ドキュメンタリー作家の森達也氏が、次のようなツイートを行っていました。


また、故文鮮明教祖の没後10年を記念して、12日からソウルで開かれている旧統一教会の関連団体の「天宙平和連合」が主催するイベントでは、開会式につづいて安倍晋三元首相を追悼する催しも行われ、スクリーンに大きく映し出された安倍元首相の写真に向かって、「世界各国から招かれた関連団体などの参加者が献花した」(スポニチ)そうです。

入閣した政治家たちが「旧統一教会とは知らなかった」「軽率だった」「今後いっさい関係を絶つ」などと弁明している中で、それはまるで彼らに無言の圧力をかけている光景のように見えなくもありません。

この追悼について、安倍元首相は旧統一教会に利用されただけだ、というような意見が一部にありますが、それは問題を矮小化する近視眼的な見方と言わねばならないでしょう。旧統一教会と岸信介の切っても切れない関係を見てもわかるように、安倍元首相は旧統一教会の問題における一丁目一番地と言ってもいいような存在です。自民党の中でも、旧統一協会と関係のある議員が清和会(安倍派)に多いのも、故なきことではないのです。安倍元首相は、文字通り問題の根幹にいる人物なのです。

岸田首相は、組閣後の記者会見で、「組閣にあたり、それぞれが当該団体との関係を点検し、厳正に見直すことを厳命して、それを了解した者のみを任命した」と言ったのですが、いざ蓋を開けて見ると次々と関係があきらかになり、どこかのメディアが言うようにもはや「底なしの様相」を呈しているのでした。

旧統一教会との関係について、自民党は党として調査を行っていませんし、行う予定もないと明言しています。あくまで自己申告に任せているのです。それは、調査したら組閣もできないどころか、党として収拾がつかなくなるからだと言われています。それくらい旧統一教会は政権与党に深く食い込んでいたのです。

ホリエモンや古市憲寿や太田光などが、エスカレートする旧統一教会の報道にあえて水を差すようなことを言うのも、そういった事態を察知しているからかもしれません。彼らは、今の旧統一教会に関する報道は山上容疑者の「思うつぼ」だと言うのですが、「思うつぼ」も何も山上容疑者の行為がなければ、このように旧統一教会の問題が取り上げられることがなかったのです。”信仰二世(宗教二世)”の問題も然りです。それを「思うつぼ」と言うのは、悪質な論理のすりかえと言うべきでしょう。

同じ森達也氏は、1970年に日本武道館で開催された国際勝共連合主催の「WACL世界大会」で、「右翼の巨頭」の笹川良一が、「私は文鮮明の犬だ」と発言したことを取り上げていました。これなども「愛国」と「売国」が逆さまになった”戦後の背理”を象徴するシーンと言えるでしょう。まさにそこに映し出されているのは、戦後の日本を覆っていた”「愛国」という病理”です。

政界にも大きな影響力を持っていた「右翼の巨頭」が、日本のことを「アダムの国」の韓国に奉仕する「エバ国家」と呼び、日本人はサタンだと言って憚らなかった人物を、ご主人様だと言わんばかりに媚びへつらい崇める。これが日本の「愛国」の姿なのです。

ちなみに、「私は文鮮明の犬だ」と発言した「右翼の巨頭」が、競艇のテラ銭で作ったのが日本財団です。日本財団の研究者がテレビに出て国際情勢などを解説していますが、日本財団が設立者の右翼思想を組織として検証したという話は寡聞にして知りません。今も日本財団はウクライナ支援などを行って「平和」をアピールしていますが、彼らが掲げる「平和」と、国際勝共連合が唱える「平和」はどう違うのか、問いたい気がします。

旧統一教会が韓国で設立されたのが1954年で、日本に進出したのが1958年です。そして1964年に東京都から宗教法人の認証を得ています。その日本進出に大きく関わったのが岸信介で、以来、安倍晋太郎、安倍晋三と三代に渡って親しい関係を続けてきたことは、先日の旧統一教会の記者会見でも会長みずからがあきらかにしていました。

旧統一教会の日本支部から韓国に送金された金額については、(前も書きましたが)2011年の「週刊文春」に、「4900億円の送金リストを入手した」と書かれていました。また、それとは別に、「ニューヨーク・タイムズ」は、7月23日、1976年から2010年までに日本の支部からアメリカの支部に36億ドル(4700億円)が送金され、それがアメリカでの事業の資金になった、という記事を書いていました。これだけでもとてつもない金額ですが、もちろん、これは一部の期間に送金された金額にすぎません。一体、彼らは「エバ国家」の日本からどれだけのお金を巻き上げたのか。それは文字通り想像を絶するような金額だったのでしょう。

そんな美味しい「エバ国家」への進出に手を貸してくれた恩人の三代目を、旧統一教会があのように大々的に追悼するのは当然と言えば当然でしょう。旧統一教会にとって、岸・安倍一族の恩義は計り知れないほど大きいのです。

それを自分たちを大きく見せるために「利用している」などというのは、まことのお母様に失礼でしょう。岸・安倍家があってこそ、今の旧統一協会(世界平和統一家庭連合)があると言っても過言ではないのです。まるで「国葬」の予行練習のように厳かに営まれた追悼の催しは、旧統一協会の安倍元首相に対する報恩にほかならないのです。

旧統一教会との関係を調べると組閣さえできないというのは、まさに「日本終わった」としか思えませんが、今、必要なのは、ホリエモンや古市憲寿や太田光のように目をそらして臭いものに蓋をするのではなく、たとえ国の土台がぐらつくようなことがあっても徹底的に膿を出し切る、その覚悟を持つことでしょう。NHK党の立花党首は、自身が幸福の科学の信者であることを認めているそうですが、それは政権与党にとどまらず、ガーシー当選などにも通じる問題でもあるのです。

何度もくり返しますが、旧統一教会の問題が示したのは、日本の「保守」と言われる政治(思想)がまったくの虚妄だったということです。「保守」政治家たちは、日本が「美しい国」だとか「とてつもない国」だとか誰もオリジナルに思ってなかったということです。私たちの前にあるのは、そんな卒倒するような「日本終わった」現実なのです。安倍と「保守」という拠り所をいっぺんに失った高市早苗や杉田水脈が、ハシリドコロを食べた猿のように、意味不明なことを口走り踊り始めたのもわからないでもないのです。


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2022.08.15 Mon l 社会・メディア l top ▲
「見てみろ、凄いじゃないか。とうとう内閣の改造まで行ったぞ」と私は彼に言いたくなりました。

鉄パイプに黒のビニールテープを巻いただけの粗末な手製の銃から発射された2発の銃弾が、ここまで世の中を変えたのです。1発目を撃ったとき、まわりにいた人たちは、銃声だと思わなかったそうです。自転車か何かのタイヤがパンクした音のように聞こえたと。そんな粗末な手製の銃が、これほどのインパクトをもたらすとは誰が想像したでしょう。

まるでみずからの不手際を弁解するかのように、事件直後から垂れ流される容疑者の供述。それもまた、今までの事件では見られない異例のものだと言われます。事件直後には、「安倍元首相に対して不満があり、殺そうと思って狙った」という供述がありましたが、すぐに「元首相の政治信条への恨みではない」と「訂正」するような供述に代わっています。またそのあとも、「特定の団体に恨みがあり、安倍元首相が団体と繋がりがあると思い込んで犯行に及んだ」というような供述も発表されたのでした。

専門家の中には、犯行直後にそんな供述をするのは不自然だという声があるそうです。容疑者は、逮捕直後の混乱(興奮状態)の中で、「思い込んだ」と自分の犯行を後悔(否定)するようなことを口にしているのです。時間が経ってから後悔の念に苛まれてそう言うのならわかりますが、犯行直後なのです。

警察がメディアに発表した供述内容が、公判の際、調書に出てないことも多いのだとか。それはあくまで警察が発表した一方的な供述にすぎず、正式な供述ではないのです。

さらには、容疑者を精神鑑定するために鑑定留置することが認められたと発表されたのでした。それも4ヶ月にもわたる長期です。「動機に論理の飛躍が見られる」というのがその理由ですが、たしかに奈良県警が発表した供述に従えば、単なる「思い込み」であれだけの犯行に及んだのですから、「論理に飛躍が見られる」ことになるでしょう。

犯行からひと月が経ちましたが、あらためて暴力が持つインパクトの大きさを痛感させられるばかりです。容疑者は、決行するにあたって、「政治的意味を考える余裕はない」と言ったのですが、時間の経過とともに容疑者の行為はとてつもなく大きな「政治的意味」を持つに至ったのでした。

犯行の翌々日が参院選の投票日でしたが、選挙の結果がどうであれ山上容疑者の銃撃がなければ、これほど日本の政治が旧統一教会に浸食されていたことが白日のもとに晒されることはなかったでしょう。与党の議席がどうの野党の議席がどうのといういつもの報道がくり返されるだけで、胸にブルーリボンのバッチを付けた「愛国」政治家たちと韓国のカルト宗教の蜜月は、何事もなかったかのようにこれからも続いていたでしょう。

前も書きましたが、自民党の改憲案と旧統一教会の政治団体である国際勝共連合の改憲案が酷似しているというのはよく知られた話ですが、「愛国」政治家たちがジェンダーフリーやLGBTや同性婚や夫婦別性に反対して「日本の伝統的な家庭を守る」と主張しているのも、旧統一教会からの受け売りであったことが徐々にあきらかになっています。

今年の6月に開かれた神道政治連盟国会議員懇談会の席で、同性愛は「回復治療の効果が期待できる」「依存症」や「精神障害」であり、「LGBTの自殺率が高いのは社会的な差別が原因ではない」というような内容のパンフレットが配布されたとして問題になりましたが、神道系の議員たちが前はほとんど関心がなかった”性の多様性”の問題に急に関心を持ちはじめ、強硬な反対論を展開するようになったのも、旧統一教会の働きかけがあったからだと言われているのでした。

それどころか、彼ら神道系議員の母体である神社本庁が、日本人をサタンと呼ぶキリスト教系の旧統一教会の影響下に置かれているという、信じられない話まで飛び出しているのでした。神道の信者は数の上では莫大ですが、葬儀や結婚式を神道式で行なう人が稀であるように、実際に信仰している人は少なく、しかも、御多分に漏れず信者の高齢化が進んでいるそうです。そんな中、旧統一教会がNPO法人のような団体名で近づき、若い隠れ信者たちが神社本庁の活動を手足となって手伝い、中には本部の職員に採用された信者もいたそうです。そうやって神社本庁に浸透していったのです。それは、国会議員の選挙運動を手伝って、その議員を取り込み思想的影響下に置くのとまったく同じです。また、神社本庁は内紛によって分裂状態にあるのですが、それも旧統一協会が裏で糸を引いていたのではないかという見方さえあるのでした。

何度もくり返さなければなりませんが、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)は、サタンの日本人は「アダムの国」の韓国に奉仕しなければならないと主張する韓国のカルト宗教なのです。

そんなカルト宗教に日本の「愛国」や「伝統」が簒奪されコントロールされていたのです。岸田首相は昨日の記者会見で否定していましたが、自民党の改憲案や神道政治連盟のパンフレットに見られるように、政権与党の政策が影響を受けていたのではないかという疑惑は拭えません。

神道政治連盟のサイトのトップページには、「日本に誇りと自信を取り戻すため、さまざまな問題に取り組んでいます」と麗々しく謳っていますが、そんな議員たちがよりによって、日本人をサタンと呼ぶ韓国のカルト宗教と密通していたのです。こんなふざけた話があるでしょうか。

国民に「愛国」を説き、国民向けには”嫌韓”を装いながら裏では韓国のカルト宗教にへいつくばりおべんちゃらを言っていたのです。こんな「愛国」者がいるでしょうか。

日本は美しい国、日本人の誇りを取り戻そうと言っていた政治家が、よりによって日本を「エバ国家」と呼ぶ韓国のカルト宗教と三代前から親しい関係を結び、選挙の際は票の配分を依頼するなど、みずから日本の政治のど真ん中にカルトを招き入れていたのです。

2発の銃弾が暴き出したのは、この国の「保守」と呼ばれる政治がまったくの虚妄だったという事実です。「保守」なるものが、「愛国」と「売国」が逆さまになった”戦後の背理”の産物にすぎなかったことがあらためて明らかになったのです。「愛国」や「保守」や「反日」や「売国」という言葉はことごとく失効したのです。

江藤淳は、占領軍の検閲によって、戦後の言語空間は閉ざされたものになったと言ったのですが、そもそも言語空間もくそもなかったのです。保守主義者の江藤淳が見ていたのは虚構だったのです。

今、私たちの前にあるのは、戦後の「保守」政治が見るも無残に破綻した光景です。それを未だに空疎な言葉を使って糊塗しようとするのは、あまりに往生際が悪くみっともない所業としか言いようがありません。ホントに「反日」なのは誰だったか、もう一度自問した方がいいでしょう。国葬なんかやっている場合じゃないのです。

それは、橋下徹や三浦瑠麗や東浩紀らテレビの御用知識人たちの言語も同様です。今回の事件では、彼らの言語の薄っぺらさが晒されるという副産物も生んだのでした。テレビを観ていて呆れた人も多いはずです。

目の前に突きつけられた事態があまりに衝撃的で想像を越えていたためか、彼らは、みずからの常套句で説明することができずトンチンカンを演じてしまった感じでした。わからないことはわからないと正直に言えばよかったのです。彼らが駆使する言語も、現実をかすりもしない単なる口先三寸主義の屁理屈にすぎないことが明らかになったのでした。

このように、一夜にして世の中の空気が一変したのです。旧統一協会に再び世間の厳しい目が向けられるようになりました。また、今まで視野に入ってなかった信仰二世の問題にも、目が向けられつつあります。

自転車のタイヤがパンクしたと間違われるような粗末な手製の銃から発せられた2発の銃弾が、ことの善悪を越えて、、、、、、、、、「凄いじゃないか。やったじゃないか」と言いたくなるような光景を引き出したのです。それは驚き以外のなにものでもありません。
2022.08.11 Thu l 社会・メディア l top ▲
また、『紙の爆弾』の記事の話になりますが、今月号(9月号)の中川淳一郎氏のコラム「格差を読む」に、思わず膝を打つような記事が載っていました。

ホントは全文を紹介したいくらいですが、もちろん、それは叶わぬことなので、もし興味があれば、『紙の爆弾』9月号(鹿砦社)をお買い求めください(いつもお世話になっているので宣伝します)。

タイトルは『「34位」の日本人が生きる道』。記事は次のような文章で始まっています。

  スイスのビジネススクール・国際経営開発研究所(IMD)が「世界競争力ランキング2022」を発表した。日本の競争力は二〇二一年の三一位から三四位に低下。これは六三ヵ国を対象に二〇項目・三三三の基準で競争力を数値化したもので、調査開始の一九八九年から九二年まで日本は四年連続一位。その後も二位、三位、四位、四位と上位の常連だった。九七年に一七位に急落し、二十番台が続いたが、ついに三四位まで落ちた。マレーシア(三二位)やタイ(三三位)の下である。
  もはや日本は東アジアの没落国といってもいいかもしれない。上位常連のころは、自動車・家電・金融・不動産が活況だったものの、ネット時代以降は社会の変化についていけなくなったようだ。また、かつて世界に五〇%はあった半導体のシェアが 一〇%を切るなど、目も当てられない状態になっている。
(『紙の爆弾』2020年9月号・「格差を読む」”「34位」の日本人が生きる道”)
※以下、引用は同じ。


私がこのブログでしつこいように書いている「ニッポン凄い!」の自演乙も、ここまで来るともはやギャグのように思えてきます。

だったら、日本にとって強みは何があるのか?、と中川氏は考えるのでした。

  (略)日本にとっての強みというのは、「物価が安くて食・サービスの質が高く、インフラが整い、歴史もあり、豊かな自然もあり、観光に適した国」というものしかなくなってしまう。あとは魚介類や野菜をはじめとしたグルメ方面か。


  自動車も家電もネットサービスも、今後日本が世界で存在感を示すことは難しいだろう。これから考え得る日本の進む道は「観光立国」しかない。となれば、国民の働き先は飲食店やホテルの掃除、コンビニ店員といったところになるだろう。現在、日本の都市部に住む東南アジア系の人々が担っている仕事を日本人がやるということだ。


私は、ほかに風俗と児童ポルノがあるのではないか、と思いました。コロナ前までは、中国人や韓国人の買春ツアーは活況を呈していました。風俗に詳しい人間の話では、外国人専用の派遣ヘルスも多くあったそうです。ガーシーではないですが、外国人相手に大和撫子をアテンドするプロのブローカーも「掃いて棄てるほど」いたそうです。

中川氏は、続けてこう書いていました。

国の物価を示す「ビッグマック指数」においても、もはや日本はタイよりも下である。この三十年間、給料が上がらない稀有な国こそ日本なのだ。


前も書きましたが、日本は「安くておいしい国」なのです。買春する料金も、外国人から見たら格安で「良心的」です。給料が上がらない分、風俗の料金も30年前から上がってないそうです。

「Youは何しに日本へ?」でインタビューされている外国人たちのかなりの部分は、ホントは日本に買春に来ているのです。秋葉原に行きたいというのも、ホントは児童ポルノが目当てなのです。昔のJ-POPのレコードを探しに来たとか、地方のお祭りに参加するために来たというのは、奇人変人の部類に属するような稀な例です。

以前、このブログで、若者の間で海外旅行離れが進んでいるという話題を取り上げたことがありますが、今調べてみたら2008年4月の記事でした。既にその頃から没落が顕著になり、私たちも身に沁みてそれを実感するようになっていたのでしょう。

私たちのまわりを見るとわかりますが、格差と言っても、親がどれだけ資産を持っているか、親からどれだけ遺産を受け継いだかによっても違います。起業しても同じです。手持ちの資金にどれだけ余裕があるかによって、どれだけチャンスをものにできるか、どれだけ持ちこたえることができるかが決まるのです。

とは言え、日本にはまだ個人の金融資産が2000兆円弱もあるそうです。それを食いつぶす間は”豊かな幻想”を持つことができるでしょう。一方、金融資産の恩恵に浴することができない人たちの多くは、既にこの社会の中で落ちぶれてアンダークラスを形成しているのです。

安倍元首相を狙撃した山上徹也容疑者の父親は、京大卒で大手建設会社に勤務していたそうです。母親も大阪市立大(現・大阪公立大)卒の栄養士だったとか。旧統一教会に寄付した総額は1億円だったそうですから、遺産も含めて、山上家には1億円の資産があったことになります。もし、母親が旧統一教会に入ってなければ、容疑者が言うように、その資産を使って大学にも行けたでしょうし、今もそれなりの生活を送ることができたでしょう。

今の「それなりに豊かに見える」生活も、単に親から受け継いだ資産が投映されたものにすぎない、と言ったら言いすぎかもしれませんが、没落していく国では、とりわけ親の資産や遺産の多寡によって子の人生が決まる無慈悲な現実があるのも事実です。そもそもスタートが平等ではないのですから、個人の努力の範囲は最初から限られているのです。

私たちの世代は、進学資金や結婚資金やマイホームの頭金などを親から出して貰うのが当たり前でした。じゃあ、私たちは、自分たちの子どもに同じことができるかと言えば、もうそんな余裕はありません。せいぜいが奨学金の保証人になるくらいです。

私は九州の高校を出たのですが、私たちの頃は東京の大学に進学した同級生が100人近くいました。今でも都内で開催される同級会には常時20~30人は集まるそうです。しかし、現在、母校から東京の大学に進学する生徒は数人程度です。それも私たちのような凡人ではなく、超優秀な生徒だけです。

私たちの頃と違って、圧倒的に地元志向、しかも公立志向なのです。つまり、それだけ親に経済的な余裕がなくなっているのです。同級生と話をすると、みんな口をそろえて「あの頃、親はよく仕送りしてくれたな」「考えられないよ」「よくそんなお金があったと思うよ」と言いますが、それが私たちの世代の実感です。

このように、私たちは子どもに残す遺産がないのです。身も蓋もないことを言えば、それだけ貧しくなっているということです。”負の世代連鎖”に入っていると言ってもオーバーではないでしょう。

ネットニュースの編集者でもあった中川淳一郎氏は、こうも書いていました。

  おそらく日本で給料が大幅に上がることは難しい。それは、ひとえに、情報の伝播のしやすさの問題だ。英語のサイトが世界中からアクセスを集められるのと比べて、日本語の情報は、ネット上の存在感が極端に低いのである。


とどのつまり、益々没落していくしかないということでしょう。

デジタル革命に乗り遅れたと言えばその通りなのですが、日本語の問題も含めて、そこには日本の社会そのものに起因する致命的な問題があるような気がしてなりません。

日本の企業は、いつまで経っても日本流の生産方式や品質管理が一番いいという「神話」から脱皮できず、そのために世界から取り残されてしまったという話を前にしたことがありますが、ネットの時代になって日本は逆に「愛国」という病理に、そして「ニッポン凄い!」という自演乙に自閉していったのでした。つまり、「パラダイス鎖国」の幻想に憑りつかれ、内向きになっていったのです。そうやっていっそう没落を加速させたのです。

海外に出稼ぎに行くにしても、「壊滅的に英語ができない国民」である日本人には、言語の壁が立ちはだかって難しいと皮肉を書いていましたが、それも笑い話で済まされるような話ではないでしょう。「同じ東アジアのタイやベトナム、カンボジアの方が日本より英語が通じる」現実を前にしてもなお、「ニッポン凄い!」と自演乙しつづけるのは、何だか哀愁を漂わせるピエロのギャクのようにしか見えません。


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2022.08.10 Wed l 社会・メディア l top ▲
ナンシー・ペロシ下院議長の台湾訪問は、当初、中間選挙で民主党の敗色が濃厚と言われている中での季節外れの“卒業旅行”みたいなものだとヤユする向きもありました。ところが、蓋を開けてみるとそんな呑気な話ではなく、82歳の老婆による、とんでもない”戦争挑発旅行”だったということがわかったのでした。

「これでウクライナが東アジアに飛び火した」と論評した専門家がいましたが、まさにそれこそがナンシー・ペロシの「電撃的な台湾訪問」に隠されたバイデン政権の狙いだったように思います。

アメリカ空軍の軍用機(要人輸送機C-40C)を使った今回の訪問が、露骨に中国を挑発するものであることは誰が見てもあきらかでしょう。でも、対米従属の日本では、「挑発」という言葉はまるで禁句であるかのようです。メディアにもその言葉は一切出て来ないのでした。

ナンシー・ペロシの行動をバイデン大統領が止めることができなかった。個人的な旅行なのに、中国が「メンツを潰された」と過剰に反応して、台湾や日本に軍事的な圧力をかけている。このまま行けば中国が戦争を仕掛けて来るかもしれない、というような報道ばかりです。

今回の挑発行動には、米中対立によって、半導体の一大供給地である台湾の戦略的な重要性が益々増しているという、近々の状況が背景にあることは間違いないでしょう。石油や天然ガスのような天然資源ではなく、今の時代ではデジタル技術も大事な資源なのです。そういった新たな資源争奪戦という帝国主義戦争の側面は否定できないように思います。

しかし、それだけではなく、アメリカ経済が陥っている苦境とも無縁ではないような気がします。FRBは、6月に28年ぶりの大幅利上げを行なったのですが、翌月にも同様の利上げを再度行なって世界を仰天させたのでした。このように、現在、アメリカは「経済危機」と言ってもいいような未曽有のインフレに見舞われているのです。そのため、アメリカは、起死回生のために新たな戦争を欲しているのではないか。台湾有事という”危機”を現前化することで、今やコングロマリットと化した軍需産業を起爆剤に、低迷するアメリカ経済を好転させる魂胆があるのではないか、と思いました。もとより、蕩尽の究極の場である戦争ほど、美味しいビジネスはないのです。1機100億円以上もする戦闘機がどんどん撃ち落とされるのを見て、歓喜の声を上げない資本家はいないでしょう。

アメリカは戦後、朝鮮戦争からシリア内戦までずっと他国の戦争に介入してきました。そうやって超大国の座を維持してきたのです。ただ、ウクライナ戦争を見てもわかる通り、既に直接介入する力はなくなっています。しかしそれでも、他国の人々の生き血を吸って虚妄の繁栄を謳歌する”戦争国家”であることには変わりがありません。

もちろん、どうして今なのか?を考えたとき、中間選挙をまじかに控えた民主党の党内事情も無視できないように思います。苦戦が伝えられる中間選挙で逆転するためには、”強いアメリカ”を演出しなければなりません。しかし、ロシアは役不足です。案の定、ウクライナ戦争はインパクトに欠け、国民も冷めています。やはり、中国を民主主義と権威主義の戦いに引き摺り込むしかない。バイデンらはそう考えたのかもしれません。

でも、バイデンは79歳、ナンシー・ペロシは82歳です。私たちは、ガーシー当選に勝るとも劣らない悪夢を見ているような気持になってしまいます。

ナンシー・ペロシの台湾訪問のひと月前に発売された『紙の爆弾』(7月号)で、天木直人氏(元駐レバノン大使)と対談した木村三浩氏(一水会代表)は、今回の挑発行為を予見していたかのように、次のように発言していました。

木村   (略)米国が次に狙うのが中国で、だからこそ台湾有事の勃発が危惧されている。しかし、日本にはその視点がない。独裁者のプーチンが暴走した。香港・ウイグル・チベットなどで人々を弾圧している習近平も暴走するに違いない、と事態が極度に単純化されている。この論調に政治が乗っかり、日米同盟を強化すべきだ、NATOに入るべきだといったことまで公言されています。防衛費増強にしても、米国からさらに武器を買って貢ぐことにすぎません。
(「台湾有事」の米国戦略と「沖縄」の可能性)


一方、天木氏は、台湾有事に備えるには、沖縄の平和勢力が「反戦平和」を唯一の公約にする、つまり、その一点で結集できる「沖縄党」をつくって国政に参加するべきだと言っていました。

唯一の地上戦を経験しながら、戦後も基地の負担を強いられてきた沖縄には、本土のように対米従属に対する幻想はありません。だから、ネトウヨには、沖縄は「左傾」した「中共のスパイ」のように見えるのでしょう。天木氏の提案は、そんな対米従属の幻想から「覚醒」した沖縄が、日本の対米従属からの脱却を促し、日本を「覚醒」させることができるという、沖縄問題を論じる中でよく聞く”沖縄覚醒論”の延長上にあるものと言えます。

何度もくり返しますが、日本という国は、国民に「愛国」を説きながら、その裏では、サタンの日本人は「アダムの国」の韓国に奉仕しなければならないと主張する韓国のカルト宗教と密通していたような、ふざけた「愛国」者しかいない国なのです。それは政治家だけではありません。”極右の女神”に代表されるような右派のオピニオンリーダーたちも同じです。嫌韓で自分を偽装しながら、陰では韓国のカルト宗教から支援を受け、教団をヨイショしていたのです。また、旧統一教会の魔の手は、「愛国」の精神的支柱とも言うべき神社本庁にまで延びているという話さえあります。

自民党の改憲案と旧統一教会の政治団体である国際勝共連合の改憲案が酷似しているというのはよく知られた話ですが、胸にブルーリボンのバッチを付けた「愛国」者たちが、ジェンダーフリーやLGBTや同性婚や夫婦別性に反対するのも、教団からの受け売り(働きかけによるもの)だったのではないかと言われています。それどころか、女系天皇反対もそうだったのではないかという指摘もあるくらいです。

そんなふざけた「愛国」者が煽る戦争に乗せられないためにも、「沖縄の覚醒」を対置するという考えはたしかに傾聴に値するものがあるように思います。しかし、同時に、もう沖縄に頼るしかないのか、また沖縄を利用するのか、という気持も拭えないのでした。

天木   米国はいまでも「一つの中国」について変わらないと繰り返す一方で、あいまい戦略を、どんどんあいまいではないようにしています。台湾への軍事支援を公然と行ない、独立をそそのかしている。五月に来日したバイデンは岸田首相との会談で「武器行使」を肯定する発言をしました。(略)そんな発言をすること自体、バイデンは米中関係を損ねているのです。


天木   この現実を変えるには、沖縄に期待するしかないと思うに至りました。(略)このままいけば再び沖縄は捨て石にされる。今度は中国と戦うことを迫られる。これだけは何があっても避けたいはずです。沖縄の人たちは、「ぬちどぅたから(命こそ宝)や万国津梁ばんこくしんりょう」という言葉を琉球王国時代からの沖縄人の魂だと言います。ならば、それを唯一の公約とした「沖縄党」をつくって国政に参加してほしい。


天木   (略)本当に有事になったときは、日本人は皆”反戦”に傾くはずです。そのときに民意を集約できるのは、既存の左翼勢力ではなく「沖縄党」だと、私は思っているのです。


天木氏の発言に対して、木村氏も次のように言っていました。

木村   (略)このまま台湾有事に向えば、今のロシアと同じように、冷静な意見も「お前は親中か!」と排斥が始まるでしょう。それでも沖縄が「二度と戦争の犠牲にならない」と言えば、誰も反論はできない。


ただ、中には、台湾有事になれば自衛隊が戦うだけ、沖縄が犠牲になるのは地政学上仕方ない、自分たちが安全圏にいられるならいくらでも防衛費を増強すればいい、と考えているような日本人も少なからずいます。彼らもまた、”対米従属「愛国」主義”に呪縛され、戦争のリアルから目を背けているという点では、ふざけた「愛国」者と五十歩百歩と言うべきなのです。


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『琉球独立宣言』
2022.08.08 Mon l 社会・メディア l top ▲
先週、笹尾根に登った帰り、バスに乗っていると、檜原街道沿いの民家の軒先に「産廃施設建設反対」の幟が立っているのが目に入りました。それも幟はいたるところに立っているのでした。

それで帰ってネットで調べると、檜原村の人里(へんぼり)地区に産業廃棄物処理施設の建設計画が持ち上がっていることを知りました。人里も何度も行ったことのある、おなじみの集落だったのでびっくりしました。

計画については、下記のYouTubeで経緯等詳細を知ることができます。

YouTube
SAVE HINOHARA 東京の水源地「檜原村」を大規模産廃焼却場から守れ!〜「顔の見えすぎる民主主義」から日本の未来を考える〜

建設を計画している会社は、既に地元の武蔵村山市で産廃処理施設を運営しているのですが、その処理能力は1日4.8トンだそうです。しかし、檜原村の人里に建設を計画している施設は1日96トンの処理能力なのだとか。武蔵村山の施設が老朽化したからというのが新施設計画の理由のようですが、何と前より20倍の処理能力を持つ施設を造ろうというのです。

今年の3月1日に、廃棄物処理法に基づいて「廃棄物処理施設設置許可」の申請が東京都に提出され受理されています。建設される場所は檜原村なのですが、申請の窓口は東京都で、諸々の手続きを経て最終的に許可するかどうかを決定するのも東京都知事なのです。

申請後、1ヶ月の申請書の告示期間や関係市町村長(この場合は檜原村の村長)の意見聴取や利害関係者の意見書提出の手続きは既に終えており、専門家からの意見聴取(専門家会議)が先週の27日からはじまっています。専門家会議が終われば、あとは欠格事由に該当してないかどうかの審査と許可するかどうかの都知事の最終判断が残っているだけです。

朝日新聞デジタル
「具体性欠く」業者へ指摘続々 檜原村の産廃施設計画で専門家会議

行政手続法と都条例により、申請から180日以内に結論を出すという決まりがあるそうで、今年の10月か11月までには最終的な結論が下されるのではないかと言われています。

檜原村は島嶼部を除いては東京都で唯一の村で、令和4年7月26日現在の人口は2,069人(1,137世帯)です。人口も、島嶼部を除いて東京都でもっとも少ない自治体です。しかも、昭和の大合併や平成の大合併はもちろん、この400年間どことも合併せずに、独自の歩みを続けている稀有な村でもあるのす。

檜原村のサイトには、次のように村が紹介されています。

檜原村
村の概要

檜原村は、東京都の西に位置し、一部を神奈川県と山梨県に接しています。

面積は105.41平方キロメートルとなっており村の周囲を急峻な山嶺に囲まれ総面積の93%が林野で平坦地は少なく、村の大半が秩父多摩甲斐国立公園に含まれており、産廃処理施設の建設予定地も国立公園の中です。

村の中央を標高900m~1,000mの尾根が東西に走っており両側に南北秋川が流れていて、この川沿いに集落が点在している緑豊かな村です。


東西に走っている尾根が笹尾根と浅間尾根です。その間を檜原街道が通っています。そして、その檜原街道に沿って流れているのが北秋川と南秋川です。秋川は多摩川の支流で、檜原村は文字通り「東京の水源地」なのです。

人里(へんぼり)は、檜原街道から北側の山の縁にかけて家が点在するのどかな山里の集落です。浅間尾根の人里峠に至るには、最初に息も上がるような急坂を登らなければならないのですが、その急登に沿って家が建っているのでした。そして、突端の家の横から登山道に入りしばらく進むと、テレビの「ポツンと一軒家」で紹介された家があります。既に無人になっていますが、敷地内は自由に見学でき、庭の奥では400年前から出ているというとても美味しい湧き水を飲むことができました。

そんな集落の一角に、一日の処理能力が96トンという強大な産廃施設が造られるのです。予定地を地図で見ると、先週笹尾根の笹ヶタワノ峰から下りた道の西側にあたり、笹ヶタワノ峰の隣の笛吹(うずしき)峠から下りて来る道の近くでした。しかも、産廃施設ができると、ツキノワグマも生息するような森を持つ山に囲まれた焼却炉から、産廃を燃やす煙が24時間止むことなく吐き出されるのです。それは、想像するだけでも異様な光景です。それだけではありません。あの檜原街道を一日に70台の産廃を積んだトラックが行き交うようになるそうです。

業者は、2020年の11月に、産廃施設の予定地に隣接する場所に、村の木材産業協同組合などの協力を得てバイオチップ工場を造っているのですが、それは産廃施設を造るための”地ならし”だったのではないかと言われています。「SDGsは『大衆のアヘン』である」と言ったのは斎藤幸平ですが、ここでも「循環型社会」「エコサイクル」「地球(環境)に優しい」という言葉が、自然を収奪する資本の隠れ蓑に使われているのでした。

ダイオキシンをはじめ、水銀やカドミウムや鉛やヒ素など有害物質による周辺の環境への影響も懸念されます。ましてや村のサイトでも謳われているように、檜原村の大部分は秩父多摩甲斐国立公園の中にあり、檜原村は「国立公園の中の村」と言ってもいいくらいです。そんな村に24時間稼働の巨大産廃焼却施設を造るなど、どう考えてもとんでもない話と言わざるを得ません。

YouTubeの中でも、パネラーの宮台真司氏が北アルプスの雲ノ平山荘の小屋主の伊藤二朗氏の話をしていましたが、先の「登山道の整備と登山者の特権意識」という記事で触れたような、日本の国立公園が抱える自然保護の問題が、檜原村の産廃問題にも映し出されているように思えてなりません。また、下記の対談で語られている人と自然の関係というテーマとも無縁ではないように思います。

YouTube
宮台真司×伊藤二朗 -自然と社会を横断する二つの視点から

法律では最終的な決定権は小池百合子都知事にあるので、極端な話、可否は小池都知事の胸三寸みたいなところがあります。そのため、最後は(よりによって)あの小池百合子都知事に、「小池さん、許可しないでください」とお願いするしかないのです。それが今の民主主義のルールなのですが、何か割り切れないものを覚えてなりません。

業者も、人口が2000人で村会議員も9人しかいない小さな村なので、御しやすいと思ったのは間違いないでしょう。宮台真司氏は、過疎地は有力者のネットワークですべてが決まるので、民主主義をコントロールしやすいと言っていましたが、業者はまさにそういった地縁・血縁に縛られた日本の田舎の”弱点”を衝いてきたとも言えます。

しかし、建設予定地区の住民や村の若い後継者や移住者などが中心になり、勉強会を開いたり、ネットを利用して計画のことを村の内外に発信したり、村の歴史上画期的とも言える反対デモを行ったりして、「とんでもないことが進んでいる」「あきらめるのはまだ早い」ということを訴えてきたのです。その結果、村議会における全会一致の反対決議や村民の3人に2人が反対署名するという、村挙げての反対運動に発展したのでした。檜原街道沿いの民家の軒先に掲げられた幟もそのひとつなのでしょう。

そんな反対運動を通して、YouTubeのトークイベントのタイトルにもあるように、誰もが顔見知りであるような小さな村の利を逆に生かした、「顔の見えすぎる民主主義」なる住民自治を模索する試みもはじまっています。小さな村の人々が思考停止を拒否しているのです。

檜原村の問題は、檜原村に通うハイカーにとっても、自然保護を考える人たちにとっても、日本の国立公園のあり方を考える上でも、見て見ぬふりのできない問題だと言えるでしょう。


関連サイト:
Change.org※ネット署名
東京都の水源地「檜原村」に、産業廃棄物焼却場を建設しないでください!
Twitter
檜原村に産廃焼却場を建設しないでください
facebook
檜原村の産廃施設に反対する連絡協議会


※サムネイル画像をクリックすると拡大画像がご覧いただけます。

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人里バス停

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登山口

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テレビの「ポツンと一軒家」で紹介された民家

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400年前から出ているという湧き水

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浅間嶺展望台

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「払沢の滝入口」バス停

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払沢の滝
2022.08.01 Mon l 社会・メディア l top ▲
今日、2008年の「秋葉原事件」の実行犯で、死刑が確定していた加藤智大死刑囚に刑が執行されたというニュースがありました。事件から14年。加藤智大死刑囚は39歳だったそうです。

穿ちすぎと言われるかもしれませんが、どうして今のタイミングなんだ?と思いました。「模倣犯に対する抑止効果」「みせしめ」。そんな言葉が浮かびました。宮台真司風に言えば、「呼んでも応えない国家」からの警告なのか、と思ったりしました。

加藤智大死刑囚は、青森県下トップレベルの進学校である青森高校を卒業しています。しかし、犯行時は派遣工として各地を転々とする生活をしていました。安倍元首相銃撃事件の山上徹也容疑者も、奈良県下でも有数の進学校を卒業しています。でも、犯行時は派遣社員として務めた工場を辞めて無職でした。年齢もほぼ同じのいわゆるロスジェネ世代です。驚くほどよく似ています。しかし、ふたりが胸の内に持っていた言葉はまったく違うように思いました。

「秋葉原事件」について、私は、このブログでは事件直後と事件から10年目の2回記事を書いています。事件直後の記事で、事件を聞いて憂鬱でやり切れない気分が続いていると書きましたが、今日、死刑執行のニュースを聞いたときも同じような気分になりました。

僭越ですが、とり急ぎ事件直後の記事を再掲させてもらいます。

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秋葉原事件 2008.06.20

秋葉原の無差別殺傷事件以来、憂鬱でやり切れない気分がつづいています。山田昌弘氏の『希望格差社会』(ちくま文庫)には”「負け組」の絶望感が日本を引き裂く”という副題が付けられていますが、秋葉原事件はまさにそれが現実のものとなった気がします。私も事件の報を聞いたとき、雨宮処凛氏がマガジン9条のブログに書いていたのと同じように「とうとう起きてしまったか」と思いました。

埼玉に住んでいたとき、たまたま近所の工場で派遣社員として働く若者と知り合い、話を聞いたことがありますが、誤解を怖れずに言えば、派遣会社が借り上げたワンルームマンションに住んでいるという点も含めて、秋葉原事件の犯人とあまりにも似通った部分が多く、あらためて愕然とせざるを得ませんでした。今や年収200万円以下の労働者が1000万人もいるというような現実の中で、程度の差こそあれ、絶望感に打ちひしがれ閉塞した日々を送っている彼らのような若者達は日本中の至るところにいると言っても過言ではないのでしょう。

派遣社員の彼はさかんに「あいつら」という言い方をしていました。「あいつら」とは誰なのかと言えば、正社員のことなのです。そんな二重あるいは三重とも言われる差別構造の中で、秋葉原事件の犯人は、始業前に自分の作業服(つなぎ)が見つからなかったことがきっかけで「この会社はなめている」とその鬱屈した感情を爆発させたのですが、恐らく似たような環境にある彼も「その気持はわかる」と言うに違いありません。

犯人と同じ青森県出身で、30年近く前、季節工として半年間トヨタの自動車工場に勤務した体験をもとに書かれたルポルタージュ『自動車絶望工場』(講談社文庫)の著者の鎌田慧氏は、今回の事件に関する新聞のコメントの中で、「派遣は(当時の)季節工よりも労働条件が劣悪だ」と言ってました。30年前より現在の派遣工(派遣社員)の方が劣悪な条件におかれているというのは信じがたい話ですが、しかし、考えてみれば、本工→期間工(季節工)→派遣工というヒエラルキー(三重構造)の中で、派遣工は会社にとって直接雇用のリスクがない分、雇用の調整弁として安易に「使い捨てられる」運命にあるのは当然かもしれません。

そんな中で、戦前のプロレタリア文学の代表作である小林多喜二の『蟹工船』が多くの若者達に読まれベストセラーになっているという現象もあります。最初、この話を聞いたとき、正直言って、どうして今、『蟹工船』なんだ?と思いました。古典的な窮乏化論などとっくに終ったと思われていたこの時代に、『蟹工船』と重なるような搾取や貧困がホントに存在するのだろうかと俄かに信じられない気持でした。

吉本隆明は、『文芸春秋』7月号で、『蟹工船』ブームについて、『蟹工船』を読む若者達は、貧困だけがつらいのではなく、彼らが感じている重苦しさはもっと別のものかもしれないと言ってました。

ネットや携帯を使っていくらコミュニケーションをとったって、本物の言葉をつかまえたという実感が持てないんじゃないか。若い詩人や作家の作品を読んでも、それを感じます。その苦しさが、彼らを『蟹工船』に向かわせたのかもしれません。
 僕は言葉の本質について、こう考えます。言葉はコミュニケーションの手段や機能ではない。それは枝葉の問題であって、根幹は沈黙だよ、と。
 沈黙とは、内心の言葉を主体とし、自己が自己と問答することです。自分が心の中で自分の言葉を発し、問いかけることが、まず根底にあるんです。
 友人同士でひっきりなしにメールで、いつまでも他愛ないおしゃべりを続けていても、言葉の根も幹も育ちません。それは貧しい木の先についた、貧しい葉っぱのようなものなのです。
(「蟹工船」と新貧困社会)


この記事は秋葉原事件の前に書かれていますが、なんだか秋葉原事件の犯人に向けて言っているようにも受け取れます。秋葉原事件の犯人も、とりわけネットに依存し、ネットに翻弄されたことが大きいように思います。彼のネットの書き込みを読むにつけ、大方の書き込みと同じように、あまりにもものの考え方が短絡的で想像力が貧困なのにはびっくりします。恐らくそれは自分の言葉を持ってない、つまり、ホントに自分と向き合い胸を掻きむしるように苦悩したことがないからでしょう。

しかし、それでも私は、今回の事件を個人の問題に還元するのは、やはり、問題を矮小化することになるような気がしてならないのです。たしかに、本人や家庭に問題があったかもしれません。でも、20才そこそこの若者にしては、親に頼らず派遣会社に登録して、ひとりで知らない土地に行き、1年なり2年なり工場で働いて生活の糧を得ていたというのは、むしろ「がんばっていた」と言えるのではないでしょうか。それをマスコミのように、「実家とは疎遠」「派遣会社を転々とした生活」などというのはあまりにも底意地が悪く冷たい気がします。要は、「偉いじゃないか」「がんばっているじゃないか」と言ってくれる人がいなかったことが彼の悲劇だったように思います。だからこそ、派遣の問題やその背景にあるグローバリズムの問題も含めて、社会的に未熟な25才の若者をそこまで追い込んだこの社会のしくみや風潮こそもっときびしく問われて然るべきではないかと思うのです。


関連記事:
秋葉原事件
秋葉原事件から10年
2022.07.26 Tue l 社会・メディア l top ▲
一昨日、今回の安倍晋三元首相銃撃事件に関連して、朝日新聞デジタルに、下記のような宮台真司氏のインタビュー記事が掲載されていました。

