清掃やベッドメイキングも、午後3時に終わらせるように、みんなで大慌てでやっている」と語る。


(略)需要急増に人材確保が追いつかず、帝国データバンクが全国2万6752社(有効回答企業数は 1 万1632社)を対象に行った調査「人手不足に対する企業の動向調査」(10月18~31日)によると、旅館・ホテル業では、65・4%が正社員が不足していると回答し、75・0%が非正社員が不足していると答えた。時間外労働が増加した企業は66・7%に及ぶという。


また、先日のテレビのニュースでも、人出不足のため、部屋食をやめてバイキングにしたり、浴衣やアメニティなどもお客が各自で持って部屋に入るなど、セルフサービスに切り替えて対応している温泉ホテルの「苦肉の策」が放送されていました。

でも、ひと言言いたいのは、今の人出不足は、従業員が自主的に離職からではなく、雇用助成金を手にしながら、最終的にはリストラして辞めさせたからでしょう。仕方ない事情があったとは言え、何をいまさらと言えないこともないのです。

しかも、話はそれだけにとどまらないのでないか。私は、以前、山で会った会社経営者だという人が言っていた、「コロナによって今まで10人でやっていた仕事が実は5人でもできるんだということに気づかされたんですよ」という言葉が思い出されてなりません。

アメリカのように、レイオフ(離職)された労働者に手厚い支援策があれば、職場に戻ってくる人間が少ないというのはわかりますが、日本の場合そうではないので、「職場に戻って来ない」のではなく、「戻れない」のではないか。あるいは他の業種に移ってしまったのではないか。

上記の観光ホテルにしても、「困っている」というのは建前で、これを機会に人件費を削って省力化したサービスに転換する、というのが本音かもしれません。日本人が集まらないので外国人を「活用」するというのも、賃金の安い方にシフトするのをそう言っているだけようにしか聞こえません。

もちろん、完全にコロナが終息したわけではなく、またいつ前に戻るかもわからないので積極的に雇用できないという事情もあるでしょう。

今の物価高にしも同じです。円安だからという理由でいっせいに値上げしたにもかかわらず、今のように再び円高に戻っても、価格を戻すわけではないのです。それどころか、今度はエネルギー価格の高騰を理由に、第二弾第三弾の値上げもはじまっています。まるで円安やエネルギー価格の高騰を奇貨に、横並びでいっせいに値上げするという、「赤信号みんなで渡れば怖くない」”暗黙の談合”の旨味を知ったかのようです。この際だからと値上げラッシュを演じているような気がしないでもありません。でも、資本主義の法則に従えば、それは最終的には自分たちの首を絞めることになるのです。

今まで日本の企業は、原価が上がっていたにもかかわらず、消費者の買い控えと低価格志向によって価格に転嫁できなかったと言われていました。そのため、賃上げもできず、いわゆるデフレスパイラルの負の連鎖に陥ったと言われていたのです。しかし、一方で、企業の内部留保は拡大の一途を辿っていました。

岸田首相が経団連に賃上げを要請しても、経団連に加盟しているのは僅か275社で、誰でも知っているような大企業ばかりです。日本では、大企業に勤める労働者は約30%で、残りの70%は賃上げなど望めない中小企業の労働者です。しかも、賃労働者は4,794万人しかいません。年金生活者や自営業者など、最初から賃上げとは関係ない人たちも多いのです。そんな中で、今のように生活必需品に至るまで横並びの値上げが進めば、貧困や格差がいっそう広がって深刻化するのは目に見えています。

折しも、昨日、11月の消費者物価指数が3.7%上昇し、これは40年11カ月ぶりの水準だった、というニュースがありました。前も書きましたが、これでは貧乏人は死ねと言われているようなものです。ところが、帝国データバンクの調査によれば、来年の1月から4月までに値上げが決まっている食品は、既に7,152品目にのぼるそうです。年が明ければ、さらなる値上げラッシュが待ち受けているのです。

このように、資本が臆面もなく、半ば暴力的に、欲望(本音)をむき出しにするようになっているところに、私は、資本主義の危機が表われているような気がしてなりません。

仮に負のスパイラルに陥っているのであれば、まず今の貧困や格差社会の問題を改善することが先決でしょう。たとえば、低所得者に毎月現金を支給するとか、全体的に底上げして購買力を上げない限り、エコノミストたちが言うように、企業も価格転嫁できないし、価格転嫁できなければ賃上げもできないでしょう。そういう循環が生まれないのは誰でもわかる話です。

収入が増えないのに物価だけが上がれば、多くの国民が追い詰められ、社会に亀裂が生じるのは火を見るよりあきらかです。この異次元の物価高=資本主義の危機に対して、世界各地では大衆蜂起とも言えるような抗議デモが起きていますが、ワールドカップの会場でゴミ拾いしてお行儀のよさをアピールするような日本ではその兆候すらありません。それどころか、逆に軍拡のために増税や社会保障費の削減が取り沙汰されているあり様です。このままでは座して死を待つしかないでしょう。

くり返しになりますが、今まで価格転嫁できなかったからと、万単位の品目がいっせいに値上げされ、そのくせ、大企業は史上最高の516兆円(2021年)の内部留保を溜め込んでいるのです。その一方で、相対的貧困率は15.4%にも達し、約1,800万人の国民が、単身者世帯で約124万円、2人世帯で約175万円、3人世帯で約215万円、4人世帯で約248万円の貧困線以下で生活しているのです。

最後に再び『対論 1968』から引用します。と言って、私は、『対論 1968』を無定見に首肯しているわけではありません。むしろ、後ろの世代としては違和感を覚える部分も多いのです。ただ、いくつになっても愚直なまでに青臭い彼らの”状況論”には、耳を傾けるべきものがあると思っています。本土決戦を回避してのうのうと生き延びた親たちへのアンチ・テーゼとして新左翼の暴力があった、という解釈などは彼らにしかできないものでしょう。それは感動ですらあります。

笠井 (略)アメリカでは、階級脱落デクラセ化した産業労働者のアイデンティティ回復運動が、現時点ではトランプ支持派として顕在化している。そうした力は右にも左にも行きうるし、”68年”には日本でも全共闘として左翼的な方向に進んだ。しかし今の日本には、仮にそういった動きが現れたところで、左翼側にそれを組織できるヘゲモニー力は存在しないから、アメリカと同じで排外主義的な方向に流れる可能性の方が高い。


笠井 ”主権国家の解体”は、我々がそれを望もうと望むまいと、従来のそれがどんどん穴だらけになって弱体化していくし、あとは単にどういう崩れ方をするかというだけの問題になってきている。ナショナリズムが声高に主張されたり、国家による管理の強化がおこなわれたりするのは、そういう解体過程における過渡的な逆行現象の一つにすぎないと思う。



関連記事:
『3.11後の叛乱』
2022.12.24 Sat l 社会・メディア l top ▲
publicdomainq-0065745kssfzy.jpg
(public domain)


同じような話のくり返しですが、政府が「反撃能力」(敵基地攻撃能力)の保有を明記し、2024年度から5年間で防衛費を16兆円(1.5倍)増額して43兆円にする方針などを示した新しい安全保障関連3文書を閣議決定しました。それによって、日本の防衛政策は「歴史的な大転換」が行われたと言われています。

それを受けて週末(17・18日)、各メディアによって世論調査が行われ、その結果が報じられています。

毎日新聞の世論調査では、防衛費増額について、賛成が48%、反対が41%、わからないが10%だったそうです。

また、財源の増税については、賛成が23%、反対が69%。国債の発行については、賛成が33%、反対が52%でした。「社会保障費などほかの政策経費を削る」ことについては、賛成が20%で、反対が73%でした。

Yahoo!ニュース
毎日新聞
岸田内閣支持率25% 政権発足以降で最低 毎日新聞世論調査

一方、朝日新聞の世論調査でも、防衛費増額について、賛成が46%、反対が48%と「賛否が分かれた」そうです。「敵基地攻撃能力」の保有については、賛成56%、反対38%でした。

財源の1兆円増税については、賛成29%、反対66%で、国債の発行についても、賛成27%、反対67%でした。

朝日新聞デジタル
内閣支持率が過去最低31%、防衛費拡大は賛否割れる 朝日世論調査

これを見て、為政者たちは「じゃあどうすればいんだ?」と思ったことでしょう。防衛費増額については賛否が分かれたものの、「敵基地攻撃能力」の保有は賛成が多く、費用については増税も国債もどれも反対が大幅に上回っているのです。

ということは、防衛費増額(防衛力の拡大)に賛成しながら、増税も国債の発行も反対という回答も多くあるわけで、そういった矛盾した回答には口をあんぐりせざるを得ません。

日本は軍拡競争というルビコンの橋を渡る「防衛政策の歴史的大転換」に踏み切ったのです。安保3文書で示された2027年までの「中期防衛力整備計画」は、ホンの始まりにすぎません。常識的に考えても、装備を増やせばその維持管理費も増えるので、さらに新しい武器を揃えるとなると、その分予算を積み増ししなければなりません。1%の増税で済むはずがないのです。もちろん、毎年3兆円、私たちに向けられた予算が削られて防衛費に転用することも決まったのですが、それも増えることになるでしょう。これは、あくまで軍拡の入口にすぎないのです。

この世論調査の回答からも、自分たちは関係ない、汚れ仕事は自衛隊に任せておけばいいという、国民の本音が垣間見えるような気がします。為政者ならずとも「勝手なもんだ」と言いたくなります。そんな勝手が通用するはずがないのです。

先の戦争では、国民は、東條英機の自宅に「早く戦争をやれ!」「戦争が恐いのか」「卑怯者!」「非国民め!」というような手紙を段ボール箱に何箱も書いて送り、戦争を熱望したのです。そのため、東條英機らは清水の舞台から飛び降りるつもりで開戦を決断したのです。ところが、敗戦になった途端、国民は、自分たちは「軍部に騙された」「被害者だ」と言い始めて、一夜にして民主主義者や社会主義者に変身したのです。

私は、その話を想起せざるを得ません。

だったら、徴兵制と大増税で、傍観者ではなく当事者であることを嫌というほど思い知ればいいのだと思います。「敵基地攻撃能力」(先制攻撃)の保有によって、中国や北朝鮮からの挑発も今後さらに激しくなってくるでしょう。一触即発までエスカレートするかもしれません。そうなれば、当然徴兵制復活の声も出て来るに違いありません。「中国が」「ロシアが」「韓国が」と言っている若者たちも、徴兵されて「愛国」がなんたるかを身を持って体験すればいいのだと思います。

一方で、徴兵制について、次のような捉え方もあります。たまたま出たばかりの笠井潔と絓(すが)秀実の対談集(聞き手・外山恒一)『対論 1968』(集英社新書)を読んでいたら、連合赤軍の同志殺しについて、笠井潔が次のように語っているのが目に止まりました。

笠井 (略)赤軍派の前乃園紀男(花園紀男)の言葉があるよね。「狭いけど千尋の谷があって、普通の脚力があれば、思い切って跳べば跳べる程度の距離なんだから、跳べばよかったのに、いざ千尋の谷を目の前にすると体がすくんで、とりあえず跳ぶ訓練をしようと言い出し、総括の連続で自滅していった」、つまり「そもそも”訓練”なんか必要なかった。単に”跳んで”いれば連合赤軍みたいなことは起きなかった」といった趣旨の。まったくの正論ですが、その上で”投石”と”銃撃戦”の間に”千尋の谷”が存在した理由を考えなければいけない。ベトナム戦争の戦時中だったアメリカはもちろん、イタリアやドイツにも当時は徴兵制があったし、学生の多くは徴兵制は免除されたにしても、同年代に軍隊経験のある友達はいくらでもいた。
 徴兵制の有無は大きいですよ。


若者が軍隊経験を持つ=暴力を身に付けることによって、その暴力が政治の手段に転化し得る可能性があるということです。徴兵制は、”政治暴力”とそれをコントロールするすべを学ぶ絶好の機会チャンスにもなるのです。もちろん、「千尋の谷」を跳ぶ必要もなくなります。

徴兵制というのは、日常や政治に暴力を呼び込むということであり、国家権力にとっても両刃の剣でもあるのです。最近では、安倍晋三元首相銃撃事件が好例です。山上容疑者が自衛隊で暴力の訓練を受けてなければ、少なくとも銃殺するという発想を持つことはなかったでしょう。

とまれ、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」と思っているなら、みんなで戦争への道に突き進めばいいのです。加速主義というのは、平たく言えば、そういう話でしょう。このどうしようもない国民の意識は、加速主義による「創造的破壊」によってしか直しようがないのではないかと思います。

現在、世界を覆っている未曽有の資源インフレに示されているように、資本主義が臨界点に達しようとしているのはたしかで、政治と経済が共振して資本主義の危機がより深化しているのは否定しようがない気がします。

アメリカが唯一の超大国の座から転落して世界は間違いなく多極化する、と前からしつこいほど言ってきましたが、アメリカの凋落と国内の分断、ロシアや中国の台頭など、ますますそれがはっきりしてきたのです。ロシアがあれほどの蛮行を行っても、西側のメディアが報じるほどロシアは世界で孤立しているわけではないのです。

ウクライナが可哀そうと言っても、従来のようにアメリカが直接軍事介入を行うことはできないのです。ウクライナがNATO加盟国ではないからとか、核戦争を回避するためだとか言われていますが、しかし、ベトナム戦争のときでもソ連は核を持っていました。でも、アメリカは直接軍事介入したのです(できたのです)。

戦後、アメリカは戦争して一度も勝ったことがないと言われていますが、たしかに考えてみればそうです。それでいい加減トラウマができて、国内世論も軍事介入することに反対の声が大きくなったということもあるかもしれません。しかし、それ以上に、アメリカがもはや他国に軍事介入するほどの力がなくなったということの方が大きいのではないか。言うなれば、毛沢東が言った「アメリカ帝国主義は張り子の虎である」ことが現実になった、と言っていいかもしれません。今回の日本の「防衛政策の歴史的大転換」もその脈絡で見るべきでしょう。
2022.12.19 Mon l 社会・メディア l top ▲
publicdomainq-0049230gqjapp.jpg
(public domain)


防衛費の増額分の財源をめぐって、自民党の税制調査会が紛糾しているというニュースがありました。

2023年4月から2027年3月までの次の「中期防衛力整備計画」では、防衛費が今(2019年4月~2023年3月)の27兆円から43兆円へと大幅に増額される予定で、そのためには毎年あらたに4兆円の財源が必要になると言われています。そのうち3兆円は他の予算を削ったり余剰金を使ったりして賄う予定だけど、1兆円の財源が不足すると言うのです。税制調査会では、その財源をどうするか、増税するかどうかという議論が行われたのでした。

岸田首相が表明したのが、復興特別取得税を充てるという案です。復興特別所得税は、2011年の東日本大震災の復興費用の財源を確保するために創設した特別税で、2013年から2037年までの25年間、個人が払う所得税額の2.1%分を加算するようになっています。岸田首相は、2024年以降に2.1%のうち1%を防衛費に充てて、さらに期間も2037年から20年(14年という説もある)延長するという案をあきらかにしたのでした。

しかし、昨日(14日)開かれた自民党の税制調査会では、この岸田首相の案に対して異論が噴出、結論を今日以降に持ち越したのでした。岸田首相の増税案に対して、強硬に反対しているのは安倍元首相に近いと言われる清話会の議員たちです。彼らが主張しているのは、萩生田政調会長に代表されるように、増税ではなく国債を発行するという案です。

ここでも、旧宏池会+財務省VS清話会という、緊縮財政派と積極財政派の自民党内の対立が表面化しているのでした。そして、その先に、消費税増税を視野に入れた旧宏池会+財務省+立憲民主党など野党の増税翼賛体制が構想されている、というのが鮫島浩氏の見立てですが、たしかに税制調査会でも、岸田首相の復興所得税を充てる案は「財務省の陰謀だ」という声が出たそうです。

一方、税制調査会の幹部たちは、法人税・所得税・たばこ税3税を増税して充てるという、復興所得税を転用した案で大筋合意し、それを叩き台として午後の会合に提案したのですが、やはり異論が噴出して合意に至らなかったということでした。

もっとも、1兆円が不足するというのも、机上の計算にすぎません。政府は3兆円強は歳出改革等で賄うと言ってますが、ホントに歳出改革が予定どおりいくのか保障はありません。

いづれにしても、防衛費の大幅増額は既定路線になっており、現在、議論されているのは財源の問題なのです。防衛費の大幅増額がホントに必要なのか、という手前の議論ではないのです。

政府は、”反撃能力”の保有に伴い、敵基地攻撃の発動要件についても検討に入ったそうです。でも、敵基地攻撃に転換すれば、逆に先制攻撃を含めた反撃の標的になるでしょう。

忘れてはならないのは、防衛費増額がアメリカの要請に基づくものだということです。バイデン大統領が軍需産業とつながりが深いのは有名な話ですが、しかし、アフガンからの惨めな撤退に象徴されるように、アメリカはもはや「世界の警察官」ではなくなったのです。そこでバイデンが新たに編み出したのが”ウクライナ方式”です。今の中国による台湾侵攻の危機は、そのアジア版とも言えるものです。

防衛費(軍事予算)がGDPの2%を超えると、日本はアメリカ・中国につづく軍事大国になるそうですが、バイデン政権は、そうやって日本に世界でトップクラスの軍備増強を求め、大量の武器を売りつけようとしているのです。それが向こう5年間で16兆円増額するという、途方もない整備計画につながっているのでした。

”反撃能力”というのは言葉の綾で、本来は先制攻撃能力と言うべきです。日本が先制攻撃能力を保有すれば、専守防衛という憲法の理念に反するだけでなく、周辺国との間に軍事的緊張を高めることになります。にもかかわらず、「防衛政策の大転換」に踏み切ったのは、アメリカのトマホークを買うためだという話もあり、さもありなんと思いました。まさに対米従属が日本の国是だと言われる所以です。

軍備増強に関連して、次のような記事もありました。

47NEWS
共同通信
防衛省、世論工作の研究に着手 AI活用、SNSで誘導

 防衛省が人工知能(AI)技術を使い、交流サイト(SNS)で国内世論を誘導する工作の研究に着手したことが9日、複数の政府関係者への取材で分かった。インターネットで影響力がある「インフルエンサー」が、無意識のうちに同省に有利な情報を発信するように仕向け、防衛政策への支持を広げたり、有事で特定国への敵対心を醸成、国民の反戦・厭戦の機運を払拭したりするネット空間でのトレンドづくりを目標としている。


下のようなイメージした図もありました。

防衛省世論誘導

前に、防衛省の機関である防衛研究所の研究員が、連日テレビに出演して、ロシアのウクライナ侵攻の解説を行っているのは、戦時の言葉を流布するプロパガンダの怖れがあるのではないか、と書いたことがありましたが、彼ら戦争屋は、まるで火事場泥棒のように、ヤフコメやツイッターやユーチューブを舞台に、AIを利用した挙国一致の世論作りを画策しているのです。文字通り、デジタル・ファシズムを地で行く企みと言っていいでしょう。「中国が」「ロシアが」と言いながら、中国やロシアがやっていることと同じものを志向しているのです。敵・味方を峻別しながら、中身は双面のヤヌスのように同じで、だからいっそう敵・味方を暴力に峻別したがるという、戦争屋=全体主義者にありがちな二枚舌が露呈されているように思えてなりません。

もっともその前に、メディアの「中国が攻めて来る」という報道が功を奏したのか、読売新聞が今月4日に実施した世論調査では、防衛費増額に対して、賛成が51%で反対の42%を上回ったという結果が出ていました。さすが「報道の自由度ランキング」71位(2022年度)の国の面目躍如たるものがあると思いました。

読売新聞オンライン
防衛費増額「賛成」51%、原発延長「賛成」51%…読売世論調査

また、立憲民主党も、軍備増強の流れに掉さすように、近々「反撃能力の一部」を容認する方針だ、という記事もありました。

47NEWS
共同通信
反撃能力保有、立民が一部容認へ 談話案判明、着手段階の一撃否定

 政府が安全保障関連3文書を16日にも閣議決定する際、立憲民主党が発表する談話の原案が判明した。敵の射程圏外から攻撃可能な「スタンド・オフ・ミサイル」について「防衛上容認せざるを得ない」と明記し、反撃能力の保有を一部認めた。


まさに野党ならざる野党の正体見たり枯れ尾花といった感じです。

でも、防衛費(国防費)の増大が国家にとって大きな負担になり、経済が疲弊して国民生活が犠牲を強いられるようになるのは、世の東西を問わず歴史が立証していることです。

厚生労働省が発表した2018年の貧困線(国民の等価可処分所得の中央値の半分の額)は、単身者世帯で約124万円、2人世帯で約175万円、3人世帯で約215万円、4人世帯で約248万円となっています。貧困線以下で生活している人の割合、つまり、相対的貧困率は15.4%です。日本の人口の15.4%は約1800万人です。

一般会計予算の中でいちばん多いのは、社会保障関係費で、40兆円近くあり全体の35%近くを占めていますので、防衛費を捻出するために、社会保障関係費が削減の対象になる可能性は大きいでしょう。前に書いた生活保護の捕捉率を見てもわかるとおり、日本は社会保障後進国なのですが、防衛力強化と引き換えに益々社会保障が後退する恐れがあるのです。

ましてや、日本は韓国にもぬかれ、経済的にアジアでも存在感が薄らいでいく一方の下り坂にある国なのです。戦争になれば、さらに最大の貿易相手国を失うことになるのです。そんな国に戦争する余力があるとはとても思えません。

「中国と戦争するぞ、負けないぞ」と威勢のいいことを言っても、所詮はやせ我慢にすぎないのです。中国が日本に対して、「あまり調子に乗らない方が身のためだぞ」というような、やけに上から目線でものを言うのも、とっくにそれを見透かされているからでしょう。

軍備増強によって、国力が削がれ益々没落していくのが目に見えているのに、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」みたいな同調圧力による「集団極化現象」によって、とうとう軍拡というルビコンの橋を渡るまでエスカレートしていったのでした。いわゆる軽武装経済重点主義で、戦後の経済成長を手に入れたことなどすっかり忘れて、再び戦争の亡霊に取り憑かれているのです。その先に待っているのは、軍拡競争という無間地獄です。

装備は分割で購入するそうなので、装備を増やせばローン代も含めて維持管理費も増えるので、新たな装備を買おうとすれば、さらに予算を積み増ししなければなりません。そうやって経済的な負担が際限もなく膨らんでいくのです。

まだ発売になっていませんが(近日発売)、安倍元首相を「お父さま」と慕うネトウヨが安倍元首相を殺害するという、「安倍晋三元首相暗殺を予言した小説」として話題になった奇書『中野正彦の昭和九十二年』(イースト・プレス)の帯に、「本当の本音を言うと、みんな戦争がやりたいのだ」という惹句がありましたが、防衛費増額に対する国民の反応を見るとそうかもしれないと思うことがあります。

国民の大方の反応は、防衛力強化は必要だけど、増税は嫌だという勝手なものです。もちろん、自分たちが銃を持って戦う気なんてさらさらありません。汚れ仕事は自衛隊にやらせればいいと思っているのです。

しかし、いくら軍事費を増やしても自衛隊だけでは戦争は完遂できないので、いづれ幅広い予備役の制度(つまり徴兵制)が必要になるでしょう。だから、防衛省も世論工作の必要を感じているのだと思います。

仮に百歩譲って軍備増強が抑止力になるという説に立っても、装備だけでは片手落ちでマンパワーが重要であるのは言うまでもありません。現在の日本の兵士数は26万人弱で、世界で24番目の規模です。装備とともに訓練された兵士も増やさなければ、画竜点睛を欠くことになるでしょう。このまま行けば当然、徴兵制の議論も俎上にのぼってくるはずです。

白井聡氏の『永続敗戦論』の中に、家畜人ヤプーの喩えが出ていましたが、たしかに、日本の指導者たちは、アメリカの足下に跪き、恍惚の表情を浮かべながら上目遣いでご主人様を仰ぎ見る家畜人ヤプーのようです。一方、国民は、所詮は他人事とタカを括り、対米従属愛国主義の被虐プレイを観客席から高みの見学をしてやんやの喝采を送るだけです。今回の軍備増強=「防衛政策の大転換」に対しては、そんな世も末のような自滅する日本のイメージしか持てないのです。


追記:(12月16日)
上記の『中野正彦の昭和九十二年』は、発売日前日に「ヘイト本だ」という社内外の懸念の声を受けて急遽発売中止が決定。版元が既に搬入していた本を書店から回収するという事態に陥り、購入が難しくなりました。でも、「ヘイト本」であるかどうかを判断するのは読者でしょう。
2022.12.15 Thu l 社会・メディア l top ▲
1948592.jpg

自民党へすり寄る立民と国民民主。立憲民主党は、国民民主党や連合に先を越されて焦っているのかもしれません。

野田佳彦のようなゾンビが未だに徘徊している立憲民主党は、国民民主党とどう違うのか、それを説明できる人なんていないでしょう。

浅田彰は、田中康夫との対談で、野田佳彦の安倍追悼演説は「噴飯ものだった」と、次のようにこき下ろしていました。

現代ビジネス
「憂国呆談」第5回 Part1
安倍追悼演説で野田がダメダメだった理由を、改めて明かそう《田中康夫・浅田彰》

浅田 (略)「再びこの議場で、あなたと、言葉と言葉、魂と魂をぶつけ合い、火花散るような真剣勝負を戦いたかった」とか言って自分で感動してたけど、安倍との最後の党首討論では一方的に押しまくられて衆議院解散・総選挙に追い込まれ、結果、安倍自民党に政権を譲り渡しただけ。あの醜態のどこが「言葉と言葉、魂と魂をぶつけ合う真剣勝負」なの?


一方、田中康夫は、「追悼演説はとても素晴らしかった」と礼賛した『週刊朝日』の室井佑月のコラムを、次のようにやり玉に上げていました。

田中 (略)「『勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん』という言葉に、微(かす)かに勝てる兆しが見えた気がした。野党というか、野田さんはまだ諦めていない。野党を応援しているあたしも、『よっしゃまだまだこれから』という気分になった。一部、野党の偉い人が、野田さんの演説に対し『とても男性のホモソーシャル的な演説だと思った』といっていたが、足を引っ張るのはやめていただきたい」との文章には絶句したよ。


翼賛体制へと突き進む野党ならざる野党の醜悪は、政党の問題だけではないのです。彼らに随伴する「野党共闘」の市民団体も同じです。

田中のやり玉は続きます。

田中 (略)それにしても、「れいわとかあんなもん野党じゃない」と大宮駅前の街頭演説で絶叫する動画が話題となった枝野幸男は、「総選挙で時限的とは言え『消費税減税』を言ったのは政治的に間違いだった。2度と『減税』は言わない」と自分のYouTubeで平然と“広言”した(略)。
それを山口二郎チルドレンのような存在の千葉商科大学の田中信一郎が、「野党全体に立ち位置と戦略の再考を突き付けた。その意味を各党が受け止められるかどうかで、今後の日本が変わる」と牽強付会(けんきょうふかい)な見出しを付けて朝日新聞の「論座」で、「自民党とは異なる経済認識に基づく、経済政策の選択肢を明確に打ち出す」 「枝野発言は『個人重視・支え合い』の国家方針に拠る」と語るに至っては、イヤハヤだ。


私も、「論座」の田中信一郎氏の投稿を読みましたが、「語るに落ちた」という感想しか持てませんでした。

家庭用電気料金は、NHKの調べでは昨年の秋以降、既に20%上がっているそうですが、さらに電力各社は、来年の1月以降30%以上の値上げを申請しています。政府が支給する「支援金」で、1月から料金が下がると言われていますが、その一方でさらなる値上げも予定されているのです。

さらに、防衛費の増額も私たちの生活に大きくのしかかろうとしています。また、次の2023年4月~2027年3月の「中期防衛力整備計画」では、2019年4月~2023年3月までの27兆円から大幅に増額され、最大43兆円になると言われています。財源については「当面先送り」となっていますが、「国民が広く負担する」消費税増税で賄われるのは既定路線です。所得税や法人税は、あくまでめくらましにすぎません。本音は消費税増税なのです。そのために(翼賛的な増税体制を作るために)、自民党は立民や国民民主を取り込もうとしているのでしょう。

生活必需品を含む物価の高騰もとどまるところを知りません。これでは、弱者はもう「死ね」と言われているようなものです。日本の生活保護の捕捉率(受給資格がある人の中で実際に受給している人の割合)は20%程度で、受給者は人口の1.6%にすぎません。残りの1千万人近い人たちは、生活保護の基準以下の生活で何とか生を繋いでいるのです。

しかも、メディアや世論は、生活保護を「我慢」しているのが偉くて、生活保護を受給するのは「甘え」のように言い、心理的に申請のハードルを高くしているのでした。僅か0.7%程度の不正受給を大々的に報道して、生活保護を受けるのが”罪”であるかのようなイメージさえふりまいているのでした。それが孤独死や自殺などの遠因になっていると言われているのです。メディアや世論の生活保護叩きは、もはや犯罪ださえ言えます。

ちなみに、日弁連の「今、ニッポンの生活保護制度はどうなっているの?」というパンフレットには、次のような各国の比較表が載っていました。ちょっと古い資料ですが、これを見ると、日本が福祉後進国であることがよくわかります(クリックで拡大)。

生活保護捕捉率

この物価高の中で、貧困に喘ぐ人々は今後益々苦境に陥るでしょう。それは“格差”なんていう生易しいものではないのです。文字通り生きるか死ぬかなのです。

日本は30年間給料が上がらず、そのためデフレスパイラルに陥り、”空白の30年”を招いたと言われていましたが、さすがに最近は大企業を中心に賃上げの動きが出ています。でも、それは一部の人の話なのです。賃上げに無縁な人たちにとって、物価高は真綿で首を絞められているようなものです。

国税庁の令和3年(2021年)の「民間給与実態統計調査」によれば、給与所得者の平均は433万円です。その中で、正規(正社員)は508万円、非正規は197万円ですが、正規(正社員)が占める割合は令和2年で僅か37.1%にすぎません。

何度もしつこく言いますが、右か左かではないのです。上か下かなのです。それが今の政治のリアルなのです。“下”を代弁する政党、党派の登場が今こそ待ち望まれているときはないのです。

「世界内戦」の時代は民衆蜂起の時代でもある、と笠井潔は言ったのですが、文字通り「世界内戦」の間隙をぬって、イランや中国では民衆が果敢に立ち上がっているのでした。また、ミャンマーでは、軍事政権に対して、若者たちが銃を持って抵抗しています。他には、モロッコやモンゴルでも、物価高に対して大規模な抗議デモが発生しています。

イランや中国の民衆が「Non」を突き付けているのは、「ヒジャブ」や「ゼロコロナ政策」ですが、しかし、それはきっかけアイコンにすぎません。一見、巨像に蟻が挑むような無謀な戦いのように見えますし、欧米のメディアもそういった見方が一般的でした。日本の”中国通”の識者たちも、習近平政権は、デモが起きたからと言って、共産党のメンツに賭けても政策を変えることあり得ない、としたり顔で言っていました。ところが、イランのイスラム政権も中国の習近平政権も、予想に反して「道徳警察」の廃止やゼロコロナ政策の緩和など、一部の”妥協”を余儀なくされているのでした。まるで肩透かしを食らったような感じですが、それは、独裁者たちがデモの背後にある民衆のネットワークを怖れているからでしょう。中国で立ち上がったのは、習近平が言うように学生たちが中心ですが、しかし、学生の背後にネットを通して一般の民衆が存在することを習近平もわかっているからでしょう。

民衆の離反が瞬く間に広がって行くネットの時代では、私たちが思っている以上に、独裁政権はもろいのかもしれません。暴力装置による恐怖政治も、前の時代ほど効果がないのではないか。ネットを媒介にした民衆の連帯の前では、文字通り張り子の虎にすぎないのではないか。

今のようなグローバルな時代では、海外に出ることが当たり前のようになっています。日本だけでなくアメリカやヨーロッパに留学した学生たちは、ネットを通して中国本土の学生たちとリアルタイムに連帯することも可能になったのです。香港の民主化運動で話題になった、中心のない分散型の抵抗運動「Be Water」もネットの時代だからこそ生まれたスタイルですが、今回の中国の民衆蜂起でも、国の内外を問わずそれが生かされているのでした。

それは、イランも同じです。先日、在日イラン人たちが「イスラム体制打倒」を掲げてデモをしたというニュースがありましたが、イラン人たちが国の根幹であるイスラム教シーア派による神権政治を「否定」するなど、本来あり得ないことです。でも、海外に出たイラン人たちは、さまざまな価値観に触れることで、絶対的価値による”思考停止”を拒否したのです。そうやって拷問や死刑になるのも厭わずに、「自由」を求めて本国で蜂起した同胞に連帯しているのです。それもネットの時代だからです。

厚生労働省の「2019年国民生活基礎調査」によれば、2018年の貧困線は127万円で、日本の相対的貧困率は15.4%と報告されています。1千万人という数字は、決してオーバーではないのです。

イランや中国の人々は、「自由」という言うなれば形而上の問題で蜂起したのですが、日本にあるのは身も蓋もない胃袋の問題です。「起て、飢えたる者よ」というのは、決して過去の話ではないのです。


関連記事:
負の感情の「地下茎」(2016.06.01)
殺伐とした世の中(2013.8.10)
2022.12.05 Mon l 社会・メディア l top ▲
また、床屋政談ですが、22県市の首長と地方議会の議員らが対象となる台湾の統一地方選の投開票が26日に行われ、与党の民主進歩党(民進党)が大敗し、蔡英文総統が選挙結果を受けて辞職を表明する、というニュースがありました。

今回の統一地方選は、2024年1月に行われる総統選の前哨戦として注目されていたのですが、台北市長選では蒋介石のひ孫で野党の国民党の蒋万安氏が当選するなど、民進党は21の県・市長選でポストを減らしたのでした。