宮台真司氏は、近代化により(中間共同体が消滅して)むき出しになった個人が、近代合理主義(=資本主義)のシステムと直接向き合わなければならなくなり、その結果「寄る辺なき個人」が大量に生まれた、そのことが今回の事件の背景にあると言うのです。そして、「寄る辺なき個人をいかに社会に包摂するかを考えていくことが大切だと指摘」するのでした。

朝日新聞デジタル
(元首相銃撃 いま問われるもの)バラバラな人々に巣くう病理 宮台真司さん

それは、オウム真理教の事件の際に出版された『終わりなき日常を生きろ』(ちくま文庫)に書かれていることのくり返しで、正直言って「またか」という気持を持ちましたが、言っていることはよくわかるのでした。たままた本棚を整理していたら『終わりなき日常を生きろ』が出て来ましたので、もう一度読み返してみようかなと思ったくらいです。

宮台氏は次のように言います。

 「既に安倍氏への過度な礼賛や批判が『確かな物語』を求めて増殖中です。それとは別に、『民主主義への挑戦』と批判して済ませる紋切り型も気になります。無差別殺傷事件も政治家を狙った事件も、『剥き出しの個人の不安』と『国家を呼んでも応えないがゆえの自力救済』という類似面があります」


前に書いた『令和元年のテロリズム』に出て来るような事件を、宮台氏は「国家を呼んでも応えないがゆえの自力救済」だと言います。それと「剥き出しの個人の不安」は「類似」していると。でも、私には、「類似」というより表裏の関係のように思いました。

そんな「寄る辺なき生」に、カルトは「確かな物語」(大きな物語)を携えてやって来ます。『令和元年のテロリズム』を読むと、登場する人物たちがカルトとすれすれのところで生きていることがよくわかります。

ただ、それは今回の事件の一面にすぎません。今までの報道を見る限り、容疑者はカルトに取り込まれたわけではないのです。容疑者にとって「大きな物語」は、ネトウヨの陰謀論であり、その延長にある安倍政治に随伴することだったのです。

なのに容疑者は安倍を撃ったのです。統一教会によって家庭がメチャクチャにされた積年の恨みが、「本来の敵ではない」安倍に向けられたのです。たとえイデオロギーと関係がなくても、行為自体はきわめて政治的なものと言っていいでしょう。

もしかしたら、ネトウヨを自認する容疑者には、安倍元首相に対して「可愛さ余って憎さ百倍」のような感情があったのかもしれません。安倍元首相は、国内向けには嫌韓的なポーズを取りながら、その裏では、サタンの日本人は「アダムの国」の韓国に奉仕すべきだと主張する韓国のカルト宗教と三代に渡って親密な関係を続けてきたのです。そのジキルとハイドのような二つの顔を知ったことが、安倍元首相をターゲットにする”飛躍”につながったのではないか。そう考えなければ今回の事件は理解できません。

宮台氏の言説に従えば、あの腰の座った覚悟の犯行も「自己救済」ということになります。私はむしろ逆ではないかと思っていました。ロープシンの『蒼ざめた馬』のような”虚無のテロリスト”さえ幻視していたのです。一発目が逸れたあと、容疑者はためらうことなくさらに前へ進み、致命傷となる二発目を命中させているのです。容疑者にとって、「本来の敵ではない」安倍元首相は「呼んでも応えない」国家だったのか。あるいは、国家を呼び出すために安倍を撃ったのか。警察発表の犯行動機を理解するためには、私たちもまた、”飛躍”が必要なのです。

一方で、宮台氏も言うように、既に「心の平穏に向けた物語化」がはじまっているのでした。ワイドショーの電波芸者コメンテーターたちの言動にも、そういった空気の変化が反映されています。メディアも、統一教会と政治の関係に言及するのを避けるようになっているそうです。

これから「国葬」に向けて、死者の悪口を言わないという”日本的美徳”のもと、安倍政治を賛美する声が益々大きくなっていくのでしょう。そして、今回の事件も、容疑者個人の一方的な「思い込み」で起きたことにして幕が下ろされるに違いありません。

朝日の記事のタイトルのように「病理」と言うなら、個人の心より政治、特に安倍元首相を含めたこの国の「愛国」者たちの”二律背反”こそそう呼ぶべきなのです。間違っても(記事のタイトルに含意されているような)「個人的な思い込みによる事件」として回収させてはならないのです。


関連記事:
『令和元年のテロリズム』


追記:(7/21)
事件の政治的な側面ということで言えば、宮台氏もインタビューでは統一教会と自民党の関係に言及していたそうです。しかし、J-CASTニュースによれば、朝日新聞が掲載に当たってその部分を削除したのだとか。宮台氏もTwitterでそれを認めています。

Yahoo!ニュース
J-CASTニュース
宮台真司氏「掲載中止よりもマシ、Twitterで捕捉」 朝日新聞がインタビューから削除した「重要なポイント」

削除された「重要なポイント」について、J-CASTニュースは次のように書いていました。

(略)旧統一教会が提唱する原理を学ぶ団体の原理研究会が1970年代末以降どのように活動していたかや、自民党と教会が2000年代末以降にズブズブの関係になっていたことについて、宮台氏の元の原稿では言及されていた。しかし、朝日の担当記者がその記述を残そうと奮闘したにもかかわらず、記事公開に当たって、それらの部分が削除されたという。


別に目新しい話ではなく、正直言って、そんなに騒ぐことなのかと思いました。自民党に忖度したと言えばそう言えないこともありませんが、私には穿ちすぎのような気がしました。
2022.07.21 Thu l 社会・メディア l top ▲
先日、自民党の某国会議員が、過去に世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の関連団体が開催したイベントに祝電を送ったという指摘を受け、お詫びのコメントを発表した上で、旧統一教会との関係を否定したという報道がありました。

しかし、その「国会議員」こそ、30年近く前に、私が元取引先が統一教会のフロント企業であったことを知った週刊誌の記事に書かれていた人物なのです(「統一教会・1」参照)。

保守系の国会議員のサイトから、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)に関係する記述が次々と削除されているそうですが、このように国会議員たちの間で再び、知らぬ存ぜぬの”猿芝居”がはじまっているのでした。

しかも、それは、自民党だけにとどまらず、国民民主党の玉木雄一郎代表にも飛び火したのでした。玉木代表への寄付は、同代表が旧民社党の流れを汲む政治家だからだと思いますが、もしかしたら、統一教会は野党や労働団体にも触手を伸ばしていたのかもしれません。

有田芳生氏がツイートしていましたが、テレビに出た際、事前に番組の担当者から、「政治の力」という言葉は使わないでほしい、具体的に政治家の名前を出すのは控えてほしいと釘を刺され、「昔のテレビとは違うんだ」と言われたそうです。

たしかにテレビのワイドショーを観ていると、時間の経過とともにコメンテーターたちに、統一教会の問題と安倍元首相の事件を分けて考えるべきだ、一緒くたにするのは誤解を招く、というような言動が目につくようになりました。そうやって、事件は山上容疑者の「思い込み」だったという結論に持って行こうとしているかのようです。「精神鑑定」が行われたという話も、恰好の口実になっているように思います。

でも、安倍晋三元首相こそ統一教会の問題を「象徴する存在」(山上容疑者)なのです。「安倍三代」と統一教会との関係を考えれば、統一教会にもっとも近い政治家と言っていいでしょう。

一方で、コメンテーターたちの言動を見るまでもなく、政治と宗教の”不都合な真実”も、徐々に幕引きがはかられているように思えてなりません。結局、安倍元首相らが体現する”戦後の背理”は糊塗され、獅子身中の虫もそのままに、元の日常に戻っていくのでしょう。その大団円として「国葬」が用意されているのかもしれません。

山上容疑者は、みずからをネトウヨとツイートしていましたが、そのネトウヨが、彼らのヒーローの安倍元首相に引き金を引いたのです。そのことの意味はあまりに大きいと言わねばなりません。「愛国者に気をつけろ」というのは鈴木邦男氏の著書の書名ですが、私たちはまず、「愛国」者を疑うことからはじめなければならないのです。

サタンの日本人は「アダムの国」の韓国に奉仕しなければならないと主張する韓国のカルト宗教の教祖に、「日本を守るために」反共団体の設立を依頼する。そんな愛国者がどこにいるでしょうか。統一教会の問題であきらかにされたのは、そういった日本の戦後政治を蝕んでいた「愛国」という病理なのです。
2022.07.20 Wed l 社会・メディア l top ▲
親族によれば、容疑者の母親は、統一教会に入信したあと、自殺した父親の保険金などを原資に3年間で6000万円、容疑者の祖父が死亡後、相続した会社の土地や自宅などを処分して4000万円、総額1億円を献金したそうです。その後、親族が教団と交渉して5000万円が返金されたそうですが、それも再び献金したという話があります。

11年以上前の資料ですが、下記の『週刊文春』の記事によれば、1999年から9年間に日本から韓国に送金された総額は約4900億円にのぼるそうです。年平均約544億円です。

週刊文春 Shūkan Bunshun 2011.9.8
統一教会 日本から「4900億円送金リスト」を独占入手!

統一教会の献金や霊感商法などの”集金システム”の背景に、「真の父母と一緒にいる食口(引用者注:シック。信者のこと)たちは、この世の中のすべての物を自由に使えるのがあたりまえだ」というこ故・文鮮明総裁の考え方があるのは間違いないでしょう。この世の中の物やお金は、サタンが勝手に奪ったものにすぎない。だから、「真の父母と一緒にいる食口たちが、たとえそれを盗んで使ったとしても、それが世の中の法律にひっかかったとしても、実際には何でもないことになる」(後述する朴正華氏の手記より)と文鮮明氏は言うのです。ただ、サタンから奪い返しただけだと。

統一教会(現・世界平和統一家庭連合)は、そうやって集めた巨額な資金を使って、食品業や建設業や不動産業やリゾート産業に進出し、今や韓国でも有数な財閥になったのでした。

2018年の平昌冬季オリンピックでアルペンスキーの大回転・回転競技の会場となった龍平リゾートも、世界平和統一家庭連合が所有するスキー場です。また、龍平リゾートは、のちに日本でもブームとなった韓流ドラマ「冬のソナタ」のロケ地にも使われたそうです。教団も、日本人観光客を呼び込むためにロケ地めぐりのツアーを手がけ、文鮮明氏の肖像画が飾られたスーベニールショップでは、日本人観光客が先を競ってグッズを買い求めていたそうです。

高麗人参(朝鮮人参)でおなじみの「一和」も、統一教会系列の会社(フロント企業)です。「一和」は、サッカークラブ城南FCの実質的なオーナー企業と言われています。

また、先頃、ニューヨークタイムズが、アメリカに寿司を広めたのは日本ではなく韓国の統一教会だった、という記事を掲載して話題になりました。記事によれば、統一教会は所有する食材卸会社「True World Foods」を通して、現在、アメリカの寿司レストランの7割から8割と取引しており、年間で500億円を売上げているそうです。

日本人は「アメリカで寿司ブーム!」「ニッポン凄い!」と自演乙していましたが、実はそんな話ではなかったのです。テレビ東京の「世界ナゼそこに?日本人」という番組で紹介された日本人女性たちの中に、統一教会の合同結婚式で嫁いだ信者が含まれていたとして問題になったことがありましたが、それと似たような話です。しかも、統一教会は、寿司は韓国が発祥だと主張しているそうです。

話は戻りますが、紀藤正樹弁護士は、日本からの送金額は世界全体の半分以上を占めているとテレビで言っていました。どうして日本が突出して多いのか。もちろん、政界に深く食い込んでいるため、他の国に比べて規制が緩く、活動しやすいということが大きいでしょう。ただ、それだけでなく、日帝の植民地支配に対する韓国人の反日感情も関係していると言われています。韓国を植民地支配した日本はとりわけ罪深い「エバの国」であり、日本人は極悪なサタンである。サタンの日本人は「アダムの国」の韓国に奉仕しなければならないという考えです。セミナーなどでも、日本人信者にそういった贖罪意識を植え付けるのだそうです。

1949年北朝鮮の興南収容所で、同じ服役囚として文鮮明氏と知り合い、以後13年間行動をともにして、統一教会の設立に加わった朴正華氏も、手記『六マリアの悲劇・真のサタンは、文鮮明だ!!』(恒友出版・1993年刊)の中で、次のように書いていました。

六マリアの悲劇・真のサタンは、文鮮明だ!!
統一教会創始者 朴 正華(パク チョン ファ)
https://xn--u9j9e9gvb768yqnbn90c.com/

  ことに隣国の日本では、統一協会の実態を知らない食口たちが、理想世界の実現を信じて金集めに走り、霊感商法という反社会的な大問題に発展した。

  創成期の苦労を知らない一族がなせる弊害、という他はない問題である。「法に触れて盗んでも神様は許してくれる」と、女食口を唆した文鮮明の身内らしいやり口で、物欲・金銭欲にいっそう拍車がかかっている。

  そしてもう一つ。

  朝鮮は日帝支配で被害を受けた。その日本に仇を討つためにも、日本の金を洗いざらい捲き上げよ」と文鮮明が豪語していた事実(何人もの幹部が聞かされた)を、日本の純粋な食口たちは知っているのだろうか。

(以下引用は同じ。一部、改行やスペースを引用者が修正しています)


私は、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)についての報道や識者の発言には、隔靴掻痒の感を覚えてなりません。言うまでもなく、統一教会の教義の大きな柱である「復帰摂理(復帰原理)」と呼ばれる、「セックスリレー」=「血代交換」のことがまったく触れられてないからです。

文鮮明氏が北朝鮮の興南刑務所で服役(強制労働)することになったのも、夫と3人の子どもがいる信者の家で人妻と同棲し、しかも、神の啓示を受けたとしてその人妻と「小羊の儀式」(正式な結婚)を行なうと言い出して騒ぎになり、「社会秩序紊乱罪」で警察に逮捕されたからでした。

朴正華氏の手記にある「六人のマリア」というのも、「六人の人妻」という意味です。統一教会の「復帰摂理(復帰原理)」については、朴正華氏の手記に多くの具体例が出ていますが、もとは聖書の「創世記」の独自な解釈に基づいたものだそうです。

  六千年前、神様は、土で人のかたちを造りその鼻に息を吹き込んで、人として動けるようにした。その名をアダムと呼び、エデンの園に住まわせた。そして、ふさわしい伴侶を造るため、アダムが眠っているとき、アダムのアバラ骨を一本とって女性を造った。それがエバである。神様は二人に、エデンの園の中央にある木の実だけはとって食べてはいけないと命じたが、蛇がエバを唆したため、エバはついに禁断の木の実を食べ、夫であるアダムにも勧めて食べさせた。

  そして、神を裏切り禁断の木の実を食べた二人は、木の陰に身を隠し、発見されたとき恥ずかしそうに無花果の葉で身体を隠していた。神様がアダムを創造しエバを造った目的は、エバが成熟したらこの世の中に罪のない子孫を繁殖させることだったが、神様に背いた二人は、やがてエデンの園から追放され、再び帰ることができなくなった。罪を犯し汚れたアダムは、汗を流して働かなければ生きてゆけなくなり、エバは、お産の苦しみという苦労をしなければならなかった。

  二人の間にはカインとアベルの兄弟が生まれたが、やがて兄のカインは弟のアベルを殺すことになり、この世の中に初めて罪人ができた。

  エバを唆した蛇とは天使長ルーシェルのことで、ルーシェルは、神様の摂理を知って甘い言葉で本成熟(原文ママ)なエバを誘惑し、禁断の木の実を食べさせた。つまりルーシェルとエバはセックスをしたのだ。そして処女を犯されたエバは、神様に見つかる前に、サタンの血で汚れた身体のまま夫のアダムともセックスをした。


  「形のない神様は、エバがエデンの園で成熟したら、形ある人間のアダムに臨在し、アダムとエバが結婚して、汚れていない子どもがこの世の中に生まれ、その子孫がこの世の中に繁殖することによって、この世の中を平和で罪のない社会にすることを目的としていた。ところが、天使長ルーシェルが神の目的を知って、エバを誘惑して奪い取ったため、この世の中はサタンのものになり、罪人ばかりになってしまった。だから、夫のいる人妻を奪い取ることによって、サタンに汚された血を浄める復帰摂理の儀式が成り立つことになる」と文鮮明は説明した。

  文鮮明は私に、復帰する方法まで具体的に教えてくれた。その復帰の方法とは、「今までのサタンの世の中では、セックスをするときに、男の人が上になり、女の人が下になっていたが、復帰をするときには、二回まで女の人が上になり、男の人が下になるのだ」「そして、蘇生、長成、完成と、三回にわたって復帰しなければならない」ということだった。


「血代交換」とは、「第二のアダムであるイエスが達成できなかったことを、第三のアダム(要するに文鮮明氏)がこの世の中に再臨して血代交換をする」という教えです。

メシア(引用者注:文鮮明氏のこと)が世界の代表として、六人のマリアと三十六家庭の妻たちとセックスをすれば、汚れた血がきれいになるということで、この儀式を血代交換と言う。そして、血代交換をした三十六家庭から生まれてくる子どもは、罪のない天使ばかりであり、こういう人たちが世界に広まることによって、罪悪のない世の中が生まれる」ということだ。


1987年に発生した朝日新聞阪神支局などを襲った赤報隊事件で、統一教会の関連団体が一時捜査の対象になったという話もありますが、有田芳生氏によれば、オウム真理教の事件のあと、警察庁の幹部から頼まれて、警察施設で眼光の鋭い刑事たちを前に、統一教会のレクチェーをしたことがあったそうです。その際、幹部は、オウムの次は統一教会だと言っていたのだとか。しかし、待てど暮らせどその気配はない。そして、10年が経った頃、たまたま会った幹部にレクチャーの話をしたら、「政治の力でストップがかかった」と言われたそうです。

全国霊感商法対策弁護士連絡会のサイトを見ると、2020年の旧統一教会関連の相談件数は、消費者センターに寄せられたものも含めて、214件、918072300円で、もっとも活発だった1990年前後に比べれば、件数・金額ともに10分の1以下に減っています。しかし、それでも被害がなくなっているわけではないのです。

自民党などの保守派の議員が、選択制夫婦別姓や同性婚やジェンダーフリーに強硬に反対するのも、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の結婚観や家庭観が影響しているからではないかと言う人もいるくらい、彼らは「愛国」を叫ぶ一方で、このようなカルト教団と深い関係を結び、日本を食いものにする彼らの活動に手を貸しているのです。それは、政治家だけではありません。あの”極右の女神”が系列の新聞社の集まりで講演している写真もネットにアップされていました。

1967年、来日中の文鮮明氏が右翼の大物の児玉誉士夫氏、笹川良一氏と富士五湖の本栖湖で会談して、70年安保をまじかに控えて高まりを見せる反対運動に対抗すべく反共団体を設立することで合意。そして、その翌年、統一教会の政治団体である国際勝共連合が日本でも設立され(韓国では前年に設立)、会長に統一教会の日本支部会長の久保木修己氏、名誉会長に笹川良一氏が就いたのでした。その裏には、統一教会の日本進出(1964年東京都が宗教法人として認可)に尽力した岸信介元首相のお膳立てがあったと言われています。その頃から、統一教会の日本の政界への浸透が本格的にはじまるのでした。

どうして日本に反共団体を作るのに、韓国の宗教団体の教祖が主導的な役割を果たすのか。そこにも戦後保守政治やそれに連なる戦後右翼の歪んだ姿が露わになっているように思います。

戦後政治を考える場合、どうしても日米関係ばかりに目が行きがちですが、隣の韓国との”奇妙な関係”も視野に入れるべきでしょう。もちろん、韓国との関係の背景に、当時のアメリカの東アジア戦略が伏在しているのは言うまでもありません。

韓国では1963年、日本の陸軍士官学校出身の朴正煕がクーデターを決行し、以後1979年まで軍事独裁政権を続けたのですが、国際勝共連合も軍事独裁政権下のKCIA(大韓民国中央情報部)の要請で作られたという説があります。

朴政権は日帝の植民地支配の記憶がまだ色濃く残っている中で、「反日」を演じながらその裏では岸信介氏ら日本の保守政治家と癒着して、日韓基本条約で対日請求権の放棄に伴って供与されることになった5億ドル(当時は1ドル360円)の経済支援=「経済協力金」をめぐる利権を築いたと言われています。経済支援は、最終的には借款等も併せて11億ドルにものぼったそうです。

そういった表では「反日」、裏では買弁的な「親日」を使い分けるヌエのような関係が、日本の戦後政治にさまざまな闇をつくったと指摘する声もあります。統一教会の日本の政界への浸透を許すことになったのも、そのひとつと言えるでしょう。

このように統一教会をめぐっても、「愛国」と「売国」が逆さまになった”戦後の背理”が如実に示されているのでした。こんなことを言っても今の日本人には馬の耳に念仏かもしれませんが、この国を蝕む獅子身中の虫は誰なのか、「愛国」を口にする人間たちはホントに愛国者なのか、もう一度考えてみる必要があるでしょう。それは、安倍元首相の死に対する言説でも同じです。
2022.07.17 Sun l 社会・メディア l top ▲
今朝、テレビを点けたら、「モーニングショー」で統一教会の特集をやっていて、金沢大学教授の仲正昌樹氏がリモートで出ていたのでびっくりしました。仲正氏は社会思想史の研究家ですが、昔から新書もよく出しており、雑誌などでもわかりやすい文章を書いていたので、私は比較的早い頃から読んでいました。

仲正昌樹氏が過去に統一教会に入っていたことは私も知っていました。自分でそのときのことを書いていたのを読んだ記憶があります。ハンナ・アーレントについて啓蒙的な文章をよく書いているのも、統一教会の体験と関係があるのかもしれないと思ったこともありました。でも、まさかテレビに出て、自分の学問とは直接関係ない”黒歴史”のことを話すとは思ってもみませんでした。

ただ、自分でも言っていましたが、仲正氏の場合、その性格ゆえか懐疑的な部分を完全に払拭できないまま信仰生活を送っていたみたいなので、完全にマインドコントロール下にあったとは言い難く、テレビで扱う事例としてはあまり参考にならないかもしれません。

私の高校時代の同級生にも、仲正氏と同じように東大で統一教会に入信し合同結婚式で外国人女性と結婚した人間がいます。あるとき、別の同級生から、同級生で彼の結婚をお祝いする会を開きたいという連絡が来ました。それで私は、「何言ってるだ、統一教会じゃないか」「どうして俺たちが信者の結婚をお祝いしなければならないんだ」と差別感丸出しで怒鳴りつけ、以来同級会には行っていません。風の噂に聞けば、彼はその後大学教授になったそうです。

私たちの年代は、桜田淳子の合同結婚式をきっかけにメディアを席捲した統一教会のキャンペーンを知っていますので、統一教会に対してはある程度の”免疫”がありました。駅頭でまるで憑かれたように「統一原理」の理論を延々と語っている若者の姿をよく見かけましたし、夜遅くアパートに北海道の珍味を売りに来た風体が怪しい若者とトラブルになったこともありました。

当時は私たちの身近にも統一教会の影が常にチラついていたのです。海外のポストカードやポスターを輸入する会社に勤めていた頃、すごく買いっぷりのいい顧客がいました。いつもまとめて大量に買ってくれ、しかもニコニコ現金払いでした。しかし、都内の会社だったのですが、FAXと電話でやりとりするだけで一度も会ったことがありません。それで、一度ご挨拶に伺いたいと電話したところ、「いや、結構です」とにべもなく断られました。

それから数年経ち、私も転職していたのですが、週刊誌を見ていたら、ある記事の中にその会社と電話した担当者の名前が出ていたのを偶然目にしたのでした。

それは、保守系の国会議員のスキャンダルに関する記事だったのですが、その中で、議員が統一教会の影響下にあり、秘書も統一教会から派遣された人間で占められているというような内容のことが書いていました。そして、議員を取り込む工作をした中心人物として、得意先であった会社と担当者の名前が上げられていたのでした。記事の中でも、私が納めた商品が額に入れられてセミナー会場などで数万円で販売されていると書かれていました。でも、私が納めたのは1枚千円にも満たない商品です。何のことはない、得意先の会社は統一教会のフロント企業だったのです。

また、同じ頃だったと思いますが、当時交際していた女性のお父さんが病気で急死したという出来事がありました。彼女の実家は、JRのターミナル駅の近くにあって、数億円の資産価値があると言われていました。

ある日、彼女が「最近、変なおばさんが家によく来ている」と言うのです。今まで見たこともない人なので、どこで知り合ったのかお母さんに訊いたら、道で声をかけられてそれから親しくなった、と言うのだそうです。それを聞いた私はピンと来て、「そのおばさん、もしかしたら統一教会かも知れないよ」と言いました。「一回、たしかめた方がいいよ」と。

それから数日後、彼女から電話がかかってきて、「やっぱり、統一教会だった」と言うのです。お母さんに私から言われたことを話したら、お母さんがおばさんに「あなた、もしかしたら統一教会じゃないでしょうね」と問い詰めたそうです。すると、おばさんはお母さんの権幕に気圧されたのか、「ごめんなさい、統一教会です」とあっさり認めたということでした。

恐らく道で声をかけたのも偶然ではなく、家の資産やそのときの家庭状況も把握した上で接近して来たに違いありません。どこかでそういった情報を手に入れているのでしょう。

その頃、統一教会のキャンペーンは、合同結婚式から霊感商法などへ拡大しており、大学では統一教会の名を伏せたダミー団体を使って学生を勧誘したり、街角でも手相などの占いを餌に声をかけてセミナーに誘うという統一教会の活動が次々と可視化されていました。だから、そのときもピンと来たのだと思います。

しかし、ほどなく発生した地下鉄サリン事件など、オウム真理教の一連の事件によってメディアもオウムの方に関心が移り、統一教会はいつの間にか「忘れられた存在」になったのでした。そのため、今は”免疫”どころか、統一教会について何の予備知識もない若者も多いそうです。しかも、統一教会は、分裂騒ぎもあって教団名を変えているのです。昔の統一教会のことを知らない若者が増えたということは、教団にとって好都合であるのは間違いないでしょう。そのための改名だったという話もあるくらいです。

今回の銃撃事件で、「暴力は民主主義の敵」「暴力に屈してはならない」「民主主義を暴力から守ろう」というような常套句が飛び交っていますが、しかし、考えてみれば、銃撃事件がなければ、これほど統一教会のことが取り上げられることはなかったのです。

元首相を銃撃する「許されざる暴力」があったからこそ、統一教会というカルト宗教の問題、特に日本の政界に深く食い込んでいる憂慮すべき問題が再び可視化されつつあるのです。怪我の功名と言ったら不謹慎かもしれませんが、もし今回の銃撃事件がなかったら、統一教会は「忘れられた存在」のままだったでしょう。

私たちは、今回の事件で、言論では微動だにしなかったものが暴力だと簡単に動かすことができるという、この社会の本質とも言える脆弱性を見せつけられたと言っていいかもしれません。同時に、「許されざる暴力」という規範や「話せばわかる」という幻想が、この社会から疎外された人たちにとっては、単なる”不条理”にすぎないことも知ったのでした。今回の事件で「暴力の連鎖」を懸念する声が出ていますが、これほど赤裸々に暴力のインパクトを見せつけられると、それもまったくの杞憂だとは言えないように思います。

どんな立派な意見も、最初に「もちろん暴力がいけないことは言うまでもありませんが」とか「容疑者がやったことは許されることではありませんが」という枕詞(断り)を入れると、途端に「きれいごと」のトンマな言説に見えてしまうのも、暴力のインパクトがあまりにも大きかったからでしょう。自業自得とは言え、言論は為すすべもなく戯画化されているのです。
2022.07.15 Fri l 社会・メディア l top ▲
知り合いの話では、東京タワーが安倍元首相追悼のために真っ暗になっていたそうです。「びっくりした」と言っていました。それで、ネットで確認したら、株式会社TOKYO TOWERのサイトに次のようなプレスリリースがアップされていました。

東京タワーは本日(7/9)、安倍晋三元首相に哀悼の意を表し、ライトアップを消灯して喪に服します。

株式会社TOKYO TOWER
2022年7月9日 15時45分

東京タワーは7月9日(土)、多大な功績を残された安倍晋三元首相に哀悼の意を表し、終日、ライトアップを消灯して喪に服します。

尚、足元については観光でお越しのお客様の為ライトアップを点灯致します。

ご理解いただきますよう、よろしくお願い致します。


いくら追悼とは言え、ここまで来ると異常としか言いようがありません。それは東京タワーだけではありません。新聞やテレビなども、まるで独裁者が亡くなったかのように、歯の浮いたような賛辞のオンパレードなのでした。

安倍元首相は毀誉褒貶の激しい政治家だったのは衆目の一致するところです。それをすべて賛美や美化に塗り変えるのは、もはや言論の死と言っても過言ではないでしょう。死人を鞭打つのかと言われるかもしれませんが、死してもなお毀誉褒貶に晒されるのが政治家でしょう。民主国家ならそうあるべきでしょう。

今回の事件を「民主主義に対する挑戦」「自由を封殺する行為」と非難し、社説で「言論は暴力に屈しない」と表明していながら、メディアはみずからで言論を封殺しているのでした。これでは、私たちは警察が描いたストーリーの方向に誘導されているのではないか、という不信感さえ抱いてしまいます。

山岡俊介氏のアクセスジャーナルに次のような記事が出ていました。

アクセスジャーナル
安倍氏に批判的なジャーナリストも洗う? 本紙・山岡の出入り先に警視庁捜査員

山岡氏が一時事務所として使っていた建物の管理人室に刑事が訪れ、そこの住所が印刷された昔の山岡氏の名刺を出して、「(山岡氏は)ここの部屋を使っているかと聞いて来た」そうです。

「今回の安倍氏銃殺を機に、警察庁(中村格長官)の方から安倍氏に批判的な者、それもジャーナリストを徹底的に洗えとの指示が出ている」そうなので、「“私文書偽造”など、何でもいから微罪でいちゃもんを付けようと動いている可能性もあるのではないか」と書いていましたが、私は記事を読んで、そうではなく、警察はまだ”政治テロ”の線を捨てていないのではないかと思いました。

山岡氏が別の動画で言っていましたが、山上徹也容疑者が右翼団体に出入りしていたという話もあるそうです。山上容疑者は前日は新幹線で岡山の遊説先まで行ったことがわかっています。韓鶴子氏の代わりにしては、かなり執拗に安倍元首相を付け狙っていたことがわかります。それに、前も書きましたが、当日の山上容疑者の行動には相当な覚悟すら感じます。あの用意周到さと冷静沈着さは、警察が発表する供述とどこかそぐわない気がしてならないのです。

もとより、韓鶴子氏の代わりなら他の教団幹部をターゲットにしてもおかしくないでしょう。日本支部の幹部でもいいはずです。集会で挨拶するビデオを見たからと言って、どうして安倍元首相だったのか、どうしてそこまで”飛躍”したのか、という疑問は残ります。

山岡氏は、下関市長選に絡んで(山口の)安倍元首相の自宅に火炎瓶が投げ込まれた放火未遂事件をスクープしていますし、最近も、13年間安倍元首相の私設秘書を務めた経歴を持ちながら、先の参院選に立憲民主党の山口選挙区から立候補して話題になった秋山賢治氏の自宅やその周辺に、糞尿がまかれる事件があったこともあきらかにしていました。

このように安倍元首相周辺ではきな臭い事件も起きていたので、警察はそういったことに関連して聞き込みをしていたのではないでしょうか。

旧統一教会との関係もそうですが、安倍元首相は、祖父や父親の代からの縁もあって、地元では在日朝鮮人実業家などと深い関係があるのはよく知られています。青木理氏の『安倍三代』(朝日新聞出版)にも書かれていますが、山口県下関市にある安倍元首相の自宅や事務所も、パチンコで財を成した地元の在日朝鮮人実業家から提供されたものなのです。その政治姿勢や言動を考えると信じられないかもしれませんが、地元の総連系の朝鮮人で安倍元首相の悪口を言う者はほとんどいないそうです。

旧統一教会(現・世界平和統一家庭連合)は、教祖の文鮮明氏亡きあと、未亡人の韓鶴子氏と子どもたちの間で後継者争いが起きて、韓鶴子氏と三男と四男・七男が対立し、四男・七男が「サンクチュアリ協会」を設立しました。日本にも支部がありますが、アメリカの「サンクチュアリ協会」は、トランプ派によるホワイトハウス占拠事件にも関わっているような過激な団体で、占拠事件の際、七男の文亨進氏も現場にいたそうです。

聖書のヨハネの黙示録に出て来る「鉄の杖」は銃を指していると解釈する「サンクチュアリ協会」は、半自動小銃を信奉しており、合同結婚式にも小銃を携行するように呼びかけているくらいです。

折しも設立者の文亨進氏が先月から来日しており、今も日本に滞在中で各地で集会を開いているそうです。

文亨進氏の来日については、下記に詳しく書かれています。

ディリー新潮
統一教会から分派「サンクチュアリ教会」指導者が来日 文鮮明7男は集会でアブナイ発言を連発

いわゆる「信仰二世」の山上容疑者は、幼い頃は母親に連れられて統一教会に通ったのは間違いないでしょう。そのあと脱会したのかどうか。また、統一教会の分裂の際、山上容疑者と教会はどういう関係だったのかなど、気になる点はいくつもあります。

警察も自分たちが描いたストーリーに沿った情報を小出しにしながら、それとは別に、事件の洗い直しを行っているのかもしれません。

尚、前の記事で、実兄が自殺して本人も海上自衛隊時代に自殺未遂したと書きましたが、「ディリー新潮」によれば、父親も自殺だったそうです。しかも、父親が亡くなったので母親が宗教にのめり込んだと言われていますが、そうではなく、母親が統一教会の前に別の宗教にのめり込んでいたのが原因で父親が自殺したと記事には書かれていました。父親が京大卒だったというのにも驚きました。山上容疑者が学業優秀だったというのもわかった気がしました。
2022.07.14 Thu l 社会・メディア l top ▲
私は山に着て行く服はパタゴニアが多く、特にこの季節はズボンもTシャツもパタゴニアです。雨具もパタゴニアです。ザックは、大小ともにパタゴニアのものを使っています。このようにいつの間にか”歩くパタゴニア”みたいになっているのでした。

パタゴニアの商品は少し値段が張りますが、パタゴニアを使っていると環境にやさしいことをしているみたいな気分になるので、”気分料”みたいなものだと割り切って買っています(ホントは大きなサイズが揃っているからですが)。山に登るなら環境のことを考えなければならない。そういった強迫観念みたいなものがありますが、そこをパタゴニアにうまく突かれているような気がしないでもありません。もっとも最近は、外国のアウトドアメーカーはどこもリサイクル素材を使ったりと、環境に配慮するのがトレンドになっています。

パタゴニアの製品自体は特に優れていると思ったことはありません。逆にちゃちなと思うことすらあります。

先の参院選に際して、パタゴニアの公式サイトに掲げられた次のような呼びかけも、他のメーカーのサイトではなかなかお目にかかれないものでしょう。

パタゴニア(Patagonia)
VOTE OUR PLANET

私たち人間は、健全な地球とそれを基盤とした社会がなければ生きられません。
近年顕著な気候危機とともに、私たちは人間、動物、生態系の健康がつながっていること、地球の生物多様性の破壊や生態系の損失は、経済にも大きな影響を与えることを知りました。

私たちには、自然に根差した解決策をもって、社会構造を大胆かつ公正に変化させようとするリーダーが必要です。

政治に関心がなくとも、関係なくはいられません。
私たちそれぞれにとって大切な何かとともに生きるために、行動しましょう。


そんな意識高い系から支持されているパタゴニアですが、一昨日の朝日に次のような記事が出ていました。

朝日新聞デジタル
「パタゴニア」パート社員ら労組結成 雇用「5年未満」見直し求める

それは、パタゴニアの店舗で働くパート社員や正社員ら4人が、「不更新条項」の撤廃を求めて労働組合を結成したという記事でした。2013年に改正された労働契約法では、非正規労働者が同じ会社で通算5年を超えて働いた場合、本人が希望すれば無期雇用に転換できるという「5年ルール」が設けられたのですが、それに対して「雇用期間を制限し、無期転換できないようにする『不更新条項』を設ける企業」もあり、パタゴニアも例外ではなかったのです。

アパレル業界では、ファストファッションの台頭によって、委託先の工場がある発展途上国では、低賃金・長時間労働・使い捨て雇用といった劣悪で過酷な労働環境が問題になっていますが、そんな中でパタゴニアはいち早くフェアトレードの方針を打ち出し、環境にやさしいだけでなく労働者にもやさしい会社のイメージを定着させたのでした。

ところが、足元の職場では法律のすき間を利用して労働者に不利な条項を設けるような、資本の論理をむき出しにした”普通の会社”であることが判明したのでした。

環境にやさしい、身体にやさしいというオーガニック信仰は、思想としてはきわめて脆弱で、手軽でハードルも低く、そのため、意識が高いことをアピールする芸能人などの間では、一種のファッションとして流通している面もあります。

しかも、ヨーロッパでは既に「エコファシズム」という言葉も生まれているように、そういった純潔なものを一途に求める思考は、ややもすればナチスばりの純血主義のような思考に行き着いてしまう危険性もあるのです。

古谷経衡氏は、Yahoo!ニュース(個人)で、今回の参院選の比例区で176万3429票を集めて1議席を獲得し、選挙区・比例区ともに得票率2%をクリアして政党要件を満たした参政党をルポしていましたが、その中で、参政党の躍進が意識高い系の人たちのオーガニック信仰に支えられていることを指摘していました。

Yahoo!ニュース個人
参政党とは何か?「オーガニック信仰」が生んだ異形の右派政党

参政党は、1.子どもの教育、2.食と健康・環境保全、3.国のまもりを三つの重点政策として掲げていますが、特に2と3が両翼の政党だと言われています。3を具体的に言えば、「天皇を中心とした国家」「外国資本による企業買収や土地買収が困難になる法律の制定」「外国人労働者の増加を抑制し、外国人参政権を認めない」というような多分に右派的な主張です。

しかし、古谷氏は、どちらかと言えば2が「主」で3は「従」みたいな関係にあると言っていました。

古谷氏は同党の街頭演説などに出向いて、数多くの「定点観測」をしたそうですが、その中で、中心メンバーのひとりである歯科医師の吉野敏明氏の次のような演説に、参政党が意識高い系の人たちに支持される秘密が隠されていると書いていました。

…悪性リンパ腫に限らずですよ、白血病とかでも限らず、普通のがん、骨肉腫もそうです。まず(甘いものを)やめなきゃいけない。

結局は甘いものは何もかもダメなんです。人工甘味料でもダメなんです。蜂蜜もだめなんです。(中略)これらのものに加えてもっと強い発がん物質である食品添加物。


セブンイレブンの何とかハンバーグって、和風ハンバーグとかってなるでしょ。(中略)ところが100g98円とかで売ってるわけ。ありえないでしょ。どうやったら安くなるんですか。

 それは、クズ肉を使うしかない。本来だったら廃棄処分にする。例えば死んだ豚とか。ね。あるいはそもそも全部内蔵取っちゃったあとの余ってる部分の、豚の顔とか牛の顔とか、或いは糞便が詰まってる普通使わない大腸とか。こういうとこを使うわけですよ。そういうのを使うと凄いにおいがします。食品添加物が臭いを消すんです。においを消したらハンバーグっぽい味にしなきゃならないから、合いびき肉だから、豚のエキスとか牛のエキスとか、食品添加物だからそれっぽい味を出すわけです。


一番いけないのはコンビニの弁当とかを、電子レンジでチーンってやって、みそ汁代わりにカップヌードルを飲んでるとかなんだか、中にコーディングしてるわけでしょ、毒の水をわざわざ毒性を強くして、電子レンジで化学反応を起こして食べてる。ていう人たちががんになってるの。もう全員って言っていい、もう。


もちろん、古谷氏も書いているように、どれも科学的根拠があるわけではなく、陰謀論というか都市伝説みたいなものです。それは、「日本版Qアノン」と言われた新型コロナウイルスについての主張も同様です。

しかも、国立ガンセンターなど専門機関が(すべて原因がわかっているのに)公表しないのは、日米合同委員会や国際金融資本による圧力や情報操作があるからだと主張するのでした。

古谷氏は、演説の中で唐突に日米合同委員会や国際金融資本の話が出て来ることについて、次のように書いていました。

(略)だがこれは何ら不自然ではない。

「混じりけのない純粋なる何か」をそのまま延長していくと、「日本は純血の日本民族だけが独占する、混じりけのない国民国家であるべきだ」という結論に行きつくのは当然の帰結だからだ。


このようにオーガニック信仰が持っている純潔主義が、(民族の)純血主義、そして国家主義へと架橋されるメカニズムを指摘しているのでした。

(略)熱心な参政党支持者の人々は、驚くほど政治的に無色であり、むしろ参政党支持以前には政治自体に関心がほとんどないような、政治的免疫が全く無いような人々が多い。でいて自然食品や有機野菜などを好んで摂取する、消費者意識の高い比較的富裕な中高年や、自分の子供に食の安全を提供しよう思っている女性層が、あまりにも、驚くほど多い。

 それまでヨガ教室に熱心に通い、自然食品を愛好し、個人経営の自然派喫茶店が行きつけである、とフェイスブックに書いていた人が、ある日突然、参政党のYouTubeに感化されシェア・投稿しだす。それまでインド等の南アジアを放浪し、自然の偉大さや神秘に触れる感動的な旅行記を寄稿していた人が、ある日突然、参政党のYouTubeに感化され…。このような事例は観測するだけで山のようにあるし、私の周辺にも極めて多い。


従来、「環境・エコロジー」は左派リベラルの専売特許でした。反戦や人権や多元主義とセットで論じられることが多かったのです。ただ一方で、『古事記』でも「倭は 国のまほろば たたなづく青垣 山籠れる 倭し麗し」と謳われているように、「環境・エコロジー」はもともと右派のテーマではないのかという声があったこともたしかです。参政党は、荒唐無稽でカルトな面はあるものの、初めてそれを前面に出して、有権者に認知された右派政党と言えなくもないのです。

私は、日本のトロッキズム運動の先駆者だった太田竜が、アイヌ解放論者から自然回帰を唱えるエコロジー主義者になり、さらにユダヤ陰謀論者から最後はウルトラ右翼の国粋主義者へと、めまぐるしく転向(?)していった話を思い出しましたが、今にして思えば彼の”超変身”も支離滅裂なことではなかったと言えるのかもしれません。

辺野古の基地建設反対運動をしていた女性に久し振りに会ったら、参政党の支持者になっていたのでびっくりしたという話がネットに出ていましたが、あり得ない話ではないように思います。

これは蛇足ですが、私たちは、政治のような”大状況”より日々の生活の”小状況”の方が大事です。それは当たり前すぎるくらい当たり前のことです。多くの人たちは、”大状況”なんてあまり関心もないでしょう。でも、カルトやそれと結びついた政治は、私たちの”小状況”の中に巧妙に入り込んできて、無知なのをいいことに彼らの”大状況”に誘導し引き込んでしまうのです。
2022.07.13 Wed l 社会・メディア l top ▲
参院選挙は文字通り空しくバカバカしいお祭りで終わりました。

自民党は単独で改選過半数を越えたばかりか、寄らば大樹の陰の「改憲勢力」も3分の2を越え、改憲の発議も可能になったのでした。このように、少なくとも次の国政選挙がある3年後まで、絶対的な数を背景に「やりたい放題のことができる」環境を手に入れたのです。文字通り「大勝」の一語に尽きるでしょう。

もっとも、この選挙結果は大方の予想どおりだったとも言えるのです。メディアの事前の予想も、ここまで自民党が大勝するとは思ってなかったものの、与党が過半数を越えるのは間違いないという見方で一致していました。

これもひとえに野党、特に野党第一党の立憲民主党のテイタラクが招いた結果だというのは、誰の目にもあきらかです。厳しい状況だとわかっていたにもかかわらず、執行部は野党共闘からも背を向け、漫然と(敗北主義的に)選挙戦に突入したのでした。

ところが、開票後の記者会見で、泉健太代表は辞任するつもりはないと断言しています。その無責任な感覚にも唖然とするばかりです。3年後も与党の勝利に手を貸すつもりなのか、と思いました。