この選挙結果について、日本のメディアでは「親中派の野党・国民党が勝利」という見出しが躍っていますが、ホントにそうなのか。

8月のナンシー・ペロシアメリカ下院議長の電撃的な台湾訪問をきっかけに、一気に米中対立なるものが浮上し、日本でも防衛力の強化が叫ばれるようになりました。

既に、政府・与党は、2023年度から向こう5年間の中期防衛力整備計画(中期防)の総額を、40兆円超とする方向で調整に入ったそうです。これは、現行(2019~23年度)の27兆4700億円から1.5倍近くに跳ね上がる金額です。

台湾の民進党も、大陸の脅威を前面に出して対中政策を争点にしようとしたのですが、それが逆に裏目に出て、今回は蔡政権誕生を後押しした若い層の反応も鈍かったと言われています。

今回の選挙結果は、必ずしも「親中派の勝利」ではなく、アメリカが煽る米中対立に対する国民の懸念が反映されたと見ることができるように思います。米中対立に対して、台湾国民は冷静な判断を下したのではないか。

8月のナンシー・ペロシ下院議長の電撃的な台湾訪問は、きわめて不純な意図をもって行われたのは間違いありません。わざわざ米軍機を使って訪台し、中国を挑発したのです。それでは、中国も外交上「やるならやるぞ」という姿勢を見せるしかないでしょう。

ジョー・バイデンは、ウクライナ支援でも取り沙汰されていましたが、巨大軍需産業とのつながりが深い大統領として有名です。ウクライナ侵攻では、各国の軍需産業が莫大な利益を得ており、株価も爆上げしています。

唯一の超大国の座から転落したアメリカは、もはや世界の紛争地に自国軍を派遣する“世界の警察官”を担う力はありません。相次ぐ大幅利上げに見られるように、経済的にも未曽有のインフレに見舞われ苦境に陥っています。

トランプが共和党の大統領候補になることは「もうない」と言われていますが、しかし、トランプが主張した「アメリカ・ファースト(アメリカ第一主義)」は、民主・共和党を問わず、アメリカの本音でもあるのです。

そこで新たな戦略として打ち出されたのが、“ウクライナ方式”です。しかし、今回の選挙結果に見られるように、台湾の国民は、ウクライナの二の舞になることを拒否したのです。

アメリカと一緒になって徒に大陸を刺激する蔡政権にNOを突き付けることによって、戦争ではなく平和を求めたのだと思います。「親中」とか「媚中」とかではなく、ただ平和を希求しただけで、それが大陸に対して融和策を取る野党に票が集まる結果になったのです。

台湾と日本は立場が異なるので一概に比較はできませんが、日本の議会では、アメリカの戦略に正面から異を唱える政党が、共産党やれいわ新選組のような弱小政党を除いてありません。その選択肢の欠如が、アメリカの尻馬に乗った「防衛力の抜本的な強化」という同調圧力をさらに増幅させることになっているのはたしかでしょう。

‥‥‥

それは、今のワールドカップでも言えることです。国別の対抗戦であるワールドカップが、ナショナリズムとむすびつくのは仕方ないとは言え、しかし、同時に、ボール1個があれば誰でもできるサッカーは、競技人口がもっとも多いスポーツで、それゆえに「世界」と出会うことのできる唯一のスポーツでもある、と言われているのです。

主にヨーロッパ各国の選手やサッカー協会(連盟)がカタール開催を決定したFIFAに反発して、カタールの人権問題やFIFAの姿勢を批判しているのも、サッカーが単に偏狭なナショナリズムの発露の場だけではなく、「世界」と出会うことができるインターナショナルなスポーツだからなのです。

一方、FIFAのインファンティーノ会長が、ヨーロッパでカタールの人権問題に批判が集まっていることに対して、「私は欧州の人間だが、欧州の人間は道徳的な教えを説く以前に、世界中で3000年にわたりやってきたことについて今後3000年謝り続けるべき」「一方的に道徳的な教えを説こうとするのは単なる偽善だ」、と中東の金満国家のガスマネーに群がったFIFAの所業を棚に上げて、フランツ・ファノンばりの反論を行っていたのには唖然とするしかありませんでした。

また、FIFAは、ヨーロッパ7か国のキャプテンが、LGBTへの連帯を示す虹色のハートが描かれた腕章を巻いてプレーすることに対しても、イエローカードを出すと恫喝して中止させたのでした。

そんなFIFAの妨害にもめげずに、オーストラリアの選手たちはカタールの人権侵害を批判するメッセージを動画で発信していました。ドイツやイングランドの選手たちも試合前のセレモニーで抗議のポーズを取っていました。また、イランの選手たちは、自国政府の女性抑圧に抗議して、国家斉唱の際に無言を貫いたのでした。それに比べると、カタール大会の問題などどこ吹く風の日本代表の選手たちは、まるで甲子園に出場した高校生のように見えました。彼らの多くはヨーロッパのクラブに所属していますが、BTSと同じような「勝てば官軍」みたいな野蛮な(動物的な)考えしかないかのようでした。それは、サッカー協会もサポーターも同じです。もちろん、韓国も似たようなものです。文字通り、スポーツウォッシングと言うべきで、はなからサッカーを通して「世界」と出会う気もさらさらないし、そういうデリカシーとも無縁です。

そして、メディアは、災害復興プロジェクトから招待された応援団が、日の丸を背にスタンドでゴミ拾いをするパフォーマンスを取り上げて、「世界から称賛」などと、まるで”お約束事”のように「ニッポン凄い!」をアピールするのでした。と思ったら、案の定、疑惑の渦中にある秋葉賢也復興相が、みずからのTwitterで件の災害復興プロジェクトに触れていました。それによれば、「日本の力を信じる」なるスローガンを掲げ、災害に遭った高校生をカタール大会に招待した災害復興プロジェクトは、国家が多額の公金を出して後押ししたものだったのです。

莫大な放映権料を回収するために動員されたサッカー芸人たちが、朝から晩までテレビで痴呆的な”応援芸”を演じているのも、うんざりさせられるばかりでした。どのチャンネルに切り替えても同じような企画の番組ばかりで、口にしている台詞も同じです。

日本VSドイツに関して言えば、ドイツが今ひとつチグハグな感じがあったものの、サッカーにあのような番狂わせはつきものなのです。その一語に尽きるように思いました。「人権問題などに関わっているからだ」「ざあまみろ」という日本人サポーターの声が聞こえてきそうですが、たまたま運が日本の味方をしただけです。

ドイツ戦のヒーローとして、浅野拓磨や堂安律やGKの権田修一が上がっていますが、ヒーローと言うなら後半途中から出場してドリブルで流れを変えた三笘薫でしょう。その意味ではまともに解説していたのは、私の知る限り闘莉王だけだったと思いました。

ちなみに、今日対戦するコスタリカは、非武装中立を掲げる国で常備軍を廃止しています。アメリカの没落で南米のほとんどの国が左派政権になったということもあり、現在も非武装中立を堅持しているのでした。また、LGBTや移民政策なども、カタールや日本よりはるかに進んでいます。

世界経済フォーラムが発表したジェンダーギャップ指数(男女平等格差指数)の2022年版でも、コスタリカは12位ですが日本は116位です。コスタリカは軍事費が少ないということもあって経済的にも豊かな国なのです。少なくとも、ウクライナのアゾフ連隊のようなサポーターとは無縁な国のはずです。

サッカーはルールも簡単で、わかりやすく面白いスポーツなので、熱狂するのもわかりますが、しかし、サッカーの背後にある「世界」に目を向ける冷静さも忘れてはならないのです。「勝てば官軍」ではないのです。

追記:
コスタリカは後半の唯一のシュートが決勝点になった(それも吉田のクリアミスのボールを)という、如何にもサッカーらしいゲームでした。コスタリカVSスペインのときのスペインのように、日本は圧倒的にボールを支配しゲームをコントロールしていたにもかかわらず、スペインのような決定打が欠けていたのです。ニワカから見ても、海外でプレイしている選手が多いわりには、まだ個の力が足りないように思いました。いくら合掌してお題目を唱えても、浅野に2匹目のドジョウを求めるのは酷というものです。サッカーは偶然の要素が大きいスポーツですが、何だか運をドイツ戦で使い切っていたことにあとで気づかされたような試合でした。


関連記事:
W杯カタール大会とBTS
W杯カタール大会と日本のスポーツウォッシング
2022.11.27 Sun l 社会・メディア l top ▲
いつもの床屋政談ですが、更迭した寺田総務相のあとに就任した松本剛明新総務相に関しても、就任早々、共産党の赤旗が、政治資金パーティーで収容人数が400人の会場にもかかわらず、1000人分のパーティー券を販売した”疑惑”を報じたのでした。パーティーに出席しない人の購入分は、政治資金規正法では寄付に当たるのですが、松本総務相の資金管理団体は「寄付」と報告してないそうで、政治資金規正法違反の疑いがあるというものです。

普段なら赤旗を無視する大手メディアも、さっそく食いついて大きく報道しています。そのため、岸田首相も「本人から適切に説明すべきだ」と発言をせざるを得なくなったのでした。あきらかに岸田首相に、メディアの前で“弁明”させるように仕向けた“力”がはたらいているように思えてなりません。まるで次は松本新総務相だと言わんばかりです。

さらに追い打ちをかけるように、国会の予算委員会の大臣席で、何故か水を飲むためにマスクを外した写真ばかりが掲載されている秋葉賢也復興相についても、公設秘書2人に対して、選挙期間中、給料とは別に運動員としての報酬を支払っていたことを「フライデー」が報じ、公職選挙法違反の疑いが指摘されているのでした。秋葉復興相については、他に、次男を候補者のタスキをかけて街頭に立たせていたという、とんでもない”影武者”疑惑も持ち上がっています。まさに際限のないドミノ倒しの様相を呈していると言えるでしょう。

そして、きわめつけ、と言うかまるでトドメを刺すように、岸田首相についても、文春オンラインが、昨年の衆院選における選挙運動費用収支報告書で「宛名も但し書きも空白の白紙の領収書94枚を添付」していたことが判明し、これは「目的を記載した領収書を提出することを定めた公職選挙法に違反する疑いがある」と報じたのでした。私たちが若い頃は、文春は内調(内閣情報調査室)の広報誌とヤユされていました。それが今や「文春砲」などと言われて、やんやの喝采を浴びているのです。

言うまでもなく、その背後に、自民党内の権力闘争が伏在しているのは間違いないでしょう。衆参で絶対的な勢力を持ち、しかも、向こう3年間選挙がない「黄金の3年」だからこそ、選挙を気にせず思う存分権力闘争に注力できるという裏事情も忘れてはならないのです。

SAMEJIMA TIMESの鮫島浩氏によれば、岸田首相の足をひっぱっているのは、自民党の茂木敏充幹事長、萩生田光一政調会長、麻生太郎副総裁、それに、松野博一官房長官だそうです。それがホントなら、岸田首相はもはや四面楚歌と言っていいでしょう。岸田政権のダッチロールが取り沙汰されるのは当然です。

SAMEJIMA TIMES
倒閣カウンドダウン「岸田降ろし」が始まった!

岸田首相は来年5月のG7広島サミットまで何とか総理大臣の椅子にしがみつくのではないか、と鮫島氏は言ってましたが、広島サミットを花道にするなどという、そんな予定調和の権力闘争なんてあるんだろうか、と思いました。その前に、一部で観測されているように、岸田首相が伝家の宝刀を抜いて、起死回生の解散総選挙に打って出る可能性だってあるかもしれません。そうなったら、選挙後には、鮫島氏が言う”増税大連立”構想が(もし事実なら)俄然現実味を帯びてくるでしょう。

「またぞろ国民そっちのけの権力闘争」というお定まりの声が聞こえてきそうですが、しかし、そこには、衆愚政治に踊らされ、何ががあっても自民党に白紙委任する日本の有権者の愚鈍な姿も二重映しになっているのです。愚鈍な有権者のお陰で、政治家たちは心置きなく高崎山のボス争いのような権力闘争に心を砕くことができるのです。

昔、「田舎の年寄り」が自民党を支えているという話がありました。「田舎の年寄り」というのは、日本の後進性を体現する、言うなれば”寓意像アレゴリー”としてそう言われたのでした。しかし、世代が変わって、都会生まれの若者が年寄りになっても、何も変わらなかったのです。相も変わらず国家はお上なのです。

みんながスマホを持つようなネットの時代になっても、昔、政治は二流でも経済は一流と言われたのが、経済までが二流になっても、国民の政治に対する意識は何も変わらず次の世代に引き継がれたのです。これは驚くべきことと言わねばなりません。

「批判するだけでは何も変わらない」と言う人がいますが、批判しないから、批判が足りないから何も変わらないのではないか。無党派層や投票に行かない無関心層を何とかすれば、政治が変わるようなことを言う人がいますが、そんな簡単な話なんだろうか、と思います。そういった政治にアパシーを抱いている人々が投票所に足を運ぶようになったら、逆に、むき出しの全体主義に覆われる怖れだってあるのではないか。彼らは必ずしもリベラルが願うような“賢明な人たち”だとは限らないのです。

昔、「デモクラティック・ファシズム」という言葉がありました。私は、二大政党制を理想視して、労働戦線の右翼的再編=連合の誕生と軌を一にして誕生した旧民主党の存在を考えるとき、(本来の意味とは多少異なりますが)その言葉を思い出さざるを得ないのです。左右の「限界系」を排した中道の道が左派リベラルが歩む道だというような「野党系」の講壇議会主義がありますが、今の立憲民主党を見るにつけ、”中道”を掲げて翼賛体制に突き進む、シャンタル・ムフの指摘を文字通り地で行っているように思えてなりません。私は、「立憲民主党が野党第一党である不幸」ということを口が酸っぱくなるくらい言ってきましたが、それは換言すれば、野党ならざる政党が野党である不幸なのです。

それにしても、立憲民主党に随伴する左派リベラルのお粗末さよ、と言いたくなります。彼らは、立憲民主党が目指しているのが自分たちが求めている政治とは真逆のものだということがどうしてわからないのか、と思います。連合に対しても然りです。

福島第一原子力発電所の事故をきっかけにあれほど盛り上がった反原発運動も、野田佳彦首相(当時)との面会で、風船の空気がぬけるようにいっきにしぼんでしまったのですが、その失敗を安保法制反対の国会前行動でも繰り返したのでした。誰がその足をひっぱってきたのか。

れいわ新選組の長谷川羽衣子氏が鮫島氏との対談で、アメリカのオキュパイ運動を例に出して、社会を変えるには、議会政党も社会運動の中から生まれ、社会運動と共振したものでなければダメなんだ、というようなことを言っていましたが、まったくそのとおりです。私も何度もくり返してきましたが、ギリシャのシリザでもスペインのポデモスでもイギリスのスコットランド国民党でもフランスの不服従のフランスでもイタリアの五つ星運動でもみんなそうです。選挙の結果には紆余曲折があり、必ずしもかつての勢いがあるとは言えませんが、しかし、少なくとも野党というからには、社会運動を背景にし社会運動と共振した政党でなければ野党の役割を果たせないのは自明です。

言うまでもないことですが、松下政経塾や官僚出身の議員や、秘書としてそういった議員から薫陶を受けた議員たちには、東浩紀などと同じように、上から政治のシステムを変えればいいというような、政治を技術論で捉える工学主義やエリート主義があります。その意味では、官僚機構に支えられた政権与党と同じなのです。だから、必然的に財政再建派にならざるを得ず、”増税政党”としての性格を帯びざるを得ないのです。おそらく彼らの頭の中は増税一択なのでしょう。福祉のため、財政再建のためという口実の下、今度は軍備増強のための増税に与するのは目に見えています。

昔、「田舎の年寄り」が支えると言われた政治が、世代を変わっても何も変わらず私たちの上に君臨しているのも、社会運動から生まれた真に変革を志向する政党がないからです。それは、右か左かではありません。上か下かなのです。そして、求められるべきは下を代弁する政党なのです。


関連記事:
立憲民主党への弔辞
『左派ポピュリズムのために』
日本で待ち望まれる急進左派の運動
2022.11.24 Thu l 社会・メディア l top ▲
朝日新聞


別に最近YouTubeの鮫島浩氏のチャンネルを観ているからではないのですが、朝日新聞のテイタラクをしみじみ感じることが多くなりました。

YouTube
SAMEJIMA TIMES

今更の感がありますが、やはり、貧すれば鈍すという言葉を思い出さざるを得ないのです。

昨日(11月20日)の朝日には、旧統一教会の問題に関連して、被害者救済を柱とした新法の概要が明らかになり、それに対して、野党や被害者救済に取り組んでいた弁護士や元信者らが「実効性が低い」と反発している、という記事が出ていました。

しかし、鮫島氏のYouTubeによれば、新法は今国会で成立することが水面下で野党(立憲と維新)と合意ができているというのです。寺田総務相の辞任は想定外だったけど、それも野党に手柄を与えるプレゼントになるのだと。

たしかに、ひと月で3人の大臣が辞任したのは“異常”ですが、そうまでして野党(立民)に花を持たせるのは、その背後に大きな合意があるからだと言うのです。それは、鮫島氏の言葉を借りれば「増税大連立」です。

鮫島氏は、財務省の仲介で自民党の宏池会と立憲民主党が“野ブタ”こと野田佳彦元首相を首班に、消費税増税を視野に「大連立」を組む話が進んでいると言うのですが、ホントでしょうか。

立憲民主党が民主党政権時代の三党合意に縛られているのはたしかでしょう。野田政権で副総理を務めた岡田克也氏と財務相を務めた安住淳氏が執行部に復帰したり、前代表の枝野幸男氏が、2021年10月の衆院選の(野党連立の)公約で掲げた「時限的な5%への消費税減税」を「間違いだった」「二度と減税は言わない」と発言するなど、立憲民主党が財政再建を一義とする“増税政党”としての本音を露わにしつつあるのは事実です。さらに、政府の税務調査会が、増税のアドバルーンを上げたりと、既に消費税増税の地ならしがはじまっているような気がしてなりません。

野田首班による「大連立」というのは俄かに信じられませんが、その背後に、自民党内の宏池会と清話会の対立も絡んでいるというのはわかるような気がします。閣僚の辞任ドミノの“異常事態”は、「支持率の低下」「野党の追及」だけでなく、むしろ、自民党内の権力闘争という視点から見た方がリアルな気がします。

でも、メディアには、そういった報道は一切ありません。財務省の思惑や党内の権力闘争など、はなから存在しないかのようで、“与野党対立”という定番の記事で埋められているだけです。それは朝日も例外なくではなく、この前まで同じ会社の記者だった鮫島氏とは際立った対象を見せているのでした。

それは、しつこいようですが、ワールドカップカタール大会の報道も同じです。カタールの人権問題に対してヨーロッパの選手団の間でさまざまな抗議の動きがありますが、そういった報道は申し訳程度にあるだけで、紙面の多くは「ニッポンがんばれ!」の翼賛記事で覆われているのでした。

大会関連の工事に従事した出稼ぎ労働者6500人が亡くなっていたとスクープしたのはイギリスのガーディアン紙で、それにカタール開催に批判的だったヨーロッパのサッカー界は即反応し、各メディアも追加取材に走ったのですが、それに比べると、日本のクオリティペーパーを自負する朝日の反応の鈍さは一目瞭然です。開会式の翼賛記事も「痛い」感じすらありました。

今の朝日新聞は、外にあっては権力のパシリを務め、内にあっては出世のために同僚の梯子を外すことしか考えてないような、下衆なサラリーマン根性が蔓延するようになっていると言われます。そんな公務員のような事なかれ主義を処世訓とする、風見鶏のような人間たちが経営陣を占めるようになった朝日新聞は、”朝日らしさ”をなくし、ジャーナリズムとして末路を歩みはじめているような気がしてなりません。それでは、ニューヨークタイムズのような紙からデジタルへの転換もうまくいかないでしょう。

ビデオニュースドットコムの神保哲生氏は、鮫島浩氏をゲストに迎えた下記の番組の「概要」で、朝日新聞について、次のように書いていました。

ビデオニュースドットコム
マル激トーク・オン・ディマンド (第1117回)
なぜ朝日新聞はこうまで叩かれるのか
ゲスト:鮫島浩氏


 鮫島氏の話を聞く限り、今や朝日新聞という組織はとてもではないが、リベラル言論の雄を引き受けられるだけの矜持は持ち合わせていないように見える。しかし、問題は朝日がいい加減なことをやれば、これまでリベラル派からやり込められ、リベラルに対して怨念を抱く保守派は嵩に懸かって攻勢に出る。そして、朝日がむしろ社内的な理由から記事の訂正や撤回に追い込まれることにより、リベラルな主張や考え方自体が間違っていたかのようにされてしまう。日本では今もって朝日新聞は、少なくとも一部の人たちにとってはリベラル言論の象徴的な存在なのだ。それは逆の見方をすれば、朝日はもはや組織内ではリベラルメディアの体をなしていないにもかかわらず、表面的にはリベラルの旗を上げ続けることによって、日本のリベラリズムの弱体化を招いているということにもなる。
(略)
 今となっては、朝日はリベラルだから叩かれるのではなく、実際にはリベラルとは真逆なことを数多くやっていながら、表面的にリベラルを気取るから叩かれるというのが、事の真相と言えるかもしれない。だとすれば、今朝日がすべきことは、言行を一致させるか、リベラルの旗を降ろすかの二択しかない。


たしかにその通りなのです。正直言って、20代の頃からの読者である私の中にも、朝日に対して「リベラル言論の象徴的な存在」のような幻想が未だ残っています。しかし、ほとほと嫌気がさしているのも事実です。

朝日の発行部数は、最盛期の半分まで落ちているそうですが、朝日を「リベラル言論の象徴的な存在」のように思っているコアな読者が離れたら、それこそ瓦解はいっきに進むでしょう。あとは不動産管理会社として細々と生きていくしかないのです。

(別にこれは朝日に限りませんが)朝日新聞は、政局でもワールドカップでも、そしてウクライナ侵攻でも、米中対立でも、伝えるべきことは何も伝えてないのではないか。ジャーナリズムの本分を忘れているのではないか。最近は特にその傾向がひどくなっているように思えてなりません。文字通り、堕ちるところまで堕ちたという気がしてならないのです。
2022.11.21 Mon l 社会・メディア l top ▲
電通の正体


日曜日(11月13日)、テレビを点けたら、テレビ朝日で世界ラリー選手権(WRC)の第13戦、ラリージャパンの模様がハイライトで放送されていました。しかも、驚くべきことに、放送されたのは日曜日の21時から22時55分までのゴールデンタイムなのです。

ラリーの会場となったのは、愛知県の岡崎市・豊田市・新庄市・設楽町と、岐阜県の恵那市・中津川市にまたかる山間部で、言うまでもなくWRCに参戦し、しかも、豊田章男社長みずからがこのレースに人一倍入れ込んでいるトヨタ自動車の地元です。

レースは、11月10日(木)から13日(日)の日程で行われましたので、地元民にとってはレース中は生活道路が利用できず迷惑千万な話だったと思いますが、なにせ相手は地元では行政も配下に従える“領主”のような存在のトヨタ自動車なのです。黙って従うしかないのでしょう。

私は、テレビ朝日の放送に対して、玉川徹氏ではないですが、「当然これ、電通が入ってますからね」と言いたくなりました。いくら12年ぶりの日本開催とは言え、ラリーごときマイナーなモータースポーツをどうして地上波で放送するのか。しかも、日曜日のゴールデンタイムにです。常識的に考えても、電通とテレビ朝日の関係を勘繰らざるを得ません。

案の定、放送は前半はスタジオからお笑い芸人のEXITとヒロミの掛け合いによるラリーに関する初歩知識の紹介で時間を潰し、後半は、YouTubeで新車紹介を行っている自称「自動車評論家」とラリー経験者だとかいう俳優の哀川翔の二人が解説を務めていましたが、ライブではないハイライト(総集編)なので臨場感に欠け、スポーツニュースを延々見せられているような間延びした感は免れませんでした。どう考えても、ゴールデンタイムに放送するには無理があったように思いました。

海外では、広告代理店は「ハウスエージェンシー」と言って一業種一社が当たり前なのだそうです。しかし、日本では電通が同じ業種の会社でも複数担当しています。そのため、日本は、欧米のような「比較広告」がありません。タレントなどを使ったイメージ広告が主流です。

国鉄の分割民営化のとき、国鉄(当時)が電通に頼んでCI広告を大々的に打ったのですが、ウソかホントか、分割民営化に反対していた国労も電通に反対の意見広告を依頼していたという、笑えない話さえあるくらいです。

日本の広告宣伝費は、電通の資料によれば、2021年は6兆7998億円(前年比110.4%)でした。

dentsu
2021年 日本の広告費

広告宣伝費は、①新聞、雑誌、ラジオ、テレビメディアの「マスコミ四媒体広告費」、②「インターネット広告費」、③イベントや展示や交通、折込などの「プロモーションメディア広告費」の3つに分類されるそうです。それぞれの広告費は、以下のとおりです。

①マスコミ四媒体広告費 2兆4,538億円(前年比108.9%)
②インターネット広告費 2兆7,052億円(前年比121.4%)
③プロモーションメディア広告費 1兆6,408億円(前年比97.9%)

もちろん、コロナ禍で広告費は大きく落ち込んでいますが、ただ、東京五輪関係の需要があったので、2019年(6兆9381億円)より1400億円弱の落ち込みでとどまっています。電通が、パンデミック下であろうが、是が非でも東京五輪を開催したかったのは想像に難くありません。

電通の2021年12月期の売上高は約5.2兆円、連結収益は前期比15.6%増の1兆855億9200万円です。ただ、これは海外事業も含めた数字です。

国内における売上高のシェアですが、各社によって会計が日本基準と国際基準を採用してバラつきがあるため比較が難しいそうですが、日本の会計基準に合わせると、電通のシェアは60%にのぼるという説もあります。

『新装版・電通の正体』(週刊金曜日取材班)には、2000年頃の話で、「テレビ広告費の三八パーセント(七五〇〇億円)、新聞広告費の二〇パーセント(一九八〇億円)を取り扱っている」と書いていましたので、その頃よりさらにシェアを伸ばしているのかもしれません。

テレビ広告の単価の基準となる視聴率の調査を一手に引き受けるビデオ・リサーチも、電通が設立し、一時は電通本社の中にオフィスがあったくらいですから、野球の試合で選手と審判を同じチームがやっているようなものです。

『電通の正体』によれば、電通のコミッション(手数料)は15~20%だそうです。一業種一社が原則の海外の広告会社のコミッションは5%前後ですから、ここにも一社が同じ業種の複数のクライアントを担当する日本の“商習慣”の弊害が出ているように思います。そして、それが電通の寡占につながったのは間違いないでしょう。

そんな中、一時、大手企業が広告のコストを下げるために、「ハウスエージェンシー」をつくる流れがありました。トヨタ自動車がデルフェス、ソニーがフロンテッジ、三菱電機がアイプラネットと自社の広告会社を設立したのでした。

と言うことは、トヨタにはデルフェスがあるのに、今回の第13戦・ジャパンラリーの放送が行われたのはどうしてなのかと思ったら、何のことはない、デルフェスは2021年1月1日付で社名を「トヨタ・コニック・プロ」に変更し、トヨタ自動車と電通が出資する持株会社「トヨタ・コニック・ホールディングス」の傘下に入っているのでした。ゲスの勘繰りを承知で言えば、今のようなトヨタと電通の関係は、2005年の愛知万博からはじまったのかもしれません。

で、どうしてテレビ朝日の放送に、電通を連想したかと言えば、『電通の正体』に書かれていた、電通と「ニュースステーション」の関係を思い出したからです。

電通は「ニュースステーション」の広告を一手に引き受けていたそうです。つまり、「ニュースステーション」の広告枠を買い取っていたのです。

(略)番組枠まで買い切ってしまえば、売れる番組にするために番組の内容まで左右する力を持つのは当然だ。
「電通も異例ともいえるテコ入れを行っている。電通ラ・テ局(ラジオ・テレビ局)のテレビ業務推進部は企画開発段階から特別スタッフを投入。視聴者のニーズや動向の分析からCMのはさみ方による視聴率シュミレーションまで実施、その結果に沿って基本構想がまとめられていった」(ジャーナリスト・坂本衛『久米宏』論)
  電通が、スポンサーを手当てし、視聴者の分析を行ない、基本構想までつくっていたというのだ。
(『電通の正体』


ちなみに、当時、「ニュースステーション」の担当者だった電通社員は、のちにテレビ朝日の副社長に就任したそうです。

業界には「電通金太郎アメ説」というのがあるのだとか。それは、葬式から五輪まで、日本のイベントの裏側に必ず電通の影があることをヤユした言い方です。もうひとつ、「石を投げれば有名人の子息に当たる」という、コネ入社をヤユした言葉もあるそうです。

テレビ朝日と言えば、長寿番組の「朝まで生テレビ!」や(既に終了した)「サンデープロジェクト」の司会を務める田原総一郎が有名ですが、2004年、彼の妻の葬儀が築地本願寺で営まれた際、葬儀委員長を務めたのが電通の成田豊前社長(当時、のちに電通グループ会長、最高顧問に就任)だったそうです。

「葬式から五輪まで」と、イベントと名のつくものなら、片っ端から手がける電通が、有名人の結婚式や葬式を仕切ることは珍しくない。(略)
現在の電通本社は汐留にあるが、かつては築地にあったことから、「築地本願寺で大物の葬式が多いのは、電通本社が近いから」と冗談で言う関係者もいるほどだ。
(同上)


安倍晋三元首相の国葬には電通は直接関与してなかったみたいですが、関与したかどうかというより、玉川徹氏が電通の名前を出したこと自体が、既に地雷を踏む行為だったと言えるのです。ただ、玉川氏も、テレビ業界では(特にテレビ朝日では)電通がタブーであるのはよくわかっていたはずですので、あえて意図的に(反骨精神で)地雷を踏んだのではないか、という憶測も捨て去ることはできません。

テレビ業界における電通の力を物語る例として、(ちょっと古いですが)TBSの「水戸黄門」があります。私も記憶がありますが、「水戸黄門」の脚本のクレジットは「葉村彰子」という名前になっていました。しかし、「葉村彰子」などという脚本家はいなくて、脚本を書いていたのは、電通が株を持つ(株)C・A・Lという制作会社だったそうです。C・A・Lが「一話完結」「最後に印籠を出す」というマンネリパターンをつくり、長寿番組に育てたのです。また、NHKの番組を制作するNHKエンタープライズという会社がありますが、NHKエンタープライズもNHKと電通が共同で出資した会社だそうです。

もちろん、電通は、元役員(専務のち顧問)の高橋治之容疑者が主導した”汚職”でクローズアップされたオリンピックにも大きく関わっています。あの”汚職”と言われているものも、組織委員会の理事だった高橋治之容疑者が、オリパラ特別処置法(東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会特別措置法)の規定で、「みなし公務員」だったので(たまたま)受託収賄罪が適用されただけです。高橋自身も言っているように、ああいった”コミッション(手数料)ビジネス”は普段電通がやっていることなのです。

オリンピックがアマチュア規定を外し商業主義の門戸を開いたことで、オリンピックと深く関わるようになった電通は、五輪選手は五輪スポンサー企業のCMしか出ることはできないという縛りを設け、五輪選手の肖像権の管理をJOCで行うようにして、五輪開催とは別に、五輪選手を金づるにするシステムをつくったのでした。

  電通はオリンピックマークを企業が商業的に使い、その収益をオリンピック員会に集めるシステムも考え出した。だがオリンピックマークでは国際オリンピック委員会(IOC)の規定に抵触してしまう。そこで電通はおなじみとなった「がんばれ! ニッポン!」ブランドを作り出した。
(同上)


電通は、政治にも大きく関わるようになっています。小泉政権の「自民党をぶっ壊す」「聖域なき構造改革」のようなキャッチフレーズを生み出したのも電通だと言われています。そういったワン・フレーズ・ポリティックスで小泉人気を演出したのでした。現在、日本の政治をおおっている世も末のような衆愚政治が小泉政権からはじまったことを考えれば、日本の政治のタガを外したのは電通だとも言えるのです。

玉川徹氏が地雷を踏んだ電通タブーについて、『電通の正体』は「あとがき」で次のように書いていました。

  日本にはマスコミタブー、つまりテレビ・新聞・雑誌などの報道機関が、取材の結果知りえた事実を報道することを忌避する、そもそも取材することを忌避するという自己矛盾を起こす取材対象がいくつかある。天皇制、被差別部落、芸能界、組織暴力団、創価学会、作家、警察などが思いつくだろう。これらに並んで記者や編集者の口にのぼるのが、日本最大の広告会社・電通という東証一部上場企業だ。電通と並びメガ・エージェンシーと呼ばれる業界第二位の博報堂については、タブーという認識は業界にほとんどないから、広告会社がタブーなのではなく電通がタブーということになる。
(同上)


昔、『噂の真相』も、「タブーなきスキャンダリズム」と謳っていました。どうしてタブーがないのかと言えば、『週刊金曜日』もそうですが、広告収入に依存してないからです。広告収入に依存しなければタブーがなくなるのです。その代わり、『週刊金曜日』が自嘲するように、薄っぺらなわりに定価が高い雑誌になってしまうのです。

玉川徹氏を執拗に叩いていた、週刊誌やスポーツ新聞があざとく見えたのも電通タブーゆえです。彼らは「電通サマのお名前を出すなど言語道断」とでも言いたげでした。その報道は、大衆リンチを煽り玉川氏の存在を抹殺しよう(テレビから追放しよう)としているかのように見えました。どこも経営的に青息吐息なので、そうやって下僕のように(!)「電通サマ」に忠誠を誓ったのでしょう。彼らにとって、「言論の自由」は所詮、「猫に小判」「豚に真珠」でしかないのです。