そもそも労使協調で業界の利害を代弁するだけの、文字通り獅子身中の虫のような大労組出身の議員たちをあんなに抱えて、何ができるのでしょうか。彼らは、間違っても労働者の代表なんかではないのです。

私は、旧民主党は自民党を勝たせるためだけに存在しているとずっと言い続けてきましたが、とは言え、まさかここまであからさまに醜態を晒すとは思っても見ませんでした。

「野党は批判ばかり」というメディの批判を受けて、泉代表は「提案型野党」という看板を掲げ(そうやってみずからずっこけて)、野党としての役割を実質的に放棄したのでした。そのため、先に閉幕した第208回通常国会では、1996年以来26年ぶりに政府が提出した法案61本が全てが成立するという、緊張感の欠けた国会になったのです。これでは野党がいてもいなくても同じでしょう。

90年代の終わり、メディアは55年体制の弊害を盛んに取り上げていました。何故なら、自民党の支持率の長期低落と(旧)社会党の労組依存による退潮がはっきりとしてきたからです。つまり、彼らが支配してきた議会政治にほころびが生じ始めたからです。そのため、既存政党の、特に野党の再編(立て直し)の必要に迫られたのでした。それを受けて、小沢一郎などが先頭に立ち、野党の支持基盤である労働戦線の右翼的統一を手始めに、小選挙区制と政党助成金制度をセットにした「政権交代のできる」二大政党制の実現に奔走(ホントは暗躍)、その結果「連合」と民主党が誕生したのでした。あれから20数年経った現在、見るも無残な野党の劣化を招き、一方で、選挙を「金もうけ」と考えるような政党まで輩出するに至ったのです。少なくとも政党助成金制度がなかったら、NHK党のような発想は生まれなかったでしょう。

さらにメディアは、今度は「批判ばかりの野党」キャンペーンを展開して野党の骨抜きをはかり、巨大与党の誕生を後押ししたのでした。

津田大介氏は、今回の選挙結果について、朝日のインタビュー記事で次のように語っていました。

朝日新聞デジタル
この10年変わらぬ選挙構図、続く低投票率 津田大介さんが見た絶望

自民、公明の両党が全体の4分の1の得票を得て大勝する。この大きな構図は直近10年間の国政選挙と変わっていない。ただ、安倍元首相に対する銃撃事件があってなお低投票率が続き、NHK党、参政党といった新興政党が議席を確保した2点からは、有権者の既存政党に対する絶望感が見えてくる


(略)投票に行った有権者のなかにも既存政党に対するあきらめが漂っていた。こうした人々の不満を巧みなマーケティングとネット戦略ですくいとったのが、参政党とNHK党だった。


 今回の参院選は、ネット選挙が本格化する嚆矢(こうし)となっただろう。良くも悪くも注目を集めてアクセス数を増やしてお金を集める。そんな「アテンションエコノミー」とも呼ばれる手法の有効性が示された。既存政党への不満が最高潮に達する中、不満を吸い取ることに特化した新興政党が出てくることに対し、既存政党側も対策をとり、ネットを積極的に活用していく必要があるだろう。


そして、最後にいつもの常套句を持って来ることを忘れていません。

 もちろん有権者にとっても投票する際の判断材料が増え、見極める力が問われる。自分で情報を集めて精査し、判断する人が増えることで有権者の投票の質が高まる。そのことが投票率の向上にもつながり、政治への信頼を高めることにもなる。


ビジネス用の言説なのか、ホントにそう考えているのかわかりませんが、こんな生ぬるい駄弁を百万編くり返しても何も変わらないでしょう。この国の議会制民主主義は、もはや「絶望」するレベルを越えているのです。与党か野党か、保守かリベラルか、右か左かのような、非生産的で気休めなお喋りをつづけても何の意味もないのです。無駄な時間を費やして日が暮れるだけです。

バカのひとつ覚えのように何度もくり返しますが、今、必要なのは「上」か「下」かの政治です。求められているのは、「下」を担う政党(政治勢力)です。そのためには、ヨーロッパで「下」の政治を担っている急進左派や極右が示しているように、ネットより街頭なのです。

やはり、お金の問題は大きいのです。安倍元首相銃撃事件の犯人が抱えていた疎外感や怨恨も、 シングルイシューのポピュリズム政党に拍手喝さいを送る人々のルサンチマンも、根本にあるのはお金の問題です。そして、言うまでもなく、お金の問題は「上」か「下」かの問題でもあります。「働けど働けど猶わが暮らし楽にならざりぢっと手を見る」と謳った石川啄木が、アナキズムにシンパシーを抱いたのもゆえなきことではないのです。このままでは「最低限の文化的な生活を営む」こともままならない人々は、ファシズムに簒奪されてしまうでしょう。

泉代表だったか誰だったかが、選挙戦で物価高の問題を訴えたけど、有権者にそこまで切実感はないみたいで訴えが響いたようには見えなかった、と言ってましたが、それは物価高でもそれほど困ってない人たちに訴えていたからでしょう。今の野党は「中」を代弁する政党ばかりです。耳障りのいい政策を掲げて、そのクラスの有権者を与党と奪い合っているだけなのです。
2022.07.11 Mon l 社会・メディア l top ▲
私は、石原慎太郎と安倍晋三とビートたけし(北野たけし)が大嫌いですが、昨日、突然舞い込んできた安倍晋三元首相殺害のニュースには、びっくり仰天しました。

昼寝をしていてふと目を覚ましたら、点けっぱなしになっていたテレビから、奈良市内で参院選の応援演説していた安倍元首相が銃撃され、心肺停止になっているというニュースが目に入り、飛び起きてしまいました。

犯人は同じ奈良市内に住む41歳の元海上自衛隊員だそうで、しかも使われた銃が、鉄パイプに黒いビニールテープを巻いた手製だったというのにも驚きました。

夜になると、テレビ東京を除く東京のキー局は通常の番組を取りやめて、いっせいに安倍氏死去の報道特別番組をやっていました。出演するアナウンサーなどは黒い喪服のようなものを着て、沈痛な表情で事件の経緯や安倍氏の政治的な功績を伝えていました。

それは既存メディアだけではありません。ネットでも、「民主主義に対する挑戦だ」と既存メディアと同じセリフで今回の犯行を非難しているのでした。そして、いつの間にか、下手なことを言えば「不謹慎だ」として炎上しかねないような空気に覆われていたのでした。ホリエモンに至っては、日頃の”マスゴミ批判”はどこへやら、Twitterで「反省すべきはネット上に無数にいたアベカー達だよな。そいつらに犯人は洗脳されてたようなもんだ」などとトンチンカンなネット批判をする始末でした。

警察発表によれば、犯人は、政治信条とは関係なく、家族をメチャクチャにした宗教団体と関係がある元首相に恨みを持ち殺意を募らせた、と供述しているそうです。だとすれば、政治テロと言うには無理があるように思いますが、ただ、ジャーナリストの一部には、あの用意周到さと冷静沈着さと捨て身の覚悟に、政治テロの可能性も捨てきれないという見方も残っているようです。

たしかに、これほどの重大事件なのですから、情報が厳重に管理されているのは間違いないでしょう。昭恵夫人が病院に到着して数分後に亡くなったというのも、到着まで死亡確認を待っていたのかもしれません。

一方で、犯人の人生を考えると、あそこまで殺意をエスカレートした裏に、やはり”上と下の問題”があるように思えてなりません。元海上自衛隊員と言っても20代前半の3年間だけで、最近は家賃38000円のワンルームマンションにひとりで暮らし、派遣の仕事で生活を支えていたそうです。職場の人たちも、大人しくて孤独な印象だった、と口を揃えて証言しているのでした。

大物政治家の家系に生まれて上げ膳据え膳で大切に育てられ、おせいじにも優秀だったとは言えないボンボンだったにもかかわらず、周りが敷いたレールに乗って、とうとう総理大臣にまで上り詰めた元首相。父親の死をきっかけに母親が統一教会に入信して経済的に破綻した末に、家族の関係も崩壊して大学進学も断念し、人生設計をくるわされた犯人(この記事のあとにアップされた文春オンラインには、実兄が病気を苦に自殺、本人も海上自衛隊時代に自殺未遂したと書かれていました)。そんな二人を対比すると、私には不条理という言葉しか浮かびません。文字通りこの世に神はいないのかと思ってしまいます。

ちなみに、事件の発端になった統一教会(現在は「世界平和統一家庭連合」と改名)は、霊感商法と合同結婚式で知られた韓国に本部があるカルト宗教で、安倍元首相が同会と深い関係があるのは衆知の事実でした。昨年の系列団体のイベントでもリモートで挨拶しているくらいです。犯人が元首相を逆恨みしたのも故なきことではないのです。

事件直後、ひろゆきは下記のように、今まで蔑ろにされ社会から疎外された人たちの多くは自殺を選んできたけど、これからは「他殺」を選ぶ人間も出てくるのではないか、とツイートしていましたが、ホリエモンなどに比べれば的を射た発言のように思いました。


さらに話を飛躍させれば、社会から疎外された人たちの声を代弁する「下」の政治(政党)が不在な中で、今回の犯人も含めて彼らは、政治的イデオロギーとは別の回路でこの社会の矛盾や不条理に突き当ったとも言えるのです。その結果として、個人的なテロがあるのではないか。

誤解を怖れずに言えば、フランスをはじめヨーロッパでは「下」の政治を極右や急進左派が担っているのですが、日本ではカルト宗教がその代わりを担っていると言えなくもないのです。もちろん、それは餌食にされているという意味です。参院選の応援演説の場で犯行が行われたのも、まったく機能していない政治に対する「下」からのメッセージのようにも私には思えました。

これだけ監視カメラが街中に設置され徹底した監視が行われていても、「暴力は民主主義の敵だ」というような「話せばわかる」民主主義の幻想が振り撒かれても、死や逮捕を覚悟した個人的なテロを防ぐことはできないように思います。「ロンリーウルフ型テロ」という言葉があるそうですが、まさかと思うような人間が政治的イデオロギーとは関係なくテロを実行するような時代になっているのです。今回の事件も特殊な例だとはとても思えません。


※「宗教団体」を実名に直しました。
※内容を一部書き直しました。


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2022.07.09 Sat l 社会・メディア l top ▲
参議院選挙が公示され、駅前では候補者が揃いのTシャツを着たスタッフを従えて、愛想を振り撒きながら演説をしている光景が日常になっています。

聞くと勇ましい国防の話は多いのですが、もっとも身近で切実な格差社会=貧困の問題はどれも通りいっぺんなものばかりで、候補者がホントに貧困問題の切実性を共有しているかはなはだ疑問です。もとより貧困問題はあまり票になりにくいという側面もあるのかもしれません。

当然ながらどの候補者も物価高の問題には触れてはいますが、それも貧困にあえぐアンダークラスに向けてというより、まだまだ余裕があるミドルクラスの有権者に媚を売るような主張が多いのです。

でも、日本は先進国で最悪の格差社会を有する国です。生活保護の基準以下で生活する人が2000万人もいるような国なのです。

所得から所得税・住民税・社会保険料など租税公課を差し引いた金額が可処分所得ですが、さらに世帯ごとの可処分所得を世帯員数の平方根で割った金額を等価可処分所得と言います。そして、ちょっとややこしいのですが、等価処分所得の中央値の半分に引いたラインが「貧困線」になります。その貧困線に満たない(達しない)世帯員の割合が相対的貧困(率)と呼ばれます。相対的貧困(率)はOECD(経済協力開発機構)で定められた計算式に基づいて算出される国際基準で、そのボーダーラインの可処分所得は2019年で127万円だと言われています。

厚労省が発表した「2019年国民生活基礎調査」によれば、ボーダーラインの可処分所得が127万円未満の国民は、全体の15.4%だそうです。人数で言えば、約1930万人です(上の生活保護基準以下の数値とほぼ一致する)。つまり、日本の相対的貧困率は15.4%で、G7の中ではワースト2位です。

子ども(17歳以下)の相対的貧困率は13.5%、約260万人です。また、ひとり親世帯の相対的貧困率は48.1%、約68.2万世帯です。

日本では、これだけ多くの人たちが可処分所得127万円以下で生活しているのです。127万円を月に直せば10万円ちょっとです。その中から家賃や電気代やガス水道代やNHK受信料!を払い、残りのお金で食費をねん出しているのです。マンションや一戸建ての家を持っているミドルクラスのサラリーマン家庭が口にする「生活が苦しい」とは、まるでレベルが違うのです。

音楽評論家の丸屋九兵衛氏のTwitterを見ていたら、次のようなリンクが貼られていました。


アホな人間は、日本人は何でもすぐ政治のせいにするなどと言って、貧しいのも自己責任であるかのような言い方をするのが常ですが、カナダの大学が言うように、日本の貧困は「世界的にも例の無い、完全な『政策のミス』による」ものなのです。個人の努力が足りないからではないのです(上記のリンクは途中までしか表示されていません。「Twitterで会話をすべて読む」をクリックすると、最後まで表示されます)。

今でも何度もくり返し言っているように、日本には「下」の政党が存在しなことがそもそもの不幸だと言えます。(上か下かを問う)「下」の政治が存在しないのです。

同じ丸屋九兵衛氏は、次のようなツイートにもリンクしていました。


いくら「日本凄い!」と自演乙しようとも、日本がどんどん貧しくなっているのは誰の目にもあきらかです。誰も本気で戦場に行く気もないのに、口先だけの”明日は戦争”ごっこをしている場合ではないのです。

今、必要なのは「下」の政治なのです。フランスでは、「下」の政治を5月革命のDNAを受け継ぐ急進左派とファシストの極右が担っているのですが、日本ではそれが決定的に欠けているのです。

いつものことですが、メディアも政権党を側面から応援するために、格差社会の現実から目を背け”明日は戦争”を煽るばかりです。貧困にあげく人たちは完全に忘れられた存在になっています。彼らの切実な声をすくい上げる政党がないのです。その意味では、今回の参院選も、いい気な人たちのいい気なお祭りのようにしか見えません。
2022.06.29 Wed l 社会・メディア l top ▲
いわゆる侮辱罪を厳罰化する刑法改正が先の国会で成立しました。今回の改正は、フジテレビの「テラスハウス」に出演していた女子プロレスラーの木村花さんがネット上の誹謗中傷が原因で自殺したことが直接のきっかけでした。改正案でも「ネット上の誹謗中傷を抑止するため」と説明されています。

今までの侮辱罪の法定刑は、拘留30日未満、もしくは科料1万円未満でしたが、改正により1年以下の懲役または禁錮、もしくは30万円以下の罰金に強化され、時効も1年から3年に延長されました。つまり、拘留ではなく懲役刑が科せられることになったのです。

刑法には別に名誉棄損罪があります。名誉棄損と侮辱はどう違うのか、それも曖昧なままです。ただ、侮辱罪の方が名誉棄損罪に比べてハードルが低いのはたしかでしょう。

リテラでも、侮辱罪のハードルの低さを次のように指摘していました。

リテラ
「侮辱罪の刑罰強化」の目的は政権批判封じ=ロシア化だ! 自民党PT座長の三原じゅん子は「政治家にも口汚い言葉は許されない」

 そもそも、名誉毀損罪は公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した場合に成立するが、例外規定として、公共の利害にかんする内容かつ公益を図る目的があり、その内容が真実であれば罰せられない。また、真実だと信じてもやむをえない状況や理由、つまり「真実相当性」があれば悪意はないとして違法性は阻却されることになっている。一方、侮辱罪は事実を摘示しなくても公然と人を侮辱した場合に成立し、名誉毀損罪のような例外規定がない。何をもって「侮辱」とするかは極めて曖昧だ。
(同上)


そのため、三原じゅん子議員のような「政治家への言論を規制したいという目論見に対し、何の歯止めもなされていない」(同上)のが実情です。「侮辱罪の厳罰化をめぐる法制審議会の審議でも『政治批判など公益のための言論なら罰されない』という意見が出されているが、しかし、公益性があるかどうかを判断するのは権力側の捜査当局」(同上)なのです。要は権力の胸三寸なのです。

2019年の前回の参院選の際、北海道の札幌で、街頭演説していた安倍晋三首相(当時)に対して、男性が「安倍辞めろ」「帰れ」とヤジると北海道警の警察官がやって来て強制的に排除され、さらに別の男性が「増税反対」と訴えると、同じように移動するように求められ、演説が終わるまで警察官に付きまとわれたという事件がありましたが(のちの裁判で札幌地裁は、北海道警の行為は「表現の自由」を侵害するもので違法と認定)、これからはそういった行為も、告訴されれば侮辱罪として摘発される可能性がないとは言えないでしょう。

もっとも、当局のいちばんの狙いは、摘発より抑止効果だという指摘があります。厳罰化によって、政治家や著名人や有名企業に対する批判(悪口)を委縮させ封じ込める効果を狙っていると言うのです。

リテラも次のように書いていました。

そもそも、世界的には侮辱罪や名誉毀損罪は非犯罪化の流れにあり、当事者間の民事訴訟で解決をめざす動きになっている。国連自由権規約委員会も2011年に名誉毀損や侮辱などを犯罪対象から外すことを提起、「刑法の適用は最も重大な事件に限り容認されるべきで拘禁刑は適切ではない」としている。ところが、今回の侮辱罪厳罰化は世界の流れに逆行するだけでなく、もっとも懸念すべき権力者への批判封じ込めに濫用されかねないシロモノになっているのである。


また、言論法やジャーナリズム研究が専門の山田健太専修大学教授も、「琉球新報掲載のメディア時評のなかで、こう警鐘を鳴らしている」そうです。 

〈日本では、政治家や大企業からの記者・報道機関に対する「威嚇」を目的とした訴訟提起も少なくない。いわば、政治家が目の前で土下座させることを求めるかのような恫喝訴訟が起きやすい体質がある国ということだ。そうしたところで、より刑事事件化しやすい、あるいは重罰化される状況が生まれれば、間違いなく訴訟ハードルを下げる効果を生むだろう。それは結果的に、大きな言論への脅威となる。〉
(同上)


しかし、侮辱罪の厳罰化に便乗しているのは与党の政治家や有名企業だけではありません。野党の政治家や、あるいはリベラル系と言われるジャーナリストやブロガーなども同じです。彼らにも、自分たちに向けられた批判(悪口)に対して、すぐ訴訟をチラつかせるような姿勢が目立ちます。しかも、無名の市民のどうでもいいようなSNSの書き込みに対して過剰に反応しているケースも少なくないのです。そこには、「自由な言論」(竹中労)に対する一片のデリカシーもないかのようです。彼らは、所詮権力と利害を共有する”なんちゃって野党”にすぎないことをみずから白状しているのです。

参院選が近づくにつれ、立憲民主党界隈からのれいわ新選組に対する攻撃もエスカレートする一方です。国会の対ロシア非難決議に、れいわ新選組が唯一反対したことを根拠に、何だか主敵は自公政権よりれいわ新選組と考えているのではないかと思えるくらい、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い式にエスカレートしているのでした。大石あきこ議員の(岸田総理は)「資本家の犬」「財務省の犬」という発言も、彼らにはヤユしたり嘲笑したりする対象でしかないのです。彼らは、この国の総理大臣が「資本家の犬」「財務省の犬」だとは寸分も思ってないのでしょう。

戦争中の鬼畜米英と同じで、ロシア非難の翼賛的な決議に同調しないれいわ新選組はまるで「非国民」のような扱いです。特に、ゴリゴリの左派系議員の憎悪をむき出したような発言を見るにつけ、三つ子の魂百までではないですが、衣の下からスターリン主義の鎧が覗いたみたいでおぞましささえ覚えるほどです。ここでも左派特有の”敵の敵は味方論”が顔を覗かせているのでした。

ブルーリボンのバッチを胸に付け、「ミサイル防衛・迎撃能力向上」「ハイブリッド戦への対応」の「強化」など、「防衛体制の整備」(立憲民主党参院選2022特設サイトより)を訴える野党第一党の党首。今までの対決姿勢から政策提案型へ路線変更したことで、先の国会では内閣が提出した法案61本が全て可決・成立し、国内外の難題が山積しているにもかかわらず、国会は惰眠を貪るような牧歌的な光景に一変したのでした。

先日行われた杉並区長選挙では、市民団体が擁立した野党統一候補が4選を目指した現職に競り勝ちましたが、参議院選挙では連合からの横槍が入ったこともあり野党共闘にはきわめて消極的で、一人区で候補者を一本化できたのは半分にも満たないあり様です。そのため、杉並区長選の”追い風”を生かすこともできないのでした。そもそも生かすつもりもないのでしょう。

参院選を前にして、自民党を勝たせるためだけに存在する旧民主党のずっこけぶりはまったく見事としか言いようがありません。傍から見ると、敗北主義の極みみたいですが、でも、当人たちは危機感の欠片もなく”敵の敵”に塩を送りつづけているのでした。

れいわ新選組の対ロシア非難決議反対については、下記のような評価があることも私たちは知る必要があるでしょう。

JAcom
「れいわ」の見識をロシア非難に見る【森島 賢・正義派の農政論】

全体主義への道を掃き清めているのは誰なのか。何度も言うように、私たちは、”左派的なもの”や”リベラル風なもの”をまず疑わなければならないのです。


※タイトルを変更しました。
2022.06.22 Wed l 社会・メディア l top ▲
去年の秋までスマホは二台続けてHUAWEIを使っていました。いづれも3年くらい使ったと思います。

しかし、二台目は何故か地面に落とすことが多くて、画面にかなり傷がついてしまいました。とは言え、使うのに支障をきたすほどではなかったのですが、去年の秋にふと思い付いて新しいスマホに買い替えることにしました。

新しく買ったのは、某国産メーカーのXというミドルレンジの機種で、今まで使っていたHUAWEIと比べると3倍くらい高いスマホです。

しかし、半年以上使ってみて、HUAWEIからXに替えたことを後悔しています。これだったら、HUAWEIの画面を修理して、ついでにバッテリーも新しく交換した方がよかったような気さえします。あるいは、最近、HUAWEIの代わりにハイスペックな割りに低価格なOPPOというメーカーのスマホが出ていますが、それでもよかったように思います。

そう言うと、ネトウヨまがいな連中から、個人情報を中国共産党に流されていいのかというお決まりな”反論”が返って来るのが常です。しかし、別に中国共産党でなくても、個人情報はGoogleにいいようにぬかれています。そして、スノーデンの話では、その個人情報をアメリカ国家安全保障局 (NSA)が勝手に覗いているのです。スマホを使っている限り、そこでやりとりされる個人情報は裸も同然なのです。そんなのは常識中の常識でしょう。

「ニッポン凄い!」の自演乙をいつまで続けていても、このように現実はどんどん先に、ニッポンがそんなに凄いわけではない方向に進んでいるのでした。日本のメディアは、「日本的ものづくりの大切さ」みたいな物語を捏造して、どうみてもお先真っ暗のような町工場の未来をさも希望があるかのように描くのが好きですが、でも、私たちの前にあるのは容赦ない、誤魔化しようのない現実です。

「中華製」というのは、中国製品をバカにする言葉ですが、いつの間にかバカにできない「中華製」の商品が私たちの前に溢れるようになっているのでした。日本人の多くは、未だ「中華製」は所詮コピーにすぎないと「格下」に見るような偏見に囚われていますが、しかし、私にはそれは負け惜しみのようにしか思えません。もとより技術移転というのはそんなものでしょう。日本製品だって昔はモノマネと言われていたのです。とりわけIT技術で管理された現代の工業製品の世界では、キャッチアップする速度も昔とは比べものにならないくらい速くなっているのです。もちろん、よく言われるようにイノベーション能力がこれからの中国の大きな課題ですが、少なくとも中国が安価でハイスペックな商品を造る段階まで達したのはたしかでしょう。

ひるがえって考えれば、そこに、いつまでも過去の栄光にすがり、武士は食わねど高楊枝で「ニッポン凄い!」を自演乙している日本人及び日本社会の問題点が浮かび上がってくるのでした。

外資系大手のカナディアン・ソーラー・ジャパンの社長である山本豊氏は、朝日のインタビュー記事で、「外資系企業で長く働いた経験から、日本メーカーに共通する弱点」を次のように指摘していました。

朝日新聞デジタル
存在感失った日本メーカー 外資系社長が語る「圧倒的に劣る3点」

  「日本メーカーは、日本流の品質管理、日本流の生産計画が一番いいという『神話』で動いている。アジアの拠点に日本からマネジメント層を送り込み、日本流のやり方でやるんだ、アジアの人は安い労働力として使うんだという、そういう上から目線。それではなかなかうまくいかない。客観的に見ると、日本の製造業は生産計画、品質管理、すべての面でかなり遅れている。データの取り方、使い方が昭和のやり方のまま。こと量産でコストを落とすことの真剣さは完全に中国に負けている」


ここで言う「神話」こそが「ニッポン凄い!」という自演乙にほかなりません。経済(名目GDP)成長率も先進国で最低であるにもかかわらず、急激な円安と物価高に見舞われている日本が、これから益々経済的に衰退して貧しくなっていくのは誰が見ても明らかでしょう。でも、日本のメディアは、インバウンドで日本経済が復活するかのような幻想をふりまいています。前も書きましたが、外国人観光客が日本に来るのは、日本が安い国だからです。安い国ニッポンを消費するためにやって来るのです。ただそれだけのことなのに、そこに日本再生のカギがあるかのように牽強付会するのでした。

一方で、中国のゼロコロナ政策を嘲笑うような報道も目立ちますが、私は逆に、ゼロコロナ政策に中国経済の”余裕”すら感じました。もちろん、一党独裁国家だから可能なのですが、もし日本だったらと考えても、あんなに徹底的に都市封鎖して経済活動を完全に止めることなどとてもできないでしょう。

案の定、日本は、弱毒化したとは言え、新規感染者がまだ毎日1万人以上出ているにもかかわらず、経済活動を再開しなければ国が終わるとでも言わんばかりに、昨日までの感染防止策もほとんど有名無実化するほど焦りまくっているのでした。マスクにしても、感染が落ち着いたのにどうして日本人はマスクを外さないのかと、まるでまだマスクをしているのはアホだとでも言いたげな新聞記事まで出るあり様です。しかし、そんな手のひら返しをした末に打ち出された経済活動再開の目玉が、日本のバーゲンセールとも言うべきインバウンドなのです。もうそれしかないのかと思ってしまいます。この前まで人流抑制とか言っていたのに、一転して人流頼みなのです。

もっとも、そのインバウンドにしても、コロナ前の2019年度の訪日外国人観光客31,882,049人のうち、実に33%が中国からの観光客です。欧米の中でいちばん多いアメリカ人でさえ5%にすぎません。しかも、中国人観光客の個人消費額は欧米人の約5倍で、人数だけでなく落とすお金においても中国頼りなのです。中国から観光客がやって来ない限り、インバウンドの本格的な経済効果も見込めないのが現実なのです。

1千万人単位の国民に対していっせいに無料のPCR検査を行なう中国の凄さにも驚きましたが、その上海の街の様子や検査の行列に並ぶ市民の恰好などを見て感じるのは、日本以上に洗練された豊かな都市の光景です。一党独裁国家だからという理由だけでは説明がつかない、中国の底力を見せられた気がしました。

HUAWEIがあれだけ叩かれたのも、アメリカにとってHUAWEIが脅威だったからでしょう。個人情報云々は建前で、5GのインフラをHUAWEIに握られるのを何より怖れたからでしょう。

『週刊エコノミスト』の今週号(6/21号)に掲載されていた「ウクライナ危機の深層」と題する記事で、執筆者の滝澤伯文(たきざわおさふみ)氏は、ウクライナ侵攻をきっかけに今後、世界の「軸」はアジアに移ると書いていました。もちろん、それは中国が世界の「軸」になるという意味です。

アメリカがウクライナを支援する背景には「経済利権」維持の狙いがあり、バイデン政権の中枢やその周辺には、「経済・軍事における米国の覇権を死守し、基軸通貨ドルを維持したい『最強硬派』と、米国は総体的な優位を維持しながら、中国との共存もやむなしと考える『多極主義者』」が存在し対立しているそうです。

  米国の政権中枢部は、中国とも協調すべきとする多極主義者たちのほうが多数派であり、仏独など大陸欧州も同様だ。国内総生産(GDP)で中国に抜かれても、米欧の優位性はまだしばらく続くという考え方だ。
  とはいえ、資本主義経済の優劣は人口が決め手になる。すなわち、経済では中国が勝者となり、白人優位が終わり、清王朝の最盛期だった18世紀前半以来世界の軸が300年ぶりに欧米からアジアにシフトする。究極的には、これを容認するかしないかが最強硬派多極主義者の違いだ。両者の暗闘の帰越はウクライナでの戦況さえ左右しかねない。
(『週刊エコノミスト』6/21号・「ウクライナ危機の深層」)


アメリカの尻馬に乗って核武装を唱え対抗意識を燃やす前に、まず日本人がやらなけばならないのは、好きか嫌いかではなく、虚心坦懐に現実を見ることでしょう。そうしないと、アジアの盟主として、世界を分割する覇権国家として、再び世界史の中心にその姿を現わした中国にホントの意味で対抗などできないでしょう。いつまでも現実から目をそむけて、負け犬の遠吠えみたいことを続けていても仕方ないのです。


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2022.06.17 Fri l 社会・メディア l top ▲
「きっこのブログ」でおなじみのブロガー・きっこが、先日、次のようにツイートしていたのが目に止まりました。


なんだよ、これは。山で遭難した人間をそんな目で見ていたのか、と思いました。開いた口が塞がらないとはこのことでしょう。

きっこは、「オムライス党」と呼ぶ社民党のシンパであることを公言し、特に激しい安倍政権批判で人気ブロガーになったのですが、こういった登山に対する予断と偏見を何のためらいもなく書き散らしているのを見て、あらためて彼女の底の浅さ、危うさを痛感させられた気がしました。

それは、(古い言い方ですが)朝日新聞の”リベラル風”とよく似ているように思います。

前も書きましたが、1950年代半ばに、北朝鮮への帰還事業と並行して「内地に居留する旧植民地出身者を追い出す」ために、旧厚生省が主導した生活保護叩きのキャンペーンが行われたのですが、その際、キャンペーンのお先棒を担いだ朝日新聞には、「こんなに贅沢な朝鮮人受給者」「(受給者の家に行くと)真新しい箪笥があった」「仕事もしないで一日中のらりくらい」というようなバッシングの記事が連日掲載されていたそうです。今のネトウヨが主張する「在日特権」のフォーマットは60年前の朝日新聞にあったのです。

私たちは、”左派的なもの”や”リベラル風なもの”をまず疑わなければならないのです。

もちろん、登山というのはあくまで趣味=遊びにすぎません。登山が趣味の人生であっても、登山より大事なものは沢山あります。新興宗教にのめり込む信者と同じように、仕事そっちのけで登山にのめり込む人間もいますが、そんな人間はハイカー(登山愛好者)の基準ではないし、ましてや憧れでも尊敬の対象でもありません。私が登山ユーチューバーの動画を観て違和感を抱くのはその点です。だからと言って、きっこのような言い草はないでしょう。これではヤフコメなどの下等な”遭難者叩き”と寸分も変わらないのです。

たかが登山の話なのに大袈裟と思われるかもしれませんが、そこには”左派的なもの”や”リベラル風なもの”が依拠するこの社会の本質が露呈されているように思えてなりません。右か左かではないのです。右も左にも共通するこの社会の本質こそが問題なのです。

きっこのブログは、所詮この社会を構成するマジョリティ=規範に依拠し思考停止した薄っぺらな言説にすぎないのです。それでは、差別と排除の力学によって仮構されたこの社会や市民としての日常性の本質に、絶対に行き当たることはないでしょう。きっこは、「現実をかすりもしない」(宮台真司)左派リベラルの弛緩したトートロジーから生まれた(手垢にまみれた”左派リベラル風”の常套句をただ駆使するだけの自称政治通の人たちにとっての)愛玩物アイドルにすぎないのではないか。それがこのような、リゴリスティックな予断と偏見に満ちたもの言いを生んでいるのではないかと思いました。
2022.05.17 Tue l 社会・メディア l top ▲
私もほぼ2日に一度スーパーに買物に行くのですが、最近の食品や日用品の相次ぐ値上げは尋常ではありません。既に値上げされた商品は6000品目にも上るそうです。しかも、今までと違って値上げの幅も大きいのです。

この値上げをもらたした要因は、言うまでもなく円安です。では、何が今の急激な円安をもたらしているのかと言えば、日米の金利差によるものだと言われています。

今や先進国で金融緩和を続けているのは日本だけです。どうして日本だけが金利を抑制する金融政策を転換しないのか。その背景について、メディアに登場する専門家は誰も説明しません。ただ、円安は、日米の金融政策の違いによるものだと決まり文句を言うだけです。

そのことについて、Yahoo!ニュースのオーサーコメンテーターの山田順氏は、次のように書いていました。

Yahoo!ニュース(個人)
なぜ、円はロシアのルーブルより弱いのか? 誰もズバリ言わない円安の本当の理由。

 金融緩和をやめて、引き締めに転じれば、当然ながら金利は上昇する。インフレに対する金融対策はこれしかない。しかし、そうすると、国債利払い費がかさみ、国家財政が破綻してしまう可能性が現実になる。
(以下、引用はすべて同じ)


つまり、政府日銀の金利抑制策の背景には、危機的なレベルに達している国家財政(莫大な国債の利払い負担)の問題が伏在しているというわけです。政府の失政のために、国民の生活が犠牲になっているのです。

昨日(20日)も、日銀は指定した利回りで国債を無制限に買い入れる「指し値オペ」(公開市場操作)を行ったという報道がありました。ただ、日銀が買った国債に利払いは生じませんので、この場合は、日銀がお札を刷って政府の借金を帳消しにしているだけです。言うなれば、MMTを実践しているようなものです。しかし、それだけあらたに刷ったお札が市中に出回ることになるので、さらなる円安&インフレ要因になるのは素人でもわかります。

もちろん、市中に出回ると言っても、空中からばら撒かれるわけではないので、私たちの懐に直接入るわけではありません。学校の教科書では、経済の法則でまわりまわって懐に入って来ることになっていますが、賃金の実状からもわかるように、実際はまったくまわって来てないのです。

東京はときならぬ再開発ブームで、まるで競い合うように超高層ビルがあちこちに建てられていますが、そんな異様な光景と今の”金余り”は無関係ではありません。市中に出回ったお金はそういったところに集中的に注がれているのです。政府と日銀は、自国の通貨の価値を下げながら、そうやって不動産バブルを煽っているのです。

でも、超高層ビルのなかで働いている人間の半分は非正規雇用です。建物だけは立派でオシャレだけど、働いている人間たちの生活はちっとも豊かではないしオシャレでもないのです。それが今の日本の現実です。

しかも、円が安くなっているのはドルだけではないのです。ユーロや人民元、さらには経済制裁を受けている(はずの)ロシアのルーブルに対しても安くなっているのです。「そんなバカな」と言われるかもしれませんが、「そんなバカな」ことが現実に起きているのです。

ただ一方で、円安がアメリカとの金利差に連動していることもからわかるように、ロシアのウクライナ侵攻と同じように、アメリカが超大国の座から転落して世界が多極化するという世界史の書き換えと無関係でないのも事実です。対米従属の所産という側面も忘れてはならないのです。

ロシアが原油や石炭や天然ガスなどの支払いをドルではなくルーブルに変えるように各国に要請したというニュースを前に伝えましたが、そこにあるのも世界経済の基軸であったドル(建て)からの脱却です。ウクライナ侵攻をきっかけに、ロシアも公然とその姿勢をあきらかにしたのでした。

 かつて世界の産油国は、石油取引で手にした莫大なドル収入を、ロンドンを中心とした世界中のオフショア金融市場を通じてドル建て金融商品で運用してきた。その最大の金融商品は、アメリカ国債だった。

 つまり、世界の資産はほぼドル建てであり、グローバル企業も富裕層も、みなドルで資産を運用してきた。ロシアのオリガルヒも同じだ。

 しかし、いま、その体制がウクライナ戦争をきっかけに崩れようとしている。バイデン大統領が、「軍事介入はしない」と言って、ロシアのウクライナ侵略を許したために、こんなことになってしまった。この老大統領は、ドルの価値を低下させ、アメリカの世界覇権を失わせつつあることに気がついているのだろうか。


気がついてないわけがなく(笑)、もはやそれしかアメリカの生きる道はないからです。

 アメリカはなぜ、イタリアやテキサスより小さい約1兆5000億ドルのGDPしか持たないロシアを脅威としたのか? ただ、核を持っているだけで、軍事費にいたってはアメリカの10分の1である。

 そんな国のために、アメリカが世界覇権を失い、ドルが基軸通貨から転落するとしたら、世界は無秩序になる。


それが多極化ということなのです。金との兌換通貨でもないドルが、いつまでも基軸通貨でいられるわけがないのです。金本位制から変動相場制に移行しても、ドルが実質的な基軸通貨でありつづけたのは、圧倒的な経済力と軍事力を背景にした”経過処置”にすぎなかったのです。

最新版の2021年「世界の一人当たり名目GDP国別ランキング」(IMF発表)によれば、日本は28位です。一方、韓国は30位でまだ韓国に追い抜かれていません(「一人当たり購買力平価GDP」では2019年に既に抜かれています)。ちなみに、2000年は2位、アベノミクスが始まる前の2012年でも13位でした。アベノミクス以降、それだけ日本の経済力は落ちているのです。

一方、2000年から2018年の「一人当たり名目GDP成長率」は、中国が12.9%、韓国が5.7%、アメリカが3%なのに対して、日本は0.7%と際立って鈍化しています。これでは、「世界の一人当たり名目GDP国別ランキング」も、国民の平均年収と同じように、早晩、韓国に抜かれるのは間違いないでしょう。

賃金も然りで、2000年から2020年までの20年間で、各国の賃金は1.2倍から1.4倍に上がっていますが、日本だけが横ばいでほとんど上がっていません。にもかかわらず、急激な円安で円は20年前の水準まで下落、物価が急上昇しているのです。単純に考えても、益々生活が貧しくなり格差が広がるのは目に見えています。当然の話ですが、国の経済力が衰えるというのは、それだけ国民が貧しくなるということでもあるのです。

 円安は円が売られるから起こる。しかし、いまの円安は、円売りではなく「日本売り」だ。日々、経済衰退する国の通貨を、投資家はもちろん、誰も持ちたがらない。


この現実をどうして日本人は見ようとしないのか。それが不思議でなりません。韓国に抜かれる悔しさもあるのかもしれませんが、まるで見ないことが「愛国」であるとでも思っているかのようです。前の記事で書いた高齢者の貧困問題と同じように、みんな目を遠ざけて問題を先送りしているだけです。
2022.04.21 Thu l 社会・メディア l top ▲
日大闘争と全共闘運動


ついにと言うべきか、東京板橋区にある日大医学部付属病院の建て替えをめぐる背任事件に関連して、日大の田中英寿理事長が東京地検特捜部に所得税法違反容疑で逮捕されました。

田中理事長が、大学やその関連施設に出入りする業者の窓口として、大学が100%出資した「株式会社日本大学事業部」を作ったのは2010年です。以後、出入り業者は取引きする際に「日本大学事業部」を通さなければならなくなり、業者の選定も「日本大学事業部」がやるようになったそうです。司直の手が伸びたと言えば聞こえはいいですが、このようにやっていることがあまりに露骨で、政界や闇社会との関係も取り沙汰されていたので、「巨悪は眠らせない」(という架空のイメージがメディアによって付与された)東京地検特捜部に目を付けられ、ターゲットになったというのが真相でしょう。

所得税約5300万円を脱税したとして逮捕されたのが11月29日で、その2日後の12月1日に日大の臨時理事会は、本人の申し出もあって、田中氏の理事長解任を決定したのでした。

これによって、「アマチュア相撲の学生横綱から、大学職員、理事、常務理事となり、2008年に理事長就任。5期13年にわたり、権限の集約と側近重用で築き上げた『「田中王国』が崩壊、ついに終焉の時を迎えた」(FRIDAY DIGITAL)のです。

私は、このニュースを聞いたとき、(私自身は下の世代なので直接には知りませんが)、1968年から1970年にかけて戦われた日大闘争を思い起こしました。

田中前理事長の存在はもちろんですが、理事長や理事たちが大学を私物化した今回の事件も、日大闘争が道半ばでやり残した問題が露呈している気がしてなりません。

日大闘争との関連を報じたのは、私が知る限りJBpressというネットメディアだけです。朝日などは、田中前理事長とカルロス・ゴーンの共通点なるトンチンカンな記事を書いてお茶を濁しているあり様でした。

JBpressのタイトルと記事の内容は次のようなものです。

JBpress
日大全共闘と敵対、学生用心棒からドンにのし上がった田中英壽

   日大闘争は1968年の4月に始まった。発端は理工学部教授による裏口入学の斡旋だ。動いた金は3000万円。それだけではなかった。さらに調べによると大学当局にも22億円という巨額の使途不明金が見つかった。大学のあり方自体が問われる問題だった。学問の場という知的環境が金まみれになっていたのだ。大学上層部がカネ絡みのスキャンダルの張本人だったという点を見れば、今回の田中英壽、井ノ口忠男の事件と何も変わらない。
(JBpress同上記事)


「国家権力である機動隊は治安維持のプロだから強いのは当たり前だけど、それとは別に日大にはプロのヤクザのような集団がいたな」

  とOB達は振り返る。

  その集団とは“関東軍”と呼ばれる柔道部や相撲部、空手部などの体育会系の学生とそのOBで日大や系列校の職員による集団で、300人くらいが日本刃やハンマーを持って学生に襲いかかってきたのだ。現場ではまさに血の雨が降った。その大学お抱え“関東軍”を率いていたのが日大相撲部で学生横綱にもなった前理事長の田中英壽(74)だ。68年当時は経済学部の4年生だった。
(同上)


また、全共闘の元学生たちの証言をまとめた『日大闘争と全共闘運動』(三橋俊明編・彩流社)の巻末にある「日大闘争略年表」には、次のような記述がありました。

1970年(昭和45年)
二・二五
京王線武蔵野台駅付近でビラ配布中、右翼暴力学生集団に襲撃され日大全共闘商闘委の中村克己さんが重傷。襲われた二九名が逮捕され、一名が起訴。襲撃した右翼学生は後日逮捕されるが、全員が不起訴。

三・二
入院加療中の中村克己さんが永眠。(略)


当時の日大は「ポン大」と呼ばれ、受験のランクもおせいじにも高いとは言えませんでした。大学進学率が15%を超え、「大学の大衆化」が言われ始めた頃だったのですが、日大は文字通りそれを象徴するようなマンモス大学だったのです。しかも、学内は大学側と一体化した体育会系の右翼学生が支配し、「学生運動のない大学」を謳い文句に、集会やデモなどとても考えられないほど厳しい管理下におかれていたのです。そのため、日大闘争は、同時期に戦われた東大闘争などとはまったく異なり、「マルクスも読んだことがない」非エリート学生たちの身体を張った命がけの闘争と言われたのです。

1968年に神田の三崎町で日大生が200メートルのデモをしたのも「画期的」と言われました。それこそデモをするのも命がけだったのです。それは、日大全共闘が掲げた「①経理の全面公開、②全理事の総退陣、③検閲制度の撤廃、④集会の自由を認めろ、⑤不当処分の撤回」の5大スローガンにもよく表われています。日大全共闘は、これを「民主化要求闘争」と呼んでいたそうです(『日大闘争と全共闘運動』より)。

『日大闘争と全共闘運動』は、冒頭、次のような文章で始まっていました。

   1968年五月、日本大学で「使途不明金」に端を発した日大闘争が沸騰しました。
   東京国税局の監査で日本大学の経理に約二〇億円にも及ぶ使途不明金が判明した新聞記事とともに、不正に抗議する学生たちが集会を開いたとニュースが報じました。
  五月二三日、大学当局に抗議する日大生たちによって「栄光のニ〇〇メートルデモ」が起こります。この日のデモをきっかけに、日本大学の本部と法学部・経済学部の校舎が建つ神田三崎町界隈の路上で、大学当局の不正と不当な教育体制に異議を申し立てる抗議デモが毎日のように繰りかえされました。
  五月二七日、大学校舎の前を通る白山通りの路上で、日本大学全学共闘会議(日大全共闘)の結成が宣言されます。日大全共闘は大学に対し大衆団交による話し合いを要求し、各学部に結成された闘争委員会とともに五月三一日に全学総決起大会を開催しました。
  六月一一日、連日にわたって要求してきた大衆団交を実現しようと、経済学部一号館前での全学総決起集会が呼びかけられます。ところが、集会に参加しようと集まった多くの一般学生たちに向かって、体育会系学生や右翼が大学校舎の階上からガラス瓶や鉄製のゴミ箱などを無差別に投げつける暴行を加えたためけが人が続出します。暴力による弾圧に怒った学生たちは法学部三号館へと移動して校舎をバリケード封鎖し、この日から日大闘争はバリケードストライキ闘争へと一気に突入していったのでした。
(「まえがき」より)


身体を張った熾烈な闘争を担う日大全共闘に対しては、変な話ですがファンも多く、日大全共闘の議長だった秋田明大氏は「アキタメイダイ」と呼ばれてカリスマ的な人気を博していました。

同書では、今は故郷の瀬戸内海の島で自動車整備業を営んでいる秋田明大氏のインタビューも掲載されており、その中で秋田氏は、1967年の経済学部学生会が主催した羽仁五郎の講演会が右翼学生に襲撃されるのを目の前で見て、大学に対して怒りを覚えたと述懐していました。

(略)そりゃ、めちゃくちゃでしたよ。二〇人ぐらいの学生を黒い学ランを着た応援団や右翼の連中が大勢やってきて、会場の大講堂で講演を妨害したうえものすごい暴力を振るったんだよね。


日大闘争は、「アウシュビッツ体制」と言われた学内の暴力との死闘の歴史でもあったのです。YouTubeに上げられている「日大全共闘映画班」が制作した当時の記録映画で、火炎瓶を使うかどうかバリケードの中で激しい議論をしているシーンがありますが、その際、具体的に組の名前を上げて、ヤクザがピストルと日本刀を持って学生に襲いかかって来るのだから、防衛的に使用するのはやむを得ないと主張している学生がいました。日大闘争にはホンモノのヤクザも介入していたのです。それが日大闘争の特殊性でもあったのです。闘争では1600余名の逮捕者と、数は不明ですが相当数の学生に退学(除籍)処分が下されたと言われています。

そんな中、JBpressの記事で「あの田中は学生に向かって建物の上から砲丸投げの球を投げ落したんだ」とOBが証言しているように、田中英寿は「関東軍」を率いてスト破りをした功績が認められ、大学職員として大学に残り、のちに学内に恐怖政治を敷いて絶対的な地位を手にするのでした。

もっとも田中前理事長が権勢を誇ったのも、100万人の会員を擁する同窓会組織「校友会」の支持があったからだと言われています。昔、日大は「右翼の巣窟」と言われていましたが、これでは日大そのものがヤクザまがいの暴力支配を許容するような歪んだ体質を持っている学校だと言われても仕方ないでしょう。実際に、過去には田中元理事長が広域暴力団の会長や組長と写った写真も表に出ているのでした。

今の日大もおそらく集会やデモなど考えられないほど厳しい管理下にあるに違いありません。秋田明大氏は見て見ぬふりはできなかったと言ってましたが、それが今の学生たちと根本的に違っていると言えるでしょう。「今の学生(若者)は優しい」という声をよく耳にしますが、それはヘタレだからそう見えるだけで、むしろ見て見ぬふりをする方が賢い、正義感なんて損(貧乏くじを引くだけ)みたいな損得勘定が先に立つのが特徴です。そのため、SNSなどに見られるように、斜に構えて揚げ足取りをすることだけは長けているのです。今回の不祥事に対しても、「そうしたお金があるなら、学費を安くしてほしい」などと間の抜けた発言をするのが関の山です。

日大闘争はまだ終わってなかったのです。ただ、不正に立ち向かう学生がいなくなっただけです。


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2021.12.07 Tue l 社会・メディア l top ▲
中国のテニス選手・彭帥(ほうすい)さんをめぐる騒動について、外交評論家の宮家邦彦氏が、時事通信に示唆に富んだ解説記事を書いていました。(この記事はYahoo!ニュースにも転載されています)

時事ドットコムニュース
中国女子テニス選手、彭帥さんをめぐる騒動の本質【コメントライナー】

宮家氏が記事の中で紹介していた彭帥さんの「告白」の概要は次のようなものです。

「私は良い女の子ではない、悪い悪い女の子だ。あなたは私を自分の部屋に引き入れ、十数年前と同様、私と性的関係を結んだ。あなたは共産党常務委員に昇進し、北京へ行き、私との連絡を一度絶ったのに、なぜ再び私を探し、私に関係を迫ったのか? 感情とは複雑で、うまく言えない。あの日から私はあなたへの愛を再開した。…あなたはとてもとても良い人だった。私は小さい頃から家を離れ、内心極度に愛情に飢えていた。…あなたは私に2人の関係を秘匿させた。関係は終わったが、私にはこの3年間の感情を捨て去る場所がない。私は自滅する覚悟であなたとの事実を明かすことにした」


宮家氏が書いているように、「告白」の中では「『関係を強要された』とは言っていない」のです。しかし、いつの間にか「関係を強要された」話になり、それが独り歩きしているのでした。むしろ、宮家氏も書いているように、「身勝手な相手に捨てられた鬱憤(うっぷん)から自暴自棄になり」告白文を書いて投稿したように見えます。

しかし、告白文は、中国共産党内の権力闘争のみならず中国をめぐる外交問題にまで発展し、北京五輪の「外交的ボイコット」まで話が進んでいるのでした。もっとも最近は、「外交的ボイケット」の理由に新疆ウイグル自治区の人権侵害を上げていますので、まずボイコットありきで理由は二の次みたいな感じもあるのですが、いづれにしても、アメリカのバイデン政権が彭帥さんの「告白」をことさら政治問題化して大きくしたのは間違いないでしょう。

とは言え一方で、今回の騒動に、一党独裁国家である中国社会の暗部が露呈されていることもまた、たしかです。共産党の権力や権威を絶対視する事大主義的な社会の中で、一人の女性の人生が翻弄されたのはまぎれもない事実で、それをどう解釈するかでしょう。もっとわかりやすく言えば、今回の騒動は、共産党の地方幹部が党の権威を利用して、親元を離れてテニスの英才教育を受けている少女と性的な関係を持ち、その後、中央政府の要職に就いてからも彼女の身体と心を弄んだという話なのです。

宮家氏は、騒動の本質について、次のように書いていました。

  筆者には、森羅万象が政治的意味を持つ中国で、幼少からテニス一筋で厳しく育てられ、親の愛情を知らないまま成功を収めたものの、時の権力者に翻弄(ほんろう)された「天才テニス少女」の半生が哀れでならない。
   今ごろ、彭帥さんがどこで何をしているかは知る由もない。が、今後彼女が自由に自らの心情を語ることは二度とないだろう。
   あまりにゆがんだ中国社会は、彼女ほど有名ではないが、彼女と同じような悲しい境遇を生きる人々を毎日生みつつある。これこそが、彭帥騒動の本質ではないか。


党の腐敗と言えばそのとおりですが、私たちが政治を見る場合、こういった個人的な視点から見ることも大事なように思います。吉本隆明は「政治なんてない」と言ったのですが、言うまでもなく私たちの人生にとって、政治は二義的なものにすぎないのです。

私もこのブログで、床屋政談とも言うべき軽佻浮薄な記事を書いていますので、偉そうなことを言う資格はないのですが、政治が一番と考えるような見方では、本来見るべきものも見えなくなるような気がします。それは眞子さんの問題にも言えることでしょう。

たまたま堤未果氏の『デジタル・ファシズム』(NHK出版新書)という本を読んでいるのですが、同書を読むと、デジタル先進国の中国では、政府が最先端のデジタル技術を使って人民の生活の隅々にまで入り込み、そうやって取得した個人情報を共産党が一元管理して人民を監視し支配する、文字通りのディストピアみたいな社会になっていることがよくわかります。独裁的な政治権力とGoogleがかつて(Web2.0で)バラ色の未来のように自画自賛したデジタル技術が結び付くと、とんでもない監視社会が訪れるという好例でしょう。その意味では政治と無縁とは言えないのかもしれません。しかし、だからと言って、私たちの人生は(政治に翻弄されることがあっても)政治が全てではないのです。それだけは強調する必要があります。くり返しになりますが、坂口安吾が言うように、人間というのは政治の粗い網の目から零れ落ちる存在なのです。だから希望があるのです。もとよりバイデンだって、政治に翻弄された彭帥さんの「悲しい境遇」を慮って中国政府を批判しているわけではないのです。どっちがホントなのか、どっちに正義があるのかなんてまったくナンセンスな話です。

今回の騒動についても、アメリカ中国双方の政治的プロパガンダに動員されるのではない、私たち自身の日常感覚に基づいた冷静な視点を持つことが何より大事だと言いたいです。
2021.12.05 Sun l 社会・メディア l top ▲
眞子さんと小室圭さんが結婚され、日本を飛び立ちましたが、その姿を見ながら「私たちにとって結婚は、自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択でした」という眞子さんのことばが思い出され、涙が出そうになりました。

天皇制云々以前の問題として、若い二人に誹謗中傷を浴びせ、ここまで追いつめた日本社会や日本人の下劣さについて、私たちはもっと深刻に受け止める必要があるでしょう。

でも、それも、今の日本では馬の耳に念仏のような気がします。ネットを見ればわかるように、二人に対する誹謗中傷と「在日」や生活保護受給者などに対するヘイト・スピーチは同じ根っこにあるのですが、そういった認識はほとんどありません。

眞子さんの下記のような発言は、今の日本社会に対する痛烈な批判、違和感を表明したものと言えるでしょう。

これまで私たちが自分たちの心に忠実に進んでこられたのは、お互いの存在と、励まし応援してくださる方々の存在があったからです。今、心を守りながら生きることに困難を感じ傷ついている方が、たくさんいらっしゃると思います。周囲の人のあたたかい助けや支えによって、より多くの人が、心を大切に守りながら生きていける社会となることを、心から願っております。


天皇制反対のイデオロギーに縛られ、二人の問題について見て見ぬふりをしてきた左派リベラルもまた、眞子さんから批判されるべき対象ですが、その自覚さえ持ってないかのようです。彼等もこの日本社会のなかでは、ヘイト・スピーチを行なう差別主義者と同じ穴のムジナと言っても言いすぎではないのです。仮にヘイト・スピーチに反対していてもです。

政治の幅は生活の幅より狭いと言ったのは埴谷雄高ですが、私たちにとってたとえば恋愛は、病気などと同じようにどんな政治より大事なものです。そういった人生の本質がまったくわかってないのではないか。ましてや、好きな人と愛を貫く気持など理解できようはずもないのです。

大袈裟すぎると思われるかもしれませんが、私は、天皇制反対のイデオロギーに拘泥して二人の問題を見て見ぬふりしてきた左派リベラルに、「自由」とか「平等」とか「人間の解放」とかを口にする資格はないとさえ思っています。

余談ですが、先の衆院選における「野党共闘」の総括をめぐり、「野党共闘」周辺のグループが山本太郎や北原みのりや前川喜平氏などに対して、「限界」なるレッテルを貼ったりして執拗にバッシングしていますが、それを見るにつけ、時代は変わっても相変わらず衣の下からスターリン主義の鎧が覗いている気がしておぞましい気持になりました。その行き着く先は、言うまでもなく近親憎悪と「敵の敵は味方」論なのです。そういったことも含めて、私はイデオロギーにとり憑かれた”左翼の宿痾”というものを考えないわけにはいきませんでした。

二人の出国を前にして、元婚約者の男性が400万円の解決金を受け取ることになり、いわゆる金銭問題も急転直下して解決しましたが、何だか出国のタイミングに合わせて手打ちをしたような気がしないでもありません。

どうしてもっと前に400万円を渡さなかったのかという週刊誌の記事がありましたが、渡さなかったのではなく、下記の小室さんの発言にあるように、元婚約者が小室さんのお母さんと直接会うことに拘り400万円を受け取らなかったからです。文字通り七つ下がりの雨とも言うべきお母さんに対する執着心が問題を長引かせてきたのです。

付き合っていたときに使ったお金は貸したものだ、別れたから返せ、というチンピラまがいの要求に対して、小室さんは立場上妥協に妥協を重ね、結局、「解決金」として400万円を支払うことにしたのですが、にもかかわらず、お母さんに直接会うことが条件だとして問題をこじらせたのでした。そのあたりの下衆な事情を百も承知で、週刊誌はあたかも小室さんに誠意がないかのように悪意をもって報じてきたのです。元婚約者も、そういったメディアのバッシングを背景に要求をエスカレートしていったフシがあります。

それは、小室圭さんの会見の際の次のような発言からも伺えます。

私が母に代わって対応したいと思い、母の代理人弁護士を通じてそのことをお伝えしました。元婚約者の方からは、元婚約者の方の窓口となっている週刊誌の記者の方を通じて、前向きなお返事をいただいています。


何のことはない元婚約者の代理人は、弁護士などではなく未だに「週刊誌の記者」(実際はフリーライター)が務めていたのです。彼がバッシングのネタが尽きないように、元婚約者のストーカーもどきの執着を「借金問題」としてコントロールしてきたのではないか。某大手週刊誌に近いと言われるフリーライターは、小室家の金銭問題を演出する工作員みたいな存在だったのではないのか。そんな疑いが拭えません。少なくとも週刊誌やスポーツ新聞やテレビのワイドショーにとって、彼の存在は実においしいものだったと言えるでしょう。

『噂の真相』が健在だったなら、そのあたりのカラクリを暴露したはずです。こんな人権侵害のやりたい放題のバッシングが許されるなら、もう何でもありになってしまいます。公人・私人という考え方も極めて恣意的なもので、その刃がいつ私たちに向かって来るとも限りません。そのためにも、元婚約者や代理人のフリーライターの素性、それにフリーライターと週刊誌の関係など、小室問題の真相が衆目の下にあきらかにされるべきで、『噂の真相』のスキャンダル精神を受け継ぐと言っているリテラや『紙の爆弾』など(マイナーだけど)骨のあるメディアにもっと奮起して貰いたいと思います。

大塚英志が言う死滅しつつある既存メディアがまるで悪あがきをするかのようにネット世論に迎合した結果、バッシングがエスカレートして閾値を越え、狂気と言ってもいいような領域に入っていったのでした。東京大学大学院教授の林香里氏は、朝日の「論壇時評」で、今年度のノーベル平和賞に輝いたフィリピンのオンライン・ニュースサイト「ラップラー」の創設者マリア・レッサさんの「ソーシャルメディアは『人間の最悪の性向を技術的に増幅させている』」というニューヨーク・タイムズのインタビューでの発言を紹介していましたが、既存メディアとネット世論を媒介してバッシングを増幅させたYahoo!ニュースの存在も見過ごすことはできないでしょう。もちろん、その背後に、日本社会や日本人の底なしとも言える劣化が伏在しているのは言うまでもありません。そういった構造と仕組みを知る上でも、週刊誌的手法を逆手に取ってこの問題を総括することは非常に大事なことのように思います。
2021.11.16 Tue l 社会・メディア l top ▲
衆院選における立憲民主党の惨敗は想像以上に深刻だと言えるでしょう。あれだけ「野党共闘」による政権交代を訴えながら、獲得した議席は改選前を下回ったのです。片方の共産党も同様です。文字通り、大山鳴動してネズミ一匹に終ったのでした。

選挙が近づいた途端に新規感染者が激減したのも魔可不思議な話ですが、もちろん、だからと言ってパンデミックが収束したわけではありません。百年に一度などと言われるパンデミック下においてもなお、立憲惨敗、自民単独過半数、自公絶対安定多数のこの結果は、今まで何度もくり返してきたように、立憲民主党が野党第一党であることの不幸をあらためて痛感させられたと言えるでしょう。立憲民主党に対しては、野党としての存在価値さえ問われていると言っても過言ではありません。

立憲民主党はホントに野党なのか。今回の選挙で立民は、消費税を5%に下げるという公約を掲げました。それを聞いたとき、多くの有権者は、民主党政権(野田内閣)が公約を破って自公と「社会保障と税の一体改革に関する三党合意」なるものを結び、今日の増税路線に舵を切ったことを思い出し呆れたはずです。

当時、枝野代表は経産大臣でした。蓮舫は行政改革担当の内閣府特命担当大臣、安住淳に至っては財務大臣だったのです。野田元首相も現在、立民の最高顧問として復権しています。みんな昔の名前で出ているのです。

このように消費税5%のマニフェストだけを見ても、よく言われるブーメランでしかないのです。立民や国民民主党などの旧民主党が、自民党を勝たせるためだけに存在していると言うのは、決してオーバーな話ではないのです。

今回の選挙結果を受けて、さっそく国民民主の玉木代表があたかも連合に愁眉を送るかのように立民にゆさぶりをかけていますが、今後立民に対して旧同盟系の芳野体制になった連合の右バネがはたらき、反共の立場を明確にして自民党と中間層の取り込みを争うという中道保守政党としての”原点回帰”が進むのは間違いないでしょう。でも、それは、ますます自民党との違いが曖昧になり、野党としての存在価値をいっそう消失させ、立民が自己崩壊に至る道でもあるのです。にもかかわらず、今の立民には、連合が自分たちを潰す獅子身中の虫であるという最低限の認識さえないのです。芳野友子会長はとんだ食わせ物の反共おばさんで、ガラスの天井が聞いて呆れます。

だからと言って今回のような「野党共闘」に希望があるかと言えば、今までも何度も言っているように、そして、今回の選挙結果が示しているように、「野党共闘」が”人民戦線ごっこ”を夢想した理念なき数合わせの野合にすぎないことは最初からあきらかだったのです。そんなもので政治が変わるはずもないのです。立憲民主党や国民民主党が野党になり切れないのは、何度もくり返しますが、労働戦線の右翼的再編と軌を一にして生まれた旧民主党のDNAを受け継いだ、連合=右バネに呪縛された政党であるからにほかなりません。その根本に目を瞑って「野党共闘」の是非を論じても、単なるトートロジーに終わるだけでしょう。

「野党共闘」の支援者たちのSNSをウオッチしても、この惨敗を受けてもなお、小選挙区で立民の議席が増えたことを取り上げて、「野党共闘」があったからこの程度の敗北で済んだのだなどと言い、相変わらず夜郎自大な”無謬神話”で自演乙しているのでした。

立民は小選挙区では増えたものの、支持政党を選択する比例区では致命的と言っていいほど議席を減らしました。比例区で野党第一党が有権者に見放された事実こそ、投票率の低さも含めて野党不在の今の政治の深刻さを表しているように思います。つまり、自公政治に対する批判票の受け皿がない、立民がその受け皿になってないということです。皮肉なことに今回の「野党共闘」によって、それがいっそう露わになったと言えるでしょう。

昔、著名なマルクス経済学者の大学教授が、社会党の市会議員選挙だかにスタッフとして参加した経験を雑誌に書いていましたが、そのなかで、選挙運動を「偉大なる階級闘争だった」と総括しているのを読んで、まだ若くて尖っていた私はアホじゃないかと思ったことを覚えています。共産党はもちろんですが、「野党共闘」の接着剤になったと言われる市民連合なるものも、もしかしたらそのマルクス経済学者と同じような、「負けるという生暖かい場所」で惰眠を貪っているだけのとんちんかんな存在と言うべきかもしれません。「アベ政治を許さない!」というボードを掲げるような運動がほとんど成果を得ることなく後退戦を余儀なくされた末に、苦肉の策として「野党共闘」が構想されたという事情も見過ごすことはできないでしょう。ものみな選挙で終わるのです。

ヨーロッパで怒れる若者たちの心を掴み、議会に進出して今や連立政権の一翼を担うまでになった急進左派(それはそれで問題点も出ていますが)と日本の野党との決定的な違いは、街頭での直接的な要求運動、抵抗運動が存在するかどうかです。誤解を怖れずに言えば、ヨーロッパの急進左派は火炎瓶が飛び交うような過激な街頭闘争から生まれ、それに支えられているのです。でも、日本の野党はまるで逆です。「アウシュビッツ行きの船に乗る」とヤユされた立民への合流によって、むしろ地べたの社会運動が次々と潰されている現実があります。「野党共闘」もその延長上に存在しているにすぎません。

コロナ禍によって格差や貧困の問題がこれほど深刻且つ大きく浮上したにもかかわらず、その運動を担う政治勢力が存在しない不幸というのは、とりもなおさずホントの野党が存在しない不幸、立憲民主党が野党第一党である不幸につながっているのです。

前も引用しましたが、シャンタル・ムフの次のようなことばをもう一度(何度も)噛みしめて、今の政治と目の前の現実を冷徹に見る必要があるでしょう。

  多くの国において、新自由主義的な政策の導入に重要な役割を果たした社会ー民主主義政党は、ポピュリスト・モーメントの本質を掴みそこねており、この状況が表している困難に立ちむかうことができてない。彼らはポスト政治的な教義に囚われ、みずからの過ちをなかなか受入れようとせず、また、右派ポピュリスト政党がまとめあげた諸要求の多くが進歩的な回答を必要とする民主的なものであることもわかってない。これらの要求の多くは新自由主義的なグローバル化の最大の敗者たちのものであり、新自由主義プロジェクトの内部にとどまる限り満たされることはない。
(略)右派ポピュリスト政党を「極右」や「ネオファシスト」に分類し、彼らの主張を教育の失敗のせいにすることは、中道左派勢力にとってとりわけ都合がよい。それは右派ポピュリスト政党の台頭に対する中道左派の責任を棚上げしつつ、彼らを不適合者として排除する簡単な方法だからである。
(『左派ポピュリズムのために』)


今、求められているのは、右か左かではなく上か下かの政治なのです。むしろ極右が「階級闘争」を担っている側面さえあるのです。シャンタル・ムフは、左派が極右に代わってその政治的ヘゲモニーを握るためには、自由の敵にも自由を認める(話せばわかる)というようなヤワな政治ではなく、自由の敵に自由を許すなと言い切るような「対抗的で闘技的な政治」が必要だと訴えているのでした。彼女はそれを「民主主義の根源化」と呼んでいました。

  ソヴィエト・モデルの崩壊以来、左派の多くのセクターは、彼らが捨て去った革命的な政治観のほかには、自由主義的政治観の代替案を提示できてない。政治の「友/敵」モデルは多元主義的民主主義とは両立しないという彼らの認識や、自由民主主義は破壊されるべき敵ではないという認識は、称賛されてしかるべきである。しかし、そのような認識は彼らをして、あらゆる敵対関係を否定し、政治を中立的領域でのエリート間の競争に矮小化するリベラルな考えを受入れさせてしまった。ヘゲモニー戦略を構想できないことこそ、社会ー民主主義政党の最大の欠点であると私は確信している。このため、彼らは対抗的で闘技的なアゴニスティック政治の可能性を認めることができないのである。対抗的で闘技的な政治こそ、自由ー民主主義的な枠組みにおいて、新しいヘゲモニー秩序の確立へと向かうものなのだ。
(同上)

2021.11.01 Mon l 社会・メディア l top ▲
第49回衆院選挙が19日に公示され、31日に投開票行われることになりました。

今回の選挙のポイントは「野党共闘」だと言われています。朝日の記事によれば、全国289選挙区の75%の217選挙区で候補者が一本化され、与野党による事実上の一騎打ちは約140選挙区にのぼるそうです。

朝日新聞デジタル
初の衆院選の野党共闘 217選挙区で一本化、強さには濃淡か

そのなかの東京8区で、公示前に「野党共闘」をめぐってトラブルがありました。

公示の10日前の10月8日、れいわ新選組の山本太郎代表が、突然記者会見を行ない、「野党統一候補」として東京8区から立候補することを表明したのでした。

東京8区は、杉並区(ただし方南1・2丁目を除く)を対象にする選挙区です。小選挙区制になってから今まで8度の選挙ではいづれも自民党の石原伸晃氏が当選しており、田中龍作ジャーナルのことばを借りれば、石原氏の「金城湯池」とも言うべき選挙区です。

しかし、この突然の山本代表の出馬会見にびっくりしたのは、立憲民主党の吉田はるみ候補を野党統一候補として担いでいた市民運動や立民の地元の関係者でした。「晴天の霹靂」「怒り心頭」と報じるメディアもありました。そして、その怒りは山本代表に向けられたのでした。

山本太郎は「限界系左翼」の盲動みたいな言い方をされ、今までの市民運動(と言ってもただの選挙運動)の成果を反古にする利敵行為だとの非難が浴びせられたのでした。吉田氏の支援者のなかには、「山本太郎さんに鼻をつまんで投票しない」というボードを掲げて抗議活動を行なう人たちまで登場する始末でした。

ところが、その後、山本自身があきらかにしたところによれば、東京8区の野党統一候補は山本で行くように水面下で話が進んでいたそうです。しかも、話を持ってきたのは立民の方で、枝野代表も承知済みだったとか。その際、山本氏が出馬すれば吉田はるみ氏を降ろすという生くさい話まで出たそうです。

そんななか、岸田内閣が誕生し、選挙日程が前倒しされた。でも、いっこうにラチがあかない。それでしびれを切らした山本が強行突破するかたちで立候補を表明したということでした。

しかし、山本太郎がフライングして立候補を表明し、彼に批判が集中すると枝野代表も立民中央も「困惑している」と言い出し、山本との”密約”についても知らぬ存ぜぬを決め込んだのでした。

結局、山本太郎が立候補を辞退することで一件落着になったのですが、すると今度は枝野代表や立民中央の姿勢を批判したリベラル系のジャーナリストに対して、「野党共闘」の周辺にいる支援者が「限界系ジャーナリスト」などというレッテルを貼って悪罵を浴びせはじめたのでした。

このトラブルで露呈されたのは、まぎれもない”もうひとつの全体主義”です。社民主要打撃論ならぬれいわ主要打撃論とも言うべき左翼政治のお家芸です。また、リベラル派であっても自分たちの意に沿わないジャーナリストは容赦なく叩くやり方には、あの夜郎自大な”無謬神話”さえ垣間見えるのでした。

立民の某国会議員は、それまで散々山本太郎を非難しておきながら、辞退が決まると一転して「山本太郎さんの英断に感謝します」とツイートしていましたが、なんだか白々しく思えてなりませんでした。私たちは、そんな白々しいことばの裏で、衣の下から鎧が覗いていたのを見過ごすことはできないのです。

「野党共闘」とはそんなスターリン主義的な左翼リゴリズムと保守反動が同床異夢する野合にすぎないのです。文字通り「『負ける』」という生暖かいお馴染みの場所でまどろむ」古い左翼(左派リベラル)の姿にほかなりません。

こんな選挙になにを期待しろというのでしょうか。AかBかなどという二者択一論にどれほどの意味があるというのか。もちろん、政権交代なんて左派特有の大言壮語、誇大妄想にすぎません。「左翼小児病」というのはレーニンの有名なことばですが、このような夢見る夢子のようなおめでたさは「左翼中二病」と言うべきかもしれません。

折しも朝日の衆院選に関連した特集で、下記のような記事が掲載されていました。

朝日新聞デジタル
韓国に抜かれた日本の平均賃金 上がらぬ理由は生産性かそれとも…

私もつい先日、このブログで同じような記事を書いたばかりですが、朝日の記事も次のように書いていました。

経済協力開発機構(OECD)の2020年の調査(物価水準を考慮した「購買力平価」ベース)によると、1ドル=110円とした場合の日本の平均賃金は424万円。35カ国中22位で、1位の米国(763万円)と339万円も差がある。1990年と比べると、日本が18万円しか増えていない間に、米国は247万円も増えていた。この間、韓国は1・9倍に急上昇。日本は15年に抜かれ、いまは38万円差だ。日本が足踏みしている間に、世界との差はどんどん開いていた。


もちろん、賃金が上がらない理由のひとつに非正規の労働者が多くなったということがあります。しかし、いちばん大きな理由は、非正規の問題も含めて労働組合が弱くなった、戦わなくなったからです。労使協調路線が当たり前のようになったからです。それは、言うまでもなく1987年の連合の誕生=労働戦線の右翼的再編からはじまったのです。一方で企業の「内部留保」は「500兆円に迫るほど積み上がって」おり、自民党でさえ「分配」を政策に掲げるほど、企業はお金をため込んでいるのです。

その労働戦線の右翼的再編と軌を一にした政界再編の申し子のような存在が、今の立憲民主党であり国民民主党の旧民主党です。その根っこを見ることなしに、自公の悪政を正すには政権交代が必要だと言うだけでは、文字通り木を見て森を見ないおためごかしの論理と言わざるを得ません。どう考えても、立民や国民民主が今の状況を剔抉しているとは思えないし、そもそもどれほど自民党と違うのかもわかりません。その選択の幅はきわめて狭いのです。二大政党制を前提とする「政権選択選挙」なんて茶番でしかないのです。花田清輝の口吻をもじって言えば、すべてが選挙に収れんされ、そして、ものみな選挙で終わるのです。
2021.10.21 Thu l 社会・メディア l top ▲
小室圭さんの自主隔離期間が終わり、26日の入籍と記者会見が近づきましたが、小室さん一家と眞子さんに対するバッシングは止む気配はありません。むしろ、最低限の節度さえ失い、狂気の領域に入ったと言ってもいいくらいです。

ネトウヨのYouTuberが小室家に押しかけてあたりはばからず大声で「結婚反対」と叫ぶので、近所の人がうるさくて迷惑しているという話も、メディアの手にかかると小室さんが帰宅して近所の人たちは迷惑しているという話になるのです。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いではないですが、全ては小室さん一家が悪いのです。

ましてや、メディアは、結婚反対デモなるものを主催しているのが件のネトウヨのユーチューバーだということや、小室さんのお母さんが遺族年金と傷病手当金を不正受給した疑いがあるとして詐欺罪で告発した(でも「返戻」された)のがネトウヨのジャーナリストであることは何故かあまり触れずに、彼らのチンピラまかいの言いがかりを二人に対するバッシングの材料に使っているのでした。

小室さんのお母さんに対する告発にしても、通常であれば名誉棄損で反訴されてもおかしくないのですが、今のお母さんの立場ではそれは叶わぬことです。それをいいことにやりたい放題のことがまかり通っているのです。

SNSで野党をフェイク攻撃してきたネトウヨの「Dappi」の実体が、実は自民党と取引きするワンズクエストというウェブ制作会社であったことがあきらかになり問題になっていますが、ネットにおいてはそれは特異な例ではないでしょう。ネットを使った情報操作や世論工作は、なにも中国に限った話ではないのです。そして、そういった世論工作に誘導された老人たちが、「ネットで目覚めた」などと言い、まるで憂国の士でもなった気分で愛国運動に動員され、ネトウヨになっていくのです。

眞子さんの結婚に関して、とりわけネトウヨが熱心にバッシングするのも、皇位継承問題に絡む極右の政治的な主張と関係しているからで、そこにも、万世一系の国体を維持するために(!)、「Dappi」と同じような政治の力がはたらいてないとも限らないでしょう。

ところが、女性自身やNEWSポストセブン(週刊ポストのウェブ版)は、「小室佳代さん 眞子さまに追い打ち…刑事告発報道で結婚会見がさらなる修羅場に」(女性自身)とか、「小室佳代さん刑事告発も 小室圭さんは結婚会見で反対世論を変えることはできるのか?」(NEWSポストセブン)などと、ネトウヨの主張をそのまま小室バッシングに利用しているのでした。

こういったフェイクに依存するメディアは、もはやメディアを名乗る資格なしと言わざるを得ません。ネットだけでは採算が合うはずはないので、読者が拒否すればすぐに言論の場から駆逐できるでしょう。ビジネスマンではなく会社員の国である日本では、不買運動が成り立ちにくいのはたしかですし、こういうクソメディアほど錦の御旗のように「言論の自由」を振りかざして大衆を恫喝するのが常です。でも、そんな脅しに屈しない読者の見識と良識が問われているのだと思います。

女性自身やNEWSポストセブンのような大衆の負の感情をこれでもかと言わんばかりに煽りまくる、悪意の塊のようなバッシングに晒されれば、眞子さんが複雑性PTSDになるのも、小室さんのお母さんが自殺を考えるまでに追い込まれるのも当然でしょう。

もっとも、女性自身やNEWSポストセブンのようなおばさん&おじさんメディアは、誰が見てもオワコンで、もはや余命が取り沙汰されるような存在です。だから、なりふり構わずネトウヨと密通して最後の悪あがきをしているとも言えるです。

さらにここに来て、元婚約者がいつものことながらわけのわからないコメントを発表して、メディアに燃料を投下しています。

仮に元婚約者が主張するように「借金」があったとして、たかが400万円のお金を用意できないのが不思議だと誰も思わないのが逆に不思議です。問題が解決しないのは、元婚約者がのらりくらりとわけのわからない理由で解決を拒んでいるからです。お母さんと直接会うことが条件だとか何とか言って、「解決金」を受け取らないからです。

そもそも400万円の「借金」が存在すること自体がずいぶん怪しい話です。ホントに貸したのなら訴訟を起こせばいいと思いますが、法律の専門家に相談したら訴訟は無理だと言われたという話もあります。さもありなんと思います。だから、小室さん側は「解決金」と言っているのでしょう。別れたから付き合っていた頃に使ったお金を返せというのは、本来なら「最低の男」と言われても仕方ないでしょう。でも、何故かそうは言われないのです。

今回、元婚約者のコメントに関する記事が朝日にも出ていたので、元婚約者が朝日の取材に応じたのかと思ったら、なんのことはない、以前と同じようにフリーライターの代理人を通して一方的にコメントを発表しただけなのでした。いつもそうやってタイミングをはかってコメントを発表し、状況を攪乱するのでした。狙いはお金より他にあるのではないかと勘繰りたくなります。そんなにお金に困っているのなら、お金(「解決金」)を受け取ればいいだけでしょう。「頑固」とかそういう問題ではないように思います。「Dappi」ではないですが、一方的に言い分を垂れ流すのではなく、元婚約者の正体をあきらかにするのがメディアの本来の役割でしょう。どうして元婚約者を取材しないのか、それも不思議でなりません。

この問題について、先日の朝日に、北原みのり氏のインタビュー記事が出ていましたが、そのなかで下記のことばが目に止まりました。

朝日新聞デジタル(有料記事)
眞子さまの苦しみ、人ごとではない 北原みのりさんが語る女性の結婚

 ただ、意識のどこかで皇室は「別世界」だと思っていたのです。天皇制そのものが性差別的な要素を含んでいるため、フェミニストも制度そのものに反対の声はあげても、その中で実際に生きている人たちをどう守るかを話すことがなかった。皇室の中にいる女性の人権は語られてこなかったのです。

 しかし今、眞子さまという生身の人が苦しんでいるのが見えています。差別的な日本の法律の一つが皇室典範であり、皇室という制度ではないかと思います。変えようという議論を始めるときではないでしょうか。


この問題に対していわゆる左派の感度が鈍いのは、天皇制そのものに反対するというイデオロギーが邪魔をして、所詮は天皇制内部の揉め事みたいな考えがあるからではないかと思います。どう見ても”もうひとつの自民党”でしかない立憲民主党に同伴しながら、心のなかは頑迷でスターリン主義的な左翼思想に凝り固まっているのが彼らの特徴ですが、そういったヌエ的な彼らの思考態度がこの問題でも露わになっているように思います。

もう天皇制が時代の間尺に合わなくなっているのです。折しも、ガールスカウトの記念イベントで、佳子さんがジェンダー平等を訴えたことが話題になっていますが、今の時代に若い皇族を皇室のなかに閉じ込めるのは無理があるのです。とどのつまりはそういうことでしょう。二人の結婚について、「いいんじゃね」「自由でしょ」とあっさり言い放つ、今どきの若者たちの方がよほどマトモで健全なのです。
2021.10.13 Wed l 社会・メディア l top ▲
小室圭さんの帰国をきっかけに、再びバッシングが沸き起こっています。なかでも、スポーツ新聞とそれを転載するYahoo!ニュースのコメント欄(ヤフコメ)の異常さが際立っています。ネット民の異常さは今にはじまったことではありませんが、スポーツ新聞に関しては、販売部数の低迷による経営不振という背景があるように思えてなりません。そこにあるのは、どう考えても精神病理学でなければ説明がつかないような、ネットと旧メディアの共振による”日本の異常”です。

Yahoo!ニュースに転載されたスポーツ紙のコタツ記事の見出しをざっとピックアップしてみるだけでも、その異常さがよくわかります。

小室圭さん「エコノミークラス」で帰国へ 航空チケット代は〝お国持ち〟か(9/24東スポ)

あの時とは別人 小室さん ロン毛、ちょんまげ、ポケットに手入れ無視 宮内庁関係者「もう少し考えて…」(9/25スポニチアネックス)

小室圭さん激変 えっロン毛! フジテレビ突撃取材に左手ポケット、発言一切なし(9/25ディリースポーツ)

眞子さま&小室さんと対照的…百恵さん&友和、唐沢&山口智子らの幸せ結婚会見現場(9/25女性自身)

眞子さまの「ゴリ押し婚」が違憲かもしれないこれだけの理由(9/25JBpress)

ロン毛の小室圭さん「直撃ガン無視」が及ぼす結婚会見への影響(9/25FRIDAY)

小室圭さんのロン毛に哀愁を感じるワケ 米NYで質素倹約生活「散髪代すら…」(9/25東スポ)

眞子さまのNY生活を待ち受ける小室佳代さんの“支配” 異国の地で居場所を失う可能性も(9/26ディリー新潮)

小室圭さん 急展開!眞子さまと渡米延期も…手続き待つ都内新居に母・佳代さんが“通い姑”(9/27スポニチアネックス)

小室圭さん 母の金銭トラブル、不正受給疑惑など“4つの騒動”自身から説明あるか(9/27スポニチアネックス)

小室圭さん 物価高いNYで役立つレシピ本「月たった2万円のふたりごはん」購入済み(9/27スポニチアネックス)

高橋真麻 小室圭さんの直撃取材無視に「印象悪すぎ」 対応変化も「挽回できない」(9/27スポニチアネックス)

清原博氏 弁護士の立場捨て?空港の小室圭さんを糾弾「とてもじゃないけど感じ悪い」(9/27ディリースポーツ)

国際弁護士・清原博氏 小室圭さん就職…米法律事務所の新人実情説明「大変厳しいと思います」(9/27スポニチアネックス)

高橋真麻 小室圭さんに「嫁のために頭下げられないやつが夫…大丈夫なの?っていう気持ち」(9/27スポニチアネックス)

実家で2週間の隔離期間を過ごす小室圭氏 警備費用は誰が負担するのか(9/27NEWSポストセブン)

小室さん”ロン毛”帰国に遠野なぎこ疑問「笑かしにきてるのかな」「なんかのネタなのか」(9/27中日スポーツ)

天皇陛下 小室さんと“面会拒否”の真相…「義理の甥」肩書乱用を憂慮か(9/28女性自身)

坂上忍 無言貫く小室圭さん「ハート強いわ」 注目度の高さ「金銭トラブル解決してないまま…」(9/28スポニチアネックス)

これを見ると、スポニチの異常さが特に目立ちます。小室家に何か恨みでもあるのかと思いたくなるような、悪意をむき出しにした記事のオンパレードです。

一方で、SMAP解散の際も指摘しましたが、スポニチはジャニーズ事務所べったりのメディアで、嵐の櫻井翔と相葉雅紀のW結婚の発表では、同じ新聞かと思うほど歯の浮いたような祝辞が紙面を覆っているのでした。しかも、結婚相手についての記事は一切なく、ただジャニーズ事務所の大本営発表を垂れ流しているだけなのでした。

また、高橋真麻や遠野なぎこや国際弁護士の清原博らによる、大衆の負の感情を煽るようなコメントも目につきますが、彼らは風にそよぐ葦の典型的なゲスタレントと言うべきでしょう。

大手芸能事務所だと報復が怖いので忖度するけど、小室さんなら立場上無防備にならざるを得ないので、スポーツ新聞やワイドショーにとっては書き放題、言いたい放題なのです。

そして、こういったコタツ記事に煽られて、ヤフコメに終日貼り付いているネット民たちが小室バッシングに狂奔するのです。

もちろん、なかにはネットで人殺し扱いされたスマイリーキクチのような冷静な意見もないこともありません。

小室圭さんバッシングに「一億総いじめっ子時代か…」スマイリーキクチ私見
(日刊スポーツ9/24)

でも、こういった意見は、”日本の異常”のなかでは濁流に呑み込まれる小舟のようなものです。

挙句の果てには、この”日本の異常”が、平均年収で日本を抜いた韓国のメディアに「嘲笑」される始末なのでした。

同紙(引用注:京仁日報)はこれまでの小室さんを巡る騒動に触れつつも結婚を好意的に捉えており、映画「ローマの休日」などと例示しながら様々な壁を乗り越えて愛を貫く様子を報じた。

 そのうえで「2人の交際に世論は友好的ではない。メディアは小室の経済力を問題視した。夫と死別した母親が恋人から400万円を借りた後、返済がなかったと〝つまらない暴露〟が出た」と疑惑に対して批判的な日本の世論を疑問視。

 そして「家庭の事情を口実に結婚に反対する日本国内の世論はスルーすればいい。『私生活よりも、それぞれの立場にふさわしい行動をしなければならない』などという指摘は息苦しいものだ。世の中は光速化の時代になっているのに、日本人の前近代的思考は変わらない。発展が鈍くなった日本には濃い暗雲が垂れこめている」とお二人の結婚に反対する日本の世論を強く非難した。

日本の〝小室圭さん報道〟を韓国紙が嘲笑「日本人の前近代的思考」「つまらない暴露」

(9/28東スポ)

こういった指摘が日本のメディアから出て来ないのも不思議です。「多様性のある社会」なんて片腹痛いと言えるでしょう。恋愛の自由はもちろんですが、当人同士の合意に基く結婚の自由は、子どもでも知っている民主主義社会の基本の「き」です。でも、日本のメディアはそんな基本の「き」さえ認めたくないかのようです。自由を求める二人の勇気ある行動をここまで呪詛する日本の社会の、その根底にある歪んだ心性を考えないわけにはいきません。

自分たち(あるいは自分たちの子ども)は、借金があろうがなかろうがすぐ同棲し、できちゃった結婚をしているくせに、眞子さんには浮世離れしたいつの時代の話だと思うような厳格を求めるのです。もはや狂気と言ってもいいかもしれません。

二人に浴びせられる誹謗中傷をまじかで見てきた佳子さんも、今の自分たちが置かれた立場(と言うか日本という国)に絶望して何らかの行動を起こす可能性は高いでしょう。次期天皇の悠仁さんも、最近、感情の起伏が激しく、聞くに堪えないような乱暴なことばを使ったりして、側近たちも頭を悩ましているという話もあります。どう考えても、今どきの若者たちに赤坂御用地のなかに閉じ込めるような人生を押し付けるのは無理があるのです。秋篠宮家の教育方針が間違っているとかトンチンカンなことを言う者がいますが、要するに、現代社会に天皇制は間尺が合わなくなっているのです。反動的な日本国民がその現実を見ようとしてないだけです。

いわゆる小室さん問題については、今まで何度もこのブログで書いていますのでくり返しませんが、ご興味があれば下記の関連記事をご覧ください。

小室さんは、眞子さんと結婚するために留学し、一生懸命勉強して優秀な成績を残し、12月に発表される弁護士資格の試験でも合格するのはほぼ間違いないと言われています。私などは個人的に、凄いなとか立派だなということばしか浮かびませんが、しかし、ネット民はそうは思わないみたいです。終日ネットに貼り付いているような、努力とは無縁な人生を送っているので、小室さんの血の滲むような努力が理解できないのかもしれません。