そもそも電通に関する本も極端に少ないし、ましてや電通を特集する雑誌など皆無です。週刊文春や週刊新潮も、電通を扱うことはありません。あり得ないのです。上を見てもわかるように、電通のシェアを調べようと思ってもほとんど情報がなく、あのように曖昧な書き方をするしかないのです。

電通は、戦前に設立された「日本電報通信社」という広告と情報を兼ねた通信社が母体です。その中で、広告部門が独立して電通になり、情報部門が今の時事通信社になったのでした。ネットの出現で、日本の広告業界は大きく揺さぶられていますが、電通が圧倒的なシェアで君臨する日本の広告業界は、このように今なおブラックボックスと化しているのでした。


関連記事:
テレビ朝日の「絶対君主」
菅弔辞と玉川徹バッシング
2022.11.16 Wed l 社会・メディア l top ▲
Yahoo!ニュースにも転載されていましたが、「bizSPA!フレッシュ」に、下記のような記事が掲載されていました。

bizSPA!フレッシュ
週刊SPA!編集部
生魚の異臭が…東京屈指の“高級住宅街”で地上げトラブル「バブル期並みの悪質さ」

タイトルにもあるように、何だかバブルの頃を彷彿をするような話ですが、たしかに都心は至るところに地上げの跡があり、バブル時代に戻ったかのような光景も多く見られます。

大阪は東京ほどではないみたいですが、東京の都心では中古マンションも高止まりした状態が続いています。東京五輪が終わったら不動産バブルが弾けると言われていましたが、そうはなりませんでした。少なくとも価格面では「堅調」、それも「高止まり」の傾向さえあるのです。

もっとも、これは東京の都心や大阪の郊外の一部に限った話で、地方では価格は下降傾向にあると言われています。そのため、地方と東京・大阪の都市部の不動産価格がいっそう乖離しているのでした。

どうして都心の不動産価格がバルブ期並みに高騰しているのか。ひとつは、言うまでも金融緩和、それも「異次元」の金融緩和の影響です。「異次元」の金融緩和によって、東京都心部の駅前はどこも大規模な再開発が行われています。それは、バブル期もなかったような大掛かりなもので、渋谷の駅前が100年に一度の再開発と言われていますが、決してオーバーとは言えないほどです。しかも、100年に一度のような大規模開発は渋谷だけではないのです。

私は、横浜市の東急東横線沿線の街に10数年住んでいますが、引っ越してきた当初、駅の周辺の路地の奥には、昔ながらの古いアパートが点在していました。また、駅から少し離れると畑も残っていましたし、幹線道路沿いには、地元の小さな会社や商店などがありました。川魚問屋なんていうのもありました。さらに、このあたりは交通の便もいいので、大手企業の社宅や独身寮なども多くありました。

しかし、5~6年前くらいからことごとく壊されて、その跡地の多くにはマンションが建っています。しばらくぶりに前を通ると、風景が一変しているので驚くことがよくあります。

要するに、「異次元」の金融緩和で不動産業界にお札がばら撒かれているからでしょう。ただ、この30年給料が上がってないことを見てもわかるとおり、どんどん刷られたお札が一般庶民にまわって来ることはないのです。せいぜいが住宅ローンの金利が安くなり審査に通りやすくなるくらいです。

また、前に書いたように、日本には2000兆円という途方もない個人金融資産があります。その恩恵に浴する人たちとまったく縁もない人たちの間での格差も広がるばかりです。「マタイの法則」ではないですが、「富める者はますます富み、貧しき者はますます貧しくなる」のです。そういった格差社会の現実が、不動産価格の「高止まり」にも反映されているのです。

もうひとつ忘れてならないのは、円安です。これはずっと以前より言われていたことですが、日本の不動産が中国本土の富裕層やアジア各地の華僑たちによって投資目的で買い漁られている現実があります。まして、今のように急激な円安になったことにより、彼らの需要がいっそう増して、上記のようなバブル期と見まごうような地上げを招いているのでした。

マンションに縁もゆかりもないネトウヨが、中国は遅れた国、三流国みたいに言っている間に、金満生活を謳歌する中国人の求めに応じて日本の不動産屋がなりふり構わず地上げに狂奔するようになっているのです。しかも、その資金をアベノミクスの名のもと、日本の金融当局が提供しているのです。

記事では、地上げの直接の要因として次のような指摘がありました。

「本来なら立ち退き料として住宅なら賃料の6~18か月分、事務所や店舗なら60~240か月分ほどの補塡を行い、退去期限は立ち退きに合意してから3か月~1年が一般的です。所有権が移ってまだ2か月余りでこの事態とは、悪質さを際立たせます」

「本物件を購入したのは、賃借人を退去させてマンションなどの用地としてデベロッパーに売却して利益を得るのが目的と思われます。土地建物の取得の際に3億円を金利4.5%で借り入れたとすると、彼らの支払う利息は月に100万円強。できるだけ早く立ち退きを完了させないと利益が毎日減少していくので、荒っぽくもなる。」

「賃借人は借地借家法で守られており、賃貸人がいくらお金を積んでも法的には立ち退かせることはできません。だから、悪質な行為に及ぶ例があるのです。賃借人を守るための借地借家法が、かえって地上げ屋を生むとはなんとも皮肉ですね」

(週刊SPA!編集部・生魚の異臭が…東京屈指の“高級住宅街”で地上げトラブル「バブル期並みの悪質さ」)


しかし、その背後に、“安い国ニッポン”の構図があることも忘れてはならないのです。

「異次元」の金融緩和で我が世の春を謳歌しているのは、不動産業界だけではありません。法人税が軽減されたことも相俟って、企業の内部留保は516兆4750億円(2021年)にものぼっているそうです。

法人税減税は、2011年38.54%だったのが、2013年に37%、そして、2018年には29.74%に引き下げられています。しかも、法人税をまともに納税しているのは、全企業の3割ほどにすぎないのだとか。納税するほど利益が出てないということもありますが、もうひとつは、大企業に対して、「資本金1億円以上の外形標準課税」や「受取配当金益金不算入制度」などのような減税や免税処置があるからです。「資本金1億円以上の外形標準課税」では、資本金1億円以上の大企業より、外形標準課税の対象外の資本金1億円以下の企業の方が、平均税率が高くなるという逆進性も生じており、大企業優遇は税制面から見てもあきらかなのです。

その一方で、消費税は、1988年12月に消費税法が成立して、1989年4月に3%でスタート、1997年4月5%、2014年4月8%、2018年10月10%と引き上げられています。

実際に1989年に消費税が導入されてから34年間で、国と地方を合わせた消費税の総額が476兆円であるのに対して、法人税の減税分が324兆円、所得税と住民税の減税が289兆円だったそうです。これが、消費税の増税分が法人税や所得税・住民税の減税の穴埋めに使われたのではないか、と言う根拠になっているのでした。

2012年、野田内閣が、民主党政権成立時の公約を反古にして、自民党と公明党の間で、「税と社会保障の一体改革」の三党合意を交わして、消費税増税に舵を切り、民主党政権は自滅したのですが、そのときに、野田内閣が提出して成立した法案は、消費税率を2014年に8%、15年に10%に引き上げるというものでした。

ちなみに、三党合意の社会保障の部分では、以下の3点が確認されていました。

①今後の公的年金制度、今後の高齢者医療制度にかかる改革については、あらかじめその内容等について三党間で合意に向けて協議する。
②低所得高齢者・障害者等への福祉的な給付に係る法案は、消費税率引上げまでに成立させる。
③交付国債関連の規定は削除する。交付国債に代わる基礎年金国庫負担の財源については、別途、政府が所要の法的措置を講ずる。

しかし、三党合意とは裏腹に、社会保障の改革はおろか、社会保障費の増大に対して、税収による補填は僅かな伸びしかなく、その多くは保険料の引き上げで賄っているのが現実です。

日本共産党の関連団体と言われる民商(民主商工会)のサイトによれば、消費税導入以前の1988年と消費税が10%になった2020年を比較すると、国民健康保険料(1人平均)は5万6372円から9万233円に引き上げられ、医療費は1割負担が3割負担に、国民年金の保険料(月額)は7700円が1万6610円と2倍以上も上がっているそうです。また、年金の支給開始年齢の繰り下げもはじまっています。所得に対するいわゆる「租税公課」の割合は、4割を優に超えており、重税国家と言っても過言ではないのです。

ちなみに、横浜市は、住民税と国民健康保険料がバカ高いので有名ですが(それと職員の給与が高いのでも有名)、私のような独り者のその日暮らしでも、介護保険料と合わせた国民健康保険料は(年間10回分割で)毎月3万円近く引き落とされています。引っ越してきた当初から比べたら、2倍どころか3倍くらい上がっています。だからと言って、もちろん収入が3倍上がっているわけではないのです。毎年春先に国民健康保険料と住民税の確定金額のお知らせが届くと、目の前が真っ白になって血の気が引くくらいです。

これでは、「税と社会保障の一体改革」という三党合意は何だったのかと言わざるを得ません。自公もひどいけど、旧民主党はそれに輪をかけて無責任でひどいのです。

さらに、ここにきて政府の税制調査会のメンバーから、消費税増税の声も漏れ伝わるようになっています。立憲民主党も、新しい執行部に野田政権で副総理を務めた岡田克也氏や財務相を務めた安住淳氏が入ったことで、(自民党に歩調を合わせて)増税路線の布陣を敷いたんじゃないかという指摘があります。また、前代表の枝野幸男氏が、2021年10月末の衆院選の公約で、新型コロナウイルス禍への対応として「時限的な5%への消費税減税」を掲げていたことを「間違いだった」「二度と減税は言わない」と発言したことが物議を醸しているのでした。

まったく懲りないというか、こういう野党が存在する限り、自公政権は左団扇でしょう。そして、日本はとどまるところを知らず安い国として凋落し食い散らかされるのです。ましてや、国防費の増大や敵基地先制攻撃など、片腹痛いと言わねばなりません。そういう妄想と現実をはき違えたオタクのような発想も、国の経済を疲弊させ、さらに凋落を加速させるだけでしょう。

追記:(11/09)
元朝日の記者の鮫島浩氏は、8日、自身のYouTubeチャンネルで、「野田佳彦首班で大連立!宏池会と立憲民主党を財務省がつなぐ『消費税増税内閣』急浮上!!」という動画を上げていました(下記参照)。上で見たように、野田佳彦は旧民主党政権の獅子身中の虫だったのですが、松下政経塾出身の彼がとんでもないヌエ、食わせものであることは今さら論を俟ちません。3年間選挙がないことをチャンスとばかりに、与野党一致で増税に突き進むシナリオが水面下で進んでいると言うのです。もし事実なら、まさに立憲民主党の正体見たり枯れ尾花みたいな話でしょう。今まで「立憲民主党が野党第一党である不幸」をくり返し言って来ましたが、もういい加減、引導を渡すしかないのです。

SAMEJIMA TIMES
youtu.be/Hkg9jvjfftY
2022.11.06 Sun l 社会・メディア l top ▲
ピストルと荊冠


2013年12月19日、「餃子の王将」を運営する「王将フードサービス」の社長・大東(おおひがし)隆行氏が、銃撃されて殺害された事件に関して、10月28日、福岡刑務所に服役中の田中幸雄容疑者が、殺人の容疑で京都府警に逮捕されました。これにより、「餃子の王将」社長射殺事件」は、事件から9年目にしてようやく「実行犯の逮捕」という新たな局面を迎えたのでした。

田中幸雄容疑者は、北九州の小倉に本部を置く工藤会の二次団体石田組の幹部です。どう見てもヒットマンとしか思えず、「王将フードサービス」と北九州のヤクザ組織との間をつないだのは誰なのか、関心が集まっているのでした。

工藤会は、2012年の改正暴対法によって、「特定危険指定暴力団」に指定された全国で唯一の暴力団で、それこそ泣く子も黙るような武闘派の組織として知られています。

私も子どもの頃、「小倉は怖い」という話を母親から聞いたことがあります。母方の祖母は福岡の若松か戸畑だったかの出身で、母親も祖父の仕事の関係で北九州で生まれたのですが、親戚を訪ねて行ったのか、私が中学生の頃、母親が叔母とともに北九州に出かけたことがありました。

そして、帰って来て、父親と話をしているのを私は横で聞いていたのですが、小倉駅で電車を待っていたとき、駅にヤクザみたいな男たちがたむろしていて怖かった、小倉があんな怖いところとは知らなかった、と言っていました。

もちろん、工藤会なんて名前は知る由もありませんが、私は何故かそのときの話を今も忘れずに覚えているのでした。後年、赴任先の街でたまたま入ったスナックに小倉出身の女性がいて、その話をしたら、彼女も小倉はヤクザが跋扈する怖い街だ、と言っていました。

実際に工藤会は、暴力団排除の運動をしていた市民を襲撃するなど、一般市民や企業を標的にした数々の暴力事件を起こしています。工藤会に“及び腰”と言われた福岡県警も、改正暴対法や警察庁の後押しなどもあって、2014年に16年前の元漁協組合長殺害容疑でトップの野村悟総裁とナンバー2の田上不美夫会長の逮捕に踏み切り、組織の壊滅に向けた“頂上作戦”を開始したのでした。

ちなみに、大東社長が射殺された翌月(2014年1月)には、16年前に殺害された元漁協組合長の実弟で、兄のあとに漁協組合長を務めていた人物が、同じように早朝、ゴミ出しするために家を出たときに何者かにようって射殺されています。その捜査の過程で、16年前の兄の事件で、野村悟総裁と田上不美夫会長の関与(指示)が判明したので逮捕したと言われています。でも、何だかあわてて逮捕したような感じもしないでもありません。

尚、殺害された漁協組合長の兄弟に関しても、その後も孫の歯科医や息子の会社の女性従業員が襲われ刺傷するなど、執拗な攻撃が加えられているのでした。福岡県警はどこで何をしていたのかというような話なのです。

工藤会が行った事件については、ウィキペディアに詳しく書かれていますが、90年代後半以降の主な事件を列記するだけでも下記のようになります。

工藤会が博徒として結成されたのは戦前ですが、工藤会が暴力団として狂暴化したのは1960年代に山口組との抗争を経てからだと言われています。しかも、抗争相手の山口組系の組織とは、のちに稲川会の会長の仲介で合併しているのでした。工藤会は、カタギであろうが誰であろうが見境がなく、野村総裁の局部を大きくする手術をした病院の看護婦や、暴力団担当の元刑事まで襲われているのでした。それで怯んだのか、福岡県警が工藤会に“及び腰”だったのは誰が見てもあきらかでした。

1988年
・みかじめ料の要求を断った健康センターに殺鼠剤を撒布。150人が中毒症状。
1988年
・在福岡中華人民共和国総領事館を散弾銃で攻撃。
1988年
・福岡県警元暴力団担当警部宅を放火。
1994年
・パチンコ店や区役所出張所など17件前後銃撃。
1998年
・港湾利権への介入を断られた報復で北九州元漁協組合長を射殺。
2000年以後
・暴力団事務所撤去の運動に取り組んでいた商店を車で襲撃。
・暴力追放を公約に掲げて当選した中間市長の後援市議を襲撃。
・警察官舎敷地内の乗用車に爆弾を仕掛ける。
・九州電力の松尾新吾会長宅に爆発物を投擲。
・西部ガスの田中優次社長宅への手榴弾投擲、及び同社関連会社と同社役員の親族宅を銃撃。
・暴力団追放運動の先頭に立つクラブに手榴弾を投擲。
・安倍晋三の下関市の自宅と後援会事務所に火炎瓶を投擲。
・大林組従業員ら3名を路上で銃撃。
・トヨタ自動車九州の小倉工場に爆発物を投擲。
・工藤会追放運動を推進していた自治会長宅を銃撃。
・工藤会追放運動を推進していた建設会社役員を射殺。
・中間市の黒瀬建設社長を銃撃。
・清水建設従業員を銃撃。
・元工藤会担当県警警部を銃撃。
他にみかじめ料を断ったパチンコ店や飲食店などを襲撃多数。
(Wikipedia参照)

この中で、今回逮捕された田中幸雄容疑者が関係したのは、2008年1月に、大林組従業員ら3名が乗っている車を銃撃した事件です。しかし、動機は不明で、判決文でもそう書かれています。田中容疑者が口が堅いと言われるのも、そのあたりから来ているのでしょう。田中容疑者は、同事件の実行犯として逮捕され、懲役10年の判決を受けて福岡刑務所に服役していました。ただ、同事件でも、逮捕されたのは事件発生から10年後でした。

田中容疑者は、福岡の大牟田出身で、地元の高校から田中康夫の『なんとなく、クリスタル』の主人公が通った、原宿の表参道の先にあるキリスト教系のオシャレな大学に進学。大学を中退したあといくつかの会社に勤め、30代半ばまではカタギのサラリーマンだったそうです。そして、仕事上のトラブルに巻き込まれたときに、工藤会に助けて貰ったことでヤクザの道に入ったと言われています。

また、北九州元漁協組合長を射殺した事件等で、殺人や組織犯罪処罰法違反などの罪に問われたトップの野村悟総裁とナンバー2の田上不美夫会長に対して、福岡地裁は2021年8月に、それぞれ死刑と無期懲役を言い渡しています。その際、退廷する野村総裁は、裁判長に向かって「あんた後悔するよ」と捨て台詞を吐いたそうです。

田中幸雄容疑者に関しては、当初から捜査線上にのぼっていたと言われていますが、逮捕に至るまで9年の歳月を要したのはどうしてなのか。事件の背後に、私たちがうかがい知れない”闇”が存在していたような気がしてなりません。

キャスターの辛坊治郎氏は、事件が起きてすぐに京都府警から事情聴取されていたそうで(実際は情報提供を求められただけのようですが)、ラジオ番組で事件の不可解さについて、次のように語っていました。

Yahoo!ニュース
ニッポン放送
「王将」社長射殺事件 辛坊治郎が事情聴取を受けていた「容疑者とは言われませんでしたが……」

それにしても、謎だらけの事件です。今回逮捕された暴力団幹部が事件に関わっていたという見方はかなり初期の段階からありました。殺害現場近くでたばこの吸い殻が発見され、 DNA型鑑定が出ていたんですよ。なぜ、そんなはっきりとした証拠があるにもかかわらず、そのルートを洗っていかなかったのだろうと不思議です。
(略)
いずれにしても、容疑者がもっと早く逮捕されていてもおかしくない事件です。ここまで時間がかかったことに、何かものすごく深い闇のようなものを感じています。
(上記記事より)


事件の背景については、東証一部上場(移行)を前にして会社が設置した第三者委員会が、2016年3月に公表した調査報告書に注目が集まっています。調査報告書は、下記の毎日新聞の記事に書いているとおり、当初は東証一部上場(13年7月)後の13年11月に公表されるはずでした。しかし、何故か公表されず、役員たちにも報告書の内容が共有されなかったそうです。そして、その1ヶ月後の12月に大東社長が殺害されたのでした。調査報告書が公表されたのは、さらにそこから3年4か月後でした。このように調査報告書のの公表ひとつをめぐっても、実に不可解なのです。

調査報告書によれば、創業家と福岡の企業グループとの間で、取締役会にも通さない不適切な取引きが行われ、それは1995年から2005年までの10年間に総額260億円にものぼり、そのうち170億円が回収不能になっているというのです。その多くは不動産取引で、企業グループから市場価格とかけ離れた不当に高い金額で購入し、大きな売却損を出して処分するということをくり返していたのです。調査報告書は、「福岡の企業グループは反社ではない」と書いていましたが、やり口は反社のそれと同じです。

そのため、「王将フードサービス」は業績不振に陥り、三代目の社長だった創業者の加藤朝雄氏の長男と、財務担当の専務だった次男が事実上のクーデーターで退陣し、創業者の義弟の大東氏が社長に就任したのでした。

「王将フードサービス」は東証一部上場をめざしていましたが、取締役会にもはからない不適切な取引きによって、「企業経営の健全性」や「企業のコーポレート・ガバナンスおよび内部管理体制の有効性」といった上場要件(審査基準)を満たせず、早急な企業体質の改善が求められていました。そのため、大東社長がみずから表に立って、福岡の企業グループとの関係を精算しようとした矢先に殺害されたのでした。

そのあたりの経緯について、毎日新聞が具体的に書いていました。

毎日新聞
王将社長射殺 不適切取引相手の企業グループ  関係者を参考人聴取

  00年4月に社長に就任した大東さんは当初、企業グループとの債権回収の交渉を、創業者の親族に任せていた。しかし経営危機に直面し、03年7月ごろからは自身が直接交渉。14件については清算を終えたが、企業グループとの関係を解消しきれなかったという。

  これらの内容は、同社が東証移行を前に設置した再発防止委員会が13年11月にまとめた報告書に記されたが、公表はされなかった。大東さんが殺害されたのは、その1カ月後だった。
(上記記事より)


記事によれば、京都府警の捜査本部は、田中容疑者の逮捕に伴って、不適切な取引きをしていた「企業グループを経営していた70代の男性から、参考人として任意で事情を聴いたことが判明した」そうです。

しかし、ここに至っても、メディアは「福岡の企業グループ」という言い方をするだけで、社名等いっさいあきらかにせず、奥歯にものがはさまったような言い方に終始しているのでした。それは、安倍元首相銃撃事件のあと、旧統一教会のことを「ある宗教団体」とか「特定の宗教団体」と言っていたのと似ています。

一方で、リテラが、2015年に具体的に企業名や経営者の名前を出して記事にしており、翌年にも第三者委員会の調査報告書の発表を受けて、その記事を再掲しています。

リテラ
「餃子の王将」が調査報告書でひた隠しにする260億円不正取引の相手は“部落解放同盟のドン”の弟だった!

「部落解放同盟のドン」というのは、1982年から1996年5月に肝不全で亡くなるまで部落解放同盟の4代目の中央執行委員長を務めた上杉佐一郎氏で、その「弟」というのは、上杉佐一郎氏の異母弟の上杉昌也氏です。

同和対策事業特別措置法が10年の時限立法として制定されたのが1969年で、その後何度が延長され(法律の名称も変わって)、終了したのが2002年です。33年間で約15兆円の国家予算が費やされたと言われています。

部落解放同盟が、最も活発に活動していたのもその期間です。

上杉昌也氏自身は部落解放運動には直接関係してなかったようですが、彼の事業に「部落解放同盟のドン」と言われた上杉佐一郎氏の威光がはたらいていたのは想像に難くありません。同対法の終了と関係あるのか、事業の多くは2006年から2011年にかけて破綻しています。

警察の捜査が遅々として進まなかったのも、大手メディアが未だに奥歯にものがはさまったような言い方に終始しているのも、「同和タブー」があるからではないか。そう思えてなりません。

創業者の加藤朝雄氏が、1967年12月に「餃子の王将」を創業したのは京都四条大宮ですが、福岡(飯塚市)出身だった加藤氏は、同郷の上杉兄弟と1977年頃知り合ったと言われています。そして、全国展開する上での資金300億円は上杉佐一郎氏が調達した、と言われているのです。

私は、田中幸雄容疑者の逮捕を受けて、部落解放同盟を舞台にした「飛鳥会事件」を扱った、角岡伸彦氏の『ピストルと荊冠』(講談社)を本棚の奥から引っ張り出して読み返したのですが、何だか両者は共通したものがあるような気がしてなりませんでした。と同時に、未だに「同和タブー」が生きていることに、あらためて驚きを禁じ得なかったのでした。

『ピストルと荊冠』は、「<被差別>と<暴力>で大阪を背負った男」とサブタイトルが付けられているように、山口組の直参組織である金田組の組員でありながら、40年にわたり部落解放同盟の支部長を務め、同和対策事業特別措置法による事業で利権をむさぼってきた小西邦彦(故人)の半生を取り上げた本です。

彼は、同和対策事業で同和地区に建てられた解放会館を根城に、運動団体(部落解放同盟)と財団法人(飛鳥会)と社会福祉法人(ともしび福祉会)のトップを務め、同会館に派遣された市役所職員や三和銀行の職員をあごのように使って、文字通り巨万の富を築いて金満生活を送っていたのでした。また、その一部は所属する金田組に上納されていました。

親しい親分がピストルを隠すために三和銀行の貸金庫が利用できるように便宜をはかったり、山口組の内部抗争の煽りを受けて、解放会館の近くに建てた自社ビルに銃弾が撃ち込まれる、ということもありました。また、山口組4代目組長の竹中正久が跡目争いで射殺された現場になった愛人のマンションは、小西の名義でした。

また、みずからが運営する財団法人の職員として知り合いの組から派遣された元組員を採用したり、知り合いの山口組系の元組長ら3人が社団法人大阪市人権協会の下部組織である飛鳥人権協会の職員であるように装い、3人とその家族分の健康保険証7枚を取得する便宜をはかっていました。3人は、何と1977年から1992年まで健康保険証の更新を続けていたそうです。どうしてそんなことができたのかと言えば、小西が飛鳥人権協会の顧問だったからです。現職のヤクザが人権協会の顧問を務めていたという冗談みたいな話が、当時の大阪では公然とまかり通っていたのです。小西邦彦はのちに詐欺の疑いでも逮捕されています。

同和対策事業関連の予算は、3分の2は国が補助して残りの3分の1は自治体が負担するようになっていましたが、大阪市は同和対策事業特別措置法が続いた33年間で、同和関連事業に6千億円を注いでいます。そのうち「3割強」が建設関連予算だったと言われ、その大半は、部落解放同盟大阪府連が設立した大阪府同和建設協会に加盟する業者が請け負っていました。

小西は、飛鳥地区における業者の選定や工事費の上前をはねることで「少なく見積もっても数億円」を懐に入れた、と『ピストルと荊冠』は書いていました。また、西中島の新御堂筋の高架下を、中高齢者雇用対策ならびに老人福祉対策の一環として駐車場として利用したいという小西の申し出に対して、大阪府は同和対策事業の枠外で市開発公社に占有許可を出し、小西がトップを務める飛鳥会に管理委託させたのでした。それにより、西中島駐車場も小西の懐を潤すことになります。

  駐車場の売上げは一日平均六十万円あった。一年間で二億二千万円である。そのうち地代や人件費を差し引いた七千五百万円が小西の懐に入った。
(『ピストルと荊冠』)


同書によれば、18年間で「少なくとも六億円を着服している」そうです。

もちろん、同和対策を利用した土地転がしで億単位の利益も得ていました。本ではそのカラクリについて、不動産業者が次にように証言しています。

「小西が支部長になってから、ここに道ができる、ここには住宅が建つという具合に(地区内の事業計画が)わかるようになった。最初に小西は地区内の土地を千七百万円で買(こ)うた。それを転売したら三千万円くらいで売れた。そこからあいつは金の味を覚えたわけや。
(同上)


解放会館ができた当初、同館には7名の大阪市の職員が常駐していたそうです。小西は、その人事権を握っているだけでなく、本庁の人事や採用にも影響力を持っていたと言われています。実際に、小西の実兄や甥、姪の夫など身内が大阪市に採用されているのでした。

もちろん、それらの収入は申告していません。「同和」というだけで何のお咎めもなかったのです。それどころか、彼の「人脈は、部落解放運動、行政、政界、警察、国税、銀行、建設業界など各界に広がり、絶大な影響力を持つに至った」(同上)のでした。

彼の金満ぶりについて、『ピストルと荊冠』は次のように書いていました。

  支部長に就任して間もないころは、廃車寸前の高級国産車のトヨタ・クラウンを知り合いから二十万円で購入し、乗り回していた。
(略)
  金回りがよくなると、クラウンをアメリカの大型高級車・リンカーンコンチネンタルに乗り換え、専属の運転手を据えた。
  住居は、一九五〇年代はバラックに、一九六〇年代後半には同対事業によって完成したばかりの3DKの団地型の市営住宅(五十平方メートル)に住んだ。一九七〇年代には奈良市内に自宅を建築したが、その後、妹に譲っている。
  一九八〇年代初めに飛鳥会事務所で働いていた事務員との間に二人の娘をもうけると、同じく奈良市内に三億円をかけ、五百五十平方メートルの敷地に地上三階地下一階の豪邸を建てた。電気代だけで月に一ヶ月二十万円もかかったという。

(略)大人になった長男が「車が欲しい」と言うと、「ん、車? ほな買おうか」と千二百万円のベンツを買い与えた。長男は(引用者:障害があって)運転ができないため、運転手兼介助者は、小西の伝手で大阪市に採用された男が務めた。


私も若い頃、浄土真宗の集まりで、部落解放同盟の末端の活動家たちと話をしたことがありますが、彼らは旧統一教会の信者と同じで、純粋に真面目に解放運動に身をささげていました。そのとき会った小学校の若い女性教師は、狭山事件の裁判の抗議のために、同和地区の子どもたちが「狭山差別裁判糾弾」のゼッケンをつけて登校する、いわゆる”ゼッケン登校”について、「子どもたちの気持がわかりますか?」と涙ながらに語っていました。しかし、「裏切られた革命」ではないですが、上の方はこのようにデタラメを究め腐敗していたのです。もちろん、「飛鳥会事件」はその一例にすぎません。

同対法が終了したのが2002年で、小西邦彦が業務上横領と詐欺の疑いで大阪府警に逮捕されたのが2006年です。小西だけでなく、多くの同和団体に捜査が入り、摘発されています。それは、裏を返せば、それまで同和団体が同対法の下でお目こぼしを受けていた、野放しだったとも言えるのです。

しかし、小西邦彦が一方的に同和対策を食いものにしたとは言えないのです。著者の角岡伸彦氏も、同書で次のように書いていました。

  小西は、運動団体と財団法人、社会福祉法人のトップを長年務めてきた。小西の一声で公共事業が進展し、様々なトラブルが解決した。人脈は、部落解放運動、行政、政界、警察、国税、銀行、建設業界など各界に広がり、絶大な影響力を持つに至った。
(同上)


言うなれば、持ちつ持たれつだったのです。

話を戻せば、「餃子の王将」も”鬼の研修”などに象徴されるように、従業員にとって「ブラック」な会社だったという声もあります。私もYouTubeにアップされていた、大東氏が社長で現社長の渡邊直人氏が常務だった頃の店長研修の動画を観ましたが、たしかにそう言われても仕方ないように思いました。実際に、2013年には、「餃子の王将」はブラック企業大賞にノミネートされているのでした。

そんな会社の創業家と、「差別解消」や「人権尊重」を謳い、一時は三里塚闘争にも動員をかけるほど新左翼にも接近したりと、きわめてラジカルな運動を展開していた部落解放同盟の幹部が親密な関係を持ち、莫大な金銭を伴う不適切な取り引きを行っていたのです。その構図は「飛鳥会事件」とよく似ています。

社長射殺事件では、それまで何度が商売に失敗している創業者が、どうして部落解放運動のドンと言われた上杉佐一郎の一族と関係を持つに至ったのか。そして、どうして上杉佐一郎氏の力で、300億円の資金を調達して、商売を成功に導くことができたのか。それが事件のポイントのように思います。

「王将」は、上記の第三者委員会が公表した調査報告書で示されているように、上杉兄弟との関係を絶つことができなかったのは事実なのです。さらに、そこに九州一の武闘派のヤクザ組織工藤会が絡んできたのです。創業家と上杉兄弟と工藤会がどういう関係にあったのか、まだ多くの”謎”が残っているのでした。もっとも、”謎”にしたのは工藤会に腰が引けていた警察だという声もあります。初動捜査の遅れなどと言われていますが、たしかに、どの事件も”謎”だらけで、容疑者の逮捕までえらく時間がかかっているのでした。

田中容疑者の逮捕を受けて、産経新聞は、匿名ながら次のような記事を載せていました。警察から得た情報なのか、上杉兄弟と「餃子の王将」との関係について、結構踏み込んだ内容が書かれていました。

産経ニュース
㊦背景に200億の「代償」?  事件つなぐキーマンX

  平成5年6月に死去した王将の創業者、加藤朝雄氏の社葬に、友人代表として参列するXの姿があった。福岡県を中心にゴルフ場経営や不動産業を手掛けていたXは、王将の取引先で作る親睦団体「王将友の会」の設立にも尽力。王将が全国に店舗を拡大していく際、トラブルの解決に暗躍していた。

  Xの兄はある同和団体の「ドン」と呼ばれ、X自身も「政財界や芸能界に顔が広かった」(知人)という。28年3月、王将フードサービスが公表した不適切取引に関する第三者委員会の報告書などによると、同じ福岡県出身の朝雄氏と昭和52年ごろに知り合い、交流を始めた。

  王将は全国チェーンへと急成長を遂げたが、各方面に影響力を持つXの水面下での動きが支えになったことは否定できない。各地の出店を支援し、平成元年に大阪・ミナミの店舗で起きた失火では、建物の所有者が死亡した問題の解決も仲介したとされる。
(上記記事)


また、上記のリテラの記事でも取り上げられている一橋文哉氏の『餃子の王将  社長射殺事件  最終増補版』(角川文庫)では、同氏について、「U氏」というイニシャルでその人物像を次のように書いていました。長くなりますが、その箇所を紹介します。尚、本が書かれたのが2014年で、加筆修正されて文庫に収められたのが2016年ですので、一橋氏は、実行犯について、中国人ヒットマンの存在をほのめかしていました。(文中事実誤認の部分もありますが、そのまま掲載します)