また、もうひとつ注目すべきは、ネトウヨや右派系の著名人たちが小室さんだけでなく、眞子さんもバッシングしていることです。韓国紙が書いているように、結婚相手が皇室にふさわしくないからと言いたいのかもしれませんが、それは裏を返せば、カゴのなかの鳥でいろということです。まるで税金で養われている身分なのだからとでも言いたげで、皇室に対する尊敬の念など微塵も感じられないのでした。かつて『噂の真相』は、記事のなかで皇太子妃を呼び捨てにしたとして、右翼のテロに遭ったのですが、ネトウヨや右派著名人の誹謗中傷はとてもその比ではないでしょう。


関連記事:
小室さん問題の新展開?
小室文書とバッシング
眞子さんと小室圭さんの結婚
眞子さんに対する中傷
小室さんバッシングのおぞましさ
2021.09.29 Wed l 社会・メディア l top ▲
一部のメディアにも取り上げられていましたが、2002年の小泉・金正日会談の陰の立役者である元外務審議官の田中均氏が下記のようなツイートをしていました。

田中均ツイート20210922
@TanakaDiplomat 9月22日

また、ダイヤモンドオンライン「安いニッポン 買われる日本」という特集のなかにも、次のような記述がありました。

   OECD(経済協力開発機構)の調査によると、日本の平均賃金(年間)は2000年時点、3万8364ドル(約422万円)で加盟35カ国中17位だった。20年には3万8514ドル(約423万円)と金額はわずかに上がったものの、22位にまで順位を下げた。過去20年間の上昇率は0.4%にすぎず、ほとんど「昇給ゼロ」状態。これでは「給料が上がらない」と悩む日本人が多いのも当然だろう。

 他国と比べると、日本の賃金の低さは歴然としている。トップの米国は6万9391ドル(約763万円)で、率にして44%の大差が開いている。OECD加盟35カ国の平均額の4万9165ドル(約540万円)に対しても22%低い。

 米国以下には、アイスランド、ルクセンブルク、スイスといった欧州の国々が並ぶ。日本の賃金はこういった欧米の国々に負けているだけでなく、お隣の韓国よりも低くなっている。

(略)日本の平均賃金は韓国に比べて、3445ドル(約37万9000円)低い。月収ベースで見れば3万1600円ほど低いという計算になる。

DIAMOND online
日本人は韓国人より給料が38万円も安い!低賃金から抜け出せない残念な理由


日本が韓国から抜かれたのは2015年だそうです。以来、その差は開く一方なのです。

今の自民党総裁選では、中国や北朝鮮を念頭に「敵基地への先制攻撃能力の保持」などという、まるでそれが「愛国」の踏み絵であるかのように、勇ましい外交防衛論議がくり広げられていますが、その一方で、国内の貧困問題はほとんどと言っていいほど取り上げられていません。唯一、河野太郎が消費税を財源とする「最低保障年金制度」の導入に言及しましたが、それも他の候補者やメディアからは絵空事として一蹴されただけです。

もっとも、自民党総裁選で何に関心があるかという問いに対して、「外交・防衛政策」と答えた国民(有権者)が意外と多いという世論調査の結果もあります。コロナで貧困と格差の広がりにいっそう拍車がかかり、自分たちの尻に火が点いているにもかかわらず、まるで「欲しがりません勝つまでは」の再来のように、国民自身がメディアの中国脅威論に煽られている側面があるのです。

もちろん、その背後にはアメリカの対中強硬策があるからですが、でも、前に書いたように、アメリカは唯一の超大国の座から転落してもはや「世界の警察官」ではなくなったのです。パクス・アメリカーナの時代は終わったのです。

アメリカは、クアッド(日米豪印戦略対話)を軸に中国に対抗しようとしているみたいですが(自民党総裁選の勇ましい外交防衛論議もそのアメリカの意向の上にあるのですが)、先のアフガン撤退を見てもわかるとおり、もはやアメリカにその力はありません。アジアの覇権が中国に移るのは既定路線なのです。

「ネットで目覚めた」高齢者のネトウヨが「高市早苗を総理大臣にする」運動なるものを始めて、ネットのみながらず街頭にまで進出しているみたいですが、彼らが胸を高鳴らせる「敵基地への先制攻撃能力の保持」も、安倍晋三らが主張していた自衛隊が平壌に侵攻して拉致被害者を奪還するという話と同じような荒唐無稽な妄想にすぎません。

高市早苗応援団の背後に、韓国の情報機関から金銭を受け取っていたと報道された“極右の女神”の存在も指摘されていますが、自己保身のために高市早苗を担いだ安倍晋三ともども、そうやって「愛国」の名のもとに国を過つ方向に持って行こうとしているようにしか思えません。

高齢者は人生も残り少なく、年金においても食い逃げ世代なので、勇ましい戦争ごっこの妄想の世界で夜郎自大な余生を送ることができるかもしれませんが、これから長い人生を「アジアの片隅」で生きて行かねばならない若者たちにとっては、既に中国や韓国に「負けている」現実はとてもしんどいものがあると言えるでしょう。貧困と格差のむごい現実に直面し、生活がままならない現状をいちばん痛感しているのは若者たちなのです。高齢者のネトウヨは、中国や韓国のような二等国の台頭を許すなみたいに言っていますが、それは(中国や韓国に追い抜かれて)二等国へ転落している日本の悪あがきと言うか、引かれ者の小唄のように聞こえなくもありません。

同じ『週刊ダイヤモンド』(9月11日号)の「新階級社会 上級国民と中流貧民」という特集でも、「エリート転落56社実名リスト」と題して、ホンダやパナソニックやANAやTBSやフジテレビのような一流企業が大幅なリストラを実施している現実を伝えていました。最近、テレビ局の特に女性アナウンサー退社のニュースをよく見かけますが、あれもメディアを覆うリストラと関係があるのかもしれません。リストラされたエンジニアのなかには中国企業への転職も目立つそうです。もちろん、リストラの陰では、「新中間階級」から滑り落ちたエリートたちの悲哀も存在します。

日本は「安い国」なのです。間違ってもテレビが言うように、世界の人々があこがれる豊かな国ではないのです。千客万来で外国人観光客が訪れたのも、日本が「安い国」だからです。そして、その裏に、「安い国」を支える低賃金の日本の労働者がいるのです。それが私たちなのです。「敵基地への先制攻撃能力の保持」に胸を高鳴らす前に、虚心坦懐に今の自分の生活と向き合い、まず「己を知る」ことが肝要でしょう。


関連記事:
日本は「買われる国」
「安くておいしい国」日本
2021.09.25 Sat l 社会・メディア l top ▲
先月の初め、東京オリンピックに関して、下記のような世論調査の結果が出ていました。

讀賣新聞オンライン
五輪開催「よかった」64%…読売世論調査

オリンピックを開催してよかったかという質問に対して、「思う」と答えた人が64%、「思わない」と答えた人が28%だったそうです(残りは無回答)。

開催する前までは、「反対」が80%もあったのです。にもかかわらず、菅総理は、開催してメダルラッシュに感動すると「反対」の声も消えるに違いない、大衆とはそんなものだ、という保守政治家特有の冷徹な大衆観に基づいて開催を強行したのでした。あにはからんや、まったくその通りになったのです。

ただ、菅総理の目論みが外れたのは、その感動に寝返った世論が内閣支持率の浮揚につながらなかったという点です。新型コロナウイルス、特にデルタ株による感染拡大は、大衆にとってかくも切実な出来事だったと言えますが、その意味では「(総理大臣に)誰がなっても同じ」と言うのはそのとおりだったかもしれません。悪い冗談ですが、仮に枝野内閣だったとしても、菅内閣と同じ運命を辿ったのは間違いないでしょう。

何が言いたいのかと言えば、あたらしい内閣になれば、オリンピック開催で寝返ったと同じように、世論も高い支持率に変わるのは火をみるより明らかだということです。反転なのか豹変なのかわかりませんが、同じ自民党政権であるにもかかわらず、掌を返したように支持率がV字回復するのは目に見えています。菅政権だって1年前の成立時は、70%以上の「稀に見る」高い支持率を誇っていたのです。

いくら「反対」の声が大きくても、開催すればメダルラッシュに感動して「賛成」に寝返るという保守政治家の大衆観は、裏を返せば大衆は単純でバカだということなのですが、それは間違いなく真実を衝いているのです。

「菅降ろし」という自民党内の権力抗争も、つまるところ、顔をすげ替えれば支持率が回復するという鉄壁の”法則”があるからにほかなりません。そこにあるのは、どうしようもない(としか言いようのない)単純でバカな大衆の存在です。それが旧態依然とした保守政治の半永久的な独裁体制をもたらしているのです。

支持率低迷で窮地に陥った菅総理が、内閣改造で局面を打開するために、同じ神奈川県選出の麻生派の河野太郎を要職に起用できないか、麻生太郎にお伺いを立てたら、麻生が「おまえと一緒に、河野の将来まで沈めるわけにいかねえだろ」と「声を荒らげた」そうで、それでにっちもさっちもいかなくなった菅総理は辞意を決意したと言われています。首相経験者とは言え、内閣の一員でしかない財務大臣が最高権力者の総理大臣をお前呼ばわりして怒鳴り付けるなんて、日本はなんと民主的な国なんだと思えなくもありませんが、まさにそこにあるのは丸山眞男が言った「番頭政治」の哀しくも切ない光景と言えるでしょう。

前川喜平

来る総裁選の立候補予定者の顔ぶれについて、前川喜平氏は上記のようにツイートしていましたが、しかし、このなかにはもうひとり、安倍晋三の支持表明で俄かに注目されるようになった高市早苗氏が欠けています。信じ難い話ですが、安倍に加えて麻生が支持すれば、憲政史上初の女性宰相も「夢ではない」とさえ言われているのです。高市氏が加わったことで、今回の自民党総裁選は、文字通り「凡人、軍人、変人、〇人」の戦いになったのです。

高市早苗氏は、韓国の情報機関の工作員だったという前代未聞なスキャンダルに見舞われているあの”極右の女神”ともども、ネトウヨから熱烈に支持されている狂信的な右翼思想の持ち主です。そんな高市氏が総裁選で”台風の目”になっているというのは、保守政党としての自民党の劣化を象徴していると言えますが、そうなると、だから自分たちこそが自民党に代わる真の保守政党だという立憲民主党の声がいちだんと高くなるのもいつものことです。菅総理の突然の辞任で、急遽「野党共闘」に戦略を変えつつあるみたいですが、かつて枝野幸男代表は、「正当な保守は我々だ」と朝日のインタビューで明言しているのでした。

朝日新聞デジタル
枝野氏「自民は『革命政党』、正統保守は我々」

こんな野党があるでしょうか。自民党が右へ行けば行くほど、野党第一党もそれに引きずられるように右へ移動しているのです。明確な対立軸を示すこともなく、有権者に提示する選択の幅をみずから狭めている野党第一党の責任はきわめて大きいと言わざるを得ません。立憲民主党の存在は、単に保守政治のトートロジー(同義反復)でしかないのです。

日本では、いつの間にかフランスやイタリアやスペインなどのような激しいデモが見られなくなりました。街頭で目立つのは、中国と同じような市民を監視するカメラばかりです。それは、ホントに平和でいいことと言えるのでしょうか。その結果、与党も野党もほとんど変わらない、オレこそが正当な保守政党だと保守の正当性を競うような、文字通り翼賛的な議会政治しか存在しなくなったのです。そして、政権の顔をすげ変えることが政治を動かすことだというような、冗談みたいな政治がまかり通っているのです。一方で、「アウシュビッツ行きの最終列車に乗る」とヤユされたようなリベラル左派の立憲民主党への合流によって、地べたの社会運動がどんどん潰されている現実もあります。

ちょっと古いですが、ヨーロッパでの急進左派(新左派)の台頭について、下記のような記事がありました。

Yahoo!ニュース
今井佐緒里
日本には存在しない欧州の新極左とは。(3) EUの本質や極右等、欧州の今はどうなっているか

この記事が書かれたのが2018年で、その後、この記事で紹介されていた「極左」=急進左派も、議会のなかで存在感が増すにつれ、理想と現実のはざまで苦悩しているのはたしかですが、しかし、スペインのポデモス、ギリシャのシリザ、フランスの「不服従のフランス」、ポルトガルのブロコなどは、いづれも火炎瓶が飛び交うような街頭闘争のなかから生まれた政党(党派)で、今でも街頭での大衆運動に支えられていることには変わりがありません。記事にも書いているように、この超格差社会のなかで上か下かという視点に立てば、コミュニズムの「『人民の平等』『富の平等』の精神」が現代的意味を持つのは当然でしょう。

日本でこんなことを言うと、過激派か誇大妄想狂のように思われるのがオチですが、この弛緩した状況を打破するためにも、社会の変革を大胆に求める急進左派の出現が日本でも待ち望まれるのです。『人新世の資本論』ではないですが、あきらかに資本主義が臨界点を迎えている現在、「3.5%」の人々がみずから声を上げて既存の政治に異議申し立てを行うことで、上級国民の社交場と化したような今の議会政治に活を入れる必要があるのです。顔を変えて支持率回復を目論むという、こんな有権者をバカにした(バカな有権者を前提にした)政治なんてあり得ないでしょう。


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2021.09.05 Sun l 社会・メディア l top ▲
アメリカのアフガニスタン撤退こそ、これからの世界の行く末を示した出来事はないでしょう。それは、今までも何度も言ってきたように、アメリカが唯一の超大国の座から転落して世界が多極化するということです。

バイデン大統領は、戦争の終結を宣言した演説のなかで、現在もまだ100~200人のアメリカ国民がアフガンに残っているにもかかわらず、退避作戦は「大成功だった」と胸を張ったそうです。どう見ても惨めな負け惜しみと言うしかありません。アフガンに残っているアメリカ国民に対しては、期限を設けずに退避を支援することを約束したそうですが、もちろんそれも”カラ約束”になる可能性があります。

退避作戦の混乱を見れば、100~200人のアメリカ国民は置き去りにされたと言った方が正しいでしょう。どんな負け惜しみを言おうが、あわてふためいて逃げ帰ったのは誰の目にもあきらかなのです。つまり、私たちが見ているのは、パクス・アメリカーナの終焉という世界史的な転換の光景なのです。

カブールの国際空港近くで発生した「イスラム国」の分派組織の自爆テロに対する報復として、アメリカ軍がドローンによる無人爆撃を行ない幹部2名を殺害したと発表しましたが、それもアメリカが一方的に発表しただけでホントに幹部を殺害したかどうかもわからないのです。なんだかむなしい最後っ屁のように思えなくもありません。

タリバンとアメリカの間で秘密協定が結ばれ、タリバン兵が付き添って、カブール空港の秘密の通路からアメリカ兵を脱出させたいうニュースもありますが、もし事実なら、アメリカにとってこれほどの屈辱はないし、アフガンからの逃走が9.11に匹敵するほどのトラウマになるのは間違いないでしょう。

民主主義を守るためにテロを撲滅するという大義名分のもとに、20年も侵略しつづけたアフガンからの逃走が示しているのは、アメリカが世界の警察官の役割を果たせなったという冷厳な事実です。そして、何度もくり返しますが、世界は間違いなく多極化するのです。

既に7月に、アメリカ撤退後を睨んで、タリバンの代表団が北京を訪問して中国政府と協議していることからもわかるように、中国がアジアの盟主になり、同時に北東アジアではロシアもその存在感を増すようになるでしょう。超大国の座から転落したアメリカがアジアから撤退するのも、近い将来俎上にのぼるでしょう。

全体主義か民主主義か、善か悪かなどという価値観に関係なく、世界が多極化して流動化し、これから世界史が大きく塗り替えられるのは間違いないのです。もとより、イスラム諸国や中国共産党の価値観が、私たちのそれとはまったく別個のものであるのは言うまでもありません。

イスラム教の国にアメリカの民主主義を押し付けることは”帝国”の思い上がりに他ならないのです。今回のアフガン侵攻の失敗がそれを如実に示しているのです。アメリカやヨーロッパの価値観が絶対視される時代が終わろうとしているのです。私たちのようなアメリカ式価値観にどっぷりと浸かった人間にとっては、悪夢のような時代の到来に思うかもしれませんが、しかし、時代の流れ、世界史というのは本来そういうものでしょう。

古い言い方をすれば、多極化した世界では、イスラム思想や中華思想や大ロシア主義が台頭し、中国から「東夷」などと呼ばれる東アジアの端に連なる小さな列島の国は、これからそういった異世界のイデオロギーに翻弄されることになるでしょう。

一方、今回のアフガン撤退に伴う退避作戦では、日本は、下記のリテラの記事に書いているとおり、敗戦時、関東軍の幹部たちが自国民を置き去りにしていち早く逃げ帰ったのと同じことをくり返していたのです。

日本政府は、アフガニスタンに残っている民間日本人と日本大使館や国際協力機構(JICA)など日本の関係機関で働いていたアフガン人スタッフら約500名を退避させるために、自衛隊員260名とともに、自衛隊のC2輸送機1機とC130輸送機2機、それに政府専用機1機を、パキスタンの首都イスラマバードに派遣しました。カブール空港からイスラマバードまで自衛隊機でピストン輸送し、そこから政府専用機で日本国内に運ぶ作戦でした。

ところが、イスラマバードに運ぶことができたのは日本人1名とアフガン人14名だけでした。しかも、アフガン人の14名は旧政権の関係者で、アメリカ軍から依頼されてついでに乗せただけで、関係機関の現地スタッフではありません。実質的に退避できたのは1名だけなのです。たとえは悪いかもしれませんが、文字通り大山鳴動して鼠一匹のような話で、あとは見捨てられたのです。どうしてこんなことになったのかと言えば、先の敗戦時に、民間人や下級兵士を置き去りにして満州からいちはやく逃げ帰った関東軍の幹部たちと同じように、現地の大使館員たちが、アメリカ軍のヘリで我先に逃げたために、現地のオペレーションがまったく機能しなかったからです。

  本サイトでも28日に報じたとおり、日本の大使館員は民間人とアフガン人スタッフを残して、真っ先に退避。カブールが陥落した15日、岡田隆アフガニスタン大使はすでにアフガニスタン国内にはおらず、日本人の駐アフガニスタン大使館員12人も17日に全員、英軍機で出国した。

 イギリスやフランスなど他国の大使や大使館員は退避せず、空港内に大使館機能を移転し、アフガン人のためにビザを発給し続けるなどしていたという。また390人のアフガン人退避に成功した韓国も、一旦退避した大使館員がアフガン人救出のためにカブールに戻り、空港までの移動手段となるバスの確保や現地スタッフへの連絡など現地のオペレーションに動いていた。

 ところが、日本の大使や大使館員たちは自分たちだけとっとと先に逃げて、こうした救出作業を放り出していたのだ。

リテラ
アフガン500人置き去り、英仏や韓国は残ったのに日本大使館は先にトンズラ


韓国やイタリアやフランスなどは、希望する人たちの退避を成功させ、28日の時点で大半が作戦を終了していました。日本のお粗末さだけが際立っています。

しかし、日本国内では、退避作戦が失敗したのは、自爆テロで空港に向かうことができなかったからだとか、対応が遅れたのは、自衛隊法が障害になったからだとか憲法の制約があったからだなどと、安倍晋三を彷彿とするような言い訳ばかりが飛び交っており、大使館員たちの無責任さを指摘する声はほとんど聞かれません。そうやって自己を慰撫し不作為に開き直るのは、先の戦争からずっと続いている日本のお家芸とも言うべきものです。もちろん、そこにあるのは、戦前戦後も変わらずこの国を貫く”無責任体系”の露わな姿です。

挙句の果てには、地に堕ちた”帝国”のアメリカと一緒になって、タリバン政権は退避作戦に協力するべきだという共同声明を発表して、馬の耳に念仏のようなお題目を唱えるだけです。しかし、アフガンの現地では、歌舞はイスラム法で禁止されているという理由で、著名な民謡歌手が有無を言わさず銃殺されるようなことが既にはじまっているのです。これでは取り残された人々の運命も押して知るべしでしょう。日本政府に見捨てられた彼らが、外国勢力の協力者として、斬首や銃殺などの残酷な方法で「処刑」される可能性はきわめて大きいと言えるでしょう。

国連の安保理がどんな声明を出そうが、多極化した世界ではカエルのツラにションベンなのです。世界が溶解し、デモクラシーやヒューマニズムも単なる・・・ひとつの価値観にすぎないような時代が、私たちの前に訪れようとしているのです。そのことだけは肝に銘じた方がいいでしょう。
2021.09.01 Wed l 社会・メディア l top ▲
路上生活者についても、たとえばバブルの頃は、私の周辺でも「普通に生活していればあんな風にはならないよね」と言う声がありました。世の中は景気がいいんだから働き口は沢山ある。普通に働いていればホームレスになるわけないという認識があったように思います。

そのため、路上で生活している人たちは、社会的に適合できない、知的障害があったり酒やギャンブルで身を持ち崩したような「特殊な人々」だという見方がありました。「ホームレスは三日やったらやめられないと言うじゃないか」なんて言って笑って見ている人さえいました。

もちろん、それは認識不足による偏見にすぎないのですが、そういった見方をするというのは、私たちのなかにまだ経済的な余裕があったからです。だから、所詮は他人事で異物を見るように見ていたのです。

しかし、現在はそんな見方は少なくなりました。経済的な余裕がなくなっており、ましてこのコロナ禍で、生活が困窮するようになるのは他人事とは言えなくなったからです。

また、コロナ禍だけでなく、労働者の半分以上が派遣など非正規雇用だという、私たちをとりまく労働環境の変化もあります。

先日の小田急線刺傷事件の犯人も派遣で職を転々としていた青年でした。京都アニメ事件の犯人も秋葉原事件の犯人も似たような境遇でした。若くして「人生が詰み」、自暴自棄になって犯罪に走ったという解釈もできなくはないように思います。

先進あるいは中進工業国38カ国が加入するOECDのなかの経済指数を見ても、日本は下落する一方で、社会における所得の不平等さを測る指標であるジニ係数では、韓国より下の16位まで落ちています(2018年)。このように私たちの人生が板子一枚下は地獄のような危いものになっており、生活保護や路上生活ももはや他人事ではなくなっているのです。「普通に生活していればあんな風にはならないよね」とは言えなくなったのです。むしろ、「もしかしたら自分も」と思うような人が多くなっているのは事実でしょう。

ただ一方で、その分”見たくないもの”として激しく排斥しようとする近親憎悪のような心理もはたらくようになっています。似たような境遇だから、明日の自分の姿だからと思うと、寛容になる人と逆に不寛容になる人がいるのです。人間にはその二つの相反する心理が存在するのです。

昔、作家の野坂昭如が「二度と飢えた子どもの顔を見たくない」というスローガンで参院選に出馬した際、五木寛之が自分は「二度と飢えた親の顔を見たくない」と言ったのを覚えています。五木寛之が言うには、目の前にパンが一切れしかない場合、平時だと「お母さんはいいから食べなさい」と子どもに食べさせるけど、飢餓の状態にある非常時だと親は子どもからパンを取り上げて自分が食べようとする。そんな場面を朝鮮半島から引き上げる途中に何度も見たそうです。今は隣人との関係において、それに近いものがあるのではないでしょうか。思いやりとか優しさとかいった寛容の精神は、まだ余裕があった平時の話かもしれないのです。

自分たちのことを考えてみればわかりますが、私たちは、親から結婚資金やマイホームの頭金を出してもらうのが当たり前のような世代でした。じゃあ、今度は私たちが自分の子どもにも同じことができるのかと言えば、もうできないのです。

前も書きましたが、私は九州の高校を卒業しましたが、当時、東京の大学に進学した同級生は100名近くいました。今でも関東圏に住む同級生は60名くらいいます。でも、現在、母校の卒業生で東京の大学に進むのは数名しかいません。それだけ進学するにしても地元志向、そして公立志向が強くなっているのです。どうしてかと言えば、昔のように子どもを東京の大学にやるほどの経済的な余裕がなくなったからです。

一見贅沢な生活をしているように見えますが、しかし、このように確実に余裕がなくなっているのです。それだけ貧しくなっているのです。格差と言うと、じゃあ勝ち組になるようにがんばればいいと思いがちですが、勝ち組は数%の人間しか入れない狭き門です。大半は勝ち組になれないのです。それが格差というものです。格差は間違っても誰でも努力次第で勝ち組になれるような平等な競争なんかではないのです。ジニ係数が示しているのはその冷酷な現実です。

私たちが忘れてはならないのは、経済的な余裕がなくなり社会全体が貧しくなればなるほど、負の感情の「地下茎」が広がっていくというおぞましい現実です。そして、それが優生思想のようなものと結び付き、今回のように突然社会の表面に噴出するようになるのです。

DaiGoの場合はあぶく銭を掴んだので勘違いしたとも言えますが、負の感情の「地下茎」が表面化したという点では、相模原のやまゆり園事件や座間の9人連続殺害&遺体損壊事件の犯人たちの方がわかりやすいように思います。

DaiGoの発言を狂気だと言った人がいましたが、相模原のやまゆり園事件や座間の9人連続殺害&遺体損壊事件の犯人たちについても、なんらかの精神障害を発症しているのではないかという見方がありました。優生思想が社会の表面に噴出したとき、それが狂気のような相貌を帯びているのは当然と言えば当然です。そんな狂気のような相貌を帯びているものが私たちの社会に間違いなく広がっているのです。

「普通に生活していればあんな風にはならないよね」「ホームレスは三日やったらやめられないと言うじゃないか」というのは単なる差別ですが、しかし、経済的な余裕がなくなり彼らの存在が身近になればなるほど、そういった差別意識が地下深くもぐり込んで”狂気の思想”と結び付くようになるのです。合理主義の極致とも言うべき市場原理主義的な考え方も、優生思想と親和性が高いと言えるでしょう。

DaiGoの発言は、そんな狂気の思想が足下でマグマのように溜まっている私たちの社会のもうひとつの顔を浮かび上がらせたとも言えるのではないでしょうか。
2021.08.17 Tue l 社会・メディア l top ▲
メンタリストのDaiGoが、YouTubeの自身のチャンネルで行なった発言が批判を浴びています。それは、「生活保護の人達に食わせる金があるのなら猫を救って欲しい」「自分にとって必要の無い命は僕にとっては軽い」(新聞記事より)などという、生活保護受給者や路上生活者に対する差別をむき出しにした身の毛もよだつような発言です。DaiGoの発言は、相模原のやまゆり園事件や座間の9人連続殺害&遺体損壊事件の犯人たちと同じような優生思想に基づくものと断言していいでしょう。

批判が殺到するなかでも、DaiGoは当初、「命は平等っていうけど優劣は全然ある」、自分は「税金をめちゃくちゃ払ってるから」、自分を叩いている人たちより「彼らのことを保護」しているなどと、挑発的な発言をして開き直っていました。ところが、その翌日、今度は一転して「知識が足りなかった」と反省の意を示し、(メディア風に言えば)「謝罪」の姿勢を見せたのでした。しかし、これはYouTube特有の炎上商法で、「謝罪」もその過程におけるポーズにすぎないという声もあります。

YouTubeは、文字通り丸山眞男が指摘した「タコツボ」化した世界を象徴する(そして低俗化した)ようなプラットフォームで、世間から眉をひそめられる言動や行為もそうであればあるほど、逆にコアな視聴者によって拍手喝さいを浴びるような世界です。実際に、「謝罪」の動画の再生回数は168万(8月15日現在)にものぼり、再生回数に連動したアドセンスやアフィリエイトなどの広告収入も爆発的に増えることが予想されます。ちなみに、DaiGoのYouTubeのチャンネル登録者数は246万人です。

DaiGoは「メンタリスト」という肩書を名乗っていますが、メンタリストとはなんぞやと思ってググると、「メンタル・マジック(mental magic)を行う人」ということばが出てきました。要するに、心理学などを応用したマジック(超能力的な行為)を行なうエンターテイナーというような意味のようです。そう考えれば、炎上から謝罪へ至る一連の流れも、メンタリスト特有のマジック(人心操縦術)と言えなくもないように思います。

DaiGoがこのような暴言を吐いた背景には、この社会の根底に、以前も書いたように、生活保護受給者やホームレスを差別し蔑視する負の感情の「地下茎」(安田浩一氏)があるからでしょう。それが「タコツボ」化したネットで、このようにときおり姿を現わすのです。

Yahoo!ニュース
AERA dot.
「ヤフコメ」は日本の恥? 社内で問題視も「PVが減るから閉鎖できない」〈週刊朝日〉

先日、Yahoo!ニュースに上記のような記事がアップされていましたので、ヘイトの巣になっているヤフコメに対して、ヤフーの社内でも「日本の恥」だという認識が広がっているのかと思って読んだら、なんのことはないオリンピック期間中のアスリートに対する「誹謗(ひぼう)中傷」が恥だと思っているだけでした。

アスリートには罪はない、スポーツは特別だ、というメディアの詭弁に対する反発がSNSなどを通してアスリートに向けられたのはある意味で当然だと思いますが、ヤフーの社内ではそれが「日本の恥」と思っているらしいのです。私は、むしろ、(今までも何度も書いていますが)PVを稼ぐためにヤフコメを使ってヘイトな記事を拡散させる(バズらせる)Yahoo!ニュースこそが「日本の恥」だと思っていますが、ネットの守銭奴たるヤフーの認識はそれとは別のところにあるようです。

言うなれば、DaiGoは、ヤフコメなどに代表されるような負の感情の「地下茎」から出てきたメンタリストならぬトリックスターと言っていいのかもしれません。

ただ、そんな暗澹たる世相のなかで、意外なと言ったら失礼かもしれませんが、ホッと安堵するような反応も見ることもできました。

ひとつは、厚労省の素早い反応です。厚労省は、サイトやTwitterで、「生活保護を申請したい方へ」と題して、「生活保護の申請は国民の権利です。生活保護を必要とする可能性はどなたにもあるものですので、ためらわずにご相談ください」と呼びかけたのでした。

厚生労働省
生活保護を申請したい方へ

もうひとつは、たまたま見つけたのですが、エッセイストの犬山紙子氏が、みずからのTwitterで、上記の厚労省のサイトへのリンクとともに次のようにツイートしていたことです。

犬山紙子
@inuningen

犬山紙子子ツイート

私は、犬山紙子氏については、アイリスオーヤマの社長の娘くらいしか知識はなく(実際は娘ではなく姪だった)、こんな生活保護に対する正しい知識を持っているような人だとはまったく知りませんでした。

ちなみに、憲法25条は、国民の生存権(健康で文化的な人間らしい生活を営む権利)とその生存権を保障するために国家がやらなければならない義務について、条文で次のように謳っています。

第二十五条
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。


私は、個人的に世間一般の人たちよりは多くの生活保護受給者の人たちを見て来たつもりですし、彼らの生活もそれなりに知っているつもりですが、実際に見聞きした経験から言えば、”生活保護叩き”は誤解どころか、犯罪だとさえ言ってもいいくらいです。

極々一部の例外を針小棒大に言挙げして、如何にも生活保護という制度そのものに問題があるかのように言い放つのはきわめて悪質なデマゴーグと言わねばなりません。ネットには、その手のデマゴーグが病的(!)と言えるほど蔓延しています。

このブログでも、”生活保護叩き”について、下記のような記事を書いていますので、僭越ですが、お読みいただければ幸いです。

DaiGoの犯罪まがいの暴言はきびしく糾弾されて然るべきですが、ただ、これを機会に、生活保護やホームレス問題に対する理解が広がれば、不幸中の幸いと言っていいでしょう。そうなることを願ってやみません。

貧困は誰にでもあり得る話です。明日の自分の姿かもしれないのです。DaiGoだって、YouTubeのアカウントを停止されメディアから総スカンを食ったら、自慢していた税金を払うのも困るようになるでしょう。


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2021.08.16 Mon l 社会・メディア l top ▲
過日(7/9)アップした「横浜市長選の魑魅魍魎」に下記のような追記を書きました。尚、読みやすいように、行をあけて転載しています。

横浜市長選の魑魅魍魎
http://zakkan.org/blog-entry-1637.html

追記:(7/29)
神奈川県内に無料配布されるタウン紙・「タウンニュース」の最新号(7月29日号)の「意見広告」に、小此木氏と菅義偉首相の対談が掲載されていました。そのなかで菅首相は、「横浜の顔になれるこれ以上の人はほかにいない」「すべての横浜市民の未来のために、小此木さんの政治活動を全面的かつ全力で応援します」と小此木氏への支持を明言していました。

上記に書いたとおり、これで小此木氏の出馬が「出来レース」であることがはっきりしました。林VS小此木の一騎打ちの色彩がより濃くなったとも言えますが、一方で、もう勝負は決まったも同然という声もあります。もっとも、林VS小此木と言っても、(ここが重要!)現状のまま話を進めて華僑・中国系にするのか、それともいったん「白紙撤回」してアメリカのIR業者の再登板を待つのか、そのどっちかにすぎないのです。このままでは候補者の乱立も茶番に終わりそうな気配ですが、口さがない街のスズメたちの間でも、選挙戦そのものより、「退路を断ってない」候補者のなかで誰が出馬をとりやめるかに関心が移っています。

また、ここに来て、関内駅近くの一等地にある評価額9億2千万円の旧市庁舎跡地が、7700万円で三井不動産やDeNAなどの企業グループに叩き売られた問題にも再度スポットが当てられています(実際は建物は売却だが土地は70年の定期借地権契約)。濡れ手に粟の買い物をした企業グループのなかに、林市長と親しい星野リゾートの関連会社が入っていたことが物議を呼んでいるのでした。もちろん、その背後にIRの存在があるのは言うまでもありません。下記は、昨年、この問題が浮上したときの記事です。

月刊ベルダ
林・横浜市長に“叩き売り”疑惑

横浜市は直近のデータ(平成30年度)で市債発行残高が3兆1570 億円あり、しかも残高は右肩上がりで増え続ける一方です。それで、執行部や議会は、だから博打のテラ銭で借金を返済しなければならないのだ、と「チンビラの論理」で市民を脅すのですが、その一方で、昨年、917億円の巨費を投じて32階建ての新市庁舎を馬車道駅の近くの北仲通に新築・移転したのでした。ところが、完成した途端に雨漏りがしたとかで、「天下の笑いもの」と言われたり、全国でトップクラスの高給を誇る職員たちが32階の雲上から市民を睥睨するため、横浜名物の「三塔物語」をもじって「デビルの塔」とか「ドラキュラの塔」とヤユされる始末なのでした。

もちろん、このような市政を支えているのはオシャレな街の住民たちです。文字通りこの市民にしてこの市政ありなのです。横浜が「日本一大きな田舎」なら、横浜市民は「日本一の田舎坊」と言うべきでしょう。

横浜市は、住民税が全国一高い自治体です(前は職員の給与が全国一高い自治体でした)。どうして住民税がこんなにバカ高いのかということを少しは考えてもよさそうですが、そんな市民は圧倒的に少数です。言うなれば、住みたい街、オシャレな街という不動産会社が作ったイメージをバカ高い住民税で買っているようなものですが、それがまるでわかってないのです。

住民税が高い市区町村ランキング
https://magazine.aruhi-corp.co.jp/0000-4429/

ともあれ、これで「日本一大きな田舎」にふさわしい市長選になったと言えるでしょう。

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※もうひとつ付け加えました。
※これは元記事には追記していません。

追記:(8/2)
自慢するわけではありませんが、予告したとおり、魑魅魍魎が跋扈する横浜市長選はいよいよグダグダのスキャンダル合戦の様相を呈してきました。

今日、Yahoo!トピックスに次のような記事が掲載されました。

Yahoo!ニュース
SmartFLASH
横浜市長選「野党統一候補」がパワハラメール…学内から告発「この数年で15人以上辞めている」

このスキャンダルを報じたのが『FLASH』だということに、まず注目すべきでしょう。先日、立候補が噂されていた元横浜DeNAベイスターズ球団社長の池田純氏とDeNAとの金銭トラブルを報じたのも『FLASH』です。DeNAは、言うまでもなく旧市庁舎跡地の再開発などにも深く関わっている横浜市ご用達の企業です。

この手の記事は、「もしこれがホントなら」という仮定さえ付ければ、いくらでも拡大解釈は可能です。そして、いつの間にか事実として、しかも別の目的をもってひとり歩きしていくのです。池田氏の交際費をめぐる「金銭トラブル」や今回の指導をめぐる「パワハラ」はとても便利なネタと言えるでしょう。

横浜市は、天下りの批判を受けてか、「横浜市退職者の再就職状況」をメディアに発表しているのですが、それを見ると、どう見ても天下りとしか思えない再就職先が嫌味のように並んでいるのでした。でも、それは天下りではなく斡旋だという公務員におなじみの詭弁を使って正当化しているのです。もしかしたら、次期市長(その可能性は低いけど)のパワハラをいちばん怖れているのは、職員たちなのかもしれません。

横浜市
横浜市退職者の再就職状況

それにしても、如何にもわけありげな『FLASH』の記事をトップページに掲載したYahoo!ニュースは、『FLASH』同様、典型的なイエロージャーナリズムと言うべきでしょう。もっとも、Yahoo!ニュースが横浜市長選の足の引っ張り合いに関与したのは今回が初めてではありません。Yahoo!ニュースは、大阪の吉村知事の「イソジン会見」(ポビドンヨードでうがいすると、陽性率が下がる=新型コロナウイルスの弱毒化に効果があるというトンデモ会見)のデータを解析したのが横浜市立大の山中教授だという、「ニュースソクラ」なるキューレーションサイトの怪しげな記事を転載しネットに拡散した前歴もあるのでした。その結果、水は低い方を流れるネットでは、水たまりに湧いたボウフラのようなネット民たちが未だにそれを信じて拡散しつづけているのです。そんなYahoo!ニュースの総会屋まがいの行為を見るにつけ、ソフトバンクも横浜のIRに一枚噛みたいのではないかと穿った見方さえしたくなります。

東京新聞 TOKYOWeb
山中氏「うがい薬解析した事実ない」 大阪府知事の「イソジン会見」めぐり反論 横浜市長選

もっとも、これも何度も書いていますが、ニュースをバズらせてマネタイズすることしか考えないYahoo!ニュースをジャーナリズムと呼ぶのは最初から無理があるのです。ジャーナリストを落ちこぼれたスタッフたちが、終日パソコンの前にすわって、まるでまとめサイトの管理人と同じように、ニュースを切り貼りしているその光景自体が多分にいかがわしいと言わざるを得ません。

前の中田市長のケースもそうですが、横浜ではどうしてこんなスキャンダルが次々と出てくるのかと言えば、この手の記事が、民主主義が豚に真珠の横浜市民には非常に効果があるからです。そのため、まるでロシアのように、このような古典的な手法が取られるのです

また、今回に限って言えば、立憲民主党が獅子身中の虫に対してあまりにも無頓着すぎるという背景もあるように思います。と言うか、誰が獅子身中の虫で誰がそうではないのかもわからないほど、立憲民主党もグダグダなのかもしれません。連合神奈川や市関係4労組の面従腹背ぶりを見ても、とてもまともに市長選を戦う体制になっているとは思えません。そもそも林市政の生みの親は旧民主党です。実際に、ついこの前まで旧民主党(立憲民主党)は林市政の与党でした。立憲民主党が独自候補を擁立すること自体、悪い冗談としか思えません。

横浜市長選はカオスなんて言いながら、「村社会」は意気軒高です。まさにおそるべしです。メディアを使った足の引っ張り合いは、まだまだこのあともつづくに違いありません。
2021.07.29 Thu l 社会・メディア l top ▲
案の定、オリンピックが開催されると、昨日までの「開催反対」の声はどこ吹く風、日本列島は感動に湧き立っています。前回の記事でも書きましたが、70~80%あった「開催反対」の世論も、あっという間に30%に急降下しています。

そして、たとえば、開催に反対していた立憲民主党の蓮舫代表代行がツイッターで、日本選手の金メダルをたたえるツイートをすると、「反対していたのにおかしい」「手の平返しだ」などという声が殺到し、炎上するような事態まで起きているのでした。また、茂木健一郎がオリンピック反対派をノイジーマイノリティ(声だけ大きい反対派)だと批判し、沿道でオリンピック反対の行動をしていることにツイッターで「苦言を呈した」というニュースが流れると、反対デモをしているのは極左団体だとか中核派だとかいったコメントが瞬く間にヤフコメに溢れたのでした。

それにしても、昨日まで70~80%あった反対の声がどうしてこんなに180度違う空気に変わったのか、その豹変ぶりにはただただ唖然とするばかりです。と同時に、ここにも日本社会の”特殊性”が垣間見えるような気がするのでした。

このブログを読んでいただければわかるように、私は、70~80%の反対の声に対してずっと懐疑的でした。開催されれば「感動に寝返る」はずだと書いてきました。また、菅総理は「国民は、開催されればメダルラッシュに感動にして反対していたことなど忘れる」と言っていましたが、まさにそのとおりになったのです。

これは蓮舫や茂木健一郎にも言えることですが、たとえ反対のポーズを取っていても、「感動に寝返る」要素は最初から存在していたのです。いつでも「寝返る」ことができるように「逃げ道」が用意されていたのです。

ひとつは、スポーツは特別だという「逃げ道」です。反対論の多くは、コロナ禍なのにオリンピックなんかやっている場合かという素朴な反発心にすぎず、一方でそこには、あらかじめ代表選手は批判しない、選手は別という抑制(一種のタブー)がありました。

つまり、70〜80%の反対論の多くは、オリンピックやスポーツのあり方を真面目に考え論理的に整序された反対論ではなかったのです。そんなただ素朴な心情から発した反対論が、スポーツは特別なのかという”壁”を乗り越えるのはどだい無理な話だったとも言えます。ゆえに、批判の矛先が向くことのなかった代表選手たちによってもたらされる感動に、一も二もなく飛びついたのは当然と言えば当然でしょう。

もうひとつの「逃げ道」は、中韓に対するヘイトという「逃げ道」と言うか「ガス抜き」です。反対論を唱える多くの人びとのなかにも、御多分に漏れず中韓に対する民族排外主義的なナショナリズムが貼り付いていたのです。オリンピック開催にまつわる政権批判の矛先をかわすのに、中韓ヘイトはこれ以上のない”魔法の杖”とも言えます。さしずめ下記の記事などはそのカラクリを端的に表していると言えるでしょう。

PRESIDENT Online
東京五輪にかこつけて文在寅大統領が日本から引き出したかった"ある内容"

日本はいつまで経っても優位な立場でいたいのでしょう。だから、韓国はオリンピックにかこつけて物乞い外交をしたかったけど、それができないとわかったので文在寅大統領は来日を取りやめたという、如何にも日本人の自尊心をくすぐるような記事です。

しかし、現実は冷厳で、豊かさの指標である一人当たり実質購買力平価GDPでは、既に韓国に抜かれています。日本の国民より韓国の国民の方が豊かだということが、国際的な指標でもあきらかになっているのでした。

Yahoo!ニュース
Wedge
なぜ、日本は韓国よりも貧しくなったのか

日本人はこういった現実は絶対に認めたくないはずです。できれば見たくない現実でしょう。

中国に対しても然りで、米中対立が実は二つの大国による世界支配(世界分割)をめぐる丁々発止のやりとりだというのは、もはや誰の目にもあきらかでしょう。それこそが中国の狙いであり、同時にそれはアメリカが唯一の超大国の座から転落したことを意味しているのでした。いつの間にか、中国がアメリカと対等に、世界分割について交渉するまでになっていたという、日本人にとっては信じたくない現実がここにも立ち現れたのです。

そう考えれば、勝ったか負けたかのスポーツの祭典で中韓ヘイトがヒートアップするのも、「コロナ禍なのに」という素朴な反発心が偏狭なナショナリズムの前で片隅に追いやられるのも、最初から予定されていたと言うべきかもしれません。

そして、あとは、丸山眞男が言った「つぎつぎとなりゆくいきほひ」という、もうはじまったことは仕方ない、それに乗っていくしかないという没論理的なノリノリの総動員体制に突き進むだけです。一方で、寝返った人間たちが、(その後ろめたさから)未だに反対している少数派に対して牙を剥き出しにするというのもいつもの光景です。そのためには、反対派は市民社会の埒外にいる極左、過激派ではなくてはならないのでした。

もっとも、それも権力が用意した「逃げ道」、矛先にすぎません。先月だったか、京大の熊野寮や中核派の前進社が相次いで家宅捜査を受けたのは、その前段だったのでしょう。そして、先週の反対デモにおいて、警察官の「手首を掴んだ」として公務執行妨害で中核派の活動家が逮捕され、大きく報道されたのでした。そうやってオリンピックの反対運動をしているのは極左だというイメージが流布されたのでした。もっとも、逮捕された活動家は、「手首を掴んだ」程度の微罪なので、早晩、処分保留で釈放されるのは間違いありません(もしかしたら既に釈放されているかもしれません)。それもいつものことですが、メデアが報道することは一切ありません。

丸山眞男は、『日本の歴史』のなかで、開国(明治維新)以後の日本の思想風土について、次のように書いていました。

思想が伝統として蓄積されないということと、「伝統」思想のズルズルべったりの無関連な潜入とは実は同じことの両面にすぎない。一定の時間的順序で入って来たいろいろな思想が、ただ精神の内面における空間的配置をかえるだけでいわば無時間的に併存する傾向をもつことによって、却ってそれらは歴史的・・・な構造性を失ってしまう。小林秀雄は、歴史はつまるところ思い出だという考えをしばしばのべている。それは直接的には歴史発展という考え方にたいする、あるいはヨリ正確には発展思想の日本への移植形態にたいする一貫した拒否の態度と結びついているが、すくなくとも日本の、また日本人の精神生活における思想の「継起」のパターンに関するかぎり、彼の命題はある・・核心をついている。新たなもの、本来異質なものまでが過去との十全な対決なしにつぎつぎと摂取されるから、新たなものの勝利はおどろくほど早い。過去は過去として自覚的に現在と向きあわずに、傍におしやられ、あるいは下に沈降して意識から消え「忘却」されるので、それは時あって突如として「思い出」として噴出することになる。(略)
日本社会あるいは個人の内面生活における「伝統」への思想的復帰は、いってみれば、人間がびっくりした時に長く使用しない国訛りが急に口から飛び出すような形でしばしば行われる。


そして、丸山眞男は、そんな時間軸が消失し「前近代」と「近代」が継ぎ目なしに併存した思想風土において、「実感信仰」による「『ありのままなる』現実肯定」が現在と向き合う際の日本人の特徴であると(いうようなことを)書いていましたが、それこそが今回のような「感動に寝返る」バッググランドになっているように思います。

また、丸山眞男は、『超国家主義の論理と心理』で、「抑圧の委譲」というものについて、次のように書いていました。この「抑圧の委譲」は、日本特有の同調圧力のメカニズムを考える上でヒントになるように思いました。

自由なる主体的意識が存せず各人が行動の制約を自らの良心のうちに持たずして、より上級の者(従って究極的価値に近いもの)の存在によって規定されていることからして、独裁観念にかわって抑圧の委譲・・・・・による精神的均衡の保持・・・・・・・とでもいうべき現象が発生する。上からの圧迫感を下への恣意の発揮によって順次に移譲して行く事によって全体のバランスが維持されている体系である。これこそ近代日本が封建社会から受け継いだ最も大きな「遺産」の一つということが出来よう。


もっとも、いくら権力の意志を貫こうとしても、パンデミック下にあるオリンピックでは、猛威を振るうウイルスを(どこかの誰かではないけど)都合のいいようにアンダーコントロールできるわけではありません。感動に沸き立つ日本列島に冷水を浴びせるかのように、7月27日の東京都の新規陽性者数は2848人という過去最高の数字を記録したのでした。4日連休が関係しているからだという声もありますが、しかし、検査数は8038人にすぎず、連休明けで検査数が増えたのでその分感染者数も増えたというわけではないのです。

オリンピックが開催されてから、東京都は検査数を絞っているようでずっと1万件を下回る数字になっています。それでもこんな新規感染者数が記録されるのですから、まともに検査したらどれくらいの感染者が出るかわかりません。デルタ株(インド型変異株)の感染爆発はもう既にはじまっていると考えるのが常識でしょう。

オリンピックと感染爆発のダブルパンチで医療も逼迫しています。東京都が通常の救急や手術は控えて新型コロナ用のベットを確保するように、病院に指示したというニュースもありました。トリアージが再び行われようとしているのです。アスリートたちがメダルを胸にはしゃいでいるその裏で、皺寄せを受けた患者たちの命が人知れず選別されようとしているのです。なんと不条理な話でしょう。それでもスポーツ(アスリート)は特別だと言えるのか、そう問い返したい気持があります。
2021.07.28 Wed l 社会・メディア l top ▲
なんだか水に落ちた犬を叩いているように思われるかもしれませんが、その後も次々と出て来る小山田圭吾の悪行については、やはりひとつひとつ取り上げて糾弾していくべきではないでしょうか。障害のある同級生に与えた一生消えない心の傷を考えれば、通りいっぺんの反省で済むようなものではないでしょう。

ネットでは「何をいつまで同じことを言っているんだ」という言い方をよく目にしますが、ネットの場合、タイムラインに見られるように、目の前の事柄をやり過ごし、次々から次へと興味が移っていくのが当たり前のようになっています。小山田圭吾の悪行も然りで、彼に対するバッシングの熱気も既に失せつつあるように思えてなりません。人々の関心は次に移っているのです。

小山田圭吾の問題について、日本のメディアは、外国メディアに比べて、ぼかして報道しているという指摘がありましたが、たしかに、新聞やテレビを見ても、いじめの内容にはさらりと触れているだけで詳細は伝えていません。そのため、どこか他人事のように見えます。私たちがいじめの詳細を知るのは、週刊誌やネットなどを通してです。

もっとも、日本のメディアのどこか他人事のような報道は、今にはじまったことではありません。つまり、それは、「不偏不党の客観性」という建前の理念があるからでしょう。また、「抑制のきいた文章」ということばもよく耳にしますが、それがぼかして書くことにつながっているように思います。その結果、日本のメディアは、何を言っているのか、何を言いたいのかわからない、オブスキュランティズム(曖昧主義)に陥っているのです。

羽仁五郎は、日本の新聞は、「明日は雨ですが、天気はいいでしょう」というようなよくわからない記事ばかりだと言っていましたが、それこそ日本のメディアの”特殊性”を言い当てているように思います。しかも、そういった「抑制のきいた文章」がメディアのなかでは連綿と受け継がれているのです。新米の記者が書いた記事も、デスク?によって添削され「抑制のきいた文章」に書き直されるのです。そういったトレーニングがくり返され、新聞記事とは「抑制のきいた文章でなければならない」「そういった品位のある文章が書けるようにならなければならない」という刷り込みが行われるのです。そして、たとえば朝日の「天声人語」のような文章がお手本とされ、ときに名文などと言われるようになるのです。

私たちは、残念ながら、当時の『ロッキング・オン・ジャパン』と『クイック・ジャパン』のインタビュー記事を直接読むことはできません。そのため、小山田圭吾の悪行の詳細は、メディアをとおして知るしかないのです。

下記の芸能ネタに特化したまとめサイトで、私は、前回の記事で触れた以外のいじめを知ることができました。他人のふんどしで相撲を取るまとめサイトについては、批判的な意見の方が多いのですが、しかし、今回の問題でも、その詳細を知るにはまとめサイトを参考にするしかないのが日本のメディアの実情なのです。

TREND NEWS
【全文】小山田圭吾記事内容(ロッキンオン・クイックジャパン)と年賀状

何度も言いますが、小山田圭吾は、「民主的な人格の育成」という教育理念を掲げる和光学園で、小学校から高校まで知的障害を持つ同級生に対して、執拗にいじめをくり返したのでした。それは、障害を持つ児童と健常者の児童が同じクラスで学ぶ和光学園の「共同教育」というシステムを逆手にとったものでした。「みんなで助け合って仲良くしましょう」「何事も話し合って解決しましょう」という性善説に基づいた民主主義教育の理念が、実際は空回りして”悪の根源”にさえなっていたのです。

でも、たとえば、通勤・通学電車のなかでの乗客たちのふるまいを見れば、そういった民主主義教育の理念が、空疎で観念的な理想論にすぎないということが容易にわかるでしょう。私が住んでいる路線にも、有名な私立学校がありますが、そこに通う高校生たちの車内での傍若無人なふるまいを見るにつけ、テレビドラマでよく描かれる金持ちのおぼっちゃんの歪んだ人格が連想されてならないのでした。系列の大学では集団強姦事件も何度か起きていますが(最近も高校の同級生である経産省キャリア2人の給付金詐欺がメディアを賑わせました)、それもなんとなくわかる気がするのでした。

そこにあるのは、まさにマルクスが言う「存在が意識を決定する」(としか思えない)現実です。剰余価値を生み出す有用な労働力という資本の論理から言えば、心身に障害のある人間は有用ではないのです。そんな人を社会の役に立つか立たないかで判断し選別するする考えは、近代合理主義(経済的合理性)に必然的に存在する”悪魔の思想”とも言うべきものです。その極地にあるのがナチズムでしょう。小山田圭吾にもそんな”悪魔の思想”が影を落としているように思えてなりません。

『クイック・ジャパン』のインタビュー記事では、いじめた相手と対談をするという企画まで持ち出し、実際に編集者が相手の家を訪問して母親にそのことを伝えているのでした。また、小学生のときに障害のある同級生から来た年賀状をわざわざ持参して、ハガキに母親が線を引いた上に「スゲェ汚い字で」文字を書いているのをヤユして笑いものにしているのでした。25歳を過ぎた立派な大人になってもなお、雑誌でそんないじめ自慢をしているのでした。

彼の所業について、日刊ゲンダイデジタルに、次のような記事がありました。

日刊ゲンダイデジタル
小山田圭吾が一生涯背負う“十字架”と本当の謝罪 障害者の父親は「謝っても許されない」と強い憤り

 自身も障害児の父親である動物写真家で、YouTuberとしても活動する小原玲氏はこう憤る。

「親とすれば子供が学校でこんな目に遭っていたと思うと言葉がありません。私が当該記事を読んで涙が出たのは、障害児童が小山田氏に出した年賀状を雑誌でさらして笑いものにしたことです。その年賀状にはお母さんが定規で線を引いてそれに沿って児童が鉛筆で稚拙ながらも文をしたためていました。それを大人になってからかうとはどんな神経か。親がどんな思いで友達に年賀状を出すかわかりますか。子供が少しでも学校で友達に恵まれるようにという願いからですよ。こんな人物が手掛けた楽曲がパラリンピックで流されるなんてブラックジョーク過ぎる。トラウマになってしまいかねない。たとえ27年前のことであっても許される話ではない」


辞任したからそれで済んだ話なのか。もう終わったことなのでしょうか。

小山田圭吾は、ツイッターの謝罪文で、いじめた相手に対して「連絡を取れる手段を探し、受け入れてもらえるのであれば、直接謝罪をしたいと思っております」と、『クイック・ジャパン』の企画と同じようなことを言っていましたが、辞任した今でもホントにそう考えているのか、実際に実行したのか、たしかめたい気さえします。「自分自身でも長らく罪悪感を抱えていた」と言いながら、今まで何もやってなかったのですから、どこまで本気なのかわかりません。身内の人間たちの挑発的なツイートを見ても、ホントに反省しているのか疑問です。

そして、今度は、開閉会式のディレクターを務める予定だった小林賢太郎が、お笑いコンビの時代に、コントのなかで「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」という発言をしていたことが発覚して”解任”されました。ただ、今回は小山田圭吾のときと違って、小林賢太郎に同情する声が多いようです。

「言葉尻を捉えて全体を見てない」という茂木健一郎のコメントがそんな国内の空気を代表しているように思いますが、しかし、ホロコーストの犠牲になった人々にとって、「ユダヤ人大量虐殺ごっこ」というギャグが単に「言葉尻」の問題なんかではないことは、少しでも考えばわかるでしょう。茂木健一郎の無神経ぶりにも驚くばかりです。

小林賢太郎の問題では、このように、メディアを中心とした空気の緩さが際立っているように思えてなりません。そんな日本の緩い空気に対して、日本在住のイスラエル人が「もし広島や長崎の原爆や福島の原発事故が笑いのネタにされたら日本人はどう思いますか? それと同じでしょ」と言っていたのが印象的でした。

そんななかで、既に一部のオリンピックの競技がはじまりました。すると、メディアは、早速、今大会では日本は史上空前のメダルラッシュが期待されるなどと言って、手のひらを返したようにオリンピックムードを煽りはじめたのでした。前も書いたように、どう考えてもアンフェアな今大会で、開催国の日本が有利なのはあきらかです。でも、誰もそうは言いません。既に見え透いた感動物語も出ています。反語的に言えば、大衆はバカで単純だ、愚鈍な存在だという保守政治家の冷徹な大衆観は圧倒的に正しいのです。あと数日もすれば、菅総理やIOCのバッハ会長が言うような「メダルラッシュに熱狂してなにもかも忘れる」現実が、日本的な同調圧力を携えて私たちの前に出現することでしょう。

このパンデミックのもと、無観客のなかで競技をするアスリートたちを見て、どうしてスポーツだけが特別なのかという(素朴な)疑問を持つ人さえ少ないようです。そもそもオリンピックのようなものがスポーツの本来のあり方なのかという疑問を持ってもよさそうですが、もはやそれも水中に火を求むようなものです。ついひと月前まで70%~80%の国民がオリンピック開催に反対だと言われていたのに、最新の世論調査では、案の定、反対の声は30%に急降下しています。

次から次に発覚するスキャンダルに対しても、日本人はタイムラインをスクロールするように、終わったこと、過ぎ去ったことにして、オリンピックの熱狂にみずから身を投じようとしているのでした。そして、それに呼応するように、あの(東浩紀も礼賛した)「ニッポン、凄い」の自演乙が再びメディアを覆うとしているのでした。まさに衆愚たちの祝祭がはじまろうとしているのです。
2021.07.23 Fri l 社会・メディア l top ▲
コーネリアスの小山田圭吾が、小林賢太郎や田中知之とともに、オリンピック・パラリンピックの開閉会式の制作メンバーに選ばれたことをきっかけに、小山田圭吾が過去に『ロッキング・オン・ジャパン』と『クイック・ジャパン』のインタビューで語っていた”いじめ自慢”が再び取り上げられ物議をかもしています。

ちなみに、大会組織委員会が制作メンバーとして彼らを発表したのは14日です。オリンピックの開会式が今週の23日ですから僅か10日前です。発表自体に唐突感があるのは否めませんし、なんだか不自然な感じがしないでもありません。当然ながらメンバーにはずっと以前に依頼していたはずで、どう考えても、発表するのを目前まで待っていた、あるいは控えていたとしか思えないのです。

大会組織委員会の武藤敏郎事務総長は、小山田圭吾の”いじめ自慢”を「知らなかった」と言っていますが、同時に、「引き続き貢献してもらいたい」とも発言しています。小山田圭吾の”いじめ自慢”は、ネットをググればすぐ出てくるくらい有名な話で(ただ、ウィキペディアでは、何故か記載と削除のイタチごっこが繰り返されていたみたいです)、どう考えても”渋谷系”の音楽と縁があるとは思えない武藤事務総長はともかく、彼らを選定した人間たち(電通?)が知らなかったというのは俄に信じ難い話です。それに、役人主導の典型的な日本的組織である大会組織委員会において、決裁を受ける際にその話が出なかったとはとても思えないのです。

一方で、もう終わったことをいつまで言っているんだというような寛容な(ことばを変えれば臭いものに蓋をする)意見もあります。私の知る限りでは西村博之(ひろゆき)や爆笑問題の太田光などがその代表と言えるでしょう。なかでもひろゆきのそれは、子どものような論理で屁理屈をこねまわして、批判するのを避けながら遠回しに擁護するというまわりくどいものです。

ひろゆきは、2ちゃんねる絡みの訴訟で下された数々の賠償金を踏み倒して(住所だけ置いていた西新宿の木造アパートの郵便受けから督促状があふれ出ている写真を見たことがあります)、それを得意げに語るような人物ですが、今やメディアでは”論破王”としてもてはやされているのでした。しかし、その”論破王”なるものも、一皮むけば、賠償金の踏み倒しに見られるように、昔、私たちのまわりにもいた、どうすれば飲酒運転の摘発から逃れられるかとか、どうすれば駐禁の違反金を払わずに済むかとかいった”裏テクニック”を得意げに話していたあのおっさんたちと同じレベルのものにすぎません。

もちろん、小山田圭吾が自慢たらしく語ったいじめは、もはやいじめの範疇を越えた、犯罪と言ってもいいような悪行で、ひろゆきや太田光が言うように、もう終わったことをいつまで言っているんだと言えるようなレベルのものではありません。しかも、いじめは、「民主的な人格の育成」を教育理念に掲げる和光学園の障害者と健常者が同じ教室で学ぶ「共同教育」を舞台に、小学校から高校まで執拗につづいたのでした。

「ディリー新潮」は、いじめの内容について、実際にインタビューで語った内容も含めて、次のように詳細に書いていました。

「全裸にしてグルグルにひもを巻いてオナニーさしてさ。ウンコ喰わしたりさ。ウンコ喰わした上にバックドロップしたりさ」(「ロッキング・オン・ジャパン」)

「クイック・ジャパン」のインタビューによると、小学校の時には障がいのある同級生の体をガムテープで巻き、身動きが取れないようにして、段ボールに入れたという。

 同じ同級生のことは高校生時代にもイジメた。みんなでジャージを脱がせ、下半身を露出させた。

「女の子とか反応するじゃないですか。だから、みんなわざと脱がしてさ、廊下とか歩かせたりして」(「クイック・ジャパン」)

 中学の時の修学旅行では違う同級生を、留年した先輩と一緒にイジメている。この同級生にも障がいがあった。小山田は先輩と一緒になって同級生に自慰行為をさせている。

「クイック・ジャパン」にはほかにもこんな下りがある。

「掃除ロッカーの中に入れて、ふたを下にして倒すと出られないんですよ。すぐ泣いてうるさいから、みんなでロッカーをガンガン蹴飛ばした」

「マットの上からジャンピング・ニーパットやったりとかさー。あれはヤバいよね、きっとね」

(2021年7月17日掲載)


ディリー新潮
イジメっ子「小山田圭吾」の謝罪に不可解な点 当時の学校運営に不満だったという証言

また、それ以外にも、近くの学校に通うダウン症の子どもに対する侮蔑発言や人種差別発言も掲載されているそうです。

身の毛もよだつとはこのことでしょう。実際に中学時代、小山田圭吾にいじめられた同級生は自殺まで考えたそうです。

また、東浩紀も、ひろゆきや太田光と同じような論法でこの問題を語っていましたが、知識人の仮面を被って発言している分、ひろゆきや太田光より始末が悪いと言えるでしょう。東浩紀は、次のようにツイートしていました。

東浩紀 Hiroki Azuma
https://twitter.com/hazuma

東浩紀小山田圭吾1

東浩紀小山田圭吾2

東浩紀小山田圭吾3

それにしても、「そもそも音楽もスポーツも苦手なので、個人的には例の件はかなりどうでもいい」という言い草にも驚くばかりです。「何様か」とツッコミたくなります。

東浩紀は「過去の記録はアップデートできない」と言いますが、その気になればいくらでも「アップデートできる」でしょう。小山田圭吾は、今回批判が殺到して初めてツイッターで謝罪したにすぎず、今までも「アップデートできる」チャンスはあったのにそれをしなかったのです。

その時代の背景、その時代の環境も考えるべきというような屁理屈も然りで、それは、(牽強付会だと言われるかもしれませんが)戦争中だからジェノサイドや集団強姦も許される、戦争中だから妊婦を強姦して腹を切り裂きなかの胎児を取り出したことも許されるという論理と同じです。話を飛躍すれば、そうやって戦後の日本は平和と繁栄の虚構を演じてきたのです。だから、胎児を取り出して高笑いしていた日本兵たちは、復員すると、俺たちのお陰で戦後のニッポンがあるのだと開き直り、金・物万能の世の中で精神が疎かになっている、愛国心を忘れていると説教を垂れるようになったのです。もちろん、その責任を当事者の兵士だけに帰するのではなく、どうやって加害国の国民として共有していくのかを考えるのが”知”の役割というものでしょう。

この東浩紀の屁理屈を見て、私は、かつて東京都知事選で猪瀬直樹を応援して選挙カーの上で応援演説をしたそのトンチンカンぶりを思い出さざるを得ませんでした。

池袋駅東口に停められた選挙カーの上で、聴衆に向って手を振る猪瀬直樹の横で、「猪瀬さんこそ夢を託しながら現実の第一歩を踏み出せる、着実に改革ができる人物だ」と応援演説をしたその姿とその演説の内容こそ、彼が如何に俗物で中身がスカスカかということを示しているように思います。穿った見方をすれば、東浩紀が「アップデートできない過去」を強調するのも、彼自身にこういった消せない過去があるからかもしれないのです。

tegetter
東浩紀の演説。

また、彼は、東日本大震災の際、なにを血迷ったか、次のような日本賛美&総動員体制万歳のような発言をしたこともありました。

 震災前の日本は、二〇年近く続く停滞に疲れ果て、未来の衰退に怯えるだけの臆病な国になっていた。国民は国家になにも期待しなくなり、世代間の相互扶助や地域共同体への信頼も崩れ始めていた。

 けれども、もし日本人がこれから、せめてこの災害の経験を活かして、新たな信頼で結ばれた社会をもういちど構築できるとするのならば、震災で失われた人命、土地、そして経済的な損失がもはや埋め合わせようがないのだとしても、日本社会には新たな可能性が見えてくるだろう。もちろん現実には日本人のほとんどは、状況が落ち着けば、またあっけなく元の優柔不断な人々に戻ってしまうにちがいない。しかしたとえそれでも、長いシニシズムのなかで麻痺していた自分たちのなかにもじつはそのような公共的で愛国的で人格が存在していたのだという、その発見の経験だけは決して消えることがないはずだ。
(「For a change, Proud to be Japanese : original version」)
東浩紀の渦状言論 はてな避難版 2011年3月22日


東浩紀は、筑波大附属駒場中学・高校から東大の文科一類に進んだ秀才で、たしかに頭はいいのでしょう。しかし、その頭のよさは、子どものような論理で屁理屈をこねまわす程度の頭のよさにすぎないのです。実際は、巷の労働体験もほとんどない世間知らずのセンセイにすぎないのです。もしかしたら「先生と言われるほどの馬鹿でなし」という諺の意味もわかってないのかもしれません。

東浩紀のゲンロンなるものは、そんな子どもの論理で屁理屈をこねまわす、俺たち凄いだろう?というような、登山者にとってのヤマレコと同じような自己顕示と自己慰謝の場にすぎないのです。

だから、彼らの言説が、宮台真司が言う「現実にかすりもしない」のは当然です。ゲンロンなるものに集まって、どうでもいい屁理屈をこねまわしている学者やジャーナリストたちは、ただそうやって知識人ごっこをしているだけなのです。

要するに、屁理屈のわりに中身はスカスカなので、現実と拮抗すると、小山田圭吾の問題を「過去の話」と一蹴したり、猪瀬直樹のような自称作家の俗流政治屋に伴走したり、東日本大震災後の「ひとつになろう日本」キャンペーンに象徴される国家がせり出してきた状況を手放しで礼賛するような、トンチンカンな醜態を晒すことになるのでしょう。

パラリンピックの開閉会式に、上記のような凄惨ないじめをした人物が作曲した音楽が使われるというのは、考えようによってはこれほどの悪趣味はないのです。しかし、東浩紀らは、そんな想像力の欠片さえ持ってないと言うべきかもしれません。

おぞましいのは小山田圭吾だけではないのです。擁護しているんじゃないと言いながら擁護している東浩紀も同じです。


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2021.07.19 Mon l 社会・メディア l top ▲
メディア関係で働く知り合いは、小池百合子はまだ自民党に党籍があり、二階派に所属しているよと言っていましたが、ホントなのでしょうか。

都民ファーストは地域政党にすぎないので、現実的にはあり得ない話ではありません。小池百合子の国政復帰が取り沙汰されるとき、メディアの報道も自民党から出馬するというのが前提になっているように思います。実際に、都議選後、彼女がいの一番に向かったのは、自民党本部の二階俊博幹事長のところでした。そういった曖昧模糊とした怪しげな話も、如何にも小池百合子らしいなと思います。

小池百合子の虚像について、メディアがどこまで関わっているのか、むしろそっちの方が興味があります。少なくとも彼女の数々のパフォーマンスも、メディアの協力なしには成り立たないのです。

都議選寸前に「過度の疲労」だとして入院したことについて、”元恋人”(本人たちは否定)と言われる舛添要一氏が、ツイッターでかなり執拗に「病名をあきらかにしないのはおかしい」と突っ込んでいたのも気になりました。若作りをしているとは言え、小池百合子も来週で69歳になります。病気のひとつやふたつ抱えていてもおかしくないでしょう。ただ、投票日前日のサプライズ応援を見ると、今回の入院もやはり、”小池劇場”だったのではないかという疑念は拭えないのでした。

しかし、メディアは、あくまで病気を押して応援したというような(いつもの大甘な)見方に終始していました。政治家が入院すると、病状をあれこれ詮索されて、権力の威光に翳りが生じることもありますが、一方で、批判を封じたり、難局を切り抜けたりするのに都合のいい場合もあります。

安倍晋三が持病で二度目の政権投げ出しを行なった際も、たとえば下記の記事に書いたように、おしどりマコは病気をダシに批判するのはフェアではないと言っていたのですが、そういったおしどりマコのような”同情論”に、したたかな政治家はしてやったりとほくそ笑んでいるに違いないのです。現に安倍はその後、病気などどこ吹く風とばかりにケロッとして、復権への準備に余念がないなどと言われているのです。

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舛添要一氏は、小池百合子の入院について、「政治は演技である。嘘も方便。IQの低い大衆は、それを見抜けない」とツイートしていましたが、たしかに都議選の結果を見ると、小池都知事のパーフォーマンスは、「IQの低い」都民に大きな効果があったのは事実でしょう。「倒れてもがんばるあたし」に、多くの都民は目を潤ませていたのかもしれません。しかも、入院によって、東京都のコロナ対策に対する批判もすっかり影を潜めたのでした。

私は、都議選の結果を見て、70%とか80%とか言われていた開催反対の世論はどこに行ったんだろうと思いました。案の定、大衆は寝返ったのです。あとは開催されたら、(菅総理らが考えるように)なにもかも忘れて感動に酔い痴れ、バカな本性を臆面もなくさらけ出すに違いありません。

選挙協力した立憲民主党と共産党は、選挙結果について「手ごたえがあった」と論評していましたが、それもいつもの党官僚による自演乙と言わざるを得ません。両党の得票率や得票数を合わせると、自民党のそれを上回ると牽強付会に総括していますが、しかし、今の選挙制度ではそういった総括も気休めにすぎないことぐらい子どもでもわかる話です。どうあがいても、彼らが永遠の野党であることには変わりがないのです。

一方で、メディアは、自民党と都民ファーストの「対立」みたいな幻想をふりまいていますが、しかし、小池百合子の自民党籍の真相は別にしても、都民ファーストが自民党の別動隊であることはまぎれもない事実でしょう。

そもそも記者会見における小池番の記者たちの、あの下僕のようなヘタレな姿はなんなんだと思わざるを得ません。あんなものはジャーナリストでもなんでもなく、ただの御用聞きと言うべきでしょう。

選挙のたびに思うのですが、大衆(有権者)は賢明だ、いつも正しい選択をしているというような言説には違和感を覚えてなりません。社会主義国家(党派)の大衆を神格化する政治的なスローガンのなかにある大衆蔑視の思想を指摘したのは埴谷雄高ですが、社会主義国家の愚劣な憲法の文言を持ちだすまでもなく、大衆を神格化する左派リベラルの観念的なダメさ加減に対して、大衆は所詮「IQの低い」存在にすぎないというバルカン政治家の身も蓋もない大衆観は、ある意味で大衆の本質を衝いているとも言えるのです。小池百合子のパフォーマンスが最強であるのもむべなるかなと思います。

そう考えれば、オリンピック後の総選挙で、麻生+菅VS二階の権力抗争の結果次第では自民党が都民ファと”保守合同”して小池百合子を”選挙の顔”にするという、一部で取りざたされているトンデモ話も、満更あり得ない話ではないような気さえしてくるのでした。と言うか、どこを見渡しても”選挙の顔”がいない自民党内で、「この際、清水の舞台から飛び降りたつもりで小池百合子に相乗りしよう」という、世も末のような話が出て来てもおかしくないように思います。


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『女帝 小池百合子』
2021.07.06 Tue l 社会・メディア l top ▲
Yahoo!ニュースに載っていた「オーサー」の森田浩之氏の記事「東京五輪の暴走に、何もしなかったメディアのことを忘れない」が秀逸で、共感するところ大でした。

Yahoo!ニュース(個人)
東京五輪の暴走に、何もしなかったメディアのことを忘れない

パンデミック下のオリンピック開催をめぐる問題で、私たちがまずなにより痛感されられたのはこの国のメディアのテイタラクです。今までも記者クラブの弊害など、メディアに関してはいろいろ言われてきましたが、ここまでひどかったのかとあらためて思い知らされたのでした。

ポストコロナでは、いろんな業界で大きな変化が訪れるだろうと言われていますし、ビジネスの現場でそのことを痛感している人も多いと思いますが、メディアでも”新聞離れ””テレビ離れ”がいっそう加速するのは間違いないでしょう。森田氏は、「怠慢」と書いていましたが、むしろ根本的な体質の問題と言った方が適切でしょう。文字通り、メディアはみずから墓穴を掘ったのです。

森田氏は、ロンドンのメディア・コミュニケーション学の大学院の授業を受講した際に、教授が口にした「嘘には3種類あります ── 嘘、真っ赤な嘘、そして世論調査」ということばを思い出したそうですが、たしかに、「moving goalposts(ゴールポストを動かす)」ようなやり方で開催に向けた世論を誘導したNHKを筆頭とする世論調査などは、犯罪的であるとさえ言えるでしょう。

そして、現在、開催をまじかに控え、どこの新聞もテレビもオリンピック賛美の美辞麗句で彩られようとしています。タレント活動をしている元オリンピック代表選手らの出演も目立って多くなっています。パンデミック下の不平等な今大会で、開催国の利を生かしてメダルラッシュになるのは火を見るよりあきらかですが、メディアはメダルラッシュを熱狂的に煽り立て、菅総理が言うように「感動で何もかも忘れる」ように演出するつもりなのでしょう。

開催の是非をめぐる議論について、メディアが本来の役割を果たさなかったことだ。この先、東京五輪の行く末がどうなろうと、私たちはメディアについてその点をしっかり忘れずにいるべきだ。


私たちは記憶にとどめておけばいい ── メディアは東京五輪の暴走を止めるために、ほとんど何も仕事をしなかった。メディアとしての機能を果たさなかった。

ぼくたちは何だかすべて忘れてしまう。でも、このことだけはもう忘れない。


森田氏はそう言いますが、私たちもメディアが果たした役割を忘れないようにしなければいけないのです。

東京オリンピック開催のようなデタラメが通るのならなんだってまかり通るでしょう。戦争だってまかり通ってしまいます。適当な大義名分を掲げてそれを煽れば、かつての戦争がそうであったように、そして、オリンピックと同じように、国民はそれを真に受けて熱狂するでしょう。

権力者は、今回の経験で、日本あるいは日本人には「強力な指導力」が通用するということを知ったはずです。小泉政権で「B層」ということばが生まれ、衆愚政治のタガが外れたのですが、菅政権ではサディスティックな強権政治のタガが外れた(外された)と言っていいのかもしれません。それは菅義偉が政治家ではなく、政治屋だからこそできたことでもあります。横浜市議時代に培った”恐怖支配の手法”をそのまま国政に持ち込み、しかも、それが国政でも通用したのです。

いつも上目使いであたりを睥睨する、如何にもコンプレックスの塊のような貧相な小男。なんだかヒットラーと共通するものがありますが、そんな”プチ独裁者”の暴走を押しとどめる者がどこにもいないのです。メディアが本来のメディアの役割を果たしてないのです。そもそも今のメディアは、「本来のメディアの役割」さえはなから持ってないかのようです。

私は、もうひとつ、今回の開催をめぐる問題のなかで、個人的に疑問を持ったことがあります。それは、どうして「愛国」を標榜する右翼は開催に賛成するのか、どうして右翼の街宣車はオリンピック反対のデモにあんなに敵意を剥き出しにするのか、という疑問です。本来なら右翼こそが反対すべきテーマのはずです。国民の命や健康よりスポンサー企業やIOCの意向を優先する菅政権を「売国的」と糾弾してもおかしくないのです。

それで、本棚から片山杜秀氏の『近代日本の右翼』(講談者選書メチエ)という本を引っ張り出して読み返しているのですが、その「あとがき」で、片山氏は戦後の右翼が陥った隘路について、下記のように書いていました。片山氏は、戦前の右翼(超国家主義者)は、「天皇を小道具に魔術を為そうとした者たちが、逆に天皇の魔術にからめとられて、今が気に入らないのか、今のままで大いに結構なのかさえ、よく分からなくなっていった」と指摘した上で、戦後の右翼もまた、その桎梏から自由になれなかったと書いていました。たとえば、「反共右翼からの脱却」というスローガンを掲げて登場した新右翼に私たちは衝撃を受けたのですが、しかし、大半の戦後右翼にとってはそれも単なる”世迷い言”にすぎなかったのです。

(略)戦後の右翼は、天皇絶対の思想が象徴天皇制をうたう新憲法のせいで相当に弱められることで、かえってもっと自由に、必ずしもすべてを天皇に縛られずに、日本の過去の様々なイメージを持ちだして撃つ方法を手に入れることができたはずであった。ところが実際の右翼は、左翼が天皇を脅かし、新憲法によって弱らされた天皇をますます痛めつけ、ついには天皇を排除しようとしているので、とりあえずこれを守らねばならないという「国防哲学」に専心しすぎ、今ある天皇をとりあえずそのまま保つという戦時中の現在至上主義の一種の反復にかなりの精を費やし続け、現状を打破するための思想性を回復、もしくは創出できないまま、ずるずる来てしまったようにも見える。
(『近代日本の右翼』あとがき)


ところが、その天皇は、なんと菅総理による内奏の3日後に、”推察”というかたちで強行開催に懸念を示したのでした。

一方、菅総理らは、”推察”について、「西村宮内庁長官の個人的な意見」と無視を決め込んだのです。そんな菅総理らの態度に対して、私は真っ先に「君側の奸」ということばを思い浮かべましたが、しかし、不思議なことに、右派からそのようなことばが出て来ることはありませんでした。それどころか、安倍晋三元総理は、”極右の女神”との雑誌の対談で、オリンピック開催に反対する人たちは「反日的」だと仰天発言をしているのです。つまり、パンデミック下においてもなお、国民の命や健康よりスポンサー企業やIOCの意向を優先することが「愛国」だと言っているのです。まさに「愛国」と「売国」が逆さまになった”戦後の背理”を象徴する発言と言えるでしょう。安倍元総理の発言についても、「なに言っているんだ、お前こそ反日じゃないか」という声があってもおかしくないのですが、そういった声も皆無でした。

いろんな意味で、この国の劣化はもはや押しとどめないほど進んでいるのです。オリンピック開催をめぐる問題が、それをいっきに露わにした気がしてなりません。
2021.07.02 Fri l 社会・メディア l top ▲
昨日(21日)にYahoo!トピックスに掲載された下記の記事に対して、「国際ジャーナリスト」の高橋浩祐氏が書いたコメントが正鵠を射ていたので、あえて再掲します。

Yahoo!ニュース
共同通信
東京五輪、観客上限1万人で開催 5者協議決定、政府制限に準拠

東京オリパラがマネーファーストになっている。スポンサー招待客やチケット代、IOC委員ら五輪貴族を重視し、有観客になったとみられる。

コロナ禍の人命重視で五輪中止が内外で叫ばれてきた中、ここに来て、スポンサー企業などに左右される世界一大スポーツ興行の五輪の地金が出てきている。

ある大会組織委幹部は、「何十億円も出してくれた各スポンサー企業のことを考える、中止という選択肢はない」「電通がスポンサー集めに奔走した。中止になったら電通がつまはじきにされ、つぶれかねない」と話した。

しかし、スポーツはいったい誰のためにあるのだろうか。スポーツの語源はラテン語の「deportare」で仕事や家事から解放される人々の「気晴らし」や「娯楽」を指す。

一方的な決定に国民感情としては大会を支持する気持ちが薄れていくばかりではないだろうか。

五輪を巨額のカネが動く商業主義に陥らせたIOCの罪は大きい。


「マネーファースト」というのは、言い方を変えれば利権ということです。お金がからめば利権が生じるのは当然でしょう。

「スポーツの力」とか「アスリートの夢」とか、あたかもスポーツやアスリートは特別であるかのような言説がふりまかれるのも、その根底にスポーツにからむ利権があるからです。

与党の政治家や産経や読売や右派コメンテーターらが、オリンピックは「国際公約」なので中止はあり得ないと言っていましたが、それは詭弁で、ホントは単にお金を出してもらっているスポンサーとの契約に縛られているだけなのです。こういったところにも、「マネーファースト」の資本主義が持つ野蛮さや節操のなさが顔を覗かせているように思います。

時流におもねる現代文学(平成文学)を「電通文学」だと一刀両断したのは、セクハラで失脚した渡部直己ですが、それは文学だけでなくスポーツも同じです。スポーツに限らず「元気をもらう(元気を与える)」とか「勇気をもらう(勇気を与える)」などという言い方が盛んに使われるようになったのは東日本大震災からですが、言うなればそれは広告代理店のコピーのようなものでしょう。

ネットでは黒色のウレタンマスクをしている人間は頭が悪いイメージがあると言われているそうですが、私は、テレビのインタビューで臆面もなく「元気をもらう(元気を与える)」とか「勇気をもらう(勇気を与える)」などと言っているアスリートや芸能人を見ると、「私は何も考えていません」「私はバカです」と言っているようにしか聞こえませんでした。

今回のオリンピックでも、招致の段階から電通が大きな役割を担い、今回のオリンピックの陰の主役は電通ではないかと言われているくらいですが、もしかしたら、菅首相や丸川五輪大臣や橋本大会組織委員会会長の発言も、電通が作成した台本をただ読んでいるだけかもしれないのです。

昔の政商と言えば、三井や三菱などの旧財閥を思い浮かべますが、高度な情報化社会になった現代では、電通やパソナのような広告や情報を扱う第三次産業の会社がそれに代わったと言えるのではないでしょうか。どこかのバカ息子が役員になっていた東北新社も然りでしょう。

言うまでもなく登山もスポーツですが、だからと言って、私たちのような個人的に山が好きで山に登っている下々のハイカーには、たとえば日本山岳会のような団体はほとんど関係のない存在です。

ところが、(私もこのブログで批判しましたが)昨年の緊急事態宣言の際、日本山岳会をはじめとする山岳関連の4団体が共同で登山自粛の呼びかけをしたのでした。それが登山者を縛るだけでなく、さらに”自粛警察“やメディアに、山に行く登山者を攻撃する格好の口実を与えることになったのでした。しかし、呼びかけはその一度きりで、その後の緊急事態宣言では同様の呼びかけはありませんでした。じゃあ、去年のあの呼びかけは一体なんだったんだと思わざるを得ないのです。ただ国家の要請に盲目的に従っただけのようにしか思えないのです。日本山岳会は、戦前がそうであったように、今も「お国のための登山」を奨励する翼賛団体にすぎないのではないか。私は、彼らが登山者を代表しているかのように振舞うことには反発すら覚えるのでした。一方で、日本山岳会は、百名山、二百名山、果てはみずから三百名山までねつ造して、「モノマネ没個性登山者」(本多勝一)のミーハー登山を煽っているのです。おそらくそこにも、モンベルなどスポンサーの存在があるからでしょう。

それは、登山だけでなく、ほかのスポーツについても言えることです。街のスポーツ愛好者がいつの間にか電通などによってオリンピックのような国家イベントに動員される、その巧妙なシステムを知る必要があるのです。これだけ感染防止が叫ばれているのに、ボランティアを辞退しない人間たちに対する批判がいっさい出て来ないのが不思議でなりません。彼らはホントに”善意の人々”なのでしょうか。彼らの陰で、ボランティア募集の実務を担ったパソナは、対前年比10倍の莫大な利益を得ているのです。

パンデミック下のオリンピック開催によって、初めて(と言っていい)「スポーツは特別なのか」「アスリートは特別なのか」という疑問が人々の間に生まれたのですが、それが「元気をもらう」とか「勇気をもらう」とかいったカルトのような呪縛から抜け出すきっかけになれば一歩前進と言えるでしょう。そして、今回のオリンピックを奇貨として、もう一度スポーツのあり方を根本から考え直すことができれば、”狂気の祭典”もまったく無駄ではないと言えるのかもしれません。と言うか、既に開催が既成事実化された今に至っては、もうこんなことくらいしか言えないのです。


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2021.06.22 Tue l 社会・メディア l top ▲
怖れていたことが現実になった感じです。オリンピックの事前合宿のため、19日の夜に来日したウガンダの選手団9人のなかで、成田空港での検査によって1人の陽性が確認されたというニュースがありました。

しかも、当初、成田空港で行われた検査は、唾液による抗原検査で、抗原検査ではっきりした反応が出なかったので、PCR検査を行ったところ陽性が判明したということでした。入国時の検査の問題について、私は、以前、このブログで次のように書きました。

選手と関係者の入国に伴う検査と健康管理にも、大きな懸念があります。観客を除いても、選手1万5千人に関係者を含めると5〜7万人が入国すると言われていますが、そういった海外からの入国者に対しても、PCR検査より精度が落ちる唾液による抗原検査をするだけで、しかも、選手の健康管理はアプリによる自己申告が主だそうです。

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選手たちは、母国でアストラゼネカ製のワクチンを2回接種し、出国前72時間以内に受けた検査の陰性証明書も提出していたそうですが、それでも陽性者が出ているのです。医療関係者の話では、そういったケースは充分あり得るそうです。ワクチンを打ったから大丈夫というわけではないのです。

ワクチンの接種率が90%に上るイギリスでは、デルタ株(インド型のなかでいちばん最初に発見された変異株)の変異ウイルスが猛威を振るいはじめ急拡大しているというニュースもあります。日本でも早晩、インド型が主流になると言われています。

今回のウガンダ選手団は僅か9人です。そのなかで1人の陽性が判明したのです。東京オリンピック開催に伴う入国者数は、当初の予定から大幅に減って3万5千人になったとか言われていますが、それでも3万5千人に9分の1をかけると、身の毛もよだつ数値が出てきます。もちろん、現実はそんな単純な話ではないにしても、相当数の陽性者が出るのは間違いないでしょう。

さらにびっくりするのは、抗原検査で陰性と判定された残りの選手たちは、どう見ても濃厚接触者であるにもかかわらず、「行動制限が不要と判断され」(東京新聞)、合宿地の大阪府泉佐野市にバスで移動したそうです。合宿地の泉佐野市に到着すると、市民たちが拍手で迎えたのだとか。しかも、陽性の1人も、陰性になれば「入国と国内移動が可能になる」そうです。

パンデミック下にオリンピックを開催するという”狂気の沙汰”が、野郎自大な政治の力によってまかり通ってしまうこの国の現実。しかも、政府は、オリンピック期間中はリモートしろ、通勤は控えろと言うのです。まさに言いたい放題、やりたい放題です。私たちは、現在いま、アイパーを当てて剃りこみを入れ、チョビ髭を生やし、学ランを着て学内を闊歩していた学生時代から一歩も出ない、稚児じみた政治思想の持ち主が運転する専制主義という名の暴走列車に乗っているのです。

加速主義者が願うように、こうやってこの国は堕ちるところまで堕ちていくのだと思います。オリンピックが、国威発揚どころか二等国の悲哀をかこつそのターニングポイントになるのは間違いないでしょう。

あらためてしみじみ思うのは、菅義偉首相は、田舎の市会議員くらいががお似合いの政治屋にすぎないということです。そんな政治屋が、政権与党内のパワーバランスによって、あろうことか国の指導者に祭り上げられたのです。それはマンガチックな不幸でさえあります。