  U氏は「王将」創業者・加藤朝雄氏と同じ福岡県出身で、京都市内で不動産関係会社・K社を経営している。
  K社はバブル経済全盛期に、旧住宅金融専門会社(住専)の大手「総合住金」から百三十二億円の融資を受け、完全に焦げつかせたことで知られる会社だ。「総合住金」多額融資先の第四位にランクされ、一時は「問題企業」として金融業界からマークされていた。さらに、京都・闇社会の「フィクサー」とも「スポンサー」とも言われた山段芳春さんだんよしはる会長(九九年三月に死亡)率いるノンバンク「キュート・ファイナンス」からも二百数十億円を借り入れ、これも焦げつかせたという不動産業界では、“いわく付きの人物”である。
  何しろ、その人脈ときたら、戦後最大の経済犯罪である住銀・イトマン事件の主犯として知られる許永中きょえいちゅう・元被告(韓国移送後に仮釈放)はじめ、山口組や会津小鉄あいずこてつ(ママ)など暴力団幹部や、その系列の企業舎弟、政治団体代表ら多彩で、そうした闇社会との交流を活かして、さまざまなアンダーグランドの仕事を請け負い、やり遂げてきた人間なのだ。
  U氏はもともとは、京都市に拠点を置く同和系団体の中心人物(故人)の実弟(ママ)という立場だった。そして、山口組三代目田岡一雄たおかかずお組長が亡くなった後、その遺志を継いで美空みそらひばりをはじめ大物歌手や芸能人の「タニマチ」として応援してきたことでも知られている。
(一橋文哉『餃子の王将  社長射殺事件  最終増補版』・角川文庫)


事件の解明はやっと入口に立ったばかりです。ただ、事件の解明とは別に、ここでも、「飛鳥会事件」であきらかになったような、部落解放運動の腐敗や堕落が垣間見えるのでした。

部落解放同盟と対立する日本共産党は、同和対策事業特別措置法を「毒まんじゅう」と言っていました。当時は「何と反動的な見方なんだ」と思っていましたが、今にして思えば、当たらずといえども遠からじという気がしないでもありません。


関連記事:
『どん底』
『日本の路地を旅する』
2022.11.01 Tue l 社会・メディア l top ▲
昨夜、アメリカのペロシ下院議長宅が襲撃され、夫のポール氏が怪我をして病院に搬送された、というニュースがありました。

毎日新聞
ペロシ米下院議長の自宅襲撃され、夫搬送 襲撃者の身柄拘束

ペロシ氏は、筋金入りの対中強硬派で、先日の台湾訪問で米中対立を煽った(その役割を担った)人物です。その際、日本にも立ち寄っているのですが、まるでマッカーサーのように、羽田ではなく横田基地に米軍機で降りているのでした。ちなみに、トランプが訪日した際も横田基地でした。「保守」を名乗るような右翼と一線を画す民族派は、そのやり方を「国辱だ」として抗議していました。

私は、このニュースを見て、『週刊東洋経済』10月29日号の「『内戦前夜』の米国社会   極限に達する相互不信」という記事を思い出しました。まだ犯人の素性や背景等があきらかになっていませんが、「内戦前夜」と言われるほど分断が進むアメリカを象徴している事件のように思えてならないのでした。

『週刊東洋経済』の同号の特集には、「米中大動乱  暴発寸前!」という仰々しいタイトルが付けられていましたが、唯一の超大国の座から転落したアメリカはまさに内憂外患の状態にあるのです。次回の大統領選では、へたすればホントに「内戦」が起きるのではないか、と思ったりするほどです。

そんな中で、米中の「ハイテク覇権」をめぐるアメリカの中国対抗政策はエスカレートするばかりです。言うなればこれは、アメリカが唯一の超大国の座から転落する副産物(悪あがき)にようなものです。と同時に、「内戦前夜」とも言われるアメリカの国内事情も無関係とは言えないでしょう。

しかし一方で、過剰な中国対抗政策のために、アメリカ自身が自縄自縛に陥り、みずから経済危機を招来するという、負の側面さえ出ているのでした。今の日米の金利差による急激な円安を見ても、もはや経済的には日米の利害は一致しなくなっています。それはヨーロッパとの関係でも同じです。同盟の矛盾が露わになってきたのです。今後”ドル離れ”がいっそう加速され、アメリカの凋落がよりはっきりしてくるでしょう。

アメリカは520億ドル(約7兆円)の補助金と輸出規制を強化するCHIPS法というアメとムチのやり方で、自国や同盟国のハイテク企業に中国との関係を絶つ、いわゆるデカップリングを求める方針を打ち出したのですが、当然ながら中国との取引きに枷をはめられた企業は、業績の後退を招いているのでした。片や中国は、既にアメリカに対抗する、「グローバルサウス」と呼ばれる巨大な経済圏を築きつつあります。

また、EV(電気自動車)に搭載する電池製造のサプライチェーンから中国を排除するインフレ抑制法(IRA)も今年の5月に成立しましたが、しかし、車用のリチウムイオン電池のシェアでは、中国メーカーが48%を占めており、その現実を無視するのはビジネスとしてリスクがありすぎる、という声も出ているそうです(ちなみに、第2位は韓国で30%、第3位は日本で12%です)。

さらには、電池の原料であるリチウムとコバルトの精錬技術と供給量では、世界の供給量の7割近くを中国が握っているそうです。そのため、中国を排除すると電池が供給不足になり、車の価格が上昇する懸念も指摘されているのでした。

半導体にしろ電池にしろ、デカップリングで自給率を上げると言っても、時間と手間がかかるため、言うほど簡単なことではなく混乱は避けられないのです。それこそ返り血を浴びるのを覚悟の上で体力勝負しているような感じになっているのでした。

米中対立は民主主義と権威主義の対立だと言われていますが、私には、全体主義と全体主義の対立のようにしか見えません。「ハイテク覇権」をめぐる熾烈な争いというのは、まさに世界を割譲する帝国主義戦争の現代版と言ってもいいのです。

渋谷が100年に一度の再開発の渦中にあると言われますが、世界も100年に一度の覇権の移譲が行われているのです。でも、当然ながら資本に国境はなく、覇権が中国に移ることは資本の「コンセンサス」と言われています。今どき、こんなことを言うと嗤われるだけでしょうが、「万国の労働者団結せよ!」というのは、決して空疎なスローガンではない(なかった)のです。

もちろん、東アジアで中国と対峙しなければならない日本にとっても、米中対立は大きな試練となるでしょう。今はアメリカの後ろでキャンキャン吠えておけばいいのですが、いつまでも対米従属一辺倒でやっていけるわけではないのです。

アメリカが世界の覇権国家として台頭したのは第二次大戦後で、たかだかこの75年のことにすぎません。中国が覇権国家としてアジアを支配していたのは、千年単位の途方もない期間でした。だから、英語で「chinese characters」と書く漢字をはじめ、仏教も国家の制度も、皇室の伝統行事と言われる稲刈りや養蚕も、日本文化の多くのものは朝鮮半島を通して大陸から伝来したものなのです。

関東近辺の山に登ると、やたら日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の東征に関連した神社や岩やビュースポットが出て来ますが、日本武尊とは半島からやってきて先住民を”征伐”して日本列島を支配した渡来人のことで、それらは彼らを英雄視した物語(英雄譚)に由来したものです。ちなみに、九州では、同じ日本武尊でも、九州の先住民である熊襲を征伐した話が多く出てきます。

国家は引っ越すことができないので、好き嫌いは別にしてこれからも東アジアで生きていくしかないのです。中華思想から見れば、日本は”東夷”の国です。それが日本の”宿命”とも言うべきものです。同時にそれは、河野太郎が主導するような、デジタル技術を駆使して人民を管理・監視し、行政的にも経済的にも徹底した省力化・効率化をめざす、中国式の全体主義国家に近づいて行くということでもあります。これは突飛な話でも何でもなく、地政学的に「競争的共存」をめざすなら、そうならざるを得ないでしょう。「競争的共存」というのは、米中関係でよく使われた言葉ですが、今や米中関係は「共存」とは言えない関係に変質してしまいました。

中国のチベット自治区でゼロコロナ政策に抗議して暴動が起きたというニュースもありましたが、私たちにとってそういった民衆蜂起が唯一の希望であるような全体主義の時代が訪れようとしているのです。覇権が300年振りに欧米からアジア(中国)に移ることによって、世界史は大きく塗り替えられようとしているのですが、それは、「反日カルト」の走狗のようなショボい「愛国」など、一夜で吹っ飛んでしまうほどの衝撃をもたらすに違いありません。

中国式の全体主義国家を志向しながら(僅かなお金に釣られて無定見にそれを受け入れながら)、日本は中国とは違う、中国に対抗していくんだ、みたいな言説はお笑いでしかないのです。


関連記事:
新しい覇権と日本の落日
2022.10.29 Sat l 社会・メディア l top ▲
PEAKSのウェブサイトに、下記の記事が出ていました。

PEAKS
クマが上から飛んでくる衝撃動画「登山中に熊に襲われた」 現場の真相を取材

私も、この動画をYouTubeで観ました。

私自身、二子山ではないですが、近辺の山に登ったことがあります。至るところに「熊の目撃情報あり」の注意書きの看板があり、あのあたりは熊の生息地域であることはたしかなようです。

子ども連れの親熊が、子どもを守るために本能的に襲ってきたのでしょうが、「埼玉のジャンダルム」などと言われるほど厳しい岩稜帯が連なる二子山をクライミングしている最中に、熊が頭上から襲って来る映像はたしかに衝撃的です。動画は、現在、470万回再生されており、英語の字幕を入れていることもあってか、世界中に拡散されているようです。

ただ、私が感心したのは、動画の主が「取材のご相談は登山系の媒体に限定させて頂いております」と概要欄で断っていることです。

PEAKSの記事でも、記事を執筆した山岳ライターの森山憲一氏が次のように書いていました。

動画公開後、島田さんのもとにはテレビ局などから動画利用のお願いが多数寄せられているそうだが、いまのところすべて断っている。「衝撃映像」などと題して流され、スタジオの人が「登山は危ないですね」などと語って終わるかたちで消費されたくないというのだ。


遭難事故でもそうですが、メディアは、「安易な登山は危険」「遭難は迷惑」みたいなお定まりの自己責任論で報じるのが常です。ましてや、テレビのバラエティ番組などでは、ゲストのタレントたちが「キャー怖い」とアホみたいな嬌声を上げてそれで終わりなのです。

前に上高地の小梨平でキャンプをしていた女性のハイカーが、テントで睡眠中に熊に襲われて怪我をするという事故がありました。その女性は、大学の山岳部出身のハイカーだったので、朝日新聞の取材を受けたり、『山と渓谷』誌に体験記を発表していました。その中で、「熊に恨みはない」「熊に申し訳ない」と書いていました。

すると、ネットでは、「なんだ、その言い草は」と嘲笑の的になったのでした。彼らは、「人間を襲う熊なんか殺してしまえ」という身も蓋もない考えしかないのです。そして、同じような単純な考えで、遭難したハイカーに悪罵を浴びせるのでした。

登山では必ず記録を付けます。それは、思い出のためだけではなく、何かあったときの検証のためでもあります。どんな山に登るのでも、登山届と記録は必須なのです。

登山において、検証するというのは非常に大事なことです。この動画を検証のため、熊対策のために使ってほしい、という動画主の考えは、本来のハイカーが持っている見識だと思いました。中には熊鈴がうるさいといって、顔をしかめたりブツブツ文句を言ったりするようなハイカー(大概高齢者)がいますが、そういう下等なハイカーは山に来るべきではないでしょう。

今の時期だと、どこのテレビや新聞も、「紅葉が盛りを迎えて登山客で賑わっています」というような定番の”季節ネタ”を取り上げるのですが、遭難事故が起きると、途端に鬼の形相になって、まるで自業自得だと言わんばかりに、遭難者叩きを煽るような口調に一変するのでした。それは、Yahoo!ニュースのようなウェブニュースも然りです。

そのため、遭難者自身や家族が、事故後もSNSのバッシングに苦しむという”二次災害”の問題もあります。

もし登山系ユーチューバーだったら、「衝撃注意」「死ぬかと思った」「危機一髪」などというキャッチ―なタイトルで仰々しく煽って、再生回数を稼ごうとするでしょう。実際に、遠くで熊を目撃しただけで、ここぞとばかりに大袈裟なタイトルを付けてアップしている動画はいくつもあります。

旧メディアでもネットメディアでも、まともな神経で接するのは非常に難しいと思いますが、このように明確な見識を突き付けるのもひとつの方法だと思いました。
2022.10.25 Tue l 社会・メディア l top ▲
外国為替市場の円相場で、とうとう1ドル=150円の大台に乗りました。これは32年ぶりの円安水準だそうです。

調べてみると、30年前の1990年の大納会の日経平均株価は2万3千848円71銭でした。前年(1989年)の大納会の株価は、3万8千915円87銭で、1年で約39%も下落しています。

つまり、1990年はバブルが崩壊した年であり、日本経済の「失われた30年」がはじまった年でもあったのです。

国税庁の「民間給与実態統計調査」によると、1990年の平均給与は425万2千円です。最新の2020年(令和2年)は433万円で、この30年間ほとんど上がってないことがわかります。

「鈴木俊一財務相は21日の閣議後の記者会見で、為替介入の可能性について、『過度な変動があった場合は適切な対応をとるという考えは、いささかも変わりない』と述べ、従来の発言を繰り返し、市場を牽制(けんせい)した」(朝日の記事より)そうです。

しかし、朝日の別の記事では、「政府の為替政策の責任者である財務官を務めた」渡辺博史・国際通貨研究所理事長の次のような発言を紹介していました。

朝日新聞デジタル
1ドル150円「国力低下を市場に見抜かれている」 元財務官の憂い

  「いまの円安は、日米の金利差でもっぱら説明されているが、私は今年進んだ円安の半分以上は日本の国力全体に対する市場の評価が落ちてきていることが要因だと考えている。実際、日本企業をM&A(合併買収)するのに、1年前の実質2割引きであるにもかかわらず、そうした動きはほぼない。日本の企業や産業技術に対する過去に積み上げられた権威がだんだんなくなっている」


  「日本はもともとエネルギーや食料を輸入に頼る資源小国で、原材料を買い、日本で加工・組み立て、それを輸出し、生き抜いてきた。ところが、自動車を除けば電機などは海外に抜かれ、IT(情報技術)などの成長分野では米中に後れをとった。この10年ほどで日本の貿易収支は赤字が多くなり、投資を含む経常収支の黒字も小さくなってきている。(略)」


  「一方向に為替が動くと皆が思っているときに、介入をしても、砂漠に水をまくようなものだ。世界の為替市場は1日1千兆円の取引があり、うち円ドルだけでも125兆円。政府の外貨準備高が180兆円あるといっても、相場を維持することは無理筋だ。(略)」


この円安は、日米の金利差によるものであることはたしかですが、ただ、それだけではないということです。てっとり早く言えば、「日本売り」でもあるのです。

ドルが実質的な世界の基軸通貨の役割を果たしていたことを考えれば、通貨安が、アメリカが唯一の超大国の座から転落して、世界が多極化するその副産物であるのは今さら言うまでもないでしょう。とりわけ、対米従属を国是とする日本はその影響が大きいとも言えますが、日本はアメリカの属国みたいな存在であるがゆえに多極化後の世界で生きる術がない、ビジョンを描けてない、という深刻な事情があります。渡辺博史・国際通貨研究所理事長が上記の記事で、「日本の国力全体に対する市場の評価が落ちてきている」というのは、そのことを指しているのだと思います。

鈴木俊一財務大臣が、いくら為替介入の可能性を示唆して市場を牽制しても、1日1千兆円の取引がある世界の為替市場の中で、円ドルの取引はわずか125兆円にすぎず、しかも、円安介入の原資である外国為替資金特別会計(外為特金)=外貨準備高は180兆円しかないのです。これでは、鈴木財務大臣の発言が、一時のマネーゲームに使われるだけなのは当然でしょう。介入が「砂漠に水をまくようなものだ」というのは、言い得て妙だと思いました。

一方で、日本と同じように対米従属の度合いが高いフィリピンやタイやマレーシアや韓国などの通貨も下落しており、アジア通貨危機の再来も懸念されています。前回と違って今回の通貨危機では、日本は主役のひとりになるのでしょう。

何度も言いますが、日本が先進国のふりをしていられるのは、2千兆円という途方もない個人の金融資産があるからです。もちろん、それは見栄を張るために食い潰されていくだけです。しかも、誰もがその恩恵にあずかることができるわけではありません。その恩恵にあずかれない人たちは、先進国とは思えないような生活を強いられ下のクラスに落ちていくしかないのです。

コロナ禍で企業も個人も、ものの考え方が大きく変わりました。私のまわりでも、会社を辞めて別の道を歩むという人間もいます。東京の生活が異常だということに気づいた、という声も聞くようになりました。電車が来てもないのに、駅の階段を駆け下りて行くような日常の異常さ、空しさに気づいたということでしょう。何だかそれは自己防衛リスクヘッジのようにも思います。今の経済システムに身も心もどっぷりと浸かっていると、ドロ船と一緒に沈むしかないのです。

コロナ禍の前まで、中国人観光客はマナーが悪くて迷惑だなどと言っていたのに、コロナ禍を経て入国規制が緩和された途端、中国が一日も早くゼロコロナ政策を転換して中国人観光客が戻って来るのを、首を長くして待ちわびているようなことを言いはじめているのでした。岸田首相も、今国会の所信表明演説で、訪日外国人旅行者の消費額の目標を「年5兆円超」と掲げるなど、円安に対してもはやインバウンドしか頼るものがないような無為無策ぶりをさらけ出したのですが、それも訪日外国人旅行者の消費額の40%強を占める中国人観光客次第なのです。

インバウンドだけでなく、対中貿易が日本の生命線であることは統計を見てもあきらかです。財務省の資料によれば、2021年度の対外貿易額において、輸出・輸入ともにトップなのは中国です。アメリカがトップだったのは、輸出・輸入ともに2000年までです。ここでもアメリカの没落が如実に示されているのでした。そのくせ、一方で、相変わらず対米従属にどっぷりと浸かったまま、アメリカの尻馬に乗って米中対立を煽っているのですから、何をか言わんやでしょう。

台湾をめぐる米中対立が「危機的」と言われるほど深刻化したのは、アメリカがペロシの台湾訪問などで中国を挑発したからです。アメリカが怖れているのは、中国の経済力です。前も書きましたが、石油のアメリカから次の100年のレアメタルの中国に覇権が移ることに抵抗しているからです。特に目玉になっているのが半導体です。半導体不足で新車の納期が数年待ちなどと異常な状況が言われていますが、それもアメリカが中国企業との取引きを規制する、いわゆるデカップリング戦略を取ったからです。台湾が半導体の一大生産地であることを考えれば、台湾をめぐる米中対立の背景も見えてくるでしょう。

しかし、レアメタルの中国に覇権が移ることは、資本の「コンセンサス」なのです。資本は、自己増殖することが使命であり、そのためには国家などどこ吹く風なのです。「プロレタリアートに国境はない」と『共産党宣言』は謳ったのですが、当然ながら資本にも国境はないのです。今、取り沙汰されている「危機」なるものは、言うなればアメリカの悪あがきのようなものです。

アメリカが唯一の超大国の座から転落するのは、前からわかっていたはずです。でも、日本は対米従属に呪縛されたまま、何の戦略的な思考を持つこともなかったし、持とうともしませんでした。アメリカの尻馬に乗って軍事的に中国と直接対峙したら、日本は政治的にも経済的にも破滅するのはわかっていながら、漫然と対米従属を続けてきた(続けさせられた)のです。

日本維新の会との連携を進める立憲民主党の泉健太党首は、今日の昼間、都内で行われた講演で、改憲を掲げる日本維新の会とは、「実はそんなに差がないと思っている。憲法裁判所、緊急事態条項は、我々も議論はやっていいと思っている」「必要であれば憲法審で議論すればいい」と発言したそうですが、私は、その(下記の)記事を見て、「それ見たことか」と言いたくなりました。

朝日新聞デジタル
立憲・泉代表「9条も必要なら憲法審で議論すればいい」

仮に軍事的緊張が高まっているとしても、無定見にその流れに乗るのは米中対立の中で貧乏くじを引く(引かされる)だけだ、ということさえ、胸にブルーリボンのバッチを付けたこの野党の党首はわかってないのかもしれません。その意味ではネトウヨと同じです。前から何度もくり返していますが、そもそも立憲民主党は野党ですらないのです。

米中が軍事衝突したら、台湾には米軍基地がないので、沖縄の基地から出撃するしかありません。そうなれば、当然、敵国から攻撃の対象になるでしょう。なのに、どうしてわざわざそのための(戦争の当事者になるための)準備をしなければならないのか。憲法9条は戦争にまきこまれないための最後の砦だったはずです。また、軍事費が増大すれば、国家が経済的に疲弊してにっちもさっちもいかなくなります。ましてや、最大の貿易相手国を失うのです。憲法9条はその歯止めにもなっていたはずなのです。

経済再生大臣の目をおおいたくなるような醜態に象徴されるように、私たちの国家は経済再生なんてただの掛け声で、もはや打つ手もなく当事者能力を失くしているようにしか思えませんが、それは経済だけでなく政治も同じです。

また、今の円安に関しては、世界の多極化という大状況だけでなく、アベノミクスの負の遺産という側面があることも見逃せません。アベノミクスが「日本再生」のために掲げた三本の矢のひとつである、円安を誘導する「大胆な金融施策」が、日本だけがマイナス金利政策から抜け出せない無間地獄を招いてしまったのです。そして、それが「日本売り」の要因になっているのです。その意味でも、安倍元首相は、経済政策においても「国賊」だったと言ってもいいでしょう。

抜本的な改革をしなければ再び「強い経済」が戻って来ない、と識者はお題目のように言いますが、抜本的な改革なんてあるのでしょうか。とてもあるようには思えません。「強い経済」が戻って来ることはもうないのではないか。

むしろ、”強くない経済”の中で、どう生きていくか、どう自分らしく生きていくか、ということを考えるべきではないか、と思います。たとえば、今まで生活するのに30万円必要だったけど、15万円でも生活できるようにするというのも、大事な自己防衛リスクヘッジでしょう。もとより、私たちにはその程度のことしかできないのです。しかし、少なくとも電車が来てもないのに駅の階段を駆け下りて行くサラリーマンなんかより、自分の人生に対しても、社会に対しても、はるかにまともな感覚を持つことができるでしょう。それが生きる術につながるのだと思います。

奴隷の30万円では、いざとなればポイ捨てされるだけです。コロナ禍に加え、円安によって失われた30年が可視化されたことで、多くの人たちは、自分たちの人生が砂上の楼閣であることに気づいたはずです。「年金はもうあてにできない」とよく言いますが、じゃあ年金をあてにしない生き方はどうすればいいのかと訊くと、みんな口を噤むだけです。今必要なのは、「日本を、取り戻す」(自民党のキャッチフレーズ)ことではなく、「自分の生き方を、取り戻す」ことなのです。

私の知り合いも、家庭の事情で田舎に帰って介護の仕事をしていますが、彼女は「東京で介護の仕事をするのは精神的にしんどいかもしれないけど、田舎だと張り合いを持ってできるんだよね」と言っていました。そういった言葉もヒントになるように思います。私は、彼女の言葉を聞いて、”地産地消の思想”ということを考えました。地産地消は食べ物だけの話ではないのです。

まるでコロナが終わったかのように、全国旅行支援で遊びまわろう、遊ばにゃ損、みたいな報道ばかりが飛び交っており、ともすればそういった皮相な部分に目を奪われがちですが、私たちの社会や人生の本質は、もうそんなところにないのだ、ということを自覚する必要があるのではないでしょうか。


関連記事:
新しい覇権と日本の落日
Yahoo!ニュースのコメントで日本の貧国を考えた
立憲民主党への弔辞
田舎の友達からの年賀状で「利他」について考えた
雨宮まみの死
2022.10.21 Fri l 社会・メディア l top ▲
テレビ局の中で旧統一教会の問題に消極的なのは、NHKとフジテレビとテレビ朝日と言われていました。フジテレビは論外ですが、NHKとテレビ朝日が消極的なのは、今なお故安倍晋三元首相に忖度しているからです。死してもなお、旧安倍派は自民党内では最大派閥であり、メディアに対する故安倍元首相の“威光”は、安倍応援団を通して未だに衰えてないのです。旧統一教会と政治家との関係の本家本元は安倍元首相ですが、それに触れることは、安倍元首相を冒涜することになるのです。

テレビ朝日の「モーニングショー」に有田芳生氏が出演したのは8月18日で、私もちょうど観ていましたが、その席で有田氏はオウム真理教の一連の事件のあと、警視庁が旧統一教会に対して強制捜査に入る準備をしていたけど、「政治の力」によってそれが潰されたという(例の)話をしたのでした。

ところがその日を境に、旧統一教会の問題に対する「モーニングショー」のスタンスが、あきらかに変化します。もちろん、有田氏は二度と呼ばれることはありませんでした。

リテラは、この件に関して、「上層部からの一方的な報道中止指示があった」からだ、と書いていました。

  まず、『モーニングショー』への圧力は、18日、有田芳生氏が発した「政治の力」発言がきっかけだった。この発言は、前述のように、Twitter上でも「政治の力」がトレンドワード入りするなど大きな話題になったが、すると、その日のうちに、統一教会の取材に動く現場スタッフに、プロデューサーから「上から指示があった、しばらく統一教会問題はやらない」とストップがかかったのだという。

   「トーンを落とす、とかそういうレベルではなく、一切やるな、ということだったようです。実際、『モーニングショー』の現場は、翌日も有田芳生氏に出演してもらうつもりでスケジュールをおさえ、特別取材班がいくつもネタを仕込んでいた。ところが、それをすべてナシにしろといわれ、統一教会とは何の関係もない話題に差し替え。有田氏にも『別の企画をやることになったので』と、急遽キャンセル連絡を入れさせられたらしい」(テレビ朝日関係者)

リテラ
テレビ朝日で統一教会報道がタブーに!  『モーニングショー』放送差し替え、ネット動画を削除!   圧力を囁かれる政治家の名前


出演がキャンセルされたことは、有田氏も認めています。

前も書きましたが、『ZAITEN』(10月号)の特集「大株主『朝日新聞』の制御不能  老衰する『テレビ朝日』の恍惚」によれば、テレビ朝日及び持ち株会社のテレビ朝日ホールディング双方の代表取締役会長を務める78歳の早河洋氏は、「誰が社長になっても同じ」と社内で言われるほどの「唯一無二の最高権力者」で、篠塚浩社長は「早河さんのAD」とヤユされているのだそうです。

2009年にテレビ朝日初の生え抜き社長になった早河氏は、5年後に会長兼CEOの地位を手に入れてからは、代々の社長に権力を移譲することなく、テレビ朝日の「絶対的な君主」としての地位を固めて行ったのでした。

早河氏が会長になってから、篠塚氏で社長は4人目ですが、その中で朝日新聞から「天下った」のは最初の吉田慎一氏だけで、あとはテレ朝のプロパーが内部昇格しているそうです。朝日新聞はテレビ朝日の30%強の株を握っていますが、早河氏は完全に朝日新聞のコントロールから脱するのに成功したと言えるでしょう。

もっとも朝日新聞も、テレ朝にかまっている余裕はないのです。会社はじまって以来の大リストラが行われている真っ最中だからです。朝日は、全国紙で最多の4100人を超える社員を抱えていますが、9月から11月にかけて45歳以上の社員を対象に「200人以上」の希望退職者を募っているのです。昨年の1月に110名が早期退職しており、今回の200名と合わせると300名の社員がリストラされることになります。

早河会長の秘書だった女性が人事局長に大抜擢されてから、”不適材不適所”のトンチンカンな人事が横行しているという話がありますが、それが関係しているのかどうか、テレ朝では社員の不祥事も続出しているそうです。

今年の2月には、セールスプロモーション局ソリューション推進部長の職にある人間が、あろうことか詐欺容疑で大阪府警に逮捕され、同時に「スーパーJチャンネル」のデスクも同じ容疑で逮捕されるという不祥事がありました。彼らは、大阪市中央区のホームページ制作会社の関係者4人と共謀して、「IT導入補助金」を不正受給した容疑がかけられているのです。

しかし、『ZAITEN』によれば、件の部長は、記事の執筆時点でも処分されておらず、有給休暇を使うなどして休職扱いになっているのだとか。元部長が8月で満50歳になったので、このまま「依頼退職」するのではないかという噂が流れているそうです。そのあたりのいきさつについて、『ZAITEN』は次のように書いていました。

(略)というのも、テレ朝では、50歳の誕生月以降のどのタイミングでも退職する際に申請すれば、「生活設計援助制度」が使えるのだ。この制度は60歳の誕生月まで毎月34万円が支給されるもの。50歳の誕生月で退職した場合、10年間あるので、約4000万円。これとは別に退職金も支払われる。
(『ZAITEN』10月号・上記特集より)


『ZAITEN』は、元部長は「事程左様に会社側が“配慮”をしなければならない存在ということなのか」と書いていました。

「早河王国」になって、テレ朝はエンタメ路線に舵を切り、報道部門が弱体化していると言われます。「ニュースを扱う資質に欠けるような人物」が報道局に送り込まれているという指摘さえあるそうです。上記の「スーパーJチャンネル」のデスクの逮捕だけでなく、会長の覚えめでたく役人待遇のエグゼクティブアナウンサーに昇進した木下容子アナの冠番組「木下容子ワイドスクランブル」でも、昨年、ヤラセが行われていたことが内部告発で発覚しました。

玉川徹氏を晒し者にして針のムシロに座らせるようなやり方も、早河会長や篠塚社長が安倍元首相と会食をするなど安倍元首相に近い存在であったということや、同局の放送番組審議会の委員長が、安倍応援団として知られる見城徹幻冬舎代表取締役社長が就いていることなどが背景にあるのではないかと言われていますが、さもありなんと思いました。


関連記事:
菅弔辞と玉川徹バッシング
2022.10.20 Thu l 社会・メディア l top ▲
国葬における菅義偉元首相の弔辞をめぐって、テレビ朝日「モーニングショー」のコメンテーターの玉川徹氏がバッシングされています。

バッシングの先頭に立っているのは、ネトウヨの他に、橋下徹やほんこんやロザンの宇治原などのような安倍応援団のタレントや、西田昌司や細野豪志や和田政宗といったいわくありげな議員たちです。彼らの主張は、玉川氏を番組から降板させろという一点に尽きます。それは、言論の公平性云々というより、多分に政治的なスタンスによる“報復”の意味合いが強いように思います。彼らの中に、玉川=テレビ朝日=朝日新聞=パヨク=反日というお得意の妄想が伏在しているのは間違いないでしょう。

ちなみに、橋下徹とほんこんは、菅元首相の弔辞について、次のように発言していたそうです。

  橋下徹・元大阪市長は「菅さんと安倍さんは明らかに友人、友情…失礼な言い方かもしれませんけど純粋な小学校、中学校、高校生の友情関係を強く感じましたので、それが強く表れた最後の言葉だったと思います」と声を震わせた。

  ほんこんも「心温まる、感動的な弔辞。新聞の記事で全文を読ませていただいて、凄いなと思ったところで、涙してしまうというところでございました」と絶賛。

リテラ
菅義偉が国葬弔辞で美談に仕立てた「山縣有朋の歌」は使い回しだった! 当の安倍晋三がJR東海・葛西敬之会長の追悼で使ったネタを


西田昌司氏は、極右の議員として知られていますが、有田芳生氏とともに、ヘイトスピーチ対策法の成立に尽力した議員でもあり、私も当時、有田氏のツイッターに西田氏の名前がしばしば出ていたいたのを記憶しています。

ネットをググったら、こんな有田氏のツイートが出てきました。


その西田議員が玉川バッシングの先頭に立っており、国会でも取り上げると息巻いているそうです。今の私には、だから言わんこっちゃない、という気持しかありません。

下記のブログの記事を読んでもらえばわかりますが、私は、ヘイトスピーチ対策法には「反対」でした。

関連記事:
山本太郎は間違ってない

国家でも政治でも警察でも父親でも何でもいいのですが、権力を一義と考えるような考え方は、西田昌司議員には一貫しているのです。全体主義的な権力志向は、右にも左にも共通したものがあります。ヘイトスピーチ対策法に対しても、そういった懸念がありました。

菅氏の弔辞に関しては、弔辞に感動したとして、中には再登板の声まで出ているというのですから、口をあんぐりせざるを得ません。

一部のネトウヨや極右の安倍応援団の人間たちの感動話を、スポーツ新聞や週刊誌などのコタツ記事が取り上げて、それをYahoo!ニュースが拡散するという構図がここでも見られますが、その狙いについては私も前の記事で次のように書きました。

国葬が終わった途端、二階俊博元幹事長が言っていたように、「終わったら反対していた人たちも、必ずよかったと思うはず」という方向に持って行こうとするかのような報道が目立つようになりました。その最たるものが、菅元首相の弔辞に対する本末転倒した絶賛報道です。今、問われているのは、安倍元首相の政治家としてのあり様なのです。クサい思い出話や弔辞の中に散りばめられた安っぽい美辞麗句や修辞なんかどうだっていいのです。弔辞は、当然ながら安倍元首相を美化するために書かれたものです。この当たり前すぎるくらい当たり前の事実から目を背けるために、弔辞に対する絶賛報道が行われているとしか思えません。※1

国葬では、安倍元首相のピアノ演奏や金言集のような演説の動画が流されていましたが、あれだって編集した誰かがいるのです。仮にゴーストライター(スピーチライター?)がいても、ゴーストライターがいるなんて言うわけがありません。こんな「名文」を貶めるなんて許さないぞという恫喝は、同時に「名文」が持ち上げる安倍の悪口を言うことは許さないぞ、という恫喝に連動していることを忘れてはならないのです。その心根は、旧統一教会のミヤネ屋に対する恫喝まがいのスラップ訴訟にあるものと同じで、Yahoo!ニュースや東スポやSmartFLASHや現代ビジネスやディリー新潮などのような品性下劣なメディアは、ネトウヨと一緒になってその恫喝にひと役買っているのです。※2