政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長らの提言(案の定、腰砕けになったけど)を無視して開催に突き進む菅内閣の姿勢を、日米開戦について「日本必敗」の結論を出した戦中の総力戦研究所になぞらえるむきもありましたが、しかし、あのときとはあきらかに社会の体制は違っているのです。曲がりなりにも今は「言論の自由」があるのです。

にもかかわらず、産経や読売の保守メディアを筆頭に、オリンピック開催を擁護する言説がこれほど多く存在する現実は、むしろ天皇制ファシズム体制下の戦中よりも深刻な問題を孕んでいると言えるでしょう。右派メディアや右派文化人(コメンテーター)たちが、唖然とするようなアクロバチックな論理で政府の方針を追認する姿を見るにつけ、私はやはり「太鼓持ち」「狂気」ということばしか思い浮かびません。それは、元オリンピック選手をコメンテーターに起用して、彼らにオリンピック賛美を言わせている各局のスポーツ番組も然りです。

反対運動をしている活動家たちに対する警察の監視も日ごとにきびしくなっているようですが、開催まで残りひと月になり、オリンピック開催が治安問題として扱われ、「テロ」を名目に反対運動に対する取締りが香港のようにエスカレートしていく懸念もあります。オリンピックに反対するのは「プロ市民」だというイメージを流布するために、みせしめの強制捜査が行われる可能性もないとは言えないでしょう。そうやって「ニッポン低国」(©竹中労)は、”狂気の祭典”にいっきに雪崩れ込んでいくつもりなのでしょう。

オリンピック開催の問題が、いつの間にか観客数の上限をどうするかという問題に矮小化され、開催そのものが既成事実化されていますが、いみじくも国会の党首討論で前回の東京オリンピックに対する思い出を延々と語っていたように、菅首相には、ガラガラの客席に向かって開会式の挨拶をするような事態はなんとしてでも避けたい気持があるのだと思います。秋田出身のオールド世代の政治屋にとって、オリンピックの開会式は(運動会の来賓とは比べ物にならない)文字通り天にも上るような晴れ舞台に違いないのです。

一方で、無観客を避けるというのは、IOCの至上命令でもあるのだと思います。IOCの独断で、マラソン競技の会場が東京から札幌に変更になった理由について、『オリンピック・マネー 誰も知らない東京五輪の裏側』(後藤逸郎著)は、暑さ対策というのはあくまで建前で、真意は「(暗くて)ヘリで中継できない」からだと書いていました。

当初、東京都は、「暑さ対策」のため、午前6時以前のスタートを決めていました。しかし、IOCは、それでは「(暗くて)ヘリで中継できない」ので午前7時以降のスタートの必要性を主張していたそうです。

IOCは、ドーハ大会でも、ドーハ当局が提案したマラソンのスタート時間について「視聴率が下がるから」という理由で拒否している過去があるそうです。IOCは、放映権を契約した放送局に対して高視聴率を保証しており、そのために、視聴率に貢献できる時間帯や撮影環境に必要以上に拘るのだとか。無観客のようなさみしい光景ではオリンピックは盛り上がらない、視聴率も稼げない、とIOCが考えても不思議ではないのです。

そんな思惑は日本政府も共有しているのです。国民なんて(バカだから)開催反対なんて言っていても、開催すれば戯言を忘れて感動するに違いないと思っているので、そのためにはなんとしてでも観客を入れて、感動を演出しなければならないのです。

海外を見てもわかるように、早晩、第五波の感染爆発が起きるのは必至です。感染防止の優等生だと言われていた台湾やイスラエルでさえ感染拡大に見舞われているのです。私たちは、「風にそよぐ葦」に同調して祝祭ムードに踊らされるのではなく、なにより自分のために、次の感染爆発に備えて「正しく怖れる」ことが肝要なのです。それが”狂気の祭典”に対する賢明な向い方でしょう。


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2021.06.20 Sun l 社会・メディア l top ▲
これは強調しておかなければなりませんが、当初、国会議員で東京オリンピックに反対したのは山本太郎参院議員(当時)だけです。今でこそ、共産党や立憲民主党が反対を表明していますが、反対に転じたのはごく最近のことです。誘致に成功した当初は、立憲民主党(旧民主党)や共産党も賛成していたのです。

前の記事のくり返しになりますが、後藤逸朗氏の『オリンピック・マネー』からその部分を引用します。

  二〇二〇年東京大会開催が決定した直後、日本の衆参両院は十三年十月十五日、「二〇二〇年東京オリンピック・パラリンピック競技大会の成功に関する決議案」を採択した。
  衆院では、自民党の遠藤利明議員が、「自由民主党、民主党・無所属クラブ、日本維新の会、公明党、みんなの党、生活の党を代表し」と、提案趣旨を説明。全会一致で可決された。
  参院では、自民党の橋本聖子議員が、「自民党、民主党・新緑風会、公明党、みんなの党、日本維新の会、新党改革・無所属の会、生活の党の各会派共同提案」、「国民との対話を重視し、情熱を持って諸対策を強力に推進し、二〇二〇年に向け、万全の体制を構築すべき」と説明。投票総数二百三十九、賛成二百三十八、反対一で可決された。


まさに翼賛国会そのものです。共同提案に応じなかった日本共産党も、本会議の決議では賛成したのです。でも今になって、日本共産党は「日本はIOCの植民地なのか」(志位委員長)などと言っているのでした。

その山本太郎れいわ新選組代表は、先日の記者会見で、開催強行に突き進む菅政権について、「完全に常軌を逸した世界」「漫画のような世界」とこき下ろしていたそうですが、けだし、当時の国会議員のなかで、開催を批判する資格があるのは山本太郎だけでしょう。

今頃、国会でオリンピック開催の是非を論じているのは、朝日の反対論と同じであまりにも遅すぎると言わねばなりません。と言うか、リベラルなメディアや野党が得意とする、大勢が判明してからのとって付けたような反対のアリバイ作りであるのはミエミエです。

ついこの前まで開催に反対する声が国会内に存在しなかったという事実。オリンピックは、文字通り挙国一致体制のなかにあったのです。一方で、ここに至っても尚、「愛国」を自称する右派メディアを中心に、莫大なキャンセル料を取られるとか、アスリートの夢を潰すことになるとか、日本の信用がガタ落ちになるとか、それこそ本末転倒した理由で開催強行を擁護する声があります。狂っているのはIOCだけではないのです。

ロラン・バルトが喝破したように日本の中心にあるのは”空虚”なのです。誰も責任を取らない「無責任体系」が、この国をこの国たらしめているもうひとつの国体です。

下記の文春オンラインの記事は、そんな日本の社会をつらぬく「無責任体系」について、「日本人の習性」という言い方で分析してました。

文春オンライン
「五輪で日本人が金を取れば盛り上がる。何とかなる」…菅政権の「楽観論」に見る“日本人の習性”

「日本人には危機に際して、『起きては困ることは、起こらないことにする』悪癖がある」という故半藤一利の指摘は、まさに正鵠を射ていると言えます。たしかに、「想定外」ということばはなんと便利なんだろうと思います。「想定外」ということばにも、この国をつらぬく「無責任体系」が映し出されているのでした。

開催を1年延長した際の安倍総理(当時)の対応について、記事は次のように書いていました。

(略)週刊文春4月29日号にこんな逸話が載っている。東京オリンピック開催の延期を決定した昨年3月、大会組織委会長の森喜朗が「2年延期」を主張したが、首相だった安倍晋三が「日本の技術力は落ちていない。ワクチンができる。大丈夫です」と根拠のない理屈を言って「1年延期」で森を説得。その結果、2021年開催になる。


それは、菅総理も同じです。

(略)菅首相は4月12日、「感染の波は想像を超えたもの」と国会で答弁した。そのような災禍の最中でありながら、コロナと五輪は別問題だと言い続け、また五輪開催はワクチン接種を前提としないと言いもした。今の日本はとめどない無責任の渦中にある。


そして、現在、菅総理は、ワクチン接種の拡大をなりふり構わず進めているのでした。なんだか出来の悪い受験生のようです。

菅総理は、当初、ワクチンなんてあとでいい、オリンピックが始まれば、開催反対の世論なんてすぐ変わる、感動に寝返るとタカを括っていたのでしょう。しかし、ワクチンの遅れに対する不安が思ったより広がったので、今度はワクチン接種が進めば世論をなだめることができると、記事が書いているように泥縄式にワクチン接種に舵を切ったのだと思います。

開催まで2ヶ月を切りましたが、ここに来て、案の定と言うべきか、「高止まり」と言いつつも感染拡大に歯止めがかかりはじめました。しかし、何度も言いますが、新規感染者数なんて検査数を操作すればどうにでもなるのです。

職場と通勤電車の感染防止がなおざりにされたまま、飲食店や娯楽施設や商業施設などがやり玉に上げられて苦境に追いやられていますが、これほど理不尽で、これほど無責任な話はないでしょう。

コロナ禍でも仕事に行かなければならない事情はわかりますが、それにしても、通勤電車のなかでの乗客たちのふるまいはおよそ感染防止とは程遠いものです。ひとりひとりが「正しく怖れる」なら、緊急事態宣言なんてどうだっていいのです。しかし、通勤電車における感染は「感染経路不明」として処理され、誰が見てもスーパーのレジなどに比べたらはるかに問題ありの車内の”密”は不問に付されているのでした。

「電車の座席に座ることが人生の目的」みたいな彼らを見ていると、オリンピック開催に反対だなどとよく言えたもんだと言いたくなります。菅総理が考えるように、彼らはワクチン接種さえ進めばいつ感動に寝返るとも限らないでしょう。

(略)東京オリンピックやコロナ対策を戦争と重ね合わせる向きがある。分不相応に大きなことをやろうとする、撤退戦を知らず玉砕に向かう、精神論で乗り切ろうとするetc。

  これらをレトリックと見る方もいるかもしれないが、そうとも言えない。軍隊は閉鎖的な性質であることから、その内部で観念が純化される性質にあり、そのため戦争には国の文化や国民性がより強調して現れるからだ(略)。
(同記事)


要するに、みんなで渡れば怖くないは「日本人の習性」なのです。たしかにオリンピック開催に突き進む今の日本は、アスリートに元気や勇気をもらってみんなで感動すれば、コロナも怖くないとでも言いたげです。為政者やメディアが、「スポーツの力」なるカルトまがいの精神論を口にするのもよく似ています。

なんだかアスリートが悪病を祓ってくれる神サマのようです。そのうち神宮外苑に”池江神社”が建立されてもおかしくないでしょう。

もちろん、「無責任体系」は、政治家だけの話ではなく国民も同じです。先の戦争でも、国民は、東條英機の自宅に「早く戦争をやれ」「戦争が怖いのか」「売国奴め」と段ボールに何箱もの手紙を送って、戦争を熱望したのです。でも、敗戦になった途端に、自分たちは被害者だと言いはじめたのでした。そして、政治家や軍人と一緒になって、”昨日の敵”にすり寄っていったのでした。

誰も責任を取らない、如何にも日本的な「とめどない無責任の渦中」で、開戦、いや、開催は文字通りなし崩し的に強行されようとしているのです。


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『永続敗戦論』
2021.05.30 Sun l 社会・メディア l top ▲
オリンピック・マネー


アメリカのNBCは、2013年から2020年(2021年に延期)の東京オリンピックまでの夏冬4大会分の放映権を44億ドル(約4855億円)で獲得しており、契約の上では今回の東京大会が最後の大会になるそうです。ただ、NBCは、これとは別に2032年まで(東京大会以後6大会分)の放映権も、既に76億5000万ドル(約7800億円)で獲得しています。

放映権というのは、無観客であれ何であれとにかく大会さえ開かれて、IOC(実際は関連会社のオリンピック・ブロードキャスティングサービス=OBS)が撮影したいわゆる“国際映像”が配信されれば、契約が成立するのです。

つまり、IOCにとっては、どんなかたちであれ、開催すればいいのです。日本政府は、自国民の健康より、そんなIOCの金銭的な都合を優先しているのです。そんな日本政府の姿勢に対して、間違っても”右”ではない私でさえ「売国」ということばしか思い浮かびません。

ちなみに、日本のメディアは、高騰する放映権料のために、NHKと民放が共同でジャパンコンソーシアム(JC)という組織を作っており、JCも2018年の平昌冬季オリンピックから2020年(2021年)の東京オリンピック、2022年の北京冬季オリンピック、2024年のパリオリンピックまでの4大会分の放映権を獲得しています。放映権料は、平昌・東京が660億円、北京・パリが440億円で、合わせて1100億円だそうです。

他にヨーロッパでは、ヨーロッパ全域で「ユーロスポーツ」を展開するアメリカのディスカバリー社が放映権を取得しており、金額は2018~2024年までの4大会で13億ユーロ(約1730億円)だそうです。

これらの巨額な放映権料と、IOCが「TOP」または「ワールドワイドオリンピックパートナー」と呼ぶスポンサー企業からのスポンサー料がIOCの財政を支えているのです。年間平均で約1500億円と言われるIOCの総収入のうち、テレビの放送権料が73%を占め、次いで「TOP」スポンサー料が18%で、残りがライセンス料などだそうです。

いづれにしても途方もない金額のお金が、関連会社などを通って(文字通り資金洗浄されて)「五輪貴族」たちのもとに流れ、彼らに優雅な生活をもたらしているのです。それが「ぼったくり男爵」と呼ばれるゆえんです。

オリンピックではIOCの幹部たちが泊るホテルのグレードまで、開催都市契約の付則で細かく規定されているそうです。

  ホテルのグレードは「四つ星~五つ星のホテル」で計千六百室、三十三泊の確保を開催都市に義務づけている。
  二〇二〇年東京大会では、立候補ファイルで「ホテルオークラ」と「ANAインターコンチネンタルホテル東京」、「ザ・プリンス パークタワー東京」、「グランドハイアット東京」の五つ星ホテルの全室をIOCファミリーに提供すると保証した。
(後藤逸郎『オリンピック・マネー』)


「TOP」というのは、「The Olympic Partner」の略で、東京オリンピックに協賛するスポンサーとはまったくの別格の、IOCと直に契約したスポンサー企業です。一業種一企業に限定されており、そうすることでオリンピックに連動した宣伝効果の価値を高めているのです。IOCが実質的なスポーツビジネスの会社であることの一面を伺わせる内容と言えるでしょう。

現在の「TOP」スポンサーは、以下の14社です。

コカ・コーラ
エアビーアンドビー
アリババ
アトス(フランスのIT企業)
ブリヂストン
ダウ・ケミカル
ゼネラル・エレクトリック
インテル
オメガ
パナソニック
P&G
サムスン
トヨタ
VISA

「TOP」スポンサーの契約内容もご多分も漏れず秘密にされていますが、『オリンピック・マネー』によれば、2015年にIOCと「TOP」スポンサー契約を結んだトヨタ自動車のスポンサー料は、「2024年までの10年間で約2千億円と推定されている」そうです。

先日、パナソニックが大幅なリストラを発表しましたが、IOCに多額のスポンサー料を払いながらその一方で首切りと言うのでは、社員たちもやり切れないでしょう。

「TOP」以外の東京オリンピック限定のスポンサー企業については、下記に記載されています。

TOKYO2020
パートナー

それを見ると、前も書きましたが、「オフィシャルパートナー」に読売新聞・朝日新聞・日本経済新聞・毎日新聞が入っています。また、その下のカテゴリーの「オフィシャルサポーター」には、ヤフー・産経新聞・北海道新聞が名を連ねています。

これから開催に向けた本格的なキャンペーンがはじまると思いますが、スポンサーになっているそれらのメディア(その系列のテレビやスポーツ新聞も含めて)の報道は、くれぐれも眉に唾して見る必要があるでしょう。

JOCの「オフィシャルパートナー」の朝日新聞は、開催をめぐる問題について、下記のような記事を書いていました。

朝日新聞デジタル
五輪開催に突き進むIOCの本音は 放映権料に分配金…

IOCは支出の約9割を、アスリート育成や世界各国の五輪委員会や競技団体への分配に使っているとしている。仮に大会が中止になり、放映権料を払い戻すことになれば、特にマイナー競技の団体は分配金が減って資金難に陥る可能性がある。


なんだか中止になったら大変なことになると遠回しに脅しているような記事で、オリンピックありきの本音が出ているように思いました。「配当金」なる二義的な問題に焦点を当てることで、問題のすり替えをしているように思えなくもありません。

『オリンピック・マネー』によれば、IOCは、競技団体をA~Eの5段階にランク分けして活動資金を「配分」しているのですが、その5段階のランク付けは、テレビなどメディアの露出度によって分けられているのだそうです。そこにもスポーツビジネスの営利会社と見まごうようなIOCの体質が垣間見えるのでした。ちなみに、2016年のリオ大会におけるランク付けでは、Aランクは水泳・陸上・体操で、最下位のEは近代五種・ゴルフ・ラブビーだったそうです。Eランクのゴルフとラグビーは経済的に自立しているため、オリンピックに対する依存度が低いからでしょう。Dランクには、カヌー/カヤック・乗馬・フェンシング・ハンドボール・ホッケー・テコンドー・トライアスロン・レスリングなどがありました。

しかし、IOCの財務が非公開なので、「支出の9割」という話がどこまでホントなのか、誰もわからないのです。あくまでそれはIOCが主張していることにすぎないのです。ましてマイナー競技の団体が、IOCの「分配金」で息を継いでいるような話には首を傾げざるを得ません。後藤氏は、IOCの下に多くの財団や関連会社が連なる「複雑なグループ組織」の間の金の流れを調べようとしても、「情報が公開されていないという壁が(略)立ちふさがる。疑問があって調べても、スイスの法制というブラックボックスへと消えてゆく」と書いていました。

IOCが本部を置くスイスのNPOの規制は緩く、誰でも定款を作りNPOを名乗れば登記しなくても法人格が認められるのだそうです。しかも、財務を公表する必要もないのです。定款に基づけば収益活動も自由で、収益に対しても税の優遇処置を受けることができるのだとか。そのため、IOCだけでなく、FIFA(国際サッカー連盟)やUEFA(欧州サッカー連盟)など多くのスポーツ団体が、NPOとしてスイスに本部を置いているのだそうです。

オリンピックが経済的に自立できないマイナースポーツの祭典になっており、それ故にマイナースポーツの競技団体や選手たちが、オリンピックにすがらざるを得ない事情があることも事実でしょう。だからと言って、オリンピックが(それもたった1回の東京オリンピックが)中止になると、競技団体が兵糧攻めに遭い苦境に陥るかのような言い方は、いくらなんでも大袈裟すぎるように思います。

仮に百歩譲ってそうだとしても、じゃあ経済的に自立できないマイナースポーツの存続のために(IOCから「分配金」を貰うために)、開催国の国民の健康と命がなおざりにされていいのかという話になるでしょう。それこそオリンピックありきのアスリートが、自分のことしか考えてないというのと同じではないでしょうか。

アスリートの夢は、コロナ禍で苦境に陥っている飲食店の店主や真っ先に人員整理の対象になった非正規雇用の労働者や、あるいは医療崩壊してトリアージの対象になり命が見捨てられた患者のそれと違って特別なものなのか。彼らにも夢はあるしあったはずなのです。スポーツは、国民の暮らしや健康や命に優先するほど特別な存在なのか。とどのつまり、そういうことでしょう。スポーツで元気を与えたいなどとふざけたことを言っている代表選手に、そう問い正したい気がします。むしろ、スポーツは、聖火リレーの歴史が示しているように、ファシズムやスターリニズムなど全体主義ときわめて親和性が高いものでもあるのです。朝日の記事にある「スポーツの力」ということばには、くれぐれも注意が必要でしょう。と同時に、朝日の記事がIOCのいかがわしさに一切触れてないのも不思議でなりません。朝日は、IOCの利権について、それを検証する視点さえ持ってないのでしょうか。

後藤氏は、「分配金」を「寄付」と言い換えて、そのカラクリを次のように書いていました。

  IOCは開催都市との契約で、「競技の撮影はOBSに発注する」ことを義務づけている。この金額は非公表だが、「数百億円」(二〇二〇年東京オリンピック組織委員会メンバー)とみられている。
  IOCはテレビ放送権で得た巨額な収入の一部を、開催都市に運営部の一部として寄付している。しかし、開催都市がOBSと契約せざるを得ない以上、IOCの寄付金はいったん開催都市を経由し、IOCの関連会社に戻るだけに過ぎない。
(同上)


また、”国際映像“の撮影費用の一切合切も開催国の組織委員会が負担することになっているのだそうです。そこにも「寄付」のカラクリが存在するのでした。

  二〇二〇年東京大会で発生するOBSの費用は公表されていない。だが、一九九八年長野大会が七競技六十八種目で約二百億円かかっていることから、三十三競技三百三十九種目が行われる二〇二〇年東京大会の放送費用は、数倍に上る可能性が高い。
  この費用は東京オリンピック組織委員会が負担する。IOCは東京オリンピック組織委員会に八百五十億円を寄付している。お金に色はついてないが、八百五十億円の大半はOBSの費用に充てられる計算だ。
(同上)


まるで「寄付」がマネーロンダリングの役割を担っているかのようです。いったん「寄付」したお金が、契約上圧倒的な優位に立つIOCによって回収される(ぼったくられる)ことによって、結果的にオリンピックマネーがIOCの関連会社に還流し、関連会社の役員をしているIOCの幹部たちの懐に入っていくのです。しかも、関連会社の役員報酬も非公開なのです。

メディア、特に「オフィシャルパートナー」の4大全国紙は、どこも明確に開催に反対する社論を掲げていません。「感染が収束しないので政府は困っている」というような論調でお茶を濁しているだけです。まだ感染収束とはほど遠い状況にあることを考えれば、そういったオブスキュランティズムは、スポンサーになっているということも含めて、「言論の死」ならぬ「言論の自死」と言っても過言ではないでしょう。これでは、”緩慢な死”どころか、加速度的に新聞離れが進むのは間違いないでしょう。東京オリンピックは、「言論の自死」という副産物までもたらしたのです。

もっともそれは、政治家も同じです。東京オリンピックの招致に成功したあと、衆参両院は、「2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会の成功に関する決議案」を採択したのですが、その際反対したのは参院の山本太郎議員(当時)だけだったそうです。共産党も賛成したのです。後藤氏は、翼賛的な決議案の採択について、日本は「無邪気な選良がオリンピックを無批判にあがめる」国だと痛烈に批判していました。ただ、現実には日本のような国は少数で、開催費用の高騰なども相まって、今後オリンピック開催に手を上げる都市がなくなる懸念さえあり、IOCも危機感を募らせているのだそうです。

また、新国立競技場が、オリンピック後、陸上の世界大会が開かれることができなくなるという話もあります。何故なら、世界陸連の規定でサブトラックが付設されていなければならないのですが、新国立競技場はオリンピック後に神宮外苑の再開発でサブトラックがなくなるからです。そのために、世界新記録などの公式記録が認められなくなるのです。

そのオリンピックにかこつけた神宮外苑の再開発が、「サメの脳みそ」や「空疎な小皇帝」など少数の関係者の密談で決まったという話や、マラソンと競歩が札幌に変更されたホントの理由などもありますが、そういった話は次回に譲ります。

感染が蔓延しているからオリンピックをやめるべきだというのも大事な論理ですが、オリンピックが抱える問題はそれだけではないのです。1974年に「オリンピック憲章」からアマチュア規定が削除され、以後オリンピックもIOCも大きく変質したのです。上記のように放映権料もとてつもない金額に高騰し、利権まみれになって、IOCの幹部たちも「五輪貴族」と呼ばれるようになったのです。能天気な日本の国会議員たちが「あがめる」ような大会ではなくなったのです。

『オリンピック・マネー』には、イギリスのオックスフォード大学のベント・フライバーグ教授が算出した「予算超過率」が紹介されていました。これは、「立候補時に掲げた開催費用と実際にかかった費用の乖離度を調査した」ものです。それによると、1960年~2012年の夏冬17大会の「実質割合の平均は174%だ」そうです。「つまり、当初予算の2.7倍かかっている」のです。『オリンピック・マネー』は、「乱暴に言えば、ハナから当初予算がないに等しい」と書いていました。前の記事でも書いたように、今回の東京大会も例外ではないのです。

今回の開催の問題は、オリンピックそのもののあり方を根本的に問い直すいい機会でもあります。ポエムのような”オリンピック幻想”からいい加減自由になる必要があるのです。でなければ、池江璃花子の”感動物語”のような”動員の思想”にからめとられる怖れはまだ残っているように思います。

日本という国の上にIOCの幹部たちが鎮座ましまして、日本政府が国民そっちのけでIOCのパシリをしているその卑屈で滑稽な姿。私たちは、お涙頂戴の”感動物語”にごまかされるのではなく、そんなこの国の指導者たちの姿をしっかり目に焼き付けておくべきでしょう。その卑屈で滑稽な姿は、一夜明けたら、「鬼畜」と呼んでいた昨日の敵に我先にすり寄っていったあのときと同じです。その背後にあるのは、丸山眞男が喝破した日本の(もうひとつの)国体とも言うべき”無責任体系”です。開催に関するリモート会議などを見ても、日本政府の関係者や東京都の小池都知事などは、まるで本社から指示を受ける支店長みたいです。それでよくもまあ「美しい国」「とてつもない国」「日本、凄い!」などと言えたものだと思います。宮台真司は、この国にはホントの愛国者はいないと言っていましたが、今更ながらにそのことばが思い出されてならないのでした。
2021.05.20 Thu l 社会・メディア l top ▲
Yahoo!ニュースにも転載されていましたが、クーリエ・ジャポンがフランスの日刊紙リベラシオンの東京五輪に関する特集を紹介していました。

COURRiER Japon(クーリエ・ジャポン)
フランス紙が東京五輪を大特集「なぜ日本国民にしなかった対策を外国の選手団のためにはするのか」

リベラシオンは、「政府は、PCR検査数を増やすこともなく、ワクチンの提供を急ぐこともなく、医療体制を強化することもなく、必要な資金援助をすることもなく、1年以上もウイルスの蔓延を放置している」と日本政府の不作為を批判していますが、まったくそのとおりでしょう。

また、数字が正確かどうかわかりませんが、「3万人の選手団とその関係者に毎日PCR検査をする」という方針に対して、次のように書いているそうです。

オリンピック期間中、3万人の選手団とその関係者へのPCR検査が毎日予定されている。リベラシオン紙は、日本のPCR検査数の少なさや、ワクチン接種の遅れにも懸念を示す。

「現在、東京都の人口1400万人に対し、1日のPCR検査の数が1万件を超えることはほとんどない。1人が4年に1度接種できる程度の割合で行われているに過ぎない」という専門家の言葉を引用し、「東京で1日3万回の検査が可能なのであれば、なぜ住人には提供しないのか。無料でPCR検査を受けるには処方箋が必要であり、自分の希望で受けるには検査に最大250ユーロ(約3万3000円)も払わなければならない。さらに、1億2700万人の国民がいるなか、抗原検査は1日5000件にも満たない」。こう矛盾を問いかける。


海外から見れば、東京都に限らず日本の検査数の少なさが異常に映るのは当然でしょう。

それで、直近の東京都のPCR検査数を調べてみました。東京都が発表している「医療期間等実施分」は以下のとおりです。尚、これとは別に「健康安全研究センター」という公衆衛生の研究機関が研究目的で検査している分が、大体一日に200~300くらいあります。

5/13(木) 7,702
5/12(水) 8,936
5/11(火)1,0528
5/10(月)14,444
5/9 (日) 2,399※
5/8 (土) 6,828
5/7 (金)13,678
5/6 (木)14,981
5/5 (水) 4,768※
5/4 (火) 5,464※
5/3 (月) 5,227※
5/2 (日) 3,564※
5/1 (土) 7,441
4/30(金)12,574
4/29(木) 2,928※
4/28 (水)12,037
4/27(火)10,837
4/26(月)13,580
4/25(日) 2,444※
4/24(土) 6,292
4/23(金)10795
4/22(木)10,222
4/21(水)11,324
4/20(火)11,118
4/19(月)14,195

※印は休日

リベラシオンが書いているように、東京都は一日に3万件の検査能力があると言っていますが、しかし、相変わらずその3分の1程度しか検査をしていません。検査の拡充は、それこそ耳にタコができるくらい去年からずっと言われてきたことですが、未だにこんな状態なのです。拡充する気などさらさらないのでしょう。

メディアは、連日、新規感染者数が何人だとか「ニュース速報」でセンセーショナルに伝えていますが、検査数をまったく問わずに感染者数だけを報じてもどれほどの意味があるのかと思ってしまいます。日本では海外のように、自分が感染しているかどうかを知るための公的な検査は行われてないために(海外では無償で検査を受けることができる国も多いのですが、日本では”専門家”と称する太鼓持ちたちがそんなことをしても意味がないなどと言って、政府の無作為を擁護しているのが現状です)、国民は自費で民間の検査を受けているのですが、そこで陽性の判定が出た人、特に無症状の人が正直に保健所に届け出るとは限らないので、「隠れ陽性者」もかなりの数に上るのではないかと言われています。当然ながら、市中の検査が行われてないので、当局が把握していない市中の陽性者も相当数いると考えるのが普通でしょう。そんな潜在的な陽性者が、あの超密な通勤電車で席の奪い合いをしているのかもしれないのです。

何故、日本は海外に比べて検査数が極端に少ないのかと言えば、日本医師会の存在が関係しているという指摘があります。彼らが医療崩壊を理由に検査を増やすことを拒んでいるからだと。つまり、彼らの既得権益を守るためです。それは、打ち手不足で、ワクチン接種が遅々として進まないのも同じ理由だという声があります。

日本医師会は医師17万人が加入する公益社団法人ですが、その影響力は絶大で、政治団体の「日本医師連盟」をとおして自民党をはじめ与野党に年5億円近くを献金しているそうです。また、選挙においても地方の名士である開業医の影響力は大きく、「当選させるほどの力はないが落選させる力はある」と言われているそうです。

前も書きましたが、日本は人口当たりの病院数や病床数が世界で一番多く、CTやMRIの台数も他国を圧倒しているにもかかわらず、病床不足が指摘され医療崩壊が叫ばれているのです。既に大阪や兵庫や北海道では、実質的な医療崩壊が起きています。それも、ひとえに日本医師会の政治力に医療行政が歪められているからです。ちなみに、人口千人当たりの医師数は、OECD平均が3.5人なのに日本は2.4人しかいません。日本の医師数は、「1人当たりGDPが平均以上の国の中で最下位」だそうです。医療設備の充実を宝のもち腐れにしている”医師不足“も、既得権益を守る日本医師会の意向が関係していると言われているのです。

そんな日本の医療行政を歪める日本医師会の会長の記者会見を、まるで神の御託宣のように伝えているメディアは、よほどの節穴か、よほどのタヌキかどっちかでしょう。

コロナ禍であきらかになった日本の劣化。百年に一度と言われるパンデミックに晒されても尚、政治は旧態依然としたままで、周辺に蝟集する既得権益者の意向に従ってことが進められているのです。「国民の健康や命よりどうしてオリンピックを優先するのか」という声がありますが、オリンピックだけでなく感染対策そのものも、既得権益を甘受するステイクホルダーの意向が優先されているのでした。

「日本凄い!」も、文字通り自演乙でしかなかったのです。それこそ「笑笑」と言うべきでしょう。しかし、外国の新聞から心配されるくらい政府からコケにされているのに、国民は怒るわけでもなく、ただ陰でブツブツ言うだけです。通勤電車の光景を見ればわかりますが、ここに至っても、彼らにとっては、感染云々より電車で座席に座ることの方が大事なのです。目を血走らせながら車内に乗り込んで来ると、まるでマスクをしたニワトリのように車内をキョロキョロ見まわして、少しでも空いているスペースがあれば我先に突進する彼らを見ていると、絶望感すら覚えます。

世論調査を見ても、自民党の支持率は35%前後で、2位の立憲民主党が5~6%ですから、相変わらず自民党は抜きん出て支持されているのです。私は、読売の「オリンピック反対59%」という数字にも懐疑的です。池江璃花子の”感動物語”に涙するその単細胞ぶりを見せつけられると、ホントにどこまで反対の意思があるのか、首を捻らざるを得ません。東京五輪の問題は、オリンピックそのもののあり方を考えるいい機会だと思いますが、彼らを見ていると、それこそないものねだりの子守歌のように思います。

昨日の記者会見でも、菅首相は、オリンピック開催について「安心・安全な大会を実施することは可能と考えている」と人を食ったようなことを言っていましたが、正気かと言いたくなるようなそんな強気な姿勢の裏には、(何度も言いますが)「国民はオリンピックが始まれば今までのことを忘れて熱狂するに違いない」「池江璃花子のような感動話を与えれば涙を流して応援するに決まっている」という考えがあるからでしょう。バッハ会長も同じようなことを言って、日本の世論から反発されたとメディアは書いていましたが、しかし、開催されれば実際そのとおりになるでしょう。

なにせ日本人は、あの未曾有の原発事故でも変わらなかったのです。一度行き着くところまで行った方がいいという加速主義の(加速主義的な)考え方も、わからないでもないのです。
2021.05.15 Sat l 社会・メディア l top ▲
ツイッターで「奇跡の復活劇で人々を感動させたばかりの池江選手に厳しい言葉が浴びせられている」(東洋経済オンライン)そうで、メディアで批判の大合唱になっています。「厳しい言葉」を浴びせているのは、オリンピック反対派だそうです。池江璃花子自身のツイートで明らかになったのですが、メディアはそれを「おぞましい匿名の圧力」と言い、なかには「サイバーテロ」だと指弾するメディアもあります。

しかし、ツイッターのハッシュタグは「#池江璃花子選手は立派だが五輪開催は断固反対」という穏やかなものです。それに、巷間言われるようなオリンピック辞退を要求したツイートは極々一部で、「おぞましい匿名の圧力」「サイバーテロ」というのはどう見てもオーバーな表現です。むしろ、池江璃花子にからんだオリンピック反対の声を「おぞましい匿名の圧力」「サイバーテロ」にしたいがために、ことさら騒ぎ立てているフシさえあるのです。

とは言え、池江璃花子に限らずオリンピックありきのアスリートが「自分のことしか考えていない」と言うのは、そのとおりでしょう。メディアに袋叩きに遭った「あんたがどんな記録を出そうが、私たちには全く関係ない」というツイートに対しても、ことばがやや乱暴だとは思うものの、特に私は違和感を覚えませんでした。

ただ、一方で、池江選手に「オリンピックを辞退してほしい」という声については、私もお門違いだと思いました。と言って、それは、風にそよぐ葦にすぎないワイドショーのコメンテーターと同じ意味で言っているのではありません。辞退する気がない人間にそんなことを言っても、最初から無駄だと思うからです。

大学や高校の運動部でよくクラスターが発生していますが、スポーツ選手が感染防止について、どこまで正しい認識をもっているのか、はなはだ疑問です。もちろん、オリンピック代表という立場上、自分の感染には神経を使っているでしょうが、では、コロナ禍でのオリンピックのあり方やアスリートとしての自分とコロナ禍の社会との関係について、一度だって真面目に真剣に考えたことがあるのでしょうか。すべて所属するクラブや競技団体にお任せのようにしか見えないのです。

病魔と戦いながら、オリンピックという夢に向かって努力をしてきた池江選手に辞退しろなんて言うのは酷だ、鬼畜だ、みたいな批判もありますが、何度も言いますが、努力をしているのは池江選手だけではないのです。みんな努力しているのです。それぞれ夢に向かって努力してきたのです。それが、コロナで職を失ったり、事業が立ち行かなくなったりして、夢破れ、路頭に迷い、なかには死をも覚悟している人だっているのです。

まして、下記のニュースにあるように大阪や神戸では既に医療崩壊がはじまっており、実質的なトリアージ(命の選別)が行われ、高齢者がその対象になっているのです。命が見捨てられているのです。

朝日新聞デジタル
関西の高齢者2施設で計38人死亡 大半が入院できず

 神戸市と大阪府門真市の高齢者施設で新型コロナウイルスのクラスター(感染者集団)が発生し、二つの施設で計38人の入所者が亡くなっていた。大阪府と兵庫県では病床逼迫(ひっぱく)が深刻化しており、両施設では、多くの入所者が入院先が決まらないまま療養を続けていたという。


そういった現状を前にしても、池江璃花子は特別なのか、アスリートは夢に向かって努力して来たので特別なのか、と問いたいです。「生命いのちだけは平等だ」というのは、徳洲会の徳田虎雄が掲げた理念ですが、私はアスリートは特別だみたいに言う人たちにそのことばを突き付けたい気持があります。

別にみながみな池江璃花子の”感動物語”に涙を流しているわけではないのです。オリンピック開催のシンボルに祭り上がられたことで、その”感動物語”に胡散臭さを感じる人が出て来るのは、むしろ当然でしょう。

池江璃花子のような”感動物語”は、戦争中もメディアによっていくらでもねつ造されてきました。そうやって戦場に赴く若者が美化されたのです。一度走りはじめたら停まることができない日本という国家のメカニズムは、戦争もオリンピックも同じなのです。そして、そこには必ずメディアを使ったプロパガンダが存在します。

私は、池江選手に対する”同情論”に、逆にオリンピック開催反対の世論の”軽さ”を見たような気がしました。今回の針小棒大なバッシングには、丸山眞男が指摘したような、オリンピックよりコロナ対策だという合理的思考が、「勇気」や「元気」や「感動」など日本人が好きな”情緒的美化”によって、いともたやすく”動員の思想”にからめとられる”危うさ”が示されているように思います。病気を克服した池江璃花子が開催の象徴として利用されるのもそれゆえでしょう。(何度も言いますが)大衆は時が経てば忘れる、喉元すぎれば熱さを忘れる存在だ、という菅ら保守政治家の大衆観は真実をついているのです。彼ら為政者たちは、コロナがどうだとか言ってても、オリンピックがはじまればなにもかも忘れて熱狂するんだ、とタカを括っているに違いないのです。

じゃあ、池江璃花子の「夢」の対象であるオリンピックはどんなものなのか。今週のビデオニュースドットコムがその実態を取り上げていました。

ビデオニュースドットコム
マル激トーク・オン・ディマンド (第1048回)
誰がそうまでしてオリンピックをやりたがっているのか

私はゲストの後藤逸郎氏の著書の『オリンピック・マネー 誰も知らない東京五輪の裏側』(文春新書)をまだ読んでなかったので、番組を観たあと早速、痛い足を引き摺って近所の本屋に行きました。しかし、既に売切れていました。しかも、アマゾンや楽天や紀伊国屋などネットショップもどこも売切れで、電子書籍しか販売されていませんでした。

アメリカのワシントン・ポスト紙は、IOCのバッハ会長のことを「ぼったくり男爵」と書いていたそうですが、言い得て妙だなと思いました。今やオリンピックは、「一にお金二にお金、三四がなくて五にお金」の世界なのです。そのなかで、彼も「五輪貴族」とヤユされるような優雅な暮らしを手に入れたのです。

番組で、IOCにとっては、無観客でも何でもいいからとにかく開催してテレビ中継さえ行われればIOCが「儲かる」仕組みになっていると言っていましたが、スイスのNPO(民間団体)にすぎないIOCは、別に財団をいくつか持っており、さらにそれに連なるメディア関連の「オリンピック・チャンネルサービス」と「ブロードキャスティングサービス」という二つの会社が、それぞれスイス(株式会社)とスペイン(有限会社)にあるそうです。実務はスペインの有限会社が担っており、そこには日本のテレビ局や広告代理店からも社員が派遣されているのだとか。「ブロードキャスティングサービス」は、競技を撮影・中継し、それを各国のテレビ局を通して世界に配信することを主な業務にしているのですが、2016年12月末の資料では、日本円で400億円近くの売上げがあり、約60億円の利益を得ているそうです。もちろん、同社の役員にはIOCの幹部たちが就いていますが、その報酬は非公開だそうです。

要するに、IOCというのは、オリンピックというイベントを企画して、それを各国に売り込み、さらにイベントのコンテンツを管理するスポーツビジネスの会社と言っても間違いないのです。そもそもオリンピック自体が、キャッチアップを果たした旧発展途上国の国威発揚のイベントになっているというのはそのとおりで、オリンピック招致という発想そのものがアナクロなのです。

招致の際、コンパクトなオリンピックにするという触れ込みで7340億円で済むように言っていたにもかかわらず、2019年12月の会計検査院の報告によれば、招致から6年間で既に1兆600億円の関連経費が支出されていることがあきらかになっています。また、それ以外に大会組織委員会や東京都、国の別枠の予備費を合わせると実際は3兆4000億円にまで膨らんでいるそうです。

しかも、無観客になれば900億円の入場料収入もなくなり、開催都市の東京は1兆円の赤字を負担しなければならなくなるのだとか(そして、国が財政保証しているので、最終的には私たちの税金で処理することになるのです)。

選手と関係者の入国に伴う検査と健康管理にも、大きな懸念があります。観客を除いても、選手1万5千人に関係者を含めると5〜7万人が入国すると言われていますが、そういった海外からの入国者に対しても、PCR検査より精度が落ちる唾液による抗原検査をするだけで、しかも、選手の健康管理はアプリによる自己申告が主だそうです。

緊急事態宣言では人流を抑制しなければならないと盛んに言われていますが、オリンピック期間中は晴海のオリンピック村に選手1万5千人を閉じ込めることになるのです。食堂だけでも一度に数千人が食事できる規模だそうで、これ以上の”密”はないでしょう。しかも、いくら閉じ込めると言っても、無断で外出して飲みに行く選手が出て来ないとも限りません。強制収容所ではないのですから、電流を通した金網を張ったり、脱走した人間を銃殺するわけにはいかないのです。

IOCが作った大会関係者向けの「プレイブック」には、「選手同士の交流や握手、ハグは禁止」と書いているそうですが、しかし、禅道場ではないのですから、狭い空間のなかに1万数千人の若い男女が閉じ込められると、性的な欲望が充満するのは避けられないでしょう。そのために、表に出ていませんが、16万個のコンドームを配るという話もあるそうです。ハグどころか、合体が前提なのですからもはや笑い話みたいな話です。因みに、夜毎大量のコンドームが使われる選手村は、オリンピックが終われば高級マンションに化けるのです。

ワイドショーのコメンテーターはどれもいかがわしいのですが、そんなコメンテーターの日本政府がキャンセルすると違約金が発生するので日本政府からやめると言うことができないという発言についても、後藤氏はあり得ないデタラメだと言っていました。そんなことは開催都市契約のどこにも書いてないそうです。

ただ、開催がキャンセルになった場合、スポンサー企業などから開催都市やIOCに対して損害賠償の訴訟を起こされることはあるかもしれないと言っていました。もっとも、そういった訴訟は大規模イベントにはつきものなので、後藤氏も言うように、仮に訴訟を起こされたら粛々と対応すればいいだけでしょう。

最終的には40万人?必要とか言われているボランティアについても(無観客になればそんなにいらないのでしょう)、ボランティアを手配し派遣する仕事はパソナが一括して請け負っているそうです。当然ながらパソナは、その費用をもらっているのです。しかし、ボランティアの人たちは無償です。これでは、JOCではなくパソナに対してボランティアをしているようなものじゃないかと言っていましたが、たしかにこれほどおいしい商売はないでしょう。濡れ手に粟とはこのことでしょう。

でも、こういった話はメディアにいっさい出てきません。どうしてかと言えば、朝日・日経・読売・毎日は、オフィシャルスポンサーに名を連ねており、東京オリンピックに関しては利害当事者になっているからです。だから、自分たちにとって都合の悪いことは口を噤んでいるのです。

開催が厳しいという話も、どこの新聞も欧米のメディアの報道を引用するばかりで、自分の口で言おうとしません。宮台真司も、「自分とこの社論はどうなっているんだ」「自分の口でものを言えよ」と憤っていましたが、コロナ禍のオリンピック開催についてはメディアも同罪なのです。

繰り返しますが、サマランチ時代にオリンピックが商業主義に大きく舵を切り(だから、IOCの関連会社がサマランチの出身国のスペインに置かれているという指摘があります)、「オリンピック憲章」に謳われる崇高な精神も単なる建前と化したのですが、しかし、こと代表選手に関しては、未だに「スポーツの力」とか「感動をありがとう」とか「夢をもらう」などと、永井荷風が言う「駄句駄字」の空疎なことばが飛び交っているのでした。まるでそこだけありもしない「オリンピック憲章」の建前が生きているかのようです。一方で、メディアは、オリンピックありきのアスリートへの批判を「差別」だと断じていますが、そんな大仰なもの言いには、アスリートと同じオリンピックありきのメディアの本音が透けて見えているような気がしてなりません。