関連記事:
「ジョーカー」と山上容疑者


Yahoo!ニュースやスポーツ新聞や週刊誌などに対しては、どの口で言っているんだ、としか思えませんが、それよりもっと違和感を抱くのは、このようにいざとなればみんな右へ倣いして同調する彼らの翼賛的な姿勢に対してです。へそ曲がりの異論さえないのです。しかも、そういった空気を誘導しているのは、ネトウヨまがいのタレントや政治家です。言論を封殺するだけが目的のような連中に、何の留保もなく同調しているのです。言論がこういった下等物件( © 竹中労)たちに占有され弄ばれているのです。

もっとも、こういった言論がどうのというようなもの言いは、今の彼らには馬の耳に念仏かもしれません。東スポでは現在100名のリストラが行われているそうですが、他のスポーツ新聞や週刊誌なども似たようなものでしょう。貧すれば鈍すではないですが、青息吐息のスポーツ新聞や週刊誌は、今やテレビで誰がどう発言したとかいう1本千円もしないコタツ記事をアルバイトの素人ライターに発注して、それで日々のウェブを穴埋めしているのが現状です。そんなコタツ記事をYahoo!ニュースがピックアップして、バズらせてアクセスを稼ぎマネタイズしているのです。彼らにとって、ニュースの価値は、どれだけバズりアクセスを稼ぐかなのです。

もうひとつ、今回のバッシングがこれほど広がったのは、「電通」の名前を出したことも大きいでしょう。言うなれば虎の尾を踏んだようなものです。それで、電通から広告のおこぼれを頂戴している物乞いみたいなメディアが、いっせいにはせ参じてバッシングの隊列に加わったということもあるのではないか。

私も最初、国葬は電通案件ではないかと思っていましたが、しかし、今でも桜を見る会の業者がすべてを仕切ったというのは信じ難い気持があります。それに、玉川氏のバッシングに目を奪われたことで、国葬が一体いくらかかかったのか、という話もどこかに行ってしまったのでした。

そんな中、リテラは、菅元首相の弔辞が実は「使い回しだった」という記事を書いて、強烈なカウンターを放ちました。リテラが、週刊誌の得意技であるスカートめくりをやったのです。それも、よりによって「安倍晋三がJR東海・葛西敬之会長の追悼で使ったネタ」の「使い回しだった」と言うのですから驚きです。それが感動の中身だったのです。

本来ならこういう取材こそスポーツ新聞や週刊誌の仕事のはずですが、彼らは子どもでも書けるようなコタツ記事でバッシングの隊列に加わり、総務省のドンと電通に忠誠を誓うだけです。竹中労だったら、野良犬が餌をもらうために列を作ってどうするんだ、と言うでしょう。

私は、菅義偉氏が総理大臣になったとき、菅義偉氏は政治家ではなく政治屋だと書きましたが、ここでも政治屋・菅義偉の面目躍如たるものがあるような気がしてなりません。

リテラは次のように書いています。

  (略)菅本人も調子に乗って、御用メディアであるABEMAの独占インタビューに応じ、以下のように追悼の辞の執筆エピソードを開陳する始末だった。

「提案があったので、『大変だ』と思って一生懸命資料集めから。一気にではなくまず全体像を入れていくというか、“何をして、何をして…”という構想からした。それと、私自身が今まで発言したものを集めていき、(完成形になったのは)意外に早かった」

リテラ
菅義偉が国葬弔辞で美談に仕立てた「山縣有朋の歌」は使い回しだった! 当の安倍晋三がJR東海・葛西敬之会長の追悼で使ったネタを


  (略)菅前首相は弔辞でこう語っていた。

〈衆議院第一議員会館、千二百十二号室の、あなたの机には、読みかけの本が一冊、ありました。岡義武著『山県有朋』です。
ここまで読んだ、という、最後のページは、端を折ってありました。
そしてそのページには、マーカーペンで、線を引いたところがありました。
しるしをつけた箇所にあったのは、いみじくも、山県有朋が、長年の盟友、伊藤博文に先立たれ、故人を偲んで詠んだ歌でありました。
総理、いま、この歌くらい、私自身の思いをよく詠んだ一首はありません。
かたりあひて 尽しゝ人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ〉

  ようするに、菅氏は、安倍氏の死後、倒れる直前まで読んでいた本を発見。その読みかけの最後のページに、暗殺された伊藤博文を偲ぶ山縣有朋の歌が載っており、それがいみじくも、自分の思いを表していると語ったのだ。
(同)


しかし、岡義武が書いた『山縣有朋 明治日本の象徴』(岩波新書)は、安倍元首相が2014年12月27日に、ホテルオークラの日本料理店で会食した際、葛西敬之JR東海名誉会長(当時)から薦められた本だそうです。

それから8年も経っているのに、まだ「読みかけ」だったというのは、あまりにも不自然だ、とリテラは書いていました。

実際に、安倍元首相は、2015年1月12日のフェイスブックに「読みかけの『岡義武著・山縣有朋。明治日本の象徴』 を読了しました」と投稿しているそうです。さらに投稿の中で、「伊藤の死によって山縣は権力を一手に握りますが、伊藤暗殺に際し山縣は、『かたりあひて尽くしし人は先立ちぬ今より後の世をいかにせむ』と詠みその死を悼みました」と、わざわざ菅氏が弔辞で引用した歌まで紹介しているのだそうです。

ただ、マーカーペンがホントであれば、今年の5月25日に葛西敬之氏が亡くなり、6月15日に安倍元首相と同じ芝の増上寺で葬儀が執り行われ、その際、安倍元首相が弔辞を読んでいますので、そのために再び本を開いて準備をしていたということも考えられなくもありません。そこにたまたま菅元首相が訪ねて来たと。

安倍元首相は、葛西氏が亡くなった際も、フェイスブックに次のように投稿していたそうです。

一昨日故葛西敬之JR東海名誉会長の葬儀が執り行われました。
常に国家の行く末を案じておられた葛西さん。
国士という言葉が最も相応しい方でした。
失意の時も支えて頂きました。
葛西さんが最も評価する明治の元勲は山縣有朋。
好敵手伊藤博文の死に際して彼は次の歌を残しています。
「かたりあひて尽しゝ人は先だちぬ今より後の世をいかにせむ」
葛西さんのご高見に接することができないと思うと本当に寂しい思いです。
葛西名誉会長のご冥福を心からお祈りします。


もっとも、山縣有朋は、日本軍国主義の元祖みたいな人物で、治安警察法や教育勅語をつくらせた人物です。安倍や菅が、そんな人物の歌を美談仕立てで取り上げるというのは、彼らのアナクロな思想の一端が伺えるのです。

リテラは、記事の中で、菅氏が政治家ではなく政治屋である一面を次のように指摘していました。

そもそも、弔辞というのは故人を偲び、故人に捧げる言葉。メディアに出て、故人を偲ぶのならともかく、弔辞をこう考えてつくったとか、こういうギャンブルでこういう表現を盛り込んだとか、いちいち自慢話する人なんて、見たことがない(普通に考えて、一般人の葬式でもそんな弔辞自慢する人って、ほとんどいないだろう)。
(同)


こういうのを品性下劣と言うのではないでしょうか。

また、朝日新聞も、弔辞について、文庫の解説者の空井護・北海道大教授にインタビューしていましたが、その中で、空井教授は次のように言っていました。

朝日新聞デジタル
菅前首相が引用した「山県有朋」 文庫解説者「出来すぎた話ですね」

菅さんが同書を読んで、「これだ!」と思ったのなら自然です。しかし、安倍さんが生前読んだ「最後のページ」に、マーカーが引かれていたのを菅さんが見つけたなんて。そんな奇遇がこの世の中にはあるんですね。


玉川徹氏には、10日間の出勤停止処分が下されたようですが、今のテレビ朝日は「早河帝国」とヤユされるほど会長兼CEOの早河洋氏の「独裁体制」にあるので、早河氏の鶴の一声で玉川徹氏がこのまま(安倍応援団が望むように)フェードアウトする可能性もなきにしもあらずでしょう。

テレビ朝日は、早河氏の秘書だった女性が人事局長に大抜擢されたことなどもあって、昨年は、元編成部長や元人事局長などが早期退職するなど、大株主の朝日新聞も制御不能な状態になっている、と『ZAITEN』(10月号)は書いていました。

「誰が社長になっても同じ」
  口に出さなくてもテレ朝社員の大多数がそう思っている。社長は“飾り”でしかなく、唯一無二の最高権力者はテレ朝及び持ち株会社の、テレビ朝日ホールディングス(HD)双方の代表取締役会長を務める早河洋(78)であることは新人社員でも知っている。
(『ZAITEN』10月号・「老衰する『テレビ朝日』の恍惚」)


旧統一教会の問題でも、フジサンケイグループともども、テレ朝の腰が引けた姿勢が指摘されましたが、それも自民党(安倍)と近い「専制君主」の意向がはたらいていたからだ、と言われていました。

菅義偉元首相は、長男の接待問題があったように、総務省に大きな力を持つ議員です。それを考えると、玉川氏の運命は決まったようなものと言えるのかもしれません。それを「ざまあ」と言わんばかりにネトウヨや安倍応援団と一緒になって叩いている、Yahoo!ニュースのようなネットメディアやスポーツ新聞や週刊誌は、あまりにもおぞましくあさましいとしか言いようがありません。
2022.10.05 Wed l 社会・メディア l top ▲
資本主義の終焉と歴史の危機


『週刊エコノミスト』の今週号の「金融危機に学ぶ」という小特集の中で、水野和夫氏は「資本主義は終焉を迎えた」と題して、次のように書いていました。尚、文中の「97年」というのは、四大証券」の一角を占めていた山一証券が自主再建を断念して廃業を決めた「1997年11月」を指しています。これは、「97年11月」を日本経済がバブル崩壊に至るメルクマークとして、5人の識者が当時の思いを綴る企画の中の文章です。

  97年は長期金利が初めて2%を割り込んだ節目でもある。翌98年以降も1%台が常態化、政府の景気対策で一時的に景気が上向いても2%を超えることはなくなり、今やゼロ%に至った。これは日本が十分に豊かになり、投資先がなくなったことを意味する。すなわち、投資して資本を増やし続けるという資本主義の終焉しゅうえんだ。この25年間で私たちはこのことを理解する必要があった。
  ところが、政府は成長至上主義を捨てられず、需要不足だからと日銀は延々と異次元緩和を続けている。需要不足ではなく、供給が過剰なのだ。その結果、格差拡大や社会の分断をより深刻化してしまった。カネ・モノの豊かさを求める強欲な資本主義を早く終わらせ、心豊かに暮らせる持続可能な社会への転換が急務だ。
(『週刊エコノミスト』10月11日号・水野和夫「資本主義は終焉を迎えた」)


昨日(10月3日)からはじまった臨時国会の所信表明演説で、岸田首相は、「経済の再生が最優先課題」だとして、いちばん最初に、インバウンド観光の復活による「訪日外国人旅行消費額の年間5兆円超の達成という目標を掲げた」(朝日の記事より)そうです。

経済を再生するのにそれしかないのか、と突っ込みたくなるような何とも心許ない話です。文字通り、観光しかウリがなくなった日本の落日を象徴するような演説だったと言えるでしょう。

私は、2014年の4月に、このブログで下記のような記事を書きました。

これを読むと、8年前に書いたものとは思えないほど、背景にある状況が今とほとんど変わってないことに自分でも驚きます(違うのはアメリカ大統領の名前くらいです)。文中の「ウクライナ問題」というのは、2014年にウクライナで発生したウクライナ民族主義によるマイダン革命に対抗して、ロシアがクリミア半島(クリミア自治共和国)とウクライナ本土のドンバス地方(ドネツィク州とルハーンシク州)を実効支配したことを指しています。以下、再録します。

水野和夫氏は、新著『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書)のなかで、グローバリゼーションについて、つぎのように書いていました。

 そもそも、グローバリゼーションとは「中心」と「周辺」の組み替え作業なのであって、ヒト・モノ・カネが国境を自由に越え世界全体を繁栄に導くなどといった表層的な言説に惑わされてはいけないのです。二〇世紀までの「中心」は「北」(先進国)であり、「周辺」は「南」(途上国)でしたが、二一世紀に入って、「中心」はウォール街となり、「周辺」は自国民、具体的にはサブプライム層になるという組み替えがおこなわれました。


グローバリゼーションとは、資本が国家より優位に立つということです。その結果、国内的には、労働分配率の引き下げや労働法制の改悪によって、非正規雇用という「周辺」を作り、中産階級の没落を招き、1%の勝ち組と99%の負け組の格差社会を現出させるのです。当然、そこでは中産階級に支えられていた民主主義も機能しなくなります。今の右傾化やヘイト・スピーチの日常化も、そういった脈絡でとらえるべきでしょう。水野氏が言うように、「資本のための資本主義が民主主義を破壊する」のです。

一方で、「電子・金融空間」には140兆ドルの余剰マネーがあり、レバレッジを含めればこの数倍、数十倍のマネーが日々世界中を徘徊しているそうです。そして、量的緩和で膨らむ一方の余剰マネーは、世界の至るところでバブルを生じさせ、「経済の危機」を招いているのです。最近で言えば、ギリシャに端を発したヨーロッパの経済危機などもその好例でしょう。それに対して、実物経済の規模は、2013年で74.2兆ドル(IMF推定)だそうです。1%の勝ち組と99%の負け組は、このように生まれべくして生まれているのです。アメリカの若者が格差是正や貧困の撲滅を求めてウォール街を占拠したのは、ゆえなきことではないのです。

もちろん、従来の「成長」と違って、新興国の「成長」は、中国の13.6億人やインドの12.1億人の国民全員が豊かになれるわけではありません。なぜなら、従来の「成長」は、世界の2割弱の先進国の人間たちが、地球の資源を独占的に安く手に入れることを前提に成り立っていたからです。今後中国やインドにおいても、経済成長の過程で、絶望的なほどの格差社会がもたらされるのは目に見えています。

水野氏は、グローバリゼーションの時代は、「資本が主人で、国家が使用人のような関係」だと書いていましたが、今回のオバマ訪日と一連のTPP交渉も、所詮は使用人による”下働き”と言っていいのかもしれません。ちなみに、今問題になっている解雇規制の緩和や労働時間の規制撤廃=残業代の廃止なども、ご主人サマの意を汲んだ”下働き”と言えるでしょう。

史上稀に見る低金利政策からいっこうに抜けだせる方途が見出せない今の状況と、国民国家のかせから解き放され、欲望のままに世界を食いつぶそうとしているグローバル企業の横暴は、水野和夫氏が言うように、「成長」=「周辺」の拡大を前提にした資本主義が行き詰まりつつことを意味しているのかもしれません。少なくとも従来の秩序が崩壊しつつあることは間違いないでしょう。それは経済だけでなく、政治においても同様です。ウクライナ問題が端的にそのことを示めしていますが、アメリカが超大国の座から転落し、世界が多極化しつつあることは、もはや誰の目にもあきらかなのです。日米同盟は、そんな荒天の海に漂う小船みたいなものでしょう。

関連記事:
日米同盟と使用人の下働き

この8年間で資本主義の危機はいっそう深化しています。日本だけがマイナス金利政策から抜け出せないことを見てもわかるとおり、とりわけ日本の危機が際立っています。岸田首相の中身のない所信表明がその危機の深刻さを何より表していると言えるでしょう。

でも、その危機は、アメリカの危機=政治的経済的な凋落に連動したものである、ということを忘れてはなりません。20数年ぶりの円安がそれを象徴していますが、日米同盟はもはや難破船のようになっているのです。

今問題となっている物価高を見ても、その深刻さは度を越しています。今年の8月までに値上げの対象となったのは、再値上げなどを含めて累計18,532品目に上り、値上げ率は平均で14%だったそうです。

さらに、ピークとなったこの10月に値上げになったのは、食品や飲料だけでも6,500品目を超えているそうです。もちろん、食品や飲料以外にも、電気料金やガス料金、電車やバスの交通費、あるいは外食費や日常雑貨や各保険料など値上げが相次いでいます。また、同時に、食品を中心に内容量を減らす「ステレス値上げ」も横行しています。

収入が増えず購買力が低下しているのに、物価だけが上がっていくというのは、文字通りスタグフレーションの到来を実感させられますが、しかし、この国の総理大臣は、経済再生は外国人観光客の懐が頼りだと、浅草のお土産屋の主人と同じようなことしか言えないのです。

『週刊東洋経済』の今週号の「少数異見」というコラムで、8月にチュニジアで開かれたアフリカ開発会議(TICAD)が「盛り上がりを欠いたまま閉幕した」ことが取り上げられていました。

TICADは、日本と50カ国以上のアフリカ諸国の首脳が3年に一度集まる会議で、1993年からはじまり今回が8回目だったそうです。

1993年は日本がイケイケドンドンの時代で、経済力で途上国への影響力を持ちたいという大国意識の下、政府開発援助(ODA)の予算を年々積み重ねていた時代だったのです。

でも、それも今は昔です。「もはや大国ではない」という中見出しで、コラムは次のように書いていました。

  しかし、今や日本はミドルパワーだ。世界第2位の経済・技術大国ではなく、「アジアを代表する大国」ですらない。中韓はもちろんASEANのいくつかの国は同格かそれ以上の力をつけた。米中対立は激化し、ロシアは牙をむき始めた。日本が謳歌してきた米国一極による世界秩序の安定は揺らぎ、強い円も失いつつある。日本の対外政策の前提となったファンダメンタルズはもはや存在しない。
(『週刊東洋経済』10月8日号・「少数異見」)


そんな日本は「ただ縮むだけで未来がない」と言うのです。
2022.10.04 Tue l 社会・メディア l top ▲
世界は、資本蓄積に必要な資源の変遷とともに、100年ごとに覇権が変わっていくという壮大な理論があります。

まず19世紀の最初の100年は石炭のイギリス(大英帝国)、次の100年は石油のアメリカでした。そして、現代はレアメタルの中国に覇権が移りつつある、と言うのです。新型コロナウイルスによるパンデミックがそれを(覇権の移譲)をいっそう加速させる役割を果たした、と。しかも、国家間はしばらく「対立」が続くものの、覇権の移譲は、本質的には「対立」ではなく資本の「コンセンサス」だと言います。

対米従属が骨の髄まで沁み込んだ日本人にとっては、背筋に冷たいものが走るような話かもしれません。

その中国ですが、日本などと同じように、1995年代後半から2009年生まれのZ世代が消費の中心になりつつあり、既にZ世代は約2億8千万人おり、全人口の約18.1%を占めるまでになっているそうです。

先日もTBSのNews23でやっていましたが、この世代の特徴は、前の世代のような「海外ブランドを仰ぎ見るような感覚」(人民網日本語版)がないことだそうです。むしろ、「国潮」(国産品)を着ることがトレンドにさえなっている、と言うのです。

そう言うと、日本人は、中国政府の政策で愛国主義が台頭して、それが消費動向にも反映されているからだろう、というような見方をする人間が多いのですが、必ずしもそうではなく、外国製品に引けを取らないほど中国製品のクオリティが上がっている、という理由が大きいのです。若者たちは、「国内ブランドのデザインには生まれ変わったような感じがあり、モデルの更新ペースも速い」(同)という印象を持っているそうです。

私も前にハイアールの話をしましたが、もう中華製の安かろう悪かろうの時代は終わったのです。ましてハイテク製品の分野では中国はトップを走っています。だから、西側の国はあんなにファーウェイを怖れたのでしょう。

昨日もテレビ東京で、中国に出店していた飲食や小売などの企業が撤退するケースが多くなっており、やはり中国進出は「政治のリスクが大きすぎる」というようなニュースをやっていましたが、それは「政治のリスク」ではなく、「国潮」の台頭が要因と考えるべきでしょう。

来月11日から入国規制が全面解除になりますが、中国人観光客がホントに以前のように戻ってくるのか、楽観視はできないように思います。まして、かつてのような”爆買い”は期待できないのではないか。もちろん、円安が追い風であることはたしかですが、中国もどんどん豊かになっており、上で見たように消費のトレンドが大きく変わっているのです。

今年は日中国交正常化50周年だそうですが、アメリカの尻馬に乗って対中強硬策を取っても(それこそ「政治のリスク」を負っても)、泣きを見るのはどう考えても日本の方です。武士は食わねど高楊枝では国はやっていけないのです。

下の表のように、コロナ前の2019年の外国人観光客の地域別のシェアを見ると、アジアからの観光客が圧倒的に多く、全体の82.7%です。中でも東アジアが70.1%を占めています。テレビ東京「Youは何しに日本へ?」でインタビューするのは、何故か欧米豪の観光客ばかりですが、彼らは13.0%にすぎません。

国別のシェアを見ても、中国本土からの観光客が959.4万人で、東アジアの中で42.9%を占めています。香港を含めると53.1%になります。

2019年訪日外国人旅行者地域国別シェア
2019年訪日外国人旅行者地域国別シェア
※国土交通省観光局資料より抜粋

次の消費額(つまり、経済効果)を見ると、中国人観光客の存在感がいっそう際立ちます。外国人観光客が日本で消費したお金の総額は4兆8千135億円ですが、国別では、1位が中国1兆7千704億円、2位が台湾9千654億円、3位が韓国4千247億円です。中国人観光客は、買物だけでも9千365億円も消費しているのです。

2019年訪日外国人旅行消費額
2019年訪日外国人旅行消費額
※国土交通省観光局資料より

そんな中で、中国経済が発展して消費のトレンドが変わっていることは、日本の観光にとっても不安材料です。日本製品に対する魅力が薄れていくだけでなく、日本の食べ物や観光地に対しても同様に魅力を失っていく懸念があります。ましてや、”アジア通貨危機”に見舞われたら観光立国どころではなくなるでしょう。

一方で、円安で益々日本が「安い国」になったことにより、不動産や企業が中国資本に買い漁られている、という現実があります。数年前に、千代田区などの都心の一等地の高級マンションが中国人に買われており、特に角部屋などの「いい部屋」を買っているのは中国人ばかり、という話をしましたが、その傾向は益々強くなっているのです。現在、マンション価格がバブル期を凌ぐほど高騰しているのも、日本人ではなく中国人が作った市況なのです。

安い国ニッポン。その恩恵に浴しているのは、中国をはじめとする外国資本で、肝心な日本人は給与は上がらない上に逆に物価高で苦しんでいるあり様です。そのために、手元の物を質入れするみたいに、日本の資産を外国資本に売り渡しているのです。”アジア通貨危機”も、中国にとっては絶好のチャンスと映るでしょう。

とは言え、(何度も言うように)日本はもはや観光しかすがるものがないのです。何とも心許ない話ですが、とにかく、みんなで揉み手してペコペコ頭を下げるしかないのです。神社で米つきばったみたいに三拝している日本人を見て、白人の若いカップルが手を叩いて笑っていましたが、いくら笑われても頭をペコペコ下げるしかないのです。

安倍元首相は、「愛国」を隠れ蓑に、旧統一教会に「国を売った」だけでなく、アベノミクスによって日本を八方塞がりの「安い国」にしてしまったのです。これでは「国賊」と言われても仕方ないでしょう。なのに、どうして「安倍さん、ありがとう」なのか。しかも、よりによって旧統一教会と一緒に、そう合唱しているのですから何をか言わんやでしょう。


関連記事:
Yahoo!ニュースのコメントで日本の貧国を考えた
2022.09.30 Fri l 社会・メディア l top ▲
今日、山に行こうと思っていたのですが、寝過ごしてしまい行くことができませんでした。それで、再び寝たら、次に目が覚めたのは午後でした。

テレビを点けたら、どこも喪服を着たアナウンサーたちが国葬の模様を中継している画面ばかりでうんざりしていたところ、テレビ東京が「昼めし旅」を放送していたのでホッとして、遅い朝飯を食いながらそれを観ました。

国民の60%だかが反対しているというのに、読売新聞の調査では47都道府県のうち43知事が参列し、欠席したのはわずか4知事だけだそうです。しかも、テレビ各局は(テレ東を除いて)特別番組を組み、喪服姿のアナウンサーたちがさも暗い表情を装って、美辞麗句をちりばめた安倍元首相に対するお追従の原稿を読み上げているのでした。

個人的にはあまり信用していませんが、それでも60%の民意はどこに行ったんだ、と思いました。「ニッポン低国」というのは竹中労の言葉ですが、まさに最後はみんなで思考停止に陥ってバンザイする「ニッポン低国」の光景を見せつけられているような気がしました。

自宅から遺骨が出る際には20名の自衛隊の儀仗隊が先導し、遺骨が乗った車が国会や総理官邸ではなく、何と防衛省をまわって会場の武道館に向かい、武道館に到着したのに合わせて、北の丸公園で弔意を表す19発の空砲(弔砲)が放たれるという、驚くべき企画がありましたが、何だかそれも空々しく見えました。

安倍元首相は、旧統一教会のエージェントと言ってもいいような人物だったのです。「反日カルト」の旧統一教会を日本に引き入れ、日本人をサタンと呼ぶ「反日カルト」に日本を「売ってきた」一家の3代目なのです。「保守」や「愛国」や「反共」や「売国」という言葉が虚構でしかなかったことを、文字通り体現する人物なのです。

私は、「愛国」と「売国」が逆さまになった”戦後の背理”ということをずっと言ってきましたが、旧統一教会の問題によって、まさにそれがきわめて具体的に目の前に突き付けられたのです。それでもまだ事実を事実として見ようともしない人間たちがいるのです。それは、今なお空疎な「愛国」にすがるネトウヨだけでなく、黒い喪服を着たメディアの人間たちも同じです。

今日の国葬には、7人だかの皇族も参列したそうですが、ここでも統治権力の外部にある、天皇制という「法の下の平等」を超越した擬制を利用して、みずからを正当化するこの国の無責任体制が示されているのでした。

赤坂真理は、『愛と暴力の戦後とその後』(講談社現代新書)の中で、天皇を「元首」とする自民党の改憲案について、「権力を渡す気などさらさらないのに、『元首』である、と内外に向けて記述する」厚顔さと、「天皇権威を崇め、利用し、しかし実権を与えない」夜郎自大を指摘していましたが、そうやってみずからの無責任体制を認知させるために天皇制を利用する、それが日本の「国体」なのです。右翼は、そんな「国体」を死守する、と言っているのです。むしろ、左翼の方が、「君側の奸」みたいなことを言って政権批判しているようなあり様です。ここにも、底がぬけた日本の現実が露わになっている気がします。

ただ、こうやって大々的に「安倍政治」を葬送したことで、旧統一教会との不埒な関係も、人々の記憶の中に永遠に残ることになったとも言えます。

旧統一教会をめぐる問題もそうですが、東京五輪のスキャンダルや急激な円安をもたらしたアベノミクスの問題など、これから「安倍政治」の精算が進むのでしょうが(進まざるを得ないのですが)、今日の国葬が”トンチンカンな出来事”として歴史に記述されるのは間違いないでしょう。

世界的な景気減速が明白になり、特にアジアは軒並みに通貨が暴落しており、アジア通貨危機の再来さえ取り沙汰されています。そんな中で一人勝ち、というかいちばん痛手が少ないのは、やはり中国なのです。

日本は今のマイナス金利政策を転換しないことには、この円安から抜け出すことはできませんが、しかし、金利を上げれば途端に不況が襲ってきます。30年間ほとんど給料も上がってない中で経済が落ち込めば、その影響は今の比ではないでしょう。でも、今のままでは円安と物価高が進むばかりです。

この一周遅れのドツボにはまったのも、アベノミクスの失政によるものです。安倍政権があまりに長く続きすぎたために、経済においても、もはや取り返しがつかないような事態にまで進んでしまったのです。

通貨安で千客万来と言うのは、どう見ても発展途上国の発想でしょう。そもそも売春や児童ポルノを含めて観光しか頼るものがないというのも、発展途上国の話です。でも、日本は発展途上国ではありません。もうそこまで没落したということです。

にもかかわらず、どうして「安倍さん、ありがとう」なのか。旧統一教会がそう言うのならわかりますが、どうして日本の国民が、「反日カルト」と一緒になって「安倍さん、ありがとう」と言わなければならないのか。何がそんなにありがたいのか。何だか悪い夢でも見ているような気持になります。

からゆきさんではありませんが、日本の女性たちが、生活のために、外国人観光客相手に春をひさぐような時代になっているのです。日本の女性目当てに、(ひと昔前の日本人のように)中国や韓国の男性たちがツアーを組んで日本の風俗街を訪れているのです。日本は、女性までが買われるような国になったのです。

そんな国にした張本人を、「ありがとう」などと言いながら国をあげて手厚く見送っているのです。
2022.09.27 Tue l 社会・メディア l top ▲
今日(26日)、新宿のロフトプラスワンで行われた「REVOLUTION+1」の上映会の後のトークパート(トークショー)が、vimeo.comでライブ配信されていましたので、それを観ました。

vimeo
【REVOLUTION+1】トークパート
https://vimeo.com/753485644/09313605ac

トークパートは明日も行われるようですが、今日出ていたのは、足立正生監督と宮台真司、それにヒップホップミュージシャンのダースレイダーで、司会は井上淳一氏が務めていました。

その前に、トークでもちょっと触れられていましたので、歌手の世良公則のことについて、私も書いておきます。実は、私も昨日の記事で書いていたのですが、あまり個人攻撃するのも気が引けたので削除したのでした。

それは、世良公則の次のようなツィートに対してです。


ネトウヨならまだしも、表現を生業とする人間として、「この異常な状態を許す」「それが今の日本」「国・メディアは全力でこれに警鐘を鳴らすべき」という発言には唖然とするしかありません。まして、彼は映画を観てないのです。作品を観てないにもかかわらず、国家なりメディアなりが「警鐘を鳴らすべき」、つまり、(解釈の仕方によっては)表現を規制すべきとも取れるようなことを言っているのです。

政治的立場がどうであれ、表現行為は最大限自由であるべきだというのは、表現を生業とする者にとって共通事項でしょう(そのはずです)。自由な表現にもっとも敏感であるべき表現者として、この発言はあり得ないと思いました。

また、彼は、今日は次のようなツイートをしていました。


投稿の時間を見ると、立て続けに届いていますので、たしかにしつこい感じはありますが、SNSでみずからの考えを発信していると、この程度の誹謗は想定内と言ってもいいようなレベルのものです。もしかしたら、酔っぱらっていたのかもしれません。

「内容から危険な人物と判断」「事務所から警察に報告する案件であるとの連絡を受けました」というのは、いくらなんでもオーバーではないかと思いました。何だか一人相撲を取っているような感じがしないでもありません。

閑話休題それはさておき、トークでは、宮台真司が、まずホッブスの『リバイアサン』を引き合いに出して、自力救済の話をしていました。統治権力が信頼できなくなり、社会や政治の底がぬけた状態になったら、人々は(国家以前のように)自力救済するしかない。しかも、コミュニティ(共同体)も機能しなかったら、もはや自力救済はみずからの暴力に頼るしかなくなる、というようなことを言っていました。

ホッブスが言うように、自然状態では、お互いがみずからの生き死を賭けて暴力で争う「万人の万人に対する闘争」になります。それで、「万人の万人に対する闘争」を避けるために、それぞれの権利を受託して仲介する装置として「国家」が登場したのです。しかし、国家が与えられた役割をはたさなくなったら(つまり、底がぬけた状態になったら)、もとの「万人の万人に対する闘争」の状態に戻るしかないのです。

底がぬけた状態になればなるほど、国家はおのれの責任を回避するために、自己責任だと言うようになります。そんな寄る辺なき生の中で自力救済を求めようとすれば、「ローンウルフ型テロ」や「拡大自殺」に走る人間が出て来るのは当然と言えば当然なのです。

会場に来ていた東京新聞の望月衣塑子記者が、撮影現場を取材した際に、足立監督が語っていたという話を披露していたのが印象に残りました。

山上徹也容疑者は、父親の自殺、母親の入信、兄の病気と自殺、貧困による大学進学断念という不本意な人生を歩む中でも、酒にも女にもギャンブルにも逃げることなく、愚直にまっすぐに生きて来た。そんな人間の気持を映画で描いてあげたいと思った、と足立監督は言っていたそうです。私はそれを聞いて、監督が日本赤軍に合流するためにパレスチナに旅立ったときの気持が、何となくわかったような気がしました。もっとも、パレスチナに行ったもうひとつの目的は、「赤軍-PFLP・世界戦争宣言」の続編を撮るということもあったようです(ただ撮影したフィルムは空爆で焼失したと言っていました)。

会場には、望月衣塑子記者以外にも、映画監督の森達也氏、漫画家の石坂啓氏、ドイツ語翻訳家の池田香代子氏、脚本家の荒井晴彦氏、映画監督の金子修介氏、評論家の切通理作氏などが来て、それぞれ映画の感想を述べていました。若松孝二監督や松田政男氏らも生きていたら、間違いなく会場に来ていたでしょう。

世良公則ではないですが、未だに「元日本赤軍のテロリスト」みたいなイメージが先行していますが、足立正生監督が前衛的なシュールレアリスムの作り手として知られた伝説の映画監督であり、多くの人たちが彼の新作を待ちわびていたことが、よくわかる光景だと思いました。

ついでに言えば、「やや日刊カルト新聞」の藤倉善郎氏が、カルト新聞とは別に、ライターの村田らむ氏との雑談をYouTubeに上げているのですが、昨日上げたYouTubeの中で、先行上映会で「REVOLUTION+1」を観た感想を述べていました。しかし、それはひどいものでした。

「REVOLUTION+1」のトークでも、荒井晴彦氏が辛辣な感想を述べていましたので、否定的な感想がひどいというのではありません。二人して映画を嘲笑するような、そんな小ばかにした態度があまりにもひどいのです。批判するならもっと真面目に批判しろと言いたいのです。それに、村田らむ氏は、世良公則と同じように映画を観ていないのです。ただ余談と偏見でものを言っているだけです。