アスリートにとってオリンピックが「夢」だという話にしても、番組でも言っていたように、サッカーや野球やバスケットやテニスやゴルフなど経済的(興行的?)に自立している人気スポーツは、オリンピックに対する幻想がほとんどありません。仮にオリンピックの種目に入っていても、オリンピックはワールドカップや世界大会よりカテゴリーが下です。だから、選手たちもオリンピックに出ることにそんなにこだわっていません。むしろ怪我すると損だみたいな理由で辞退する選手も多く、オリンピックに出ることが「夢」だなんて、ゆめゆめ思ってないのです(おやじギャク)。

今やオリンピックはマイナースポーツの祭典になっているという指摘も、あながち的外れではないように思います。要するに、自立できないがゆえに、競技団体も選手もオリンピックにぶら下がらざるを得ないし、金銭面で活動を支えてくれるスポンサー企業の手前、出るか出ないかでは天と地の差があるというのはそのとおりなのでしょう。アスリートは、マイナースポーツであるがゆえに、スポンサー企業や政治の論理にがんじがらめに縛られて、(武者小路実篤ではないですが)「一個の人間」として自立することさえ阻まれているのです。そんな彼らにとって、オリンピック中止はあり得ないし、まして辞退など想像すらできないことでしょう。

ただ、そうは言っても、自然の猛威である新型コロナウイルスが都合よく収束してくれるはずもありません。感染拡大とともにオリンピック開催の問題がグチャグチャになっているのは誰の目にも明らかで、どう見ても準備が順調に進んでいるようには思えません。強気な姿勢の裏で、菅政権がかなり追い詰められているのも事実でしょう。番組のなかでは、小池都知事が時期を見て開催反対を言い出すんじゃないか、そして、国民の喝采を浴び、それを国政への復帰のステップにするんじゃないかと言っていましたが、私もそれは充分あり得ると思いました。進むも地獄戻るも地獄ならぬ、やるも茶番やめるも茶番になる可能性も大きいのです。
2021.05.09 Sun l 社会・メディア l top ▲
ビデオニュースドットコムを観ていたら、ゲストに出ていた斎藤幸平氏の次のようなことばが耳に残りました。

ビデオニュースドットコム
マル激トーク・オン・ディマンド (第1047回)
コロナでいよいよ露わになったコモンを破壊する資本主義の正体

「多くの人たちが立ち上がらない限り、この問題(引用者註:気候変動の問題)は解決しない。しかし、一方で分断が生じていて、お前は恵まれているからこういうことを考えられるんだっていうのは、環境問題でいつも言われることなんですよ。お前、恵まれているからベジタリアンの食事も食べられるし、オーガニックの服も買えるけど、俺ら金もないし忙しいから牛丼とラーメン食って、ユニクロの服着なきゃいけないんだ、みたいな話になるわけですよね。それは本当に不毛の対立で分断なわけですよ。僕は別にお金がなくてユニクロを買ってる人、牛丼を食べてる人だって、むしろ、積極的に声を上げてほしい。なんでオーガニックコットンのシャツを買えるくらいの給料をくれないんだよ。なんで300円400円で食えるものが、身体に悪い牛丼みたいなジャンクフードしかないのかということを怒ってもいい」

「(余裕があることに)全然罪悪感を感じる必要もないし、一方で余裕がある人も買って満足するというのは、まさにアヘンですよね。(しかし)社会全体を変えていくためには単に自分が良いものをちょっと買うだけではなくて、社会の構造とか格差そのものも変えていかなければ意味がないわけで、みんなが声を上げていいんだっていう風になれば、僕はその瞬間に変わっていくと思うし、逆に、みんなで声をあげてこのシステムそのものを変えていこうという風にしていかないと最終的には問題も解決しない」

斎藤幸平氏はまた、「3.5%」の人が立ち上がれば世の中は変わるとも言っていました。「3.5%」というのは、ハーバード大学の政治学者エリカ・チェノウェス教授が主張する数字です。エリカ・チェノウェス教授によれば、フィリピンのマルコスの独裁体制を倒した「ピープルパワー革命」やグルジアの「バラ革命」など、過去の社会変革のきっかけになった運動を調べると、「3.5%」の”法則”が当てはまるのだそうです。今のミャンマーの国軍に対する不服従の運動も、例外ではないように思います。

悪しき大衆主義と前衛主義の対立は左派の永遠のテーマですが、「3.5%」というのは腑に落ちる数字なのでした。宮台真司は、社会の圧倒的多数の人たちは何も考えずにただ漫然と大勢に流されて生きているだけという現実を考えれば、「3.5%」の数字はリアルティがあると言っていました。つまり、はっきり言えば、大衆というのは金魚の糞みたいな存在だということです。私が大衆主義に「悪しき」という連体詞を付けたくなるのも、それゆえです。

安倍元総理や菅総理らは、「有権者は時間が経てば忘れる」という大衆観を持っており、それがモリカケの対応や一連の反動的な法改正などの強権的な姿勢につながっていると言われていますが、彼らは如何にも保守政治家らしく大衆の本質を熟知しているとも言えるのです。オリンピック開催も同じでしょう。オリンピックが開催され、メディアがオリンピック一色に彩られ、「勇気」や「感動」などというおなじみのワードが飛び交うようになれば、8割反対もどこ吹く風、態度を一変してオリンピックに熱狂するに違いないのです。政権与党の政治家たちもそうタカをくくっているのだと思います。

誤解を怖れずに言えば、世論調査であれ、政党支持率であれ、そんなものはほとんど意味がないのではないか、ホントは取るに足りないものではないのか。そんな大胆な考えがあってもいいように思います。

前にも書いたとおり、ミレニアル世代あるいはその下のZ世代と呼ばれる若者たちの間では、ジェレミー・コービンやバーニー・サンダースのカリスマ的人気に象徴されるように、”左派的なもの”に対するシンパシーが世界的に広がっているのですが、しかし、残念ながら日本では、”左派的なもの”は嘲笑と不信の対象でしかありません。

番組でも言っていましたが、”左派的なもの”に対する関心は、今の社会のシステムを根本から変えなければもうどうにもならないことを若い世代が気付きはじめたということでもあるのです。地球温暖化や格差拡大や財政破綻の問題は、若い世代にとっては自分たちの人生に直接関わる切実な問題で、否応なくそれと正面から向き合わなければならないのです。彼らは、そこに「資本主義の限界」を見ているのです。鷲田小彌太氏のことばを借りれば、「臨界点」を見ているのです。たとえば、余暇としての趣味ではなく、趣味のために働くという先行世代から眉をしかめられるような考え方も、今の社会に対するラジカルな批評になっているのです。斎藤幸平氏は、『人新世の「資本論」』のなかで、それを「ラジカルな潤沢さ」と呼んでいました。

文字通り喉元すぎて熱さを忘れた反原発運動の”愚”をくり返さないためにも、(前も書きましたが)地べたの生活の現実に依拠し、まっとうな生き方をしたいと思っている「3.5%」の人々の琴線に触れるような、真に革命的な急進左派の運動が今の日本に求められているのです。それは、「アウシュビッツ行きの最終列車に乗る」とヤユされるような、選挙対策の”野党連合”(立憲民主党への合流)などとはまったく別次元の話です。

社会のシステムを変えると言うと、政治のことばを大上段に振りかざしたものを想像しがちですが、一方で、それは、自分の人生や生き方にも関わるきわめて身近なもの(こと)でもあるのです。人生を少しでも豊かで充実したものにするためには、趣味でもボランティアでも家族サービスでもなんでもいいから、生活のなかに仕事だけでない別の時間を持つことが大事でしょう。そして、それが仕事と同じかあるいはそれ以上のウエイトを占めるようになれば、労働時間の短縮や最低賃金の引き上げや有給休暇の拡大などが身近な問題として考えられるようになってくるでしょう。そうやって”左派的なもの”との接点が生まれ、それが世界に目をひらく端緒になるのです。

山を登る趣味を考えても、山に登ることがきっかけで、自然の大切さや身体しんたい(=身体的であること)の重要性と出会い、環境にやさしい素材を使った服を買ったり、安全で身体からだにいいものを食べたりするようになれば、自分の人生に対する考え方も変わるだろうし、世の中に対する見方も変わっていくでしょう。

もちろん、「SDGsは大衆のアヘンである」と斎藤幸平氏が言うように、SDGsが貪欲な資本のあらたな市場になっているのも事実です。地方の山がソーラーパネルで埋め尽くされたのと同じように、「田舎」がエコな経済の収奪の対象として「外部化」されているのは否定できないでしょう。昨今のリモートによる地方移住も、あたらしい生き方でもなんでもなく、彼らはただ地方を「外部化」し収奪するために資本から派遣された先兵にすぎません。もとより、エコバッグで買い物に行ったり、有機野菜で料理をしたりするのは、あの「お花畑」の元総理夫人だってやっていることです。ありきたりな言い方ですが、ホンモノとニセモノが混在しているのはたしかです。しかし、それを百も承知で言えば、個的なレベルにおける”革命”というのは、そういう身近な生活スタイルを変えることからはじまるわけで、そこから世界に向けた回路がひらかれているのもまた、たしかなのです。


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2021.05.03 Mon l 社会・メディア l top ▲
ゴールデンウィークで連休が続くので、今日、手持ちがなくなった薬を処方してもらうべくあわててかかりつけの病院に行きました。土曜日で午前中しか診察をやってないため、朝8時すぎの電車に乗り、東横線、そして市営地下鉄のグリーンラインとブルーラインをそれぞれ乗り継いで行きました。普段はタクシーで行くことも多いのに、何故か今日はケチって電車で行くことにしたのでした。

電車の場合、当然ながら駅まで歩いて行かなければならないし、途中、二度の乗り換えもあるので、距離的にも遠回りになり、タクシーだと15分くらいで行くところが電車だと1時間近くかかります。そのため、帰って来たら、痛めている右膝が曲げるのも困難なくらいパンパンに腫れていました。

前日は、整形外科の病院で、膝にたまった”水”をぬきヒアルロン酸を注入しました。通常、ヒアルロン酸は5週注入するケースが多いみたいですが、いっこうに改善しないのでもう少し続けた方がいいでしょうと言われたのです。しかし、自宅に帰った頃には、再び”水”がたまっているのが自分でもわかりました。

痛みそのものは、最初の頃に比べれば半分くらいに和らいでいます。と言っても、それは痛みのランクが半分くらいに下がったにすぎず、歩けないほどの痛みからなんとか歩けるほどの痛みに変わった程度です。

ヒアルロン酸を注入されているからなのか、心なしか膝のお皿のあたりがツルツルになった感じがします。これだったら膝より顔に注入してもらった方がよほど効果があるような気がしないでもありません。

また、膝に力を入れて(膝をロックして)足を15センチから20センチ持ち上げて5秒から10秒維持し、それを10回くり返すストレッチを毎日3~5セット行って下さいと言われました(ほかにタオルを丸めたものを膝の下に置いてそれを上から潰すストレットも)。

私は、「はい、わかりました」と聞いたふりをしましたが、それはもうとっくに自分でやっていました。また、今日もかかりつけ医に膝を痛めたという話をしたら、やはり同じストレッチを推奨されました。

私の場合、前も書きましたが、変形性膝関節症ではなくただのオーバーユースだと言われたのですが、ネットで見ると、オーバーユースで変形性膝関節症を発症すると書いているサイトもあります。でも、私が行っている整形外科のドクターは(認定スポーツ医でもある)、レントゲンでは膝は非常にきれいで問題はないし、しかも、膝を使わないときに痛みがないということを考えれば、変形性膝関節症ではなくただの使いすぎだろうと言うのです。

山に登り始めの頃も、(主に反対側の膝でしたが)膝痛に悩ませられたことがありました。そのときも、膝が腫れた感じがして屈伸するのに違和感がありましたので、おそらく膝に”水”がたまっていたのでしょう。でも、数日もすると痛みも取れて元に戻っていました。同じオーバーユースでも、今回はあまりにレベルが違いすぎるのです。患者というのは不思議なもので、明確な病名を付けられないと逆に不安を覚えるのでした。

ヒアルロン酸の効果や深夜の通販番組ではおなじみの軟骨がすり減ることによる膝の痛みについて、京都のドクターがブログで次のように書いていたのが目に止まりました。

石田内科リウマチ科クリニック
クリニックBLOG
膝関節へのヒアルロン酸注射の有効性

米国整形外科学会(AAOS)は6月4日、変形性膝関節症(OA)治療に関する臨床診療ガイドライン(CPG)改訂版を発表した。ヒアルロン酸関節内注射治療を推奨しないと明記した。(略)ヒアルロン酸の関節内注射は、14件の試験のメタ解析において臨床的に重要な改善を意味する最小閾値に達しておらず、症候性の変形性膝関節症(OA)治療法としてもはや推奨されないものとしている。日本では、症候性OAについては、ヒアルロン酸関節内注射が頻繁になされている。ロコモティブシンドロームの代表格であるOAについて、このような見解が示されたのは、大きな衝撃であろう。「OAの症状のみで、関節内遊離体や半月板損傷など他の問題が見られない者には、関節鏡下洗浄治療は行わない」「BMI25超の肥満者は最低5%減量する」「低負担の有酸素運動を積極的に取り入れる」などが盛り込まれている。患者が主体的に治療に取り組むことが、痛みを軽減し、良好な健康状態を実感するに最適な方法の一つである。太り気味であれば、減量が進行を遅らせるためにできる最善策でもある。


そして、最後に「これまでOAは軟骨の変性摩耗と叫び続けてきた方々のコメントを待ちたい」と書いていました。

やっぱり、ヒアルロン酸は皺取りの方が効果があるのかもと思ってしまいました。「軟骨の変性摩耗」もおなじみのフレーズですが、たしかに深夜の通販番組を見ると、医学的な一見解にすぎないものが、商業的な目的のために拡大解釈され独り歩きしているような気がしないでもありません。

膝痛を経験した多くの人たちが口にする、病院に行っても湿布薬と”水”抜きとヒアルロン酸で「お茶を濁されるだけ」というのもわからないでもないのです。そのために、ストレッチに望みを託して整骨院に駆け込み、回数券や「部位回し」で散財することになるのでしょう。

筋力が落ちたり、筋肉が固くなったりするのを防ぐという意味では、ストレッチは有効かもしれません。ただ、痛みが改善するのは、あくまで自然治癒にすぎないのでないか。保存療法というのは、結局、そういうことでしょう。だったら、「自然に治るまで待つしかありませんよ」と言ってくれればいいのにと思います。ヒアルロン酸や”水”抜きに過大な期待を抱く分落胆する気持も大きいのです。

同じように膝痛を抱える知人は、膝痛は命には関係ないので治療の研究が進んでないんじゃないかなと言っていましたが、膝痛の当事者として、そう思いたくなる気持もわからないでもありません。そして、そういったなかなか痛みが取れない”もどかしさ”が、通販番組の主役を務めるくらいに膝痛の市場を虚業化し大きくしたと言えなくもないでしょう。

余談ですが、膝に”水”がたまると膝がいびつな形に変形するのですが、それを見るといっそう気が滅入ってきます。そのため、女子高生の素足のミニスカートから覗いた、左右きれいに揃った膝が羨ましくてならず、やたら女子高生の膝が気になるようになりました。道を歩いていても、電車のなかでも、ついつい女子高生の膝に見入ってしまうことがあり、近くにいた女性から怪訝の目で見られたこともありました。このように膝痛によって、”膝フェチ”という副産物までもたらされたのでした。

閑話休題あだしごとはさておき、今朝の東横線も、通勤客やレジャーに出かける乗客で、普段の週末とほとんど変わらないくらい混んでいました。また、新横浜駅方面に向かう市営地下鉄の車内では、通勤客に混ざって大きなキャリーケースを横に置いた乗客も目につきました。

どうしてこのタイミングなんだ?と思いますが、横浜の桜木町駅から汽車道の上を通るロープウェイが開通したので、それを目当ての家族連れも多く押しかけているようです。「人の流れを抑制しなければならない」「ゴールデンウィーク期間中はステイホームで」とか言いながら、その一方で、テレビはロープウェイ開通をトピックスとしてとりあげ宣伝しているのです。それでは行くなと言う方が無理でしょう。

しかも、今月の15・16日には、山下公園で「世界トライアスロン」の横浜大会が開催されます。国内外の招待選手に優待・一般参加の選手を含めて2000名の参加者でレースが行われるそうです。無観客の大会になったので、林文子横浜市長は「観戦に来ないで」と呼びかけていますが、これほどバカげた話はないでしょう。無観客とは言え、どうしてこの時期に開催しなければならないのか。私は、横浜市民として、林市長の神経さえ疑いました(もっとも、緊急事態宣言が延長されて中止になる可能性の方が高いですが)。

埼玉から都内に通勤している友人も、今朝の電車はいつもと変わらなかった、普段の土曜日よりむしろ多いくらいだったと言っていました。また、池袋駅では山登りの恰好をした登山客やハイキングに向かうとおぼしきリュックを背負った家族連れも目についたと言っていました。

三度目の緊急事態宣言は、政府の目論みとは逆に外出自粛にはほど遠い現実しかないのです。私は、これでは「オリンピックなんてできるわけがない」とあらためて確信しました。もしかしたら、国民はわざと外出し感染を拡大させることで(そうやってみずから身を挺して)、オリンピック開催を阻止しようとしているんじゃないか。そんな皮肉な見方さえしたくなりました。

おそらく、二週間後はとんでもない新規感染者数を見ることになるでしょう。もし、そうではなく、予想に反して新規感染者数が減少していたら、それはオリンピック開催のためになんらかの”操作”が行なわれたと見て間違いないでしょう。

今日のテレビのニュースでは、緊急事態宣言で軒並み人出が減っていることを強調していましたが、どこが?と思いました。東京駅の新幹線のホームも「閑散としている」と伝えていましたが、JRによれば新幹線の乗車率は50%〜70%で、過去2回の緊急事態宣言のときより大幅に増えているのです。乗車率50%〜70%は、普通に考えても「閑散」とは言わないでしょう。オリンピックのスポンサー企業に名を連ねる大手の新聞社やテレビ局は、言うまでもなく”開催ありき”です。開催して貰わなければ困るというのが本音です。そんなオリンピック開催で政府と一体化したメディアが、あたかも緊急事態宣言に効果が出ているかのように恣意的な報道を行っていることも気になりました。
2021.05.01 Sat l 社会・メディア l top ▲
小室さんの問題で、元婚約者がコメントを発表し、「解決金」の交渉に応じる意向を示したというニュースがいっせいに流れました。

毎日新聞
小室圭さん母の元婚約者、解決金の交渉進める意向 コメント発表

意地悪な私は、やっぱりと思いました。ことばは悪いけど、意外と早く食いついてきたなと思いました。このあたりが老いらくの恋の落としどころなのかもしれません。二人の結婚の意思は固いようなので、いづれにしても結婚の方向に話が進んで行くのは間違いないでしょう。

ただ、元婚約者の真意が、「解決金」にあるのか、それとも体調を崩して入院していると伝えられる小室さんのお母さんにあるのか、今ひとつはっきりしませんので、今後も紆余曲折がないとは言えないでしょう。

単にお金がほしいだけなら話は簡単ですが、そうではなく(それだけではなく)ストーカーによく見られるような別の屈折した心情が伏在しているとしたら、話がこじれる可能性はあるでしょう。元婚約者の代理人を務めるのは、弁護士ではなくフリーライターだったのですが、今もそうなのか気になります。と言うのも、代理人やメディアの立場から言えば、話がこじれた方が間違いなくオイシイからです。

別れたから今まで使ったお金を返せというのは、昔だったら「最低の男」「男の風上にもおけない」と言われたでしょう。それは、かわいさ余って憎さ百倍のストーカーに暴走しかねない論理と言えなくもないのです。

元婚約者はなかなか老獪で、金銭問題でふたりの結婚に支障が出るのは忍びないとか言いながら、だからと言ってメディアから身を遠ざけているわけではないのです。今回も、「代理人」のフリーライターのプロデュースなのか、小室さんの「文書」が発表されると『週刊現代』の取材に応じて、マンションのローンを払えないので今は家賃8万円の木造アパートに住んでいるとか、小室さんの「文書」には「納得できない」とか、婚約解消の話し合いの席での”無断録音”に「驚いた」などと「独占告白」しているのでした。そうやってことあるごとにメディアに登場して、バッシングの材料を提供しているのです。

問題の本質は、お金を貰ったか借りたか(貸したか)にあるのではなく、小室さんと眞子さんの恋愛&婚約がメディアに大々的に取り上げられ、小室さん一家にスポットライトが当てられた途端、元婚約者が金銭問題をメディアにリークしたその行為にあるのです。もっとありていに言えば、その行為に至った動機にあるのです。

もし自分だったらと考えれば、問題がわかりやすくなるかも知れません。私も度量の狭い人間ですので、使ったお金はもったいなかったなとか捨て銭になったなとか、心の片隅で少し思ったりはするかもしれませんが(それも半分は自虐ネタみたいなものですが)、しかし、いくらなんでも“金銭トラブル”をメディアにタレこんで若いふたりの恋路を邪魔するなんてことは、とても考えられないしあり得ない話です。そこまでやるというのは、「執念」ということばでも解釈し切れない、もっと根深い要因があるような気さえします。

小室さん母子が結婚詐欺師VS元婚約者が善意の被害者というメディアが描く構図自体が、どう考えても悪意の所産だとしか思えません。もとより、(何度もくり返しますが)男と女の間には第三者が立ち入れないデリケートなものがあり、仮にお金のやり取りがあったとしても、それが借りたか(貸したか)貰ったかなんて判断すること自体、明確に犯罪でも構成してない限り、無理があるのです。元婚約者が弁護士に相談したら、借用書などがないと返金を求めるのは無理だと言われたという話が漏れ伝わっていますが、その話がホントかどうかは別にしても、法的に解釈すれば当然そうなるでしょう。だから、訴訟も起こしてないのでしょう。

小室さん自身、法律を専門的に勉強しているし、また日本では弁護士事務所に勤務していましたので、法的に見て問題ないという認識は当然持っているでしょう。でも、メディアはそれを「不誠実」「上から目線」だと批判するのです。また、バッシングに対しても、名誉棄損に当たることは小室さん側も重々わかっているはずです。しかし、眞子さんとの関係上、簡単に訴訟を起こすことができないのも事実でしょう。メディアもそれがわかっているので、みずからが描いた構図に従って書きたい放題に書いているのでしょう。

以前、『週刊現代』元編集長の元木昌彦氏がPRESIDENT Onlineに書いた下記の記事を紹介しましたが、元木氏が書いているように、一連の騒動から見えてくるのは、「今の若者には珍しいほど勤勉で誠実な」小室圭さんの姿です。眞子さんとの結婚のために、国際弁護士を目指して渡米、成績も優秀で弁護士資格を取得するのはほぼ間違いないと言われています。眞子さんとの約束を果たすべく努力し、約束どおりちゃんと成果をあげようとしているのです。小室さんに悪罵を浴びせるゲスな国民たちは、むしろ爪の垢を煎じて飲んだ方がいいくらい立派な青年なのです。

PRESIDENT Online
「圭さんと結婚します」の言葉を国民は祝福する

集団ヒステリーと化したかのような小室さんバッシングですが、それはこの社会にマグマのように滞留する負の感情がいびつな姿で噴出した、現代の日本に特有ないじめとストーカーの問題ではないのか。小室さんの問題については、私はどうしてもそんな見方しか持てないのです。


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小室さん
2021.04.28 Wed l 社会・メディア l top ▲
三度目の緊急事態宣言が発令(発出)され、25日から来月11日までの17日間、東京・大阪・京都・兵庫の4都府県で実施されることになりました。併せて既に発令されているまん延防止等重点措置も、対象地域が拡大され、緊急事態宣言と同じく来月11日まで実施されることになりました。

何度も言いますが、来月の11日までというのは、ゴールデンウィーク云々だけでなく、IOCのバッハ会長が17日だかに来日するので、それまでに終了したいという”政治的思惑”がはたらいているのは間違いでしょう。そのために、過去の二度の緊急事態宣言と違って、わずか17日間という「短期間に集中して感染を抑え込む」(菅総理の発言)方針に転換したのです。すべてはオリンピック開催のためです。

昨日の緊急事態宣言初日の朝、用事があって駅に行きましたが、都内に向かう上りの電車も横浜の中心街に向かう下りの電車も、「みんな、どこに行くの?」と思うくらい多くの乗客が乗っていました。若者だけでなく家族連れや高齢者夫婦など、世代を問わずみんな休日の繁華街に向かっていました。また、揃いのユニフォームを着た中学生のグループも、部活の練習試合のためか、改札口の前で待ち合わせをしていました。

「自粛疲れ」「宣言慣れ」などと言いますが、要するに国家が覚悟を示せないのに、国民だけ覚悟を持て、自覚を持てと言っても、それはないものねだりの子守歌というものです。オリンピックはやるけど、お前たちは外出を控えろと言うのは、説得力がないし、自己矛盾も甚だしいのです。

ましてや、大阪市の例が示すように、公務員たちは、市民に自粛を要請しながら自分たちは陰で飲み会をやっているのです。大阪市の場合、感染者が出たので調査してあきらかになったのですが、ほかの自治体もただ調査していないだけで、実態は似たようなものでしょう。厚労省も然りですが、公務員の飲み会の横行は、「自分には甘く住民には厳しい」公務員の習性をよく表しているように思います。たとえば、税金の使い方にしても、自分たちはザルなのに住民に対しては杓子定規で厳格です。一方で、税金の徴収は容赦なく厳しいのです。それは、地頭の子転んでもただでは起きぬの時代から連綿と続いている官尊民卑の考えが背景にあるからでしょう。

私は、新型コロナウイルスの感染が取り沙汰されるようになってから外食はまったく控えています。何故なら、水に落ちた犬を叩くようで気が引けるのですが、飲食店を信用してないからです。大手のチェーン店は、バカッターの例に見られるようにほとんどがアルバイトで運用されていますが、彼らアルバイトがホントに真面目に感染防止に務めているとはとても思えません。

また、個人経営の店なども、テレビのインタビューに答えている店主を見ると、一応マスクはしているものの、二階(幹事長)や麻生(副総理)と同じように鼻が出ている場合が多いのです。それで、「いらっしゃいっ!」と大声で挨拶されたらたまったものではありません。しかも、飛沫防止効果が高いと推奨されている不織布マスクではなく、若者と同じようにウレタンマスクを装着している店主も多いのです。それは、アクリル板や消毒スプレー以前の基本中の基本だと思いますが、そんな基本的なことさえ守られてないのです。

何故、こんな「細かいこと」にこだわり、小言幸兵衛みたいなことを言うのかと言えば、「正しく怖れる」ためです。ひとりひとりが正しく怖れれば、緊急事態宣言もまん延防止措置も必要ないし、「ファシスト的公共性」で不自由をかこつこともないのです。

感染拡大を叫びながら、政府はオリンピックをやると言い、テレビは政府の意を汲んでオリンピックムードを盛り上げ、一方で人出が減ってないとかなんとか言いながら、春爛漫の名所旧跡を訪ねる旅番組を流して外出を煽っているのです。メディアは、オリンピック開催のマスコットガールにすべく白血病から代表に復帰した池江璃花子を美談仕立てで報じていますが、「がんばっている」のは池江璃花子だけではないでしょう。コロナと戦っている感染者も、実質的な医療崩壊のなかで命を繋いでいるほかの患者も、コロナで職を失った人たちも、もちろん諸悪の根源のようにやり玉にあがっている飲食店の店主も、みんな必死で「がんばっている」のです。スポーツ選手だけが「がんばっている」のではないのです。

新型コロナウイルスに関しては、アベノマスクを筆頭に、大阪府知事や大阪市長のイソジンや雨合羽、それに兵庫県知事のうちわ会食など、ホントに危機感があるのか疑問に思うようなトンデモ話が次々と飛び出していますが、今回の緊急事態宣言では、小池都知事が負けじとばかりに”灯火管制”を言い出したのでした。”灯火管制”が必要なくらい危機的な状況なら、まずその前にオリンピックをやめることでしょう。「話はそれから」なのです。

僭越ですが、以前、このブログで私は次のように書きました。

定額給付金・ハイブリット車購入資金の助成・高速料金の千円均一・省エネ家電のエコポイントなど、いわゆる麻生内閣の景気対策を見るにつけ、かつて故・江藤淳氏が「国家・個人・言葉」(講談社学芸文庫『アメリカと私』所収)で書いていた、「倫理の源泉であることを引き受けたがらぬ国家は、ただ金をためろ、輸出を伸ばせ、というだけである」「個人は、したがって孤独であり、なにをもって善とし、なにを悪とするかを知らない。人はただ生きている」という文章を思い出しました。

さしずめこれをもじって言えば、「倫理の源泉であることを引き受けたがらぬ国家は、ただ金を使え、ものを買え、というだけである」「個人は、したがって孤独であり、なにをもって善とし、なにを悪とするかを知らない。人はただ生きている」と言うべきかもしれません。国家主義者ならずとも「この国は大丈夫か?」と思ってしまいます。

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たしかに、新型コロナウイルスの感染対策を見ても、江藤淳が言うように、国家は「倫理の源泉」としての役割すら放棄したかのようです。国家の中枢に鎮座する菅や二階や麻生の能天気ぶりや、新型コロナウイルス対策で露わになった自治体の長たちのトンチンカンぶりが、なによりそれを表しているように思います。

ここに来て、菅総理は突然、7月までに65歳以上の高齢者のワクチン接種を終えるとか、7月から一般の国民に対してもワクチン接種を開始するなどと言い出しましたが、能力的な限界に突き当りいよいよ取り乱しはじめたかと思いました。ホントにそう思っているのなら、国立競技場を接種会場にすればいいのです。そのくらいの覚悟を見せてくれと言いたいです。
2021.04.26 Mon l 社会・メディア l top ▲
特措法改正で新設された「まん延防止等重点措置」がまったく効果がなかったとして、三度みたび緊急事態宣言が発令(発出)されることが決定されたようです。

報道によれば、今回は東京都と大阪府と京都府と兵庫県に発令される予定だとか。しかし、緊急事態宣言の期間は、過去の二度より短く、4月29日~5月9日のゴールデンウィークの間で、感染状況次第ではさらに1週間(5月16日まで)延長することを検討しているそうです。

一度目(2020年4月)は、東京・神奈川・埼玉・千葉・北海道が1ヶ月半、その他の府県が1ヶ月でした。二度目(2021年1月)は、首都圏の1都3県(東京都・神奈川県・千葉県・埼玉県)と、あとで追加になった大阪府・京都府・兵庫県・愛知県・岐阜県・栃木県・福岡県の7府県が対象でしたが、感染が収束しなかったため二度の延長が行われて、期間は最長で2ヶ月半でした。

過去の二度の緊急事態宣言と比べると、今回は極端に期間が短いのです。どうしてかと言えば、IOC(国際オリンピック委員会)のバッハ会長が来月の17日に来日する予定なので、それまでに解除したいという考えがあるからだそうです。バッハ会長の来日によって、開催の可否を最終的に協議する(と言うか、開催を最終的に決定する?)ので、そのスケジュールに合わせたのではないかと言われています。

つまり、今更言うまでもないことですが、新型コロナウイルスよりオリンピック開催が優先されているのです。国民の命と健康よりオリンピックが大事なのです。シロウト目で見ても、僅か10日かそこらで感染状況が好転するとはとても思えません。それでも菅総理の言う「人類がコロナに打ち勝った証し」としての開催にこだわるなら、(既に東京都はPCR検査や変異ウイルスのモニタリング調査をサボタージュしていると指摘されていますが)もはや数字のごまかしで感染状況の”劇的な改善”をアピールするしかないでしょう。もしかしたら、そういった”もうひとつのスケジュール”も同時進行しているのかもしれません。

くり返しますが、第四次感染拡大のさなかにあっても、オリンピック開催ありきでこと・・が進められているのです。まったく狂っているとしか思えません。こういう”狂気”に対して、左だけでなく右からも「憂国」「売国」「国辱」という声が出て来てもおかしくないのですが、不思議なことにそういう声はまったく聞こえてきません。在日に対するヘイトや中国の新疆ウイグルや尖閣の問題、あるいは小室さん問題にはえらく熱心ですが、オリンピック開催ありきの新型コロナ対策に対しては、まるで見ざる聞かざる言わざるのように反応が鈍いのです。

言うまでもなく、商業化したオリンピックによって、バッハ(IOC)はグローバル資本と利害を共有しています。彼がグローバル資本の代弁者であるのは明白で、開催強行はオリンピックに群がるグローバル資本の利益のために(と言うか、先行投資した資金を回収するために)開催国の国民の命と健康がなおざりにされる、資本主義の本性がむき出しになったどん欲で暴力的な光景以外のなにものでもありません。日本の政治家は、その買弁的な役割を担わされているのです。就任早々アメリカに朝見外交に出かけた菅総理が、いつになく卑屈で貧相な田舎オヤジに見えたのもゆえなきことではないのです。

しかし、買弁的なのは与党の政治家だけではありません。オリンピック開催について、立憲民主党の福山哲郎幹事長の発言が、下記の記事に出ていました。

Yahoo!ニュース
東スポWeb
3度目の緊急事態宣言発令へ…東京五輪開催めぐり野党に〝深刻な温度差〟

 立憲民主党の福山哲郎幹事長(59)は「コロナがなければオリンピックにネガティブだったわけではありません。それに対して政府が(五輪開催に)ハッキリとものを言わない状況で、開催に賛成か反対かと無責任にものをいうのは適切じゃない」とした。


社員350人のうち100人をリストラするという、前代未聞の経営危機に陥っている東スポの記事なのでどこまで信用できるかわかりませんが、もしこの発言が事実なら、こんな野党第一党はいらないと声を大にして言いたいです。
2021.04.21 Wed l 社会・メディア l top ▲
「内親王」の身位にある眞子さんの結婚が、まるで芸能人のスキャンダルのように、ここまで下世話な話になってしまったことに対して、この国の天皇主義者はどう考えているんだろうと思うことがあります。

小室圭さんが、いわゆる母親と元婚約者との間の金銭問題について、28ページに及ぶ文書を公表したことで、再びメディアの恰好の餌食になっています。また、文書を公表した4日後、代理人が小室さん側が400万円だかの「解決金」を元婚約者に渡す意向だと表明したところ、さらに火に油を注ぐ結果になり、もはやサンドバッグ状態になっています。もっとも、メディアは最初からバッシングありきなので、何をやっても何を言っても叩かれるのは目に見えているのです。

腹にいちもつのタレント弁護士が、法曹家の文章としては「ゼロ点だ」などと偉そうなコメントを発したかと思えば、ただ口が達者なだけのお笑い芸人やタレントたちが、文字通り風にそよぐ葦とばかりに、「違和感を覚える」「心がこもってない」などと低劣なバッシングの先導役を買って出ているのでした。

貰ったのか借りたのか以前に、たかが数百万円で済む話なのに、どうしてそれで解決しようとしないのか、大きな疑問がずっとありました。今回あきらかになったのは、どうやら眞子さんの側がお金で解決することを望まなかったみたいです。下々の人間には伺い知れない皇室の尊厳みたいなものが関係しているのかもしれません。そのため、小室さんは自縄自縛になった。そこを世故に長けた元婚約者やメディアに、いいように突かれたと言っていいでしょう。

元婚約者が今も住んでいるのかどうかわかりませんが、小室さん親子や元婚約者が住んでいたマンションは、私の住居と同じ駅にあり、一度だけSPをひきつれた小室圭さんが駅から出てきたのを見かけたことがあります。駅前にパトカーが停まって、警察官が舗道に立っていたのでなんだろうと思っていたら、小室さんが勤務先から帰って来るところだったのです。

同じ町に住む人間から見れば、小室さんだけでなく、元婚約者についても、その気さえあればいくらでも取材できたはずなのに、どうして取材しなかったのか、不思議でなりません。一連の報道のなかでは、もう一方の当事者である元婚約者がどんな人物なのか、肝心要なことがすっぽり抜け落ちているのでした。

最初は老後のお金を貸したので生活費にもこと欠いて困っていると言っていたのですが、その後はお金を返して貰おうとは思ってないと「発言」が変わっています。じゃあ、どうしたいのか? どうすればいいのか? 今ひとつわかりません。そもそも小室さんの婚約発表に合わせて、まるでタイミングをはかったかのように金銭問題をメディアにリークしたのは、ほかならぬ元婚約者なのです。だからと言って、金銭問題で訴訟を起こしているわけではありません。もう関わりたくないと言いながら、バッシングが激しくなると、「発言」というかたちでメディアに登場するのでした。

何度も言いますが、男と女の間には、第三者にはうかがい知れないデリケートな部分があるのは言うまでもないことです。別れたからお金を返せというのは、普通は「最低」と言われても仕方ないでしょう。でも、誰もそうは言わないのです。それどころか、”かわいそうな被害者”みたいな扱いになっているのです。もしかしたら、小室さん親子が身動きできないのをいいことに、嫌がらせをしているだけなのかもしれないのにです。愛が憎しみに変わるというのはよくある話ですが、況や老いらくの恋においてをやでしょう。

「発言」なるものも、その多くは代理人から伝えられるものです。いつもならあることないこと書き散らしてもおかしくないのに、何故かメディアに出て来るのは、フリーライターだとかいう代理人をとおした「発言」だけです。

立場が違うとは言え、あれだけ小室さん親子について微に入り細に渡って報道するのなら、元婚約者についても取材しなければあまりに公平さを欠くと言わざるを得ません。しかも、最初から小室さんの主張はウソで、元婚約者の主張がホントと決めつけられているのです。まるで小室さん親子が結婚詐欺師か美人局であるかのような言い方です。しかも、多くの国民はそんなメディアの報道を真に受けて、バッシングに同調しているのです。ネットには、小室さん親子の背後で闇の勢力が(日本の皇室を乗っ取るべく?)糸を引いているなどというQアノンばりの陰謀論まで登場する始末で、もはや集団ヒステリーの様相さえ呈しているのでした。

ただ、今回の文書について、宮内庁の西村長官が、「非常に丁寧に説明されている」、金銭問題の対応の経緯を「理解できた」、「静かにお見守りしていきたい」と感想を延べたことをみてもわかるとおり、文書の公表や「解決金」の支払い(元婚約者がごねてすぐに受け取らない可能性もありますが)が結婚に向けての地ならしであることは間違いないでしょう。なんだか世間の人間たちに比べると、「カゴの鳥」の監視役である宮内庁の元警察官僚の方がマトモに見えるくらいです。

それにしても、メディアに煽られたとは言え、皇族の自由な恋愛&結婚に対して、「オレたちの税金で」という上から目線と、一方で言いがかりとしか思えない非現実的な潔癖性を求める(芸能人の不倫に対するのと同じような)あまりに性悪で冷淡な反応を見るにつけ、私には、ゲスの国民たちが自分のことを棚に上げて、時代にそぐわなくなった天皇制をいいように弄んでいるようにしか思えないのです。要するに、「カゴの鳥」は「カゴの鳥」らしくしろ、「カゴの鳥」にはそれにふさわしい結婚があるだろうということでしょう。眞子さんだけでなく、佳子さんもそうですが、そんな時代にそぐわなくなった天皇制に縛られる若い皇族たちはホンマに!?気の毒だなと思えてなりません。


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眞子さんに対する中傷
2021.04.14 Wed l 社会・メディア l top ▲
ミャンマー国軍による市民への弾圧は、日に日にエスカレートする一方です。クーデターの犠牲者は10日までに700人を超えたと言われています。迫撃砲やロケット弾を使って市民を虐殺しているという話も伝わっており、もはや常軌を逸した虐殺行為と言っても過言ではないでしょう。

ビデオニュースドットコムにリモート出演したヤンゴンの反対派市民は、兵士たちは麻薬や酒を与えられて弾圧行為を強いられていると言っていました。また、兵士たちが命令に背かないように、家族が半ば人質のようになっているとも言っていました。

ビデオニュースドットコム
マル激トーク・オン・ディマンド (第1044回)
ミャンマー危機における日本の責任を考える

もともとミャンマーの国軍は、設立以来、常に国内の少数民族の武装組織やビルマ共産党の掃討作戦を続けており、国軍は国防より警察と一体化した治安組織としての性格の方が強いそうです。そのため、国民に銃を向けるのもそんなに抵抗はないと言われています。

狙撃兵が道端で遊ぶ子どもを狙って撃ったり、アトランダムに民家に銃弾を撃ち込んだり、あるいはいきなり民家を襲撃して片端から若者を連行するなどという行為も行われているようです。連行された若者は、日本円で3万円とか5万円を払うと釈放されるという話もあるのだとか。このように狂気と化した国軍や警察によって、暴虐の限りが尽くされているのです。

上智大学の根本敬教授は、番組のインタビューで、国軍の経済利権について、国防省兵站部国防調達局という国防省内の一部局が2つの持ち株会社を所有しており、その2つの持ち株会社の下に150以上の大手企業が連なり、国軍はそれらから株主配当金を吸い上げるシステムになっていると言っていました。しかも、その株主配当金は非課税の上非公開なので実態は闇の中だとか。一説には、ミャンマーの国防予算の2500億円を上回る金額が上納されているという話もあるそうです。もちろん、その一部は国軍の幹部たちのポケットマネーにもなっているのです。

しかし、ミャンマーに対して最大の援助国であり、しかも、国軍と太いパイプがある(密接な関係がある)日本政府は、欧米とは歩調を異にし依然として制裁には消極的です。日本が援助を凍結すると、ミャンマーに経済的な空白が生じ、その間隙を突いて中国が進出してくるという、ネトウヨでおなじみの「中国ファクター」がその理由です。そのため、G7に参加する主要先進国として、一応クーデターを非難する声明は出すものの、制裁などに踏み切るつもりはなく、かたちばかりの声明でことを済まそうとする姿勢が見えると根本教授も言っていました。

前の記事でも書きましたが、ミャンマーに進出している日系企業は2020年末の時点で、433社に上るそうです。そのなかには、丸紅や三菱商事、住友商事、イオン、KDDIなど、日本を代表する大手企業も入っており、それらの多くは、何らかのかたちで、国防調達局傘下の持ち株会社に連なる会社と合弁事業を行なっています。そうやって”狂気の軍隊”を経済的に支えているのです。

国軍がやっていることはどう見ても戦争犯罪としか言いようがありません。だとしたら、”援助”の名のもとに彼らを経済的に支える日本政府や日本企業も、「人道に対する罪」は免れないように思います。

かつての宗主国であり、そして現在、最大の援助国として経済的に密接な関係のある日本は、間違っても傍観者の立場などではあり得ないのです。

JIJI.COM
NGOがユニクロ告発 ウイグル強制労働めぐり―仏

昨日、「中国・新疆ウイグル自治区での人権問題をめぐり、ウイグル族を支援するフランスのNGOなどは(略)、少数民族の強制労働で恩恵を受けているとして、人道に対する罪の隠匿の疑いで『ユニクロ』の仏法人を含む衣料・靴大手4社をパリの裁判所に告発した」という記事(上記)がありましたが、市民を虐殺するミャンマー国軍を経済的に支える日本企業に対しても、もっときびしい目を向ける必要があるでしょう。


追記:
根本敬教授らが、ミャンマーの民衆を支援するクラウドファンディングを立ち上げています。主催者は、「たとえ少額でもミャンマー市民への力強い応援歌になる」と支援を呼びかけています。また、発起人の今村真央山形大教授は、「かつての弾圧時にはなかったネットを味方に付け、民主主義を求めるミャンマーの人々を支えたい」とプロジェクトの目的を述べていました(朝日新聞デジタルより)。

緊急支援:クーデター下のミャンマー市民へ医療・食料支援を。
https://readyfor.jp/projects/justmyanmar21
2021.04.12 Mon l 社会・メディア l top ▲