YouTube
フジクラム
藤倉が安倍銃撃事件を題材にしたフィクション「REVOLUTION+1」を観ました

しかも、村田らむ氏は、足立正生監督について、次のようなツイートをしていました。


私は映画を観てないのですが、映画の中で、優しくされたアパートの隣人の女性とセックスしようとするが、寸前で主人公がハッとして拒否するというシーンがあるみたいです。それに関して、監督が村田らむ氏が書いているような説明をしたのかもしれません。村田らむ氏も映画を観てませんので、それを藤倉氏から聞いて、ツイートしたのでしょう。これじゃ#MeToo運動の名を借りた個人攻撃じゃないか、と思いました。

私は知らなかったのですが、ウキペディアによれば、村田らむ氏が出した『こじき大百科―にっぽん全国ホームレス大調査』や『ホームレス大図鑑』という本は、路上生活者を差別しているという抗議を受けていづれも絶版になっているようです(そのあと『紙の爆弾』の鹿砦社から同じようなホームレスの本を出していたのには驚きました)。唐突に4年以上前に書いた#MeTooの記事を出して批判するというのも、そのときの「左翼」に対する個人的な感情みたいなものもあるのかもしれない、と思いました。

上の動画を観てもらえばわかりますが、嘲笑しているのはどっちだというような話なのです。二人して「左翼だから」というような言葉を連発して、面白おかしく話のネタにしていましたが、何でも笑いにすればいいってものではないでしょう。

前に藤倉氏が菅野完氏と一緒に、渋谷の松濤の世界平和統一家庭連合の本部にイベントの招待状だかを持って行くという動画を観たことがありますが、その如何にもYouTubeの視聴者向けに行われたような悪ふざけに、私は、違和感と危うさを覚えたことがありました。「やや日刊カルト新聞」にはもともと遊びの要素みたいなものがありますが、鈴木エイト氏がマスコミの寵児になり注目を浴びたことで、勘違いが度を越してエスカレートしているのではないか、と思ったりしました。

藤倉善郎氏は、日本脱カルト協会がカルト化していると批判していましたが、自分たちも軽佻浮薄の中に自閉してカルト化しているのではないか、と心配になりました。
2022.09.27 Tue l 社会・メディア l top ▲
安倍元首相の国葬が火曜日(27日)に行われますが、それに合わせて都内の駅ではゴミ箱が使えないように封がされ、車内でも「ゴミはお持ち帰り下さい」という放送がくり返し流されていました。ここは山か、と思いました。

トイレも警察官が定期的に見まわっているようですが、だったらどこかの山のように、簡易トイレ持参で「糞尿もお持ち帰り下さい」と放送すればいいんじゃないか、と思いました。

この分では登山帰りに大きなザックを背負って歩いていると、職務質問されないかねないような雰囲気です。また、駅の構内でも各所に警察官が配備され、あたりに鋭い視線を走らせています。彼らの目には、目の前を行き交う国民がみんなテロリストに見えているのかもしれません。

全国から2万人の警察官が動員された「厳戒体制」というのは、さながら戒厳令下にあるようなものものしさですが、そうやって恫喝まがいの国家の強い意志を私たちに示しているのだと思います。

一方、テレビ各局も当日は特集番組を組んでいるそうです。国家の要請に従って、「歴史的な一日」を演出するつもりなのでしょう。

どんなに反対意見が多かろうが、最後は国家が求める”日常”に回収されるのです。自民党の二階俊博元幹事長は、「(オリンピックと同じように)終わったら反対していた人たちも、必ずよかったと思うはず」と発言していましたが、そうやって「必ずよかったと思う」ように仕向けるのでしょう。実際に、オリンピックも最後には「やってよかった」という意見が多数になったのでした。

国民なんて所詮そんなものという声が、どこからか聞こえてくるようです。二階は別に耄碌なんかしていないのです。彼の大衆観は間違ってないのです。

『ZAITEN』の今月号のコラムで、古谷経衡氏は、次のように書いていました。

(略)現在の右派界隈を総覧すると、統一教会と自民党(安倍家・清話会)との関係については、黙殺とする姿勢が多数を占めている。それは統一教会には一切触れずに、ひたすら安倍時代を回顧するというノスタルジー的姿勢で、実際に今年9月号の『WiLL』『Hanada』両誌は事前協定でもあったかのように「安倍回顧・ありがとう特集」を組み、表紙は揃って安倍晋三氏である。
(『ZAITEN』10月号・「『政治と宗教』で返り血を浴びる言論人」)


安倍元首相が「反日カルト」と一心同体だった、「保守」や「愛国」が虚構だった、という事実を彼らは何としてでも否定しなければならないのです。でないと、自分たちの存在理由がなくなってしまいます。

しかし、旧統一教会が「反日カルト」であることは、もはや否定しようもない事実です。安倍家が三代にわたって旧統一教会と深い関係にあったのも、否定しようがないのです。彼らが依拠する「愛国」や「反共」も、「反日カルト」からの借り物でしかなかったことがはっきりしたのです。だったら、とりあえず現実を「黙殺」して、「安倍さん、ありがとう」と引かれ者の小唄のように虚勢を張って、その場を取り繕うしかないのでしょう。

もとより、旧統一教会や旧統一教会と政治の関わりを叩くことは、山上容疑者の犯罪を肯定することになるという、ネトウヨや三浦瑠麗や太田光などにおなじみの論理も、きわめて歪んだ話のすり替えにすぎません。彼らは、もはやそんなところに逃げ込むしかないのです。

そんな彼らにとって、たとえば、27日の国葬に合わせて公開される映画「REVOLUTION+1」などは、とても看過できるものではないでしょう。その苛立ちは尋常ではありません。

今の20数年ぶりの円安もアベノミクスの負の遺産ですが、国家ともども長い間“安倍の時代”に随伴し、我が世の春を謳歌してきた者たちにとって、”安倍の時代”の終わりはあまりにもショッキングで受け入れがたいものだったはずです。

何度も言うように、山上徹也容疑者の犯行がなかったら、安倍元首相と「反日カルト」の関係が白日の下に晒されることもなかったのです。旧統一教会めぐる問題が、こんなにメディアに取り上げられることもなかったのです。山上容疑者の犯行をどう考えようが、そのことだけは否定しようのない事実でしょう。

ただ、旧統一教会をめぐる問題でも、有象無象の人間たちが蠢いているという話もあり、(変な言い方ですが)一筋縄ではいかないのです。別に旧統一教会に限りませんが、なにせ相手はお金を持っている宗教団体なのでアメとムチはお手のものです。

前も書きましたが、信仰二世の問題も、言われるほど単純な問題ではないように思います。カルトに反対しているからとか、脱会運動をしているからというだけで、”正義”だとは限らないのです。

笑えないお笑い芸人もいますが、一方で、カルトをお笑いにして(嘲笑して)お金を稼いでいる反カルトもいます。今は、そんなミソもクソも一緒くたになった状況にあることもたしかでしょう。

また、国葬は国民を「分断」する愚行だという識者の声も多く聞かれます。たとえば、朝日の「国葬を考える」という特集でも、「『国葬』が引き起こした国民の分断」とか「国葬で人々はつながれるのか  岸田首相に求められる『包摂の言葉』」などという見出しに象徴されるように、「分断」を危惧する声が目立ちました。

朝日新聞デジタル
国葬を考える

でも、そういった論理は、結局、二階が言うような「(オリンピックと同じように)終わったら反対していた人たちも、必ずよかったと思うはず」という国家が求める”日常”に回収されるだけの、日本の新聞特有のオブスキュランティズムの言葉でしかありません。宮台真司が言う「現実にかすりもしない言葉」にすぎないのです。識者たちは、新聞のフォーマットに従ってものを言っているだけなのです。

そんな中で、どこまで事件が掘り下げられているのかわかりませんが、この映画のような”直球”は貴重な気がします。「国葬反対」と言っても、こういった国家と正面から向き合う”直球”の言葉はきわめて少ないのです。

未だに左翼だとか右翼だとか、そんな思考停止した言葉しか使うことができない不自由な人間も多くいますが、映画でも文学でも、表現するということが、世の中の公序良俗に盾突くことは当然あるでしょうし、表現者なら、それを躊躇ってならないのは言うまでもありません。

2万人の警察官に守られて挙行される国葬に、ひとりの老映画監督がみずからの作品を対置するという(不埒な)行為こそ、自由な表現の有り得べき姿が示されている、と言っても過言ではないのです。

ネットには、映画の公開を前にメイキング動画がアップされていました。


企画・脚本は井上淳一。撮影監督は三谷幸喜作品にも名を連ねるあの高間賢治。音楽はドラマ「あまちゃん」の大友良英。予算わずか700万円の映画であっても、足立正生監督の心意気に、こんな豪華なメンバーが集まったのです。

今回上映されるのは、未編集のラッシュで、正式な劇場公開は年末だそうです。都内の上映会に予約しようとしたら、いづれもSOLDOUTでした。
2022.09.25 Sun l 社会・メディア l top ▲
エリザベス女王の国葬の模様が連日、歯の浮いたような賛辞とともにテレビで放送されています。まるで大英帝国の残虐な侵略の歴史を、忘却の彼方に追いやったかのようなお追従のオンパレードです。

今の時代に国王なんてあり得ないだろう、などと言おうものなら、それこそひねくれものの戯言のように言われかねないような雰囲気です。

イギリスの立憲君主制は昔の王政とは違うんだ、特別なんだ、という声が聞こえてきそうですが、でも、それってただ君主制を延命させるための方便にすぎないのではないか、と思ってしまいます。

そうまでしてどうして君主制を延命させなければならないのか。そう言うと、イギリスは連邦国家なので、国民を統合する象徴が必要なんだ、などとどこかで聞いたことのある台詞が聞こえてきそうです。

もっとも、イギリス連邦というのは、大英帝国の侵略史の残り滓みたいなものでしょう。やはり、イギリス国民の中には、左右を問わず、未だに”過去の栄光”を捨てきれない気持があるんじゃないか、と思ったりします。EU離脱も、同じ脈絡で考えると腑に落ちる気がします。

またぞろこの国の左派リベラルのおっさんやおばさんたちの中から、安倍元首相の国葬はノーだけど、エリザベス女王の国葬はイエスだ、という声が出て来ないとも限らないでしょう。

何故か日本には、イギリスは法の支配が確立した立憲主義の元祖のような国なので、今のような理想的な立憲君主制が生まれたのだ、と言う人が多いのですが、そのためか、二大政党制を志向する政治改革だけでなく、”開かれた皇室”など天皇制のあり方などにおいても、日本はイギリスをお手本にしているフシがあります。

しかし、イギリス王室の血塗られた歴史を見てもわかるとおり、君主制は所詮君主制であって、民主主義にとって不合理且つ不条理な存在であるのは否定すべくもないのです。それに、イギリス連邦も日本で見るほど一枚岩ではなく、スコットランドの独立も現実味を帯びつつあると言われています。

一方、日本でも1週間後に、エリザベス女王とは比ぶべくもない「反日カルト」の木偶みたいな人物の国葬を控えていますが、安倍派の世耕弘成参院幹事長は、先日の同派の会合で、国葬について、憲政史上最長の8年8カ月間、首相の地位を担った「その地位に対する敬意としての国葬だ」と強調したそうです。

日本国憲法は、第14条に、「すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と謳っていますが、世耕氏が言うような理由で、国費を使って国葬を行うのは、まさに法の下の平等に反する行為と言ってもいいでしょう。学校の授業で、子どもから憲法との整合性について疑問が出されたら、教師はどのように説明するつもりなのか、と心配になりました。

余談ですが、ひろゆきは、いくら反対だからと言って、葬式のときくらいは静かに見送るべきだ、とトンチンカンなことを言ってましたが、葬儀は既に7月12日に増上寺で終えているのです。国葬と言っても、実際は「お別れ会」のようなものです。そもそも賠償金を踏み倒したことを得意げに語るような人物から、冠婚葬祭の礼節を説かれる筋合いはないでしょう。何だか説教強盗に遭ったような気持になるのでした。

もうひとつ余談を言えば、自民党の村上誠一郎元行政改革担当相は、国葬に欠席する旨をあきらかにした上で、安倍元首相について、「財政、金融、外交をぼろぼろにし、官僚機構まで壊した。国賊だ」と批判していました。どこぞの痩せたソクラテスになれない肥った豚や仔犬も笑ってる愉快なサザエさんに聞かせてやりたい話です。二人は、村上氏の爪の垢でも煎じて飲んだ方がいいでしょう。(※この部分はあとで追記しました)

時事ドットコムニュース
安倍氏国葬を欠席へ 自民・村上氏

岸田首相は、今回の国葬について、内閣府設置法を根拠に決定した、と言っていますが、しかし、今回の国葬は、同法が定める「内閣の儀式・行事」ではなく、岸田首相自身も明言しているように「国の儀式」なのです。であるならば、どう考えても、「天皇の国事行為」を模したとしか思えません。岸田首相は、政治=統治権力の外部にある、天皇制という「法の下の平等」を超越した擬制の中から、国葬の理屈を引っ張り出して、自分たちに都合がいいように解釈したにすぎないのでしょう。

それは、国葬だけではありません。そのときどきに、政治=統治権力の外部にある天皇制という”治外法権”の中から都合のいい理屈を引っ張り出して来るのが、日本の政治、統治の特徴です。そして、その先にあるのが丸山眞男が言う日本特有の無責任体制です。

丸山眞男は、日本の近代政治における無責任体制の原型を明治憲法に見るのですが、そのメカニズムは、当然ながら戦後憲法下にも貫かれています。

  明治憲法において「殆ど他の諸国の憲法には類例を見ない」大権中心主義(美濃部達吉の言葉)や皇室自律主義をとりながら、というよりも、まさにそれ故に、元老・重臣など憲法的存在の媒介によらないでは国家意思が一元化されないような体制がつくられたことも、決断主義(責任の帰属)を明確化することを避け、「もちつもたたれつ」の曖昧な行為連関(神輿担ぎに象徴される!)を好む行動様式が冥々に作用している。「補弼」とはつまるところ、統治の唯一の正当性の源泉である天皇の意思を推しはかるゝゝゝゝゝと同時に天皇への助言を通じてその意思に具体的内容を与えることにほかならない。さきにのべた(引用者註:「國體」にみられる「抱擁主義」と表裏一体の)無限ゝゝ責任のきびしい倫理は、このメカニズムにおいては巨大な無責任ゝゝゝへの転落の可能性をつねに内包している。
(丸山眞男『日本の思想』岩波書店)


つまり、日本人が好きな「連帯責任」みたいなものは、いつでも無責任(体制)に反転し得るということです。「みんなで渡れば怖くない」というのは、集団の中に埋没して「誰も責任を取らない」日本人の精神性エートスを表しているのです。

今回の国葬は、莫大な税金を使った文字通りの”お手盛り”と言えるでしょう。そこにあるのは、国家を私物化する政権与党の世も末のような醜態です。それはまた、「愛国」を唱えながら「反日カルト」に「国を売っていた」「保守」政治家たちの”国賊”行為にも通底するものです。(ブルーリボンのバッチを胸に付け)日の丸に拝礼して、「天皇陛下バンザイ」とか「日本バンザイ」と叫んでおけば、どんなことでも許されるという無責任体制。

その傍らでは、下記に書いているように、人知れず亡くなり、誰も立ち会う人もなく荼毘に伏され、無縁仏として「処理」される人々もいます。同じ国の国民とは思えないこの天と地の違い。国葬には、そんな「社会的身分」や「門地」で差別される、国家の構造が露わになっているように思えてなりません。でも、政治家はいわずもがなですが、家畜化された国民も、「自己責任だ」「自業自得だ」などとアホ丸出しで天に唾するようなことを言って、その国家の構造を見ようとはしないのです。


関連記事:
「福祉」の現場
ある女性の死
かくも脆く儚い人生
2022.09.20 Tue l 社会・メディア l top ▲
Yahoo!ニュースに、コラムニストの佐藤誠二朗氏が書いた次のような記事が転載されていました。

Yahoo!ニュース(ライフ)
集英社オンライン
みちのく車中泊の旅で最大の失敗は、犬を連れてきたことだった

スタインベックが『チャーリーとの旅』で書いていたような犬との車旅にあこがれて、6歳の愛犬と一緒に「車中泊東北一周の旅」に出かけたときのことを綴った記事ですが、結局、愛犬がホームシックにかかってしまい、予定より3日繰り上げて9日間の旅を終え東京に戻ることになったという話です。しかし、私の目に止まったのは、記事よりコメント欄の方でした。

次のようなコメントが書かれていたのです。

同じスタインベックの「怒りの葡萄」というアカデミー賞映画で世界恐慌の中、借金で農地と家を奪われた農家の家族が家財道具一式をフォード車に詰め込み職を求めてアメリカ各州を放浪するストーリーがあったけど、今の日本でも俺が住んでるトコの近隣市の日立市内で家電メーカーをハケン切りされて寮・社宅を追い出された非正規が家財道具を貸しコンテナ倉庫に入れ自身は車中泊してスマホで就活しているカーホームレスも多く見かける。
未練がましくなぜ日立市内のかつての寮の近くで車上生活しているのか図々しく聞いたことがあるけど追い出された日立市内の借り上げ寮は外付け郵便ポストで寮に今も届く郵便物を取り出すためだとの話を聞いて心が苦しくなったよ! 住所を変更しようにも変更する住所が無いんだから…
いま貧困は日常でよく見かける風景になってしまった。


記事とはまったく関係のない話ですが、私たちはこういった現実は知っているようで、案外知らないのではないか、と思ったのでした。

今の20数年ぶりと言われる円安にしても、「物価が高くなった」とかいった漠然とした感覚があるだけで、まだ生活が逼迫するような状況に追いつめられているわけではありません。このように、今の日常に安楽している人々の想像力が及ぶ範囲はたがか知れているのです。もとより、所詮は他人事で想像力さえはたらせない人も多くいます。

メディアにしても、円安で値上げが目白押しといった程度のおなじみの文句を並べているだけです。それどころか、入国制限の緩和と結び付けて、円安で外国人観光客が殺到して千客万来が期待できるような話さえふりまくあり様です。

しかし、円安は日米の金利差だけではなく、「買い負け」や「日本売り」による要因も大きいという声もあります。そもそも先進国で日本だけが超低金利政策(マイナス金利政策)を取り続けなければならないのも、そうしなければならない切実な事情があるからです。

円安が日米の金利差だけによるものなら、今の超低金利政策を転換すればいいだけの話です。こんな超低金利政策を維持しているのは、今や日本だけなのです(スイスもマイナス金利政策を取っていますが、早晩欧米各国に連動して方針転換すると言われています)。

でも、それができないのです。いつまで経っても体力が回復しないので、栄養剤の注入を止めるわけにはいかないのです。でも、他の国はとっくに体力が回復して次のレースに参加しています。日本だけが参加できない。それでは、「買い負け」や「日本売り」になるのは当然です。円安が進行すれば、益々「買い負け」や「日本売り」が進むでしょう。今の日本は、そういったどうしようもない負のスパイラルに陥っているのです。

日本の没落は、IMFが発表するデータを見ても明白です。
数値は主に下記サイトより引用しています。

世界経済のネタ帳
世界のランキング
https://ecodb.net/ranking/
※元データはIMF - World Economic Outlook Databases (2022年4月版)。

日本の名目GDP(国内総生産)はアメリカ・中国に続いて第3位ですが、アメリカが22,997,50(単位10億ドル)、中国が17,458,04(同)に対して、日本は4,937.42(同)でその差は大きく開いています。それどころか、第4位のドイツが4,225.92(同)で、すぐまじかにせまっているのです。名目GDPは、為替相場や物価だけでなく、人口規模にも影響されます。2020年現在の人口を比べると、ドイツは8324万人で日本は1億258万人ですので、人口は20%少ないのです。それでも名目GDPはほぼ肩を並べるくらいになっているのです。ちなみに、為替相場と物価を換算した購買力平価GDPだと、日本はインドにぬかれて4位になります。

これは購買力平価の指標にもなっているのですが、各国の物価を比較するのに、「ビッグマック価格」がよく知られています。「ビッグマック価格」は、ビッグマック1個の価格をUSドルに換算して比較したものですが、2022年は、日本は54ヶ国中41位の2.83USドル(390円)でした。でも、その後、急激な円安で円がおよそ36%下落していますので、順位はさらに下がっているはずです。今や日本は、先・中進国の中でもっとも安い国になりつつあるのです。不動産から買春まで、「安くておいしい国」になっているのです。

昔はスケベ―なおっさんたちが韓国にキーセン観光に行っていましたが、今はまったく逆で韓国から買春ツアーで来るようになっているのです。それは韓国だけではありません。中国や中東あたりからもツアーでやって来るそうです。

また、国民一人当たりの豊かさを示す一人当たりGDPは、日本は名目で第28位(前年より-4位)、購買力平価で36位(-3位)です。韓国の一人当たりGDPは、名目、購買力平価ともに30位です。購買力平価一人当たりGDPでは既に韓国にぬかれているのです。平均年収でもぬかれていますので、そういった国民の生活実態(豊かさ)が一人当たりGDPにも示されていると言えるでしょう。

平均年収に関しては、IMFのデータとは外れますが、OECDが「世界平均年収ランキング」(2020年現在。USドル&購買力平価換算)を発表しています。それによれば、加盟国38ヶ国の中で、日本は38,515USドルで22位、韓国は41,960USドルで19位です。

一方、経済成長率になると、もっと衝撃的な数字が出てきます。経済成長率とは、「GDPが前年比でどの程度成長したかを表す」もので、以下の計算式で算出した指標です。

経済成長率(%)= (当年のGDP - 前年のGDP) ÷ 前年のGDP × 100

それによれば、日本は何と191位中157位なのです。前年が107位だったので、1年で50位も下落しているのです。

何だか溜息が出るような数値ばかりですが、「豊かさ」ということで言えば、日本はもはや先進国ではないのです。ただ、2000兆円という途方もない個人金融資産、つまり、過去の遺産があるので、それを食いつぶすことで先進国のふりができているだけです。

これらの指標は、まさにYahoo!ニュースのコメントにあるような光景を裏付けていると言えるでしょう。「一億総中流」なんて言っていたのはどこの国だ?、と思ってしまいます。ついこの前までそう言って「豊かな国ニッポン」を自演乙していたのです。

しかも、家電メーカーの工場で派遣切りに遭ったという話も、今の日本を象徴しているように思いました。日本の白物家電が世界の市場を席捲していたのも今は昔です。ひと昔前まで、安かろう悪かろうの代名詞のように言われていた中国のハイアールは、今や大型白物家電では世界シェアナンバーワンの企業になっています。三洋電機もハイアールと合併しましたが、結局、ハイアールブランドに統合されてしまいました。日本のメーカーは見る影もないのです。

日立の光景が映し出しているのは、先進国で最悪と言われる格差社会=貧困の現実です。こんな光景が日本の至るところに存在するのです。もちろん、それは、非正規の労働者だけの話ではありません。低年金や生活保護でやっと生を紡ぐ高齢者やシングルマザーなど、「自己責任」のひと言で社会の片隅に追いやられている人たちはごまんといます。でも、多くの日本国民は、そういった人たちを見ようとも、知ろうともしないで、ネットの同調圧力に身を任せて、明日は我が身の現実から目をそらすだけなのです。

同じスタインベックの作品や同じ車中泊の話に対して、さりげなく逆の視点を提示したこの投稿主は凄いなと思いました。

自分とは違う生活や生き方をしていたり、違う言語や文化で生きている人たちのことを、想像力をはたらかせて知る、知ろうとすることが「教養」であり、その手助けになるのが「人文知」です。コンビニの弁当売場のように、過去のデータを分析して売り上げを予想し仕入れ数を決めるような思考=「工学知」では、絶対に知ることができない現実です。”他者”を知る、知ろうとする思考は、間違ってもAIに代用できるようなものではないのです。


関連記事:
没落するニッポン 「34位」の日本人が生きる道
2022.09.17 Sat l 社会・メディア l top ▲
朝日新聞が、先週末(27・28日)の世論調査で、岸田内閣の支持率が前回の57%から47%に「大幅に下落」(不支持率は25%から39%に上昇)したと伝えていましたが、でも、下落したのは10%にすぎません。「大幅に下落」と言うほどではないのです。これだけ自民党と旧統一教会の関係が取り沙汰されても、まだ47%の支持率を維持しているのです。他の新聞も、支持率がいちばん低いのが毎日(20・21日)の36%で、共同(10・11日)と読売((10・11日)はともに51%です。

また、政党支持率に至っては、僅かに下落したとは言え、自民党が他党を圧倒する一人勝ちの状況はいささかも変わりがないのです。二階の「自民党はビクともしない」という発言が「傲慢」だとか言われて叩かれていましたが、傲慢でも何でもないのです。そのとおりなのです。

「日本の誇り」などと言われたときの総理大臣が先頭になって、「反日カルト」に「国を売ってきた」ことがあきらかになったにもかかわらず、日本の国民はこの程度のゆるい反応しか持てないのです。しかも、「国を売ってきた」連中から、どうせ時間が経てば忘れるだろうと見下されているのです。ソウルの市民がテレビのインタビューで、「日本人がどうして韓国のカルト宗教をあんなに支持するのか理解できない」と言ってましたが、それは「日本人はアホでしょ」と言われているようなものです。こんなゆるい反応では大山鳴動して鼠一匹で終わりかねないでしょう。まして、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の「解散命令」など夢のまた夢のような気がします。

でも、「アホ」なのは国民だけではないのです。

今日のYahoo!ニュースに次のような記事が出ていました。

Yahoo!ニュース
時事通信
国葬出席「悩ましい」 党内議論に委ねる意向 立民・泉氏

立憲民主党の泉健太代表は、「国が関与する儀式は一つ一つ重たい。本来であれば基本的に出席する前提に立っている。それが本当に悩ましい」と語ったそうです。何を言っているんだ。その「儀式」が問題なんだろう。下の東京新聞の記事でも読めよ、と言いたくなりました。

東京新聞 TOKYO Web
安倍元首相の国葬、際立つ特別扱い 内閣府設置法の「国の儀式」としては天皇の国事行為以外で初

野党第一党の党首が「法的な根拠のない」儀式を追認してどうするんだ、と思います。それどころか、泉代表の発言は、国葬に反対している運動に冷水を浴びせるものと言っていいでしょう。

こういった発言をするのは、泉代表が社会運動の経験がないことが大きいような気がします。前も書きましたが、スペインのポデモスもギリシャのシリザもイギリスのスコットランド国民党も、もちろん緑の党も、どこも地べたの運動の中から生まれた政党です。「ミクロからマクロへ」という言葉がありますが、目の前の生活課題や政治課題を問う運動の集積として政党があるのです。泉代表は、そんな運動とはまったく無縁な政治家です。どちらかと言えば自民党や維新の政治家に近いタイプの政治家です。

今の旧統一教会と自民党のズブズブの関係が白日の下にさらけ出され、野党第一党の立憲民主党にとってこれほど大きなチャンスはないはずなのに、政党支持率はいっこうに上がらず、相変わらず10%前後を低迷しています。実際に、通常の議会政治における与野党のバランスから言っても、もはや「野党第一党」と言えるほどの勢力を持っているわけではありません。

このように立憲民主党はみずからずっこけて”敵失”を演じ、自民党に塩を送るばかりです。それは今に始まったことではありません。得点を入れるチャンスが来ると、何故かいつもゴール前で転んで(しかも自分で転んで)みすみすチャンスを逃すのでした。まるで得点を入れたくないかのように、です。”兄弟党”である国民民主党が本音を晒して自民党にすり寄っていますが、国民民主と立憲民主がどう違うのか、明確に答えることができる人はどれだけいるでしょうか。

先の参議選でも、選挙前の予想では自民党が議席を減らすのは間違いないと言われていました。立憲民主ら野党にとっても議席を回復させるチャンスがありました。でも、安倍銃撃事件があったとは言え、そのチャンスを生かすことができなかったのです。ひとりで勝てる力もないのに、共産党との野党共闘を拒否して自民党にみすみす議席を譲った一人区も多いのです。

にもかかわらず、執行部は責任を取らず泉代表は居座ったままです。党員たちも執行部を一新させることさえできなかったのです。一応目先を変えるために、”昔の名前”を呼び戻したりしていますが、「責任を取らない政党」というイメージは変わっていません。それが、立憲民主党に対する不信感や失望感につながっているのは間違いないでしょう。

そんないい加減で無責任な総括の背後に、スポンサーの連合の影がチラついていることをみんな感じています。泉代表の厚顔無恥な居座りを支えているのが、連合のサザエさんであることを国民はわかっているのです。

連合は未だに「反共」を旗印にした二大政党制なるものを希求し、今や改憲勢力の中に入った国民民主党を支持する姿勢も変えていません。連合が「反共」に執拗にこだわるのは、連合の執行部が、サザエさんも含めて、旧統一教会と思想を共有していた旧民社党の流れを汲む勢力に占められていることと無関係ではないでしょう。そんな連合にとって、泉代表は都合のいい存在なのだと思います。

泉代表が”対決型”ではなく”政策提案型”野党を掲げたときから、こうなることは目に見えていたのです。でも、その”自滅路線”を誰も止めることができなかったのです。止めようともしなかったのです。

吉本隆明の受け売りではないですが、既に日本では、家計消費がGDP(名目国内総生産)の50%以上を占めるようになっています(2020年は52.0%)。それに伴い、ちょっと古いですが、総務省統計局が国勢調査に基づいて集計した「産業別15歳以上就業者数の推移」を見ても、2007年(平成17年)の時点で、第三次産業の就業者数は全体の67.3%を占めるに至っています(第二次産業は25.9%、第一次産業は5.1%)。一方で、厚生労働省が発表した2021年の「労働組合基礎調査」によれば、労働組合の推定組織率は全労働者の16.9%(1007万8千人)にすぎません。連合に加入する組合員は約700万人と言われていますので、連合の推定組織率は12%前後です。

「生産」と「消費」を社会との関連で考えると、生産に携わる労働者を主眼に置く旧来の左翼的な思考が既に失効しているのはあきらかです。つまり、労働者の概念自体を変えるべきなのです。労働組合も、学校の生徒会と同じような役割においてはまだ有効かもしれませんが、社会運動として見た場合、組合員たちも昔と違って政治的に保守化しており、ほとんど存在意味を失くしているのは事実でしょう。もとより、連合に組織された12%の労働者は、大半がめぐまれた正社員(正職員)にすぎないのです。

立憲民主党は、「現状維持&少し改革」程度の”保守中道”の政党です。にもかかわらず、労働戦線の右翼的統一=連合の誕生と軌を一にして生まれた旧民主党の組織を引き継いでいるため(連合の組織内候補を引き継いだため)、連合をバックにした労組の論理を内に抱えたまま、今日の凋落を迎えてしまったのでした。

労組が「現世利益」を求めるのは当然ですが、ただ連合などの根底にあるのは、生産点(生産の現場)で油まみれで酷使され搾取される人々=労働者みたいな古色蒼然とした”左翼的概念”です。もちろん、彼らは左翼ですらなく、旧同盟=旧民社党の流れを汲む右派労働運動のナショナルセンターにすぎません。ただ、「現世利益」を求める方便として、換骨奪胎された”左翼的概念”が便宜的に利用されているのでした。

でも、”左翼的概念”は歴史的役割を終えています。むしろ、企業の論理から身をはがして、「消費」や消費者という発想に立った方が、ひとりの生活者として、今の社会のあり様や問題点も視えてくるものがあるはずです。階級的視点は、生活者のそれとも重なるのです。それが、今の資本主義が私たちに要請する思考のあり方でもあるのだと思います。

たとえば、家計消費がGDPの半分以上を占めるようになった現在、従来の労働組合によるストライキだけでなく、消費者のストライキもあって然るべきでしょう。労組のストライキが賃上げや待遇改善など企業内にとどまるのに対して、消費者のストライキ=不買運動は企業を外から直撃するラジカルな性格を持っており、その社会的なインパクトは労組の比ではないはずです。

一方で、東電労組に見られるように、ときに労組が企業の論理を代弁して社会運動に敵対するケースも多くなっています。リストラに伴ういじめなどに関しても、労組が会社側に立つケースも見られます。学校のいじめ問題や生活保護などに対する違法な”水際作戦”の問題でも、労組が機能していないどころか、管理者の側に立っていることも多いのです。

今、求められているのは、右か左かではなく上か下かなのです。「反共」という右のイデオロギーにふりまわされる時代ではないのです。まして、日本の「保守」が主張する「反共」が文鮮明の思想をトレースしたものにすぎないことが、旧統一教会をめぐる問題ではっきりしました。「愛国」や「保守」や「反共」は虚構だったのです。

しかし、立憲民主党は古い概念に囚われたままです。消費者や市民という視点は二の次に、「反共」イデオロギーに固執して、未だに連合にふりまわされているのでした。本来の意味におけるリベラルでさえないのです。プロ野球のシーズンが終わると、監督が親会社の社長(オーナー)に報告に行くのと同じように、選挙が終わると代表が連合の会長に報告に行くような政党なのです。だから、参政党のようなデマゴーグ政党にも票を奪われるのでしょう。

ましてや、スーツの襟に、「極右」(旧統一教会のエージェントの別名)の証しであるブルーリボンのバッチを付け、希望の党から国民民主党を渡り歩いた政治家が代表に就くなど、立憲民主党にとって本来あり得ないことだったし、あってはならないことだったはずです。泉代表は、旧民主党や旧新進党時代は代表選で前原誠司氏や細野豪志氏を推薦しているように、もともと彼らに近い政治家です。もちろん、連合の意向もあったのでしょうが、立憲民主党はそんな政治家を党の顔として選んだのです。下手すれば、党内で意に沿わないことがあると、グループを引き連れて離党し、再び前原氏と合流ということだってあるかも知れません。

今回の旧統一教会の問題にしても、立憲民主党には、安倍一族を筆頭とする「愛国」政治家たちによって「国が売られていた」事実を突きつけるような、ラジカルな視点はありません。国葬に対しても、党の代表が出席したいと言っているくらいですから、本音では反対しているわけではないのでしょう。

今まで何度もこの台詞をくり返してきましたが、立憲民主党が野党第一党である不幸をあらためて痛感してなりません。もはや立憲民主党は、「よりまし」でも「次善」でもないのです。「野党第一党がこれ以上弱くなったらどうするんだ?」「 自公の暴走をこれ以上許していいのか?」  そんな脅しに屈せずに、きっぱりと立憲民主党に引導を渡すべきでしょう。


関連記事:
立憲民主党が野党第一党である不幸
2022.09.02 Fri l 社会・メディア l top ▲
岸田首相リモート1

岸田リモート2


私は、この写真を見て、裸の王様?と思いました。誰も変だと思わないのでしょうか。上の写真をよく見ると、モニターの下のテーブルの上にはスマホやボイスレコーダーが並べられています。デジタルネイティブとおぼしき若い記者たちの中で、「こんなのバカバカしい」と言って帰った者はいないのか。だとしたら、彼らは思考停止したただのドレイでしょう。2枚目の「リモート試食」の写真も同じです。これでは、世界の笑い物になっても仕方ないでしょう。

このようにいざとなれば、竹槍でB29を撃ち落とすというような発想にいつでも戻ってしまうニッポン。でも、誰もおかしいと言わない。それがこの国に連綿と続く「国のあり様」なのです。それで、「ニッポン凄い!」とか言って自演乙しているのです。

フィンランドのマリン首相が、友人たちとの私的パーティで「踊ったりして騒ぐ動画がSNS上に流出」し、野党が違法薬物を使っているのではないかと批判したというニュースがありました。それに対してマリン首相は、自腹で薬物検査を受けて潔白を証明したそうです。私は件の踊っている動画を観ましたが、「カッコいいなあ」と思いました。岸田首相のマンガチックなリモート会見や政界と旧統一教会とのズブズブの関係を考えると、日本にマリン首相のような「カッコいい」総理大臣が生まれるのはそれこそ夢のまた夢のように思います。マリン首相に比べれば、「次世代のホープ」と言われる河野太郎や小泉進太郎も、ただのアナクロなおっさんのようにしか見えません。

岸田総理は24日に、新型コロナウイルスで全ての感染者を届け出る「全数把握」を見直して、届け出は重症化リスクのある高齢者や基礎疾患のある人に限定するという新たな方針を発表しました。もっとも、これは届け出の義務を廃止するというだけで、「全数把握」を続けるかどうかは自治体の判断に任せるという、自治体に丸投げした恰好です。

「全数把握」を見直す論議は、医療現場から出てきたもので、診察を終えたあと、感染者情報共有システム「HER-SYS(ハーシス)」に基本情報や検査・診断情報など10項目以上を入力しなけばならないので、感染が拡大すればするほど負担が大きくなるという話なのです。それに対して、「早く帰りたい」保健所の職員や毎日住民に感染状況を発表しなければらない手間を強いられる各自治体の首長たちが同調して、見直しの声が大きくなっていったのでした。最近は特に「公務員負担」とか「医療機関や保健所、行政の負担」という言葉をよく耳にするようになりましたが、それが「全数把握」見直しの本音のように思えません。

メディアもそんな声しか伝えず、あたかも「全数把握」は現状に適してないかのような印象操作を行っていましたが、ホントにそうなのか、疑問も多くあります。

ただ単に「忙しいからやってられない」という話だったら、システムを改善するなり人員を増やすなりすればいいだけの話です。それがどうして本体の「感染症法」の問題にまで言及されているのか。しかも、「感染症法」を改正して新たに設けられた「新型インフルエンザ等感染症」の適用まで外して、季節性インフルエンザ並みの「5類」に緩めろという話になっているのです。

現在、感染者数も死者数も過去最多を更新しています。文字通り、新型コロナウイルスの正念場を迎えていると言っても過言ではない状況下にあるのです。そんな中で、このような方針が出ること自体、異常と言うしかありません。どうして今なのか? 疑問は尽きません。

「全数把握」の見直しを主張する医者の論拠に、実際は無症状や軽症で医者にかからない患者も多いので、「全数把握」自体がもはや意味を持たなくなったというものがありますが、でも、「全数把握」の目的はそんなことだけではないのです。保健所が患者個々の詳細な感染状況を把握してフォローし、濃厚接触者を特定して感染拡大を防ぐという目的もあるはずです。

それに、落ちこぼれがあるにしても、現在、全体の感染状況を知るには「全数把握」しかないのです。それが唯一の指標なのです。それをなくせば、リアルタイムに全体の感染状況を知る指標がなくなってしまうのです。

そんな私でもわかるようなことをどうして専門家の医者たちが無視して、「こんなのやめちまえ」とちゃぶ台をひっくり返すようなことを言うのか。しかも、感染が急拡大している最中に、です。

私は、新型コロナウイルスが猛威をふるいはじめた2020年の5月に、このブログで、徳洲会の徳田虎雄氏の話を引き合いに出して、次のような記事を書きました。

関連記事:
不条理で狂った世界と徳田虎雄とローリングストーンズ

専門家会議の方針は、徳洲会の徳田虎雄氏が指摘したような医者特有のご都合主義の所産に過ぎません。徳田氏が9歳のとき、3歳の弟が激しい下痢と嘔吐を繰り返し脱水症状を起こしたため、母親に言われて、真夜中に島の医者のもとへ走り往診を頼んだけど、医者は腰を上げてくれなかったそうです。そして、翌日、弟は息を引き取ったのです。徳田氏は、「弟の死がなかったら、僕は医者にならなかった」と自著(『ゼロからの出発 実現できない夢はない』)で書いていました。

自分の病院を持ってからは、「生命(いのち)だけは平等だ」という理念を掲げ、1年365日24時間の受入れを実践し、患者からの心付けを断り、差額ベット代も取らないという、徹底した患者本位の医療を貫いたのでした。そのため、既得権益を守ろうとする日本医師会と激しく対立することになったのですが、そのときも日本医師会は、今と同じように、徳洲会のようなやり方をすると日本の医療が崩壊すると言っていたのです。「医療崩壊」というのは、いつの時代も彼らの常套句=脅し文句なのです。


今回の「全数把握」の見直しも、同じ論理が使われているように思えてなりません。

私もまったく知らない職場ではないので、医療現場が大変なのはよくわかります。その一方で、決して賢いとは言えない人々が、行動制限がなくなったからと言って、呆けたように旅行やイベントに繰り出している現実があるのもわかります。同じ国とは思えないようなこの対称的な光景は、たしかにおかしいと思います。でも、それはあくまで「全数把握」とは関係ない感情的な問題にすぎません。

「全数把握」を見直すメリット、デメリットを考えても、議論がおかしな方向で行われたことがよくわかるのでした。

「全数把握」が見直されれば、言うまでもなく、医療機関の事務負担が軽減されます。この場合の医療機関というのは、「発熱外来」の指定を受けた日本医師会に所属する個人のクリニックのようなところでしょう。また、彼らが「全数把握」の見直しと併せて主張する、今の2類相当から季節性インフルエンザと同じ5類に変更になれば、「発熱外来」の指定自体がなくなり、どこでも受診できるようになるので、彼らの負担が減るのはたしかでしょう。

しかし、その代わり、個々の感染者の把握も、濃厚接触者の特定もできなくなるので、感染者が市中に放置され、感染がより拡大することになります。

政府の方針は、火が燃えているのに、「逃げ足が遅い高齢者などには手を貸しますよ。あとは自分たちで逃げて下さいね」と言っているようなものです。でも、大事なことは燃えている火に水をかけることでしょう。でも、そっちは燃えるに任せているのです。中には火を点けてまわっている人間さえいるのに、それも無視するだけです。いくら火の勢いが増しても水をかけることもしないで、逃げ足が速いか遅いかの話になっているのです。

感染法上の分類を変えろと主張する医者たちにしても、国に対して、もっと感染防止策を取れという主張は何故かしないのです。社会経済活動の再開をお題目のように唱える政府の方針には唯々諾々と従うだけです。そして、自分たちが忙しいのは、「発熱外来」のせいだ、「HER-SYS」のせいだ、「療養証明」や「陰性証明」のせいだ、あんなのはなくせ、と主張するだけです。

株式会社ライボのJob総研が行った「2022年コロナ感染に関する意識調査」によれば、感染して症状があっても、会社に申告した人は68.1%にすぎず、残りの31.9%は申告しなかったと答えています。しかも、この調査を取り上げたテレビ朝日の「モーニングショー」によれば、申告しなかった人の中で70%の人は、症状があっても出社していると答えているそうです。これでは感染が収まるはずもありませんが、「全数把握」を見直せば、この傾向は一層強まるでしょう。でも、そうなれば、重症化リスクのある人たちは益々感染して重症化するリスクに晒されることになるのです。

ライボ
Job総研
『2022年 コロナ感染に関する意識調査』

羽鳥モーニングショー
「コロナ感染に関する意識調査」

「全数把握」を見直せば、基礎疾患にある人と65歳以上の高齢者以外は、感染しても基本的に自己申告になります。よほどの症状がなければ、病院にも行かないでしょう。そうやって自分で自分の感染を管理しなければならなくなるのです。

でも、人間は賢明な人ばかりではないでしょう。というか、むしろ賢明な人は圧倒的に少数でしょう。現実は、行動制限がなくなったからという理由だけで、コロナは終わったかのように街に繰り出すような人たちが大半なのです。

それに、基礎疾患があると言っても、医療機関で把握されているのは現在治療を受けている人だけです。健康診断を受けてない人もいるでしょうし、健康診断を受けて精密検査や治療を指摘されても、無視している人も多いでしょう。自分が基礎疾患があるかどうかもわかってない人も多いはずです。行動制限をなくすとか「全数把握」を見直すとか言うと、新型コロナウイルスはもう峠を越した、風邪と同じになった、怖いものではなくなったように勝手に解釈する人も多くなるでしょう。

でも、65歳以下であっても、無症状や軽症で済むとは限らないのです。もしかしたら自覚していないだけで、基礎疾患を持っているかもしれないのです。メタボや高血圧であっても重症化する可能性はあると言われています。

また、オミクロンの場合、重症者の割に死者数が多いのが特徴で、それは、軽症や中等症の患者の中で症状が急変して死に至る患者が多いからだという指摘もあります。「全数把握」が見直されると、そういった軽症や中等症の患者は保健所のフォローがなくなるのです。

それに、何より今後も新たな変異株による感染爆発があるかもしれません。「全数把握」を見直すと、検体数が少なくなるので新たに発生した変異株を見逃す懸念があるという指摘もあります。何度もくり返しますが、新型コロナウイルスは終わったわけでも、終わりつつあるわけでもないのです。今現在も、過去最高の感染者数や死亡者数を更新しているのです。

今回の「全数把握」見直しについては、意外にもと言ったら失礼ですが、小池百合子東京都知事が他の付和雷同するだけの軽薄な首長たちとは違った高い見識を示していました。

FNNプライムオンライン
コロナ感染者“全数把握”の見直しに疑問 小池知事「切り口が違う」 デジタル化の問題も指摘

新型コロナウイルス新規感染者の全数把握の見直しについて、東京都の小池知事は24日午後2時すぎ、「切り口が違う」と疑問を呈した。

政府が新型コロナ患者の全数把握の見直しを表明したことについて、小池知事は「患者さんがどういう状況でどうなったのかは、知り得た方がいい」と述べた。

その上で、感染者情報を管理するシステム「HERーSYS」と、電子カルテが連動していないなど「デジタル化の問題」を指摘。

また、都は医療機関が「HERーSYS」の届け出と健康観察を行った場合、患者1人につき3万1200円の補助を出していることから「事務の手続きを医師以外に託し、医師はその健康観察に集中するとか」と、代替案にも言及した。


そもそも「HERーSYS」の入力にしても、上の岸田首相のリモートまがいと同じで、ただデジタル風を装っているだけで、実態は中途半端でアナログです。小池都知事が言うように、電子カルテと「HERーSYS」をリンクすれば、ずいぶん手間がはぶけるでしょう。

それに、東京都が患者一人あたり3万1200円の補助を出しているという話も初めて知りましたが、要は、医者がそれをケチって自分で入力しておきながら負担が大きいと不満を言っているだけのような気がしないでもありません。私の知っている医者は、キーボードの入力が苦手なので、電カルもタッチキーボードを使って手書きで入力しています。あれでは時間がかかってイライラするだろうなと思いました。

何だかここにも、徳田虎雄氏が言っていたような、医者(日本医師会)の身勝手さが表われているような気がしてなりません。誰も口に出して言いませんが(でも心の中では思っていますが)、医者というのは世間知らずで子どもみたいな人間が多いのも事実です。徳田虎雄氏が言うように、病院も医者のわがままにふりまわされたらお終いなのです。況や国の感染対策においてをや、でしょう。日本医師会が獅子身中の虫であるという認識が欠けているのではないか。

それにしても、何故、今なのか。同時に発表された水際対策の緩和も同じですが、どうも内閣支持率の急落を受けて、場当たり的に俗情に阿った感じがしないでもありません。これだったら支持率が挽回できるのではないかと、リモートまがいの隔離部屋で一生懸命考えたのかもしれません。こういった歴史的なパンデミックに際しても、小賢しい政治的な都合が優先されるこの国の政治の無責任さとお粗末さを考えないわけにはいかないのでした。
2022.08.25 Thu l 社会・メディア l top ▲
8月18日、ソウルで、日本の旧統一教会に対する報道に抗議する世界平和統一家庭連合主催の集会とデモが行われました。

詳細は有田芳生氏のTwitterに詳しいのですが、それによれば、主催者発表で4000人(警察発表3500人)が集まったそうです。その大半が合同結婚式で韓国に渡った日本人妻だとか。尚、現在、在韓の日本人女性信者は6676人だそうです。

韓国の農村では、入信すれば日本人の若い娘と結婚できるという触れ込みで信者の勧誘が行われていたそうですが、彼女たちはそうやって嫁不足に悩んでいた韓国の農村部の男性信者と「結婚させられた」日本人女性たちなのです。そして今度は、日本メディアに対する抗議のために、まるで弾よけの人質のように動員されているのでした。

旧統一協会は、戦後に生まれた教団で、まして政治色の濃い”政教一致”の教団なので、そこには東アジアの冷戦構造だけでなく、日帝による植民地支配の”記憶”が投影されているのは当然でしょう。韓国では当たり前のことですが、「反共」と「反日」が併存しています。それがカルト的思考と結びついて、非常に歪なかたちで露出しているのが旧統一教会(世界平和統一家庭連合)なのです。

デモに先だって開かれた抗議集会では、韓鶴子(ハンハクチャ)総裁が壇上に登場し、以下のような演説を行ったそうです。


私は、言うまでもなく”嫌韓”ではありませんが、しかし、韓鶴子総裁の「日本が最後の陣痛を経験している」とか「悶着は過ぎ希望に満ちた新日本が誕生するだろう」とか「日本は天が与えた真の自由を得るだろう」といった言葉を聞くと、いらんお節介だと言いたくなります。

日本で報道が始まった頃、韓鶴子総裁が幹部からの報告を受けて、微笑みながら心配には及ばないみたいなことを言ったという話がありましたが、私は、あの激しやすい(そして冷めやすい)韓国人がキャンディーズの微笑み返しみたいな感じで終わるわけがないと思っていましたが、案の定、結構激しい言葉を使っているようです。

こういった言葉の端々にも、日本は「エバ国家」で「アダムの国」の韓国に奉仕しなければならないという彼らの”上から目線”が垣間見えるように思います(まあどっちもどっちですが)。そして、その延長上に、日王(天皇)を自分の前で膝まづかせるんだという、故文鮮明(ムンソンミョン)教祖の発言があるのでしょう。しかし、この国のダブルスタンダードの「愛国」者たちは、それを見て見ぬふりしてきたのです。

日本の「保守」政治家たちは、私たち国民に「自分の国に誇りを持て」と説教を垂れながら、こんな韓国の夜郎自大でお節介な宗教に媚びへつらってきたのです。それどころか、みずからの政治思想さえも、お節介な宗教がしつらえたテンプレートをそのままトレースしていたのです。

何度もくり返しますが、「保守」や「愛国」や「反日」や「売国」や「反共」といった言葉はことごとく失効したのです。というか、そんなものは最初からなかったのです。虚妄だったのです。それが、戦後を覆ってきた”「愛国」という病理”の内実です。それは、対米従属を前提としたこの国の「愛国」が、最初から抱える(抱えざるを得ない)病理だったと言っていいでしょう。

A級戦犯として巣鴨プリズンに拘留されながら、ほかの戦犯と違って不起訴処分で釈放され、公職追放も免れることができた岸信介は、公職に復帰するとすぐに(まるで約束していたかのように)、のちの朴正煕政権下ではKCIAに庇護されることになる旧統一教会の日本進出に手を貸し、以後、朴正煕政権と歩調を合わせるかのように、教団を擁護し親密な関係をつづけたのでした。それは、日本の公安当局から密かに監視されるほどの親密度だったと言われています。

そこに既に、戦後の日本を覆った”「愛国」という病理”の萌芽があったと言うべきでしょう。その後の国際勝共連合の設立等の経緯を考えれば、岸の盟友であった「右翼の巨頭」による「文鮮明の犬」発言も、別に不思議ではないような気がします。

私は右派ではないので「歴史戦」の意味がよくわかりませんが、「歴史戦」というのなら、「保守」や「愛国」や「反日」や「売国」や「反共(容共)」などという空疎な言葉を子どものチャンバラごっこのようにふりまわすのではなく、戦後史の原点に立ち返り「国を売ったのはホントは誰か?」ということをもう一度考えるべきでしょう。

18日の一和の朝鮮人参のお土産付の抗議集会と僅か500メートルのデモは、日本の報道に対する焦り、危機感の表われと考えることもできますが、しかし、一方で、旧統一教会は、韓国やアメリカではとっくに従来のイメージから脱皮することに成功しているのでした。

テレビのニュースを見ても、ソウルの市民たちが違和感なく彼らのデモを受入れているのが印象的でしたが、旧統一教会は韓国では多くの企業を経営しており、新興の企業集団として市民権を得ているのでした。現地のジャーナリストが言っていましたが、韓国ではカルト宗教というより「宗教企業」や「小財閥」のようなイメージなのだそうです。

平昌オリンピックでアルペンスキーの大回転・回転競技の会場となった龍平リゾートや高麗人参でおなじみの一和やプロサッカーチーム・クラブ城南FCなどは有名ですが、その他、小学校から大学まで10近くの学校も経営していますし、病院や銀行から建設会社、旅行会社、不動産会社、石材会社、自動車学校まで傘下におさめています。日本では結婚式場を経営しています。しかも、それらは信者限定ではなく、一般にも開放された「普通の」会社なのです。病院なんて大きな総合病院を複数所有しているそうです。でも、その原資の大半は、日本から送金されたお金です。霊感商法や献金などで日本人から巻き上げたお金なのです。

そんな教団に胸にブルーリボンのバッチを付けた政治家たちが、取り込まれ、教化され、「秘書」などを通して教団が用意したテンプレートをなぞりながら、「愛国」の名のもとに憲法改正を主張し、「日本の伝統的な家庭を守る」という理由でジェンダーフリーやLGBTや同性婚や夫婦別性に反対してきたのです。そして、いわゆる”右派論壇”は、そんな政治家たちを「日本の誇り」と持ち上げたのです。

それにしても、韓国本国では霊感商法や強引な献金があまり行われてなかったということもあるのでしょうが、旧統一協会のフロント企業があんなにすんなり社会に受け入れられていることに対しては、日本人の感覚からするとやはり違和感を覚えざるを得ません。

韓国は「勝ったか負けたか」「損か得か」が日本以上に幅をきかせる社会なので、事業が成功すれば、”素性”が問われることなく認知されるところがあるのかもと思ったりします(半分は皮肉ですが)。ケンカでもビジネスでも手段は二の次に、とにかく勝つことが大事なのです。「勝てば官軍」なのです。日本もあまり偉そうなことは言えませんが、悪貨でもお金はお金という考えがあるのではないか。まして、日本からふんだくったお金ならなおさらでしょう。

また、旧統一教会に対しても、日本と違って「セックスリレー」=「血代交換」の方に目が向けられ、淫祠邪教だとして批判が集まったという過去があります。資金集めはもっぱら日本で行われていましたので、お金の出どころにはもともと関心が薄かったという事情もあるのかもしれません。

今の世界平和統一家庭連合にとって、資金源としての日本にどれほどの利用価値があるのか、私にはわかりませんが、こういったカルト宗教に無節操に魂を売ったダブルスタンダードの「愛国」者たちは、私のような人間から見ても、万死に値すると言わざるを得ません。濃淡なんて関係なく、彼ら「保守」政治家たちは全員退場させるべきでしょう。

教団とズブズブの関係にあるおニャン子クラブ大好きな政調会長が、早速、防衛費の増額について偉そうに話していましたが、「こんなやつが国の防衛を口にする資格があるのか」と思ったのは私だけではないはずです。
2022.08.19 Fri l 社会・メディア l top ▲
また、『紙の爆弾』の記事の話になりますが、今月号(9月号)の中川淳一郎氏のコラム「格差を読む」に、思わず膝を打つような記事が載っていました。

ホントは全文を紹介したいくらいですが、もちろん、それは叶わぬことなので、もし興味があれば、『紙の爆弾』9月号(鹿砦社)をお買い求めください(いつもお世話になっているので宣伝します)。

タイトルは『「34位」の日本人が生きる道』。記事は次のような文章で始まっています。

  スイスのビジネススクール・国際経営開発研究所(IMD)が「世界競争力ランキング2022」を発表した。日本の競争力は二〇二一年の三一位から三四位に低下。これは六三ヵ国を対象に二〇項目・三三三の基準で競争力を数値化したもので、調査開始の一九八九年から九二年まで日本は四年連続一位。その後も二位、三位、四位、四位と上位の常連だった。九七年に一七位に急落し、二十番台が続いたが、ついに三四位まで落ちた。マレーシア(三二位)やタイ(三三位)の下である。
  もはや日本は東アジアの没落国といってもいいかもしれない。上位常連のころは、自動車・家電・金融・不動産が活況だったものの、ネット時代以降は社会の変化についていけなくなったようだ。また、かつて世界に五〇%はあった半導体のシェアが 一〇%を切るなど、目も当てられない状態になっている。
(『紙の爆弾』2020年9月号・「格差を読む」”「34位」の日本人が生きる道”)
※以下、引用は同じ。


私がこのブログでしつこいように書いている「ニッポン凄い!」の自演乙も、ここまで来るともはやギャグのように思えてきます。

だったら、日本にとって強みは何があるのか?、と中川氏は考えるのでした。

  (略)日本にとっての強みというのは、「物価が安くて食・サービスの質が高く、インフラが整い、歴史もあり、豊かな自然もあり、観光に適した国」というものしかなくなってしまう。あとは魚介類や野菜をはじめとしたグルメ方面か。


  自動車も家電もネットサービスも、今後日本が世界で存在感を示すことは難しいだろう。これから考え得る日本の進む道は「観光立国」しかない。となれば、国民の働き先は飲食店やホテルの掃除、コンビニ店員といったところになるだろう。現在、日本の都市部に住む東南アジア系の人々が担っている仕事を日本人がやるということだ。


私は、ほかに風俗と児童ポルノがあるのではないか、と思いました。コロナ前までは、中国人や韓国人の買春ツアーは活況を呈していました。風俗に詳しい人間の話では、外国人専用の派遣ヘルスも多くあったそうです。ガーシーではないですが、外国人相手に大和撫子をアテンドするプロのブローカーも「掃いて棄てるほど」いたそうです。

中川氏は、続けてこう書いていました。

国の物価を示す「ビッグマック指数」においても、もはや日本はタイよりも下である。この三十年間、給料が上がらない稀有な国こそ日本なのだ。


前も書きましたが、日本は「安くておいしい国」なのです。買春する料金も、外国人から見たら格安で「良心的」です。給料が上がらない分、風俗の料金も30年前から上がってないからです。

「Youは何しに日本へ?」でインタビューされている外国人たちのかなりの部分は、ホントは日本に買春に来ているのです。秋葉原に行きたいというのも、ホントは児童ポルノが目当てなのです。昔のJ-POPのレコードを探しに来たとか、地方のお祭りに参加するために来たというのは、奇人変人の部類に属するような稀な例です。

以前、このブログで、若者の間で海外旅行離れが進んでいるという話題を取り上げたことがありますが、今調べてみたら2008年4月の記事でした。既にその頃から没落が顕著になり、私たちも身に沁みてそれを実感するようになっていたのでしょう。

私たちのまわりを見るとわかりますが、格差と言っても、親がどれだけ資産を持っているか、親からどれだけ遺産を受け継いだかによっても違います。起業しても同じです。手持ちの資金にどれだけ余裕があるかによって、どれだけチャンスをものにできるか、どれだけ持ちこたえることができるかが決まるのです。

とは言え、日本にはまだ個人の金融資産が2000兆円弱もあるそうです。それを食いつぶす間は”豊かな幻想”を持つことができるでしょう。一方、金融資産の恩恵に浴することができない人たちの多くは、既にこの社会の中で落ちぶれてアンダークラスを形成しているのです。

安倍元首相を狙撃した山上徹也容疑者の父親は、京大卒で大手建設会社に勤務していたそうです。母親も大阪市立大(現・大阪公立大)卒の栄養士だったとか。旧統一教会に寄付した総額は1億円だったそうですから、遺産も含めて、山上家には1億円の資産があったことになります。もし、母親が旧統一教会に入ってなければ、容疑者が言うように、その資産を使って大学にも行けたでしょうし、今もそれなりの生活を送ることができたでしょう。

今の「それなりに豊かに見える」生活も、単に親から受け継いだ資産が投映されたものにすぎない、と言ったら言いすぎかもしれませんが、没落していく国では、とりわけ親の資産や遺産の多寡によって子の人生が決まる無慈悲な現実があるのも事実です。そもそもスタートが平等ではないのですから、個人の努力の範囲は最初から限られているのです。

私たちの世代は、進学資金や結婚資金やマイホームの頭金などを親から出して貰うのが当たり前でした。じゃあ、私たちは、自分たちの子どもに同じことができるかと言えば、もうそんな余裕はありません。せいぜいが奨学金の保証人になるくらいです。

私は九州の高校を出たのですが、私たちの頃は東京の大学に進学した同級生が100人近くいました。今でも都内で開催される同級会には常時20~30人は集まるそうです。しかし、現在、母校から東京の大学に進学する生徒は数人程度です。それも私たちのような凡人ではなく、超優秀な生徒だけです。

私たちの頃と違って、圧倒的に地元志向、しかも公立志向なのです。つまり、それだけ親に経済的な余裕がなくなっているのです。同級生と話をすると、みんな口をそろえて「あの頃、親はよく仕送りしてくれたな」「考えられないよ」「よくそんなお金があったと思うよ」と言いますが、それが私たちの世代の実感です。

このように、私たちは子どもに残す遺産がないのです。身も蓋もないことを言えば、それだけ貧しくなっているということです。”負の世代連鎖”に入っていると言ってもオーバーではないでしょう。

ネットニュースの編集者でもあった中川淳一郎氏は、こうも書いていました。

  おそらく日本で給料が大幅に上がることは難しい。それは、ひとえに、情報の伝播のしやすさの問題だ。英語のサイトが世界中からアクセスを集められるのと比べて、日本語の情報は、ネット上の存在感が極端に低いのである。


とどのつまり、益々没落していくしかないということでしょう。

デジタル革命に乗り遅れたと言えばその通りなのですが、日本語の問題も含めて、そこには日本の社会そのものに起因する致命的な問題があるような気がしてなりません。

日本の企業は、いつまで経っても日本流の生産方式や品質管理が一番いいという「神話」から脱皮できず、そのために世界から取り残されてしまったという話を前にしたことがありますが、ネットの時代になって日本は逆に「愛国」という病理に、そして「ニッポン凄い!」という自演乙に自閉していったのでした。つまり、「パラダイス鎖国」の幻想に憑りつかれ、内向きになっていったのです。そうやっていっそう没落を加速させたのです。

海外に出稼ぎに行くにしても、「壊滅的に英語ができない国民」である日本人には、言語の壁が立ちはだかって難しいと皮肉を書いていましたが、それも笑い話で済まされるような話ではないでしょう。「同じ東アジアのタイやベトナム、カンボジアの方が日本より英語が通じる」現実を前にしてもなお、「ニッポン凄い!」と自演乙しつづけるのは、何だか哀愁を漂わせるピエロのギャクのようにしか見えません。


関連記事:
日本は「買われる国」
「安くておいしい国」日本
『ウェブはバカと暇人のもの』
2022.08.10 Wed l 社会・メディア l top ▲
ナンシー・ペロシ下院議長の台湾訪問は、当初、中間選挙で民主党の敗色が濃厚と言われている中での季節外れの“卒業旅行”みたいなものだとヤユする向きもありました。ところが、蓋を開けてみるとそんな呑気な話ではなく、82歳の老婆による、とんでもない”戦争挑発旅行”だったということがわかったのでした。

「これでウクライナが東アジアに飛び火した」と論評した専門家がいましたが、まさにそれこそがナンシー・ペロシの「電撃的な台湾訪問」に隠されたバイデン政権の狙いだったように思います。

アメリカ空軍の軍用機(要人輸送機C-40C)を使った今回の訪問が、露骨に中国を挑発するものであることは誰が見てもあきらかでしょう。でも、対米従属の日本では、「挑発」という言葉はまるで禁句であるかのようです。メディアにもその言葉は一切出て来ないのでした。

ナンシー・ペロシの行動をバイデン大統領が止めることができなかった。個人的な旅行なのに、中国が「メンツを潰された」と過剰に反応して、台湾や日本に軍事的な圧力をかけている。このまま行けば中国が戦争を仕掛けて来るかもしれない、というような報道ばかりです。

今回の挑発行動には、米中対立によって、半導体の一大供給地である台湾の戦略的な重要性が益々増しているという、近々の状況が背景にあることは間違いないでしょう。石油や天然ガスのような天然資源ではなく、今の時代ではデジタル技術も大事な資源なのです。そういった新たな資源争奪戦という帝国主義戦争の側面は否定できないように思います。

しかし、それだけではなく、アメリカ経済が陥っている苦境とも無縁ではないような気がします。FRBは、6月に28年ぶりの大幅利上げを行なったのですが、翌月にも同様の利上げを再度行なって世界を仰天させたのでした。このように、現在、アメリカは「経済危機」と言ってもいいような未曽有のインフレに見舞われているのです。そのため、アメリカは、起死回生のために新たな戦争を欲しているのではないか。台湾有事という”危機”を現前化することで、今やコングロマリットと化した軍需産業を起爆剤に、低迷するアメリカ経済を好転させる魂胆があるのではないか、と思いました。もとより、蕩尽の究極の場である戦争ほど、美味しいビジネスはないのです。1機100億円以上もする戦闘機がどんどん撃ち落とされるのを見て、歓喜の声を上げない資本家はいないでしょう。

アメリカは戦後、朝鮮戦争からシリア内戦までずっと他国の戦争に介入してきました。そうやって超大国の座を維持してきたのです。ただ、ウクライナ戦争を見てもわかる通り、既に直接介入する力はなくなっています。しかしそれでも、他国の人々の生き血を吸って虚妄の繁栄を謳歌する”戦争国家”であることには変わりがありません。

もちろん、どうして今なのか?を考えたとき、中間選挙をまじかに控えた民主党の党内事情も無視できないように思います。苦戦が伝えられる中間選挙で逆転するためには、”強いアメリカ”を演出しなければなりません。しかし、ロシアは役不足です。案の定、ウクライナ戦争はインパクトに欠け、国民も冷めています。やはり、中国を民主主義と権威主義の戦いに引き摺り込むしかない。バイデンらはそう考えたのかもしれません。

でも、バイデンは79歳、ナンシー・ペロシは82歳です。私たちは、ガーシー当選に勝るとも劣らない悪夢を見ているような気持になってしまいます。

ナンシー・ペロシの台湾訪問のひと月前に発売された『紙の爆弾』(7月号)で、天木直人氏(元駐レバノン大使)と対談した木村三浩氏(一水会代表)は、今回の挑発行為を予見していたかのように、次のように発言していました。

木村   (略)米国が次に狙うのが中国で、だからこそ台湾有事の勃発が危惧されている。しかし、日本にはその視点がない。独裁者のプーチンが暴走した。香港・ウイグル・チベットなどで人々を弾圧している習近平も暴走するに違いない、と事態が極度に単純化されている。この論調に政治が乗っかり、日米同盟を強化すべきだ、NATOに入るべきだといったことまで公言されています。防衛費増強にしても、米国からさらに武器を買って貢ぐことにすぎません。
(「台湾有事」の米国戦略と「沖縄」の可能性)


一方、天木氏は、台湾有事に備えるには、沖縄の平和勢力が「反戦平和」を唯一の公約にする、つまり、その一点で結集できる「沖縄党」をつくって国政に参加するべきだと言っていました。

唯一の地上戦を経験しながら、戦後も基地の負担を強いられてきた沖縄には、本土のように対米従属に対する幻想はありません。だから、ネトウヨには、沖縄は「左傾」した「中共のスパイ」のように見えるのでしょう。天木氏の提案は、そんな対米従属の幻想から「覚醒」した沖縄が、日本の対米従属からの脱却を促し、日本を「覚醒」させることができるという、沖縄問題を論じる中でよく聞く”沖縄覚醒論”の延長上にあるものと言えます。

何度もくり返しますが、日本という国は、国民に「愛国」を説きながら、その裏では、サタンの日本人は「アダムの国」の韓国に奉仕しなければならないと主張する韓国のカルト宗教と密通していたような、ふざけた「愛国」者しかいない国なのです。それは政治家だけではありません。”極右の女神”に代表されるような右派のオピニオンリーダーたちも同じです。嫌韓で自分を偽装しながら、陰では韓国のカルト宗教から支援を受け、教団をヨイショしていたのです。また、旧統一教会の魔の手は、「愛国」の精神的支柱とも言うべき神社本庁にまで延びているという話さえあります。

自民党の改憲案と旧統一教会の政治団体である国際勝共連合の改憲案が酷似しているというのはよく知られた話ですが、胸にブルーリボンのバッチを付けた「愛国」者たちが、ジェンダーフリーやLGBTや同性婚や夫婦別性に反対するのも、教団からの受け売り(働きかけによるもの)だったのではないかと言われています。それどころか、女系天皇反対もそうだったのではないかという指摘もあるくらいです。

そんなふざけた「愛国」者が煽る戦争に乗せられないためにも、「沖縄の覚醒」を対置するという考えはたしかに傾聴に値するものがあるように思います。しかし、同時に、もう沖縄に頼るしかないのか、また沖縄を利用するのか、という気持も拭えないのでした。

天木   米国はいまでも「一つの中国」について変わらないと繰り返す一方で、あいまい戦略を、どんどんあいまいではないようにしています。台湾への軍事支援を公然と行ない、独立をそそのかしている。五月に来日したバイデンは岸田首相との会談で「武器行使」を肯定する発言をしました。(略)そんな発言をすること自体、バイデンは米中関係を損ねているのです。


天木   この現実を変えるには、沖縄に期待するしかないと思うに至りました。(略)このままいけば再び沖縄は捨て石にされる。今度は中国と戦うことを迫られる。これだけは何があっても避けたいはずです。沖縄の人たちは、「ぬちどぅたから(命こそ宝)や万国津梁ばんこくしんりょう」という言葉を琉球王国時代からの沖縄人の魂だと言います。ならば、それを唯一の公約とした「沖縄党」をつくって国政に参加してほしい。


天木   (略)本当に有事になったときは、日本人は皆”反戦”に傾くはずです。そのときに民意を集約できるのは、既存の左翼勢力ではなく「沖縄党」だと、私は思っているのです。


天木氏の発言に対して、木村氏も次のように言っていました。

木村   (略)このまま台湾有事に向えば、今のロシアと同じように、冷静な意見も「お前は親中か!」と排斥が始まるでしょう。それでも沖縄が「二度と戦争の犠牲にならない」と言えば、誰も反論はできない。


ただ、中には、台湾有事になれば自衛隊が戦うだけ、沖縄が犠牲になるのは地政学上仕方ない、自分たちが安全圏にいられるならいくらでも防衛費を増強すればいい、と考えているような日本人も少なからずいます。彼らもまた、”対米従属「愛国」主義”に呪縛され、戦争のリアルから目を背けているという点では、ふざけた「愛国」者と五十歩百歩と言うべきなのです。


関連記事:
『琉球独立宣言』
2022.08.08 Mon l 社会・メディア l top ▲
先週、笹尾根に登った帰り、バスに乗っていると、檜原街道沿いの民家の軒先に「産廃施設建設反対」の幟が立っているのが目に入りました。それも幟はいたるところに立っているのでした。

それで帰ってネットで調べると、檜原村の人里(へんぼり)地区に産業廃棄物処理施設の建設計画が持ち上がっていることを知りました。人里も何度も行ったことのある、なじみ深い集落だったのでびっくりしました。

計画については、下記のYouTubeで経緯等詳細を知ることができます。

YouTube
SAVE HINOHARA 東京の水源地「檜原村」を大規模産廃焼却場から守れ!〜「顔の見えすぎる民主主義」から日本の未来を考える〜

建設を計画している会社は、既に地元の武蔵村山市で産廃処理施設を運営しているのですが、その処理能力は1日4.8トンだそうです。しかし、檜原村の人里に建設を計画している施設は1日96トンの処理能力なのだとか。武蔵村山の施設が老朽化したからというのが新施設計画の理由のようですが、何と前より20倍の処理能力を持つ施設を造ろうというのです。

今年の3月1日に、廃棄物処理法に基づいて「廃棄物処理施設設置許可」の申請が東京都に提出され受理されています。建設される場所は檜原村なのですが、申請の窓口は東京都で、諸々の手続きを経て最終的に許可するかどうかを決定するのも東京都知事なのです。

申請後、1ヶ月の申請書の告示期間や関係市町村長(この場合は檜原村の村長)の意見聴取や利害関係者の意見書提出の手続きは既に終えており、専門家からの意見聴取(専門家会議)が先週の27日からはじまっています。専門家会議が終われば、あとは欠格事由に該当してないかどうかの審査と許可するかどうかの都知事の最終判断が残っているだけです。

朝日新聞デジタル
「具体性欠く」業者へ指摘続々 檜原村の産廃施設計画で専門家会議

行政手続法と都条例により、申請から180日以内に結論を出すという決まりがあるそうで、今年の10月か11月までには最終的な結論が下されるのではないかと言われています。

檜原村は島嶼部を除いては東京都で唯一の村で、令和4年7月26日現在の人口は2,069人(1,137世帯)です。人口も、島嶼部を除いて東京都でもっとも少ない自治体です。しかも、昭和の大合併や平成の大合併はもちろん、この400年間どことも合併せずに、独自の歩みを続けている稀有な村でもあるのす。

檜原村のサイトには、次のように村が紹介されています。

檜原村
村の概要

檜原村は、東京都の西に位置し、一部を神奈川県と山梨県に接しています。

面積は105.41平方キロメートルとなっており村の周囲を急峻な山嶺に囲まれ総面積の93%が林野で平坦地は少なく、村の大半が秩父多摩甲斐国立公園に含まれております。

村の中央を標高900m~1,000mの尾根が東西に走っており両側に南北秋川が流れていて、この川沿いに集落が点在している緑豊かな村です。


東西に走っている尾根が笹尾根と浅間尾根です。その間を檜原街道が通っています。そして、その檜原街道に沿って流れているのが北秋川と南秋川です。秋川は多摩川の支流で、檜原村は文字通り「東京の水源地」なのです。

人里(へんぼり)は、檜原街道から北側の山の縁にかけて家が点在するのどかな山里の集落です。人里という地名について、『奥多摩風土記』(大舘勇吉著・有峰書店新社)では次のように書いていました。

人里という地名は特異で語意は不明、寛文の検地帳にはなく、「和田、事實ことづら、上平」にわたる総称で、古くはこの三組のことを火追堀(ひおんぼり)三組といい、現在は人里三組といいます。火追堀とは三頭山御林防火のため、その防火線を(掘)を管理することが前記三組に課せられていたのです。火追堀はまた火堀ともいわれていわれ(ママ)この火堀(火保里)がいつか「へんぼり」の語に、また「人里」の文字に転訛して人里三人組を総称する地名になったとの説があります。


浅間尾根の人里峠に至るには、最初に息も上がるような急坂を登らなければならないのですが、その急登に沿って家が建っているのでした。そして、突端の家の横から登山道に入りしばらく進むと、テレビの「ポツンと一軒家」で紹介された家があります。既に無人になっていますが、敷地内は自由に見学でき、庭の奥では400年前から出ているというとても美味しい湧き水を飲むことができました。

そんな集落の一角に、一日の処理能力が96トンという巨大な産廃施設が造られるのです。予定地を地図で見ると、先週笹尾根の笹ヶタワノ峰から下りた道の西側にあたり、笹ヶタワノ峰の隣の笛吹(うずしき)峠から下りて来る道の近くでした。

しかも、産廃施設ができると、ツキノワグマも生息するような森を持つ山に囲まれた焼却炉から、産廃を燃やす煙が24時間止むことなく吐き出されるのです。それは、想像するだけでも異様な光景です。それだけではありません。あの檜原街道を一日に70台の産廃を積んだトラックが行き交うようになるそうです。

業者は、2020年の11月に、産廃施設の予定地に隣接する場所に、村の木材産業協同組合などの協力を得てバイオチップ工場を造っているのですが、それは産廃施設を造るための”地ならし”だったのではないかと言われています。「SDGsは『大衆のアヘン』である」と言ったのは斎藤幸平ですが、ここでも「循環型社会」「エコサイクル」「地球(環境)に優しい」という言葉が、自然を収奪する資本の隠れ蓑に使われているのでした。

ダイオキシンをはじめ、水銀やカドミウムや鉛やヒ素など有害物質による周辺の環境への影響も懸念されます。ましてや村のサイトでも謳われているように、檜原村の大部分は秩父多摩甲斐国立公園の中にあり、檜原村は「国立公園の中の村」と言ってもいいくらいです。産廃処理施設の建設予定地も国立公園の中です。そんな村に24時間稼働の巨大産廃焼却施設を造るなど、どう考えてもとんでもない話と言わざるを得ません。

YouTubeの中でも、パネラーの宮台真司氏が北アルプスの雲ノ平山荘の小屋主の伊藤二朗氏の話をしていましたが、先の「登山道の整備と登山者の特権意識」という記事で触れたような、日本の国立公園が抱える自然保護の問題が、檜原村の産廃問題にも映し出されているように思えてなりません。また、下記の対談で語られている人と自然の関係というテーマとも無縁ではないように思います。

YouTube
宮台真司×伊藤二朗 -自然と社会を横断する二つの視点から

法律では最終的な決定権は小池百合子都知事にあるので、極端な話、可否は小池都知事の胸三寸みたいなところがあります。そのため、最後は(よりによって)あの小池百合子都知事に、「小池さん、許可しないでください」とお願いするしかないのです。それが今の民主主義のルールなのですが、何か割り切れないものを覚えてなりません。

業者も、人口が2000人で村会議員も9人しかいない小さな村なので、御しやすいと思ったのは間違いないでしょう。宮台真司氏は、過疎地は有力者のネットワークですべてが決まるので、民主主義をコントロールしやすいと言っていましたが、業者はまさにそういった地縁・血縁に縛られた日本の田舎の”弱点”を衝いてきたとも言えます。

しかし、建設予定地区の住民や村の若い後継者や移住者などが中心になり、勉強会を開いたり、ネットを利用して計画のことを村の内外に発信したり、村の歴史上画期的とも言える反対デモを行ったりして、「とんでもないことが進んでいる」「あきらめるのはまだ早い」ということを訴えてきたのです。その結果、村議会における全会一致の反対決議や村民の3人に2人が反対署名するという、村挙げての反対運動に発展したのでした。檜原街道沿いの民家の軒先に掲げられた幟もそのひとつなのでしょう。

そんな反対運動を通して、YouTubeのトークイベントのタイトルにもあるように、誰もが顔見知りであるような小さな村の利を逆に生かした、「顔の見えすぎる民主主義」なる住民自治を模索する試みもはじまっています。小さな村の人々が思考停止を拒否しているのです。

檜原村の問題は、檜原村に通うハイカーにとっても、自然保護を考える人たちにとっても、日本の国立公園のあり方を考える上でも、見て見ぬふりのできない問題だと言えるでしょう。


関連サイト:
Change.org※ネット署名
東京都の水源地「檜原村」に、産業廃棄物焼却場を建設しないでください!
Twitter
檜原村に産廃焼却場を建設しないでください
facebook
檜原村の産廃施設に反対する連絡協議会


※サムネイル画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

DSC04461.jpg
人里バス停

DSC04463.jpg

DSC04464.jpg
登山口

DSC04469.jpg

DSC04471.jpg

DSC04473.jpg

DSC04478.jpg

DSC04483.jpg
テレビの「ポツンと一軒家」で紹介された民家

DSC04490.jpg
400年前から出ているという湧き水

DSC04503.jpg

DSC04506.jpg

DSC00296.jpg
浅間嶺展望台

DSC00132.jpg

DSC00135.jpg

DSC00261.jpg

DSC00372.jpg

DSC00378.jpg

DSC00380.jpg

DSC00383.jpg

DSC00421.jpg
「払沢の滝入口」バス停

DSC04736.jpg

DSC04701.jpg
払沢の滝
2022.08.01 Mon l 社会・メディア l top ▲
今日、2008年の「秋葉原事件」の実行犯で、死刑が確定していた加藤智大死刑囚に刑が執行されたというニュースがありました。事件から14年。加藤智大死刑囚は39歳だったそうです。

穿ちすぎと言われるかもしれませんが、どうして今のタイミングなんだ?と思いました。「模倣犯に対する抑止効果」「みせしめ」。そんな言葉が浮かびました。宮台真司風に言えば、「呼んでも応えない国家」からの警告なのか、と思ったりしました。

加藤智大死刑囚は、青森県下トップレベルの進学校である青森高校を卒業しています。しかし、犯行時は派遣工として各地を転々とする生活をしていました。安倍元首相銃撃事件の山上徹也容疑者も、奈良県下でも有数の進学校を卒業しています。でも、犯行時は派遣社員として務めた工場を辞めて無職でした。年齢もほぼ同じのいわゆるロスジェネ世代です。驚くほどよく似ています。しかし、ふたりが胸の内に持っていた言葉はまったく違うように思いました。

「秋葉原事件」について、私は、このブログでは事件直後と事件から10年目の2回記事を書いています。事件直後の記事で、事件を聞いて憂鬱でやり切れない気分が続いていると書きましたが、今日、死刑執行のニュースを聞いたときも同じような気分になりました。

僭越ですが、とり急ぎ事件直後の記事を再掲させてもらいます。

-------------------------

秋葉原事件 2008.06.20

秋葉原の無差別殺傷事件以来、憂鬱でやり切れない気分がつづいています。山田昌弘氏の『希望格差社会』(ちくま文庫)には”「負け組」の絶望感が日本を引き裂く”という副題が付けられていますが、秋葉原事件はまさにそれが現実のものとなった気がします。私も事件の報を聞いたとき、雨宮処凛氏がマガジン9条のブログに書いていたのと同じように「とうとう起きてしまったか」と思いました。

埼玉に住んでいたとき、たまたま近所の工場で派遣社員として働く若者と知り合い、話を聞いたことがありますが、誤解を怖れずに言えば、派遣会社が借り上げたワンルームマンションに住んでいるという点も含めて、秋葉原事件の犯人とあまりにも似通った部分が多く、あらためて愕然とせざるを得ませんでした。今や年収200万円以下の労働者が1000万人もいるというような現実の中で、程度の差こそあれ、絶望感に打ちひしがれ閉塞した日々を送っている彼らのような若者達は日本中の至るところにいると言っても過言ではないのでしょう。

派遣社員の彼はさかんに「あいつら」という言い方をしていました。「あいつら」とは誰なのかと言えば、正社員のことなのです。そんな二重あるいは三重とも言われる差別構造の中で、秋葉原事件の犯人は、始業前に自分の作業服(つなぎ)が見つからなかったことがきっかけで「この会社はなめている」とその鬱屈した感情を爆発させたのですが、恐らく似たような環境にある彼も「その気持はわかる」と言うに違いありません。

犯人と同じ青森県出身で、30年近く前、季節工として半年間トヨタの自動車工場に勤務した体験をもとに書かれたルポルタージュ『自動車絶望工場』(講談社文庫)の著者の鎌田慧氏は、今回の事件に関する新聞のコメントの中で、「派遣は(当時の)季節工よりも労働条件が劣悪だ」と言ってました。30年前より現在の派遣工(派遣社員)の方が劣悪な条件におかれているというのは信じがたい話ですが、しかし、考えてみれば、本工→期間工(季節工)→派遣工というヒエラルキー(三重構造)の中で、派遣工は会社にとって直接雇用のリスクがない分、雇用の調整弁として安易に「使い捨てられる」運命にあるのは当然かもしれません。

そんな中で、戦前のプロレタリア文学の代表作である小林多喜二の『蟹工船』が多くの若者達に読まれベストセラーになっているという現象もあります。最初、この話を聞いたとき、正直言って、どうして今、『蟹工船』なんだ?と思いました。古典的な窮乏化論などとっくに終ったと思われていたこの時代に、『蟹工船』と重なるような搾取や貧困がホントに存在するのだろうかと俄かに信じられない気持でした。

吉本隆明は、『文芸春秋』7月号で、『蟹工船』ブームについて、『蟹工船』を読む若者達は、貧困だけがつらいのではなく、彼らが感じている重苦しさはもっと別のものかもしれないと言ってました。

ネットや携帯を使っていくらコミュニケーションをとったって、本物の言葉をつかまえたという実感が持てないんじゃないか。若い詩人や作家の作品を読んでも、それを感じます。その苦しさが、彼らを『蟹工船』に向かわせたのかもしれません。
 僕は言葉の本質について、こう考えます。言葉はコミュニケーションの手段や機能ではない。それは枝葉の問題であって、根幹は沈黙だよ、と。
 沈黙とは、内心の言葉を主体とし、自己が自己と問答することです。自分が心の中で自分の言葉を発し、問いかけることが、まず根底にあるんです。
 友人同士でひっきりなしにメールで、いつまでも他愛ないおしゃべりを続けていても、言葉の根も幹も育ちません。それは貧しい木の先についた、貧しい葉っぱのようなものなのです。
(「蟹工船」と新貧困社会)


この記事は秋葉原事件の前に書かれていますが、なんだか秋葉原事件の犯人に向けて言っているようにも受け取れます。秋葉原事件の犯人も、とりわけネットに依存し、ネットに翻弄されたことが大きいように思います。彼のネットの書き込みを読むにつけ、大方の書き込みと同じように、あまりにもものの考え方が短絡的で想像力が貧困なのにはびっくりします。恐らくそれは自分の言葉を持ってない、つまり、ホントに自分と向き合い胸を掻きむしるように苦悩したことがないからでしょう。

しかし、それでも私は、今回の事件を個人の問題に還元するのは、やはり、問題を矮小化することになるような気がしてならないのです。たしかに、本人や家庭に問題があったかもしれません。でも、20才そこそこの若者にしては、親に頼らず派遣会社に登録して、ひとりで知らない土地に行き、1年なり2年なり工場で働いて生活の糧を得ていたというのは、むしろ「がんばっていた」と言えるのではないでしょうか。それをマスコミのように、「実家とは疎遠」「派遣会社を転々とした生活」などというのはあまりにも底意地が悪く冷たい気がします。要は、「偉いじゃないか」「がんばっているじゃないか」と言ってくれる人がいなかったことが彼の悲劇だったように思います。だからこそ、派遣の問題やその背景にあるグローバリズムの問題も含めて、社会的に未熟な25才の若者をそこまで追い込んだこの社会のしくみや風潮こそもっときびしく問われて然るべきではないかと思うのです。


関連記事:
秋葉原事件
秋葉原事件から10年
2022.07.26 Tue l 社会・メディア l top ▲
知り合いの話では、東京タワーが安倍元首相追悼のために真っ暗になっていたそうです。「びっくりした」と言っていました。それで、ネットで確認したら、株式会社TOKYO TOWERのサイトに次のようなプレスリリースがアップされていました。

東京タワーは本日(7/9)、安倍晋三元首相に哀悼の意を表し、ライトアップを消灯して喪に服します。

株式会社TOKYO TOWER
2022年7月9日 15時45分

東京タワーは7月9日(土)、多大な功績を残された安倍晋三元首相に哀悼の意を表し、終日、ライトアップを消灯して喪に服します。

尚、足元については観光でお越しのお客様の為ライトアップを点灯致します。

ご理解いただきますよう、よろしくお願い致します。


いくら追悼とは言え、ここまで来ると異常としか言いようがありません。それは東京タワーだけではありません。新聞やテレビなども、まるで独裁者が亡くなったかのように、歯の浮いたような賛辞のオンパレードなのでした。

安倍元首相は毀誉褒貶の激しい政治家だったのは衆目の一致するところです。それをすべて賛美や美化に塗り変えるのは、もはや言論の死と言っても過言ではないでしょう。死人を鞭打つのかと言われるかもしれませんが、死してもなお毀誉褒貶に晒されるのが政治家でしょう。民主国家ならそうあるべきでしょう。

今回の事件を「民主主義に対する挑戦」「自由を封殺する行為」と非難し、社説で「言論は暴力に屈しない」と表明していながら、メディアはみずからで言論を封殺しているのでした。これでは、私たちは警察が描いたストーリーの方向に誘導されているのではないか、という不信感さえ抱いてしまいます。

山岡俊介氏のアクセスジャーナルに次のような記事が出ていました。

アクセスジャーナル
安倍氏に批判的なジャーナリストも洗う? 本紙・山岡の出入り先に警視庁捜査員

山岡氏が一時事務所として使っていた建物の管理人室に刑事が訪れ、そこの住所が印刷された昔の山岡氏の名刺を出して、「(山岡氏は)ここの部屋を使っているかと聞いて来た」そうです。

「今回の安倍氏銃殺を機に、警察庁(中村格長官)の方から安倍氏に批判的な者、それもジャーナリストを徹底的に洗えとの指示が出ている」そうなので、「“私文書偽造”など、何でもいから微罪でいちゃもんを付けようと動いている可能性もあるのではないか」と書いていましたが、私は記事を読んで、そうではなく、警察はまだ”政治テロ”の線を捨てていないのではないかと思いました。

山岡氏が別の動画で言っていましたが、山上徹也容疑者が右翼団体に出入りしていたという話もあるそうです。山上容疑者は前日は新幹線で岡山の遊説先まで行ったことがわかっています。韓鶴子氏の代わりにしては、かなり執拗に安倍元首相を付け狙っていたことがわかります。それに、前も書きましたが、当日の山上容疑者の行動には相当な覚悟すら感じます。あの用意周到さと冷静沈着さは、警察が発表する供述とどこかそぐわない気がしてならないのです。

もとより、韓鶴子氏の代わりなら他の教団幹部をターゲットにしてもおかしくないでしょう。日本支部の幹部でもいいはずです。集会で挨拶するビデオを見たからと言って、どうして安倍元首相だったのか、どうしてそこまで”飛躍”したのか、という疑問は残ります。

山岡氏は、下関市長選に絡んで(山口の)安倍元首相の自宅に火炎瓶が投げ込まれた放火未遂事件をスクープしていますし、最近も、13年間安倍元首相の私設秘書を務めた経歴を持ちながら、先の参院選に立憲民主党の山口選挙区から立候補して話題になった秋山賢治氏の自宅やその周辺に、糞尿がまかれる事件があったこともあきらかにしていました。

このように安倍元首相周辺ではきな臭い事件も起きていたので、警察はそういったことに関連して聞き込みをしていたのではないでしょうか。

旧統一教会との関係もそうですが、安倍元首相は、祖父や父親の代からの縁もあって、地元では在日朝鮮人実業家などと深い関係があるのはよく知られています。青木理氏の『安倍三代』(朝日新聞出版)にも書かれていますが、山口県下関市にある安倍元首相の自宅や事務所も、パチンコで財を成した地元の在日朝鮮人実業家から提供されたものなのです。その政治姿勢や言動を考えると信じられないかもしれませんが、地元の総連系の朝鮮人で安倍元首相の悪口を言う者はほとんどいないそうです。

旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)は、教祖の文鮮明氏亡きあと、未亡人の韓鶴子氏と子どもたちの間で後継者争いが起きて、韓鶴子氏と三男と四男・七男が対立し、四男・七男が「サンクチュアリ協会」を設立しました。日本にも支部がありますが、アメリカの「サンクチュアリ協会」は、トランプ派によるホワイトハウス占拠事件にも関わっているような過激な団体で、占拠事件の際、七男の文亨進氏も現場にいたそうです。

聖書のヨハネの黙示録に出て来る「鉄の杖」は銃を指していると解釈する「サンクチュアリ協会」は、半自動小銃を信奉しており、合同結婚式にも小銃を携行するように呼びかけているくらいです。

折しも設立者の文亨進氏が先月から来日しており、今も日本に滞在中で各地で集会を開いているそうです。

文亨進氏の来日については、下記に詳しく書かれています。

ディリー新潮
統一教会から分派「サンクチュアリ教会」指導者が来日 文鮮明7男は集会でアブナイ発言を連発

いわゆる「信仰二世」の山上容疑者は、幼い頃は母親に連れられて統一教会に通ったのは間違いないでしょう。そのあと脱会したのかどうか。また、統一教会の分裂の際、山上容疑者と教会はどういう関係だったのかなど、気になる点はいくつもあります。

警察も自分たちが描いたストーリーに沿った情報を小出しにしながら、それとは別に、事件の洗い直しを行っているのかもしれません。

尚、前の記事で、実兄が自殺して本人も海上自衛隊時代に自殺未遂したと書きましたが、「ディリー新潮」によれば、父親も自殺だったそうです。しかも、父親が亡くなったので母親が宗教にのめり込んだと言われていますが、そうではなく、母親が統一教会の前に別の宗教にのめり込んでいたのが原因で父親が自殺したと記事には書かれていました。父親が京大卒だったというのにも驚きました。山上容疑者が学業優秀だったというのもわかった気がしました。
2022.07.14 Thu l 社会・メディア l top ▲
私は山に着て行く服はパタゴニアが多く、特にこの季節はズボンもTシャツもパタゴニアです。雨具もパタゴニアです。ザックは、大小ともにパタゴニアのものを使っています。このようにいつの間にか”歩くパタゴニア”みたいになっているのでした。

パタゴニアの商品は少し値段が張りますが、パタゴニアを使っていると環境にやさしいことをしているみたいな気分になるので、”気分料”みたいなものだと割り切って買っています(ホントは大きなサイズが揃っているからですが)。山に登るなら環境のことを考えなければならない。そういった強迫観念みたいなものがありますが、そこをパタゴニアにうまく突かれているような気がしないでもありません。もっとも最近は、外国のアウトドアメーカーはどこもリサイクル素材を使ったりと、環境に配慮するのがトレンドになっています。

パタゴニアの製品自体は特に優れていると思ったことはありません。逆にちゃちなと思うことすらあります。

先の参院選に際して、パタゴニアの公式サイトに掲げられた次のような呼びかけも、他のメーカーのサイトではなかなかお目にかかれないものでしょう。

パタゴニア(Patagonia)
VOTE OUR PLANET

私たち人間は、健全な地球とそれを基盤とした社会がなければ生きられません。
近年顕著な気候危機とともに、私たちは人間、動物、生態系の健康がつながっていること、地球の生物多様性の破壊や生態系の損失は、経済にも大きな影響を与えることを知りました。

私たちには、自然に根差した解決策をもって、社会構造を大胆かつ公正に変化させようとするリーダーが必要です。

政治に関心がなくとも、関係なくはいられません。
私たちそれぞれにとって大切な何かとともに生きるために、行動しましょう。


そんな意識高い系から支持されているパタゴニアですが、一昨日の朝日に次のような記事が出ていました。

朝日新聞デジタル
「パタゴニア」パート社員ら労組結成 雇用「5年未満」見直し求める

それは、パタゴニアの店舗で働くパート社員や正社員ら4人が、「不更新条項」の撤廃を求めて労働組合を結成したという記事でした。2013年に改正された労働契約法では、非正規労働者が同じ会社で通算5年を超えて働いた場合、本人が希望すれば無期雇用に転換できるという「5年ルール」が設けられたのですが、それに対して「雇用期間を制限し、無期転換できないようにする『不更新条項』を設ける企業」もあり、パタゴニアも例外ではなかったのです。

アパレル業界では、ファストファッションの台頭によって、委託先の工場がある発展途上国では、低賃金・長時間労働・使い捨て雇用といった劣悪で過酷な労働環境が問題になっていますが、そんな中でパタゴニアはいち早くフェアトレードの方針を打ち出し、環境にやさしいだけでなく労働者にもやさしい会社のイメージを定着させたのでした。

ところが、足元の職場では法律のすき間を利用して労働者に不利な条項を設けるような、資本の論理をむき出しにした”普通の会社”であることが判明したのでした。

環境にやさしい、身体にやさしいというオーガニック信仰は、思想としてはきわめて脆弱で、手軽でハードルも低く、そのため、意識が高いことをアピールする芸能人などの間では、一種のファッションとして流通している面もあります。

しかも、ヨーロッパでは既に「エコファシズム」という言葉も生まれているように、そういった純潔なものを一途に求める思考は、ややもすればナチスばりの純血主義のような思考に行き着いてしまう危険性もあるのです。

古谷経衡氏は、Yahoo!ニュース(個人)で、今回の参院選の比例区で176万3429票を集めて1議席を獲得し、選挙区・比例区ともに得票率2%をクリアして政党要件を満たした参政党をルポしていましたが、その中で、参政党の躍進が意識高い系の人たちのオーガニック信仰に支えられていることを指摘していました。

Yahoo!ニュース個人
参政党とは何か?「オーガニック信仰」が生んだ異形の右派政党

参政党は、1.子どもの教育、2.食と健康・環境保全、3.国のまもりを三つの重点政策として掲げていますが、特に2と3が両翼の政党だと言われています。3を具体的に言えば、「天皇を中心とした国家」「外国資本による企業買収や土地買収が困難になる法律の制定」「外国人労働者の増加を抑制し、外国人参政権を認めない」というような多分に右派的な主張です。

しかし、古谷氏は、どちらかと言えば2が「主」で3は「従」みたいな関係にあると言っていました。

古谷氏は同党の街頭演説などに出向いて、数多くの「定点観測」をしたそうですが、その中で、中心メンバーのひとりである歯科医師の吉野敏明氏の次のような演説に、参政党が意識高い系の人たちに支持される秘密が隠されていると書いていました。

…悪性リンパ腫に限らずですよ、白血病とかでも限らず、普通のがん、骨肉腫もそうです。まず(甘いものを)やめなきゃいけない。

結局は甘いものは何もかもダメなんです。人工甘味料でもダメなんです。蜂蜜もだめなんです。(中略)これらのものに加えてもっと強い発がん物質である食品添加物。


セブンイレブンの何とかハンバーグって、和風ハンバーグとかってなるでしょ。(中略)ところが100g98円とかで売ってるわけ。ありえないでしょ。どうやったら安くなるんですか。

 それは、クズ肉を使うしかない。本来だったら廃棄処分にする。例えば死んだ豚とか。ね。あるいはそもそも全部内蔵取っちゃったあとの余ってる部分の、豚の顔とか牛の顔とか、或いは糞便が詰まってる普通使わない大腸とか。こういうとこを使うわけですよ。そういうのを使うと凄いにおいがします。食品添加物が臭いを消すんです。においを消したらハンバーグっぽい味にしなきゃならないから、合いびき肉だから、豚のエキスとか牛のエキスとか、食品添加物だからそれっぽい味を出すわけです。


一番いけないのはコンビニの弁当とかを、電子レンジでチーンってやって、みそ汁代わりにカップヌードルを飲んでるとかなんだか、中にコーディングしてるわけでしょ、毒の水をわざわざ毒性を強くして、電子レンジで化学反応を起こして食べてる。ていう人たちががんになってるの。もう全員って言っていい、もう。


もちろん、古谷氏も書いているように、どれも科学的根拠があるわけではなく、陰謀論というか都市伝説みたいなものです。それは、「日本版Qアノン」と言われた新型コロナウイルスについての主張も同様です。

しかも、国立ガンセンターなど専門機関が(すべて原因がわかっているのに)公表しないのは、日米合同委員会や国際金融資本による圧力や情報操作があるからだと主張するのでした。

古谷氏は、演説の中で唐突に日米合同委員会や国際金融資本の話が出て来ることについて、次のように書いていました。

(略)だがこれは何ら不自然ではない。

「混じりけのない純粋なる何か」をそのまま延長していくと、「日本は純血の日本民族だけが独占する、混じりけのない国民国家であるべきだ」という結論に行きつくのは当然の帰結だからだ。


このようにオーガニック信仰が持っている純潔主義が、(民族の)純血主義、そして国家主義へと架橋されるメカニズムを指摘しているのでした。

(略)熱心な参政党支持者の人々は、驚くほど政治的に無色であり、むしろ参政党支持以前には政治自体に関心がほとんどないような、政治的免疫が全く無いような人々が多い。でいて自然食品や有機野菜などを好んで摂取する、消費者意識の高い比較的富裕な中高年や、自分の子供に食の安全を提供しよう思っている女性層が、あまりにも、驚くほど多い。

 それまでヨガ教室に熱心に通い、自然食品を愛好し、個人経営の自然派喫茶店が行きつけである、とフェイスブックに書いていた人が、ある日突然、参政党のYouTubeに感化されシェア・投稿しだす。それまでインド等の南アジアを放浪し、自然の偉大さや神秘に触れる感動的な旅行記を寄稿していた人が、ある日突然、参政党のYouTubeに感化され…。このような事例は観測するだけで山のようにあるし、私の周辺にも極めて多い。


従来、「環境・エコロジー」は左派リベラルの専売特許でした。反戦や人権や多元主義とセットで論じられることが多かったのです。ただ一方で、『古事記』でも「倭は 国のまほろば たたなづく青垣 山籠れる 倭し麗し」と謳われているように、「環境・エコロジー」はもともと右派のテーマではないのかという声があったこともたしかです。参政党は、荒唐無稽でカルトな面はあるものの、初めてそれを前面に出して、有権者に認知された右派政党と言えなくもないのです。

私は、日本のトロッキズム運動の先駆者だった太田竜が、アイヌ解放論者から自然回帰を唱えるエコロジー主義者になり、さらにユダヤ陰謀論者から最後はウルトラ右翼の国粋主義者へと、めまぐるしく転向(?)していった話を思い出しましたが、今にして思えば彼の”超変身”も支離滅裂なことではなかったと言えるのかもしれません。

辺野古の基地建設反対運動をしていた女性に久し振りに会ったら、参政党の支持者になっていたのでびっくりしたという話がネットに出ていましたが、あり得ない話ではないように思います。

これは蛇足ですが、私たちは、政治のような”大状況”より日々の生活の”小状況”の方が大事です。それは当たり前すぎるくらい当たり前のことです。多くの人たちは、”大状況”なんてあまり関心もないでしょう。でも、カルトやそれと結びついた政治は、私たちの”小状況”の中に巧妙に入り込んできて、無知なのをいいことに彼らの”大状況”に誘導し引き込んでしまうのです。
2022.07.13 Wed l 社会・メディア l top ▲